カテゴリー「中国の報道機関」の記事

2009年4月24日 (金)

高校女子サッカーチーム替え玉事件

 トルコで行われた世界学校別女子サッカー大会で、4月12日、中国重慶市の大坪中学のチームが優勝を果たしました(中国の学校制度では、日本の中学校に相当する「初級中学」と日本の高校に相当する「高級中学」がありあますが、大坪中学校は「高級中学」)。ところが、この優秀した大坪中学チームのメンバー18名のうち、実際の大坪中学の在校生は3名だけで、残りの15名は全国から選抜されて優秀な「助っ人」たちで、大坪中学チームは、実質的に全中国女子サッカー・ユース・ナショナルチームのようなチームだったことがわかりました。このことは、中国のネット上で、大騒ぎになっていました。

 私は、今週の初め(4月20日)頃から日本のネットのニュースでこの件を知っていましたが、いつも読んでいる北京の新聞「新京報」は、この件については、ずっと「だんまり」を通していました。ところが、今日(4月24日)付けの紙面では、スポーツ面のうち1面全部を使ってこの事件を報じていました。昨日(4月23日)、大坪中学がある重慶市の区の教育委員会と大坪中学の校長が記者会見を開いたことから、「新京報」も「報道してよい、という『お許し』が出た」と判断したのだと思います。

(参考)「新京報」2009年4月24日紙面
「『女子サッカー替え玉事件』で校長処分」
http://www.thebeijingnews.com/news/sports/2009/04-24/008@021500.htm

 この記事によると、大坪中学の校長は「処分を記録に残す」という処分になったのだそうです(免職や減給というわけではないようです)。この記者会見で、校長は「謝罪文」を出したそうです。「謝罪文」のポイントは以下のとおりです。

○今回の件は、スポーツの道徳精神に反し、重慶のイメージに損害を与え、我が校や重慶市の発展、中国サッカー界の発展に関心を寄せていただいている各界の関係者の皆様の感情を傷つけてしまった。

○今回の大会で、大坪中学のチームがよい成績を上げないと、我が校、重慶、及び中国サッカー界が栄光のチャンスを失う、と考え、成績を上げるための最もよい方法は、全国的範囲で選抜されたメンバーの助けを借りることだ、と考えた。その結果、我が校の在校生3名、全国から選ばれたメンバー15名からなるチームとなった。

○今回の替え玉事件は、中国と重慶市のイメージに大きなマイナスの影響を与えてしまった。また、教育に携わる学校関係者として、このような替え玉事件により、学生の健全な成長に良くない影響を与えてしまった。深く悔恨の念を抱くとともに、心から深い謝罪の意を表したい。

 今回の「助っ人メンバー」は世界大会で優勝したことでわかるように、実際に優秀な選手たちだったわけですが、そういった「助っ人メンバー」を大坪中学の関係者だけで集められるのか、「全国から選抜された優秀な選手たち」が集まったのだから国家レベルの機関が関与しているのではないか、というのが、ネット上で議論している人たちの大きな疑惑です。校長は「上部機関には相談しなかった」と述べているし、重慶市教育委員会も「替え玉については知らなかった」と言っていますが、世界大会で優勝してしまった事実が、多くの人に「チームのメンバーは本当に全国レベルで選抜された優秀な選手たちなのだ。だとすれば全国レベルの機関が関与していないはずはない。」という思いを抱かせています。

 「新京報」の記事では、「校長は一人でやった、と言っているが、この国家イメージを損なう事件において『責任を下に押しつける』ようなやり方は、とうてい人を納得させることはできない。どこかの『関係機関』は、反省する必要があるだけでなく、その責任が問われなければならない。」と述べています。「どこかの『関係機関』」とは国家レベルの機関を指す可能性があり、ここまで国家レベルの機関を糾弾するような表現をすることは、中国の新聞にとっては、相当に踏み込んだ表現だと思います。

 また「処分を記録に残す」という校長に対して下された処分についても「新京報」は、区の教育委員会に追加インタビューして「処分はこれで終わりなのか」と食い下がっています(それに対し、区の教育委員会は、「校長は公開の場で謝罪しており、処分としてはこれで妥当だと考えている」と「新京報」の記者に答えています)。

 なお、「新京報」では、このほか、この記者会見はたった7分間で終わってしまったこと、区の教育委員会や校長は記者会見が終わった後は記者の質問には一切答えずに去ってしまったこと、その後校長やコーチは姿を隠してしまい記者が追加取材できなかったこと、など荒いざらいを記事にしています。

 そもそも中国のサッカー界においては、男子サッカーについては、「カンフー・サッカー」という呼称が世界中に定着してしまったように、レッドカード連発のルール無用のプレーが続くので、中国のサッカー・ファンも既に愛想を尽かしています。それに対し、女子サッカーについては、それほど悪評はなく、頑張っている、という評価です。ただ、女子サッカーについては、北京オリンピックで日本に負けるなど、必ずしもよい成績を残しておらず、「もっと強くなっていていいはずだ」という思いがサッカー・ファンの間では強かったのかもしれません。そういった中国のサッカー・ファンの思いが、大坪中学の関係者(またはもっと上のレベルの関係者)に対する圧力になっていた可能性があります。

 しかし、今回の「替え玉事件」で、「中国は男子サッカーばかりでなく女子サッカーも『ルール無用』なのか」といったイメージが世界に発信されてしまったおそれがあります。それどころか、体操選手の年齢詐称疑惑など、中国のスポーツ界にある「疑惑」のイメージを今回の「高校女子サッカー替え玉事件」はさらに強めてしまった可能性があります。

 ただ、この事件について、中国のネットワーカーが騒ぎ、「新京報」のように新聞メディアも「これはおかしい」と糾弾の声を上げていることは、そういった状況を改善させるための貴重な第一歩だと思います。

| | コメント (0)

2009年4月23日 (木)

「中国の民主化」に関連するいくつかの話題

 最近、「人民日報」に「6つの『なぜ』」というシリーズが載り、なぜ西側のような複数政党制の議会制民主主義ではだめなのか、といった疑問に対する解答が掲載されていることを4月10日付けのこのブログで書きました。そういった社会の雰囲気に呼応しているのかどうか知りませんが、最近、北京の新聞「新京報」などににいくつかの記事が載りましたので、御紹介しておきます。

○「値上げ反対Tシャツ」は法律違反か

 最近、相次ぐ公共料金の値上げに反対して、重慶の市民が「値上げ反対」という文字の入ったTシャツを作って売り出したそうです。そうしたら、警察が出てきて、このTシャツを売っていた人は取り調べを受けて、拘留されたのだそうです。

 これについて、4月15日付けの「新京報」では、「公共料金値上げ反対」のTシャツは法律違反ではなく、去年の四川大地震の後に売り出された「I Love China」と書かれたTシャツと同じであって、正常な一般市民の表現である、と主張しています。

(参考1)「新京報」2009年4月15日付け総合評論欄の意見
「『値上げ反対Tシャツ』:理性を持って対処する新しい表現方式」
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2009/04-15/044@081131.htm

 こういった自分の言いたいことを書き込んだTシャツを着て、集団で散歩する「集団散歩」を、私は北京でも見たことがあります。私が見たのは、どこかのマンションを購入した人たちらしい10人くらいの人が「マンション販売会社は約束を守れ!」というような主張を書いたTシャツを着て街を歩いていました。この「集団散歩」は、政治的なスローガンではなく、マンション販売会社と入居者との間のトラブルを多くの人に知って欲しいためのもので、たぶんこれを中国の法律で引っかけることは難しいでしょう。このグループは、城管(都市管理局)の係官に事情を聞かれていました。ただ、私が見ていた限り、このグループの人たちは事情を聞かれただけで、拘束されたりはしなかったようです。

 私がこのグループを見たのは、まだ寒い頃だったので、皆、コートの中に自分たちの主張を書いたTシャツを着ていたのでした。家で、主張を書いたTシャツを着て、その上からコートや上着を着て「集団散歩」をしたい場所へ行き、そこに到着したらみんな一斉にコートや上着を脱いで「散歩」を始める、というやりかたをしたら、取り締まり当局の方も阻止することはほとんど不可能だと思います。

 こういう「文字入りTシャツを着た集団散歩」は、これから中国各地で流行るかもしれません。そもそも、当局が主催するイベントなどで、例えば参加者が「緑を大切にしましょう」などといったスローガンの書かれたTシャツをみんなで着る、というようなことはよくあることなので、「文字の書かれたTシャツを着て集団で散歩する」ことだけで取り締まることは困難です。書かれた文字の中身が中国の基準で「反社会的かどうか」が判断基準になりますが、これはなかなか判断が難しいと思われます。例えば、「人民日報」に載っている「6つのなぜ」の疑問文、例えば、「なぜマルクス主義を指導原理にしなければならないのか?」「なぜ中国共産党の指導がなければダメなのか?」といった疑問文をTシャツに書いて街を歩いたら、警察に捕まるのでしょうか? なかなか判断が難しいところです。

○人民代表大会を公開せよとの主張

 今週開かれている全国人民代表大会常務委員会で、会議規則の改正が議論されました。多くの議員に発言の機会を与えるため、例えば、一人の発言の時間は、最初の発言は15分以内、同じ問題に対する二度目以降の発言は10分以内とする、などです。これに関連して、今日付の「新京報」の社説は、そういった議事進行上の規則だけでなく、全人代常務委員会(実質的に法律などはここで決まる)の会議を公開にし、市民が傍聴できるようにするほか、インターネットで中継するなど議事内容を公開すべきだ、と主張しています。全人代常務委員会の内容は、新聞やテレビで報道されますが、新聞やテレビでは全てを伝えることはできないのだから、(国家秘密に関連する事項の議論などを除いては)一般市民がいつでも見られるようにすべきだ、というのがこの社説の主張です。

(参考2)「新京報」2009年4月22日付け社説
「規則の力を用いて全人代の議事の民主化を向上させるべき」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2009/04-22/008@031503.htm

 中国の全人代では、政府提案の議案が否決されることはありませんが、票決の際にはかなりの数の反対票が出ることもあります。その意味で全人代は政府提案の議案を了承するだけのスタンプ機関ではありません(今年の全人代全体会議では、政府が提出した最高人民法院工作報告と最高人民検察院工作報告について、4分の1近い議員が反対または棄権をしています)。政府提案の法律案が全人代常務委員会の議論で修正されることはよくあることです。それだけに、最近では、議論の内容については関心を持っている市民も多いようです。

 全人代は、一番下層のレベルの人民代表は住民の投票により選ばれますが、省レベル、全国レベルの人民代表はそれぞれ下のレベルの人民代表によって選ばれるという間接選挙制度になっており、人民の意見が全国人民代表大会に直接届くようなシステムにはなっていないのですが、それでも最近の人民代表にはそれなりの問題意識を持っている人も多いので、今後、人民代表制度という制度を維持したまま、ある程度の制度の改革が進むことになるのかもしれません。

○「誹謗罪」から「ただし書き条項」を削除することの可否

 中国の刑法246条には「暴力またはその他の方法をもって他人を公然と侮辱し、または事実をねつ造することをもって他人を誹謗した場合は、その状況が重い場合には、3年以下の有期の禁固、懲役、管理処分または政治的権利剥奪とする。この犯罪は、被害を受けた者が告訴することによって成立する。ただし、社会秩序と国家利益に重大な危害を与える場合は除く。」と書かれています。つまり、通常、「誹謗罪」は被害を受けた人が訴えた場合に初めて警察が捜査に乗り出すのですが、「社会秩序と国家利益に重大な危害を与える場合」には、誹謗された者が訴え出なくても、警察が誹謗した人を逮捕し立件することができるようになっているのです。

 地方政府の幹部を批判する記事を書いた記者が、この条項によって警察に逮捕される例が多発しています。今日付の「新京報」の「観察家」という意見欄にこの「ただし書き」についての意見が掲載されています。「社会秩序と国家利益に重大な危害を与える場合」の定義があいまいであり、警察がこの条文を恣意的に解釈して、地方政府幹部に対する批判を「社会秩序と国家利益に重大な危害を与える場合」と判断して報道機関の言論の自由を制限するために使われているケースがある、と指摘しているのです。この意見記事では、法律を制定した全人代常務委員会は、少なともこの「ただし書き」部分についての法解釈を出すべきであり、この「ただし書き条項」の使われ方の実態を調査して、「ただし書き」部分の削除の可否について検討すべきだ、と述べています。

(参考3)「新京報」2009年4月22日付け「観察家」に載った意見
「『誹謗罪』の『ただし書き』条項を削除することは可能かどうか」(王剛橋(学者))
http://www.thebeijingnews.com/comment/guanchajia/2009/04-22/008@031504.htm

○環境汚染企業に関する情報を公開しなかった地方政府に対し記者が抗議

 最近、黒竜江省で開かれた環境保護状況管理工作会議において、10数人のメディアが参加していたにも係わらず、黒竜江省環境保護局は具体的な汚染企業に関する状況について「秘密事項だ」として説明しませんでした。これに憤慨した一部の記者が会議を退席したとのことです。

(参考4)「新華社」ホームページが斉魯晩報の報道を転載する形で2009年4月22日13:04にアップしている記事
「環境保護局が『汚染排出企業の秘密保護局』になってしまっている」
http://news.xinhuanet.com/local/2009-04/22/content_11231459.htm

 このできごとは、いまだに「メディアは政府の発表を伝えるだけの機関」だと思っている地方政府当局者の認識と「社会のために政府を監督する役目があるのだ」という意識に目覚め始めたメディア側の意識のずれを端的に表しています。 

 この黒竜江省での出来事については、今日付けの「人民日報」でも「某省であった話」として省の名指しは避けていますが、批判的な論評を掲載しています。

(参考5)「人民日報」2009年4月22日付け評論
「誰も汚染排出企業の『秘密を保護する』権利は持っていない」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-04/22/content_237906.htm

-----------------------

 これらの記事を読むと、地方政府とメディアと全人代と人々との間のそれぞれの「意識のずれ」が見て取れます。新聞側がその「意識のずれ」を指摘し、改善するべきだと主張しているところが、最近の中国の新しい局面を象徴していると思います。中国のメディアは全て中国共産党宣伝部の指導の下にありますから、こういった記事が掲載されていることは、中国共産党としても、社会の問題を取り上げて世論を見やすい形にまとめる役割をメディアに期待するようになってきていることを表しているのだと思います。

 ただし、中国共産党にとってこれは「両刃の刃」です。最初の「意見主張Tシャツ」の例や二番目の全人代の公開要求の例などは、中国共産党自身にも跳ね返ってくる可能性のある問題だからです。いずれにせよ、新聞メディアが、社会における問題意識の取りまとめの役割を果たすようになれば、社会は変革へ向かって徐々に動き出すのではないでしょうか。少なくとも、現在の中国共産党はその動きを「押し留めよう」とはしてないようです。それが自分自身の問題として跳ね返って来た時、それに虚心坦懐に対応して、新たな時代へ向けての進歩のために活用できるかどうかが今後問われてくることになると思います。

| | コメント (0)

2009年4月10日 (金)

6つの「なぜ」

 昨年12月8日付けの「人民日報」に中国の政治の根本問題とも言える問題についての問題提起が出ていることをこのブログで書きました。

(参考1)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

 この日の「人民日報」では次の「6つの『なぜ』」に対する問題提起がなされていました。

・なぜマルクス主義に思想上の指導的地位を与えるのか。思想の多元化を図ってはならないのか。

・なぜ社会主義だけが中国を救うことができ、中国の特色のある社会主義だけが中国を発展させることができるのか。民主社会主義や資本主義ではダメなのか。

・なぜ人民代表大会制度を堅持しなければならないのか。「三権分立」をやってはダメなのか。

・なぜ中国共産党の指導の下での多党協力と政治協商制度を堅持しなければならないのか。西側のような多党制ではダメなのか。

・なぜ公有制経済を主体とした多種類の経済を協同させることにより発展させる方法を基本的な経済制度にしなければならないのか。経済の私有化を図ってはダメなのか。また逆に純粋な公有経済制度にしてはダメなのか。

・なぜ改革開放制度を揺るぎなく堅持することが必要なのか。昔たどった道へ戻ることはなぜダメなのか。

 「人民日報」では、こういった極めて根本的な問題についての議論を継続して掲載しています。

 3月30日付け紙面では、「6つの『なぜ』に回答するシリーズ」の第1回として「なぜ改革開放の中でマルクス主義を堅持しなければならないか」を論じています。

(参考2)「人民日報」2009年3月30日付け記事
「改革開放の中でマルクス主義を堅持することについて」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-03/30/content_221937.htm

 4月3日付け紙面では「シリーズ」の第2回として「なぜ中国の特色のある社会主義が歴史的選択なのか」について論じています。

(参考3)「人民日報」2009年4月3日付け記事
「中国の特色のある社会主義の路線が歴史的選択であることについて」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-04/03/content_225227.htm

 そして今日(4月10日)の1面には中国共産党の指導の下での多党協力制度について論じた評論文が掲載されています。

(参考4)「人民日報」2009年4月10日付け1面評論
「優越した政党制度、鮮明な中国の特色~マルクス・レーニン主義と社会主義の堅持と中国共産党の指導の下での多党協力制度、政治協商制度の堅持~」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-04/10/content_230111.htm

 これらの論文や特集解説は複数の異なった観点を掲載しているのではなく、「現在のやり方が正しいのはなぜなのか」という一方的な主張を繰り返し掲載しているだけですので、新しいことは何もありません。しかしながら、中国にとって「当たり前」のこれらの「6つのなぜ」をまともに「人民日報」で真正面から取り上げて解説すること自体には、新しさを感じます。ただ、なぜ今そういった解説を連続して掲載するのかの理由は、よくわかりません。党内でいろいろな議論が行われていることの反映なのでしょうか。

 私が読む限り、いずれの理論も「1949年の中華人民共和国成立時点ではこの制度が正しかった」という根拠にはなりえても「60年後の2009年でもそれは正しい」という理屈には全くなっていないと思います。「中国の国情に合わせて」と盛んに議論されていますが、その中国の「国情」とは具体的に何なのか、全く説明がなされていません。

 こういった説得力のない同じ論旨の度重なる掲載は、むしろ逆に「6つの『なぜ』に対する2009年という新しい時代背景を踏まえた『答え』」を「人民日報」も政治理論の専門家も持ち合わせていないことの宣伝になってしまっているように見えます。これだけ情報の流通が激しい現代において、若い人たちが持っている「なぜ今も中国では中国共産党による指導がないとだめなの?」という素朴な疑問に答を提供したい、という気持ちがあるのかもしれませんが、残念ながら「人民日報」の解説は答になっていません。むしろ若い人たちには「なぁんだ。人民日報もちゃんとした答が書けていないじゃないか。」と思われるのではないかと思います。

 そういった説得力のある明確な答えを提示できない状況の中、「6つの『なぜ』」といった正直な疑問に対する議論を避けたりせず、真正面から必死に答えようとしている最近の「人民日報」の姿勢は、むしろ評価すべきなのでしょうか。

 私は「文化大革命は誤りだった」と率直に認め、それでも「中国共産党の下で団結して経済建設を進めよう」と訴えた1981年6月の「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」は今読んでも非常に説得力のある文書だと思っています。この文書があったからこそ、1980年代、多くの人は、自ら納得して改革開放経済の中で力を発揮し、中国の経済成長のスタート・ダッシュを切ることができたのだと思います。中国は、今、経済危機に対応するため4兆元に上る内需刺激策を打ち出しており、それがそれなりに効果を上げつつありますが、景気刺激策のお金は最後は尽きてしまいます。結局最後は中国の多くの人々が自発的に元気を出すようにならないと社会に活気は出ません。疑問に答えようとする「人民日報」の姿勢は評価しますが、「人民日報」の評論は、多くの中国の人々が「そうだ、そうの通りだ。我々もそれぞれの自分の立場でがんばろう。」という気にさせるような文章だとは残念ながら私には思えません。

 私は「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」に匹敵するような、多く中国の人々が「そうだ、その通りだ。その方針は正しい。国全体はその方針で進めばいい。私は私ができることをがんばろうと思う。」と心から思えるような画期的な政策の転換が図られることを期待したいと思います。そのことが、中国のためになるばかりでなく、既に中国が世界に大きな影響力を持つようになった現状を踏まえれば、世界全体の活性化のために必要なことなのだと思います。

| | コメント (0)

2009年3月22日 (日)

中国で放送された政策ディベート番組

 香港の民間衛星テレビ局「鳳凰衛視」(フェニックス衛星テレビ)が土曜日の20:00~21:00というゴールデン・タイムに放送している「一虎一席談」という人気番組があります。世間で話題になっているテーマについて、専門家を読んで話を聞くとともに、スタジオに集まった人々の間で議論するという番組です(番組名の「一虎」とは、人気司会者の胡一虎氏の名前から来ています)。

 昨日(3月21日)夜たまたまこの「一虎一席談」見たら、この日のテーマは「両会(全人代と政治協商会議)開催に合わせた特集」ということで、「戸籍問題」でした。中国では、農村戸籍と非農村戸籍の厳然たる区別があって、農村戸籍の人は、実際にその人がどこに住んでいようと戸籍のある場所でないと教育、医療、社会保障等の制度を利用することができないことになっており、現在の中国の大きな社会的問題になっています。例えば、農村から都会に出稼ぎに出てきている労働者(農民工)のこどもは、戸籍が故郷の農村にあるので、都会に住んでいるのに都会の公立学校に入れないし、病院に行っても医療保険の適用が受けられない、といったような問題です。

 昨日見た番組では、全人代や政治協商会議の代表らも参加して、熱の入った議論が行われていました。出ていた主な意見には次のようなものがありました(番組は、中国語の標準語の放送ですが、中国には方言のきつい人も多いので、多くのテレビ番組では字幕が出ます。字幕が出ると、私程度の中国語ヒアリング能力でも一定程度内容を理解することができます)。

・私は弁護士だが、中華人民共和国憲法には「法の下の平等」がうたわれているのだから、農村戸籍・非農村戸籍で対応が違うのはおかしい。戸籍は一本化すべきだ。

・上海市は戸籍人口が1,300万人だが上海戸籍でない人も500万人住んでいる。戸籍の一本化は図る必要があるとは思うが、都市の政府には、実態的に、戸籍のない人に対して教育、医療、社会保障等の行政サービスを提供する能力が不足している。

・最近の北京のビル群は素晴らしいが、このビル群は誰が作ったのか。農民工の人たちが働いて作ったのではないのか。そういった農民工の人たちのこどもが北京で学校へ行けない、というのは、やはりどう考えてもおかしい。

・私は寧夏回族自治区の人間だが、戸籍制度は経済の進んだ都市部の人々の既得権益を守る役割を果たしている。内陸部の貧しい人々の権利を考えれば、戸籍は一本化すべきと考える。ただし、大学入学試験の戸籍別枠は撤去しないでほしい。例えば、大学入試の戸籍別枠を廃止したら、北京や上海の大学受験生が大量に寧夏回族自治区に来て受験したら、地元の受験生は大学に入れなくなってしまう。

・(農村戸籍の人でも都会に住宅を買って定住している人には都市戸籍を与えるべきだ、という意見があることに対して)住宅を買える経済的余裕のある人だけが都市へ移ってしまい、農村は経済的余裕のない人や老人だけになってしまうから、そういう条件を付けて戸籍の自由化を図ることには反対だ。

・農村・非農村戸籍を廃止し、自由に戸籍が選択できることにしたとしても、例えば都市住民が農村戸籍を取得したいと考えても、農地は既にいる農民に割り当てられており、新しく来た人には農地を割り当てられないから、実態的に戸籍の自由化はできない(筆者注:この部分は、土地の私有は認められておらず、従って農地の売買はできず、農地の耕作は村から請け負わされている形になっている現在の中国の社会主義制度の根本に起因する問題です)。

・私は上海の全人代の人民代表だが、この種の問題の対応策について諸外国の事例をいくつも勉強した。しかし、諸外国の例は、みな、他国からの移民をどう扱うか、という移民政策の問題だった。今、我々が議論しているのは中国国内の問題である。戸籍制度は、例えば、上海を農村から見るとまるで外国のように見えてしまうようにしているのである。私は上海の人間であるが、その前に一人の中国人である。これは何とかしなければならない問題だと考えている。

 議論に参加していた人の多くは「戸籍の自由化」に賛成のようでしたが、今すぐ自由化すると様々な問題が生じるという懸念を表明する人も多いのも事実でした。戸籍制度は、多くの人々が不満に思っている問題であると同時に、社会主義制度の根幹にも係わる問題なので、相当に「敏感な問題」です。

 「フェニックス衛星テレビ」は香港の民間テレビ局なので、報道の自由はあるのですが、中国大陸部での放映が許可されているテレビ局です。大陸部での放映が不許可にされてしまうと民間テレビ局としてやっていいけないので、当然、中国当局ににらまれるような内容の放送はできません。そうしたテレビ局で、今回の戸籍制度のような「敏感な問題」を取り上げて、参加者にディベートをさせて、中国全土に放映したことに対し、私としては、相当な「時代の進歩」を感じました。具体的な政策に関する議論ですから、当然、政府が決めた現行の政策に対する批判も出てくることになるからです。

 もし、このテレビ番組をまねたような小グループでの「討論会」が中国大陸のあちこちで開かれるようになったら、世の中はだいぶ変わると思います。全人代の人民代表が住民の直接選挙で選べない現在の制度では、「討論会」を開いても、その結果として住民が意思表示をする機会がない、というのが現在の中国のシステムでは致命的な問題ですが、今はインターネットがあるので、そういった「討論会」を開いて議論を整理し、その上で自分の意見をネット上にアップすることは可能です。

 ただ、そもそも中国の人々は「自由に自分の意見を述べたり、人の意見をじっくり聞いて論理的にそれに反論する」といった経験をあまり積んでいないように思えます。番組を見た感じでも、あまり議論がかみ合っていない感じがしました。最後の方で、農村出身の口べたな感じの青年が戸籍制度の問題点を挙げて主張していましたが、言いたいことを全部は言えなかった、という感じでした。

 1時間の番組だけでは、当然結論は出ませんが、最後に司会者が「戸籍制度は変えるべきだが、今すぐになくすわけにいかないし、一朝一夕に変えるわけにもいかないという意見が多かったと思います。ただ、最後に発言した農村出身の青年の未来が明るいものになればよいなぁと思っています」とまとめていたのは、なかなかよかったと思います。

 司会者による最後の「まとめ」の中で司会者は「先の改革開放30周年記念式典で、胡錦濤先生は改革開放政策は「不動揺」だし『不折騰』(むちゃをしない)と言っていました。戸籍制度の問題は時間を掛けて議論する必要があると思います」と結論付けていたのも印象に残りました。

 そもそもこの番組が香港のテレビ局だからですけど、胡錦濤主席のことを「主席」とも「同志」とも呼ばず、日本語の「さん」に相当する「先生」と呼んでいたのが印象に残りました(オリンピックの開会式・閉会式でもオリンピック・スタジアムの司会者は「胡錦濤先生」と呼んでいましたので、今の中国では別に珍しくはない表現なのですが、中央電視台では絶対に使わない呼び方です)。

 それから、ここでも「不折騰」という胡錦濤主席の言葉を引用していることに驚きました。やはりこの「不折騰」という言葉は相当に含蓄のある言葉なのだろうと思います。

 中国は、かつてのソ連や東欧諸国をはじめとする社会主義国として分類されますが、ひとつだけ中国だけにしかない特徴があります。それは「香港」という「風穴」が開いていることです。かつてトウ小平氏は、イギリスの植民地だった香港が1997年に中国に返還されるに当たって、「一国二制度」(香港では返還後50年間資本主義制度と報道の自由を維持する)という「ウルトラC」を使いました。これは改革開放を進める経済政策において香港という対外的に開かれた「風穴」を最大限に利用しようとしたからだと思います。そして今、もしかすると、香港は「政治体制改革=民主化」の点でも「風穴」になろうとしているのかもしれません。今回、香港のフェニックス衛星テレビで「政策ディベート番組」を見て、それを感じました。

 2012年に行われる予定の次の香港の行政長官・議会選挙は、今と同じ業界団体などを通じた間接選挙制度で行われ、住民による直接選挙は行われないことが既に決まっています。問題は、次の2017年の選挙がどうなるか、です。それすら決まっていない今の時点で、将来を予測することなどできないし、まだまだ先は長いと思いますが、こういった「フェニックス衛星テレビ」のようなテレビ放送が中国大陸部全土に放送されることによって、たぶん時代は少しづつ変化していくことになるのだろうと私は思っています。

| | コメント (0)

2009年3月21日 (土)

自作自演記者会見の疑惑

 相変わらず痛快な記事や評論の多い広州で発行されている週刊紙「南方周末」(日本語表記では「南方週末」)ですが、今週号の評論もなかなか鋭いものがありました。

(参考)「南方周末」2009年3月19日号評論欄「評論方舟」
「記者会見がどうして一人芝居になってしまうのか」(本紙評論員:郭光東)
http://www.infzm.com/content/25621

 筆者の郭光東氏は、先日終わった両会(全国人民代表大会と中国政治協商会議)の際に行われた2つの記者会見について指摘しています。

 ひとつめは「財経」の記者が伝えている3月6日に行われた四川省代表団の記者会見についてです。この記者会見では、質問しようとした記者がいくら手を挙げても、司会者が一番前に陣取っている「官製主体メディア」にばかり質問させ、しかも彼らは机の上に置いてあるメモを見て質問しているようであり、答える四川省関係者も用意した紙を読み上げているようであり、一切の質問と答えが「用意されたもの」のように見えたというものです。

 もう一つは「新快報」の記者が伝えている3月7日に行われた雲南省代表団の記者会見です。この記者会見では、事前に関係者が顔見知りの記者に質問のレジメを渡して、質問番号に応じて質問させており、人々の間で関心の高い「目隠し鬼ごっこ事件」については一切質問がなく、一問一答が事前に準備されていたことは明白だった、としています。

※「目隠し鬼ごっこ事件」については、このブログの2009年2月24日付け記事
「監獄内の『目隠し鬼ごっこ』で死亡」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2009/02/post-bcc5.html
参照

 また、3月8日に行われた四川省大地震の災害復旧状況についての記者会見について、多くのネットワーカーが内外の記者の質問水準の違いについて指摘している、とのことです。具体的には、境外の(外国及び香港、マカオ、台湾の)記者は人々が知りたいと思う問題について質問しているのに対し、中国大陸の記者は、往々にして「塩辛くも酸っぱくもない質問」や大してニュース性のない質問ばかりし、甚だしいものにあっては役所で発表されている公式発表文を見ればわかるような問題について質問して、質問時間をつぶしていた、とのことです。

 さらには、多くの記者にとって、事前に質問事項の許可が必要であり、許可されていない質問については聞いてはいけないかのように思わせるような記者会見もあった、とのことです。この評論の筆者である郭光東氏は「嗚呼! またしてもこの種の人を愚弄するような感じを受けるとは、何と悲しいことか」と嘆いています。そして、郭光東氏は、政府機関がこのような自問自答するような記者会見をセットして、外見だけ民主的であるように見せかけることは、公務員としての職業道徳に違反しているばかりでなく、そもそも人間が持つ基本的な倫理、即ち、「誠実さ」に反している、と怒っています。

 中国にいて多くの人が感じるのが、今の中国の社会は「誠実さ」が全く尊重されていない「モラルハザード」の状態にある、ということです。先日書いたニセ薬やニセモノのテレビの話もそうですが、人間が社会で活動する上で最も重要視すべき「誠実さ」が今の中国にはないのです。よく多くの日本の人が勘違いしますが、現在の中国社会に蔓延している「不誠実さ」は中国の伝統でも中国の人々が昔から持っている性質でもありません。本来、中国の人々は、純朴で、人なつこく、親切で、誠実な人たちばかりです。「不誠実さ」が蔓延しているのは、「不誠実」でも罰せられない、むしろ「不誠実にうまく世の中を渡った方が得をする」という現在の社会システムのせいなのです。

 もともと中国共産党は、まじめさ、純真さ、誠実さ、をもって人々の心を捉え、革命を成功させたのでした。それがなぜ今こういう社会になってしまったのでしょう。上の評論でわかるように、多くの中国の人々もそうした「誠実さ」のない社会の問題点について「改善すべし」という声を挙げ始めています。こういった人々の「改善すべし」という声が、実際にシステムを改善させる方向で結集され、実際にシステムが改善されるようになることを期待したいと思います。

| | コメント (0)

2009年3月17日 (火)

ニセ薬とニセテレビ

 以前ほどの「鋭さ」がなくなった最近の中国中央電視台第一チャンネル(総合チャンネル)19:38~放送の報道番組「焦点訪談」ですが、今週は久々に結構深刻な「告発もの」をやっていました。

 一昨日(3月15日)放送分は「ニセ薬」の話でした。「病院に薬を納入する業者が正式な証明書が添付されていない薬を納入した際、病院側が『証明書は?』と尋ねると、今回は間に合わなかったので、後ですぐに送ります、と言われたので、病院側はそれを信用して薬を受け取り、そのまま患者に処方した。しかし、いつまで経っても薬納入業者から『証明書』は送られてこず、そのうちに服用して体の不調を訴えた患者が出て、納入された薬がニセモノだったことがわかった。病院側では、薬を患者に渡した記録をきちんと取っていなかったために、ニセ薬がどの患者に渡されたのかはわからない。」という話でした。

 番組では、ニセ薬を作って売り込むニセ薬業者も問題だが、チェックの甘い病院側も問題だ、というような指摘をしていました。中国では、単なる風邪であっても、医者に掛かるのは命懸けです。

 今日(3月17日)放送分は、政府の内需刺激策として採られている「家電下郷」政策(農村で家電製品を買うと、一定の条件に当てはまる場合に価格の13%の補助金が政府から支給される制度)を悪用して、廃品テレビを改造して新品のテレビのようにして農村に売る悪徳業者の話をやっていました。この悪徳業者は、10年以上使った廃品テレビから、ブラウン管など、まだ使える部分を集めてきて、きれいな外枠をはめて、「家電下郷」政策を使ってテレビを買おうとする農民に対して、あたかも新品のテレビであるかのように売っていたのでした。新品テレビだと思って買って使っていたら、1か月たたないうちに故障したので、分解して調べてもらったらブラウン管が使い古しのものであることがわかった、というのが発端だそうです。

 ブラウン管の表面をきれいに拭き、外枠には新しいものを使っただけでなく、段ボールの包装は新品のものを使い、取り扱い説明書だけは新しく印刷したものを入れてあった、というのですから、相当に悪質です。

 一般に「中国製(メイド・イン・チャイナ)」の品質問題が日本などでも問題にされますが、私は基本的に日本で売っている中国製の製品はそれほど心配する必要はないと思っています。輸入する日本の商社が品質には厳しいチェックを掛けているからです。問題は中国製の製品を中国国内で買わざるを得ない中国国内に住んでいる私のような人間や中国の人々です。もちろんちゃんとした製品がほとんどなのですが、たまに「はずれ」の製品に当たる場合があります。私は薬の類は買わないようにしていますが、食べ物は買わないわけにはいかないので、毎日「今日は当たらないように」と祈りながら食べています。

 政府の取り締まり機関も一生懸命取り締まっているし、この「焦点訪談」のようにテレビやマスコミでも取り上げられるのですが、中国のニセモノはなくなりません。一連の「焦点訪談」の「ニセモノ問題特集」は、3月15日の「世界消費者保護デー」にちなんだ特集番組のようです。やはり、結局は、消費者の声を直接政府に訴えられるようなシステム、即ち、取り締まりをきちんとやらない地方政府のトップは住民によってクビにされるという直接選挙による民主制度がない、ということが中国の最大の問題なのでしょう。

 政治の民主化が進まない限り、中国国内におけるニセモノ追放キャンペーンとニセモノ業者のイタチごっこは永遠に続くと思います。

| | コメント (0)

2009年3月12日 (木)

人民代表大会制度についての議論

 今年の全国人民代表大会(第17期の第2回会議)が明日(3月13日)終了する予定です。今年の全人代は、開催期間がいつもより数日短めでした。全人大と同時並行的に開かれる全国政治協商会議も同じようにいつもより短めでした。なぜこの二つの会議(中国では「両会」と略称される)が今年は「短め」だったのかの理由は、たぶん何かウラがあるのでしょうけど、私にはわかりません。

 この二つの会議の開催期間中は、政治関係のニュースが毎日流されますが、今年の「人民日報」には、「人民代表制度は必要だ」という全人代の根本を擁護する記事が目立ちます。

(参考1)「人民日報」2009年3月11日付け1面記事
「根本的な政治制度 民主的な重要な媒体~人民代表大会を堅持し完全なものとするための一論~」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-03/11/content_209077.htm

(参考2)「人民日報」2009年3月12日付け10面記事
「党の指導を堅持し完全なものにすることは、人民代表大会制度による政治を保証するものだ」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-03/12/content_209794.htm

(参考3)「人民日報」2009年3月12日付け11面記事
「人民代表大会制度と西側議会制度の本質的な違いを十分に認識すべき」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-03/12/content_209857.htm

 多層的な間接選挙によって選ばれる「全国人民代表」による会議「全国人民代表大会」が国政を議論すること、全人代をはじめ全ての国家組織が中国共産党の指導を受けること、は、今の中国では「当たり前」のことで、今さら議論するような話ではありません。それなのに、そもそも全人代開催期間の終盤になって、「人民日報」にその「当たり前のこと」に関して現在の制度を擁護するような論文が「これでもかこれでもか」というように掲載されるのは何を意味しているのでしょうか。

 改革開放前と異なり、現在の全国人民代表大会の票決は必ずしも全会一致ではありません。かなりの数の反対票・棄権票が出ることがあります。そういったことを考えると、もしかすると、全国人民代表大会の議論の中で、全国人民代表大会のあり方についての議論が少なからず行われ、それを鎮めるために「人民日報」に評論がいくつも掲載されていると見ることもできます。

 「人民日報」では、昨年暮れ頃から、盛んに「民主化」や「中国共産党による指導」についての記事を掲載しています。従来の方針を擁護するものばかりであり、新しいことは何も言っていないのですが、むしろ「当たり前のことを口を酸っぱくして繰り返して訴えなければならない、ということ自体が、実は、水面下で、かなりの議論が行われていることを意味しているのではないか」という推測を私に起こさせるのです。

(参考4)このブログの2008年12月5日付け記事
「『人民日報』上での政治の民主化を巡る議論」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-44d1.html

(参考5)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

(参考6)このブログの2009年1月6日付け記事
「『なぜマルクス主義堅持なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2009/01/post-2760.html

 これらの「人民日報」の一連の記事が昨年(2008年)12月9日にインターネット上にアップされたいわゆる「08憲章」に関する動きと関係があるのかないのか、私にはわかりません。しかし、地方政府幹部の腐敗阻止や環境汚染企業と地方政府との癒着を防ぐためには、政治体制改革、即ち、住民による直接選挙が不可欠であることについて、中国国内でも以前から広く議論されてきています。

(参考7)このブログの2007年5月30日付け記事
「中国の新聞に『根本は政治体制改革』との社説」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/05/post_f50b.html

 「08憲章」は一部の知識人による「意図表明」に過ぎず、幅広い多くの人々を巻き込んだ運動には成り得ない、という見方もあります。しかし、「人民日報」にこうした「根本問題」に関する論文が繰り返し掲載されるということは、中国の社会全体の中で、本当の意味での政治体制改革の必要性に対する認識が現実問題として高まってきていることを示しているのではないかと思います。

 世界的経済危機の中で、中国は輸出依存の経済体質から内需重視型の経済への転換を迫られています。日本の過去の歴史や韓国、台湾の過去を踏まえると、経済の重点が内需に移るに連れて、政治体制の民主化は必然的な流れとなっていきます。経済が内需重視型に移行する、即ち、国内の消費者の声を集約した経済体制を確立することが求められるようになると、それに連動して政治自体も国民全体の意見を正しく集約できるようなシステムが求められるからです。経済状況を見れば、今の中国は韓国や台湾の政治的民主化を進めた1980年代末から1990年代初頭のころの状況と似ています。

 上記(参考4)の中で引用している中国共産党中央編成局副局長で北京大学中国政府イノベーション研究センター主任の兪可平氏が述べている「中国の民主化は増量方式で発展している(少しずつ段階的に発展している)」という言葉の中身が、具体的な政治制度改革として目に見えてくることになるのかどうかが、今後のポイントになると思います。少なくとも、第17期全国人民代表大会第2回全体会議の最終日を明日に控えた今日(2009年3月12日)の時点では、そのような「具体的な改革」は見えてきていませんが。

| | コメント (0)

2009年3月 4日 (水)

「公式見解」すら報道されない微妙な案件

 3月2日北京発の時事通信の報道によれば、3月3日から始まった第11期全国政治協商会議第2回会議の開会を前にして3月2日に行われた政治協商会議の趙啓正氏に対する記者会見において、ボイス・オブ・アメリカの記者が1989年の「第二次天安門事件」の再評価について質問したとのことです。時事通信の報道によれば、趙啓正氏は、この質問に対して「80年代の政治的風波は、中国共産党と政府が既に明確な結論を出した」と述べた、とのことです。

 この記者会見は、インターネットで生中継され、質問と答えの一言一句は文字情報としてネット上に記録されています。「第二次天安門事件」に関する上記の趙啓正氏の話は、現在の中国当局の「公式見解」であり、趙啓正氏の答えは完璧な「模範解答」だと思うのですが、ネット上に記録されている「文字実録」には、上記のボイス・オブ・アメリカの記者との質疑応答の部分は記録されていません。3月3日付けの中国の新聞では、趙啓正氏の記者会見については大きく紙面を割いて報じていますが、上記の「第二次天安門事件」に関するやりとりの部分については、私が見た範囲では掲載されいている新聞を見つけることができませんでした。

(参考1)「新華社」ホームページ2009年3月2日
「全国政治協商会議第11期第二回会議第一回記者会見」
http://www.xinhuanet.com/2009lh/zhibo_20090302.htm

※上記のページで「文字実録」をクリックすると記者会見の一言一句が文字情報として確認できますが、時事通信が伝えたようなボイス・オブ・アメリカの記者とのやりとりはこの「文字実録」には載っていません。

 生中継されている記者会見の文字による記録をネット上に載せる際に、「微妙な問題」については、実際には質疑応答が行われたのにネット上の記録には載せない、ということは中国ではよくあります(日本の財務省のホームページの財務大臣記者会見記録にも、先日のローマでの「あのぉ~」という中川財務大臣の質疑応答部分は載っていないそうですので、こうした現象は中国だけのものとは限らないと思いますが)。ただ、趙啓正氏は中国政府にとって都合の悪いことは全く言っておらず、ほとんど完璧な「模範解答」であったにも係わらず、ネット上で記録されず、新聞で報道されず、あたかも「なかったこと」のようにされているのは、この部分、即ち「第二次天安門事件」については、完璧に「触れられたくない」という気持ちが中国当局に強いのだと思います。

 なお、北京から3月3日の時点でボイス・オブ・アメリカのホームページにアクセスしたところ、中国語版の部分にアクセス制限が掛かっており、中国語版にどのような記事が載っているのかを見ることができませんでした。

 これから中国では、3月10日のチベット騒乱50周年、5月4日の「五四運動」90周年、6月4日の「第二次天安門事件」20周年という「敏感な日」が続きます。昨年の北京オリンピックで、大幅にインターネットのアクセス制限等が改善された中国ですが、これら「敏感な話題」については、インターネットのアクセス制限や外国テレビの「検閲ブラック・アウト」が増えるのでしょうか。去年のチベット問題に起因する聖火リレーに関する報道に見られるように、むしろこういったネットのアクセス制限や外国テレビの「検閲ブラック・アウト」は、中国当局がどの部分に触れられたくないのか、という点をかえって浮き彫りにする効果があります。

 中国国内では、先日の「躱猫猫(ドゥォマォマォ=目隠し鬼ごっこ)事件」に見られるように、情報制限をしてもネット上で議論が「炎上」することは避けられないのが昨今の状況です。

(参考2)(「躱猫猫事件」についての参考)このブログの2009年2月24日付け記事
「監獄内の『目隠し鬼ごっ』で死亡」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2009/02/post-bcc5.html

 そういったネットでの人々の意見のやりとりが活発している現状において、記者からの質問に対する「公式見解」すら報道されない、といったやり方をいつまで続けることができるのでしょうか。

 そもそも今年は中華人民共和国成立60周年の記念の年なので、今年の全国政治協商会議(3月3日に開幕)と全国人民代表大会(3月5日に開幕)は、なんとなく緊張感のある会議となっています。それは各会議の出席者自身、未曾有の経済危機の中、真剣に、率直に意見を交わし打開策を見つけることが重要になっている、と考えていることと重なっていると思います。この二つの会議は中国にとって非常に重要な会議なので、「微妙な話」を「なかったこと」にするのでなく、きちんと真正面から見据えてきちんと議論して、中国にとって必要な結論を出して欲しいと思います。「文化大革命」の時期を反省し、中国共産党の過去の決定や毛沢東主席の誤りを率直に認めたことから出発した今の改革開放体制の中国ならば、それができるはずだ、と私は信じています。

| | コメント (0)

2009年2月24日 (火)

監獄内の「目隠し鬼ごっこ」で死亡

 ここのところ中国のネットや新聞を賑わせている言葉に「躱猫猫(ドゥォマォマォ)」という言葉があります。「目隠し鬼ごっこ」という意味です。この言葉がなぜネット上等で盛んに使われているかについては、2009年2月21日付けの「新京報」の記事が解説しています(この記事はなぜかネット上からは見ることができません。私は当日の紙面を持っているので、それを見ながらこの記事を書いています)。

 2009年2月21日付け「新京報」A04面に掲載されていた「重点・躱猫猫事件の調査~『躱猫猫』事件について警察は拷問により自供を強要した可能性を否定」と題する記事では、この事件についての詳細な調査結果を掲げています。評論欄に載っていた下記の熊培雲氏の評論はネットで見ることができます。この評論にもことのいきさつが簡単に書いてあります。

(参考1)「新京報」2009年2月21日付け記事
「真相は『目隠し鬼ごっこ』であるはずがない」(シニア評論員・熊培雲)
http://comment.thebeijingnews.com/1108/2009/02-21/008@030230.htm

 これらの記事や評論をもとにいきさつをまとめると以下のとおりです。

---「躱猫猫(目隠し鬼ごっこ)事件」のいきさつ(始まり)---

・雲南省玉渓北城鎮に住む李蕎明という24歳の男性が森林を伐採して木を盗んだ罪で雲南省晋寧県にある監獄に収監されていた。2月8日、看守が李蕎明が監獄内でケガをしていることを発見し、病院に搬送したが、李蕎明は2月12日に死亡した。死因は「頭部に負った重度の損傷」によるものだった。

・警察は、死因に関して、死亡した李蕎明は、負傷する前、同じ監獄内に収監されていた仲間たちと「躱猫猫」(目隠し鬼ごっこ)をやっていて、壁に頭をぶつけて負傷した、と発表した。

・この警察の発表を受けて、ネット上で「そんなはずはない」という意見が沸騰した。

・ネットワーカー及びメディアの代表者は「調査委員会」を結成し、警察に真相の究明を求めた。

・晋寧県公安局の閻国棟副局長の説明によると事件の経緯は以下のとおりである。事件の起きた監房には11人が収監されていた。彼らは2月8日17時50分頃、「目隠し鬼ごっこ」(「新京報」の記事による警察の説明では中国語は「瞎子摸魚」)をしていた。鬼が真っ先に李蕎明を捕まえたことにより、ケンカが始まった。このケンカの最中、李蕎明は鉄格子に頭を強く打ち付けて負傷した。

・警察の説明によると「瞎子摸魚」が誤って「躱猫猫」として伝えられたものである(注:日本語にすればどちらも「目隠し鬼ごっこ」である)。

・普寧県警察の調査に対し、普寧検察院も調査を行ったが、検察院による調査結果も警察による調査と同じであり、李蕎明の死亡に関して、体罰・虐待によって死に至った可能性はないし、看守あるいは警察側に重大な職務怠慢や汚職はなかった。また、李蕎明の死亡に関して疑いを持たれている同じ監獄に収監されていた二人の男は、不法に銃と弾薬を所持していたことが判明し、これら銃と弾薬は既に押収されている。

・「瞎子摸魚」(あるいは「躱猫猫」)という言葉は警察が言い出したのではなく、警察が対外的に説明した際に、李蕎明と同じ監獄に収監されていた男たちがそういう供述をしていた、と述べたものが広がったものである。

---「躱猫猫(目隠し鬼ごっこ)事件」のいきさつ(終わり)---

 この事件は、昨年の6月に貴州省甕安(おうあん)で起きた少女水死事件と比較されてネットで騒ぎになりました。貴州省甕安県の少女水死事件では、夜中に最後まで一緒にいた男友だちが「橋の上で腕立て伏せをしていたら、少女がいきなり川に飛び込んだ」と供述したと警察が説明したことに対し、ネットワーカーが「そんな供述は全く不自然だ。警察の説明は信用できない。」と騒ぎ出したのでした。

(参考2)このブログの2008年7月3日付け記事
「貴州省甕安県の暴動事件の真相」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/07/post_ef2a.html

 今回の事件も「監獄の中で男たちが『目隠し鬼ごっこ』をやって、頭をぶつけて死に至るほどのケガをした」という警察の説明に対して、ネットワーカーたちが「そんなことはあり得ない」と騒ぎ出したものです。

 騒ぎがあまりに大きくなり、新聞記者たちも警察の説明に納得しなかったため、今回はネットワーカーや新聞記者の代表が「調査委員会」を作って、警察に真相究明を求める、という事態にまで発展したのでした。

 昨年の貴州甕安県の「腕立て伏せ事件」といい、今回の雲南省晋寧県の「躱猫猫事件」といい、人々が警察の発表を全く信じていないことが騒ぎのそもそもの伏線です。「新京報」に本件記事が掲載されたのは2月21日ですが、被害者が死亡したのが2月12日ですから、それまでの間は全国ベースでの報道はなされていなかったと思います。ネットワークで騒ぎが大きくなり過ぎ、押さえ付けることが困難になったため、新聞での報道も認めざるを得なくなり、21日になってから新聞にも掲載されるようになったのでしょう。

 ネットワーク上での「炎上」は当局ももはや押さえ切れないことを如実に表す事件だと思います。それと新聞記者たちが「当局側」ではなく、ネットワーカーと一緒になって真相究明のために動いているのが今回の事件の大きな特徴です。当局は新聞に記事を掲載することを差し止めることはできますが、記者の動きを封じ込めるのはなかなか困難です(当局は記者証の発行権限を持っていますので、それにより意にそぐわない記者に記者としての活動をさせないようにすることは可能ですが)。

 ネットワークという道具を手にした以上、一般の人々の「真相を知りたい」という欲求をコントロールすることは、もはや不可能だと思います。この雲南省の躱猫猫事件もそういった中国の最近の動きを示すひとつの典型的な事件だと思います。

| | コメント (0)

2009年2月12日 (木)

中国中央電視台新社屋敷地内ビル火災組写真

 2月9日に起きた中国中央電視台新社屋建設現場の敷地内にある北配楼と呼ばれる建設中のビルが全焼した火災を、火災発生前から撮影していた一連(40枚)の連続写真が、「人民日報」のホームページ「人民網」に掲載されています。ビルに着火した様子がよくわかります。この写真は、現場の北西側のかなり離れた場所にあるビルの上などの高いところから望遠レンズで撮影したもののようです。

(参考)「人民日報」ホームページ「人民網」2009年2月12日アップ組写真
「中央電視台新社屋ビル火災発火の全過程」
http://pic.people.com.cn/GB/8229/145866/index.html

 最初の頃に掲載されている打ち上げ花火は、延焼したビルの向こう側(即ち西側)で打ち上げられていますが、延焼したビルの西側には第三環状路が通っており、この打ち上げ花火を上げた人たちは、延焼したビルと第三環状路の間の空き地(延焼したビルと第三環状路は100メートル程度しか離れていない)で花火を打ち上げていたことになり、かなり危険な状態で打ち上げ花火を上げていたことがわかると思います。

 こういった花火の打ち上げ方は、木造家屋が多い日本では考えられないことです。少々危険があっても面白いこと、儲かることはどんどんやろう、という考え方に基づくエネルギーが今の急速な中国の中国経済を支えているのですが、そういった気質が現れているようにも思えます。日本の場合は、危険がないように、安全に、無難に、とばかり考えるので、思い切ったことができない、というのが弱点なのかもしれません。でも、大きなことを思い切って決断してやることは苦手だけれども、小さなことをコツコツと着実に積み重ねていくことを得意とする日本のやり方も、それはそれで大事にすべきことなのだと思います。

| | コメント (0)

2009年2月 9日 (月)

中国中央電視台の新ビルの北隣のビルで火災

 今日(2月9日)、北京時間21時過ぎ、東第三環状路脇にある斜めになった四角柱を二つくっつけたような奇抜な形をした中国中央電視台の新しいビルのすぐ北隣のビルで火災が発生し、大きな炎を上げて燃えています。私の理解では、まだ建設中のビルのはずです。第三環状路のすぐそばにあるため、現在、東第三環状路には交通規制が敷かれています。

 本件については、既に新華社通信が写真入りの記事をホームページに掲げています。

(参考)「新華社」ホームページ2009年2月9日22:14アップ記事
「北京市の京広橋付近の中央電視台の新しいビルの北隣のビルで火災が発生」
http://news.xinhuanet.com/photo/2009-02/09/content_10790495.htm

 今日(2月9日)は、旧暦の1月15日で、今日の24時で爆竹や花火は禁止になるので、あちこちで花火が上がったり、爆竹が鳴ったりしています。こういった花火や爆竹の火が引火して火事になったのかもしれませんが、詳細はまだわかりません。鉄筋コンクリート造りのビルがこれだけ燃えるものなのか、というほど炎を上げて燃えています。けが人がいるのかどうか、などについては、まだわかりません。人的被害のないことを祈りたいと思います。

| | コメント (0)

2009年2月 3日 (火)

温家宝総理に対する靴投げ事件

 ヨーロッパ各国を訪問中の温家宝総理が、2月2日、イギリスのケンブリッジ大学において講演を行いました。講演の最中、一人の男が「どうして皆さんは彼が言っているウソを聞くことができるんですか」などと叫んで温家宝総理に靴を投げつけたとのことです。靴は温家宝総理のところまで届かず、男はすぐに警備担当者に取り押さえられた、とのことです。

 私は見ていませんでしたが、このケンブリッジ大学での温家宝総理の講演は、中国中央テレビでも生中継をしていたそうです。で、中国のメディアがこの「事件」をどう扱うのか、と思って今朝からテレビやネットでの報道振りを注目していました。

 今朝(2月3日朝)の中国中央テレビの朝のニュース「朝聞天下」では、温家宝総理の通常の講演の部分を映像で伝えた後、アナウンサーが以下のような新華社の報道を読み上げました。

「温家宝総理の講演をある人が妨害したことについて記者が質問した時、外交部報道官は、中国側が強い不満を表明したこと、イギリス側が中国側に深く陳謝し妨害者は法に基づき適切にされると表明したこと、このような行為は人々の共感を得ることができないし中英両国の友好関係の潮流を妨害することもできないことは事実が証明している、と述べた。」

(参考1)「新華社」ホームページ2009年2月3日09:09アップ記事
「中国側は温家宝総理のイギリスでの公演現場で発生した妨害事件に強烈な不満の意を表した」
http://news.xinhuanet.com/world/2009-02/03/content_10754580.htm

 この朝のニュースでは、妨害者が講演を妨害した瞬間の映像は流しませんでした。

 中国のメディアはだいたいこのトーンで淡々と事実を述べるだけの簡単な報道をするのかなぁ、と思っていたのですが、夜7時からの中央電視台のニュース「新聞聯播」では、私の予想に反して、このニュースにかなりの時間を掛けて伝えていました。

 まず、温家宝総理がケンブリッジ大学で講演した、という形通りの報道をした後、妨害行為があったことを伝えました。そして、その瞬間の映像をそのまま流しました。温家宝総理が講演している途中で、誰かが英語で何か言っているのが聞こえ、温家宝総理がその声の方を見て演説を止めました。ややあって、画面に警備担当者が出てくるのが見え、しばらく間がありました。その間、カメラは温家宝総理を撮したままでした。しばらくして、妨害者が場外に出された後、温家総理は、落ち着いて講演を再開しました。再開の最初に、温家宝総理が「たとえこのような妨害行為があろうとも、中英人民の友好関係にいささかの影響も与えることはできない」と述べると、会場に集まった人々から大きな拍手が起きました。

 その後、靴を投げた男が警備員に連れ去られる様子が再び画面で放映されました。

 つづいて、中国外務省が強い不満を表明したこと、イギリス側が中国側に対して深く陳謝すると述べたことが伝えられました(これは上記新華社の報道と同じ)。

 さらに、テレビ画面で、ケンブリッジ大学のホームページの中の温家宝総理の講演を伝えるページが紹介されました。そこの中でアリソン・リチャード学長が言った下記の部分の英語の文章に中央電視台は赤いアンダーラインを加えて、ケンブリッジ大学の副学長がホームページでこう述べている、と強調していました。

「私は、ある一人の聴衆が今日の午後我々のスピーカーに敬意を表すること(それはケンブリッジの慣習である)ができなかったことを大変残念に思う(I deeply regret)。この大学は、熟慮された討論と議論をする場所であって、靴を投げる場所ではない。」

(参考2)ケンブリッジ大学ホームページ2009年2月2日アップ
「温家宝総理がケンブリッジで講演」
http://www.admin.cam.ac.uk/news/dp/2009020203

 リチャード学長の言葉は、聞きようによっては、相当にイギリス風の機知に飛んだユーモアを含むコメントだと思いますが、それを赤いアンダーライン付きでわざわざ紹介した中央電視台も中国のテレビとしてはかなり画期的な反応だったと思います。ヘタをすると去年のオリンピック聖火リレーの時と同じように反イギリス感情が若い人たちの間で高まったと思いますが、中央電視台の7時のニュースがこれだけ長々と実情を報道し、イギリス側も「deeply regret」と言っている、と強調すれば、今回の件ではそんなに大きな騒ぎにはならないでしょう。

 中央電視台のニュースでは、投げられた「靴」の映像は出しませんでしたが、それも若い人たちを刺激したくない、という意志の表れでしょう。

 私としては、今回の騒ぎはそんなに「大きな話」だとは思わないし、中国のメディアは無視するか、「中国外務省は抗議した。イギリス側は陳謝した。」といった事実を淡々と伝えるだけで終わると思っていただけに、夜7時のニュース「新聞聯播」での大きな扱いにむしろびっくりしました。どういう報道の仕方をしたら騒ぎにならないで収められるのかについて、中国のメディア関係者も相当に「学習」してきたのだと思います。

 昨年のチベット争乱やオリンピック聖火リレーの際の外国テレビに対する検閲ブラックアウト措置については、CNNに出ていたあるアメリカのメディア対応専門家は「都合の悪いことはカットして伝えない、というのは、メディア戦略としては最も下手なやり方だ」と批判していました。チベット争乱、聖火リレー妨害、四川大地震、北京オリンピックなどを通じて、中国のメディア関係者のメディア戦略もだいぶ進歩してきたのではないかと思います。

| | コメント (0)

2009年2月 1日 (日)

中国で各地で鳥インフルエンザにより死者

(御注意)以下の文章は2009年2月1日16:00(北京時間)時点で書いたものであり、中国における鳥インフルエンザに関する情報については、例えば、在北京日本大使館のホームページなどで、常に最新のものを確認するようにしてください。

(参考)在中国日本大使館ホームページ
http://www.cn.emb-japan.go.jp/index_j.htm

 今年(2009年)に入ってから、中国の各地で鳥から人への感染と思われる鳥インフルエンザによって患者が数多く発生しており、死者も出ています。在北京日本大使館のホームページ上の情報、その他の報道された情報をまとめると現時点での状況は以下のとおりです。

(事例1)河北省で生きた鳥を買って自分で加工した北京市朝陽区在住の19歳の女性が2008年12月24日に発病、2009年1月5日に死亡。同日、患者のサンプルから鳥インフルエンザウイルス(H5N1)陽性を確認。密接接触者に対する医学観察が行われたが、異常は発見されなかったため、1月12日に密接接触者に対する医学観察を全て解除。

(事例2)山西省呂梁市孝義市在住の2歳の女児が1月7日に湖南省で発病し11日に祖父母とともに山西省に移動。14日に病状が悪化し入院。女児は一時重体。17日に患者のサンプルから鳥インフルエンザウイルス(H5N1)陽性を確認。密接接触者に対する医学観察が行われたが、異常は発見されなかったため、1月24日に感染者との密接接触者に対する医学観察を全て解除。この女児はその後危篤状態を脱して病状は安定。
※この案件については、在中国日本大使館のホームページでは「山西省における事例」と表現しています。
※※1月20日北京発の時事通信が第一財経日報が報じているところとして報じているところによれば、この女児の母親が1月上旬肺炎で死亡したが、この母親が鳥インフルエンザに感染していたかどうかは確認できなかった、とのことです。

(事例3)山東省済南市在住の27歳の女性が1月5日に発病し17日に死亡。18日、患者のサンプルから鳥インフルエンザウイルス(H5N1)陽性を確認。密接接触者に対する医学観察が行われたが、異常は発見されなかったため、1月24日に感染者との密接接触者に対する医学観察を全て解除。

(事例4)貴州省黔東南州在住の16歳の男性が1月8日に発病。16日に湖南省懐化市に移動して入院。患者は20日に死亡。19日、患者のサンプルから鳥インフルエンザウイルス(H5N1)陽性を確認。密接接触者に対する医学観察が行われたが、異常は発見されなかったため、1月24日に感染者との密接接触者に対する医学観察を全て解除。疫学調査によれば患者は発病前に死んだ家禽との接触歴がある。
※この案件については、在中国日本大使館のホームページでは「湖南省における事例」と表現しています。

(事例5)新彊ウィグル自治区ウルムチ市トウ屯河区在住の31歳の女性が1月10日に発病し、23日死亡した。24日、患者のサンプルから鳥インフルエンザウイルス(H5N1)陽性を確認。疫学調査によれば患者は発病前に家禽市場との接触歴がある。

(事例6)貴州省貴陽市雲岩区在住の29歳の男性が1月15日に発病、病状は重篤。1月25日、患者のサンプルから鳥インフルエンザウイルス(H5N1)陽性を確認。疫学調査によれば患者は発病前に家禽市場で鳥との接触歴がある。

(事例7)広西チュワン族自治区北流市在住の18歳の男性が1月19日に発病し、26日に死亡。同日、患者のサンプルから鳥インフルエンザウイルス(H5N1)陽性を確認。疫学調査によれば患者は発病前に死んだ家禽との接触歴がある。

(事例8)湖南省ジョ浦県(「ジョ」はさんずいに「叙」)在住の21歳の女性が1月23日に発病。26日にジョ浦県の病院に入院、29日には長沙市の病院に転院。現在、患者の病状は基本的に安定。1月30日、患者のサンプルから鳥インフルエンザウイルス(H5N1)陽性を確認。疫学調査によれば患者は発病前に死んだ家禽との接触歴がある。
※在北京日本大使館のホームページ上では「湖南省での二例目の事例」と表現。上記の「事例4」とは感染場所が別。

 上の文中に書いてあるように「事例1」~「事例4」は、発見された感染例以外への感染のないことが確認されているため、密接接触者に対する医療観察は既に解除されています。上記の事例の多くで鳥との接触歴があることがわかっており、これらの事例は今のところ鳥から人への感染によるものと思われ、人から人への感染を疑わせるような事例は、今のところ出ていません。現在確認されている毒性の強い鳥インフルエンザ・ウィルスは、鳥から人へ感染することはあっても、基本的に人から人へは感染することはありません。ただし、ウィルスの突然変異により鳥インフルエンザ・ウィルスが人から人へ感染しやすい性質を獲得する可能性は常に存在します。このため、人から人への感染が起こっていないかどうか、医学観察が行われるのです

 毒性の強い鳥インフルエンザ・ウィルスが突然変異により人から人へ感染する性質を獲得した場合、そのウィルスは「新型インフルエンザ・ウィルス」と呼ばれます。「新型インフルエンザ・ウィルス」は、未知のウィルスであるため、誰も免疫を持っていないので、もし人から人への感染が始まった場合には、爆発的に流行する可能性があります(爆発的な流行を「パンデミック」と言います)。

 1月26日は春節(旧正月)元旦だったので、お祝いに家禽類を絞めて料理した人が多かったことが、鳥から人への感染例が多くなった理由である可能性があります。鳥から人への感染例(及びその結果患者が死亡した例)は、今までもインドネシアなど各国で事例があり、中国各地でもこれまでも散発的に報告されてきました。しかし、これだけまとまった数の感染例が報告されたのは中国では初めてです。昨年の春節時には、このようなまとまった数の感染例の報告はありませんでした。

 本当に発生事例が増えたのか、昨年は発生はしていたけれどもオリンピック前だったので公表されなかったのか、そのあたりは定かではありません。ただ、中国の少なくとも中央政府は、SARSの時の痛い経験があるので、事例が発生したら迅速に公表するとともに、WHO(世界保健機関)への通報などを行うようにしています。今年、これだけ多くの事例が報道されているということは、むしろ地方政府も含めて鳥インフルエンザに対する関心が高まり、透明性が高まったことの表れなのかもしれません。(ただし、上記の事例を見てもわかるように、病状が重篤にならないと病院に掛からない例もみられる(中国では医療保険制度が整備されておらず、貧しい人はなかなか病院に行こうとしない)のが心配です)。

 いずれにせよ、春節の連休は昨日(1月31日)で終わりなので、これから春節後の「Uターン・ラッシュ」による人の移動がまた大規模に始まります(すでに「Uターン・ラッシュ」は始まっている)。春節後の人の移動が落ち着くまで、これから数週間は要注意の状態が続きます。

 中国在住の方、またはこれから中国を訪問される御予定の方は、上の方に書いた在中国日本大使館のホームページ等で現状と注意事項をよく御覧になることをお勧め致します。

| | コメント (0)

2009年1月26日 (月)

春節演芸番組の「ウラ番組」

 今日(2009年1月26日)は、旧暦の元旦です。中国や韓国などアジアの多くの国々では「春節」としてお祝いします。

 昨晩は、旧暦の「大晦日」でしたが、中国の中央電視台では、旧暦の「大晦日」に大型演芸番組(「春節晩会」)を放送するのが恒例です。日本の「紅白歌合戦」と同じようなものですが、日本の「紅白」とは違い、中国の「春節晩会」は、歌あり、演芸あり、のバラエティー番組です(日本の「紅白」も歌番組というよりはバラエティーと言った方がよいのかもしれませんが)。

 ずいぶん昔から同じような形式の番組なので、中央電視台の「春節晩会」は、日本の「紅白」と同じように「マンネリだ」との批判があります。そこで、最近は、中国中央電視台の「春節晩会」とは別に独自に年越しの演芸会を企画しよう、という動きが出ています。

 一部日本の新聞でも紹介されましたが、今年は、この手の「裏番組」の「春節晩会」は、昨年の流行語のひとつ「山寨」を使って、「山寨晩会」と呼ばれました。「山寨」とは「山奥の山村」という意味で、中央政府の管理が及ばないところ、を意味しています。「山寨文化」「山寨製品」などという使い方をする場合には、政府の取り締まりが及んでいない著作権侵害、特許侵害など何でもアリの「模造品」「模造文化」という意味があります。

 今年は、1月になってから、一部の知識人が「中央電視台は党の宣伝に過ぎないから、視聴するのをボイコットしよう」といった呼び掛けをしたこともあり、別の意味で「山寨春節晩会」にも注目が集まりました(正式な「春節晩会」のパロディのようなものをやるのではないか、という期待もあったからです)。

 ところが、1月22日付けの「京華時報」によると、今年の「山寨春節晩会」を開くという企画に対して、北京市政府の文化関連部門が介入し、検査を行ったとのことです。その記事が「人民日報」ホームページ(人民網)にも転載されています。

(参考)「人民日報」ホームページ(人民網)に転載された2009年1月22日付け「京華時報」記事
「『山寨春節晩会』が審査による関門に遭遇 文化部門の介入により開演場所が取り消しとなる可能性も」
http://culture.people.com.cn/GB/8710345.html

 中国の場合、コンサートや演劇など一般大衆に見せるものには、全て「検閲」が入りますので、ある意味ではこういった介入があるのは当たり前なので、本件は本当はそんなにニュース性のある話ではありません。ただ、私としては、それを「京華時報」が記事にして、それを「人民日報」のホームページが転載している、という事実の方に興味を持ちました。この記事が、こういった娯楽目的の演目に対してまで政府の文化部門が審査のために介入することに対して、批判的な目で書かれているからです。「人民日報」ホームページの編集部門の中にも、こういった「検閲」のやりすぎについて疑問を持っている人がいることを示していると思ったからです。

 この「山寨春節晩会」は一部の人が期待しているような、党や政府の政策をパロディ化したものとか、暗に党や政府の政策を批判するようなことはもともと想定しておらず、純粋に中央電視台の「春節晩会」はマンネリを打破して、自分たちでもっと面白い企画をやりたいと考えた人たちによる演出だったようで、この件はそれ以上、大きな話にはならなかったようです。

 ただ、中国では、多くの人の間に、何でもかんでも「検閲」が掛かる、という現在の体制に対する不満がだんだん高まってきているのではないかと私は思っています。

| | コメント (0)

2009年1月10日 (土)

2009年1月第一週の中国の新聞の注目記事

 最近、中国の新聞は結構元気です。「ここまで書いていいのか」といったところまで書く記事が多く見られます。私もじっくり読んでみたい記事はたくさんあるのですが、全部読んでる時間もないので、記録しておく価値のありそうな記事の見出しとポイントだけ書いておきます。

(参考1)「南方周末」2009年1月8日号1面トップ特集記事
「三鹿(メラミン粉ミルク事件)発覚までの隠された10か月」
http://www.infzm.com/content/22472

 三鹿乳業のメラミン入り粉ミルク事件の裁判(2008年12月31日に公判が開かれた)で明らかにされた詳細な時系列を基に、2007年12月に消費者から粉ミルクに関する疑義が提示されてから、2008年9月13日にこの事件が明るみに出るまでの動きを詳細に報じています。この裁判については、既に日本でも報じられていますが、2008年8月1日に三鹿乳業として原因がメラミンであることを確定した後、生産は停止したものの、オリンピックの直前で三鹿製品に対する評判が落ちることを心配した会社幹部はこのことを秘密にしておいた、というものです。

 8月2日と8月29日には石家庄市政府には報告したものの、石家庄市政府も有効な手段を講じず、上部機関への報告も行わなかったとのことです(この件で石家庄市関係者では党委員会書記から副市長に至る幹部が現在調査を受けています)。

 「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)が入手した8月2日と8月29日の三鹿乳業から石家庄市政府への報告書の中には「メディアに対する監督とコントロールを行って社会によくない影響を与えないようにして欲しい」との要請が書かれていたとのことです。

(参考2)「南方周末」2009年1月8日号「評論」欄「方舟評論」
「胡錦濤と馬英九には一緒にノーベル平和賞を受賞して欲しい」(本紙評論員・曹辛)
http://www.infzm.com/content/22427

 中身はタイトルを読んで字のごとしです。今、馬英九氏は中国国民党の代表ではなく、住民選挙で選ばれた「台湾当局」の「総統」です。「ひとつの中国論」を逸脱していないので中国政府の方針に反した評論ではありませんが、中国の新聞でここまで馬英九氏を持ち上げて書くかね、と私は感心しました。

(参考3)「経済観察報」2009年1月12日号(1月10日発売)Naition欄
「還郷(ふるさとへ帰る)」~冬眠(中国語で「蟄伏」)~
http://www.eeo.com.cn/eeo/jjgcb/2009/01/12/126941.shtml

 経済危機により失業して故郷に帰る農民工や請け負い工事担当者、展覧会関連業者、石炭業者、不動産業者などに関する特集記事です。ネット上の記事には書いてありませんが、紙面上には「農民工は旧正月より前倒しで帰郷し、請け負い工事業者、石炭販売業者、不動産リース業者、展覧会業者らは、この経済の温度により、自ら主導的に、あるいはそうすることを迫られて冬眠(中国語で「蟄伏」)している。この静かな春は一体いつまで続くのだろうか。」との頭書きが付いています。「蟄伏」の後は「啓蟄」(けいちつ:春になって虫たちが土の中から顔を出すこと)が来ることを意識した表現だと思います。

 「人民日報」や「中央電視台」では、「故郷に帰った農民工は、新しく創業したり、職業訓練を受けたりして頑張っている」という「明るいニュース」ばかりですが、経済専門紙たる「経済観察報」としては、「事実」を書かざるをえないのでしょう。日本の新聞などには、2009年は中国に危機が訪れる、といった警告を発する論調がよく載りますが、基本的に中国国内の有識者の認識(そしてたぶん党中央・中央政府の幹部の認識)も同じだと思います。

| | コメント (0)

2009年1月 6日 (火)

「なぜマルクス主義堅持なのか」に対する答

 ひと月ほど前、「なぜ今も中国共産党なのか」という極めて「敏感な」質問に対して真正面から答えようとしている「人民日報」の記事が載ったことをこのブログに書きました。

(参考1)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

 ところが年が明けて、2009年最初の月曜日の1月5日付けの「人民日報」では、同じような試みとして、「なぜマルクス主義を指導的地位に堅持しなければならず、なぜ指導思想の多元化を図ってはならないのか。」と題する議論の特集記事を掲載しました。

(参考2)「人民日報」2009年1月5日付け記事
「なぜマルクス主義を意識形態領域の指導的地位に堅持しなければならず、なぜ指導思想の多元化を図ってはならないのか。」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-01/05/content_169978.htm

 ここに掲げられているいろいろな方の上記の質問に対する答としての主張のポイントを掲げると以下のとおりです。

----------------------------

○中国社会科学院マルクス主義研究院党書記・教授の侯惠勤氏:

 マルクス主義を指導原理にしなければ労働者階級が抱える問題点に対処していくことができないから。

○北京大学マルクス主義学院教授のイェン志民氏(「イェン」は「門」がまえの中に「三」):

 マルクス主義を意識形態領域の指導的地位として堅持することになったのは、人民による歴史的な選択だった。マルクス主義の指導により、新中国の建設は成し遂げられ、改革開放も進められた。もし、マルクス主義の指導的地位が弱くなって、我々が動揺し、指導思想が多元化したら、思想の混乱と社会の動揺、民族の分裂からついには国家の解体を招きかねない。ソ連と東ヨーロッパの激変は、ひとつの悲痛な教訓である。

 ただし、マルクス主義を意識形態領域の指導的地位として堅持することは、他の多様な社会的思想を排除することであってはならない。マルクス主義自身、ドイツの古典哲学やイギリスの古典政治経済学、フランスの空想社会主義等の思想の成果を吸収して成立したからである。

○教育部トウ小平理論及び「三つの代表」重要思想研究センター副主任・教授の田心銘氏:

 労働者階級運動は、絶対多数の人々が参加し、絶対対数の利益を図る運動であり、その労働者階級を代表する科学理論がマルクス主義だからである。マルクス主義は、人民の根本的な利益を意志を代表し、人民を前進させる方向を指し示す科学理論だからである。

 もし、マルクス主義による指導がなかったがら、13億の中国人民が団結するための共同の価値の追求もできなくなり、人々の心は分散し、社会は混乱する。最終的には、国家の分裂、民族の解体に繋がり、かつての中国のようにバラバラで、外国からの屈辱を受けるような局面を招きかねない。だからこそ、我々はマルクス主義を堅持し、マルクス主義を発展させていかなければならないのである。

-----------------------

 上記のような考え方が「なぜマルクス主義を意識形態領域の指導的地位に堅持しなければならず、なぜ指導思想の多元化を図ってはならないのか。」という質問に対する「答え」として、ストンと納得できるものであるのかどうかについては人によって違うと思います。また、そもそも現在の中国が採っている政策はマルクス主義本来の姿からは完全に外れている、と考える人もいると思います。しかし、「人民日報」がまたこうした疑問に真正面から答えようとしていることは評価すべきなのでしょう。「人民日報」がこういった疑問に率直に答えようとする紙面構成をすることが多くなったことは、こういった疑問を持つ人が多くなった、と「人民日報」自身が認識していることの現れ、と捉えるべきなのかもしれません。

 いずれにせよ、「なぜ今も中国共産党なのか」「なぜマルクス主義を指導的地位に堅持しなければならず、なぜ指導思想の多元化を図ってはならないのか。」という問いは、2009年を通じて、あるいは2009年を起点としてこれ以降継続して、常に問われ続ける問いとなるでしょう。今までは「まずはとにかく経済成長を図り、人民の生活を一定水準に上げ、外国に負けないだけの国力を得ることが第一であり、そういった疑問に対する答えを考えるのは後回し」と考えられてきました。しかし、中国が「世界の工場」としての世界の中で重要な地位を築き上げ、史上最大規模のオリンピック大会を立派に成功させ、世界的金融危機においても中国の対応が世界に大きな影響を与えるようになった今、今後の中国が進むべき道について中国の人々が自ら納得してその力を十分に発揮するために、既にこれらの問いに対して真正面から答えるべき時期に来ていると思います。

 なお、この日の「人民日報」の特集記事面では、張栄臣という人による「不動揺、不懈怠、不折騰」と題する解説記事も載っています。この解説記事では、「不折騰」については、「論争しない、というのは私のひとつの発明だ。論争しないのは、時間を無駄にしないで仕事をするためだ。論争を始めればすぐ複雑になり、時間を消費してしまって、何も成し得なくなってしまうからだ。」というトウ小平氏の言葉を引用して、「だから現在の中国においては『折騰』を起こしてはならないのだ」と主張しています。つまり、この「人民日報」の解説では、「折騰」とは「思想的にぶれる」とか「路線について不要な論争をする」といった意味で捉えているようにも見えます。

| | コメント (0)

2008年12月29日 (月)

山西省の政治協商会議主席交通事故死の疑惑

 今年10月に行われた第17期中国共産党中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)で、前山西省長の于幼軍氏が中央委員を解任されました(党籍は剥奪されず「監察処分」となった)。この決定は10月12日に行われたのですが、その前日の10月11日、山西省の政治協商会議主席の金銀煥氏(女性)が交通事故に遭って死亡しました。

(参考1)「新京報」2008年10月13日付け記事
「山西省政治協商会議主席、交通事故で死亡」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/10-13/008@023839.htm

※「政治協商会議」とは、中国共産党以外の民主党派(「共産党の指導」を受けることを前提に活動が認められている政党)等が作る会議で、中国共産党が作る政策について意見を具申することができます(ただし決定権はない)。中国政治協商会議は、中華人民共和国の建国時、共産党以外の党派や知識人の意見を集約し中国共産党が「反国民党」の立場で全中国をまとめるために作られました。中央に全国組織がある(主席は政治局常務委員序列ナンバー4の賈慶林氏)ほか、各地方にそれぞれの地方政府レベルに応じた地方組織があります。山西省政治協商会議主席は、政治協商会議の山西省の地方組織のトップです。

 山西省政府のトップはもちろん省長ですが、山西省政治協商会議主席も政策決定権限はないとは言え、山西省の政界ではトップクラスの有力者です。このため、山西省政治協商会議主席の交通事故死のニュースを聞いたとき、前山西省長の中央委員解任決定とのあまりのタイミングの一致に、私は「単なる交通事故ではないのではないか」との疑問を感じました。また、于幼軍氏が中央委員の解任が三中全会の結果を伝える「公報」の中の一項目としてわざわざ明記されていたことから、そもそも于幼軍氏の中央委員解任劇には何かウラがあるのではないか、とその時私は思ったのでした。

 その後、中国国内の一部の新聞で、山西省政治協商会議主席の交通事故死の疑惑について調査中、との報道がちょっと出たりしましたが、「何が疑惑なのか」については、全く情報がありませんでした。

 ところが、12月28日付けの「人民日報」ホームページの記事(「山西日報」の記事を転載したもの)では、この金銀煥氏が事故死した交通事故を起こした件について、山西省の忻州市政治協商会議副主席の李毅氏とその運転手の李志富氏に対する裁判が開廷したことが報じられており、その中で「疑惑の中身」についても触れられていました。

※忻州市政治協商会議は山西省政治協商会議主席の下部の地方組織です。

(参考2)「人民日報」ホームページ2008年12月28日14:32アップ記事(山西日報からの転載記事)
「山西省忻州市政治協商会議職員が運転する車が起こした交通事故で省の政治協商会議主席が死亡した件に関する裁判が開廷」
http://society.people.com.cn/GB/8590577.html

 この記事によるとこの「交通事故」のあらましは以下の通りです。

-----------------------
○山西省忻州市政治協商会議副主席の李毅氏は、自分が運転する車で山西省政治協商会議主席の金銀煥氏の載った車の右側を併走していた時、車線変更しようとしてコントロールを失い、李毅氏が乗った車の左側と金銀煥氏が乗っていた車の右側とが接触し、金銀煥氏の乗っていた車は反対車線に飛び出して横転した(中国では車は右側通行)。金銀煥氏と同乗者一人の二人は病院に運ばれた後死亡し、もう一人の同乗者も怪我をした。李毅氏は、車線変更時に安全を十分に確認しなかったこと及び彼の身体的条件が「車両運転免許証取得と使用に関する規則」に違反していたことにより、この交通事故の全責任は李毅氏が負うべきものであるものと認定された(金銀煥氏側の車に責任はないことが認定された)。

○李毅氏は事故発生の約50分後、自分の運転手の李志富氏に現場へ行かせ、事故の責任を李志富氏にかぶせ、警察当局に対して車を運転していたのは李志富氏であるとして事故の経緯について虚偽の説明をした。

○李毅氏はその後拘束され、「中国共産党規律違反条例」及びその他の関連法令により起訴された。
----------------------

 上記記事では、この案件はあくまで「交通事故」としてだけ述べられており、李毅氏が金銀煥氏に危害を加える意図があったのかどうか、なぜ事故時に忻州市政治協商会議副主席李毅氏の運転する車が山西省政治協商会議主席の金銀煥氏が乗る車のすぐ隣を走っていたのかについては、何も述べていません。これらの点が今後裁判の中で明らかになるのかどうかについても、何も述べていません。

