カテゴリー「日中関係」の記事

2010年12月12日 (日)

中国の民主化の日本・世界における重要性

 一昨日(2010年12月10日)、ノルウェーのオスロにおいて、中国の民主化運動を進めてきた劉暁波氏に対するノーベル平和賞の授賞式が行われました。

 中国の民主化の問題は、中国の内政問題であり、あくまで中国人民が自ら決める問題ですが、以下の点において、日本及び世界に極めて重要な影響を与えている問題であることは認識する必要があると思います。

1.「労働者・農民からの搾取」「環境破壊」による経済秩序の破壊の「輸出」

 最近の中国の経済発展の多くは、外国からの資金と技術の導入に基づいて、中国の労働者による勤勉な労働と、石炭、レアアースをはじめとする中国が持つ天然資源がもたらしたものでありますが、それ以外に以下の要素がかなりの部分を占めています。

○「土地が公有である」という社会主義的原則に基づき、地方政府が農民から非常に安い補償金で農地を取り上げ、工場用地として整備し、企業に安価な土地を提供することが可能であった。

○農村戸籍の者は、都市部で労働していても子女の教育、医療保険等の行政サービスが受けられないことから、農村戸籍を持つ都市労働者(いわゆる「農民工」)は数年で故郷の農村に帰らざるをえないのが現状である。このため、都市部の工場では常に労働賃金の安い若い労働力を確保し続けることができた。(年数が経って賃金を上げざるを得ない年齢に達した「農民工」の多くは、企業側がリストラしなくても、中国側の「戸籍制度」に基づいて故郷の農村に帰らざるを得なかったから)。

○民主制度(選挙や報道の自由)がなく、地域住民の声が地方行政に反映されないことから、地方政府は利益を優先する企業の環境破壊を黙認している。そのため、中国の多くの企業は環境保護に必要なコストを必要とせず、大幅なコストダウンが可能となる。

○中国政府の為替政策(人民元を実勢レートより低く設定する)ことにより、為替レートに基づく国際的な労働コストを低く抑えている。これにより外国資本は、中国への投資にメリットを見い出しているが、一方で、労働者は高い輸入品を買わされることになる。

○政府の政策に対する人々の不満の表明を政治的に抑制することにより、労働者による賃上げ運動を抑制することが可能となり、低賃金を維持することが可能となる。

 このような企業側にとって大幅なコストダウンが可能な環境により、中国は「世界の工場」と化しました。このような「特殊状況」の下で生産された「安い」中国製品は世界を席巻しました。安い中国製品と対抗するため、世界各国では、労働者のリストラなど(日本において多くの労働者を正規労働者から派遣労働者に切り替える、など)が起こりました。こういった現象について、ある中国の学者は「中国は『労働者・農民・市民の権利を守るための革命を世界に輸出する国』ではなく、『労働者・農民・市民からの搾取を世界に輸出する国』になってしまった」と評していました。

 中国において民主化が進めば、労働者・農民の権利の主張がその政策に反映されるようになり、環境破壊を取り締まれない地方政府も成り立たなくなります。中国人民の賃金が為替レート的に不当に低く設定され、その反面で高い輸入品を買わされている現在の為替政策も変わるかもしれません。中国が民主化されれば、「労働者・農民・市民からの搾取の世界への輸出」もなくなり、世界の価格競争は公正な競争原理に基づくものになり、結果的に世界各国の労働者・農民・市民の福利も向上することになるでしょう。つまり、中国の民主化の問題は、実は世界の問題なのです。

2.安全保障における「文民統制」の問題

 中国の人民解放軍は中国共産党の軍隊であり、中華人民共和国政府の軍隊ではありません。従って、国務院総理の温家宝氏には人民解放軍の指揮権はありません。日本の国会に相当する全国人民代表大会も人民解放軍へ軍事面で指示をする権限はありません。胡錦涛国家主席は、国家軍事委員会及び中国共産党軍事委員会の主席でもありますので、胡錦涛氏には人民解放軍の指揮権はあります。中華人民共和国政府の機関として国家軍事委員会というのがありますが、そのメンバーは主席の胡錦涛氏をはじめとして中国共産党軍事委員会のメンバーと同じであり、人民解放軍は中国共産党の指揮は受けますが、実質的に中華人民共和国政府によるコントロールを受けません。これは、政府が軍隊をコントロールできなかった戦前の日本の状況と同じです(戦前の日本では、軍隊の統帥権は天皇にあり、軍隊は政府の指揮は受けないという考え方でした(いわゆる「統帥権問題」))。そのため、戦後の日本国憲法では、政府による自衛隊のコントロール(いわゆる「文民統制」)が徹底しているのです。

 戦前の日本において「軍隊の統帥権は天皇に属しているので、軍は日本国政府の指示は受けない」という主張がまかり通っていた実情に即して言えば、現在の中国においては「人民解放軍の統帥権は中国共産党に属しているので、人民解放軍は中国政府の指示は受けない」ということになります。現在の中国では「中国政府=中国共産党の指導下にある」ので、人民解放軍が党の軍隊か政府の軍隊かという問題は結局は同じことだ、とも言えますが、「中国人民の意志」と「人民解放軍の統帥権」とがつながっていない、という意味では、現在の中国の軍隊に関する状況は戦前の軍国主義時代の日本と同じであるということができます。

 従って、仮に中国政府が軍事的緊張を避けようと考えたとしても、中国共産党が戦争を始めようと思えば、戦争が始まってしまうのです。これは外交と軍事統帥権が一元化していない(形式上、国家主席=軍事委員会主席、という形でかろうじて一元化はしていますが)ことを意味します。これは中国を巡る安全保障上の極めて不安定となる要素のひとつです。

 中国が北朝鮮をしきりに擁護するのは、韓国との間に緩衝地帯を設けたい、という地政学上の理由とともに、「先軍思想」と称して軍隊が全てをコントロールしている北朝鮮にシンパシーを感じていると思われる人民解放軍の意向が中国外交の自由度を縛っている可能性が非常に大きいと思います。

 中国の政府は、中国人民がコントロールできているわけではないのですが、人民解放軍は、そういった中国政府ですらコントロールできない、という政治状況は、世界の安全保障の観点では不安定要素であると言わざるを得ません。(大多数の人民がコントロールしている政府が軍隊をコントロールしているならば、軍隊はそう極端なことはできません。「大多数の人民がコントロールしている」という部分で、一定の合理性(大義名分、と言ってもよい)がないと軍隊は動けないからです)。

 1989年の第二次天安門事件の時、天安門前広場にいた学生・市民を排除するために戒厳令が出されましたが、当時の中国共産党総書記の趙紫陽氏は、戒厳令の発令に反対でした。当時の中国共産党軍事委員会の主席はトウ小平氏だったので、実質的にトウ小平氏の「ツルの一声」で戒厳令発令が決まりました。中国政府の公式な記録では、1989年5月17日の夜、中国共産党政治局常務委員会の会議が開かれて、その場で多数決で戒厳令発令が決まった、ということになっています。しかし、趙紫陽氏は、「趙紫陽極秘回想録」の中で、この日の夜の会合は「政治局常務委員による状況報告会」であった、としています。政治局常務委員会を招集する権限のある総書記(趙紫陽氏自身)が政治局常務委員会を招集していないのだから、この会議は政治局常務委員会ではなかった、と言いたいのでしょう。つまり、第二次天安門事件で多数の犠牲者を出すに至る戒厳令は、正式な手続きを経て出されたものではなく、実質的にトウ小平氏一人の意志決定によって決まったのでした。

 法律に基づく政府が確立していない、多数の人民の意向が軍の行動に反映されない、という状況においては、予想もできない軍事的な決定が突然になされてしまう、というリスクは常に存在します。

3.様々な国際共同作業における自由度の問題

 政治的な自由度がない、報道の自由がない、ということは、国際的な共同事業の自由度、という点でも制約を受けます。例えば、国際共同科学研究において、中国国内では気象データなどを許可なく測定できない、といったこともそのひとつです。中国では、国家プロジェクトに異を唱えるような研究論文は実質的には書くことはできません。これは国際共同研究の観点から言えば致命的です。例えば、人工の水路を造って揚子江の水を黄河以北へ移送するという「南水北調」プロジェクトは、生態系や地域の気象に影響を与える可能性がありますが、このプロジェクトによりマイナスの影響が出る、というような研究論文は中国では発表できません。砂漠地帯の緑化事業も、地下水を汲み上げることにより地中の塩分を地表面にもたらすといった悪い影響もあるはずなのですが、そういった「政策に反対するような論文」は書けないのが実情です。そういった国では「科学」の信頼性に疑問がある、と言われてもしかたがなく、そういった国と本当の意味での科学的国際共同研究ができるのか、という疑問が生じます。

4.法律遵守意識の問題

 中国は知的財産権では「無法地帯」と言われています。多くの人々の「遵法意識」に問題があるのがその原因のひとつですが、その背景には「そもそも政府自体が法律を守っていない」ことが挙げられます。今般の劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に関連して、受刑者である劉暁波氏に出国許可を出さなかったのは法律上は理解できるとしても、劉暁波氏の親族や同調者、あるいは同調者の親族すら出国許可が出ていないことについて、そういった出国拒否に法律上の根拠があるのか、という疑問が湧いています。中国の憲法には、中国公民の基本的人権が定められていますが、「国家の安全確保上問題が生じる」という理由があれば、政府がそういった基本的人権を制限することが可能である、というのでは、憲法の規定が有名無実である、ということになります。

