カテゴリー「社会主義と市場経済とのはざま」の記事

2008年12月 8日 (月)

「なぜ今も中国共産党なのか」に対する答

 経済の自由化が進み、市場経済の下で大きな発展を遂げ、江沢民氏の「三つの代表」の理論により、中国共産党が労働者・農民(プレレタリアート)だけではなく、中小商工業者(プチブル)や企業経営者・資本提供者(ブルジョア)も含めて幅広い中国の人々を代表する、と宣言された今では、多くの中国の人々は「なぜ今のように経済発展が進んだ中国において中国共産党が唯一の執政党として全てをコントロールしなければならないのか。」という疑問を持っていると思います(中国共産党を批判することは中国国内では法律違反になるので、公の場では誰も口にしませんが)。

 ところが、この疑問に真正面から答えようとしているように見える論文が今日(12月8日)付けの人民日報に掲載されました。

(参考)「人民日報」2008年12月8日付け記事
「改革開放以来の我が国の多数党協力理論と政策における革新と発展」(改革開放30周年を記念して)(杜青林)
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/08/content_153525.htm

 この論文を書いた杜青林という人は全国政治協商会議副主席、中国共産党中央統一戦線部部長です。つまり、中国共産党と中国共産党の指導の下で活動をするという前提の下で活動を認められている中国の民主政党各派との協力関係を担当する責任者です。

 この論文の前に人民日報による「編集者の弁」が載っています。そこには「以下の疑問に答えるために、杜青林氏が論文を書いた。」という趣旨の導入文章が書いてあります。「編集者の弁」が掲げる疑問とは以下のものです。

・なぜ必ずマルクス主義を指導的地位に置かなければならないのか。なぜ指導思想の多元化を図ることができないのか。

・なぜ社会主義だけが中国を救い、中国の特色のある社会主義だけが中国を発展させることできるのか。なぜ民主社会主義や資本主義ではダメなのか。

・なぜ人民代表大会制度を堅持するのか。なぜ「三権分立」を目指すことはできないのか。

・なぜ中国共産党の指導の下での多数党の協力に基づく政治協商会議制度でなければならないのか。なぜ西側諸国のよう多党制を採ることができないのか。

・なぜ「公有制を主体として多種多様な所有形態が共存すること」を基本的な経済体制としてなければならないのか。なぜ「完全な私有化」あるいは「完全な公有化」を図る政策ではダメなのか。

 これらはまさに中国の政治が持つ最も根本的な「なぜ」なので、これに真正面に答える文章が「人民日報」に載ったのだとするとすばらしい、と期待して、本文を読みました。

 しかし、杜青林氏が書いた本文は、何が言いたいのかよくわからない、かなり難解な文章でした。私が判読する限り、杜青林氏が書いた文章の内容は、だいたい以下のようなものです。

○毛沢東の指導により今のやり方をやり始めて、それが中国の基本方針になった。トウ小平氏ら第二世代の指導者も、それに基づき、現実に合致する一連の政策を展開してきた。

○江沢民氏は、「三つの代表」の理論を提出し、中国の政治制度と政党制度を考える上での判断基準を提唱した。その判断基準とは以下の観点に基づくものである。それらの判断基準を用いて、科学的に分析すれば、現在の中国が採用している「中国共産党の指導の下での多党制」が優れており、西側諸国のような多党制と議会制度を用いるべきではないことがわかる。

(1) 社会の生産力の持続的発展と社会の全面的進歩を促進するかどうか、という観点。

(2) 中国共産党と国家の活力、社会主義制度の特長及び有利な点を保持できるかどうか、という観点

(3) 国家の政治的安定性と社会的安定と団結を保持できるかどうか、という観点

(4) 幅広い人民の根本的な利益を守ることができるか、という観点

○胡錦濤氏も、現在の制度を堅持すべき、と主張している。

 ということで、「人民日報」編集部が「編集者の弁」で述べている明確な「なぜ」の質問に対して、杜青林氏が書いた本文は、少なくとも私が読解できる範囲では、明確な答になっていません。江沢民氏が提唱した、判断基準は、この「なぜ」を考える上で重要な観点ですが、ここでは「観点」だけが書かれており、それぞれの観点からどのようにして判断結果が導き出されたのか、という肝心の「答」が書かれていません。しかも、観点(2)は「中国共産党ありき」「社会主義ありき」の観点になっていて、「判断基準としての観点」にはなっていません。極めて論理的な思考をする中国の人々に対しては、杜青林氏の論文は「答」として満足を与えることはできないと思います。

 観点の(1)(3)(4)を結び合わせて、社会の発展のためには、政治的混乱を防ぎ、社会の分裂を避けることが不可欠であり、そのためには中国共産党の求心力によって政治をリードしていくことによってのみ社会の発展は可能であり、そうすることにより、結局は広範な中国人民の利益を守ることにつながるのだ、だから今の制度が正しいのだ、と主張するのならば、それはそれで説得力はあると思います。もしそうならそうハッキリ書いた方がわかりやすかったと思います。(ただし、この主張は、強力な執政党が政治をリードすべきだ、という論理の答にはなりえても、その強力な執政党がなぜ中国共産党なのか、他の党ではなぜダメなのか、という質問に対する答えにはなっていません)。

 答はハッキリせず、私としてはこの論文を読んでも、全くスッキリしなかったのですが、「人民日報」が「編集者の弁」で述べた重要な5つの「なぜ」という質問を提示したことは、私は評価すべきだと思います。まず明確な疑問点を提示することが議論の出発点だからです。

 最近の「人民日報」が、改革開放30周年を記念して、答をハッキリ書かないながら、こういった問題点を正面から取り上げている態度には好感が持てます。改革開放30周年というタイミングもあるのだと思いますが、厳しい金融危機・経済的不振の中で、多くの人民の不満を吸い上げる努力をしないと大変なことになる、という危機感が背景にあるのだと思います。こういった「人民日報」が提示する「なぜ」に基づいて、幅広い、忌憚のない議論が行われ、その中から少しでもよい解決策が見いだせればよいなぁ、と私は思います。長い歴史の蓄積を持ち、教育程度も高い中国の人々ならば、きっとよい解決策が見つけることができる、と私は信じています。

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2008年12月 3日 (水)

景気刺激策の中で農地の収用は抑制可能か

 中国が示した総額4兆元(ここ数日の円高元安傾向のレートだと約54兆円)の大規模な景気刺激策については、その7割近くを地方が負担するのではないかと見られていますが、その財源として地方政府が安い補償金を支払うことによって農民から土地を収用してそれを開発業者に高く売って得る収入でまかなうのではないか、と私は懸念している、と、先日このブログで書きました。

(参考1)このブログの2008年11月28日付け記事
「『史上最大のバブル』の予感」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-793d.html

 この私の心配は単なる空想ではなく、中国政府当局自体が実際に心配していることがはっきりしました。今日(12月3日)、国土資源部副部長の鹿心社氏が記者会見し、土地の収用については国が許可を行うという制度を通じて地方政府がいわゆる「土地財政」に頼ることがないようにする、と説明しているからです(中国の「部」は日本で言えば中央政府の「省」に相当する役所です。従って、国土資源部副部長は、日本式に言えば国土資源省の副大臣です)。

(参考2)「新華社」ホームページ2008年12月3日18:52配信記事
「国は土地を収用することによって収益をするという『土地財政』を抑制する方針」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-12/03/content_10451315.htm

 この新華社にアップされている記事には、「某地方政府」が「大衆の利益」と書かれた木になっている果実をもぎ取って「開発業者」に渡す場面がマンガで描かれています。この記事によると、ある市または県において、ある年に耕地を新規で建設用地に造成した土地のうち15%以上が違法状態だった場合、あるいは15%に満たなくても状況が重大で、影響がひどい場合には、当該地方政府の責任者は責任を問われる、とのことです。この国土資源部副部長の発言は、「地方政府が農民から土地を収用することによって財政収入を得ることは許さないぞ」という中央政府の決意を発表しているわけなのですが、この発表を聞いた地方政府の責任者は逆に「新しく開発した土地のうち違法なものが15%未満だったら責任を問わないと国の責任者が認めたわけだ。」と思うに違いありません。

 この「15%を超えたら責任を問う」という話は別の記事にも載っていました。

(参考3)「京華時報」2008年12月3日付け記事
「小産権房の処理を巡っては『責任を大衆に負わせる』ことをしてはならない」
~北京市国土局長、再度、農村の宅地用土地を都市住民のために流用することは厳禁するとの態度を表明~
http://epaper.jinghua.cn/html/2008-12/03/content_371521.htm

※中国のこの種の新聞のホームページではかなりうるさい「ポップアップ広告」が表示されることがありますので御注意ください。

 「小産権」(または「小産権房」)とは、村などの集団に所有権がある農村の土地を農民から収用してその上にマンションや別荘を建てて、都市住民(その村の住民以外の者)に販売している不動産物件のことです。都市の中心部から距離は離れているが、都心部よりかなり価格が安く、購入希望者が多いことから、相当の数販売されています(北京市の場合、流通しているマンション等の約2割程度は「小産権」であるとのこと)。しかし、農村の土地は、農地にしろ農民住居用土地にしろ、集団所有(村などの集団が所有している)のだからその集団のメンバーではない都市住民にはその土地に対する使用権は一切認められていないので「小産権」という不動産物件は違法である、というのが、政府(中央政府の国務院や北京市政府)の見解であり、実際、その考え方に沿った裁判の確定判例が出ています。

(参考4)このブログの2007年12月18日付け記事
「都市住民の『小産権』購入は違法と確定判決」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/12/post_bf8b.html

(参考5)このブログの2008年1月9日付け記事
「国務院が『小産権』に関し明確な通知を発出」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_4000.html

 上記「参考3」の「京華時報」の記事によると、北京市国土局の魏成林局長が昨日(12月2日)明らかにしたところによると、2008年の上半期に北京市の14の郊外地域にある区や県で行われた新規に造成された土地のうち件数にして67%、面積にして57%が違法または規定に違反していたものだった、とのことです。魏成林局長は、今後、各レベルの地方政府において、法律や規定に違反している土地の割合が15%を超えた場合には、その地方政府の責任者は責任を追及される、と述べています。この発言は、上記「参考2」にある「新華社」の記事に載っている国土資源部の鹿心社副部長の今日(12月3日)の発言と一致していますので、これが中央政府の統一方針なのでしょう。

 それにしても北京市の魏成林局長の発言は、上記(参考4)(参考5)の私のブログに書いてある通り、2008年初頭には裁判所の判決や国務院の明確な意思表示が出ていたにもかかわらず、依然として2008年前半に北京市の郊外地区で新規に造成された土地の、件数にして7割近く、面積にして6割近くが違法状態である、ということを示しています。つまり裁判所や中央政府が見解を違法だと明確に示しているにも係わらず、実際はほとんどの人は「そんなことは関係ない」と平気で違法な開発を行い、北京市政府当局もそういった実態を取り締まることはできなかった、ということを北京市当局の責任者が認めた、ということです。中央政府や北京市政府は、実態的に取り締まれないので、15%を超えたら責任を問う、という形で「取り締まろうという姿勢を示すこと」しかできないのだと思います。中国政府は「中国は法治国家になった」と盛んに自分で言っていますが、実際は、誰も法律を守っていないし、守らせることもできていない(きつい言い方をすれば、中国では政府が行政府としての機能を果たしていない)という現状を示すひとつの事例だと思います。

(注)「麻薬」や「銃」や「中国共産党を批判する言論」に対してはきちんとした取り締まりができているのですから、法律執行能力の面において「中国政府に取り締まり能力がない」と思うのは間違いです。「土地を開発することによって収入を得たい農村」と「安い別荘やマンションが欲しいと思う都市住民」の希望を押しつぶしてまで取り締まると政府に対する反発が強まる、と考えて、強硬な取り締まりができないのだと思います。

 上に述べたように、今回の「15%を超えたら責任を問う」という国土資源局副局長の発言は、地方政府に「15%以下ならばやってもいいんだ」という「免罪符」を与え、農民からの土地収用を促進することになるので、発言としては逆効果だったのではないかと私は思います。私は、上記の報道を見て、ますます(参考1)「『史上最大のバブル』の予感」で書いたような、農民からの土地の収用が進むことにより今後数年間のうちに「大量の不良債権不動産が蓄積される」「土地を失った大量の農民が失業者となる」「中国の農地面積が食糧確保のために最低限必要な面積を下回る」といった危機的状態が起こるのではないか、との懸念を強めました。

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2008年11月13日 (木)

海南省三亜市などでもタクシー・ストライキ

 先日、重慶市で起きた市全体のタクシー運転手のストライキについて書きました。

(参考1)このブログの2008年11月6日付け記事
「重慶市のタクシー・ストライキ」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-9f93.html

 ところが、その後、同様の動きが別の場所に広がり、11月10日、海南省三亜市、甘粛省蘭州市永登県でも、タクシー・ドライバーのストライキが起きた、とのことです。

(参考2)「新京報」2008年11月11日付け記事
「三亜市で200人以上の集団ストライキが発生」
~タクシー会社への支払金が高過ぎるなどの問題解決を要求、言いがかりを付けてトラブルを起こした疑いで21人が警察から事情聴取を受けた~
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/11-11/008@035146.htm

 タクシー運転手側の要求は、運転手が売上金の中から毎月タクシー会社に支払う金が高過ぎること、無許可営業のタクシー(中国語で「黒車」)が多くて営業が妨害されていること、といった状況の改善を要求するものでした。

 今回の三亜市(海南島の南端にある観光都市)のストライキでは、三亜市の市役所の前にタクシー運転手ら200名以上が集まり、市の幹部との面会を要求した、とのことです。また、通常通りの運行をしようとした(スト破りをしようとした)運転手に対して、何者か通行を妨害したり、打ち壊し行為に出たりした、とのことで、警察は、計画性を持った強行ストライキ事件だとして、言いがかりを付けてトラブルを起こした疑いで21人から事情を聞いている、とのことです。この「新京報」の記事の書き方だと「計画性を持った強行ストライキ」が違法行為であるように見えますが、ストライキ自体には違法性はないはずで、暴力行為によってスト破りを阻止しようとした行為が違法である可能性があるとして、警察に事情を聞かれているのだと思います。

 三亜市のストライキは11日も継続しており、三亜市の代理市長とタクシー運転手側との間で話し合いが続けられている、とのことです。代理市長は、スト問題解決の原則として次の4点を打ち出しています。
・社会の安定を維持し、打ち壊し行為を行った不法分子を法に基づき取り締まること。
・タクシー運転手がタクシー会社に支払う金の問題を迅速に解決し、タクシー運転手集団の合法的権益を保護し、タクシー会社の行為を厳格に管理し、無許可タクシー(中国語で「黒車」)を取り締まること。
・タクシー運転手たちが自分たちの要求を取りまとめて訴えるために、自ら協会を設立することを市としても支持すること。
・市の公安・交通等の各部門は一般大衆の利益を守る必要があり、速やかにタクシーが正常運行に戻るように努めること。

(参考3)「新京報」2008年11月12日
「三亜市の代理市長がタクシー運転手たちに対して陳謝」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/11-12/008@030124.htm

 三亜市の代理市長は11日に行われたタクシー運転手らとの交渉(上記の記事では「座談会」と表現されている)の席で陳謝し、タクシー会社への支払い金の金額を引き下げる問題、無許可タクシーの取り締まりの問題の解決を図ることを約束し、12日からのタクシーの正常運行の再開を要請した、とのことです。

 これら相次ぐ、タクシーのストライキについて、11月12日付けの「新京報」では、次のような意見を掲載しています。

(参考4)「新京報」2008年11月11日付け評論欄「第三の目」
「『無許可タクシー(中国語で「黒車」)』の背後に民生問題があることに注意しなければならない」
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2008/11-12/008@030129.htm

 この評論文では、重慶市では、8,000台の正規タクシーに対して、無許可タクシーが2,000台もいることを指摘して、これだけ無許可タクシーが多いのは、無許可タクシーに「従事」している人々が、主に、リストラされた失業者、農業戸籍から非農業戸籍に戸籍を転換した人々、三峡ダムの水没地域の人々などであり、生活のために無許可タクシーをやっている人が多いからである、と指摘しています。また、無許可タクシーを排除することは、これらの人々から「生存の糧」を奪うことである、とも指摘して、無許可タクシーの排除にあたっては、これら無許可タクシーで生活している人々の命運についても関心を払うべきだ、と主張しています。

 重慶市は、農村戸籍・非農村戸籍の一体化をモデル的に行っている地域です。

(参考5)このブログの2007年6月17日付け記事
「重慶と成都が農村・非農村統合試験区に指定される」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_f7a6.html

 農村戸籍から非農村戸籍になると、都市に住んで、都市住民としての行政サービスを受けることができますが、それは同時に農地という「生活の糧」を失うことを意味し、適切な職場が見つからなければ、失業状態となることを意味します。また、三峡ダムの水没地域に住んでいた人々には、立ち退きに際して代替の農地を与えられるか、そうでなければ補償金が支払われますが、補償金をもらって農地を失った人々のうち補償金を使い尽くす前に職を見付けることができなかった人々は、これもまた失業状態となります。

 上記(参考4)の評論の筆者は、タクシー・ストライキの背後には、単にタクシー業界内部の問題だけではなく、その地域の民生問題全体が絡んでいるのだ、と指摘しているのです。

 これまで急激な経済成長を続けてきた中国経済は「どこかの時点で長年に渡って行われてきた政策によって溜まり続けてきている『歪み』が社会の表面に出てくる時期が来る」と言われ続けてきました。今、その「時期」が始まりつつあるのではないか、と私は思っています。

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2008年11月 2日 (日)

メラミン粉ミルク事件から政治改革を考える

 最近、中国では、食品安全問題や炭坑・鉱山の安全操業問題で、地方政府が不法行為を行ったり環境汚染を続ける企業を十分に管理監督できていない、ひどい時にはそういった企業と地方政府が癒着して問題を覆い隠そうとしている、といった事件が多発して、社会問題になっています。このため、党・中央でも、そういった企業と癒着して企業の不法行為を見逃しているような地方政府の幹部については、解任したり、賄賂などをもらっていた場合には、司法の場で裁くようにすることなどにより、改善を図ろうとしています。こういった社会情勢の中で、先に問題となった河北省の三鹿集団によるメラミン混入粉ミルク事件に関連して、11月3日号の経済専門週刊紙「経済観察報」の「観察家」(オブザーバー)の欄に、長江商学院の王一江教授が「三鹿事件から政治体制改革を考える」と題する評論を書いています。

(参考)「経済観察報」2008年11月3日号(11月1日発売)
「三鹿事件から政治体制改革を考える」
http://www.eeo.com.cn/eeo/jjgcb/2008/11/03/118722.html

 この評論のポイントは以下のとおりです。

○長い間、地方政府の幹部はGDPの増大にのみ神経を使ってきた。GDPの増加により地方政府の財政収入が潤い、雇用も確保されるからである。GDPの増加に成功した地方政府は、往々にして出世が速い。これは「地方政府の企業化」を推進した。こういった考え方は、法律を省みない一部の企業の活動を助長した。こういった体質は、今回の三鹿集団によるメラミン入り粉ミルク事件や無許可で操業する炭坑・レンガ工場など、様々な問題を引き起こした。

○党・中央は、こういった状態を問題視し、「科学的発展観」「正しくかつスピードの速い経済発展(「又好又快」=良くかつ速く)」といったスローガンを掲げて、注意を促してきた。「科学的発展」や「正しくかつスピードの速い経済発展」とは、経済発展の過程において、環境の保護、エネルギー消費の適正化、土地やその他の自然資源の適正な利用、適正な収入の適正な分配、社会保障、医療衛生、教育、社会治安、住宅問題、交通問題、食品安全と人民の満足感・幸福感を大事にすべきだ、ということを主張しているのである。

○しかし、これらの目標はなかなか有効に実現することができていない。今後、地方政府が採るべき道には次の三つがある。

(1)今までと同じ路線:GDP至上主義を続けることであるが、この路線を続ける限り「地方政府の企業化」は今後も進み、「科学的発展」「正しくかつスピードの速い経済発展」という目標は実現できない。

(2)地方政府に経済発展を求めない路線:中国の特徴は、政府が資源をコントロールしていて、法律による支配が不完全なことであるから、地方政府に経済発展を求めなかったら、経済に対する積極性は失われ、雇用を確保し、人民の生活水準を向上させて、貧困問題を解消する、という目標を達成することはできない。

(3)先進国のモデルに見習う路線:日本の汚染米問題など、先進国でも食品安全問題は発生している。しかし、先進国では中国のように人々の健康被害に影響が及ぶほどに拡大することはあまりなく、先進国の食品は基本的に安全である。

○中国で先進国のモデルを導入できないのはなぜか。それは次の点で中国と先進国との間に国情の違いがあるからである。

「司法の独立性」:先進国では、司法の独立により、消費者は食品に対する不安に基づき食品安全に対して問題を起こしている利益集団を明らかにすることができる。違法行為を行っている企業は地方政府の保護を受けることができず、違法行為は結局は企業自身の損失となって跳ね返ってくる。

「資源の分散」:先進国では経済発展の力の源泉は政府ではなく民間企業にある。政府が企業の利益を保護する程度はあまり大きくない。

「定期的な選挙」:これが最も重要なことであるが、先進国の地方政府のトップは、定期的な選挙により、有権者の審判を受けている。有権者による評価が気になるので、地方政府のトップは、環境を保護せず、資源を浪費し、社会利益を損ない、法律を無視してまで、企業によるGDP増加のみを追求するようなことを敢えてしようとは考えない。

○司法の独立性と定期的な選挙による社会監督管理制度が、現在の中国の国情と比べて最も異なる点である。

○中国の国情と符号した形で改善を図る道はないのか? 先進国のシステムのポイントは、権限の分散化である。政府のトップは、有権者による選挙で選ばれているので、自らの地位を失わないためには、有権者がどう考えるか、を真っ先に考えるようになる。企業は、違法行為により短期的な利益が図れるとしても、地方政府からの保護がなく、法律システムに対する怖れがあるのであれば、そう簡単に違法行為に走ろうとは思わなくなる。

○改革開放の30年の間、我々は党と政府の分離、政府と企業の分離を進めてきた。今、職位(ポスト)の点では、確かに党と政府、政府と企業は分離されている。しかし、私は、現在のポスト上の分離は、依然として形式上の分離であり、集体が責任を負うという原則にある以上、異なるポストにいる者が真にそれぞれ担当すべき責任事項について独立して責任を果たしているとは言えない、と認識している。我々の「分離」は、往々にして「有名無実」と言わざるを得ないのである。

○地方政府自らが自分で経済発展を進めざるを得ないのだったら、「科学的発展」や「正しくかつスピードのある経済発展」という要求を実現することはできない。それであれば、市長や県長(行政府)がその地方の経済発展に責任を持ち、市や県の党委員会書記が環境保護や資源の問題・社会の調和の問題に責任を持つ、というふうに責任を分離する以外に方法はない。地方政府における党と政府の責任を分離し、それぞれが担当する責任分野に対して評価を受ける、というシステムこそが、中国の国情に符合し、かつ「科学的発展」「正しく・スピードのある発展」という目標を満たすために今後進むべき道なのである。

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 環境問題、食品安全問題、炭坑などの違法操業問題等に起因する労働安全問題等の様々な問題の根っこが現在の政治体制の問題にある、という点を、現在の中国の法律に違反しないというギリギリの範囲内で(=中国共産党による支配体制を批判しないというギリギリの範囲内で)鋭く指摘した評論だと私は思います。王一江教授は「集体が責任を負うという原則にある以上」という表現を使っていますが、はっきり言えばここの部分は「社会主義という原則を採っている以上」と表現した方がわかりやすいと思います。ただ、そこまではさすがにハッキリとは言えなかったのでしょう。

 「党と政府の分離」「政府と企業との分離」は、30年前に改革開放路線が始まって以来、中国共産党自らが認識して進めてきた方針(注)ですが、それが現在でも「形式的なもの」に留まっており、機能として分離していない(チェック・アンド・バランスの機能を果たしていない)ことを上記の評論の筆者は明確に述べています。筆者は、中国共産党が進めてきている改革開放路線を、その基本理念に基づいてきちっと進めるべきだ、と述べていて中国共産党の現在の路線を応援しているのであって、決してそれを否定しているわけではありません。

(注)1989年までは「党と政府の分離」の方針に基づき、党の総書記と国家主席(政府の代表)と党軍事委員会主席(軍の主導権を握る)は別の人物が就いていました。しかし、1989年の「政治風波」を境としては、1989年には党の総書記と党軍事委員会主席が、1993年からは国家主席も含めて、この三つの職位に同一人物が就任するようになっています。つまり、「党と政府の分離」という改革開放の当初の原則が1989年の「政治風波」を境にして変わったのです。これまでもこのブログで何回も紹介してきましたが、今、多くの新聞の評論で、1980年代の(1989年以前の)改革開放の原点に回帰すべきだ、という論調が多くなってきています。

 一方、上記の評論の最後の部分、政府(行政府)が経済成長に責任を持ち、党の方が環境保全・資源の確保や人民生活の保障に責任を持つべきだ、という考え方は、もっともな考え方ですが、見方を変えると江沢民前総書記が提唱した「三つの代表論」を批判的に見ている考え方だ、と捉えることもできます。「三つの代表論」とは、中国共産党は、(1)中国の先進的な社会生産力の発展に対する要求を代表する、(2)中国の先進文化の方向を代表する、(3)中国の広範な人民の根本的利益を代表する、ことを指しますが、三つのうち(3)がポイントであり、中国共産党は、労働者・農民(プロレタリアート)だけではなく、中小商工業者、企業家(昔の言葉で言えばブルジョアジー)や知識階層なども含めた人々の代表である、という点で、画期的な議論です。

 この「三つの代表論」は、よい意味では、中国共産党がイデオロギーに凝り固まった政党から脱却して中国社会の幅広い分野の人々の意見を結集した現実的な執政党に脱皮した、という言い方もできますし、別の言い方をすれば、労働者だけでなく企業家の意見も聞くようになった、といも言えます。後者の方は、意地悪な言い方をすれば、中国共産党の党員が企業家と癒着関係になっても即座にそれを否定することはできなくなった、とも言えます。上記の評論の筆者・王一江教授は、党の役割を経済成長を進める役割から分離させ、人民の生活を守る役割に特化させるべきだ、と主張しているわけであり、中国共産党の役割を「三つの代表論」で転換した方向から、本来の役割(経済的に力を持たない労働者・農民の権益を守る役割)に戻そうとしている、と考えることもできます。

 いずれにせよ、王一江教授は、「選挙がない」という現在の中国の最も重要なポイントを指摘している点で重要です(中国にも、人民代表を選ぶ選挙はありますが、人民代表選挙は間接選挙であり立候補に一定の制限がある点で「選挙と呼べるようなものではない」ということは、中国の内外の人はみなよくわかっています)。王一江教授が「だから選挙をやるべきだ」と主張していないのは、現在の中国の新聞に掲載できる論評の限界を示していますが、いずれにしても、こういった議論が新聞やネット上で自由に展開されていることは非常に重要です。こういった活発な議論がなされる中で、中国にとって実現可能な、最もよい方法が見つかることになるでしょう。

 世界的経済危機の中で、中国経済も苦しい状況にあります。しかし、中国政府は財政的には大幅な黒字であり、2兆ドルに達しようかという膨大な外貨準備もありますので、いざとなれば苦しい立場に立つ企業に「公的資金の注入」をすることはいつでもできますので、現在の世界の中では、中国の社会は、むしろ「比較的安心して見ていられる社会」と言ってもいいかもしれません。北京オリンピックが終わった後も、心配されていた「急激な経済バブルの崩壊」はありませんでした。こういった比較的安定した社会が続いているうちに、長期的な将来へ向けて、安定した社会を持続させることができるようなフィード・バック・システムが上記のような様々な議論を通して構築されていくことを期待したいと思います。

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2008年10月28日 (火)

第17期三中全会決定のポイント

 10月9日~12日に開催された第17期中国共産党中央委員会第3会全体会議(第17期三中全会)で「中国共産党中央による農村改革の発展の推進における若干の重大問題に関する決定」(以下、簡単に「決定」と呼ぶことにします)が決定されました。

(参考)「新華社」ホームページ2008年10月19日アップ
「中国共産党中央による農村改革の発展の推進における若干の重大問題に関する決定」(2008年10月12日中国共産党第17期中央委員会第3回全体会議で採択)
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-10/19/content_10218932_1.htm

 この決定は、非常に重大な内容を含んでいるものの、表現が「改善させる」とか「強化する」とかいった曖昧な表現になっており、実際にどの程度厳格に進めるのかについては、今後、この方針を具体的な法律として書き起こす時に決められると考えられる部分が多いので、新聞報道などではあまり「重大な変化」としては報道されていないようです。しかし、従来の中国共産党の基本方針からすると、かなり大きな「方向性の変化」を示す部分も含まれていると思われますので、簡単にそれをまとめておきたいと思います。

 今回の「決定」は、大きく分けて6つの部分にわかれています。それぞれの部分についての「決定」の内容とその意味について私が考えるところを簡単にまとめておきたいと思います。

1.新しい情勢の下における農村改革発展の重大な意義

 ここの部分は、現状認識を述べた部分で、1978年12月の第11期三中全会で決められて現在まで続いている改革開放路線の中で、いくつかの矛盾点が出てきており、その問題点に対処するためには農村改革をさらに進めることの重要性を指摘しています。その際、ポイントとして指摘しているのは以下の点です。現在の中国社会が抱える問題点をかなり率直に認めている点では注目に値すると思います。

○食糧と主要農産物を効果的に生産し、農民の収入を増加させ、農村を反映させることが持続可能な社会を発展させるための基本である。

○改革開放政策の進展により、グローバル化(国際的な協調と競争の深化)が進む中で、中国における「都市と農村との二重構造の問題」における矛盾が突出してきている。農村の経済体制は、現在においてもなお不完全であり、農業生産経営の組織化はいまだに低く、農産品のマーケットシステムと農民に対する社会福祉制度と国家が農業を支援する制度は完全なものとは言えない。

○気候変動の影響が大きくなってきており、自然災害が頻発している中、国際的な食糧需給の矛盾も突出しており、国家的な食糧安全保障と農産品の需給バランスとの関係は緊迫してきている。農村における社会的事業の水準は低く、農村と都市との収入格差は拡大しつつある。一部の地方では、最も基盤となる農村組織の基盤がぜい弱であり、農村における民主的法制度と基盤的組織と社会管理体制の確立が重要になってきている。

○農村の繁栄と安定化、農民が安心して暮らせる状況の実現なくしては、全国人民が安心して暮らせる社会を実現することはできない。

○現在は、農村と都市の二重構造を終わらせ、都市と農村が一体化して発展する局面を作るための重要な時期に差し掛かっている。

2.農村改革を発展させるための指導思想、目標、重大な原則

 ここでは、1.で述べた現状認識に基づき「何を行うか」を掲げた部分です。この中で、2020年までに農民一人あたりの純収入を2008年の2倍にする、という数値目標を掲げています。ただし、1.で都市と農村との格差拡大の問題を指摘しながら、ここでは「都市と農村との格差の縮小」を目標としては掲げていません。今後とも、農村における農民の収入増加の努力は続けつつも、「都市と農村との格差」を「縮小」させることは難しい、との認識があるためと思われます。

 収入の拡大とともに、消費水準の大幅な上昇、貧困の克服、農民自治制度の確立、農民の民主的権利の保障、農民一人一人の良好な教育機会の確保、農村における基本的な生活保障、基本的医療制度の健全化などが掲げられていますが、ここは「数値目標」的なものがないため「改善のために努力する」以上のことは、この「決定」の中から読みとることはできません。

 「決定」では、上記の目標を達成するための「原則」として、以下の5つを掲げています。

○農業の基盤を固め、全国13億人の食糧を確実に確保すること。

○農民の権益を確保し、農民の基本的利益を実現し、維持し、発展させることを一切の任務の出発点・立脚点として押さえること。

○農村における社会生産能力の開放を進め、新しい政策を農村発展の原動力とすること。

【解説】ここの部分は、過去の「人民公社」時代には、土地や生産資材の完全公有化と農作業の共同化により、個々の農民の農作業に対するインセンティブ(やる気)を失わせたのに対し、改革解放後、「人民公社」を解体して、個々の農民に「生産請負」の形で自主性を与え、各農家のインセンティブを引き出して農業生産を拡大させてきた過去の経験を踏まえたものです。

○都市と農村との発展を統合し、新しい工業と農業との関係、都市と農村との関係を速やかに構築すること。

○中国共産党の農村における管理任務を堅持し、党による農村における指導の強化・改善を図ること。

【解説】「改革の推進により農民の心が中国共産党から離れることがあってはならない」という党としての危機感を感じる部分です。

3.新しい制度改革を協力に推進し、農村制度の確立を強化する

 ここの部分がいわば今回の「決定」の「目玉」の部分で、具体的な新しい政策のあり方が列挙されています。

(1)農村の基本的経営制度の安定化と確立

○個々の農家単位の生産請負制は「長期的に安定」である。

【解説】中国の土地は公有(国有または村などの集団所有)ですが、各農地における農業生産は「生産請負」の形で各農家に任されています。「生産請負契約」によって求められる一定量の生産量を超える部分は、各農家で自分の収入として処分できます。これが各農家のインセンティブ(やる気)を出させて農業生産を拡大させた改革開放の原点なのですが、改革開放当初は、この「生産請負制度」は30年の期限付きで行う、として始められました。今、改革開放から30年が過ぎようとしているので、この期限を30年から70年に延長すべき、といった議論がなされていました。今回の「決定」では、具体的な延長年限は明示せず「長期的に安定である」という曖昧な表現になっています。年限を切らなかった理由、または年限を切らずに「無期限」としなかった理由については不明ですが、将来の政策変更に含みを持たせたかったため、と理解することもできると思われます。あるいは党の内部で議論の集約ができなかったからかもしれません。