 ただ、上記の事情を見たら、この交通事故の起きたタイミング(事故が起きたのが党中央で前省長の于幼軍氏の中央委員解任が決定する前日であること)と山西省政治協商会議は忻州市政治協商会議を監督する立場にある上部組織であることを考えるとき、ますますこの交通事故が「単なる偶然による交通事故」であるとは考えられなくなってしまいました。この交通事故は、山西省の政界を巡る何かの「どす黒い動き」による「事件」なのではないか、と思えてきます。

 この事件が「人民日報」ホームページに掲載されていることを考えると、党中央は本件を問題視し、きちんと処理しようとしている姿勢が伺えます。しかし、李毅氏の意図はどこにあったのかや李毅氏の背後に誰か「黒幕」がいるのかどうか、など、は今後も明らかにされない可能性があります。前省長の于幼軍氏は、党中央で中央委員を解任されたのですから、もしこの交通事故に「黒幕」がいて、その「黒幕」が党中央に関係している人だったりしたら、これは相当に大きなスキャンダルになる可能性があります。日本ならば、この手の「疑惑」は、週刊誌メディアなどが騒ぎ立てますが、中国にはそういうメディアがないので、このまま疑惑は解明されないまま終わる可能性が大きいと思います。

 山西省では、昨年(2007年)6月に明らかにされた拉致した労働者やこどもを奴隷のように働かせていた「悪徳レンガ工場事件」や相次ぐ違法炭坑での炭坑事故など問題が頻発しています。違法鉱山の鉱滓体積場が崩壊して200人以上の人が死亡した事件については、省長げ責任を取らされて解任されています。

(参考3)このブログの2008年9月22日付け記事
「社会的事件と担当する行政トップの辞任」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/09/post-5218.html

 于幼軍氏は、昨年6月の「悪徳レンガ工場事件」が起きたとき山西省長でしたが、この事件では辞任しませんでした。それどころか、その後、中央政界に戻って、文化部副部長となり、中国共産党の中央委員になっていました。

(参考4)私のブログの2007年6月23日付け記事
「悪徳レンガ工場事件で山西省長が謝罪」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_d370.html

 一方、「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)の12月25日号では2008年に起きた3つの記者の拘束事件についてまとめて報じていますが、この3件のうち2件は山西省における事件を追っていた記者が拘束された案件です(残りの一件は遼寧省の案件=このブログの2008年1月7日付け記事で紹介した案件)。

(参考5)「南方周末」2008年12月25日号記事
「今年は『記者の拘束』が頻発、いずれも背後に疑惑の案件がある」
http://www.infzm.com/content/21691

 こういう周辺状況からすると、山西省は中央からの統制が届かず、省の党や政府が地元の公安当局と「グルになっていて」ほとんど「独立王国のような状態」になっているかのように見えます。

 胡錦濤総書記が最近「不折騰」(「寝返りを打つ」「いじめる」などの意味)という言葉で警告を発しているのは、地方の党組織・政府機関・公安当局・大手企業が全て癒着して「既得権益マシン」と化していて地方政府の内部でのチェック機能が働かず、地方の党と政府が強権を発動して人民を苦しめているような状況(あるいは環境汚染や労働者の就業状態などの面で違法状態にある企業を見て見ぬふりをしている状況)は、人民からの反発を呼び、中国共産党の危機を招く、と認識しているからでしょう。「人民日報」のホームページが山西省政治協商会議主席の交通事故死に関する裁判を伝える「山西日報」の記事を転載したのも、党中央のこうした危機感の表れだと思います。

 中国政府は11月に世界経済危機に対応して2010年末までに4兆元(約56兆円)にも上る大規模な景気刺激策を打ち出しました。こうした大型の景気刺激策が動き出すと、またぞろこういった地方の「既得権益マシン」が動き出して景気刺激策プロジェクトによる利益を独占する危険性が強くなります。多くの中国人民は、こういった「既得権益グループ」の動きに対し、胡錦濤総書記が強力なリーダーシップを発揮して、断固対処して欲しいと思っていることでしょう。もし胡錦濤総書記が断固たる処置を採れば、中国人民は大いに胡錦濤総書記を支持しバックアップすると思います。「既得権益グループ」は、強力な「抵抗勢力」になると思いますが、そういう抵抗を乗り越えて、本当の「改革」を進めて欲しいと思います。

| | コメント (0)

2008年12月27日 (土)

「南方周末」笑蜀氏の「不折騰」論

 12月18日の改革開放30周年記念大会の「重要講話」の中で胡錦濤総書記が述べた「不折騰」という言葉について、12月25月号の「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)の「評論」特集の「方舟評論」という欄で、「南方周末」論説委員の笑蜀氏が評論を書いています。

(参考)「南方周末」2008年12月25日号評論
「一般庶民の日々の生活を『折騰』させては(寝返らせては)ならない」(原文)
http://xiaoshu.z.infzm.com/2008/12/25/%E4%B8%8D%E8%A6%81%E6%8A%98%E8%85%BE%E8%80%81%E7%99%BE%E5%A7%93%E7%9A%84%E5%B0%8F%E6%97%A5%E5%AD%90%EF%BC%88%E5%8E%9F%E7%89%88%EF%BC%89/

※上記のホームページ上の文章は「原文」であり、実際に紙面に掲載されている文章とは若干異なります。しかし、以下に掲げる議論のポイントは基本的にホームページ上の文章と紙面の文章とでは同じです。

 この中で、笑蜀氏はポイントとして次のように書いています。

------------------

○唐や宋の最盛期は「不折騰」だった。即ち、権力は自分を制限し、国家は社会が進歩するのに任せ、社会の自由は拡大した。逆に秦や隋が短期間で滅亡したのは、権力の自己膨張により、朝廷が社会を侵犯した、別の言葉で言えば「折騰」したからである。

○1990年代以降が1980年代と異なるというのであれば、最も重要なのは発展方式が違うということだ。1990年代以降は、政府主導モデルが盛んになり、富や資源が政府に過度に集中し、権力が過度に政府に集中したのである。

○有効なコントロール機構が欠けている中、過度に強い政府は往々にして社会の自由を抑圧し、一般庶民の日々の暮らしの権利を抑圧したのである。つまり言い換えれば、一般庶民を「折騰」させる可能性を増大させたのである。

○このことは「改革」を変質させた。一部の場所では「改革」と「折騰」は同じ意味になった。国有企業の改革が必要だとなれば「管理者による購入」運動が起き「料理する人が大釜の飯を私的に独占してしまう」現象が起きる(注:国有企業資産の私物化のこと)。都市化が必要だとなれば、強制移転運動が起き、結果として政府は土地による暴利を独占する。彼らは往々にして戦車のように無情にも一般庶民の日常の暮らしを押し潰し、大量の社会矛盾と衝突を起こしているのである。

○一般庶民の日々の暮らしは社会安定の基盤であり、日々の暮らしを守ることは必須である。その意味で「高層」が明確に「不折騰」を提示したことは、特に大きく取り上げるべきだし、全力を上げて実現させるべきことである。

○最も重要なのは一般庶民に「折騰」に抵抗する権利を与えることである。「折騰」するコストが収益よりも高くなれば、「折騰」は自然と消えるのである。

--------------------

 「高層」とは、もちろん胡錦濤総書記のことです。これはやはり私が昨日のブログで書いたように、胡錦濤総書記が述べた「不折騰」という言葉は、強いメッセージなのだ、と笑蜀氏も考えたようです。

(参考2)このブログの2008年12月26日付け記事
「胡錦濤総書記の謎の言葉『不折騰』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-2c5d.html

※「不折騰」の意味については、上記(参考2)の記事を御覧下さい。

 この「不折騰」という言葉を巡る議論は、今後とも目が離せそうにありません。

| | コメント (0)

2008年12月26日 (金)

胡錦濤総書記の謎の言葉「不折騰」

 去る12月18日に現在まで続く改革開放政策を決めた中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)の開催から30周年を記念する「改革開放30周年記念大会」が開かれました。この会議で、胡錦濤総書記・国家主席が「重要講話」を行いました。この「重要講話」の内容は、「これからも中国の特色のある社会主義の道に従って改革開放路線を進む」「西側諸国のような三権分立制度は絶対に導入しない」といったことで、今までと路線の変更は全くないことを示すもので、その意味では、新しい部分はありませんでした。

 しかし、この胡錦濤総書記の「重要講話」の中でちょっと気になるくだりがありました。「我々は、動揺せず、怠けず、寝返りを打たずに改革開放の推進を堅持し、中国特色のある社会主義の道を進むことによってのみ、大きな計画を成し遂げ目標を達成することができるのである。」と述べた部分です。この部分が、今、中国のネットワーカーの間で話題になっています。「動揺せず、怠けず、寝返りを打たず」の部分は、中国語では「不動揺、不懈怠、不折騰」となっています。「動揺」「懈怠(けたい:なまけること)」は日本語でも使われるように、中国語でも普通に使う言葉なので誰も不自然には感じませんでしたが、「折騰」という言葉は、この種の演説には使われない言葉なので、多くの人が違和感を感じたようです。

(参考1)「新華社」ホームページ2008年12月18日15:06アップ
「胡錦濤総書記の第11期三中全会開催30周年記念大会での講話」(7分割のうちの第6部分)
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-12/18/content_10524481_5.htm

 辞書で調べると「折騰」と言う言葉は、「寝返りを打つ」という意味ですが、ほかに「いじくり回す」「むやみなこと(無茶なこと)をする」「苦しめる。痛めつける」という意味があるほか「身悶(もだ)えする」という意味でも使うようです。胡錦濤総書記が何を言いたかったのかは、今ひとつハッキリしません。胡錦濤総書記の重要講話は基本的に前々日と前日に「人民日報」に掲載された「任仲平」署名の評論記事の内容を踏襲したものになっています。しかし、「人民日報」の「任仲平」署名の評論記事には「不折騰」という言葉は登場していません。

※「任仲平」とは特定の人物ではなく「『人』民日報『重』要『評』論」の意味を持つグループによる集団討議の結果書かれる評論です(「任仲平」は「人重評」と中国語では同じ発音)。

(参考2)このブログの2008年12月16日付け記事
「『人民日報』の改革開放30周年評論(前半)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/30-3c83.html

(参考3)このブログの2008年12月17日付け記事
「『人民日報』の改革開放30周年評論(後半)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/30-b9ef.html

 12月22日付けの「新華社」ホームページに掲載された解説では、「不動揺、不懈怠、不折騰」という言葉は、胡錦濤総書記が警鐘を鳴らすために述べた言葉であり、改革開放30年の経済成長の中で、驕りたかぶってはならない、保守的で新しいものを受け入れようとしないような態度を取ってはならない、と述べたものなのだ、としています。

(参考4)「新華社」ホームページ2008年12月22日08:13アップ解説
「不動揺、不懈怠、不折騰」(動揺せず、怠けず、寝返りを打たず)
http://news.xinhuanet.com/theory/2008-12/22/content_10539949.htm

 一方、12月26日付けの「中国青年報」に掲載された陳季冰という人が書いた評論では「『折騰』とは無計画に激しい方法で現在の体制を変えようとすることである。」と解説しています。

(参考5)「中国青年報」2008年12月26日記事(「新華社」ホームページに転載されたもの)
「時事評論:改革開放では、いかにして寝返りを打たないことを確保するか」
http://news.xinhuanet.com/politics/2008-12/26/content_10560041.htm

 さらに、この評論では、ポイントとして次のように述べています。

---------------------

○「不折騰」の主語は誰なのか。筆者のような庶民からすると、今日は仕事を辞め、明日は不動産や株式市場の売買で金儲けし、あさってには別の都市に引っ越してしまうような人が、一種の「折騰」(寝返りを打つ)人だと思えてしまう。その人がただの個人なら問題はないが、区、市、省の政府の人だったら影響は大きくなる。

○功名心に走り、大きなことをして手柄を立てようとする地方政府の「折騰」については、やればやるほどその程度が激しくなっているところが少なくない。

○ここで言う「不折騰」の主語は政府と考えるべきだろう。ただ、当然のことながら現状を変えようという政府の努力を全て「折騰」と見てはいけない。政府が行う行為を「折騰」なのか、「創新」(イノベーション)なのかを見極めなければならない。その見極めをする方法は、人類の経験からすると二つある。一つ目は、ふさわしい政府職員を選抜して政府が「折騰」しないようにさせることであり、二つ目は、一般庶民による政府に対する強力な監督体制を作ることである。明らかに後者の方が根本的な解決策である。職員にしろ、政府にしろ、世界の中で誤りを犯さない者などないのだから。

○もし一歩譲って、大多数の民衆の見方が誤っていて、政府の中に卓越した素晴らしい見識を持つ職員がいる、という状態が常に存在している、と仮定したとしても、それでも政府は、政策を進めるためには、「民衆の考え方は遅れている」とか「民衆の観点は狭い」として民衆の意見を反映しないようなやり方をすれば、政府の政策は進めるに当たって大きな困難を招くだろう。胡錦濤総書記は、講話の中で、政策は「人民が支持しているかいないか」「人民が賛成するか不賛成なのか」「人民が喜ぶのか喜ばないのか」「人民が了承するのかしないのか」を出発点とすべきだ、と述べている。

○「不折騰」の実現を保証するためには、民主政治を強力に進めて政治体制改革を進めることが必須である。政府は、真に法律に基づいて人民が付与した権力を行使し、人民による監督と審査を受けなければならないのである。

------------------

 もし、胡錦濤総書記が「不折騰」という言葉を、この「中国青年報」の評論の筆者である陳季冰氏が考えるような意味で使ったのであれば、胡錦濤総書記は、権力を傘に人民の意向を聞かずに強引に政策を進める地方政府の行為を民主的な方法によって人民の手で監督して縛って「不折騰」(寝返りを打たない)ようにすべきだ、と主張したことになります。「中国青年報」は、共産主義青年団(共青団)の機関紙であり、共青団出身の胡錦濤総書記とは近い関係にあると言われています。従って、上記のような想像は、あながち的はずれではない可能性があります。

 「人民日報」の評論の中では使っていなかった「不折騰」という言葉を胡錦濤総書記が改革開放30周年記念大会の重要講話の中で使った、というのは、意外に強力なメッセージだったのかもしれません。「人民日報」の「任仲平」署名の評論は、多くの人が討論して何回も書き直して作る文章なので、地方政府を民主的政治体制改革によって縛る、というようなメッセージは入れられなかったが、胡錦濤氏が総書記権限で書き込める自分の講話の中に自分の考えを「メッセージ」として埋め込んだ、と考えることもできると思います。

 もともと、胡錦濤総書記は、1987年1月に民主化を求める学生運動に理解を示していたとして解任された胡耀邦総書記(この方も共青団出身)を尊敬している、と言われています。そもそも今回の胡錦濤総書記の改革開放30周年の「重要講話」では、1987年の第13回党大会で趙紫陽総書記が提唱した「社会主義初級段階論(建国後100年程度(=2050年頃まで)は社会主義の初級段階が続く、という考え方)を繰り返し述べています。趙紫陽総書記も、1989年の「政治風波」の中で民主化を求める学生たちの動きを容認したとして失脚した人です。こういうことを考えると、何年か経ってみると、この「不折騰」という言葉は、複雑な党内情勢の中で胡錦濤総書記が自らのメッセージを込めた重要な言葉だった、と振り返ることになるのかもしれません。

| | コメント (1)

2008年12月23日 (火)

「南方周末」の改革開放30年記念特集

 「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)を含むいくつかのメディアを統括する「南方メディア集団」の江芸平副編集長が更迭された話は先日このブログで書きました。

(参考1)このブログの2008年12月14日付け記事
「2008年12月前半のできごと」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/200812-6baa.html

 江芸平副編集長が更迭された後に発行された「南方周末」の改革開放30年記念特集号(上)(2008年12月11日号)の状況については、上記の記事に書きました。改革開放30周年記念日である12月18日号の改革開放30年記念特集号(下)も、基本的にはこれまでの「南方週末」が持っていた方向性と基本的には変わっていないように私は思いました。

 この号の最初の特集は「改革の八賢」として改革開放に功績のあった8人の業績を紹介しています。その特集の最初に「常識に出会って春の花が開いた」と題する「南方周末」紙論評論員の郭光東氏の評論が載っています。

(参考2)「南方周末」2008年12月18日号評論
「常識に出会って春の花が開いた」(郭光東)
http://www.infzm.com/content/21342

 この評論では30年前の第11期三中全会の決定がそれまでの「文化大革命」の誤りを正し、「常識」を引き戻した、と書いています。改革開放30年を振り返る評論としては、普通の論調ですが、その表現は結構辛辣です。例えば、いくつかのポイントを挙げれば以下のとおりです。

------------------

○あの当時(注:文化大革命の時期)の人々は、穀物や野菜には関心がなく、社会主義の草は要るけれども、資本主義の苗は要らないと言っていた。天と闘うこと、地と闘うこと、人と闘うことに陶酔し、毎年毎年、毎月毎月演説し、毎日毎日階級闘争をやっていた。あの当時の人々は偉大な指導者を頂いており、英明な指導者はどんな親しい人よりも大事だと思っていた。

○あの当時も人々は盲従していたわけではなかったけれど、「文革は左の誤りだ」「個人崇拝はおかしい」といった本当のことを言った張志新は、無惨に喉を切られて虐殺された(注:張志新は、文革当時遼寧省党委員会宣伝部にいた女性幹部。林彪・江青らの文革グループを批判して逮捕され1975年に死刑となった。改革開放後の1979年に名誉回復された)。当時の指導的立場にいた良識を持った人たちも、打倒されるのを避けられず、家族もひどい目に遭った。あの時は最高指導者の言葉の一言一句は真理だったので、最高指導者の決めたことや指示に対しては人々は従わなければならなかった。

○これがずっと続いていたら今の中国はある隣国の現状のようになっていただろう(注:「ある隣国」とは北朝鮮のことを指すことは明らか)。それを思うと、30年前に中国の命運を変えた元勲の方々には敬意を表して、し過ぎることはない。

○とは言え、当時の元勲の方々の理念が崇高だったわけではない。彼らは、単に「貧しいことが社会主義ではない」「『一切は階級闘争のためにある』というようなことをこれ以上続けたら地球上に居場所がなくなってしまう」と思っただけなのである。彼らの経験から、国があのような状態を続けたら、政府幹部から一般人民に至るまで、全ての人の人権がなくなってしまう、と思っただけなのである。これは、ごく普通の一般の人が考えていた明白な常識であった。彼らは常識を捨て去ってはならないと決めたのである。

○人類の社会生活において最も貴重なのは、偉大な人物の著作でもなく、指導者の演説でもなく、ごく普通の人の常識なのである。トウ小平氏は、政策は「人民が賛成するかしないか」「人民が喜ぶかどうか」で決めよ、と述べた。これこそが「常識に従え」ということなのである。

○常識を敵とするような政策決定には大きな代価が付いてくる。我々は今年が「大躍進政策」50周年であることを忘れてはならない。指導者の一声で、人々は、イギリスを超えよう、アメリカを超えようと頑張り、資源を消耗させ、数千万人の餓死者を出すという悲劇的な人類史上最大の飢饉をもたらしたのである(注:毛沢東の提唱で1958年に始まった「大躍進政策」は、その後の3年間、農業生産の停滞を招き、自然災害とも相まって、極端な食糧不足を招いて数千万人の餓死者を出したと言われている)。

○改革開放は常識への回帰をもたらした。しかし、改革開放の過程でも、まだ「もうちょっと計画経済を強めよう」「もうちょっと市場経済を強めよう」という議論にさらに10年余の時を要した(注:1980年代及び1989年の事件の後1992年にトウ小平氏が「南巡講話」で市場経済化を進めようと方向性を定めるまで、保守派と改革派の間で市場経済化の程度に関して議論が続いたことを指す)。

○この30年の「中国の奇跡」はまさに「常識の勝利」なのである。しかし、まだ改革は終わってはいない。我々は再び常識に戻り、改めて常識から出発しなければならない。経済、政治、民生、文化等多くの領域で改革を進めるには、その根本にある多くの迷信を捨て去り、一般大衆の常識を集めてそれを広めなければならないのである。多くの常識を集める方法は、即ち、一人一人の個々人が自分の意見を言うことによって物事を議決するシステムを作ることである。これが社会生活における最大の常識なのである。

--------------------

 現在の改革開放政策は「文化大革命は大きな誤りだった」「1958年の大躍進政策や文化大革命の発動など毛沢東主席も晩年にはいくつかの誤りを犯した(しかし、革命を勝利に導き新中国を成立させたという点で、総合的に見れば毛沢東主席の功績は極めて大きい)」という認識からスタートしています。従って、上記の評論は、現在の党指導部の考え方からずれていません(だから出版されることを許されたわけです)。ただ、最後の一文は、議会制民主主義を確立せよ、それが世界の常識なのだ、という主張にも見えるので、現在の中国の「枠」から一歩踏み出していると思います。

 いずれにしても、上の評論の表現は、一般市民向けの新聞に載る文章としてはかなりハッキリしたことを書いていると思います。文化大革命に関する記述しかり、大躍進に関する記述しかりです。名指しこそしていませんが、大躍進期や文化大革命の時期の毛沢東主席の位置付けをハッキリ批判的に書いてあるのも印象的です。改革開放初期(1980年代)には、学者の書いた専門的な本などにはこういう表現はあったろうと思います(当時の新聞は今ほど自由には文章を書いていなかった)が、1989年の事件以降、党の求心力を維持するために毛沢東主席のカリスマ性に頼る傾向がある現在の中国共産党のやり方からすると、結構、突っ込んだ表現だと思います。しかも学者の専門書ではなく、一般市民が気軽に買って読める新聞にこういった表現が出てくることに時代の流れを感じます(副編集長が更迭されても「南方周末」は何も悔い改めてはいない、ということなんでしょう)。

 なお、この号の「南方周末」で取り上げている「改革の8賢人」の中には胡耀邦元総書記が含まれています。先日このブログのひとつ前の発言の「改革開放30周年記念日が終了」で書いたように、商務部や中国共産党対外宣伝弁公室等が主催している「中国対外開放30周年回顧展」では、胡耀邦氏は全く無視されていました。客観的に言えば、改革開放を進めた功労者の中に胡耀邦氏が入るのは当然です。ただ、さすがに「南方周末」とは言えども、趙紫陽氏(元総理、元党総書記)を「改革開放の貢献者」としてピックアップすることはできなかったようです。趙紫陽氏は1989年の事件の処理を巡って失脚した本人ですからね。その意味では、まだ「南方周末」と言えども1989年の事件を客観的に論じることはできない、ということなんでしょう。

 (参考1)で書いた12月11号の「南方周末」では一時的に消えていた「時局・天下」「評論(自由談など)」の特集ページは、12月18日号では元に戻っています。副編集長の更迭は内容の変更には影響がなかったようです。(読者に見えないところで、ではいろいろな葛藤があるのかもしれませんが)。いずれにしても「南方周末」の切れ味が落ちていなくて安心しました。たぶんこれからも毎週買って読むと思います。

| | コメント (0)

2008年12月17日 (水)

「人民日報」の改革開放30周年評論(後半)

 昨日に引き続き今日(12月17日)も「人民日報」1面の下の方に「任仲平」署名の評論が載っていました。

(参考)「人民日報」2008年12月16日付け1面評論
「歴史的契機が我々の把握を待っている~改革開放30周年に際して(下)~」(任仲平)
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/17/content_159030.htm

 この評論では、ちょうど改革開放30周年のタイミングで世界でも経験したこのとのない強烈な金融危機が中国にも襲い掛かっていることに対して、果敢に立ち向かって行こう、と呼びかけています。

 この評論では、18世紀半ば、西洋諸国からの武力による衝撃によって中国五千年の歴史の中での近代化が始まり、100年にわたる苦闘の末、新中国が成立し、中華民族を復興させるひとくぎりの偉大な革命が達成された、としています。そして、改革開放の道を開いて「中国の特色のある社会主義」の道を歩んできた、一定の水準の安定した生活を得るまで十数年にわたり奮闘し、近代化の基本を実現させるにはなお数十年必要だとしています。また、確固たる発展した形の社会主義制度を確立するには数世代必要であり、十数世代ないし数十世代にわたって努力を続ける必要がある、としています。

 1987年の第13回中国共産党第13回全国代表大会で、当時の趙紫陽総書記が「中国は今まだ社会主義の初級段階にあり、この段階は建国後約100年間(つまり2050年頃まで)続く」との現状認識を示しましたが、上記の評論の認識も基本的にそれと同じ認識に立っています。

 第13回党大会の時、私は北京に駐在していて当時の趙紫陽総書記の演説を「そんなもんかもしれないなぁ。中国は変化するのに時間が掛かるからなぁ。」と思っていました。ただ、その時は2050年までまだ60年もあったので「そんなもんかなぁ。」と思っていたのですが、現在までにそれから既に20年が経過しました。しかし、中国は確かに経済発展はしましたが、社会的構造の面ではほとんど変わっていないと私は思っています。趙紫陽総書記が語っていた2050年まで、あと40年ちょっとしかありません。今まで20年間の変化のペースのままでは、2050年までには「社会主義の初級段階」は終わらないのではないかと思います。

 上の「任仲平」氏の評論は、「社会主義制度の確立には数世代必要であり」と言っていますが、その次の十数世代、数十世代にわたって努力を要する期間は社会主義制度が続くのかどうかについては言及していません。そんな先のことはわからない、ということなのでしょう。ですから、2040年~2050年頃以降の中国がどうなっているのか、を頭に想定しつつ、今から何をしていく必要があるのか、を考える必要があるのだと思います。

 転載と削除が繰り返されている「ネット上の文書」は、「最終的な絵姿」が書いてあるだけで、そこまでに至る過程をどうするか、については何も書かれていません。ほんとうはその「過程」が大事なのであって、どういう「過程」を採るのか、は大いに議論をする必要があります。「過程」を議論するためには、まずその先の目標をどうするのか、について議論する必要があるのですが、現時点では、その最終目標のひとつの考え方が「削除」の対象になっていて、議論の俎上(そじょう)に上げることができないのが現状です。そうした状態なので「過程」の議論ができない、というのが最も大きな問題なのだと思います。

 実際に中国が変わるのは、数世代先、つまり2040年~2050年頃の話だと思いますので、そこにどういう将来像を描くか、そこに行き着くまでにはどういう「過程」を通るべきか、について、今から少なくとも議論はしていかないと、中国は時代の流れに取り残されてしまうのではないかと私は心配しています。

| | コメント (0)

2008年12月16日 (火)

「人民日報」の改革開放30周年評論(前半)

 今日(12月16日)付け「人民日報」の1面の下の方に出た「任仲平」という署名入りの「30年の変わらぬ時代の呼び声~改革開放30周年に際して(上)~」と題する評論が掲載されました。

 「任仲平」とは特定の人物ではなく、「人民日報」が重要な論評を書くときのペンネームだと言われています(「『人』民日報『重』要『評』論」の『 』内の3文字は中国語で「任仲平」と発音が同じ)。(なお、「人民日報」には、似たような署名として「仲祖文」(「中国共産党『中』央『組』織部『文』章」)というペンネームの文章が載ることがあります)。

(参考1)「人民日報」2008年12月16日付け1面評論
「30年の変わらぬ時代の呼び声~改革開放30周年に際して(上)~」(任仲平)
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/16/content_158571.htm

 この論文は「世界的金融危機により、従来の自由資本主義の見直しが議論される中、「中国モデル」に注目が集まり、「中国の特色のある社会主義」に対する評価が行われている、というところから書き始めています。

 評論のポイントは以下のとおりです。

○この30年間に最も大きく変わったのは「人」であり、最も恩恵を受けたのも「人」であり、最も大きな原動力を発揮したのも「人」であった。農村経済は活性化し、数年で「何とか食っていける」状態に達し、労働者には週休二日制が普及し、権利が社会の基本的話題となり、村民委員会で直接選挙が実施され、戸籍制度の殻が破れて全国的な人口の大流動が起こり、この「人民共和国」において、個々人に対する変化がだんだん具体化されてきているのである。

○30年経ち、多くの問題も生じている:貧富の格差、都市と農村の格差、雇用問題、社会保障問題・・・。今は当初の頃の「一部の人が先に豊かになってよい」という時代から「パイをいかにして分配するか」という公平主義と社会の和諧促進の問題が重要な時代になってきた。

○商鞅(秦の官僚)の改革、王安石(宋の時代の官僚)の改革、戊戌の改革(1898年:清末の改革)は短い時間で終わりを告げ、改革者は流血と生命の代価を支払った。それに対して、20世紀、1970年代末から始まった現在の中国の未曾有の新革命では、終始、執政党の強力な指導により、その堅牢な政治的保証を利用して、30年を「一気呵成」にことを動かしてきた。

○30年の改革開放は、中国共産党の執政方法にも巨大かつ深刻な変化をもたらしてきた。30年の政治文化の一歩一歩の歩みは、全て執政党としての自己完全化の歩みでもあった。

○30年を顧みれば、「価格制度の難関突破」「経済の『軟着陸』」「『ソ連・東欧の激変』」「『八九風波』」「アジア金融危機」「世界的金融危機という津波」...といった一連の重要な歴史的難関に対して、中国共産党は、歴史に対して責任を負い、人民に対して責任を負う、という勇気をもって、全力をもって改革開放の船を進めてきている。著名な中国問題の専門家で元在中国ドイツ大使のコンラッド・セイツ氏(音訳)は、「中国が、次々と現れる悲観主義者たちに反駁し、様々な問題に立ち向かってこられた原因は、中国には強力な指導者層がいたからだ。」と指摘している。

○改革開放は、いまだかつて誰も経験したことがない、まだ完成していない道である。様々な歴史的要素が変化する中で我々が選択し終始変化させずに堅持しなければならない道とは「党と人民とが心をひとつにして、時代の流れに順応して改革開放を進め、行く先を完全に正しい方向に向け、結果に対する不寛容な態度を避け、停滞と後退には出口がないことを理解すること。」である。改革は未だ終わっていない。中国はまだその途上にあるのである。

-------------------

 上記評論の中にある「この『人民共和国』において・・・」という部分は、最近ネットに掲載され、人々による転載と当局やネット管理者による削除との「いたちごっこ」状態となっている文書の中にこういった表現があることから、この「人民日報」の評論もそのネット上の文書を意識して書かれたのかもしれません。

※「ネット上の文書」については、このブログの12月14日付け記事「2008年12月前半のできごと」の(3)を御覧ください。

(参考2)このブログの2008年12月14日付け記事
「2008年12月前半のできごと」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/200812-6baa.html

 また上記評論の過去のいろいろな問題点を振り返る部分では「八九風波」について言及しています。私は昨年4月北京に再び駐在するようになってから、基本的に毎日「人民日報」には目を通しているつもりですが、私が知る限り「人民日報」の紙上でどういう表現の仕方をするにせよ「八九風波」について言及したのを見たのは初めてです。(新華社ホームページの「資料」のページには以前から「1989年の政治風波」として載っていました。また、「新京報」や「経済観察報」では「政治風波」という呼び方で時々登場します。先日(2008年12月1日号)の「経済観察報」では「1989年春夏之交」と表現されていました。)

 1989年の事件については、従来は日本語のウィキペディアでは1976年に起きた「四五」(第一次)の方は見られたのですが、1989年の方のはアクセスしようとするとウィキペディアへの接続が遮断されるというアクセス規制が掛かっていました。しかし、先日(12月1日に)試しにアクセスしてみたら、北京からも見ることができるようになっていました。来年は20周年になりますので、少し扱いが変わってきているのかもしれません。

 この「任仲平」評論は、あたかも12月8日に「人民日報」の編集部が提示した「なぜ」に対する「人民日報」なりの答になっているのではないかと思います。

(参考3)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

 この「任仲平」評論が述べている「答」で、納得するかどうかは人によって違うと思いますが、「人民日報」が自ら「なぜ」という問い掛けを提示し、それに対する答となる評論を掲げていることは、ひとつはもちろん改革開放30周年のタイミング、ということもあるのでしょうけれども、やはり上に書いた「ネット上の文書」の存在が気になっているのではないかと思います。

 「ネット上の文書」については、人々による転載と当局やネット管理者による削除が繰り返されていますが、「文書」は単にひとつの「文書」であって、多くの人が思っていることを単に率直に文章にしただけのものにしか過ぎません。「人民日報」上で、自ら「なぜ」という問を発し、自ら答える論評を書いているのは、「人民日報」としても、「ネット上の文書」を削除したところで、「多くの人が思っていること」自体を消すことはできないことをよくわかっているからだと思います。もしそれがわかっているのだったら、きっと解決策は見付かる、と私は信じています。

| | コメント (0)

2008年12月14日 (日)

2008年12月前半のできごと

 ここのところいろいろな案件が起きているので、ここでまとめて書いてみたいと思います。

(1)南方メディア集団副編集長の更迭

 この件は中国の新聞では伝える記事を見ていませんが、12月5日香港発時事通信によると、私がよくこのブログで引用している「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)や「南方都市報」などの新聞を統括している南方メディア集団の副編集長の江芸平氏が更迭された、とのことです。今までこのブログでも何回も御紹介してきましたが、「南方周末」は、かなり突っ込んだ記事を書くことで有名であり、輸送費を掛けて北京に持ってきても売れる内容の新聞です。

 江芸平副編集長が更迭された後に制作された「南方周末」2008年12月11日号は、いつもと雰囲気ががらりと変わっていました。まず、それまでは新聞の標題が白地に赤く「南方周末」と書いてあったのが、12月11日号では赤地に白抜きで「南方周末」と書いてありました。

 内容も従来は以下のようなものでした。

【パートA】法治、特別報道
【パートB】時局・天下
【パートC】経済
【パートD】文化
【パートE】自由談

 最後の【パートE】は「方舟評論」という欄で「南方周末」紙の論説委員が結構辛辣な評論記事を書いていましたし、読者からの投書も載っていました。

 2008年12月11日号は「中国改革開放30周年記念特別編集(上)」ということで「三十而立」と題して、以下のような特別構成になっています。

【パートA】30年の各年を代表する人物にスポットを当てた特集記事
【パートB】経済:10名のビジネス啓蒙者にスポットを当てた特集記事
【パートC】文化(芸術、映画、演劇、音楽)、科学技術の30年を振り返る特集記事

ということで「時局・天下」を報じる部分と評論記事からなる「自由談」がなくなっています。たぶん「南方周末」社に聞けば「改革開放30周年の特集号だからいつもと違う編成なんだ」という答が帰ってくると思います(改革開放政策を打ち出した第11期中国共産党中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)が開かれたのが30年前の1978年12月で、今、改革開放30周年の時期に当たるのは事実です)。

 ということで、構成上は、かなり「圧力が掛かったな」という感じを受ける編成になっています。しかし、実は個々の記事を読んでみると、記事を書いている各記者は全然へこたれておらず、各記者の強い気持ちがにじみ出ている記事がたくさん掲載されています。

 例えば1面トップには、論説委員の「笑蜀」氏が書いた文章が載っています(この論説委員の名前は、もちろんペンネームでしょうが、三国志に出てくる劉備玄徳が抱いていた大望、即ち蜀(四川省)を得て漢を復興させようという「望蜀」を考えると、かなり皮肉なペンネームです)。この「笑蜀」氏の文章は、相当に意味深長なことを述べています。ポイントを示すと以下のとおりです。「笑蜀」氏に聞けば、「そんな意味は含んでいない」と否定すると思いますが、私には、あたかも下記の(3)で述べる案件と相通ずるような主張を感じました。

(参考1)「南方周末」2008年12月11日号
「再び人に戻り、再び人から出発する」(笑蜀)
http://www.infzm.com/content/21045

-「南方周末」2008年12月11日号1面の「笑蜀」氏の文章のポイント(始まり)-

・改革開放が進展したのは、当時、多数の「普通の人」を解放したからだ。一端、抑圧と屈辱の中から人々が解放されると、その創造力と進歩に対する激情は最大限にほとばしり出て、人々が奇跡を起こすことすら不可能ではなくなったのだった。

・改革開始によって、国民が歴史の主体としての位置に戻ったのである。古い革命幹部が受益しただけではなく、知識階級が受益し、社会の最先端を行く人々が受益し、ごく普通の以前だったら「貧しい人々」と呼ばれていた人たちも受益したのである。これが30年の改革の原点である。

・この改革の原点は、また新しい改革、即ち「最後の30年」の起点でなければならない。

・現代史を振り返ると、おおよそ200年がひとつの単位となっている。フランス革命によって蒔かれた自由・平等・博愛の精神の種は、ちょうど200年を経て普遍的価値となった。歴史家の唐徳剛は、中国も現代史のモデルに習うことになる、と述べている。つまり、アヘン戦争から200年後、即ち2040年までに歴史のボトルネック(原文は「歴史的三峡」)を抜ける、と述べている。200年間の苦闘の結果は、これからの「最後の30年」によって得られるのである。

・改革30年の成果には大きなものがある。しかし、権力が改革をねじ曲げ、改革を曖昧なものにし、改革を論争の種にし、看過できない事実をももたらしている。改革の精神は改革を必要としている。改革の様々な異質化を真正面から見つめなければならず、改革の中における何千万、何億の「普通の人々」の悲しみと喜び、血の涙を正視しなければならない。

・改革とは誤りを修正することである。新しい改革は、その意味するところの原点に戻らなければならない。権利システムの調整を通して、国民の心の中に国家を再建することに対する同意を与え、それによって我々の国家を真に道徳感を招き寄せうる国家にしなければならない。四川地震の救援に対して全国の人々の心がひとつになったように、全民族の力量をもって、現在直面している困難に共同して立ち向かわなければならない。そうすることにより、我々は最終的に歴史のボトルネック(「歴史的三峡」)を通り抜け、広大で穏やかな太平洋に流れ入ることができるのである。

-「南方周末」2008年12月11日号1面の「笑蜀」氏の文章のポイント(終わり)-

 さて、この号の「南方周末」では、改革開放30年の各年を代表する人物について述べていると上に書きました。一番気になる1989年の部分ですが、当然のことながら「1989年の政治風波」については何も書かれていません。

 「1989年を特徴付ける人物」で取り上げているのは、1989年3月26日に自殺した海子という詩人です。この年の特集記事のタイトルは「海子:ひとつの自由で苦痛に満ちた声が静寂に帰した」となっています。そして「理想主義の1980年代が終わった」と書かれています。

 そしてこの1989年に関する記事の最後には次の一文が載っています。

「海子は、1980年代の最後の年に自殺した。欧陽江河氏は『彼はやがて来る消費時代の到来を予感していたのかもしれない。来るべき時代は、散文的で、自嘲的で、逆説的な風刺による、身体で表現する言語の時代だったのだ。』と語った。そして、この海子の死と引き替えに、海子のような作風と海子の時代の夢が終わった。」

 この特集記事では「1989年の政治風波」については何も語っていませんが、貧しくとも未来への発展の夢があった1980年代後半を北京で過ごした私は、この特集記事の筆者(南方周末の楊継斌記者)に大いなる共感を覚えます。

(参考2)「南方周末」2008年12月11日号「改革開放30年の各年を代表する人物」
「【1989】海子:ひとつの自由で苦痛に満ちた声が静寂に帰した」
http://www.infzm.com/content/21075

(2)「新京報」による「上訪者が精神病院に入れられた事件」の報道

 この件は、日本の報道機関でも伝えられたので、御存じの方も多いと思います。

 「上訪」とは中国独特のシステムで、地方政府の横暴に苦しむ住民がその地方政府の上部機関へ(例えば、市や県の政府に苦しめられている人は省の政府へ、さらに最終的には北京の中央政府へ)訴える制度です。いわば日本の江戸時代にあった「直訴」のようなもものです。省の政府や北京の中央政府には、この「上訪」を専門に受け付ける部署があります(中央政府の場合、この受付窓口は「国家信訪局」といいます)。

 12月8日号の「新京報」は、「核心報道」として2面にわたり、強烈なレポート記事を掲載しました。内容は、今年10月、山東省新泰市の住民が北京に来て「上訪」しようとしたところ、拘束されて、強制的に新泰に連れ戻され、「新泰精神衛生センター」に入院させられて、強制的に「治療」を受けさせられた、というものです。この記事では、こういったことが2004年から繰り返し行われてきたことを明らかにしています。

(参考3)「新京報」2008年12月8日付け記事「核心報道」
「上訪者が強制的に精神病院に送られている」
http://www.thebeijingnews.com/news/deep/2008/12-08/008@021055.htm

 このレポートは内容的には非常に衝撃的なものです。一方、そういった衝撃的なルポルタージュが中国の新聞に堂々と掲載され、現在もネットで見ることができる、ということも画期的なことです。(こういった記事は「新京報」が北京の新聞だからできるのであって、地元の山東省の新聞だと、地方政府の「指導」がありますから、こういった記事は載せられないと思います)。

 この「新京報」の記事が「人民日報」に政治システムに関する記事が載ったのと同じ日に掲載された、というのは何か関連があるのでしょうか。おそらくこれら一連の記事は12月10日の「世界人権デー」にちなんで記事にした、と考えるのが自然かもしれません。

(参考4)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

(3)「例の文書」のネットへの掲載

 そして、これが最近起きた一連の事態の中で、最も衝撃的な出来事でした。日本でも報道されているので御存じの方も多いと思います。本件は、中国国内では極めてセンシティブな(敏感な)事項であるので、北京にいる私としては「例の文書」とだけ書いておきます。「例の文書」の正式名称は「零戦」「八方」「憲男」「章節」の前の文字を組み合わせたもの(四文字)です。前の二文字は、もちろん算用数字を使うこともありあます(何のことかわからない方は、この「四文字」を日本語の検索エンジンで検索してみてください)。

 この文書がネット上で発表されたのは12月9日とされていますが、日本の報道機関が報道したのは12月10日でした。私はたまたま12月11日まで東京におり、12月11日に東京から北京へ移動したので、本件に関するネット上での取り扱いについて、東京にいた時と北京に来てからとの違いを体験することができました。

 東京では当然のことながら自由にネットを見ることができましたが、北京に来ると以下の点がわかりました。

○本件記事を掲載しているBBCホームページ中国語版が、本件記事だけではなく、ページ全体がアクセス禁止になっています。

(参考5)BBCホームページ中国語版
http://news.bbc.co.uk/chinese/simp/hi/default.stm

 このBBCホームページ中国語版は、長らく中国大陸部からはアクセス禁止状態にありましたが、北京オリンピック開始直前の2008月7月末にアクセスできるようになりました。従って、オリンピック前の状態に戻っただけなのですが、このアクセス禁止措置が今回の「例の文書」が出されたための措置であることは明らかです。

○中国語の検索エンジンで「例の文書」を検索すると、いくつかのページがヒットするもののほとんどが既にその内容は削除されています。しかし、ブログに転載されるなど削除されないで残っているものも一定の数あるので、探せば北京でも「例の文書」の本文を見ることは可能です。しかし、今日、「例の文書」の本文が見られたサイトでも、次の日になると削除されているケースが多いようです。しかし、どんどん削除されてはいるものの、どんどん転載もされているので、ネット上から完全に駆逐することは無理だろうと思います。

○人民日報のホームページにある掲示板「強国論壇」では、本件に関する直接の発言は載っていない(たぶん削除されている)のですが、明らかに本件文書を読んだと思われる人の発言が賛成・反対の立場ともに少数ながら載っています。反対の意見が載っている、ということは、反対の立場の人も文書の本文は見ている、ということなのでしょう。

--------------------

 これらの状況を見て私が感じるのは、「南方周末」の「笑蜀」氏が述べているのと同じです。即ち、ついに「最後の30年が始まった」ということです。これは1989年のように一時的な「政治風波」で終わるようなものではないと私は思っています。当局は、新聞の編集者の更迭やネット上の記事の削除やアクセス禁止措置でこれを抑え込もうとしているようですが、上記の「南方周末」の記事や、(3)の「例の文書」が次々に多数のブログに転載されている現状を見れば、もはや時代の流れを止めることは誰にもできないと私は思います。

 ただ、私が注意しなければならないと思うのは、今、世界的経済危機で、世界中の多くの人々が困難に直面しているということです。ことを急ぎ過ぎて社会的混乱を起こすことは、誰も望んでいない、ということです。私には、これから何が起こるのか、全く予想ができません。世界的経済危機が、これまで誰も経験したことのないものであるからです。また、中国で(3)の「例の文書」のようなものが広く知れ渡ったことも初めてのことだからです。さらに、中国は、新聞が(2)の記事のように使命感を持って記事を書くようになった時代を今初めて経験しているからです。私は、個々の人が、できるだけアンテナを広げて情報を収集し、自分でできる範囲のことを自分の判断でやっていく、という当たり前のことをする意外にこの予測不能な時代に対処する方法はないのだと思っています。

| | コメント (0)

2008年12月 8日 (月)

「なぜ今も中国共産党なのか」に対する答

 経済の自由化が進み、市場経済の下で大きな発展を遂げ、江沢民氏の「三つの代表」の理論により、中国共産党が労働者・農民(プレレタリアート)だけではなく、中小商工業者(プチブル)や企業経営者・資本提供者(ブルジョア)も含めて幅広い中国の人々を代表する、と宣言された今では、多くの中国の人々は「なぜ今のように経済発展が進んだ中国において中国共産党が唯一の執政党として全てをコントロールしなければならないのか。」という疑問を持っていると思います(中国共産党を批判することは中国国内では法律違反になるので、公の場では誰も口にしませんが)。

 ところが、この疑問に真正面から答えようとしているように見える論文が今日(12月8日)付けの人民日報に掲載されました。

(参考)「人民日報」2008年12月8日付け記事
「改革開放以来の我が国の多数党協力理論と政策における革新と発展」(改革開放30周年を記念して)(杜青林)
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/08/content_153525.htm

 この論文を書いた杜青林という人は全国政治協商会議副主席、中国共産党中央統一戦線部部長です。つまり、中国共産党と中国共産党の指導の下で活動をするという前提の下で活動を認められている中国の民主政党各派との協力関係を担当する責任者です。

 この論文の前に人民日報による「編集者の弁」が載っています。そこには「以下の疑問に答えるために、杜青林氏が論文を書いた。」という趣旨の導入文章が書いてあります。「編集者の弁」が掲げる疑問とは以下のものです。

・なぜ必ずマルクス主義を指導的地位に置かなければならないのか。なぜ指導思想の多元化を図ることができないのか。

・なぜ社会主義だけが中国を救い、中国の特色のある社会主義だけが中国を発展させることできるのか。なぜ民主社会主義や資本主義ではダメなのか。

・なぜ人民代表大会制度を堅持するのか。なぜ「三権分立」を目指すことはできないのか。

・なぜ中国共産党の指導の下での多数党の協力に基づく政治協商会議制度でなければならないのか。なぜ西側諸国のよう多党制を採ることができないのか。

・なぜ「公有制を主体として多種多様な所有形態が共存すること」を基本的な経済体制としてなければならないのか。なぜ「完全な私有化」あるいは「完全な公有化」を図る政策ではダメなのか。

 これらはまさに中国の政治が持つ最も根本的な「なぜ」なので、これに真正面に答える文章が「人民日報」に載ったのだとするとすばらしい、と期待して、本文を読みました。

 しかし、杜青林氏が書いた本文は、何が言いたいのかよくわからない、かなり難解な文章でした。私が判読する限り、杜青林氏が書いた文章の内容は、だいたい以下のようなものです。

○毛沢東の指導により今のやり方をやり始めて、それが中国の基本方針になった。トウ小平氏ら第二世代の指導者も、それに基づき、現実に合致する一連の政策を展開してきた。

○江沢民氏は、「三つの代表」の理論を提出し、中国の政治制度と政党制度を考える上での判断基準を提唱した。その判断基準とは以下の観点に基づくものである。それらの判断基準を用いて、科学的に分析すれば、現在の中国が採用している「中国共産党の指導の下での多党制」が優れており、西側諸国のような多党制と議会制度を用いるべきではないことがわかる。

(1) 社会の生産力の持続的発展と社会の全面的進歩を促進するかどうか、という観点。

(2) 中国共産党と国家の活力、社会主義制度の特長及び有利な点を保持できるかどうか、という観点

(3) 国家の政治的安定性と社会的安定と団結を保持できるかどうか、という観点

(4) 幅広い人民の根本的な利益を守ることができるか、という観点

○胡錦濤氏も、現在の制度を堅持すべき、と主張している。

 ということで、「人民日報」編集部が「編集者の弁」で述べている明確な「なぜ」の質問に対して、杜青林氏が書いた本文は、少なくとも私が読解できる範囲では、明確な答になっていません。江沢民氏が提唱した、判断基準は、この「なぜ」を考える上で重要な観点ですが、ここでは「観点」だけが書かれており、それぞれの観点からどのようにして判断結果が導き出されたのか、という肝心の「答」が書かれていません。しかも、観点(2)は「中国共産党ありき」「社会主義ありき」の観点になっていて、「判断基準としての観点」にはなっていません。極めて論理的な思考をする中国の人々に対しては、杜青林氏の論文は「答」として満足を与えることはできないと思います。

 観点の(1)(3)(4)を結び合わせて、社会の発展のためには、政治的混乱を防ぎ、社会の分裂を避けることが不可欠であり、そのためには中国共産党の求心力によって政治をリードしていくことによってのみ社会の発展は可能であり、そうすることにより、結局は広範な中国人民の利益を守ることにつながるのだ、だから今の制度が正しいのだ、と主張するのならば、それはそれで説得力はあると思います。もしそうならそうハッキリ書いた方がわかりやすかったと思います。(ただし、この主張は、強力な執政党が政治をリードすべきだ、という論理の答にはなりえても、その強力な執政党がなぜ中国共産党なのか、他の党ではなぜダメなのか、という質問に対する答えにはなっていません)。

 答はハッキリせず、私としてはこの論文を読んでも、全くスッキリしなかったのですが、「人民日報」が「編集者の弁」で述べた重要な5つの「なぜ」という質問を提示したことは、私は評価すべきだと思います。まず明確な疑問点を提示することが議論の出発点だからです。

 最近の「人民日報」が、改革開放30周年を記念して、答をハッキリ書かないながら、こういった問題点を正面から取り上げている態度には好感が持てます。改革開放30周年というタイミングもあるのだと思いますが、厳しい金融危機・経済的不振の中で、多くの人民の不満を吸い上げる努力をしないと大変なことになる、という危機感が背景にあるのだと思います。こういった「人民日報」が提示する「なぜ」に基づいて、幅広い、忌憚のない議論が行われ、その中から少しでもよい解決策が見いだせればよいなぁ、と私は思います。長い歴史の蓄積を持ち、教育程度も高い中国の人々ならば、きっとよい解決策が見つけることができる、と私は信じています。

| | コメント (0)

2008年12月 5日 (金)

「人民日報」上での政治の民主化を巡る議論

 テレビでアメリカの大統領選挙を巡る喧噪(けんそう)を見たり、モンゴルで選挙の後に暴動が起こったとか、ジンバブエで選挙の結果が確定せずに政治的不安定な状況になった、とかいうニュースを見て痛感するのは、世界人口の5分の1を占め、国連の常任理事国である中国で選挙が行われていない、という事実です。前にも書きましたが、現在の全国人民代表大会の議員(人民代表)を選ぶ選挙は、何層にも繰り返し間接選挙を繰り返すこと、立候補にいろいろな制限があること等から、外国の人はもちろん、中国の人々自身も「選挙」だとは思っていません。1990年前後から最も下の地方組織である村民委員会では、一部で村民による直接選挙が行われていますが、村民委員会は権限が非常に小さく、いわば「町内会」のようなもので、これをもって「中国で選挙が行われている」という主張は、中国政府自体、あまり胸を張って言うことはしていません。

 ただ、中国の政治の民主化について多くの外国の人が誤解しているのは、中国共産党中央が住民による直接選挙の導入を阻止しようと考えている、という認識です。中国共産党は、広大な国土と膨大な人口を持つ多民族国家である中国をまとめるために「中国共産党による指導」ははずすことはできない、と考えていますが、住民による直接選挙は導入すべきではない、と考えているわけではない、と私は見ています。むしろ、党中央は、地方政府の乱脈振りをコントロールするため、地方政府レベルでの選挙を何らかの形で導入すべきではないか、と模索しているように見えます。住民による直接選挙に抵抗しているのは、党中央ではなく、住民による直接選挙で権限を奪われる恐れがある地方の党や政府の幹部とそれと結託した地方の企業・有力者だと思います。

 党中央が「民主化」をひとつのキーワードにしていることは、昨年(2007年)10月の第17回党大会での胡錦濤総書記の報告の中で「民主」という言葉が67回も登場したことでもわかります。

(参考1)このブログの2007年10月19日付け記事
「党大会後の民主化の具体化はどうなる?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/10/post_7250.html

 今までこのブログでも時々書いてきましたが、「新京報」や「経済観察報」といった市井の新聞はもちろん、時々、「民主化」の問題は中国共産党の機関誌「人民日報」でも取り上げます。一昨日(12月3日)の「人民日報」にも、民主化についての特集記事が載っていました。

(参考2)「人民日報」2008年12月3日付け記事
「中国の民主化は増量方式で(注:「少しずつ」の意味)発展している」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/03/content_150525.htm

 この特集記事は、中国共産党中央編成局副局長で北京大学中国政府イノベーション研究センター主任の兪可平氏に対するインタビュー記事です。この記事のポイントを掲げると以下のとおりです。

記者:最近、杭州での地下鉄工事現場崩落事故や甘粛省リュウ南市(リュウは「こざとへん」に「龍」)での群衆争乱事件などが、発生後すぐにメディアで報じられた。このようなことで普通の人々は中国における民主化が発展している感じているのではないか。

(参考3)甘粛省リュウ南市の群衆争乱事件については、下記のこのブログの2008年11月25日付け記事「世論のリーダーになりつつある中国の新聞」を参照のこと
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-6a7a.html

兪可平氏:2007年に国務院が政府情報公開条例を制定するなど、行政情報の公開と政治の透明度の推進を進めてきた。情報の公開は民主政治の重要な一面だ。

記者:30年来、中国経済は巨大な発展を遂げたが、中国の民主化の程度は経済発展とアンバランスであり、「片方の脚が短く、片方の脚が長い」状態であると言っている人もいる。

兪可平氏:それは一種の誤解と偏見だ。一部の人には西側の多党制・全国民による普通選挙制度・三権分立を基準に考える傾向があるが、まだ改革時期にある中国の政治を見て、中国の改革は経済体制の改革だけで、政治体制の基本は変化していないと認識しているのだ。政治体制は、市場経済の発展に応じたものでなければならない。中国においても、もし民主政治の発展がなかったら経済の長期的発展はあり得ない。しかし、中国においては、政治体制の経済発展に対する役割が、西側の国々より大きいことを考えなければならない。

兪可平氏:西側の基準から簡単に中国を見てはならない。中国の民主化の進展は、中国の長い歴史の中で見なければならない。例えば、中国数千年の封建社会の中において、人民が統治者に物申すことがあっただろうか。現在はそれができ、法律制度による保護もある。現在の中国の法治制度はまだ不完全なものであるが、その目標を定めてその方向に進んで行きさえすれば、大きな前進が得られるだろう。

記者:中国の民主化の観点から見て、何が重要だと思うか。

兪可平氏:民主政治の成果を得ることと経験を積むことだ。制度と実践の進展は簡単に言えば7つの方向性がある。即ち「党と国家の適度な分離」「公民社会の実現」「法に基づく政治と完備された法律体系の整備」「直接選挙の拡大と地方における自治範囲の拡大」「行政情報の公開と政治の透明性の推進」「行政サービス型政府の確立と行政サービスの質の改善」「公聴会制度、協議制度、政策決定の民主化」である。

記者:重慶でのタクシー・ストライキにおいて重慶市党委員会の薄熙来書記が前面に出てタクシー運転手たちや市民代表と話し合った。これは公衆の参与を拡大させたのではないか。

(参考4)重慶市のタクシー・ストライキについては、下記のこのブログの2008年11月6日付け記事「重慶市のタクシー・ストライキ」を参照のこと
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-9f93.html

兪可平氏:その通りだ。政府は政策を決める際に公衆の意見を聞き、公衆を参与させる方法を講じなければならない。公衆の参与は民主政治の核心問題のひとつである。公衆の参与は公衆の権利の実現の方法であり、公的権力の乱用を防止し、社会の和諧(協和)と安定を促進する。

記者:中国にはネット・ユーザーが2.53億人いる。ネット上でのネット・ユーザーの発言を見る幹部が多くなっている。これも公衆の参与の新しい道筋ではないのか。

兪可平氏:公衆の参与の仕方には異なる多くの種類の方法があってよい。

記者:さらに公衆の参与を拡大するにはどうしたらよいのか。

兪可平氏:公衆参与の問題についてはよく注意して対処する必要がある。ひとつは公衆の側に参与したいという意欲がない場合、ひとつは公衆の意欲は強いがそれを実現する合法的な方法がない場合である。公衆の権利を守り、かつ政治的安定性を維持し、社会の和諧(協和)を促進するためには、参与の方法を広げると同時に、参与行為に関する規範を作る必要がある。

記者:中国の民主化は上から下へ推進すべきだ、と言う人がいる。まず政治のトップレベルから民主化を進めることによってこそ、健全な民主化が進むのではないか。

兪可平氏:「維新変法」(注:清朝末期の1898年の政治改革)や「辛亥革命」(注:1912年に清朝を終焉させ中華民国を樹立させた革命)など、中国では何回も「上意下達の民主政治」が試みられた。その経験からすれば、中央集権の伝統の長い大国において民主化を進めるためには、上下結合こそが正しいやり方だ、ということだ。上下がお互いに動くことが必要であり、「下から上へ」と「上から下へ」とが同時に進行しなければならない。

兪可平氏:基層民主(末端の地方レベルでの民主)と党内民主が現段階における中国民主政治の二つの大きな重点であり突破口である。基層民主が全ての民主政治の基礎である。党内民主は権力の核心部分の民主である。

記者:基層民主については、中国は大きな成果を上げてきたのではないか。

兪可平氏:その通りである。1998年に村民委員会組織法が制定され、国家の権力機関が扱わない農民事務を行う村の幹部は村民の自由選挙で選ばれている。2007年末までに61.3万の村民委員会が設立されている。

記者:党内民主については、一般庶民は幹部選抜任用の過程に関心を持っている。

兪可平氏:差額選挙(定員より多い立候補者による選挙)が党内民主の重要な指標のひとつである(注:一般の国では選挙と言えば複数立候補が当然だが、中国では従来は定員と同数の立候補者による信任投票だった)。1987年の第13回党大会で初めて「差額選挙」が行われた。2007年の第17回党大会では、中央委員会委員、中央委員会委員候補、中央規律委員会委員は全て「差額選挙」の結果選ばれた。地方幹部についても「差額選挙」で決まるケースが段々多くなっている(注:この場合の幹部選挙は住民による選挙ではなく、地方の党員による選挙のこと)。

記者:人々の民主化に対する期待は高い。政治の民主化が一気に進むことを期待している人もいる。

兪可平氏:「ローマは一日にして成らず」である。中国の民主化の発展は「増量方式」(少しずつ量を増していく方式)となるだろう。中国の民主政治の速度と程度は、社会経済体制と経済発展レベルと一致させるようにしなければならない。

記者:「増量方式の民主化」ということには多くの人が関心を持つと思うが、具体的にはどうしようと考えているのか。

兪可平氏:中国の民主政治は次の三つの線路に沿って前進するだろう。
第一は、党内民主である。唯一の執政党である中国共産党が党内民主を拡大することにより、全社会の民主化を進めることになるだろう。
第二は、基層民主から高いレベルへの民主への段階的な進展である。重大な改革は基層レベルで試験をし、段階的に高いレベルへ進めていくことになろう。
第三は、少数による競争から段々と多数による競争に持っていくことである。

記者:その過程で、西側諸国の民主政治の発展モデルを中国が活用することの意義についてどう考えるか。

兪可平氏:民主制度には、普遍性と特殊性との両方の性質がある。アメリカは国土面積は中国とほぼ同じだが、人口は何分の一にしか過ぎない。文化伝統も国情も違うので、民主化のモデルも異なる。中国の民主化では、中国共産党による指導を堅持し、人民を主体とし、法による国の有機的統一を図ることが原則である。ただし、我々は、西側諸国における優秀な政治文明の成果も含め人類が共同で築き上げてきた文明の成果を排斥してはならない。「民主」という言葉は外来の言葉だが、最近、中国の行政で使われる「公聴会」などの言葉もみな西側から学んだものである。

--------------------------

 最近の中国の新聞の論調からすると、上記のような記事が「新京報」「南方周末」「経済観察報」等に載っていてもさほど驚きませんが、中国共産党の機関誌であり最も公式な新聞である「人民日報」の記事としては、結構、突っ込んだことを言っていると思います。この記事では、重慶市のタクシー・ストライキや甘粛省リュウ南市の群衆争乱事件にも言及しており、民主化を進めて一般大衆の不満をうまく吸収するシステムを作らないと、むしろ社会の不安定化に繋がる、という党中央の危機感が感じられます。西側のシステムをどのように参考にするのか、という点については、先日、政治局常務委員(序列4位)・政治協商会議主席の賈慶林氏が司法改革について語った下記の言葉のトーンとはかなり異なる印象を受けます。

「改革は、絶対に中国の特色のある社会主義政治の発展の路線を踏み外すものであってはならず、党の指導を堅持し、人民の問題を処理することを主とすることと法により国を治めることを統一したものにしなければならない。人類の法治文明の優秀な成果を用いることが必要だが、絶対に西側の政治制度や司法制度のモデルをそのまま持ち込んだりしてはならない。」

(参考5)上記の賈慶林氏の発言については、このブログの2008年11月30日付け記事「どうする中国の司法制度改革」を参照のこと
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-1e8d.html

 上記の「人民日報」の記事でもあまり歯切れよくズバリとは言っていませんが、地方政府の乱脈振りを監督・監視するため、党中央では、末端地方レベル(市・県とその下の鎮レベル)の党や政府の幹部に対して、住民による選挙を導入したいのではないか、と私は思っています。ただ、上から強圧的に選挙制度を導入しようとすると、地方の党・政府幹部による強い抵抗が予想されるので、まずは一般大衆も読んでいて、日頃から「模範とすべし」とされている「人民日報」にこうした記事を載せて、いわば「ジャブ」として、党内で議論を起こさせ、党内世論を収れんさせよとしているのではないか、と思っています(半分、私の「期待」が入っていますが)。

 ただ、村民委員会での直接選挙制度が導入されて以来、既に20年が経過しているのに、現実的な政治の民主化の程度は全く進展していません。「人民日報」がこうした「政治の民主化」というテーマを真正面から取り上げた意義は大きく評価しなければならないと思いますが、2008年になっても、まだ「ジャブ」を出す程度のことしかできないのだったら、現実的な民主化はあと30年以上経たないと実現しないのじゃないかなぁ、と思えてしまいます。

 中国は巨大な象のようなものであり変化するには長い時間が掛かる、と昔から言われてきました。急激な変化が起きて、社会が混乱することは、中国内外の誰もが避けたいと思っていることですから、時間が掛かろうとも、少しづつでも前進していくことに期待するしかないのだと思います。少なくとも、上記の「人民日報」の記事は、ごく小さな一歩ではあるものの、前進であることは間違いないと思います。

| | コメント (0)

2008年11月25日 (火)

世論のリーダーになりつつある中国の新聞

 このブログでも、最近、いろいろなところで起きているタクシーのストライキについて、中国の新聞で報道されていることを書きました。

(参考1)このブログの2008年11月6日付け記事
「重慶市のタクシー・ストライキ」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-9f93.html

(参考2)このブログの2008年11月13日付け記事
「海南省三亜市などでもタクシー・ストライキ」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-617f.html

 最近、中国の新聞は、こういった中国国内の「マイナスの」事案についても、避けずに報道するようになっています。これは日本でも報道された案件ですが、11月17日に甘粛省蘭州市リュウ南市(リュウは「こざとへん」に「龍」:リュウ南市は「県」レベルの市で、蘭州市の中にある行政区域)で、土地の立ち退きを巡って60人の人々が行政機関に押し掛け、それを見て集まった約2,000人の人々が行政機関のビルを壊したり警察の車を壊したりする、焼き打ち・打ち壊し事件がありました。この件についても「新京報」は報じています。

(参考3)「新京報」2008年11月19日付け記事
「リュウ南市共産党委員会ビル、打ち壊し・焼き打ちに遭う」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/11-19/008@021215.htm

 この「新京報」の記事の冒頭に「本紙記者によると・・・」と始まっていますので、「新京報」は北京の新聞なんですけど、甘粛省まで記者を派遣して取材したようです。この手の事件を単に新華社通信の報道を転載するのではなく、自社の記者を派遣して取材して「自分の文章で」記事を書いているところが、さすが「新京報」だと思いました。

 さらに広東省スワトウ市(スワトウは、「さんずい」に「山」+「頭」)では、11月20日にタクシー1,000台が無許可タクシー(中国語で「黒車」)の横行に抗議してにストライキを行いました。このストライキでは、正規タクシーの運転手が無許可タクシーとの間でトラブルを起こして、3名が警察に拘束された、とのことです。

(参考4)「新京報」2008年11月22日付け記事
「スワトウ市で、1,000台のタクシーが運行停止」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/11-22/008@020204.htm

※この記事によると、スワトウ市では、正規のタクシー1,000台に対して、無許可タクシー(黒車)が3,000~5,000台いる、とのことです。こういう実態を聞くと、正規タクシーの運転手たちが怒るのももっともな話で、地方政府が、行政としての役割を全く果たしていないのではないか、と思えてしまいます。

 この種の「群体性事件」は、今年6月に貴州省甕安(日本語読みで「おうあん」)県でも起きました。

(参考5)このブログの2008年7月3日付け記事
「貴州省甕安県の暴動事件の真相」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/07/post_ef2a.html

 この貴州省の事件も、香港や日本でも報道されましたし、中国国内でも報道されました。

 「新京報」は、このこららの「群衆による焼き打ち・打ち壊し事件」や各地のタクシー・ストライキ事件を取り上げて、11月23日付け紙面でこういった集団による事件についての意見を述べています。

(参考5)「新京報」2008年11月23日付け社説
「群体性事件の処理は、対処するタイミングがよければよいほど有効である」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2008/11-23/008@045059.htm

 この社説が述べている主張のメインのポイントは、この手の集団による騒ぎが持ち上がった時には、行政機関が迅速に対応して、群衆の意見を聞き、適切に対処することが大事である、ということです。ただ、それに加えて、背景の問題として、行政機関の幹部(地方政府と地方の党幹部)が日頃から群衆から遊離しており、大衆の利益や大衆からの訴えを無視し、大衆の意見を聞かない、という状態があることを指摘して、根本的な問題として、地方政府が大衆の意見をよく聞き、大衆がその意見を言えるルートを開けておくことが重要だ、と指摘しています。

 この社説では、はっきりは言っていませんが、これらの「群体性事件」のうち焼き打ち・打ち壊しがあった事件については、「警察が出動して『少数の不法分子』を取り締まった」とか、「行政機関が迅速に対応すれば『少数の破壊分子に機会を利用される』といった可能性も少なくなる」などと表現して「少数の不法分子」「少数の破壊分子」のところを、わざと「 」書きで書いています。これは、中国の新聞が台湾の指導者や機関のことを「いわゆる彼らが言っているところのそれ」という意味で、「総統」とか「国会」とか「 」付きで表現しているのと似たようなニュアンスだと思います。この社説ではハッキリとは言っているわけではありませんが、この社説の筆者が「これらの焼き討ち・打ち壊し事件は、人民日報や新華社などの公式メディアが言っているような『少数の不法分子』『少数の破壊分子』が起こしたものではなく、ごく普通の一般大衆が日頃の怒りを爆発させたものなのだ」という認識を持っていることがにじみ出ています。

 こういった中国国内の「マイナス」の面の報道は、新聞を検閲をしている党宣伝部としては、あまり書いて欲しくない案件なのでしょうが、それでもこういった記事を書かないと新聞は売れないので、新聞社としても、認められる範囲でできるだけ書こうとしているのだと思います。こうして中国の新聞も「読者が知りたいと思う情報を伝える新聞」になることを通じて、単なる「党の舌と喉」ではなく、多くの一般大衆の世論を反映し、世論をリードする正しい形でのジャーナリズムの形ができつつあるように思います。

(注)北京にはいろいろな新聞がありますが、一般大衆に人気のある「京華時報」が10月15日から1部1元(約15円)に値上げになりました。それまでは1部0.5元でした。紙代の値上げなどが続いて、価格引き上げをせざるを得なかったのでしょう。「新京報」は前から1部1元でしたので、「京華時報」の値上げで、かなりの読者が「新京報」に流れたのではないかと思います。こうした新聞社間の競争も、読者を獲得したい、という新聞社の意志を駆り立て、それによって「読者が今何を知りたいと思っているのか」といった新聞社が本来持つべき「嗅覚」を一層鋭くしたのだと思います。

 オリンピックが終わって、中国は、表面上、全く変わっていないように見えますが、あまり目立たない底辺の方で、大きな歴史の流れが動き始めているのを私は最近なんとなく感じるようになってきています。

| | コメント (0)

2008年11月17日 (月)

科学的発展観の実践について深く学習しよう

 今日(11月17日)の中国中央電視台の7時のニュース「新聞聯播」では、9人の中国共産党政治局常務委員が10月下旬から11月上旬に掛けて、中国各地に出向いて科学的発展観の実践について学習する活動拠点を視察して回った、というのがトップ・ニュースでした。なんでまぁ、この経済危機で政策運営をどうすべきか、という重要な時期に、こんな新し味のないニュースをトップに持ってくるのかなぁ、と思いましたが、中国のテレビのニュースではこういうのはよくあるので、それほど気にせずに見ていました。

(参考)「新華社」2008年11月17日19:32アップ記事
「政治局常務委員、科学的発展観の実践を学習する活動拠点を視察」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-11/17/content_10372300.htm

 ところが、「新聞聯播」が終わって、天気予報を普段通りにやって、19:38からの「焦点訪談」の時間になったら、またさっき「新聞聯播」に出ていたアナウンサーが再登場して、「胡錦濤総書記が10月30日、31日に陝西省延安市安塞県へ出向いて、科学的発展観の実践について学習する人々を視察し、学習大会に参加した。」というのを引き続き報じていました。

 胡錦濤総書記が地元の村人や学校で勉強するこどもたちとにこやかに言葉を交わす様子は、この手の地方視察ではよくある光景なので、これも特段目新しいことはありません。「科学的発展観の実践」も胡錦濤総書記がずっと前から唱えているスローガンで、新しい話ではありません。ですが、どうして「新聞聯播」が終わった後、「焦点訪談」の時間をつぶしてまで、この胡錦濤総書記の安塞県訪問のニュースを長々と流したのか、私にはその理由が全くわかりませんでした。まるで、「科学的発展観の実践は安塞に学ぼう!」といったスローガンが、これから街中に張り出されるかのうような雰囲気でした(つまり、まるでテレビの雰囲気は、まるで文革時代のようで、改革開放30年後の経済発達した開かれた中国にはちょっとなじまない印象を受けたのでした)。

 とは言え、番組の前後のコマーシャルは普段通りだったし、この番組が終わった後は、いつもと同じように連続ドラマを放送していましたので、別に「世の中が変わった」わけでもないようです。でも、なぜ10月30日、31日の地方視察のニュースを今(11月17日)になってやるのかなぁ、という疑問は残ります。胡錦濤総書記は、昨日(11月16日)にアメリカのワシントンD.C.で開かれた金融危機対応を議論したG20会合に出席して帰国したばかりですので、11月17日(月)はたぶん1日休養されていたのだろうと思いますが、「胡錦濤総書記は、農村改革や経済危機対応に対して毎日奮闘している」という姿を中国人民に見せるために、半月以上前に「撮り溜めた」映像をテレビの登場させた、というのが本当のところかもしれまん。

 ただ、最近「政治局常務委員9人が全員そろって○○○した」というニュースが何回も出てくるので、そういうニュースを何回も見せられると、私のようなひねくれ者は、返って「政治局常務委員9人の内部に何らかの意見の対立があるのだろうか」などと思ってみたくなってしまうのでした。たぶんそれは「考えすぎ」なのでしょうけど。

(以下、2008年12月4日追記)

 上記の記述の中に「(胡錦濤主席は)昨日(11月16日)にアメリカのワシントンD.C.で開かれた金融危機対応を議論したG20会合に出席して帰国したばかりですので、11月17日(月)はたぶん1日休養されていたのだろうと思いますが・・・」という記述がありますが、胡錦濤主席はワシントンD.C.でのG20会合に出席した後、帰国せずに、キューバなど中南米諸国を訪問し、次の週末にペルーで開かれたAPEC首脳会談にそもまま出席しています。従って、上記の記述で「帰国したばかりですので」という部分は事実ではないので訂正します。しかし、これだけ強硬な外国訪問日程の中で、11月17日(月)を休養日にあてたのは事実のようで、この日は胡錦濤主席の特段の活動は報じられませんでした。

| | コメント (0)

2008年11月16日 (日)

中山大学の学生会主席選挙

 広州で売られている週刊紙「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)の2008年11月13日号の1面に、先頃、広東省にある中山大学で行われた学生会会長選挙(10月16日候補者決定、11月11日投票)の様子をリポートした記事が載っていました。

(参考1)「南方周末」2008年11月13日号記事
「学生会主席の直接選挙の全記録」
http://www.infzm.com/content/19860

 中山大学は、広東省広州市に本部を置く中国の革命の父・孫文(号は「中山」)にちなんだ由緒ある大学です。そこで、学生による学生会会長(主席)の選挙が、初めて個々の学生による直接投票により行われました。「有権者」の学生は、4キャンパスにわたり、総計33,123人いるとのことです。

 この記事では、4人の立候補者により約3週間に渡って繰り広げられた選挙の様子を克明にリポートしています。学生会は、法律的な権限を持つ組織ではありませんが、学生を代表して大学当局と話ができる、という意味では、一定の力を持つ組織だと思います。立候補の受付の後に「資格審査」がある、というのが、ちょっと「西側」の選挙と違うところですが、複数候補者制の下で自分たちの組織のトップを組織のメンバーが直接投票して選挙する、ということは、現在の中国では画期的なことです。(中国において日本の国会にあたる組織である全国人民代表大会の議員(全国人民代表)は、何層にも渡って行われる間接選挙の結果選ばれ、有権者による直接選挙ではありません)。

 この選挙では、立ち会い演説会があったり、ネット上での意見交換などがあったそうです。この「南方周末」の記事では、以下のようなネット上の意見を紹介しています。

○このような体制下では、学生会が真に独立して学生のためにことをなすのは難しいのではないか。

○「平民会長」の実現に期待している。

○アメリカの大統領選挙みたいだ。

 この記事では、立ち会い演説会で「学生会が政治的、政策的な問題に対処する時、某勢力に頼らざるを得ず、資金的にも何らかの組織によって制限を受けざるを得ず、人員上でも一定の『ブラックボックス操作』を受けることは避けられないのではないか?」といった「大胆な質問」も出されたそうです。この質問が出たときには「わぁ~」といういぶかる声が上がった、とのことです。投票結果は、投票率61.338%、第一位が7,644票、第二位が6,159票、第三位が3,474票、第四位が2,479票だった、とのことです。

 こうして当選した学生会会長が具体的にどのような問題で、どのような働きができるのかは、私にはよくわかりません。当選した学生会会長が翌日最初にする仕事は、大学の共産党委員会書記に挨拶に行くことなのだそうです。ただ、この「南方周末」には、中国人民大学政治学の張鳴教授による「大学は当然のこととして民主の練習場にならなければならない」というコメントが載っています。このコメントがこの中山大学の学生会会長選挙の意味を物語っていると思います。この中山大学の学生会会長選挙は、当然のことながら大学当局の公認の下に行われたのですが、この選挙は、複数候補制の下で自由な直接選挙を行った時、現代の若者たちがどのように対応するのか、を見るためのひとつの「実験」だった、と言えると思います。

 最近、新聞紙上では、地方政府がしっかりとした行政を行うためには、地方政府を第三者的立場からチェックするシステムが必要だ、という主張がよく見られるようになっています。地方政府における「司法の独立」「行政資源の分散」「定期的な選挙のよる行政トップの監視」を主張した「経済観察報」2008年11月3日号(11月1日発売)の論評「三鹿事件から政治体制改革を考える」もそのひとつです。

(参考2)このブログの2008年11月2日付け記事
「メラミン粉ミルク事件から政治改革を考える」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-23e8.html

 このほか11月14日付けの「新京報」の社説では、行政チェックの役割を人民代表(国会議員(=全国人民代表)を選ぶための選挙人)に負わせるべきだ、という主張をしています。

(参考3)「新京報」2008年11月14日付け社説
「都市建設の『腐敗の高度・多発』の根本には政策決定システムの欠陥がある」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2008/11-14/008@021055.htm

 巨額の資金が動く都市開発や交通政策に関する政策決定を地方行政政府が一存で決定でき、誰からも監視を受けないことが問題なのであり、都市開発計画や交通政策を決定するにはその地方の人民代表の議決を必要とする、というシステムにして、行政に対するチェック監督機能を果たせるようにすべきだ、というのがこの社説の主張です。

 地方の公共事業などについては、地方政府が勝手に決められる現状を改め、人民代表が票決で許可・不許可を決められるようにすべきだ、という主張は、かつて「人民日報」にも掲載されたことがあり、中国共産党の内部でもかなりまじめに議論されている主張なのだと思います。

(参考4)このブログの2007年8月16日付け記事
「地方の工事は人民代表が決めるという実験」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_5988.html

 従って、私は地方政府の政策決定に対する何らかのチェック機能を設けるべきだ、ということは、党内でかなり真剣に議論されているのだと思います。その地方の人民代表にチェック機能を持たせることもできるし、地方政府のトップを住民の直接選挙で選ばせることによってチェック機能を働かせることもできる、ということで、現在、具体的にどのようにすればよいのか、を党の内部で議論しているところではないかと思います。その検討に当たってのひとつのデータを得るために、例えば中山大学のようなところ(比較的大学の数が少なく首都の北京からも遠い広東省)で、かつ政治的にはそれほど大きな影響を与えない「学生会会長選挙」という場を借りて実験的に行ってみた、というのが、今回の中山大学の学生会会長選挙ではなかったのか、と私は思っています。

 いずれにせよ、様々な試行錯誤をやってみることはよいことで、こういった試行錯誤の中から、一番よい方法を採用すればよいと思います。

 問題は、人民代表による監視にせよ、地方政府トップの選定に直接選挙によるチェックにせよ、既に政策決定権を「既得権益」として確保している現在の地方政府の幹部は、こういった「チェック・システム」の導入には強硬に反対すると思うので、こういった「抵抗勢力」の動きを、中央がいかにコントロールできるか、が、実際にこういった地方政府に対するチェック制度を実現する際のカギになると思います。

| | コメント (0)

2008年11月 7日 (金)

農民工の失業ショックには政府の支援が必要

 今日(11月7日)付けの北京の新聞「新京報」では、世界に広がる経済危機の影響が中国の輸出産業に出ており、そのあおりを受けて農民工(農村から都市部に出てきている出稼ぎ労働者)がリストラされている現状を指摘して、政府はこういった失業の危機に直面している農民工たちを支援すべきである、と主張する社説を掲げています。

(参考)「新京報」2008年11月7日付け社説
「農民工が直面している失業ショックに対して政府は支援の手をさしのべるべきだ」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2008/11-07/008@030133.htm

 この社説は、かなり率直に現在の中国経済が直面している困難を指摘しています。この社説の主張のポイントは以下のとおりです。

○輸出品製造企業の操業停止により、沿海地域においては大量の農民工の「故郷へ帰る流れ」が起きている。農民工の数は膨大で、今年8月に出されたデータでは、2007年の時点での中国の農村の外で働く労働者は1.26億人に達している。郷鎮企業(農村部にある中小の地場企業)の従業員は1.5億人であり、重複部分を除くと、2007年の時点で農民工の数は2.26億人に達していると見られている。

○農民工の地位はぜい弱である。2006年末の時点で、農民工に支払うべき給料のうち欠配となっているのが1,000億元に達しているという。建設業では、72.2%の企業で賃金の欠配が起きており、毎月きちんと給料が支払われている労働者はわずか6%に過ぎないという。

○我が国の多くの輸出企業は、低コストにより国際競争に勝つため、労働賃金の抑制にますます圧力を掛けている。これは農民工に満足した生活を与えないと同時に、こどもたちに対する十分な教育投資ができない現状を生み出し、低賃金労働者では貧困の世代間連鎖が起きている。

○農民工は都市では十分な社会保障を得られていない。一部の沿岸地域では、社会保障を与えるために農民工から社会保障経費を徴収しているところがあり、農民工はいったん故郷に帰ると今度は故郷の地方政府から一定額の社会保障費を徴収されるという現象も起きている。

○今、金融危機の影響を受けている中国経済の中で、多数の農民工が受けているショックは極めて大きい。その中でも「失業ショック」が最も厳しい。香港工業総会会長の陳鎮仁氏は、珠江デルタ地帯にある7万社の香港系企業のうち、今年年末までに四分の一は操業を停止するだろう、と見ている。もしこういったことが起これば、極めて多数の農民工の雇用が失われることになる。

○農民工の失業は、政府関係部門の失業統計の中には含まれていない。従って、表面上は重大な失業問題として統計数字に表れていなくても、中国の製造業で就業する労働力のおよそ半分は農民工なのであるから、彼らが職を失い、故郷に帰ったら、失業状況が重大な状況に陥るだけでなく、中国における都市化の進展という意味でも、大きなブレーキが掛かることになる。

○地方政府が経営が困難になった企業の労働者の賃金を肩代わりしたり、経営が困難になりそうな企業を見極めて支援したりすることにより、珠江デルタ地帯や浙江省においては、「突発的な事件」の発生を防止している。

○中国の経済の発展と都市化を進めていくためには、社会の安定が重要な前提であり、そのためには農民工に対して明るい就業状況の見通しが与えられなければならない。

○政府は、現在、鉄道建設等の公共事業に巨額の投資をして就業問題を解決しようとしている。それに加えて、農民工の雇用の90%を担っている中小企業に対する多種多様な税の優遇措置や、個人所得税・増値税(日本の消費税に相当)を減税して、中国経済を内需牽引型に転換しなければならない。農民工を農地にも工場にも居場所がない「根無し草」にしてはならない。