 中国では、多くの法律において、行政府に国民の権利・義務に関する決定を大幅に委任しています。例えば、毎年の祝日は、日本では国会の議決を経た法律において規定されますが、中国では祝日の設定は行政府に委任されているため、中国の「法定休日」は全人大の議決を経ずに政府機関である国務院が決めています。

 中国では多くのケースで「法律には原則論が書いてあるだけであって、実際の決定は行政府が政府の都合で自由に決めている」のが実情です。こういう状況があるので、多くの中国人民は、「法律は原則論であって、実態に合わせて運用することは問題ないのだ」と思ってしまうのです。法律論は「原則」なので、幅広く法律を解釈して実体的にはかなりいろんなことができる、という考え方が現在の中国の政府及び人々の意識の底流にあるのです。従って、立派な法律はあるけれども、実際は全然守られていない、というケースがあちこちで見られます。人民日報にも載った話ですが、中国の土地管理法違反案件の約8割は地方政府による法律違反なのだそうです。

 中国では、「中国共産党といえども、憲法や法律を守らなければならない」という「おふれ」がしょっちゅう出ます。これなど、「中国共産党の決定だ」と称して、法律違反の行為がしょっちゅう行われている証拠でしょう。元中国共産党総書記の趙紫陽氏は、「総書記を解任されたのは中国共産党の決定だからしかたがないが、自分を自宅軟禁にする法律的根拠は一切ないはずだ」と「趙紫陽極秘回想録」の中で憤慨しています。2006年1月に突然停刊になった「中国青年報」の中の週刊特集ページ「氷点週刊」について、当時の編集長で後に編集長を解任された李大同氏は、その著書「『氷点』停刊の舞台裏」の中で、この停刊が、法律に基づく処置ではなかっただけでなく、出版の自由を保証している憲法に違反している、と糾弾しています。

 劉暁波氏の妻を自宅軟禁にしたり、支援者の出国を止めている現在の中国の現状を見れば、中国政府自身が「憲法に基本的人権に関する規定はあってもそれは厳密に守らなくてよいのだ」と内外に宣言しているに等しいと言わざるを得ません。そうした政府自身が「憲法や法律には立派なことが書いてあるが、実態はそれに忠実に従う必要はないのだ」という態度を示している状況において、中国の人々に「知的財産権に関する法律を守りましょう」と呼びかけても詮ないことであることは明らかです。

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 以上掲げたように、中国が、法律に基づく、民主的な政治体制にならない限り、様々な経済的、国際的な「あつれき」は今後とも引き続き起こる可能性があります。従って、中国の国内政治体制は中国人民が決めるものであって、外国人がああだこうだと言うべきではない、という原則はあるものの、外国人の我々としても、中国の民主化については、利害関係者の一人として重大な関心を持って見守って行かざるを得ない、と言えると思います。

以上

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2010年12月 5日 (日)

黄海での米韓合同軍事演習と中国外交

 先週(2010年11月28日~12月1日)、黄海においてアメリカ海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンも参加して米韓合同軍事演習が行われました。今回の軍事演習は、もともと計画されていたシリーズの米韓合同演習の一環、ということのようですが、去る11月23日、北朝鮮が韓国のヨンピョン(延坪)島へ砲撃を行い、民間人を含む4名の死者が出た直後だけに、緊張感が高まりました。

 この北朝鮮砲撃問題について中国がどう対応するのか、世界が注目しました。

 中国は、1978年にトウ小平氏の主導により、文化大革命の時代から脱して、改革開放路線を始めました。その頃、ソ連は、ソ連共産党による支配の硬直化が進んでいました。トウ小平氏は、外交的にはアメリカや日本をはじめとする西側諸国と接近し、ソ連を「覇権主義」として批判することによって「対ソ包囲網」を形成し、中国の国際社会における発言力を高めました。

 トウ小平氏の「対ソ包囲網作戦」は成功し、中国は日本をはじめとする西側諸国の対ソ戦略意識をうまく活用して、西側から資金と技術を導入して、文化大革命中に停滞した中国経済にカツを入れ、その後の急速な中国の経済発展の基礎を築きました。また、イギリスとの交渉により、香港返還を実現させました。

 1986年~1988年、私は一回目の北京駐在を経験しましたが、その頃、中国の街角では、赤地を白で染め抜いた中国共産党のスローガンは次々と撤去され、各地にあった毛沢東主席像もその多くは撤去されました。それは、トウ小平氏が、文化大革命的なスローガン主義や個人崇拝主義を嫌って、近代的な経済建設を進めたいと考えていたことを表していました。

 しかし、そういった1980年代の自由を希求する雰囲気の中で天安門前広場で盛り上がった1989年の北京の学生・市民の運動は、人民解放軍の投入により武力で鎮圧されてしまいました。1992年のトウ小平氏による「南巡講話」により、中国は、経済的には高度経済成長時代に入りますが、政治的には1980年代に比べれば、むしろ文革時代に近いような雰囲気に戻ってしまいました。

 日本との間では、改革開放期に入る前から尖閣諸島問題はありました。しかし、1978年の日中平和友好条約の批准書交換式に出席するため訪日したトウ小平氏は、尖閣問題について問われたとき、「我々の世代はまだ知恵が足りないのです」と述べて問題を棚上げすることによって日本との関係を進めることに成功しました。

 日中間には、いわゆる「歴史問題」もありましたが、1980年代の中国指導者は「日本人民も日本の軍国主義者の被害者であった」と述べており、多くの中国人民も実際そう思っていて、今の日本に対する「反日感情」はありませんでした。むしろ、人々は「おしん」や「山口百恵」に見られるような日本の文化を取り入れ、企業は日本の進んだ技術や経営方策を取り入れようとしていました。

※このあたりの経緯については、左側の欄にある「中国現代史概説の目次」をクリックして、このブログの中にある該当部分をご覧ください。

 しかし、2007年4月に二回目の北京駐在のため赴任した私は、1980年代とは違う雰囲気に戸惑いました。街には赤地に白で染め抜いたスローガンがたくさんありましたし、外国企業の大きな広告看板と同じように、人民解放軍の兵士が描かれた「軍民が協力してオリンピックを成功させよう」といった1980年代の開放的雰囲気とは異質の看板も目立ったからです。

 テレビでは、夜7時のニュース「新聞聯報」の中に「紅色記憶」と題する中国共産党の歴史を解説するコーナーがありました。赴任したのが4月末で、メーデーが近いせいもあったのですが、テレビでは「労働者之歌」という歌番組が放送されており、人民解放軍の軍服を着た女性歌手が祖国を讃える歌を歌っていました。祖国を讃える歌は結構なのですが、率直にいって「テレビ番組の雰囲気が北朝鮮みたいじゃないか。中国は北朝鮮みたいになって欲しくない。」と感じたのを覚えています。

 中国は、2001年のWTOへの加盟、2008年の北京オリンピックの開催、2010年の上海万博の開催、というふうに国際社会の中に溶け込むためのイベントが続いたのですが、実際問題としては、中国が外交的に国際社会の中への溶け込みが進んだとは見えませんでした。

 特に、最近の中国は、9月の尖閣諸島問題に対する対応や、10月の劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞に対して、諸外国に対して強硬な態度に出て、むしろ自ら国際社会における「対中包囲網」を自分で招来するような姿勢を示していました。

 11月23日(火)に北朝鮮が韓国のヨンピョン島を砲撃した事件に関しても、中国は北朝鮮を非難せず、「関係各方面に冷静な対応を求める」とだけ述べていました。温家宝総理も、訪問先のモスクワで「いかなる軍事的挑発も許さない」と述べて、北朝鮮を非難しているのか、米韓合同演習をしようとしている米韓側を非難しているのか、わからない情況が続いていました。このままでは、1980年代に「ソ連包囲網」の中で「包囲する各国の中の主要な一員」だった中国が、2010年にはむしろ国際社会によって「包囲される側」に回ってしまうのではないか、という恐れがあります。

 11月26日(金)の時点で、「人民日報」のホームページ上にある掲示板「強国論壇」では、掲示板の管理人により「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」と題する個人ブログの文章が掲載され、多くの参加者のコメントがこれにぶら下がっていました。この文章のポイントは、「北朝鮮は、自分が主張する自国の領海内で韓国が軍事演習をやったから反撃したまでのこと。」「これを機にアメリカが空母を出して黄海で米韓軍事演習をやるのは、日本による釣魚島(尖閣諸島の中国名)占領と同じように、アメリカによる中国封じ込め策の一環である。」というものです。

 「強国論壇」では、盛り上がるような話題については、根っことなる発言を提示して、そこにコメントを集中させるような掲示板の整理をすることがあります。この「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」という文章も、そういった掲示板の中の整理の一環として議論の根っ子として紹介しただけであって、「強国論壇」の考えを代表するものではありませんが、この発言には「北朝鮮を支持する」「アメリカはけしからん」といった発言が多数ぶら下がっており、まるで「強国論壇」が北朝鮮擁護と反米の感情を煽っているかのようにさえ見えました。米韓合同軍事演習が北京・天津の目と鼻の先である黄海で行われようとしている状況を前にして、「強国論壇」には11月27日(土)、28日(日)の周末に「反米デモ」が起きるのではないか、というほどの「熱気」がありました。

 しかし、11月26日(金)以降、中国は早手回しに外交上の対策を行いました。

 まず、11月26日(金)、中国外交部の楊潔チ部長(「チ」は「竹かんむり」に「がんだれ」に「虎」)は、北朝鮮の在北京駐在大使と会談し、ロシアと日本の外務大臣と電話会談を行いました。