(2)健全で厳格かつ規範的な農村土地管理制度を確立する

○土地管理制度を厳格にし、全国の耕地面積18億ムー(1ムーは6.667アール=15分の1ヘクタール)という「レッドライン」を下回らないように死守する。「永久基本農地」を確定し、「基本農地」の面積を減らしたり、用途を変更したりしないようにする。

○農家の土地に対する「請負生産経営権」、即ち「請負生産」を行うために農家が農地を占有し、使用し、そこから収益を上げることを権利として確立する。「請負生産経営権」については、「請負生産経営権」を交換する健全なマーケット(「請負生産経営権交換市場」)を設置し、「請負生産経営権」を他者への請負委任、貸し出し、交換、譲渡、株形式での持ち合い等の形式で移転させることにより、多種多様な経営方式と適切な規模の経営が可能なようにする。条件が整っている地方においては、大規模専業農家の発展、家庭農場、農民が集まって作る専業合作社の設立などの様々な経営規模の経営主体が考えられる。「請負生産経営権」の移転は「土地は公有(国有または集団所有)である」との大原則を変えるものではなく、全体としての農地の規模を変えるものであってはならない。

【解説】

 ここの部分が今回の「決定」の最も重要な部分です。「土地は公有」という大前提は変えることはしないが、他人への委任、貸し出し、交換、譲渡、株形式での持ち合い等により「請負生産経営権」が特定の者(または合作社などという名前の組織)に集中し、大規模農業経営が行われることを認めています。これは、農業生産会社が農家から「請負生産経営権」を買い取って大規模プランテーションを行うことを可能にしているほか、大規模農家が貧しい農家から「請負生産経営権」を買い取ることを可能にしている、という点で、「大規模地主から土地を取り上げて大多数の貧農に土地を分配する」ことから出発した中国共産党の大原則を変える、という意味で、極めて「革命的」であると言えます。

 「請負生産経営権」を売った農民が「請負生産経営権」を買い取った会社や大規模農家の「雇用者」として耕作を行うこともあり得るので、この制度により、「請負生産経営権」は耕作者の手元から離れることになります。日本では農地法において実際の農地の耕作者以外に農地の所有を認めていないので、この制度が中国で実現することになると、農業に関しては、日本の方が中国よりずっと「社会主義的な国」ということになります。

 ここの部分では「請負生産経営権」を農業を行わない者(工業用地開発業者など)に譲渡できるのか、についてははっきりした記述がありません。譲渡できるのは「請負生産経営権」であって「土地使用権」ではないので、譲渡を受けた者は必ず農業の請負生産をしなければならないのだ(経営権は譲渡できるが、農地の農業以外への利用はできないのだ)、と読むのが自然だと思われますが、「請負生産経営権」は「権利」であって「義務」ではなく、「請負生産経験権」の譲渡を受けた者が「農業生産を行う権利」を放棄して農地を別の用途に利用することも禁止していないようにも読めるので、この点は極めて曖昧です(曖昧であるが極めて重要な部分です)。

 また上記項目の中で「請負生産経営権」の移転を認めておきながら、「『土地は公有』との原則は不変であり、全体としての農地の規模を変えるものではない」としている部分も意味不明です。ここの部分は、「『土地は公有』という原則はいつまでもついて回るので、土地の収用権(必要な時に合理的な補償金を払うことによって土地の使用権を回収する権利)は、国または村などの集団が保持しているので、中国全体として農地が不足する場合は、国または村が「土地所有権」に基づく土地の収用権を発動して、合理的な補償金を支払った上で「請負生産経営権」の所有者から土地を取り上げて国家が必要とする農産物を生産させるようにすることが可能なのだ、という意味なのかもしれません。

 ただし、ほとんどの農地は村など地方の「集団所有」であって「国有」ではありません。各村にとっては中国全体の農地が不足しているかどうか、などということは関心の外ですので、実は「土地は公有」であることは「中国全体の農地の規模が一定以下にならないようにするための支え」には全くなっていないのです。そういった点も踏まえると「請負生産経営権」の譲渡等を認めることと「『土地は公有』という原則は不変である」こととの関係は、曖昧模糊としており、この「決定」だけではどういう政策が採られるのかは全く判断できません。

○農家の住宅用地については、法に基づき農家に住宅用地としての「物権」を保障する。農家の住宅用土地を収用する場合には、「同地同価」の原則に基づき、合理的な補償を行うとともに、宅地用土地を収用する農民の就業、住居、社会保障などの問題を解決しなければならない。

○都市と農村とで統一した建設用土地市場を設立し、収用した土地の使用権を転売する場合には、必ず統一的な市場において公開の場で土地使用権の売買を行うこととする。

【解説】

 ここの部分は、現在、農家の住宅用土地も「集団所有」であることから、村などが十分な補償を行わずに農民の住宅用土地を収用し、村当局が特定の開発業者と土地の売買をしていて、土地売買の透明性が確保されていないケースが多い、という現状を反映しているものと思われます。

 また、農民の住宅用と地の「土地使用権」を土地を所有している集団の構成員(村民)以外の人に譲渡できるのかできないのか、についてもこの「決定」では述べていません。従って、現在、問題になっている「小産権」(農民の土地の上にマンションや別荘を建てて都市住民(村民以外の者)に売買するような不動産物件)の存在を認めるのか認めないのか、は、この「決定」を読んだだけではわかりません。 

(3)農業支援制度を確立する

○農業生産のために必要な物資の価格が高騰した時の補償、農産品の価格保護制度など農業を安定的に続けられるようにするための制度を確立する。

(4)近代的な農村金融制度を確立する

○農村合作組合や信用組合など近代的な農村金融制度と政策性農村保険制度を確立する

【解説】ここの部分については、農民が上記の「請負生産経営権」を担保として金融機関からお金を借りられるのか、という疑問が生じます。新聞に掲載されている専門家の解説によると、農民がお金を返せなくなり金融機関が担保にしていた「請負生産経営権」を接収しても、金融機関は「農業経営」はできないのだから、そもそも「請負生産経営権」は担保とはなりえない、とのことです。しかし、金融機関は「請負生産経営権」を取得した後、その権利を農業経営をすることができる第三者に売却することが可能なのだから、担保とすることは可能である、と考えることもできます。「請負生産経営権」をここでいう「近代的な農村金融制度」の担保とすることが可能なのかどうか、という疑問は、農村における金融制度の確立上極めて重大な問題なのですが、この「決定」では、その疑問には答えていません。

(5)都市と農村との経済社会発展一体化制度を確立する

○農村と非農村に分かれている現在の戸籍制度を改革し、中小都市においては、都市で安定的に就業している農民が都市住民になれるよう制度を緩和する。労働報酬、子女の就学、医療、住宅借り上げ・購入、養老保険等の面において農民工(農村戸籍の農民が都市に出て働いている出稼ぎ労働者)の権益を保護する。

【解説】現在、農民工の子女は都市部で公立学校に入学できず、医療保険が適用されず、住宅の借り上げ・購入などにもいろいろ制限があります。ここでは二重戸籍制度は「やめる」とは言っていないし、「いつまでに何をやる」といったタイムスケジュールも示されていないので、現実的に農民工の権益保護が改善されるかどうかは、今後の政策の進展に掛かっており、具体的にどういった改善がいつまでになされるのか、は、この「決定」を読んだだけではわかりません。

(6)農村における民主管理制度の健全化

○2012年までに郷鎮(村レベル)の機構改革を終了させ、郷鎮政府の社会サービス機能を強化する。

○郷鎮政府の統治管理に対する農民の政治参加と積極性を引き出すため、行政事務の公開と法に基づく農民の知る権利、参政権、意思表示権、監督権を確立する。

○村の党委員会組織による指導を健全化し、村民自治システムに活力を与えるため、直接選挙制度を深く展開させ、村民会議、村民代表会議、村民議事によって民主的に政策決定を行うようにする。

【解説】村民委員会の直接選挙制度は地方によっては1990年頃から既に導入されてはじめています。今回の「決定」では上記のように書かれていますが、具体的に村民委員会と村の中国共産党委員会との間で、実質的な政策決定権限がどこにあるのかが明確にならない限り、どのような「民主化を進める」というスローガンを掲げたとしても、実際にどの程度民主化が進むかは疑問です。この「決定」を見ると、逆の見方をすれば、郷鎮(村)より上のレベル(市や県のレベル以上)では住民の直接選挙による自治制度を導入する考えは全くないことがわかる、という見方をした方がよいのかもしれません。

 4.以下は新しいことは何もない(と私は思う)ので項目だけを掲げます。

4.近代的農業の発展と農業総合生産能力の積極的な発展

(1)国家食糧安全保障の確保
(2)農業構造の戦略的調整(市場のニーズと各地方の特色に合った生産品目や生産規模の設定)
(3)農業における科学技術イノベーションの推進
(4)農業インフラ施設の整備
(5)病害の防止、農産品の品質管理、農業生産資材の安定的供給確保等の新しい農業サービス体系の確立
(6)循環型農業、副産物や廃棄物の資源化等による持続可能な農業の発展(森林や草原を食い尽くすタイプの農業の排除)
(7)農業の対外開放(国際市場の研究と情報収集を強化し、国際的な農産品貿易秩序に積極的に参加する)

5.農村における公共事業を加速させ、農村社会の全面的な進歩の推進

(1)科学的思考(迷信や旧い風習の排除)、遵法道徳、男女平等の普及などの文化活動を発展させる。
(2)農村における公平な教育の推進
(3)農村における医療・衛生事業の発展
(4)農村における最低生活保障、養老保険、自然災害被災者、障害者等に対する社会保障体系の健全な発展
(5)電気、水道、道路、ゴミ処理などの農村における生活インフラ建設の強化
(6)貧困地域の開発支援の推進
(7)農村における防災・減災対策の推進
(8)農村における社会治安維持管理の強化(健全な党と政府の主導により農民の検疫を守り、広く社会の人々との意思疎通を図ることにより、各種矛盾は萌芽の段階で解決する)

6.党による指導を強化・改善し、農村の改革発展に対して政治的な保証を提供する

(1)党による農村の指導体制を強化する
(2)農村の基盤における党の組織を強化する
(3)農村の基盤における党幹部の人材養成を強化する
(4)農村のおける党員の人材養成を強化する
(5)農村における党の規律維持を強化する

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 以上が第17期三中全会で決まった「中国共産党中央による農村改革の発展の推進における若干の重大問題に関する決定」のポイントです。「方向性」としては、特に「請負生産経営権」の譲渡を可能としている部分で、もはや「社会主義」とは言えないような方向を目指すような重大な転換を含んでいます。しかし、「請負生産経営権」の譲渡や移転を認めながら、なぜ土地の所有は公有であり続けなければならないのか(なぜ土地の私有制を導入できないのか)など、多くの疑問と曖昧な点を残しているのが今回の「決定」の特徴だと思います。

 中国では、現在では、中国共産党の決定がそのまま実行されることはなく、党が決めた方針に沿って法律が作られ、その法律が全国人民代表大会(全人大)で決定されて、初めて政策が現実のものとして実施されることになります。従って、法律案が起草されて、その法律案が全人大で議論される過程で、具体的な実施方針が変更されることはあり得ます。全国人民代表の3分の2程度は中国共産党員ですので、基本的な方針が大きく変わることはありえませんが、法律案の概要が新聞などで伝えられて、多くの人々から強い不満が出たりすると、法律の審議の過程で修正が入ることは十分にあり得ます。現在の中国では、議会制民主主義のシステムはないけれども、中国共産党と言えども、世論を無視した政策の強硬はできない状況になっているのです。

 上記の農村改革に関する問題の中で、例えば二重戸籍制度の改革は、農民にとっては是非とも廃止して欲しい制度ですが、安い労働力が農村部から自由に都市に流入してきては困るので、都市住民にとっては二重戸籍制度の廃止は、必ずしも歓迎すべき政策変更ではありません。議会制民主主義システムがない以上、そういった人々の中に異なる意見が存在する場合に、その意見をどうやって集約して政策に反映させるのか、という「ルール」は中国にはまだ存在していません。今回の第17期三中全会で決まった農村改革に関する決定も、固まったルールがない中で世論を取り入れて具体化されていくことになるので、どういった人々の世論を取り入れ、どのような形で、いつ具体的な政策を固めていくのか、を今から予測することは困難です。

 今回決定された「農村改革」は、中国にとって長期的に極めて重要な課題ですが、それよりも、現在、世界を覆っている経済危機とそれに伴う中国の輸出産業の低迷の方が現在の中国にとっては緊急の課題です。そういう意味でも、今回の第17期三中全会での決定は、今すぐに結果が見える、というものではなく、長期的な観点で見ていく必要があると思います。

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2008年9月 4日 (木)

経済学者・呉敬璉氏へのインタビュー記事

 2008年9月1日号(8月30日発売)の経済専門週刊紙「経済観察報」の「観察家」(オブザーバー)の欄では、経済学者の呉敬璉氏に対するインタビュー記事(前編)を掲載しています。

(参考1)「経済観察報」2008年9月2日アップ記事
「『呉市場』から『呉法治』へ(1)」
http://www.eeo.com.cn/observer/dajia/2008/09/02/112308.html

 呉敬璉氏は、現在の改革開放政策に基づく中国の経済政策の理論的指導者的存在です。1989年の事件の後、計画経済を主体とすべきとする主張と市場経済を導入すべきとする主張との間の論争があり、トウ小平氏が1992年に「南巡講話」を行って、市場経済を導入させて、経済活動を活発にすることによって、一部の者が先に豊かになって、経済全体を引っ張っていくべき、という現在の中国の経済政策路線を打ち出した時の理論的バックアップをしたのが呉敬璉氏でした。当時、呉敬璉氏が唱える社会主義の原則の下で市場経済を導入させようとする経済論は「呉市場」と呼ばれ一世を風靡(ふうび)しました。今回の「経済観察報」の記事は、呉敬璉氏本人に対するインタビューを通じて、「呉市場」が登場する経緯と今後の中国経済のあり方について意見を聞いたものです。

 呉敬璉氏が経済政策論争の経緯について語っていることについては、過去にも「経済観察報」は記事にしており、そのことについて私もこのブログに書いたことがありました。

(参考2)このブログの2007年12月8日付け記事
「『経済観察報』の論調」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/12/post_1622.html

 呉敬璉氏は経済学者ですから、話の内容は経済政策に特化しており、政治的な内容の発言はありません。しかし、「呉市場」が登場した背景には、1980年代からあった保守派(計画経済を主とすべしとの主張するグループ)と改革派(市場経済も積極的に導入すべきと主張するグループ)の論争から始まって、1989年の事件の後の論争がありますから、歴史的経緯を説明する際には、どうしても1989年の事件を避けて通るわけには行きません。このインタビュー記事では、私が中国で販売されている中国の新聞の中で見た記事の中では最も淡々とした表現で、1989年の事件について語っています。呉敬璉氏は、この事件を「1989年6月の政治風波」という言葉で表現し、その後に起こった経済路線に係わる論争について淡々と語っています。あくまで経済政策に特化した説明ですが、このインタビュー記事は、改革開放30年の歴史を客観的に冷静に分析する上で、客観的な情報を提供していると思います。

 呉敬璉氏は、1980年代、保守派と改革派の論争においても、過去の「反右派闘争」や「走資派(資本主義に走る派)批判」などの記憶があったため、当初は「市場経済」という言葉を使うこと自体はばかられた、と述懐しています。そのため、当初は「市場経済」という言葉ではなく「商品経済」という表現で語られていた、とのことです。

 呉敬璉氏は、経済学者の立場から、社会主義経済と市場経済とを融合させるためには、社会主義の部分、即ち、中央政府や地方政府が経済において規律ある役割を果たすことが重要であると主張しており、従って政治体制改革の問題が1990年代に「呉市場」がブームになった頃も現代も同じように重要であると主張しています。

 私は、この呉敬璉氏が主張する点は、改革開放経済の原点であり、まさにこれから改革開放政策が順調に進んでいくかどうかのカギを握っている点だと思います。改革開放政策30周年に関するイベントが行われるであろう、今年2008年末へ向けて、「経済観察報」が改革開放政策における経済政策の原点とも言える呉敬璉氏に対する長文のインタビュー記事を掲載したのは意義あることだと思います。

 なお、呉敬璉氏は、氏が経済理論を打ち立てる上で参考とした経済モデルには、次の4つがあると語っています。即ち、(1)スターリン期の計画経済モデル(改良型ソ連モデル=国家が強力なリーダーシップで経済を主導するタイプの社会主義経済モデル)、(2)市場社会主義モデル(東欧モデル=ハンガリーなどの東欧諸国が採用した計画経済を主体としつつミクロ部分(各企業の部分)には市場的要素を導入したモデル)、(3)日本に見られるような政府が主導した市場経済体制モデル(東アジア・モデル)、(4)自由市場経済体制(欧米モデル)の4つです。このうち「東アジア・モデル」は、通産省が主導した日本や企画計画院が主導した韓国が参考になっているとのことです。

 呉敬璉氏は、日本が「神武景気」(1955~1957年(昭和30~32年)の好景気:昭和31年度の経済白書が「もはや戦後ではない」と表現したことで有名)に沸いていた頃、中国でも日本の「神武景気」が戦後の民主主義改革を基礎として出現した高度経済成長であるとの認識がなされていた、と述べています。また、呉敬璉氏は、1956年の時点で社会主義においても市場原理に基づく価格調整を導入することを主張してた顧准氏が「『中国の神武景気』はいつかは必ず来る。しかしいつ来るのかはわからない。」と述べ、辛抱強くこの問題を検討するために「待機守時」(時を守って機会を待つ)という四文字を提唱していたことを指摘しています。

 市場経済は、自由な経済活動を通して、消費者が製品を選択し、それが次の時代の経済活動を進める原動力となる、という意味で、経済活動における民主主義である、と言えます。呉敬璉氏はあくまで経済学者であり、政治的な立場は表明していません。ただ、このインタビュー記事を通じて感じられることは、政治と経済が調和しながら社会を発展させていくためには、経済において市場原理を導入するのであれば、政治においても民主化を進めていくことが必要だという点です。

 現在の中国では語ること自体がほとんどタブー視されている1989年の事件について「1989年6月の政治風波」という表現で明確に触れ、あくまで経済政策的な観点からですが、冷静かつ客観的にその前後の動きを振り返り分析しているこのインタビュー記事は、改革開放30年の歴史を振り返る意味で非常に重要な意味を持つと私は思います。なぜなら、今後、中国が安定的に発展していくためには「1989年6月の政治風波」のような事態を再び起こしてはならないのであって、そのためには「1989年6月の政治風波」とは何であって、その原因が何であったのかを冷静かつ客観的に分析し、再び起きないようにするための方策を考える必要があるからです。

 少なくとも、こういった議論が中国の新聞紙上でなされ、そういった記事がインターネット上で見られるようになっている、ということは「大きな進歩」だとして、評価すべきだと私は思います。

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2008年8月20日 (水)

中国経済はまた大型公共投資依存に戻るのか

 今日(8月20日)の中国大陸の株価は、一昨日(8月18日)の下げを回復する以上に上昇したようです。日本のネットのニュースによれば、オリンピック後、中国政府が大型の景気刺激策を打ち出す見通し、との報道がなされたことが株価上昇の原因だ、とのことです。景気刺激策とはどういう政策を採るのでしょうか。また、大型の公共事業に投資をしたりするのでしょうか。

 私も、中国の経済が収縮してよい、とは思っていませんが、人民元高や原油高などの構造的な原因で、輸出産業の不振が続く中、経済全体を支えるために、大型の公共事業に投資して雇用を創出する、といった政策がいつまでも続けられるとは私には思えません。私は、北京に赴任してから1年4か月、中国国内のいろいろな工業団地などを見ましたが、公共インフラの多くは、既に「過剰」のレベルにまで達していると思っています。現在、開発が終わった、あるいは開発中の全ての工業団地の全ての土地に工場が建つとはとても思えないからです。もし、今後また従来型の公共投資主導型の景気刺激策を採るのであれば、地方ベースでは、今後とも、農地がつぶされ、工業団地が建てられる、というタイプの事業が続けられる可能性があります。それだと、去年あたりから採っていた「バブルは小さいうちにつぶしておく」という政策を、また「バブルをさらに膨らませる政策」に逆戻りさせてしまうことになります。

 構造改革には常に「痛み」を伴いますが、今、中国政府にとっては、輸出企業の倒産による失業者の増大や不動産や株のバブルの崩壊による富裕層の資産の消滅のような「痛み」を伴う政策は怖くて採れないのかもしれません。しかし、景気が悪くなりそうになったら、公共投資で景気を刺激する、といった政策を繰り返していくと、中国の企業はそれに甘えてしまい、本当の意味での国際競争力を付けることができなくなります。いつまで経っても労働集約型産業への依存から脱却できません。それに、不動産や株が下がりそうになったら、政府が何らかの策を講じて下支えしてくれる、といった経験を何回も繰り返すと、投資家の中に自己責任をもって投資するというマインドが育たないと思います。

 中国の金メダル・ラッシュもようやく山を越え、オリンピックも残すところあと4日となりました。今回のオリンピックは、スポーツの面では、中国の人々の能力が非常に高いことを証明しました。経済の面でも、中国の人々の能力をうまく引き出し活用させることができれば、大型の公共投資に頼らずに経済成長を続けることはできると思います。既に中国の大学への進学率は22%を超えており、中国でも高学歴化が進んでいます。このまま大型公共事業と労働集約型産業への依存を強めた経済運営を続けていくと、人々の「働きたい」という欲求と雇用の場の提供とが、数の上では一致しても、質(要求する賃金など)の面でミスマッチが大きくなります。中国政府は、単に数字的に経済を失速させない、ということばかりでなく、中国の人々が自分たちの生活をどうしたいのか、という「思い」をうまくすくい上げるシステムを作り、それによって人々の欲求を的確に把握できるようにする必要があると思います。

 このブログの直前の記事で書いた人民日報のホームページにあった110mハードルを棄権した劉翔選手を励ますポップ・アップは、今日(8月20日)の朝の時点ではあったのですが、夜の時点では既になくなっていました。そろそろ「劉翔選手の棄権ショック」も治まってきただろう、と判断したのだと思います。このようにして、官製メディアが沸騰するネット議論の「ガス抜き」に気を使わなければならないこと自体、中国に人々の気持ちを吸い上げるシステムができていない証拠です。少しづつでよいので、時代の流れに合わせて、中国も変わって行って欲しいと思います。

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2008年8月18日 (月)

発展改革委「オリンピック後の後退はない」

 国家発展改革委員会は、昨日(8月17日)、中国経済の状況についての記者会見を行いました。この席で、国家発展改革委員会経済研究院副院長の王一鳴氏は、「オリンピックは中国経済の分水嶺とはなり得ない」と述べ、「オリンピック後に中国経済にブレーキが掛かるのではないか」との見方を否定しました。

(参考1)「新京報」2008年8月18日付け記事
「中国では『オリンピック後の景気後退』は出現しない」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/08-18/008@020530.htm

 この記事によると、王一鳴副院長が発言したポイントは以下のとおりです。

○オリンピックの終了は北京市の経済に影響を与えることになるだろうが、北京市の経済規模は全中国の3.6%に過ぎず、オリンピックの終了が中国経済全体に影響を与えることはあり得ない。

○マンション価格の動向もオリンピックとは関係しない。中国では急速な都市化が進んでおり、不動産に対する需要は強い。去年下半期以来、不動産市場における販売量は下降傾向にあるが、今年1月~7月の不動産に対する投資は依然として30%を超える速度で伸びている。現在、不動産市場は「模様眺め」の雰囲気が濃厚であるが、これは不動産市場の中のバブル的部分が消滅するまでのひとつのプロセスである。

○株式市場の動向もオリンピックとは無関係である。最近の株価の下降傾向は、マクロ経済的視点で見れば、中国経済がアメリカのサブ・プライム・ローン問題や地球規模の景気後退等の影響を受け、中国経済の不確定性が増加していることから来ている。原油、鉱物資源、食糧価格の大幅上昇も懸念材料になっている。しかし、多くの企業は安定的な成長を維持しており、いくつかの企業の株価は過小評価されている。国内の消費者物価指数が落ち着き、国際石油価格が安定し、投資者の安心感が増せば、株価は一時的な低迷状態から脱して、合理的な範囲に納まることになるだろう。

 で、問題は、この記者会見がなぜ日曜日である8月17日に行われ、8月18日(月)の朝刊にこの発言の内容が掲載されたか、にあります。今週、大手国有企業47社の株取引の制限が緩和され、額面総額1,200億元(約1兆8,000億円)に相当する株が株式市場に出ることになることから、この記者会見は、国家発展改革委員会が国有企業の株が市場に大量に放出されることに伴う株価の値下がりをできるだけ抑制することを意図して設定したものではないか、と私は推測しています。中国では、国有企業の持ち株を、コントロールしながら株式市場に出し、国有企業の経営にも市場原理を導入しようとする政策を採っています。そのため、毎週、なにがしかの国有企業の株が売買解禁となって市場に出されるのですが、たまたま今週は8月に解禁される株の69.2%がまとまって解禁される、とのことで、国家発展改革委員会は、その影響を最小限に抑えようとしたのだと思います。

(参考2)「新京報」2008年8月18日付け記事
「今週、189億株が解禁に~8月の解禁総数の69.2%を占める~」
http://www.thebeijingnews.com/economy/2008/08-18/008@020626.htm

 しかし、この記者会見もあまり効果は大きくなかったようで、今日(8月18日)の中国大陸の株価は、またかなり下げたようです。

 王一鳴副院長が言うように、最近の株式市場の低迷の原因としては、オリンピック需要が終わることへの懸念、というよりは、世界的経済の低迷と人民元高による中国の輸出産業の不振に伴う中国経済全体への警戒感の方が大きいと思います。先月、国家指導者が相次いで沿岸部の輸出産業の中心地を視察したことも、逆に「中国の輸出産業の不振は意外に深刻なのかもしれない」という疑念を市場に与えたのかもしれません。。

 このブログの7月28日付け記事で、国家指導者たちが中国経済の牽引車である沿岸地域を相次いで視察するとともに、中国政府が当面の中国の経済状況を分析し、経済政策の運営方針を検討する会議を相次いで開いたことをお伝えしました。

(参考3)このブログの2008年7月28日付け記事
「中国経済は既に『オリンピック後』に突入」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/07/post_da68.html

 この記事の中でも触れましたが、胡錦濤主席は、7月21日に開いた中国共産党以外の民主党派や無党派の知識人を招いて行った検討会で6つのポイントを指摘しました。6つのポイントのトップは「安定的で比較的スピードの速い経済発展を全力を持って維持すること」でした。これは、それまでの経済政策はバブルが膨らみ過ぎてからはじけるのを防ぐために軽くブレーキを踏んでいた状態だったのを、今後はブレーキから足を離してアクセルに踏み換えアクセルを軽く踏み込むことにした、という経済政策の転換を意味していた、とみなすことができると思います。

 今日、日本から送られてきた日本で発売されている経済雑誌のお盆前の特集号を見たのですが、オリンピック後の中国経済の後退を憂慮する記事がいくつか載っていました。今の中国の経済状況を考えると、王一鳴氏が言っているように「今後の中国経済の動向はオリンピックの終了が原因となるわけではない」のはその通りだと思います。ただ、タイミングとしては、オリンピック終了をひとつのきっかけとして動き、方向性としては、世界的な経済低迷、原油高、中国の輸出産業の不振により、中国経済にブレーキが掛かる方向に振れることは、おそらく間違いないと思います。

 今、多くの中国の人々はオリンピックに熱中していますので、オリンピックが終わるまでは、経済状況はそんなに大きくは変わらないと思いますが、来週の日曜日、オリンピックの聖火が消えた途端、多くの人々が「金メダルの夢」から醒めて、現実の経済状況に直面し、来週の月曜日(8月25日)から市場が動き始める可能性があります。その意味では今後の中国経済については「オリンピックの終了が原因ではない経済の変化がオリンピックの終了をきっかけとして始まる」と表現することが最も適切なのかもしれません。

 人民元レートは7月16日に1ドル=6.8128人民元まで上昇しましたが、その後、やや下落傾向にあり、今日(8月18日)現在1ドル=6.8665人民元となっています(正確なレートは中国銀行のホームページを御覧下さい)。これまでは「人民元は上昇する一方」だったのが、7月中旬以降、やや風向きが変わってきており、ここのところやや下降気味のトレンドが定着しているように見えます。当局が輸出産業にこれ以上打撃を与えないようにするために為替レートを「人民元安」の方向に誘導しようとしている可能性があります。もし「人民元が当面これ以上上がらない」という見方が定着した場合、これまで将来の人民元高を見て為替差益を当て込んで急速に中国国内に流入してきた「ホット・マネー」がどういう動きを見せるのでしょうか。輸出産業を救済しようとする政策が、ホット・マネーに支えられていた不動産バブルの崩壊を後押しすることになってしまう可能性もあります。

 経済システムは複雑ですから、「ブレーキからアクセスに踏み換える」と言っても、実はブレーキとアクセスは1対だけあるのではなく、いくつもあると考えるべきなのでしょう。そういった複数のアクセルとブレーキを間違うことなくコントロールして行くのは非常に難しい作業だと思います。

 中国は、あと1週間は「金メダルの夢」に酔いしれいていてよいと思いますが、オリンピック終了後はうまく切り替えて、中国の多くのオリンピック選手が試合で見せたような柔軟さとしたたかさをもって、「オリンピック終了を原因とはしないがオリンピック終了をきっかけとして動く中国経済」にしっかり対応して欲しいと思います。

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2008年8月14日 (木)

地下鉄運転時間延長と飛行機便遅延時の措置

 今日(8月14日)の北京は、午後から激しい雷雲が通過してかなりまとまった量の雨が降りました。あまり雨の激しいと北京市の道路の環状線の中には、立体交差のところで下をくぐる方の道路の排水が追い付かず、道路が冠水してしまうことがあるのですが、今日は大丈夫だったのでしょうか(仮に冠水していたとしても、こういう情報はラジオの交通情報専門局では報道するけれども、普通のテレビでは伝えないので、明日の朝、新聞を見るまで知らなかった、ということが結構あります)。ただ、雨が降ったので、2~3日は空気の汚染について心配する必要はなさそうです(マラソンは17日(日)なので、それまでに大気汚染が戻ってきてしまう可能性はありますが)。

 今日の新聞でちょっと興味深かったニュースは次の二つです。

(1)地下鉄の終電の時間を遅らせることを決定

(参考1)「新京報」2008年8月14日付け記事
「北京地下鉄、最終電車の運転時間を延長」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/08-14/008@025636.htm

 皆さんお気づきのように、北京オリンピックの試合の時間は、ヨーロッパやアメリカのテレビ局からの要請により、北京の日常生活の時間帯からすると、かなり変則的な時間帯に設定されています。午前中に試合があり、午後しばらくお休みがあって、北京時間の午後6時頃から順次試合をやって、球技などでは午後9時以降に開始するものがあります。一昨日のバレーボールの試合では、試合が終わったのは夜中の12時を過ぎていました。試合の終了時刻が遅いと、観客の帰りの足が心配です。そのため、北京市当局では、地下鉄の運転時間を延長し、路線によっては終電を通常より1時間以上遅くする措置を8月10日から始めたのだそうです。

 で、面白いのは、既に8月10日から実際は行われていた運転延長措置について新聞に載ったのが今日(8月14日)だ、ということです。8月10日以降、正式な発表はしなかったけれども、実行ベースで終電の遅延措置を講じていた、ということです。さらに競技が始まった8月9日からではなく8月10日から、というのも「面白い」ところです。たぶん8月9日の夜、試合が終わったのが遅くなって終電に間に合わなくなった人たちから苦情が出たので8月10日から終電を遅らせたのだと思います。

 この辺は、非常に中国的な特徴が出ていると思います。試合開始時間が遅いことは最初からわかっていたわけですから、本来ならば、オリンピック開始前に「オリンピック期間中は終電を遅くします」と決めて発表しておくべきだったのでしょう。苦情が出てから変える、というのは、良く言えば「柔軟性がある」、悪く言えば「計画性がなく泥縄式だ」ということになります。終電を遅らせることを決めても、そのことを新聞に発表しない、というのも、また中国らしいところです。規則上は終電は23:30なのだけれども、実際は地下鉄はそれより遅くまで走っていた、という状況が3日ほど続いていたわけです。「規則ではAにしなければならないのだけれども、現実にはBで行われている。だから現場に実際に行ってみないと、AなのかBなのかわからない。」ということは中国ではよくあることです。

(2)中国民航局による航空便遅延時の乗客支援に関する通知

(参考2)「新京報」2008年8月14日付け記事
「飛行機便が遅延した時には食事やホテルは無料で提供される」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/08-14/008@025638.htm

 通常、機体の故障など航空会社に責任がある理由で飛行機便が遅れたときは、乗客への便宜供与の責任は航空会社にありますが、天候等の航空会社の責任ではない理由で飛行機便が遅れたときは、航空会社は乗客の乗り換え便の手配や食事・宿泊先の手配等を行う義務はありません。ところが中国民航局は、13日、「オリンピック及びパラリンピック期間中は、飛行機の運航が遅れた時は、その理由に係わらず(遅延の理由が航空会社に責任がない天候上の理由であったとしても)、航空会社は乗客に対して、ほかの便への乗り換え、食事や宿泊先の提供等のサービスを無料で行わなければならない。」との通知を出した、とのことです。