--------------------

 「人民日報」や「新華社」、「中央電視台」などの報道では、「世界的経済危機の中でも中国経済は堅実な成長が可能である」といった「あまり心配する必要はない」となだめるような報道が多いのですが、実態は、世界の金融危機は中国の輸出産業に相当な打撃を与えていると見た方がよいと思います。ただし、現時点では、農民工等による大きな社会的騒乱事件が起きていないのも事実であり、中国政府が今の時点では農民工の不満を何とかなだめている、というところなのだと思います。しかし、上記の社説の中で出てくる「珠江デルタ地帯の香港系企業の四分の一が年内に操業を停止するだろう」という見通しは、現在のような「なんとかなだめている」状況を長期間にわたって続けることを難しくする可能性が大きいのではないかと思います。

 上記の社説の中で出てきている「失業統計の中に農民工の失業が含まれていない」といった中国の統計上の数字の問題は、結構大きな問題を抱えていると思います。企業経営者や政策決定者が社会の状況を正しく把握できていない中で様々な判断をしている可能性があるからです。「公開はされていないが、党・中央は悲観的なデータも含めて経済に関する正確なデータを持っていて、正確に舵取りをするから心配ない」という見方もあります。しかし、党・中央の「事実を知りうる少数の人々」はスーパーマンではありませんから、少数の人だけが事実を知っているような社会がうまくコントロールできていくとは思えません。

 「救い」は、上記のような社説が新聞に掲載され、多くの人々が問題意識を共有するようになってきていることです。党や政府がどう考えているかに関わりなく、今後、多くの人々は解決策を模索し、それを党や政府に実施することを求めていく動きが強くなっていくのではないかと思います。

| | コメント (0)

2008年11月 6日 (木)

重慶市のタクシー・ストライキ

 11月3日(月)朝から重慶市のタクシー運転手が一斉にストライキに入りました。運転手に支払われる給料等の問題のほか、各タクシー会社だけでは解決できない問題もあったため、市全体のタクシー運転手が意志を統一させて一斉にストライキに入ったものだったようです。

 重慶市のタクシー運転手が要求していたポイントは以下の点です。

○運転手の手取り収入の値上げすること(必要があればタクシー料金自体を値上げすること)。

○(重慶のタクシーは天然ガスで動くのだが)天然ガス・スタンドの数が少なすぎ、ガスを補給するために長時間待たされることが多く、そのため稼働率が低下して、運転手の収入が減る結果になっている。これを解決すること。

○規則が多過ぎ、取られる罰金が多過ぎる。これを何とかして欲しいこと。

○「黒車」(不許可タクシー:日本で言う「白タク」)が多く(新華社の報道によれば、市内に「黒車」が3,000台あるという)、正規のタクシーの営業が妨害されている。これを何とかして欲しいこと。

 タクシー運転手側は、要求が入れられなければ、週明けの11月3日(月)からストライキに入るという意向を示していましたが、交渉が妥結せず、11月3日(月)早朝から重慶市のタクシーは実際に一斉ストライキに入りました。

(参考1)「新華社」(重慶支社)ホームページ2008年11月4日09:58アップ記事
「関心を集める重慶のタクシー・ストライキ事件」
http://www.cq.xinhuanet.com/2008-11/04/content_14821909.htm

 新華社の報道がアップされた時間を見ればわかるとおり、このストライキは実際に行われるまでは報道されなかったため、月曜日の朝になってタクシーが動いていないことを知った多くの市民は相当に困惑したようです。

 重慶市当局も問題を重視し、タクシー運転手側と交渉を行い、以下のような動きをし、いくつかの約束もしました。

・重慶市当局がタクシー会社側を呼んでタクシー運転手の収入が下がらないようにして欲しいと要請した。

・重慶市当局は、現在36か所ある天然ガス・スタンドを2年以内に60か所に増やすことを約束。

・重慶市当局は、「黒車」(不許可タクシー)の取り締まりには全力を上げることを約束。

 以上により、タクシー運転手側もストライキを解除し、11月5日(水)午前8時の時点で、重慶市内のタクシーの運行は正常に回復した、と11月5日午後5時に行われた重慶市当局による記者会見で発表されました。この場で、重慶市当局は、タクシー料金自体については、今後も検討を続けるが、当面は値上げしないことを発表しました。

(参考2)「新華社」(重慶支局)2008年11月5日付け記事
「重慶都市部タクシー運行の回復状況及びそれに関連する状況に関する重慶市政府の記者会見」
http://www.cq.xinhuanet.com/2008/czc/

 さらに今回の事態を重視した重慶市当局は、11月6日、重慶市党委員会の薄熙来書記が直接タクシー運転手の代表と話し合う場(中国語では「座談会」と表現)を設けました。重慶電視台とラジオのニュース・チャンネルはこの場の様子を生中継しました(詳細は不明ですが、タクシー運転手側がストライキを解除する条件として、このような場を設け、それをテレビ・ラジオで生中継するよう要求した可能性があります)。

 この「座談会」の場では、一部の運転手代表は、上記に出していた要求のほか、警察がタクシー運転手の写真を撮影してそれを交通取り締まりに使っていることに対する反発を示しました。

(参考3)「新華社」(重慶支局)2008年11月6日付け記事
「薄熙来書記、タクシー運転手、市民代表による座談会」
http://www.cq.xinhuanet.com/2008/czczt/

 この重慶市のタクシー・ストライキ事件は、中央でも重大な関心を寄せたと見えて、11月6日の夜の7時のニュース・天気予報に毎日放送される報道特集番組「焦点訪談」でこの件を取り上げて伝えていました。

 中国では、許可なくデモ行進をやったら違法になりますが、ストライキは違法行為ではありません(ストライキまで違法にしてしまったら、社会主義の国とか、共産党が政治を行う国とか言えなくなってしまいます)。従って、市民生活に多大の影響を与えたとは言え、今回のタクシー・ストライキについては、タクシー運転手側を非難するような報道はありません。

 今回の重慶市のタクシー運転手の一斉ストライキは、権利を侵害されていると思った同じ立場に立つ人々が団結すれば、物事を変えることができる、ということを示したと思います(労働者の国・社会主義国である「はず」の中国で、こういうことを「新しいこと」のように思うこと自体本来はおかしいのですが)。中国では、新聞を勝手に発行したり、印刷物をばらまく自由はありませんが、今は携帯電話というツールがあるので、携帯電話のメール等を使えば、数多くの人が団結の意志を固めることは可能です。インターネットの掲示板でストライキを呼びかけることも可能ですが、インターネット掲示板は掲示板運営者にその発言を削除される可能性があります。携帯電話のチェーン・メールを当局(または当局の意向を受けた者)がコントロールすることは実態的に不可能です。

 今回の重慶のタクシー・ストライキは、中国における新しい流れを示すできごととして注目してよいできごとだったと思います。

| | コメント (0)

2008年11月 4日 (火)

女性農民工についてのルポ

 今日(11月4日)付けの人民日報では、「社会観察」という特集ページで、女性の農民工(農村から都会に出稼ぎに出てきている農民)の実態に関するルポルタージュを掲載していました。

(参考)「人民日報」2008年11月4日付け
「流動の中に咲いた青春(記者調査)」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-11/04/content_131967.htm

 この記事のポイントは以下のようなものです。

○35歳のAさん。黒竜江省依安県の農村から、2005年末に家の稼ぎの足しにするため、彼女一人でハルビンに出稼ぎに出てきた。ファースト・フード店で皿を洗うのが仕事。朝の9時から夜の10時まで働き、休日はない。月給は1か月450元(6,750円)。6人で、1日に台車30個分の皿を洗うので、洗剤で手が荒れてしまう。1週間たたないうちに手の指が真っ白になった。その後、労働市場でパートタイムの職を見付けて、今は月1,100元の収入になっているので、今では生活に使った残りの700元ちょっとは貯めておける。

○統計によれば、黒竜江省の流動人口(戸籍がある場所ではない場所で生活している人々)のうち、39歳以下の女性の占める割合が50%前後で、そのうち75%は初等中学(日本の中学校)卒業以下の学歴である。彼女らは単純労働に従事し、月収は多くて500元前後である。

○Bさんは23歳。四川省宜賓からやってきた。2年ちょっとの間に4つの都市を渡り歩いた。四川省綿陽の電子計器組み立て工場で働き、四川省成都の卸売り市場で衣服を売り、貴州省のオモチャ工場でぬいぐるみを縫い、最後は広東省深センの正規のレジャー・センターでマッサージを勉強している。今の収入は月3,000元前後。彼女は「すごく疲れます。クーラーの効いた部屋の中でも汗だくになります。私は初等中学(日本の中学校に相当)しか出ていないので、欲しい給料の額がもらえる仕事に就くのはすごく難しいです。」と言っている。

○Cさんは江蘇省灌雲県朱橋村から来た28歳で、もうすぐ小学校3年生になるこどものことが心配だ。こどもが2歳の時、こどもをおばあさんに預けて、夫とともに蘇州市工業団地に出稼ぎに来た。前の学期、こどもの勉強の成績が急に落ちたので、彼女は1か月休みをもらって故郷に帰った。「近くにいてこどもを教育してやる人がいないと。でも、故郷以外で学校に行くと学費が高いし、住むのも食べるのも大変だ。」

○「女性労働者の家」の理事をしている方清霞さんは、自分が以前、女性出稼ぎ労働者だったので、都市に出稼ぎに来ている女性の境遇はよく知っている。彼女は言う。「病気になるのが一番怖い。カゼをひいて病院にいっただけで200元掛かる。これは部屋代1か月分に相当する。」「戸籍問題は非常にやっかいだ。都市の人ならば必要のない、いろいろな手続きや証明書が要る。住む場所を探すのも大変だ。家賃が高いだけでなく、よく夜中に戸籍調査を受けた。」

○中国社会科学院人口・労働経済研究所の鄭真真教授は、都市で働く出稼ぎ労働者の状況の根本原因は、都市と農村の二重戸籍制度にあると指摘している。ただし、彼らが欲しいと思っているのは「非農村戸籍」を示す一枚の証書ではなく、就業、分配、社会保障の点で都市住民と同等に競争できる社会できる地位なのである。

○山東省聊城から出てきたDさんは、北京のある倉庫設備会社の販売代表である。21歳の彼女は既に出稼ぎを始めて5年になる。去年、北京の通州で働いていた木板工場では、朝8時から夜8時まで働いて、その間に休憩は1時間だけ。いつも超過勤務手当なしで残業していた。「ひどいときは2日間一睡もしないこともあった」。

○労働契約が締結されておらず、超過勤務手当が支払われないことも多い。全国婦女連合会が実施した1,000名の都市で働く女性出稼ぎ労働者に対するアンケート調査によると、正式な労働契約を結んでいたのは48.2%、6割の女性労働者が毎日8時間以上働き、そのうち3割に満たない人しか法定の超過勤務手当をもらっていなかった。また、約半数が社会保障体系の中に入っていなかった。特に、若い女性労働者にとって重要な生育社会保険に至っては、使用者側も労働者側も重視しておらず、保険に入っている人はわずか0.8%しかいなかった。

○「出稼ぎ女性労働者の家」は1996年に成立した中国最初の女性出稼ぎ労働者のための公益組織である。この組織の笵暁紅理事は、労働者の権利保護の仕事をしているが、「労働契約法」が明確に要求しているにもかかわらず、多くの企業、特に正規ではない小規模の企業がいろいろな方法で規定を逃れている。

○女性出稼ぎ労働者は法律知識が乏しく、権利意識が希薄なので、権利侵害が起きても、それを主張しないことが多いか、自分が権利を侵害されていることすら知らないケースも多い。

○女性出稼ぎ労働者は結婚する年齢が遅くなるケースが多い。多くの女性出稼ぎ労働者は、内陸部の山村から出てきている人も多く、避妊や性病に対する知識がない人も多い。深セン市羅湖区がかつて調査したところによると、病院で人工中絶をした女性の6割は未婚の出稼ぎ女性労働者であったという。

○一部の出稼ぎ女性労働者の中には、都市で働く過程で、勉強と職業訓練を通じて自分の能力を高め、成功している例もある。全国婦女連合会のアンケート調査の中では、10.4%が管理職に、8.3%が会社社員になっていたという。

○中国社会科学院人口・労働経済研究所の鄭真真教授は、「女性出稼ぎ労働者は、中国の経済成長の推進の中で無視できない役割を果たしている。人材開発の観点で考えるのと同時に、女性労働者個人と社会の発展との関係にプラスをもたらすためには、社会が働く女性に自分の能力を発展させる機会を与えることができるかどうかがカギだ。」と述べている。

---------------------------

 「人民日報」も農民工の実態については、こういったルポを時々掲載します。かなり多くのケースで、二重戸籍制度が問題だ、といった指摘がなされるのですが、実態はなかなか改善しません。「労働契約法」ができて施行されたのは、今年(2008年)の1月1日です。「中国の特色のある社会主義」とは「労働者がこういうふうに扱われている社会主義なのだ」ということは、中国の国内の人も、外国の人も知っているのですが、なかなか改善されません。多くの外国の企業は、こういった弱い立場におかれた多数の労働者がいることによって国際的に競争できる価格の中国製品の恩恵を受けているので、少なくとも外国からは、こういった状況を改善させよう、という圧力が働かないからかもしれません。

 中国共産党の機関誌「人民日報」が、こういった問題に目をつぶらずにちゃんと記事にしていること自体は「救い」なのですが、記事にはなるけれども、実態があまり改善されないのを見ていると、こういった記事も「党・中央は農民工の厳しい現状をちゃんと認識していますよ」といった「宣伝」の役割しか果たしていないのではないか、と思えてしまいます。

 現在の世界的な厳しい経済情勢の中で、今、中国の企業も相当に苦しんでいるところだと思います。一方で、労働者の権益保護の意識は、こういった「人民日報」の記事などを通じて、じわじわと労働者の中に根付いていくと思います。諸外国も、安い労働力の中国を利用することのメリットを享受する時代は終わった、と認識して、むしろ中国の数多くの労働者の権益を保護することによって、中国国内の労働者の収入を増やし、中国国内の内需を拡大して、中国を巨大な市場として活用することによって世界の経済成長につなげる、という方向に、中国との付き合い方を変えていく必要があるのではないかと私は思っています。

| | コメント (0)

2008年10月15日 (水)

「人民日報」が新交通規制の法律論議に言及

 このブログの前回の記事で、北京市人民政府が、10月11日から来年4月10日までの間、平日の5日間、ナンバー・プレートの末尾番号で5分の1の車の通行を禁止するという新しい交通規制を始めたことに対して、この規制は自家用車という私有財産に対する財産権の侵害ではないか、といった法律論議が起きていることについて書きました。

(参考1)このブログの2008年10月12日付け記事
「北京の新交通規制に異議を述べる社説」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/10/post-ec68.html

 上記のブログの記事にも書いたのですが、北京市人民政府という行政機関(いわば「おかみ」)が決めた規則に対して、新聞がそれに異議を挟む意見を社説として掲載したことは、中国としては、ある意味で画期的なことだと思いました。この問題は、実際、不満も含めていろいろな意見が出ているようです。10月14日付けの中国共産党の機関誌「人民日報」では、この問題を正面から取り上げていました。

(参考2)「人民日報」2008年10月14日付け記事
「平日五日間の通行制限規制が法律論議を引き起こしている」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-10/14/content_117830.htm

 この「人民日報」の記事では、今回の北京市人民政府の規制は「自家用車という財産の使用を一部禁止するという意味で、財産権侵害ではないか」との議論が起きていることを率直に指摘した上で、以下のような何人かの専門家の意見を掲げています。この記事に載っているそれぞれの専門家の意見を御紹介するとともに、それぞれの専門家の意見に対する私(このブログの筆者)自身の考えを書き添えてみたいと思います。

【専門家A(北京市英島法律事務所のトウ澤敏弁護士)の意見】
(「トウ」は「登」に「おおざと」)

 「物権法」に基づけば、所有権とは、自動車を占有し、使用し、(それを使用したり譲渡したりすることによって)収益を上げ、処分する権利からなっており、いかなる機関や個人もこれを冒してはならない、とされている。週1日とは言え、使用権、収益権を完全に行使できないように制限することは、法律面から言えば「権利を侵害している」という指摘を避けることはできない。

(参考3)中華人民共和国物権法(2007年3月16日第10期全国代表大会第5回会議で採択)
http://www.gov.cn/ziliao/flfg/2007-03/19/content_554452.htm

(「専門家Aの意見」に対する私の考え)

 最も常識的な意見と思われる。この意見をトップに持ってきているところに「人民日報」の一定の良識を感じることができる。

【専門家B(中国政法大学の解志勇副教授)の意見】

 自家用車は人々の私有財産であるが、今回の規制は所有権に変更を加えるものではないし、使用権を侵すものでもない。「上路権」(「車を道路で走らせる権利」とでも訳すべきか)を制限しているのに過ぎないので「道路交通安全法」「交通管理条例」に合致している。

(「専門家Bの意見」に対する私の考え)

 週の平日5日のうち1日について車の市内での通行を禁止することを「使用権を侵すものではない」としている点には私は賛成できない。通行禁止区域(第五環状路より内側)以外の区域では毎日車を使うことができるので「使用権は侵害していない」という主張だと考えられるが、「使用権」とは、法律に違反したり他人の権利を侵害したりすることがない限り、いついかなるところでも使える権利、のことなので、その一部が侵害されるのだとすれば、それは使用権侵害とみなすべきであると私は考える。

 「上路権」といった新しい概念を持ち出してきて、「使用権は制限していないのであって『上路権』を制限しているだけ」と主張するのは、言葉を言い換えただけであって、今回の交通規制が正当であるとの納得させられるだけの論拠を提供していない。

【専門家C(武漢理工大学経済学部で交通問題を研究している李俊副教授)の意見】

 今回の規制は、物や土地に関する権利を規定した「物権法」に違反していると言うことは非常に難しい。というのは、自家用車に関する所有権は侵しておらず、一部分の時間の一部地域における使用を制限しているだけであって、それに相応する補償措置もあり、使用権を侵しているとも言い難い。

 法律が政府の交通管理部門に付与している権限はかなり大きい。しかし、どういう時に、どういう地域で、どういう状況の下で交通制限を実施できるかについての明確な規定がなく、関連法規は今なお不完全である。

(「専門家Cの意見」に対する私の考え)

 専門家Cは「それに相応する補償措置もあり」としているが、北京市人民政府の通告によれば、規制を導入する代わりに「車を持つ人が負担する『道路保全費』と『車船税』を1か月分減税する」となっているだけであり、客観的にはこれが「相応する補償措置」とはとても言いがたい。この規制が続く6か月の間、毎週1回、別の車をレンタルするとすれば、減税分を超える経済的負担が出るのは明らかだからである。また、毎週1回、車を使えないことによりビジネスに影響が出るケースも想定され、この規制による経済的損失は人によってそれぞれ異なる。従って仮に「1か月分の減税」を「補償」と考えるとしても、その額は定額であるのだから金額的に言って「規制によって生じる経済的負担に相応する補償額」とはなり得ない。

 また、そもそも「使用権」とは「補償金を支払えばいつでも制限できる」という性質のものではないのだから、専門家Cの意見には私は賛同しかねる。

 なお、中国の土地が国有または村などの集団所有であり、土地の私有が認められていない現状に鑑み、中国の「物権法」には、個人の家屋等の不動産については、公共の利益上必要がある場合には、法律に基づき、一定の補償金を支払った上で、これを収用することができる旨の規定がある(物権法第42条)。裏を返せば、こういった法律上の規定がない自家用車等の動産については、基本的に、所有者が他の法律や他人の権利を侵害しない範囲で自由にその所有物を使用することを補償金を支払うことによって禁止することはできない、と解釈すべきであると私は考える。

【専門家D(中南財経政法大学社会発展研究センター主任の喬新生教授)の意見】

 車の通行規制は、道路という公共財産を使う権利に関係しており、今回の事例は、公共財産を管理する公権力と自家用車を使用するという個人の権利との間の緊張関係を作っている。

 今回の交通規制の実施に当たっては、人民代表大会(議会に相当する)の審議を経る必要があったという意見、または公聴会を開くべきだったという意見がある。今回の交通規制を北京市人民政府が行ったことについては、法律上の根拠があり、その目的は正当なものであると言えるが、道路という公共財産に関するもの、という性質上、規制実施の前に、幅広い住民の意見を聞く措置を講ずるべきだった。

 この案件は「法律により行政機関に権限を与える」ことに関する中国の行政と立法との関係の特徴を反映している。幅広く行政に権限を与えている結果、法律・規則の中に民意による基礎の明らかな欠落が存在しているのである。

(「専門家Dの意見」に対する私の考え)

 「専門家D」は、中国の法律と行政との関係の問題点を明確に指摘している。このような問題点を指摘する意見が、「人民日報」に堂々と掲載されていることは評価に値すると考える。

【「民意の反映」という点に関する専門家Bの意見】

 メディアは、大多数の市民(自家用車所有者を含む)は交通規制を支持していると報道しており、このことは、この規制には既に広範な民意の基礎があることを示していて、この規制は民主的に作られたと言うことができる。交通規制は、行政規定に過ぎず、それを制定する権限は既に行政機関に与えられており、規制の公布と実施にあたり人民代表大会の審議は不要である。

 中国の立法関連法規の規定では、行政法規の策定過程において、関係機関、組織、一般公衆の意見を聞くことが求められているが、意見を聞く方法は、座談会、討論会、公聴会などいろいろな形式があり、公聴会はその方式のひとつに過ぎない。必ず公聴会を開かなければならない、というものではない。

(「『民意の反映』という点に関する専門家Bの意見」に対する私の意見)

 「メディアが『大多数の市民は賛成している』と報道しているから、既に広範な民意の基礎があり、この規制が民主的に作られた」という考え方は、私は到底受け入れることはできない。中国のメディアが中国共産党の指導下にある現状を踏まえればなおさらである。この種の規制を制定する権限が既に行政機関に与えられているのであって、人民代表大会で改めて審議する必要はない、というのは、現在の中国の法律上そうなっているのであるとすれば、反論のしようはないが、もしそれが事実なのだとしたら、立法機関は行政機関に権限を与え過ぎである。そもそも法律とは、人民の代表者が「行政機関が勝手なことをしないように、行政機関の行為を縛るためのもの」であるはずなのだから、行政府に大幅な自由裁量権を与えてしまっているのだったら、それは人民代表大会が立法府の役割を果たしていないことになる。

※そもそも人民代表(人民代表大会の議員)自体、人民の直接自由選挙で選ばれるわけではないのだから、人民代表大会の審議を人民の代表者による審議、と呼ぶことはできないのだ、という議論は、また別の議論である。

【専門家E(北京大学政府管理学部の楊開忠教授)の意見】

 個人の行為が公共の利益に影響を与える時に限定的な政策を実施することは必要なことである。ただし、そういった政策を策定するに当たっては個人の権利を尊重しなければならず、公共の利益と個人の権利・自由との間のバランスを保つ必要がある。

(「専門家Eの意見」に対する私の考え)

 常識的な意見で、この記事の「まとめ」としてふさわしいが、今回の北京市人民政府の交通規制措置が法律的に見て妥当なものかどうか、というこの記事の中心テーマである「法律論議」については、何も述べていない意見である。

------------------------

 中国国内で今どういう議論が行われているか、を知る意味で、この記事は非常に参考になりました。いずれにせよ、行政府が行った規制と法律との関係についての客観的な様々な立場の意見を率直に「人民日報」が掲載した、ということは、かなり意義深いことだと思います。特に北京市人民政府が公布し、既に実施している交通規制を擁護する立場の意見だけでなく、それに批判的な意見もきちんと掲載していることは重要だと思います。

 10月9日~12日に行われた第17期中国共産党中央委員会第3回会議(第17期三中全会)の様子は、開催中は一切報道されず、何が議論されているのかも明らかにされないまま会議は終了し、12日に「公報」が発表されただけで、決定された重要文件の全文は14日になってもまだ公表されていません。こういうことに見られるように政治的な政策テーマについては、オープンな形で議論が行われない現在の中国ですが、まずは「交通規制のあり方」といった政治色のないテーマについて、オープンに議論を行い、「議論の仕方に関するルール」を確立することがまずは重要だと思います。改革開放から30年経った2008年になっても、まだそんな段階なのか、と不満に思う方々も多いと思いますが、ゆっくりではあっても、前進をしていれば、いつかは前に進むと思います。

 まずは「交通規制」のような政治的には無色透明なテーマから始めて、段々と政治的色彩の強いテーマについても、オープンに意見を述べ合い、議論するような世の中が中国でも早く実現すればよいなぁ、と願っています。ことを急がず、少しずつ段階を踏んで進んでいけば、社会的な混乱を招くことなく、政策議論のオープン化を進めていくことは、きっとできると私は信じています。

| | コメント (0)

2008年10月12日 (日)

北京の新交通規制に異議を述べる社説

 北京で10月11日から来年4月10日までの間、平日の運行車両を5分の1減らす交通規制を始めたことについては、10月7日付けのこのブログで書きました。

(参考1)このブログの2008年10月7日付け記事
「北京で新たな交通規制実施へ」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/10/post-6f7a.html

 ところがこの措置に対して、10月13日号(10月11日発売)の経済専門週刊紙「経済観察報」は、1面の社説で、個人所有の自家用車に対してはこの措置は緩和すべきだ、との主張を掲げています。

(参考2)「経済観察報」2008年10月13日号(10月11日発売)社説
「北京では自家用車に対しての規制はゆるめるべきだ」
http://www.eeo.com.cn/observer/pop_commentary/2008/10/11/116008.html

 この社説の主張のポイントは次の通りです。

○「道路交通安全法」や「大気汚染防止法の実施細則」によって北京市政府が大気汚染防止等のために交通規制を実施できることは規定されているが、それは特殊な緊急事態における措置を想定しているのであって、今回の北京市の交通規制のように恒常的な規制をする権限は北京市にはない。

○自家用車は個人の財産であって、「物権法」に基づき、自動車の所有者が自由に占有し、使用する権利があるのであって、北京市が国の法律に基づき行政権限を行使する場合には、個人の財産権を侵害するようなことがあってはならない。

○今回の措置は立法機関(人民代表大会)で十分に議論されておらず、北京市は立法機関から授権されている範囲を超えて行政権限を行使はできない。

○北京市人民政府に市民に良好な生活環境を提供する責務があることはわかるが、だからと言って、今回のように恣意的に私的財産権に制限を加えるような規制を実施してはならない。

○北京市当局者は、9割以上の北京市民がオリンピック期間中の交通制限により渋滞緩和と大気汚染の改善が図られたと認識していると指摘しているが、これは北京市民と周辺の都市の貢献が大きかったことによるひとつの特殊な例である。北京市当局は、こういった市民の意見でもって、今回の措置の必要性と合理性を説明することはできない。

------------------

 私はこの社説は至極まともな主張だと思います。通常(日本などの場合)、国民の権利を制限したり国民に義務を掛けたりする場合には、必ず立法府(国会)が作った法律に基づかなければなりません。内閣が決める政令や各省が決める省令などもありますが、これらの政令や省令等は、法律を実施するための細目を決めるためのものであって、政令や省令で国民の権利を制限したり国民に義務を掛けたりすることはできません。国会で決める法律の中に法律が定める範囲内で政令や省令に権利制限や義務の「掛け方」を委任している場合はありますが、こういった場合でも「権利を制限する」「義務を掛ける」こと自体は国会での議決が必要な法律にその根拠がなければなりません。

 その点、中国では、人々の権利を制限したり義務を掛けたりする規則が、人民代表大会で決める法律の中に出てくるだけではなく、行政府である国務院が決める国務院令で出てきたり、北京市など地方政府が決める規則に出てきたりします。「紅頭文件」と言って、人民代表大会でも地方政府でもない、その地区の中国共産党委員会が出す通達で、人民の生活を規制することもあります(ありました)。さすがにこの「紅頭文献」によって人々の権利や義務に関する指示を出すことは「法治主義に反する」ということで止めるようになってきています(「全くなくなったわけではない」というのが現状だと思いますが)。

 上記の「経済観察報」の社説は、こういった行政府が人々の権利を制限したり義務を掛けたりする規則を作ることに対して、かなり「ピシャリ」と的を得た指摘をしています。中国の新聞は「党の舌と喉」と言われ、中国共産党の監視と指導を受けていますが、こういうふうに行政府が制定した規則に対して、真正面から異議を唱えているのは、政府の方針から一歩下がった鋭い指摘をすることの多い「経済観察報」ならではのことだと思います。

 「経済観察報」は、週刊の新聞ですが、1部3元(約45円)と中国の新聞の中ではかなり高いほうです。また、その記事の内容は「お金持ち階層」が読むものですから、この新聞の読者には自家用車を持っている人たちが多いのだと思います。今回の社説は、そういった「経済観察報」の読者の意見を代弁する、という意味があると思います。それにしても、政府の措置にこれだけまともに「ビシャッ」と意見を述べる新聞があると、私も胸がスカッとしました(同じ感覚を持った北京市民は多いと思います)。

 さすがに今回の交通規制に関する問題のような政治性のないテーマについての議論で、「政府が決めた規則に異議を唱えるのはけしからん」などと言われて発刊停止処分などが行われるはずはないと思います(「経済観察報」はそう思ったからこそ堂々と社説に書いたのだと思います)。これから、こういった問題について、政府の施策に対して異議を唱える意見であっても、どんどん自由に新聞に意見や主張が書かれるようになると、中国の社会も少しずつ新しいものに変わっていくのではないか、と私は思っています。

| | コメント (0)

2008年9月28日 (日)

中国にとっての有人宇宙飛行の意義

 2008年9月25日、中国にとって3回目となる有人宇宙飛行船「神舟7号」が打ち上げられ、9月27日には中国にとって初めての宇宙遊泳に成功しました。私も「打ち上げ」と「宇宙遊泳」を中国中央電視台の生中継で見ました。打ち上げ時にはロケットにテレビカメラが付いていて、固体ブースター・ロケットが切り離される瞬間が映っていたし、宇宙遊泳の時は、船内に1台、船外に2台のテレビカメラがあり、宇宙飛行士の様子を克明に中継していました。映像の中の地球表面の様子や、宇宙船の進行とともに地球の陰に沈んでいく漆黒の宇宙に浮かぶ太陽も非常に美しいものでした。中国の宇宙開発も相当に「テレビ」を意識していると思いました。

 さて、今回の有人宇宙飛行については、中国の多くの新聞・テレビでは、この有人宇宙飛行を称賛する記事であふれていますが、広州で売られている週刊新聞「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)に、ちょっと違った観点の論評が載っていました。「南方周末」は、独自の視点で記事を書く新聞として有名で、去年放送されたNHKの「激流中国」の「ある雑誌編集部 60日の攻防」で果敢に記事を書く雑誌社として紹介された「南風窓」もこの「南方周末」系の雑誌です。独自の視点からの記事を書くので人気が高く、1部3元(約45円)と中国の新聞としては高い(大衆的な日刊紙は1部0.5元(約7.5円))のですが、結構売れています。実はこの新聞は、広州で発売されているのですが、北京の新聞スタンドでも買えます。北京に運んでくる運賃を考慮しても、売れるので儲かるからでしょう。

(参考)「南方周末」2008年9月25日号
「神船7号:全解説」特集の中の評論
「経済のため? 国防のため? それとも中華復興のため?」中国有人宇宙プロジェクトの意義(本誌特約評論員:趙洋)
http://www.infzm.com/content/17637

 この「趙洋氏」のような考え方は、まだ、現在の中国では「主流」にはなっているわけではないと思いますが、この評論のポイントを御紹介すると以下のとおりです。

-----------------------

○普通の人は皆「神舟宇宙船」について全国的な慶事だと思うし、宇宙飛行士の高度な技術による科学技術サーカス(原文は「科技雑技」)を鑑賞するのだろう。しかし、私には、巨額な資金を消耗させる有人宇宙プロジェクトにのこのような「晴れ」の舞台の裏側に、深い「いわく」があることを考えさせる。

○有人宇宙飛行プロジェクトは、経済のためではない。アメリカやロシアでも有人宇宙飛行プロジェクトが宇宙産業以外の産業にもたらすインパクトは限定的である。日本、ドイツ、イギリス、フランスはいずれも独自の有人宇宙飛行計画を持っていないが、だからと言って他の科学技術領域やイノベーションの実力が弱いというわけではない。

○有人宇宙飛行プロジェクトは国防のためでもない。同じ金額があれば、大陸間弾道ミサイルや偵察衛星の方が効果的だ。

○それでは、中国の有人宇宙飛行プロジェクトは何のためにやっているのか。2006年の「中国の宇宙白書」(「2006年中国的航天」)によれば、中国の宇宙開発は「民族の結集力を強めて強国のための戦略を推進し、もって国家が全体的に発展するための戦略の重要な部分をなす」と書かれている。

○有人宇宙飛行プロジェクトは、有史以来、最もお金を使うプロジェクトである。それはピラミッドや万里の長城、教会の大聖堂を建設するプロジェクトを超えている。1950年代以来、大国が宇宙開発競争をやってきたのは、ピラミッドや万里の長城や教会の大聖堂と同じように、人々を畏怖させ、自分たちが力を持っていることを示すためだった。有人宇宙プロジェクトは、ピラミッドや万里の長城や教会の大聖堂を建設することが古代人に与えたのと同じ効果を現代人に与えるものである。

○米ソ両国は冷戦終結後は宇宙開発分野で協力を始めて、資源の節約を図った。交流は、秘密を保持するのに比べて科学技術の発展を促進した。一方で、宇宙ステーション協力問題で両国はしばしばそれを「外交カード」として使った。

○こうした情勢の下、1992年、中国は有人宇宙プロジェクトを始めたが、それは原爆、水爆の開発や人工衛星の打ち上げと同じように、国際社会における中国の地位を発展させるために選択したものであった。今後、中国が平和を希求し、国際関係を発展させようというのであれば、有人宇宙飛行プロジェクトも国家の外交目標に合致するものでなければならない。

○中国には「中国は宇宙において国際協力をする必要はない。少なくとも宇宙ステーションについては国際協力をすべきではない。」と主張する人がいるが、筆者の考えはそれとは異なる。歴史的に見て、鎖国的な政策は中国を強くはしない。

○2010年にはアメリカのスペースシャトルが退役することになっているが、アメリカは国際宇宙ステーションへの人や物資の輸送をロシアにいつまでも頼ることはできないので、スペースシャトル後の輸送手段について計画中である。

○中国は、自力で宇宙遊泳とドッキングの技術を確立した後、独立して技術を保持できるという前提の下、国際宇宙ステーションに有人宇宙飛行サービスを提供するという「宇宙外交」を展開することも悪くはない選択肢である。

○世界で最も力の強い国家と世界で最も人口が多い国家が宇宙において協力することは、世界大戦の可能性をさらに一段と微々たるものにする。その意味では有人宇宙飛行における国際協力は、国家安全のための施策の一つなのである。

○もしかつて閉鎖的だった中国がこの高度に敏感で困難な領域において西側と協力を展開したら、それは他の領域の国際協力におけるモデルとしての役割を果たすだろう。そして、それは中国の技術のグローバル化を実現し産業にも新たな道を切り開くものになるだろう。

----------------------

 今回の「神舟7号」の有人宇宙飛行でも、打ち上げ時には胡錦濤主席自らが打ち上げ上の甘粛省酒泉まで出向いて、宇宙飛行士の「出征儀式」に参加して宇宙飛行士たちを激励し、打ち上げの時は現地で視察したし、宇宙遊泳成功後は、北京の管制センターから宇宙飛行士たちと交信回線を使って直接話をしたりして、「国家的イベント」としての演出は色濃く見えました。その意味で、上記の趙洋氏の評論が指摘しているように、有人宇宙飛行は、国内及び国際社会に対する政治的メッセージの色彩が強いと言えます。ただ、そういったことを有人宇宙飛行の成功を讃える記事ばかりが並ぶ中国の新聞において、きちんと分析して、自らの意見を主張していた上記の「南方周末」の評論は出色のものだと思います。

 この評論では、文章表現として、宇宙遊泳のことを「科学技術サーカス」と言ったり、有人宇宙飛行プロジェクトを古代のピラミッドや万里の長城の建設にたとえたりしているのが、ちょっと刺激的かなぁ、という気はします。また「世界で最も力の強い国家(アメリカのこと)と世界で最も人口が多い国家(中国のこと)が宇宙において協力することは・・・」といった表現は、中国の民族ナショナリズムの感覚が強い人から見れば、ちょっと「カチン」と来る表現だと思います。こういった「国家の公式の考え方」「国家が公式に認める表現の仕方」とは異なる考え方・表現の仕方の論評が新聞に載り、ネット上でも削除されずに見ることができる、ということは、今の中国では、それなりに評価すべきことだと思います。

 1969年7月のアメリカの「アポロ11号」による人類初の月着陸成功の時も、「地上に貧しい人々が数多くおり、アメリカはベトナムで泥沼の戦争を戦っているというのに、これだけ巨額の費用を宇宙開発に使ってよいのか」という議論がありました。そういう様々な意見があり、議論がなされることは健全なことです。

 今回の「神舟7号」の打ち上げや宇宙遊泳は、映像もきれいだったし、それ自体、掛け値なしに「快挙」だと私は思いますが、それとともに、上記のような論評が中国の新聞に掲載されたことも、ひとつの「快挙」だと私は思いました。

| | コメント (0)

2008年9月21日 (日)

中国の乳製品パニック

 日本でも報道されているとおり、中国の粉ミルクに有害物質メラミンが混入していた事件で、18日夜に放送された中国中央電視台の7時のニュース「新聞聯播」で、液体の牛乳、しかも大手メーカーが販売している牛乳の一部からもメラミンが検出された、との発表がありました。概要は以下のとおりです。

蒙乳:121サンプルのうち11サンプルからメラミンを検出。検出値は1kgあたり0.7~8ミリグラム

伊利:81サンプルのうち7サンプルからメラミンを検出。検出値は1kgあたり0.7~8.4ミリグラム

光明:93サンプルのうち6サンプルからメラミンを検出。検出値は1kgあたり0.6~8.6ミリグラム

三元:53サンプルのうちメラミンを検出したサンプルはなし。

雀巣(ネスレ):7サンプルのうちメラミンを検出したサンプルはなし。

※雀巣(ネスレ)は、スイスのネスレ社のブランドですが、中国国内で生産されている牛乳です。

(参考1)「人民日報」2008年9月19日付け記事
「全国液体牛乳に対するメラミン検査の結果が発表」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-09/19/content_105492.htm

(参考2)中国国家品質監督検査検疫総局ホームページ2008年9月19日発表
「全国液体牛乳に対するメラミン検査の結果発表」
http://www.aqsiq.gov.cn/zjxw/zjxw/zjftpxw/200809/t20080919_90325.htm

 最初に問題になった三鹿集団の粉ミルクで検出されたメラミンの最高濃度は最高1kgあたり2,563ミリグラムですから、それに比べれば上記の牛乳での検出値はだいぶ低いと言えます。報道では、体重60kgの大人ならば毎日2リットル以上飲まなければ大丈夫、と伝えられています。しかし、メラミンが検出された、ということは、チェックをしていない、ということですから、やはりショックです。私も上記のメーカーの牛乳を毎日飲んでいましたから。

(注)粉ミルクの場合、水に溶いて飲むので、液体の牛乳と比較する場合には粉ミルクの検出値は10分の1くらいなると考えた上で比較する必要があります。

 上記に掲げた5つのメーカーは中国は最大手の乳業メーカーで、毎日、テレビでのコマーシャルをやったりしています。伊利は、北京オリンピックの食品提供メーカーでしたが、北京オリンピック、パラリンピックで提供された乳製品では、メラミンは検出されなかった、と報道されています。

 昨日(9月19日)時点で、私が行ったスーパーでは、蒙乳、伊利、光明の製品は牛乳、ヨーグルト、チーズも含めて全ての乳製品が撤去され、三元、雀巣と外国から輸入された乳製品だけが売られていました。少なくとも私が行ったスーパーでは、三元、雀巣と輸入ものは売られており品切れ状態にはなっていなかったので、乳製品が手に入らない、という状況にはなっていません。中国では、放牧などが盛んな地方を除いて、一般には、多くの人が乳製品を消費するようになったのは、最近、経済レベルが向上してからのことであって、中国の食生活は「乳製品がないと成り立たない」というわけではないので、乳製品全体の消費量が一時的に落ち込んでいるのだと思います。豆乳など代用になりうる商品もあるので、普通の大人の場合は、そんなに「パニック」にはなっていません。しかし、ミルクを与えなければならない赤ちゃんがいる家庭は大変だろうと思います。

 ニュージーランドの牛乳やヨーロッパから輸入したチーズは、中国産のものに比べて2倍~3倍程度の値段するので、普通の人が簡単に「輸入品に切り替える」というわけにはいきません。

 中国は食材が豊富なので、乳製品がなくても、しばらくは都会の消費者も我慢できると思いますが、牛乳生産農家はかなりパニック状態になっているのではないかと思います。日本の乳製品を原料として扱っている食品メーカーも問題となった中国の乳製品メーカーの製品を使っていないかどうかの確認に追われている、と報道されています。

 今回の調査結果を見ると、多くのメーカーの数多くの種類の製品からメラミンが検出されていることから、乳製品製造メーカーではなく、源乳納入業者のレベルでメラミンが混入された可能性が高いと思います。しかも、乳製品製造メーカーが多岐にわたり、地域的にも全国に散らばっているので、おそらくは、ひとつふたつの源乳納入業者がメラミンを混入したのではなく、中国全土に渡って、源乳量の「水増し」を図るために、幅広くメラミンの混入が日常的に行われていた可能性があります。その点で、日本で問題になった農薬入りギョーザ事件とは異なり、今回の乳製品へのメラミンの混入事件は、中国の食品産業の構造的問題に立脚した、相当に根が深い問題である可能性があります。

 もし今回の問題が、業者のモラルの欠如、行政による安全検査体制の不備(もう一歩突っ込んで言えば地方の業者と取り締まる立場の地方政府との癒着)など中国の食品産業の構造的問題に根ざしているのだとしたら、単に特定のメーカーの乳製品という特定分野に限った問題ではなくなります。特にメラミンについては、昨年、アメリカ等へ輸出されたペットフードへの混入が問題となりましたから、それを全く教訓としておらず、問題に真剣に取り組んで来なかった、という点で、中国国内でも行政当局への批判も高まっています。今回の乳製品へのメラミン混入事件については、中国政府も相当深刻に受け止めているようで、連日のように対策会議を開き、迅速な検査と結果の発表、問題のある製品の撤去を徹底しています。

 今日、9月21日から、北京では、オリンピック、パラリンピック期間中に続けられていた車のナンバー・プレートの偶数・奇数による通行制限がなくなりました。そのせいかどうかしりませんが、今日(21日)の北京には、また以前のようなひどい大気汚染が戻ってきています。国際的な経済環境も厳しさを増す中、オリンピック、パラリンピックで目立たなかった多くの問題がこれから次々に出てくる可能性があります。これから中国政府にとって正念場が続くと思います(今月25日には、中国で3回目の有人宇宙飛行(今回は中国で初めての宇宙遊泳の実施が予定されている)が予定され、テレビや新聞でもそのことが盛んに報道されているのですが、一般に生活している感覚からすると「それどころじゃない」という雰囲気です)。

| | コメント (0)

2008年9月17日 (水)

北京パラリンピック閉幕

 今、中国中央電視台のテレビでは、北京パラリンピックの閉会式を生中継で放送しています。パラリンピックの選手の皆さんの活躍には、「人間にはこんな能力もあるのか」と驚かされました。

 思えば8月8日に北京オリンピックの開会式が行われたのが、はるか昔のように思えます。まずはオリンピック及びパラリンピックが無事に終了したことに対して、関係者の皆様にお祝いを申し上げたいと思います。

 オリンピックが始まった頃は、新疆ウィグル自治区でテロ事件のようなものが起きたりして、ちょっと心配していたのですが、結局は、オリンピック及びパラリンピックの期間を通じて、これらのイベントの運行に影響を与えるような大きな事件・事故は起きませんでした。これも警備・警戒に当たった多くの関係者の努力によるものだと思います。

 ところが、パラリンピックが終盤を迎えつつあるここ数日、段々と社会を騒がすような大きな事件が起きるようになってきています。

○鉱山鉱滓堆積場での土石流の発生

 9月8日:山西省臨汾市襄汾県の違法操業していた鉱山の鉱滓(こうさい)堆積場で、大雨による土石流が発生し、多くの人々が飲み込まれました。9月10日付けのこのブログを書いた時点では「34名が死亡」と書きましたが、その後調査が進んで今日(9月17日)の報道の時点では、259名の死亡が確認されています。この事故に関する行政の監督責任を取る形で、山西省長が9月14日に辞任しています。こういった事故によって、省長(日本で言えば県知事に当たる)が引責辞任するのは極めて異例のことです。

○メラミン入り粉ミルク事件

 9月11日:甘粛省衛生庁が最近甘粛省で多発しているこどもの腎臓結石について、赤ちゃんが1名死亡したこと、この腎臓結石の多発はあるブランドの粉ミルクが原因であることがわかったことを発表しました。その後、これが粉ミルクに有害物質のメラミンが含まれていたことがわかったのでした。この件については、昨日(9月16日付け)のこのブログの記事で書きました。昨日のブログでも書いたように、国家品質監督検査検疫総局が全国調査を行った結果、最初に見つかった社も含めて全部で22社、69の製品の粉ミルクでメラミンが検出され、これらの製品は市場から回収・撤去されることになりました。これだけ多数の製品でメラミンが検出されたことと、メラミンが検出されたとして掲げられたメーカーの中にテレビでコマーシャルをやっているような有名メーカーも複数含まれていたこと、などから、中国では粉ミルクを巡ってちょっとしたパニック状態になっています。

 温家宝総理は今日(9月17日)午前、国務院常務委員会を開催して、乳製品と乳製品製造業者に対する全面的な検査を行うことを決めました。国務院常務委員会は、その時々の経済情勢などを踏まえて、経済対策などを決める会議ですが、こういった特定の事件に対処するための緊急対策を決めるために開催されるのは極めて異例のことです。しかも、温家宝総理は、今日はパラリンピック閉会式の当日のため、外国要人との会見のスケジュールも立て込んでいる日でしたが、そういったスケジュールを押しのけてまで、国務院常務委員会を開き「政府全体として取り組んでいる」という姿勢を示す必要があったのでしょう。

(参考1)「新華社」ホームページ2008年9月17日19:12アップ記事
「国務院常務委員会、乳製品の全面的な検査と乳製品業者の整頓を決定」
http://politics.people.com.cn/GB/1026/8066877.html

○51人が死亡するバス転落事故 

 9月13日:四川省巴中市発で浙江省寧波行きの長距離バスが巴中市内の山道を走行中、ガードレールと衝突し、ガードレールを突き破って谷底に転落し、乗っていた51人全員の死亡が確認される、という事故が起きました。この事故は山奥で発生したためか、あまり迅速には報道されませんでした。今日(9月17日)付けの人民日報で、国務院がこの事故を「特別重大道路交通事故」として調査グループを設置したことを報じています。

(参考2)「人民日報」2008年9月17日付け記事
「国務院『9・13』特別重大交通事項調査グループを設置」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-09/17/content_103878.htm

 これらに加えて、昨日(9月16日)、リーマン・ブラザーズの破綻で世界同時株安を受けて中国の株価も大幅に下落しました。今日(9月17日)は、東京市場などが下げ止まって少し戻したのと対照的に、中国の株価は今日も下げ止まりませんでした。土石流やバス転落事故は、この時期に起こったことは単なる偶然に過ぎないし、ここ数日の株安の原因はアメリカにあるのであって中国のせいではないのですが、こういった事項を並べてみると、なんだか、オリンピックとパラリンピックの開催のために、我慢してきたいろいろなことがパラリンピックの閉幕を待つことができずに、いっぺんに吹き出してきた、というような印象を受けてしまいます。

 この文章を書いている間に、北京パラリンピックの閉会式は、何発もの花火とともに終了しました。9月も中旬を過ぎ、北京では、朝晩はかなり気温が下がり、明らかに秋風が吹いています。そういった秋の気配からも「終わったなぁ」という感じを強く受けてしまいます。

 今度は、9月25日に中国で3回目の有人宇宙飛行である「神舟7号」の打ち上げが予定されています。なんとなく「これでもか、これでもか」というふうに「国家的イベント」が続く感じです。こういったいろいろな「国家的イベント」は、それぞれ順調に行って欲しいと思いますが、それとは別に日常の世界でも世の中全体が落ち着けるような雰囲気になって欲しいと思います。

 日本は、今、福田総理が辞任を表明して次の総理が決まらない状態で、総選挙が近くあるかもしれない、という不安定な雰囲気ですし、アメリカも大統領選まであと1月半に迫っており、経済的な状況も「どうなるかわからない」という雰囲気です。そういった世界の雰囲気に惑わされないように、中国は落ち着いた安定的な発展を続けて欲しいものだと思います(現在のような世界の状況の中で、今、中国の「安定団結局面」が乱れるようになることは、世界にとってタイミング的に非常に良くないからです)。

| | コメント (0)

2008年9月16日 (火)

有害物質入り粉ミルクで乳児に腎臓結石

 日本でも報道されていますが、中国の河北省石家庄にある三鹿集団有限公司が製造した粉ミルクに有害物質のメラミンが含まれており、この粉ミルクを飲んだ多数の乳児が腎臓結石になり、一部は死亡した例も出ていることがこのほど明らかになりました。メラミンの化学的性質は私もよく知らないのですが、メラミンは食品に入れると分量が増えるが、タンパク質と同じ窒素有機化合物なので、タンパク質含有量検査ではタンパク質として判定されることがあり、過去にも食品の「水増し」に使われて問題になったことがあったそうです。メラミンを含んだ食品を食べると、体内で化学反応が起き、腎臓結石が生じることがあるのだそうです。昨年、メラミンが含まれているペットフードが中国からアメリカ等に輸出されて、多くの犬や猫が死ぬ事件がありました。

 今日(9月16日)付けの北京の新聞「新京報」の記事によると、昨日(9月15日)衛生部が発表したところによると、昨日午前8時の時点で、この会社の粉ミルクを飲んだことにより病院で検診を受けた乳児は1万人近くに上り、腎臓結石と診断された乳児は1,253名、そのうち53名は重症で、今までに2名が死亡している、とのことです。

(参考1)「新京報」2008年9月16日付け記事
「全国の診察により『三鹿による結石の赤ちゃん』は1,253名に上った」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/09-16/008@021544.htm

 今日の「新京報」の1面トップは、昨日の記者会見で頭を下げる三鹿有限公司の幹部の写真が載っていました。

(参考2)「新京報」2008年9月16日付け1面トップ写真の記事
「三鹿集団が消費者に対して謝罪」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/09-16/008@021535.htm

 こういった事件の記者会見で会社の幹部が深々と頭を下げて謝罪するのは、日本では見飽きるほど見ていますが、中国では、こういったふうに「日本式」に頭を下げて謝罪するというのは今までなかったことです(少なくともこうした写真は私は初めて見ました)。こういった「異例の謝罪」があったのも、この有害物質粉ミルク事件が中国社会に大きな衝撃を与え、社会的に大きな反響を呼んでいる証拠だと思います。

 さらに今日(9月16日)夜7時から中国中央電視台で放送されたニュース「新聞聯播」では、このメラミン入り粉ミルク事件に関する最新情報を伝えた際に、アナウンサーが「たった今入ってきた情報です」と言った後、国家品質監督検査検疫総局が行った全国調査の結果、ほかの多数の会社のメーカーの粉ミルクからもメラミンが検出された、として、製品名と企業名のリストを放送しました。メラミンが検出されたのは三鹿集団も含めて22社、とのことです。おそらくこのニュースが「突っ込み」で入ってきたために、通常は7時30分で終わる「新聞聯播」が、今日は7時35分まで延長して放送していました。

 中央電視台の「新聞聯播」は、放送後1時間くらいすると、その放送内容がネット上にアップされてネット上でも見られるようになっています。今日放送の分を見ると、今までのところの調査では109社の491品目について調査を行い、その結果、今回問題となった三鹿集団の製品も含めて、22社、69品目の製品からメラミンが検出された、とのことです。22社のリストは下記の中央電視台「新聞聯播」のページに載っています。

(参考3)中国中央電視台「新聞聯播」2008年9月16日放送分
「中国国家品質監督検査検疫総局、乳児用粉ミルクにメラミンが含まれているかどうかについての検査の現段階での検査結果を発表」
http://news.cctv.com/xwlb/20080916/107382.shtml

 これだけ多くのメーカーの粉ミルクに有毒物質メラミンが含まれていた、ということは、今後、中国の国内における食品安全に関する大問題に発展する可能性があります。輸出されたペットフードの事件や日本のメタミドホス(農薬)入りギョーザ事件の場合には、中国の人々の中には「また外国が中国の悪口を言っている」というふうに捉えた人も多かったと思いますが、今回の粉ミルク事件は自分たちの問題として、真剣に取り組む(取り組まざるを得ない)と思います。有害物質入り粉ミルクが販売され、乳児に犠牲者が出る事件は過去にもありましたので、今回の事件は、有害物質入り粉ミルクを製造したメーカーが批判されるのは当然として、その上に、それを防げなかった政府に対する批判も高まるのではないかと思います。

 たまたま9月16日は、アメリカの金融大手リーマン・ブラザーズの経営破綻で、世界同時株安現象がおき、中国でも上海総合指数が終値で2000ポイントの大台を割り込んだ(昨年(2007年)10月の最高値6000ポイントの3分の1以下になった)、という別の大きな経済ニュースもありました。この世界同時株安は、中国に原因があるわけではなく、中国も一種の「被害者」なのですが、それと有害物質入り粉ミルク事件が重なって起こったことは、タイミング的に中国にとっては不運なことだと思います。

 ちょうど明日、北京パラリンピックが終わり、北京はオリンピックから続いていた「お祭り」の期間が終わって、現実の世界へ引き戻されることになります。アメリカの金融危機も大きな問題であり、アメリカにしっかり対応して欲しいと思いますが、いろいろな問題が悪い方向に重ならないように、粉ミルク事件のように中国国内で対処できる問題については、中国の関係当局には適切に対応して欲しいと思います。

| | コメント (0)

2008年9月 4日 (木)

経済学者・呉敬璉氏へのインタビュー記事

 2008年9月1日号(8月30日発売)の経済専門週刊紙「経済観察報」の「観察家」(オブザーバー)の欄では、経済学者の呉敬璉氏に対するインタビュー記事(前編)を掲載しています。

(参考1)「経済観察報」2008年9月2日アップ記事
「『呉市場』から『呉法治』へ(1)」
http://www.eeo.com.cn/observer/dajia/2008/09/02/112308.html

 呉敬璉氏は、現在の改革開放政策に基づく中国の経済政策の理論的指導者的存在です。1989年の事件の後、計画経済を主体とすべきとする主張と市場経済を導入すべきとする主張との間の論争があり、トウ小平氏が1992年に「南巡講話」を行って、市場経済を導入させて、経済活動を活発にすることによって、一部の者が先に豊かになって、経済全体を引っ張っていくべき、という現在の中国の経済政策路線を打ち出した時の理論的バックアップをしたのが呉敬璉氏でした。当時、呉敬璉氏が唱える社会主義の原則の下で市場経済を導入させようとする経済論は「呉市場」と呼ばれ一世を風靡(ふうび)しました。今回の「経済観察報」の記事は、呉敬璉氏本人に対するインタビューを通じて、「呉市場」が登場する経緯と今後の中国経済のあり方について意見を聞いたものです。

 呉敬璉氏が経済政策論争の経緯について語っていることについては、過去にも「経済観察報」は記事にしており、そのことについて私もこのブログに書いたことがありました。

(参考2)このブログの2007年12月8日付け記事
「『経済観察報』の論調」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/12/post_1622.html

 呉敬璉氏は経済学者ですから、話の内容は経済政策に特化しており、政治的な内容の発言はありません。しかし、「呉市場」が登場した背景には、1980年代からあった保守派(計画経済を主とすべしとの主張するグループ)と改革派(市場経済も積極的に導入すべきと主張するグループ)の論争から始まって、1989年の事件の後の論争がありますから、歴史的経緯を説明する際には、どうしても1989年の事件を避けて通るわけには行きません。このインタビュー記事では、私が中国で販売されている中国の新聞の中で見た記事の中では最も淡々とした表現で、1989年の事件について語っています。呉敬璉氏は、この事件を「1989年6月の政治風波」という言葉で表現し、その後に起こった経済路線に係わる論争について淡々と語っています。あくまで経済政策に特化した説明ですが、このインタビュー記事は、改革開放30年の歴史を客観的に冷静に分析する上で、客観的な情報を提供していると思います。

 呉敬璉氏は、1980年代、保守派と改革派の論争においても、過去の「反右派闘争」や「走資派(資本主義に走る派)批判」などの記憶があったため、当初は「市場経済」という言葉を使うこと自体はばかられた、と述懐しています。そのため、当初は「市場経済」という言葉ではなく「商品経済」という表現で語られていた、とのことです。

 呉敬璉氏は、経済学者の立場から、社会主義経済と市場経済とを融合させるためには、社会主義の部分、即ち、中央政府や地方政府が経済において規律ある役割を果たすことが重要であると主張しており、従って政治体制改革の問題が1990年代に「呉市場」がブームになった頃も現代も同じように重要であると主張しています。

 私は、この呉敬璉氏が主張する点は、改革開放経済の原点であり、まさにこれから改革開放政策が順調に進んでいくかどうかのカギを握っている点だと思います。改革開放政策30周年に関するイベントが行われるであろう、今年2008年末へ向けて、「経済観察報」が改革開放政策における経済政策の原点とも言える呉敬璉氏に対する長文のインタビュー記事を掲載したのは意義あることだと思います。

 なお、呉敬璉氏は、氏が経済理論を打ち立てる上で参考とした経済モデルには、次の4つがあると語っています。即ち、(1)スターリン期の計画経済モデル(改良型ソ連モデル=国家が強力なリーダーシップで経済を主導するタイプの社会主義経済モデル)、(2)市場社会主義モデル(東欧モデル=ハンガリーなどの東欧諸国が採用した計画経済を主体としつつミクロ部分(各企業の部分)には市場的要素を導入したモデル)、(3)日本に見られるような政府が主導した市場経済体制モデル(東アジア・モデル)、(4)自由市場経済体制(欧米モデル)の4つです。このうち「東アジア・モデル」は、通産省が主導した日本や企画計画院が主導した韓国が参考になっているとのことです。

 呉敬璉氏は、日本が「神武景気」(1955~1957年(昭和30~32年)の好景気:昭和31年度の経済白書が「もはや戦後ではない」と表現したことで有名)に沸いていた頃、中国でも日本の「神武景気」が戦後の民主主義改革を基礎として出現した高度経済成長であるとの認識がなされていた、と述べています。また、呉敬璉氏は、1956年の時点で社会主義においても市場原理に基づく価格調整を導入することを主張してた顧准氏が「『中国の神武景気』はいつかは必ず来る。しかしいつ来るのかはわからない。」と述べ、辛抱強くこの問題を検討するために「待機守時」(時を守って機会を待つ)という四文字を提唱していたことを指摘しています。

 市場経済は、自由な経済活動を通して、消費者が製品を選択し、それが次の時代の経済活動を進める原動力となる、という意味で、経済活動における民主主義である、と言えます。呉敬璉氏はあくまで経済学者であり、政治的な立場は表明していません。ただ、このインタビュー記事を通じて感じられることは、政治と経済が調和しながら社会を発展させていくためには、経済において市場原理を導入するのであれば、政治においても民主化を進めていくことが必要だという点です。

 現在の中国では語ること自体がほとんどタブー視されている1989年の事件について「1989年6月の政治風波」という表現で明確に触れ、あくまで経済政策的な観点からですが、冷静かつ客観的にその前後の動きを振り返り分析しているこのインタビュー記事は、改革開放30年の歴史を振り返る意味で非常に重要な意味を持つと私は思います。なぜなら、今後、中国が安定的に発展していくためには「1989年6月の政治風波」のような事態を再び起こしてはならないのであって、そのためには「1989年6月の政治風波」とは何であって、その原因が何であったのかを冷静かつ客観的に分析し、再び起きないようにするための方策を考える必要があるからです。

 少なくとも、こういった議論が中国の新聞紙上でなされ、そういった記事がインターネット上で見られるようになっている、ということは「大きな進歩」だとして、評価すべきだと私は思います。

| | コメント (0)

2008年9月 2日 (火)

華国鋒氏の葬儀に関する報道

 このブログの8月22日付け記事で、8月20日になくなった華国鋒氏が死去したニュースの報道の仕方が簡潔過ぎる(元中国共産党主席・元国務院総理であったことを明記せず「かつて党と国家の重要な指導的職務に就いていた」としか書かれていなかった)ことについて書きました。

(参考1)このブログの2008年8月22日付け記事
「華国鋒氏がオリンピックに沸く北京で死去」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/08/post_fa9c.html

 ところが、華国鋒氏の葬儀が8月31日に行われましたが、この葬儀には胡錦濤主席、江沢民前主席、ほか中国共産党政治局常務委員全員を含めた国家指導者が参列し、そのことは翌9月1日付けの「人民日報」の1面トップで伝えられました。

(参考2)「人民日報」2008年9月1日付け1面トップ記事
「華国鋒同志、北京において荼毘(だび)に付される」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-09/01/content_93899.htm

※この「人民日報」の記事では、胡錦濤主席と江沢民前主席の写真が同じ大きさで掲載されています。これはオリンピック開会式・閉会式の時の席順にも示されていたように、江沢民氏が公職を引退した後の現在でも大きな力を持っていることを示している、と日本での多くの報道が指摘しています。

 また、この日の「人民日報」4面では「華国鋒同志の生涯」と題して、革命運動における活躍から始まって「四人組」逮捕の際の詳細ないきさつ、周恩来総理死去の後、国務院総理になったこと、毛沢東主席死去の後「四人組」を追放した後で中国共産党主席になったことなど、経歴が事細かに紹介されています。

(参考3)「人民日報」2008年9月1日付け4面記事
「華国鋒同志の生涯」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-09/01/content_93903.htm

 これらの扱いは功績ある国家指導者としての第一級の扱いです。8月20日に死去した直後での報道のされ方扱いとはえらい違いです。(参考1)のブログで華国鋒氏が「文化大革命」の継続を主張していたたために1981年6月の段階で中国共産党主席の座から退いた、即ち、華国鋒氏は現在の改革開放路線とは異なる立場を取った人であるので、そのことにより、「人民日報」などでは華国鋒氏の経歴について詳細な報道がなされなかったのだ、という趣旨のことを書きました。ところが、葬儀の段階での報道を見ると、実はそうではなく、死去した時がたまたま北京オリンピックの最中であり、故人の業績を偲ぶというような雰囲気ではなかったことから、簡潔な報道しかしなかったのだ、という事情が伺えます。

 ただ、「オリンピックの最中なので重要な国家指導者の死去のニュースを簡潔に済ませた」というのは亡くなった方に対しては失礼な気もします。北京オリンピックはそれだけ中国にとって大事なイベントだったということなのでしょう。

 上記の人民日報の「華国鋒同志の生涯」の記事(もともとは新華社電です)は、「華国鋒同志は永遠に不滅です!」という文章で締めくくられています。これは毛沢東主席が亡くなった時に出された「全党・全軍・全国各民族人民に告ぐる書」の「毛沢東同志は永遠に不滅です」という締めくくりの表現と同じであり、最大級の賛辞です。これだけ最大級の賛辞を送るのだったら、いくらオリンピック期間中とは言え、亡くなった時の「人民日報」の報道でも、もう少し業績について記述してもよかったのになぁ、と思いました。

 もしかすると、亡くなった時の「人民日報」の報道の仕方があまりに簡潔に過ぎたため、党内の一部から「四人組の追放に功績があり、改革開放路線への道を開いた人に対して失礼だ」との声が挙がったため、お葬式の方の報道では大きな賛辞が送られたのかもしれません。華国鋒氏の業績の扱い方について、党内にいろいろな考え方の人が存在し、いろいろな論争があった、そのために死去した直後と葬儀の後では扱いがかなり異なる結果となった、と考えるのは「うがち過ぎ」でしょうか。

 華国鋒氏の葬儀の報道については、いつもは独自の記事で読者を楽しませてくれる「新京報」「京華時報」も新華社電の文章をそのまま掲載しており、華国鋒氏の業績については、独自の評価は敢えて書いていません。各新聞が自由な立場で華国鋒氏の業績について論じる、というのはやはりなかなか難しいのでしょうか。

 なお、華国鋒氏の葬儀が8月31日に行われたのは、8月24日まではオリンピックが開催中であり、8月25日~30日は胡錦濤主席が韓国やタジキスタン等への訪問のため北京にいなかったから、という事情があるためと思われます。その意味では、この葬儀のスケジューリングは、北京オリンピックや胡錦濤主席の外国訪問よりはプライオリティは低かったことを表しています。私はそれはそれで妥当なことだと思います。華国鋒氏は既に過去の人であり、その業績は評価すべきですが、華国鋒氏の死去により、現在行われている様々な政治日程を変更してまで葬儀等を行う必要はないと思うからです。

 いずれにしても、華国鋒氏の業績が無視されずに、きちんと評価されたことに、私は一種の安堵感を覚えています。現在の政権は過去の歴史を消し去るようなことはしないことを表しているからです。これからも、いいことも、悪いことも、過去の歴史は客観的に評価する視点を維持して欲しいと思います。

| | コメント (0)

2008年8月22日 (金)

華国鋒氏がオリンピックに沸く北京で死去

 元国務院総理、元中国共産党主席の華国鋒氏が一昨日(2008年8月20日)、オリンピックに沸く北京でひっそりと亡くなりました。87歳でした。

 華国鋒氏は、1976年9月に毛沢東主席が亡くなった直後の同年10月、当時実権を握っていた江青、張春橋、姚文元、王洪文ら「四人組」を失脚させて、毛主席の後継者として翌年には中国共産党主席となり、トウ小平時代(=現在の改革開放時代)への「つなぎ」の役割を果たした人物です。

 文化大革命を推進してきた「四人組」を失脚させたものの、自らの地位の根拠が毛主席から「後を頼む」と言われた、という「遺言」だけだったことから、毛沢東主席の路線を継続し、文化大革命を継続する、と主張し続けました。そのため華国鋒氏の政策は、どちらを向いているのかよくわからないものでした。やがてトウ小平氏が正式に復活すると、トウ小平氏は「毛沢東主席の行ったことや毛沢東主席の指示は全て正しい」(「二つの全て」)と主張する一派を「すべて派」だとして批判しました。「すべて派」が華国鋒氏を指すことは明らかでした。

 トウ小平氏は、1978年12月に改革開放路線をスタートさせました。その後、1981年6月、文化大革命を「誤りだった」と断定し、毛沢東主席も晩年には誤りを犯した、との認識を示した「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議」が採択されるに到り、華国鋒氏は、党内でその存在意義を失い、副主席に降格となりました。その後も、一応、「幹部」では居続けたため、「失脚した」と表現するのは正しくありませんが、その後、華国鋒氏は政治的影響力を全く失いました。「失脚」しなかったのは「四人組追放」という功績は認められていたからでしょう。

 亡くなった一昨日当日(8月20日)の夜7時からの中国中央電視台のニュース「新聞聯播」では、後ろの方の「その他のニュース」の中で「華国鋒同志」の死去を伝えていました。「四人組」を追放し、改革開放路線への道を開いた人にしては、ちょっと寂しい扱いでした。というより、政治的影響力を失った中ででも、その死去が「新聞聯播」で取り上げられたこと自体よかったと考えるべきなのかもしれません。

 一方、昨日(8月21日)付けの「人民日報」では1面の右下の方にこの華国鋒氏の死去のニュースが遺影とともに掲載されていました。端の方とは言え「人民日報」の1面で遺影とともに伝えられた、ということについては、一定の敬意を持って報じられた、と考えてよいでしょう。

(参考1)「人民日報」2008年8月21日付け1面
「華国鋒同志が逝去」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-08/21/content_86213.htm

 ただ、この「人民日報」の記事は新華社電をそのまま伝えただけのもので、その内容は「中国共産党の優秀な党員で、共産主義に忠誠を尽くした経験ある戦士、プロレタリアート階級革命家であり、かつて党と国家の重要な指導的職務に就いていた華国鋒同志」が死去した、という事実のみを伝えるものでした。華国鋒氏の経歴については「かつて党と国家の重要な指導的職務に就いていた」と述べているだけでした。1976年1月に周恩来総理が亡くなった後、国務院総理に就任し、同年9月に毛沢東主席が亡くなった後、翌年8月に中国共産党主席に就任したことは、触れていません。また、華国鋒氏が毛沢東主席が亡くなった直後の1976年10月に「四人組」を失脚させる動きの中で中心的な役割を果たしたことについても何も触れていません。

 「人民日報」の記事のような簡単な伝えられ方だと、32年前を知らない若い人たちは、華国鋒氏がどういう人物であったのかを知らないままにこのニュースを聞き流してしまったろうと思います。「プロレタリアート階級革命家」という修飾語が付いているので、「改革開放期より以前に活躍した過去の人物なんだろうなぁ。」といった想像はできると思いますが、歴史上どういう役割を果たした人物なのかは、このニュースでは若い人たちには伝わらないと思います。

 ただし、華国鋒氏の業績は決して「消された」わけではありません。公式な歴史の中ではきちんと記述されています。

(参考2)「人民日報」ホームページ「中国共産党簡史」
「第7章:十年間の『文化大革命』の内乱」
「四、江青集団を粉砕した勝利」
http://cpc.people.com.cn/GB/64184/64190/65724/4444931.html
「第八章:第11期三中全会において社会主義事業の新しい発展段階が切り開かれた」
「一、模索の中で前進しながら正しい目標をどこに置くべきかの問題について討論した」
http://cpc.people.com.cn/GB/64184/64190/65724/4444932.html

 8月21日付けの「新京報」「京華時報」といった北京の大衆紙でも華国鋒氏の死去は報じられていますが、その内容は「人民日報」と全く同じで、新華社電をそのまま伝えただけのものでした。大衆紙は(人民日報もそうですが)紙面の多くをオリンピック関係記事に割いているため、華国鋒氏の業績について書くスペースがなかったのかもしれません。しかし、もしそうであれば、あまりに寂しいと思いました。たぶん、華国鋒氏は、結果として「四人組」を追放し文化大革命を終わらせるきっかけを作ったけれども、自分自身は「文化大革命を継承する」という立場に立っており、文化大革命を否定してトウ小平氏が始めた現在の改革開放路線からすれば「異なる立場の過去の人」であるから、その経歴を詳しく報じる必要はない、と判断されたのだろうと思います。しかし、私は、華国鋒氏が果たした役割に鑑みれば、それが例え今の政権の路線と「異なる立場の人」だとしても、その業績については積極的に若い人に伝えるべきだと思いました。

 日本の新聞の華国鋒氏の死去を伝えるニュースでは、華国鋒氏が過去に何をした人物であるのかを簡単ではありますが伝えていました。それに対して中国での報道が「かつて党と国家の重要な指導的職務に就いていた華国鋒同志」と伝えるに留まり、それ以上の情報を読者・視聴者に伝えなかったことに非常に違和感を感じました。普通の感覚だったら、周恩来総理の後を継いだ国務院総理、毛沢東主席の後を継いだ中国共産党主席だった華国鋒氏の過去の経歴は、少なくともそういう経歴の持ち主だ、という事実だけでも伝えられて当然だと思えるからです。

 全ての国において、過去の歴史に学ぶことは重要なことです。中国は日本に対して常にその姿勢を求めています。私もそれは重要なことだと考えており、過去の歴史において日本が中国に対して何をしたかを踏まえることは、日中関係を進めるための出発点だと考えています。しかし常にそう言っている中国共産党自身が、自らの過去の歴史について、そのよいところ、よくなかったところの両方を若い人にきちんと伝える努力をしているのだろうか、という点について、最近、私は疑問に思っています。改革開放路線は、文化大革命という「過去の過ち」を反省することから始まっているため、改革開放路線当初(1980年代)は、中国共産党には、党自身の歴史についても、過去の誤りは誤りとして正しく自己批判すべきだ、という姿勢が見えていました。その姿勢が、1989年以降は弱くなってしまったのではないか、というのが私の懸念しているところです。

 過去の歴史が未来を導く鑑(かがみ)である、ということは、長い歴史を持つ中国が一番良く知っていることです。今年は改革開放30周年に当たるので、オリンピックが終わると、今度は年末に掛けて改革開放30周年にちなんだ行事がいろいろ行われることになると思います。その過程で、この改革開放30年の歴史を、きちんと客観的に振り返り、正しくなかった部分は正しくなかったことだと評価した上で、若い世代に事実を伝えるようにして欲しいと私は願っています。もしそうしないならば、中国は正しい未来への道を歩むことができなくなってしまうと私は思います。

| | コメント (0)

2008年8月20日 (水)

劉翔選手の棄権ショック

 8月18日に行われた北京オリンピック陸上110mハードル予選で、中国のスーパースター劉翔選手が、スタジアムには出てきたものの、スタート直前(正確に言うとスタートして、それが他の選手のフライング・スタートだったとわかった直後)に棄権したことは、中国の人々に大きなショックを与えました。これについて、中国のネットの掲示板で、劉翔選手を非難する声、擁護する声、非難する者を批判する者など、いろいろな発言が沸騰していることは、日本でも報道されているので、御存じの方も多いと思います。

 劉翔選手は、古傷を持っており、ここのところその故障の状況が芳しくなく、特にレース2日前の16日の練習時に相当に悪化した、と伝えられています(劉翔選手が8日の開会式に参加しなかったことからも、状況があまりよくないのではないか、ということは、ある程度推測されていた)。ただ、全く走れないほどに悪いとは誰も思っていなかったので「棄権」という結果にみんなビックリしたのです。2日前に相当悪いことがわかったのだったら、その時点で状況を公表し、棄権の意思表示をすべきだった、との批判が多く見られます。苦労してチケットを入手して、当日スタジアムへ行った人は特にそう考えると思います。ただ、これだけ期待が高い中、言い出せる雰囲気ではなかったし、自分もどうしても出たいと思っていたので、もしかすると走れるかもしれないと考えて、最後の最後まで一縷の望みを掛けてスタートラインまでは行った、ということなのかもしれません。

 インターネットの掲示板の発言の中には、悪口雑言に近いものもあるなど相当に過熱していることもあり、当局側がこういった「ネット世論」を必死になだめようとしているように見えます。習近平国家副主席が慰問の電話を掛けたとか、中国中央電視台の夜7時のニュース「新聞聯播」の中で「一日も早い回復を祈る」という論評を伝えるなど、一人のスポーツ選手の棄権に対しては「異例」ずくめの対応が続いています。

 今、「人民日報」のホームページにアクセスすると劉翔選手がユニフォームを顔にかぶせて涙をこらえている様子の写真を背景として「劉翔! あなたは依然として私たちの英雄です!」と書かれたポップアップが出てきます。その中に「あなたの一日も早い回復を祈ります」というクリック・ボタンがあり、8月20日未明の段階でクリック数は100万クリックに近い数に上っています。右の方には「劉翔選手に言いたい」という欄があります。その中を見ると「棄権は正しい判断だった」「それでも私はあなたを支持する」「早く復活して欲しい」といった励ましの発言が並んでいます。

(参考)「人民日報」ホームページのトップ
http://www.people.com.cn/

 日本の女子マラソンの場合も、二連覇を目指す野口みずき選手がレースの5日前に棄権することを発表し、土佐礼子選手も出場はしたものの25キロ付近で棄権するなど、ケガや故障による選手の棄権がありました。これに関しては、日本の掲示板でも、結構、選手に対する批判なども書かれているようです。書きたい放題のことが書かれるネットの掲示板では、そういう発言があっても仕方がないと思います。しかし、日本ではそういったネット上の選手批判の発言について新聞などで報道されることはありません。ましてや政府がそれに反応することはあり得ません。「ネット上での発言はそういうもんだ。」としか見られていないからです。

 劉翔選手に対するネットの中国の掲示板での発言は、私もいくつか中国語の発言そのものを見ました。劉翔選手を批判する発言もあり、擁護する発言もあるのは事実で、その意味では、日本の掲示板の発言とそれほど違いはないと思います。ただ、確かに日本における選手批判とはちょっとフェーズが違う「激しさ」があるのは事実だと私も感じました。期待の大きかった野口選手が出場できなくなったのは、日本でもかなりのショックでしたが、2週間前くらいから、「故障で海外トレーニングを早めに切り上げたようだ」といった情報が伝えられていたので、野口選手の出場断念を聞く前に日本の人たちは「心の準備」ができたいたのだと思います。それに対して劉翔選手は多数のコマーシャルに出演するなど期待の大きさが日本では考えられないほどだったことと、走れない程に故障の程度がひどい、といった情報は事前に全くなく、実際に当日もスタジアムに登場してから棄権したので、ショックが大きかったのだと思います。

 それにしても、そういったネット掲示板の劉翔選手の棄権に対するリアクションに対して行っている中国メディアの「沈静化努力」は、これまた「普通の国」の感覚からすると異様に感じます。ネットワーカーたちの発言の盛り上がりを怖れているように感じます。

 日本の報道では、最近、中国で何か起こると、ネットの掲示板でどういう発言が書かれているか、に注目し、それを報道することが多くなりました。日本国内の案件の報道では、特別な場合を除き、ネットの掲示板の中での発言などはあまり注目されません。中国において、ネット掲示板が注目される理由には二つあります。

(1) 新聞やテレビは一般市民の声を報じないし、メディアが一般市民にインタビューしても一般市民が当局に批判的な発言をするとは思えないが、ネットの掲示板には「本音」が書かれることが多いので、ネット掲示板を見ることが中国の一般市民の声を聞くほとんど唯一の手段であるため。

(2) 当局にとって不都合な発言は削除されるので、どういった発言が削除されるのかを監視することにより、今、当局が何を「不都合だ」と感じているのがわかるため。

 (1)の点は、中国政府も同じように考えていると思います。「普通の国」だと、テレビや新聞、雑誌などのメディアを通して「世論」が形成されるのですが、中国ではメディアは一般市民の声を反映しないので、正常な形での「世論形成」ができないのです。中国政府もネット掲示板の動向を注目している、ということは、別の見方をすれば、中国政府は、一般市民が考えている「世論」を吸い上げて政策に反映させる、という「触覚」を持っていないことを意味します。自由なメディアや民主的な選挙制度といった政策に対するフィード・バック・システムを持っている国では、政府がネット掲示板の盛り上がりを気にする必要はないのです。

 北京オリンピックは、いろいろな面で、中国の実情を世界に知らしめるよい機会になりましたが、今回の「劉翔選手の棄権ショック」も、中国の一面を世界中に知らせるきっかけになったと思います。

 なお、劉翔選手をコマーシャルで使っていたスポーツ用品メーカーのナイキ社は、8月18日付け「新京報」の最終面1面を借り切って広告を出しています。右側から光が当たった劉翔選手を真正面から撮した顔写真を大きく掲げいます。そこには次のように書かれています。

「私たちは、栄光を愛し、そして挫折を愛する。」
「あなたの心を傷つけてしまったスポーツを、それでも私たちは愛する。」

多額の広告料を支払って劉翔選手をコマーシャルに使い続けたナイキ社に対する批判もいろいろあると思います。こういう広告を即座に出したことを見て、ナイキ社は劉翔選手の故障をある程度事前に知っていたのではないか、との疑念を持つ人もいるかもしれません。しかし、私は、ナイキ社は、さすがにスポーツの本質をよくわかっていると思って、感激しました。スポーツを国家の栄誉のためとか政治的な団結とかに利用しようと考えている全ての勢力は考え直して欲しい、と改めて思いました。

 劉翔選手が今回の状況を乗り越えることをお祈り致します。

| | コメント (0)

2008年8月17日 (日)

女子マラソン・北京でのテレビ観戦記

 今日(8月17日)、北京時間朝の7:40スタートの北京オリンピック女子マラソンを中国中央電視台第2チャンネルで見ました。マラソンは、チケットがなくても沿道で応援することは可能なんですが、コースのどのあたりが見やすいスポットなのかよくわからなかったし、そもそも日曜日の朝7:40スタートいうのは起きるのがなかなかつらいので、テレビ観戦にしました。今日は大気汚染もほとんど気にならず、気温もかなり低めでした。ちょっと小雨が降りましたが、マラソンにとっては直射日光が差すよりはコンディションとしては良かったのではないでしょうか。

 日本選手のメダルはなりませんでしたが、土佐礼子選手は故障があったようですし、中村友梨花選手は初めてのオリンピックのマラソンでの13位は収穫があったのでないかと思います。トップはルーマニアのトメスク選手のぶっちぎりの優勝でしたが、2位争いは中国の2人とケニアの2人のしのぎあいが、まるで「チーム戦」のような迫力がありました。

 テレビの中継放送は、基本的に国際映像として撮影ものが中継されていますので、日本で放映された映像と北京で私が見た映像とに違いはないと思います。午後にNHK-BS1でも録画放送をやっていたのも一部見ましたが、違いとして感じたことを書いておきたいと思います(演出として、選手の走る姿のスローモーション映像が多用されていましたが、これは中国国内で放送されたものと、外国へ送信されたものとは、たぶん同じものだったろうと思います)。

○中央電視台ではスタートから最初の30分間程度が中継されなかった。

 今朝7時代の中国中央電視台第2チャンネルでは、「今日の試合の見どころ」などをスタジオから放送していました。その中で、女子マラソンの中継は7:30から開始します、と予告がありました。7:30になると、過去のオリンピック・マラソンの勝者の紹介が始まり、続いて期待される中国選手の紹介があり、その後コマーシャルに入りました(中国中央電視台は国営のテレビ局ですがコマーシャルが入ります)。そのコマーシャルが長々と続き、7:40を過ぎてもコマーシャルをやっていました。おかしいなぁ、何かの都合でスタートが遅れているのかなぁ、と思って見ていたら、7:50頃になって、またカメラはスタジオに戻ってしまいました。で、「それではここで昨日の競泳の様子を見てみましょう」とアナウンサーが言って、昨日の競泳の試合のビデオが流れ始めました。女子マラソンの中継がどうなったのか、何か説明したのかも知れませんが、私の中国語ヒアリング能力はからきしダメなので、そういった説明が何かあったようには聞こえませんでした。

 8:00を過ぎても昨日の競泳のビデオが流れ続けているので、「何か不測の事態でも起きたのかもしれない」と思ってパソコンを立ち上げて見たら、日本のネットのニュースの速報では「女子マラソン・スタート」と出ていました。レースはスタートしていたのに、中央電視台の中継が始まっていなかったのです。おかしいなぁ、と思ってほかのチャンネルに切り替えたりしていたのですが、8:10頃に中央電視台第2チャンネルに戻ってみたら、前門から天安門前広場あたりを走っている選手団の映像が映っていました。それから後は、おそらく日本の皆さんが御覧になったのと同じような正常なマラソン中継でした。

 私は、どこかマラソン・コースの沿道で、観客が中国としては認められない旗や横断幕などを掲げる、といったトラブルがあったのかなぁ、と思いました。もしそういう「事件」があっても、中国のメディアでは報道しませんが、もし何かあったら、外国のメディアはすぐに報道するはずです。それで、CNNやBBCを見たり、ネットで日本のニュースを見たりしましたが、そういった「事件」があったとはどこも報じていません。日本で中継を見ていた人に電話で聞いてみたら、特段そういった「好ましくない」状況はなかった、とのことでした。

 そもそもスタート地点の天安門前広場は、一般観客は立ち入り禁止にしていたはずで、スタート時点では、旗や横断幕を掲げるような「事件」や「トラブル」は起こりようがなかったはずです。そういった状況を考えると、中央電視台の中継機器関連で何らかの技術的なトラブルがあったのかもしれません。それにしても、日本への国際映像の送信は問題なく行われていたわけですので、なぜ中央電視台で最初の30分間の中継がなかったのかは、今のところナゾです。明日の新聞に何か情報が載るかもしれません。

○中央電視台の中継では小さくBGMが入っている

 中央電視台の中継では、周囲の観客が応援する声も聞こえているのですが、それに重ねて「雰囲気を盛り上げるような」音楽が音量は小さいですけれども流れていました。このBGMは、NHK-BS1では流れていなかったので、中央電視台の方で入れたのだと思います。BGMを入れた意図は不明です。沿道から「好ましくない声援」が聞こえた時にそれを打ち消すため入れた、などと「勘ぐる」のは「勘ぐり過ぎ」なんでしょうね。

○コマーシャルがちょっと多過ぎ

 女子マラソンは2時間半ちょっとの中継なので、途中でのコマーシャルはなしで中継するのだろうなぁ、と思っていたのですが、中間点をちょっと過ぎたあたりと、30キロを少し過ぎたところでコマーシャルが入りました。また、ゴールまであと数キロというところで、スポンサーのロゴが入った「各国メダル獲得数速報」が入りました。中央電視台は国営テレビなのですから、オリンピックのマラソン中継くらいコマーシャルなしで放送して欲しかったと思います(中国のネットの掲示板でも、この点の不満を感じた人の書き込みがありました)。

○やっぱりマラソン選手は速い

 今回のコースは、天安門前→天壇公園→天安門前→西単→中関村→北京大学キャンパス→清華大学キャンパス→国家スタジアム(鳥の巣)というコースでした。ほとんど知っているところばかりだったのですが、改めてマラソン選手の速さに驚きました。天安門は北京市街地のど真ん中、北京大学・清華大学は北京市街地の北西のはずれで、車で移動する場合でも「相当に遠い」と感じる場所です。平日の夕方だったら、同じコースを車で移動したとすると(もっとも天壇公園の中には車は入れませんが)、2時間半以上掛かる可能性が高いと思います。

○思ったより選手の近くで一般観客が選手を見られた、と感じた

 天安門前広場あたりにいた人たちは、限られた「選ばれた者」であって「一般観客」ではないと思いますが、天壇公園から永定門へ向かうまでの間や中関村あたりでは、明らかに「一般観客」と思える人たちが、私の予想よりは近くまで来て、選手を応援していました。警備担当者が10メートル間隔に1人程度いる、といったことは、私としては「想定の範囲内」でしたので気にはなりませんでした。私は沿道もかなり遠くのところまで警備担当者によって立ち入り制限がなされ、テレビの画面に「一般観客」が映らないくらいなのじゃないか、と思っていました。天安門前広場などは、その予想通りでしたが、中関村あたりでは、白い柵やテープで観客が飛び出さないように仕切られてはいましたが、選手の走るコースの割と近くに「一般観客」が近寄れる場所があったなぁ、というのが私の感想です。テレビの画面にも「一般観客」が随分たくさん映りました。

 天安門前広場周辺にいたのは「選ばれた人たち」(別の言い方をすれば「サクラの観客」)だと思いますが、中関村あたりにいたのは、サクラじゃないと私は思います。

 なお、北京大学と清華大学のキャンパスの中にもたくさんの応援団がいましたが、キャンパスの中にいたのは学生や大学関係者で「一般観客」ではないと思います(たぶん大学のキャンパス内には大学と関係のない「一般客」は入れなかったと思うので)。

○あんまり「北京観光案内」にはならなかった

 北京市内の観光スポットをつなげたようなマラソンのコースを見て「これはテレビ中継は、選手を撮す、というよりは『北京観光案内』になるのじゃないかなぁ。」と思っていましたが、そうはなりませんでした。極めてまじめなマラソンの試合の中継でした。

 ポイント、ポイントで有名な建物などの紹介映像はありましたが、中南海(中国共産党本部)の前などは、ほとんど知らないうちに過ぎてしまった感じですし、北京大学、清華大学に入る時も、大学名の入った門を撮したり、由緒ある建物を撮したり、といった工夫はあまりやっていませんでした。上に書いたように中央電視台では最初の30分間は中継をやっていなかったので、天壇公園の中でどういうアングルで映像を撮っていたのか、私は見られなかったのが残念です(天安門や故宮もそうですが、天壇公園もユネスコの「世界遺産」の一部です)。

------------

 なお、今日の女子マラソンの試合の際は、大気汚染は心配したほどではなかったと私は思うのですが、国家環境保護部のホームページの「重点都市大気汚染指数」のページには、今日(8月17日)はデータが載っていません。基本的には、毎日午後には、その日の大気汚染指数がこのホームページ上で公開されるのですが、時々、ページにデータが載らなかったり、最新のデータに更新されなかったりすることが起きます。オリンピック期間中は確実に毎日ホームページ上のデータは更新されるだろう、と思っていたのですが、今日はダメでした。普通、何日かすると、過去の分も含めて一括してデータが更新されるので、数日たてば今日の大気汚染指数も見られるようになると思います。私の感覚では、今日の大気汚染指数は40台~50台程度だったのではないかと思います

※私の感覚では、視界は問題なかったのですが、ちょっと自動車の排ガスのようなにおいがあったので、少ないけれども一定の汚染はあったと思います。

| | コメント (0)

2008年8月16日 (土)

北京オリンピック開会式演出の舞台裏

 8月14日号の「南方周末」(広州で発売されている週刊新聞:北京でも買える)(日本語表記は「南方週末」)に北京オリンピック開会式を担当したいろいろな人に対してインタビューして「裏話」を聞いた特集記事が載っていました。日本の新聞でも紹介されていますが、以下の二人の記事が興味深いと思います。

(参考1)「南方周末」2008年8月14日号記事
「張芸謀監督、二万字に及ぶ話で開幕式の裏話の詳細を語る」
http://www.infzm.com/content/15978

(参考2)「南方周末」2008年8月14日号記事
「陳丹青氏:大きいことは美しいことだ」
http://www.infzm.com/content/15927

 張芸謀監督は、開会式全てを全体的に演出した映画監督です。陳丹青氏は、開会式の前半のアトラクションの「絵巻物」の部分を担当した方です。

 張芸謀監督は「指導者が見に来た時に指導者は何か意見を言ったか。その意見に対してどう対応したか。」と尋ねる南方周末の記者の質問に対してポイントとして以下のように答えています。

・いろんな人がいろんな意見を言いましたよ。いろいろ意見交換しましたけど、今、私とあなたがああでもないこうでもない、と意見を交わしたとしても、それで私があなたに「圧力を掛けた」とは言わないでしょう?