 同じ11月26日(金)、中国外交部のスポークスマンが「黄海の中国の排他的経済水域では中国の許可なしにいかなる軍事的行動も許さない」という発言をしました。日本のいくつかの新聞等は、この発言について「中国は黄海での米韓合同軍事演習に反対を表明した」と報じました。しかし、この外交部スポークスマンの発言は、「たとえ黄海であっても、中国の排他的経済水域(いわゆる200カイリ水域)の外であれば、外国が軍事演習を行っても黙認する」という意図表面である、とも読めます。黄海は中国からの大陸棚が続いているので、中国と韓国との排他的経済水域の境界については、中国と韓国とで主張が異なっており、「中国の排他的経済水域の外にある黄海」とは具体的にどの海域を指すのかは明確ではないのですが、外交部スポークスマンの発言が「海域を選べば、黄海で軍事演習をやっても中国は文句は言わない」という意味だととらえれば、これは米韓に対する「歩み寄り」を示す重要なメッセージでした。

 こういった中国の動きとの関連は不明ですが、27日(土)、北朝鮮は「砲撃により民間人に死者が出たのだとしたら遺憾」という軟化を匂わせる見解を発表しました。

 11月27日(土)午後、中国の戴秉国国務委員(外交担当で副首相級。外交部長よりランクは上)が急きょ訪韓して韓国の外交通商相と会談しました。戴秉国国務委員はその夜はソウルに泊まり、翌28日(日)の午前中に韓国のイ・ミョンバク(李明博)大統領と会談しました。イ・ミョンバク大統領とにこやかに握手する戴秉国国務委員の映像は、世界に「北朝鮮問題について、中国は積極的に外交的努力をしている」との姿勢をアピールしました。

 さらに、戴秉国国務委員とイ・ミョンバク大統領の会談直後、中国政府は、30日(火)に北朝鮮の朝鮮労働党書記のチェ・テボク(崔載福)書記が訪中する、と発表した。

 同じくイ・ミョンバク-戴秉国会談の直後、中国外交部は同日北京時間16:30(日本時間17:30)から北朝鮮に関する「重要情報」を発表する、と予告しました。

 「重要情報を発表する、という予告」は、普通はないことなので、「人民日報」ホームページ上の掲示板「強国論壇」では、「何だろう?」「米韓に対抗して中国も山東半島沖で軍事演習をやる、という発表か?」「アメリカに宣戦布告でもするのだろうか?」「そういう話なら軍が発表するだろう。外交部が発表するのだから軍事的な話ではないはずだが。」といった憶測が乱れ飛びました。

 実際、17:40になって戴秉国国務委員に随行してソウルへ行っていた中国外交部朝鮮問題特別代表の武大偉氏が北京に戻ってから発表したのは、「中国は12月上旬に六か国協議の首席代表による会議を行うことを提案する」というものでした。外交上の提案としては十分ありうる提案ですが、「重要情報を発表する、と予告するほどの内容ではない」というのが一般的な見方でしょう。「強国論壇」では、「待ってて損した!」「外交部は何考えてるんだろう」といった声がわき上がりました。

 実は、この時点で、「強国論壇」に11月26日(金)に「発言の根っこ」として置かれていた「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」というアメリカを非難する内容の文章は、「黄海で米韓が合同軍事演習を実施」という中立的な文章に差し替えられていました。

 明らかに、中国の姿勢が11月26日(金)から28日(日)の間に、「だんまり」から「北朝鮮、韓国と同じ距離を保ち、中立の立場から対話を促す」という立場に変わったのです。北朝鮮問題に関して「だんまり」を決めこむことは、結局は北朝鮮の行為を是認することになり、北朝鮮に対する影響力を持つという中国が何もしないことは、中国が国際社会から非難を浴び、中国と北朝鮮を同一視されて中国自身が国際的に孤立してしまう、という危機感が中国にもあったのでしょう。そのため、一転して活発な外交的動きを見せて、「中国は努力している」という姿勢を国際社会に見せたのだと思います。

 六か国協議の首席代表による会議の提案を「重要情報を発表する」と予告した上で発表したことについては、戴秉国氏や武大偉氏がソウルから北京に帰国し、指導部にイ・ミョンバク大統領との会談結果を報告した上で中国としての立場を発表したのですから、発表のタイミング自体は全く不自然さはありません。ただ、発表についてなぜ「重要情報を発表する」と予告したのか、という疑問は残ります。可能性としてあるのは、六か国協議の首席代表による会議開催の提案は、誰でも考えつくようなあまりパッとしない提案だが、中国としてもほかに打つ手がなかったので、「中国は重大な決断をした」という「格好」を見せるために「重要情報の予告」をして世界の注目を集める方策を採ったのだ、ということです。また、北京時間16:30(日本時間17:30)という時刻は、今の時期だと日没であたりが暗くなるタイミングですので、日が暮れるまで北朝鮮側、米韓側ともに軍事的な起きないように「軍事的動きをさせないためのハッタリだった」のかもしれません。また、アメリカの原子力空母が黄海に入っていることによって熱くなっている中国の若者が「反米デモ」を起こさないように、衆人の目を集める「重要情報発表予告」を行い、実際に発表したときには既に日曜日の日が暮れており、デモをやりたくても、次の週末まで人が集まらない、という状況を作るのが目的だった、のかもしれません。

 訪中した北朝鮮のチェ・テボク書記は、12月1日、中国の呉邦国政治局常務委員(中国共産党のランクナンバー2で、全人代常務委員会委員長)と会談しました。チェ・テボク書記は北朝鮮の最高人民会議(国会に相当)の議長なので、呉邦国氏は中国におけるカウンターパートですので、この会談に不自然な点はありません。しかし、国家安全保障上の重要事項を話し合うのだったら、相手は全人代常務委員会委員長の呉邦国氏ではなかったはずです(呉邦国氏は、日本で言えば「国会議長」であって、外交を担当している行政のトップではない)。発表されたニュースでは、この会談では「中朝関係は東アジア地域の安定にとって重要であるとの認識で一致」といった当たり前の話ばかりで、具体的にどういったことが話し合われたは発表されていません。また、チェ・テボク書記が北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記の特使として派遣されたのならば、胡錦濤主席(中国共産党総書記)と会談してもおかしくないのですが、胡錦濤主席とチェ・テボク書記が会談した、という報道はなされていません。

 いずれにせよ、一連の外交的活動により、中国は「北朝鮮の擁護者として国際社会から孤立する道」を選ばずに、「北朝鮮問題については、北朝鮮とは一定の距離を保ち、できるだけの外交上の努力はする」という姿勢を国際社会にアピールすることには成功したと思います。今の中国の国内政治においては、10月の五中全会で習近平氏が党軍事委員会副主席に選ばれたことでわかるように、人民解放軍の発言力が大きくなっていて、中国が人民解放軍が親近感を持っている「先軍主義」の北朝鮮を擁護せざるを得ないような状況になっている(胡錦濤-温家宝体制は既にレイム・ダック化している)という可能性があります。もし、そうだとすると中国は今まで考えられていた以上に北朝鮮を擁護する動きをする可能性があります。しかし、北朝鮮を擁護する態度を明確に出すと、尖閣問題、劉暁波氏ノーベル平和賞問題で国際社会の中で「異質な存在」として国際的に孤立化しつつある中国が、ますます国際社会から取り残されてしまう恐れがあります。今回の外交上の動きを見ていると、そういう最悪の事態は避けられたようです。

 しかし、ロシアですら北朝鮮を非難している状況において、北朝鮮を非難しない中国の姿勢は、「中国はやはり『ふつうの国』ではない」という印象を国際社会に与えたのも事実だと思います。朝鮮戦争の時に50万人にも上る「人民義勇軍」を派遣した中国には、当時の関係者(または戦死者の遺族)がまだたくさん残っており、北朝鮮を見限ることは現政権への批判につながる可能性もあるし、また韓国との間の「緩衝地帯」としての北朝鮮の中国にとっての地政学上の重要性は変わっていないので、中国の国内政治状況において、北朝鮮問題は非常に神経を使う問題であることは今後も変わらないと思います。

以上

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2010年10月31日 (日)

「反日デモ」と「人民日報」「強国論壇」

 尖閣諸島での中国漁船船長の逮捕をきっかけとして、中国内陸部で「反日デモ」が起き、10月29日にハノイで行われるだろうと思われていた日中首脳会談がなくなるなど、日中関係がぎくしゃくしています。私は今、日本にいて、報道されている以外に中国の状況を知る立場にはありませんが、「人民日報」のホームページ(紙媒体の新聞として印刷される「人民日報」そのものもネットから見ることができる)を見ていて気がついたことを書いてみたいと思います。

 特に「人民日報」ホームページ上には、「強国論壇」と呼ばれる掲示板があり、ネットワーカーが様々な書き込みがなされるので、これも参考になります。当局に不都合な発言は管理人が削除しますが、書き込まれてから「不適切」と判断して削除されるまで数分~30程度タイムラグがあるので、運がよければ、削除されるような発言を削除される前に見ることもできます(ただし、もちろん全て中国語です)。