 上記の「新京報」の記事によれば、中国民航局のこれまでの規定では「中国民用航空、手荷物国内運輸規則」の規定に基づき、天気等の不可抗力が原因の場合は、航空会社は乗客の食事や宿泊の手配を援助することとするが、その費用は乗客が自ら負担することとする、と規定されていたことから、今回の中国民航局の通知は、これまでの規定と明らかに異なるものなのだそうです。これは、オリンピック期間中、天候等による飛行機便の遅れにより、多くの乗客が空港に足止めになる事態を避けるためだ、とのことです。

 夏は雷雨などの影響で飛行機便が遅れることは結構あるのですが、そうしたとき、空港に大勢の人が足止めされて、空港で一夜を明かす、というような事態が生じた場合、テロ対策など乗客の安全確保の観点から好ましくないので、航空会社の責任で空港に多くの人が滞留するようなことがないようにせよ、という指示なのだと思います。これもまたオリンピックが始まってから出された指示で、いかにも「泥縄的」ですが、おそらくこれは最近発生している新疆ウィグル自治区でのテロと見られる事件などを受けて、テロなどの不測の事態を防止するために急きょ決められた決定なのだと思います。

 それにしても、中国民航局が自ら作った規定を変更するような通知を出し、それを曲がりなりにも「民間会社」である航空会社に守らせる、というような事態は通常の資本主義の国ではあり得ない話です。中国の航空会社は、株の多くはまだ国有だと思いますが、形式上は国とは独立した企業体であり、一部の株は公開されていますから、航空会社の収益は一般株主の利益にも直結します。そういった企業体の権利・義務に直接影響を及ぼす通知を、全人代(国会に相当)のような機関の決定を経ずに、中国民航局という政府機関の「鶴の一声」で決めてしまう、というところが、かなり「市場経済化」されたとは言え、中国の企業は政府の方針でどうにでもなることを示すようなできごとでした。

 上記の地下鉄の終電時刻を遅らせることや飛行機便が遅れたときの航空会社の責任を拡大させることなど、オリンピックが始まってから、やり方や規則を変える、というのは、オリンピックという今まで経験したことのないイベントに対して柔軟性を持って対応している、とプラスに見ることもできるでしょうし、予想していなかった事態に直面して右往左往して対応している、とマイナスに見ることもできるでしょう。日本の人の多くは、事前に予測すべきことは事前に予測して、きちんと対策を取って置かないとダメだ、と考えますが、中国の人の多くは、事態はどうなるか全てを事前に予測することは無理なのだから、実際やってみて、不都合があったらその都度やり方を変えればよいのだ、と柔軟な考え方をします。従って、中国の多くの人は、今回ようなオリンピックが始まってからの規則の変更は、別におかしな話だとは思っていないと思います。むしろ困った事態が生じたのに何も変更しないのだったら、その方がおかしい、と考えると思います。

 こういう融通無碍(ゆうづうむげ)で、その場その場で状況に応じて対応することに慣れている中国の人の方が、全てを事前にきちっと準備しておかないと気が済まない日本人よりも、事態対応能力は高いと思います。今回のオリンピックを見ていてつくづく思うのは、いつもとちょっと違う状況が突然出てきた時に、それでも平然としていつもと同じように試合ができる人の方がよい成績を残しているということです。ちょっと違う状況に遭遇して、それにどう対応しようか、とあわてている人は、力を発揮する前に敗れてしまっているように思います。

 規則が決まっているのに、現実の事態に応じて柔軟にその規則も変えて運用してしまう、ということが多い中国では、規則を踏まえてきちんと準備している日本人などは「えっどうして? そんなはずはないのに!」と頭を抱える場面が多いのですが、そういう場面でも平然と「よくあること」と受け流している中国人の方が結局は力を十分に発揮できるのだと思います。今回の地下鉄の終電変更と飛行機便遅れに対する対応では、そういった「いいかげんさ」と「柔軟性」が同居する中国の強さ(したたかさ)を見たような気がしました。

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2008年7月31日 (木)

開会式リハーサルと緊急追加規制の発表

 今日(2008年7月31日:オリンピック開幕まであと8日)の北京は、朝のうち霧で視界が悪かったのですが、お昼頃には薄日が差し、夕方から夜に掛けては雨が降る、という不安定な一日でした。気温が30度に届かず、気温的には過ごしやすい1日でした。今日(7月31日)の北京の大気汚染指数は69で、昨日予想したよりは若干よかったようです。朝は視界が悪かったのですが、「真っ白い視界の悪さ」だったので、これは汚染ではなく霧だったのでしょう(スモッグの場合は「真っ白」ではなく、やや茶色がかった感じがするので、何となくわかります)。

 昨夜、かなり強い雨が降り、今朝はやや気温が低かったので、たぶん昨晩寒冷前線が通過したのではないかと思います。「たぶん」と書いたのは、中国では、新聞やテレビの天気予報に高気圧や低気圧、前線などの天気図が登場しないので、「想像」するしかないのです。詳しくはよく知りませんが、気圧配置も気象情報のひとつなので、「国家機密」扱いになっており、基本的には公表しない、という方針なのだろうと私は思っています。

 昨日(7月30日)夜、オリンピック・スタジアム(通称「鳥の巣」)で、開会式のリハーサルがあったそうです。リハーサルをやる、という話を私は知りませんでした。今朝の新聞を見て始めて知りました。開会式のプログラムの秘密を保持するため、リハーサルをやるスケジュール等は公表していないようです。

 新聞では「彩排」とありましたので、いわゆる「ドレス・リハーサル(本番と同じ衣裳を付けて行う最終的なリハーサル)」だったようです。このリハーサルは開会式の入場券を持っている人やボランティアなど7万人が「観客」として参加しました。この参加人数で、「鳥の巣」の観客席は8割方埋まったのだそうです。大勢の人が参加するために、開会式の演目の内容が漏れる恐れがありましたが、撮影ができる機器は持ち込み禁止、見た内容は知人に対しても口外禁止、漏らした者は法律に基づき措置される、という「おふれ」が出ていたのだそうです。新聞記事によると、秘密を口外しない、といった契約のようなものは交わしていなかったのだそうで、いったい何の法律に基づいて「措置」されるのかは、よくわかりませんでした。開会式のプログラムの内容は、商業秘密でもないし、漏洩を処罰する法律などはないと思います。まさか「国家秘密保護法」を適用するわけにはいかないと思うのですが。

 このリハーサルについては、一部の外国メディアがリハーサルの内容を撮影して報道して、オリンピック委員会や中国国内の多くの人から非難を浴びているとのことです。興味本位の報道合戦もいいですが、興醒めなことはやらないで欲しいと思います。

 このリハーサルで、演目に関する秘密漏洩の恐れがあったにもかかわらず、大勢の観客を入れたのは、やはり観客の誘導等について「ぶっつけ本番」でやるわけにはいかない、と考えたからでしょう。私は、イベントが終わった後にお客を帰す足の確保が一番問題ではないかと心配していました。その点は、担当当局もわかっていたようで、昨日のリハーサルではバスをフル回転させて、約40分間で7万人以上の観客をスムーズに帰宅させることができた、とのことでした。

(参考1)「新京報」2008年7月31日付け記事
「オリンピック開会式ドレス・リハーサル、7万人が『人より先に見られて嬉しい』」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/07-31/018@073238.htm

 こういったリハーサルは結構入念に行っているようですので、観客の移動などでは問題は起きなさそうです。後はダフ屋とか「黒車」(無許可タクシー)とか「不法のやから」がどれだけ暗躍するかだと思います。オリンピック・スタジアム周辺は、相当に警備が厳重なので、こいった「不法のやから」も出現する余地はないのかもしれません。

 それより今日(7月31日)の新聞を見てびっくりしたのは、今後48時間以内に大気汚染の悪化が予想される場合には、これまで北京市内で実施している偶数・奇数のナンバープレート制限に加えて、緊急追加規制措置を講ずることとする、との発表があったことです。「緊急追加規制措置」の内容は以下のとおりです。

・北京市内では、偶数・奇数制限に加えて、ナンバープレートの下1桁の数字がその日の下1桁の数字と同じ車は通行を禁止する。

・天津市(北京市の南東側に隣接している)でも偶数奇数番号制限を実施する。天津市内の56の石炭火力発電所、石炭火力熱供給ステーション、建築材料、化学、機械電気のうち揮発性有機物や微粒子などの汚染物を放出する生産工程をストップさせる。

・河北省(北京の隣の省)では4つの都市(石家庄、保定、廊坊、唐山)において7時から22時まで奇数偶数交通規制を実施する。その上、これら4都市の61の揮発性有機物や微粒子、悪臭などを放出する企業を一時的に操業停止にする。また、張家口、承徳、石家庄、唐山等の小規模鉄鋼工場において大幅な減産を行う。大型鉄鋼工場においては、状況を見て減産を行う。

(参考2)「新京報」2008年7月31日付け記事
「今後2日間大気汚染指数が基準を超えそうになったら、自動車の運行をさらに10%制限」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/07-31/018@072119.htm

 北京市以外で車の偶数奇数規制を行う、という話は私は始めて聞いた話です。天津市や河北省の人たちはこういうことがあり得る、ということは知っていたのでしょうか。おそらく北京市における車の規制による大気汚染の改善が思っていたほどに効果が上がらないので、「奥の手」を出してきたのでしょう。天津市や河北省の人にとっては「寝耳に水」の話だと思います。オリンピック開始の一週間前になって、こういう措置をやる、と急に発表する、というのは、いくら中国だとは言っても、ちょっと乱暴な気がします。一昨日の記者会見では、北京市環境保護局の担当副局長は「汚染物質は確実に減少しており、追加的措置は必要ない。」と言っていたばっかりでした。この緊急措置の発表は、たぶん、北京市の責任範囲を超えた国レベルの「上の方」からの指示なのでしょう。

 汚染を出す工場を一時的に停止する、とひとことで言っていますが、これは社会的影響はかなり大きいと思います。発電所や鉄鋼工場は、経済を支える部門ですから、経済活動全般に影響を与える可能性もあります。かなり市場経済化が進んで来たとは言え、中国ではまだまだ国有企業が多いので、こういった「中央政府の指示で工場を停止する」ことが、法律の根拠がなくてもできてしまうのだな、と改めて感じました。こういうふうに、市場原理とは全く別の世界で、政府の命令でコストを背負い込まされることがあり得ることが、国有企業になかなかコスト意識が育たない原因なのだと思います。

 これらの措置を講じて、北京の大気汚染がどれだけ改善するのかはわかりません。オリンピックのためにあまり無理なことを強制すると反発が出るのではないかと心配になります。北京の交通規制だけで、既に相当に無理をしているのですから、これ以上の無理はせずに、ある程度の大気汚染があったらあったなりで、オリンピックを運営した方がよいのではないかと思います。「無理」を重ねるごとに中国の人々自身が「オリンピックを楽しむ」という気分からは遠のいていってしまうように思えるからです。

 北京に来る外国人の数が以前に予想したほどには多くないようですので、少なくとも中国の人たちにとっては楽しめるオリンピックであって欲しいと思います。

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2008年7月17日 (木)

北京オリンピック観戦客の「足」の問題

 今日(7月17日)現在、北京の地下鉄10号線とオリンピック公園支線、空港と市内を結ぶアクセス鉄道(北京首都空港鉄道)は、まだ開通していません。開通日は「今週末」とだけ発表されており、19日(土)なのか20日(日)なのかわかりません。これらの路線については、最初は「6月末開通」という「ウワサ」があり、そのうち「7月上旬に開通」との発表があり、それが「7月中旬に開通」になり、今は「今週末に開通」ということになっているのです。なぜ開通が遅れているのかに関する情報は全くありません。

 北京にある既存の地下鉄でも、車両を新しいものに変えたり、切符売り場に自動販売機を導入したり、とオリンピックへ備えての準備が進められているのですが、先日、切符の自動販売機が登場した時は、お客が使い方がわからない、とか、機械が故障した、とかいうことが重なって、自動販売機にお客が殺到して混乱するトラブルがありました。地下鉄2号線の「北京駅」では、お客が数少ない自動販売機に殺到して危険なため、入り口を閉鎖する措置を講じました。地下鉄2号線の「北京駅」は、その名のとおり長距離鉄道の北京駅との乗り換え駅ですので、地方から出てきた大きな荷物を持った人が地下鉄に乗り換えることができず、地下鉄の隣の駅まで歩いたり、長蛇の列の後ろについてタクシーを待ったり、という事態になりました。

 北京の地下鉄は、東京でいう「スイカ」や「パスモ」、大阪の「イコカ」と同じICカードで乗れます。ICカードを持っていればスイスイ改札を通れるのですが、切符の自動販売機ではこのICカードにチャージすることができません。チャージは窓口でやる必要があるのですが、窓口が駅に一つしかないので、チャージする人は長蛇の列、というケースが多々あります。これだけ市場経済が進んでいる中国ですが、地下鉄は「公営」なので、自動販売機の設置を担当している人は「切符が買えればいいんでしょ」とばかりにICカードのチャージについては何も考えていない、など、「地下鉄」では、古い計画経済の体質がちょこちょこ顔を出します。それでちょっと心配なのが、北京オリンピック観戦客の「足」の問題なのです。

 北京市内の移動の手段は、地下鉄のほか、バス、タクシーがあります。バスは慣れていると安くて便利ですが、交通渋滞に巻き込まれると、「いつ来るかわからない状態」になり、停留所に人があふれます。北京はタクシーの台数は多く、普段は、気軽に拾えますが、夕方のラッシュ時や雨が降り始めの時は、みんなが一斉にタクシーを拾うので、途端に拾いにくくなります。その意味では、地下鉄は渋滞もないし快適なのですが、オリンピックを控えて7月1日から地下鉄に乗る時にも保安検査(ボディチェックなど)を行うようになったので、試合終了時などに大量のお客が一時的に集中する際には相当の混雑が予想されます。

 7月20日からは、自家用車などはナンバープレートの偶数・奇数で交通制限が掛かるので、多くのマーカー通勤族が地下鉄やバスを利用するようになると予想されます。従って、本来は、地下鉄10号線は、7月20日以前の「通常の状態」の段階で開業して、お客の流れなどに一応慣熟してから、マイカー規制によりお客が殺到する7月21日(月)からの週を迎えたかったはずです。しかし、結局、それができずに、新しい路線の開通とマイカー規制による地下鉄へのお客の殺到が同時に起こる事態になってしまいました。7月21日の週、朝夕の通勤ラッシュ時に地下鉄10号線がどういう状態になるのかちょっと心配です。

 日々の通勤の足も心配ですが、オリンピック観戦客の各試合会場への行き帰りの「足」の確保も心配です。北京は、まだ、東京のように「地下鉄が網の目のように張り巡らされている」というほど地下鉄が整備されていないので、多くのオリンピック会場は、地下鉄では行けない場所にあります。オリンピックの各試合会場へは、行きバスやタクシーを使えばたどり着けると思います(ただし、バスは路線が複雑だし、タクシーも英語はほとんど通じないので、初めて中国に来た人がバスやタクシーで目的地に行くのは、それなりに大変です)。

 最も心配なのが、帰りの足を確保することです。特にサッカーなど試合が終わると何万人もの人が一斉に帰る種目の場合は、バスはすぐに満員になるだろうし、タクシーがすぐつかまるとはとても思えません。テロ防止のため、試合会場周辺はほとんどが駐車禁止になると思うので、マイカーで相乗りで試合会場に行く、というのはたぶんムリです。特に心配なのは、オリンピック・スタジアム(通称「鳥巣」)に通じる地下鉄が(これから開通する)オリンピック公園支線1本しかないことです。近くの複数の地下鉄の駅との間でシャトル・バスを運行するという話もありますが、オリンピック・スタジアムは9万人以上入れるそうですので、満員のお客が一斉に帰途についたら、地下鉄1本でさばけるのだろうか、と不安になります。

 ちなみに東京近郊の場合、東京ドームだと、JR総武線のほか、東京メトロの地下鉄丸ノ内線と南北線、都営地下鉄三田線の合計4本の鉄道の駅があるから、試合後の人の波をさばけているのです。西武ドームは西武鉄道の西武球場線と山口線の2本しかありませんが、試合終了の頃になると、西武球場駅では列車を5~6本待機させる特別ダイヤを仕立ててお客を輸送しています。北京のオリンピック・スタジアムでこういった東京のスタジアムと同じような観客輸送ができるのだろうか、という点は、全くの未知数です。

 日本の旅行会社の「北京オリンピック観戦ツアーパック」のネット上にある広告を見ていたら、日本と北京との航空券とホテルは確保するが「試合会場とホテルとの間は公共交通機関を使って各自で行き来してください」というのがありました。普通は、パック旅行の場合、北京市内の観光は、バスを仕立てて移動するのが普通なのですが、ナンバープレートの偶数・奇数規制などの各種交通規制があるために旅行会社も確実にバスを手配することができないのでしょう。北京市内の幹線道路では、オリンピック期間中は「オリンピック車両専用レーン」が設定されていますので、主要道路では一般車両が通れるレーンは普段より1つ少なくなります。ナンバープレート規制と政府機関の公用車に対する規制により、自家用車や政府機関の車は普段の4割程度に減らすそうだし、オリンピック期間中は休暇を取る人も多いと思うので、道路のレーン数がいつもより1つ減っても、普段の北京のような交通渋滞は起きないと思いますが、試合会場近くでは、かなりの渋滞になることが予想されます。

 日本の旅行会社の「パック」の中には、サッカーの観戦ツアーで「行きは皆様を会場へお連れします。」「試合終了後は、各自でホテルにお戻りください」というのがありました。試合会場周辺は駐車禁止措置が採られるので、迎えのバスを待機させておくことができないから「各自でホテルにお戻りください」ということになるのでしょう。こういったパックに参加される方は、相当の覚悟が必要です。こういう状況だと違法タクシー(日本語だと「白タク」、中国語だと「黒車」)が出没する可能性がありますが、これは違法ですし、悪質なのにつかまるといくら取られるかわかりませんので、違法タクシーに乗るのはやめましょう。

 私は、今度の北京オリンピックでは、選手や競技関係者の移動などはきちんとやると思うので、競技自体は何の問題もなくスムーズに行われると思います。新聞記者に対する情報提供などもきちんとやると思います(プレス(報道関係者)に対するサービスが悪いと、何を書かれるかわからないので、北京オリンピック委員会もプレスに対するサービスはきちんとやると思います)。

 問題は、一般観客がオリンピック観戦に満足して帰るか、です。心配なのは、上に書いたように試合会場までの行き帰りの「足」の確保がきちんとできているのか、ということと、もうひとつは「チケット問題」です。日本ではオリンピックのチケットがなかなか手に入らないそうですが、それは中国国内でかなり大量のチケットが留保されていることを意味しており、かなりの数の「ダフ屋」が出ることが予想されます。「ダフ屋行為」は違法ですし、ニセモノのチケットをつかまされる可能性もありますから、「ダフ屋」からチケットを買うことは避けるべきです。一般観客の「足」の問題と「ダフ屋」の問題で、小さなトラブルが頻発するのではないか、というのが今の時点での私の心配です。また、試合会場入り口での保安検査が厳重で観客が列を作ってしまったさばききれず「試合開始に間に合わなかった」といった観客の不満が出る場面も出そうです。

 「足」や「チケット」や「警備の問題」などで一般観客が不満に思ったり、一部で観客が若干のトラブルを起こしたとしても、競技自体が無事終われば「オリンピックは成功」ということになるのでしょう。そもそも中国で暮らすためには、オリンピックがあってもなくても、「だまされないように細心の注意を払う」「情報がない中でいかに自分で判断するか」「予定が急に変更になった時にあわてずに対処できるか」といった「サバイバル精神力」が必要です。北京オリンピックを現地で実際に観戦される皆様には「サバイバル精神力」「我慢する精神力」「『何の情報ない』といった状態に耐え抜く胆力」「予定と違った事態が発生した時に柔軟に対処できるしたたかさ」をお持ちになり、「オリンピック観戦」という「戦い」を勝ち抜かれることを希望したいと思います。

 なお、私自身は、オリンピック期間中はずっと北京にいる予定ですが、残念ながらその種の「強靱な精神力」や「胆力」「したたかさ」については、まだまだ修行が足りていないので、競技場で見ることはやめて、テレビで観戦することにしています。

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2008年7月16日 (水)

ロシアに比べて中国の改革は成功したのか

 昨日(7月15日)、中国人女流作家・楊逸氏が書いた「時が滲(にじ)む朝」が第139回芥川賞を受賞しました。日本語を母国語としない作家が芥川賞を受賞したのは初めて、とのことで、これはすばらしいことだと思います。

 こういった外国にいる中国人の活躍は、中国本国にとっても誇らしい話だと思うのですが、この楊逸氏の芥川賞受賞については、中国での報道のされ方は非常に小さいものになっています。今のところ、新華社や人民日報では報じられていません。私はこの小説自体はまだ読んでいないので内容は知らないのですが、日本での報道を見ると、この「時が滲(にじ)む朝」の内容は、1980年代後半、立身出世を夢みる青年が、大学に入った後、民主化運動に参加するものの「1989年の事件」の後、小さな事件を起こして放校になり、苦い思いをしつつ日本に移住して生きていく、というようなストーリーのようなです。「1989年の事件」が出てくるためか、中国のメディアはこのニュースの取り扱い方を相当迷っているようです。

 「中国新聞網」では、この楊逸氏の芥川賞受賞のニュースは報じていますが、その作品について紹介する文章の中で「民主化運動に参加するものの1989年の事件の後、小さな事件を起こして方向になり・・・」といった紹介はされずに「人生の苦悩をきめ細やかに描写した喜びと悲しみの入り交じった青春小説」と紹介されています。

(参考1)「中国新聞網」2008年7月16日9:20アップ記事
「日本在住の中国人女性作家、日本の第139回芥川賞を受賞」
http://www.chinanews.com.cn/cul/news/2008/07-16/1313891.shtml

 この小説は、本当に「青年の苦悩」を描いたもので「1989年の事件」は単なる時代背景に過ぎず、この小説ではこの事件に対する政治的な意向の表明はなされていないようですが、現在の中国当局は、「とにかく『1989の事件』には触れたくない」のだと思います。この作品は、日本で最高の権威ある新人賞である芥川賞を獲ったということで、たぶん中国国内でもネット上などでは話題になると思います。楊逸氏ご自身で中国語に翻訳すれば、中国国内でも売れると思いますが、それを中国当局が許可するかどうかは、今の時点ではよくわかりません。

 このように表向き「1989年の事件」は、中国では「触れてはいけないこと」なのですが、知識人の中では1978年から始まった改革開放政策の中で「1989年の事態」とその後の中国の歩みをどう評価すべきか、といった議論は、まじめに議論が行われています。それを端的に表したのが、7月10日号の週刊紙「南方週末」(日本語表記は「南方週末」)の経済欄に掲載された二人の学者に対するインタビュー記事「ロシアの改革に比べて中国はより成功したと言えるのか」です。

(参考2)「南方周末」2008年7月10日号記事
「改革開放30年放談シリーズ第1回:ロシアの改革に比べて中国はより成功したと言えるのか」
http://www.infzm.com/content/14407

 この対談は「南方週末」の編集部が中国経済改革研究基金国民経済研究所副所長の王小魯氏と北京大学中国経済研究センター副主任の姚洋氏に対して行ったインタビューをまとめたものです。

 1980年代半ばからソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ペレストロイカ(政治改革)とグラスノスチ(情報公開)を進めて、改革を進めることによってソ連共産党とソビエト連邦を維持しようとしましたが、1989年には膝元の東ヨーロッパ諸国で次々に民主化革命が起き、ついには1991年、ウクライナ、ベラルーシなどが独立して、ソビエト連邦自体が崩壊してしまうとともに、ソ連共産党自身が解散したのでした。ゴルバチョフ氏も政治の世界ではエリツィン氏に破れ、ソ連の大部分の地域を占めたロシア共和国の初代大統領にはエリツィン氏が就任したのでした。その後、ロシアは、経済的には資本主義化を進め、政治的には選挙を通じた民主政治が確立されました。ただ、1990年代のエリツィン時代は、経済的・社会的混乱が相当に大きく、経済は危機的な状況にあり、多くの国民は苦しい生活を強いられた、と言われています。

 ゴルバチョフ書記長が「ペレストロイカ」「グラスノスチ」の改革を進めたのは、明らかにトウ小平氏が1978年から進めた中国の改革開放政策の成果を見て、ゴルバチョフがそれをソ連でも適用したいと考えたからだ、と私は思っています。実際、私が前回北京に駐在していた1988年頃は、経済的には中国の方が発展が速く、ソ連の人が中国に来ると、中国製の冷蔵庫やテレビを買って帰っていく、と言われていました。

 ところが1989年以降、中国はソ連・ロシアとは全く別の道を歩み始めます。中国国内でもソ連におけるゴルバチョフ改革を見ながら、民主化への動きが見られましたが、「1989年の事件」で、政治改革は完全にストップしました。以後、1992年まで中国では政治路線の紆余曲折がありましたが、結局1992年のトウ小平氏の「南巡講話」により、経済的には改革開放を今後とも進める路線が固まりました。この中国の路線は、経済的には改革開放を進める一方、政治的な民主化は進めないものでした。トウ小平氏は、文化大革命の政治的混乱の中で経済政策が停滞して人民が苦しんだことを自らイヤというほど経験していましたし、1989年~1991年に掛けて政治的変革を遂げたソ連において、ソビエト連邦自体が崩壊し、政治的にも経済的にも混乱が続いているのを目の前で見ていたので、トウ小平氏は「貧しい中国では、今、政治的論争をやっている時ではない。中国を分裂の混乱に陥れたら苦しむのは人民だ。とにかく経済的な成長をして、人民の生活を向上させることが先決だ。」と考えたのです。

 この結果、現在に至るまで、中国は驚異的な経済成長を遂げました。トウ小平氏の「先に豊かになれる地域や人は先に豊かになってよい」という「先富論」に引っ張られて、富裕層と社会の最低層の格差は広がりましたが、社会全体として急激に経済成長しましたので、社会の最低層でも一定の経済成長の恩恵を受けることができました。しかし、政治改革は1989年以降は完全に先送りされたため、政治的状況は1980年代と現在では全く変わっていません(1990年頃、末端レベルの村民委員会の選挙は始まりましたが、それもその後は全く進展していません)。そのため、中国では、社会の中の格差の問題や地方政府幹部の腐敗、環境汚染の問題などの様々な問題をいかにして政治に反映させるか、という政治的フィードバック・システムができておらず、一部の地方では人民の不満がうっ積しているところがあり、毎年群衆による暴動事件が頻発しています。

 こういったロシアと中国の状況について、西側には以下のような見方があります。

「ロシアは先に政治改革をやったので、今までは経済的には苦しかったが、一応、選挙による政治家の選出という政治的なフィードバック・システムはできたので、これからは経済的にはロシアは徐々に力を付けていくだろう。つまりロシアは政治改革という『苦しいこと』を先に済ませてしまったので、これからはむしろ中国より楽に経済の成長を図ることができる。」

「中国は経済成長優先で政治改革は全くやってこなかった。政治改革という『苦しいこと』を先送りしてしまったが、国内の格差がこれだけ広がった以上、なおさら政治改革は避けて通れない仕事になったが、これから政治改革という『苦しい仕事』をやりながら経済運営を行わねばならない中国は、ロシアよりも苦しい道を歩むことになる。」

「今の時点では、『苦しい政治改革』を経験したロシアの方が経済的には遅れている面もあるが、今後は中国がこの『苦しい政治改革』をやらねばならない。中国のように経済活動が活発になった後に行う『政治改革』の方が、既得権益グループによる抵抗が強く、大きな『改革の痛み』が伴う可能性がある。従って、長期的視野に立てば、中国の選択よりロシアの選択の方が結果的によかったと見るべきである。」

 「南方周末」に掲載されたインタビュー記事は、こういった西側の問題意識に対して真正面から議論するものです(今「西側の問題意識」と書きましたが、「南方周末」が「改革開放30年放談シリーズ」の第1回としてこの問題を取り上げた、ということは、この問題意識が中国国内にもあることを示しています)。

 このインタビュー記事のポイントは以下のとおりです。

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南方週末編集部:西側には、ロシアは先に「コスト」を支払ってしまったが、中国はこれから「コスト」を支払わなければならない、という見方がある。これについてどう考えるか。

王小魯氏:この問題は、ロシアがこれから得られるであろう「過去に払ったコストに見合う収益」と、中国がこれから支払うであろう「コスト」をトータルに見てどうかんがえるか、という問題に行き着く。ロシアは「ショック療法」により、急激な改革を行ったわけだが、結局は、少数の寡占者が利益を独占する社会を作っただけである。形式的に一般市民の投票による選挙制度はできたが、社会利益の公平化が図られたとは言えない。長期間のトータルで見れば、ロシアの改革の方が中国のやり方よりよかった、という見方は、これからロシアがうまくやり、中国が今後うまく改革を進められない、という仮定に基づいたものであるが、そういった仮定は公平な仮定ではない。

姚洋氏:中国は一般庶民の犠牲を強いることなく一定の経済的基盤を作ることができた。ロシアは1世代の間、一般庶民に非常に苦しい生活を強いていた。ロシアの平均寿命は56歳であり、中国の72歳に比べてずっと低いことを見てもそれはわかる。従って、ロシアが成功し、中国は成功しなかった、という見方は誤りである。

南方週末編集部:多くの西側の学者は、ロシアの現状を見て、結局はロシアの改革のやり方の方が中国の改革のやり方より優れたやり方だった、と見ていることについてどう考えるか。

王小魯氏:西側の人は「市場経済化」と「政治の民主化」という二つの座標軸で判断している。これらは一つの理論的な目標である。確かに現在のロシアにおいては既に両方が実現している。一方、中国では市場経済化は進みつつあるが未だ不徹底であり、政府による干渉も多い。また、政治体制においては、中国ではひとつの完成した体系は未だできあがっていない。その意味ではロシアの改革の方が中国の改革よりよかった、ということになる。しかし、「市場経済化」と「政治の民主化」の最終目標は何なのか? 結局は、一般大衆の生活が改善され、社会全体が発展することではないのか? 形式的に一般大衆による選挙で大統領が選ばれる制度ができていたのだとしても、大統領が社会の監督を受けて問題を解決したり、一般大衆の利益を代表したりしているのでなければ、真に政治体制の改革が行われたことにはならない。

姚洋氏:西側的見方をする人の多くは「中国には憲政がない」とか「中国には自由な選挙がない」とか概念的な面だけ見て「中国はよくない」と批判している。しかし、現在の中国の政府は「中性政府」とも言えるもので、大多数の人々の利益に一致する政策を選択できるし、一方で特定の利益集団の利益に引っ張られないようにすることもできる政府である。

王小魯氏:西側の人が言う一般大衆により選出される選挙によってできた政府は一般大衆の利益に反することがない、というのはそのとおりだが、一般に、一般大衆は「政府は小さければ小さいほどよい」と考える傾向がある。しかし、政府には一定の役割があり、政府を小さくし過ぎると結局は一般大衆の利益に反することになる。市場経済のあり方にもいろいろなあり方があるのと同様に、政治の面においても様々なやり方がある。私も政治改革はしなければならないと考えているが、最終目標は一般大衆の利益を図ることであり、今後改革を行うに当たっては、その改革が一般大衆の利益に合致するのかを常に認識しなければならない。
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 このインタビュー記事の中では、王小魯氏も姚洋氏も、現在の中国共産党と中国政府のやり方を肯定し、ロシアの「民主化」は一定の利益グループを形成しただけで、一般大衆の利益になっていない、と指摘して、一般大衆による直接選挙が全てを解決するわけではない、として、現体制を擁護する立場を取っています。その意味では、それほど真新しい内容を含んでいるわけではないのですが、1989年~1991年におけるソ連からロシアへの変革(当然その中にはソ連共産党の解体も含まれている)を横目で見ながらの議論をまじめにしている、という点で、私は注目すべきものがあると考えています。

 週刊紙「南方周末」は、その名の通り週末に発行される週刊の新聞ですが、かなり突っ込んだ記事や評論を掲載することで有名です。NHKスペシャル「激流中国」の「ある雑誌編集部~60日の攻防」(2007年4月2日(月)午後10時~10時49分:総合テレビで放送)で紹介された「南風窓」は、この「南方周末」系の雑誌です。「南方周末」は、広東省広州市で発売されている新聞ですが、なぜか北京の新聞スタンドでも買うことができます。1部2元(約30円)と中国の新聞にしてはやや高めですが、内容がなかなか鋭く、「お金を出しても読みたい」と思える新聞なので、運賃を掛けて北京に運んできても、結構ペイするくらい売れるのだと思います。上記のインタビュー記事にあるように、そもそも登場するのが北京の知識人が多いのも、北京で売れる理由の一つだと思います。

 これは中国の新聞の特徴で、広州で発行される新聞は北京市当局のチェックを受けない(広州市の監督下にある)ので、比較的自由にものが書きやすいのです。「自由に」とは言っても、上記の記事にあるように、現在の政府の政策に反対するようなことは書けないのですが、「視点」が現在の政府にとっては「痛いところ」「触れて欲しくないところ」も突くのが魅力です(だからこそ北京でも売れるのでしょう)。

 冒頭に書いたように、中国では、まだまだ「1989年の事件」については「触れてはいけない」のですが、確かな政策運営を進めるには、タブーを置かずに自由に議論し、その中から最も適切な政策を選択することが重要だと思います。従って、広州で売られている「南方周末」が北京で買える、といった方法(タテマエは守った上で、そのタテマエの中で実質的な議論を進めていく)でよいので、中国の人々の間で、国全体の将来を考えて、中国の多くの人々の知恵を結集して、これから起こるであろう、いろいろな難局に当たってもらいたいと思います。

(2008年7月17日追記)

 2008年7月17日付けの「新京報」の文化欄では、楊逸氏が芥川賞を獲ったことが報じられています。

(参考3)「新京報」2008年7月17日付け記事
「中国人女流作家の楊逸氏、芥川賞を獲得」
http://www.thebeijingnews.com/culture/2008/07-17/011@092204.htm

 この「新京報」の記事では、受賞作「時が滲(にじ)む朝」について、次のように紹介しています。

「この小説は20年前の中国の社会的変動を背景としている。この小説では一人の中国人青年の足跡を追い、その風波の前後に遭遇した運命と失意について描写している。ストーリーの最後では、この男性主人公は、日本に移住したけれども『心の中では最初に持っていた理想を以前として持っていた』ことが述べられている。」

 この記事では「20年前の中国の社会的変動」とか「風波」とか表現していますけど、一定の年齢以上の人ならば、これを読めば何を指しているかはわかると思います。このあたりの表現が「1989年の事件」に関して、現在の中国の新聞で書ける限界なのだろうと思います。

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2008年7月10日 (木)

困難に直面する「メイド・イン・チャイナ」

 今日(2008年7月10日)付けの「人民日報」に掲載された評論「人民時報」では、最近の中国の沿岸部での輸出産業の不振に触れ、この不振を打開するには、自主的なイノベーションを進めなければならない、と力説しています。

(参考)「人民日報」2008年7月10日付け10面記事
「『メイド・イン・チャイナ』はいかにして難局を脱出するのか」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-07/10/content_56366.htm

 この記事のポイントは以下のとおりです。

○広東省統計局が6月30日に発表した数字によると、今年(2008年)1月~5月の5か月間で、広東省の一定規模以上の工業分野の企業で赤字になったのが11,006社で、増加率は12.7%であり、この数は広東省全体の工業分野の企業の26.0%に当たる。赤字額ベースで言うと、増加率は49.3%に上る。

○広東省と同じように市場経済が発達している浙江省台州市では、5,371社ある一定規模以上の企業のうち赤字なのは1,111社で、赤字額総計は対前年比55.7%増である。

○こういった企業の業績不振は、国際経済の変化によるものだ。人民元為替レートの上昇、原油をはじめとする原材料価格の上昇と世界的な経済成長の減速が「メイド・イン・チャイナ」が生き残る「空間」を狭くしている。

○浙江省の紡績アパレル業界は、輸出依存度が60%であり、これらの要因の影響を大きく受けている。

○これまでの中国の輸出産業は、安い労働力と安い資源価格、増値税の還付措置などで守られてきたが、今は難しい局面に直面している。

○市場経済が進展した現状にあっては、政府が先祖返りするような財政的な補助金政策を行うことはあり得ない。政府は自主的なイノベーションを進めるための環境を整備する政策を採らなければならない。

○金融政策もまた重要である。政府は、金融制度を刷新して、金融企業が主体的に産業に金融サービスを提供するようにできるであろうか?