・三人の指導者が来て意見を言って、その意見について私が「その通りだ」と思わなかったとしても、この三人は観衆の中の三人でもあるわけですからね。この三人が「よくない」と言ったら、それは政治的な問題じゃなくて、三人の観衆が「よくない」と感じたってことですからね。彼らが最初に批評した観衆なんですよ。いろんな指導者が何十回となく見に来ましたけど、だいたい三人以上の指導者が変えた方がいい、と言ったら私は変えましたよ。

・指導者たちは国家の状況を知っているし、今の新しい指導者たちは、みんな大学で修士、博士の学歴があり、様々な経歴を持っている人たちですから、あまり時間がない中で、そんなに無茶なことは言いませんよ。

 「敏感な話」「微妙な話」については、こういう持って回った言い方をする人が多いので、私の中国語読解能力では、間違った捉え方をしている可能性がありますが、大体、上記のようなことを言っている、と私は理解しました。

 張芸謀監督は「今の新しい指導者は、みんな大学で修士、博士の学歴があり・・・」と言っていますので、「意見を言った指導者」が中国共産党政治局常務委員9人のうちの何人かであることは、中国の人ならこれを読んだ人はすぐにわかります。日本の新聞等では「政治が演出に介入した」というような報じられ方をしていますが、オリンピックは国家的事業なので、張芸謀監督としては、「スポンサーのお偉いさんが来て意見を言った」というような感覚で受け取ったのではないかと思います。張芸謀監督は北京オリンピック委員会から依頼されて監督を引き受けたわけですから、プロの監督としては、スポンサーの言うことは無視できないことはよくわかっている、ということなんでしょう。

 一方、絵巻物を担当した陳丹青氏の方は、結果的に自分が考えたアイデアがあまり採用されなかったようで、かなり不満げにインタビューに答えています。「指導者が来て言った意見は多かったのか?」という南方周末の記者の問いに対する陳丹青の答のポイントは以下のとおりです。

・中南海(中国共産党本部のある場所)の人が二回来た。最初は去年の初春で、二回目は今年7月16日のドレス・リハーサル(本番と同じ衣裳を着て行う最終的な段階のリハーサル)の時だった。たくさん意見を言って、改めなくちゃいけない、と言っていた。

・(「あなたは芸術監督であり、使用する絵画を選択する責任者として、あなたの意見は最終的に採用されましたか?」との問いに対し)あれ? 私が芸術監督だって? それは全く違う。私には決定権はなかった。私が選んだ絵画の9割は採用されなかった。二人の副監督の提案も7~8割は採用されなかったようだ。張芸謀監督がいくつボツにしたのかは知らないが、彼が自分で決めていた。

 陳丹青氏は、国家指導者の意見で自分が選んだ絵の多くが採用されなかった、とは言っていませんが、結果的に自分の意見が通らなかった部分が多かったようで、このインタビューからはかなり陳丹青氏の不満気な感情が読みとれます。

 オリンピックの開会式は、北京オリンピック委員会が依頼して製作するイベントであり、自主制作映画ではないので、制作者は依頼主の意向を反映しなければならない、制作者と依頼主の意向が異なっていた場合、制作者には不満が残る、ということはあり得る話なのだと思います。問題は、張芸謀監督や陳丹青氏に意見を言った「指導者」というのが、依頼者と言えるのか、というところがひとつのポイントだと思います。しかし、中国は、憲法で「中国共産党の指導」が謳われていますから、北京オリンピック委員会も中国共産党の指導下にあるわけですので、中国の場合、中国共産党の指導者の要請は、即ち依頼主たる北京オリンピック委員会の要請、と言ってもいいのでしょう。

 前にも言ったことがありますが、「南方周末」は中国の新聞の中では異色の鋭いツッコミを見せる新聞です(だからこそ、広州で発行されているのに北京でも売れるのです)。「南方周末」の記者は陳丹青氏に対して「『絵巻物』の(中国の古代の歴史を表現した)前半部分は素晴らしかったと思うが、後半部分は春節(旧正月)前日のテレビのバラエティー・ショー(日本でいうと「紅白歌合戦」に相当する)みたいだった、という人もいるがどう思うか。」と鋭い質問を放っています。それに対して、陳丹青氏は次のように答えています。

 「じゃ。後半は何を表現すればよかったわけ? 革命? チベット鉄道建設の難しさを表現する? 三峡ダムプロジェクト? 人工衛星打ち上げ? 改革開放? ここ百年来の中国の歴史って、みんな西洋から入って来たものじゃないか。開会式イベントは歴史の授業じゃないんだ。」

 かなり感情的な答になっていますが、自分が表現したいものが表現できなかったいらだたしさのようなものを感じました。

 これらのインタビューはかなり長いので、私も全てを熟読したわけではありませんが、北京オリンピックの開会式が歴史的なものだとしたら、その「裏話」もまた歴史的なものだと思います。そして、ここで紹介した二人の表現者は、このインタビューにおいても、今の時点で自分たちが言える範囲の方法で、自分の言いたいことを可能な限り表現しています。今、中国はいろいろ問題を抱えて、それをどう扱おうか、と多くの人が悩んでいます。私は20年前と全然進歩していないところもある、とこのブログで何回も書いてきました。こういった大きなイベントのアトラクションに対して「中南海」の人が来ていろいろ「指導」する、というのも、「全然進歩していない部分」のひとつだと思います。

 しかし、明らかに20年前と違うのは、上で紹介した才能あるエネルギッシュな表現者が、現在自分に許されている範囲で思い切り表現し、ある時は怒りをぶつけ、それを受け止める「南方周末」のようなメディアが存在し、例えそれが広州で発行された新聞であろうとも、1部3元(約45円)という中国の新聞としてはかなりな高額だったとしても、そういった新聞を北京の市民が気軽に買える、ということです。これは20年前にはなかったことです。

 北京オリンピックについては「中国で開くのはまだ早かった」という人がいますが、私はそうは思いません。北京オリンピックを開催することを通じて、中国の多くの人が多くのことに思いを寄せ、いろいろなことを感じ、それが中国の歴史を前に進めるための大きなきっかけになることは間違いないからです。

 今回の「南方周末」に載った「北京オリンピック開会式の裏話」に関するインタビュー記事は、こういった記事が載った新聞が北京の街で売られていた、それを私は買って読んだ、という記録を残しておく価値がある、と思ったので、このブログに書くことにしました。先ほど、野球の星野ジャパンが韓国に逆転負けし、陸上男子100mでジャマイカのボルトが9秒69で他の選手を全く寄せ付けず喜びを表現しながらゴールしたのをテレビで横目で見ながら、今日の記事は書きました。この北京オリンピックの日々は、後から振り返ると、いろいろなことが凝縮された日々だったと思い起こすことになるだろうと思っています。

| | コメント (0)

2008年8月14日 (木)

地下鉄運転時間延長と飛行機便遅延時の措置

 今日(8月14日)の北京は、午後から激しい雷雲が通過してかなりまとまった量の雨が降りました。あまり雨の激しいと北京市の道路の環状線の中には、立体交差のところで下をくぐる方の道路の排水が追い付かず、道路が冠水してしまうことがあるのですが、今日は大丈夫だったのでしょうか(仮に冠水していたとしても、こういう情報はラジオの交通情報専門局では報道するけれども、普通のテレビでは伝えないので、明日の朝、新聞を見るまで知らなかった、ということが結構あります)。ただ、雨が降ったので、2~3日は空気の汚染について心配する必要はなさそうです(マラソンは17日(日)なので、それまでに大気汚染が戻ってきてしまう可能性はありますが)。

 今日の新聞でちょっと興味深かったニュースは次の二つです。

(1)地下鉄の終電の時間を遅らせることを決定

(参考1)「新京報」2008年8月14日付け記事
「北京地下鉄、最終電車の運転時間を延長」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/08-14/008@025636.htm

 皆さんお気づきのように、北京オリンピックの試合の時間は、ヨーロッパやアメリカのテレビ局からの要請により、北京の日常生活の時間帯からすると、かなり変則的な時間帯に設定されています。午前中に試合があり、午後しばらくお休みがあって、北京時間の午後6時頃から順次試合をやって、球技などでは午後9時以降に開始するものがあります。一昨日のバレーボールの試合では、試合が終わったのは夜中の12時を過ぎていました。試合の終了時刻が遅いと、観客の帰りの足が心配です。そのため、北京市当局では、地下鉄の運転時間を延長し、路線によっては終電を通常より1時間以上遅くする措置を8月10日から始めたのだそうです。

 で、面白いのは、既に8月10日から実際は行われていた運転延長措置について新聞に載ったのが今日(8月14日)だ、ということです。8月10日以降、正式な発表はしなかったけれども、実行ベースで終電の遅延措置を講じていた、ということです。さらに競技が始まった8月9日からではなく8月10日から、というのも「面白い」ところです。たぶん8月9日の夜、試合が終わったのが遅くなって終電に間に合わなくなった人たちから苦情が出たので8月10日から終電を遅らせたのだと思います。

 この辺は、非常に中国的な特徴が出ていると思います。試合開始時間が遅いことは最初からわかっていたわけですから、本来ならば、オリンピック開始前に「オリンピック期間中は終電を遅くします」と決めて発表しておくべきだったのでしょう。苦情が出てから変える、というのは、良く言えば「柔軟性がある」、悪く言えば「計画性がなく泥縄式だ」ということになります。終電を遅らせることを決めても、そのことを新聞に発表しない、というのも、また中国らしいところです。規則上は終電は23:30なのだけれども、実際は地下鉄はそれより遅くまで走っていた、という状況が3日ほど続いていたわけです。「規則ではAにしなければならないのだけれども、現実にはBで行われている。だから現場に実際に行ってみないと、AなのかBなのかわからない。」ということは中国ではよくあることです。

(2)中国民航局による航空便遅延時の乗客支援に関する通知

(参考2)「新京報」2008年8月14日付け記事
「飛行機便が遅延した時には食事やホテルは無料で提供される」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/08-14/008@025638.htm

 通常、機体の故障など航空会社に責任がある理由で飛行機便が遅れたときは、乗客への便宜供与の責任は航空会社にありますが、天候等の航空会社の責任ではない理由で飛行機便が遅れたときは、航空会社は乗客の乗り換え便の手配や食事・宿泊先の手配等を行う義務はありません。ところが中国民航局は、13日、「オリンピック及びパラリンピック期間中は、飛行機の運航が遅れた時は、その理由に係わらず(遅延の理由が航空会社に責任がない天候上の理由であったとしても)、航空会社は乗客に対して、ほかの便への乗り換え、食事や宿泊先の提供等のサービスを無料で行わなければならない。」との通知を出した、とのことです。

 上記の「新京報」の記事によれば、中国民航局のこれまでの規定では「中国民用航空、手荷物国内運輸規則」の規定に基づき、天気等の不可抗力が原因の場合は、航空会社は乗客の食事や宿泊の手配を援助することとするが、その費用は乗客が自ら負担することとする、と規定されていたことから、今回の中国民航局の通知は、これまでの規定と明らかに異なるものなのだそうです。これは、オリンピック期間中、天候等による飛行機便の遅れにより、多くの乗客が空港に足止めになる事態を避けるためだ、とのことです。

 夏は雷雨などの影響で飛行機便が遅れることは結構あるのですが、そうしたとき、空港に大勢の人が足止めされて、空港で一夜を明かす、というような事態が生じた場合、テロ対策など乗客の安全確保の観点から好ましくないので、航空会社の責任で空港に多くの人が滞留するようなことがないようにせよ、という指示なのだと思います。これもまたオリンピックが始まってから出された指示で、いかにも「泥縄的」ですが、おそらくこれは最近発生している新疆ウィグル自治区でのテロと見られる事件などを受けて、テロなどの不測の事態を防止するために急きょ決められた決定なのだと思います。

 それにしても、中国民航局が自ら作った規定を変更するような通知を出し、それを曲がりなりにも「民間会社」である航空会社に守らせる、というような事態は通常の資本主義の国ではあり得ない話です。中国の航空会社は、株の多くはまだ国有だと思いますが、形式上は国とは独立した企業体であり、一部の株は公開されていますから、航空会社の収益は一般株主の利益にも直結します。そういった企業体の権利・義務に直接影響を及ぼす通知を、全人代(国会に相当)のような機関の決定を経ずに、中国民航局という政府機関の「鶴の一声」で決めてしまう、というところが、かなり「市場経済化」されたとは言え、中国の企業は政府の方針でどうにでもなることを示すようなできごとでした。

 上記の地下鉄の終電時刻を遅らせることや飛行機便が遅れたときの航空会社の責任を拡大させることなど、オリンピックが始まってから、やり方や規則を変える、というのは、オリンピックという今まで経験したことのないイベントに対して柔軟性を持って対応している、とプラスに見ることもできるでしょうし、予想していなかった事態に直面して右往左往して対応している、とマイナスに見ることもできるでしょう。日本の人の多くは、事前に予測すべきことは事前に予測して、きちんと対策を取って置かないとダメだ、と考えますが、中国の人の多くは、事態はどうなるか全てを事前に予測することは無理なのだから、実際やってみて、不都合があったらその都度やり方を変えればよいのだ、と柔軟な考え方をします。従って、中国の多くの人は、今回ようなオリンピックが始まってからの規則の変更は、別におかしな話だとは思っていないと思います。むしろ困った事態が生じたのに何も変更しないのだったら、その方がおかしい、と考えると思います。

 こういう融通無碍(ゆうづうむげ)で、その場その場で状況に応じて対応することに慣れている中国の人の方が、全てを事前にきちっと準備しておかないと気が済まない日本人よりも、事態対応能力は高いと思います。今回のオリンピックを見ていてつくづく思うのは、いつもとちょっと違う状況が突然出てきた時に、それでも平然としていつもと同じように試合ができる人の方がよい成績を残しているということです。ちょっと違う状況に遭遇して、それにどう対応しようか、とあわてている人は、力を発揮する前に敗れてしまっているように思います。

 規則が決まっているのに、現実の事態に応じて柔軟にその規則も変えて運用してしまう、ということが多い中国では、規則を踏まえてきちんと準備している日本人などは「えっどうして? そんなはずはないのに!」と頭を抱える場面が多いのですが、そういう場面でも平然と「よくあること」と受け流している中国人の方が結局は力を十分に発揮できるのだと思います。今回の地下鉄の終電変更と飛行機便遅れに対する対応では、そういった「いいかげんさ」と「柔軟性」が同居する中国の強さ(したたかさ)を見たような気がしました。

| | コメント (0)

2008年8月13日 (水)

足跡花火の合成映像と微笑み美少女の口パク

 私も中国に通算3年以上いるので、たいていのことには「ホントかなぁ。これにはウラがあるんじゃないかなぁ」と疑うクセが付いているのいるのですが、8日に行われた北京オリンピック開会式の下記の二つの件については、全く疑っておらず「コロッとだまされ」ました。

 日本でも報道されているので、御存じと思いますが、8月12日、開会式の「裏話」として、次の2つ事情が明らかにされました。この二つとも開会式の様子を書き留めておいた私のブログの記事にも登場するので、下記の私のブログの記事も適宜参照しながら、以下をお読みください。

(参考1)このブログの2008年8月9日付け記事
「北京のテレビで見たオリンピック開会式」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/08/post_c1a7.html

(1)開会式の開始を告げる花火として、南の永定門、前門、天安門、故宮から北京市の北にあるオリンピック・スタジアムへ向けて移動するように打ち上げられた「足跡形の花火」のテレビ中継の映像では、事前に撮影した花火を現場の生中継の映像に重ね合わせた合成映像が使われた

 開会式の開始の時、実際に永定門、前門、天安門、故宮内などから足跡形の花火が打ち上げられたのは事実だそうですが、この花火をヘリコプターで空撮する場合、北京市街地上空を飛ぶヘリコプターの安全確保を図らなければならないので、理想的な撮影角度を確保することが難しく、一部の「足跡花火」については、事前に撮影してあった足形花火の映像をヘリコプターから撮った生の北京の街の夜景の上に合成して映像を流した、とのことです。

 これは北京オリンピック委員会スポークスマンの王偉氏が12日に記者会見説明したものです。王偉氏は「よい演出効果を確保するため」とその理由を説明したとのことです。

(参考2)「新京報」2008年8月13日付け記事
「多くのオリンピック会場では入客率が7割以上に達している」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/08-13/008@023732.htm

(注)この記事の見出しに関する説明:
 上記の「新京報」の記事では、この日の記者会見で北京オリンピック委員会は、8月11日(月)の北京の18か所の試合会場の入場者率は、90%以上が2か所、80%以上が6か所、70%以上が8か所、残りの2か所も60%以上である、という数字を紹介しています。おそらくは、チケットは完売したと伝えられているのに対し、テレビ画面などを見ると結構空席が目立つことから、この点に対して記者が質問したのに対して北京オリンピック委員会が答えたものと思われます。試合会場に空席が見られることについては、オリンピック関係機関(スポンサーなど)が購入したチケットについて、予選などではお客が実際には来なかった可能性があることや、一部の球技では2試合セットの入場券になっているので、自分が興味のある試合だけを見た客がいたためではないか、と北京オリンピック委員会では説明しています。

(2)国旗入場の時に革命歌「歌唱祖国」を歌っていたかわいらしい女の子は実は口パクだった

 開会式の時、中国の国旗(五星紅旗)がスタジアムに入場し掲揚ポールのところまで移動する間に歌われていた革命歌「歌唱祖国」を歌っていたのはかわいらしい女の子でした。この「歌唱祖国」という歌は行進曲ふうの勇ましい曲で「我らの指導者・毛沢東は、我らの行く先を導く・・・」といった歌詞も含まれている革命を讃える歌です。中華人民共和国の国旗の入場の場面で使う歌としては最もマッチした曲だと私も思いますが、普通の調子で演奏すると、軍隊の行進みたいな感じになり、かなり堅苦しい感じになってしまいます。そこでかわいらしい女の子にこの歌を歌わせて、五星紅旗は少数民族の衣装を着たこどもたちによって運ばれました。こういった柔らかい演出は、私は演出家の大金星だと思っていました。

(参考3)「新京報」2008年8月9日付け記事
「非常に中国的な歌」
http://www.thebeijingnews.com/news/xatk/2008/08-09/008@101800.htm

 この場面には、多くの人々が感激したようで、中国国内のネット上でもこの女の子は大人気になりました。「歌唱祖国」を歌っていたのは、林妙可ちゃんという9歳の北京の小学三年生でした。彼女は歌っている間中微笑みを絶やさなかったことから「微笑み天使」と呼ばれるようになりました。ネット上では、林妙可ちゃんのファンクラブが立ち上がり、林妙可ちゃんのファンは「妙族」(少数民族の「苗(ミャオ)族」と発音が同じことから来た一種のシャレ)と呼ばれるようになりました。海外でも評判で、8月9日付けのニューヨーク・タイムズの1面トップには林妙可ちゃんの写真が載ったとのことです。中国の最も権威ある英字紙チャイナ・ディリーや「人民日報」ホームページ上の記事も、一夜にして「国民的人気者」になったこの林妙可ちゃんについて報じています。

(参考4)「チャイナ・ディリー」2008年8月12日付け記事
「かわいい歌手が国中の心を射止める」
http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2008-08/12/content_6926550.htm

(参考5)「人民日報」ホームページ写真ジャーナルのページ
2008年8月12日18:27アップ記事(「武漢晩報」の記事を紹介する形の記事)
「新しい『秘密の少女』、ニューヨークタイムズの1面トップに登場」
http://pic.people.com.cn/GB/1099/7655010.html

 ところが、日本のネット上のニュース等の報道に見たところ、8月12日にアップされた「中国新聞網」が伝えたところによれば、開会式で「歌唱祖国」を歌っていたのは、林妙可ちゃんではなく、全く別の楊沛宜ちゃんという7歳(小学校1年生)の女の子だったとのことです。会場に流れていたのは舞台裏で歌っていた楊沛宜ちゃんの声で、スポットライトを浴びていた林妙可ちゃんは、歌に合わせて口をパクパクさせていた、とのことです。これは開会式の音楽監督をやった陳其鋼氏が明らかにしたとのことです。陳其鋼氏によると、この入れ替えは「楊沛宜ちゃんは外見上の原因で落選したので、国家利益のために行った」とのことです。

 このニュースは「中国新聞網」(中国のネットニュースでも正当派のニュースサイトのひとつです)に掲載されたことから、瞬く間に全世界のメディアで報じられました。ところが、8月13日の中国の新聞では、この「口パク」の件について全く報じていません。また、そもそもの情報の発信源を直接見ようと思って「中国新聞網」のサイトにアクセスしてみましたが、「中国新聞網」のサイト上にある8月12日付け記事のリストには、本件ニュースは載っていません。検索サイトで、このニュースを検索するとヒットしますが、検索結果をクリックしても真っ白の画面が出るだけで何も出ません。外国のメディアが本件を報じて以降、「中国新聞網」上にあったもともとの記事は削除されてしまった模様です。

 ところが、私が見た時点では、検索サイトの「キャッシュ」(検索サイトが各ページの情報を得た時に一時的にその内容を記憶しておくエリア)には、まだこの「中国新聞網」の記事は残っていたので、私はその記事を読むことができました(この記事がアップされたのは2008年8月12日10:05です)。

 この「中国新聞網」の記事には、楊沛宜ちゃんと林妙可ちゃんの両方の写真が掲載されています。BBC中国語サイトがこの写真も含めて「中国新聞網」サイトの記事を紹介していますので、写真を御覧になりたい方はBBC中国語サイトを御覧ください。

(参考6)BBC中国語サイト2008年8月12日北京時間23:28記事
「オリンピック開幕式で偽装、女の子のスターは口パクだった」
http://news.bbc.co.uk/chinese/simp/hi/newsid_7550000/newsid_7556900/7556933.stm

※BBCサイトのニュースは一定の時間が経つと自動的に削除される可能性があります。

 写真を見ればすぐわかりますが、楊沛宜ちゃんは、ごくごく普通の女の子で「外見の点で落選したので」と言われるのはかわいそうだと思います。

 林妙可ちゃんの「口パク」については、テレビを生で見ていた人の中にも「あ、これは口パクだ」と気が付いた人がいたようです。ただ、気が付いた人でも「これだけの大舞台で小さな女の子が緊張して歌えなくなると困るから、前もって録音しておいたものを流して、それに合わせて口を合わせたのだろう。そういうやり方はあり得る話だ。」と考えていたようです。しかし、歌っていたのは実は別人だった、ということを聞くと、普通の人はみんなびっくりします。2006年のトリノ冬季オリンピックの開会式でも、著名なテノール歌手・パパロッティさんが自分の声を事前に録音しておいて、本番の開会式では「口パク」をやっていたことが後で明らかになったのだそうですが、これは本人の声を自分の意志で使ったものであり、こういった手法は多くのイベントで時々行われる演出だと思います。しかし、全然別人の歌に合わせて「口パク」をやるのは、演出ではなく「だまし」だと受け止めれてもしかたがないと思います。

 この件については、中国のネット上でも、相当に議論が沸騰しているようです。先頃、6月20日に胡錦濤主席本人が登場して中国のネットワーカーを驚かせた最も有名な掲示板のひとつ「人民日報」ホームページ上にある「強国論壇」でも、この件に関する意見が載っています(ただし、話題になっている割には掲載されている発言の数が少なすぎるので、かなりの数の発言が削除されている可能性があります)。

 削除されずに残っている発言にも、かなり強烈なものがあります。一番多いのは「この演出は、片方の女の子に『歌はうまくない』と言い、もう片方の女の子に『外見があまりよくない』と言っているのに等しく、二人の女の子に対する侮辱だ」として、この演出を非難し、二人の女の子の気持ちを思いやる意見です。このほかにも「ありえない。もし本当に『口パク』をやっていたのならば、全世界の観衆をだましたことになるんじゃない?」「『国家の見せかけ上の姿』をごまかして作ったとしても、そんな国家はすぐに終わってしまう!」「口パクをやらせるのが国家利益のためですって? 話にならない。こんなのはニセ『国家利益』で、実際は全く逆効果だ!」といった意見が出ています。

※ネット上の掲示板の発言は、日本で言えば「2チャンネルに載っているような見るに耐えないものも多いので、いつもは私はあまり掲示板の発言は紹介したくないと思っているのですが、今回は、中国の名誉のために、あえて、このように極めて常識的な発言も数多く掲載されているのだ、ということを紹介させていただきました。

 ところで、この「林妙可ちゃんは口パクだった」というニュースに関して、現在、下記のように非常に奇妙なことが起こっています。

○「口パクだった」との情報の発信源である「中国新聞網」の記事が削除されてネット上から消えている。

○本件は多くの人が関心を持つ事項であると思われるのに8月13日付けの「新京報」や「京華時報」といった大衆紙が「口パクだった」件について一切報じていない(というか、中国のメディアで「口パク」を報じている新聞を私はまだ見つけられていない)。

○にもかかわらず人民日報ホームページ上の掲示板「強国論壇」には、「中国新聞網」の記事が転載され、それに対する意見の書き込みが今も行われ、削除されずに今でも残っている(当局の指示によって「中国新聞網」のニュースが削除されているのだとしたら、人民日報ホームページの「強国論壇」のような目立つ掲示板にそのニュースを転載する記事が削除されずに残っているのはおかしい)。

 (1)の「テレビで放映された『足跡花火』の一部は合成画面だった」という話は、最初は「だまされた」と思いましたが、「テレビによるショーの見せ方のひとつだ」と言われれば「そうかなぁ」と思えて、それなりに納得できるものでした。でも、(2)の「微笑み美少女は『口パク』だった」という話は私にとってはちょっとショックで、これは「演出」の枠を超えている、と私は感じました。前者については中国のメディアでもきちんと報道されているのに対し、後者については報じられていない(しかし掲示板上からは抹殺はされていない)のは、後者に対しては、中国国内でもいろいろな人がいろいろな印象を受け、結構ショックが大きく、情報管理当局の側でも対応方針が統一されていないからではないか、と思います。

 これらは開会式の単なる「演出」の話であって、世の中の大勢に影響のあるような話でなく、議論する値打ちはない、という考え方もありますが、国際社会に与える中国という国のイメージという点では、私は結構重要な話だと思っています。従って、後者の「口パク」の方が中国の(ネットの掲示板などではない)正式のメディアで報道されていないことにより、この件に関してきちんとした議論が行われないのだとしたら非常に残念なことだと思います。また、元のニュース源がネット上から消され、新聞などでは報じられていない、ということは、「ウラに何かさらに深い理由があるのではないか」といったいつもの「勘ぐりクセ」が出てきてしまいます。

(以下、2008年8月13日23:50追記)

 上記に「中国のメディアで『口パク』を報じている新聞を私はまだ見つけられていない」と書きましたが、広州で発行されている「信息時報」という大衆紙の8月13日付けの紙面に、この件について、独自に取材して書いた記事が掲載されているのを見付けました。この記事には、林妙可ちゃんと楊沛宜ちゃんの二人の写真も掲載されています。

(参考7)「信息時報」2008年8月13日付けオリンピック特集ページT17面記事
「一人が幕の前で顔を出し、一人が幕の後ろで声で貢献した」
http://informationtimes.dayoo.com/html/2008-08/13/content_287977.htm

 このように中国国内でもちゃんと報道されているのだとすると、「中国新聞網」の記事が削除され、北京の新聞が何も書かないのはなぜなのか、ますます理由がわからなくなってしまいました。

| | コメント (6)

メダル・ラッシュ報道の裏の不気味な地鳴り

 オリンピックが始まってから、電子メールなどで中国国内旅行の宣伝がよく入るようになりました。「航空賃が安くなりましたので、著名観光地宿泊パックでたった○○○○元!」とか、「観光地近くの豪華ホテル、1泊△△△元で提供しております。御利用ください。」といった調子です。実際ネット上の航空会社の中国激安国内運賃の欄には16%、17%の激安チケットなどが載っています(16%引き、17%引きではない)。

 私は6月23日付けのこのブログで6月時点での中国国内航空賃が暴落していることに関連して「7月になってオリンピックが近くなると人の移動が多くなって国内航空賃も高くなると思うので、今の状況は一時的な現象だと思いますが・・・」と書きました。

(参考1)このブログの2008年6月23日付け記事
「中国国内航空:便によっては激安?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/06/post_2490.html

 しかし、この中国国内航空賃激安状態は、オリンピックが始まった今も変わっていないようです。というかオリンピック景気の当てが外れた分、さらに国内航空賃は安くなっているのかもしれません。チベット自治区、四川省、新疆ウィグル自治区といった日本の外務省が「渡航の是非検討」以上の渡航情報(危険情報)を出している場所(2008年8月12日現在)は観光客が減ってもやむを得ないかなぁ、と思いますが、上記の「豪華ホテルをお安く提供しております」というのは、上記の渡航情報(危険情報)が出ていない(通常の状態の)場所にあります。中国全土に渡って、旅行者数が減っているのだと思います。

 8月12日夕方に配信された新華社電(英語版)によると、新疆ウィグル自治区の先日武装警察国境警備支部隊が襲撃されて16名が死亡(16名が負傷)したカシュガルの近くで、また、検問に当たっていた警備員3名が何者かに刺殺される事件(1名が負傷)が起きた、とのことです。

(参考2)「新華社」ホームページ英語版2008年8月12日16:32アップ
「新疆ウィグル自治区の道路の検問所で治安要員3人が襲撃されて殺された」
http://news.xinhuanet.com/english/2008-08/12/content_9214741.htm

 上記の新華社の英語の記事は見ることができますが、私は今(8月13日0時過ぎ)の時点では、新華社の中国語のホームページでこのニュースを見つけることができません。中国語の掲示板に「英語版新華社電によれば・・・」という書き出しでこの記事の内容を紹介する書き込みは見付けることができたので、たぶんまだ中国語ではこのニュースは配信していないのだろうと思います。一方、7月末から見ることができるようになったBBCのホームページ中国語版では、上記の新華社電英語版を元にした中国語の記事を見ることができます。たぶん、新華社が既に外国へ向けて配信しているので、中国の明日の朝発売の新聞には、この記事は載るでしょう。

 しかし、国営新華社通信が英語で配信し、外国のテレビ局が既に中国語で伝えているニュースを新華社自身が中国語で自国民に伝えていないこの状況を中国の人々はどう感じているのでしょうか。

 こういった報道のされ方も、対外的に「情報を隠したと言われたくない」という配慮と、自国民に対してはあまり刺激したくない、という複雑で困惑した当局の考え方を表していると思います。それにしても、これだけ立て続けて事件が起こるとさすがにちょっと不安になります。新疆ウィグル自治区は、警備上の重点区域であるはずですが、北京オリンピックの警備のために北京の警備も厳重にしなければならないために、警備の面でも人海戦術を採ることができる中国でも警備の人手が足りなくなっているのでしょうか。

 経済面でもここのところ中国の株価はオリンピックが始まる前には「ご祝儀相場」で少し株価が上がるのではないか、という期待もあったようですが、現実にはそういったものはなく、株価はここのところずっと低下傾向にあります。オリンピック関連の「景気のいい材料」はほぼ出尽くしたので、「オリンピック後」に対する警戒感が一気に出た形になっています。

 今のところ新聞紙面はオリンピック関連の中国のメダル・ラッシュに関する記事ばかりなので、治安面の経済面も「マイナスの話」は新聞紙上では全然目立っていない(ちゃんと報じられてはいる)のですが、「マイナスのニュース」が紙面上目立っていない分だけ逆にちょっと不気味な底流が見えないところで動き出し始めているような気がしてしかたがありません。

| | コメント (0)

2008年8月10日 (日)

テレビ・新聞はオリンピック一色

 中国中央電視台は、普段は経済ニュースをやっている経済チャンネルもオリンピック中継をやっているので、テレビはオリンピック一色という感じです。新聞もほとんどオリンピックの話題一色です。開会式の直後は、人民日報が「号外」を出しましたが、人民日報が「号外」を出したなんて、史上初じゃないかと思います。いずれにせよ、新聞を一杯にするほど、実際、中国の選手が活躍しているので、うらやましい限りです。テレビを見ていても、やっぱり観客の応援というのは選手にパワーを与えるようで、あまり期待されていなかった種目や選手でも、力を発揮している中国の選手は多いように見受けられます。

 大気汚染の方は相変わらずで、8月10日の北京の大気汚染指数は82でした。自転車のロードレースもやったけれども、大気汚染に文句を言う選手や大会関係者もいなかったようなので、「なんとかなった」ということなのでしょう。もっとも「空気の状況がどうの」とか「蒸し暑い」とか何とか文句を言うような人はオリンピックでは勝てないんでしょうね。今日(8月10日)は、夕方から夜に掛けて雷雨が降っているので、明日以降は大気汚染は改善される可能性があります。

 街を歩くと、公安の車がやたらと多いし、とにかく腕に紅い腕章を着けた治安ボランティアが大勢います。大通りだと100メートルにこういったボランティアの人たちが一人立っている感じです。学生さんとか居民委員会(町内会のようなもの)の人なのでしょうが、こういう形で「自分も北京オリンピックの運営に参加した」と実感するのも悪くない、と思っているのではないでしょうか。8月9日に北京の鼓楼で起きたアメリカ人観光客(バレーボール・チームのコーチの親族)殺害事件、8月10日未明に新疆ウィグル自治区クチャで起きた爆弾襲撃事件は、新華社などで伝えられていますが、オリンピック関係記事が圧倒的に多いので、完全に埋没してしまっている感じです。少なくとも、現在、北京にいる人たちは、オリンピックのお祭り気分に酔っている感じなので、北京で治安上の大きな事件が起きるような雰囲気はありません。

 試合の運営も大きなトラブルはなくうまく行っているようです(小さなトラブルはあるのでしょうが、そういうのはあまり報じられないだけかもしれませんけど)。開会式終了後の観客の帰宅輸送も問題なく行われたようで、今日(8月10日)付けの「新京報」によると、開会式に参加した、観客、出演者、ボランティアなど合わせて16万人も、終了後1時間15分で、混乱なく解散したとのことです。

(参考)「新京報」2008年8月10付け記事
「開会式、観衆は75分で解散」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/08-10/008@032103.htm

 こういう記事が載ること自体、開会式が終わった後の観衆の輸送がひとつの「課題」として認識されていたのでしょう。

 上記の記事によると、開会式に参加した16万人のうち7万人がVIP、来賓、選手、メディア及び開会式出演者などの関係者で、これらは専用車で移動し、その他の9万人のうち、観客は4万人、作業担当者とボランティアが5万人で、彼らは公共交通(バスと地下鉄)で移動した、とのことです(8月8日深夜は地下鉄は終夜運転をしていました)。日本のメディアでも報道されていますが、開会式の晩は蒸し暑かったので、570人が暑さのために体調不良を訴えたとのことです(ただし、これは想定の範囲内で、そういう人が出たときのために救急車などが最初から配備さていた)。

 地下鉄の駅に連なる地下街にある「露天」のようなお店は今日は営業していました。開会式のあった8月8日だけ休んでいたようです。外国人観光客らしきお客もたくさんいました。もう立秋も過ぎましたので、北京の暑さもだんだん和らぐ方向へ向かうでしょう。「盛り上がらない」と言われた北京オリンピックですが、少なくとも北京にいる限り、あと2週間は「オリンピック一色」状態が続きそうです。

| | コメント (0)

2008年8月 5日 (火)

新疆・カシュガルでの武装警察襲撃事件

 昨日(8月4日(月))と今日(8月5日(火))、所用で上海の西の郊外へ行っていました。昨日の午前中、北京から上海へ行くときは、晴れているけれども大気汚染のため「肉眼で日食観測ができる」という、北京ではよくある「白い太陽が見える」状況でした。今日は、大気汚染は明らかにありましたが、かなり程度はよくなっていて、この程度ならばオリンピックに差し支えないと思われる程度でした。北京の大気汚染指数は、昨日(8月4日)は83、今日(8月5日)は88でいずれも「良」でした。たぶん、オリンピック期間中はこんな感じが続いて、雨が降った翌日はスカッとしてもっときれいになる(大気汚染指数が50以下の「優」になる)、という感じになるのだと思います。

 ところで、上海は昨日はちょっと大気汚染がある感じでしたが、今日はスカッと晴れて、2週間前に私が日本で見たような青空でした。上海は海に近いので海から風が吹けば汚染が拡散することと、周辺が水郷地帯で水が多く、周辺の農村地帯は水田地帯なので、地理条件としては日本と似ているのだと思います。今回は、上海市の市街地の中心部へは行かなかったので今日の上海中心部の大気汚染がどの程度だったのかはよくわからないのですが、上海と北京とを比べると、北京は内陸部にあり周囲からの汚染が流れ込んでしまうこと、北京の周辺は上海の周辺のような水田地帯ではなく畑作地帯なので周囲の農地が乾燥していて農地から巻上がる「砂塵」の影響があること、という点で、大気汚染については北京は上海よりかなり不利であると感じました。

 上海郊外の水田地帯の緑を見ていると、やはり植物による空気の浄化機能は、私たち人間が考えているよりも大きいのだろうとということも実感しました。植物は、二酸化炭素を吸って、酸素を吐き出しているいるわけですので、その過程で、大気中の汚れもフィルターしてくれるのだと思います。気分的な問題だけでなく、緑の植物の大事さを改めて感じました。

 今日、飛行機が降下してくる時に、機内でサービスで提供されているフライト・データと窓の外を見比べていたのですが、北京でも高度1,000mより上では空気はきれいです。大気汚染によって空気に「かすみ」が入ってくるのは、高度1,000mを切ったあたり以下まで飛行機が降りてきてからです。それを見ても北京における今の時期の「かすみ」の原因は地表面の活動や地表から舞い上がる粉塵であることは間違いないと思います。

 さて、日本でも大きく報道されていますが、昨日(8月4日)北京時間朝8時頃、新疆ウィグル自治区の西の端にある都市・カシュガルで、朝の訓練のために行進していた武装警察国境警備分隊の一群に2人組が載ったトラックが突っ込み、刃物で武装警察官を襲撃するとともに、爆発物を爆発させて、武装警察官16名が死亡、16名が負傷する、という事件がありました。2人組はすぐに逮捕されたとのことです。報道によれば、この二人はウィグル族の男だとのことです。

 このニュースは新華社がすぐに報道し、それを元に外国へも伝えられましたが、中国国内での報道のされ方は極めて限定的でした。昨日泊まったホテルは、中国系のチャンネルのテレビしか放送しなかったので、インターネットで日本のニュースを見るまで、この事件があったことは知りませんでした。

 昨日(8月4日)夜7時からの中国中央電視台の全国放送のニュース「新聞聯播」ではこのニュースは報道しませんでした。私は、昨日は、夜中少し前に香港発のフェニックス・テレビのニュースで見ました。このフェニックス・テレビのニュースでも、映像はなく、現地の記者からの電話レポートでした。

 昨日の「新聞聯播」のトップは、「科学発展の旗を高く掲げて~夏期の食糧は五年連続で増収~我が国の食糧生産は安定的に伸びてきている」というものでした。いくつかの「ニュース」(こういうのを日本の感覚で「ニュース」と呼んでいいのかどうかわかりませんが)のあと、オリンピック特集でオリンピック関係のニュースをやりましたが、カシュガルの事件については全く触れませんでした。武装警察国境分隊が襲撃され、しかも30名以上死傷した、という国家としての大事件だと思うのに、こうした事件に全く触れないで「食糧生産が順調に伸びている」という「ニュース」をトップに持ってくるという中央電視台の感覚は、私が20年前、北京に駐在していたころと全く変わっていません。オリンピック取材のために中国に初めて来た外国の記者たちは、相当の違和感を感じたと思います。

 今朝(8月5日朝)の中国の新聞の扱いも非常に小さいものでした。人民日報では、2面の下の方に6行、事実関係を簡単に伝えるだけの記事が載っていました。

(参考1)「人民日報」2008年6月5日付け2面記事
「新疆ウィグル自治区カシュガルで、重大な警察に対する暴力襲撃事件が発生」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-08/05/content_73450.htm

 「新京報」では、1面にこの事件についての「見出し」は載っているのですが、記事自体は、事実関係のみを伝える120字程度の簡単な新華社電が載っているだけでした。

 テレビの方の中央電視台の「新聞聯播」では、今日(8月5日)は、この事件は取り上げましたが、30分のニュースの終わりの方で、ごく簡単に事実関係を述べた内容をアナウンサーが読み上げただけでした。映像や写真は全くありませんでした。

(参考2)中国中央電視台「新聞聯播」2008年8月5日放送
「新疆ウィグル自治区公安庁、メディアに対してカシュガルの暴力襲撃事件の調査の進展状況について説明」
http://news.cctv.com/xwlb/20080805/129633.shtml

 この「新聞聯播」のニュースでは、現場で見つかった手作りの爆破装置や手作りの銃は、2007年1月に警察に摘発された「東トルキスタン」テロリスト・グループが訓練に使っていた装置と似ていること、押収されたものの中に「聖戦」を掲げる宣伝物があったこと、などが伝えられています。

 この中央電視台のニュースの内容は、下記の新華社が伝えるニュースと全く同じ内容です。

(参考3)「新華社」ホームページ2008年8月5日13:21アップ記事
「新疆ウィグル自治区警察、カシュガルの暴力襲撃事件の最新の進捗状況について説明」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-08/05/content_8967136.htm

 7月21日に起きた雲南省昆明での路線バス連続爆破事件の時は、新華社は次々の新しい情報や現場の写真をネット上に掲載したのですが、今回のカシュガルの事件では、わかった事実を淡々と事実だけをごく簡単に伝えていますが、現場の写真等については、新華社のホームページでは見ることができません。昆明のバス爆破事件の時とは、明らかに扱いが違います。「隠さずに事実を迅速に伝える」という最低限のことはやっていますが、昆明の事件に比べると、このカシュガルの事件は相当に慎重に扱っている感じを受けます。オリンピックの開幕直前で「あまりコトを荒立てたくない」という気持ちもあるのだと思います。襲撃されたのが武装警察の部隊で、新華社といえども、自由に取材し報道できる相手ではなかった、というのも原因かもしません。

 この事件については、今日(8月5日)のNHKテレビでは、事件直後に旅行客が映した写真を報じるとともに、現場に入ったNHKのカメラマンによる映像を流していました。つまり、中国国内にいても、中国のメディアでは全く伝えられていない映像をNHKで見ることができる、という状況です。

 なお、この事件を取材していた日本などの記者が現地の武装警察から暴行を受け、一時身柄を拘束された、とのことですが、この点に関して、現地の武装警察は今日(8月5日)、暴行を受けた日本の記者らに謝罪した、とのことです。この記者に対する暴行や拘束は「突発事件の発生等にあたっても外国の記者には自由に取材させよ」という中央の指示が、現場の末端まで行き届いていなかったことによるできごとだと思います。NHKの番組「激流中国」でも何回か出てきましたが、地元の警察の意向に逆らって報道陣が取材することは、中国では本当の意味での「身の危険」を感じるのが普通です。そういった中国において、オリンピックを契機にして最近急に中央が言い出した「突発事件では外国メディアに自由に取材させよ」という方針は、たぶん現場には、とまどいと反発をもたらしていると思います。

 日本などの記者が武装警察から暴行を受けて一時身柄を拘束されたこと、それに対して武装警察側が謝罪したことについては、中国のメディアは報道していません。ただし、先日、アクセス規制が解除されて見られるようになったBBCの中国語サイトには載っていますので、インターネットを見られる中国の人ならば、この情報は今は誰でも見られるようになっています。

 こういった状況が続くと、多くの中国の人は「なぜBBCのサイトにはこれだけ情報が載っているのに、中国の新聞やテレビや新華社のネットには詳しい情報が載らないのか。」といった不満や不信感がますます強くなると思います。

 3月、4月のオリンピック聖火リレーが諸外国でいろいろ妨害を受けていた頃は、中国のメディアが「西側メディアは偏向している」というキャンペーンを張ってそれが一定の効果を上げました(一部、フランス系スーパーマーケット「カルフール」に対する不買運動など「行き過ぎ」の行為も産みましたが)。しかし、オリンピックが始まり様々な情報が飛び交うようになると、「西側のメディアが不自然に事実を歪曲しているのか」「中国のメディアが不自然に情報をコントロールしているのか」のどちらなのかについては、中国の人々もわかってくると思います。(その兆しが見えたのが、6月28日に起きた貴州甕安県の群衆による暴動事件に関する新華社などの公式報道に対する掲示板でのネットワーカーたちの批判でした)。

(参考4)このブログの2008年7月3日付け記事
「貴州省甕安県の暴動事件の真相」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/07/post_ef2a.html

 カシュガルで起きた武装警察に対する襲撃事件は、明らかにオリンピックで世界の注目が中国に集まった時期を狙った意図的な反社会的行為だと思います。これについては、中国の人々はもちろん、世界の人々が非難の声を上げています。これをきちんと報道することによって、中国の人々も世界の人々も、みんな声を揃えて「反テロリズム」「テロに負けずにオリンピックを成功させよう」という気持ちになると思います。それであれば、今回のカシュガルの事件について中国は報道をコントロールする理由は全くないはずです(むしろ情報をコントロールすることは中国にとって全くのマイナス効果しかもたらさない)。

 新疆ウィグル自治区の公安当局としては、「事件を起こしてはならない時期に事件を起こしてしまった」ということで自分たちの「失点」だと思っているのかもしれませんが、そういう「失点」を隠そうとする態度は、昔から「官僚主義」として批判されてきました。(例えば、1987年に起きた中国東北地方の大興安嶺の森林火災では、火災発生当初、地元当局が自力で消火しようとして中央に報告せず、大火災に発展させてしまったことがありました。この時の地元当局の対応は「官僚主義」として激しく批判されました)。オリンピックを機会に、こうした長年にわたって改善されないできた「失点を隠そうとする各地方の風潮」が少しでも改善できればよいと思います。そう思うのだったら、新華社や人民日報など、中国をリードする報道機関は、もっと積極的にこのカシュガルの事件についても積極的に報道すべきだと私は思います。

 このカシュガルの事件をきっかけに、北京などでは警備体制がまた一段と強化されたようですが、こういったテロ活動をきちんと報道することにより、市民も「テロ防止のためならば警備の強化は当然である。むしろ自分たちも積極的に協力したい。」と思うようになると思います。

 今日(8月4日)、上海の西郊外→上海空港→北京空港→北京市内と移動しましたが、上海の西郊外から上海市内へ向かう時には高速道路に入るところでに警察官に車を止められてチェックされましたし、上海空港でも、空港に入る時と、飛行機に乗る時の2回チェックがありました。飛行機に乗るときの保安検査はいつもありますが、今日は特にチェックが厳しかったように思います。パソコンは開いて見せなければならないし、バックの中も開けられて、何回もレントゲン装置を通されました。北京市内でも、主要な道路には、数十メートルおきに警官が立っている、という感じで、警備の厳しさを感じました。

 何はともあれ、これ以上、何事もなく、無事にオリンピックが終わればよいなぁ、と思います。

| | コメント (0)

2008年8月 3日 (日)

「張りボテ」の街

 今日(2008年8月3日:オリンピック開幕まであと5日)の北京は、朝から雲ひとつない快晴でした。今日(8月3日)の北京の大気汚染指数は35で、3日連続で50以下の「優」となりました。ただ、午後になってだんだんと汚染が戻ってきた感じで、ややかすんだ感じが強くなってきたので、明日(8月4日)の大気汚染係数はたぶん60~70程度になるでしょう。それでもまだ昼間は太陽を見ると「まぶしくて正視できない」という状況なので、「昼間、肉眼で日食観測ができる」状態の日が多いいつもに比べれば、大気汚染はかなり改善されているのは間違いないと思います。ただ、雨が降らないと大気中の汚染が蓄積されていってしまうので、開会式の8月8日に空気が澄んだ感じになるためには、もう一回くらい雨が降って汚染を洗い流してもらった方がいいと思います。

 昨日(8月2日)、開会式の2回目の「ドレス・リハーサル」がありました。8月1日には、北京-天津間の高速鉄道(最高時速350km)も開業しました。オリンピックの準備は万端整った、という感じです。北京の街の上空をヘリコプターなどが飛ぶことは普段は滅多にないのですが、ここ数日間は、結構、上空を飛んでいるヘリコプターの音を聞きます。上空からの警戒も強めている模様です。

 この週末から、街に「ボランティア・ステーション」が店開きし、学生らしい若いボランティアの人たちが、道順を教えたり、簡単な通訳サービスをしたりする活動を始めています。今日行ったホテルでは、ホテルに入る際に、金属探知器でボディチェックを受け、荷物の中身をチェックされたりしました。ただ、オリンピック取材のための外国人報道陣らしき人々もちらほら見掛けるようになりましたが、外国人観光客が増えた、という感じは、少なくとも私が見た感じではほとんどありません。街のボランティア・ステーションも、私が見ていた限り、利用する人はなく、ボランティアの人たちは手持ち無沙汰の様子でした。中国各地から中国人観光客が北京に集まっている、という雰囲気もありません。

 「新京報」の報道によると、このオリンピックで働くボランティアは総勢170万人なのだそうです。オリンピックを見に来る外国人客は約50万人と見積もられていますので、それに比べたら、圧倒的な数のボランティアです。ボランティアも「関係者」としてカウントすれば、この北京オリンピックは、観客よりも「関係者」の方が数が多い、ということになるのかもしれません。

(参考1)「新京報」2008年8月2日付け記事
「170万人のボランティアが各人それぞれの持ち場に就いた」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/08-02/011@084201.htm

 オリンピックのための準備として、大きな通りの歩道の脇の緑地帯のところには、たくさんの花が植えられたりして、かなりきれいです。大きな通りの街灯にはオリンピックの旗がはためき、多くの店では紅灯(赤いちょうちんのようなもの)をぶらさげたり、国旗(五星紅旗)を掲げたりして、雰囲気を盛り上げています。

 北京市内の建設工事は、粉塵を巻き上げないように、ということで、7月1日以降、中止されています。一部、工事が間に合わなかったところでは、7月になっても工事を続けていたところがありましたが、8月に入ったら、建設工事は完全に停止状態になっているようです。基本的に、作業を停止した工事現場では、工事中のゴミゴミしたところが道路から見えないように、オリンピックのスローガンなどが書かれた大きな「目隠しの覆い」で覆われています。ビル自体、工事の途中であっても、できるだけ「外壁」だけは完成させるように、との「指示」が出ていたようで、多くのビルでは、骨組みができたところで、内部の工事をやる前に外壁だけ先に設置するという工事をやっていました。

 ただ、それでもオリンピックが近づいて工事停止期間になるまでに外壁設置工事が間に合わず、現時点でも外壁が完成していないビルがいくつかあります。下記の写真はいずれも昨日(2008年8月2日)に撮影したものです。これらのビルは、パラリンピックが終わるまで、基本的にこのままの状態が保持されることになるのだと思います。

(参考2)外壁が一部しか完成していないビル
http://homepage3.nifty.com/itaru_watanabe/HEX/ichibukansei.jpg

(参考3)外壁はほとんど完成しているが、最上部だけが未完成のビル
http://homepage3.nifty.com/itaru_watanabe/HEX/saijoubu.jpg

(参考4)外壁設置がほぼ完了した中国中央電視台の新しい本社ビル
http://homepage3.nifty.com/itaru_watanabe/HEX/cctvshinhonsha.jpg

※中国中央電視台の新しい本社ビルは、斜めに傾いた四角柱がねじれた位置でくっつている、という非常に奇抜な格好をしています。内部も含めたビルの完成は2009年になるとのことですが、このオリンピック期間中、この新しいビルの一部を早くも使い始めるとのことです。

 中身がまだ完成していなくても、外面だけきれいにして、見た目を美しくしてお客様をお迎えする、というのが中国的美学なのだそうです。これを「メンツにこだわる」と見る人もいますが、「文化の違いの問題」なので、あまり批判はできないと思います。しかし、建設途中のビルについては、外壁だけくっつけた「張りボテ」なのがミエミエです。私の個人的な感覚からすると、こういった「張りボテ」がいくつかあると、本当は中身がきちんとしているものについても、「どうせ張りボテだろう」と軽く見られてしまい返ってイメージを損なうのではないか、と思ってしまいます。

 中国は、今回のオリンピックを迎えるにあたっての北京の街並みに限らず、いろいろな面に関して、「(中身はともかく)表面に見えるところをきちんとする」という傾向があります。これについては、その表面を見て中身もきちんとしていると思ってしまう人は中国の能力について過大評価してしまうし、表面を見て「どうせ表面だけで中身はないのだろう」と思ってしまう人は中国の能力について過小評価してしまうと思います。いずれにせよ、中国は、外部から正しく理解されない、という結果になってしまいます。

 オリンピックを控えて、外国メディアが中国についていろいろ報道していますが、普通の国のメディアは「まず疑ってかかる」ところから始まりますので、外国の報道陣には、上記の分類でいうと後者の見方をする人の方が多いと思います。そのため、本当は中国はきちんとやっているのに「きちんとやっていないのではないか」という疑いの目で見た報道がなされることが多いと思います。これは中国にとって損だと思います。街のビルを「張りボテ」状態にして、いかにも「完成した」かのように見せるよりも、普段着のそのままの北京を見てもらった方が、「世界に中国を理解してもらう」という観点では、得だと私は思います。

 上記(参考1)の「新京報」の記事によると、ボランティア170万人のうち20万人は「応援団」(中国語で「拉拉隊」)なのだそうなのです。彼らのことを「ボランティアの応援団」と呼ぶか、「会場を盛り上げるためのサクラ」と呼ぶかは人によってマチマチだと思いますが、これも一種のオリンピック会場における「張りボテ」の一種と言えるかもしれません。

 これからオリンピックが始まって、北京と中国のいろいろな面が世界に報じられると思いますが、そうした中国報道を受け取る世界の人々の側にも、それが「張りボテの表面」なのか、本当に中国の真の姿なのか、を見極める「目」が要求されることになると思います。

| | コメント (0)

2008年8月 2日 (土)

「彼ら」は喜びと同時に忍耐が必要

 今日(2008年8月2日:オリンピック開幕まであと6日)の北京は、朝から「スカッとした快晴」で、正真正銘の青空でした。東京の青空に比べると、ややかすんだ感じがあり、明らかに汚染があることがわかるのですが、これくらいならばマラソンをやっても大丈夫でしょう。雨が降ったのが一昨日の夜ですから、汚染が戻ってくるスピードは確かにいつもよりは遅くなっていると思います。こうした感じで、時々雨が降って汚染を流してくれれて、汚染が戻ってくるのが遅ければ、オリンピック期間は大気汚染を気にせずに済みそうです(ただ、こういうふうに「スカッと晴れる」と、やはり8月ですので、太陽の日差しが強く、日中はかなり気温が高くなるので、屋外競技の場合、むしろ「暑さ対策」が課題になりそうです)。今日(8月2日)の北京の大気汚染指数は34で、昨日に引き続き「優」でした。

 さて、広州で発行されている週刊新聞「南方周末」(北京でも買えます)(日本語表記は「南方週末」)の7月31日号の1面トップは「北京人のオリンピック・カウントダウン」という記事でした。

(参考)「南方周末」2008年7月31日号記事(ネット上では8月1日11:22アップ)
「北京人のオリンピック・カウントダウン」
http://www.nanfangdaily.com.cn/nfzm/200807310063.asp

 この記事では「全てはオリンピックのために、北京人は犠牲と日常生活とを調和させようとしている。彼らは喜びとともに忍耐も必要とされている;それに同意することを求められているのである。」という書き出しで始まり、北京で起きている様々な現象をレポートしています。内容的には、日本などでも報道されていることと同じような話です。笑えるようで笑えない話もあります。ポイントを書くと以下のとおりです。

・ある青年は「オリンピックのためには一生懸命やらなくちゃいけない」と思った。インターネット掲示板で、車のナンバープレートの偶数奇数制限に対応するための呼びかけがあったので、それに参加した。たまたま自宅近くの「妙齢の」女性と職場方向が一致していることがわかった。7月23日からこの青年はその女性と相乗りをするようになったが、6回目の相乗りの後「何も批判されることなどやっていないのに、その女性のお母さんに怒られてしまった。」

・ある人は普段は奇数番号の車で通勤しているが、偶数番号の日は使えないので、近くに住む同僚と相乗りを計画していた。しかし、当日になったら、その同僚の奥さんが急に車を使う必要が生じて、「相乗り出勤計画」は破綻してしまった。

・ある人は、普段は車で約1時間掛けて出勤していたが、バスを使うと通勤に2時間掛かってしまうので、職場近くに住む人と相談して、規制期間中だけ、住む家を「取り代えっこ」した。

・ある不動産屋によると、マンションの大家さんの90%は、部屋をオリンピック期間中の短期貸し出しを計画しているとのことである。中には自分が住んでいるマンションを貸し出そうとしている人もいるとのことである。オリンピック・スタジアム(鳥の巣)の近くのマンションでは、2部屋138平方メートルの部屋を月額7万元(約105万円)で貸し出すところもあるとのことである。

・金属、建築材料、石油化学等の重点企業においては、オリンピック期間中の一時的な生産停止と排出削減案が提示されている。北京市の人材紹介所もオリンピック期間中は全て停止される。ある服飾ショッピング・センターでは、オリンピックの柔道とテコンドウの試合会場に近いことから、9月まで営業を停止することになった。ある地方から来た関係者は「オリンピック期間中は帰省して両親と会うのも悪くはないけれども、1~2か月してからお客が戻ってきてくれるかどうか心配だ」と話していた。

・ある美容室では、人気のあるエステ・サービスを停止することにした。このエステ・サービスに必要な液体材料が日本から輸入できなくなってしまったからだ。

 この記事で印象に残ったのは「北京人のカウント・ダウン」という見出しと、「『彼ら』は喜びとともに忍耐も必要とされている」という表現振りです。この「南方周末」は、広東省の広州で発行されている新聞ですが、自分の国でオリンピックが行われようとしているのに、まるで「他人ごと」のように報じているからです。これは、オリンピックの試合が行われる都市以外に住む中国の多くの人の気持ちを代弁しているのかもしれません。

(注)オリンピックの試合が行われるのは、北京のほか、セーリングが行われる青島、馬術が行われる香港、サッカーが行われる天津、秦皇島、瀋陽、上海の合計7都市です。広州では何も行われません。中国で普通「3大都市」と言えば、北京、上海、広州ですから、広州で何もオリンピック競技が行われないことは広州の人にとっては面白くないのかもしれません。

 ただ、救いなのは、こういった「広州の人々のなんとはない不満」が見え隠れする新聞が広州で発行され、それが北京の新聞スタンドで簡単に買える、という事実です。現在の中国では「締めるべきところは締めて」いるのですが、それ以外のところでは意外にルーズなところ(抜け穴)があり、「ギズギスした締め付け」が必ずしも徹底していないところがあります。これが適当な社会の「安全弁」になっているような気がしています。今、社会のいろいろな階層で不満がうっ積していると思います。1989年には、そういった不満をうまく「ガス抜き」することができずに「爆発」するところまで言ってしまったのですが、今の中国では、最後の最後は、適当なところで「安全弁」が働くのないかという気がしています。

 最近、今度の北京オリンピックを通じて、その「安全弁」の数が増えてきているのではないか、そんな期待を私は持ち始めています。

| | コメント (0)

2008年7月29日 (火)

北京の大気汚染指数は「作って」はいない

 今日(2008年7月29日:オリンピック開幕まであと10日)の北京は、午前中に雷雨があり、午後から晴れてきましたので、空気がだいぶきれいになりました。午後、太陽が出てきた時には、太陽がまぶしくて肉眼では直視できない程度にはなっていました。(とは言え、雨が降った後でも、何となくぼんやりかすんだ感じで、私が先週、東京で見たスカッとした夏の青空とはやはり違う感じでした)。

 ここ数日間スモッグがかなりひどかったことについては、多くの北京市民も「交通規制については、オリンピックだからしかたがない、と思って不便な思いを我慢しているのに、どうなっているんだ」という不満が募っていたようです。今朝の中央電視台の朝のニュース「新聞天下」では、こういった一般市民の不満をなだめるように、気象の専門家は、オリンピック期間中は「サウナ・スモッグ」が持続するようなことはないと言っている、というニュースを伝えていました(「サウナ」は中国語では「桑拿」(音訳))。

(参考1)中国中央電視台ホームページ2008年7月29日「新聞天下」のニュース
「北京ではオリンピック期間中に『サウナ・スモッグ』が持続することはあり得ない」
http://news.cctv.com/china/20080729/100279.shtml

 ただ、逆に言うと、このテレビのニュースは、多くの人が、ここ数日間の北京の天気を「サウナ・スモッグ」だと思っていた、ということを表していると思います。オリンピック期間になったら「サウナ・スモッグ」が持続しない理由として、このニュースでは、8月7日が立秋であり、北京では立秋以降は毎年爽快な日が多くなるから、という説明をしていました(あんまり説得力のある説明ではないと思いますが)。

 また、今日の「新京報」では、こういった一般市民の気持ちを代弁してだと思うのですが、北京市環境保護局副局長で同局スポークスマンの杜少中氏への単独インタビュー記事を載せていました。

(参考2)「新京報」2008年7月29日付け記事
紙面上の見出し「北京の大気汚染指数は『作られた』ということはない」
ネット上での見出し「大気汚染は健康に影響を与えるものではない」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/07-29/039@073737.htm

 杜少中副局長が言っていることの中心は「今年の7月は去年の7月よりは北京の大気汚染の状態は良くなっている」「7月下旬はたまたま汚染物質が拡散しにくい不利な気象条件になっているだけ」「大気汚染の程度は視界が悪いことだけではなく科学的データに基づいて判断して欲しい」といった今まで何回も記者会見で述べてきたことの繰り返しでした。ただ、新しい点として、次の二つを言っていました。

・7月28日は汚染指数が96で100を下回っており、29日は雨が降る予報が出ているので、改善の兆しがある(実際、29日には雨が降って、大気汚染はかなり改善しました)。

・(「新京報」の記者が「一部の外国メディアが、大気汚染指数100前後の日では、100という境界線をちょっと下回る日が不自然に多く、汚染指数が一定の値を越えた日の数が『修正』されているのではないか、と疑問を投げかけているが、これについてどう考えているのか、と問うたのに対し)北京では科学的事実をもって大気汚染問題に対処しているのであり、「虚偽をもてあそぶ」といった不誠実な言葉を使うことは、自分で自分のボロを出すのと同じである。

 日本のメディアの報道によると、杜少中副局長は7月10日の記者会見で「汚染指数が100を越えそうな日は、観測点周辺で(工場を停止するなどの)応急措置を取る」と答えています。確かにデータをねつ造しているわけではないのですが、この発言を捉えて日本のメディアは「大気汚染指数が基準内だった日の日数を人為的に操作」といった表現で報じたわけです。上記の「新京報」の記事の紙面上での見出しは「汚染指数は作られたわけではない」(中国語で「北京空気汚染指数不存在作假」)となっています。汚染指数が基準値を超えそうな時は、観測点周辺の工場の操業を停止するなどの措置は、「ニセのデータを作る」ことではないので、杜少中副局長の発言は確かに「ウソ」ではありませんが、中国語独特の修辞術を使った「ごまかし」であると言われても仕方がないと思います。紙面で使われた「不存在作假」という見出しがネット記事の報では削除されてしまったのは、こういった「ごまかし」があからさまにならにように、との配慮によるものと思われます。

 通常、中国のスポークスマンは「ウソ」は言いませんが、外国メディアに対する時と中国のメディアに対する時とで微妙に言い回しを変えることがあります。中国のメディアは「党の舌と喉」ですから、スポークスマンが言わんとすること(あるいは言いたくないこと)を忖度(そんたく)して、ウソにならない範囲で記事を作ります。そのため、同じスポークスマンの発言でも、外国メディアと中国のメディアとでは、ほとんど正反対の印象を読者に与えることがあります。「新京報」の記者は、中国の他のメディアでは取り上げていない「大気汚染指数を操作しているのではないかとの疑惑」をあえて取り上げ、そこを突っ込んで質問した、という点で評価されるべきなのでしょう。「新京報」の記者に「汚染が基準を超えそうになったときに、緊急に観測点周辺の工場の操業を停止させるのは『大気汚染指数の基準を超える日の数を操作している』と言われても仕方がないのではないのか。」と質問することまで期待することは、今の中国では無理なのでしょう。

 中国側がオリンピックのために一生懸命大気汚染改善のために努力をしているのに、西側のメディア(私のこのブログも含めてですが)が盛んに北京の大気汚染がオリンピックに影響を与えるのではないか、との憂慮を表す記事を書くので、新華社通信は相当頭に来たらしく、以下のような論評を配信しました。
 
(参考3)「新華社」ホームページ2008年7月28日13:02アップ論評
「マスクをしてオリンピックに参加する、というのは誇張のし過ぎ」(言立侖)
http://news.xinhuanet.com/comments/2008-07/28/content_8834302.htm

 この論評では、北京の大気汚染は10年前より相当に改善しており、今回のオリンピックに対しては北京市民が交通規制など大変な犠牲を払いながら大気汚染の改善を図っているのに、西側メディアは意図的に事実を歪曲して報道している、「選手はマスクをしてオリンピック競技に参加した方がよい」といった表現は誇張のし過ぎ、と指摘しています。北京の大気汚染が昔より改善していることも、多くの北京市民が犠牲を強いられていることも事実ですが、「西側メディアが歪曲報道をしている」という表現は相当に刺激的な論評です。まるで、外国で聖火リレーをやっていた時の「西側報道タタキ」を連想させるような言い回しです。中国のメディアではこういうような報道しかしないので、多くの中国の人々は「西側メディアは中国のことを正しく伝えていない」「世界は中国のことを間違って理解している」と思ってしまうのです。

 北京市環境保護局の「大気汚染指数が基準値を超える日の日数を少なくしようとして行った人為的操作」についての報道を「虚偽をもてあそぶ」と表現することが「正しい報道」であり、実際に肉眼で太陽が凝視できてしまうような白い空気の中でマラソンをすることが心配だ、と報じるのは「事実を歪曲した報道」である、といった認識を、もし中国の関係者の多くが持っているのだとしたら、私はいつまでたっても中国は世界の仲間には入れないと思います。

 北京の大気汚染指数は、昨日(7月28日)は96、今日(29日)は90でしたが、国家環境保護部のホームページでは、昨日の分の指数がずっと発表になりませんでした。普通は、毎日午後2時頃には発表になるのですが、今日の午後になって今日の分が発表になるまで、昨日の大気汚染指数は国家環境保護部のホームページでは見ることができませんでした。このホームページでは過去の大気汚染指数も検索できるので、今日の指数が発表になった後で、昨日の分を検索したら96だということがわかりました。システムのトラブルで昨日の時点でアップできかなかったのか、それとも意図的にアップしなかったのか、については不明です。

 中国では、大気汚染データの測定をはじめ、気象観測データの測定を行うには関係当局の許可が要りますので、外国の報道機関や研究者が勝手に大気汚染の観測を行うことは認められていません(気象観測データは「国家秘密」の扱いになっているためです)。ですから、国家環境保護部の観測データ自体が正しいのかどうか、誰もクロスチェックできないのも、外国の人からすると、何となく「ふに落ちない」ところです。せめてオリンピック期間中だけでも、外国の研究者は大気汚染観測を自由にやってよい、といったような措置を採ってくれれば、かなり信用の回復には効果があったと思うんですけどね。

 北京オリンピックは、こうした中国で現実に行われている様々なこと世界の面前にさらけ出した、という意味では、非常に意味のあるイベントだと思います。

| | コメント (0)

2008年7月23日 (水)

「言葉のせき止め湖」の危険にどう対処する

 今日(7月23日)付けの「人民日報」に「『言葉のせき止め湖』の危険をどうやったら取り除くことができるか」という評論が載っていました。

(参考)「人民日報」2008年7月23日の「人民時評論」
「『言葉のせき止め湖』の危険をどうやったら取り除くことができるか」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-07/23/content_65205.htm

 これは四川大地震をきっかけにして多くの人の口に上るようになった「せき止め湖」(中国語で「堰塞湖」)という言葉になぞらえて、人々の政治に対する不満が溜まって一気に爆発しそうになる現象を「言葉のせき止め湖」(中国語で「言塞湖」)と表現して、それにどう対処すべきか、を論じたものです。「堰塞湖」と「言塞湖」は、中国語では「堰」はyanの4声、「言」はyanの2声、で、声調だけは違いますが発音は同じなので、同じ発音の文字を入れ替えた、一種の「ダジャレ言葉」です。

 人民日報にこういう評論が載る、ということは、党中央も、最近の地方での集団騒乱事件の頻発などを受けて、人々の間に不満がうっ積しつつあることを認識し、地方政府は、それにちゃんと対処しなければならない、との問題意識を持っていることの表れだと思います。この論評では、地方政府の幹部が豪華な政府庁舎や官舎を建て、地域住民が不満に思っていたことが、何かのきっかけで明るみに出て問題になる、というケースが続いていることを指摘しています。例として、安徽省阜陽市で、市政府が豪華な庁舎を建て、住民から「ホワイト・ハウス」と呼ばれて批判されていたが、この豪華庁舎問題を指摘した人が死亡し、その死因に不審なところがあったことから中央のメディアが取り上げ、結局は市の党書記が人民代表の職を解かれたケースを挙げています。

 こういったケースは「何かのきっかけ」がなければ明るみに出なかった可能性があり、その場合、人々の不満はうっ積し「言葉のせき止め湖」ができてしまうので、それを避ける方策を考えなければならない、とこの論評は指摘しています。

 この評論では、「言葉のせき止め湖」に対処する方法として、既に下記のような仕組みが実施されていることを指摘して、これらの方法を通じて民意を汲み上げる「トンネル」を確保することの重要性を指摘しています。

○中国共産党の伝統である大衆の声を聞く路線を実践すること。
○人々の訴えをよく聞くこと(「信訪制度」を活用すること)
○世論の動向をよく見極めること。
○最近よく行われるようになった公聴会制度や政府情報公開請求制度を活用すること。

 こういった論評を読むと、私などは、どうしてここに「地方政府幹部を選挙で選ぶこと」というのが入って来ないのかなぁ、と思ってしまいます。「住民の間に不満の声が溜まったら、次の選挙で落選してしまう。」というシステムを作り上げることが最も単純で確実な「言葉の堰き止め湖」に対する対処だと私は思います。ここでそういった議論がなされないのは、「選挙」という手法は、地方政府の幹部は中央が指名する、という現在の体制を崩してしまうことになるからだと思います。

 中国には、住民に不満がある場合には、上部機関に直接訴える「信訪制度」があります。例えば、ある県の幹部のやり方を不満に思う住民は、県を飛び越えて、その上にある市やさらにはその上の省、最終的には国の「訴え受付機関」に訴えて解決を要請することができます。これを「信訪制度」といいます。これもひとつの方法だと思いますが、「信訪制度」は、結局は封建時代の「直訴」と同じです。上部機関が住民から寄せられる数多くの「直訴」に全て対処できるのか、「直訴」があったものだけ改善していたのでは、一種の対処療法であり、根本的な解決にはならないのではないか、と私は思うのですが、そういった議論が残念ながら中国では行われません。結局は、「選挙の必要性」に行き着いてしまうので、議論ができない、ということなのでしょうか。

 中国では、昔から、地方政府に対する不満を爆発させた住民による集団暴動事件は数多く発生しています。最近は、北京オリンピックで注目されていることと、住民がすぐにネットに情報をアップするようになったことで、外国のメディアでも報道されるケースが多くなっているのだと思います。「言葉のせき止め湖」が大きくなって、一気に決壊することは、誰も望んでいません。しかし、この問題は「住民の声をよく聞くようにしよう」といった呼び掛けだけで改善するような問題ではありません。この人民日報の評論によって「言葉の堰止め湖」という言葉が一種の「流行語」のようになって、中国国内でも真剣な議論が起こることを期待したいと思います。

| | コメント (0)

2008年7月21日 (月)

雲南省昆明市でバス爆破事件が発生

 7月21日(月)朝の通勤時間帯、中国雲南省の省都・昆明市で約1時間間隔で2つのバス爆破事件が相次いで発生しました。今までにわかっているところでは、2人が死亡し14人が負傷したとのことです。本件については、中国中央テレビのお昼のニュースで報道されたほか、新華社通信の雲南報道のページに「特設ページ」が設けられ、逐次、新しい情報がアップされつつあります(昆明市は人口620万人のこの地方では大都市です)。

(参考1)「新華社」雲南報道のページ
「昆明市で発生したバス爆破事件特設報道ページ」
http://www.yn.xinhuanet.com/topic/2008/explosion/

 朝の通勤時間帯に2つの爆破が続けて起きた、爆発が起きたのが座席の下だった、という事実から、当局もこれがテロであると見ており、目下、全力で犯人の捜索に当たっているとのことです。上記のように(最近の中国ではこういう傾向にあるのですが)異例の速さで、新華社通信等が写真等も含めた最新の映像を続々と流しています(不要なデマの発生を防ぐため、できるだけ速く詳細な情報を報道しようとしているのだと思います)。

 それにしても、私は、中国では、民衆の集団による暴動事件が起きることはあっても、爆弾テロは起きないと思っていました。いかなる政治的目的を持っているにせよ、中国では多数の人民を味方に付けなければその政治目的を達成できないのは明らかであり、テロ行為を行うことは、理由の如何を問わず人心を離れさせることになり、一定の政治目的を持つグループにとっては逆効果以外の何者でもないからです。雲南省は、中国の中でも少数民族が多い地区ですが、雲南省は昔から多くの少数民族が混在して居住している地域であり、少数民族問題を理由とした暴力事件やテロ事件があったという話は私は聞いたことはありません。

 今回の昆明市のバス爆破事件の背景について、今の段階で軽々に推測するのは慎むべきですが、今回の事件は、北京オリンピックへ向けて、北京で交通規制が始まるなど「オリンピック特別期間」が始まった最初の月曜日の朝の通勤時間帯を狙って約1時間の時差を付けて複数の爆発を起こした、という事実だけを見ると、相当に冷徹に計画されたもののように見えます。

 今までも、政治的な背景とは関係なく、会社から解雇された人が自爆テロ的に会社の車に放火するというような個人的恨みに基づく事件はありました。

(参考2)このブログの2007年10月3日付け記事
「重慶でバス火災27人死亡・放火か?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/10/27_7d11_1.html

しかし、今回の昆明でのバス爆破テロは、この重慶のバス放火事件のような「個人的な恨みによるもの」とは違うように思います。

 また、中国では、無数の違法な炭坑で操業が行われ、そこで使われるダイナマイトがずさんに管理されているのが実態です。そういう状態で今まで中国ではいわゆる「爆弾テロ」のような事件はあまり起きていなかったのですから、基本的に中国では爆弾テロの起きる素地はないものだと思っていました。

(参考3)このブログの2007年7月6日付け記事
「遼寧省のカラオケ店の爆発で25人死亡」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/25_07f6.html