 「人民日報」ホームページ、「人民日報」の紙面に載った記事、掲示板「強国論壇」に掲載されたネットワーカー発言(削除された発言)で気がついたものを書いておきます。

(1)劉暁波氏のノーベル平和賞受賞

○受賞決定直後の反応

 10月8日にノーベル委員会は、中国共産党による支配を批判した文書「零八憲章」を起草した一人とされる劉暁波氏にノーベル平和賞を授与することを決定しました。これは中国国内に居住する中華人民共和国国籍を持つ初めてのノーベル賞受賞者が誕生したことを意味しますが、中国のメディアはこの時点では全く報道しませんでした。しかし、掲示板「強国論壇」では、発表直後からノーベル平和賞に関する発言(賞賛と反対と両方ありましたが)があふれ、中国のネットワーカーたちはネット経由ですぐにこの情報を得たことがわかりました。ただし、受賞を祝う発言は、すぐに削除されました。

○「人民日報」等の反論

 10月17日付け「人民日報」は3面の国際評論の欄に「ノーベル平和賞は政治的目的に走っている」という評論文を掲載しました。この評論文では、服役中の劉暁波氏にノーベル平和賞が与えられることになったことを報じた上で、そうした決定をしたノーベル委員会について「ノーベル平和賞を政治的に利用するものだ」と非難していました。この評論を「人民日報」が掲載したことを日本のマスコミは報じていないようなので、多くの日本の人たちは劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞したことを中国の人は知らない、と思っている人がいるようですが、これは誤りです。

 その後、10月26日14:05付けで「中国網」が劉暁波氏を批判する文章「劉暁波:その人そのやったこと」をアップしました。「人民日報」のホームページもこの文章にリンクを張りました。この文章のポイントは以下のとおりです。

---「劉暁波:その人そのやったこと」のポイント---

(参考URL1)人民日報ホームページ
「劉暁波:その人そのやったこと」
(「中国網」2010年10月26日14:05アップ)
http://world.people.com.cn/GB/13053039.html

○劉暁波は「人を驚かすこと」で頭角を現した人物である。

○「1989年の政治風波」(第二次天安門事件)の時には、「名を上げるチャンスだ」として当時滞在していたアメリカから帰国し、「六四動乱」の首謀者となった。

(筆者注1:「1989年の政治風波」「六四動乱」は、ともに「第二次天安門事件」のこと。)

○彼は「香港が100年植民地だったのだから、中国は300年植民地でいても足りないくらいだ」と言ったり、「中国人は創造力が欠けている」と評したりしている。

○「六四」動乱の後、起訴され、涙を流して「懺悔書」を書いたが、その後もいわゆる「民主化運動」を続けた。

○アメリカのCIAが後ろにいるアメリカ国家民主基金会が補助する「民主中国」社に職を得て、年収23,004ドルを受け取っていた。

○2008年にいわゆる「零八憲章」をインターネットを使った扇動、誹謗の方法で発表した。「零八憲章」は中国の現行の憲法と法律を完全に否定し、党の指導と現行の政治体制の一切を否定し、西側の政治制度に変えることを主張して、段階的に民衆に混乱を起こさせ、「暴力革命」を吹聴する主張である。彼は2008年12月、国家政権転覆扇動罪で懲役11年、政治的権利剥奪2年の刑に処せられた。

(筆者注2:劉暁波氏は、2008年12月に起訴され、一審、二審の裁判の結果、2010年2月に刑が確定した。上記の記述は、起訴された時点で刑が決まり、裁判なんかどうでもよいのだ、という中国の現状を表していると言える。)

○彼は次のように主張している。「アメリカ人民によって確立され全世界を覆った自由秩序のためならば常を越えた代価が必要である」「自由の女神が持つ火が全地球を焼き尽くすことを想像する必要がある。全ての人は対テロリズム戦争に対する責任を有する」。

○劉暁波は、西側が中国を変革させようとする企みの「馬の前の兵卒」であり、中国人にとって唾棄すべき存在である。

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 上記の非難文の中で「零八憲章」がどんなものであるかを紹介していますが、ここで紹介するのだったら、「零八憲章」が発表された後、様々なサイトに転載されているものを片っ端から削除しまくっていたのはなぜなのか、という疑問がわきます。また、マルクス、レーニンや毛沢東が「資本主義を倒し共産主義を打ち立てるには『暴力革命』しかない」と主張していたことを考えると、「零八憲章」について「暴力革命を吹聴する主張だ」と非難することには大きな違和感を感じます。

 なお、劉暁波氏個人については、その主張に一部過激なものもあり、アメリカによるイラク戦争に賛意を表するなど、西側にも批判的に見る人もいるのは事実です。

(2)中国内陸部における若者らによる「反日デモ」と「人民日報」の反応

 10月16日(土)に四川省成都、陝西省西安、河南省鄭州で「反日デモ」が起きました。このデモは中国国内では報道されませんでしたが、16日夜の時点で、掲示板「強国論壇」には以下のような発言がアップされていました。

○「散歩」があったみたいだけど、どこ?

(筆者注:「散歩」とは「集団散歩」のことで、「デモ」と書くと削除される可能性があるので、それを避けるために掲示板などでよく使われる隠語)

○成都、西安、鄭州ですよ。

○今回の「散歩」は当局も支持していたんですかね、不支持だったんですかね? 御存じの方、教えて。

○当局も一枚岩っていうわけじゃないのかも。

 上記の発言は削除されずに残っていましたが、以下の発言はアップされてから30分程度後に削除されました。

○今回の「散歩」は単なる反日ではないのではないか。性質が変わる側面があるのではないか。政治改革への反対に対するひとつの反面教師を提示したのではないか。

 上の発言が削除された、ということは、ある意味では、この発言が当局の痛いところを突いた発言だったことを示すものだ、ということもできると思います。

 翌10月17日(日)には四川省綿陽で、次の週末の10月23日(土)には四川省徳陽で、24日(日)には陝西省宝鶏で、26日(火)には重慶市で「反日デモ」がありました。16日の成都、17日の綿陽でのデモでは、一部が暴徒化し日本車や日本関係の店舗の破壊が行われましたが、その他のデモは大きいものでも1,000人規模のもので、「民衆運動」と言えるような規模のものではありませんでした。

 ただ、注目されるのは24日に起きた宝鶏のデモです。このデモでは、「反日」の横断幕のほか、「複数政党と協力せよ」「住宅が高すぎ」「格差是正を」「報道に自由を」「英九兄貴、大陸へ歓迎します」といった党・政府批判の横断幕もありました(「英九兄貴」とは、台湾の馬英九総統に親しみを持って呼びかけた言葉)。反日の横断幕は紅い布に、その他の横断幕は緑や青の布に書かれており、デモの主催者は明らかに「反日以外の主張」をスローガンとして掲げることを意図したものと思われます。この四川省宝鶏でのデモは、外国メディアは注目していなかったため当日は報道されませんでしたが、翌25日になってフジテレビ系列がその映像を放映しました(ネットでも見られました)。これは現場で撮影した一般市民が報道関係者に映像を提供した可能性があります。映像を映せる携帯電話は世界全体に普及していますので、こういったことはありうることです。

 この宝鶏のデモで使われた直接的に党や政府の政策を批判するスローガンは、今までの中国ではあり得なかったことです。1989年の第二次天安門事件に関する情報が遮断されている中、過去の中国共産党や中国の中央政府に反対する大衆運動に対する当局の反応の恐さを知らない若者だからこそできた行為なのかもしれません。

 26日(火)には、ネット上で重慶市での「反日デモ」が予告されていました。重慶は内陸部の大都市であり、日本の総領事館もあり外国人報道関係者もたくさんいるので、ここでデモが起きれば世界に大きく報道されることになります。こうした若者たちの動きに対して、「人民日報」は10月26日付け紙面の4面に「愛国の熱情は法に従い理性によって発揮しよう」という評論を掲載しました。この評論は24日(日)15:56(北京時間)に「人民日報」ホームページ上に掲載されていたものです。

(参考URL2)「人民日報」ホームページ
「愛国の熱情は法に従い理性によって発揮しよう」
(2010年10月26日付け「人民日報」4面)
http://society.people.com.cn/GB/13046902.html

 しかし、26日の重慶市の「反日デモ」は起きました。人数的には1,000人ということですので、それほど大規模なデモでもなかったし、破壊行為等も起きませんでした。こういった動きに対応してかどうかわかりませんが、翌27日(水)の「人民日報」では、1面下の方に「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」という署名入り評論を掲載しました。

 この評論のポイントは以下のとおりです。

---「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」(鄭青原)のポイント---

(参考URL3)「人民日報」ホームページ
「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」(鄭青原)
(2010年10月27日付け「人民日報」1面)
http://opinion.people.com.cn/GB/40604/13056137.html

○これまでも政治体制改革は進めてきた。

○トウ小平氏は、政治体制改革には「政局の安定性」「人民の団結と人民生活の改善」「生産力の発展に寄与できるか」がポイントであると述べていた。

○社会主義制度政治の優位さは、人民の力を集中させることにおいて、四川大地震などの自然災害、経済的ショック、政治風波の試練を通して、我々を円満に組織し、国際活動の場に対し、中華の大地のおける奇跡を示すことができた。

○正確な政治的方向に沿い、積極的かつ穏健に政治体制改革を進めるには、中国共産党による指導を確固たるものにすることが必須であり、党による指導を放棄するものであってはならない。

○中国の歴史と国情に立脚すれば、政治体制改革を進めるにあたっては、我々独自の道を歩まねばならない。決して西側のモデルに従ってはならず、多党制による権力のたらい回しや三権分立ではなく、ひとつにまとめなければならない。