○「メイド・イン・チャイナ」の更なる「創新」は、社会的価値観を作り上げることと無関係ではない。不動産投機で儲けた人たちが莫大な利益を上げてそれを産業資本化できるようになった時、その財力で技術の研究開発が行われただろうか? 何千万人もの「サラリーマン」が株式市場で一攫千金を夢見てばかりいたのでは、コツコツと勤勉に働くことによって富を得るという職業精神をどうやって向上させようというのか? 創新(イノベーション)の成果を尊重することによってはじめて、自主的な創新を推し進めようとする力を永続させることができるのである。

○「メイド・イン・チャイナ」の苦境は中国の経済・社会の縮図である。長期的な高度経済成長の後には、経済と社会の深層に様々な矛盾が生じることを避けることはできない。「メイド・イン・チャイナ」が遭遇しているプレッシャーを、これからの成長のための動力源にし、困難に立ち向かっていくこと以外に新しい道へ脱出する方法はないのである。

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 日本の多くの人は「メイド・イン・チャイナ」が直面している問題の原因は、そんなことじゃないでしょ(食品安全やニセモノの問題でしょ)と感じている人が多いと思います。しかし、安全性が問題となっている食品やニセモノは、「メイド・イン・チャイナ」として輸出されている製品の一部に過ぎず、全体的な問題は、上記の人民日報が指摘している問題だ、と私も思います。

 ここでは、人民日報が、最近の国際経済情勢の下で、中国の輸出産業が苦況に立ちつつあることを率直に認め、それに対応するためには技術革新を行う以外にない、と指摘していることに注目したいと思います。この人民日報の記事では、株や不動産で儲けることにばかり熱中して、技術革新に投資しようとしない現在の多く資産家の傾向に対しても批判をしています。ただ、そういう傾向を招来したのは、党と中国政府による経済政策であったはずなので、それに対する自己批判がないところが、中国共産党の機関誌たる人民日報としては物足りない、と私は思います。

 具体的に、どうやったら、お金を持った人が株や不動産で儲けることに走らずに、「創新」にお金を使うようにできるのか、といった具体的な方策にも触れられていないのも、この記事の「物足りなさ」です。ただ、言うのは簡単ですが、中国の企業が自主的に自分で技術革新をするような気持ちにさせることはなかなか難しいと言わざるを得ません。今のマーケットでは技術革新のスピードが要求されますから、基盤技術を持たない中国の企業にとっては、長い時間が掛かる自主的な技術開発に投資するより、外国から安い技術をお金で買ってきた方がビジネスとしては有利だからです。結局は、「じっくりと研究して新しいものを見付けられる人」「コツコツと勤勉に働く人」が長期的に見れば利益をしっかりと得ることができるのだ、という経済社会にするための基盤をじっくり固めていくことが、時間は掛かるけれども、最終的な解決策なのだと思います。

 今年のお正月にも書きましたが、後から振り返った時、やはり2008年は、中国にとって、「北京オリンピックがある年」以上の大きな節目の年になるのだろうという思いを年の半ばにして改めて強くしました。

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2008年6月29日 (日)

中国国内航空便でスケジュールの乱れが頻発

 6月になって、中国国内航空便の遅れや欠航が目立っています。飛行機便ですから、天候の影響や機体の整備の関係で遅れや欠航が出ることは仕方がないのですが、最近の中国国内便の遅れや欠航は、かなりなものだと思います。この6月、仕事関係の2つの中国国内出張で、行きと帰りの往復両方で、出発・到着時刻の大幅な遅延や欠航などが出て、若干辟易(へきえき)しています。昔に比べれば、中国でも、きちんとした誘導装置を導入した空港が多くり、少々の雨や霧でも電子誘導装置で着陸できるので、中国の国内航空便の運航状況は、日本の国内便とそれほど変わらない、というイメージを持っていたのですが、ここに来て、スケジュールの乱れが気になるようになっています。

 出発遅れの場合、空港や機内のアナウンスではその理由についてあまり情報が流されません。情報提供があったとしても「到着地の天候の影響により・・・」といったものが多いのですが、到着地の人に電話を掛けてみると、「別に天候は悪くないですよ」といった返事が返ってくることがしょっちゅうです。航空会社側の都合で一定時間以上到着が遅れた場合は、一定金額を払い戻ししなければならない、といった規定があるので、それを避けるために、本当の理由を言っていないのだ、という人もいますが、真相はわかりません。

 6月23日の記事にも書きましたが、最近、中国国内線で、路線や時間帯によっては、極端に安い安売りチケットが出回るようになってきています。これと運航スケジュールの乱れとは、何か関係があるのかもしれません。

(参考)このブログの2008年6月23日付け記事
「中国国内航空:便によっては激安?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/06/post_2490.html

 最近の中国国内線のスケジュールの乱れの原因としては、私は、以下のような可能性があるのではないか、と推測しています。

(1) 四川大地震の救援・復旧のため、政府が人員や物資の輸送のために国内航空会社にチャーター便の運航を数多く要請しているため、機体や運航要員のやりくりが難しくなり、欠航が出たり、スケジュール変更が多くなったりしているため。

(2) 中国南方を襲った大雨、台風の上陸、華北地方における雷雨の多発など、例年になく天候が不順なため、運航スケジュールが連鎖反応的に乱れ、一部、機体のやりくりが付かない、などの理由で欠航が出たりしているため(この6月、北京で例年になく異様に雷雨が多い(ほとんど毎日のように雷雨が発生している)のは事実です)。

(3) オリンピックを控えて乗客や手荷物、託送荷物に対するセキュリティ・チェックが厳しくなり、疑わしい人や疑わしい荷物について確認検査を念入りに行っているので、出発遅れが相次ぎ、それが連鎖反応的に広がっているため。

(4) 四川大地震による観光旅行の自粛、株価の暴落による金持ち階層の旅行の手控え、チベット問題や四川大地震による外国からの観光客の減少等により、中国国内便の利用客が減り、一方で原油価格が高騰していることから、1日複数便運航している路線について、予約客が半数に満たない便を欠航とし、2つの便を1つに合わせて飛ばしているケースが多発しているため。

 原因が(1)や(2)だったら致し方ない、と思うし、(3)についても安全運航のためならしょうがない、と思いますが、もし(4)のケースなのだとするとちょっとケシカラン、と思います。新聞などでも何が原因なのか報道されないのでわからないのですが、私の身近で同じ航空会社が1日複数便飛ばしている路線で、朝1番の便が欠航になって切符を2番目の便に切り替えた、というケースを2回連続して経験しましたので、私は(4)のケースも実際にあるのではないか、と疑っています。私のように北京に住んでいる人は、1便遅れてもあまり影響がないのですが、中国国内から北京や上海経由で日本へ帰る予定にしていた人は、朝1番の便が飛ばないとその日のうちに日本に帰れなくなるケースがあるので、結構影響が大きいのです。

 地震の救援や気候の影響やセキュリティ・チェックに時間が掛かりすぎる、などといった原因ならば仕方がないと思うので、「なぜ遅れているのか」「なぜ欠航なのか」をきちんと正確に(正直に)乗客にアナウンスして欲しいと思います。国際線だと、情報提供の仕方が悪いなどサービスが気に入らない場合はほかの航空会社にお客が流れるので、中国の航空会社もスケジュール変更についての情報提供はお客にきちんとやると思いますが、中国国内線の場合、どの航空会社も同じように情報提供しないので、いくらお客が「理由をきちんと説明しろ!」と怒っても、全然改善しないのです。この辺は、まだ、航空会社を分割した「競争原理効果」が現れていないところだと思います。

 オリンピックの時期になって、オリンピック観戦のついでに中国国内を観光しようという人が多くなる頃には改善していることを願いたいと思います。

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2008年6月27日 (金)

北京首都空港鉄道の料金や開通予定

 オリンピック開幕へ向けて、北京首都空港と北京市内を結ぶ北京首都空港鉄道がほぼ完成しました。6月25日には試運転車両に胡錦濤主席が乗り込み、進捗状況を視察しました。この北京首都空港鉄道についての今後の予定等が、胡錦濤主席の試乗に合わせて6月25日に発表になりました。

(参考)「新京報」2008年6月26日付け
「空港鉄道の料金、7月2日に公聴会で意見を聴取」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2008/06-26/021@072208.htm

 北京首都空港鉄道の駅は、地下鉄2号線(1980年代に開通済み)との乗り換え駅になる東直門駅、地下鉄10号線(まもなく開通予定)の乗り換え駅になる三元橋駅、それに空港第三ターミナル駅(国際線と一部の国内線)、空港第二ターミナル駅(一部の国内線)の4つになる予定です(最も古い第一ターミナルはごく少数の国内線用の航空会社しか利用しないため駅はない)。4駅約28.5km間を運行時間16分で結ぶ、とのことです。

 運行開始の日は「7月上旬」とのことで、まだ何日なのか確定した発表はされていません。しかも「7月上旬」に始まるのは「試験営業運転」なのだそうです。昨年10月に開通した地下鉄5号線でも「最初の1年間は『試験営業運転』」と銘打って開通しました。「試験営業運転期間」は10分間隔、2010年からは5分間隔、2017年からは4分間隔で運転する予定、とのことです。

 乗車料金は、どこで乗ってどこで降りても同じ統一料金で、1人25元(約375円)にするか1人30元(約450円)にするか検討中で、この料金体系は7月2日に行われる公聴会で意見を聞いてから決定する、とのことです。この料金は、北京首都空港鉄道の市内の始発駅である東直門駅を起点とすると、空港と市内を結ぶリムジンバスが1人16元(約240円)、タクシーだと高速道路料金も入れて67元(約1,005円)、自家用車を使った場合に掛かる費用(高速道路料金込み)で40元(約600円)以上なので、これらほかの手段との比較で、空港鉄道を使う人の数が、料金を25元の場合に年間1,220万人(空港利用者の16.1%)、30元にした場合は年間1,032万人と見積もって試算したもの、とのことです。

 私の感覚だと、市内の地下鉄の統一料金2元(約30円)、リムジンバスの料金16元(約240円)に比べると、この空港鉄道の料金はちょっと高過ぎると思います。「25元か30元かの案を提示して、公聴会を開いてから決める」ということになっていますが、30元を支持する理由はないので、たぶん最初から「25元ありき」で、形式的に公聴会を開くということなのでしょう(昨年の地下鉄料金改定の時も「客観的に見て片方の案しか選ぶ人がいないような二つの案を提示して公聴会をやるのは、結論ありきで、公聴会は形式的な意味しかない」と「新京報」の社説で批判されたことがありました。今回も同じような感じのようです)。

 「公聴会」の参加者は、北京市人民代表大会、北京市政治協商会議、北京市人民政府の関係部門、専門の大学などから選ばれた価格公聴会の常任の代表10人、消費者協会が推薦した消費者の代表11人、経営者代表4人からなる、とのことです。

 そもそも地下鉄統一料金の2元というのは、建設費用と比べたら安過ぎる値段であって、地下鉄の運営に当たっては政府が相当の資金補助をしていると思います。上のような料金の決め方は、市場原理に基づくものではなく、政府が政策的意図を持って決めたのは明らかです。大幅に市場原理を導入している、とは言いながら、公共部門においては政府が価格を決める、という現在の「中国の特色のある社会主義」の一端がわかる料金の決め方だと思います。この期に及んでまだ開通日が「7月上旬」とだけ示されて、何日かを確定して発表しない、というのも「中国的」と言えるかもしれません。

 私は、地下鉄乗り換え駅での「乗り換え勝手のよさ」がポイントだと思っています。飛行機で旅行に行く人は大きな荷物を抱えている人が多いので、乗り換え駅でエレベーターやエスカレーターが便利でないと、使い勝手が良くないからです。北京の地下鉄では、十字路の交差点の地下に作られた駅でも出口が3つしかない(ひとつのブロックには出口がない)といったふうに「使い勝手」が今ひとつよくないところが多いので、空港鉄道がどのような「使い勝手」なのか、ちょっと気になります。

 3月に開業した北京首都空港の第三ターミナルは、建物の長さが3kmに及ぶ、という世界でも最大級の巨大ターミナルですが、何回か使ってみて「使い勝手」は悪くない、という印象を私は持っています。空港鉄道も、「使い勝手」の良さを考慮した「お客に優しい」作りになっていることを期待したいと思います。 

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2008年3月31日 (月)

不動産や株のバブルの終わりが明確になった

 今日(3月31日)付けの「人民日報」の経済面に、不動産と株の状況に関する記事が掲載されていました。

 まず、不動産については13面に次の大きな見出しの記事が載っています。

(参考1)「人民日報」2008年3月31日付け記事
「不動産市場の需要と供給は逆転したのか」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-03/31/content_48327168.htm

 この記事では、2007年の第2、第3四半期において急騰した不動産価格が、2007年第4四半期以来、全国70の大中都市での値上がり幅が緩慢になり、広州、深センなどでは値下がり傾向が出始めていることに対して、これが長期的観点から見て不動産の需要と供給の関係が逆転したことを意味するのかどうか、についての専門家の分析を掲げています。

 それによると現状は以下のとおりです。

○2007年の通年の統計では、売りに出された住宅の面積が対前年10%増加したのに対し、実際に販売れて登記された住宅の面積は対前年24%増であり、住宅需要の底堅さを示した。これは、依然として供給が需要に比して不足していることを示している。

○2007年の40の重点都市について見ると、売買契約が成立して登記された新築住宅全体のうち40%(面積ベース)が「二番手住宅」(既に住宅を持っている人が購入する住宅:投機目的に購入するケースが多い)である。一方、低収入家庭や都市の外部から出稼ぎに出てきている人たち、大学を卒業して就職したばかりの人たちが入居したいと思っている賃貸住宅の市場の発展は停滞している。2部屋以上の比較的広い住宅がかなりの数売れないで残っており、40の重点都市では売りに出されている住宅のうち建築面積90平方メートル以下の標準的な広さの住宅の割合はわずか25%程度に過ぎない。即ち、発売される住宅の供給と住宅を欲しいと思っている人たちの実需要との間に矛盾が生じているのである。

○相次ぐ利上げなど政府の経済過熱防止政策が出されていることから、多くの人が「模様眺め」の状況に入っている。このため、北京、上海などでは、住宅販売量が減少している。

○専門家は、中国の不動産需要の源は次の4つであると分析している。
(1) 急速に都市化する人口増加による住宅需要の増加。
(2) 住民の収入の増加に伴う古い住宅から新しい住宅へ、狭い住宅から広い住宅への買い換え需要。
(3) 都市開発のため古い家屋を取り壊された人たちによる必然的な住宅需要。
(4) 過剰流動性、人民元相場上昇を期待する外資による投資需要。
こういった事情を踏まえ、中小型住宅の強化、外国資本による住宅への投資の抑制などを図るべき、と専門家は提案している。

 また、この日の「人民日報」の同じ紙面(13面)には次のような記事も出ています。

(参考2)「人民日報」2008年3月31日付け記事
「値下がりの声の中で不動産価格について語る」(経済ホット・トピックス)
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-03/31/content_48327167.htm

 この記事のポイントは以下のとおりです。

○北京市統計局の発表では、2月の北京の不動産価格指数は前月比0.7%下がった。市街地から遠い地域では価格が軟化しつつあるようだが、市街地近くの住宅に対する需要はまだ強く、値下げに応じない地域も多い。

○国家統計局の2007年第4四半期の全国70の大中都市の価格上昇率は10.2%であり、今年2月は10.9%である。

○しかし、上昇のスピードはゆるみ始めており、重慶、長沙、成都、杭州等の中堅の13都市においては住宅価格の値下がりも見られている(遵義(貴州省)は2.2%、重慶は1.7%、長沙(湖南省)と成都(四川省)は0.4%の下落である)。

 慎重な言い回しではあるけれども、これらの人民日報の記事は、不動産の価格上昇傾向に歯止めが掛かったことを明確に示していると思います。

 上記の不動産関係の記事の載っている次のページの14面には、株に関する次の記事が載っています。

(参考3)「人民日報」2008年3月31日付け記事
「資本市場に対する税制政策は完全なものにしなければならない」(ホットな焦点特集)
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-03/31/content_48327176.htm

 この記事では、株式取引税の制度の経緯を解説し、一定の程度の株式取引税の必要性を説明しています。この記事は、先週、最近の株式市場の低迷を受けて、「政府が株式取引税率を下げるのではないか」との期待感から若干株価が値上がりしたことを受けて書かれたものと思われます。中身を読めば「政府は当面、株式取引税の税率を下げるつもりはない」と読めるものです。こういった政府の姿勢に反応したためか、今日(3月31日)の上海株式市場の指数は先週に比べて約3%下げて引けました。

 株に関しては、今日(3月31日)午前10:01にホームページに掲載された新華社電では、インターネットによる調査によると、最近の株の値下がりを受けて、回答者の9割は「管理層」は株式市場を救う対策を取るべきだ、と考えている、とのことです。

(参考4)「新華社」ホームページ2008年3月31日10:01アップ記事
「インターネット調査:9割近いネットワーカーは『管理層』に対し速やかに市場を救済する措置を取ることを望んでいる」
http://news.xinhuanet.com/finance/2008-03/31/content_7888994.htm

 この記事のポイントは次のとおりです。

○2007年10月以来、上海株式市場指数が6100ポイントから3400ポイントに下がったことにより、多くの投資者が大きな損失を被っている現状に関し、3月31日10時までの時点で、5万人のネットワーカーに対して調査を行った。これによると回答者の89%が現在の株式市場を「不正常」だと認識しており、87.6%の人が「管理層」は直ちに市場救済の措置を取るべきだと主張している。

○新華社ネットのフォーラム上では、多くのネットワーカーが、株式市場において非理性的な下落が起こった時は、管理部門は適切な政策を打ち出して市場を安定させ、投資家の利益を保護することが必要で、それが管理部門の責任である、と認識している。

 この記事で言っている「管理層」とか「管理部門」とかいうのが「中央政府」を指すのかどうか明確ではありませんが、中国の株式市場には「株価が下がるのは『不正常』だ。誰かが何とかすべきだ。」と考えている投資家が多いことを伺わせます。

 中国政府は、昨年来、「経済の過熱化を防ぐ必要がある」と公言し、中国人民銀行による利上げも何回も行われて来ましたから、不動産や株の値上がりがいつか止まることは、ある程度予想されたことで、ある意味では現在の不動産や株式市場の状況は政府が思い描いていたとおり、と言っていいのかもしれません。中国政府は、北京オリンピックが終わるまで、不動産や株がバブル的に膨張を続けていって、オリンピックが終わった途端にいっぺんにそのバブルがはじけるのを最も懸念していたはずで、実態経済を超えた「バブル」の部分は、オリンピックの前にはじけさせておこう、と考えていると思います。政府が想定している通りに経済が動いているのならば、不動産や株の値上がりが止まった事態は、冷静に受け止めてよいと思います。

 問題は、不動産や株が下がった場合、それによって生じた損失について自分の責任だとは考えずに、被った被害は政府等の誰かがきちんと救済べきだ、と思っている投資家が中国には多い、ということです。中国が市場経済の道を歩む以上、不動産や株で損をした人を国が救済する、ということはあり得ません。多くの中国の投資家の認識と、冷徹な市場経済の原則とのギャップが、これからだんだんと表面化してくることになると思います。中国経済の安定的な成長にとって最も恐いのは、今まで一方的な不動産や株の価格の状況に慣れきっていた投資家たちが不動産や株の価格の下落に直面して極端に臆病になり、投資や消費活動を抑制してしまうことです。中国の現在の経済成長は、不動産や株に投資をしているような富裕層の消費意欲に支えられている面が大きいからです。

 マクロ経済コントロールの点では、現在の中国政府は、今のところはそれなりにうまくやっていると思います。問題は多くの中国の投資家の認識と市場原理とのギャップが社会的な不安感の高まりを招くようなことがないかどうかです。不動産と株におけるバブルの時期が終了した、ということは、経済運営の大きな節目を迎えたことを意味します。これからオリンピックが終わる9月末までの半年間は、政治的・社会的な面だけではなく、経済の面でも目の離せない時期になりそうです。

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2008年3月 1日 (土)

周恩来生誕110周年記念講話の意味

 今日(3月1日)付けの「人民日報」など中国の主要紙に昨日(2月29日)に行われた中国共産党の周恩来生誕110周年記念座談会で胡錦濤党総書記・国家主席が行った「講話」が掲載されています。

(参考1)「人民日報」2008年3月1日付け1面記事
「周恩来同志生誕110周年記念座談会における講話-胡錦濤」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-03/01/content_46084689.htm

 周恩来は、革命第一世代の政治家で、毛沢東の盟友でした。26年間国務院総理を務めて、1976年1月に亡くなりました。情熱的に理想主義に突っ走る毛沢東の傍らにあって、常に現実を見つめ、「行き過ぎ」に走りがちな毛沢東の手綱をうまくさばいていたと言われています。そういった周恩来に対して、毛沢東も全幅の信頼を置いて、常にそばに置いていました。たぶん周恩来という優秀な「副官」がいなければ、毛沢東の偉業はなかったでしょう(そのことは毛沢東自身も、よくわかっていたと思います)。超カリスマ的存在で、手の届かない人、というイメージのある毛沢東に対して、多くの人民は、周恩来には親しみを感じていた、と言われています。まだ周恩来総理の記憶が人々の脳裏にあった1980年代の頃には、中国の人々に、歴史上最も尊敬する人は誰か、というアンケートを取ると、毛沢東よりも周恩来の方を選ぶ人が多い、とも言われていました。

 そういった周恩来の功績を讃えて、この時期に中国共産党が生誕110周年座談会を開催し(周恩来は1898年3月5日生まれ)、胡錦濤党総書記・国家主席が「講話」を発表することには何の不思議もありません。ただ、私としては、ここに胡錦濤党総書記・国家主席のひとつの「意志」を感じたのです。

 というのは、上に書いたように、周恩来は、毛沢東の情熱的で極端に理想主義的な行動を現実的立場からコントロールをしていた人=文化大革命の行き過ぎにブレーキを掛けた人、というイメージが強いからです。

 文化大革命時代、毛沢東に威光を背景にして、極端な理想主義的路線を強力に推し進めた江青(毛沢東夫人)をはじめとする「四人組」(江青、張春橋、姚文元、王洪文)にとっては、現実的な立場から「行き過ぎ」を戒める周恩来は「目の上のタンコブ」的存在だったのです。文化大革命路線に反対していたトウ小平らを排斥する運動の中で、1973年頃、「四人組」は「批林批孔」運動を展開しました。

 「林」は、1971年、毛沢東からの奪権計画に失敗し、国外へ亡命しようとして乗っていた飛行機が墜落して死亡した国家副主席だった林彪のことです。「孔」は「孔子」のことです。「孔子」の思想は、復古主義、男尊女卑など近代化に反する部分については批判すべきだ、として、辛亥革命など中国の近代化革命において常に批判の対象とされてきました。その意味では、「孔子」を批判することは、1970年代の時点では「いまさら」の感があるのですが、実はこの時の「批林批孔」運動の「批孔」の部分は、「四人組」が孔子批判に当てつけて周恩来を批判しようとしたのだ、と言われています。孔子は、国が乱れ、春秋戦国時代に入る前の昔の周の政治を理想としていました。つまり孔子は「周」を賞賛したので、孔子を批判することは「周」を批判することを意味する、つまり周恩来批判に通じる、というわけです。

 文化大革命当時、中国の多くの人民は、「四人組」のあまりに理想主義的で極端な平等主義的なやり方に辟易(へきえき)していました。そのため、「四人組」の暴走を抑える役割を果たしていた、周恩来総理に大きな敬愛の情を抱いていました。

 1976年1月、周恩来総理はガンで亡くなりましたが、その年の4月の清明節(亡くなった人を祀る日とされています)をきっかけにして、周恩来総理を偲ぶ多くの人民が天安門広場の革命英雄記念碑の周りに花輪を捧げました。これら多くの人民の行動は「四人組」には、自分たちに対する反対の意思表示だと思えたのです。そこで「四人組」は、天安門前広場の花輪などを撤去し、この動きを扇動したとしてトウ小平を失脚させました。これが1976年の第一次天安門事件です。

 2008年2月29日の時点で、胡錦濤党総書記・国家主席が周恩来総理の功績を讃える長文の「講話」を発表した、ということは、自らも周恩来総理を敬愛している、1976年の第一次天安門事件の時に花輪を捧げた多くの人民と同じ気持ちである、ということを強く表明したことを意味します。第一次天安門事件が「四人組」の言っているようにトウ小平が扇動した、というのが事実かどうかはともかく、天安門広場に花輪を飾った人民とトウ小平が「四人組」=「文化大革命」に反対していた点で、同じ考えであったのは間違いありません。その意味では、胡錦濤党総書記・国家主席もトウ小平の改革開放路線を継承しているのですから、トウ小平と同じ立場であり、周恩来総理を讃える立場を取ることは当然のことであって、新しいことでもなんでもありません。

 ただ、3月5日に次期(=第11期(2008年からの5年間))の全国人民代表大会が始まるこの時期に改めて胡錦濤党総書記・国家主席が周恩来総理を讃える「講話」を発表したことは、胡錦濤氏は、自分は「四人組」=「文化大革命」の路線には絶対に戻らないぞ、という固い意思表示をしたかったのだ、と私には思えました。急激な経済成長に伴う様々な矛盾が噴出している現在の中国において、こういった諸矛盾は改革開放政策を進めたせいだ、だから文化大革命時代の理想的精神に戻るべきだ、と主張する「新左派」勢力が党内にはまだいて、胡錦濤党総書記は、そういった「新左派」の考え方には与(くみ)しないことを明確に示すために、改めて周恩来総理を讃える「講話」を発表したのだと思います。

(参考2)このブログの2007年8月11日付け記事
「『新左派』と『新自由主義派』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_102b.html

 私は、昨年4月に北京に再び駐在するようになってから今まで、新聞などでは、1976年の第一次天安門事件を讃えるような論調を全然見かけませんでした。1986~1988年に北京にいた私にとって、これは非常に奇妙な感覚でした。第一次天安門事件は、「四人組」に反対する多くの人民の意志表示であり、「文化大革命」に終わりを告げ、トウ小平が進めた現在へと続く改革開放路線のスタートとなる事件であり、讃えられて当然だと思うからです。

 おそらく、第一次天安門事件を讃えることは、即座に、それでは1989年の第二次天安門事件をどう考えるのか、という議論を呼び込むので、現在の政権内では「第一次天安門事件は讃えたいのだけれども、あまり触れたくない」というのが実情なのでしょう。ところが、私は、今回の胡錦濤総書記・国家主席の周恩来を賞賛する「講話」からは、明示はしていないものの、第一次天安門事件を評価し、改革開放の出発点に戻ろう、という意志を感じました。その点で、私は、今回の胡錦濤氏の周恩来賞賛講話に強い「新鮮味」を感じたのです。

 正しいことは正しいと評価しつつ、誤ったことは誤りだったと率直に認め、改めるべきところはきちんと改める、というのが、1978年に始まった改革開放路線の原点のはずです。胡錦濤党総書記・国家主席は、その原点にようやく戻ろうとしているように思います。そのことは、2008年を、私が以前に北京にいた1988年(=1989年以前)に戻して、歴史の流れをようやく元の路線に戻す動きのスタートになればよいなぁ、と私は思っています。

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2008年2月12日 (火)

中国は既に「新しき国」になっているのか

 私が、2007年11月3日に

http://folomy.jp/heart/

の「テレビフォーラム」にアップした文章をこちらのココログにも掲載します。

 folomyは、かつての@ニフティのフォーラムを運営していた人たちが集まって運営しているサイトで、メールアドレスを持っている方ならば誰でも無料で登録できます。私がfolomyに書いたものの再アップは、折りを見て時間のあるときに行います。従って、例えばfolomyに掲げた文章のアップは1か月以上遅れると思います。最新の文章を御覧になりたい方は、ぜひ、御自分で上記のアドレスからfolomyに登録して、御覧いただくよう御願いします。

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アップ場所:
http://folomy.jp/heart/
「テレビフォーラム(ftv)」-「喫茶室『エフ』」-「北京の白い空の下で」

記載日時:2007年11月3日

【中国は既に「新しき国」になっているのか】

 今日、日本にいたときに録画しておいた2005年のNHK大河ドラマ「義経」の最終回を見終わりました。ドラマの義経は、最後に「新しき国」への夢を抱きながら自害しました。歴史的には、義経の死によって、朝廷から独立し、土着した武士集団から成り立つ「鎌倉幕府」という日本の歴史上全く新しいタイプの政治体制が磐石なものになったのであって、義経の死によって、日本が「新しき国」に生まれ変わったと見るべきだ、と私は思っています。私は、日本の歴史においてはこの「鎌倉幕府成立」と「明治維新」「第二次世界大戦の終了」が「新しき国」へ生まれ変わる転換点であり、現在の戦後の日本の体制は、基本的に長期間に渡って続くことになる「持続可能な体制」だと思っています。

 アメリカは19世紀半ばの南北戦争終了により持続可能な体制が形作られて今に至っていると私は思っています。SFテレビ・ドラマの名作「タイム・トンネル」では、現代の科学者ダグ・フィリップスが南北戦争の時代にタイム・スリップして大統領就任直前のリンカーンに会い「将来のアメリカはどうなっているのか」と問われたとき、ダグは「アメリカは、50年後、いや100年後も偉大な前進を続けています」と答えました。アメリカは様々な問題を内に抱えながら、それを何とか解決しつつ歴史を前に進めていく体制を南北戦争終了後に既に完成させていたことを、このドラマは示していました。

 日本の明治維新後の「富国強兵」の体制は残念ながら「持続可能なもの」ではなく、戦争への道を進んで崩壊してしまいました。戦後の体制は、いろいろ問題はあるものの、自らそれらの問題を解決する能力を持った「持続可能な体制」だと私は思っています。

 一方、中国の今の体制が「持続可能なもの」なのかどうか、は私にはわかりません。少なくとも、現在の中国の指導部自身、現在を「社会主義の初級段階」と定義しており、現在の体制が最終的なものではない、と認識しています。胡錦濤氏が提唱し、今回の第17回党大会での議論で中国共産党の規約に盛り込まれた「科学的発展観」も、その時々の中国の実情を科学的に分析して、それに対応した政策を採るべきだ、としている点で、現在の体制が「最終形」ではない、との認識に立脚していると思います。その意味では、1911年に始まった中国の革命は、1949年の中華人民共和国の成立でひとつの節目は迎えたものの、現在でもまだ終わっていない、という認識が正しいのだと思います。

 私は常々「時代を読む」ことが重要だと思っています。今、中国は世界の中で経済的にも政治的にも大きな力を持っています。従って、日本にとっても、中国の動きはとてつもなく大きな影響を持っています。だから、私は、今後とも「中国は既に『新しき国』になっているのか」という視点に立って、中国の動きを注視していこうと思っています。

(2007年11月3日、北京にて記す)

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2008年2月 9日 (土)