 なお、雲南省では7月19日に雲南省プーアル市孟連ダイ族ラフ族ワ族自治県で、ゴム農民とゴム生産企業との間に起きていたトラブルに関連して、ゴム農民が数百人集まって公安当局を取り囲んで暴力行為を働いたため、公安当局が自衛のために発砲し、村民多数が負傷し、うち2名が死亡する、という事件がありました(これは新華社がそう報道しているのでこの事実に間違いないと思います。一部、日本の報道では「公安当局がゴム弾を発射し」とありますが、新華社の報道では「ゴム弾」の記述はありません。「ゴム弾」の発射で死亡することは考えにくいので、集まった群衆に対しては銃の実弾が発射されたものと思われます)。

※雲南省プーアル(普○:「○」は「さんずい」に「耳」)市はプーアル茶で有名です。

(参考4)新華社・雲南報道ページ2008年7月20日付け記事
「雲南省孟連県で暴力事件が発生」
http://www.yn.xinhuanet.com/newscenter/2008-07/20/content_13873445.htm

 この事件について、新華社は続報を報じており、翌日の20日にも約450人の群衆が集まったこと、雲南省幹部が死亡した2名の死因については調査を行うことを集まった群衆に説明したこと、20日に集まった群衆は衝突事件などは起こさず夜になってから解散したこと、などを伝えています。

(参考5)新華社・雲南報道ページ2008年7月20日付け記事
「雲南省孟連県『7・19事件』で集まったゴム農民は説得されて引き上げた」
http://www.yn.xinhuanet.com/newscenter/2008-07/20/content_13873451.htm

(参考6)新華社・雲南報道ページ2008年7月21日付け記事
「雲南省では、全力を挙げて孟連でのゴム農民集団事件に対する対処が行われている 雲南省の指導部は現場に行って群衆の訴えを聴取した」
http://www.yn.xinhuanet.com/newscenter/2008-07/21/content_13878264.htm

 これらの報道によると、このゴム生産会社は数年前に私営企業になったが、ゴム農民たちとの間で利益配分について意見の相違があり、ゴム農民たちは会社に自分たちの権利が侵害されていると考えていたとのことです。このため数年前からゴム農民たちは何回もゴム生産会社を包囲して焼き討ちする騒ぎを起こしていた、とのことです。事件が起きた7月19日、公安当局が5人の犯罪容疑者を取り調べていたところ、約500人のゴム農民たちがゴム採取作業に使う長刀や鉄パイプ、棍棒などを持って集まって公安当局を取り囲んで襲撃したため、41名の民事警察官が負傷し、8台の警察車両が破壊された、とのことです。公安当局側は自衛のために発砲し、15人のゴム農民が負傷し、そのうちの2名が死亡した、とのことです。

 新華社の記事では触れていませんが、上記の状況を踏まえると、ゴム農民たちは、ゴム生産企業と公安当局が「グル」になっていると考えて、普段から公安に対する不満を募らせていたのではないか、と思います。

 この孟連県でのゴム農民たちと公安当局との衝突事件と、昆明で起きたバス爆破事件が関係があるのかどうかはわかりません。地理的に言うと、プーアル市孟連県と昆明市とは数百キロ離れていますし、例えゴム農民たちが公安当局に対して不満をうっ積させていたとしても、彼らとしては昆明市民を殺傷する爆破テロを起こしても何の意味もないので、この2つの事件は関係はないのではないかと思います。

 いずれにしても、今回の昆明市でのバス爆破事件については、早く犯人が特定され、真相が解明されることを望みたいと思います。

| | コメント (0)

2008年7月20日 (日)

「コメントする自由」「文句を言う自由」

 今日(7月20日)から北京市内では、オリンピック期間中の渋滞の防止と大気汚染緩和のため、ナンバープレートの偶数・奇数による交通規制が始まりました。パラリンピック終了後の9月20日までの期間、北京市内では偶数日には奇数番号の車、奇数日は偶数番号の車は通行が許されません(バス、タクシー等の公共交通機関の車、消防・救急等の緊急車両、オリンピック関係車両、大使館関係車両等を除く)。

 ところが規制当日の今日(7月20日)になって「人民日報」の朝刊に「毎日午前0時から3時までの3時間については、ナンバープレート規制を緩和する」との発表が載っていました。

(参考1)「人民日報」2008年7月20日付け記事
「午前0時から3時までは偶数・奇数制限は実施しない」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-07/20/content_61849.htm

 この規定緩和措置は7月19日に北京市交通管理局が発表したものだそうです。なぜまた突然規制開始の前日になって規制の一部を変更する発表を行ったのでしょうか。それまでは、みんな「夜中の0時きっかりで北京市内を通行できる車が切り替わる。それに違反したら罰金100元(約1,500円)を取られる。」と思っていたのです。それが証拠に7月19日付けの「新京報」では「今日は奇数番号の車は夜中の24時までにお家に帰ろう」と呼び掛ける記事を掲載していました。

(参考2)「新京報」2008年7月19日付け記事
「奇数番号車は今日は24時の前に必ず家に帰らなければならない」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/07-19/018@073151.htm

 この記事によると、北京市交通管理局の担当者が「19日は土曜日なので外出する人が多いと思うが、24時を過ぎると奇数番号車に対しては規制が掛かるので、奇数番号車を運転している人は必ず早めに家に帰らなければならない」と発言したことを引用して、読者に対して注意を喚起しています。

 よく考えてみると「規制期間中であっても、午前0時から3時の間は偶数・奇数両方の車両の通行を認める」というのは、至極当たり前の措置です。夜中の0時時点で北京市内を走行中の車に対して「今、午前0時を過ぎたから罰金」などと言うのは現実的ではないからです。かと言って、偶数番号車、奇数番号車は、それぞれ偶数日、奇数日の24時までに家に帰り着くようにせよ、というのだったら、毎日午前0時直後は、北京市内には車が全くない状態になることになります。1,700万人都市・北京でそんなことが現実にできるわけがありません。午前0時~3時までの3時間はどちらの車の通行も認めるので、規制が掛かる車は午前3時までに家に帰り着くように、ということならば現実的に対処は可能です。午前0時~3時の時間帯なら車の渋滞は関係ないし、この時間に走っている車の数はそれほど多くはないと思うので、この規制緩和をやっても大気汚染防止の効果にはそれほど影響は出ないと思います。

 こういった「当たり前の措置」がなぜ規制の前日まで発表されなかったのか、を考えると、以下の二つが考えられます。

(1) 北京市当局は、規則上は午前0時で規制を切り替える、ということにしているが、取り締まりの現場では午前3時頃までは、偶数奇数規制に違反している車でも「大目に見る」ことで対応しようと思っていた。

(2) 取り締まりを担当する現場の担当官や多くの市民は「0時きっかりに規制を切り替えるのは現実には無理だ」と考えていたが、誰もそれを口に出さず、規制を作った北京市の上層部は「この規則を厳格に適用すると現場で無理が生じる」という認識を持っていなかった(「新京報」の記事を見て、北京市上層部がこの規制に無理があることを始めて認識した。だから19日、北京市上層部の「鶴の一声」で急遽午前0時からの3時間については規制を緩和することを決定した)。

 もし(1)だとすると、北京市当局は規則を作っておきながら、そもそもその規則を規則通りには運用するつもりがなかった、ということになります。これは、法律や規則がありながら、現実にはその通りに規制されていない、という中国の実情を反映していますが、中国が「法治国家」ではなく、まだ、現場の取り締まり担当官の判断でいかようにもできる「人治国家」であることを世界中に示すことになってしまいます。まじめに規則を守ろうと考えていた北京市民はバカを見たことになります(こういうことはしょっちゅうで中国の人々は慣れているので、そもそも多くの北京市民は「規則を規則通りにまじめに守ろう」とは考えていなかった、と言った方が正しいのかもしれませんけど)。

 もし(2)だとすると、北京市当局の内部で現場の声が上層部に届くシステムができていない、新聞等も規制の問題点について何も指摘せず、中国では「社会を監視する」というマスコミが果たすべき役割を全く果たしてない、ということになります。

 中国では、憲法に「中国共産党による指導により政治を行う」という大原則が規定されており、これに反する報道をすることは「法律違反」となります。従って、新聞の記事等が「法律違反」にならないように、当局の「指導」がなされています。ただ、北京のローカル新聞ですと、例えば夜中の2時前に起きた火事がその日の朝刊に載ったりしていますので、たぶん全ての記事の「事前検閲」はやっていないと思います。問題のある記事が掲載された場合には、事後的に直ちに「指導」が入るというふうな「事後検閲システム」になっているのだと思います。重大な「法律違反」の記事が新聞に掲載された場合には、新聞は発刊停止に追い込まれ、重大な場合は記事を書いた記者や編集者が「国家転覆罪」に問われる場合もありますし、そうでなくても免職にされ、言論人としての生命を絶たれてしまう可能性もあります。そのため、言論人は、常に「どこまでは発言が許される範囲なのか」を意識しながら「自主規制」をしているのです。

 こういった「自主規制」が習い性となっているので、今回のような交通規制のあり方、といった政治には全く関係のない案件についても「当局が決めたことに対してコメントしたりしてはいけない」「ましては当局が決めたことに対して文句を言うなどとんでもない」という感覚が言論人の中に定着してしまっているのだと思います。

 ナンバープレートの偶数・奇数による交通規制は、昨年(2007年)8月に4日間だけ試験的に実施されました。夜中の0時に偶数・奇数の規制を切り替える際に発生する問題点は、その時には認識されていたはずなのですが、どの新聞もそこに問題がある、というコメントをしませんでした。そして、今年(2008年)6月20日に発表された規制の規則では、午前0時の切り替え時の移行措置については何らの考慮もなされなかったのでした。

 何らかの措置を講じた時、それに対する「コメントを受ける」「文句を聞く」ということは将来の改善のために非常に重要です。一般ビジネスにおいては「お客からのクレームはビジネス改善のための大切な宝の山」と認識されており、「クレーム処理を大事にしない会社は伸びない」ことは常識とされています。中国において、政治問題の大原則に対して批判を許さない、という政策を取っていることに対しては、中国の内政問題ですので私はコメントしませんが、それをやることによって、政治とは全く関係ない「社会の便利さ・暮らし良さ」といった点に対しても「コメントする自由」「文句を言う自由」が実質上ない、というのは、社会全体の改善の観点から言ったら大きなマイナスだと思います。中国の関係者は「法律に違反しなければ、当局の施策に対して、コメントする自由も文句を言う自由もある」と反論すると思いますが、新聞等の報道機関が「自主規制」して「当局が決めたことに対してコメントや文句は言わない方がよい」と考えているのだったら、実質的に「コメントする自由」「文句を言う自由」はない、といっても差し支えないと思います。

 問題は、こういった感覚が、政府機関や会社などの中国の組織の中に深く浸透しているのではないか、ということです。即ち、トップが決めたことは、部下は唯々諾々とそれに従うのが賢い処世術であり、上司のやり方に対してコメントしたり文句を言ったりしないようにしている、という人が多いのだったら、それは中国の組織の発展を阻害することになると思います。はしなくも今回の車の偶数・奇数制限の問題で明らかになりましたが、(政治的な意味での言論の自由の問題は別に置いておくとしても)ごく一般的な意味で「自由にコメントし、自由に文句を言える雰囲気を作ること」が中国の今後の発展にとって非常に大事だと思いました。 

| | コメント (0)

2008年7月19日 (土)

北京地下鉄10号線・空港線開通

 報道によると、北京地下鉄10号線(第一期)、オリンピック公園支線、北京首都空港鉄道線が7月19日開通したとのことです。まだ私自身は乗っていないので「したとのことです」と書いておきます。

 これらの路線については、昨日(7月18日)の段階では、「週末に開通」とだけ発表されており、19日(土)に開通するのか、20日(日)に開通するのか、わかりませんでした。ところが19日(土)朝になってから、「新京報」などで「今日(19日(土))開通する」というニュースが報じられました。

(参考)「新京報」2008年7月19日付け記事
「地下鉄3路線、今日14時に開通」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/07-19/018@074440.htm

 この「新京報」の記事でも、開通式は19日の「だいたい午前10時頃」にやる、と書いてありました。空港線の運賃が25元(約375円)になった、と発表になったのは昨日(18日)です(それまでは「25元にするか、30元にするか、どちらかの案で検討中」ということでした。7月2日にこの運賃に関する公聴会があったのですが、その後、昨日(18日)まで、料金は決まっていませんでした)。

 どうして、ここまでギリギリまで何も決まらないのか、その背景がさっぱりわかりません。中国の新聞は、「なぜギリギリまで決まらないのか」といった関係者が困るような案件を突っ込んで取材して報道するようなことはしないので、「なぜギリギリまで決まらなかったのか」は最後まで「ナゾ」として残ると思います。それにしても、開通式をやる時刻が「だいたい午前10時頃」という発表も何となく変です。関係者や報道陣は、いったい何時に開通式場に行けばよいのでしょうか。

 今日、お昼過ぎに、たまたま北京空港から飛行機に乗ったのですが、北京空港へ行く途中で、空港線が走っているのを見ました(地下鉄の路線のひとつということになっていますが、空港線はほとんどの区間、地上を走っています)。赤い色のモダンな車両でした。ただ、ちょっと気になるのは、4両編成なので、これでお客をさばききれるのかなぁ、という点です。第2ターミナル発の便、第3ターミナル発の便が、それぞれ別個に運転間隔15分で運航するのだそうです。それで4両編成だと相当に混雑するのじゃないかなぁ、と思います。混むのがイヤな人は、高いけれどもタクシーを使う、ということになるのかもしれません。また市内と空港を結ぶリムジンバス(地下鉄空港線の市内側のターミナルの「東直門」と空港の間は16元(約240円))の値段と比較すると、この地下鉄空港線の値段は意外に高い感じがするので、そんなにお客は多く乗らないのかもしれません。

 オリンピック公園支線は、8月7日までは一般客は乗せずに、選手やオリンピック関係者だけを運ぶ、とのことです。8月8日以降も、オリンピック、パラリンピックの当日のチケットを持っている人だけが乗れる、ということで、誰でも自由に乗れるようになるのはパラリンピック終了後の9月20日以降だそうです。8月7日までは一般客を乗せずに営業して、8月8日の開会式当日にいきなり何万人もの開会式に出る観客を運ぶようにする、という計画になっているのですが、係員の慣熟などの点で大丈夫なのかなぁ、とちょっと心配です。地下鉄10号線とオリンピック支線の乗り換え駅の「北土城駅」では、地下鉄10号線から乗り換える人は、いったん改札を出て、オリンピックのチケットを持っていることを係員に確認してもらって、飛行機に乗るときと同じような保安検査を受けてから、オリンピック支線に乗り換えるのだそうです。乗り換え客がどのくらいの数いると想定しているのかわかりませんが、この乗り換え駅で観客の乗り換えがスムーズにできるのか、というのもちょっと心配です。

 北京空港では明日(7月20日)から、出迎え見送りの人も含めて、空港に入る人は全て入り口で保安検査(ボディチェック)を受けることになります。従って、飛行機で出発する人は2回保安検査を受けることになります。そのため、空港では、時間に十分に余裕を見て空港に来るように呼び掛けています。

 今日(7月19日)はまだ空港入口での保安検査はやっていませんでしたが、飛行機に乗るときの保安検査はいつもより相当に念入りにやられました。ノート・パソコンは「バックから出して開いて見せろ」と言われ、ポケットにハンカチやちり紙を入れている場合も「出して見せろ」と言われました。いつもより1.5倍くらいは時間が掛かったような気がします。

 ただ、今、空港の利用客はかなり減っています。原油価格の高騰により、燃油サーチャージが高くなったせいか、外国から来る観光客も中国国内の観光客もかなり減っているようです。さらに、中国国内では、四川大地震の影響で、ちょっと気分的に観光旅行をする雰囲気ではない、と感じている人が多いせいか、中国国内の観光客はいつもの年よりかなり少ないようです。また、中国の政府関係機関では、四川大地震の復興を最優先にするため、予算を一律5%カットして復興支援に回すように指示されているそうで、そのために業務上の海外出張案件は相当の数がキャンセルになっているそうです。そのため、オリンピック期間中も含めて、開会式・閉会式の前後のごく短期間を除いては、例えば日中間の航空便は(特にエコノミークラスは)まだ相当空席がある、とのことです。あまり観客が多いと保安検査場が混雑したりするので、原油高や四川地震の影響で飛行場の利用者が少なくなったというのは、むしろ幸いなのかもしれません。

 いよいよ明日(7月20日)から北京市内でのナンバープレート偶数・奇数による交通規制が始まります。7月21日から始まる平日、朝夕のラッシュ時に道路の状況がどうなるか、地下鉄の混雑がどの程度になるのか、空港線がどのくらい混雑することになるのか、しばらくは様子を見る必要があると思います。

| | コメント (0)

2008年7月18日 (金)

活動の場を与える場所としての日本

 7月15日に日本に滞在している中国人女流作家の楊逸氏が芥川賞を獲ったことについて、日本での報道の中に「日本は多くの中国人に対して表現の場を提供している」という趣旨のものがありました。楊逸氏について、そういった指摘が当たっているのかどうかは私にはわかりません。楊逸氏の芥川賞受賞作「時が滲(にじ)む朝」についても「1989年の事件」が時代背景として出てきているとは言え、楊逸氏はこの事件について書きたかったわけではなく、単にいろいろな運命の中を生きる若者の生き方を描きたかっただけかもしれないからです。

 これとは別の話ですが、昨年4月、NHKのハイビジョンで中国人ディレクターに中国を描くドキュメンタリー作品を作らせる「新的中国人」というシリーズがありました。

(参考)NHKホームページ平成19年(2007年)3月22日付け「報道資料」
シリーズ「新的中国人」~若き4監督が撮るディープな今~
2007年4月23日(月)~4夜連続 BS-hi午後10:00~
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/shiryou/soukyoku/2007/03/004.pdf

 先日再放送されたので、その一部を見ました。私が見たのは「上海シティボーイの憂鬱」(監督:郭静、柯丁丁)でした。旅行社でツアーのアレンジをしながら都会に生きる若者と、小さな料理店を営む年老いた両親の話で、激変する中国社会の中で不安を抱えながら何とか生きていく人たちの現実を描いていました。秀作です。体制批判でもなんでもないので、こういったドキュメンタリー番組は中国国内でも作れるとは思うのですが、たぶん、実際にはかなり難しいのでしょう。

 7月15日(日)の最終回の放送で終了したNHKスペシャルのシリーズ「激流中国」でも、番組の終わりのタイトルバックを見ると、中国人らしいスタッフの名前が大勢出てきていました。中国に住む中国人がNHKに協力しているのか、もともと日本に住んでいるNHKの中国人スタッフなのかはわかりませんが、いずれにせよ、番組を作っているのはNHKという日本のテレビ局で、放送されるエリアも日本国内ですが、取材している場所は中国であり、番組を作っているスタッフの一部に中国の人がいる、という意味では、この「激流中国」も上記の「新的中国人」と同じようなところがあると思います。

 「激流中国」は、現代中国の課題を鋭く突いた歴史に残るドキュメンタリーの名シリーズでしたが、中国人スタッフの参画なしでは、これだけすごい番組は作れなかったでしょう。ある意味では、この「激流中国」は、番組の制作に参加した中国人スタッフに活動の場、表現の場を与えた、と言ってよいかもしれません。中国には優秀な人がたくさんいるので、活躍の場を与えるとものすごい力を発揮します。アメリカの大学の優れた研究論文に Liu さんとか、Wang さんとか、明らかに中国系と思われる人の名前が多いことでもそれはわかります。

 「激流中国」は、もちろん日本向けの番組で、ナレーションなどは全て日本語ですが、中国国内でも相当に話題になったようです。中国国内では、新聞などのオモテのメディアで「激流中国」について議論することはできませんが、ネットの掲示板などでは、かなり話題になったようです。詳しくは、日本語ウィキペディアの「激流中国」の項目を御覧下さい(ウィキペディアですので、私が今見ている内容は、今後変更される可能性がありますけど)。

 「激流中国」は、NHKの国際テレビ放送のNHKワールド・プレミアムでも放送されていましたので、私は北京で見ていました。「激流中国」の放送中は、チベット騒乱や海外でのオリンピック聖火リレーの時にあったような検閲によるブラック・アウトはなかったので、この番組の内容は中国当局にとっても「許せる範囲内」(かなりギリギリの線だとは思いますが)に収まっていたようです。でも、「激流中国」の制作に携わったスタッフが、中国国内のテレビ局で同じような番組を作ることは、現状ではとても無理でしょう。香港や台湾のテレビ局には、西側的な「報道の自由」がありますから、香港や台湾のテレビ局がこういった番組を企画することも可能だと思いますが、いろいろ政治的なしがらみを考えると、取材と放送が実現するのはやはり難しいと思います。日本のNHKという、ちょっと第三者的に離れた存在のテレビ局だからこそ、こういった番組が作れたのだと思います。

 NHKの放送は、もちろん日本の国内向け放送ですが、実はBS放送(ハイビジョンも含む)は、中国沿岸部では大きなパラボラを設置すれば受信できます。NHK-BSを受信できる衛星テレビ受信設備を付けるには当局の許可が必要ですので、そんなに多くの人は見ていないと思いますが、少なくともネットで話題になる程度には見ている人がいた、ということだと思います。

 そもそも、中国革命の初期の段階において、中国革命の父・孫文は、日本に留学し、日本で革命組織を立ち上げました。日本は、孫文以外の多くの中国革命の推進者にも、活躍の場を提供していたのです。中国共産党の創始者である陳独秀と李大釗に中国共産党の設立を決定した第1回全国代表大会(1921年7月)に出席した12名の合わせて14名のうち、日本留学帰国者は6名いました。国民党側では、孫文の跡を継いだ蒋介石も日本の陸軍士官学校の出身です。その後、日本の軍国主義は、中国革命に大きく干渉して行きますが、日本が中国の歴史を進める多くの人々に活躍の場を与えたのは事実であり、そのことは中国の人々もよく知っています(中国近代化に大きな足跡のあった文豪・魯迅が東北大学に留学していた話は、中国の中学校の教科書に出てくるそうです)。

 作家や映像作品の監督など「表現する者」は、今の中国は活動しにくい場所です。例え政治的なことや体制批判などをするつもりが全くなくても、やはり活動しにくいと思いいます。外国人の私ですら、こうして自分のブログを書くときでも「1989年の事件」と書いたり、「その年の6月第一週の出来事」などとぼかした表現を使っているのは、そのことズバリの言葉を書くと、キーワード検閲に引っかかる恐れがあると思って自己規制しているからです。ネット上でデモの呼び掛けをする、などということをしなければ、公安当局に引っ張って行かれることはないはずなのですが、インターネットの接続を切られたりするのではないか、といった恐怖感はやはりぬぐい去れないのです(実際、日本語ウィキペディアで上記の「事件」のそのものズバリを検索すると一時的にウィキペディアへのアクセスを遮断されます(ほかの項目も検索できなくなる))。そのような状況に置かれているので、知らず知らずのうちに表現上の自己規制をしてしまうのです。プロの「表現者」にとっては、これはかなりつらいことだろうと思います。

 そういった「表現者」の人たちにとって、もし、日本が活動しやすい場所なのだったら、活動の場を提供することは日本としても悪いことではないと思います。中国の内政に干渉するようなことは厳に慎まなければなりませんが、中国の人々が中国のために活動する場として、日本が活動しやすいのならば、孫文の場合がそうであったように、活動の場を提供することも日本としてのひとつの役割でしょう。NHKの「激流中国」や「新的中国人」のシリーズは、その意味でもひとつの記念碑的なシリーズだったのかもしれません。

| | コメント (0)

2008年7月17日 (木)

北京オリンピック観戦客の「足」の問題

 今日(7月17日)現在、北京の地下鉄10号線とオリンピック公園支線、空港と市内を結ぶアクセス鉄道(北京首都空港鉄道)は、まだ開通していません。開通日は「今週末」とだけ発表されており、19日(土)なのか20日(日)なのかわかりません。これらの路線については、最初は「6月末開通」という「ウワサ」があり、そのうち「7月上旬に開通」との発表があり、それが「7月中旬に開通」になり、今は「今週末に開通」ということになっているのです。なぜ開通が遅れているのかに関する情報は全くありません。

 北京にある既存の地下鉄でも、車両を新しいものに変えたり、切符売り場に自動販売機を導入したり、とオリンピックへ備えての準備が進められているのですが、先日、切符の自動販売機が登場した時は、お客が使い方がわからない、とか、機械が故障した、とかいうことが重なって、自動販売機にお客が殺到して混乱するトラブルがありました。地下鉄2号線の「北京駅」では、お客が数少ない自動販売機に殺到して危険なため、入り口を閉鎖する措置を講じました。地下鉄2号線の「北京駅」は、その名のとおり長距離鉄道の北京駅との乗り換え駅ですので、地方から出てきた大きな荷物を持った人が地下鉄に乗り換えることができず、地下鉄の隣の駅まで歩いたり、長蛇の列の後ろについてタクシーを待ったり、という事態になりました。

 北京の地下鉄は、東京でいう「スイカ」や「パスモ」、大阪の「イコカ」と同じICカードで乗れます。ICカードを持っていればスイスイ改札を通れるのですが、切符の自動販売機ではこのICカードにチャージすることができません。チャージは窓口でやる必要があるのですが、窓口が駅に一つしかないので、チャージする人は長蛇の列、というケースが多々あります。これだけ市場経済が進んでいる中国ですが、地下鉄は「公営」なので、自動販売機の設置を担当している人は「切符が買えればいいんでしょ」とばかりにICカードのチャージについては何も考えていない、など、「地下鉄」では、古い計画経済の体質がちょこちょこ顔を出します。それでちょっと心配なのが、北京オリンピック観戦客の「足」の問題なのです。

 北京市内の移動の手段は、地下鉄のほか、バス、タクシーがあります。バスは慣れていると安くて便利ですが、交通渋滞に巻き込まれると、「いつ来るかわからない状態」になり、停留所に人があふれます。北京はタクシーの台数は多く、普段は、気軽に拾えますが、夕方のラッシュ時や雨が降り始めの時は、みんなが一斉にタクシーを拾うので、途端に拾いにくくなります。その意味では、地下鉄は渋滞もないし快適なのですが、オリンピックを控えて7月1日から地下鉄に乗る時にも保安検査(ボディチェックなど)を行うようになったので、試合終了時などに大量のお客が一時的に集中する際には相当の混雑が予想されます。

 7月20日からは、自家用車などはナンバープレートの偶数・奇数で交通制限が掛かるので、多くのマーカー通勤族が地下鉄やバスを利用するようになると予想されます。従って、本来は、地下鉄10号線は、7月20日以前の「通常の状態」の段階で開業して、お客の流れなどに一応慣熟してから、マイカー規制によりお客が殺到する7月21日(月)からの週を迎えたかったはずです。しかし、結局、それができずに、新しい路線の開通とマイカー規制による地下鉄へのお客の殺到が同時に起こる事態になってしまいました。7月21日の週、朝夕の通勤ラッシュ時に地下鉄10号線がどういう状態になるのかちょっと心配です。

 日々の通勤の足も心配ですが、オリンピック観戦客の各試合会場への行き帰りの「足」の確保も心配です。北京は、まだ、東京のように「地下鉄が網の目のように張り巡らされている」というほど地下鉄が整備されていないので、多くのオリンピック会場は、地下鉄では行けない場所にあります。オリンピックの各試合会場へは、行きバスやタクシーを使えばたどり着けると思います(ただし、バスは路線が複雑だし、タクシーも英語はほとんど通じないので、初めて中国に来た人がバスやタクシーで目的地に行くのは、それなりに大変です)。

 最も心配なのが、帰りの足を確保することです。特にサッカーなど試合が終わると何万人もの人が一斉に帰る種目の場合は、バスはすぐに満員になるだろうし、タクシーがすぐつかまるとはとても思えません。テロ防止のため、試合会場周辺はほとんどが駐車禁止になると思うので、マイカーで相乗りで試合会場に行く、というのはたぶんムリです。特に心配なのは、オリンピック・スタジアム(通称「鳥巣」)に通じる地下鉄が(これから開通する)オリンピック公園支線1本しかないことです。近くの複数の地下鉄の駅との間でシャトル・バスを運行するという話もありますが、オリンピック・スタジアムは9万人以上入れるそうですので、満員のお客が一斉に帰途についたら、地下鉄1本でさばけるのだろうか、と不安になります。

 ちなみに東京近郊の場合、東京ドームだと、JR総武線のほか、東京メトロの地下鉄丸ノ内線と南北線、都営地下鉄三田線の合計4本の鉄道の駅があるから、試合後の人の波をさばけているのです。西武ドームは西武鉄道の西武球場線と山口線の2本しかありませんが、試合終了の頃になると、西武球場駅では列車を5~6本待機させる特別ダイヤを仕立ててお客を輸送しています。北京のオリンピック・スタジアムでこういった東京のスタジアムと同じような観客輸送ができるのだろうか、という点は、全くの未知数です。

 日本の旅行会社の「北京オリンピック観戦ツアーパック」のネット上にある広告を見ていたら、日本と北京との航空券とホテルは確保するが「試合会場とホテルとの間は公共交通機関を使って各自で行き来してください」というのがありました。普通は、パック旅行の場合、北京市内の観光は、バスを仕立てて移動するのが普通なのですが、ナンバープレートの偶数・奇数規制などの各種交通規制があるために旅行会社も確実にバスを手配することができないのでしょう。北京市内の幹線道路では、オリンピック期間中は「オリンピック車両専用レーン」が設定されていますので、主要道路では一般車両が通れるレーンは普段より1つ少なくなります。ナンバープレート規制と政府機関の公用車に対する規制により、自家用車や政府機関の車は普段の4割程度に減らすそうだし、オリンピック期間中は休暇を取る人も多いと思うので、道路のレーン数がいつもより1つ減っても、普段の北京のような交通渋滞は起きないと思いますが、試合会場近くでは、かなりの渋滞になることが予想されます。

 日本の旅行会社の「パック」の中には、サッカーの観戦ツアーで「行きは皆様を会場へお連れします。」「試合終了後は、各自でホテルにお戻りください」というのがありました。試合会場周辺は駐車禁止措置が採られるので、迎えのバスを待機させておくことができないから「各自でホテルにお戻りください」ということになるのでしょう。こういったパックに参加される方は、相当の覚悟が必要です。こういう状況だと違法タクシー(日本語だと「白タク」、中国語だと「黒車」)が出没する可能性がありますが、これは違法ですし、悪質なのにつかまるといくら取られるかわかりませんので、違法タクシーに乗るのはやめましょう。

 私は、今度の北京オリンピックでは、選手や競技関係者の移動などはきちんとやると思うので、競技自体は何の問題もなくスムーズに行われると思います。新聞記者に対する情報提供などもきちんとやると思います(プレス(報道関係者)に対するサービスが悪いと、何を書かれるかわからないので、北京オリンピック委員会もプレスに対するサービスはきちんとやると思います)。

 問題は、一般観客がオリンピック観戦に満足して帰るか、です。心配なのは、上に書いたように試合会場までの行き帰りの「足」の確保がきちんとできているのか、ということと、もうひとつは「チケット問題」です。日本ではオリンピックのチケットがなかなか手に入らないそうですが、それは中国国内でかなり大量のチケットが留保されていることを意味しており、かなりの数の「ダフ屋」が出ることが予想されます。「ダフ屋行為」は違法ですし、ニセモノのチケットをつかまされる可能性もありますから、「ダフ屋」からチケットを買うことは避けるべきです。一般観客の「足」の問題と「ダフ屋」の問題で、小さなトラブルが頻発するのではないか、というのが今の時点での私の心配です。また、試合会場入り口での保安検査が厳重で観客が列を作ってしまったさばききれず「試合開始に間に合わなかった」といった観客の不満が出る場面も出そうです。

 「足」や「チケット」や「警備の問題」などで一般観客が不満に思ったり、一部で観客が若干のトラブルを起こしたとしても、競技自体が無事終われば「オリンピックは成功」ということになるのでしょう。そもそも中国で暮らすためには、オリンピックがあってもなくても、「だまされないように細心の注意を払う」「情報がない中でいかに自分で判断するか」「予定が急に変更になった時にあわてずに対処できるか」といった「サバイバル精神力」が必要です。北京オリンピックを現地で実際に観戦される皆様には「サバイバル精神力」「我慢する精神力」「『何の情報ない』といった状態に耐え抜く胆力」「予定と違った事態が発生した時に柔軟に対処できるしたたかさ」をお持ちになり、「オリンピック観戦」という「戦い」を勝ち抜かれることを希望したいと思います。

 なお、私自身は、オリンピック期間中はずっと北京にいる予定ですが、残念ながらその種の「強靱な精神力」や「胆力」「したたかさ」については、まだまだ修行が足りていないので、競技場で見ることはやめて、テレビで観戦することにしています。

| | コメント (0)

2008年7月16日 (水)

ロシアに比べて中国の改革は成功したのか

 昨日(7月15日)、中国人女流作家・楊逸氏が書いた「時が滲(にじ)む朝」が第139回芥川賞を受賞しました。日本語を母国語としない作家が芥川賞を受賞したのは初めて、とのことで、これはすばらしいことだと思います。

 こういった外国にいる中国人の活躍は、中国本国にとっても誇らしい話だと思うのですが、この楊逸氏の芥川賞受賞については、中国での報道のされ方は非常に小さいものになっています。今のところ、新華社や人民日報では報じられていません。私はこの小説自体はまだ読んでいないので内容は知らないのですが、日本での報道を見ると、この「時が滲(にじ)む朝」の内容は、1980年代後半、立身出世を夢みる青年が、大学に入った後、民主化運動に参加するものの「1989年の事件」の後、小さな事件を起こして放校になり、苦い思いをしつつ日本に移住して生きていく、というようなストーリーのようなです。「1989年の事件」が出てくるためか、中国のメディアはこのニュースの取り扱い方を相当迷っているようです。

 「中国新聞網」では、この楊逸氏の芥川賞受賞のニュースは報じていますが、その作品について紹介する文章の中で「民主化運動に参加するものの1989年の事件の後、小さな事件を起こして方向になり・・・」といった紹介はされずに「人生の苦悩をきめ細やかに描写した喜びと悲しみの入り交じった青春小説」と紹介されています。

(参考1)「中国新聞網」2008年7月16日9:20アップ記事
「日本在住の中国人女性作家、日本の第139回芥川賞を受賞」
http://www.chinanews.com.cn/cul/news/2008/07-16/1313891.shtml

 この小説は、本当に「青年の苦悩」を描いたもので「1989年の事件」は単なる時代背景に過ぎず、この小説ではこの事件に対する政治的な意向の表明はなされていないようですが、現在の中国当局は、「とにかく『1989の事件』には触れたくない」のだと思います。この作品は、日本で最高の権威ある新人賞である芥川賞を獲ったということで、たぶん中国国内でもネット上などでは話題になると思います。楊逸氏ご自身で中国語に翻訳すれば、中国国内でも売れると思いますが、それを中国当局が許可するかどうかは、今の時点ではよくわかりません。

 このように表向き「1989年の事件」は、中国では「触れてはいけないこと」なのですが、知識人の中では1978年から始まった改革開放政策の中で「1989年の事態」とその後の中国の歩みをどう評価すべきか、といった議論は、まじめに議論が行われています。それを端的に表したのが、7月10日号の週刊紙「南方週末」(日本語表記は「南方週末」)の経済欄に掲載された二人の学者に対するインタビュー記事「ロシアの改革に比べて中国はより成功したと言えるのか」です。

(参考2)「南方周末」2008年7月10日号記事
「改革開放30年放談シリーズ第1回:ロシアの改革に比べて中国はより成功したと言えるのか」
http://www.infzm.com/content/14407

 この対談は「南方週末」の編集部が中国経済改革研究基金国民経済研究所副所長の王小魯氏と北京大学中国経済研究センター副主任の姚洋氏に対して行ったインタビューをまとめたものです。

 1980年代半ばからソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ペレストロイカ(政治改革)とグラスノスチ(情報公開)を進めて、改革を進めることによってソ連共産党とソビエト連邦を維持しようとしましたが、1989年には膝元の東ヨーロッパ諸国で次々に民主化革命が起き、ついには1991年、ウクライナ、ベラルーシなどが独立して、ソビエト連邦自体が崩壊してしまうとともに、ソ連共産党自身が解散したのでした。ゴルバチョフ氏も政治の世界ではエリツィン氏に破れ、ソ連の大部分の地域を占めたロシア共和国の初代大統領にはエリツィン氏が就任したのでした。その後、ロシアは、経済的には資本主義化を進め、政治的には選挙を通じた民主政治が確立されました。ただ、1990年代のエリツィン時代は、経済的・社会的混乱が相当に大きく、経済は危機的な状況にあり、多くの国民は苦しい生活を強いられた、と言われています。

 ゴルバチョフ書記長が「ペレストロイカ」「グラスノスチ」の改革を進めたのは、明らかにトウ小平氏が1978年から進めた中国の改革開放政策の成果を見て、ゴルバチョフがそれをソ連でも適用したいと考えたからだ、と私は思っています。実際、私が前回北京に駐在していた1988年頃は、経済的には中国の方が発展が速く、ソ連の人が中国に来ると、中国製の冷蔵庫やテレビを買って帰っていく、と言われていました。

 ところが1989年以降、中国はソ連・ロシアとは全く別の道を歩み始めます。中国国内でもソ連におけるゴルバチョフ改革を見ながら、民主化への動きが見られましたが、「1989年の事件」で、政治改革は完全にストップしました。以後、1992年まで中国では政治路線の紆余曲折がありましたが、結局1992年のトウ小平氏の「南巡講話」により、経済的には改革開放を今後とも進める路線が固まりました。この中国の路線は、経済的には改革開放を進める一方、政治的な民主化は進めないものでした。トウ小平氏は、文化大革命の政治的混乱の中で経済政策が停滞して人民が苦しんだことを自らイヤというほど経験していましたし、1989年~1991年に掛けて政治的変革を遂げたソ連において、ソビエト連邦自体が崩壊し、政治的にも経済的にも混乱が続いているのを目の前で見ていたので、トウ小平氏は「貧しい中国では、今、政治的論争をやっている時ではない。中国を分裂の混乱に陥れたら苦しむのは人民だ。とにかく経済的な成長をして、人民の生活を向上させることが先決だ。」と考えたのです。

 この結果、現在に至るまで、中国は驚異的な経済成長を遂げました。トウ小平氏の「先に豊かになれる地域や人は先に豊かになってよい」という「先富論」に引っ張られて、富裕層と社会の最低層の格差は広がりましたが、社会全体として急激に経済成長しましたので、社会の最低層でも一定の経済成長の恩恵を受けることができました。しかし、政治改革は1989年以降は完全に先送りされたため、政治的状況は1980年代と現在では全く変わっていません(1990年頃、末端レベルの村民委員会の選挙は始まりましたが、それもその後は全く進展していません)。そのため、中国では、社会の中の格差の問題や地方政府幹部の腐敗、環境汚染の問題などの様々な問題をいかにして政治に反映させるか、という政治的フィードバック・システムができておらず、一部の地方では人民の不満がうっ積しているところがあり、毎年群衆による暴動事件が頻発しています。

 こういったロシアと中国の状況について、西側には以下のような見方があります。

「ロシアは先に政治改革をやったので、今までは経済的には苦しかったが、一応、選挙による政治家の選出という政治的なフィードバック・システムはできたので、これからは経済的にはロシアは徐々に力を付けていくだろう。つまりロシアは政治改革という『苦しいこと』を先に済ませてしまったので、これからはむしろ中国より楽に経済の成長を図ることができる。」

「中国は経済成長優先で政治改革は全くやってこなかった。政治改革という『苦しいこと』を先送りしてしまったが、国内の格差がこれだけ広がった以上、なおさら政治改革は避けて通れない仕事になったが、これから政治改革という『苦しい仕事』をやりながら経済運営を行わねばならない中国は、ロシアよりも苦しい道を歩むことになる。」

「今の時点では、『苦しい政治改革』を経験したロシアの方が経済的には遅れている面もあるが、今後は中国がこの『苦しい政治改革』をやらねばならない。中国のように経済活動が活発になった後に行う『政治改革』の方が、既得権益グループによる抵抗が強く、大きな『改革の痛み』が伴う可能性がある。従って、長期的視野に立てば、中国の選択よりロシアの選択の方が結果的によかったと見るべきである。」

 「南方周末」に掲載されたインタビュー記事は、こういった西側の問題意識に対して真正面から議論するものです(今「西側の問題意識」と書きましたが、「南方周末」が「改革開放30年放談シリーズ」の第1回としてこの問題を取り上げた、ということは、この問題意識が中国国内にもあることを示しています)。

 このインタビュー記事のポイントは以下のとおりです。

-------------
南方週末編集部:西側には、ロシアは先に「コスト」を支払ってしまったが、中国はこれから「コスト」を支払わなければならない、という見方がある。これについてどう考えるか。

王小魯氏:この問題は、ロシアがこれから得られるであろう「過去に払ったコストに見合う収益」と、中国がこれから支払うであろう「コスト」をトータルに見てどうかんがえるか、という問題に行き着く。ロシアは「ショック療法」により、急激な改革を行ったわけだが、結局は、少数の寡占者が利益を独占する社会を作っただけである。形式的に一般市民の投票による選挙制度はできたが、社会利益の公平化が図られたとは言えない。長期間のトータルで見れば、ロシアの改革の方が中国のやり方よりよかった、という見方は、これからロシアがうまくやり、中国が今後うまく改革を進められない、という仮定に基づいたものであるが、そういった仮定は公平な仮定ではない。

姚洋氏:中国は一般庶民の犠牲を強いることなく一定の経済的基盤を作ることができた。ロシアは1世代の間、一般庶民に非常に苦しい生活を強いていた。ロシアの平均寿命は56歳であり、中国の72歳に比べてずっと低いことを見てもそれはわかる。従って、ロシアが成功し、中国は成功しなかった、という見方は誤りである。

南方週末編集部:多くの西側の学者は、ロシアの現状を見て、結局はロシアの改革のやり方の方が中国の改革のやり方より優れたやり方だった、と見ていることについてどう考えるか。

王小魯氏:西側の人は「市場経済化」と「政治の民主化」という二つの座標軸で判断している。これらは一つの理論的な目標である。確かに現在のロシアにおいては既に両方が実現している。一方、中国では市場経済化は進みつつあるが未だ不徹底であり、政府による干渉も多い。また、政治体制においては、中国ではひとつの完成した体系は未だできあがっていない。その意味ではロシアの改革の方が中国の改革よりよかった、ということになる。しかし、「市場経済化」と「政治の民主化」の最終目標は何なのか? 結局は、一般大衆の生活が改善され、社会全体が発展することではないのか? 形式的に一般大衆による選挙で大統領が選ばれる制度ができていたのだとしても、大統領が社会の監督を受けて問題を解決したり、一般大衆の利益を代表したりしているのでなければ、真に政治体制の改革が行われたことにはならない。

姚洋氏:西側的見方をする人の多くは「中国には憲政がない」とか「中国には自由な選挙がない」とか概念的な面だけ見て「中国はよくない」と批判している。しかし、現在の中国の政府は「中性政府」とも言えるもので、大多数の人々の利益に一致する政策を選択できるし、一方で特定の利益集団の利益に引っ張られないようにすることもできる政府である。

王小魯氏:西側の人が言う一般大衆により選出される選挙によってできた政府は一般大衆の利益に反することがない、というのはそのとおりだが、一般に、一般大衆は「政府は小さければ小さいほどよい」と考える傾向がある。しかし、政府には一定の役割があり、政府を小さくし過ぎると結局は一般大衆の利益に反することになる。市場経済のあり方にもいろいろなあり方があるのと同様に、政治の面においても様々なやり方がある。私も政治改革はしなければならないと考えているが、最終目標は一般大衆の利益を図ることであり、今後改革を行うに当たっては、その改革が一般大衆の利益に合致するのかを常に認識しなければならない。
--------------

 このインタビュー記事の中では、王小魯氏も姚洋氏も、現在の中国共産党と中国政府のやり方を肯定し、ロシアの「民主化」は一定の利益グループを形成しただけで、一般大衆の利益になっていない、と指摘して、一般大衆による直接選挙が全てを解決するわけではない、として、現体制を擁護する立場を取っています。その意味では、それほど真新しい内容を含んでいるわけではないのですが、1989年~1991年におけるソ連からロシアへの変革(当然その中にはソ連共産党の解体も含まれている)を横目で見ながらの議論をまじめにしている、という点で、私は注目すべきものがあると考えています。

 週刊紙「南方周末」は、その名の通り週末に発行される週刊の新聞ですが、かなり突っ込んだ記事や評論を掲載することで有名です。NHKスペシャル「激流中国」の「ある雑誌編集部~60日の攻防」(2007年4月2日(月)午後10時~10時49分:総合テレビで放送)で紹介された「南風窓」は、この「南方周末」系の雑誌です。「南方周末」は、広東省広州市で発売されている新聞ですが、なぜか北京の新聞スタンドでも買うことができます。1部2元(約30円)と中国の新聞にしてはやや高めですが、内容がなかなか鋭く、「お金を出しても読みたい」と思える新聞なので、運賃を掛けて北京に運んできても、結構ペイするくらい売れるのだと思います。上記のインタビュー記事にあるように、そもそも登場するのが北京の知識人が多いのも、北京で売れる理由の一つだと思います。

 これは中国の新聞の特徴で、広州で発行される新聞は北京市当局のチェックを受けない(広州市の監督下にある)ので、比較的自由にものが書きやすいのです。「自由に」とは言っても、上記の記事にあるように、現在の政府の政策に反対するようなことは書けないのですが、「視点」が現在の政府にとっては「痛いところ」「触れて欲しくないところ」も突くのが魅力です(だからこそ北京でも売れるのでしょう)。

 冒頭に書いたように、中国では、まだまだ「1989年の事件」については「触れてはいけない」のですが、確かな政策運営を進めるには、タブーを置かずに自由に議論し、その中から最も適切な政策を選択することが重要だと思います。従って、広州で売られている「南方周末」が北京で買える、といった方法(タテマエは守った上で、そのタテマエの中で実質的な議論を進めていく)でよいので、中国の人々の間で、国全体の将来を考えて、中国の多くの人々の知恵を結集して、これから起こるであろう、いろいろな難局に当たってもらいたいと思います。

(2008年7月17日追記)

 2008年7月17日付けの「新京報」の文化欄では、楊逸氏が芥川賞を獲ったことが報じられています。

(参考3)「新京報」2008年7月17日付け記事
「中国人女流作家の楊逸氏、芥川賞を獲得」
http://www.thebeijingnews.com/culture/2008/07-17/011@092204.htm

 この「新京報」の記事では、受賞作「時が滲(にじ)む朝」について、次のように紹介しています。

「この小説は20年前の中国の社会的変動を背景としている。この小説では一人の中国人青年の足跡を追い、その風波の前後に遭遇した運命と失意について描写している。ストーリーの最後では、この男性主人公は、日本に移住したけれども『心の中では最初に持っていた理想を以前として持っていた』ことが述べられている。」

 この記事では「20年前の中国の社会的変動」とか「風波」とか表現していますけど、一定の年齢以上の人ならば、これを読めば何を指しているかはわかると思います。このあたりの表現が「1989年の事件」に関して、現在の中国の新聞で書ける限界なのだろうと思います。

| | コメント (0)

2008年7月14日 (月)

時事ネタ・ジョークはどこまで許されるのか

 6月28日に起きた貴州省甕安県での暴動事件は、ある少女が川で死亡しているのが見つかり、警察は自殺だと断定したが、少女が死んだ現場にいた男友達の中に県や公安の幹部の息子がいて、本当は少女を乱暴して死に至らしめたものを警察が自殺だと決めつけたからではないか、と多くの民衆が疑ったことから発生したのでした。

(参考1)このブログの2008年7月3日付け記事
「貴州省甕安県の暴動事件の真相」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/07/post_ef2a.html

 上記のブログの記事にも書きましたが、この事件について、貴州省の公安当局は、少女が死亡した時の状況について次のように説明しています。

○男女4人が夜に川の上の橋のところへ来て話をしていたところ、少女が「川に飛び込んで死ぬのはやめた」と言った。

○この少女の男友達が離れていった後、もう一人の男性が橋の上で腕立て伏せを始めたところ、少女が川へ飛び込んだ。

○急いで助けようとしたが助けられず、警察を呼んで少女を引き上げた時には既に少女は死亡していた。検死の結果、死亡の原因は溺死だった。乱暴された形跡は見つからなかった。

 この公安当局の発表を聞いて、多くのネットワーカーたちは、若い男女4人が夜に橋の上に行って話をしているうちにそれぞれがバラバラになった、という状況の下で、その中の男が突然「腕立て伏せを始めた」という状況がどう考えても不自然だと感じたのでした。「この説明では納得できない」「ウラに何かあるはずだ」として、インターネットの掲示板でこの件に関する議論が燃え上がったのでした。そして、「寝苦しい夜には腕立て伏せをしよう」といったような、皮肉を込めた言い方が流行し、「腕立て伏せ」という言葉は、あっという間に中国のネット上での「流行語」になったのでした。

 こうした状況を背景にして、南京市内のあるマンションの建設現場で、マンション販売会社が「マンション価格は水に飛び込むようなことになるはずはない。ただ、腕立て伏せをしているだけだ!」という大きな広告板を出しました。これは最近、不動産バブルがはじけ気味で、マンション価格が低落している地域があることを踏まえて、「マンション価格が急落することはありませんよ。今、少し価格が下がっていますが、またしばらくすると上がってきますよ(だから、心配しないでマンションを購入しましょう!)」とお客に訴える広告なのです。貴州省甕安県での事件を念頭において、「水に飛び込む」「腕立て伏せ」という今ネット上で流行っている言葉を使った一種のジョークです。

 客観的に言って、少女が死亡し多くの住民が暴動を起こした事件をジョークで茶化すことは極めて不謹慎で、ひんしゅくモノだと私も思いますが、今の中国で、こういった政治的背景がある時事ネタを使ったジョークがどこまで許されるのか、を計る上では、ユニークな例だと思います。この広告は、今のところ、当局から「ケシカラン」というおしかりは受けていないようです。この広告主は、不動産価格が不安定になっている現状に対して有効な手を打っていない政府の政策にひとこと物言いをしたかったのかもしれません。その意味では、この広告は、社会的には相当に不謹慎でひんしゅくモノだとは思いますが、政治的には、結構、辛辣な風刺も含んでいると思います。

(参考2)「現代快報」2008年7月9日付け記事
「『腕立て伏せ』がマンションの広告になる」
http://www.kuaibao.net/html/2008-07/09/content_64068671.htm

 今、私の住んでいるアパートメントでは、香港で制作され衛星を使って配信されている普通話(中国の標準語)の音楽専門チャンネル「チャンネルV」を見ることができます。去年の夏頃、このチャンネルで流れていたある音楽配信サイト運営会社のコマーシャルを見ていたら、アニメーションで若い労働者風の男女が集団でピンク色の旗を高く掲げたり拳を高く振りかざしながら行進している場面が出てきました。1950年代の社会主義の宣伝映画の場面のような雰囲気でした。そして、「為音楽服務」という文字が大きく出て、この音楽配信サイトの会社名がバーンと画面に出たのでした。「為人民服務」(人民のために奉仕する)というのは中国共産党の最も重要なキャッチ・フレーズなので、このコマーシャルを見て、私は大いに受けてしまいました。掲げているのが紅い旗ではなくて、ピンク色の旗なので、まぁ、これくらいのジョークは許されるのだろうなぁ、と思いながら見ていました。しかし、このコマーシャルは、この時1回だけ見ただけで、その後は一度も見ることはありませんでした。

 私個人としては、大いに「受けた」このコマーシャルですが、誰が見ても中国共産党のキャッチ・フレーズのパロディであることは明らかなので、「その筋」からおしかりを受けたのかもしれません。このチャンネルは制作されているのが香港なので、そういったCMを制作する表現の自由は保証されているはずなのですが、この衛星放送局は大陸に配信することが大きな収入源ですから、「その筋」からおこられたら従わざるを得ないのでしょう。このCMが二度と見られなくなってしまったことから、私は、やはり、中国共産党のパロディというのは、中国においては「許される範囲を超えたジョーク」なのかなぁ、と思ったのでした。

 「これを言ってはいけない」「こういう表現をしてはいけない」という規制を掛けると、人々はそれに触れない範囲で微妙な言い回しで婉曲な表現を使って、自分の言いたいことを表現するようになります。上記の貴州省での暴動についてのこのブログの記事にも書きましたが、「水は船を浮かべることができるが、水は船をひっくり返すこともできる」といった掲示板の発言は、これだけ見れば、表現禁止の内容には当たりませんが、周囲の状況を踏まえると、相当きわどいことを表現していることがわかります。従って、上で紹介したマンション販売会社の広告板は、社会的にはいささか不謹慎だとは思いますが、今の中国では、政策に対する風刺、という意味では、なかなかひねった傑作のひとつと言えるのかもしれません。

| | コメント (0)

2008年7月13日 (日)

「オリンピックを機会に」と思う人々の願い

 昨日(7月12日)早朝、北京近郊で農薬を散布していたヘリコプターが墜落し、乗員1名が死亡したほか、墜落したヘリコプターが高圧電線を切断して約5,000戸が停電しました。また、昨日午前9時頃、北京市内の地下鉄2号線の朝陽門駅で一人の男が線路に転落し、地下鉄2号線が約10分間運行を停止しました。転落した男は軽傷で済んだそうですが、転落した原因は不明なのだそうです。これらのニュースは昨日の夕刊にも載ったし、今朝(7月13日朝)の「新京報」などの朝刊紙にも載っていました。

 午前中に起きた事件や事故のニュースがその日の夕刊に載り、翌日の朝刊に載るのは、日本(というか「普通の国」)ならば別に珍しくもない当たり前のことですが、今日の「新京報」の社説では「こういった『突発的に起きたマイナスのニュース』が1時間程度で新華社で報道され、多くの人々に知らされたことは、注目に値し、嬉しくてホットする」と評価しています。この手の「突発的なマイナスの事件」が迅速に新華社のページで報道されるのは、これが初めてではないし、「新京報」の社説が「注目に値し、嬉しくてホットする」とまで言って持ち上げるのは、やや大げさな感じはするのですが、今までの中国において「マイナスのニュース」が迅速に報道されにくかったのは事実です(社説を書いた人は「皮肉」のつもりで大げさに「伝え方が迅速だったのは良かった」と新華社を持ち上げたのかもしれません)。

(参考)「新京報」2008年7月13日付け社説
「オリンピックは情報公開された中国を試す一つの試験である」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2008/07-13/011@082021.htm

 この「新京報」の社説では、オリンピックが開かれることにより、中国の一挙一動に対して世界が注目し、何万人もの外国の報道陣が中国を訪れて「非常に複雑な状況」になるので、情報公開をさらに進め、情報を秘匿することによるリスクを減らすようにすることが必然的に求められる、と指摘しています。ある外交官は、最近の中国の情報公開は、オリンピックを開催するという圧力によるものではなく、中国の改革開放30年の結果として得られたものなのだ、と主張しているとのことです。この社説では「その意味では、北京オリンピックは、中国が改革開放の過去30年で得てきた中国社会の開放性と情報公開が徐々に進んできたことを試す一種のテスト期間であると信じる」と指摘しています。例によって、この社説では今ひとつ「ズバリ」と本音をストレートに書いてはいない感じがしますが、要するに、この社説を書いた「新京報」の論説委員もオリンピックを機会に中国の情報公開が一歩前進することを願っているのだと思います。

 よく多くの外国人が「北京オリンピックを機会に中国がより新しい段階へ進むことを期待する」といったことを言いますが、実はそう思っているのは中国の人々自身なのです。ただ「新しい段階へ進むこと」に対する期待を強く述べることは、「今まではダメだった」と表明することの裏返しですから、余りストレートにはそれを言えないだけなのです。

 今まで何回も書いてきたように、オリンピックが近づくにつれ、日常生活に影響する様々な規制が強化されてきています。日々の暮らしを少し我慢するから、それならその分、オリンピックを機会にもうちょっと「マシ」になって欲しいなぁ、と思うのは、中国に住んでいる外国人も中国の人々自身も全く同じ気持ちだと思います。

| | コメント (0)

2008年7月11日 (金)

2008年上半期の北京の大気汚染指数

 今までにもこのブログで何回か国家環境保護部(今年3月の全人代の決定により「部」に昇格する前は国家環境保護総局)が発表する北京の大気汚染指数について書いてきました。

 大気汚染指数の定義等については、下記の記事を御覧ください。

(参考1)このブログの2007年6月19日付け記事
「北京の今日の大気汚染度はIII(1)級(軽微汚染)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/iii1_5bc5.html

 2006年の北京の大気汚染指数の度数分布については、下記の記事を御覧ください。

(参考2)このブログの2007年8月22日付け記事
「北京の自動車交通制限と大気汚染指数」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_284f.html

 2007年の北京の大気汚染指数の度数分布については、下記の記事を御覧ください。

(参考3)このブログの2008年1月3日付け記事
「2007年の北京の大気汚染指数」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/2007_7776.html

 今年(2008年)も上半期が終わりましたので、2008年1月~6月の北京の大気汚染指数を度数分布にしてみたら下記のようになりました。

【2008年1月~6月の北京の大気汚染指数の度数分布】(■=1日)

000-020:■1
021-030:■1
031-040:■■■■■■■7
041-050:■■■■■■■■■9
051-060:■■■■■■■■■■■■■■■■■17
061-070:■■■■■■■■■■■■■■■■■■18
071-080:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■25
081-090:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■24
091-100:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■21
101-110:■■■■4
111-120:■■■■■■■■■9
121-130:■■■■■■■■■■10
131-140:■■■■■■■■8
141-150:■■■■■■6
151-160:■■■■■■6
161-170:■■■3
171-180:■■■■4
181-190:■■2
191-200:0
201-210:0
211-220:0
221-230:0
231-240:■1
241-250:0
251-260:■1
261-270:0
271-280:0
281-290:■1
291-300:0
301以上:■■■■4
合計=182日

 今までの傾向と同じように100以下と101以上のところで、明らかに不自然な「くびれ」が出ています。100以下は「良」、101以上は「軽微汚染」で、100以下を「青空」として、「青空」になる日を多くする、というのがオリンピックを控えての目標でした。確かに以前のデータに比べると、総体的には改善傾向は見られていると思います。ただ、以前にも書きましたが、上記の度数分布の形は、「青空」の日を多くする、という目標を達成するために数字の操作が行われている可能性を示している、と私には見えていました。

 今日、日本からの報道を見ていたら、北京市環境保護局の担当副局長は、7月10日に行われた記者会見で、記者から100以上のところの件数がへこんでいる現象について質問されてた際、「汚染指数が基準をわずかに上回りそうな時は、観測点周辺で応急措置を取る」と答えた、とのことです。

(参考4)アサヒ・コム(朝日新聞社)2008年7月11日1:56アップ記事
「『青空』増は人為的? 北京市『汚染ひどいと改善措置』」
http://www.asahi.com/international/update/0711/TKY200807100396.html

(参考5)「MSN産経ニュース」に載っている「共同通信」の記事(2008年7月10日21:44アップ)
「北京の青空に疑惑浮上 観測点で『応急措置』」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/160199

(注)これらのネット上の記事は時間が経過すると削除されます。おそらくこれらの記事は7月11日付けの紙面で記事になっていると思いますので、時間が経過してからこのブログを御覧になっている方は、新聞の紙面の記事の方を参照してください。

 北京市環境保護局の担当副局長が記者の質問に答えて「数字合わせ」のための操作をしていることをあっさり認める、というのも、素直と言えば素直、「あっけらかん」としていると言えば「あっけらかん」としているのですが、この北京市環境保護局副局長の発言を問題視するような中国の新聞の記事は私が見る限り見つかりませんでした。中国の新聞記者は「そういった『数字合わせ』はよくあることでニュース性がない」と判断したのでしょうか。それとも「当局の御指導」で記事にできなかったのでしょうか。

 いずれにしても北京市内の環境保護について「取り締まる側」の立場にいる北京市環境保護局がこのような「数字合わせの操作」をしている、という状態では、誰もまじめに環境基準を守ろうとしないのではないか、と私には思えてしまいます。それとも、こういった観測データが簡単にネット上で入手でき、記者会見で記者の質問に答えて北京市当局の担当者が正直に答えるようになった、ということに「中国の進歩」を見るべきなのだ、今の中国ではそれが限界なのだ、とあきらめるしかないのでしょうか。

| | コメント (0)

2008年7月 9日 (水)

やっぱり生放送じゃなかった「生放送」

 7月9日付けの北京の大衆紙「新京報」によると、中国中央電視台(中国中央テレビ局)では、オリンピックの生中継においては、これまで30秒遅れで放送していた「現場直播」を国際映像と同様に本当の「生放送」で放送することにした、とのことです。

(参考)「新京報」2008年7月9日付け記事
「中央電視台、オリンピックの生中継時に初めて時間遅れのない放送を実施」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/07-09/018@081345.htm

 この記事によると、中国中央電視台では、今まで生中継(中国語で「現場直播」)で何かのイベントを中継する場合は、「放送における安全を保証するため」、30秒間の技術的な遅れを入れていた、とのことです。つまり視聴者は、イベントをリアルタイムで見ているのではなく、30秒前のイベントを見ていた、というわけです。それをオリンピックの生中継からは、この30秒の「技術的な遅れ」を入れずに、国際映像信号と同時のタイミングで放送することにした、とのことです。

 前にも書いたことがありますが、衛星を使ったNHKの国際放送ワールドプレミアムは、ニュースなどは総合テレビやBS-2で放送しているものと同じものを流しているのですが、タイミングは総合テレビ等から20秒~30秒遅れて放送されています。このタイミングのズレを利用して、当局が「不適切な画像」のカットの操作をやっているのです。3月~4月頃にチベット騒乱が起きたり、各国で聖火リレーに対する妨害活動があった時には、この「30秒遅れ」を利用して、NHKでも何回も検閲カット(ブラックアウト)をやられました。中国の国内放送でも、3月の聖火点火式では30秒遅れで放送しており、人権活動家が妨害活動をした場面は、中国国内での放送では別のアングルのカメラに切り替えたために、人権活動家の映像は放送されなかったと聞いています。

 上記の「新京報」の記事を見ると、今回の聖火リレー関連の中継だけではなく、中国では基本的に全てのイベントの生中継は全て30秒遅れで放送され、本当の「生中継」はされていなかったのですね。そういったことを堂々と発表するようになった、というだけで大進歩だと思うべきなのでしょうか。

 私は前から中国のテレビのニュース番組は生放送ではないのではないか、と疑っています(アナウンサーが突然「不適切な発言」をした時に適切に対処するためです)。イベントの生中継が「生中継」ではなかった、というところから見ると、案外、私の「疑い」も間違いではないかもしれません。

 なお、前にも書いたことがありますが、「30秒遅れがなくなった」ということをいいことに、外国人がオリンピックの観戦にかこつけて、政治的なスローガンをテレビカメラに撮させようというような試みは、中国ではやらないで欲しいと思います。中国は政治的なスローガンを許可なく公の場で掲げることは、それだけで「違法」です。オリンピックというスポーツの場で、違法な行為はして欲しくないからです。また、そういう法律があることを承知で中国に入国した外国人は、中国の法律を尊重するのが国際法上の義務だからです(政治スローガンを掲げることを「違法」にする法律自体がおかしいのだ、というのは、また別の議論です)。

| | コメント (0)

2008年7月 3日 (木)

貴州省甕安県の暴動事件の真相

 本件は、日本のマスコミでも報道されており、また、現在まだ「なぞ」の部分も多く、これからも「真相」がわかってくるところがあると思いますが、記録の意味もあり、今日(7月3日)時点で書いておくことにします。

 海外のマスコミで報道されていることと、中国で報道されていることには微妙な違いがあります。しかし、これまでの多くの中国国内の地方での暴動事件とは異なり、本件については、中国国内でも報道されており、掲示板の発言も認められています(ただし、一定の主張の発言は削除されているようです)。今まで私が知り得たことをまとめておきます。

○海外マスコミの報道(いろいろな報道があるものを、筆者がポイントをまとめたもの)

「6月28日、貴州省黔南プイ族ミャオ族自治州甕安(日本語読みでは「おうあん」)県で、数千人(報道によっては数万人)による抗議行動があり、政府関係機関の建物や警察の車両が放火されたりする事件が起こった。数日前、ある少女が川で遺体で見つかり、少女の親族はそばにいた男の友人ら3名に暴行されて殺されたのではないか、と疑っていたが、警察は少女の死を自殺と判断し、3名を釈放した。取り調べを受けて釈放された3名の中に県の幹部の息子がいたために、暴行殺人がもみ消されたのではないか、とのウワサが流れた。抗議に訪れた少女の叔父が警察に抗議に行ったところ、その叔父は暴行を受けて死亡した。この暴動は、これらの警察の動きに怒った民衆が起こしたもので、この抗議行動により多数が逮捕された(報道の中には、取り締まりの過程で警察側が発砲し、複数の死者が出た、というものもあった)。」

○中国での報道

(参考1)「新華社」ホームページ2008年6月29日5:48アップ記事
「貴州省甕安(おうあん)県で焼き討ち事件が発生」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-06/29/content_8456598.htm

[(参考1)の記事のポイント]
 28日午後、甕安県において、女子学生の死因鑑定に対する不満を持つ一部の人が原因となって、群衆が県政府及び公安局に集まった。政府の責任者が応対している時、真相を知らない群衆が一部の人に煽動されて県の公安局、県政府と共産党県委員会のビルに押し掛けた。その後、少数の不法分子が、事務室を打ち壊し、多くの事務室と一両の車に放火した。事件発生後、貴州省の共産党常務委員、公安庁のトップらが現場に駆けつけて、29日午前2時の時点では人々は解散した。事態は拡大せず、甕安県の街は現在のところ正常な状態を回復している。

(参考2)「新華社」ホームページ2008年7月1日9:50アップ記事
「貴州省の石宗源書記『6・28突発事件』は善処しなければならない、と語る」
http://news.xinhuanet.com/politics/2008-07/01/content_8468856.htm

[(参考2)の記事のポイント]
 貴州省の共産党委員会書記で貴州省の人民代表大会委員長の石宗源氏は、「6・28事件」の現場に行き事情を聞いた。石宗源書記は、「この事件は、もともとの原因となった事情は単純なものだったが、少数の下心を持った人たちによって煽動され利用され、「黒勢力」(暴力団)の参与によって、党委員会と政府に対して挑発された集団事件である。」と述べた。党中央・国務院も事態を重視し、胡錦濤総書記は、政治局常務委員の周永康(公安担当)に対応を指示した。公安部の孟建柱部長も何回も現地に電話して直接指示を行った。

(参考3)「新華社」ホームページ2008年7月1日13:30アップ記事
「甕安県の民衆は6・28焼き討ち事件を起こした不法分子に対する怒りの声を上げている」
http://news.xinhuanet.com/local/2008-07/01/content_8469834.htm

[(参考3)の記事のポイント]
 甕安県で6月28日に打ち、壊し、撞き、焼く事件が発生した後、甕安県の幅広い大衆の間に、法律を踏みにじって国家機関を焼き討ちし、公共財物を損壊した一部の不法分子に対する強烈な反発が引き起こされた。
(筆者注:「打ち、壊し、撞き、焼く事件」という表現は、今年3月14日にチベット自治区・ラサで起きた事件を報じる新華社の報道と同じ表現である)。

(参考4)「人民日報」2008年7月2付け2面記事
「貴州省公安庁、甕安県の『6・28』事件について報告」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-07/02/content_51574.htm

[(参考4)の記事のポイント]

・貴州省公安局は7月1日夜、記者会見を開いて6月28日に甕安県で起きた焼き討ち事件について記者団に説明した。この事件では警察官等100名以上が負傷したほか、県の党委員会、県の政府、県の公安局のビルが焼き討ちに合い、公共財産が損害を受けた。現在のところ、事件は終息しており、現在、基本的な調査が行われている。

・6月22日0時27分、甕安県公安局に110番通報があった。県の西門河大堰橋において人が川に飛び込んだとのことだった。近くの派出所の警官が現場に駆けつけ、3時頃、溺れた少女を発見したが既に死亡していた。警察は現場にいた劉某(別の報道によれば男)、陳某(男)、王某(女)の3人を取り調べた。死亡したのは1991年7月生まれのAさんだった(注:人民日報では実名が報じられている。人民日報は「強姦殺人ではなく自殺だ」という立場にあるので、死んだ少女の実名を報道しているが、このブログでは実名は伏せておくことにする)。

・調べによれば、21日20時頃、AさんとAさんの女友だちの王某、Aさんの男友達の陳某、陳某の友だちの劉某は西門河大堰橋のところに行った。彼らが話をしている時、Aさんが突然、「川に飛び込んで死んじゃうのはやめた。死んでも何にもならないのだったら、うまく生きていかなくちゃいけない」(中国語原文では「跳河死了算了,如果死不成好好活下去。」)と言った。約10分後、陳某が先に現場を離れた。陳某が離れた後、劉某はAさんの気持ちが平静になったと思ったので、橋の上で腕立て伏せを始めた。劉某が3回目の腕立て伏せをやった時、Aさんは「私は行くわ」という大きな声を出して、下の川に飛び込んだ。劉はすぐに川に飛び込んで助けようとした。王は急いで陳に電話して助けを求めた。陳はすぐに引き返してきて、川に入って救助しようとした。劉と陳は体力が続かず、岸の上に引き返した。王と劉はすぐに警察に通報した。

・甕安県公安局は調査の結果、Aさんの死亡は自分で川に飛び込んだ自殺と判断して家族に伝えたが、家族は強姦殺人の疑いがあるとしてDNA鑑定を要求した。6月25日午後、貴州省黔南プイ族ミャオ族自治州の公安局が派遣した医師により検死が再び行われ、溺死と判定された。しかし、家族は遺体を埋葬せず、王某、劉某、陳某の責任を追及し、公安部門に対して50万元の賠償を請求した。

・県当局の何回にもわたる説得の結果、Aさんの家族は6月28日に協議書にサインすることになった。しかし、6月28日16時、Aさんの親族は300人以上の人たちと一緒に横断幕を掲げて県政府庁舎にデモを行った。土曜日の午後だったので、街に多くの人がおり、一部の群衆がデモに加わって、16時30分頃には多くの人々が公安局ビルの前に集まった。警察は解散するよう説得したが、少数の人による煽動によって、一部の不法分子がミネラル・ウォーターのビンや泥の塊やレンガで警察官を攻撃し、警察官が作った人垣を突破して、ビルを打ち壊し、車両に放火した。20時頃、不法分子は共産党県委員会や県政府のビルに対しても打ち壊しを行った。打ち壊し行為は7時間に及んだ。ケガをした人は150名以上に及んだが大部分は軽傷で、死者はいなかった。

・打ち壊し行為に直接参加した人に多くの地元の暴力団員が含まれていた。現在までに50余人が拘束され、取り調べが行われている。

・7月1日、Aさんの家族に対する説得が行われ、家族は遺体を埋葬することに同意したが、その前にもう一度遺体を検査することを要求した。貴州省公安局は、もう一度貴州省と県の法医学関係者が共同して遺体を検査することを決定した。

(参考5)「新京報」2008年7月2日付け記事
「甕安県の共産党県委員会や県政府が焼かれ50余人が拘束された」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/07-02/021@073020.htm

[(参考5)の記事のうち(参考4)の記事にない情報のポイント]

・自治州政府の要請により二度目の検死を行った都匀市の法医師の王代興氏が7月1日に語ったところによると、「死因は溺れたことによる窒息死で、死ぬ前に性行為が行われた形跡はない。陰道の分泌物を検査したが、精液成分は検出されなかった。」とのことである。

(筆者注)上記説明の中に「陰道の分泌物を検査したが、精液成分は検出されなかった。」とあるが、筆者の理解では、日本の判例では、そういう状態に至らない状況であったとしても婦女暴行罪は成立する、とされている。従って、日本の裁判では、上記の証拠だけでは「婦女暴行はなかった」ことの証明にはならないと思われる)。

・貴州省黔南プイ族ミャオ族自治州政法委員会の羅毅介書記によると、現場にいた陳某、劉某、王某は、三人とも両親は農村に住んでいて農業に従事しており、ウワサになっているような「現場にいた3人の中に県の書記や副県長の息子がいた」という事実はない。

・甕安県公安局の周国祥副局長によると「死んだAさんの叔父が警察で乱暴されて死亡した」というウワサがあるが、死んだAさんの叔父が警察で乱暴された、という事実はない。Aさんの叔父は、派出所を出た後、教育局の事務局で報告をしていた。その後、保険会社の入り口のところで殴打された、とのことである。この事件については、現在、警察において調査中である。

(参考6)「人民日報」のホームページに2008年7月2日13:29にアップされた記事
(もともとは「金黔オンライン」に載っていた記事を人民日報ホームページが転載したもの)
「甕安事件の死者の叔父が真相を語る:私は死んでいない、デマを言ってはいけない」
http://society.people.com.cn/GB/8217/126097/126098/7458367.html

[(参考6)の記事のポイント]

 Aさんの叔父は中学校の教師である。現在、暴行事件でケガをして入院中であるが、「私は死んではいない。変なデマは流さないで欲しい。」と言っている。Aさんの叔父の話は次の通り。

・6月22日の深夜、姪が死んだと聞いたので、現場へ行って遺体を確認した。その後、状況を聞こうと思って警察の事務室に行った。警官がこの事件の処理で忙しそうにしており、私が入っていくと大声で「何しに来た!」と怒鳴った。私も姪が死んで気が立っていたので「遊びに来たんだ!」と言い返した。すると警官は「出て行け!」と言って私を突いて来たので、ケンカになった。

・その後、教育局から呼び出しがあり、警官との衝突の状況を説明に行った。教育局を出て保険会社の入り口のところへ行ったら、正体不明の6人の男に出会って暴力を振るわれた。すぐに110番した。警官が来て、私は病院に送られた。それ以来病院から出ていないので、焼き討ち事件のことは知らなかった。

・焼き討ち事件の当日、家族が病院に来て、「街の人はみんなあなたが公安局で殴られて死んだと言っている。1万人にも上る人があなたと姪の怨みを晴らすのだ、と言っている」と言っていた。私は死んだ姪の親族として、このような事態に発展するとは思いも寄らなかった。私と私の親族は、絶対に焼き討ちに加わっていないし、焼き討ち事件が起こることを全く希望していなかった。

(参考7)「人民日報」のホームページ2008年7月3日8:30アップの記事
「貴州省の事件処理担当グループ、6・28事件の深層原因について初歩的に分析」
http://politics.people.com.cn/GB/1026/7462193.html

[(参考7)の記事のポイント]

 7月2日、貴州省の副書記で、共産党省委員会が設置した甕安6・28事件担当グループ・グループ長の王富玉氏と副省長で担当グループの副グループ長の黄康生氏は、甕安県幹部の検討会において次のように発言した。

・多くの人は、甕安6・28事件の原因にはいくつかの側面があると考えている。

(1) 一つ目はもともと治安が良くないことである。暴力事件が年間600~800件発生しているが、検挙率は50%に過ぎない。

(2) 二つ目は社会的矛盾が蓄積していることである。住宅の取り壊しに係わる紛争や国有企業の改革において多くの矛盾が出現している。一部の人々の合法的な権益が守れていないケースがあり、一部の民衆の間に怒りが溜まっている。

(3) 三つ目は、道徳教育が十分に重視されていないことである。少数の幹部は党の幹部としての品性に欠けており、危機意識が欠けている。一部の学校では知識教育偏重になっており、思想、品格、徳育教育を重視していない。一部の民衆は法律意識に乏しく利益追求の気持ちが強すぎる。

(4) 四つ目は、一部の幹部の誠実さの欠如である。一部の部門の幹部は、民衆と相対し、民衆の中に深く入って、民衆を指導する能力が不足しており、民衆の気持ちを理解せず、行政が硬直的になっている。罪人を恐れて法による処罰を厳正に行わなかったり、法執行において情実を掛け、情を以て法に代えるという現象が起きている。

(5) 党の基層において基礎的な工作が不足している。基層においては党員が模範となるべきなのにそれがうまくできていない。

----------------

 インターネットにおける本件に対する扱い(インターネットにおける本件関連事項へのアクセス規制など)や報道の仕方は時期によって扱いが揺れているようです。「新華社」は事件発生の翌日6月29日の早朝の時点で報道を始めています。中国の地方における暴動事件の報道としては異例の早さだと思います。しかし、人民日報が本件に初めて触れたのは事件が発生してから3日目の7月2日です。また、私が見ている範囲では、テレビでは本件は報道されていません。「新華社」の記事に付随している掲示板に対する書き込みは、基本的には認められており、先日(6月20日)に胡錦濤総書記が突然登場した「人民日報」のホームページの掲示板「強国論壇」にも、本件に関するたくさんの書き込みがなされています。ただ、党批判、政府批判に走るような発言は削除されているようです。

 本件に関しては、当初から、焼き討ち事件を目撃した人が撮影した写真が大量にネット上にアップされました。6月30日夜の時点で中国の最大の検索エンジンである百度で「甕安」というキーワーで画像検索すると、多くの焼き討ち事件を撮した写真がヒットしました。ただ、私が見た時点(6月29日夜)では、多くの焼き討ち事件の写真のサムネイル(見出しとして使う縮小した写真)は見ることができても、そこをクリックして拡大して見ようとすると「削除されていて存在しません」としか表示されませんでした。7月1日の夜時点になると、百度で「甕安」というキーワーで画像検索しても、焼き討ち事件関連の写真は、サムネールも含めて全く表示されませんでした。余りに多くの数の写真がアップされたために当初は削除し切れなかったようですが、結局は現場の写真は削除する、というのが当局の方針だったようです。

 本件については、新華社や人民日報が「デモは、真相を知らない一部の人が煽動したもので、焼き討ち事件を起こしたのは一部の不法分子で、その中には地元の暴力団員が含まれている」というトーンで報道していますが、掲示板の発言には、こういった報道の仕方に対して、かなりの批判が出ています。新華社の報道では、事件翌日早朝の記事で「一部の人が真相を知らない群衆を扇動し・・・」といった表現が使われていますが、この時点では誰も「真相」は知らなかったはずで、それなのに新華社が「真相を知らない群衆を扇動し・・・」と群衆は真相を知らないはずだと決めつけているのはおかしい、という批判です。また、今回は多くの焼き討ち場面の写真がネットに掲載され、実際に数千人に上る人が公安局の前に集まっていることは事実だ、とみんな知っていたので、新華社が言っている「少数の不法分子」という表現はおかしい、とみんなが思ったのです。また、ウラに何かなければ「一部の人の煽動」だけで、あれだけの数の群衆が騒ぐはずがない、ということはみんなよくわかっているので、新華社の報道はおかしい、と感じたのだと思います。

 中国で公式報道を批判するような掲示板の発言が削除されずに残っている、ということは、かなり珍しいことです。当局側も、先に胡錦濤総書記が「人民日報」ホームページの掲示板「強国論壇」に登場したように、ネットの発言を削除しまくっているだけではもはやネット世論をコントロールできない、と考えるようになったからのようです。

 新華社の記事についている掲示板には、「事態は発展していない。既に正常に戻っている。」という新華社の表現について「記者の良心はあるのか。事件の原因は? 現場に行って調べないのか? 我々は真相を知りたいのだ!」といった報道に対する辛辣なコメントもありました。また、「水は船を浮かべることができるが、水は船をひっくり返すこともできる。共産党は反省しなければいけないのではないか。」といったかなり大胆な発言も削除されないで残っていました(今も残っているかどうかは知りません)。

 また、事件の詳細の報道のうち、友だちが「橋の上で腕立て伏せをしているうちに少女が飛び込んだ」といった経緯に対しては、多くの人が「考えにくいシチュエーションだ」として疑問を持っているようです。また、死んだ少女の叔父は死んではいなかったものの「正体不明の6人組に襲われてケガをした」というのは事実のようですので、それが何を意味するのか、については、全くナゾが解かれていません。

 もうひとつ着目すべきなのは、(参考7)の人民日報の記事が「地方政府の側にもいろいろ問題があった」と指摘していることです。これは、チベット自治区のラサで起きた暴動については「一部の不法分子が外国勢力の煽動によって引き起こしたもの」という「公式見解」で押し通すことができたの対し、今回の貴州省の暴動では「一部の者が真相を知らない群衆を扇動し、少数の不法分子が焼き討ちを行った」という「公式見解」だけでは中国国内が収まらない、地方政府にも一定の責任を負わせなければならない、と当局が考えている現れ、と見ることもできます。事態がこれ以上拡大することはないと思いますが、「事態の処理の仕方が不適切だった」などという理由で地方政府の一部の幹部が処分されるような事態になるのかもしれません。

 なお、この事件は貴酬省の黔南プイ族ミャオ族自治州で起きた事件ですが、別の報道によれば、死んだ少女も、現場にいた3人の友だちも全て漢族であり、少数民族問題は、この事件の場合は関係ありません。

 まだまだ、これからも新しい事実が出てくるかもしれません。少なくとも、中国では、今までこの種の群衆事件については、全く報道されず「ヤミに葬られる」ことの多かったのですが、今回は、中国の公式メディアも、それが真相なのかどうかはともかく、情報を提供していますし、掲示板での発言も認められている、という点が今までと違うところだと思います。たぶん、オリンピックを控えて、世界に対して「情報開示が不十分だ」と思われたくないからだと思います。これも中国が変わっていく、ひとつの転換点なのかもしれません。

| | コメント (0)

2008年6月28日 (土)

全然変わっていない中国の災害報道

 中国の災害報道については、5月12日の四川大地震において現地からの生放送をはじめリアルタイムで多くの情報を発信したことから、「中国の災害報道は変わった」との印象を内外に強く与えました。

 ところが、四川大地震から1か月以上たった現在、四川大地震に関する報道については、災害救援と復旧に当たる関係者の必死の努力や被災者自身による復旧へ向けての動きなどを「英雄譜」として報道することがメインとなりました。今回の地震災害で何が問題であったか、今後の防災・減災のためには何が必要か、といった問題点を点検する、という観点の報道はほとんどありません。関係者が救援や復旧に対して必死で、まさに英雄的な努力をしており、被災者の方々も必死で復旧へ向けての努力を続けていることは紛れもない事実なので、それを伝えることは間違いではないし、被災者を元気付けるためにも、多くの人が英雄的な活動を行っていることを報道することには意味があると私も思います。でも、そういった報道だけでは、今回の四川大地震による教訓を全国の人々の防災意識として定着させ、今後起きる自然災害に対する防災・減災に役立てることはできないと思います。