○政治体制改革は13億の人口を抱える中国の実情から出発しなければならない。生産力、経済体制、歴史的条件、経済発展のレベル、文化教育水準のレベルを踏まえて、秩序だって一歩づつ進まねばならず、実情から離れたり、ステップを飛び越えたり、実現できないスローガンを唱えたりしてはならない。

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 三つ目の○の中にある「政府風波」とは、1989年の「第二次天安門事件」を示す言葉ですが、こういった文脈で「第二次天安門事件」をにおわせる表現を使うことは異例です。

 この「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」という評論については、翌28日付け「人民日報」では「ネットワーカーが熱く議論」と称して、掲示板に掲載されたこの評論に対するネットワーカーの意見を載せています。載せられている発言は全てこの評論の論旨に賛意を表するもので、実際は「議論」になっていないのですが、「人民日報」としてはネットワーカーも「党の指導の堅持」や「西側をモデルとした政治制度導入に反対」といった党の方針を支持している、と言いたかったのでしょう。

 各地で起きている若者のデモはそれほど大規模なものではなく、北京、上海、広州など沿海部の大都市では起きていないので、最近の若者の動きが中国の政治体制に影響を与えるとは思えないのですが、「人民日報」がこういった「政治体制改革」に関する評論を連日掲載するところを見ると、中国の指導部の内部に相当な懸念があることを伺わせます。

 その懸念とは、尖閣諸島での漁船船長逮捕事件をきっかけとして起こった「反日デモ」と劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞とが共鳴しあって、若者らの運動が反党・反政府あるいは民主化運動へと高まることです。それは上に述べたように「『散歩』は反日ではなく、性質が変わる可能性があるのではないか」との掲示板の発言を削除したことでもわかります。連日起きているのが「反日デモ」であるにもかかわらずが「人民日報」が「政治体制改革」に関する評論を連日掲載していることは、中国の指導部も「反日デモ」の背景に「現在の政治体制への反発」があることをよく理解しているのでしょう。

 実は、最近の掲示板「強国論壇」では、「一人一票」という言葉が流行っています。「一人一票」は、反党・反体制を意味しませんから削除対象にはなりません。数から言えば、反日や尖閣諸島(中国名:釣魚島)の案件よりも、この「一人一票」関連の発言の方が多いと思います。

 「社会会主義とは何か、資本主義とは何か。韓国と朝鮮(北朝鮮)を比較すれば一目瞭然じゃないか。」といった書き込みは削除されません。ただし、「あなたが貧乏人ならば、貧困の原因は『憲法』があなたの利益を代表していないからだ、ということは明白にわかるだろう。団結して闘争に立ち上がり、部分的な民主しかない『憲法』ではなく全人民がみんなで決めることを要求しよう!」といった書き込みは削除されます。直接的に党の方針に反対したり「体制をひっくり返そう」と呼び掛けたりしない範囲ならば、一定程度の発言は認めよう、というのが現在の中国のネットワーク・コントロール方針ですが、それで多様化する中国の若者たちを前にしてどこまで対応可能なのでしょうか。

 今日(2010年10月31日)で上海万博が終わります。「中国では、いろいろ問題があるけれども、『北京オリンピック』と『上海万博』という国際的大イベントが終わるまでは、社会の安定を崩すわけにはいかないから、何も動きはありませんよ。」とよく言われてきました。その「国際的大イベント」が終わった今、次の時代の新しい動きが始まりつつあるのかもしれません。

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2009年2月12日 (木)

中国中央電視台新社屋敷地内ビル火災組写真

 2月9日に起きた中国中央電視台新社屋建設現場の敷地内にある北配楼と呼ばれる建設中のビルが全焼した火災を、火災発生前から撮影していた一連(40枚)の連続写真が、「人民日報」のホームページ「人民網」に掲載されています。ビルに着火した様子がよくわかります。この写真は、現場の北西側のかなり離れた場所にあるビルの上などの高いところから望遠レンズで撮影したもののようです。

(参考)「人民日報」ホームページ「人民網」2009年2月12日アップ組写真
「中央電視台新社屋ビル火災発火の全過程」
http://pic.people.com.cn/GB/8229/145866/index.html

 最初の頃に掲載されている打ち上げ花火は、延焼したビルの向こう側(即ち西側)で打ち上げられていますが、延焼したビルの西側には第三環状路が通っており、この打ち上げ花火を上げた人たちは、延焼したビルと第三環状路の間の空き地(延焼したビルと第三環状路は100メートル程度しか離れていない)で花火を打ち上げていたことになり、かなり危険な状態で打ち上げ花火を上げていたことがわかると思います。

 こういった花火の打ち上げ方は、木造家屋が多い日本では考えられないことです。少々危険があっても面白いこと、儲かることはどんどんやろう、という考え方に基づくエネルギーが今の急速な中国の中国経済を支えているのですが、そういった気質が現れているようにも思えます。日本の場合は、危険がないように、安全に、無難に、とばかり考えるので、思い切ったことができない、というのが弱点なのかもしれません。でも、大きなことを思い切って決断してやることは苦手だけれども、小さなことをコツコツと着実に積み重ねていくことを得意とする日本のやり方も、それはそれで大事にすべきことなのだと思います。

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2008年11月10日 (月)

中国の景気刺激策は世界を救うのか

 11月9日(日)、中国でも世界的経済危機の影響により輸出企業に対する影響が大きいことから、中国の温家宝総理は、かなり思い切った(世界恐慌の後にアメリカのルーズベルト大統領が採ったニューディール政策を思わせるような)景気刺激策を発表しました。

(参考1)「人民日報」2008年11月10日付け1面
「十項目の内需拡大促進策が打ち出された~積極的な財政政策と貨幣政策の適度な緩和~」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-11/10/content_135966.htm

 この景気刺激策は、下記の十項目について実施するもので、2010年末までの間に総額4兆元(約60兆円)に達するものだ、とのことです。

(1) 安全に暮らせる住居を建設するプロジェクトの加速

(2) 農村インフラ建設(メタンガス利用、飲用水プロジェクト、農業用道路、農村電力網、「南水北調」(揚子江水系の水を北方の乾燥地域へ導くプロジェクト)、危険なダムの撤去や補強など。

(3) 鉄道、道路等の重要インフラ整備の加速(旅客用線路、石炭運搬用線路、西部幹線鉄道、道路、中西部の飛行場及び地方飛行場の整備、都市電力網の改造)

(4) 医療衛生、文化教育事業の推進(医療サービス体系の確立、中西部農村の小中学校の校舎の改造など)

(5) 生態環境インフラの整備(都市汚水・ゴミ処理上の建設と河川汚染防止、保護林・天然林の保護プロジェクト、省エネ・排出減少プロジェクトの推進)

(6) 自主的イノベーション及び経済構造改革の加速(ハイテク技術の産業化と産業技術進展、サービス産業発展への支援)

(7) 地震被災地区の復旧プロジェクト

(8) 都市及び農村の住民の収入の向上(食糧最低購入価格の値上げ(2009年)、農業補助金の増加、社会保障レベルの向上など)

(9) 増値税(日本の消費税に相当)の改革と企業の技術改造促進のために1,200億元(約1兆8,000億円)相当の減税の実施

(10)「農業・農村・農民」支援のため及び中小企業の記述改造のための金融規模の合理的な拡大など。

 この発表を世界各国のマーケットはかなり好意的に受け取ったようで、11月10日のアジア、ヨーロッパの株式市場は軒並み上昇し、先ほど始まったばかりのニューヨーク市場も上昇傾向で始まりました。

 ここのところ、中国の新聞では、かなり正直に、世界的経済危機の影響で沿岸地域を中心とする輸出産業がかなりの打撃を受け、多くの企業が操業を停止して、農村から出稼ぎに出てきている農民工が職を失いつつある、という報道を流していました。

(参考2)このブログの2008年11月7日付け記事
「農民工の失業ショックには政府の支援が必要」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-ce6e.html

(参考3)「人民日報」2008年11月8日付け記事
「珠江デルタ地帯の出稼ぎ労働者の群像~最近、外国の経済環境の影響を受けて、広東省の一部の企業は困難に直面しており、農民工の影響もまた影響を受けている~」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-11/09/content_135128.htm

 中国経済は、2007年までは北京オリンピックを前にして「バブル」と言えるほどに過熱気味でしたが、2008年7月頃から、ブレーキから足を離して、ごく軽くアクセルに足を掛ける程度に経済政策を転換してきていました。

(参考4)このブログの2008年8月18日付け記事
「発展改革委『オリンピック後の後退はない』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/08/post_189d.html

 それが9月以降の米国発の金融危機を踏まえて、今回はアクセルをぐっと踏み込む政策にまた一歩進んだと言えるでしょう。

 実は、私は、中国の景気刺激策を伝える今朝(11月10日朝)の人民日報を見て、この報道が世界のマーケットにどれくらい影響を与えるのだろうか、と関心を持って見守っていました。アメリカ市場はまだ開いたばかりですが、現在のところ、今回の中国の景気刺激策は、相当程度に世界のマーケットに影響を与えたようです。先ほど見たCNNのニュースでは、今回の中国の景気刺激策が世界のマーケットにプラスに作用したことをトップニュースで伝えていました。「世界の工場」と呼ばれる中国は、もはや世界の経済全体の動向を左右する相当に大きなプレーヤーに成長したと見るべきでしょう。

 問題は、そういった中国で、今後、政治的な動きも含めて、社会的な変動が起こった場合には、世界全体に対する影響は20年前とは比べものにならないくらい大きくなっている、ということです。中国で社会的な混乱が起きたら、近くにいる日本が大きな影響を被ることはもちろん、世界全体に大きな影響を与えることになります。そういったことを考えると、今、中国はいろいろな国内問題を抱えていますが、それは単に中国国内だけに関係する問題ではなく、世界全体に影響する大きな問題として、世界全体が解決へ向けてみんなで協力して対処していくことが必要なのだと強く感じました。 