テレビ関係者の「貴族化」を警告する投書

 中国では、お正月は旧正月(春節)を祝います。今年は2月7日が旧正月の元旦でした。私は、今、春節のお休みをいただいて、日本に来ています。中国中央電視台では、前日(つまり旧暦の大晦日)の2月6日夜、毎年恒例の「春節晩会」を放送しました。この番組は、日本の紅白歌合戦と同じようなもので、歌あり、漫才あり、コントあり、曲芸あり、といったバラエティー番組です。

 今年の「春節晩会」について、新華社のホームページに「貴族化傾向が春節晩会を一般庶民からますます遠くしている」と題する痛烈な投書が載りました。これは「紅網」というところのネット上に掲載されたある人の投書を新華社が転載したものです。「紅網」がどういう場所なのか私はよく知りませんが、名前からしてかなり保守的な(共産主義の原則を重視する傾向の強い)掲示板なのではないかと思います。

(参考1)新華社のページに2008年2月8日15:08に転載された「紅網」に載っていた投書
「貴族化傾向が春節晩会を一般庶民からますます遠くしている」
http://news.xinhuanet.com/politics/2008-02/08/content_7582267.htm

 この投書の主張のポイントは以下のとおりです。

○今年の「春節晩会」は、新しい見るべき価値のあるものはなかった。

○「春節晩会」は最近はだんだん飽きられてきていると言われているのに中央電視台は巨額のお金を使って何億もの視聴者をがっかりさせている。

○特に今年は中国の中南部は大寒波に襲われ、胡錦濤主席や温家宝総理も被災地で旧正月を迎えた、というような事態であるのに、テレビ出演者は、一般大衆が何を見たいのかには全く無関心で、自分の書きたい脚本を書き、自分の演じたいことを演じているだけである。このような精神構造で、「春節晩会」の番組制作者は、視聴者から拍手がもらえると思っているのだろうか。

○テレビの番組制作者たちは自分たちの「貴族風の作風」を捨てて一般大衆の中に踏み入ることができないのだろうか。

○趙本山は、農民出身のタレント・俳優・演出家で、彼の作品には東北地方の農村の特徴がよく出ており、一般大衆から深く愛されていた。しかし、近年、彼は「中央電視台スタイル」に組み込まれてしまい、庶民の生活の要素はだんだん少なくなり、形式的なものや言葉遊び的なものが多くなってしまった。

○テレビの番組の中には、流行っている歌に頼ったり、ドラマや映画で顔が売れた『スター』に頼りきって、面白いゲームをやったり、幼稚なクイズをしたりするだけで、何の芸術性も感じられないものがある。

○納税者のお金を使って(注:中央電視台は国営のテレビ局)貴族風のテレビ芸術とやらばかり作って、一般庶民の生活から離れていくのだったら、そんなテレビは早晩一般庶民から唾棄すべきものと見なされることになるだろう。

 最後の「唾棄すべきものと見なされることになるだろう」とは、相当激烈な表現です。相手は「党の喉と舌」(中国共産党の宣伝機関)を自他共に任ずる中国中央電視台です。それに対する批判の言葉としては最高級の厳しい言葉だと思います。今、ネット人口が2.1億人いる中国ですから、こういった意見を言う人がネット上にいてもおかしくはないのですが、国営通信社の新華社がそれをわざわざ転載して自分のホームページに掲載した、という意味をどう見るべきなのでしょうか。また、趙本山という特定のタレント・俳優・演出家を名指しして批判していることも気になります。

 一部の人を名指しして「貴族化している人たちがいる」と指弾するやり方は、私には、「文化大革命」(文革)開始の時の「走資派」(資本主義に走る一派)批判を思い起こさせます(文化大革命の最初の始まりはある戯曲評論に対する批判でした)。この投書子は、その文章を見れば、「胡錦濤主席や温家宝総理が被災地でがんばっているのに」と言っていますので、党中央の側に立って批判しているように見えます。しかし、深読みすると、この投書は、党中央の立場に立ってテレビ番組・テレビ局に対する批判という格好をしながら、実は党中央の内部にいる一定のグループを批判しているのではないかと思わせます。

 1978年に始まった改革開放路線は、文化大革命を批判することがその出発点でした。従って、1989年より前は、党中央は、文革的なものを排除することにやっきになっていました。1987年1月、上海での学生デモに対する対処が適切でなかった、として、当時の胡耀国中国共産党総書記が解任されましたが、そのニュースを伝える中央電視台のアナウンサーは、いつもは背広姿なのにこの日だけは中山服(日本のマスコミ用語でいうところの「人民服」)を着てニュースを伝えました。このことが外国に対して「中国は、また、文革時代に戻るのだろうか。」といった不安をもたらしたことから、中国政府は、あわてて「中国は改革開放路線を強力に推進していく。文革時代に戻ることはあり得ない。」との釈明に追われることになりました。アナウンサーが中山服を着てニュースを伝えたのは、どうやら中央電視台の担当者の「勇み足」だったようです。当時の党中央と政府は、また文革時代に戻るのかもしれない、という不安を外国に与えて、ようやく始まったばかりの外国からの外資の進出にブレーキが掛かるのを恐れたのでした。

 しかし、1989年以降は、「都市と農村との格差など、現在の中国で現れている様々な矛盾の原因は、改革開放路線そのものだ。」という考え方の、文革時代を懐かしむかのような論陣を張るグループが現れました。これが「新左派」と呼ばれる人たちです。この「新左派」の人たちは、市場経済原理の導入が格差を拡大したことから、市場による経済支配を弱め中国共産党によるコントロールを強める、つまり極端に言えば文革時代のような体制の方向へ舵を切るべきだ、と主張しているのです。

(参考2)このブログの2007年8月11日付け記事
「『新左派』と『新自由主義派』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_102b.html

 昨年10月の第17回中国共産党大会で、胡錦濤総書記は「改革開放路線に変化はない」として、文革時代に戻るようなことはないことを明確に打ち出しました。従って、「新左派」は、現在の中国共産党中央の主流派でないことは明らかです。しかし、文革時代を懐かしむような「新左派」の勢力が数は少ないとは言え確実に存在しており、しかも一定の勢力を保っていることは間違いないと思います。昨年秋に完成した国家大劇院の「こけら落とし」の演目が「紅色娘子軍」というまさに文化大革命の象徴ともいうべき革命的現代バレーの演目だったのも、それを表していると思います。1989年以前の党中央だったら、こんな文革を思い起こさせるような演目の上演は絶対に許さなかったと思います。

(参考3)このブログの2007年9月26日付け記事
「中国北京の国家大劇院でこけら落とし」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/09/post_ee1f.html

 今回の中南部の寒波被害で、人民解放軍は、凍結した高速道路の復旧作業などにおいて他ではまねのできない強力な力を発揮し、相当に株を上げました。人民解放軍は中国共産党の軍隊ですから、軍関係者は基本的に中国共産党の指導力を強くすべきだ、という考え方を持っていると思います。従って、軍にはどちらかというと「新左派」に近い考えを持っている人が多いと思われます。今回の寒波被害における災害出動を契機に、軍を中心として、経済発展に伴って金儲けしている一部のグループを「貴族化している」として批判する意見が強くなってきているのかもしれません。

 1989年以前の党中央だったら、文化大革命を想起させるような「貴族化批判」は許さなかったはずです(当時の最高実力者トウ小平氏自身が文化大革命の被害者で、文革という政治闘争が中国の経済発展を阻害したことを身をもって知っていたからです)。「貴族化批判」の延長線上には、改革開放路線批判があります。改革開放路線の継続は胡錦濤総書記を中心とする現在の党中央の根本路線ですから、そういった党の根本路線の批判につながる可能性のある「貴族化批判」の投書を新華社がわざわざ転載した、ということの意味はどこにあるのでしょうか。「新左派」の力が強くなってきたことの現れなのでしょうか。胡錦濤総書記は、そういった「新左派」の台頭を押さえ込むことはしないのでしょうか、あるいはしたいけれどもできないのでしょうか。もしかしたら、今回の寒波被害に対する復旧作業での人民解放軍の活躍を通じて「新左派」が力を盛り返し、「新自由主義派」との間で、党内論争が繰り広げられることになるのかもしれません。

 今回の「貴族化批判」の投書は、単にテレビ番組、テレビ局に対する批判ではありますが、それを新華社が転載した、ということから、そのウラに何かがあるのではないか、と私は想像してしまったのでした。もしかすると、それは、私の単なる「深読みのしすぎ」なのかもしれませんが。

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2008年2月 4日 (月)

農民の土地返還要求に関する米紙の報道

 日本でもMSN産経ニュースで流れていた(私は見ていないのですが、たぶん産経新聞でも伝えられた)ので御存じの方も多いかもしれませんが、1月14日付けのアメリカの新聞ワシントン・ポストに、中国黒竜江省の農民たちが自分たちの耕作していた土地を取り上げた村政府に対して土地の返還を要求し、自分たちに土地所有権があることを認めるよう主張していることについての記事が載っていました。

(参考1)ワシントンポスト2008年1月14日付け記事
"Farmers Rise In Challenge To Chinese Land Policy"
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/01/13/AR2008011302383.html

 中国の耕地は、農民の所有地ではなく、村という単位の集団が所有している土地であり、農民たちには一定の期限付きで貸し与えられ(別の言葉でいうと、期限付きで土地使用権が与えられ)、耕作が行われている、というのが現状です。土地所有権は村という集団が持っていることから、村当局が農民から土地使用権に見合う分だけの一定額の補償金を支払って土地を収用し、その土地を開発業者に売る、という行為が中国各地で行われています。下記(参考2)で紹介しているインタビュー記事によると、「土地使用権に見合う分の一定額の補償金の支払い」が社会主義的な原則に基づいて行われるためその金額は小さく、「開発業者への土地の売却」が市場経済下のルールで行われるためにその金額が大きくなるケースが多く、その結果として、農民に支払われる補償金が少なく、一方で村当局や土地開発業者には巨額の金額が転がり込む、というケースが多いとされています。そのために村当局による不必要な農地の収用と土地の乱開発が跡を絶たず、不正の温床にもなりやすいのだ、というわけです。

 上記(参考1)のワシントン・ポストの記事によると、こういったケースに対して、農民たちは村当局が収容した農地の返還を要求し、農民たち自身が自分の判断で土地開発業者と売却金額の交渉ができるよう、土地所有権を自分たちに与えるように主張している、とのことです。

 もちろんワシントン・ポストで紹介されている農民たちの行動は中国国内では報道されていませんが、この農民たちの考え方と同じような考え方については、このブログの1月14日付け記事で私が紹介したように、1月14日付け(1月12日発売)の経済専門週刊紙「経済観察報」に載っていたインタビュー記事の中で清華大学教授の蔡継明氏が述べていました。

(参考2)このブログの2008年1月14日付け記事
「ついに出た『土地私有制』の提案」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_6f24.html

 ワシントン・ポストが伝える農民たちの動きが、中国において違法なものなのか、合法的な範囲内のものなのか、については、私は上記のワシントン・ポストの記事以外の情報を何も持っていませんので、判断はできません。ただ、一般的に言えば、中国の共産主義革命の過程の初期の段階では、例えば、1956年頃まであった「初級合作社」の制度では、自作農に対しては土地の私有を認めつつ、共同で農作業を行うことが行われていたので、土地私有制の主張が中国共産党指導下の中国において直ちに違法なものになると言うことはできません。上記の蔡継明清華大学教授の意見が掲載された新聞が堂々と街で売られていることから見ても、「土地私有制」を主張すること自体は、現在の中国では違法なもの、とはみなされないようです。一方、ワシントン・ポストの記事の伝える農民たちの運動がもし仮に「中国共産党の指導による政治」を覆そうと試みるものであるならば、それは、現在の中国の法律の下では違法とみなされる可能性があります。

 一方、上記のワシントン・ポストの記事が北京から何の問題もなくアクセスでき、読むことができる、ということは、党中央がこの記事が伝える農民たちの動きを完璧に抑え込もうと考えているわけではないことを示しているのかもしれません。というのは、現在の中国では、党中央の考え方に真っ向から反対するような主張を伝えるサイトについては、アクセス制限が掛かり、中国国内からは閲覧することができないからです。

 党中央の真意は測り知ることはできませんが、もしかすると、党中央の中にも、村当局が農民の意向に反して土地を収用し、その土地を開発業者に売ることによって莫大な利益を得ることを問題視する考え方の人がいるのかもしれません。もしそうした考え方が党中央の一致した考え方なのだとすると、党中央の考え方は末端の農民の意向と一致し、一方、末端行政機関である地方政府・地方党組織の意向がそれらと対立する、という構図ができあがります。今後の中国の行方を考えるに当たっては、土地を巡るそういった構図があるのか、ないのか、といった「見極め」を念頭に置いておく必要があると思います。

 なお、上記ワシントン・ポストの記事と私が紹介した「経済観察報」の記事がいずれも同じ1月14日付けであったのは、単なる偶然の一致なのでしょうか。それとも党中央の一定の意図が背景にあった必然の結果なのでしょうか。それについては、私には何も知る術はなく、想像の域を何ら超えることはできません。

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2008年1月26日 (土)

中国経済の成長を支えるものは何か

 1月24日、中国の国家統計局は2007年の経済状況について発表しました。それによると、2007年の中国の国内総生産(GDP)は、24兆3,619億元(約370兆円)で、対前年比(名目)11.4%の増でした。一方、消費者物価指数は、近年になく大きく上がって+4.8%でした。

 中国は2007年も引き続き相変わらず急速な成長が続いたわけですが、中国の経済成長を支えているものを大きく分けると次の3つになると思います。

○輸出の伸び

 食品や玩具の問題でいろいろ騒がれましたが、中国製品の輸出が伸びているのは間違いない事実です。つまりは世界各国で中国の製品が売れているということです。危険なものや品質の悪いものばかりだったら、世界の消費者は買わないわけですから、一部に問題のあるものはあるとはいうものの、総体的に見れば、やはり中国製品は、安さと品質をてんびんに掛けると「売れる」製品なのだと思います。問題は、いつまでも「安さ」にばかり頼ってはいられない、ということです。これからは、中国は、人件費が少々高くなっても国際競争力を維持できるしっかりとした品質をもった製品を多く作れるように脱皮できるかがカギだと思います。

○投資

 「不動産バブルはピークを越えたのではないか」と言われますが、少なくとも2007年いっぱいは中国全国での建設ラッシュはまだまだ続いていた、ということなのでしょう。この部分が2008年以降、どの程度継続的に中国経済を支えていけるのか、が今後の中国経済を占う上での大きなカギになると思います。

○内需

 中国は2006年に自動車の販売台数で日本を抜き、アメリカに次ぐ第2位となりました。インターネット人口も2007年末で2.1億人に達し、既に世界第2位になっていますが、一位のアメリカとの差はわずかなので、2008年の早い時期にアメリカを抜いて中国は世界最大のネット人口を抱える国になるだろう、と言われています。日本をはじめ、各国企業は、中国市場での販売競争に負けると生き残れない、と言われるほど、中国の消費市場としての比重は大きくなっています。問題は、上記の輸出や投資の部門に「かげり」が見え始めた場合、内需が引き続き底固く推移するのか、それとも尻つぼみになってしまうのか、だと思います。

 あと、私が中国独自の「経済発展を支えるもの」として着目しているのが「土地マジック」です。1月14日付けで紹介した「経済観察報」に載っていた蔡継明清華大学教授のインタービュー記事でも指摘されていたように、中国では、社会主義的な発想による安い評価価格で農民から土地を収用し、それを住宅地や工業開発区として市場経済に売り出す、ということが大々的に行われています。いわば「公有」の農地を市場的価値のある土地として市場に出すわけですので、地下から石油がわき出るように「土地」という形の「天然資源」を中国は毎年大量に市場に送り出し、それが中国の経済成長の大きな推進力になっているのではないか、と私は思っているのです。

(参考1)このブログの2008年1月14日付け記事
「ついに出た『土地私有制』の提案」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_6f24.html

 国土資源部の「中国国土資源公報」によると、2004~2006年の3年間で、5,428平方キロの耕地が都市用地や工場建設用地に変えられていまるとのことです。

(参考2)中国国土資源部ホームページの「統計情報」のページ
http://www.mlr.gov.cn/zwgk/tjxx/index_883.htm

 5,428平方キロとは、日本で言えば愛知県よりちょっと広く、三重県よりちょっと狭い面積です。これだけの面積の土地が3年間に工業用地などの形で経済市場に売りに出されたことによる経済全体への影響はかなり大きいのではないかと思います。もともと土地に価格が付いている資本主義国とは異なり、値段のついていない土地が突如として値段付きの形で経済のマーケットに登場することのインパクトは大きいと私は思います。

 土地が石油と違うところは、買い手が付かなければ土地は途端に何の価値も無くなってしまう、ということです。耕地をつぶしている分、もしその土地が売れなかったら、むしろ経済的にはマイナスになるでしょう。社会主義体制というポケットから土地を取りだして市場経済に売りに出すことは、いわば中国が自分の体を切り売りしてるのと同じことになりますから、もしこれらの土地に買い手が付かなかったら大変なことになると思います。

 中国製品がなんだかんだと言われつつ世界のマーケットでしっかり売れていること、日本をはじめとする各国の企業が中国の消費市場に殺到して実際にいろんな製品が中国国内で売れていることは、中国経済の「底固い」部分を示していると思います。この「底固い」部分の比重がどれくらいで、上に述べた「自分の体を切り売りしているような部分」の比重がどれくらいなのか、は、私にはよくわかりません。今年2008年は、この「中国経済の成長をささえるもの」のどの部分の比重がより大きいのか、がある程度はっきりしてくる年になるのではないかと私は思っています。

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2008年1月24日 (木)

「中国共産党大会勝利開催」とハロウィーン

 私が、

http://folomy.jp/heart/

の「テレビフォーラム」に2007年10月20日にアップした文章をこちらのココログにも掲載します。

 folomyは、かつての@ニフティのフォーラムを運営していた人たちが集まって運営しているサイトで、メールアドレスを持っている方ならば誰でも無料で登録できます。私がfolomyに書いたものの再アップは、折りを見て時間のあるときに行います。従って、例えばfolomyに掲げた文章のアップは1か月以上遅れると思います。最新の文章を御覧になりたい方は、ぜひ、御自分で上記のアドレスからfolomyに登録して、御覧いただくよう御願いします。

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アップ場所: http://folomy.jp/heart/

「テレビフォーラム(ftv)」-「喫茶室『エフ』」-「北京の白い空の下で」

記載日時:2007年10月20日

【「中国共産党大会勝利開催」とハロウィーン】

 今、北京の街には星巴克(スターバックス)、麦労当(マクドナルド)、肯徳基(ケンタッキー)、必勝客(ピザハット)のお店があちこちにあります。昨日「必勝客」に行ったら、三角帽にマントを着たウェイターがお客の注文を聞いていました。今、確かにハロウィーンの季節ですが、北京でハロウィーンはないだろう、と思いました。

 ハロウィーンは、元々はヨーロッパが起源のようですが、今は、アメリカの超ローカル行事です。他の国がまねをするのはおかしいと私は思います。私がアメリカにいた時、例えば、10月下旬にボウリング場に行くと、フロントの女性が黒い三角帽とマントを身に付けた「魔女姿」をしていて「Hello!」なんて声を掛けてくれたのですが、それは場所がアメリカだから「サマ」になっていたのであって、場所が北京では、雰囲気が合いません。

 今、北京の街は、10月15日~21日の予定で中国共産党第17回全国代表大会が開かれており、街中に「熱烈慶祝党的十七大勝利召開!」という紅地に白抜きの横断幕があふれかえっています。テレビのニュースでも、連日、党大会のニュースのオンパレードです。地下鉄の駅と駅との間にある地下鉄壁面広告でも、通常の商品の宣伝に代わって、この「熱烈慶祝党的十七大勝利召開!」という文字が躍っています。そういう街の雰囲気からすると、ピザハットのウェイターのハロウィーン姿は絶対に似合わないと思いました。

 今年、豚肉をはじめとする食料品の値上げがものすごかったので、低所得者(日本でいう生活保護対象者)に対して月20元(約300円)の食費援助をしようか、といった議論も行われていますが、必勝客では、スパゲティが38元(約570円)、500ml入りのエビアン(ミネラルウォーター)が20元(約300円)します。必勝客のお客は、ほとんどは中国人です。急速な経済発展の中で、「お金持ち」の中国人がどんどん増えているのです。今、中国の社会が相当にアンバランスな感じになっているのは否めません。

 2002年の第16回党大会で江沢民総書記(当時)が提唱した「三つの代表」論は、中国共産党は農民・労働者階層だけでなく企業家・弁護士・会計士等の無産階級でない階層をも含んだ広範な人々を代表する、と規定した点で画期的でした。今開催中の第17回党大会では、「三つの代表」論を基礎としつつ、農民・労働者階層と「お金持ち階層」との協調(和諧)が課題となっています。今、中国の社会では「農民・労働者のための社会主義」の理念と「持っているお金の額に応じて優遇されるのは当然」という現実主義とが共存しているので、何となく社会全体が落ち着かない感じがします。私としては、「共産党大会勝利開催!」の横断幕とハロウィーン姿のウェイターが同時に共存する社会よりも、多くの人民が納得できるひとつの社会の雰囲気に早く落ち着くように願いたいと思っています。

(2007年10月20日、北京にて記す)

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2008年1月21日 (月)

物価対策として小売価格に直接政府が介入

 2007年後半以降、中国の食料品等の消費者物価は急激な上昇を示しています。CPI(Consumer Price Index :消費者物価指数)という言葉が中国での2007年の「流行語」として認定されたほどです。1月17日付けの「京華時報」の記事によれば、2007年8月以降、中国の消費者物価指数は5か月連続で対前年比6%以上の上昇を示している、とのことです。また、この記事によれば、2008年1月上旬の時点での全国36の大中都市における物価の上昇率は、対前年比、豆油で58%、豚肉で43%、牛肉で46%、羊肉で51%になっている、とのことです。

 近年、中国の経済成長により、人々の所得も上昇していますが、これら生活に直結する食料品のこれだけ急激な上昇に対しては焼け石に水です。このままでは、人々の間に不満がうっ積することを懸念したからだと思いますが、国家発展改革委員会は、1月15日「一部の重要な商品・サービスに関する臨時的価格干渉措置の実施方法」という通知を発しました。

(参考1)「京華時報」2008年1月17日付け記事
「国家発展改革委員会、食糧油と肉類の値上げに対して臨時的価格干渉措置を発動」
http://china.jinghua.cn/c/200801/17/n651332.shtml

(参考2)「新京報」2008年1月17日付け記事
「食糧油等の価格に対する臨時的干渉措置を発動」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/01-17/018@074321.htm

 この措置の概要は次の通りです。

○カップ麺業界4社、食用植物油業界4社、乳製品業界4社の合計12社(具体的会社名を列記している)が製品価格を値上げする場合には、事前に国家発展改革委員会に申請し許可を得ること。

○主要商品(食糧、食糧製品、食用植物油、豚肉・牛肉・羊肉及びその調整品、鶏卵、謬乳及び粉ミルク、液化天然ガス)について小売店が値上げをする場合、1回の値上げが4%以上となる場合、10日間の累積値上げ率が6%以上になる場合、30日間の累積値上げ率が10%以上になる場合については、その事実が発生した時点から24時間以内に政府関係部門に届け出ること。

○上記を守らない企業、小売店は、法律により処罰される。

 この措置に対して、「計画経済時代じゃあるまいし、これだけ市場経済が導入された現在の中国において、このような形で政府が小売価格に直接介入するのは、時代錯誤で非現実的だ」という批判が起きています。例えば、2008年1月21日付け(1月19日発売)の「経済観察報」では、1面の社説で「政府は物価に対してはマクロ経済的手法で対処すべきであり、もし低所得者の生活が危機に瀕するのを心配するのであれば必要な生活保護費を付与すべきであって、企業や小売店の価格に政府が直接介入することはすべきでない」と主張しています。

 実際、昨年の夏、甘粛省蘭州市政府が、蘭州市民の常食である「蘭州牛肉麺」について、「小売り価格は1杯2.5元(約38円)以下にせよ」と小売店に命じた時には、国家発展改革委員会自身が「地方政府は小売価格を指示するようなことをしてはならない」という指示を出しています。

(参考3)このブログの2007年8月1日付け記事
「小売価格を政府がコントロールしないようにとの通知」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_08c4.html

 政府が「小売価格を抑えろ。従わなければ罰則だ。」と言った場合、コスト価格が上昇している中では企業は赤字を出すわけにはいきませんから、値上げできないのであれば、品質を落とす方向に動きます。従って、政府による強制的な価格抑制が消費者の利益にならないのは火をみるより明らかです。

 これらの反対論に対して、国家発展改革委員会は、ポイントとして次のように反論しています(下記の反論は、2008年1月20日(日)夜に中国中央電視台第1チャンネルで放送された「焦点訪談」の中で国家発展改革委員会の担当者が語っていたもの)。

○今回の措置は「価格凍結」をしようというものではなく、各企業の価格決定権を侵害する考えはない。今回の措置はあくまで(便乗値上げなど)不合理で不当な価格上昇を抑えようとするものである。

○「市場経済においては、政府が価格に介入すべきでない」と主張する人が多いが、そもそも市場経済とは、市場における「見えざる手」(中国語で「看不見的手」)と政府による「見えざる手」が共同して安定した市場を形作っているものである。今回の措置もその一環である。

 ただ、上記に述べた「経済観察報」の社説では、実際の価格の上昇は、コストの上昇に起因して各企業がやむを得ずに行っているものであって、便乗値上げなどが仮にあったのだとしてもその割合はごく微々たるものに過ぎず、もし国家発展改革委員会が説明しているように「不当な値上げを排除するだけ」なのであれば、物価の値上がりに対して効果を上げることはできないだろう、と主張しています。

 「価格を抑えると、企業は品質を落とすだけ」という議論に関連して、人民代表(国会議員)の中には「糧票制」(食糧配給制)を復活させよ、と主張している人も出てきているそうです。「糧票制」は、食糧生産が少なかった時代にあった制度で、食料品を買う時に政府が配給する「糧票」を持っていかないと買えない制度です。第二次世界大戦後の日本にも同様の制度がありましたし、私が前回に北京に駐在していた1980年代後半の中国でも制度としては一部残っていました。しかし、既に「世界の工場」と呼ばれるまでになって久しい現在の中国では、とっくの昔に「過去の遺物」となった制度です。

 国家発展改革委員会が今回の措置を発表したのは、「政府も消費者物価高騰に対してまじめに取り組んでいる」という姿勢を見せたかったからだと思います。国家発展改革委員会は、自分で言っているように、「価格凍結」をするような運用の仕方はしないと思います。しかしながら、これだけ華やかに経済発展を続ける現在の中国において、食料品の価格を政府が統制しようという発想が出てきたこと自体に驚かされました。また、それに加えて「糧票制を復活させよ」などとまじめに言い出す人が出てくるとは信じられませんでした。たぶん、中国国内には、まだまだ「今の経済発展は歪みが大き過ぎる。昔の計画経済時代に戻るべきだ。」という「超保守派」の勢力が私たちが思っている以上に強いので、それら「超保守派」に対して「あなた方のような考え方も含めて、政府はいろいろ検討して、対策を考えています。」というメッセージを出したかったのかもしれません。

 いずれにせよ、肉類や食糧油の物価上昇率が対前年比40~60%という現在の水準は、既に「危険水域」に入りつつあるような気がします。

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2008年1月14日 (月)

ついに出た「土地私有制」の提案

 今日(2008年1月14日)付けの経済専門週刊紙「経済観察報」(1月12日発売)の「中国」(Nation)という特集欄に農村の土地制度改革の必要性を訴える学者のインタビュー記事が載っていました。

※「経済観察報」のこの記事はインターネット上で無料で読むことはできません。

 この学者とは、清華大学教授の蔡継明氏です。蔡継明教授は、中国の民主政党(中国共産党に協力的立場に立っている合法的な政党)のひとつ「中国民主促進会」(略して「民進」)の中央経済委員会主任で、中国人民全国政治協商会議(注)の委員です。

(注)中国人民全国政治協商会議は、各界・各層の有力者が集まっている会議で、その全体会議は、いつも全国人民代表大会(全人代:日本の国会に当たる)と同時期(通常毎月3月)に並行して開催されます。法律を議決する権限はありませんが、全人代と同じ議題で議論を行い、様々な建議や提案を行います(元々は、革命初期に中国共産党以外の国内有力者の意見を集約するために設立された会議)。

 このインタビュー記事の中で指摘している蔡継明教授の主張のポイントは以下のとおりです(上のタイトルで「ついに」と書きましたが、蔡継明教授の主張は真新しいものではなく、2003年頃からこのような方向性の主張はしていたそうです)。

-----「インタビュー記事のポイント」始まり------

○現在、政府は土地の乱開発による食糧生産用耕地の減少を防ぐため「小産権」(村などの集団所有の土地の上に建てられた住宅)を都市住民が購入することを禁止する政策を徹底させようとしているが、「小産権」の面積は全国の土地の違法開発の面積に比べたら極めて小さい。違法な土地占拠の8割は地方政府によるものであり、「小産権」の都市住民への売却を禁止したとしても、耕地減少問題の解決にはならない。

(参考1)このブログの2007年7月13日付け記事
「中国の地方政府による無秩序な土地開発」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_1c55.html

○最も重要なポイントは、地方政府が農民から土地を収用する際の土地の評価が30年来続いている「過去3年間のその土地で生産された農産物の価格」に基づいていることである。大まかにいって、この評価方法では、実際の経済活動に基づいて評価される土地の価格の10分の1にしか評価されない。つまり、農民に補償金を払ってこの土地を収用し、開発して商業ベースで販売すると、土地価格の10分の1しか農民に渡らず、残りの9割は地方政府や土地開発業者の懐に入ることになる。これが地方政府が土地の乱開発を止めない主要な原因であり、またこれが政治的腐敗の最も大きな原因になっている。

○ここ10年来の中国の経済成長は、このようにして非常に安く開発された土地が多くの投資を呼び込むことによってもたらされてきたものである。

○農民が実際に耕作している農地、実際に住んでいる住宅の宅地については、その農民の「私有地」として認め、土地の売買を市場原理に任せることが、最もよい解決策である。土地の私有制を認めることにより、農民が土地を手放す時には、市場価格に見合った支払いを受けられることになるし、土地に市場価格に見合ったそれなりに高価な価格が付けば、開発業者もおいそれと購入して開発を進めるわけにはいかないので、自ずと土地の開発競争にもブレーキが掛かる。

・・・・・・(「このブログの筆者による注」)・・・・・・

 現在の中国において、農村による土地の所有形態が国有または「集団所有」であり、土地の私有が認められていないのは、中国の共産主義革命の経緯によるものである。解放前の中国では、大地主が土地を所有し、小作農に土地を貸し付けて耕作させて高額な小作料を徴収することによって、多くの小作農は貧困に喘(あえ)いでいた。中国共産党の指導に基づく革命により大地主の土地は取り上げられた。取り上げられた土地の所有権は結果的には農民に分配されたわけではなく、革命の各段階において「農業生産合作社」から「人民公社」へ変わっていった社会主義的な「集団」が保持することになった。最終的な「人民公社」の段階では、土地と農具などの生産手段、農民の住む住宅までもが「人民公社」の所有とされ、農民はその「人民公社」の「社員」として生産に従事することになった。「人民公社」では、「社員」が耕すのは自分の土地ではなく「公の土地」であり、個々の農民の創意工夫や努力が自分の収入の向上に結びつかないので、この「人民公社」の制度は、農民の生産意欲の減退による農業生産の停滞をもたらした。

 1978年暮れにトウ小平氏によって始められた「改革開放政策」の過程で、1982年頃、「人民公社」は解体された。農地は所有権は村という「集団」が引き続き所有していたが、実際には農民に「耕作を請け負わせる」という形で任されるようになった。農民は自分の創意工夫に応じて自分の「請け負った」耕地で農作ができるようになったので、農民の生産意欲は向上し、中国の農業生産力は向上した。農民の住宅用土地も、村という「集団」の所有ながら、その管理は各農民に任され、住宅の改築なども農民が自分の判断で行えるようになった。

 これが現在の農村の形態である。現在は各農民は、自分の担当する土地では自分の判断で自由に農作をやっているが、土地の「所有権」に関しては、上記の歴史的経緯から今でも「集団所有」のままなのである。現在の中国の法律の解釈では、農民は村から「土地の使用権」を与えられて耕作している、ということになるので、もし村が農民から土地を収用する場合には、その「土地使用権」に対する補償金を支払う必要がある、ということになる。

・・・・・・(「このブログの筆者による注」終わり)・・・・

○現在、農民一人当たりの耕地面積は7.5ムー(約0.5ヘクタール)だが、これでは面積が小さすぎて効率的な農業生産ができない。効率的な農業生産をするには農民一人当たり15ムー(約1ヘクタール)程度あった方がよい。市場原理に基づいて農業生産効率の悪い農民が生産効率のよい農民に土地を売ることにより農民一人当たりの耕地面積が15ムーになれば、農業生産は全体的に効率化する。一方これにより7億人の農民の約半分(3.5億人)の農民が土地を手放すことになるが、彼らは、都市へ出て行って都市で就職し、都市に住むことになる。現在、土地が集団所有制であり、農民は戸籍によって土地と結びつけられているため、経済的にはそれに近い現象が起きているにもかかわらず、制度的に農民は都市に定住できないことになっている。これが現在の農民の都市への出稼ぎ問題、いわゆる「農民工」問題である。土地の私有制は、現在の実際の経済状況に従って農民を土地から切り離し、都市への人口の移動をスムーズに進める助けになる。

○土地の私有制は「土地の集団所有制」という大原則を崩壊させる、と主張する人がいるが、現在の中国が進めている「中国の特色のある社会主義」は、既にその方向に歩み出しており、実質的には「土地の集団所有制」は変質しつつあるのだから、「崩壊する」という言い方はおかしい。