 6月25日には、2008年の台風6号(英語名:Fengshen、中国語名「風神」)が広東省に上陸し、そのまま中国大陸を北上して、広東省、福建省、湖南省、江西省などに相当にひどい暴風雨をもたらしました。多くの飛行機便が欠航したほか、香港の株式市場では、一時、取引を中断する、という影響も出ました。

 この台風6号に対しては、上陸前は、中国中央電視台のテレビでは、天気予報で台風の進路予想や暴風雨警報が出されていることは伝えていましたが、ニュースでは何も報じませんでした。日本など「普通の国」では、強まりつつある風雨の中にレポーターが立って「だんだんと風雨が強まっています!」などと絶叫する現場レポートをやるのですが、中国中央電視台ではそういうニュースはやりません。天気予報でも、淡々と「台風はこのコースを北上する予定です。この地区に暴風雨警報が出ています。」という情報を地図上に表示して、アナウンサーが伝えるだけで、風雨が強まりつつある現地の映像は全く流しません。台風の勢力(中心の気圧や最大風速)なども伝えられません。

 台風が通り過ぎた後、中国中央電視台の夜7時のニュースでは、終わりの方の「その他のニュース」の中で、「台風が襲った地域では、地元政府が排水や復旧作業に当たっています」というニュースがごく簡単に伝えられるだけです。映像的には、台風の深刻さが全く伝わってこないのです。

 私が新華社のホームページで確認したところによると、この台風6号(「風神」)では、広東省で9人が死亡、江西省で1人が死亡しているようですが、そういったニュースは中国中央電視台の全国ニュースでは放送されません。台風は毎年複数回中国大陸に上陸しており、そのたびに何人かの方が亡くなっているので、10人程度の死亡者数では、中国ではニュース価値がない、という判断なのだと思いますが、こういうニュースの伝え方では、中国の人々の間に「防災意識」が高まらないと思います。

 6月23日に開かれた中国科学院・中国工程院の院士大会(業績ある研究者・技術者の大会)で胡錦濤主席が講話を行いました。この講話では、特に自然災害に対する防災・減災の分野で、自然災害の観測、予測等に対する研究者・技術者の今後の努力に期待している旨が強調されていました。この冬の大寒波、四川大地震、最近の中国南部を襲った大洪水など、打ち続く自然災害を踏まえて、胡錦濤主席がこの点を強調したのは、当然のことだと思います。しかし、中国の自然災害報道を見ていると、中国が既に現在持っている観測・予測技術を十分に生かし切っていない(災害情報が一般国民に迅速に伝えられていない)ことを痛感します。

 中国は、全国の大部分をカバーする気象レーダー網を持っており、インターネットでもそれを見ることができます。

(参考)国家気象局のホームページにある「全国レーダー図」
http://www.cma.gov.cn/tqyb/tqyb/radar/rindex.htm

 このページでは「1時間降水量」(中国語で「一小時降水」)を動画(アニメーション)で見ることもできます(中国語で「播放」と書いてあるところをクリックする)。こういった降水量分布のアニメーションをテレビで伝えることは、防災上役に立つと思うのですが、なぜかそういうことはしません(中国では一般に気象観測データは「国家秘密」扱いですが、気象レーダー画面はホームページで見ることができるのですから、これは「秘密」扱いではないはずです)。

 前にも何回も書いたことがありますが、中国のテレビの天気予報では、低気圧、高気圧、前線などが書かれた天気図がほとんど登場せず、見ている方としては、非常にわかりにくいものとなっています。「どういう気圧配置の時に、どういう気象状況になるのか。降水量をレーダーで見るとどうなっているのか。」をテレビで紹介することは、一般の人々の間の気象災害に対する知識を高め、防災意識を高めると思うのですが、中国のテレビではそれをやりません。「気象災害が起こりそうだ」という情報を一般の人々に伝えることによって社会不安が起こることを恐れているのでしょうか。

 6月14日に起きた日本の岩手・宮城内陸地震で、日本の気象庁が緊急地震速報を出したことについては、中国でも大きな関心を呼び、多くの新聞で伝えられました。四川大地震を受けて、胡錦濤主席の講話を待つまでもなく、自然災害に対する観測・予測の重要性を多くの人々が再認識しているからだと思います。しかし、観測・予測の技術を高める前に、「情報をいかに正確に多くの人々に伝えるか」という点で、中国では改善すべき点が多いと思います。優れた観測・予測の技術が完成しても、それを多くの人々に伝えられないのだったら、防災上何の意味もないからです。

 今回の台風6号(「風神」)については、オリンピックを1か月半後に控えて、あまり大げさに報道したくない、という気持ちが働いたのでしょうか。もしそうなのだとしたら、「いったい何が一番大事だと思っているのか」ということになってしまうと思います。

 四川大地震で「大きく変わった」と多くの人が思ったのですが、本質的なところでは何も変わっていないのかもしれません。北京オリンピックの成功も大事ですが、北京オリンピックをきっかけにして、中国はまたひとつ大きく前進するのだ、という多くの人々の期待を裏切らないようにして欲しいと思います。

| | コメント (0)

2008年6月 9日 (月)

何事もなく過ぎた6月第1週

 今年(2008年)は、中国の改革開放政策が始まって30年目の年、ということで、新聞にはそれにちなんだ特集記事がよく掲載されます。北京の大衆紙「新京報」は、「改革開放の30年」という特集記事を毎日掲載しています。改革開放の30年の間に起きたできごとのうち「今日」は何が起きた日だったのかを解説する連載の特集記事です。

 以前から、この「新京報」の特集で、どういう記事が載るのかなぁ、と思って注目していたのですが、6月の第1水曜日の特集は「1985年のこの日」でした。1985年のこの日は「人民解放軍の定員を100万人削減することが発表された日」として紹介されていました。かつて毛沢東は、人民解放軍については、「人海戦術」が重要なのであって、兵器の近代化は必要ない、という立場をとっていました。それに対して改革開放政策を進めたトウ小平氏は、人民解放軍にも近代化は必要なのであって、やみくもに多くの人数を配置するのではなく、兵器の近代化も含めた軍の近代化を図るべきで、そのためには軍の定員も削減する必要がある、と判断したのが「1985年のこの日」だったのです。その意味では「1985年のこの日」も、改革開放30年の歴史の中では重要な日であることに間違いはなく、「新京報」が1985年の「この日」を取り上げたのは、おかしくはないのです。

(参考1)「新京報」2008年6月4日付け記事
「改革開放の30年:トウ小平が一本の指を立てて示した-軍の定員削減100万人-」
http://www.thebeijingnews.com/news/reform30/2008/06-04/021@102913.htm

 しかし、客観的に言えば、改革開放30年の中で取り上げられるべき「この日」は、1985年の「この日」でないことは、誰の目にも明らかです。19年たった今でも、中国では、この「誰の目にも明らかな『この日』のできごと」については、語ってはいけない「できごと」であることが、この日の新京報の特集を見て改めて明らかになりました。

 昨年、経済専門週刊紙「経済観察報」も、改革開放30年の特集を組み、1978年から現在まで、毎週、ひとつの年を取り上げて、「その年に改革開放の歴史の中でどういった重要なできごとがあったか」を解説していました。しかし、1989年を取り扱った号では、6月第1週に起きた「できごと」には全く触れられていませんでした。

 これだけ国際化した中国において、こういった「触れてはいけないできごと」の存在はいったいいつまでつづくのでしょうか。

 今年4月初旬から、中国国内からは日本語のウィキペディアへのアクセスができるようになりました(それまではインターネット・アクセス制限が掛かっていました)。いろいろ調べ物をする際には非常に便利になったのですが、19年前の6月第1週の「できごと」に関しては、今でもその項目にアクセスするとウィキペディアへのアクセスが一時的に遮断されます(ほかの項目も見られなくなる)。数分するとまたアクセスできるように回復するのですが、やはりまだ「19年前のあの日のできごと」については、触れてはならないことのようです。

 6月8日付けの「新京報」では、前日、広州の新聞「南方日報」に載った記事として、6月6日に深セン市(「セン」は「土」へんに「川」)の中国共産党委員会の会議で「深セン市の党委員会及び市政府による深セン市が改革開放を堅持し科学的発展努力を推進し中国の特色のある社会主義の手本の市となるための若干の意見」が取りまとめられた、と報じていました。

(参考2)「新京報」2008年6月6日付け記事
「深センで局長クラスの幹部選定で複数候補者による選挙を実施へ」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/06-08/018@083257.htm

 この「若干の意見」では、市の局長クラス幹部を選挙により選定することや区レベル(市の下のレベル)の人民代表(議員)を住民による直接選挙で選ぶことが議論され、パブリック・コメントを求めるための案がまとめられた、とのことです。ただし、区レベルの人民代表の直接選挙については、この時点ではまだ「保留」の扱いになっている、とのことです。

 国会議員(全国人民代表)を選ぶためには、省レベルの人民代表-市レベルの人民代表-区レベルの人民代表といった各階層の人民代表による間接選挙を繰り返さなければなりません。一番下の区レベルの人民代表も現在は住民による直接選挙で選ばれているのではないわけですが、それを直接選挙で選ぶかどうか、ということについて、議論はなされているけれども、現時点では「保留」というのが現状、ということのようです。

 どの国の選挙制度にも一長一短はあるし、今の日本のように二大政党の勢力が拮抗してしまうと、政局運営が停滞してしまう、といった問題があるのは事実ですが、21世紀の世界においてこれだけ大きな経済的・政治的パワーを持つ中国で、最も下のレベルですら直接選挙が行われていない、というのは、やはり相当な「不自然さ」を私は感じます。上記の「新京報」の記事にあるように、今、いろいろな議論が行われ、今後いろいろと模索が行われて、これからだんだん具体的な改革が進められていくことになるのでしょう。

 しかし、1990年代はじめに、農村部の最も末端組織である一部の村民居民委員会選挙において住民による直接選挙が行われるようになってから、既に20年近くが経過しようとしているのに、中国における選挙制度はそれから先へはほとんど進歩していないと私は思います。よく「中国は大きな国だからすぐには変われない」という議論を聞きますが、そういった議論は、私は1980年代にも何回も聞きました。20年たっても何も進歩していないのです。

 中国における選挙制度の試金石になると見られる香港特別行政区の行政院長と立法議会議員の選挙については、2007年12月末の全国人民代表大会常務委員会の会議で2012年の次回の選挙では住民による直接選挙は行われない方針が示されました。

(参考3)第10期全国人民代表大会第31回会議決定(2007年12月29日)
「全国人民代表大会常務委員会による香港特別行政区における2012年の行政長官及び立法議会議員の選出方法と普通選挙問題に関する決定」
http://www.npc.gov.cn/huiyi/cwh/31/2007-12/29/content_1387551.htm

 その次の選挙(2017年)では「普通選挙」が実施されることが期待されているのですが、正式に決まったわけではありません。選挙制度の改革がなかなか前に進まないのは、社会的・経済的混乱を避けるため、ということなのでしょうが、急激なスピードで進む経済成長とこういった選挙制度の遅々とした進み具合(というかほとんど進んでいない状況)のアンバランスは、いつ解消されることになるのでしょうか。

 国政レベルはともかく、地方政府レベルでは、今回の四川大地震で問題になった学校の建築に関する問題や防災対応の問題、環境汚染対策の問題など、地域住民の声が地方政府に直接届いていれば解決できる問題は多いと思います。地域住民にソッポを向かれても地方政府のトップがクビにならない、という現在の制度は問題である、といった認識は、既に党中央でも持っていると思います。

 私は、経済だけではなく、社会的な面やその他の面で、中国は確実に進歩しつつあると信じています。私以外にも同じように信じている人々がたくさんいると思います。中国はそういった多くの人々の期待を裏切ることのないようにして欲しいと思います。

| | コメント (0)

2008年5月31日 (土)

がれきの上に立てるNGOの旗

 今日(5月31日)付けの「新京報」の「評論週刊」(週刊の評論特集)のトップに艾君という方が書いた「災害救援に見るNGOの成長」と題する文章が載っていました。

(参考)「新京報」2008年5月31日付け
「災害救援に見るNGOの成長」
~地震が変えたのは「世界が中国を見る見方」だけではない~(艾君)
http://comment.thebeijingnews.com/1108/2008/05-31/011@093126.htm

 この記事では「今回の四川大地震において、政府や軍による救援活動も行われているが、それに加えてボランティアや民間団体など、NGO(非政府組織)による活動もめざましい。このようなことは今までの中国にはなかったことだ。」といったことが指摘されています。これも四川大地震によって中国社会に起きた「偉大な変化」のひとつだと思います。

 上のURLをクリックしていただければわかりますが、この記事には、がれきの上に人々がまさに「NGO」の旗を打ち立てようとしている図が描かれています。日本人やアメリカ人ならばすぐわかりますが、この構図は、第二次世界大戦末期、硫黄島での激しい戦闘の後、アメリカ軍が硫黄島に星条旗を立てようとしている写真と同じものです。この写真を基にして、後にアメリカのワシントンD.C.を見下ろすバージニア州アーリントンの丘の上に "Iwo Jima Memorial" という記念碑の彫刻が作られました。

 中国の人々がこの硫黄島の写真についてどのくらい知っているのかはよくわからないのですが、この画はなかなか寓意を含んでいると私は思いました。硫黄島の写真は、アメリカが日本軍を苦難の末に打ち破って星条旗を打ち立てた時のものだからです。

 現在の中国では、表立って議論されることはありませんが、中国政府が、ほとんど資本主義と同じではないか、と言えるような経済政策を次々に打ち出している中にあって、「なぜ、今、中国は中国共産党の指導下にあらねばならないのか」という疑問を多くの人が抱いています。この疑問に対する答は二つあります。ひとつは「中国共産党という求心力がなければ、中国はバラバラになり、社会と経済に混乱が生じる。だから中国共産党が必要なのだ。」という答です。ただこれだと「中国全体をまとめる強力な党」が必要なのはわかるが、それがなぜ中国共産党でなければならないのか、の答にはなっていません。この問に答えるのが第二の答えで、それは「中国共産党は、中国人民の支持の上に立って抗日戦争を戦い抜き、外国勢力を排除して、中国を半植民地状態から救うに際して中心的な役割を果たした。そのような歴史を踏まえれば、中国共産党以外に中国全体をまとめる求心力を持ちうる党は存在しないから。」です。

 今回の四川大地震は、国家的大災害でしたが、これにより中国の人々の間には自発的な団結心が芽生えたように私は思います。それは中国共産党の存在をも超えた「我々は同じ中国人なのだ」といった連帯感です。このことは台湾の人々や世界中に住む多くの華僑の人々の心の中にもこの連帯感が芽生えたことからもわかると思います。それは、「もしかすると、我々は、中国共産党という求心力がなくても、中国人である、ということだけで、団結することができるのではないだろうか。」という一種の自信のようなものかもしれません。そういった党でも政府でもない団結心の象徴がNGOの活動なのだと思います。

 従って、硫黄島の写真になぞらえた「新京報」の画は、苦難の末に我々が打ち立てたのは、党でも政府でもない、素朴な人々の団結心だったのだ、そういう団結心を実は我々は心の中に持っていたのだ、ということを表しているように思えました。

 今回の四川大地震に対する中国政府や中国共産党の各組織、人民解放軍の働きには素晴らしいものがあると私は思います。しかし、それとは別に、党や政府が存在する以前の段階における人々の団結心が実は社会の根幹をなす上で重要であり、そういった団結心を我々はもともと持っていたのだ、ということに中国の人々が気が付いた、という点が非常に大きいように思います。

 上記の「新京報」の評論は「今回の地震により、世界の中国を見る目が変わったし、中国が世界を見る目も変わった。」と評しています。また、この評論では、先の海外でのオリンピック聖火に対する反応にも触れ、「世界は氷のように冷たいものでも、火のように熱いものでもなく、複雑なものなのである。このような複雑な過程に伴って我々は成長し、成熟していくのだ。」と述べています。この感覚は、私個人が受けている印象と全く同じもので、私はこの評論に大いに共感を覚えました。

 今回の大地震では多くの犠牲者が出、今も多くの被災者が厳しい避難生活を強いられています。亡くなった多くの方々を哀悼し、多くの被災者の方々を精神的に支援していくためにも、私は、今、中国で暮らす外国人に一人として、というより、地球上に住む人間の一人として、この「共感」を大事にしていきたいと思っています。

| | コメント (0)

2008年5月25日 (日)

四川大震災対応:「偉大な変化」

 5月24日発売の経済専門週刊紙「経済観察報」(2008年5月26日号)の「観察家(オブザーバー)」のページに「偉大な変化」と題する中国社会科学院近代史研究所研究員の雷●(Lei Yi)氏(●は「臣」へんに「頁」)の文章が掲載されていました。この文章では、既に中国の内外のメディアが指摘されていることですが、今回の四川大地震に対するメディアによる報道のされ方と国際援助の受け入れに対する対応は、1976年7月の唐山地震の時とは全く異なっている、と指摘しています。

 雷●氏は、死傷者の数や悲惨な被災地の状況などの現実をありのままに直視することは、以前は人心を動揺させ社会を不安定にすると考えられていたが、今回はむしろ逆で、未曾有の災害の真実が迅速に伝えられたことが、多くの人々による執政者に対する強い支持と被災者に対する同情、救援者に対する尊敬と感動を呼び起こし、人々を積極的にいろいろな方法による救援・支援活動に参加させるように後押ししている、と指摘しています。

 雷●氏は、1976年の唐山地震の後の人民日報の報道振りを細かく分析して、当時は、全ての報道は、毛沢東主席と党中央の指導の下で復旧作業が行われていることのみが強調され、死傷者数などは「国家機密」扱いにされ、「生命」とか「財産」とかいう言葉すら語られていなかった、と指摘しています。当時は、「自力更正」の考え方に基づき、国際社会からの援助も断っていました。雷●氏は、当時は人々の生命すら「政治」「政権」「闘争」に従属していた、と指摘して、当時の執政観念を批判しています。雷●氏は「今回は違う」と強調しているわけですが、それは彼が「1976年に逆戻りしてはならない」と強く主張していることを意味します。

 この種の論調は、中国のいろいろな新聞に書かれています。中国の人々自身は、この歴史的な大災害により「自分たちの社会は変わったのだ」ということを強く自覚したのではないかと思います。

 今日(5月25日)夕方、また大きな余震が発生しました。この余震による死傷者も出たようです。ダムの崩壊や「堰き止め湖」を作った土砂の決壊などによる二次災害も懸念されています。まだ500万人以上の人々が住む家がなく避難生活を強いられています。復興への道程はまだまだ遠いと思いますが、中国が、この未曾有の災害を乗り越えて、次のステップに脱皮して行くことを信じたいと思います。

| | コメント (0)

2008年5月23日 (金)

北京で感じる四川大地震

 5月12日(月)14:28(北京時間)に四川省で起きたマグニチュード8の巨大地震によって未曾有の被害が出ました。今日(5月23日)16時の民生部の発表によれば、死者55,740人、行方不明者24,960人、けが人292,481人、避難した人1,136万7,929人とのことです。死者・行方不明者・負傷者の多さもさることながら、避難した人が1,000万人を越えるというのは、とんでもない被害だと思います。亡くなった方々の御冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。

 5月12日の14:35分頃、私は北京のオフィスビルの11階にいました。めまいがするような感じがしましたが、「まさか。こんな揺れ方をするような地震はないよなぁ。」と思って壁を見たら、壁に掛かっているカレンダーが大きく揺れており、めまいではなく本当の地震なのだ、ということを知りました。2秒くらいの周期で1メートル近く揺れるようなゆっくりした揺れでした。私がいたのが高層オフィスビルのちょうど真ん中くらいの高さのところだったので、揺れが地面よりは増幅したようでした。日本の震度で言えば、震度2~3に相当するくらいの揺れでした。日本の高層ビルならば、「この程度の揺れは当然耐震設計の範囲内」だとわかっているので心配はしないのですが、北京のビルの耐震設計がどの程度しっかりできているのかわからなかったので、本気で机の下に潜ろうかと思いました。

 すぐにテレビを付けましたが、中央電視台第1チャンネル(総合チャンネル)は通常放送を続けていました。停電もしなかったので、それほどの地震ではないと思いましたが、あれだけ周期の長い地震があの程度の大きさで揺れた、ということは、相当遠いところで、相当大きな地震があったのかもしれない、と思いました。

 最近、日本でも大きな地震が何回も起きているので、私も経験上、近い地震ならガタガタガタという周期の短い揺れが来る、遠い地震だとユッサユッサという感じの周期の大きな揺れを感じる、ということは知っていました。ただ、巨大地震が遠くで起きた場合、普通は小さな初期微動(P波によるもの)が来て、その後でユッサユッサという大きな揺れ(S波によるもの)を感じるのですが、今回はP波による揺れに相当するものを感じなかったので、おかしいなぁ、と思いました。また、揺れ方や揺れの大きさは、自分がいる建物の構造と場所(地上近くか高層ビルの上の方か、など)でかなり違いますので、この大きなゆっくりとした揺れは建物の構造のせいかもしれない、とその時は思いました。  

 携帯電話で外出中の知人に電話を掛け、東京にも国際電話を掛けましたが、いずれも通常通りに通じました。停電もしないし、電話が通じたので、それほど大きな地震ではないのかなぁ、と思いました。しかし、窓の外を見ると大勢の人たちがビルの外に避難していました。ちょうど隣では、多くの北京市内の地区と同じように、新築の高層ビルが建設途中だったのですが、建設工事現場にいる黄色いヘルメットを被った工事労働者の人たちが、建築現場から出てきて、歩道に座って様子を見ていました。安全点検のため、一時的に建築作業が中断されていたようでした。

 地震から約50分経過した15:30頃、インターネットで、四川省でマグニチュード7.6~8.0の地震が発生した、という情報が流れました。私はまさか、と思いました。四川省と北京とは直線距離で約1,500kmも離れており、いくら巨大な地震であっても、四川省の地震を北京で感じるはずがない、もし北京で感じるような地震だったら、とてつもなく巨大な地震のはずだ、と思ったからです。

 それから15分くらいたった15:45頃、温家宝総理が四川省へ向けて出発した、というニュースがネットで流れました。何がどうなっているのかわからない時点で総理が現地へ向かう、とはびっくりしましたが、北京から四川省の成都までジェット機で約2時間掛かりますから、とにかく現地へ向かい、四川省に到着するまでの2時間の間に現地の状況を見極めよう、という胡錦濤主席の判断だったのだと思います。

 その後、インターネットで四川省アバ・チベット族チャン族自治州のブン川県(「ブン」は「さんずい」に「文」)で14:28にマグニチュード7.8(後に8.0に修正)が起き、14:35に北京市通州区でマグニチュード3.9の地震が発生した、というニュースが流れました。私は通算して3年北京にいますが、有感地震を感じたのは今回が初めてです。マグニチュード3.9程度の地震ですら、北京市内を震源とした地震が発生した、という話は聞いたことがありませんでした。ですから、この北京市通州区で地震が発生した、というニュースには耳を疑いました。また、普段地震が起きないところで地震が起きたということは、四川省の地震によって誘発された地震なのだろうか、と思いました。でも、巨大地震によって遠隔地で別の地震が誘発される、という事例は私は聞いたことがなかったので、北京の地震は四川省の地震に誘発されたわけではないだろう、そうだとすると滅多にない北京の地震がたまたま偶然に四川省の地震の直後に起きたのか、それも確率的には考えにくい、いったいどうなっているのだろう、と頭の中が混乱しました。

 翌日、この「北京市通州区でマグニチュード3.9の地震が発生した」というニュースは「誤報だった」ことがわかりました。やはり北京での揺れは四川省の巨大地震の揺れが伝わった結果だったのです。なぜ、「北京市通州区で地震」という誤報が流れたのかについての原因は、現在はまだ明らかにされていませんが、地震計によるデータを見た地震局の担当者が、四川省を震源とする地震によって北京で揺れを感じることはありえない、と判断して、北京市内を震源とする別の地震が発生した、と判断したからかもしれません(この辺は、事態が落ち着いてから検証されることになると思います)。もしそうなのだとしたら、地震局の担当者も判断を誤るくらい、四川省の地震が巨大であり、かつ、揺れがとんでもなく遠くまで伝わった、ということなのだと思います。この揺れは、北京のほか、上海、台北、香港、タイのバンコクでも感じられた、とのことです。

 地震発生時刻の14:28と北京で揺れを感じた14:35の間に7分間の時差がありますが、これは秒速約4kmと言われる地震波が1,500km離れた四川省と北京との間を伝播するためにそれだけの時間が掛かったことを示しています。

 インターネットの新華社ホームページは、地震発生直後から、上記の「北京市通州区でマグニチュード3.9の地震が発生した」という後に「誤報」であることがわかる情報も含めて、大量の情報をリアルタイムで流し始めました。

 オフィスで見られる香港発の衛星放送テレビのチャンネルは、四川省での巨大地震発生のニュースが伝わってから、通常番組を変更して地震に関する情報を流し始めましたが、中国中央電視台第1チャンネル(総合チャンネル)は通常番組を続けていました。中国中央電視台が地震の特別番組に切り替わったのは22:00~の夜のニュースが終了した22:30からでした。それから、中国中央電視台第1チャンネルでは24時間体制で生放送で地震の情報を流し始めることになります。この22:30から始まった特別番組の当初の頃は、なかなか情報が入ってこなかったことと、アナウンサーがこういった災害時の生放送の特別放送に慣れていなかったせいか、何を伝えていいのかとまどっているような様子でした。

 こういった中国の大陸のメディアが、大規模な自然災害に関する情報をリアルタイムで流すことは極めて異例のことです。おそらく情報をコントロールすることによって発生するデマによる混乱を恐れたためと思います。その後、外国メディアも含めて、現地からの情報は、生で中国国内及び世界各国に伝えられましたので、これまでの中国の自然災害(例えば今年1~2月の寒波・大氷雪被害)とは異なり、被災地の情報が瞬時に世界各地へ伝わりました。これが、その後の世界各国からの支援に結びついたと思います。(中国側は、1週間前にミャンマーで発生したサイクロン被害に対し、ミャンマーの軍事政権が外国メディアや外国人救援者の受け入れを拒否していて、国際社会から非難されていることを、かなり意識していたと思います。中国政府の対応はミャンマー政府の対応とは明らかに異なるものでした。)

 中国政府は、地震から一週間後の5月19日~21日の3日間を「全国哀悼の日」と定め、旗を半旗に掲げるとともに、公共の場所での娯楽活動を取りやめる、という「国務院公告」を出しました。このため、外国のNHKワールド・プレミアムをはじめとする歌・スポーツ・娯楽番組を含むチャンネルは全て放送が停止されました(テレビのチャンネルをNHKワールド・プレミアムなどに合わせると真っ黒い画面に「国務院の公告に基づき5月19日~21日の3日間、歌・スポーツ・娯楽番組を含む外国チャンネルの放送は停止しています」との告示が表示されるだけでした)。ニュース専門チャンネルであるBBCワールドやCNNは通常通り見ることができました。ある意味では、このことは衛星からの電波を受信して番組を配信している外国衛星テレビも当局のコントロール下にあることをはからずも示す結果となりました。各アパートメントで独自にパラボラ・アンテナを立てて直接受信しているNHK-BS1、BS2、BSハイビジョン、KBS(韓国の放送局)などは通常通り見ることができました。これらのチャンネルは当局がコントロールしていない、ということなのでしょう。

 国務院による「全国哀悼の日」の公告では、地震発生からちょうど一週間目の5月19日14:28に3分間の黙祷を捧げることが告げられていました。ラジオでは、座っている人は起立し、車に乗っている人は車を停止して車を降りて黙祷するように呼びかけが行われました。各職場でも黙祷のための集会が行われたようでした。私がこの日の午後訪問を予定していた機関でも、14:28から全職員による黙祷集会がある、と聞いたので、訪問を早々に切り上げて、私たちは近くにある清華大学のキャンパスへ行きました。14:28近くになると、キャンパス内の各建物から学生や教職員らが続々と出てきて、建物の前に半旗で掲げられている国旗の周りに集まりました。

 14:28になると一斉に防空警報のサイレンが鳴り響きました。併せて、多くの車がクラクションを鳴らして弔意を表しているのが聞こえました。大学の学生や教職員らは静かに黙祷を始めました。ちょっと蒸し暑い初夏の午後でしたが、一斉に鳴り響くサイレンと車のクラクションの中、大勢の人が身じろぎもせずに黙祷をしている中で、私も一緒に黙祷しました。中国には、今、いろいろな問題があるけれども、とにもかくにも、今は、全ての人が力を合わせて、この被災した人々を助けなければならない、という気持ちにさせる3分間でした。

 そもそも北京に防空警報システムがある、ということは、この時、初めて知りました。本来はあまり公にしていないものについても、中国政府は「今はそんなことを言っている場合ではない」として、かなりの部分で「秘密解除」をしたところがあったように思います。北京の新聞各紙によると、北京の防空警報システムのサイレンが実際に鳴ったのは、これが初めてなのだそうです。

 5月19日14:28からの「黙祷の3分間」の後も、北京では、多くの市民が天安門前広場に集まって哀悼の意を捧げた、とのことです。夕方暗くなると人々は手に手に火の灯ったロウソクを持って亡くなった数多くの犠牲者の冥福を祈りました。この日、20:30頃、私は天安門前広場前の長安街を車で通りました。夜になると天安門前広場は立ち入り禁止になるのですが、天安門前広場の周辺は、いつもより数多くの警官が出て警戒に当たっていました。天安門前広場近くの歩道には、まだロウソクを手に持ったまま家路に付こうとしている大勢の人たちが歩いていました。

 多くの市民が哀悼の意を捧げるために自然発生的に天安門前広場に集まる、という現象は、過去にも1976年4月と1989年4月に起きました。1976年の時は1月に亡くなった周恩来総理を悼んで、1989年の時は4月に亡くなった胡耀邦前総書記を悼んでのものでした。いずれのケースも、この「哀悼の意を表するために自然発生的に天安門前広場に集まった市民等の動き」は、その後、「事件」と呼ばれる事態に発展していったのですが、2008年5月19日の状況はそれとは全く異なるものでした。人々は、心から地震で亡くなった人々を悼んで、集まったのでした。そういった人々に対しても、数多くの警官が出て警戒に当たらなければならない、というのが、現在の中国の悲しい点だと私は思いました。

 5月22日の午前0時を過ぎると、停められていた外国の衛星テレビ放送は通常に戻りました。香港発の音楽専門衛星テレビ「チャンネルV」は、5月22日は電波は復活していましたが、内容はいつもの音楽番組ではなく、中国中央電視台が伝える震災報道特番組を流していました。5月23日になり「チャンネルV」も通常の音楽番組を流すようになりました。ただ、「チャンネルV」の中で流れていた中国語版の「We are the World」(1980年代、アメリカの音楽家たちが集まってアフリカ支援のために歌った歌)は心に滲みるものがありました。5月23日になると、中国中央電視台も通常のドラマ番組を流すようになり、徐々に通常状態に戻りつつあります。5月23日の夕方にはロシアのメドべージェフ大統領が北京を訪れ、胡錦濤主席と首脳会談を行いました。これも「業務は通常に戻った」というひとつのサインだと思います。

 今回の地震は、中国のメディアを明らかに変えました。悲惨な災害現地からのテレビの生中継など今まではなかったのですが、それをやりはじめたのです(ただ、生中継の画面には、救援隊の活動などは映るものの、一般の被災者は出ません。一般の被災者が出るのは録画された場面だけ、という点は、まだ他の国のメディアと違うところです)。

 災害現場は、非常に広範囲であり、土砂崩れによって堰止められてできた湖など二次災害の危険もあります。いろいろな情報が錯綜しているところもあるようです。多くの人々が懸命に努力していますが、復興までには、まだかなりの時間が掛かるものと思われます。

 学校で手抜き工事が行われていたのではないか、などいろいろな議論が行われていますが、断層面が何百キロにもわたって地表に出るようなマグニチュード8の地震が人間が住んでいる直下で起きた今回の地震災害は、おそらく人類が経験した地震災害の中でも最大のものではないかと思います。マグニチュード8の直下型地震に襲われたら、どんな耐震工事も役に立たないでしょう。そうした中、何が問題であり、何を改善すべきなのか、はこれから議論されていくことでしょう。それよりもまず、今は、ケガをした人々の治療を行い、被災して避難している人たちの健康を維持して、生活できる場を再建することが先決です。

 北京オリンピックまで、どの程度復興ができるのか、今の時点ではまだわかりませんが、なんとか多くの人々が力を合わせて、派手な演出は控えつつ、オリンピック競技が行える状況になるよう祈りたいと思います。

| | コメント (0)

2008年5月10日 (土)

日本をプラスに評価する評論

 昨日のこのブログの記事で5月8日付けの「新京報」の社説を紹介した際、「日本について中国の新聞がここまで前向きな表現を使ったことを少なくとも私は見たことはなかったように思います」と書きました。ところが、今日(5月10日(土))、改めて今週の「新京報」を読み返してみたら、昨日紹介した社説の出る前日の5月7日付けの「時事評論:国際観察」の欄に、北京の学者・劉檸氏という方の個人の見解としてではありますが、もっと日本をプラスに評価する評論が載っていました。

(参考)「新京報」2008年5月7日付け「時事評論:国際観察」欄の評論
「『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2008/05-07/018@080158.htm

 この評論のタイトルは中国語で書くと「『以日為師』助推中国改革」です。この評論のポイントは以下のとおりです。

----(評論のポイント:始まり)----

○中国の改革開放の30年の歴史を振り返ると、日本は日中平和友好条約が発効した翌年の1979年以来、少なくない額の政府開発援助(ODA)を中国の経済建設の推進剤として提供した。このことを中国人は忘れてはならない。

○1980年代末までの中国の現代化にあっては、日本は中国人の心の中の「現代化」のモデルの一つであり、日本を師とすることを少しもおかしいとは思っていなかった。

○日本の中国の現代化に対する支援は、資金や技術に限ったものではない。その経済の飛躍的発展の成功の経験それ自体が、中国にとって不可欠な重要な手本だからである。

○1964年の東京オリンピックの後4年で日本は西ドイツを抜いて世界第二の経済大国となった。それから既に40年が経つ。その間、日本は産業構造改革に成功し、国際競争力を高い水準で維持し続けている。日本は、この間、経済の持続的発展の過程で、「公害列島」と言われた環境問題の悪夢を克服し、世界に誇る環境保護天国を作り上げた。

○中国は改革開放の30年で人目を驚かすほどの経済大国になったが、同時に「遅れた改革者」としての課題に直面する時代に入ってきている。今後の中国の発展のロードマップを考えるに当たっては、東の隣国を他山の石とすべきことは論を待たない。

○やがてくる「オリンピック後」の時代にあっては、中日間の「戦略的互恵関係」に基づく絆は、両国関係を発展させることを通じて中国の建設と改革の推進を後押しすることになるだろう。今はまさに日本を師とすることを再び論ずる時なのである。

----(評論のポイント:終わり)----

 この評論は、昨日付のこのブログで解説した5月8日付けの「新京報」の社説のバックグラウンドとなっている考え方だと思います。誇り高き中国の人に「日本を師とする」とまで言われると、「過奨了」(褒めすぎですよ)と言いたくなって、ちょっと「くすぐったい」気分になります。しかし、この評論は、日本人向けの単なる外交辞令ではなく、一般の中国人向けの新聞に掲載された評論ですから、ここまで突っ込んだ表現を使ったことについて、我々日本人はこの筆者の気持ちをしっかりと受け止める必要があると思います。

 これほどまでに日本を「持ち上げた」評論をしたのは、前日(5月6日)から始まった胡錦濤主席の日本訪問に当たって日中友好ムードを盛り上げたい、という当局の意向が背景にあると思いますが、「新京報」は当局の意向を素直に受け入れる系統の新聞ではありませんので、この評論はそれなりに素直に受け取ってよいと思います。日本は、こういうふうに「持ち上げ」られると、すぐに頭に乗って「天狗」になる傾向があるので気を付けないといけないと思うので、その点には注意した上で、こういった中国国内の考え方を重要視する必要があると思います。

 上記の評論の中でもう一つ着目すべき点は「1980年代末までの中国の現代化にあたっては、日本は中国人の心の中の『現代化』のモデルの一つであり、日本を師とすることを少しもおかしいとは思っていなかった。」と述べている点です。ここの部分は、1990年代に入って、中国は「歴史問題」などを強調し、中国国内で反日感情が高まったことを暗に批判しているのです。

 現在の党・中央の公式見解は、「1978年の改革開放の開始以来、党・中央の政策は一貫している」というものですが、私はこの改革開放の30年の歴史の中で1989年の前と後とでは断絶があると考えています。上記の評論は、そういった私の考え方と軌道を同じくするものです。

 1989年以降、中国共産党は国内での思想的引き締めを強化する一方、経済的には、国有企業も含めた株式市場の開設、「土地は公有」という原則は維持しつつも「土地使用権は売買できる」という考え方に基づいた土地の売買の事実上の解禁、といった改革を進め、「社会主義市場経済」の名のもとに「共産主義」からはどんどん離れていく政策を採っていきます。そうなると中国の人々の間に「我々はなぜ今も中国共産党の指導の下に政策を進めなければならないのか」との疑問が生じかねません。そこで、抗日戦争を勝ち抜いてきた中国共産党の歴史を振り返り、その歴史があるからこそ中国共産党が中国の中核とならなければならないのだ、というメッセージを中国の人々に訴える必要があったのです。つまり1989年以降の日本に対する「歴史問題」とは、実は「中国共産党だけが中国の中核になりうるのだ」ということを訴える中国国内向けのメッセージでもあったのです。

 上記の評論は、1989年以降の「歴史問題」に基づく「反日」の考え方から決別すべきだ、と表明したものであり、その意味で非常に画期的だと思います。上記の評論は劉檸という方の個人的見解として掲載されているものですが、翌日、同じ論調の論文が「新京報」の社説として掲載されたことは意義が大きいと思います。

 今回の胡錦濤主席の日本訪問は、日本側では、ギョーザ問題や東シナ海ガス田問題などの課題を先送りしただけで、具体的な成果はなかった、としてあまり高く評価しない傾向があるようですが、私は中国側から見た場合、今回の胡錦濤主席の訪日は、中国自身の政策運営に関して、画期的な歴史的転換点だと思っています。胡錦濤主席は、「反日」を乗り越えて前へ進む、というメッセージを表すことによって、1980年代への回帰、別の言い方をすると1989年以降の政策への決別を表明したからです。

 中国の1980年代は、1981年6月の「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議」(いわゆる「歴史決議」)において、文化大革命を批判し、偉大な毛沢東主席もその生涯の一部においては誤りを犯した、と指摘したところから出発しています。「中国共産党も誤りを犯すことがあるのだ」「大事なのは誤りを誤りと認めた上で、前へ進むためにそれを改革することである」という点から出発した1980年代に回帰する、ということは、極めて重要な意味を持つと私は思っています。

 北京オリンピックの聖火リレーは、欧米各国で抗議行動を引き起こし、それが中国国内におけるナショナリズムの高まりを引き起こしましたが、中国の指導部や知識人(「新京報」の論説陣も含む)の間に「中華ナショナリズムの過度の高揚は、国際社会における中国の孤立化を招く」という危機感を引き起こしたのではないかと思います。今までの流れからは考えられない日本への急接近は、こういった危機感が背景にある、と私は思っています。

 私は昨年4月に20年振りに北京に駐在するようになり、この20年間、中国は経済的に飛躍的に発展したものの、様々な面でほとんど前進していない(一部については後退している)と感じて若干落胆していたのですが、今回の胡錦濤主席の訪日によって、歴史は大きく前に前進した、と感じています。今回の胡錦濤主席の訪日は、中国が国際社会の中で高い地位を占めていくには、国際的に共有できる認識に立ち、国際的理解を勝ち得なければならないことを中国の指導部や知識人たちが再認識するきっかけになったと思うからです。

 行きつ戻りつしつつも、やはり歴史は確実に前に進んでいくものなのだ、今、私はそう感じています。

(以下は、2008年5月10日夕方に追記)

 上記に紹介した「新京報」5月7日付けに掲載されていた評論『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」については、上記に「新京報」のホームページの中に掲載されているURLを載せてありますが、5月10日の午後になってから、この評論文は削除された模様です。5月10日の午前中に確認したときは、確かに「新京報」のホームページ上でも見ることができましたが、午後に確認してみると掲載されていません。「日本を師として」という表現が、自尊心あふれる中国の若者たちの心の琴線に触れ、「新京報」に抗議が殺到したからかもしれません。

 「新京報」のホームページからは削除されてしまいましたが、この評論文は、既に多くのブログや掲示板に転載されています。中国では、ネット上では著作権はないのに等しい状況ですので、一度発表された評論文などは、筆者に無断でブログや掲示板にどんどん転載されます。従って「以日為師」「助推中国改革」といったキーワードを使って検索エンジンで検索すると、この評論の原文の載ったサイトが山のように出てきます。

 それらの掲示板に載っている議論を読むと、この評論の筆者に賛同する人もいますが、やはり「一体、日本に何を学ぶというのか?」といった反発する記載が圧倒的に多いようです。

 「新京報」は、今日(5月10日)付けの紙面から、1週間に一度「評論週刊」(サブタイトル:公民読本を作る(中国語で「建設公民読本」))という時事問題に対する評論の特集を始めました。この中に、新聞各紙に掲載された評論文に対してコメントする欄があるのですが、今月の担当者・余世存氏は、この5月7日付け「新京報」の「『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」という評論を取り上げ、「現在のこのような『中国の決起』が起きている雰囲気のなかで、このような見識は発表することだけで大胆と言うべきである。」とコメントしています。

 この今日付の「評論週刊」の創刊号のタイトルは「愛国と民族主義」です。5月7日に「日本を師として」と題する評論を掲げたのは、「新京報」が若い人たちから反発が出ることを承知の上で、問題提起をしたかったからだと思います。この論文に対してはネット上のあちこちの掲示板で熱い論戦が起きていますが、むしろこれはいいことだと私は思います。敢えてこの問題を提起した「新京報」に私は敬意を表したいと思います(ただ、それならば「日本を師として」の評論をホームページ上から削除して欲しくなかったと思います)。

 これからは、中国の中で、「愛国」「民族主義」「言論・表現の自由」といった問題について、多くの人がいろいろな議論をするようになるのではないかと私は思います。

| | コメント (0)

2008年5月 9日 (金)

日中関係で一歩踏み込んだ社説

 訪日中の胡錦濤主席と福田総理との間で首脳会談が行われ、日中共同声明が発表された翌日の5月8日、北京の大衆紙「新京報」は、「中日の戦略的互恵関係:改革の中に発展を探る」と題する社説を掲載しました。日中首脳会談の翌日の新聞が日中関係に関する社説を掲載するのは当然と言えば当然ですが、私は、この「新京報」の社説の内容は、少なくとも私が見た中国の新聞に掲載された日中関係に関する論評の中では飛び抜けて踏み込んだ内容になっていると感じました。

(参考)「新京報」2008年5月8日付け社説
「中日の戦略的互恵関係:改革の中に発展を探る」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2008/05-08/018@075847.htm

 この社説の中で私が新しい視点だと感じたポイントは以下の点です。

----(社説のポイント:始まり)----

○我々は今回の共同声明の中で、歴史問題について日本の戦略戦争に対する「反省」や「謝罪」が盛り込まれず、その代わりに「歴史を正視し、未来へ向かう」という中立的な表現になっていることに特に注目したい。中日両国がアジアにおける二大大国として、共に「戦略互恵関係」に則って21世紀を切り開いていくことを中国側が決心したことを明確に表しているからである。またこのことは同時に、日本が戦後60年以上にわたり平和的発展の道を歩んできたことを正面から評価し、肯定していることを意味しているからである。

○具体的な係争問題を棚上げにしてでも、地球規模の課題に取り組むことが歴史と世界が中日両大国に与えた使命である。中日両国は、国際社会における「責任を負った大国」として共に手を取り大きな目標を目指さなければならないのである。

○今回の共同声明では、原則として隔年ごとに首脳が相互訪問することを確認している。これまで両国は、共通に持つ東洋的性格から、両国首脳の個人的考え方が両国関係に色濃く反映されてきた。両国首脳の相互訪問を決めたことは、こういった問題を回避する「安全ネット」の役割を果たすだろう。

○もちろん、我々には「毒ギョーザ事件」によって起きた相互の信頼関係の問題や食品貿易への影響を回復させる必要があるし、東シナ海ガス田問題に関してはまだ話し合う必要がある、といった問題が残されている。しかし、双方は戦略的観点から前向きに問題解決へ向けて努力することができるし、協力と戦略的信頼関係を強化することもできるのである。

○日本は、中国の改革開放政策を進めるに当たって有効な支援をしてくれた隣国として、また、中国の人々の心の中にとっての現代化の「手本」として、中国が「遅れた改革者」としての変革の道を歩み終わることに対し、寛容と理解を持った視線を投げ掛ける必要がある。

○21世紀の中日関係が新しい未来を切り開けるかどうかは、両国が真の協和した大国同士として「君子の交わり」を結び、中国の改革(中国語では「転型」)の成功が大きく、深く行われることに対して妨害がなされることがないようにできるかどうか、に掛かっている。この意味で言えば、中国の改革は、日本にとっても「他人事」ではないのである。

----(社説のポイント:終わり)----

 「新京報」は、中央政府の基本的な方針に大きく反対することはしないものの、「人民日報」や「新華社」とはひと味違った、党・政府の公式な方針から一歩離れた独自の立ち位置から論説を展開するのが普通です。上記の社説は、基本的には5月7日に出された日中共同声明を肯定的に受け止めるとともに、歴史問題などに関しては5月8日に胡錦濤が早稲田大学で行った講演と同じ路線の論調ですが、私は以下の点で特筆すべき点があると思います。

・共同声明の中で日本による侵略戦争について「反省」や「謝罪」について触れられていないことをプラスに評価していること。

・「日本が戦後60年以上にわたり平和的発展の道を歩んできたことを正面から評価し、肯定している」として、中国の新聞としては今までになく日本の戦後の歩みを真正面からプラスに評価していること。

・日中両国を「アジアにおける二つの大国」と位置付け、「中国がアジアの中心になるべき」という発想に立っていないこと。

・「毒ギョーザ事件」「東シナ海ガス田問題」等、胡錦濤主席の訪日で「友好ムード」を盛り上げる努力をしている党・中央の方針の中にあって、日中間の問題となるべき点はきちんと指摘していること。

・日本を「改革開放を支援してくれた隣国」「現代化の『手本』」と表現したこと(日本について中国の新聞がここまで前向きな表現を使ったことを少なくとも私は見たことはなかったように思います)。

・この社説の筆者が「改革を進めていく過程で、中国はこれからいろいろ困難な局面に立ち向かうことになると思うが、そういう中国を『寛容と理解をもって』見ていて欲しい」と考えているとともに、中国の改革が失敗することは日本にも大きな影響を与えることを指摘して、中国の「正しい改革」に対する日本の支持と支援を期待していることが窺えること。

 最後に挙げた「正しい改革」とは、「新京報」はあからさまには表現しませんが、これまでの論調を踏まえれば、「政治の民主化」であり「政府の情報の公開」であり「表現や報道の自由」であり「社会的安定の中での格差の是正」であり「社会の底辺を支える人々に対する民生の向上」であると思われます。

 「新京報」の論説を書く人々は、政治の民主化の問題、人権の問題、政治に関する情報の公開性の問題、表現や報道の自由の問題、農村と都市との格差の問題など中国が抱える様々な問題があることはよく理解しています。一方で、社会の安定を維持し、経済的な混乱が起こるようなことのないようにしながらそれらの問題を解決することは非常に難しいこともよくわかっています。

 世界各地を回った聖火リレーへの対応において、欧米各国では、人権の問題などに対して批判が相次ぎましたが、批判した人たちが言うとおりに変えれば問題が解決するほど中国が抱える問題は単純ではありません。社会や経済を安定させた状態を維持しつつ、これらの問題を解決していくためには、まさに「寛容と理解をもって」中国の改革を辛抱強く支持することが必要なのです。この社説の筆者は、その役割を、中国との間で不可分の利害関係を持つ日本に果たして欲しい、と思っているのだと思います。

 胡錦濤主席と福田総理は、大陸においても台湾においても、現在でも「中国革命の父」と慕われる孫文ゆかりのレストランで会食をしました。胡錦濤主席は早稲田大学の講演の中で中国共産党の創始者である陳独秀、李大釗の名前を挙げ、彼らが早稲田大学に留学していたことを指摘していました。日本は、20世紀初頭、中国革命の指導者たちが育つ場を提供していたのです。胡錦濤主席は、そのことを改めて思い起こさせようとしたのだと思います。従って、日本が「寛容と理解をもって」中国の改革を支持する、というこの「新京報」の社説は、胡錦濤主席が言わんとしたことと相通じるものだと思います。

 今回の「新京報」の社説は、21世紀の日中関係を考える上で、非常に重要なポイントを突いており、私も大いに共感するところがありましたので、このブログで取り上げさせていただきました。

| | コメント (0)

2008年5月 4日 (日)

「新京報」北京大学創立110周年記念特集

 今日(2008年5月4日)付けの北京の大衆紙「新京報」では、昨日、胡錦濤主席が北京大学を訪問したことを報じるとともに、北京大学創立110周年記念特集として、北京大学の歴史や北京大学卒業生の有名人に対するインタビューなどを掲載していました。

 胡錦濤主席の北京大学訪問の記事では、北京大学人文学部の袁行霈教授が胡錦濤主席との座談会で次のようなことを話したことが載っています。

○大学は非常に自由な学術環境が必要であり、自由な研究ができる前提の下でこそ多くの成果が得られるのである。

○(政府による)これまでの物質的な支援のほか、さらに重要なのはもっと多くの自主権を大学に与えることである。

○民族の文化を伝承し、人の理念と精神的な面を向上させるため、人文社会学科をさらに重要視ことを希望する。

(参考1)「新京報」2008年5月4日付け記事
「胡錦濤主席、北京大学を視察」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2008/05-04/018@074558.htm

 この袁行霈教授の話は、胡錦濤主席がライバル校である清華大学の理工系(水利技術学科)卒であることを意識しているものと思われます。また、この日の「新京報」の北京大学創立110周年特集号では、昨年11月に撤去された「三角地」について、歴史的には「北京大学の民主の壁」と呼ばれてきたことを紹介するなど、「新京報」の記事自身が「自由な学術環境」「大学の自主権」を重要視した内容になっていることが注目されます(ただし、さすがに「北京大学の歴史」「三角地の歴史」の中でも1989年のことについては触れていません)。

(参考2)このブログの2007年11月3日付け記事
「北京大学の『三角地』掲示板の行方」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/11/post_b865.html

 なお、昨日の胡錦濤主席の北京大学訪問については、「人民日報」で1面のほとんど全てをこれに関連する記事にあてるなど、大きく取り上げています。

(参考3)「人民日報」2008年5月4日付け1面
「心から深い気持ちを北京大学キャンパスに寄せる~胡錦濤総書記、北京大学視察の概要~」「北京大学の教授・学生代表との座談会における講話」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-05/04/node_17.htm

 5月4日は「五四青年節」で、北京大学は1919年の「五四運動」の発生の地ですから、5月4日付けの新聞で「北京大学特集」を組むのは別におかしくはないのですが、扱い方がやけに大きいなぁ、ということと「新京報」が「自由な学術環境」「大学の自主権」に重きを置いた記事にしていることが私の印象に残りました。

 今、北京大学と清華大学は、北京市の中関村地区で隣接して立地していて、中国のトップを行く大学としてライバル関係にあります。最近は、輩出する国家指導者の数やいろいろな学術研究の成果では清華大学の方が上だ、と考える人も多いのですが、「中国を引っ張ってきた」という歴史の重みとそれに裏打ちされた自負とプライドにおいては、まだまだ北京大学の方が上だ、と思っている人が多いのかもしれません。今日の「人民日報」や「新京報」の記事を見て、そんなことを思いました。

| | コメント (0)

2008年5月 3日 (土)

胡錦濤国家主席が5月3日に北京大学を訪問

 中国では、5月4日は、1919年の5月4日に始まった「五四運動」にちなんで「青年節」と呼ばれ、青年(14歳~28歳)には半日の休日が与えられる、という法定休日になっています。

---【「五四運動」に関する説明】(始まり)---

 1919年1月から第一次世界大戦の戦後処理について話し合うヴェルサイユ会議が開かれましたが、この会議において、中国は当時日本が占領していた山東半島を中国に返還するように要求していました。山東半島は、もともとドイツが租借地として支配していましたが、英仏に味方して第一次世界大戦に参戦した日本は、山東半島に出兵し、ここを占領しました。そして、日本は、1915年、「対華21か条」において、日本による山東半島占領を認めるよう中国に要求しました。英仏米もこの日本の要求を黙認したため、当時の中国の袁世凱政権はこの要求を飲まざるを得ませんでした。戦争が終わってドイツが負けたことから、中国政府は、アメリカ大統領ウィルソンが提唱していた「民族自決主義」の原則に基づき、山東半島を中国に返還するよう要求していたのです。

 しかし、第一次世界大戦の戦勝国側(英仏米日)がリードするヴェルサイユ会議は、この中国の要求を拒否しました。中国の要求が拒否されたことが伝えられると、中国の人々の列強各国、特に日本に対する怒りが爆発し、1919年5月4日、北京大学の学生らが天安門前へ向けてデモを行ったことをきっかけに、中国における反帝国主義の大衆運動が広がっていったのでした。これが「五四運動」です。5月4日は、中国革命において、学生ら青年たちの民族主義的な情熱から出発して、幅広い人々による大衆運動が広まった「真の革命」の出発点の日として、今でも歴史上の重要な日として位置付けられています。

---【「五四運動」に関する説明】(終わり)---

 世界を巡った北京オリンピックの聖火リレーに対して様々な妨害活動があったことから、今、これに反発して、中国のナショナリズムがいつになく高まっています。特にフランスでの聖火リレーに対する抗議活動が激しく、フランスのサルコジ大統領が「場合によってはオリンピックの開会式に出ないこともあり得る」といった発言をしていることから、中国の若い人たちの間にフランスに対する反発が高まり、フランスの会社が経営するスーパーマーケット「カルフール」での不買運動が起こるまでになっています(この不買運動は、「『カルフール』の大手株主がチベット独立運動グループを支援している、とのウワサがネット上で広まったことがきっかけになっています。「カルフール」側はこのウワサを否定しています)。

 中国国内のメディアも、「チベットでの動きに対する西側メディアの報道は偏向している」など、中国の人々の愛国主義的感情を煽るような報道をしてきたのですが、学生らの動きが「カルフール」の不買運動にまで発展したことを受けて、「愛国主義は重要だが、それは理性的に国家建設へ向ける必要がある」といった趣旨の論説を掲載するなど、ナショナリズムの過激化を警戒するようになってきています。特に、オリンピック成功へ向けて国際世論に対する配慮を示すため、チベット問題に関してダライ・ラマ側と非公式な接触を図ろうとしている中国政府にとって、あまりに過激なナショナリズムは好ましくありません。非公式とは言え、ダライ・ラマ側と接触しようとする政府に対して、学生らが「妥協しすぎだ」と反発すると困るからです。5月4日は、ナショナリズムの国民運動の出発点である「五四運動」の記念日なので、この日をきっかけに学生らの動きが、中国政府の思惑を超えるほどに盛り上げることは、中国政府としても困るのです。

 そんな中、5月1日に日本の時事通信は「胡錦濤国家主席が5月4日に北京大学を視察することを予定している」というニュースを配信しました。私は「まさか」と思いました。北京大学は「五四運動」の発生の地です。また、北京大学の学生は今でも「自分たちが中国をリードしている」というプライドを持っています。そんな中、「五四運動」の記念日に国家主席が北京大学へ行ったら、国家主席に「直訴」しようとする学生らに格好のきっかけを与えてしまうことになるからです。国家主席自らが「愛国主義の熱情は素晴らしいもので理解できる。しかし、その情熱は理性的に社会の建設のために向けて欲しい。」と訴えることは非常に重要なことだと思うのですが、それを5月4日に胡錦濤主席自らが北京大学に出向いて行うのはあまりにも刺激的だ、と私には思えました。また、警備上の都合から言っても、国家主席の視察日程が事前に報道されることはあり得ないはずだ、と私は思いました。

 ところが、今日(5月3日)夜7時から放送された中国中央電視台の「新聞聯播」によると、胡錦濤国家主席は、5月4日ではなく、今日(5月3日)に北京大学を視察した、とのことです。このテレビのニュースでは、胡錦濤主席が大学生らと和やかに交流したり、白人の外国人留学生と交流して国際的な相互理解の重要性を強調したりしている姿が放映されました。胡錦濤主席が5月4日に北京大学へ行く、という時事通信の報道は、一種の「おとり情報」だったようです。5月4日の前日に電撃的に行くことで、胡錦濤主席は、過激な学生らに「直訴」されるようなことなく、「愛国主義の熱情は理性的な方向へ向けよう」「国家の団結も重要だが、それを基にした国際的相互理解もまた重要だ」という強いメッセージを学生たちに発することに成功したと思います。

 一方、5月2日時点での日本での報道やBBC、CNNでは、ダライ・ラマ側の特使は、5月3日に中国に入って中国側と接触する予定、と報道していました(一部の報道では、ダライ・ラマ側の特使が行く場所は北京だ、と報道していました)。「五四」の前日にダライ・ラマ側と接触したりしたら、ナショナリズムで高揚している学生たちを刺激するだけで、タイミングとしては悪すぎる、と私は思いました。

 ところが、北京時間5月3日夜の報道によると、ダライ・ラマ側の特使は5月3日に中国に入ったが、中国政府の関係者と会談するのは5月4日だ、とのことです。また、NHKのニュースなどの報道によると、会談の場所は北京ではなく広東省深セン(香港の北隣)だ、とのことです。中国政府とダライ・ラマ側との非公式な接触については、中国国内のメディアでは伝えられていません。日本や欧米のメディアは、中国側やダライ・ラマ側から非公式に流される情報に「踊らされて」いるようです。こういった「水面下の交渉」が行われる時間や場所は、交渉がそれこそ「水面下」で行われるので、正確な情報はオモテには出ないのが普通なので、流される情報に振り回されないようにする必要があると思います。

 また、昨日(5月2日)、今日(5月3日)の時点で「カルフール」を意味する中国語の「家楽福」を中国の検索エンジン(百度(バイドゥ)、Yahoo!、Google)で検索すると「法律の規定に基づき検索結果が表示されません」と表示され、検索することができません。インターネットによる不買運動の動きが広がることを防ぐため、当局によるインターネットアクセス制限が掛かっているからのようです。

 こういったインターネット・アクセス制限については、当局側が公表しないのはもちろんのこと、中国の新聞でも報道されないのが普通なのですが、今日(5月3日)発売の経済専門週刊紙「経済観察報」(2008年5月5日号)では、1面に載せた「カルフールの5月1日」(中国語で「家楽福5月1日」)と題する記事の中で、「カルフール」の語が百度で検索できないことを伝えています。

 一方、中国「カルフール」のホームページに非常に似た(スペリングで1字違いの)アドレスを持つ愛国主義を訴える過激なイメージのサイトには、アクセス制限が掛かっておらず、閲覧できる状態になっています(このサイトでは「オリンピックを妨害するいかなる言論や行動に対しても断固として反対しよう」というスローガンが掲げられていますが、「不買運動をしよう」などとはひとことも言っていないので、削除やアクセス制限の対象になっていないものと思われます。しかし、そのアドレスを見れば「カルフール」を対象にしていることは明らかです)。

 また、新華社のホームページには、伝えられる記事に対する意見を書き込める掲示板が付いているのですが、「カルフール」の不買運動に対して「理性的に対応しよう」という専門家の論評に対する掲示板には、「専門家は何もわかっていない」など、不買運動を支持する書き込みが削除されずにそのまま掲載されています。

 胡錦濤主席の北京大学訪問を伝える5月3日の「新聞聯播」では、チベットのラサ地区がこのメーデー連休から国内の観光客に開放されたこと、北京で「チベットの今昔展」が開かれておりこれを見た多くの人が最近のチベットの発展に満足の意を示していることが伝えられていました。新華社等の公式メディアでは、今の時点でも「チベット独立派」「ダライ集団」の不当性を訴える記事を「これでもか」という程に連日報道しています。

 このようにナショナリズムの高まりや「カルフール」の不買運動、中国政府とダライ・ラマ側との非公式な接触に関する情報は、「何が本当で、なにが『おとり情報』なのか」「当局は、どの情報を制限し、どの情報の流布を許可し、世論をどの方向に持っていこうとしているのか」が現在よくわからない状況になっています(それゆえに、外国メディアの中には、中国当局の内部で対応の仕方に対する路線対立があり、軸足が定まっていないのではないか、と論評するところもあります)。

 ただ、インターネットの掲示板などでは、激しくナショナリズムを高揚させるような書き込みがありますが、「不買運動をやろう」と呼びかけられていた一昨日(5月1日)、北京市内にいくつかある「カルフール」の店舗のうち、店の前に人が集まって店に入る客に不買を呼びかける、といった目立った活動が行われたのは、北京大学などに近い中関村店だけで、そのほかの店では、大きな動きはなかったようです(ただ、「経済観察報」の記事によると、ほかの店でも、いつものメーデー連休に比べてお客はかなり少なかった模様です)。

 そういった状況も踏まえると、大多数の中国の人々は基本的に冷静なのだと思います。聖火リレーは、5月1日の香港を皮切りにして、中国国内に入りました。中国国内では、さすがに「抗議行動」などはないと思うので、これ以上「騒ぎ」が大きくなることはないと思います。ただ、オリンピック本番で、ナショナリズムの熱情に燃えた一部の若い人たちが、外国人との間でトラブルを起こすことだけは避けて欲しいと思っています。

 いずれにせよ「五四青年節」の前日に胡錦濤国家主席が自ら北京大学へ行った、ということは、党・政府も事態を重要視していることの表れだと思います(表向きは、開校110周年の記念式典に出席した、ということになっていますが、「五四」のタイミングを狙って行ったことは明らかです)。「不買運動」などをやっている若い人たちの気持ちが本当に「愛国主義」に基づくものなのであれば、彼らはこの胡錦濤国家主席の気持ちを汲み取って理性的に行動するはずである、と私は信じています。

(2008年5月5日深夜追記)

 上記の文章で「中国『カルフール』のホームページに非常に似た(スペリングで1字違いの)アドレスを持つ愛国主義を訴える過激なイメージのサイト」について書きましたが、5月5日夜現在、このサイトは、削除されたのか、あるいはアクセス制限が掛けられたからなのかわかりませんが、見ることができなくなっています。違法と指摘されないように注意して作られたサイトのように見えましたが、やはり見たイメージがちょっと過激な感じがしたので削除されてしまったのか、あるいは自主規制して自分で削除してしまったのかもしれません。

| | コメント (0)

2008年4月30日 (水)

Ready for what?

 今日4月30日は、北京オリンピック100日前に当たります。北京では、様々な記念のイベントが行われました。北京オリンピックのイメージ・ソングは "We are ready" (中国語では「我們準備好了」:私たちは準備ができています)です。それに合わせて、今日は、中央電視台で「我們準備好了」という特別番組を放送しました。

 私は、いつもこの "We are ready" の曲を聴くと、"So, reday for what?" (それで、何の準備ができているの?)と問い掛けたくなります。

 1964年の東京オリンピックは、第二次世界大戦に負けた日本が19年の時を経て世界に「新しい日本」として再出発した姿を見せる場でした。そして、東京オリンピックを契機として日本は高度経済成長を遂げることになります。1988年のソウル・オリンピックは、1980年に軍事クーデターで政権を奪取したチョン・ドゥホァン(全斗煥)大統領が「オリンピックの開催の前に大統領を退陣する」と宣言して招致したオリンピックでしたが、実際に、1988年、チョン・ドゥホァン大統領はオリンピックを前に大統領を退陣し、国民による直接選挙で選ばれたノ・テウ(盧泰愚)大統領が就任しました。また、ソウル・オリンピック以降、韓国はNIEs(新興工業国・地域)のひとつとして経済的にも国際社会の中で大きく羽ばたくことになったのでした。

 それと比較すると、北京オリンピックを契機として、中国自身がどう変わるのだろうか、中国の国際社会での位置付けがどう変わるのだろうか、というのが私には開幕の100日前の今日になっても、まだ見えてきていないのです。東京オリンピックもソウル・オリンピックも、日本や韓国を国際社会の一員としての舞台に載せる役割を果たしたのですが、北京オリンピックについては、一昨日まで世界を巡っていた聖火リレーを見ていると、むしろ逆に中国を国際社会の中における異質の存在としてクローズ・アップさせる場になってしまったようにさえ感じました。オリンピックの開催を通して国としてひとつにまとまる、民族意識が高まる、というのは、悪ことではないのですが、それが国際社会と対立する方向を向いており、オリンピックが目指すべきものと方向が逆のように思えるからです。

 私と同じような見方の論調をズバリと掲げる中国の新聞は見掛けませんが、今日(4月30日)付けの北京の大衆紙「新京報」に「オリンピック100日前のカウントダウン:さらに開放された中国を世界に示そう」と題する社説が掲載されていました。

(参考)「新京報」2008年4月30日付け社説
「オリンピック100日前のカウントダウン:さらに開放された中国を世界に示そう」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2008/04-30/011@101131.htm

 この社説では、最初の4分の1の部分で、「オリンピックの聖火リレーが一部の『チベット独立派』の妨害を受けたが、13億の中国人と数千万の在外華僑の力により、妨害は排除され、中華民族の団結を示した。」と述べる一方、続けて「しかしながら、我々の目の前にはさらに多くの考えるべき課題が残っている。」として、オリンピックを契機に中国が示すべき道を論じています。

 この社説では、オリンピックに関する建物などの「ハード」の準備状況は目を見張るものがあるが、それらの影響は一時的なものであり、もっと長く持続的に続く「ソフト」面での建設を考える必要がある、と指摘しています。具体的には、「国民の自治」「法律に基づき政治を行う権威」「権利の保障」・・・といった点の改革の道のりはまだまだ遠く、今日この時から、小さな一歩を踏み出す必要がある、と指摘しています。さらにこの社説は、「オリンピック精神は異なる文化を容認し理解することを強調している」として、「中国が積極的に開放的で自由な発展を進め、それをもって一部の国が持っている中国に対する誤解や偏見を消し去り、オリンピック運動が提唱する真の国際交流を実現しなければならない。」と結んでいます。

 中国の新聞の社説や論説は、「ズバリ」と指摘するといろいろ差し障りが出るケースがあるため、論旨が回りくどくて(たとえ中国語の読解能力が完全であったとしても)、その主張を理解するのは相当に難しいケースがあるのですが、この「新京報」の社説が言っていることは、最初の4分の1の部分(聖火リレーによって中華民族が団結したことを評価する部分)を除いては、私の考えていることとほとんど同じだと思います。

 私は、北京オリンピックによって、世界の多くの人が中国を訪れ、世界の多くの人が中国を理解するきっかけになるとともに、中国の人々が世界を理解するきっかけになればよいな、と思っていました。しかし、少なくとも、19か国を回った聖火リレーの結果だけを見れば、世界の人々と中国の人々との「意識のギャップ」はむしろ深まってしまったように思います。

 私がよく知っている北京のホテルは、いつもは1泊500元(7,500円)程度の値段なのに、7月下旬から8月いっぱいは1泊3,500元(52,500円)~4,500元(67,500円)にする、と言っています。今日(4月30日)夜9時からのNHK総合テレビで放送された「ニュース・ウォッチ」によると、日本の旅行社等ではオリンピックの人気のある試合のチケットがほとんど確保できていない状況だとのことです。こういった状況を踏まえると、私は、オリンピックが始まっても、実際は外国人はあまり数多くは中国へは来ないのではないか、と心配しています。スタジアムは満員だけど、ほとんどみんな中国人だけ、ということになるのではないか、とも思っています(外国での聖火リレーを見ていると、どうしてもそういうイメージを持ってしまうのです)。

 こういった私の心配が杞憂になり、北京オリンピックにおいて、数多くの外国の人々と中国の人々とが触れ合い、お互い知らなかったことを理解し合う交流が笑顔の下で行われることを祈りたいと思います。

| | コメント (0)

2008年4月26日 (土)

「ダライ・ラマと対話の用意がある」の意味

 昨日(4月25日)、中国の新華社通信は「中国政府の関係者は、分裂活動やオリンピックへの妨害活動をやめるのならば近日中にダライ・ラマの私的代表と話し合う用意がある」と発言した旨伝えました。この報道が日本の長野での聖火リレーの前日で、長野での抗議活動をやるかもしれないと伝えられていた活動家グループ「国境なき記者団」が日本に入国する直前になされたことに、私は中国側の「意図」を感じました。

 私が想像する中国側の「意図」とは以下のようなものです。

○5月初旬にも予定されている胡錦濤国家主席の日本訪問を直前に控えて、聖火リレーへの妨害活動等に関連して欧米各国とはぎくしゃくした関係にある中国側としては、今までこの件に関して積極的に中国批判を行って来なかった日本との関係を良好なままに保ちたいと思っており、そのためには長野の聖火リレーにおいて中国に対する大きな抗議活動が起こっては困る。

○「中国政府がダライ・ラマ側と接触する用意がある」との意図を示せば、聖火リレーに対して抗議活動を行ってきた人々の抗議の根拠がなくなる。もしそれでも抗議活動を行えば、それは「政治的な主張に基づく正当な抗議」ではなく、単なる「嫌がらせの妨害行為」ということになり、もし混乱が起きても日本国民の世論が抗議者側に賛意を表することはなくなる。

 つまり、この「ダライ・ラマ側と接触する用意がある」という新華社の報道は、もちろん国際世論に配慮した、という意味はあるものの、そのタイミングを考えると、特に日本に対して出された「中国は日本とだけは友好的な関係を維持したい」というメッセージであると捉えていいと思います。

 4月26日に長野で行われた聖火リレーは、ロンドンやパリのような騒ぎにはなりませんでしたが、物が投げつけられたり妨害行為があり、逮捕者も出ました。また、集まった中国人留学生らと抗議行動を行おうというグループとの間で小競り合いがあり、中国人留学生ら数人がケガをしたとのことです。この長野の聖火リレーについては、中国のメディアは「聖火は日本の人々に歓迎されてリレーは成功裏に終了した」と報道したのみで、妨害行為や中国人留学生がケガをしたことは伝えていません。こういった報道の仕方も「日本との間ではギクシャクしたくない」という中国政府の「意図」を表していると思います。

 今後注目すべきなのは、今回の「ダライ・ラマ側と接触する用意がある」との中国政府関係者の発言が、単なる国際世論(特に日本に対する)メッセージだけで終わるのか、実際に中国政府がダライ・ラマ側と接触し、問題解決の話し合いのテーブルに着くかのかどうか、です。EUの代表は「もともとダライ・ラマ14世は『中国からの独立は主張していない』『自治の確立とチベットの文化や宗教の保護を求めているだけ』『北京オリンピックの開催は支持する』と主張しているので、中国政府とダライ・ラマ側との話し合いが持たれれば問題解決の余地はあるのではないか。」との期待を表明しています。この期待が現実のものになるとよいのですが。

 問題は、これまでさんざん「ダライ集団は国家を分裂させようとしている」とダライ・ラマ側を批判して国内の民族主義的な感情を煽ってきた中国政府が急に「ダライ・ラマ側と話し合う用意がある」との考え方を示したことに対して、中国の人々(特に若い人々)がどのように反応するかです。「ダライ・ラマ側と話し合う用意がある」との政府関係者の発言を伝える新華社電は、中国国内でも人民日報や中央電視台のテレビ・ニュースでも伝えられ、一般の中国国民にも既に伝わっています。今日(4月26日)は土曜日で、この後、5月1日からの3連休、5月4日の「五四青年節」(1919年5月4日以降、列強各国(特に日本)に対して当時の若者たちが民族主義的主張を掲げて起こしたことを記念した日)になりますから、今は若い人たちが何か動きを見せる時間的に余裕が持てるタイミングです。「五四青年節」に向けて、若い人たちがどう動くのかが気になります。

 民族主義的熱気に包まれた若者たちが「ダライ・ラマ側と話し合うなどとんでもない」と考えて、中央政府の考え方に反発するような動きを見せたりすると、話が複雑になります。もしそうなったら中国政府は、これまでダライ・ラマ側や西側報道機関を強烈に批判するキャンペーンを行って来たことの反動を自分で受け止めなければならないことになります。(新華社のホームページにある「ダライ・ラマ側と話し合う用意がある」という記事に付けられている掲示板には「政府の意向を支持する」という発言が並んでいますが、これが本当にネットワーカーの意見を代表するものであるとは、私にはとても思えません)。

 別の観点から捉えれば、この時点で「ダライ・ラマ側と話し合う用意がある」との発言が公表されたことは、中国の党・政府の中で問題解決に対してどういう手法を取るかについての「迷い」(別の言葉でいうと内部での路線対立)があることを表しているのかもしれません。

 いずれにせよ、私は、中国の若者たちが過激な行動に走ることなく、国際的な感覚をもって(=外国の人々が自分たちの行動をどう受け止めているのか、を自覚して)、冷静に行動することを期待しています。問題は、今の若者たちは1989年の事態を知らない世代であり、1989年の事態に関する情報からいっさい遮断されているということです(1989年の事態に対する情報に関しては、インターネットで閲覧しようとしてもアクセス制限が掛かっています)。私としては「オリンピックを契機とした穏やかな歴史の前進」を改めて願いたいと思います。

| | コメント (0)

2008年4月21日 (月)

デモに関する報道

 日本からの報道やCNNなどの報道によると、この週末(4月19日、20日)、次のようなデモがあった、とのことです。

(1)パリ、ロサンゼルスなどで、フランスにおける聖火リレーへの妨害行為やCNNの報道に抗議する中国人留学生らによるデモがあった。

(2)武漢などの中国の複数の都市において、フランスにおける聖火リレーへの妨害行為等に抗議するため、フランスの会社が経営するスーパーマーケット「カルフール」での不買運動を訴える学生らによるデモがあった。

 これらについては、4月20日、4月21日付けの中国の新聞による報道は以下のとおりになっています。

(1)については、写真を入れたりして大きく報道している。

(例1)「新京報」2008年4月20日付け記事
「5000人の中国人がパリでオリンピック支持の集会を開催」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/04-20/011@072623.htm

(例2)"China Daily" 2008年4月21日付け1面トップ記事
"Thousands rally in Europe, US" (何千人もの人がヨーロッパやアメリカでデモを行った)
http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2008-04/21/content_6630616.htm

(例3)「人民日報」2008年4月21日付け記事
「北京オリンピックを支持し、事実に反する報道に反対する~米、仏、英、独等で華僑や在留中国人や中国人留学生が各種の活動を実施~」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-04/21/content_48355249.htm

(2)については、「カルフール」に対する不買運動が起きていることは報じているが、「デモ」という形の運動が中国国内で起きていることについては詳細には報じられていない。しかし、デモが計画されていることがわかってからは、暗にデモのような行動による抗議を戒める論説が掲載されるようになる。

(例4)「人民日報」2008年4月20日付け1面の下の方に掲げられた論説
「愛国主義は、どのようにしたらさらに有効になるのか」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-04/20/content_48354756.htm

 一方、4月20日の「新京報」には、石嘉という名前の北京の学者の意見文が掲載されています。この意見文の中では、冒頭、雲南省昆明において「カルフール」の店の前に約200人が集まって抗議行動を行い、店に入る客に「売国奴」という罵声を浴びせたり、水を掛けたり、ひどいときには殴打したりした事実を伝えてます。このような事態に対して、石嘉氏は、「私は、不買運動をしようと考えたり、不買運動に反対したり、様々な意見が表明されることを支持するが、片方の意見を持つ者が異なる意見を持つ者に対して、理性を失い、合法性を逸脱する態度を取ってはならない。」「そういった行為は、かえって多くの人に不買運動に対する疑念を抱かせるのであって、世界中で形成されつつある好ましい民族的現象を妨害することになる」と批判しています。

(例5)「新京報」2008年4月20日付け「観察家」(意見欄)
「カルフールの店の前における理性の危機」
http://www.thebeijingnews.com/comment/guanchajia/2008/04-19/011@023715.htm

 (例4)(例5)に掲げた論説や意見文は、至極もっともなものであるし、オリンピックを妨害する行為に対して行われた抗議活動は、過激になると、むしろそれによりオリンピックによくない影響を与えることになる、という中国当局の懸念と一致するものだと思います。

 ただ、もし中国当局がそのように懸念するのであれば、(例1)(例2)(例3)に掲げたように、ヨーロッパやアメリカで聖火リレー妨害や反中国的な西側報道に対する反発のデモを大きく伝えるのは大いなる矛盾だと思います。これら外国での激しいデモの報道を見れば、中国国内にいる多くの若者たちは、諸外国で中国系住民や中国人留学生がデモをやっているのなら、自分たちも中国国内でデモをやりたい、と思うようになるのが自然だろう、と思えるからです。

 今まで、中国の国内メディアが展開してきた「チベットの住民による暴力行為糾弾キャンペーン」「聖火リレーに対する妨害行為を糾弾するキャンペーン」「中国政府のやり方を批判する西側メディアを『偏向している』『事実を伝えていない』と批判するキャンペーン」が非常に激しかっただけに、ここに来て急に「不買運動はいいが、過激な行動には走らないように」とブレーキを掛けても、中国の若い人は納得するだろうか、という心配があります。少なくとも、上記のように矛盾して見える中国のメディアの報道振りは、「国内世論のコントロールに苦労してる中国当局の姿を表していると思います。

 中国の人々は、世の中が混乱しては困る、ということを自分たちで一番よく知っています。ですから、これからも小さなトラブルはいくつかあるかもしれませんが、大きな混乱にはならないと思います。オリンピックに影響を与えるような事態になることは誰も臨んでいないのですから。

 それを考えると、中国の報道機関も「世論をコントロールしよう」と思うのではなく、右側の事実も左側の事実も、事実を淡々と伝えることに徹し、必要に応じて、起こった事実に対する論評を加える、という報道の仕方にする方がよいと思います。その方が自然で、みんな(諸外国も含めて)が納得できるものになると思います。

| | コメント (0)

2008年4月19日 (土)

北京の一部の大使館街が公安当局により封鎖

 今日(4月19日)午後、第三環状路を車に乗って通っていたら、北京市の東北部にある朝陽区三里屯の大使館街で、第三環状路から大使館街に入る道が全て公安当局の人員による隊列で入れない状態になっていました。この三里屯の大使館街は、日本の大使館は入っていませんが、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アジア、アフリカなど各国の大使館が連なっているところです。もちろん各大使館は警戒が厳重で、用のない人は各国大使館の敷地内に入ることはできませんが、各国大使館前の道路は、いつもは自由に通行できます。大使館街は、街路樹がしっかり整備されているので、緑の季節には通ると気持ちのいい街です。その三里屯の大使館街がブロックごと完全に公安当局に封鎖されていたのです。

 どこの国の大使館を守るためにこういった措置が取られているのかは不明でしたが、最近の動きから想像すると、この三里屯の大使館街の中にあるフランス大使館に対するデモを防止するための措置と思われます。

 昨日(4月18日)付けのこのブログの発言でも書きましたが、パリにおける聖火リレーに対する妨害行動が激しかったことや、サルコジ大統領が開会式への出席に対して「状況によっては出席しない」といった態度を取っていることから、中国国内の人々のフランスに対する反感が高まっています。そのため、フランスの会社が経営するスーパーマーケット「カルフール」での買い物をやめよう、という不買運動の呼びかけがネットワーク上で起きているそうです。

 昨日(4月18日)付けの「新京報」によると、「カルフール」の大株主であるモエヘネシー・ルイヴィトン・グループは、ルイ・ヴィトン・グループがダライ・ラマを支援したとの一部の報道に対し、「ルイ・ヴィトン・グループは、チベット独立派を支持したことはないし、中国の消費者を侮辱するような発言をしたこともない」との声明を発表したとのことです。

 また、この記事によれば、湖北省武漢の「カルフール」の店の前に掲げてあった中国の国旗が半旗状態になっており、それを撮影した写真がインターネット上に流された、とのことです。「カルフール」側は、国旗を半旗状態にしたのは「カルフール」の社員ではない、との声明を出し、店先に「カルフールは北京オリンピックを応援しています」という張り紙を出したとのことです。

(参考1)「新京報」2008年4月18日付け記事
「ルイ・ヴィトン、ダライを支援したことはないとの声明を発表」
http://www.thebeijingnews.com/news/intime/2008/04-18/015@075825.htm

※上記の記事の中の「武漢のカルフール、『半旗事件』について調査」とある見出しの部分が武漢での「半旗事件」に関する記事です。記事中、「路易威」は「ルイ・ヴィトン」、「家楽福」は「カルフール」のことです。

 こういった動きを受けてのことだと思いますが、4月19日午後に放送されたNHKのニュースによると、武漢で学生らによる反仏デモが行われ、フランスに対する抗議と中国を支持しない外国に対する抗議を叫んだとのことです。このNHKのニュースによると、デモは、携帯電話のショートメールを使って呼びかけられたとのことです。

 北京の大使館街が公安当局によって封鎖されたのも、こういったデモの動きを警戒したためと思われます。今日(4月19日)日本時間夜7時から放送されたNHKのニュースによると、武漢のほか北京でもデモが行われたとのことですが、少なくとも私はデモ自体は見ませんでした。

 中国では、当局に無届けでデモを行ったり、デモを呼びかけたりすることは法律違反です。

(参考2)このブログの2007年8月24日付け記事
「ネットで集会を呼びかけた大学院生が拘束」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_2a32.html

 上記の記事で書いたケースでは、インターネット上の掲示板にデモへの参加を呼びかける発言をしたために拘束されたのですが、携帯電話のショートメールを使って、いわゆる「チェーンメール」(「友だち数人にそのまま転送してください」という「不幸の手紙」形式のメール)を使って呼びかけを広めた場合、発信源が特定できないので、上記の記事のケースのように公安当局がデモの呼び掛け人を事前に拘束することは、まず不可能です。そのため、最近は、デモの呼び掛けを行うのに携帯電話のショートメールを使うケースが増えています。

(参考3)このブログの2008年1月28日付け記事
「中国における最近の住民運動の例」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_a9b2.html