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2008年8月23日 (土)

中国の人々が世界を見る目

 オリンピック期間中、北京の街中に置かれているテレビの前では多くの人が試合に見入っていました。今日(8月23日)は、男子サッカーの決勝「アルゼンチン対ナイジェリア」の試合をやっていたのですが、ショッピング・モールにある街頭テレビの前では多くの人がこの中継を見ていました。サッカーは中国でも人気なぁ、と私は思いました。今回のオリンピックを通じて、中国の人々は、中国が関係しないところでも、いろいろな競技のいろいろな国の試合を見たのではないかと思います。

 もちろん、中国選手の活躍が一番関心事項だったと思いますが、中国選手が出る以外の試合もテレビでは随分放送していたので、多くの人々が中国とは関係のない試合を見たと思います。今年の4月頃、世界を回る聖火リレーが妨害される事件があった頃、中国のメディアは「西側の報道の仕方はおかしい」といったキャンペーンを張り、中国の人々の間では異様なナショナリズムが盛り上がりました。特にフランスでの聖火リレーに対する妨害が大きかったこともあり、フランス系スーパーマーケット「カルフール」に対する不買運動が各地で広がりました。こういった「反外国」の雰囲気のままでオリンピックを迎えたらどうなるんだろうか、とそのころはちょっと心配していました。

 ところがその後5月12日に発生した四川大地震により雰囲気は一変しました。中国全体が団結して被災地を支援しよう、という雰囲気になりました。各国から救援隊や医療隊が駆け付け、中国の人々は素直にそれに対する感謝の意を表していました。「カルフール」に対する不買運動のようなちょっと歪んだナショナリズムはかなり影を潜めました。

 そういうこともあり、北京オリンピックの期間中は、外国に対する反発のようなものが目立って表に出ることはありませんでした。サッカーの試合では、日本が出場した際にはブーイングなどもまだあったようですが、数年前に比べれば、いくぶんかは良くなったのではないでしょうか。

 今回の北京オリンピックが中国の人々の世界を見る目をかなりソフトにしたのは間違いないと思います。コントロールされた官製メディアを通じてではなく、直接、多くの外国の人と接する機会があったのはよかったと思います。

 後は、今、大幅に緩和されているインターネット規制がオリンピック終了後も継続されて、中国大陸部の人々もネットを通じて常時世界の他の人々が享受しているのと同じような情報交換の自由さを享受でき続けるのか、ということがポイントになると思います。イベントの運営という面では、北京オリンピックは大成功だったと思います。中国の人々に対して、世界を見る窓が開いた、という意味でも、現時点では成功だったと言えるでしょう。今後、オリンピックをきっかけにして開いた世界に対する窓が閉じられるようなことがなければ、北京オリンピックは「真に成功だった」として歴史的にも評価を受けることができるようになるでしょう。

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2008年7月24日 (木)

青空はすばらしい

 夏休みで、今、一時的に日本にいます。今日は、長野県から東京へ移動しました。「梅雨明け十日」ですばらしい青空でした。長野から東京へ移動しても、青空はほとんど変化しませんでした。北京だと、こういう青空は1年に3日あるかどうか、という感じです。北京は降水量が少ないので、雲のない日は多いのですが、「空が白い日」が多いのです。北京では空気汚染係数が100以下の日を「青空の日」としていますが、実際は50以下にならないと「すっきり青空」という感じにはなりません。

 北京で「空が白い日」が多いのは、もちろん大気汚染が大きな原因であるのは間違いないのですが、そのほかに自然条件も大きいと思います。日本は島国であるところが非常に有利に働いています。海の上は人間活動による汚染や砂ぼこりがありませんから、日本の場合、日本列島である程度汚染が生じても、どちらかの方向から少し風が吹けば、海の上のきれいな空気が日本列島の上空を「掃除」してくれるのです。北京の場合、西から風が吹けば河北省や山西省の汚染が、南東から風が吹けば天津の汚染が北京に流れてきますから、少しくらい風が吹いても北京の空はきれいになりません(北京でも、雨が降ると次の日はかなりすっきりとした空気になります)。

 それから地表面の状況もだいぶ違います。今日、長野県へ行って改めて思いましたが、日本は山々はびっしりと緑に覆われ、平地には水田の緑が広がっています。この日本の夏の緑と青空のコントラストは非常にすばらしいです。北京から来た私は「白黒テレビの世界からカラーテレビの世界に入った」ような気がしました。日本にいる人たちは、そういった日本の美しさに気が付いていないのです。

 一方、中国大陸の自然はそんなに甘くありません。北京周辺の地方は、降水量が少ないので、山々は緑の少ない岩山がほとんどです。平地の農業地帯も冬小麦が栽培されている地域は6月の刈り取りが終わると、乾いた地面がむき出しになります。そもそも河北省あたりの小麦の大穀倉地帯は、小麦の生長に必要な水のうち、降水でまかなわれるのは3割程度で、後は地下水を汲み上げることによるかんがいに頼っています。従って、作物が栽培されていない時期の畑は表面は常に乾燥しており、風が吹けば砂塵が舞い上がりやすい状態です。水を張った状態の期間の長い水田が主体となっている日本では、農村部では砂塵がほとんど舞い上がらないのです。

 北京地方の場合は、さらに北西方向には砂漠地帯があり、気象条件によっては、砂漠地帯で舞い上がった砂塵が運ばれてくることがあります(春の黄砂は日本まで飛んできます)。このように人工的な大気汚染がなくても、中国の大気は日本の大気に比べると、ただでさえ浮遊微粒子が多い状態なのです。

 北京の大気汚染の主要原因は「可吸入顆粒物」ですが、この「可吸入顆粒物」を構成しているのが何なのか(自然に発生する砂塵の類なのか、自動車から発生する「スス」の類なのか、建物解体作業等に伴うコンクリートの粉塵なのか)は分析すればすぐわかると思うのですが、こうった分析結果が発表されたのは見たことがありません。北京オリンピックのために、汚染物質を多く出す工場を停止させ、建設・解体工事も停止させ、車の運行もナンバープレート偶数奇数規制で減らす、ということをやっているわけですから、当局としては、大気汚染の原因となっている「可吸入顆粒物」が何なのかはわかっているのでしょう。

 国家環境保護部のホームページによると今日(7月24日)の北京の大気汚染指数は113で「軽微汚染」だそうです。

(参考)国家環境保護部ホームページ
「重点都市大気汚染指数日報」
http://www.mep.gov.cn/quality/air.php3

 7月20日から「オリンピック・モード」に入って、工場の操業停止や建設・解体工事の停止、車の運行制限も始まったのに、まだそれほど「劇的」には改善していないようです。たぶん、一度雨が降って空気中に舞い上がっている汚染物質が一度地面に落ちれば、あとはいろいろな規制により汚染物質の「発生」は押さえられているので、たぶん、オリンピック期間中は、北京でも「青空」が見られると思います。

 それにしても、いくら島国とは言え、降水量が多く都市部以外はほとんど緑で覆われているという好条件があるとは言え、日本の青空は掛け値なしにすばらしいと思います。日本に住んでいる人たちは、1970年代の「公害列島」と言われた時代をいかにして克服してきたか、を忘れずに、現在の日本の青空の大事さを再認識し、しっかり守っていって欲しいと思います。

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2008年7月18日 (金)

活動の場を与える場所としての日本

 7月15日に日本に滞在している中国人女流作家の楊逸氏が芥川賞を獲ったことについて、日本での報道の中に「日本は多くの中国人に対して表現の場を提供している」という趣旨のものがありました。楊逸氏について、そういった指摘が当たっているのかどうかは私にはわかりません。楊逸氏の芥川賞受賞作「時が滲(にじ)む朝」についても「1989年の事件」が時代背景として出てきているとは言え、楊逸氏はこの事件について書きたかったわけではなく、単にいろいろな運命の中を生きる若者の生き方を描きたかっただけかもしれないからです。

 これとは別の話ですが、昨年4月、NHKのハイビジョンで中国人ディレクターに中国を描くドキュメンタリー作品を作らせる「新的中国人」というシリーズがありました。

(参考)NHKホームページ平成19年(2007年)3月22日付け「報道資料」
シリーズ「新的中国人」~若き4監督が撮るディープな今~
2007年4月23日(月)~4夜連続 BS-hi午後10:00~
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/shiryou/soukyoku/2007/03/004.pdf

 先日再放送されたので、その一部を見ました。私が見たのは「上海シティボーイの憂鬱」(監督:郭静、柯丁丁)でした。旅行社でツアーのアレンジをしながら都会に生きる若者と、小さな料理店を営む年老いた両親の話で、激変する中国社会の中で不安を抱えながら何とか生きていく人たちの現実を描いていました。秀作です。体制批判でもなんでもないので、こういったドキュメンタリー番組は中国国内でも作れるとは思うのですが、たぶん、実際にはかなり難しいのでしょう。

 7月15日(日)の最終回の放送で終了したNHKスペシャルのシリーズ「激流中国」でも、番組の終わりのタイトルバックを見ると、中国人らしいスタッフの名前が大勢出てきていました。中国に住む中国人がNHKに協力しているのか、もともと日本に住んでいるNHKの中国人スタッフなのかはわかりませんが、いずれにせよ、番組を作っているのはNHKという日本のテレビ局で、放送されるエリアも日本国内ですが、取材している場所は中国であり、番組を作っているスタッフの一部に中国の人がいる、という意味では、この「激流中国」も上記の「新的中国人」と同じようなところがあると思います。