○いわゆる「小産権」のうち、農村の宅地の上に建てられた宅地については、「合理的であるが『不合法』な物件」であり、合法とみなすべきである(このブログの筆者注:「不合法」とは、現在の法律には適合していない、という意味。合理的であるので、蔡教授は敢えて「違法」とか「非合法」とかいう言葉を使っていない)。

○こういった農村の土地制度改革については、今年3月の全国人民代表大会及び政治協商会議の全体会議に議題として提案したいと私は考えている。

○なお、将来的な課題としては、さらに一歩進めて、現在、全て国有となっている都市部の土地の所有権についても、公共目的に使用されている土地については国有のまま残し、そうでない土地については私有とするようにできるのではないかと考えている。

-----「インタビュー記事のポイント」終わり------

 この蔡継明教授の提案は、現在中国が抱える問題の非常に重要なポイントを的確についたもので、非常に合理的なものであると私は思います。ただ、蔡教授自身も言っていますが、「土地の私有制」を認める、ということは、いわば社会主義の大原則を崩す、とも受け取れる部分ですので、もしこれが全人大及び政治協商会議で提案されても、かなりの議論を呼ぶことは間違いないと思います。まず現在の政治状況の中では、実際に「提案する」というところまで持っていけるのかどうか、かなり難しいものがあると私は思います。また、仮に提案できたとしても、相当激しい議論が起こることは必至で、結論が出るとしても相当に長い時間が必要になると思います。

 この提案は、政治的な意味も大きなことはもちろん、経済的にも大きなインパクトを与える可能性があります。これも蔡教授が指摘しているように、ここ10年間の中国の急激な経済成長は、地方政府が安く土地を開発し、それに吸引されて外国から多くの投資が流れ込んで来たことによってもたらされてきたものですので、「土地の私有制の導入」により、ここ10年間の中国経済の急激な成長をもたらた根本的な構造が変わる可能性があるからです。

 もうひとつの大きなポイントは、12月30日に国務院が「『小産権』の都市住民による購入は厳禁する」という通知を改めて出したことに対し、その国務院の政策に真っ向から反対する提案が新聞紙上に掲載され、それが次期の全人大に提案されるかもしれない、という点です。中国では、国務院も全人代も中国共産党の指導の下にありますので、国務院と全人大の方針が異なる、ということは、これまでは基本的にあり得なかったのです。もしこのような国務院の政策に反対するような提案が本当に全人代に出されるのだとすれば、それは中華人民共和国の政治史の中では画期的なことだと思います。

 一方、この主張が「経済観察報」といういわば都市部の「富裕層」(別の言葉で言えば「新社会階層」)が購入する新聞に掲載されている、というところも重要なポイントです。「富裕層」の中には「小産権」に多額の投資をしている人も多いと思われますので、「小産権」の合法化は、「富裕層」にとっての政治的要求のひとつなのだと思われます。つまり、経済的に大きな力を持つようになった「富裕層」が自分たちの権益を守るため政治的な主張をし始めている、というのが、今回のインタビュー記事に現れていると私は思うのです。「富裕層」(「新社会階層」)の政治的要求をいかにして具体的な政策に盛り込んでいくのか、が、現在の中国の政権にとって重要な課題です。「富裕層」にソッポを向かれたら、現在の中国の経済運営はうまくいかず、従って、政治的な運営も困難になるからです。

(参考2)このブログの2007年6月22日付け記事
「新しい社会階層の台頭」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_6737.html

 2008年に入り、経済的にも政治的にも、少しずつ「何か」が動き始めているのを感じます。
 

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2008年1月 9日 (水)

国務院が「小産権」に関し明確な通知を発出

 国務院は昨年末に会議を開き、2007年12月30日付けで、「小産権」(村などの集団所有地の上に建てられた住宅地)に関する法的位置付けを明確にする通知を出しました。

(参考1)「新華社」2008年1月8日15:58アップ
「国務院弁公庁:都市住民は農村で宅地用土地を購入することはできないことを重ねて通知」
http://news.xinhuanet.com/house/2008-01/08/content_7385599.htm

 この国務院の通知のポイントは以下のとおりです。

○農村の住宅用の土地はその村の村民が住むために分配されているのであって、都市住民が農村で住宅用土地や農民の住宅、あるいはいわゆる「小産権房」(農村の土地の上に建てられたマンションや別荘等)を購入することはできない。

○農村などの集団所有の土地の土地使用権を譲渡あるいは賃貸により非農業目的の建設に使ってはならない。全体的な土地利用計画に基づいて建設用地を取得した企業が破産した場合などにのみその当該土地の使用権を法律に基づき譲渡することができる。そのほか集団所有の建設用地の土地使用権が譲渡できるのは、計画の必要性に合致し、法律に則って取得された建設用地の場合だけであり、それらを商品住宅の開発用に使うことはできない。

○農村などの集団所有の土地を土地利用計画などに違反して「貸与」「請負」などの方式により「売らない代わりに貸す」という形で非農業目的の建設用地に使うことが一部の地方で見られているが、これらは厳格に禁止する必要があり、もしこういう事態あれが厳格に検査して処置する。国土資源管理部門は「売らない代わりに貸す」方式で行われている違法行為について全面的な調査を行い法に則って厳格に処置する。

 この通知の背景にある問題点は、以下の点です。

●農村にある村民住宅用の土地については、村当局などが農民からこれを接収して都市住民に売っている例があり、その際、一部に農民の権利を侵害しているおそれがあるところも出ている。

(参考2)このブログの2007年8月5日付け記事
「ある北京近郊の村の『別荘商売』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_2eab.html

●本来農地をつぶして工業用地にすることができるのは、土地利用計画に基づいて、上部機関の許可を得た場合に限られているのに、「土地使用権を売ることはしていないが貸している」「土地を利用した事業を請け負わせているだけだ」などの説明を付けて村当局が上部機関の許可を得ないで土地開発業者などからお金をもらって土地開発をさせている例があり、現実の農地面積が減少してきている。13億人の人口を維持するために必要な食糧の生産量を確保するため、中国政府は農地面積は18億ムー(120万平方km)より絶対に小さくしない、としている。現在の農地面積はまだこれを上回っているが、無秩序な農地開発が進むと、中国全体の農地面積がこの「レッド・ライン」を割り込んでしまうおそれがあるため、中国政府としては、土地利用計画に則らない農地開発はストップさせる必要があると考えている。

(参考3)このブログの2007年7月13日付け記事
「中国の地方政府による無秩序な土地開発」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_1c55.html

 農村などの集団所有の土地の上に建てられた住宅(「小産権」とか「小産権房」とか言われる物件)に対する法的位置付けは、これまで「あいまい」と言われてきていましたが、先の北京の裁判での確定判決(下記の「参考4」参照)や今回の国務院の通知で法的位置付けは明確になったと思います。

(参考4)このブログの2007年12月18日付け記事
「都市住民の『小産権』購入は違法と確定判決」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/12/post_bf8b.html

 しかし、法律的位置付けが明確になったのはいいとして、不動産取引の1割~2割をこの「小産権」が占めていると言われる現状において、現実的な商取引として行われている不動産取引にこの「小産権」の法的位置付けの明確化がどのように影響するのか、はまだ不透明なところです。法的位置付けに基づく厳格な取り締まりを行えば、現実の商取引に混乱を与える可能性もありますし、取り締まりを甘くし現実を追認するようなことがあれば、裁判所の確定判決や国務院の通知があっても法律が実行されないことになり、法治国家としての根本が崩れてしまうことになります。

 中国のことですから「様子を見ながら徐々に取り締まりを強化していく」ということなのでしょうが、厳しく取り締まられた人は損をし、取り締まりが厳しくなる前に素早く物件を売り抜けることができた人は儲かる、という不平等が広まるおそれがあります。不動産取引は巨額の取引であり、特に個人にとっては、一生を掛けた人生最大の買い物です。あまりこれによる不公平感が広がると、社会の中に不満が溜まっていくのではないか、というのが心配になるところです。

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2008年1月 6日 (日)

首都鉄鋼4号炉停止・経済損失26億元

 今日(1月6日)付けの「新京報」によると、北京にある首都鉄鋼の4号高炉が昨日(1月5日)、35年2か月に及ぶ連続生産の役割を終え、停止した、とのことです。

(参考)「新京報」2007年1月6日付け記事
「4号高炉にお別れ、首都鉄鋼400万トン減産へ」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2008/01-06/018@075422.htm

 これは2005年から始まった北京にある首都鉄鋼製鉄所の停止計画の一環で、この後も段階的に溶鉱炉を停止して、2010年には完全に操業を停止する予定です。首都鉄鋼は、河北省などにある別の製鉄所での生産を続け、北京の製鉄所で働いていた労働者は、これらの別の製鉄所に移らせるか、早期希望退職を募って退職させる予定とのことです。

 この首都鉄鋼製鉄所の停止は、北京オリンピックへ向けた排出ガス対策の一環で、オリンピック期間中には首都製鉄の北京の製鉄所は、排出ガス量を通常より70%以上削減する予定である、とのことです。

 この北京の製鉄所の操業停止は、古いエネルギー効率の悪い製鉄所を効率のよい新しいものに代える、その機会に北京に集中した工場を別の場所に展開する、といった意味もありますので、オリンピックのためだけに行われているわけではありませんが、北京オリンピックの開催のための大気汚染改善を大きな目的にして行われていることは間違いありません。首都鉄鋼は、歴史のある国有企業ですから、オリンピックという国家的事業を前にしてその役割を果たすことも使命のひとつなのでしょう。ただ、生産停止による経済損失が26億元(約390億円)あることを考えると、こういうことができるのは首都鉄鋼が国有企業だからであって、私営企業や外資系企業では、いくら国家的行事のための政府の指令とは言っても、こういった大胆な政策的指示は受け入れないと思います。ある意味で、この件は、中国の基幹産業においては、まだまだ社会主義的要素が色濃く残っていることを現していると思います。

 この首都鉄鋼の件も含めて「北京オリンピック成功のため」という名目の下で、いささか無理強い的な政策が進められつつあるようなのが、ちょっと私は気になっています。オリンピックは国民みんなが喜んで迎える行事であるはずです。あまり「オリンピックのために」という名目で強引な政策を進めることにより、「オリンピックさえなければ」という反発心が人々の間に芽生えるようなことがなければよいが、と私は願っています。
 

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2008年1月 2日 (水)

2007年の中国の税収は大幅アップ

 不動産や株の高値続きが「バブルではないか」と多くの人が言っているにもかかわらず価格が下がらない背景には、「最後は中国政府が何とかするに違いない」という変な「安心感」みたいなものがあるからだ、と言う人がいます。中国人民銀行の幹部は、こういった安易な考え方を批判していますが、「中国政府は意外に『お金持ち』だ」と思っている人が多いのは確かなようです。

 今日(1月2日)付けの「新京報」が報じている国家税務総局が1月1日に発表した速報値によると、2007年の全国の税収入(関税及び耕地占有税を除く)は、4兆9443億元(約74兆円)で、前年よりも31.4%の増だったのだそうです。この税収入の額は、中央政府と地方政府の税収の合計ですが、つい先日閣議決定された日本の平成20年度(2008年度)予算の政府原案では国の税及び印紙収入は53兆5540億円と計上されていますから、この中国の税収の金額はかなり大きな金額であると言えます。

(参考1)「新京報」2008年1月2日付け記事
「2007年全国の税収が4兆9442.73億元に達した」
http://www.thebeijingnews.com/economy/2008/01-02/014@111725.htm

(参考2)日本の財務省のホームページ
「平成20年度予算政府案」-「平成20年度一般会計歳入歳出概算」
http://www.mof.go.jp/seifuan20/yosan004.pdf

 なお、2006年決算ベースでみると、中国の全国税収入のうち56.2%が中央政府、43.8%が地方政府の収入となっていますので、中央政府の税収入ベースで言うと、おそらくまだ中国の方が日本よりは金額は少ないと思われます(ただし、日本の場合、4割近くが国債の償還に充てられるので、実際に使われる中央政府のお金としては日本と中国とはだいたい同じ程度、と言ってもいいかもしれません)。

(参考3)中国財政部のホームページ
「財政数据」-「2006年全国財政収入決算表」
http://www.mof.gov.cn/news/czsj2005/Book1.htm

 一方、中国の中央銀行である中国人民銀行が持っている黄金と外貨の準備高は、黄金が1929万トロイオンス、外貨準備が1兆4336億ドルです(2007年9月末現在)。日本の黄金準備2460万トロイオンス、外貨準備9461億ドル(2007年11月末現在)と比べても決して引けを取りません(というか、中国の外貨準備高は、人民元レートを低く抑えすぎた結果であり、過大すぎる、と各国から指摘されています)。

(参考4)中国人民銀行ホームページ
「調査統計」-「統計数データ」-「黄金及び外貨準備高表」)
http://www.pbc.gov.cn/diaochatongji/tongjishuju/gofile.asp?file=2007S09.htm

(参考5)日本の財務省のホームページ
「外国為替・国際通貨制度、国際協力」-「統計」-「外貨準備等の状況」
http://www.mof.go.jp/1c006.htm

 こういう数字を見ていると、日本と比較しても、中国政府の財政的基盤はしっかりしており、中国では、何か起こりそうになったら、政府が支えてくれるだろうし、支える能力も十分にある、と思っている人が多いのでしょう。ただ中国人民銀行の幹部が懸念しているように、そういった「いざというときには政府が何とかしてくれるさ」という安易な考え方は、市場メカニズムによる調整機能を狂わせる可能性があります。また、政府による公共工事や政府調達に頼った産業構造は、結果的には各企業の自立能力が育つのを阻害します。中国は「社会主義の道」を歩む以上、政府によるコントロールが今後も掛かり続けることになりますが、そういった環境の中で、中国の経済活動に参加する各プレーヤーが政府による支援なしで国際的な自由競争の場で勝ち残れる力を育てていくことができるかどうかが、今後を占うカギになると思います。

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2007年12月18日 (火)

都市住民の「小産権」購入は違法と確定判決

 小産権問題(村などの「集団所有制土地」の上に立てられた別荘、マンションなどの住宅物件(小産権)を村民ではない都市住民などが購入することが違法かどうか)について、小産権を都市住民が購入することは違法、と判断した初めての裁判所の確定判例が昨日(12月17日)北京市第二中級人民法院第三法廷で出されました。

 「小産権」に関しては、下記の私のブログの記事を御覧下さい。

(参考1)私のブログの2007年12月15日付け記事
「都市住民による農村の『小産権』購入は禁止」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/12/post_fcc8_1.html

 最近、政府が「『小産権』を都市住民が購入することは法律上認められない」との見解を出していることと、不動産ブームで「小産権」を含むマンションや別荘の価格が急激に上昇していることから、過去に都市住民にマンションや別荘(場合によっては古いままの農民住宅)を売った農民が「売った住宅を取り戻したいので売買契約は法律上無効だったと確認して欲しい」と訴える裁判が相次いでいます。上記の私の12月15日付けブログで紹介しているケースでは、第1審で農民側が勝訴(裁判所が11年前に交わされた住宅売買契約は違法であるので無効である、と判断した)し、都市住民側が上告する方針を示しています。

 こういった状況の中、昨日(12月17日)、初めての上告審のケースの判決が出ました(中国では裁判は二審制なので、上告審の判決が確定判決です)。

(参考2)「京華時報」2007年12月18日付け記事
「北京の農民が画家の李玉蘭氏を訴えていた小産権売買に関する裁判で改訂判決」
http://beijing.jinghua.cn/c/200712/18/n585511.shtml

(参考3)「北京晨報」2007年12月18日付け記事
「宋庄画家村、非合法の判決を受ける」
http://www.morningpost.com.cn/article.asp?articleid=141758

(参考4)「新京報」2007年12月18日付け記事
「初めての『宋庄住宅案件』村民の勝訴で終わる」
http://www.thebeijingnews.com/culture/2007/12-18/011@092037.htm

 これらの新聞記事によると、この事件の経緯は以下のとおりです。

○北京市内の農村部にある「宋庄」という場所で「中国北京新創意産業基地--宋庄」といううたい文句で画家などをターゲットとした住宅物件が売り出された。都市住民である画家のA氏は2002年、4.5万元(今のレートで約68万円)でこの物件を購入した。A氏は、その後、約10万元を掛けてこの家を改造し、ここに住んで芸術活動を行っている。

○2006年年末、この物件の売主である地元農民のB氏は、家の売買契約の無効を訴えて裁判を起こした。B氏は裁判を起こした理由を明確には説明していないが、この物件の現在の評価額は約30万元(約450万円)以上と見られており、そのためB氏が「『小産権』の都市住民への売却は違法」という政府の見解を盾に、この物件を取り戻したいと思っているためだろうと言われている。

○第1審は、この案件は、集団所有の土地の上に建てられた住宅を集団の構成員ではない都市住民であるA氏に売却したためものであるため、この住宅の売買契約は無効、ただし売主のB氏は、買主のA氏に対して、9.3万元の損害賠償を支払うように、という判決だった。買主のA氏が判決を不服として上告していた。

○第2審(最終審)は、土地売買契約については第1審と同様無効とし、買主のA氏には90日以内に家を受け渡すよう命じるものであった。ただ、第二審判決では、損害賠償額については、現在の家の評価額に比して9.3万元と認定した一審の賠償額については、買主のA氏に対して、別途損害賠償の裁判を起こして売主のB氏から適切な額の損害賠償請求をすることが可能であると述べている。

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 「小産権の都市住民への売却契約は法律的に無効」という判決が確定した影響は大きいと思われます。今まで、何回も政府が「停止するぞ」と宣言しても実際は停止されていなかった「小産権」の売買について、今後は買い手が警戒心を強め、実質的に売買が停止される可能性があるからです。「小産権」は北京地区においては、マンションの売買件数の2~3割を占めると報道されており、その影響は小さくないと思われます。今後、既に「小産権」を買った都市住民による損害賠償請求の裁判が多発することも予想されます。

 また、この法論理は、各地の地方政府が農地や農民住宅地などの「集団所有」の土地を勝手に開発して販売している土地の乱開発にブレーキを掛けることになる可能性があります(買い手が警戒して買わなくなるため)。従って、この昨日の判決は、今後の中国の不動産市場に大きな影響を与える可能性があると思われます。

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2007年12月15日 (土)

都市住民による農村の「小産権」購入は禁止

 中国は社会主義国ですので、土地を私有することはできません。全ての土地は国有または村などの集団が所有している「集団所有」のどちらかです。しかし、実際にはマンションや別荘などの不動産の「売買」は行われています。これは、土地については、「所有権」ではなく、その土地の「使用権」を売買する、という考え方に基づいているのです。「土地の使用権」の売買については、従来、法律上の規定がありませんでしたが、実際に行われている不動産売買取引の実態を後追いする形で、今年(2007年)10月1日から施行された「物件法」において、「土地使用権」に対する法律上の位置付けが確立しました。「土地使用権」は、例えば住宅用地の場合70年間など有限ですが、「物件法」により、満期時に延長することも可能になったため、限りなく「土地所有権」に近いものになっています。

 ただ、農村部などで村などの集団が所有している土地の上に建設されたマンションや別荘などを集団の構成メンバーでない人が買うことは法律上問題ないのか、という点については、法律上の位置付けが不明確なままで残っています。都市部の土地は国有なので、中国国民は誰でもその「土地使用権」を保持することが可能、と考えられており、都市部の土地の場合は問題は生じません。農村部の場合は、公式な法律上の位置付けとしては、村の住民でない人は村所有の土地に対する何らの権利も持たないため、村の土地の上に建てられた別荘やマンションを購入することはできない、と考えられています。これは、そもそも中国共産党による革命がその土地に住んでいない大地主が小作農に土地を貸し付けて耕作させる小作農制度を解体することを根本的な出発点としていることに関係しています。村の土地の使用権をその村の住民ではない人に売ることは、実質的に「不在地主」を認めることになり、中国の社会主義革命の出発点の原理を壊すことになるからです。

※ただし、これには考え方が二つあって、農地の場合は実際に耕作する人以外の土地の所有は認めないが、住宅用の土地の場合は村のメンバーではない人がその土地の使用権を持ってもかまわない、という考え方もあります。「小産権」の売買を「可」とする人は後者の立場を取っているのです。なお、「農地の場合は実際に耕作する人以外の土地の所有は認めない」という考え方は、戦後の日本においてアメリカの指導により行われた農地改革の基本原則であり、中国の共産主義革命の「専売特許」ではありません。

 しかし、実態的には、都市部に近い農村では、村が所有している土地の上にマンションや別荘を建てることが数多く行われています。例えば、農民が以前から住んでいた家を取り壊して、その土地に高層マンションを建て、従来の農民がその一角に住み、他の部屋を都市住民に売れば、農民は資金的な負担なしに不便な古い家を新しいマンションに建て替えることができるからです。

 これら集団所有の土地の上に建てられた別荘やマンション物件を俗に「小産権」と呼んでいます。「小産権」には二つの種類があります。

(1)もともと農家の住宅が建っていた土地の上に建てられた別荘やマンション

(2)もともと農地だった土地の上に建てられた別荘やマンション

 上記のうち(1)は、従来からの住宅を建て替えただけですのでそれほど問題にはなりませんが、(2)は農地の減少を伴いますから、国家政策上の重大な問題をはらんでいます。

 これら農村の土地に別荘やマンションを建てて、都市住民に売ったり貸したりしている問題の経緯については、このブログの8月26日付け記事を御覧ください。

(参考1)このブログの2007年8月26日付け記事
「農民の住宅の土地の権利に関する問題」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_b042.html

 この問題について、国務院は、12月11日、常務委員会を開き、「小産権」を都市住民が買ったり借りたりすることを厳禁する、との方針を打ち出しました。

(参考2)「新京報」2007年12月12日付け記事
「都市住民が農村の『小産権』物件を購入することは禁止」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2007/12-12/021@073605.htm

 しかし、従来から「小産権」の物件の売買は実際に行われてきており、過去に売買された「小産権」の権利関係をどう処理するかは、大きな問題です。また、上記のこのブログの8月26日の記事にあるように、例えば、北京で取引されているマンションの物件のうち、建物数でいうと20%、部屋数でいうと30%がこの「小産権」にあたるとされているので、本当に都市住民による「小産権」の購入が禁止になるのだとしたら、マンション売買市場に大きな混乱を与える可能性があります。

 上記の「新京報」の記事では、11年前に自分が住んでいた住宅を売った北京市房山区の農民が、法律上は「小産権」は都市住民が買うことはできないことを知って、物件売買契約の無効確認を訴えた裁判の例が掲載されています。この案件の事情は以下のとおりです。

○農民のAさんは1996年3月、自分が住んでいた6部屋の住宅を都市住民のBさんに1万5000元(現在のレートで約22万5000円)で売った。

○Aさんは今は年老いた妻とともに娘の家族と同居しているが、今年(2007年)になって「小産権」を都市住民に売ることは法律上認められていないことを知り、本来は自分の家と娘の家族の家と2つの家を持つ権利がある、と気が付いて、11年前の住宅売買契約の無効確認を求めて裁判を起こした。

○裁判において、Bさん側は、既に5000元の「村民管理費」を村に支払い済みであり、村の方もBさんを村民として扱っているほか、この住宅の売買契約は村民委員会の同意を得ており、必要な手続きは全て行っている、と主張した。またBさん側は、1996年当時、都市住民が農民の住宅を使用することを禁止した法令はなく、実際、売買に当たってBさんは北京市不動産売買センターで必要な手続きを行って、不動産売買税も北京市に支払ってある、と主張した。

○裁判にあたって、裁判所は、専門家に委託してこの住宅の評価を行ったところ、現時点でのこの住宅の評価額は9.8万元(約147万円)である、と評価された。

○Aさんは、売買契約は無効である上、Bさんに返却すべき金額は、現在の評価額である9.8万元ではなく、1996年の売買時に受け取った1万5000元である、と主張している。

○裁判所は12月11日、この住宅が建っている土地は村の「集団所有」の土地であり、村民ではないBさんにこの住宅を売った契約は農民の住宅の譲渡を禁止した国の規定に違反しており、この売買契約は無効である、と判断した。(新聞記事には、AさんがBさんにいくらの金額を返せばよいか、についての裁判所の判断については書かれていない)。

○Bさんは、この裁判所の判断を不服として、上告する方針。

 私は、民法については詳しくないのでよくはわかりませんが、自らも同意して結んだ11年前の住宅売買契約を無効だとする訴えは、よほどの理由がない限り、日本ではたぶん通らないと思います。また、日本の民法上の請求権の時効は5年なので、11年前の契約を今になって突然覆す、ということは、日本では基本的には認められないと思います(あまり古い契約関係の無効を認めると、その間にその契約関係に基づいてなされた第三者の権利が侵害され、社会的な混乱を起こすおそれがあるため)。日本の場合、11年間適法にその住宅に住んでいるBさんの「住む権利」も尊重されると思うので、なおさらです。

 上記の例と同様の判決例は、このブログの8月6日付け記事にも出てきました。

(参考3)このブログの2007年8月6日付け記事
「『小産権房』(集団所有地上の住宅)をどうする?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_e6d8_1.html

 「小産権」のマンションや別荘の開発を村当局自身が積極的に進める例もあります。

(参考4)このブログの2007年8月5日付け記事
「ある北京近郊の村の『別荘商売』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_2eab.html

 こういった現象は北京周辺だけでなく、中国各地で行われています。

(参考5)このブログの2007年7月13日付け記事
「中国の地方政府による無秩序な土地開発」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_1c55.html

 北京の例で見られるように「小産権」は、中国の不動産ブームのかなりの部分を担っていると思われます。もし、上記に紹介したいくつかの裁判所の判例に見られるように、「小産権」に対する法的保護がなくなるのだとしたら、中国の不動産ブームにかなりの影響を与える可能性があります。

 今回(12月11日)の国務院常務委員会で打ち出された方針は、「小産権」について「厳禁」という言葉を使って明確に禁止の方針を示しているし、「売ることはしない代わりに貸す」といった脱法的行為も明確に禁止しているので、今後かなりの影響が出そうです。「物件法」など、不動産売買が先行し、法律上の規定がそれを追認する、という方式が続いてきた中国の政策の進め方が今後変わるのでしょうか。この「小産権」を巡る動きは、「土地の私有は認めない」という社会主義の基本原則と、土地の使用権の売買も含めて経済の市場原理に任せる方針との境界線上に生じた問題です。ですから「小産権」の問題をどう対処するのかは、今後の中国の政策の進め方のひとつの「試金石」になるのではないか、と私は思っています。

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2007年10月 1日 (月)

2007年10月1日:国慶節の天安門前広場にて

 今日、2007年10月1日は、中華人民共和国成立58周年の記念日(国慶節)です。中国では連休の初日です。私も、かなり涼しくなってきた秋の雨上がりの曇り空の下、ぶらぶらと天安門前広場を歩いてきました。中国人民の多くの皆さんも、だいたいみんな同じようなことを考えているため、天安門前広場周辺は、ものすごい人出でした。日の出の時刻に行う国旗掲揚式には、十数万人の人が集まったそうです。私は、午前10時半頃に行ったのですが、その時も、天安門前広場周辺には、ざっと見て十万人以上の人々がいたと思います。

 国慶節の天安門前広場と言えば、ひな壇に中国共産党の指導者が並び、その前をミサイルや戦車を先頭にして人民解放軍の兵士が行進する、ひな壇の指導者の並ぶ順序によって、今後の指導部の人事を予測する、などという時代が、かつてありました。いつまでそういうことをやっていたのかは記憶が定かではありませんが、少なくとも20数年以上前の1980年代にはそういう行事はやらなくなりました。今の国慶節は、そういう仰々しい行事のない、年に3回ある大型連休のひとつです(他の二つは春節(旧正月)と労働節(メーデー))。天安門前広場は、花壇や臨時の大噴水、万里の長城や天壇公園をかたどった飾り物が並び、地方からの「お上りさん」がごった返す人並みの中で記念撮影をする、そういった場所になっています。

 十万人オーダーの人が集まるので、人波の整理は大変です。狭いところに大群衆が集中して将棋倒しのようなことが起きては困るので、警官や城管(都市管理局)の職員が大勢出て、群衆の整理をしていました。天安門前広場に最も近い地下鉄1号線の「天安門東」駅と地下鉄2号線の「前門」駅は、ホームに人があふれかえると非常に危険なので、国慶節期間中は、駅自体が閉鎖になり、地下鉄の列車は通過になります。人々は、それぞれ1つ手前の駅で降りて、あとは「歩き」で、天安門前広場に来ます。従って、好むと好まざるとに係わらず「ぶらぶら歩く」程度の速さでしか歩けないのです。

 中国は、今、様々な社会的問題を抱えていますが、少なくとも今日の天安門前広場に集まった人たちを見る限り、中国はいたって平和です。花壇や噴水がきれいで、みんな休日を楽しんでいる様子でした。人波を整理する警官や城管職員にも厳しい雰囲気はありませんでした。ただ、地下鉄は、あまり乗り慣れていない「お上りさん」がギュウギュウ詰めになって乗っているので、いささか「殺人的」な雰囲気ではありました。北京の地下鉄1号線、2号線は6両編成なので、利用しようとする人数に比べて輸送能力が少な過ぎるのです(東京の場合も、最初にできた銀座線と次にできた丸の内線は6両編成です)。

 私は今日は普段着にリュックを背負って、手には街のスタンドで買った「新京報」を持って歩いていました。たぶん外国人には見えなかったと思います。天安門前広場の東側は中国国家博物館ですが、その東側は公安部です。公安部の前を歩いている時、警備中の警察官に「ちょっとちょっと」と呼び止められました。「安全のためリュックの中身を確認させてください。」とのことでした。これだけの人波ですから、危険物でも持ち込まれたら危ないので、そういった荷物検査をやっているのだと思います。その警察官は、たまたまリュックの中に折りたたんで入れてあったボウリングのスコアを書いた紙を見つけて、広げて見せてくれ、と言いました。私がその紙を広げて見せると「わかったわかった。御協力ありがとう。」と言って、そのまま行かせてくれました。その警察官は、危険物を持っていないかどうかを確かめると同時に、「好ましくないスローガン」などを持って、天安門前広場で掲げよう、などということを考えていないかどうか、確認したかったのだろうと思います。

 皆さん御存じのように、天安門には真ん中に毛沢東主席の肖像が掲げられており、その両側に、赤地に白抜きで、広場側から見て左側に「中華人民共和国万歳」、右側に「世界人民大団結万歳」という文字が書かれています。今日は、それと対面する形で、天安門前広場の真ん中にある人民英雄記念碑の前には孫文の肖像が掲げられ、その両側に、赤地に白抜きで、天安門から見て左側に「祝賀中華人民共和国成立五十八周年」、右側に「堅定不移地走中国特色社会主義偉大道路」(中国の特色のある社会主義の偉大な道を堅持してぶれずに歩んでいこう)と書かれていました。10月15日から第17回中国共産党大会が開かれますので、それを意識したスローガンの表示だと思います。

(参考)「新華社」ホームページ2007年10月1日14:53アップ組写真
「連休週第一日:天安門前広場に集まった人々」
http://news.xinhuanet.com/photo/2007-10/01/content_6820641.htm

 夜7時の中央電視台のニュースによれば、胡錦濤国家主席・中国共産党総書記は、今日の国慶節は北京にはおらず、上海にいて、工場の視察や、2日から上海で始まるスペシャル・オリンピックに出る知的障害者の人たちと交流したりした、とのことです。

 マンションやオフィスビルの建設ラッシュはどう見てもバブル的で、株の上昇の仕方も尋常ではなく、豚肉をはじめとする物価も上昇し、国内外でニセモノ騒ぎが続き、億の単位で都市部に出稼ぎに出てきている農民工のこどもたちが公立学校へ行けない、というような問題が続いている中で、十数万人の人たちが天安門前広場で穏やかに休日を楽しんでおり、社会が不安定になりそうな気配は全く感じない、それが現在の中国のいつわらざる姿なんだと、今日、国慶節の天安門前広場で改めて思いました。

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2007年9月30日 (日)

月探査ロケット打ち上げ見学費用が1000元?