 4月15日に行われた定例記者会見において、インターネット上でのフランス商品に対する不買運動について問われた外交部の報道官は、「最近の一部の中国国民は彼らの意見と気持ちを表現しているのだと思う。これらのことには原因があり、フランス側もよく深く省みて考える必要がある。私は中国国民が法律に則り彼らの合理的要求を表明するものと信じている」と述べています。この発言は、後半で「違法なことはするな」とクギを指しているものの、不買運動を肯定するような内容になっています。これを中国の人々は、不買運動は当局が公認したものだ、と受けとめたようで、このような当局側の姿勢が反仏デモにまで発展したものと思われます。

(参考4)中国外交部報道官定例記者会見2008年4月15日
http://www.fmprc.gov.cn/chn/xwfw/fyrth/1032/t425465.htm

 しかし、学生等がデモを行おうとしている、との動きを受けて、中国当局も騒ぎの拡大を懸念するようになったようです。4月17日夜に配信された新華社通信では、人々に理性的な対応をするよう呼びかける論評を配信しています。

(参考5)「新華社」ホームページ2008年4月17日21:21アップ
「専門家、ネット市民がカルフール不買運動について議論している:理性的な態度を持って愛国の感情を表す必要がある」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-04/17/content_7998084.htm

 「西側のメディアは偏向していてケシカラン」というキャンペーンを張ったのは中国当局自身ですが、かといって外国製品の不買運動を大々的に行ったり、外国に対する反発を表明するデモが行われたりしたのでは、諸外国から多くの客を招き入れることになる北京オリンピックに対するマイナスイメージが出てしまうことになります。中国当局は、そこまで騒ぎが大きくなることは望んでいないと思います。中国の人々は、こういった中国当局の意向を敏感に受け止めます。「運動を起こしても公認されるな」と思えば運動を行い、「ここまで運動をやったらヤバイ」と思ったらすぐにやめるという「知恵」を持っています。私は、その時は北京にいなかったので詳細はよく知らないのですが、2005年の反日運動の時も、当局が公認している間は運動は盛り上がったが、当局が「これ以上はダメだ」という方針を示した後は自然に収まった、と聞いています。

 4月19日に行われた北京の大使館街の公安当局による封鎖も、そういった中国当局の「これ以上は騒ぎを大きくするな」という明確なメッセージですので、中国の人々はこれ以上騒ぎを大きくすることはないと思います。

 ただ、これからオリンピックへ向けて、いろいろ対外的に注目を集めるイベントが目白押しですので、中国の人々が今までのように中国当局のメッセージに応じて理性的に行動し、大きな混乱なくオリンピックを迎えることができるのかどうかちょっと心配な点があります。オリンピック期間中(7月20日からパラリンピックが終了する9月20日まで)の建設工事の中止や工場の運転中止、市内での交通制限は、労働者や市民生活に直接影響しますので、これらを人々がどう受け止めるのか、ちょっと予測できない点があるからです。

 今日、大使館街の周りの公安当局の隊列を見て、私もちょっと緊張感を感じました。これからオリンピックが終了するまで、ちょっと落ち着かない毎日が続きそうです。

| | コメント (0)

2008年4月18日 (金)

自信を失ったように見える中国

 CNNが4月9日に放送した番組の中で、コメンテーターのジャック・カフェティ氏が中国製品を「ジャンク」と表現し、中国は「愚連隊で悪漢だ(goons and thugs)」と表現したことに対して、中国政府が謝罪を求め、中国のネットワークではCNNの態度に対する攻撃が盛り上がっています。これに対し、CNNはステートメントを出したのですが、そのステートメントの中で「goons and thugs」と言ったのは、中国政府に対してであり、中国人民に対してではない、と述べたため、これがまた中国政府を怒らせることになり、中国外交部は4月15日、CNN北京支局長を外交部に呼んで抗議した、とのことです。

 「『愚連隊で悪漢』なのは、中国人民ではなく、中国政府のことを言っているのだ」とは、CNNもずいぶんと挑発的なコメントを出したなぁ、と私も思います。このステートメントはCNNのホームページに載っているはず(私は数日前に見た記憶がある)なのですが、残念ながら北京にいる私のところからは、今(4月18日夜)はCNNのホームページの中の「検索」をしたら「Internet Explorer ではこのページは表示できません」と出てきてしまいました。当局がCNNのページにアクセス制限を掛けているのか、多数の中国のネットワーカーが集中的にアクセスしているのでアクセスできなくなっているのかはわかりませんが、少なくとも残念ながら、今の時点では、このCNNのステートメントは見ることはできません。

 外交部(日本の外務省に相当する)が駐在する報道機関の支局長を呼んで抗議する、というのは、「普通の国」ではあり得ないのことですが、中国では報道機関が支局を設置するためには中国政府の許可が必要ですから、こういった行為は、相当の「おどし」になることは間違いないと思います。もっとも、CNNは過去にもこのような経験は何度もしており、「おどし」で何かを変えるとは思えませんが。

 ジャック・カフェティ氏の発言は、テレビのコメンテーターの発言としては、いささか品格を欠き、アジア人に対する偏見のようなものが見え隠れするのを私も感じますが、こういった一人のコメンテーターのちょっとした口汚い「言い過ぎ発言」に対して中国の政府当局がここまで過剰に反応するのは、ちょっとやりすぎだと思います。

 一方、中国のネットワーカーの間では、パリでの聖火リレーに対する抗議行動に対する反発やフランスの政治家の言動から、フランスの会社が経営するスーパーマーケットに対する不買運動が広がっています。これは、スーパーマーケット経営者には気の毒だと思います。中国は「政治とオリンピックは別だ。政治の問題でオリンピックをボイコットしようとしている一部の国の政治家はおかしい」と盛んに主張しています。その論理を主張するのだったら、パリでの聖火リレーに対する抗議行動やフランスの政治家の言動とフランスのスーパーマーケット会社とは全くの無関係ですから、フランスに抗議するためにフランスの会社のスーパーマーケットで不買運動をする、というのは全く筋が通りません。

 こういった不買運動は「中国は企業にとって大きな市場である」ということを利用した多数による「おどし」だと取られても仕方のない行為だと思います。中国が世界の中で「普通の国」として受け入れられていくためには、こういった自分の主張を自分自身に当てはめたら自己矛盾を起こすような行為や「おどし」に見えるような行為はやめないといけないと私は思います。中国の新聞紙上で「不買運動はおかしい」といった主張が述べられていないのは、ちょっと残念です。

 中国は人口も多く、政治大国であると同時に、最近は既に経済大国になっており、こういった「おどし」のような手段を使わないでも十分に発言力を発揮することはできると思います。「おどし」のような手段を使わざるを得ないと考えているのだとしたら、逆にそれは中国の自信のなさを示しているのだと思います。

 私は1986年~1988年に北京に駐在していましたが、その当時、中国の経済力はまだまだ小さいものでしたが、ゴルバチョフ改革が進むソ連と比べてもその成長は非常に順調でした。当時の中国は「少々外国から何か言われたとしても、我々の社会はびくともしない」という自信にあふれていたように思います。それに比べて、今、経済的には飛躍的に成長したのだけれど(ある意味では飛躍的に経済が成長したが故に)2008年の中国はむしろ1988年当時の中国に比ると、内部に「何かあると壊れるのではないか」という不安を抱え、自信を失っているように見えます。自信があるのなら、インターネットのアクセス制限やテレビの検閲ブラックアウトをやる必要はないと思うからです。

 私は、中国は、もっと堂々と自信を持っていいと思います。

| | コメント (0)

2008年4月11日 (金)

全てを「独立派」だとする理由

 北京オリンピックの聖火リレーに関するロンドン、パリ、サンフランシスコでの混乱については、中国では、全て「ごく少数の『チベット独立』分子による妨害があったが、聖火は、それぞれの国民の歓迎を受け、聖火リレーは順調に終了した。」というトーンで報道されています。

 いつもは政府の政策について結構辛口のコメントもする北京の大衆紙「新京報」も、この件についてだけは、新華社通信が配信する記事や写真を載せるだけですので、人民日報などほかの新聞と同じ内容の報道振りになっています。

(参考)「新京報」2008年4月11日付け記事
「サンフランシスコでの聖火リレー、順調に終了」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/04-11/015@074527.htm

 上記の記事にある「旧金山」とはサンフランシスコのことです。この記事には、中国支持派が中国国旗を掲げる場面、聖火を写真に撮ろうとするアメリカ人、警察に取り押さえられる活動家、という3つの写真が載っています。このうち警察に取り押さえられる活動家の写真には「サンフランシスコ警察が一人のオリンピック聖火を妨害しようとした『チベット独立』分子を取り押さえた」との説明が付いています。中国では、聖火リレーを妨害しようとする人々は全て「『チベット独立』分子」と呼ばれます。

 聖火リレーに対して抗議活動をしている人たちの中には、実際に「チベット独立」を主張している人もいるでしょうし、「独立は求めないがもっと自治を与えるべきだ」と考えている人もいるでしょうし、「どういう政治形態を取るかは中国とチベットの人々が決めるべき話だが、平和的デモを力で押さえ付ける中国政府のやり方に抗議する」という人もいるでしょう。けれども、中国にとっては、いずれの人々も同様に「国家を転覆させようと考えている犯罪者」なのです。

 もともと中国は、大多数の漢民族のほか、チベット族を含め多数の民族が寄り集まった集合体であり、黙っていると国全体がバラバラになってしまう傾向があります。20世紀初頭、封建的な清朝による支配体制を解体し、列強各国の勢力を排除して国としての独立を回復させようとして革命を始めた孫文は、国民が一致団結して封建的な勢力や列強各国に対抗しなければならないのにもかかわらず、一向にまとまる気配のなかった当時の中国国民の状況に対して「中国の人々は『散沙の民』(握ろうとしても指の間からこぼれてしまう砂の如くまとまることのない人々)である」と嘆いたのでした。

 中国では、清朝以前は、皇帝権力によって「バラバラになろうとする人々」を強圧的にひとつにまとめていたのですが、皇帝権力が弱体化した清朝末期から中華民国時代において、中国は「散沙の民」の特徴を列強各国に衝かれ、バラバラに解体されて半植民地化されてしまったのでした。

 そういった中国を再びひとつの国としてまとめ上げたのが中国共産党なのでした。現在の中国は、13億人の人々がひとつの国としてまとまっているからこそ、経済活動が円滑に行き、国際社会の中でも大きな発言権を得ることができるのです。これがみなバラバラになったら、経済活動は混乱し、国際社会における発言権は低下し、外国からの干渉があれば、半植民地時代と同様になってしまい、「中国」としてのひとつの国家の体をなさなくなってしまうおそれがあります。一方で、いまのところ中国共産党以外に「散沙の民」をまとめる力を持っている者はいません。そこで「中国共産党がなくなったら中国全体がバラバラになる、従って中国共産党を否定することは国家を分裂させることを意味し、それは犯罪的行為である」という考え方になるのです。

 政治的に中国共産党の指導を否定したり、中国共産党から独立した少数民族の自治を求めたりすることは、上記の考え方から「国家分裂罪」になる、という理屈です。実際、先日、AIDS患者支援などを行っていた人権活動家が「国家分裂罪」で有罪判決を受けた例がありました。

 「国家を分裂させる」という重大なことにつながるので、中国共産党の指導を否定したり中国共産党から独立した少数民族の自治を求めたりするようなスローガンを叫んだり、そういった内容の横断幕やプラカードを掲げたりすることは、それだけで法律違反であり「犯罪」になります。普通の民主主義国家では、表現の自由の範囲内で許されることが、中国では「犯罪」になるのです。上記のような横断幕やプラカードを持ち、スローガンを叫んで歩くことは、暴力行為を伴わなくても、犯罪行為として取り締まりや逮捕の対象となります。中国にとって、このような行為は「平和的デモ」とは呼ばないのです。そこがそもそも「平和的デモを行っている人々を拘束するのはけしからん」と言っている西側と「法律に基づき犯罪者を取り締まることがなぜ悪いのか」と主張している中国政府側とのギャップの出発点なのです。

 外国での聖火リレーに抗議する人々に対する取り締まりは、中国の法律の下で行うわけではありませんから、聖火リレーの際に横断幕やプラカードを掲げ、スローガンを叫ぶことは外国ではできます。しかし、中国国内で行われるオリンピック競技の応援のために中国国内に入った外国人は、中国共産党の指導を否定したり、中国共産党から独立した少数民族の自治を求めたりするような横断幕やプラカードを掲げたりスローガンを掲げたりすると、取り締まりや逮捕の対象になりますので注意が必要です。国際法上、外国人であっても、中国国内にいる限り、中国の法律を守ることが求められるからです(そういう法律がイヤだったら、中国の国内には入るな、ということなのです)。

 それを考えると、オリンピック競技を応援に来た外国人が中国国内で逮捕されたりする事件が多発するのではないか、と私は今から心配しています。「普通の国」でもオリンピックの競技会場で政治的スローガンを掲げたりすることはオリンピック憲章により禁止されますが、「普通の国」ではオリンピック競技会場の外での「平和的な意思表示」は自由にできます。しかし、中国ではオリンピック競技会場の外でも「平和的な意思表示」が自由にできるわけではありません。中国共産党の指導を否定したり、中国共産党から独立した少数民族の自治を求めるような意思表示はできないのです。北京オリンピックを観戦しようとして中国に来る外国人は、その点を十分にわきまえておく必要があります。

 もし「オリンピックは世界の人々の交流の場だ。その国で自由に自分の意志を表現をしたり、その国の人々と自由に意見の交換ができないのだったら、そのようなオリンピックは開催する意味はない」という主張をするのだとしたら、それは、そもそも中国でオリンピックを開催すること自体が間違いだったのだ、ということになります。

| | コメント (0)

2008年3月30日 (日)

フィードバック・システムが働かない社会

 チベット問題は、中国の国内問題だと思うので、私はチベット騒乱問題そのものに対するコメントは控えたいと思います。今回のチベットでの騒乱について、中国政府はダライ・ラマ14世側からの煽動があったと主張し、ダライ・ラマ14世は煽動していない、と言っています。煽動があったにしてもなかったにしても、かなり多数の人が参加した騒動があったのは事実ですから、騒動を起こそうと思うほど現状に不満を持った人たちがチベット自治区や周辺の地域にかなりの数いた、ということは隠しようのない事実だと思います。

 一方、解放後まもなく60年、改革開放政策により中国経済全体の急成長が始まって30年経つというのに、なぜそういう不満を持った人たちがまだいるのか、についての分析の評論が、残念ながら中国のマスコミ上には登場していません。中国のマスコミには「ダライ集団の煽動はけしからん」「西側の報道は事実を歪曲している」といった主張ばかりが載っています。

 事件・事故や何らかの社会的問題があった場合、その原因を分析し、今後そのようなことが起きないようにするにはどうしたらよいか、を分析し提言するのがマスコミの重要な使命であり、そういった各種の分析・提言に従って少しでもよい方向に向かうように政策決定をするのが政治の使命です。こういったマスコミや政治の役割は、社会のフィードバック・システムとして重要なものです。

 政府がマスコミに対してどのような政策を採るのか、政治が住民による直接選挙によって選ばれた議員によって運営されることにするのかどうか、など具体的な政治システムについては、それぞれの国にそれぞれの事情があり、どういった政治システムを採用するのが最もよいのかについては、各国の内政問題ですので、それについても、私はコメントは控えたいと思います。ただ、一般論として申し上げれば、フィードバック・システムが働かない社会は、どこかの時点で必ず行き詰まることは間違いない、と私は思っています。

| | コメント (0)

2008年3月28日 (金)

強烈な国内メディア戦略の展開

 従来、中国では、自国に都合のよくない事件等については、外国のメディアによる報道を制限するとともに、国内では全く何も伝えないか、伝えたとしてもごく簡単に政府の発表を伝えるだけ、といったスタイルの報道振りを示すことが多かったように思います。しかし、今回のチベット地域での騒乱については、外国メディアによる速報報道はブロックしつつ、国内向けには、当局側の立場に立った多種多様の情報を大量に流して、当局の正当性を主張する戦略を取っています。

 3月27日付けの人民日報では、全16面のうち4面、5面、8面の全部と3面の3分の1程の紙面を使って、「『中国はチベット文化を破壊してきた』という批判の不当性」「チベットで騒乱を起こした暴徒の凶暴さ」「西側が意図的に中国当局側が暴力を振るっているように事実をねじ曲げて報道していることの不当性」を大々的に伝えています。

(参考1)「人民日報」2008年3月27日付け紙面
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-03/27/node_17.htm

※左上の「選択版面」と書いてある部分の数字をクリックすると、見たい紙面が表示され、記事のところにマウスを置いてクリックすると、記事の中身を読むことができます。

 3月24日にギリシャで行われた北京オリンピックの聖火の点火式にチベット問題に抗議するグループの人が抗議のために乱入した事件に対しては、当初はほとんどの中国のメディアは報道せず、この件を報道する外国の衛星テレビ放送は検閲でブラックアウトされていました。しかし、3月28日の朝刊からは、中国の国内紙も「新華社電」として、このニュースを伝え始めました。この「新華社電」では、聖火の採火式での乱入事件について伝えるとともに、諸外国の多くの人がオリンピック行事を妨害することに対する批判の声を挙げているとか、国際オリンピック委員会が乱入者を批判したことなども併せて伝えられています。

(参考2)「新京報」2008年3月28日付け記事
「採火式への乱入者が3人拘束される」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/03-28/011@071558.htm

 「事実を隠す」のではなくて、今の中国では、「事実の一定の部分(例えば、ラサでは商店が焼き討ちを受けてひどい被害を受けている、一部の外国メディアではデモ隊を取り締まるネパールの警察の写真や映像を掲げてそれに『中国当局が暴力で取り締まった』と受け取られるような説明を付けていたなど)を取り出して、繰り返し繰り返しその部分を強調して大々的に伝える」という国内メディア戦略に出ています。

 このメディア戦略は中国国内ではかなりの効果を上げていると思います。新華社のホームページでは、チベットでの分裂行動を痛烈に攻撃したり、西側の報道を「事実を歪曲した報道にメディアの良心はどこにあるのか?」と批判したりする中国のネット・ユーザーの声が盛り上がっていることを伝えています。ネット・ユーザーの具体的な発言も掲示板から転載して掲載しています。

 もちろん中国のネットの掲示板は、中国共産党の指導を否定したり、国家の分裂を煽動したりするような意見は、「法律違反」としてそもそも掲載できませんし、掲載したとしても掲示板管理者に削除されてしまいます。そういった掲示板の議論の中に載った意見の中から新華社が「適当だ」と思われるものを選択して、新華社のホームページに集めているのですから、この新華社のホームページに載っている「ネット・ユーザーの声」というのが、中国のネット・ユーザーの声の全体像を表しているわけではありません。

 しかし、例えば、CNNの報道によると、CNNの報道の仕方に関して、CNN北京支局に中国市民からの抗議の電話が殺到した、とのことですので、ネットの世界でも「分裂を叫ぶ暴徒はけしからん」「事実を歪曲して伝えている西側メディアは間違っている」という声がかなりの割合で中国のネット・ユーザーの中に広がっていることはウソではないのだと思います。

 ただ、上記の「新京報」の記事に見られるように、こういった「焼き討ち暴徒は凶暴だ」「西側メディアは歪曲した報道をしている」という大合唱をしているのは、人民日報、中央電視台、新華社といった政府直結のメディアだけです。政府当局とは一定の距離を置いている記事の多い「新京報」は、自社の記者が書いた記事もたくさん載せますが、このチベット騒乱関係の記事については、新華社電を載せるだけで、目立った独自の取材記事はありません。いつもは鋭く政府を批判する社説を掲載する「経済観察報」は、3月24日号(3月22日発売)では社説を掲載しませんでした(いつも社説が載っている1面の下半分は、この号では広告になっていました)。

 中国では、メディアは「党の喉と舌」と呼ばれ、新聞やテレビは中国共産党の宣伝機関である、と位置付けられています。最近は、「メディアによる権力機構の監視の役割も重要である」と言われるようになってきていますが、メディアが批判の対象としているのは地方政府だけで、メディアが党中央や中央政府自体を批判することはありません。

 中国メディアの位置付けは、第11期全国人民代表大会第1回全体会議の最終日の3月18日に行われた温家宝総理に対する記者会見で明確に現れています。この総理記者会見での質問した記者の所属する会社と質問内容は以下のとおりです。

○フェニックス衛星テレビ局(香港):雪害に対する温家宝総理のコメント
○人民日報:物価問題
○CNN(米国):チベット争乱問題、大陸と台湾との関係
○フィナンシャル・タイムス(英国):インフレ懸念、チベット争乱問題
○中国中央電視台:新しい総理の任期中(今後5年間)の経済社会発展の目標
○DPA(ドイツプレス):チベット争乱とオリンピックとの関係
○台湾工商時報:大陸と台湾との経済関係の今後
○ロイター通信社:人権活動家が「国家転覆罪」で起訴されている件、死刑を今後どうするのか、「国民の権利・政治的権利に関する国際条約」の批准をどうするのか
○中国中央電視台:政治機構改革(国務院の省庁再編)について
○AFP通信社(フランス):チベット争乱問題(ダライ・ラマと直接対話しないのか)
○ブルーグバーグ・ニュース(米国):株安、ドル安について
○新華社通信:新しい総理の任期中(今後5年間)の政治体制改革をどう進めるのか
○インディアン・タイムス(インド):チベット争乱が今後の中国とインドとの関係に及ぼす影響

(参考3)「新華社」ホームページ「全人代現場中継」
2008年3月18日:温家宝国務院総理内外記者会見
http://www.xinhuanet.com/2008lh/zb/0318b/

 上を見ればわかるように、中国系以外のメディアはほとんどの社がチベット問題や人権問題について質問しているのに対し、人民日報、中央電視台、新華社通信は、本来は温家宝総理が記者会見で言いたかったであろう事項を引き出すような質問をしています。上記の質問の状況は、中国ではメディアの役割は「政府を批判するもの」ではなく「政府の考えを人民に伝えるもの」であることを明確に表しています。

 チベット問題に関する今回の人民日報、中央電視台、新華社の「大合唱」を「政府によるメディア戦略だ」と捉えるのか、「これらメディアは政府の主張を正しく伝えている」と評価するのか、は、中国人民が決めることですが、少なくとも言えることは、こういった現在の中国のメディアの状況は、多くの世界がこれからの社会として目指す方向とは合致しない、ということです。中国が世界の中で、本当の意味で力を発揮していくためには、こういった部分を「世界標準」に合わせようとする努力をする必要があると思います。 

| | コメント (0)

2008年3月26日 (水)

聖火の点火式のニュースのカットは悲しい

 3月24日にギリシャで行われた北京オリンピックの聖火の点火式やその後の聖火リレーで、チベット情勢に対する中国政府の対応を批判する人たちによる抗議行動が行われました。25日付けの中国のほとんどの新聞などでは、このような抗議行動については、一切報道されず、点火式や聖火リレーが成功裏に行われた、ということが報道されています。

(参考)「新京報」2008年3月25日付け記事
「聖火リレー、スタート」
http://www.thebeijingnews.com/news/olympic/2008/03-25/011@073754.htm

 外国の衛星テレビ放送では、抗議行動について報道しているものがほとんどでしたが、抗議行動を報道していた24日夜のBBC、CNN、NHKワールド・プレミアムのニュースでは、その部分については、検閲ブラックアウトになり、北京では見ることができませんでした。インターネット上では、BBCではニュース映像を見ることができましたが、CNNはそのニュースの記事の映像をクリックしても映像が出てきませんでした。NHKは、ニュース映像をインターネット上には掲載しなかったようです。

 いずれにせよ、晴れがましい聖火の点火式や聖火リレーといったイベントがブラックアウトで見られない、というのは悲しいです。中国国内では、中央電視台のテレビが点火式のイベントは生中継で放送していたようですが、日本の報道機関のネット上の記事によると、この「生中継」はリアルタイムより十数秒遅れで放送され、抗議行動の部分の映像は、別の映像に差し替えられていたのだそうです。

 これから聖火は世界各国を回ります。また、オリンピック競技自体、世界各国から観客が北京に集まります。これからどうなるのか、ちょっと心配です。

 私が天安門前広場を歩いたりする時には、警備担当の人から持ち物検査を受けます。危険物を持ち込んでいないかどうか、というよりは、スローガンが書かれた横断幕やビラを持っていないかを点検されるのです。オリンピックの試合を観戦する観客に対しても、同じような点検が行われることになるのでしょうか。

 いずれにしても、検閲によってテレビが真っ黒になるのは悲しいです。その抗議が正しくない、というのならば、ニュースを伝えた上で、「正しくないのだ」と主張して欲しいと思います。

 3月25日(火)も21:00から放送されたNHK総合テレビと同時放送された「ニュース・ウォッチ」をNHKワールド・プレミアムで見ていましたが、一部がスッポリとブラックアウトしていました。何がブラックアウトされたのかよくはわからないのですが、四川省でまだ暴動が続いている、というニュースがカットされたようです。オリンピックの開催期間中まで、この検閲ブラックアウトは続くのでしょうか。こういったブラックアウトは、中国に対するイメージが悪くなるだけで、ほとんど意味がないので、私は早く止めた方がよいと思います。

| | コメント (0)

2008年3月22日 (土)

情報統制批判に中国当局が強烈な反撃を開始

 「チベット騒乱に関連して、中国は情報統制をしている」との西側メディアの批判に対して、中国当局は大反撃を開始したようです。今日(3月22日)付けの英字紙「チャイナ・ディリー」の1面トップでは、「西側の暴動報道ではメディアが偏向していることを示している」という実例入りの記事を大きく掲げています。

(参考1)"China Daily" 2008年3月22日付け1面トップ記事
"Riot reports show media bias in West"
http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2008-03/22/content_6557325.htm

 この記事では、下記のように、ホームページ上で見られる西側の記事を具体的に挙げて、意図的な情報の選択や誤った印象を与える解説がなされていると指摘しています。

○CNNのホームページに掲げられている "Reports: 100 dead in Tibet violence" と題する記事に掲載されている写真では、群衆が街の中を走ってくる取り締まり当局のものと思われるトラックに対して投石している場面の写真のうち、群衆が投石している部分をカットし、街の中を取り締まり当局のトラックが走っている場面だけを切り取って掲載している。

○ワシントン・ポストのホームページに掲載されている3月18日付けA06面の記事によると、ネパールのカトマンズでデモ参加者をネパール警察官が警棒で殴打している写真を掲載し、その写真のすぐ下に「中国政府は、中国によるチベットの支配に抗議するチベット族の抗議者を打ち倒している。警察は、チベット自治区の首都ラサにおいて、暴力行為に参加した数百人の容疑者を検挙している。」との解説が付いている(写真の内容と解説が一致していない)。

○ベルリン・モーニングポスト(ドイツ語)のホームページにおいて、警察に保護される漢族の男性の写真を掲載し、その解説に「警察に拘束される暴徒」と書いてある。

 同様の「西側の報道は偏向している」との報道は、中国語メディアでも、例えば、人民日報のホームページに掲載されている「環球時報」の記事で見ることができます。

(参考2)「人民日報」のホームページに転載されている「環球時報」2008年3月22日付け記事
「西側メディアは事実に反するチベット報道により世界の民衆をだましている」
http://world.people.com.cn/GB/14549/7032010.html

 こういった西側メディアに対する反撃は、3月20日に行われた外交部報道官の定例記者会見でも示されています。

(参考3)日本語版「人民日報」2008年3月21日付け記事
「ダライはあらゆる祖国分裂活動を完全に停止せよ」
http://www.people.ne.jp/a/331777a923f4422dbd50059019cdd064

 この中で外交部の秦剛報道官は、「(外国メディアの報道について)比較的客観的な報道もあれば、事実と著しく異なる報道もある。私たちはメディアに、責任ある態度で、客観的事実を尊重し、報道のルールに従い、客観的で公正的な報道を行うことを望む。」と述べています。この記者会見においては、外国メディアの記者が「ラサが既に安定を取り戻している、というのなら、なぜ我々外国人記者の質問に対して、秦剛報道官は「社会安定のために特別な措置を講じているので外国メディアの方々には御理解をいただきたい」と応えています。

(参考4)中国外交部ホームページ
「2008年3月20日の外交部スポークスマン定例記者会見記録」
http://www.fmprc.gov.cn/chn/xwfw/fyrth/1032/t416737.htm

※この記者会見の応答を読むと、チベット問題に対する矢継ぎ早の質問に対して「どこの国でも暴力行為が発生したら、警察を出動させるでしょ?」と報道陣に逆質問するなど、いつもは冷静な秦剛報道官のいらついた気持ちを感じることができます。

 一方、中国国内では、チベット自治区やその周辺地区における騒乱では、凶暴な暴徒が商店などを襲い、一般市民を殺害している、という趣旨の報道が盛んに行われています。3月20日に中国中央電視台が放送した「ドキュメンタリー『ラサ3・14打ち壊し・焼き討ち暴力事件の記録』」という15分間のドキュメンタリー番組はインターネットでも見ることができます。

(参考5)「中国中央電視台」のホームページ
「ドキュメンタリー『ラサ3・14暴力事件の記録』」
http://space.tv.cctv.com/podcast/lasa314jishi

※このページの「視頻播放」という部分をクリックすると(通信状態が良ければ)番組を動画で見ることができます。

 また、今日(3月22日)付けの北京の大衆紙「新京報」の1面トップには、3月14日、ラサで中国国旗を焼く暴徒の写真が大きく掲載されています。

(参考6)「新京報」2008年3月22日付け記事
「チベットの不法分子、国旗を焼く」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/03-22/021@073410.htm

 ラサでの騒乱では、実際、漢民族が経営する商店などが焼き討ちを受けたものと思われます。これらの中国国内でのテレビ報道では、「このような暴力行為は良くない」と発言するチベット族の人に対するインタビューも放映されていますが、全国の中国の人々(特に大多数を占める漢民族の人々)に対して、騒動を起こしたチベット族の人々に対する憎悪の念をかき立てるのに十分だと思います。こういった中国国内での報道を見れば、中国の人々の中には、西側の報道の方が偏向している、中国をおとしめようとしている、と思う人が多いとしても、不思議ではないと思います。

 昨日(3月21日)夜の時点では、外国の衛星テレビに対する検閲ブラックアウトはだいぶ減りました。私が見た限りではCNNの日本時間22日01:00~のニュースでは一部検閲ブラックアウトがありましたが、21日夜のBBCニュースやNHKのニュースではブラックアウトはありませんでした。CNNのニュースでも米国のペロシ下院議長がダライ・ラマ14世のところを訪問したニュースについてはブラックアウトになっていませんでした。

 CNNについては、テレビ放送ではブラックアウトになった映像もインターネット経由では見ることができるケースが多いのです。3月20日を過ぎた時点で、外国テレビの検閲やアクセス制限は、一部が緩和されてきている可能性があります。3月22日現在、今までは各記事を閲覧することができなかったBBCのニュースのページ

(参考7)BBCのニュース・ページのトップ
http://news.bbc.co.uk/

に掲げられた一般の記事は北京からもアクセス可能になっています。

 しかし一部の記事、例えば

(参考8)BBCのニュース・ページの記事
"Tibet's unsettled borders"
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/7304825.stm

には3月22日の時点では北京からはアクセスできません。また、BBCニュース・ページにある中国語版のページ

(参考9)BBCのニュース・中国語版のページ
http://www.bbc.co.uk/chinese

には3月22日の時点では従来通り北京からは全くアクセスできません。

(注)こういった一部のサイトへのアクセス制限や、一部のキーワードを使った検索の結果出てきたページを見ることができない、ということについては、CNNがリポートして放送しています。そのCNNのレポート自体は、インターネットで北京でも見ることができます。

 数多くある外国メディアのサイトを全てチェックしてアクセス制限を掛けることは事実上不可能です。今、中国のネット人口は2.1億人と言われています。中国人民がインターネットで外国メディアのページから情報を得ることを中国当局が阻止することはもはやできない時代になっているのです。そのため、中国当局としては、衛星テレビの検閲ブラックアウトやインターネットのアクセス制限を強化するよりは、中国国内向けに対して「暴徒はひどいことをしている」「外国のメディアは偏向しているので信用できない」というメッセージを大量に発出することによって、中国政府の措置に対する中国人民の支持を取り付けよう、という作戦に転換してきているものと思われます。

 これを補助する情報として、中国中央電視台のニュースでは「国際的には多くの国々から中国政府に対する支持の表明がなされている」として、支持を表明した国々の名前を多数並べて伝えていました。中国中央電視台が3月21日夜に放送したニュース番組「新聞聯播」によれば、中国の措置に支持を表明した国々とは以下の国々です。

「ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、グルジア、パキスタン、朝鮮(北朝鮮)、モンゴル、ネパール、ベトナム、フィジー、シリア、セルビア、ザンビア、ブルネイ、バングラディシュ、セラルレオーネ、レソト、モーリタニア、コートジボワール、コンゴ及びいくつかのアラブ国家」

(参考10)中国中央電視台のホームページ
「新聞聯播」2008年3月21日放送分
「チベット自治区ラサでの打ち壊し・焼き討ち暴力犯罪事件に対する我が国の法に則った措置は国際社会から広範な支持を集めている」
http://news.cctv.com/xwlb/20080321/104636.shtml

 欧米各国や日本、韓国といった主要国が全く入っていない国々の名前を並べて「国際社会の広範な支持を集めている」と主張するニュースに対して、中国人民がどのように判断するのかはわかりません。ただ、私が見る限り、中国当局によるこういった世論誘導は、中国国内においては、少なくとも当面は、騒乱を治め、騒乱の拡大を防ぐためには一定の効果を上げていると思います。

 「少なくとも当面は」と書いたのは、今回の中国国内向け報道は、多くの中国の人々(特に漢民族の人々)に対して、チベット人に対する憎悪や恐怖感を植え付けたと思われ、長期的な観点から見れば、中国にとって極めて重要な各民族の融和という課題に対しては、むじろマイナスに作用しているのではないか、と思われるからです。

 これから、中国政府は、国内の騒ぎや不安定さの拡大を何としても抑え、国際的にはオリンピックに対するボイコットの声が広がらないようにし、とにもかくにも北京オリンピックを無事に乗り切ることにがむしゃらに邁進していくことになるのだろうと思います。

| | コメント (0)

2008年3月21日 (金)

情報統制とデマ

 3月14日に起きたチベット自治区ラサでの騒乱をきっかけにして、チベット自治区以外の四川省、甘粛省などチベット族の多い地区で騒ぎが起きていることについて、3月20日、新華社通信が中国側メディアとして初めて伝えている、とNHKのテレビで言っていました。でも、新華社のホームページを見てみましたが、私は、その手のニュースはまだ見付けることができていません。また「新華社は外国のメディアには情報を提供しているけれども、中国人民には情報を提供していない」という状況のようです。

 新華社が外国メディアに提供している情報は、1日程度経ってから国内でも伝えられることが多いのですが、いずれにせよ、国内向けの情報は完全にコントロールされています。国内向けの情報がコントロールされていること自体は、中国の人々自身、よく知っているので、多くの中国の人々は中国のテレビを見たり、新華社のホームページを見たりしても、「実はもっとウラがあるんじゃないか。」「実際はこういうことが起きるのではないか。」と相当に疑心暗鬼になっているようです。

 それを象徴するような出来事が20日朝の北京の大衆紙「京華時報」に載っていました。四川省の成都で18日、バスのドアが壊される、という事件がありました。これに対してインターネット上で「バスが爆破された」とか「何人かの死傷者が出ている」といったデマが流れたため、成都市の公安局は18日の夜10時半に緊急に記者会見し、「これは普通の刑事事件である」とデマを打ち消すための説明を行ったとのことです。

(参考)「京華時報」2008年3月20日付け記事
「成都公安局が、爆発事件が起きて銃撃戦が行われている、とのデマを打ち消し」
http://china.jinghua.cn/c/200803/19/n868738.shtml

 この記事によると、事情は以下のとおりです。

○3月18日午前10時半頃、成都市内で、通常に運行していたバスを成都市の外から来た一人の男が停めようとした。

○バスの運転手は、停留所ではない場所だったので、バスを止めなかった。このため、この男は持っていた刃物類でバスを叩き、ドアを壊した。その後、この男は怒って近くに停めてあった2台の車を持っていた刃物類で打ち壊した。

○その過程で、近くでタクシーを待っていた群衆の一人の腰の部分を傷つけた。被害者は、貴州省から成都に出張で来ていた人で、軽傷だった。

○公安機関のこれまでの調べによると、事件を起こしたのは四川省アバ・チベット族理県の男だった。詳細は現在調査中。

 記事に載っている事実はこれだけなので、勝手に想像してはいけないと思いますが、昨今の状況を踏まえれば、これは単に酒に酔った男がうっぷん晴らしのためにバスのドアを壊した、といった類の「普通の刑事事件」とは違うのだろう、ということは容易に想像できます。当局がこういった事件に対して、情報を発表しないので、事件を目撃した人がインターネットなどで他人に情報を伝えていくうちに、「尾ひれ」がどんどんついて「爆破事件が起きた」とか「死傷者が出ている」とかいう「デマ」に成長していくのでしょう。上記の記事の見出しを見ると「銃撃戦が起きた」といったデマまで飛び交っていたようです。成都は、四川省の省都で、外国企業も多く進出しており、外国人もたくさんいますから、本当に成都で銃撃戦が起きているのだとしたら、どこかの外国メディアが必ず伝えるはずです。

 多くの中国の人は「テレビや当局の発表は事実を全て伝えていない」と知っていますから、少ない情報の中で自分でいろいろと友だち同士で情報交換をしあうのです。今は、携帯メールやインターネットといった情報ツールをみんな持っているので、それを通じてデマが拡大・拡散してしまうのです。

 この手の事件に対して、当局の発表やテレビでの報道は、20年前に比べれば、情報量は多くなったし、スピードも速くなったとは思いますが、今でも、通常、当局に都合の悪い部分は除いて発表されますし、発表されるのはだいたい事態が沈静化した後(従って、発表されるのは事態が起きてから何日か経ってから、ということが多い)になります。特に今回のチベットでの騒乱のような極めて微妙な問題に関するものについては、マスコミに載るのは当局の「正式発表」だけであり、記者が自分で取材して得た情報、というのはまず掲載されません。中国の「マスコミ」と呼ばれるメディアは、多くの人民の「知りたい」という要求には応えることができていないのです。それが、携帯メールやインターネットでデマ情報が広がる原因になっています。

 外国の衛星テレビの各チャンネルは、時々検閲によるブラックアウトを受けますが、衛星テレビを配信しているどこかの段階にいる検閲担当者のその場での判断で遮断スイッチを操作しているものと思われますので、同じ映像でもブラックアウトになったり、そのまま放送されたりします。また、テレビでは検閲ブラックアウトを受けていたのに、インターネット経由では、同じ映像が見られる場合もあり、情報検閲の判断基準はあまり統一的ではありません。これだけ情報流通ルートが多様化している現代においては、数多くの人手が掛かる検閲を完全に統一的に実施することは実際は不可能だと思います。そうした中で、こういった検閲をやる意味がどこまであるのか、大いに疑問です。

 ギョーザ事件については、多くの中国の人は「あの事件は日本で毒物が混入された、ということで決着した事件だ」と思っていますが、それは巧みな中国側のメディア統制のおかげです。その意味で、メディア統制、情報統制は、統治する側からすると、一定の成果が上がることは事実ですが、国内では不要なデマを発生させたり、外国に対しては中国のイメージを著しく損なったり、という点で、総合的に見れば中国にとってよいことではないと思います。

 多くの中国の人民が知りたいことを、知りたいタイミングできちんと流すことが、変なデマが流れないようにするための最良の方法だと思います。

| | コメント (0)

2008年3月15日 (土)

NHKでも検閲によるブラックアウト

 3月14日(金)午後に中国のチベット自治区の首都ラサで発生した暴動については、日本でも報道されているので、このブログをお読みになっている方はよく御存じだと思います。というより、北京にいる私より日本にいてこのブログをお読みになっている方々の方がよく御存じだと思います。というのは、ここ北京にいては、この件に関する情報の入手に関して制限がいろいろあるからです。

 日本時間3月14日(金)夜のBBCワールドやCNNのニュースが伝えたトップニュースは、このラサでの騒乱事件についてですが、私が見ている北京のアパートメントのテレビでは、このチベットでの事件になると一部が信号が途切れて画面が真っ黒になり、音声も何も聞こえなくなります。このブラックアウト状態が終わると別のニュースをやっていたりするので、当局による検閲によってこのブラックアウトが起こっていることは明らかです。

 私がいるアパートメントでは、テレビのNHK国際放送である「NHKワールド・プレミアム」とNHK-BS1、BS2、BSハイビジョンを見ることができます。「NHKワールド・プレミアム」とBS2は、正午や夜7時のニュースは、総合テレビで放送しているものと全く同じものを同時放送しています。その時に「ワールド・プレミアム」とBS2を見比べるとわかるのですが、「ワールド・プレミアム」の方が30秒ほど遅れて放送されます。中国当局は、この30秒間に中国当局にとって問題であると思われる場面があった場合はカットを入れるのだと思います。

 中国では、外国の衛星テレビが見られる衛星放送受信設備を設置する際には許可が要ります。中国に何千とあるホテルや外国人が入っているアパートメントでは、こういった外国の衛星放送が視られる設備が入っているのですが、おそらくはこの認められた衛星放送受信設備には、当局がカットしたい場面はカットできるような装置が組み込まれているものと推測されます。

 今日(3月15日(金))になっても、このチベットでの事件に関するニュースの検閲ブラックアウトは続いています。私のアパートメントでは、BBCワールド、CNN、NHKワールド・プレミアムのほか、フランスのテレビも入っているのですが、今日(15日)は、BBCやCNNのほか、NHKワールド・プレミアムやフランスのテレビについても検閲ブラックアウトが入りました。ということは、検閲担当部局には、英語、日本語、フランス語がわかる担当者がそれぞれ付いていて、衛星から受信した信号を見て、各家庭に配信されるまでの間の30秒間にカットするかどうかの判断をしているものと思われます。相当なコストだと思うのですが、中国当局は、それだけのコストを払う必要があると思って、こういった検閲をやっているのでしょう。

 ニュースは生放送ですから、英語、日本語、フランス語がわかる担当者がそれぞれの担当者の判断でリアルタイムでその場でカットするかどうか判断しているものと思われます。いろいろなチャンネルを見ていると、カットしている場面が微妙に異なります。チベット関連のニュースが最初から完全に全部カットされているケースもあるし、最初は普通に見られていたのに、途中からカットになる場合もあります。検閲の担当者は、どこでカットするのか、判断するのに相当に苦労しているだろうということが窺えます。

 中国の沿岸部では、NHKが国際放送として放送している「NHKワールド・プレミアム」のほかに、日本国内向けに配信しているBS1、BS2、BSハイビジョンが直接受信できます。日本国内向け放送に対しては中国当局は検閲を入れることができませんので、北京でもBS2で放送するニュースでは検閲カットなしで見ることができます。

 そもそもこういった外国の衛星テレビ放送が見られるホテルやアパートメントに入れるのは、それなりの「お金持ち」であって、多くの一般人民は見ることはできません。従って、こういった検閲カットをする意味がどれだけあるのか、私には理解できません。逆に中国当局がニュースに対してこうした検閲をやっていることが外国人に明確にわかってしまい、それが世界に伝わる方が、私は中国にとってはマイナスだと思います。

 このチベットにおける騒乱については、外国メディア向けには14日(金)夕方頃から国営新華社通信が配信していましたが、14日の時点では中国国内では報道されませんでした。北京時間15日(土)午前1時22分に新華社の中国語ホームページに下記の記事が配信されて以降、中国国内でも報道されるようになりました。

(参考1)「新華社」のホームページ2008年3月15日01:22(北京時間)
「チベット自治区の責任者、破壊、略奪、焼き討ち行為に対する新華社記者の質問に答える」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-03/15/content_7792268.htm

 この記事では、新華社の記者の質問に答えて、チベット自治区の責任者がポイントとして以下のようなことを述べたことを伝えています。

○最近、ラサでごく少数の人々が破壊、略奪、放火など社会秩序を乱し大衆の生命と財産に危害を加える行為をしている。

○これはダライ・ラマの勢力が綿密に計画したものだという十分な証拠を我々は持ってる。

○当局は法に基づき適切な対処をしている。

○社会の安定と和諧を破壊しようとする試みは、必ず失敗するだろう。

 新聞では、例えば3月15日付けの「人民日報」「新京報」は、上記の新華社の報道をそのまま記事にしています。

 テレビでは、中国中央電視台3月15日第1チャンネル朝7時からの「新聞天下」(朝のニュース)の時間の国内ニュースの中で、また第4チャンネル(アジア向け衛星チャンネル)のニュースの中で、アナウンサーが上記の新華社の記事と全く同じ文章を読み上げていました。

 上記の中国国内向けテレビ・ニュースではラサで撮影された映像も放映されましたが、群衆が石を投げたり、商店を壊したり、警察の車をひっくり返したりしている様子や、道路の真ん中で車が燃えている様子、市内の数カ所から黒い煙が上がっている様子が放送されました。ただし、映っているのは投石、破壊行為等を行っている群衆だけで、取り締まり当局側は映像には全く登場しません。中国国内で放映されている画面は新華社の以下のページで見ることができます。

(参考2)「新華社」2008年3月15日アップの動画ページ
http://news.xinhuanet.com/video/2008-03/15/content_7793348.htm

※中国国内のサイトにアップされている動画は、日本で見る場合には、通信回線の状況により、うまく見られない場合があります。

 現在、北京では、全国人民代表大会が開催されており、今日(3月15日)午前の会議で、次期(2008年からの5年間)の国家主席として胡錦濤氏が再任されました。北京の街の状況は、いつもと全く変わりません。外国テレビ放送の検閲ブラックアウトは、検閲担当者が過剰に反応した結果かもしれませんが、諸外国に対して、かなりマイナスのメッセージを発したと思います。

 今まで、昨年4月に北京に来て以来、NHKワールド・プレミアムの放送で検閲によるブラックアウトを見たことはありませんでした(CNNでは2回、BBCでは1回見たことがありましたが)。今日(3月15日)のNHKワールド・プレミアムの検閲ブラックアウトは私にとって初めての経験でした。外国の衛星放送を見る機会のある「お金持ち層」の中国人も非常に多くなっている現在、中国の人々は、こういったテレビ放送の検閲カットに対して、どう思っているのでしょうか。

 このお正月、2008年には、「北京オリンピックがあるほかにもいろいろありそうだ」と書いた私ですが、実際、これからもいろいろなことが起こりそうな気がしています。 

| | コメント (0)

2008年2月27日 (水)

今でもまだやっている大衆の前での野外裁判

 2月24日、山西省で、昨年末に起きた炭鉱事故の責任者に対する裁判がありました。雪が降りしきる中、多くの大衆を集めて、その面前で行われた野外裁判で、16人の被告に対して有罪判決が出された、とのことです。

(参考)「新京報」2008年2月25日付け記事
「洪洞炭坑災害で16人が有罪」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/02-25/018@073906.htm

 上記の記事の写真を見ていただければわかるように、被告は後ろ手に縛られて壇上に並ばされて、傍聴者の大衆の面前にさらされています。

 この裁判は、2007年12月5日に山西省臨●市(●は「さんずい」に「分」)洪洞県の炭坑で起きた105人が死亡、8人が負傷した事故の責任を問う裁判です。炭坑の安全を無視したずさんな管理が問題とされた事件でした。

 社会的に重大な事件の裁判の判決なので、人々の注目を集めていることは間違いないのですが、文化大革命の時期の裁判じゃあるまいし、多くの群衆の前に被告を並べて、有罪を宣告する、というやり方は、「法治国家」を目指している現在の中国においてふさわしいものであったのか、私は非常に疑問に思いました。日本を含めて多くの国では、裁判は公開で、一般大衆が傍聴できますけれども、こうやって被告を後ろ手に縛って屋外で大衆の前に並べるような裁判をやっている「先進国」はないと思います。今回のニュースは、外国の人々に「オリンピックが開かれるというのに中国ではまだこんな裁判のやり方をやっているのか。」というマイナスのイメージを与えたと思います。

 この裁判は、「12・5炭坑事故公判大会」という名前で開かれたのだそうですが、この「大会」で行われた講話で、市の党委員会副書記と市長代理がこういった裁判のやり方を採用したことについて「全市の担当者と人民大衆に対する教育のためだ」と述べた、とのことです。

 そもそも裁判で、市の行政担当者や党の幹部が「講話」を述べる、ということ自体、「裁判の判決とは、行政や党の業務とは独立して客観的立場に立って判断されるべきものだ」という原則からはずれるものです。また、被告を後ろ手に縛って大衆の前に並べることは「被告は、判決が出されるまでは有罪か無罪か確定していない」という原則に反するものです。そもそも、裁判を「市の担当者や一般大衆を教育するためのもの」だと考えていること自体、中国の裁判が「法律に基づき客観的かつ公正に判断するためのもの」だと考えられているのではないことを示すものです。「通常の国々での常識」が今の中国ではまだ通用していないことを示すエピソードだと思います。

 私は、炭鉱事故の責任者を弁護するつもりはさらさらありませんが、法律とは何か、裁判とは何か、について、改革開放から既に30年も経っているのですから、地方の責任者も「世界の常識」というものをもう少し頭に入れて欲しいと思います。これも「中国特色の裁判のやり方だ」と主張するのだろうと思いますが、中国が国際化していくためには、自分のやり方をそのまま進めるのではなく、もう少し「世界標準」を考えるべきだと思います。

| | コメント (0)

2008年2月23日 (土)

農薬汚染食品事件:日系企業が原因との報道

 10人の中毒患者を出した殺虫剤の成分が混入した中国製冷凍ギョーザの事件に関連して、日本では、今、中国で加工されたいろいろな食品に対する検査が行われているため、最初に中毒患者を出した冷凍ギョーザとは別の中国製の加工食品から、微量の農薬が検出されるケースが相次いで報道されています。これら10人の中毒患者を出したケースとは別のケースのいくつかについて、今日(2月23日)付けの人民日報は、中国国家品質検査検疫総局の発表として以下のような報道しています。

○中国国家品質検査検疫総局は、日本側関係機関から、中国から日本に輸出されたニラ肉まんとニラエビ揚げ肉まんから、それぞれ0.45ppm~0.66ppmと0.04ppm~0.08ppmのメタミドホスが検出され、アスパラガスの肉巻き揚げから1.2ppmのホレートが検出されたとの通報を受けた。中国側はこの件を非常に重視し、直ちに調査を行った。

○国家品質検査検疫総局が現在までに得た調査結果によると、上記のニラ肉まんとニラエビ揚げ肉まんを作った会社及びアスパラガスの肉巻き揚げを作った会社は、両方とも中国国内に設立された日本資本100%の日系企業(日系独資企業)で、生産工程は日本の基準で管理され、日本側の会社の職員が工場に駐在して監督を行っていた。

○この事件は、上記の日系独資企業による原材料の野菜を購入する際のチェックが不十分だったことが原因であった。

○従来、日本側は、肉まんやギョーザなどの製品に関しては、残留農薬量の量に対する制限や検査実施を要求していなかったが、今回、初めて検査を行ったものである。国家品質検査検疫総局は、検討を行い、日本側関係機関と技術基準について情報交換を行い、検査作業を行っていく方針である。

○冷凍ギョウザ中毒事件に関しては、中国公安部が20日、担当官を日本に派遣して、日本の警察当局と、情報交換等を行った。中国政府としては、冷凍ギョウザ中毒事件に関しては、徹底的に捜査する決意である。

(参考)「人民日報」2008年2月23日付け記事
「日本に輸出した肉まんについては、日系独資本企業の検査が不十分だったことが原因」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-02/23/content_44973086.htm

 この記事に書かれていることは間違いではないし、中国側もこの記事で言及しているケースについては、中国における残留農薬が原因であることを認めているわけですが、見出しや書きぶりからすると、「日系企業とそれを監督していた日本の企業が悪い」という印象を強く受ける記事です。こういうふうな書きぶりをされると、ウラの意味として「中国側当局は全く責任はない」ことをこの記事は主張したかったのだ、と感じてしまいます。有毒な農薬に汚染されている野菜などが流通していることに対する中国当局としての反省が全く感じられない記事だと私は思います。

 また、最後の項目は、今回の騒ぎの発端となった10人の中毒患者を出したケースについて述べたものであるのだけれど、一読した読者からすると、異なるケースについて述べたのかどうかわかりにくい書きぶりになっています。こうやって並べて記述されると、意地悪く解釈すれば、最後の部分は、「中国公安部が日本へ行って日本の警察と情報交換を行った」のは日本の企業が悪いから中国の公安部がわざわざ日本へ行ったのだ、との印象を読者に与える意図があるのではないか、とも思えてしまいます。

 もともと中国共産党の機関誌であり、「党の舌と喉」の本家本元である「人民日報」に客観的で公平な報道を期待すること自体無理なのはわかっているのですが、どうも「みんな日本が悪い、中国は悪くない」という方向に中国人民の世論を誘導しようとしているように見えて、私は釈然としません。

 それは置いておくとしても、上記の記事は、やはり残留農薬に汚染された野菜が中国国内に出回っていることを中国国家品質検査検疫局が認めたことを意味しますので、毎日、中国産の野菜しか食べることができない北京に住む私にとっては、気の重い記事であることは確かです。この間、春節で日本に帰ったときに人間ドックを受けてきましたが、変な結果が出ていないことを祈るばかりです。

| | コメント (0)

2008年2月20日 (水)

寒波時の鉄道部の情報提供は適切だったか

 1月末から2月初に掛けて、中国の中南部を襲った大寒波により、中国の鉄道も大きな影響を受けました。大雪そのものにより列車の運行が困難になった上に、高圧電線への着氷による断線や鉄塔の倒壊による電力網の寸断のため、広範囲で停電が起き、鉄道用の電力の供給も困難になった地域が多く、電車や電気機関車の運行ができなくなった区間が多かったからです。この時期は、ちょうど春節(旧正月;今年は2月7日が旧暦の元旦)の帰省ラッシュの時期と重なっていたので、各地で列車に乗ろうとして乗れない乗客が10万人のオーダーで集まり、一部では混乱も見られました。広州駅では、一時50万人を超える人が集まり、集まった群衆に押されて、1人の方が亡くなっています。

(参考1)このブログの2008年2月3日付け記事
「中国大雪被害:広州駅の群衆内で1人が圧死」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/02/post_9f0c.html

 この当時、私も毎日、中国の新聞やテレビを見ていましたが、大寒波による大雪・着氷被害が相当出ていることは伝えられているのですが、具体的に、例えば「鉄道の○○と××の間が不通になっている」とか「□□発▽▽行き列車番号△△△号の列車が○○で立ち往生している」とかいう情報は伝えられませんでした。鉄道については、復旧作業が進んで、運行が正常に戻ると「○○線の運行は正常に戻りました」というニュースを流すので、その時初めて「○○線は不通だったんだ」ということを知る、というケースが多かったのです。

 今回の寒波の際、鉄道の運行状況が正確に伝えられていなかったことが多くの群衆を駅に集中させてしまったのではないか、という疑問を私は持っていたのですが、中国国内にも同じような意見を持っていた人がいたようです。下記の今日(2月20日)付けの「新京報」の記事によると、広州市政治協商会議副主席の郭錫齢という方が広州市の政治協商会議の分科討論会の席上、寒波・大雪被害の際に鉄道部が重要な情報を発表しなかったことが、多くの人を広州駅に集める結果になったのではないか、と鉄道部を批判したとのことです(「批判」の部分は、「 」付きで日本語の「砲撃」に当たる言葉の中国語を使っています)。

(注)政治協商会議とは、「中国共産党による指導」という原則を承認することによって存在が認められている民主党派の人々や学者、知識人などが作っている会議で、人民代表大会(日本の議会に当たる)と並立している会議。法律や政策の決定権はないが人民代表大会に対して意見を提言することはできる。こういった政治協商会議は、市、省、国の各段階に応じて存在している。日本や欧米の感覚とは異なるが、政治協商会議委員は、議会の議員に相当するそれぞれの政治レベルでの「有力者」である。副主席と言えば、政治協商会議のナンバー2であることから、広州市政治協商会議副主席と言えば、広州市の政界の中では、かなりの有力者と言うことができる。

(参考2)「新京報」2008年2月20日付け記事
「鉄道部、広州政治協商会議副主席の『砲撃』に対して反論」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/02-20/021@083923.htm

 この郭錫齢副主席の批判に対して、昨日(2月19日)、鉄道部スポークスマンの王勇平氏は、人民網(ネット版「人民日報」)において、郭錫齢副主席の発言は、事実に反しているし、常識にも反している、と反論した、とのことです。

 上記の「新京報」の記事によれば、郭錫齢副主席の批判と鉄道部スポークスマンの王勇平氏による反論のポイントは以下のとおりです。

○ディーゼル機関車の回送

郭錫齢副主席の主張:停電のため電気機関車が使えなくなってディーゼル機関車が必要になった。鉄道部は新キョウウィグル自治区で空いているディーゼル機関車を見付けたが担当者が既に(春節のために)休暇に入っており回送できなかった。また5号ディーゼル油を手当することができなかった。これらの事実を鉄道部は公表しなかった。

鉄道部の王勇平氏の反論:揚子江の北からディーゼル機関車を広州地区に派遣しようとしていたという話は聞いていない(そもそも移動するだけで7~10日も掛かる新キョウウィグル自治区から広州までディーゼル機関車を持ってこよう、という話自体、常識的にはあり得ない話である)。また、鉄道用ディーゼル機関車に使うディーゼル油は0号油であり、5号油ではない。

○切符の販売

郭錫齢副主席の主張:湖南省南部が完全に停電している状態で、いつ列車の運行ができるかわからない状況の下で、まだ列車の切符の販売を続けていた。

鉄道部の王勇平氏の反論:1月25日の時点で既に2月3日までの列車の前売り切符は発売になっていた。雪害被害が明らかになった後の1月26、27日には駅の窓口、代理店、電話予約システムによる切符の販売を全て全面的に停止している。

○輸送回復の情報

郭錫齢副主席の主張:鉄道部が輸送力の回復は可能だ、と発表していたために、多くの農民工が帰省のためにぞくぞくと広州駅に集まることになってしまった。

鉄道部の王勇平氏の反論:鉄道関係者は全力を挙げて輸送能力の回復を図っていたし、広州市政府は各種の情報をいろいろなルートで情報を提供し、人々が無闇に駅に集中しないように努めた。

-------------------

 私の感覚で言えば、鉄道部スポークスマンが反論している最初のディーゼル機関車の回送の話はあまり重要な話ではないと思います。二番目の切符の販売の話は、鉄道部が切符販売を停止したのは事実であり、郭錫齢副主席の勘違いだと思います。(ただし、鉄道部が切符の販売を停止しても、前売り券を買って持っていた人が欲しい人に転売したので、切符の販売停止期間中に転売人から切符を買った人はかなり多かったのではないかと思われます。中国では、もともと鉄道の切符については、前売り券を大量に買い込んで転売する人(いわゆるダフ屋)が横行するので、前売り券は乗車日の10日前以降、販売枚数も例えばひとり5枚まで、といった制限付きで切符の販売が行われます)。

 私が一番重要だと思うのは最後の輸送状況に関する情報です。今、もう一度、ネット上で、1月26日~28日頃の「新京報」の記事を見てみましたが、例えば下記の1月28日付けの記事では、鉄道部からの情報としては、「京九線(北京と香港の九龍を結ぶ幹線)等では運行が回復した」「北京、武漢、南昌等の鉄道局から集められた客車は35列車全て到着している」「58台のディーゼル機関車が既に確保されている上、鉄道部はさらに20台確保予定」といった「プラスの情報」しかなく、「どこどこが不通」「今後○○本程度運休する見込み」といった「マイナスの情報」がないことがわかります。

(参考3)「新京報」2008年1月28日付け記事
「北京西駅、最高級の予防警戒態勢を発動」
http://www.thebeijingnews.com/news/intime/2008/01-28/014@081526.htm

 こういった鉄道部の情報提供の仕方には、客観的に言ってやはり問題があった、と私は思います。上記の広州市政治協商会議副主席の批判に対する鉄道部スポークスマンの反論は、ディーゼル機関車に使うディーゼル油の番号が違う、といった些細な点を捉えて「事実と違う」と反論しており、反論としてはフェアではないと思います。

 なお、この寒波災害以来、下記の鉄道部のホームページにはアクセスできない状況が続いています。

(参考4)中国鉄道部のホームページ
http://www.china-mor.gov.cn/

 いずれにせよ、中央政府機関のひとつである鉄道部の情報の発表の仕方が問題である、と指摘する地方政治協商会議の幹部が存在し、それが新聞に堂々と掲載される、ということは、現在の中国の言論状況のひとつとして評価すべきなのでしょう。ただ、こういった「当たり前のこと」が新聞に載ることを「評価」しなければならないのが、中国の現状である、とも言えるわけですが。

| | コメント (0)

2008年2月18日 (月)

内モンゴル自治区フフホト市副書記殺害事件

 2月14日の北京の大衆紙「新京報」によると、内モンゴル自治区フフホト(呼和浩特)市の党委員会副書記王志平氏が春節(2月7日)前に執務室で射殺された、とフフホト市の党委員会宣伝部の関係者が明らかにした、とのことです。その際、一名の女性の税務関係の幹部も執務室内で同時に殺害されたとのことで、犯人と見られるフフホト市公安局経済開発区分局長の関六如という男は銃で自殺した、とのことです。

(参考1)「新京報」2008年2月14日付け記事
「フフホト市副書記、執務室で被害に遭う」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/02-14/011@074610.htm

 この事件は、現在調査中とのことで、動機その他詳細は何もわかっていません。

 また、今日(2月18日)の「新京報」によると、殺害されたこの副書記は執務中に被害に遭ったということで「革命烈士」の称号が与えられた、とのことです。

(参考2)「新京報」2008年2月18日記事
「被害に遭った副書記、烈士の称号が与えられた」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/02-18/021@073017.htm

 この(参考2)の記事では、消息筋による情報として副書記を殺害して自殺した公安局経済開発区分局長の関六如は、事件当時、党書記の韓志然氏とオフィスビル6階ですれ違って、韓書記と挨拶をしていたところだった、という話を伝えています。

 これ以上のことは「調査中」とのことで明らかになっていません。死亡した副書記が「革命烈士」の称号が与えられた、ということは、業務上のトラブルが原因なのかもしれません。

 いずれにしても、フフホト市と言えば内蒙古自治区人民政府がある自治区の首都であり、党の副書記と言えば市の中国共産党委員会のナンバー2です(副書記は複数置かれていることが多いですが)。中国では、市長よりも党書記の方が序列が上なので、党副書記と言えば副市長より序列が上のフフホト市の党・政府の中ではトップに近い幹部です。

 日本や欧米各国だったら、新聞や週刊誌などが大きく書き立てるような事件ですが、春節前((参考1)の記事によれば2月5日)に起こった事件が10日近く経ってから新聞で伝えられるなど、この手のニュースは中国では非常に慎重に扱われます。今後も本件についての追加的な情報は伝えられないかもしれません。

 たぶん、極めて個別的・単発的で、何か事情のある事件だと思いますが、中国ではこういう事件も起きている、しかしあまり報道されていない、とういことを日本の皆様にも知っていただきたいと思って書かせていただきました(本件については、一部、日本のマスコミでも報道されています)。

| | コメント (0)

2008年2月16日 (土)

ギョーザ事件:選択的報道は世論操作か?

 私は、このブログでは、これまで「毒物入り冷凍ギョーザ事件」については、「日本のマスコミが騒ぎすぎでは?」「ギョーザ事件を報道するのも重要だが、中国中南部の寒波被害について深刻さを持って報道しない日本のマスコミはおかしい」と繰り返し述べてきました。しかし、昨日と今日のギョーザ事件に関する中国の報道振りを見て「中国での報道のされ方もおかしい」と思ったので、ひとこと言わせていただきたいと思います。

 今回の「毒物入り冷凍ギョーザ事件」については、誰かが故意に農薬の成分である毒物を冷凍ギョーザに混入した可能性もあるので、この事件については、原因が特定できない段階で「だから中国製の食品は危ないのだ」といった議論に結びつけるのは正しくありません。従って、中国の政府関係者が、記者会見で「日本の報道機関は事実に基づき冷静に報道してほしい」と繰り返し述べている理由も理解ができるところです。

 一方、中国では春節(旧正月:2月7日)頃までは、この事件については、あまり報道されていませんでした。中南部での寒波被害が甚大なので、そういった自然災害による混乱の中、旧暦の大晦日(2月6日)の夜に親族が揃ってギョウザを食べる習慣がある中国において、あまり不安を抱かせるような報道をしたくない、という中国当局の考え方もわかるなぁ、と私はある程度の同情の念を持っていました。

 春節以降は、この冷凍ギョウザ事件に関しては、中国の新聞やテレビでも中国側の記者会見の様子などで示された事実関係を淡々とではありますが、かなり詳しく報ずるようになりました。これらの報道は、基本的には、中国国内で行われた記者会見で発表された情報をを報ずるものでしたので、袋の外側や内側でメタミドホスが検出された、とか、検出されたメタミドホスには不純物が多く含まれており研究用として日本にあるメタミドホスとは異なり中国で農薬として使われているものである可能性が高い、とか、メタミドホス以外にも農薬成分ジクロルボスが検出されたケースもあった、とか、いう日本で伝えられているもろもろの事実関係は、中国ではほとんど報道されていません。

 そうした中、徳島県で冷凍ギョウザの袋からジクロルボスが検出された件について調べた結果、この徳島県のケースでは、ギョーザが売られていた店の店内の別の場所でもジクロルボスが検出されたことから、店内で殺虫剤を噴霧したことにより付着したと判断される、と徳島県が発表しました。

(参考1)徳島県庁ホームページ2008年2月14日報道発表
「危機管理会議の開催結果について」
http://www1.pref.tokushima.jp/001/01/shoku/cs/H20021419.pdf

 これを受けて、新華社通信は「徳島県庁が『問題のギョウザ』は店内で殺虫剤を用いたことにより汚染されたものであることを認めた」という見出しの記事を流しました。

(参考2)「新華社」2008年2月15日18:26アップ
「日本の徳島県庁が『問題の餃子』は店内で殺虫剤を用いたことにより汚染されたものであることを認めた」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-02/15/content_7610764.htm

 この新華社の報道は、2月15日22:00からの中国中央電視台第1チャンネルの「夜間新聞」(夜のニュース)、2月16日付けの「新京報」でも伝えられました。また、このニュースについては、2月16日付けの人民日報でも報じられました。

(参考3)「人民日報」2008年2月16日付け記事
「日本の公的機関は徳島県の『問題の餃子』は店内での殺虫剤使用により汚染されたことが原因であることを認めた」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-02/16/content_43856285.htm

 いずれも記事も文章をよく読むと「徳島県で問題となったギョーザについては、店内での殺虫剤使用が原因であることを徳島県当局が発表した」と書いてあるのであり、千葉県や兵庫県で中毒者を出したギョーザについては、この記事では何も言っていないので、記事の内容自体は間違いではありません。人民日報の見出しでも「徳島県の『問題のギョウザ』は・・」と、きちんと「徳島県の」という修飾語が付いています。しかし『問題のギョーザ』と『 』付きで書かれていることと、新華社の記事では見出しに「徳島県の」とうい修飾語が付いていないので、見出しだけ見ると、問題となった一連のギョーザの全てが日本の店内での殺虫剤使用により汚染されたものであるかのような誤解を読者に与えかねない見出しの付け方になっています。

 中国国内では中国国内での記者会見で発表される情報以外の情報がほとんど報道されない中、この徳島県のケースだけが選択的に報道されると、「今回のギョーザ事件は、日本国内で殺虫剤を使用したことが原因だ。それなのに日本のマスコミは中国製品が悪いといって騒いでいる。これはおかしい。」という印象を多くの中国人民に与えることになると思います。そもそも中国のマスコミが当局の指導の下で報道していることと、今回の徳島のケースを中央電視台と人民日報という「本家本元の公式メディア」が率先してこれを伝えていることを考えると、中国当局が中国は悪くない(悪いのは日本だ)という方向に世論を誘導しているのではないか、との意図を感じます。

 しかし、そういう世論誘導を中国当局がしようとしているのは、中国当局にとって何のプラスにもならない、と私は思います。中国当局が仮に中国国内の世論コントロールに成功したとしても、中国当局は国際世論をコントロールすることはできないからです。むしろそういった世論操作は、国際世論に対しては中国当局に対するよくない印象を与えます。オリンピックを控えている今年、これは中国当局に得となるはずはありません。

 私は、今回、日本で見つかった毒物入り冷凍ギョーザ事件に対しては、中国当局の内部でも対応方針が一枚岩になっていないのではないか、という気がしています。というのは、徳島県のケースを特出しにして報じることは、中国の一般市民の間でようやく好転しつつあった反日感情をまた悪化させてしまうことになりかねず、4月頃に予定されている胡錦濤主席の訪日にマイナスになってしまうからです。これは党中央の意図するところとは異なると思います。

 中国当局が、寒波被害という国家レベルの自然災害の中で、日本のマスコミによるギョーザ事件に関する「メディア・スクラム」に大いに辟易しているのは理解できますが、今回の徳島県のケースを特出しで選択的に報道したことは、中国当局にとって「失策」だったと私は思います。その背景には、そもそも新華社、中央電視台、人民日報といった「本家本元の公式メディア」を使えば世論操作が可能である、という中国当局の意識があると思います。もし中国当局が意図するのと違う方向に反日感情が盛り上がった場合は、また別の方法で世論操作すればよい、と考えている可能性があるからです。しかし、こういった世論操作は、結局は、国内世論と国際世論とのギャップを産むことになります。国内世論と国際世論とのギャップは、オリンピックの場において表面化する可能性があります。それは中国当局にとって好ましくないはずで、その意味でも、中国当局は、世論は操作しようと思えばできるもの、といった思い上がった考えからそろそろ脱却する必要があると思います。

| | コメント (0)

2008年2月14日 (木)

寒波による農地の被害面積は1,180万haに

 2月14日に民政部が2月12日現在の被害状況として発表したところによると、中国中南部の寒波・大雪・着氷によって被害を被った農地の面積は1,180万ヘクタール、そのうち農作物が壊滅する被害を受けたのは169万ヘクタール、被害を受けた森林の面積は1,733万ヘクタールに上る、ということです。

(参考)「新華社」2008年2月14日10:15アップ
「2月12日現在で寒波被害は死者107人、被害総額1,111億元に」
http://news.xinhuanet.com/video/2008-02/14/content_7601537.htm

 ちなみに、農作物が壊滅したとされる169万ヘクタールとは、日本で言えば、岩手県より広い面積です。また、被害を受けた農地と森林の面積を合わせた2,913ヘクタールという広さは、日本で言えば、日本の全国土面積の約8割に相当する広さです。

 なお、昨日(13日)夜の鉄道部の発表によると、鉄道については、昨日時点で正常運行が確保されている、とのことです。

| | コメント (0)

2008年2月13日 (水)

中国の寒波の経済損失は1兆6,000億円超

 中国では、今日(2月13日)から春節(旧正月休み)開けで政府機関などが動き始めています。今日(2月13日)、民生部は、昨日(2月12日)時点での中国中南部の寒波被害について発表しています。それによると、この中国中南部を襲った寒波・大雪・着氷による被害は、死者107人、行方不明8人、直接的な経済損失は1,111億元(約1兆6,665億円)に上るとのことです。

(参考1)「新華社」2008年2月13日15:23アップ記事
「速報:寒波災害の被害は、死者107人、直接的な経済損失は1,111億元」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-02/13/content_7597629.htm

 一方、今日(2月13日)、温家宝総理は国務院常務会議を開き、関係部署による災害復旧について検討を行いました。この会議では「大部分の電力送電線と変電所は復旧した」と報告されていますが、一方で「高圧電線網の復旧に重点を置く必要があり、3月末までには復旧を終わらせる必要がある」とも指摘しており、災害の復旧に数か月のオーダーで時間が掛かることを示しています。この会議では、電力網の復旧のほか、春から始まる農作業に必要な種の確保など農業に対する支援、石炭・石油の輸送、被災した農民への食糧等の供給、倒壊・破損した家屋の復旧、今後の土砂災害や衛生上の問題などの二次的災害の防止を求めています。

 また、この会議では、2月11日までに、国家電力網公司の系統で累計停電戸数の93%に当たる2,212万戸が復旧した、と報告されたと報道されています。ということは、累計で2,378万戸が停電していた、今でも166万戸が停電している、ということになります。

(参考2)「新華社」2008年2月13日17:28アップ記事
「温家宝総理が国務院の会議を開催して、各部署の災害後の復旧作業について検討」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-02/13/content_7598147.htm

 このあたりの中国の災害報道の仕方は、20年前と全然変わっていません。問題が発生した時にはニュースとして流れず、復旧した時に初めて報道さるので、復旧時に伝えられる報道を見て「あ、それだけ多くの停電戸数があったんだ。初めて知った」というようなことになるのです。今日の国務院の会議での報告を伝える記事では「全国の高速道路と主要国道に不通の個所はない」とされており、鉄道については何も触れられていないので、おそらく鉄道はまだ不通になっている個所があるのではないかと思われます。たぶん、鉄道がどの程度不通だったのかは、復旧した時に発表されるのでしょう。不通ならば不通だ、とちゃんと情報を提供しないと、鉄道は問題ないと思って乗客が駅に集まって来てしまって困ると思うのですが、このあたりの災害報道のあり方についての中国政府のものの考え方は、いまだによくわかりません。

 いずれにしても、今年の寒気団は相当に強力なので、まだ被害を出すような寒波が襲ってくる可能性もあります。今後さらに被害が出たり、二次的な災害が発生しないように祈りたいと思います。

| | コメント (0)

2008年2月 9日 (土)

テレビ関係者の「貴族化」を警告する投書

 中国では、お正月は旧正月(春節)を祝います。今年は2月7日が旧正月の元旦でした。私は、今、春節のお休みをいただいて、日本に来ています。中国中央電視台では、前日(つまり旧暦の大晦日)の2月6日夜、毎年恒例の「春節晩会」を放送しました。この番組は、日本の紅白歌合戦と同じようなもので、歌あり、漫才あり、コントあり、曲芸あり、といったバラエティー番組です。

 今年の「春節晩会」について、新華社のホームページに「貴族化傾向が春節晩会を一般庶民からますます遠くしている」と題する痛烈な投書が載りました。これは「紅網」というところのネット上に掲載されたある人の投書を新華社が転載したものです。「紅網」がどういう場所なのか私はよく知りませんが、名前からしてかなり保守的な(共産主義の原則を重視する傾向の強い)掲示板なのではないかと思います。

(参考1)新華社のページに2008年2月8日15:08に転載された「紅網」に載っていた投書
「貴族化傾向が春節晩会を一般庶民からますます遠くしている」
http://news.xinhuanet.com/politics/2008-02/08/content_7582267.htm

 この投書の主張のポイントは以下のとおりです。

○今年の「春節晩会」は、新しい見るべき価値のあるものはなかった。

○「春節晩会」は最近はだんだん飽きられてきていると言われているのに中央電視台は巨額のお金を使って何億もの視聴者をがっかりさせている。

○特に今年は中国の中南部は大寒波に襲われ、胡錦濤主席や温家宝総理も被災地で旧正月を迎えた、というような事態であるのに、テレビ出演者は、一般大衆が何を見たいのかには全く無関心で、自分の書きたい脚本を書き、自分の演じたいことを演じているだけである。このような精神構造で、「春節晩会」の番組制作者は、視聴者から拍手がもらえると思っているのだろうか。

○テレビの番組制作者たちは自分たちの「貴族風の作風」を捨てて一般大衆の中に踏み入ることができないのだろうか。

○趙本山は、農民出身のタレント・俳優・演出家で、彼の作品には東北地方の農村の特徴がよく出ており、一般大衆から深く愛されていた。しかし、近年、彼は「中央電視台スタイル」に組み込まれてしまい、庶民の生活の要素はだんだん少なくなり、形式的なものや言葉遊び的なものが多くなってしまった。

○テレビの番組の中には、流行っている歌に頼ったり、ドラマや映画で顔が売れた『スター』に頼りきって、面白いゲームをやったり、幼稚なクイズをしたりするだけで、何の芸術性も感じられないものがある。

○納税者のお金を使って(注:中央電視台は国営のテレビ局)貴族風のテレビ芸術とやらばかり作って、一般庶民の生活から離れていくのだったら、そんなテレビは早晩一般庶民から唾棄すべきものと見なされることになるだろう。

 最後の「唾棄すべきものと見なされることになるだろう」とは、相当激烈な表現です。相手は「党の喉と舌」(中国共産党の宣伝機関)を自他共に任ずる中国中央電視台です。それに対する批判の言葉としては最高級の厳しい言葉だと思います。今、ネット人口が2.1億人いる中国ですから、こういった意見を言う人がネット上にいてもおかしくはないのですが、国営通信社の新華社がそれをわざわざ転載して自分のホームページに掲載した、という意味をどう見るべきなのでしょうか。また、趙本山という特定のタレント・俳優・演出家を名指しして批判していることも気になります。

 一部の人を名指しして「貴族化している人たちがいる」と指弾するやり方は、私には、「文化大革命」(文革)開始の時の「走資派」(資本主義に走る一派)批判を思い起こさせます(文化大革命の最初の始まりはある戯曲評論に対する批判でした)。この投書子は、その文章を見れば、「胡錦濤主席や温家宝総理が被災地でがんばっているのに」と言っていますので、党中央の側に立って批判しているように見えます。しかし、深読みすると、この投書は、党中央の立場に立ってテレビ番組・テレビ局に対する批判という格好をしながら、実は党中央の内部にいる一定のグループを批判しているのではないかと思わせます。

 1978年に始まった改革開放路線は、文化大革命を批判することがその出発点でした。従って、1989年より前は、党中央は、文革的なものを排除することにやっきになっていました。1987年1月、上海での学生デモに対する対処が適切でなかった、として、当時の胡耀国中国共産党総書記が解任されましたが、そのニュースを伝える中央電視台のアナウンサーは、いつもは背広姿なのにこの日だけは中山服(日本のマスコミ用語でいうところの「人民服」)を着てニュースを伝えました。このことが外国に対して「中国は、また、文革時代に戻るのだろうか。」といった不安をもたらしたことから、中国政府は、あわてて「中国は改革開放路線を強力に推進していく。文革時代に戻ることはあり得ない。」との釈明に追われることになりました。アナウンサーが中山服を着てニュースを伝えたのは、どうやら中央電視台の担当者の「勇み足」だったようです。当時の党中央と政府は、また文革時代に戻るのかもしれない、という不安を外国に与えて、ようやく始まったばかりの外国からの外資の進出にブレーキが掛かるのを恐れたのでした。

 しかし、1989年以降は、「都市と農村との格差など、現在の中国で現れている様々な矛盾の原因は、改革開放路線そのものだ。」という考え方の、文革時代を懐かしむかのような論陣を張るグループが現れました。これが「新左派」と呼ばれる人たちです。この「新左派」の人たちは、市場経済原理の導入が格差を拡大したことから、市場による経済支配を弱め中国共産党によるコントロールを強める、つまり極端に言えば文革時代のような体制の方向へ舵を切るべきだ、と主張しているのです。

(参考2)このブログの2007年8月11日付け記事
「『新左派』と『新自由主義派』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_102b.html

 昨年10月の第17回中国共産党大会で、胡錦濤総書記は「改革開放路線に変化はない」として、文革時代に戻るようなことはないことを明確に打ち出しました。従って、「新左派」は、現在の中国共産党中央の主流派でないことは明らかです。しかし、文革時代を懐かしむような「新左派」の勢力が数は少ないとは言え確実に存在しており、しかも一定の勢力を保っていることは間違いないと思います。昨年秋に完成した国家大劇院の「こけら落とし」の演目が「紅色娘子軍」というまさに文化大革命の象徴ともいうべき革命的現代バレーの演目だったのも、それを表していると思います。1989年以前の党中央だったら、こんな文革を思い起こさせるような演目の上演は絶対に許さなかったと思います。

(参考3)このブログの2007年9月26日付け記事
「中国北京の国家大劇院でこけら落とし」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/09/post_ee1f.html

 今回の中南部の寒波被害で、人民解放軍は、凍結した高速道路の復旧作業などにおいて他ではまねのできない強力な力を発揮し、相当に株を上げました。人民解放軍は中国共産党の軍隊ですから、軍関係者は基本的に中国共産党の指導力を強くすべきだ、という考え方を持っていると思います。従って、軍にはどちらかというと「新左派」に近い考えを持っている人が多いと思われます。今回の寒波被害における災害出動を契機に、軍を中心として、経済発展に伴って金儲けしている一部のグループを「貴族化している」として批判する意見が強くなってきているのかもしれません。

 1989年以前の党中央だったら、文化大革命を想起させるような「貴族化批判」は許さなかったはずです(当時の最高実力者トウ小平氏自身が文化大革命の被害者で、文革という政治闘争が中国の経済発展を阻害したことを身をもって知っていたからです)。「貴族化批判」の延長線上には、改革開放路線批判があります。改革開放路線の継続は胡錦濤総書記を中心とする現在の党中央の根本路線ですから、そういった党の根本路線の批判につながる可能性のある「貴族化批判」の投書を新華社がわざわざ転載した、ということの意味はどこにあるのでしょうか。「新左派」の力が強くなってきたことの現れなのでしょうか。胡錦濤総書記は、そういった「新左派」の台頭を押さえ込むことはしないのでしょうか、あるいはしたいけれどもできないのでしょうか。もしかしたら、今回の寒波被害に対する復旧作業での人民解放軍の活躍を通じて「新左派」が力を盛り返し、「新自由主義派」との間で、党内論争が繰り広げられることになるのかもしれません。

 今回の「貴族化批判」の投書は、単にテレビ番組、テレビ局に対する批判ではありますが、それを新華社が転載した、ということから、そのウラに何かがあるのではないか、と私は想像してしまったのでした。もしかすると、それは、私の単なる「深読みのしすぎ」なのかもしれませんが。

| | コメント (0)

2008年2月 8日 (金)