 「激流中国」は、現代中国の課題を鋭く突いた歴史に残るドキュメンタリーの名シリーズでしたが、中国人スタッフの参画なしでは、これだけすごい番組は作れなかったでしょう。ある意味では、この「激流中国」は、番組の制作に参加した中国人スタッフに活動の場、表現の場を与えた、と言ってよいかもしれません。中国には優秀な人がたくさんいるので、活躍の場を与えるとものすごい力を発揮します。アメリカの大学の優れた研究論文に Liu さんとか、Wang さんとか、明らかに中国系と思われる人の名前が多いことでもそれはわかります。

 「激流中国」は、もちろん日本向けの番組で、ナレーションなどは全て日本語ですが、中国国内でも相当に話題になったようです。中国国内では、新聞などのオモテのメディアで「激流中国」について議論することはできませんが、ネットの掲示板などでは、かなり話題になったようです。詳しくは、日本語ウィキペディアの「激流中国」の項目を御覧下さい(ウィキペディアですので、私が今見ている内容は、今後変更される可能性がありますけど)。

 「激流中国」は、NHKの国際テレビ放送のNHKワールド・プレミアムでも放送されていましたので、私は北京で見ていました。「激流中国」の放送中は、チベット騒乱や海外でのオリンピック聖火リレーの時にあったような検閲によるブラック・アウトはなかったので、この番組の内容は中国当局にとっても「許せる範囲内」(かなりギリギリの線だとは思いますが)に収まっていたようです。でも、「激流中国」の制作に携わったスタッフが、中国国内のテレビ局で同じような番組を作ることは、現状ではとても無理でしょう。香港や台湾のテレビ局には、西側的な「報道の自由」がありますから、香港や台湾のテレビ局がこういった番組を企画することも可能だと思いますが、いろいろ政治的なしがらみを考えると、取材と放送が実現するのはやはり難しいと思います。日本のNHKという、ちょっと第三者的に離れた存在のテレビ局だからこそ、こういった番組が作れたのだと思います。

 NHKの放送は、もちろん日本の国内向け放送ですが、実はBS放送(ハイビジョンも含む)は、中国沿岸部では大きなパラボラを設置すれば受信できます。NHK-BSを受信できる衛星テレビ受信設備を付けるには当局の許可が必要ですので、そんなに多くの人は見ていないと思いますが、少なくともネットで話題になる程度には見ている人がいた、ということだと思います。

 そもそも、中国革命の初期の段階において、中国革命の父・孫文は、日本に留学し、日本で革命組織を立ち上げました。日本は、孫文以外の多くの中国革命の推進者にも、活躍の場を提供していたのです。中国共産党の創始者である陳独秀と李大釗に中国共産党の設立を決定した第1回全国代表大会(1921年7月)に出席した12名の合わせて14名のうち、日本留学帰国者は6名いました。国民党側では、孫文の跡を継いだ蒋介石も日本の陸軍士官学校の出身です。その後、日本の軍国主義は、中国革命に大きく干渉して行きますが、日本が中国の歴史を進める多くの人々に活躍の場を与えたのは事実であり、そのことは中国の人々もよく知っています(中国近代化に大きな足跡のあった文豪・魯迅が東北大学に留学していた話は、中国の中学校の教科書に出てくるそうです)。

 作家や映像作品の監督など「表現する者」は、今の中国は活動しにくい場所です。例え政治的なことや体制批判などをするつもりが全くなくても、やはり活動しにくいと思いいます。外国人の私ですら、こうして自分のブログを書くときでも「1989年の事件」と書いたり、「その年の6月第一週の出来事」などとぼかした表現を使っているのは、そのことズバリの言葉を書くと、キーワード検閲に引っかかる恐れがあると思って自己規制しているからです。ネット上でデモの呼び掛けをする、などということをしなければ、公安当局に引っ張って行かれることはないはずなのですが、インターネットの接続を切られたりするのではないか、といった恐怖感はやはりぬぐい去れないのです(実際、日本語ウィキペディアで上記の「事件」のそのものズバリを検索すると一時的にウィキペディアへのアクセスを遮断されます(ほかの項目も検索できなくなる))。そのような状況に置かれているので、知らず知らずのうちに表現上の自己規制をしてしまうのです。プロの「表現者」にとっては、これはかなりつらいことだろうと思います。

 そういった「表現者」の人たちにとって、もし、日本が活動しやすい場所なのだったら、活動の場を提供することは日本としても悪いことではないと思います。中国の内政に干渉するようなことは厳に慎まなければなりませんが、中国の人々が中国のために活動する場として、日本が活動しやすいのならば、孫文の場合がそうであったように、活動の場を提供することも日本としてのひとつの役割でしょう。NHKの「激流中国」や「新的中国人」のシリーズは、その意味でもひとつの記念碑的なシリーズだったのかもしれません。

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2008年6月16日 (月)

一時中国から日本のヤフーにアクセス不可

 先週の金曜日(6月13日)の午後から今日(6月16日(月))の17時過ぎ(日本時間18時過ぎ)まで、中国大陸部から Yahoo! Japan へのアクセスが全面的にできない事態が続いていました。金曜日の午後、私のいる北京からいつも使っている日本のヤフーにアクセスできないので、北京や日本にいる複数の知人にメールで知らせて、アクセスしてもらって、日本では閲覧できるけれども、中国では閲覧できない状態になっていることを確認しました。

 最初は、何かのシステムのトラブルだろうから、数時間か長くても1日程度経てば回復すると思っていたのですが、週末はずっとアクセスできず、今日(月曜日)の昼間もアクセスできませんでした。ところが、今日(16日)北京時間17時過ぎに突然元のようにつながるようになりました。

 この間、中国のヤフーやアメリカのヤフー、日本のグーグルには通常通りアクセスできたので、日本のヤフーにつながらない理由が全くわかりませんでした。

 中国大陸部から「中国にとってよろしくないサイト」につながらなくなることはよくあるのですが、大手検索サイトのヤフーにつながらないことはやはり影響が相当に大きいと見えて、16日(月)になって、時事通信や産経新聞のネットニュースが「中国から日本のヤフーにアクセスできない」ことを報じました。人によっては、ヤフーのメールを使っている人もいるので、そういう人がヤフーにアクセスできないとメールも使えなくなるので、社会的な影響は相当大きいと考えて、通信社や新聞社も報道しないわけにはいかない、と思ったのでしょう。これらの報道によると、日本のヤフーも「問い合わせが来ているが原因はわからない」と言っているし、中国政府の関係者も「中国政府は特定のサイトにアクセスできないようにするようなことはしない。原因はヤフー・ジャパンに聞いて欲しい。」と言っている、ということで、原因は「ナゾ」のままです。

 日本にいる人に聞いてみたら、その間、日本のヤフーに「中国にとってよろしくない情報」が載せられた形跡はない、とのことだし、新聞社などのニュース・サイトにはアクセス制限は掛かりませんでしたから、何かのニュースが原因で中国側がアクセスを禁止した、とは考えにくいと思います。

 考えられる理由としては、先週尖閣諸島周辺で日本の海上保安庁の巡視船と台湾の船舶が衝突して台湾の船舶が沈没した事件に関連して、ヤフーの中の掲示板かブログに日本側の主張をする人たちと中国側の主張をする人たちが殺到して「炎上」状態になり、ヤフー側が過重な負荷が掛かることを心配してアクセス規制を行った、とか、中国当局側が日中関係の悪化に配慮して議論が白熱化するのを防ぐためにアクセス規制を行ったか、とか、ぐらいしか、私には思い浮かびません。上記の事件が原因ならば、そういった掲示板は、今日(6月16日)の時点では、まだまだ「炎上中」だと思うので、今日の夕方の時点で正常に復帰した、ということは、上記の事件は関係ないのかもしれません。

 いずれにせよ、ヤフー・ジャパン側が規制を掛けたのだとしても、中国側がアクセス規制を掛けたのだとしても、それぞれの当事者が規制を掛けた理由を公表するとは考えにくいので、この件は、ナゾのまま解明されずに残ることになるのでしょう。

 今、この発言を書いているニフティ社のブログである「ココログ」も昨年(2007年)の5月初め頃までは、中国国内からアクセスできませんでした。その理由は今もわかりません。幸いにして、昨年5月にアクセスできるようになってから、ココログに中国国内からアクセスできない、という事態は発生していないので、こうして文章をアップすることができています。ただ、ある特定のブログ・サイトに中国からアクセスできなくなる、という事態は、今までも、いろいろなブログ・サイトに対して起きていたし、これからも起きるかもしれませんので、ある日を境に、私のこのココログのサイトも更新ができなくなる事態も起こるかもしれません。その点は、この私のブログを御覧の皆様には御承知置きいただきたいと思います。

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2008年5月10日 (土)

日本をプラスに評価する評論

 昨日のこのブログの記事で5月8日付けの「新京報」の社説を紹介した際、「日本について中国の新聞がここまで前向きな表現を使ったことを少なくとも私は見たことはなかったように思います」と書きました。ところが、今日(5月10日(土))、改めて今週の「新京報」を読み返してみたら、昨日紹介した社説の出る前日の5月7日付けの「時事評論:国際観察」の欄に、北京の学者・劉檸氏という方の個人の見解としてではありますが、もっと日本をプラスに評価する評論が載っていました。