 日本の月探査機「かぐや」は、今、月へ向かって飛行中ですが、中国の月探査機「嫦娥1号」も順調に行けば年内にも打ち上げられる予定なので、中国では、月探査計画についての関心が高まっています。

(参考1)このブログの9月15日付け記事
「『新京報』1面トップ写真は日本の月探査機」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/09/post_7cb6.html

 その関連で、9月28日、「西昌嫦娥奔月旅遊開発公司」という旅行会社が「嫦娥1号」の打ち上げが見られる場所の入場料を800元~1,100元(12,000円~16,500円)にすると発表しました(「西昌」はロケット発射場がある場所の地名)。この値段について「高すぎる」「高すぎない」とけんけんがくがく議論になっています。2006年の都市部の給与所得者の平均年収が21,000元(約315,000円)、北京のタクシーの初乗り料金が10元(約150円)ですから、800元~1,100元という額は相当に高い値段です。

(参考2)新華社のホームページに2007年9月30日にアップされた掲示板
「衛星発射場の入場料として1,000元は必要なのだろうか」
http://news.xinhuanet.com/forum/2007-09/30/content_6810886.htm

 上記の新華社のネットの掲示板では、「これだけの国家プロジェクトが現場で見られるのだから800元は高くない」という賛成論、「そもそもなんで『西昌嫦娥奔月旅遊開発公司』なんていう会社が設立されているわけ? これって『不当な独占』(中国語で「壟断」)じゃないの?」という反対論、「もし入場料収入が中国の宇宙開発に使われるのなら800元は寄付だと思えば払ってもいいと思うけど、入場料収入がどこへ行くのかわからない。」という疑問、などが交わされています。

 中国では明日(10月1日)から国慶節の連休です。最近は、中国の人々の中にもかなり経済的に豊かな人が多くなったので、この連休中、大勢の人々が国内旅行を楽しみます。そうした中で、最近、有名な観光地の入場料が高すぎる、という不満の声が上がるようになってきています。例えば、北京の故宮博物館の入場料は60元します。故宮は、明・清時代の皇帝の宮殿で、明や清の時代には一般の人々はとても入れるところではなかったので「紫禁城」とも呼ばれています。それが20世紀の革命を通じて、今は、一般の人民でも自由に見学できるようになりました。そういった歴史的意味を考えれば、「入場料が高くて、やっぱり一般人民は入れない」というのではまずいと思います。企業や財団などの寄付によって運営されていて入場料をタダにしているアメリカ・ワシントンD.C.のスミソニアン博物館やロンドンの大英博物館などのことを考えると、「人民の国」中国の故宮博物館の入場料が「人民」にとっては高すぎるというのも、おかしな話です。

 北京にいる農民工の人たちなどは、初乗り10元のタクシーなどには絶対乗りません。彼らは市内の移動には、自転車か、そうでなければ、ICカードを使うと割引料金の0.4元で乗れるバスを利用します。そういった感覚からすれば故宮博物館の入場料の60元はかなり高いし、ましてやロケット打ち上げ現場の800元~1,100元などという入場料は別世界の話のように見えると思います。

 故宮博物館などは、施設や展示品の保管管理や補修にお金が掛かるので、ある程度の入場料を徴収することは理解はできます。しかし、ロケット打ち上げ現場の見学コースは、維持管理にそんなにコストが掛かるとは思えません。ロケット打ち上げ現場の入場料を取ろうという「西昌嫦娥奔月旅遊開発公司」という会社がどういう会社なのか、どういう経緯で国が管理している打ち上げ現場にお客を入れる許可を得たのか、入場料収入のうちどのくらいの額がこの会社にいくのか、などはよくわかりません。今の中国では、なんでもかんでも「お金儲け」の道具にしよう、という空気が蔓延(まんえん)しています。また、「からくりはよくわからないけど、うまくやってお金を儲けている会社」もたくさんあります。この「ロケット打ち上げ見学場所」の入場料の話も、そういった現在の中国の雰囲気を表すひとつのエピソードだと思います。 

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2007年9月26日 (水)

中国北京の国家大劇院でこけら落とし

 中秋節の9月25日、北京の人民大会堂のすぐ西隣にある銀色の巨大なドーム型をした「国家大劇院」(大劇場)で、初めての上演(こけら落とし)が行われました。この「国家大劇院」は、オリンピック・メインスタジアム(俗称「鳥巣」)や中央電視台の新しいオフィス・ビルディングなど、現在ぞくぞく北京に誕生しつつある「奇抜な建築物」のひとつと言えると思います。この「国家大劇院」の建設は、江沢民前国家主席の肝入りで始められたプロジェクトだと言われています。大きなタマゴのような巨大なドームは、いかにも現代建築技術の粋を尽くしたような建造物なのですが、場所が、人民大会堂のすぐ西隣、中南海(中国共産党本部のあるところ)の長安街を挟んだ真向かい、という周囲に由緒ある建物群が集まっている北京のど真ん中であるだけに「周囲の雰囲気と不釣り合いだ」と、北京市民からはイマイチ評判がよくない建物です。

 故宮の北にある小高い山「景山公園」から南を見ると、故宮(明・清の時代の宮殿)が見え、その向こうに天安門、その向こうに天安門広場、中央に人民英雄記念碑、その向こうに毛沢東記念堂、左側には中国国家博物館、右側には人民大会堂が見えるのですが、これらはみな、歴史を感じる重厚な建物群なので、そのすぐ右隣にこの「国家大劇院」の銀色の巨大なドームが見えると、確かに「場違い」のような感じを受けます。

 昨日(9月25日)の「こけら落とし」には、建設工事に携わった労働者や農民工、この大劇場を建設するために立ち退いた元の住民などが招かれたのですが、今日(9月26日)付けの北京の大衆紙「新京報」では、「『巨蛋』で、工事に携わった人らを招いてこけら落とし」という見出しで記事を載せていました。

(参考)「新京報」2007年9月26日付け記事
「国家大劇院、中秋節にこけら落とし」
http://www.thebeijingnews.com/news/intime/2007/09-25/014@225553.htm

 「巨蛋」とは「巨大なタマゴ」という意味ですが、この見出しは「その筋」から評判が良くなかったからなのかどうか知りませんが、インターネット上の記事には「巨蛋」という語は使われていません。街で買った「新京報」の1面トップの見出しには「巨蛋」と書いてあるんですけどね。

 それにしても、上記のインターネット上の記事を見ると写真も載っているのでわかると思いますが、「こけら落とし」の演目が「バレー劇:紅色娘子軍」とは参りました。時代が30年以上遡ってしまった感じです。共産主義革命の英雄的出来事をバレー劇で表現する「革命的現代バレー」は、文化大革命を推進した四人組の一人で毛沢東主席夫人の江青女史が広めた舞台芸術ですが、改革開放政策の中、急速に発展を続ける中国の首都北京のど真ん中の超近代的建造物「国家大劇院」の最初の演目が「紅色娘子軍」とは、これまた建物の外観と同じように、現在の周囲の社会の雰囲気とは相当にミスマッチだ、と私は感じました。

 私が以前北京に駐在していた1980年代後半は、改革開放政策が離陸し始めようとしていた時期でした。改革開放政策は、文化大革命を否定するところから出発していますので、当時、「文革的なもの」は意識的に否定しようとしていたし、諸外国に対して「中国は決して文革の時代へは戻らない」ことを必死でアピールしていました。それに比べると、今の中国は非常に近代的な面がたくさんある一方で、「ちょっと時代を間違ってるんじゃないの」と思えるような共産主義革命の香りを強く漂わせる場面に出くわすことが結構あります。「バレー劇:紅色娘子軍」は、あくまで舞台芸術のひとつであって、それを「文革的なもの」と決めつけて捉えるのは誤りだと思いますが、私個人にとっては、やはり「昔」を思い起こさせるイメージがあります。

 この「国家大劇院」は、外観上のミスマッチに加えて、もし演目上の「ミスマッチ」が重なるのだとすると、社会主義路線と急速な経済成長との間で悩み続ける現代中国を象徴している存在だ、と言えるのかもしれません。

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2007年9月12日 (水)

「法治国」の方針を立てて10年

 今日(9月12日)付けの人民日報に「法治が中国を変えた~法に基づき国を治めるとの基本方針を打ち出してから10周年に際して~」という特集記事が掲載されていました。1997年9月12日、第15回中国共産党大会で、「法に基づき国を治める」という文字が党の基本方針に明記されてから10年になるのを記念しての特集記事とのことです。

(参考)「人民日報」2007年9月12日付け記事
「法治が中国を変えた~法に基づき国を治めるとの基本方針を打ち出してから10周年に際して~」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2007-09/12/content_19621148.htm

 実際、この10年間、それまで法律上の規定が明確ではなかった部分に関する法律が次々に制定され、社会の多くの部分が法律に基づいて判断できるようになってきたのは事実だと思います。それでも、中国では、先日9月9日に放送されたNHKスペシャル「激流中国:民が官を訴える ~土地をめぐる攻防~」で紹介されていたように、開発のために土地収用を進める地方政府と、それに反対する住民との間の争いなど、法律上のトラブルが頻発しています。こういったトラブルが最近中国で増加しているということは、法律の未整備が露呈している、と考えるよりむしろ、住民の側の法律に基づく権利意識が高まってきている証拠だ、と前向き考える方が正しいと思います。

 上記の「人民日報」の記事では、「数千年に及ぶ封建的な中国では、君主には権利があるが人民には権利がなく、法によって統治されるのではなく人によって統治され、特権が横行し、権利は主張されず、人民は奴隷のような労働を強いられてきた。昔の人は、優れた君主や大臣に良い政治を寄託し、『優秀な人が上に立てば政治はうまくいき、優秀な人が上に立たなければ政治は機能を失う』という歴史の周期を繰り返してきた。」と中国の過去の歴史を振り返っています。

 また、この記事では、中華人民共和国成立の後、「法治」の兆しが見えはじめたが、法治の道は平坦なものではなかった、として、中国共産党の過去に対する反省も掲載しています。この記事では「文化大革命」の時期は『人』が政治を行い災難を招いた」と文革期の政治のあり方を反省しています。

 結論として、この人民日報の記事では、文革の後、改革開放路線の中で中国共産党の指導により「法治」が進展してきていることを強調しています。

 確かに、中国で社会の根幹をなす法律が次々と整備されつつあるのは事実です。ただ、この10月1日に施行される「物件法」は、土地使用権等の権利を法律上明記したもので、日本で言えば「民法」に当たりますが、日本では百年以上前の明治時代にできた「民法」がまずあって、その法律的基礎に基づく経済的権利義務関係の上に立って経済成長を遂げてきたのに対し、現在の中国では「民法」にあたる法律がないまま高度の経済成長が計られてきたわけで、経済的現状だけが先に行っていた今までがむしろ「異常」だったのであって、現状を法律的に追認するような形で各種の法律が整備されつつある、と考えた方が正しい思える部分も多々あります。

 中国においても「法律の規定よりも党の方針の方が優先する」というようなことは、今後、減っていくものと思われます。そういった方向性を「中国の社会は進歩している」と捉えることもできます。一方、「『法治国』という方針が明示的に決まってからまだ10年しかたっていないのだから、まだまだ先は長い。民法ができて100年以上経つ日本と違い、中国ではまだまだ法律に基づく権利義務関係が社会に浸透していない状況の下でこれだけ高度の経済発展を遂げたため、経済的利害関係を法律によって調整することが難しい場面も多く出現し、まだまだ困難な時期は続く。」と見ることもできると思います。

 法律とは、東洋的統治機構においては「お上が人民を統治するために作った人民を縛るためのもの」という考え方が主流ですが、西洋型民主主義の考え方では、法律とは、「政府機関が我々人民の意向に反した行動を取らないように政府機関を縛るために我々人民が作ったルール」を意味します。本当の「法治」とは、後者の意味での法律に基づき政治が行われることを意味すると私は考えていますが、中国において、私の考える「本当の法治」が実現するまでには、まだかなりの時間が掛かると思いますので、まだまだ長い目で見ていく必要があると思います。

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2007年9月 8日 (土)

中国の法律における行政府への委任

 今日(9月8日)発売の経済専門紙「経済観察報」(2007年9月10日号)の1面に、中国の法律における行政府への委任事項について評した社説が載っていました(タイトルは「立法における『原則とする』というやり方は誰のために余地を残しているのか」)。この社説では、今年3月の全国人民代表大会(全人大)全体会議で可決された「企業所得税法」(2008年1月1日施行)について、実施細目がまだ明らかになっていないため、各企業が自分たちがどれだけの税金を払うことになるのかいまだ明確になっていない例を取り上げて、法律が「原則」を定めることに留まり、詳細を行政府に委任してしまうと、実施細目の決定や法律の解釈において、行政府に過大な自由裁量権を与えてしまう、との懸念を表明しています。

※残念ながら、この社説をネット上で見ることはできません。最近、中国でも新聞の売れ行きに影響を与えるのを避けるため、重要な記事はネットでは見られないようにしているケースが増えています。

 日本の場合、法令は、大まかに言って、国会(立法府)で可決される「法律」と、行政府の長である内閣総理大臣をヘッドとし各府省の大臣をメンバーとする閣議で決める「政令」、各府省がそれぞれ定める「省令(府令)」などに分類されています。国民の権利と義務に直接関係する事項は、国民の代表者である国会議員の議決によって決める「法律」に規定しなければならず、「政令」や「省令(府令)」で規定するのは、法律の定めによって委任された範囲内で、細かな規則を定めるものに留めることになっています。国会の議決を必要とする「法律」は、改正するのに時間が掛かりますので、社会の動きに対応して迅速に改正する必要がある細かな事項などは、「法律」の委任に基づいて「政令」や「省令(府令)」で定められるのですが、税率、刑罰の重さ、など直接的に国民の権利や義務に関係する事項は、例外がある場合はどのような場合が例外であるかも含めて、「法律」で明確に決めなければならず、「政令」や「省令(府令)」に委任することはできない、というのが原則になっています。

 一方、中国の法律では、原則についての規定がある一方、例外規定が設けられていて、どのような場合に「例外」扱いになるのかについての規定は行政府(中国の場合は国務院)などに委任されているケースが数多くあります。例えば、「経済観察報」の社説が例として挙げている企業所得税法では、税率は法律に書いてありますが、優遇措置として減税の対象となる「国家が重点的に援助している公共基礎施設プロジェクトに投資したことによる所得」「一定の条件に合った環境保護目的、省エネ目的、水資源節約目的の所得」「一定の条件に合った技術移転所得」などについては、具体的にどういったものが対象になるのかは行政府(中国の場合は国務院)の判断に任されています。また、減税の額についても法律には書かれていません。

(参考1)ネット版「人民日報」人民網のページにある
「中華人民共和国企業所得税法」全文
http://finance.people.com.cn/GB/8215/79833/5491575.html

 最近、中国では、経済活動の根幹をなす重要な法律が次々に成立しています。例えば、今年3月の全人大全体会議では土地に対する権利等を規定した「物件法」が、6月の全人大常務委員会では「労働契約法」が、8月の全人大常務委員会では「独占禁止法」(中国語では「反壟断法」)が次々に成立しています。

(参考2)(独)科学技術振興機構(JST)中国総合研究センターのホームページ
「JST北京事務所快報」第5号(2007年9月5日)
「中国の科学技術関連法律の最近の動向」
http://crds.jst.go.jp/CRC/

※上記の記事の筆者はこのブログの筆者です。

 これらの重要法律が、実際に施行される際に行政府がどのような実施細目を作るのか、どのような法解釈で実際の法律の運用がなされるのか、について、中国の内外の関係者は大いに注目しています。土地は国有または集団所有であるという社会主義の原則の下で土地使用権等の権利をどう扱うか、政府による経済のコントロールを原則とする社会主義の原則の中で「自由競争の原則」を規定した「独占禁止法」がどのように運用されるのか、は、まさに中国の現在の「社会主義市場経済」の行く末を決める重要なものだと言えるでしょう。

 従来、議論百出でなかなか方向性がまとまらなかったこれらの重要法律を次々と成立させている現在の胡錦濤政権は、法律面でも「改革開放政策」の基盤を固めつつある、と言っていいと思います。これらの法律が、「経済観察報」の社説が心配するように、行政府の自由裁量権を拡大させたり、法律が目指している本来の目的からずれたりすることのないようにすることが、中国の「改革開放政策」を本物にするための重要なポイントになると思います。

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2007年9月 7日 (金)

分散と集中:80年代と今の中国の体制の違い

 私は1986年10月~1988年9月に北京に駐在したことがあり、今また2007年4月から北京に駐在しています。ずっと継続して中国に係わってきた人には、少しずつ変化してきたので何でもないことであっても、20年ぶりに北京に駐在するようになった私としては、大きな変化として鮮烈に感じるものがあります。経済的な発展は、もちろんそのひとつですが、政治体制の違いも私は感じました。

 私が20年前に北京にいた1980年代後半は、トウ小平氏による改革開放路線がスタートしてまもなくでした。そのため、1976年まで続いた文化大革命の反省に立ち、文化大革命が冒した問題点をいかにして克服するか、というのが主要な課題でした。農村では、1982年頃に人民公社が解体され、農民に生産請負制、即ち、農民に生産を請け負わせた結果として一定量の収穫量は公的部門に納めてもらうものの、それ以上生産したものは農民の裁量で売却し、自分の収入にすることができる、という制度がスタートしていました。これがその後の農業の生産力の向上に非常に効果があったと言われています。現在につながる市場経済の導入の始まりでした。

 それと同時に、トウ小平氏は、毛沢東主席のカリスマ性に頼った個人崇拝的な指向や権力の過度の集中に対する警戒感を持っていました。そのため、自らはあまり表に出ず、党の中央軍事委員会主席のポストには就いていたものの、他の政府の要職からは引退していました。この時代、文化大革命の当時に各地に建てられていた毛沢東主席の像は、ほとんどが撤去されました。トウ小平氏が主導して1981年6月に出された中国共産党の「党の建国以来の若干の歴史問題に関する決議」(歴史決議)では、毛沢東主席は革命を指導した偉大な指導者であることは全く揺るがないが、毛主席も晩年には誤りを冒した(=文化大革命のこと)のであり、毛主席の「すべて」が正しい、とする考え方は誤りであるとされました。ある人の「すべてが正しい」という考え方は、個人崇拝につながるものである、とされていたのです。そういった考え方が、各地の毛沢東主席の像の撤去に現れていたと思います。

 1986年10月に私が北京に着任した当時、中国共産党総書記は胡耀邦氏、国務院総理は趙紫陽氏、国家主席は李先念氏でした。この当時の国家主席は、名誉職的存在で、党の統括は胡耀邦氏が、行政の実質的な統括は趙紫陽氏が仕切っていました。権力が集中することはよくない、という反省に立った上での措置だったと思います。

 一方、現在は、胡錦濤氏が、中国共産党総書記と国家主席を兼任し、中国共産党軍事委員会主席も兼ねています。国務院総理は温家宝氏ですが、外交上、外国の首脳と会談するのは国家主席たる胡錦濤氏です。現在の国家主席は単なる名誉職ではなく、中国政府の実質的な代表者です。このように党総書記、国務院総理、国家主席の役割が1980年代のものから変化しているのは、1980年代の「権力分散体制」が、結果的に1989年に見られたような「よくない効果」を産んだ、と考えられたからだと思います。

 個人崇拝については、現在も誰も肯定はしないと思いますが、1元以上のすべてのお札に毛沢東主席の肖像が描かれていることに見られるように、1980年代にあった「毛主席の偉大さはいささかも揺るがないが、だからといって何でもかんでも『毛主席』を引っ張り出すのは個人崇拝につながりやすいので、できれば避けるべきだ」という感覚とは、今の感覚は若干違ってきています。中央電視台の夜8時からの連続ドラマは、今日(9月7日)からまた新しいシリーズが始まりましたが、前回のシリーズも、今回のシリーズも、党の歴史を扱った「歴史物」であるため、毛沢東主席が重要な役回りで登場しています。私は「毛主席の偉大さだけに頼るのではなく、毛主席の築いた基礎の上に立って、我々は自らの力で前へ進むのだ。」という気概のあった1980年代を知っているだけに、今のように何でもかんでも毛主席のカリスマ性に頼ってしまうような傾向には違和感を感じます。

 テレビドラマで中国共産党の歴史を描いた「歴史物」が続くのは、10月15日から始まる予定の党大会へ向けて雰囲気を盛り上げるためでしょうから、しかたがないと思います。ただ、現在は、1978年にトウ小平氏が始めた改革開放路線の延長線上にあるのですが、スタートしてから30年近くが経過して、驚異的な経済発展や一定の資産を持った「新社会階層」の増加などの「変化」が生じてきているのに、政策の方針の一部がその社会の「変化」とは逆のベクトル方向を向いているようにも見えるのが、と私としては気に掛かるところです。

(参考)このブログの2007年6月22日付け記事
「新しい社会階層の台頭」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_6737.html

 「わざと逆ベクトルのような様子を見せて、全体としてバランスを取っているのだ」という考え方もありますが、このあたりの調整をどのように行っていくのかが、1か月後に迫った党大会の大きな課題なのだと思います。

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2007年8月31日 (金)

中国製品の品質問題は外国バイヤーのせい?

 今日(8月31日)付けの中国の英字紙「チャイナ・ディリー」の意見欄に「中国製品の品質問題は、無理難題を言ってくる外国顧客のせいだ」という署名入りの意見評論が載っていました。

(参考)「チャイナ・ディリー」2007年8月31日付け記事
"Unrealistic foreign buyers created Chinese product 'quality problem'"
http://www.chinadaily.com.cn/opinion/2007-08/31/content_6070860.htm

 英語が読めなくても、ひ弱な中国企業の上でふんぞり返る外国人バイヤーが描かれたマンガを見れば、この意見評論の言いたいことはわかると思います。

 この意見評論を書いたのは、John Goss というイギリス人で、「自分は中国人女性と結婚して5年以上香港に住んでいるので、半分は中国人だ。」と自分でこの評論の中で言っています。彼の意見のポイントは、外国のバイヤーが「もっと安くしろ」「もっと納期を短くしろ」と無理難題を押しつけてくるので、お客を失いたくない中国の製造メーカーは品質を維持することができなくなってしまっているのだ、ということです。

 私は、こういった主張は現実の一端を表していると思います。外国のバイヤーが中国に求めているのは「とにかく安く、とにかく早く作ること」です。「少々値段が高くても時間が掛かってもよいから、品質の高い製品を作ってください」と中国に頼む外国のバイヤーなど今はいないのです。従って、そういう「安値買いたたき」のプレッシャーの連続が中国製品を「安いけれども品質がよくない」ままに留めている、という面は否定できないと思います。

 しかし、中国が「自分は市場経済の原理を利用して発展していくのだ」という方向性を定めた以上、市場経済社会においては、顧客が要求する無理難題の中で、品質を維持・向上させた上で値段を安くする努力を続けられる企業だけが生き残り、そうでない企業は生き残れないのだ、という市場経済の「オキテ」がある、ということは覚悟しなければなりません。日本や韓国の企業だって、そういう厳しい国際競争の中を生き抜いて来たのです。「品質が向上しないのは無理難題を言うバイヤーのせいだ」という論理は、厳しい市場経済の世界の中では通用しないのです。

 「ひ弱な中国企業に無理難題を押しつけて、もしかして自分は19世紀の大英帝国と同じことをしているのではないか」と常に自問していると思われるこの意見評論の筆者のイギリス人には、私はむしろ敬意を表しますが、だからといってこういうイギリス人の論評を掲載して「言い訳」めいたことをしているチャイナ・ディリー紙の意図には賛成しません。「中国製品の品質問題は、外国のバイヤーのせいだ」という論理は、世界中どこへ行っても通用しません。そういった考え方から脱しなかったら、いつまでたっても「中国製品」の名誉回復はできないと思います。

 今、中国製品がどんどん売れているのは大部分の中国製品が安くて品質がそれなりだからです。粗悪品が中国製品の中の一部にしか過ぎないことは誰でも知っています。あるCNNの番組でアメリカの広報の専門家が言っていましたが、そういう状況の中で中国政府が「粗悪品は一部にしか過ぎない」と声高に強調するのは、広報戦略上は全くヘタなやり方で、むしろ逆効果なのです。粗悪品しか作れない企業には市場から退場していただく、という最も基本的な市場経済の「オキテ」に従って、現実的に「粗悪な中国製品を市場から追放する」ことが「中国製品」の名誉回復の最も確実な方法なのです。

 もし、「中国は社会主義国であり、多くの労働者を抱えていながら技術力が低い国有企業が多いので、簡単に『よい品質の製品を作れない企業は市場から退場していただく』などというわけにはいかないのだ。」と言うのだったら、残念ながら激しい競争を続ける国際マーケットでプレーすることは考え直してもらわなければならないと思います。国内に貧しい地方や膨大な農民人口を抱えているのはわかりますが、2001年にWTOに加盟して国際マーケットに打って出てプレーするのだ、と決めた以上、結局は、中国も、相手プレーヤーの少々強い当たりにも対処できる基礎体力を付けていくしかないと思います。 

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2007年8月26日 (日)

農民の住宅の土地の権利に関する問題

 農村の村所有の土地(集団所有の土地)の上に建てられた住宅(いわゆる「小産権」「郷産権」と呼ばれるもの)の取り扱いをどうするかが今中国で社会問題になっていることは、これまでもこのブログで何回か書いてきました。法律上のタテマエでは、集団所有の土地に建てられた住宅は、その集団のメンバー(つまりその村の村民)しか使えないはずなのですが、実際には、村の外部の市街地の住民などに貸し出されたり、売られたりしているのです。

(参考1)このブログの2007年6月26日付け記事
「北京では耕地などに作ったマンションの売買を停止」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_94bc.html

(参考2)このブログの2007年8月5日付け記事
「ある北京近郊の村の『別荘商売』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_2eab.html

(参考3)このブログの2007年8月6日付け記事
「『小産権房』(集団所有地上の住宅)をどうする?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_e6d8_1.html

 この問題について、2007年8月27日号(8月25日発売)の経済専門週刊紙「経済観察報」の「観察家(オブザーバー)」の欄で、北京大学・長江商学院教授の周其仁氏が「小産権、大きな機会~農村建設用地譲渡の制度的変遷~」という論文を書いています(この文章は、北京大学中国経済研究センター第10回中国経済観察シンポジウム(2007年7月29日)における発言を一部修正補充して文字化したものです)。周其仁教授は、法律の規定を杓子定規に当てはめず、経済の実態を見て、むしろこの「小産権」問題をひとつのチャンスと捉えて土地制度改革のきっかけとすべき、と主張しています。

 この「小産権」の問題は、農村における土地所有権をどうするのか、という問題であり、「社会主義の原則」と「市場経済」をどう溶け合わせるか、という現在の中国が直面する最も重要な問題に関係するため、多くの関係者が真剣に議論をしているのです。

 周教授の論文によれば、農民が住んでいる住居とその住居が建っている土地の所有権についての歴史的経緯と問題の所在はポイントとして以下のとおりです。

○「人民公社」時代の1962年の中国共産党第8期第10回中央委員会全体会議で採択された「農村人民公社耕作条例修正草案」には次のような条文がある。

<第21条>生産隊(人民公社の中の単位)の範囲内の土地は、生産隊の所有とする。生産隊が所有する土地は、人民公社の社員(=村民)が自分で管理している「自留地」「自留山」及び宅地が建っている土地も含めて、貸し出したり売買したりすることは認めない。

<第45条>人民公社の社員(=村民)の住宅については、永久にその社員による所有を認める。社員は、住宅を貸したり、売ったりする権利を有する。

 つまり、人民公社時代の規定では、村民は、自分の家を貸したり売ったりする権利を持つが、その住宅が建っている土地を貸したり売ったりする権利は持っていない、ということである。従って、Aさんが自分の家をBさんに売った後、Bさんのものになった家が火事で焼けて何もなくなってしまった場合、その土地に新しく家を建てる権利を持っているのは誰か、という問題が生じる。この人民公社時代の規定では、法律上、この点が明確ではなかった。建前上は、土地は生産隊の所有だから、Bさんは勝手にその上に新しい家を建てられないはずである。ただ、現実的には、習慣法的に、このような場合、家を買ったBさんが新しく家を建てる権利を持っている、という解釈で運用が行われてきた。

○「人民公社」時代は、就業など生活の全てがその土地に縛られていたので、問題はほとんど表面化しなかった。しかし、改革開放後、土地を離れる農民が増えたため、土地に対する権利の問題が表面化してきたのである。

○統計によれば、現在、中国全国の農村戸籍人口は9.4億人である。しかし、実際にそこに常住している人は7.4億人である(2005年の数字)。つまり、2億人以上の人が自分の戸籍がある土地に住んでいないので、農村住宅の貸し借り、売買が多数行われるようになったのである。

○現在、法律上「農地を非農地として転用するのは国の許可に基づき国により利用される場合のみ」「(都市部の土地などの)国有地の土地使用権は、貸し借り、売買が可能」となっているが、「農民が住んでいる住宅が建っている土地を別の用途で使う場合」の規定がない。

(このブログの筆者注:法律のタテマエ上は「農地を非農地として転用するのは国の許可に基づき国により利用される場合のみ」なのだが、実際は「上部機関の許可を得た上で農地の土地使用権が開発業者に売られて別荘などの開発が行われているケース」や「村当局が上部機関の許可を得ないで勝手に開発業者に農地の土地使用権を売って開発業者による別荘開発が行われているケース」などがあり、問題を複雑にしている)。

○「土地使用権」は、今は、通常70年の年限を持って貸し借り、売買が行われているが、「土地使用権」は、その期限が長くなればなるほど、「土地所有権」と実態上の差がなくなってしまう。特に2007年10月1日施行の「物権法」によれば、住宅用土地の使用権は、一定の条件を満たせば、期限が来ても期限の「自動延長」が可能なので、「土地使用権」を買うことは「永久土地所有権」を買うことと同じになるのであろうか?

○農民の住宅用地の面積は、全部合わせると16.4万平方キロに及び、その面積は河南省全体の面積に近く、全ての都市部の面積の4.6倍に当たる。これだけ膨大な土地の貸し借り、売買を法律上どのように扱うかは、土地政策上極めて大きな影響を持つ。

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 資本主義社会においても、自由に使ったり、貸したり、売ったりできる一般の動産に対する所有権と異なり、土地に対する所有権は結構難しい問題を含んでいます。特に農地の場合はそうです。日本の場合も、戦前、大地主の土地所有の下で多くの小作農が苦しんでいた経験を踏まえ、戦後、農地改革により「耕作者が土地を所有すること」が大原則となりました。現在の日本の農地法では、農地の所有権が耕作者以外の者に移転されることについては、様々な制限が設けられています。戦後の日本の農地改革は、アメリカ軍を主体とする進駐軍の指導により行われたのですが、その内容は、大地主から土地を取り上げて実際の耕作者である小作農に分け与えるという極めて社会主義的なものだったのです。

 今、中国では、日本の戦後の農地改革とは全く逆に、「人民公社時代」に一端純粋に社会主義化した農民の土地(農地と農民の住宅地)の権利関係を市場経済化した現在の中国の経済実態にどのように合わせて行くのか、という苦労が試行錯誤的に行われているのです。

 上記の周其仁教授の文章によれば、現在、北京の「小産権」の物件は、80か所あり、これは市場に出回っているマンションの数で言うと20%、売買されている部屋の数でいうと30%に当たる、とのことです。一般に「小産権」の物件は、北京市の中心街からは遠いのですが、村が自分の持っている土地を切り売りしているため値段を安くすることができます。このため、市街地のマンションを買えない人たちが数多く購入しています。周教授によれば、「小産権」の物件を買っているのは、退職後に住むことを念頭においた中高齢者、中心街の値段の高いマンションが買えない若年層、投機目的で買っている人、の3種類いるとのことです。「小産権」の物件は「安い」とは言っても1平方メートルあたり2,000~3,000元(30,000~45,000円)、70平米の物件で14~21万元(210~315万円)します。下記の「新京報」の記事によれば、今年の北京市新卒者(大卒・高卒・中卒全体)の中位クラスの初任給が月給2,000元弱(約3万円)ですから、相当に高い買い物であることには違いありません(北京市街地でのマンション価格は、今は、上記の4~6倍の1平方メートルあたり12,000元以上します)。

(参考4)「新京報」2007年8月15日付け記事
「大学卒初任給、高いレベルの者は月収6,450元」
~500余の職業について月給の標準価格が確定、社長クラスの平均年収は25万元(約375万円)~
http://news.thebeijingnews.com/0553/2007/08-15/021@283649.htm

 これら「小産権」を既に購入している人たちが多数いる、ということを踏まえて、現実的な土地政策を採らないと大変なことになると思います。ただ、ここは、まさに「社会主義の原則」と「市場経済の現実」とが真っ正面からぶつかり合うところですので、中国政府も慎重の上にも慎重な議論を重ねて、政策を決定していくことになると思います。

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2007年8月11日 (土)

「新左派」と「新自由主義派」

 2007年8月6日号(8月4日発売)の経済専門週刊紙「経済観察報」は、「観察家」(オブザーバー)のページで、この7月11日に三聯書店が発行する雑誌「読書」の共同編集長を突然に更迭された汪暉氏と「経済観察報」編集部との対談を掲載しています(タイトルは「汪暉:『現代化自体を考え直す必要がある』」)。雑誌「読書」は、1979年から発行されている思想誌で、汪暉氏は、1996年初からその共同編集長を務めていました。汪暉氏は、急速な経済発展は都市と農村の格差を拡大させ、国有企業の無秩序な民営化は大規模な腐敗と国有資産の流失を招いたとして、現在の経済政策を批判し、経済の行き過ぎた市場化を抑制し、経済の中に占める公有制経済の重要性をもっと高めるべきだ、と主張しています。もちろん、彼は、文化大革命時代のような原理主義的な共産主義を求めているのではなく、改革開放政策を進めることは認めていますが、急激な市場経済化による「歪み」を批判しているのです。彼のような考え方を持つグループは「新左派」と呼ばれています。

 一方、「経済観察報」が累次掲載している社説や論評では、「中国共産党による指導による政治運営」という大前提の下で、誤った政治運営を人民が是正し、納税者の声が政治に反映できるような民主的な制度にすることを提唱しています。それは、例えば、中国共産党が多数を維持しつつも、他の政党の声が政治に反映できるような多党制を目指すもの、と言ってもいいかもしれません。そもそも中華人民共和国成立当時は、中国共産党が政治の全てを支配していたわけではなく、中国共産党の指導の下で、知識人や中小商工業者等の代表からなる複数の政党が話し合いで政治の方向性を議論する体制でしたので、そういった中華人民共和国の建国の原点に戻るとともに、「中国共産党による指導」という原則の範囲内で、できるだけ民主化を進めることを主張しているわけです。このような方向性を目指している考え方を持つ人たちは「新自由主義派」と呼ばれます。

 現在の中国では、「中国共産党による指導の下での政治運営」という基本原則を覆そうとするものでない限り、比較的自由な言論が行われていますから、「新左派」と「新自由主義派」とは、いろいろな雑誌、新聞を通じて議論を行ってきました。雑誌「読書」は「新左派」を代表する思想誌と思われてきましたが、発行元の三聯書店は、7月11日、共同編集長を努めていた汪暉氏と黄平氏を突然更迭しました。その理由については、様々な憶測が行われていますが、真相はわかりません。

(参考)gooニュース(産経Web)2007年7月27日03:30配信
「新左派系編集長を更迭 中国の雑誌「読書」 市場経済…販売政策を転換?」
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/m20070727030.html

 この産経の記事では、この共同編集長の更迭の背景には、雑誌「読書」の発行部数が落ちたことと、本来の「学術誌」から離れ過ぎてしまったことへの読者の不満がある、と分析しています。

 「新自由主義」の旗手である「経済観察報」が「新左派」の先頭に立ってきたと見られている汪暉氏を招いて対談を行ったことについては、この「経済観察報」の対談記事の冒頭で、漢代の劉向が言った言葉「君子が人と交わろうと思えば、水と火のように合わない相手でも憂えてはならない。鼎(かなえ:古代の鍋)を置いて、水と火が混じり合わなければ、おいしい料理はできないのと同じだ。」を引用し、あえて自らと意見の異なる論客を招いて議論を深めたいと思ったからだ、と述べています。一定の条件ははめられているものの、その範囲内で理性的に活発な議論が行われている現在の中国の言論界の状況を示すひとつのエピソードだと思います。

 なお、現在の中国には、「新左派」でも「新自由主義派」でもない、いわば「既得権益グループ」とでも称すべき人々が存在します。一部の地方政府の幹部などのことで、社会主義に基づく政治権力をバックにして、市場経済化の波に乗る一部企業と結託して「金儲け」をしている人たちです。彼らは、自らの権力の源である社会主義の原則は守られる必要があると考えている一方、「金儲け」を続けるためには、市場経済化による急激な経済発展が今後も続くことを望んでいます。人民による選挙などの民主的な方策によって自らの地位を追われることを最も嫌うグループです。しかし、この「既得権益グループ」は、単に金儲けに走っているだけで、崇高なる思想などありませんから、「新左派」と「新自由主義派」の論争、といったまじめな思想上の議論には登場してきません。今後の中国の行方は、良識ある思想家・政治家たちが、思想なき「既得権益グループ」をどのようにコントロールしていけるかに掛かっていると思います。

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2007年8月 6日 (月)

「小産権房」(集団所有地上の住宅)をどうする?