胡錦濤主席と温家宝総理が被災地で旧正月

 2月7日は春節(旧正月)で、中国では、親族が揃ってギョーザを食べたりして迎えるのが習慣になっています。そうした中、今年の春節は、胡錦濤国家主席は広西チュワン族自治区で、温家宝総理は貴州省で、それぞれ寒波・大雪・着氷被害の被災者や災害復旧に当たる人々と一緒に「越年」したとのことです。詳しくは調べていませんが、国家主席と国務院総理が両方とも地方で(しかも災害の被災地へ赴くという「仕事」で)春節を迎えた、というのは、中華人民共和国始まって以来ではないかと思います。

 それだけ党中央としては、今回の寒波災害を重大視していることの表れだと思います。近年、不正・腐敗や農民からの無理な土地の収用などで、人心が離れてしまっているところの多い地方政府ですが、民生の維持と災害復旧対策という地方政府のおおもとの本来業務をもし遂行できないところがあるのならば、それは地方政府はもはや「政府」と呼ぶに値しない組織、ということになります。それだけに、党中央としても、この寒波災害における被災者の保護と災害復旧に対して、地方政府が全力を尽くすよう、全力で支援する必要がある、と感じているのだと思います。

 また、この週末から寒波がやってくるという予報が出ているところもあります。中国中南部の寒波被害がこれ以上大きくならないことを祈りたいと思います。

| | コメント (0)

2008年2月 4日 (月)

農民の土地返還要求に関する米紙の報道

 日本でもMSN産経ニュースで流れていた(私は見ていないのですが、たぶん産経新聞でも伝えられた)ので御存じの方も多いかもしれませんが、1月14日付けのアメリカの新聞ワシントン・ポストに、中国黒竜江省の農民たちが自分たちの耕作していた土地を取り上げた村政府に対して土地の返還を要求し、自分たちに土地所有権があることを認めるよう主張していることについての記事が載っていました。

(参考1)ワシントンポスト2008年1月14日付け記事
"Farmers Rise In Challenge To Chinese Land Policy"
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/01/13/AR2008011302383.html

 中国の耕地は、農民の所有地ではなく、村という単位の集団が所有している土地であり、農民たちには一定の期限付きで貸し与えられ(別の言葉でいうと、期限付きで土地使用権が与えられ)、耕作が行われている、というのが現状です。土地所有権は村という集団が持っていることから、村当局が農民から土地使用権に見合う分だけの一定額の補償金を支払って土地を収用し、その土地を開発業者に売る、という行為が中国各地で行われています。下記(参考2)で紹介しているインタビュー記事によると、「土地使用権に見合う分の一定額の補償金の支払い」が社会主義的な原則に基づいて行われるためその金額は小さく、「開発業者への土地の売却」が市場経済下のルールで行われるためにその金額が大きくなるケースが多く、その結果として、農民に支払われる補償金が少なく、一方で村当局や土地開発業者には巨額の金額が転がり込む、というケースが多いとされています。そのために村当局による不必要な農地の収用と土地の乱開発が跡を絶たず、不正の温床にもなりやすいのだ、というわけです。

 上記(参考1)のワシントン・ポストの記事によると、こういったケースに対して、農民たちは村当局が収容した農地の返還を要求し、農民たち自身が自分の判断で土地開発業者と売却金額の交渉ができるよう、土地所有権を自分たちに与えるように主張している、とのことです。

 もちろんワシントン・ポストで紹介されている農民たちの行動は中国国内では報道されていませんが、この農民たちの考え方と同じような考え方については、このブログの1月14日付け記事で私が紹介したように、1月14日付け(1月12日発売)の経済専門週刊紙「経済観察報」に載っていたインタビュー記事の中で清華大学教授の蔡継明氏が述べていました。

(参考2)このブログの2008年1月14日付け記事
「ついに出た『土地私有制』の提案」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_6f24.html

 ワシントン・ポストが伝える農民たちの動きが、中国において違法なものなのか、合法的な範囲内のものなのか、については、私は上記のワシントン・ポストの記事以外の情報を何も持っていませんので、判断はできません。ただ、一般的に言えば、中国の共産主義革命の過程の初期の段階では、例えば、1956年頃まであった「初級合作社」の制度では、自作農に対しては土地の私有を認めつつ、共同で農作業を行うことが行われていたので、土地私有制の主張が中国共産党指導下の中国において直ちに違法なものになると言うことはできません。上記の蔡継明清華大学教授の意見が掲載された新聞が堂々と街で売られていることから見ても、「土地私有制」を主張すること自体は、現在の中国では違法なもの、とはみなされないようです。一方、ワシントン・ポストの記事の伝える農民たちの運動がもし仮に「中国共産党の指導による政治」を覆そうと試みるものであるならば、それは、現在の中国の法律の下では違法とみなされる可能性があります。

 一方、上記のワシントン・ポストの記事が北京から何の問題もなくアクセスでき、読むことができる、ということは、党中央がこの記事が伝える農民たちの動きを完璧に抑え込もうと考えているわけではないことを示しているのかもしれません。というのは、現在の中国では、党中央の考え方に真っ向から反対するような主張を伝えるサイトについては、アクセス制限が掛かり、中国国内からは閲覧することができないからです。

 党中央の真意は測り知ることはできませんが、もしかすると、党中央の中にも、村当局が農民の意向に反して土地を収用し、その土地を開発業者に売ることによって莫大な利益を得ることを問題視する考え方の人がいるのかもしれません。もしそうした考え方が党中央の一致した考え方なのだとすると、党中央の考え方は末端の農民の意向と一致し、一方、末端行政機関である地方政府・地方党組織の意向がそれらと対立する、という構図ができあがります。今後の中国の行方を考えるに当たっては、土地を巡るそういった構図があるのか、ないのか、といった「見極め」を念頭に置いておく必要があると思います。

 なお、上記ワシントン・ポストの記事と私が紹介した「経済観察報」の記事がいずれも同じ1月14日付けであったのは、単なる偶然の一致なのでしょうか。それとも党中央の一定の意図が背景にあった必然の結果なのでしょうか。それについては、私には何も知る術はなく、想像の域を何ら超えることはできません。

| | コメント (0)

2008年2月 3日 (日)

中国大雪被害:広州駅の群衆内で1人が圧死

 中国中南部の大雪は各地にいろいろな被害をもたらしています。広東省広州市の広州駅では、ただでさえ春節(旧正月)を故郷で過ごそうという帰省客が多く集まる時期に、大雪の影響で鉄道のダイヤが大幅に乱れたため、数十万人単位の人々が集まっています。

(参考1)「チャイナ・ディリー」2008年2月2日付け1面トップ記事
「胡錦濤主席、全ての力を(雪害対策に)投入せよ、と指示」
http://www.chinadaily.com.cn/china/2008-02/02/content_6437189.htm

 公安当局も集まる群衆を整理するのに必死になっていますが、昨日(2月1日)、遂に一部の群衆が将棋倒しになり、広州市の時計工場で働く湖北省出身の女性1名が死亡(そのほかに数名がケガ)という事故が起きてしまいました。この時、広州駅には40万人の人々が集まっていたそうです。

(参考2)ネット版「人民日報」(人民網)2008年2月3日00:54アップ記事
「広州駅で旅客1名が圧死」
http://society.people.com.cn/GB/41158/6859662.html

※上記二つの記事は写真付きですので、英語や中国語が読めなくても現場の状況がよくわかると思います。

※※2月1日15時に将棋倒し事故が起き、2月2日0時にこの事故に遭った女性が病院で死亡した事件について、2月2日夜11時になってようやく発表する、という広州市公安当局の対応には、いささか問題があると私は思います。今の中国においては「発表しただけマシ」と言えるのかもしれませんが。

 今日(2月3日)も中央電視台第一チャンネルでは、午前中、大雪被害に関する特別報道番組を放送していました。その中で8日間以上に渡って断水と停電が続いている湖南省のチェンチョウ(●州)市(Chenzhou:●は「林」へんにおおざと)付近の高速道路インターチェンジからの生中継のレポートもやっていましたが、片方の車線は大型トラックが数珠繋ぎで全く動いていない様子でした。温家宝総理は、このチャンチョウ市のある湖南省南部が中国の南北と東西を結ぶ交通の要衝であることから、人民解放軍を動員することはもちろん、大雪被害のない北方の電力関係者をこの地方に派遣して、まず湖南省南部の復旧を図るよう指示した、とのことです。このほかにも寒波・大雪の被害は貴州省、江西省など被害は広範囲に渡っているのですが、まず交通のネックのポイントとなっている地区を優先的に復旧させよう、という方針のようです。

 昨日(2月2日)夜の中央電視台「焦点訪談」では、湖南省長沙(チャンシャー)空港で、降った雨(みぞれ)が滑走路上で完全に氷と化し、スケートリンクのようになった滑走路を復旧させようとしている空港職員の作業の様子が伝えられていました。

 中国の地理にあまり慣れていなくて地名を言われてもピンと来ないかたはぜひ地図を御覧になっていただきたいのですが、湖南省、貴州省、江西省などは、緯度的には沖縄から台湾北部に当たる地方で、これらの地方で大雪や着氷による被害が出ている、ということは、極めて異常なことです。2月2日の香港の最高気温(最低気温ではない)は摂氏プラス10度だったそうで、今回の寒波がいかに強烈であったかがわかると思います。

 今は、鉄道や高速道路が通っている地方の中核都市について多く報道されていますが、おそらく、高速道路や幹線道路からかなり内陸に入った農村部では「陸の孤島」となっている地区が多数あるのではないかと想像されます。それら内陸部では、まだ情報が収集しきれていないので、今回の寒波の被害は、集計してみると今後もっと大きくなる可能性があります。今回の寒波・大雪・着氷被害は、経済発展により高速道路網や電力網が発達した後の中国にとって最大の大規模自然災害と言えるもしれません。例えば、大雪で高速道路が渋滞すると、渋滞途中のトラックがガス欠を起こして立ち往生して、さらに渋滞に拍車をかける、ということがよく起きますが、中国では(特に南部地方では)そういったことを経験したことがたぶんないので、対応に苦慮しているのではないかと思われます。

 北京オリンピックまではまだ半年ありますので、今回の寒波・大雪がオリンピックに影響するとは思いませんが、今の中国は、全国的に「オリンピックどころではない」といった雰囲気になっています。

 この寒気団は、今日(2月3日)になって日本上空に移動し、東京などでも雪が降って雪が積もっているようですが、日本列島は黒潮や対馬暖流に抱かれているので、寒気団が襲ってきても、これら海の影響によりかなりマイルドになっていると思います。その意味で、日本は、中国に比べれば、自然環境の面で非常に恵まれた国です。中国を襲った寒気団は、通常1~2日後に日本へ到達するので、日本のマスコミは中国のこういった寒波襲来のニュースに対して、もうちっと関心を持ってよいと思います。

 なお、中国では、毒物入り冷凍ギョーザ事件については、ほとんど報じられていませんが、こういった寒波・大雪被害の中で人心を不安にするような情報はできるだけ広めたくない、という当局の意図が働いているのかもしれません(春節(小正月)を家族みんなでギョーザを食べながら迎える、というのが、中国の伝統的な慣習ですので)。今回の寒波・大雪被害は相当な規模のものであるので、私は、個人的には、今回に限って言えば、パニックを防止する、という観点で、冷凍ギョーザ事件に関する情報管理もある程度やむを得ないかなぁ、と思っています。 

| | コメント (0)

2008年2月 2日 (土)

豪雪は杭州31センチ・上海22センチ

 中国中南部の寒波・大雪は今日(2月2日)も続いています。新華社の報道によると、2月2日14時時点で浙江省杭州市で積雪が31センチ、上海では2月2日19時までに雪はやんだものの、ところによっては積雪が22センチ以上に上るところもあるとのことです。緯度で言えば、上海は鹿児島市、杭州は種子島くらいに当たりますから、この積雪量は尋常ではありません。杭州市では1978年に改革開放が始まってから最大の大雪なのだそうです。

 2月1日時点で中国政府が発表したところによると、1月10日以来の寒波と着雪・着氷(注)による被害は、死者60名、行方不明2名、緊急非難を必要とした人175.9万人(うち鉄道や道路の不通により滞留を余儀なくされた人々66.7万人を含む)、被害を被った農地1.41億ムー(940万ヘクタール:日本で言えば北海道と青森県を合わせた面積より広い)、倒壊した家屋22万3,000軒、損壊した家屋86万2,000軒、経済的損失は537.9億元(約8,000億円)に上る、とのことです。電力網の寸断と燃料となる石炭の輸送ができないため、各地で停電が相次いでいます。2月2日付けの「新京報」によると、湖南省のチェンチョウ(●州)市(Chenzhou:●は「林」へんにおおざと)では、停電と断水が8日間続いているとのことです。中国政府は、経済への影響は短期的なもので、全体的な中国経済の状況には影響は与えない、との認識を示していますが、相当な被害であることは間違いありません。

 中国中央電視台第1チャンネルでは、2月2日、午前、通常の番組を中止して、寒波・雪害報道の特別報道番組を放送しました。これはかなり異例のことです。胡錦濤国家主席は人民解放軍と武装警察に対して全力で災害地区を支援するよう命令を発し、これまでに25万人以上が災害救援活動に動員された、とのことです。また、商務部は春節(2月7日)までに国家備蓄している冷凍肉を1.8万トン放出する方針、とのことです。

 日本では、毒物入り冷凍ギョーザ事件の方ばかりクローズアップされて報道されているので(もちろんこちらも重大な事件ですが)、中国中南部の寒波・大雪の方にももっと注意を向けるべきだと思ったので、最新情報を書かせていただきました。

(注)着氷現象について:

 日本は海洋性気候で、陸地と海との温度差により対流が起きやすいので、上層の大気と地表面近くの大気が混じりやすいので発生しにくいのですが、大陸性気候の地域では、時として大規模な着氷現象が起きます。地表面が零度または氷点下、上層大気が零度以上で、風が弱いときに降水現象が起きると、上層大気の部分で雨になったものが零度または氷点下の地表近くに落ちてきて、樹木や電線にぶつかってそこで氷になる現象が起きます。電線や細い木の枝の場合、電線の上に一定以上の量の氷が付くと、重さで氷がくるりと下側に回転し、また電線や木の枝の上に氷が付着していきます。こうして電線や木の枝の周りに「ちくわ」のように氷が蓄積します。電線の場合は、着氷対策をしていないと、こういった着氷現象が起きやすいので、場合によっては直径10センチ程度の「ちくわ」状の氷が付着します。電線の場合は、その氷の重みで電線自体が切れたり、電線を支える鉄塔を引き倒したりします。樹木の場合は、その重みで折れ、道路上にかぶさって交通を妨害したりします。

(参考1)「新華社」2008年2月1日17:32アップ
「レンズを通して見た氷りに覆われた鉄塔に取り組む電力労働者」(組写真)
http://news.xinhuanet.com/photo/2008-02/01/content_7545643_2.htm

(参考2)「新華社」2008年1月29日11:02アップ
「氷に覆われた鉄塔、重さで倒壊 電力労働者3名が殉職」
http://news.xinhuanet.com/photo/2008-01/29/content_7516115.htm
※この鉄塔倒壊事故では、作業中の作業員3名が亡くなっています。

(参考3)「新華社」2008年1月29日11:06アップ
「南京で雪の重みで倒れた松の木」
http://news.xinhuanet.com/photo/2008-01/29/content_7516146.htm

 こういった大規模な着氷現象は、日本ではごくたまにしか起きませんが、大陸性気候のアメリカなどでも時々発生しています。今回の中国中南部の場合は、普段は雪が降ったり着氷現象が起きたりしない地域であるだけに、ほとんど着氷対策がなされていない状態だったのが被害を大きくしているようです。

| | コメント (0)

2008年1月31日 (木)

毒物入り冷凍ギョーザ事件

 昨日(1月30日)以来報道されている中国製冷凍餃子から農薬や殺虫剤に使われるメタミドホスという有毒物質が検出され、これを食べた10人が中毒症状を訴えた事件については、日本のメディアでは、詳しく報道されているので、皆様よく御存じのことと思います。

 各種の報道によると、この事件の時系列は以下のとおりです。

1月30日(水)
日本時間16時頃(北京時間15時頃):千葉県警が被害について発表
北京時間夕方:(新華社電によれば)在北京大使館から中国国家品質検査総局に対して事件について通報。日本からの通報を受けて、国家品質検査総局が河北省の天洋食品加工工場の調査を実施。

1月31日(木)
北京時間午前3時頃(日本時間午前4時頃):国家品質検査総局が、問題となった2007年10月1日と10月20日に製造された餃子についての検査記録を確認したところ、ショウガ、白菜に対して原料への残留農薬検査が行われていたが、メタミドホスは検出されておらず、検査には合格していたことが確認された。また、工場に残されていた餃子のサンプル及び現在使われている原材料を検査したところ、メタミドホスは検出されず、工場の加工記録にも問題となるような部分は見つからなかった。

(1月31日(木)お昼頃までの時点で、の中国のテレビや新聞では、ごく一部の新聞で日本における報道を引用する形で事実を伝える記事が載った以外、本件に関するニュースは流されませんでした)

午後:中国国家品質検査総局が記者会見し、天洋食品加工工場から出荷された製品の回収を行っていることと、上記のこれまでの検査の状況を説明

北京時間16:58(日本時間17:58)これに関して新華社通信が自国内発の情報としては、本件について(おそらく)初めて報道

(参考)「新華社」ホームページ2008年1月31日16:58アップ記事
「中国国家品質検査総局、日本の食物中毒事件に対して、既に調査を開始」
http://news.xinhuanet.com/fortune/2008-01/31/content_7535106.htm

※新華社のニュースの見出しが「日本の食物中毒事件に対して・・・」となっているのは、中国国内に対するインパクトをできるだけやわらげたいという意図が見え隠れしています。

北京時間22:00(日本時間23:00):中国中央電視台第一チャンネルの「晩間新聞」(夜のニュース)で、上記の国家品質検査総局の記者会見の模様を報道(おそらく中国国内のテレビが本件について報道するのはこれが初めて)

 31日夕方までは中国におけるメディアでは本件についての報道はありませんでしたが、日本政府からの情報提供を受けて、国家品質検査総局が直ちに動き出し、30日深夜から31日未明に掛けて調査を行い、その日の午後に記者会見を行う、という中国政府のスピードは、中国の対応としては極めて異例のものです。中国は、現在、南半分で寒波と大雪・氷雨による電力網の寸断、交通網のマヒ、燃料の石炭が運べないことと送電線が切れていることによる大規模な停電の発生しているなど、国として緊急事態と言ってもいい状況にあります(胡錦濤主席、温家宝総理をはじめ幹部が現地へ行って陣頭指揮を取らなければならない状況)。そういった状況の中での今回の農薬入り冷凍ギョウザ事件への対応は極めて異例です。食品の安全に関する問題が、寒波・雪害による被害にも劣らないほど重大な問題であることを中国政府自身がよく認識している証拠だと思います。

 これら二つの全く関係のない案件が重なって発生してしまったのはアン・ラッキーでしたが、中国としては、この危機を何としても乗り切らなければならないと思います。食の安全の問題は重要な問題ですが、日本としても、中国製品は何でもかんでもストップさせる、というような極端な対応に走るのではなく、きちんと安全性を確認した上で冷静に対処することが重要だと思います。

| | コメント (0)

2008年1月29日 (火)

中国の中南部で寒波・大雪の被害

 中国の揚子江から南の地域が、ここ数日、歴史的な寒波に襲われ、これらの地方としては非常に珍しい大雪となりました。一部の地方では、湿った雪やみぞれ交じりの雨が降った後に気温が氷点下に下がり、路面が凍結したりして、高圧電線に着氷して、電線を支える鉄塔が崩壊したところもあります。高速道路は、雪のために通行止めになり、多くの鉄道も不通になりました。積雪は多いところでも数十センチのオーダーですので、雪に慣れている地域の人たちにとっては、大したことない雪の量なのでしょうが、滅多に雪の降らない地方での大雪のため、防雪対策がほとんどなされておらず、多くの混乱が起きているようです。地方によっては数十年来とか、中華人民共和国建国以来、とか、場所によっては百年来なかった大雪、と表現しているところもあるようです。

 今年は2月7日が春節(旧正月)なので、中国では、広州や上海など沿岸部に出稼ぎに出てきている労働者(農民工など)の帰省ラッシュが既に始まっています。ただでさえ春節の時期は列車の切符が買えないほどの混雑が続きます。そういった時期に、雪による鉄道の不通が重なったので、広州などでは何十万人のオーダーの人たちが立ち往生する事態になっています。また、送電網が寸断された上に、鉄道による石炭輸送がままならないので、発電容量が足りなくなり、停電になっている地区もあるようです。生鮮食料品の輸送にも支障が出てきているところもあるようです。

 最近は、中国は、鉄道も複線・電化され、高速道路網も相当に発達してきていますが、これらの交通網が高度に発達した中国経済を支えているだけに、今回の寒波・大雪がそういった経済活動の動脈に打撃を与えたため、従来にもない大きさの経済的・社会的影響が出ているようです。ただ、例によって、中国のテレビのニュースでは、あまり大雪被害の状況の映像を流さないので、相当にひどい被害らしい、と想像されるのですが、実際にどの程度の被害なのか、北京にいても、今ひとつイメージが湧きません。

 党中央もこの事態を重視し、昨日(1月28日)夜、温家宝総理自らが急きょ特別機で北京から湖南省に飛び、現地の状況を把握するとともに、災害対策の現場で陣頭指揮に当たっています。今日(1月29日)には、胡錦濤国家主席が緊急の会議を開いて、関係機関に全力で大雪・寒波からの復旧作業に当たるように指示を出しました。

 私のいる北京は、寒いけれども雪は降らない、といういつもと同じ冬の日々が続いており、中南部の自然災害の影響は全く感じられませんが、揚子江より南の地域では、まだ数日は寒波や雪が続くようです。だんだん春節も近づいてきますので、寒波が収まり、交通や電力網が復旧し、多くの人がふるさとで旧正月を迎えられるように祈りたいと思います。

| | コメント (0)

2008年1月28日 (月)

中国における最近の住民運動の例

 先日、このブログで、上海の磁気浮上式リニアモーターカー路線の延長に反対する住民運動の話を書きました。

(参考1)このブログの2008年1月16日付け記事
「上海のリニア延長反対の住民が『集団散歩』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_cd3c.html

 このほかにも、最近、中国における住民運動について報道されるケースが多いので、いくつかを御紹介しておきます。

--------------------

○アモイPXプロジェクト事件

 福建省アモイ(廈門)市内で台湾系企業がPX(パラキシレン:各種化学材料の原料となる有毒物質)を製造する工場の建設の計画(総工費108億人民元(約1,620億円))を立てた。2004年2月に国家発展改革委員会の許可を得てプロジェクトがスタートし、2005年7日に国家環境保護総局から環境影響評価の許可も得て、2006年8月から建設予定地の既存の建物の取り壊し作業などの工事が開始された。一方、取り扱う化学物質に対する周辺住民の不安は強く、2007年5月、周辺住民による反対が強まり、大規模なデモも行われた。ネット上でも建設に反対する議論がわき起こった。このため2007年6月7日、アモイ市当局は、建設を一時的に停止し、善後策を検討することとなった。

 アモイ市当局は、2007年12月、対応案を作成しパブリック・コメントに掛けるとともに、数日間にわたる公聴会を開催した。しかし、公聴会で出された意見の大部分は建設に反対する意見だった。

 一部報道によると、福建省政府とアモイ市政府は、これらの住民の意向を受け、化学工場の建設予定地を別の場所(ショウ州市(ショウはさんずいに「章」))に移す意向であるとのことである。

(注)PX(パラキシレン)はポリエステル繊維・樹脂の原料等となる基礎的な化学物質で、日本国内でも多くの工場で生産されている。

(参考2)財経ネット2007年6月24日付けアップ記事
「アモイPX環境評価が示すもの」
http://www.caijing.com.cn/newcn/econout/other/2007-06-24/23042.shtml

○乳山紅石頂原子力発電所計画に対する反対運動

 現在、乳山紅石頂核能有限公司という会社が山東省乳山市で原子力発電所(電気出力100万キロワットの加圧水型原子炉6基)の建設計画を進めている。このプロジェクトは、国家発展改革委員会が2007年10月にとりまとめた「原子力発電中長期発展計画(2005~2020年)」にはリストアップされているが国家環境保護総局に提出する安全審査については準備中の段階である。

 この計画について、原子炉と住民が住んでいる場所との離隔距離が近すぎる等としてインターネットの掲示板上で反対する動きが起こった。こういった動きに対して、2007年12月6日、国家環境保護総局は、「乳山原子力発電所については、まだ安全許可申請が出されていない段階である。申請が出されたら法令に基づき安全審査を行う」旨の異例の「説明」を発表した。

(参考3)「新京報」2007年12月7日付け記事
「環境保護総局:乳山原子力発電プロジェクトはまだ許可されていない」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2007/12-07/014@085224.htm

 なお、「原子力発電中長期発展計画(2005~2020年)」では、掲載されている13か所の原子力発電所の新・増設計画のうち、この乳山紅石頂原子力発電所についてだけは備考欄に「サイトについてさらに検討を行う必要がある」と記されている。

○北京市望京地区における変電所建設反対運動

 北京市当局は、北京市北東部にある望京地区(新しくマンション等が建ち始めている地区)で変電所の建設を計画している。一部の周辺住民は、高圧電線による電磁気の健康影響を心配して変電所の建設に反対している。市当局は説明会を開くなど、説得に当たっているが、住民らは納得せず、2007年12月30日には一部住民が集団で横断幕を掲げて反対の意思を表示し、公安当局に解散させられた。2008年1月22日夜には、一部住民が第四環状路に車を止めて交通を妨害する行為に出たことから、公安当局はこれに参画した住民20数名から事情聴取を行った。

(参考4)「新京報」2008年1月24日付け記事
「変電所に抗議する家主、第四環状路を封鎖する」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2008/01-24/011@095745.htm

-------------------

 これらの住民運動で特徴的に見られるのは、上記(参考4)に見られるように、運動の中心になっているのは古くからその地域に住んでいる住民ではなく、「家主」、即ちマンション等を購入してそこに新たに住み始めた住民であることです(北京市望京地区は、北京市内でもかなりの郊外の地区で、近年新しくマンション等が建ち並ぶようになった新興住宅街です)。大金を支払ってマンションを買ったところ、その周辺に「迷惑施設」が建設する話が後で持ち上がったため、「家主」が反対を始めた、という図式です。乳山原子力発電所の場合も、反対の中心になっているのは、昔からその地域に住んでいる農民・漁民というよりは、最近、付近の海岸地帯に別荘を買った大学教授や弁護士等の「富裕階層」のようです。そもそもマンションや別荘を購入するほどのお金を支払える人たちは、中国の中でも豊かな人たちなので、これらの住民運動を「大衆運動」と捉えることが正しいのかどうかは議論の余地があるところだと思われます。

 従来の中国における大衆運動と異なる点として、これらの住民運動を特徴づける点は以下の点です。

○住民運動の主体が大学教授や弁護士等、むしろ現在の体制に基づく経済発展の「受益者」と言える人々であって、「社会的に虐げられた人々」「現在の体制に反対する人々」ではないこと。

○明確な権利意識に基づき、ハッキリと自分の意図を表明しようとしていること。

○住民運動の主体が知識階層であり、法律知識などもあることから、中国で法的に許される範囲内で何ができるかを考えつつ、かつ、社会的注目を集められるような手法を用いて自らの意志を表明しようとしていること。

○携帯メールやインターネット等を用いて情報交換を行い運動を進めていること。

○これらの住民運動が中国国内の新聞メディアで客観的に報道されていること。

○当局もこれらの住民運動を強圧的に抑え込もうとせず、住民たちとの「話し合い路線」を取っていること。

 これらの諸点において、これらの住民運動は、最近の中国の社会の変革を象徴する動きだと私は思います。今後、これらと同様の住民運動はいろいろな場面で起こされると思います。これらの個々の人々の権利と公共の利益との調整は、極めて難しい政治的課題で、議会制民主主義制度があればうまく解決できる、などという単純な性質のものでもありません。また、これらの住民運動が、幅広い一般大衆の賛同を得ていくのか、「金持ち階層の地域エゴ」として一般大衆からはソッポを向かれることになるのか、はよくわかりません。ただ、少なくとも、このような住民運動に対して行政当局がいかに対応していくのか、という経験を通じて、中国の社会が少しづつ前進をしていくきっかけになるのは間違いないと思います。

| | コメント (0)

2008年1月27日 (日)

「嫦娥1号」一色のテレビ

 私が、

http://folomy.jp/heart/

の「テレビフォーラム」に2007年10月28日にアップした文章をこちらのココログにも掲載します。

 folomyは、かつての@ニフティのフォーラムを運営していた人たちが集まって運営しているサイトで、メールアドレスを持っている方ならば誰でも無料で登録できます。私がfolomyに書いたものの再アップは、折りを見て時間のあるときに行います。従って、例えばfolomyに掲げた文章のアップは1か月以上遅れると思います。最新の文章を御覧になりたい方は、ぜひ、御自分で上記のアドレスからfolomyに登録して、御覧いただくよう御願いします。

---------------------
アップ場所: http://folomy.jp/heart/

「テレビフォーラム(ftv)」-「喫茶室『エフ』」-「北京の白い空の下で」

記載日時:2007年10月28日

【「嫦娥1号」一色のテレビ】

 中国のテレビでは、先週まで「中国共産党第17回全国代表大会勝利開催!」一色でしたが、今週は中国初の月探査機「嫦娥(日本語読みでは「ジョウガ」)1号」の話一色、という感じでした。共産党大会が終わって、新しい指導者(中国共産党政治局常務委員など)が決まったのが10月22日(月)、「嫦娥1号」の打ち上げが10月24日(水)だったので、コロッとニュースの主人公が交代したイメージがありました。

 月探査機は、月と太陽と地球の位置関係によって打ち上げに最適なタイミングが決まります(例えば、撮影したい月の区域の上空に探査機が差し掛かった時、一番いい写真を撮るためには太陽がどの位置にあればいいか、などが重要な要素になるからです)。従って、共産党大会終了直後に打ち上げたのは偶然の一致、ということなのですが、中国の場合、「ほんとに『偶然の一致なのかなぁ』という疑問は常に付いて回ります。

 今回の「嫦娥1号」の打ち上げは、中央電視台が全国放送で生中継しました。生中継を見て「二十秒、十秒、・・三、二、一、点火!」というアナウンスを聞いていると、中国語では「秒」は「miao」、「点火!」は「dianhuo!」と発音することがイヤでも頭にこびりつきます。点火がコンピューター制御による自動シーケンスではなく、「点火!」の号令とともに担当者が赤い点火ボタンを押す、というところがいかにも中国的でした。

 今回の打ち上げに際しては、日本をはじめ外国の関係者も打ち上げサイトに招待されたり、一般市民に打ち上げを公開するなど、「公開性」を前面に打ち出したものになりました。中国のロケット打ち上げ場は内陸部にあるので、ロケット打ち上げ後の第1弾ロケットの残骸は、国内の内陸部に落下するのですが、通常はあまり報道されないロケット残骸が落下した地区の様子も新聞で報道されたりしました。ロケットの部品の一部が農家1件を壊したそうですが、住民は事前に避難していたので、けが人は出なかったそうです。ただし、ロケットの残骸落下の話は、あまり「楽しい話」でないので、非政府系の新聞には載っていますが、テレビでは報道されていないようです(テレビは全て「政府系」なので)。

 ともあれ、中国が宇宙の科学探査に関して、公開性を進め、外国と協力していくことはよいことだと思います。今回の「嫦娥1号」の打ち上げに関する中国のネットワーク上の掲示板を見ていると、「中国の宇宙開発は世界からちょっと孤立している感じがする。もっと国際的に協力して進めたらどうか。」といった意見をアップしている人もいました。今、中国では、いろいろな意見を言う人々の声をだんだん無視できなくなりつつあります。こういう人々の「自然な声」を受け入れて、中国も徐々に世界の国々と同じ土俵、同じルールで話をするようになって欲しいなぁ、と思います。

(参考1)このブログの2007年9月30日付け記事
「月探査ロケット打ち上げ見学費用が1000元?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/09/1000_359e.html

(参考2)このブログの2007年10月25日付け記事
「中国の月探査機『嫦娥1号』の打ち上げ」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/10/post_0b23.html

(参考3)このブログの2007年10月27日付け記事
「『嫦娥1号』打ち上げロケットの残骸の行方」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/10/post_b91e_1.html

(2007年10月28日、北京にて記す)

| | コメント (0)

2008年1月16日 (水)

上海のリニア延長反対の住民が「集団散歩」

 日本でも報道されているので御存じの方も多いと思いますが、1月12日(土)と13日(日)、上海で、現在営業運転中の磁気浮上式リニアモーターカーの路線延長について、沿線への電磁気的影響を心配する延長路線周辺の住民が上海市内で集団で歩いた、とのことです。外国の通信社はこれを「デモ」と言っていますが、中国国内で報道されたところによると、参加した人たちは自分たちの行為を「散歩」だ、と言っているとのことです(日本語で言う散歩は中国語でも「散歩」)。

(参考1)「新京報」2008年1月14日付け記事
「上海の磁気浮上リニアモーターカー延長計画、論議を引き起こす」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/01-14/018@082613.htm

※上の記事を見ていただければ「散歩」の文字があることがわかると思います。

 上海の磁気浮上式リニアモーターカーは、ドイツの技術を基にして建設されました。レールを抱え込むように設置された車体に取り付けられた普通の電磁石(常電導電磁石)の吸引力で浮上し、路面に設置された金属版と車体下部に付けられた電磁石との間に働く電磁気力で動く仕組みです。形式的には2005年の愛知万博に合わせて開業した現在愛知高速交通鉄道東部丘陵線(路線延長約9km。愛称「リニモ」)と同じタイプのものです。上海の磁気浮上式リニアモーターカーは、上海浦東国際空港と市街地に近い地下鉄のターミナルを結ぶ約30kmの路線で、2003年に一般乗客を乗せた運転が開始されました。まだ比較的短い路線ですが、最高時速430kmまで出す営業路線として話題になっています。2010年に開かれる上海万博をきっかけにして、西に延長され、隣の浙江省の杭州市まで延ばされる予定になっています。

 この延長計画に対し、上海市内の延長される路線計画周辺の一部の住民は、電磁気による健康影響が心配だ、などとして、延長計画に反対しています。ドイツなどでは沿線の周囲に幅広くグリーンベルトなどを設けているのに対し、延長計画では住宅のすぐ近く(最も近いところで22.5m)を路線が通過する計画になっているのが問題だ、と住民たちは主張しているようです。私は、磁気浮上式リニアモーターカーの沿線への電磁波による影響がどの程度あるのか必ずしも詳しくありませんが、乗っている人やホームで待っている人に対して安全上問題ないように設計できるのであれば、沿線に対して安全上問題が出ないように設計することはそれほど難しくないのではないか、と想像しています。

 今回の住民の人たちの行動で注目されるのは、彼ら自身は自分たちの行動を「デモ」だとは言っていない、ということです。中国では、デモを行うには、事前に場所や人数、スローガンなどを当局に届けて許可を受ける必要があります。許可を受けないで行うデモは「違法デモ」となります。また、許可を受けないままインターネット等で集会の呼びかけを行うことは、その呼びかけ自体が違法となります。

(参考2)このブログの2007年8月24日付け記事
「ネットで集会を呼びかけた大学院生が拘束」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_2a32.html

 今回の上海リニア反対については、共同電やロイター電が配信した写真を見る限り、参加者はプラカードや横断幕、ゼッケンなどデモに「つきもの」の意見を表明する小道具を持っていません。見た目には単に「人が集まっただけ」というふうに見えます。プラカードや横断幕、ゼッケンなどを用意しているわけではなく、何かの意見を集団で訴えるために集まったのではないから、集会でもデモでもないのだ、と主張したいのだと思います。

 それでも、外国の通信社の報道によれば、何人かが公安当局に拘束された、とされていますので、こういった行為もやはり「違法」なのかもしれません。NHKの番組「激流中国」の中でも紹介されていましたが、最近の中国では土地収容に反対する住民の側に立って活動する弁護士も多くなっており、今回も住民たちがそういった弁護士から法律に触れないようにしながら意思表示する方法について何らかのアドバイスを受けている可能性があります。

 集会の呼びかけにしても一人の人が呼びかければ、上記(参考2)に掲げる例のように「違法」とされますが、携帯やパソコンのチェーンメールのようなものを使えば特定の人が「呼びかけた」ことにならないので、当局が誰かを「違法だ」という形で拘束することは難しいのではないかと思います。つい先日、このブログにも書いたように、携帯メールやインターネット上での「世論」を当局が完全にコントロールすることは不可能です。

(参考3)このブログの2008年1月13日付け記事
「ネット世論にいかに対応するか」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_7b9f.html

 ひとむかし前なら、こういった「デモ」まがいの住民の行動については、当局のコントロールによって新聞に載ることはなかったと思います。しかし、今はこの手の情報は新聞に載らなくてもネットでどんどん広がってしまうので、当局としても新聞に載せるのを止めさせることができないのです。強権的に新聞が記事にするのを禁止するようなことをしたら、その当局による報道の禁止という行為自体に対して当局を強く批判するネット世論が盛り上がってしまうからです。

 こういったネットでの人々の情報交換、法律に触れないようにしながら行う様々な形での意思表示が今後中国全体にどのような影響を与えていくのか注目していく必要があると思います。特に最近の中国の「住民運動」について過去の大衆運動とちょっと違うと感じるのは、例えば、ネットで情報交換し、住んでいるところからの立ち退きに反対している人たちは、貧しい何の資産を持たない人々ではなく、住む家や商売するための店を持ち、日常的にネットワークにアクセスするお金があり、法律に対してある程度の知識を持つなど一定の教育レベルにある人たちだ、ということです。特に都市部では、過去の分類の仕方で言えばこれら「無産階級(プロレタリアート)とは呼べない人たち」がどんどん増えており、その数が既に「大衆」と呼んでもおかしくない程の大きな数になっていることが現在の中国の特徴的な現象だと思います。

 その意味でも、私は、これからの中国では、中国自身にとってはもちろん、世界のほかの国のどこも過去に経験したことのないことが起こるような気がしています。
 

| | コメント (0)

2008年1月14日 (月)

ついに出た「土地私有制」の提案

 今日(2008年1月14日)付けの経済専門週刊紙「経済観察報」(1月12日発売)の「中国」(Nation)という特集欄に農村の土地制度改革の必要性を訴える学者のインタビュー記事が載っていました。

※「経済観察報」のこの記事はインターネット上で無料で読むことはできません。

 この学者とは、清華大学教授の蔡継明氏です。蔡継明教授は、中国の民主政党(中国共産党に協力的立場に立っている合法的な政党)のひとつ「中国民主促進会」(略して「民進」)の中央経済委員会主任で、中国人民全国政治協商会議(注)の委員です。

(注)中国人民全国政治協商会議は、各界・各層の有力者が集まっている会議で、その全体会議は、いつも全国人民代表大会(全人代:日本の国会に当たる)と同時期(通常毎月3月)に並行して開催されます。法律を議決する権限はありませんが、全人代と同じ議題で議論を行い、様々な建議や提案を行います(元々は、革命初期に中国共産党以外の国内有力者の意見を集約するために設立された会議)。

 このインタビュー記事の中で指摘している蔡継明教授の主張のポイントは以下のとおりです(上のタイトルで「ついに」と書きましたが、蔡継明教授の主張は真新しいものではなく、2003年頃からこのような方向性の主張はしていたそうです)。

-----「インタビュー記事のポイント」始まり------

○現在、政府は土地の乱開発による食糧生産用耕地の減少を防ぐため「小産権」(村などの集団所有の土地の上に建てられた住宅)を都市住民が購入することを禁止する政策を徹底させようとしているが、「小産権」の面積は全国の土地の違法開発の面積に比べたら極めて小さい。違法な土地占拠の8割は地方政府によるものであり、「小産権」の都市住民への売却を禁止したとしても、耕地減少問題の解決にはならない。

(参考1)このブログの2007年7月13日付け記事
「中国の地方政府による無秩序な土地開発」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_1c55.html

○最も重要なポイントは、地方政府が農民から土地を収用する際の土地の評価が30年来続いている「過去3年間のその土地で生産された農産物の価格」に基づいていることである。大まかにいって、この評価方法では、実際の経済活動に基づいて評価される土地の価格の10分の1にしか評価されない。つまり、農民に補償金を払ってこの土地を収用し、開発して商業ベースで販売すると、土地価格の10分の1しか農民に渡らず、残りの9割は地方政府や土地開発業者の懐に入ることになる。これが地方政府が土地の乱開発を止めない主要な原因であり、またこれが政治的腐敗の最も大きな原因になっている。

○ここ10年来の中国の経済成長は、このようにして非常に安く開発された土地が多くの投資を呼び込むことによってもたらされてきたものである。

○農民が実際に耕作している農地、実際に住んでいる住宅の宅地については、その農民の「私有地」として認め、土地の売買を市場原理に任せることが、最もよい解決策である。土地の私有制を認めることにより、農民が土地を手放す時には、市場価格に見合った支払いを受けられることになるし、土地に市場価格に見合ったそれなりに高価な価格が付けば、開発業者もおいそれと購入して開発を進めるわけにはいかないので、自ずと土地の開発競争にもブレーキが掛かる。

・・・・・・(「このブログの筆者による注」)・・・・・・

 現在の中国において、農村による土地の所有形態が国有または「集団所有」であり、土地の私有が認められていないのは、中国の共産主義革命の経緯によるものである。解放前の中国では、大地主が土地を所有し、小作農に土地を貸し付けて耕作させて高額な小作料を徴収することによって、多くの小作農は貧困に喘(あえ)いでいた。中国共産党の指導に基づく革命により大地主の土地は取り上げられた。取り上げられた土地の所有権は結果的には農民に分配されたわけではなく、革命の各段階において「農業生産合作社」から「人民公社」へ変わっていった社会主義的な「集団」が保持することになった。最終的な「人民公社」の段階では、土地と農具などの生産手段、農民の住む住宅までもが「人民公社」の所有とされ、農民はその「人民公社」の「社員」として生産に従事することになった。「人民公社」では、「社員」が耕すのは自分の土地ではなく「公の土地」であり、個々の農民の創意工夫や努力が自分の収入の向上に結びつかないので、この「人民公社」の制度は、農民の生産意欲の減退による農業生産の停滞をもたらした。

 1978年暮れにトウ小平氏によって始められた「改革開放政策」の過程で、1982年頃、「人民公社」は解体された。農地は所有権は村という「集団」が引き続き所有していたが、実際には農民に「耕作を請け負わせる」という形で任されるようになった。農民は自分の創意工夫に応じて自分の「請け負った」耕地で農作ができるようになったので、農民の生産意欲は向上し、中国の農業生産力は向上した。農民の住宅用土地も、村という「集団」の所有ながら、その管理は各農民に任され、住宅の改築なども農民が自分の判断で行えるようになった。

 これが現在の農村の形態である。現在は各農民は、自分の担当する土地では自分の判断で自由に農作をやっているが、土地の「所有権」に関しては、上記の歴史的経緯から今でも「集団所有」のままなのである。現在の中国の法律の解釈では、農民は村から「土地の使用権」を与えられて耕作している、ということになるので、もし村が農民から土地を収用する場合には、その「土地使用権」に対する補償金を支払う必要がある、ということになる。

・・・・・・(「このブログの筆者による注」終わり)・・・・

○現在、農民一人当たりの耕地面積は7.5ムー(約0.5ヘクタール)だが、これでは面積が小さすぎて効率的な農業生産ができない。効率的な農業生産をするには農民一人当たり15ムー(約1ヘクタール)程度あった方がよい。市場原理に基づいて農業生産効率の悪い農民が生産効率のよい農民に土地を売ることにより農民一人当たりの耕地面積が15ムーになれば、農業生産は全体的に効率化する。一方これにより7億人の農民の約半分(3.5億人)の農民が土地を手放すことになるが、彼らは、都市へ出て行って都市で就職し、都市に住むことになる。現在、土地が集団所有制であり、農民は戸籍によって土地と結びつけられているため、経済的にはそれに近い現象が起きているにもかかわらず、制度的に農民は都市に定住できないことになっている。これが現在の農民の都市への出稼ぎ問題、いわゆる「農民工」問題である。土地の私有制は、現在の実際の経済状況に従って農民を土地から切り離し、都市への人口の移動をスムーズに進める助けになる。

○土地の私有制は「土地の集団所有制」という大原則を崩壊させる、と主張する人がいるが、現在の中国が進めている「中国の特色のある社会主義」は、既にその方向に歩み出しており、実質的には「土地の集団所有制」は変質しつつあるのだから、「崩壊する」という言い方はおかしい。

○いわゆる「小産権」のうち、農村の宅地の上に建てられた宅地については、「合理的であるが『不合法』な物件」であり、合法とみなすべきである(このブログの筆者注:「不合法」とは、現在の法律には適合していない、という意味。合理的であるので、蔡教授は敢えて「違法」とか「非合法」とかいう言葉を使っていない)。

○こういった農村の土地制度改革については、今年3月の全国人民代表大会及び政治協商会議の全体会議に議題として提案したいと私は考えている。

○なお、将来的な課題としては、さらに一歩進めて、現在、全て国有となっている都市部の土地の所有権についても、公共目的に使用されている土地については国有のまま残し、そうでない土地については私有とするようにできるのではないかと考えている。

-----「インタビュー記事のポイント」終わり------

 この蔡継明教授の提案は、現在中国が抱える問題の非常に重要なポイントを的確についたもので、非常に合理的なものであると私は思います。ただ、蔡教授自身も言っていますが、「土地の私有制」を認める、ということは、いわば社会主義の大原則を崩す、とも受け取れる部分ですので、もしこれが全人大及び政治協商会議で提案されても、かなりの議論を呼ぶことは間違いないと思います。まず現在の政治状況の中では、実際に「提案する」というところまで持っていけるのかどうか、かなり難しいものがあると私は思います。また、仮に提案できたとしても、相当激しい議論が起こることは必至で、結論が出るとしても相当に長い時間が必要になると思います。

 この提案は、政治的な意味も大きなことはもちろん、経済的にも大きなインパクトを与える可能性があります。これも蔡教授が指摘しているように、ここ10年間の中国の急激な経済成長は、地方政府が安く土地を開発し、それに吸引されて外国から多くの投資が流れ込んで来たことによってもたらされてきたものですので、「土地の私有制の導入」により、ここ10年間の中国経済の急激な成長をもたらた根本的な構造が変わる可能性があるからです。

 もうひとつの大きなポイントは、12月30日に国務院が「『小産権』の都市住民による購入は厳禁する」という通知を改めて出したことに対し、その国務院の政策に真っ向から反対する提案が新聞紙上に掲載され、それが次期の全人大に提案されるかもしれない、という点です。中国では、国務院も全人代も中国共産党の指導の下にありますので、国務院と全人大の方針が異なる、ということは、これまでは基本的にあり得なかったのです。もしこのような国務院の政策に反対するような提案が本当に全人代に出されるのだとすれば、それは中華人民共和国の政治史の中では画期的なことだと思います。

 一方、この主張が「経済観察報」といういわば都市部の「富裕層」(別の言葉で言えば「新社会階層」)が購入する新聞に掲載されている、というところも重要なポイントです。「富裕層」の中には「小産権」に多額の投資をしている人も多いと思われますので、「小産権」の合法化は、「富裕層」にとっての政治的要求のひとつなのだと思われます。つまり、経済的に大きな力を持つようになった「富裕層」が自分たちの権益を守るため政治的な主張をし始めている、というのが、今回のインタビュー記事に現れていると私は思うのです。「富裕層」(「新社会階層」)の政治的要求をいかにして具体的な政策に盛り込んでいくのか、が、現在の中国の政権にとって重要な課題です。「富裕層」にソッポを向かれたら、現在の中国の経済運営はうまくいかず、従って、政治的な運営も困難になるからです。

(参考2)このブログの2007年6月22日付け記事
「新しい社会階層の台頭」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_6737.html

 2008年に入り、経済的にも政治的にも、少しずつ「何か」が動き始めているのを感じます。
 

| | コメント (0)

2008年1月13日 (日)

ネット世論にいかに対応するか

 中国では最近、地方政府が理不尽な対応をすると、そのことがすぐにインターネットの掲示板にアップされて、ネット上での世論が沸騰する、という事件が毎日のように起きています。「綏徳事件」と呼ばれる事件もその典型例です。

 この事件は、昨年12月25日、陝西省の楡林市綏徳県の綏徳職業中学校(「職業中学校」は日本の商業高校や工業高校に相当する)で起きたものです(中国では「県」は「市」の下にある小さな行政単位)。

 綏徳職業中学校の校長先生が、経済的援助が必要な生徒のために補助金の交付許可を求めて申請書を持って綏徳県の教育局長のところへ行ってサインしてくれるよう頼んだところ、たまたま教育局長は会議のために出かけるところで、その場でのサインをしてくれませんでした。事務処理が間に合わなくなることをおそれた校長先生は、会議のために車に乗り込もうとする教育局長を追いかけてサインするよう迫りました。怒った教育局長は、この校長先生を停職処分にした上に行政拘留処分を科しました。この事件が新聞で報道されると、「就学困難な生徒のためにサインを求めた校長先生に処分を科すとは何事か」「教育局長はけしからん!」という声がネットの掲示板等で沸騰しました。

 この事情を知った綏徳県長は、1月3日になって、校長先生に会って不適切な対応だったと謝罪しました。また、1月4日になって事情を知った楡林市党委員会書記は、すぐに関係者から事情を聞いた上で会議を開き、1月5日早朝、教育局長が下した校長に対する処分を撤回する決定をしました。綏徳県の教育局長と公安局長も校長に対し謝罪し、校長もこの謝罪を受け入れた、とのことです。

(参考1)「新京報」2008年1月6日付け記事
「県長が校長の家に行き謝罪、校長の処分は撤回」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/01-06/018@074920.htm

 この事件については、「人民日報」も敏感に反応し、1月7日付けの記事で、最近相次ぐネットでの世論の盛り上がりが現実的に政府を動かす事態に着目して、ネット世論にいかに対処すべきか、という観点からの記事を掲載しています。

(参考2)「人民日報」2008年1月9日付け記事
「『綏徳事件』が示すものは何か(文化観察・いかにしてネット世論に相対するか(1))」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-01/09/content_37759261.htm

 この「人民日報」の記事では「最近ネット世論が沸き上がった事件」として以下の事件を列記しています。

○重慶の「釘子戸」事件:
 重慶市で立ち退きを拒否して周りの土地をパワーショベルで掘り下げられながら1戸だけ最後まで住民が家に居残った事件。「釘子戸」とは、土地の立ち退きに際して、1本だけ突き刺さったクギのようにガンとして動かない家のことを指す。「釘子戸」は2007年の中国での「流行語」となった。この事件は、日本でもかなり報道された。

○アモイPX事件:
 福建省廈門(アモイ)市が化学工場の建設計画を立てたところ、携帯メールのやりとりやネットの掲示板上で反対論が噴出した事件。廈門市当局は、その後、公聴会を開催したが、この公聴会でも反対論が続出し、結局は化学工場の計画は別の場所に変更になった。世論が市政府の作った計画を変えさせた例として中国全土で注目された。

○山西省悪徳レンガ工場事件:
 山西省で他の土地から誘拐してきた人々を奴隷のように働かせていたレンガ工場の存在が明るみに出た事件。最初、地方テレビ局が取材し、ネット世論がこれを支援した。こどもも含む1000人以上の人が奴隷労働させられていた、として中国全土に衝撃を与えた。

(参考3)このブログの2007年6月15日付け記事
「山西省の悪徳レンガ工場での強制労働事件」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_54d1.html

○陝西省「華南虎」事件:
 「華南トラ」は既に野生の状態では絶滅したと考えられている虎。陝西省安康市鎮坪県文採村の村民が撮影した「華南トラ」の写真を陝西省林業庁が「本物である」と発表した事件。ネット上で「この写真はニセモノだ」「いや本物だ」と論争が起きた。

 中国のインターネット掲示板には、必ず「管理人」がおり、「違法な」発言は削除するなどの管理をしています。「違法な発言」とは、ポルノ関連のものや犯罪を煽るような発言などのほか、中国では国の分裂を煽るような発言や中国共産党の指導を否定するような発言は「違法なもの」として削除対象となります。しかし、上記に列記された事件や今回の「綏徳事件」のような事件に関する発言は「違法な発言」とは言えませんので、ネットでの発言は削除されません。従って、こういった「違法でない発言」で議論ができる案件については、ネット上の掲示板が異様な盛り上がりを見せることがあります。最近は「地方政府の横暴」という観点で、この手の「異様な盛り上がり」がしょっちゅう起こるようになっていますが、党中央は、一種の「世論による地方政府に対する監視」として、これを肯定する態度をとっていますので、こういった事件が起こるとあっという間にネット上での議論が「沸騰」するのです。

(注)中国のインターネット掲示板では、ネット発言者は、常に「何が『違法な発言』とみなされるのか」を注意深く観察しながら発言しており、誰かの発言が削除されないで掲載されているのを見て、「この問題に関する発言は『違法な発言』とはみなされないのだ」とわかると、日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのようにその問題に発言が集中する、という現象が起きるようです。

 今までは、地元の新聞に載らなければ(別の言い方をすると、地方政府が地元新聞をコントロールすることができていれば)地方で事件が起きても、それは他の人に伝わることはありませんでした。しかし、今はネットワークが発達しており、カメラ付き携帯電話が億の単位で普及していますので、地方で起きた事件については、被害にあった人が北京や広州などの新聞社に写真を持って駆け込めば、大都市で新聞に掲載される可能性があります。一度都市部で新聞に載れば、その情報がネット上を駆け巡りますので、事件が起きた地元でも多くの人が知るところとなるので、地方政府も隠し通すことができにくくなっているのです。

 地方政府の担当者は、党中央がネット世論による「地方政府を監視する役割」を肯定している以上、ネット上での「議論沸騰」に対する対処を誤ると自分のクビが危なくなるので、今回の楡林市綏徳県の例のように、地方政府幹部は迅速に対応するのです。

 上記の「人民日報」の記事によれば、中国のインターネット利用者数は、2007年6月時点で1億6200万人に達しているとのことです。ネット上の掲示板は無数にありますので、それぞれ管理人がいるとは言え、その全てを完璧に管理するのは、ほとんど不可能です(携帯メールは、基本的に私的な通信ですので、当局は実質的にはほとんど管理できていないようです)。インターネットや携帯メールで多くの人々が連絡を取り合って行動を起こすことは当局が最も警戒していることです。地方政府の幹部は「自分のクビが飛ばないように」とネット世論を気にしているのですが、実は党中央もネット世論の動向に対しては、かなりの神経を使って注視しているのではないかと思います。その現れが上記の「人民日報」の記事だと思います。

 中国のインターネット上の掲示板を見ていると、時々アニメーションのかわいらしい男女の「ネット警察官」がヒョコヒョコ出てきて、「ネット警察です。皆さん法律を守りましょう。」などと言いながら敬礼の挨拶をして消えていったりします。実際に掲示板の発言をこの「ネット警察」がチェックしているのかどうかは知りませんが、発言する側に対して「あなたの発言はちゃんとチェックされていますよ」と思わせる心理的な抑制効果はあると思います。

 一方、中国では、発言者の方も「中国共産党」と書く代わりに「執政党」という表現を使ったりして、自分の発言が「違法」にならないようにかなり工夫して書いています。

 こういったネット市民と当局とのやりとりが今後中国の行方にどの程度影響を与えるのかはわかりません。少なくとも、政治的な発言や意思表示のできる範囲が法律上かなり限られている状況下で、携帯メールやインターネットが急速に普及し、しかもそれを使う「ネット市民」の教育程度がかなり高い、という今までの世界のどの国も歴史上経験したことのない事態が、今、中国で進みつつあるのは確かだと思います。

| | コメント (0)

2008年1月11日 (金)

都市管理局員が暴力で市民を死亡させた

 ここのところ、地方政府の行政当局の理不尽な行為に関する国内報道が相次いでいる中国ですが、「極めつけ」とも言える事件が起きました。今週の月曜日(1月7日)、湖北省天門市の都市管理局(中国語で「城市管理行政執法局」;略して「城管」)とゴミ埋め立て場の建設に関して反対する住民グループとが衝突する事件が起きました。その際、都市管理局員が住民側に対して暴力行為を働いているところを携帯電話のカメラで撮影していた魏文華という名前の市民が都市管理局員から集団暴行を受け、殴打されて死亡した、ということです。この事件については、天門市当局も調査を開始し、都市管理局長を拘束したほか、都市管理局員24名が取り調べを受け、うち4名が刑事拘留された、とのことです。本件については、天門市が事件の翌々日の1月9日に記者会見を行って、状況を公表しました。

(参考1)「新京報」2008年1月10日付け記事
「天門市政府、暴力を振るった都市管理局員を厳しく処罰する態度を発表」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/01-10/021@073635.htm

※この記事に載っている写真には、住民によってはがされゴミ捨て場所に捨てられていたと思われる天門市都市管理局の看板が写っています。

 死亡した魏文華氏は、市民といっても一般住民ではなく、天門市水利建築公司の総経理(社長)なのですが、この人の職業と暴力を受けたことが関係あるのかどうかはわかりません。記事では「一人の一般的市民としての正義感から出た行為だ」と書かれているので、この人が社長だったというのは「たまたま」であり、暴力を受けたこととの因果関係はないのかもしれません。

 都市管理局というのは、都市において行政上の規則違反がないかどうかを管理する役所で、露天営業人や輪タク業者などを取り締まっています。刑法犯罪を捜査したり取り締まったりする警察とは別組織です。許可を受けないで営業を行うヤミ露天業者やヤミ輪タクなどは後を絶たないので、どこの街の都市管理局(城管)でも、ある程度、強圧的な態度で取り締まらざるを得ないケースが多いようです。ただ、この天門市の都市管理局は、以前からかなりひどい暴力的な取り締まりを行っていて、市民からの反感を買っていたようです。「新京報」の報道では、「自分はきちんと営業許可をもらっているのに、強圧的な態度で『違反だ』と迫られて1000元(約1万5000円)の罰金を支払わされた。代わりにくれたのは公印の押していない領収証だった」と、暗に不法な取り締まりをやっている、と示唆するような市民の声を載せています。

 この事件は、死者が出たことにより、さすがに天門市当局自体も重視せざるをえなくなったと見えて、調査を行った上で、自ら記者会見を行って公表することになったようです。今日(1月11日)付けの「新京報」の記事によると、天門市中国共産党委員会書記(中国では党の書記は市長より偉い実質的な市の最高責任者です)は、「最近は違法営業などの案件が多く都市管理局の取り締まりは非常に難しくなっている。しかしだからと言って取り締まり側が違法行為をしてよい理由にはならない」「都市管理局員が人を殴打して死なせてしまうことなど天の理が許さない」と述べています。この事件で、天門市の都市管理局長は免職になったとのことです。

(参考2)「新京報」2008年1月11日付け記事
「都市管理局長の斉正軍氏が罷免される」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/01-11/021@082912.htm

 2003年に広州市で孫志剛という心臓病を患っている青年が居留証を持たないために収容所に収監され、収容所職員に暴行されて死亡する、という事件がありました。この事件は、発覚してからインターネット上で反発が沸き起こり、当局もそれを無視できなくなって、結局は孫志剛氏を収容する根拠となった「収容法」が改正されることになりました。当局がインターネットで湧き起こる議論を無視できずに、結局は法律改正にまで至った、という点で大きな事件だった、と言われています。今回の湖北省天門市の都市管理局が起こした事件は、多くの人にこの「孫志剛事件」を思い起こさせたようで、「新京報」に載った下記の2つの論説では、いずれも「孫志剛事件」に言及しています。

(参考3)「新京報」2008年1月10日付け「視点」
「『人間性』を用いて制度の『オオカミ性』を終わらせよう」(熊培雲(北京の学者))
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2008/01-10/021@075146.htm

(参考4)「新京報」2008年1月11日付け「社説」
「都市管理局に様々な部門の取り締まり権限が集中している問題について改めて新しい視点で考え直さなければならない」
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2008/01-10/021@075146.htm

 この社説では、現在の都市管理局の問題点として下記を上げています。

○都市管理局の地位が低く、多くの都市では、都市管理局が「自給自足」の機関になっている。また、大量の素質のよくない人員が都市管理局の入っていて、都市管理局の名声に大きな影響を与えている。

○多くの部門の取り締まり権限が都市管理局に集中し過ぎている。無許可営業については工商管理局が、無許可運送業であれば交通警察が、騒音の取り締まりについては環境保護局が行うなど、それぞれ専門の部署が取り締まるようにした方がよい。

 この社説では、最後に「孫志剛事件」を引用して、「2003年の孫志剛氏の死が数十年続いた収容制度を終わらせたように、今回の天門市の魏文華氏の死は、都市管理(城管)制度を大きく変える原動力になるのであろうか? 我々は刮目(かつもく)して待つこととしたい。」と結んでいます。最後の部分、このひとつの事件が「城管制度」自体を変える力になるかもしれない、というのは、私は言いすぎだと思いますが、たぶん、この社説の執筆者は、「孫志剛事件」のように、インターネットでの世論の盛り上がりが世の中を変えることになるかもしれない、といったひとつの予感を感じているのかもしれません。

| | コメント (0)

2008年1月 7日 (月)

地方の事件を報じた雑誌記者が北京で勾引

 今日(1月7日)付けの北京の大衆紙「新京報」に、遼寧省西豊県で起きた事件の記事を書いた雑誌の記者が北京で西豊県の公安当局に勾引されようとしている、という記事が載っています。

(参考1)「新京報」2007年1月7日付け記事
「西豊県の携帯メールで誹謗罪となった事件を報道した記者が勾引されようとしている」
http://www.thebeijingnews.com/news/deep/2008/01-07/021@073617.htm

 この記事によると事情は以下のとおりです。

○1月1日に発売された雑誌「法人」に「遼寧省西豊県:政商の力比べ」と題する記事が載った。この記事のポイントは以下のとおりである。

・西豊県政府は、特産品販売センターを作るためにある女性が経営するガソリンスタンドを立ち退かせようとしていたが、賠償額に関して双方で争いが起きていた。

・ガソリンスタンドの女性経営者に打撃を与えるため、政府の関係部署はこの女性経営者を脱税と県の指導者に対する誹謗の罪で告発した。

・この販売センターの土地の譲渡や入札等には重大な問題が存在している。

○1月2日、西豊県の公安当局がガソリンスタンド女性経営者の家に来て、「雑誌記者に対して賄賂を送った」との疑いで捜査を始めた。公安当局の担当者は「金品を渡さなければ、わざわざ北京から記者が来てあのような記事を書くはずがない」と言っていた。

○1月4日、朝、西豊県の公安当局が北京にある雑誌「法人」の編集部を訪れ、記事を書いた女性記者と編集長に対する事情聴取を行った。午後、再び西豊県の公安当局担当者が雑誌「法人」の編集部を訪れた。彼らは「県の書記を誹謗した『誹謗罪』」により女性記者を勾引する、と書かれた書類を持参し、編集部に対して捜査への協力を要請したが、編集長はこれを拒否した。

○1月5日、西豊県のガソリンスタンド女性経営者の家族が雑誌「法人」の記事が事実であることを示す証拠を持って北京に出てきて、記事が真実であるとを訴えた。その訴えによると、去年の3月、ガソリンスタンド女性経営者の家族が県の書記を非難する携帯メールを発信したところ、「誹謗罪」で逮捕され、昨年12月29日、西豊県裁判所で有罪判決が出された、とのことである。

○新京報の記者が西豊県の書記に取材して「雑誌『法人』を発行している会社の所在地は北京なのだから、『誹謗罪』で裁判を起こすには法律によれば北京の裁判所で起こさなければならないのではないか。」と質問したところ、県の書記は「雑誌『法人』の記者のことについては何も知らない」と答えた。

○女性記者の弁護士は、「誹謗罪」は「親告罪」(被害を受けた人が告訴してはじめて当局が捜査を行い起訴する)であるので、誹謗された本人が「何も知らない」というのであれば、西豊県の公安当局は、本件を捜査し、女性記者を勾引することはできないはずだ、と言っている。

○雑誌「法人」の記事を書いた女性記者によれば、1月7日(つまり記事が掲載されている今日)の午前中、西豊県の公安当局は雑誌「法人」の編集部で彼女を待っているはずだ、とのことである。

 この「新京報」の記事では、昨晩(1月6日の夜)この女性記者の家で撮影した、という自分が書いた雑誌「法人」の記事を見ている女性記者の後ろ姿の写真を掲載しています。

 この「新京報」の記事は「現在進行中」の事件を記事にした、という点で極めて異例です。また、遼寧省西豊県の公安当局が雑誌「法人」の編集部を訪問した際に北京市公安局文書保安課の職員も同行していることを記載しているなど、当局の「御指導」を受ける立場にある「新京報」自身にとっても、かなり「きわどい」記事であると思います。しかしながら、「新京報」としては、この事件は「他人事」ではなく、報道の自由に対する重大な問題であって、自分自身の問題なのだ、という強い意志の下で書かれていると見られます。この「新京報」が署名入り記事として掲載されていること、記事の内容をインターネット上でもきちんと公開していること、などからもその「意志」は窺えると思います。

 「新京報」は、以前にも「誹謗罪」の恣意的な拡大解釈は報道の自由に対して重大な問題である、という認識を示した社説を掲載しています。

(参考2)このブログの2007年11月22日付け記事
「『誹謗罪』の拡大解釈を警告する、との社説」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/11/post_a695.html

 こういった報道の自由を重要視する考え方は、胡錦濤総書記を中心とする現在の中国共産党中央の意向にも沿ったものです。地方政府の乱脈ぶりをチェックし、是正するためには、報道機関による監視の目は、社会の役割として重要である、と党中央も認識しているからです。だからこそ、「新京報」は、堂々と上記のような社説を掲げ、毅然として今回のような記事を掲載しているのだと思います。

 中国では、まだまだ地方の末端レベルでは、党や政府の幹部と公安当局、そして裁判所までもが「ぐる」になっているケースが多々見受けられるようです。党中央としても、これを見過ごしていては、一般国民からの支持を失いますから、そういったことは毅然とした態度で是正すべき、と考えているのだと思います。問題は、そういった党中央の意志が、既得権益集団と化してしまった一部地方政府の壁をどれだけ突き崩せるかだと思います。中央がこれら既得集団化してしまった一部の地方をどうコントロールしていけるのか、が、現在の胡錦濤体制の最も重要な課題だと私は思います。

------------------------

(以下、2008年1月8日に追記)

 本件については、2008年1月8日付けの「人民日報」が、上記の「新京報」の報道を受けて、「世論による行政の監視は重要であり、県当局は雑誌記者を拘束するのではなく、誹謗されたと思うのならば、その旨を裁判に訴えて司法の場で法の下での判断を受けるべき」との立場からの評論を掲載しています。

(参考3)「人民日報」2008年1月8日付け
「『西豊事件』:司法はどのように介入すべきなのか(人民評論)」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-01/08/content_37590151.htm

 中国共産党の機関紙である人民日報にこのような評論が掲載されたところを見ると、党中央も今回の遼寧省西豊県の公安当局の行動は「問題あり」と認識していることを示していると思います。

 なお、1月8日付けの「新京報」の報道によると、この件の1月7日の動きは以下のとおりです。

○西豊県の公安当局が女性雑誌記者を拘束しに来るのを取材しようと、多くのメディアが雑誌社に集まっていた。

○西豊県の公安当局は、女性雑誌記者に対して「1月7日午前中に雑誌社に来る」と言い残していったのだが、実際は雑誌社には現れずに西豊県に帰っていった。

○「新京報」が西豊県の公安当局に「なぜ雑誌社に現れずに西豊県に帰ったのか」と質問したのに対し、西豊県の公安当局はその理由について答えなかった。

(参考4)「新京報」2008年1月8日付け記事
「遼寧省西豊県公安当局、北京に人員を派遣して記者を勾引することを撤回」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/01-08/021@073647.htm

 最近、中国では、行政機関の理不尽な行動を新聞社等に訴えて、新聞社等がそれを記事にすることが多くなりました。最も象徴的な事件が昨年6月に明るみに出た山西省の悪徳レンガ工場事件でした。

(参考5)このブログの2007年6月15日付け記事
「山西省の悪徳レンガ工場での強制労働事件」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_54d1.html

 その後、昨年7月の北京テレビ局によって起こされた「『段ボール肉まん』やらせ事件」により、テレビ局によるこの手の「告発報道」は減ったような気がします。

(参考6)このブログの2007年7月19日付け記事
「『段ボール肉まん』報道は『やらせ』だった」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_10f1.html

 しかし、新聞では、地方政府の理不尽さを告発するような記事は最近も数多く掲載されています。今回の遼寧省西豊県の事件で、人民日報が取材する新聞社側を擁護する評論を書いたことによって、党中央もこういった動きを支持することを明確になったことから、今後、ますます新聞が地方政府の問題点を指摘する活動は活発になると思います。

 もっとも、今回の事件がもともとの事件の起きた遼寧省ではなく、北京の地元紙である「新京報」の報道により取り上げられたように、地方政府が地元のマスコミもコントロールしている現状においては、地元の新聞が直接こういった問題を取り上げることにはまだまだ難しいようです。ただ、今回の事件のような事例が数多く出てくることにより、新聞による地方政府の監視は、一歩ずつ前進していくことになると思います。

| | コメント (0)

2008年1月 5日 (土)

映像ニュースの衝撃性

 私が、

http://folomy.jp/heart/

の「テレビフォーラム」に2007年10月13日にアップした文章をこちらのココログにも掲載します。

 folomyは、かつての@ニフティのフォーラムを運営していた人たちが集まって運営しているサイトで、メールアドレスを持っている方ならば誰でも無料で登録できます。私がfolomyに書いたものの再アップは、折りを見て時間のあるときに行います。従って、例えばfolomyに掲げた文章のアップは1か月以上遅れると思います。最新の文章を御覧になりたい方は、ぜひ、御自分で上記のアドレスからfolomyに登録して、御覧いただくよう御願いします。

---------------------
アップ場所: http://folomy.jp/heart/

「テレビフォーラム(ftv)」-「喫茶室『エフ』」-「北京の白い空の下で」

記載日時:2007年10月13日

【映像ニュースの衝撃性】

 今週、短期間日本に出張したので、その機会に中国国内からだとアクセス制限が掛かっていて見られないネット上のテレビの映像ニュースのアーカイブを見たりしました。私としては、以前に見たことがあるものばかりで、新しいものは何もなかったのですが、久しぶりに見ると、やはり衝撃的です。映像ニュースは、文字のニュースと違って、感情に訴えるものがあります。それが映像ニュースの良いところでもあり、危険なところでもあるのだと改めて思いました。感情に訴えるようなものを含んだ映像ニュースをインターネット経由で若い人たちが見るのは「よくない」と中国当局は考えているのでしょう。

 最近、日本のテレビでも、2001年の9.11同時多発テロでニューヨークの双子の貿易センタービルが崩壊する映像を放送しなくなりました。あまりにショッキングな映像なので、視聴者の心を揺さぶるし、犠牲者の遺族も見るかもしれないと考えるととても放送できない、という配慮だと思います。その判断は間違いではないと思いますが、ショッキングな過去の映像ニュースを人の目に触れないようにすることをし続けると、9.11の「重大性」が時間とともに風化してしまうのではないか、という危惧も湧いてきます。たぶん、こういったショッキングな、しかし重要な映像ニュースは、テレビで無差別に流すのではなく、ネット上の動画資源として蓄積しておき、誰でも、見たいと思った時には、一定の心構えを持った上で見ることができるようにする「オン・デマンド」の映像記録としてネット上に保存しておく、というのが、正しい記録の仕方なのかもしれません。

 北京で18年前に起きた事件は、私が今この文章を書いている部屋から見えている街で起きました。18年前のニュース映像に登場する建物や道路の立体橋のところへは、私はいつでも歩いて行くことができます。それだけに私は18年前のテレビ・ニュースの映像を改めて見て、複雑な思いを新たにしました。今の中国の若い人は、この事件については、年長の人から話は聞いているとは思いますが、ニュース映像は見たことはないと思います。今、中国では、多くの人が外国旅行に行ったり、海外留学したりするようになりました。中国の外に出て、初めてその映像ニュースを見た中国の若い人はどう思うのでしょうか。

 私は、今回、改めて、テレビの持つ「映像ニュース」のパワーの大きさを痛感しました。そういった映像ニュースの力の大きさを知っているからこそ、ミャンマーで亡くなったジャーナリストの長井健司さんは、自らの危険も省みず、映像取材を敢行したのだと思いますし、ミャンマーの治安部隊もそれを阻止しようと考えたに違いありません。「テレビの映像ニュースは歴史を動かす力を持っている」。長井さんの事件をきっかけに、そのことをもう一度、私たちは心にきちんと刻み込む必要があると思います。

(2007年10月13日、北京にて記す)

| | コメント (0)

2008年1月 4日 (金)

スプートニク50周年テレビでやった?

 私が、

http://folomy.jp/heart/

の「テレビフォーラム」に2007年10月6日にアップした文章をこちらのココログにも掲載します。

 folomyは、かつての@ニフティのフォーラムを運営していた人たちが集まって運営しているサイトで、メールアドレスを持っている方ならば誰でも無料で登録できます。私がfolomyに書いたものの再アップは、折りを見て時間のあるときに行います。従って、例えばfolomyに掲げた文章のアップは1か月以上遅れると思います。最新の文章を御覧になりたい方は、ぜひ、御自分で上記のアドレスからfolomyに登録して、御覧いただくよう御願いします。

---------------------
アップ場所: http://folomy.jp/heart/

フォロ「テレビフォーラム(ftv)」-会議室「喫茶室『エフ』」-トピック「北京の白い空の下で」

記載日時:2007年10月6日

【スプートニク50周年テレビでやった?】

 今年の10月4日は、旧ソ連が人類初の人工衛星「スプートニク」を打ち上げてから50周年の記念日でした。今、私は日本のテレビを全て見られる環境にはないのですが、少なくとも私は気が付いた範囲では、日本のテレビのニュースでは「スプートニク50周年」に関する話は伝えていませんでした。私は中国のテレビを見て初めて、今年がスプートニク50周年に当たることを思い出したのでした。

 1957年当時、旧ソ連がアメリカより先に人工衛星の打ち上げに成功したという事実は、世界中に「スプートニク・ショック」を与えました。今はソ連という国もなくなってしまったし、人工衛星を打ち上げること自体「普通のこと」になったしまったので、「スプートニク」50周年の記念日は、日本ではあまり人々の関心事項にはならなかったのだと思います。それは放送衛星・通信衛星、気象衛星、カーナビなど人工衛星を使った測位システムなどが既に日常的なものになったことの証拠でしょう。

 くしくも同じ10月4日、日本の月探査機「かぐや」が月周回軌道に入りました。科学探査のひとつ、ということで、テレビを含め、報道振りは地味なものでした。1960年代の米ソ宇宙競争時代のように、宇宙における科学探査を「国家の威信を賭けて」といった形で仰々しく宣伝に使うのは時代錯誤だと思いますが、もう少し大きく取り扱ってもよいのではないか、というのが私の率直な感想でした。

 中国では、宇宙開発に関する報道機関の関心は高く、日本の「かぐや」に関する最新情報も逐次報道しています。中国の場合は、有人宇宙計画については、内外に対して「国家の威信を示す」目的も持っていることは明らかですので、報道機関が宇宙開発関連のニュースを取り上げる頻度も高くなるのは、ある意味では当然なのですが、別の見方として、急速に成長を続ける中国経済の中で、中国では宇宙開発が今でも「未来を開く象徴的存在」であることを示していると言えるでしょう。

 映画「アポロ13」の中で、月へ向かうアポロ宇宙船の中の宇宙飛行士の様子をアメリカの4大テレビ・ネットワークが生放送では中継しないことになった、という場面が出てきました。アポロ13号は3回目の月着陸を目指していたのですが、テレビにとっては月着陸も「3回目」では新味に欠けている、と判断されたからでしょう。テレビは常に「新鮮味やハデさ」を求めますが、既に普通になってしまったこと、地味なことでもきちんと伝えることも重要だと思います。日本のテレビにとっては、人類初の人工衛星「スプートニク」は、過去のものだったのかもしれませんが、少なくとも歴史の一コマとしてきちんと伝えてほしかったと思います。

(2007年10月6日、北京にて記す)

| | コメント (0)

2008年1月 3日 (木)

2007年の北京の大気汚染指数

 今年2008年は北京オリンピックがあるので、北京の大気汚染については、世界中の関心を集めると思います。中国国家環境保護総局は、毎日、主要な都市の大気汚染を指数として測定して発表しています。大気汚染指数(API:Air Pollution Index)は、100以下が「優」「良」、101を超えるとレベルによって「軽微汚染」「軽度汚染」「中度汚染」「中度重汚染」「重汚染」というふうに分類されます。大気汚染指数の定義及び大気汚染指数による汚染度合いの分類の仕方は、下記のこのブログの2007年6月19日付け記事を御覧下さい。

(参考1)このブログの2007年6月19日付け記事
「北京の今日の大気汚染度はIII(1)級(軽微汚染)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/iii1_5bc5.html

 2006年1年間の北京の大気汚染指数の度数分布は、このブログの2007年8月22日付けの記事に書きました。

(参考2)このブログの2007年8月22日付け記事
「北京の自動車交通制限と大気汚染指数」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_284f.html

 年が明けましたので、これと同じ方法で2007年1年間の北京の大気汚染指数の度数分布をグラフにしてみました。

※データの出典:中国国家環境保護総局の重点都市大気汚染日報のページ
http://www.sepa.gov.cn/quality/air.php3
の下の方にある検索機能を使って「北京」の「2007年1月1日~2007年12月31日」の大気汚染指数を表示させて大気汚染指数を10ごとに分類してその指数を示した日数が何日あったかを数えたものが下記のグラフです。なお、車のナンバーの偶数・奇数による市内への乗り入れ制限を行った試験期間(4日間)の最終日の8月20日は「欠測」となっておりデータがありません。自動車の乗り入れ規制の最終日、という「最も大気汚染の状況が知りたい日」が「欠測」になっている理由は不明ですが、いずれにせよこの日だけデータがないので、2007年1年間のデータがある日は364日間となっています。

【2007年の北京の大気汚染指数の度数分布】(■=3日)

000-020:■1
021-030:■■■7
031-040:■■■9
041-050:■■■■■15
051-060:■■■■■■■■■■■31
061-070:■■■■■■■21
071-080:■■■■■■■■■■■■■■■■48
081-090:■■■■■■■■■■■■36
091-100:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■77
101-110:■■■■■14
111-120:■■■■■■■■24
121-130:■■■■10
131-140:■■■■■14
141-150:■■■■12
151-160:■■■■12
161-170:■■■7
171-180:■■■7
181-190:■■4
191-200:■■4
201-210:■2
211-220:0
221-230:0
231-240:■1
241-250:■1
251-260:■1
261-270:■2
271-280:■1
281-290:0
291-300:0
301以上:■3
合計=364日(欠測1日)

 2008年1月1日付けの「新京報」では、北京市環境保護局の副局長は、2007年の北京の「青空」(大気汚染指数が100以下の日)は、目標の245日を1日オーバーした246日となり、目標を達成した、と述べた、と伝えています(上記のグラフでは「欠測」扱いにしている8月20日を大気汚染指数100以下として数えると100以下の日は246日になります)。

 確かに数字の上では大気汚染指数が100以下の日は246日間で目標を達成していますが、上記のグラフを見れば、90-100の日数が異様に多く、101-110の日数が異様に少ないことがわかります。この傾向は上記(参考2)に掲げた2006年のデータでも同じです。統計学的に言えば、大気汚染指数が100を超えるか超えないか境界線にある日の測定値に関して、何らかのデータの操作が行われた疑いが大きい、と言って差し支えないと思います(もちろん「何らかのデータの操作が行われた」と言い切ることはできませんが)。

 全体的に見れば、2007年は2006年より汚染指数が明らかに下がっているので、当局の大気汚染対策の努力はそれなりに効いているのだと思います。また、私の感覚的な感じから言っても、20年前に比べれば、冬の間、スモッグのない青空の日数は増えたような気がします(夏の間の汚染はひどくなったように感じましたが)。このように全体的には改善の傾向があるのですから、「目標を達成できた」ことを強調するために測定データをいじくるような姑息なことはせずに、正々堂々と正しいデータを発表すべきだと思います。

 中国国家環境保護総局は、測定されたデータをそのまま公表しているだけであり、「データの操作が行われた疑いが大きい」などと言うのはケシカラン、と言うかもしれません。しかし、上記のような度数分布グラフを見れば明らかです((参考2)に掲げた2006年のデータの方がさらに顕著です))。これらのグラフを見れば「このデータはそのまま信用することはできないな」と思う人の方が多いと思います。

 どうも中国では、「鉄鋼生産量○○トン、自動車生産台数△△台」という国家計画のノルマを達成したかどうか、で業績が評価される古い社会主義体制のトラウマが今でも消えていないようです。古い社会主義体制下では、粗悪な鉄鋼でも、すぐ故障するような車でも、とにかく目標のトン数や台数をクリアすれば、それでOKだったので、昔は無理をして鉄鋼の生産トン数や車の生産台数を上げる努力が行われました。今でも、無理をしてでも「目標達成!」と言いたい、という風潮はまだ残っているのだと思います。

 国民の目を意識すると数字をいじりたくなるのでしょうが、最も恐いのは、政策決定者が操作された統計数字を基にしてい政策判断をしているのではないか、と思われることです。

 中国の新聞は、地方政府の問題点はかなり厳しく指摘するようになっていますが、中央政府に対する厳しい指摘は全くと言ってよいほどありません。こういった環境測定データについては、公表データをグラフ化すれば誰でもわかることなのですから、中国の新聞はもっとしっかり書くべきだと私は思います。

| | コメント (0)

2007年12月25日 (火)

テレビニュースには国境を作らないで欲しい

 私が、

http://folomy.jp/heart/

の「テレビフォーラム」に9月29日にアップした文章をこちらのココログにも掲載します。

 folomyは、かつての@ニフティのフォーラムを運営していた人たちが集まって運営しているサイトで、メールアドレスを持っている方ならば誰でも無料で登録できます。私がfolomyに書いたものの再アップは、折りを見て時間のあるときに行います。従って、例えばfolomyに掲げた文章のアップは1か月以上遅れると思います。最新の文章を御覧になりたい方は、ぜひ、御自分で上記のアドレスからfolomyに登録して、御覧いただくよう御願い