(参考)「新京報」2008年5月7日付け「時事評論:国際観察」欄の評論
「『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2008/05-07/018@080158.htm

 この評論のタイトルは中国語で書くと「『以日為師』助推中国改革」です。この評論のポイントは以下のとおりです。

----(評論のポイント:始まり)----

○中国の改革開放の30年の歴史を振り返ると、日本は日中平和友好条約が発効した翌年の1979年以来、少なくない額の政府開発援助(ODA)を中国の経済建設の推進剤として提供した。このことを中国人は忘れてはならない。

○1980年代末までの中国の現代化にあっては、日本は中国人の心の中の「現代化」のモデルの一つであり、日本を師とすることを少しもおかしいとは思っていなかった。

○日本の中国の現代化に対する支援は、資金や技術に限ったものではない。その経済の飛躍的発展の成功の経験それ自体が、中国にとって不可欠な重要な手本だからである。

○1964年の東京オリンピックの後4年で日本は西ドイツを抜いて世界第二の経済大国となった。それから既に40年が経つ。その間、日本は産業構造改革に成功し、国際競争力を高い水準で維持し続けている。日本は、この間、経済の持続的発展の過程で、「公害列島」と言われた環境問題の悪夢を克服し、世界に誇る環境保護天国を作り上げた。

○中国は改革開放の30年で人目を驚かすほどの経済大国になったが、同時に「遅れた改革者」としての課題に直面する時代に入ってきている。今後の中国の発展のロードマップを考えるに当たっては、東の隣国を他山の石とすべきことは論を待たない。

○やがてくる「オリンピック後」の時代にあっては、中日間の「戦略的互恵関係」に基づく絆は、両国関係を発展させることを通じて中国の建設と改革の推進を後押しすることになるだろう。今はまさに日本を師とすることを再び論ずる時なのである。

----(評論のポイント:終わり)----

 この評論は、昨日付のこのブログで解説した5月8日付けの「新京報」の社説のバックグラウンドとなっている考え方だと思います。誇り高き中国の人に「日本を師とする」とまで言われると、「過奨了」(褒めすぎですよ)と言いたくなって、ちょっと「くすぐったい」気分になります。しかし、この評論は、日本人向けの単なる外交辞令ではなく、一般の中国人向けの新聞に掲載された評論ですから、ここまで突っ込んだ表現を使ったことについて、我々日本人はこの筆者の気持ちをしっかりと受け止める必要があると思います。

 これほどまでに日本を「持ち上げた」評論をしたのは、前日(5月6日)から始まった胡錦濤主席の日本訪問に当たって日中友好ムードを盛り上げたい、という当局の意向が背景にあると思いますが、「新京報」は当局の意向を素直に受け入れる系統の新聞ではありませんので、この評論はそれなりに素直に受け取ってよいと思います。日本は、こういうふうに「持ち上げ」られると、すぐに頭に乗って「天狗」になる傾向があるので気を付けないといけないと思うので、その点には注意した上で、こういった中国国内の考え方を重要視する必要があると思います。

 上記の評論の中でもう一つ着目すべき点は「1980年代末までの中国の現代化にあたっては、日本は中国人の心の中の『現代化』のモデルの一つであり、日本を師とすることを少しもおかしいとは思っていなかった。」と述べている点です。ここの部分は、1990年代に入って、中国は「歴史問題」などを強調し、中国国内で反日感情が高まったことを暗に批判しているのです。

 現在の党・中央の公式見解は、「1978年の改革開放の開始以来、党・中央の政策は一貫している」というものですが、私はこの改革開放の30年の歴史の中で1989年の前と後とでは断絶があると考えています。上記の評論は、そういった私の考え方と軌道を同じくするものです。

 1989年以降、中国共産党は国内での思想的引き締めを強化する一方、経済的には、国有企業も含めた株式市場の開設、「土地は公有」という原則は維持しつつも「土地使用権は売買できる」という考え方に基づいた土地の売買の事実上の解禁、といった改革を進め、「社会主義市場経済」の名のもとに「共産主義」からはどんどん離れていく政策を採っていきます。そうなると中国の人々の間に「我々はなぜ今も中国共産党の指導の下に政策を進めなければならないのか」との疑問が生じかねません。そこで、抗日戦争を勝ち抜いてきた中国共産党の歴史を振り返り、その歴史があるからこそ中国共産党が中国の中核とならなければならないのだ、というメッセージを中国の人々に訴える必要があったのです。つまり1989年以降の日本に対する「歴史問題」とは、実は「中国共産党だけが中国の中核になりうるのだ」ということを訴える中国国内向けのメッセージでもあったのです。

 上記の評論は、1989年以降の「歴史問題」に基づく「反日」の考え方から決別すべきだ、と表明したものであり、その意味で非常に画期的だと思います。上記の評論は劉檸という方の個人的見解として掲載されているものですが、翌日、同じ論調の論文が「新京報」の社説として掲載されたことは意義が大きいと思います。

 今回の胡錦濤主席の日本訪問は、日本側では、ギョーザ問題や東シナ海ガス田問題などの課題を先送りしただけで、具体的な成果はなかった、としてあまり高く評価しない傾向があるようですが、私は中国側から見た場合、今回の胡錦濤主席の訪日は、中国自身の政策運営に関して、画期的な歴史的転換点だと思っています。胡錦濤主席は、「反日」を乗り越えて前へ進む、というメッセージを表すことによって、1980年代への回帰、別の言い方をすると1989年以降の政策への決別を表明したからです。

 中国の1980年代は、1981年6月の「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議」(いわゆる「歴史決議」)において、文化大革命を批判し、偉大な毛沢東主席もその生涯の一部においては誤りを犯した、と指摘したところから出発しています。「中国共産党も誤りを犯すことがあるのだ」「大事なのは誤りを誤りと認めた上で、前へ進むためにそれを改革することである」という点から出発した1980年代に回帰する、ということは、極めて重要な意味を持つと私は思っています。

 北京オリンピックの聖火リレーは、欧米各国で抗議行動を引き起こし、それが中国国内におけるナショナリズムの高まりを引き起こしましたが、中国の指導部や知識人(「新京報」の論説陣も含む)の間に「中華ナショナリズムの過度の高揚は、国際社会における中国の孤立化を招く」という危機感を引き起こしたのではないかと思います。今までの流れからは考えられない日本への急接近は、こういった危機感が背景にある、と私は思っています。

 私は昨年4月に20年振りに北京に駐在するようになり、この20年間、中国は経済的に飛躍的に発展したものの、様々な面でほとんど前進していない(一部については後退している)と感じて若干落胆していたのですが、今回の胡錦濤主席の訪日によって、歴史は大きく前に前進した、と感じています。今回の胡錦濤主席の訪日は、中国が国際社会の中で高い地位を占めていくには、国際的に共有できる認識に立ち、国際的理解を勝ち得なければならないことを中国の指導部や知識人たちが再認識するきっかけになったと思うからです。

 行きつ戻りつしつつも、やはり歴史は確実に前に進んでいくものなのだ、今、私はそう感じています。

(以下は、2008年5月10日夕方に追記)

 上記に紹介した「新京報」5月7日付けに掲載されていた評論『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」については、上記に「新京報」のホームページの中に掲載されているURLを載せてありますが、5月10日の午後になってから、この評論文は削除された模様です。5月10日の午前中に確認したときは、確かに「新京報」のホームページ上でも見ることができましたが、午後に確認してみると掲載されていません。「日本を師として」という表現が、自尊心あふれる中国の若者たちの心の琴線に触れ、「新京報」に抗議が殺到したからかもしれません。

 「新京報」のホームページからは削除されてしまいましたが、この評論文は、既に多くのブログや掲示板に転載されています。中国では、ネット上では著作権はないのに等しい状況ですので、一度発表された評論文などは、筆者に無断でブログや掲示板にどんどん転載されます。従って「以日為師」「助推中国改革」といったキーワードを使って検索エンジンで検索すると、この評論の原文の載ったサイトが山のように出てきます。

 それらの掲示板に載っている議論を読むと、この評論の筆者に賛同する人もいますが、やはり「一体、日本に何を学ぶというのか?」といった反発する記載が圧倒的に多いようです。

 「新京報」は、今日(5月10日)付けの紙面から、1週間に一度「評論週刊」(サブタイトル:公民読本を作る(中国語で「建設公民読本」))という時事問題に対する評論の特集を始めました。この中に、新聞各紙に掲載された評論文に対してコメントする欄があるのですが、今月の担当者・余世存氏は、この5月7日付け「新京報」の「『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」という評論を取り上げ、「現在のこのような『中国の決起』が起きている雰囲気のなかで、このような見識は発表することだけで大胆と言うべきである。」とコメントしています。

 この今日付の「評論週刊」の創刊号のタイトルは「愛国と民族主義」です。5月7日に「日本を師として」と題する評論を掲げたのは、「新京報」が若い人たちから反発が出ることを承知の上で、問題提起をしたかったからだと思います。この論文に対してはネット上のあちこちの掲示板で熱い論戦が起きていますが、むしろこれはいいことだと私は思います。敢えてこの問題を提起した「新京報」に私は敬意を表したいと思います(ただ、それならば「日本を師として」の評論をホームページ上から削除して欲しくなかったと思います)。

 これからは、中国の中で、「愛国」「民族主義」「言論・表現の自由」といった問題について、多くの人がいろいろな議論をするようになるのではないかと私は思います。

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