 「小産権房」、即ち村有地など集団が所有する土地の上に建てられた住宅(別荘、マンションなども含む)は、その集団のメンバー(村の場合は村民)以外には法律上の権利は及ばない、というのが中国の法律上の建前ですが、実際にはこれら「小産権」の別荘やマンションは多くの場合、都市住民など土地を所有している集団のメンバー以外の人に売却されています。この問題をどう扱うかが現在の中国の大きな社会問題になっています。この問題については、このブログの昨日の記事「ある北京近郊の村の『別荘商売』」でも書きましたが、ネット版人民日報「人民網」では、今日(8月6日)、この問題に関する特集記事をアップしていますので、今日も触れてみたいと思います。

ネット版人民日報「人民網」2007年8月6日00:29アップ
「拆(チャイ)! 『小産権房』は生死の瀬戸際に直面している」
http://politics.people.com.cn/GB/30178/6072490.html

(注)「拆(チャイ)」とは、機械や建物を解体する、取り壊す、という意味です。取り壊す予定の旧い建物には「危険なので中に入らないように」という意味も含めて○の中に「拆」の字を書いたマークがペンキで描かれます。今、北京でも、この「拆」のマークが書かれた旧い建物をあちこちで見ることができます。

 上記の特集記事では、過去に書かれたいくつかの記事をまとめながら、問題点となっている現象をいくつかピックアップして報じています(それぞれの段落の「詳細」というところをクリックすると、過去に書かれたこの問題に関する様々な記事にリンクするようになっています)。

 山東省済南市では、この7月、市行政当局が違法な「小産権房」を強制的に取り壊しました。その様子が写真入りで紹介されています。この強制取り壊しに対して、済南市当局のスポークスマンは、次のように説明しています。

○村有地などの集団所有の土地の上に建てられた住宅(「小産権房」)は、法律上何らかの規定があるわけではない。

○法律上の許可を得て建てられた合法的なものもあるが、法律に従った許可を得ずに建てられた違法な「小産権房」は、許可がなく建てられているため、市全体の都市計画に合致していない。

○我々は何回も工事の停止や警告を発した。口頭での警告を何回もし、その後、文書による警告も出した。度重なる警告にも係わらず工事が続行された場合は、電気の供給を停止することなどにより工事を停止させた。法律に違反し、都市計画に合致していない建物は強制的に取り壊さざるを得ない。

○違法な建物であることを承知の上でこの住宅を購入した者は、法律上、当然補償の対象とはならない。

○許可なく建てられた違法な『小産権房』は、劣悪な材料を使っているかもしれないなど、安全性は誰も保証していない。一般市民が出入りすることになることを考えると、絶対多数の人を保護するためには、法律に基づき処理せざるを得ない。

 この特集記事の筆者は、何千万元(日本円で億円単位)も掛けて建てられた新品の「小産権房」を何百万元(数千万円単位)のお金を掛けて取り壊すのは、いくら違法とは言え社会経済上の損失が大きすぎるし、社会不安の原因にもなりかねない、そもそもこれらの建物は建設労働者の血と汗の労働の成果であることを忘れてはならない、と述べるなど、強制取り壊しには批判的な立場で書いています。この記事の筆者は、違法な建設ならば、そもそも建物が建てられる前に強制的に工事を止めるべきである、と主張しています。

 一番最後には北京市での事例として、農民が村の土地の上に建てた別荘を北京市に住む画家に売ったことに関する裁判の例が載っています。農民は、売買契約を交わして北京の都市部に住む画家に「小産権」の別荘を売ったが、後になってこの別荘は違法なものだから売買契約は無効であって、現在でも画家から使用料を徴収できるはずだ、として裁判を起こしたものです。一審では農民側が勝訴しました。裁判所は、売買契約は無効で、別荘に対する農民の権利は現在でも残っている、との判断を示したのです。この裁判は、別荘を買った画家側が判決を不満として上級審に控訴しているためまだ結論は出ていません。この北京の画家と農民との裁判に関する記事(7月30日付け「中国経済週刊」記事)の筆者は、農民は、正式に書面による売買契約を結んで画家に別荘を売ったにも係わらず、最近の不動産ブームによる別荘の価格の急激な値上がりを見て、自らの権利を回復させたいと思って裁判を起こしたのだが、こういった行為を裁判所が認めてしまうことは、法律上の解釈としては間違っていないのかもしれないが、双方が合意の上で成立した「売買契約」が後で覆ることになり、「合理的」とは言えないのではないか、と批判しています。

(参考1)ネット版人民日報「人民網」にリンクされた「中国経済週刊」2007年7月30日(第29期)の記事
「画家と農民との『小産権房』を巡る争いについて裁判所が判断」
http://paper.people.com.cn/zgjjzk/html/2007-07/30/content_14196299.htm

 土地に対する権利、というのは、いつの時代でも、社会の最も根本をなす法律上の位置付けのひとつです。「土地は全て国有、または集団所有で、個人による私有は認めない」という社会主義の大原則に立っているのが今の中国です。その中国において、市場経済を導入し、現在、資本主義社会のような土地開発ブームが起きているわけです。中国の土地ブーム(不動産ブーム)においては、土地については現在でも私有は認められておらず、例えば70年間といった期限付きでのその土地の「使用権」が売買されているにすぎませんが、この「長期にわたる使用権の売買」は、実態的には「所有権の売買」に限りなく近い、ということが、法律上の「タテマエ」と経済実態との矛盾を生じさせ、様々な問題を表面化させているのです。「小産権」問題は、社会主義の原則の上に立って市場経済原理を急速に導入してきた現在中国の経済社会の矛盾を象徴する典型的な問題のひとつと言うことができると思います。

 個人や企業の「所有権」について何を認めるか、について定めた法律「物権法」が今年3月の全国人民代表大会で成立し、今年(2007年)の10月1日から施行されることになっています。

(参考2)全国人民代表大会のホームページにある中華人民共和国物権法(中国語)
http://npc.people.com.cn/GB/28320/78072/78092/5487932.html

 そもそも今まで「所有権」に関して規定した「物権法」がない状態で市場経済を導入してきたこと自体が政策の進め方としては順番が逆なのであって、様々なところで矛盾点が出てくるのは当然である、という議論はよくなさるところです。中国の場合は「人民を豊かにする」という最終目標を達成するため、制度の改革をその成果を見きわめながら徐々に行ってきているため、どうしてもこういう「制度改革の逆転現象」が起こる場合があります。「小産権」問題もこの「政策と現実との逆転現象」が生み出した問題のひとつですが、上記の特集記事の筆者が言っているように、多額の資金を掛けて作られたピカピカの「小産権」マンションを「違法だから」という理由で取り壊してしまうのは、国民経済上の大きな損失ですから、こういう損失が起きないよう、うまく多くの人が納得できる解決策を考え出して欲しいものだ、と私も思っています。

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2007年8月 5日 (日)

ある北京近郊の村の「別荘商売」

 最近の中国の住宅ブームに乗った大都市近郊の農村における「開発」の一例として、北京の大衆紙「新京報」が密雲県(行政区域としては北京市内:北京の市街地から車で1時間半くらいのところにある農村地帯)のある村の最近の様子をルポしています。

「新京報」2007年8月3日付け記事
「ある村の共産党支部書記の『小産権』住宅を使った商売の経緯」
http://news.thebeijingnews.com/0547/2007/0803/011@280934.htm

(注1)「小産権」とは、村のような集団所有の土地の上に立てられた住宅物件に関する権利またはその権利の対象となっている住宅物件のこと。中国は社会主義国なので、土地の私有は認められておらず、全ての土地は国有か、そうでなければ村などの単位の「集団」が所有している土地です。法律の建前上、国有地の上に建てられた住宅ならば、一定の使用料を支払えば全ての国民にこれを利用する権利がありますが、集団所有の土地の上に建てられた住宅については、その集団のメンバー(村の場合は村民)以外の者がその住宅を使用する権利はないはずです。しかし、実際には、農村部の村が所有する土地に建てられた別荘などを都市住民が購入して利用している例が全国に数多くあります。こういった不動産に対する権利を中国語で「小産権」または「郷産権」と言います。今年6月25日、国土資源部と北京市当局は、今後「小産権」の住宅・マンションの工事・販売を停止する方針を発表しました。しかし、既に建設・販売が行われている「小産権」の住宅・マンションをどうするのか、既に購入した人の権利はどうなるのか、などの方針が明らかにされておらず、実態的には、多くの場所で、いまだに「小産権」の上に建てられた住宅・マンションの建設工事や販売は行われています。

(参考1)このブログの2007年6月26日付け記事
「北京では耕地などに作ったマンションの売買を停止」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_94bc.html

(注2)中国では各地方政府の共産党委員会の書記(トップ)はその地方政府の首長よりも地位が高く、実質的な行政の最終判断は党書記が行います。村の場合は、村長よりも、共産党の村支部の書記の方が地位が高く、村支部の書記が実質的な政策の判断責任者です。

 「新京報」のルポルタージュが述べているこの村の共産党支部書記が採った方策のポイントは以下のとおりです。

○村民の旧い住宅を取り壊してひとつにまとめ、新しい村民住宅を建設する。

○村の耕地2000ムー(133ha)を回収し、一部は乳牛の飼育場と野菜生産地にし、残りには別荘を建てて売りに出す。

○村民には、乳牛飼育場または野菜生産地で働いてもらうことによって就業問題を解決させる。別荘を売って得た収入は、耕地を提供した村民に対する食糧補助に充てるほか、新しく建てた村民住宅の水道代、冬季の暖房代などに充てる(従って、村民住宅に入る村民は、水道代、暖房費などを払わなくて済むようにする)。また、別荘を売って得た収入で、老人に対する補助金などを支払う。

 2003年から売り出された広さ220平方メートル以上の豪華な別荘は、場所が北京市街地に近いこともあり、2003年は30万元、2004年には40万元、2005年には50万元で売れ、昨年(2006年)末には100万元(約1,500万円)以上で売れました。そのため、耕地を提供した農民に対する補助を行うことも十分に出来、老人に対する補助金などは他の村よりも多額にすることができたため、村民の中で文句を言う人はあまりいませんでした。

 しかし、ある乳牛農家は、自分の家を引き渡す際の補償金の額が十分でないと考え、旧い自分の家を取り壊して新しい村民住宅に移転することを拒否しました。

(注3)こういう土地開発に対して単独で移転に反対する家のことを、中国語で「釘子戸」と言います(中国語の「新語・流行語」の類です)。「釘(くぎ)のような家」というような意味です。開発業者による「地上げ」に反対する「釘子戸」の様子は、最近、日本でもよく報道されるので御存じの方も多いと思います。

 村の書記は、この「釘子戸」の乳牛農家に対し、村の獣医による診察を停止させる、という措置を執りました。これに対し、この乳牛農家は、村の書記による獣医の診察停止は違法である、として裁判を提起しました(この裁判は、8月2日から審理が開始されました。「新京報」の記事は、この裁判の審理開始をきっかけとして書かれたものです)。

 法律では、耕地をつぶして住宅や別荘を建てる際には、上部機関の許可が必要です。この書記は上部機関の許可を取らずに、別荘と村民住宅の建設を進めました。上部機関(密雲県国土資源局)はこれを問題にし、昨年、この村に対して罰金250万元(3,750万円)の行政処罰を科しました。しかし、別荘の価格の高騰で、別荘の売り上げ収入が十分にあったことから、この書記は罰金250万元を支払ったとのことです。罰金は支払ったが、上部機関の許可を得る手続きはいまだにやっていないとのことです。「罰金」という処罰が、お金持ちにとっては実質的には痛くもかゆくもなく、罰金を支払った上で平気で違法状態を続ける、という最近の中国のよくない傾向のひとつの例です。

(参考2)このブログの7月28日の記事
「『なんでもかんでも罰金』の功罪」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_a073.html

 かつてこの書記の前任の書記だった人は、このやり方に反対しています。今は、別荘が値上がりして売れているからいいものの、耕地だった土地を全て開発してしまって売り尽くしてしまった後は、村民はメシを食うすべを失ってしまうからです。これに対して現職の書記は、「農地を耕して農業をやるのは儲からない」として、まだ開発が始まっていない耕地でも全く耕作を行わず、荒れ放題にしたままにしてある、とのことです。

 6月25日に国土資源部と北京市当局が「小産権」の住宅・マンションの工事と販売を停止する方針を発表した後も、この村での別荘の工事は続けられているそうです。「新京報」のこのルポルタージュでは、裁判の対象になっているからだと思いますが、あえてこの書記の政策がいいとも悪いとも言わず、淡々と事実関係を伝えるだけに留め、「新京報」としての意見を表明するのは差し控えています。

 「小産権」の住宅・マンションについては、6月25日に国土資源部と北京市当局による工事・販売の停止方針の発表の後、各新聞紙上で「実際にこれだけ売買が行われているのに、いきなり停止なんて無理だ」「既に購入した人の権利はちゃんと守られるべきだ」などいろいろな議論が行われました。一時期「近々国務院でこの問題に関する会議が開かれ、方針が示される見通し」という記事も載ったことがあったのですが、その後、具体的には何の動きもありません。一部の「小産権」を開発している村では、「販売」という看板を「賃貸」に書き換え、「我が村の物件はあくまで村民の所有物である。それを都会の人に70年間という期間限定で賃貸して利用してもらい、その賃貸料(利用料)を最初に一括して支払っていただこう、というものである。賃貸しであるから、販売には当たらず、従って法律上は何の問題もない。」と説明しているところもあるそうです。「おかみに『政策』があれば、我々しもじもには『対策』がある」という中国ならではの現象ですが、急激に成長を続ける中国経済を示す数字の中には、こういった形の「開発」によるものも含まれている、ということは、常に認識しておく必要があると思います。

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2007年8月 1日 (水)

小売価格を政府がコントロールしないようにとの通知

 最近、中国の消費者物価の上昇はかなりの高いレベルです(6月の消費者物価指数は対前年比4.4%高)。そこで、今、物価の安定が政府の重要な課題なのですが、この6月頃、セン西省(センはこざとへんに「狭」のつくり)の蘭州市で、蘭州名物の「牛肉麺」の値上がりが激しいため、市政府が「牛肉麺の価格は2.5元以下にせよ」という通知を出して話題になったことがありました。この時は、「そもそも市政府が牛肉麺の価格をいくら以下にしろ、などと指示することはおかしい」「いや、貧しい市民ためには必要な政策だ」「値段の上限を決められたら、お店は品質を落として売るだけだから、消費者としては全然ありがたくない」など、様々な議論がなされました。

 最近、ときどきこういうことが起こるので、中国政府の国家発展改革委員会は、地方政府に対して「物価の安定には努力すべきだが、正常な経済活動が行われている限り、地方政府は価格決定に直接係わるべきではない」との通知を出しました。

(参考1)「新京報」2007年7月31日付け記事
「発展改革委員会、地方政府に価格を提示するのを控えるようにと指示」
http://news.thebeijingnews.com/0546/2007/0731/011@280084.htm

 これに対して、翌日の今日(8月1日)の「新京報」の「観察家」という評論欄では、「市場のことは市場に任せ、政府は政府がやるべきことをやるべき」として、この発展改革委員会の通知を肯定的に論評しています。

(参考2)「新京報」2007年8月1日付け評論欄「観察家」
「物価が上昇すればするほど、政府権力の境界を明確にすべき」
http://comment.thebeijingnews.com/0845/2007/08-01/011@012142.htm

 この論評では、市場の動きは市場に任せるべきで、政府は、価格設定を自ら行うようなことをせず、政府が行うべき政策の範囲を明確にして、低所得者に対する保護対策としては、補助金の支給や社会保障を充実させるなどの対策に集中すべきだ、と指摘しています。

 長年、自由主義経済の中で暮らしている日本の人々にとっては、政府が牛肉ラーメンの値段を決めるなんておかしい、と感じる人が多いと思いますけど、中国は社会主義国なので、日本の感覚よりも政府がかなり細かい経済活動にまで直接的なコントロールをしようとする傾向があります。日本などの自由主義経済の国々でも、電気、ガスなどの公共料金やタクシーなどの交通機関の料金は、かなり政府によるコントロールがなされてきました。政府が、具体的な価格にどこまで介入するかは、まさに政策判断の問題です。今、日本などでは政府のコントロールをできるだけなくす方向に動いています。中国の場合は、社会主義という大前提の中で市場経済が導入されてきており、経済発展とともに、いろいろ制度改革を行ってきているので、政府や企業、消費者などの経済活動に参加しているプレーヤーたちの間に、政府がどの程度具体的な小売り価格に介入すべきか、という「相場観」が共通認識としてまだでき上がっていません。「牛肉麺」のような、一般小売り商品の価格を政府が決めてしまおうとした蘭州市の試みは、現在の中国経済の現状には合わないものだと私は思うのですが、地方政府の当局者の中には、まだまだ「政府が価格をコントロールできる(コントロールすべき)」と思っている人がたくさんいるようです。

 先月、広東省深セン市(センは「土」へんに「川」)の市長が、車が増えすぎた市内の状況を憂慮して「市民は、公共交通機関を利用すべきで、車を買うのは控えるべきだ。」と発言して不評を買ったことがありました。

(参考3)China Daily 2007-07-06
"Shenzhen mayor: Stop buying cars"
http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2007-07/06/content_911196.htm

 車を買う買わないは個人の判断であり、政府がコントロールすべきものでも、コントロールできるものでもありません。香港に隣接し、最も経済的に最先端を行っていると思われている深セン市の市長の発言だっただけに「まだ政府がそんなに市場経済に介入できると思っているのか」という市民の反発があったようです。

 地方政府の担当者が、現実の市場の実情とかけ離れた政策を取ってしまうのは、地方政府が市場のことをよく知らないから、と言えばそれまでですが、地方政府のトップが住民の選挙で選ばれているのではない、という実情、つまり経済は市場経済化されているが、行政には市場経済のようなフィードバック機構が働いていない、というところに原因があると私は思っています。

 中国は、改革開放政策を採るようになって以来、社会主義と市場経済との間の「さじ加減」をいろいろな経験を踏まえながら、うまくコントロールしてやってきていると思います。しかし、いまだに「牛肉麺」の値段を政府が決めようとする動きがあるところを見ると、改革開放後既に29年が経とうとしているのですが、まだうまい「さじ加減」は見つかっていないようです。経済社会は日々変化していますから、うまい「さじ加減」がわかった、と思ったら、実体経済は既に変化してしまった、ということの繰り返しなのかもしれません。昔から、中国は「実事求是」(事実に即して真理を追求する)をモットーとしてきましたし、毛沢東は特にこれを重要視しました。逆の見方をすれば、今回の発展改革委員会による地方政府が原則として価格に介入することのないように求める通知は、中国の経済政策システムが、ひとつのシステムとしてまだ固まっておらず、正しい回答を求めて今でも流動的に動いていることを端的に示しているものだと思います。

 中国と関係を持って行こうとする人は、常に「動きながら考える」という姿勢が大事なのだろうと思います。

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2007年6月26日 (火)

北京では耕地などに作ったマンションの売買を停止

 今日(2007年6月26日)の人民日報の一面は、以下の記事で塗りつぶされています。

「胡錦濤総書記が中央党校(共産党幹部を養成する学校)で重要な講話を行って強調した『中国の特色ある社会主義の偉大な道をたがうことなくしっかりと進み、全面的に穏やかな社会を建設するという新しい勝利の局面を奪取するために奮闘しよう』」

 下記のURLを見ていただければわかりますが、この見出しの書きぶりといい、紙面の雰囲気といい、この雰囲気は30年くらい時代が遡った感覚を覚えます。WTOに加盟して5年以上がたち、世界経済の中で華々しく活躍する現代の中国からすると、雰囲気的に相当なミスマッチ感を感じる紙面です。

「人民日報」2007年6月26日付け1面トップ紙面
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2007-06/26/node_17.htm

 胡錦濤総書記の「重要講話」のポイントは、新しい時代の情勢に直面して、以下を行おう、というものです。

○トウ小平氏の理論と「三つの代表」(中国共産党が「先進的生産力」「先進的文化」「広範な人民の利益」の3つを代表する、という考え方。2001年に江沢民総書記が打ち出した)の思想を堅持する。

○改革開放政策を堅持する。

○科学を発展させ「和諧社会」(調和のある社会)の建設を促進させる。

○四つの基本原則(改革開放政策を強力に推進したトウ小平氏が守るべき基本原則として掲げた四つ:社会主義の道を歩むこと、人民民主主義独裁を貫くこと、共産党の指導の下に全てを進めること、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想を守ること)を堅持する。

○全面的に穏やかな社会(小康社会)を作るべく努力する。

 基本的に「今までの路線を堅持するぞ!」という意図表明であり、新しい点は何もないのですが、新しい点と言えば、最後の「穏やかな社会(小康社会)を作る」と単語がちょっと新しさを感じます。この言葉は、現在の状況を踏まえると「バブルは許さんぞ!」というふうに解釈するのが自然だと私は思います。

 中央党校での講話なので、見出しが「お堅い」感じになったのかもしれませんが、急激な経済成長に警戒感を持つ「保守派」に対して配慮した、という意味もあったのだと思います。

 同じく今日(6月26日)の別の新聞には下記のような記事が載っていました。私はこれは偶然の一致ではなく、「バブルは許さない」という党・中央の硬い意志を示しているという点で、一貫していると思います。

「新京報」2007年6月26日記事
「北京『小産権』房要停工停售」
(北京では国有の土地ではない耕地などに作ったマンションの工事と販売を停止する必要がある) http://news.thebeijingnews.com/0553/2007/06-26/015@272145.htm

「北京晨報」2007年6月26日記事
「小産権房将停工售」(国有の土地ではない耕地などに作ったマンションの工事と販売を停止)」
http://www.morningpost.com.cn/article.asp?articleid=111259

 中国は社会主義国ですので、土地の私有というのはあり得ません。土地は国有であるか、村などの地方政府が所有しているか(集団所有)のどちらかです。集団所有の土地にマンションを建てた場合、その集団に所属していない外部の者は、土地に対して何の権利もないので、マンションの部屋を買うことはできないのが原則ですが、現実的には、地方政府が自分の持っている集団所有の耕地などの上に勝手にマンションなどを建てて外部の人に売って収入を得ることが横行しています。こういったマンションの権利のことを「郷産権」とか「小産権」とか言っています。

 上記の記事は、昨日(6月25日)に国土資源部と北京市政府が、集団所有の耕地などを開発して建てたマンションは外部の人には土地についての権利がないので、そういう土地の売買は今後停止させるし、工事も停止させる、という意向を示したことを伝えるものです。

 上記の記事によれば、北京の土地で国有なのはわずか18%で、残りは「集団所有」の土地だ、とのことです。「新京報」の記事によれば、北京の「小産権」のマンションは72棟、これを仮に1プロジェクトあたり10万平米だと仮定したとして概算すると、北京で売買されているマンションの3分の1がこの「小産権」に当たる、としています(この計算は、かなり大ざっぱなのであまり正確ではない可能性があります)。北京晨報の記事では、北京で売られているマンションの2割程度が「小産権」にあたる、と見積もっています。北京晨報の記事では、「小産権」の物件は、行政区域としては北京市内ですが、市街地からかなり離れた郊外地区に集中しており、市街地周辺地区に比べて25%~30%とかなり割安なため、買う人が多い、と指摘しています。

 土地の私有が認められていない社会主義国の中国で、マンションを売買する際には、常にこのようなリスクは伴っているわけですが、「バブルを防ぐため」とは言うものの、急に社会主義の原則を持ち出してきて一部のマンションの建設と売買を停止させる、というのは、いささか荒療治過ぎるような気がします。政府に言わせれば「そもそも集団所有の耕地などの土地にマンションを建てること自体違法なのだから、そういった違法なマンションの建設や販売を止めるのは当然」という理屈なのでしょうが、これに対して市場がどう反応するかが心配です。

 実は、昨日(6月25日)付けのチャイナ・ディリーの You Nuo 氏のコラムに "Time to take heed of economic warnings" という記事を読んで、私は「近々何かあるのではないか。」と思っていました。

China Daily 2007-06-25 "Opinion"
"Time to take heed of economic warnings" by You Nuo
http://www.chinadaily.com.cn/opinion/2007-06/25/content_901226.htm

 このコラムでは、ポイントとして、以下のように言っています。

○中国本土の最大の不動産デベロッパーである Wang Shi 氏は、珠江デルタの記者を前にして、「いつまでに」という時間的なことは言わなかったが、次のように語った。「今の中国の株の狂気は長続きできるものではない。いつの日か、バブルがはじけるか、あるいは内部の圧力を何らかの方法で解放するほかの方法を見つけるべき日が来る。」

○多くのエコノミストが、中国は今までと異なる発展の仕方をすべき大きな曲がり角の中にいる、と主張している。

○一方、多くの株のトレーダーはそうは思っていない。

○ただ、株のトレーダーが考えている「時間枠」は非常に短く、今と2008年の第三四半期、すなわち北京オリンピックが終わった時点との間のことしか考えていない。

○彼らは、『いつまでも続くパーティなんてない』ということはわかっているけれども、政府はオリンピックが終わるまでは大きな経済的ショックを受けて顔をつぶされるようなことはできなはずだ、と思っている。

○投資家のどん欲な食欲を満たし続けるには、パーティを続けるしかない。しかし、中国の長期的で健全な発展を考えたら、バブルは大きく成長する前に小さなうちにつぶしておくべきだ。その際、オリンピックのことは忘れる必要がある。

 中国の将来を真剣に考えている人は、みんなこのコラムを書いた You Nuo 氏と同じ考えを持っていると思います。胡錦濤総書記や党・中央の幹部の多くも同じようなことを考えていると思います。問題は、具体的にどういう手段でやれば、激しいショックなく、バブルを少しずつ消していけるか、です。

 今回の、耕地などの国有地でない土地(集団所有の土地)に作ったマンションの建設と販売を停止する、という北京における方針の発表は、市場にどういう影響を与えるのか、必要以上のショックを与えることはないのか、気になるところです。一番大事なのは、人々が、急激な動きに走らずに、冷静に行動することだと思います。中国は、これまでも、こういったことは数多く経験してきているので、今回のバブルへの対処でも、うまく対応できるだろう、と私は思っています。

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2007年6月22日 (金)

新しい社会階層の台頭

 今月に入ってから中国の新聞で見た興味深い論調を御紹介します。6月11日の「人民日報」に掲載された「新社会階層~その影が日に日に明らかに見えてきている~」という記事とそれに続く一連の記事です。

 社会がどういう階層から成り立っているか、についての認識は、社会主義社会においては重要な観点です。日本では、ブルジョアジー(有産階級=資本家階級)やプロレタリアート(無産階級)といった言葉は、既にすっかり死語になってしまっていると思いますが、社会主義の理論では、ブルジョアジーとプロレタリアートが闘い、プロレタリアートが勝利するのが革命である、と位置づけられていますので、これらは重要な言葉です。中国では、中華人民共和国が成立した後は、ブルジョアジーはいなくなったので、国内にはともにプロレタリアートである二つの「階級」、即ち労働者階級と農民階級が存在し、このほかにひとつの「階層」として「知識分子階層」(=インテリ階層)が存在する、とされてきました。今、知識分子階層に加えて、社会の中に新しい階層が生まれ、その影響力が大きくなってきている、この新しい階層をどう扱うべきか、というのが、この記事が言わんとしているところです。

(参考1)「人民日報」2007年6月11日付け記事
「新社会階層~その影が日に日に明らかに見えてきている~」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2007-06/11/content_13186008.htm

 この記事のポイントを簡単にまとめると以下のとおりです。

○今、新しい社会階層が台頭してきている。彼らは、改革開放政策の受益者であり、改革開放政策の積極的な推進者である。彼らは、全国の半数以上の技術特許を使っており、全国の3分の1の税収を負担しているほか、新たに増える就業者の約半数を雇用している。

○この階層は、約5000万人と見積もられており、彼らに関連する事業の従業員も含めると約1億5000万人がこの階層に属していると考えられている。

○この階層は、非公有企業(私営企業)の経営者及び自分で自由に職業を選択した知識分子階層(弁護士、会計士など)から構成されている。現在の中国経済の中では、彼らの影響力が日に日に増大してきている。

○中国共産党統一戦線部の陳喜慶副部長は、これらの新しい階層の人々を適切に評価する体制を確立し、これらの階層の人々の中から党外(共産党以外の)人民代表(=国会議員)になれるような人々を養成しようとしているところである、と説明している。
※中国では、基本的に共産党の推薦がないと人民代表にはなれない。

 この記事の脇には、全国政治協商会議副主席・全国工商連合主席の黄孟復氏が以前ある会議で述べた内容を紹介する記事も合わせて掲載されていました。

(参考2)「人民日報」2007年6月11日付け記事脇にある「意見」の欄
「黄孟復:民営企業は内外で『和諧』しなければならない立場に置かれている」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2007-06/11/content_13186009.htm

 黄孟復氏は、「民営企業は、企業内部では労働者との間で賃金その他の面で『和諧』を図ることを常としているほか、企業外部との関係では、製品に対する責任、省エネルギー、環境汚染対策などで努力しており、企業の外との間でも『和諧』を図ることを常としている。」として、民営企業の存在を「和諧社会」建設の中でも重要なものであると、肯定的に評価しています。

 さらに6月15日付けの人民日報では、「新階層を成熟へ向けて歩ませよう」と題する記事の中で、新社会階層の台頭に関して「政府が直面する新課題」と題する、中央党校党建部主任の王長江氏のインタビュー記事を載せています

(参考3)「人民日報」2007年6月15日付け記事
「新階層を成熟へ向けて歩ませよう」の後半部分にある「政府が直面する新課題」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2007-06/15/content_13197469.htm

 このインタビュー記事の中で、王長江氏は、新社会階層が出現する中で様々な問題が生じているのは、彼らの台頭に呼応した法律や制度がまだ健全にできあがっていないからだ、と指摘しています。また、王長江氏は、「新社会階層の政治に対する要求に十分関心を払うと同時に、労働者、農民その他の社会大衆が広く政治に参加する道をどのようにするかを考え、彼らの権益の保護を図るようにしなければならない。」と指摘しています。この指摘が、政治の民主化までを視野に入れたものなのかどうかは、即断することは慎むべきだと思いますが、こういう主張が党校幹部の発言として人民日報の記事として掲載される、という点は注目に値すると思います。

 これらの記事は、日に日に経済的な発言権を増してきている私営企業家や弁護士、会計士などの新社会階層が持っている政治的な要求を、共産党としても無視することはできない、と認識し始めている、ということを示している点で重要だと私は思います。経済的な発言権を増してきている新社会階層の政治的発言権を封じることは、経済的な混乱を招くとともに、今後の経済発展にブレーキを掛けることになるからです。しかし、このことは、現在の中国の政治体制の根本である「共産党の指導」という問題に触れる非常に機微な問題です。というのは、新社会階層は、自由な経済活動の中で力を発揮したいと願う階層ですから、彼らの政治的な要求とは、ややもすると「共産党の指導」を弱める方向に向けられかねないからです。中国の指導部は、これから「共産党の指導」という柱を堅持しながら、新社会階層の政治的要求に耳を傾ける、という難しい舵取りに直面することになります。

 ひとつの注目点は、この問題点が、党の機関紙たる人民日報に堂々と掲載されたことです。この記事を注目すべきと考えるのは、こういった問題点の存在を党・中央自らが認め、これに前向きに対応していくことを内外に宣明したことを意味すると考えられるからです。この「新社会階層」の政治的要求をどのように吸い上げていくのか、という問題は、今年秋の党大会へ向けて、党内でのひとつの重要な議論点になるだろうと思います。

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