カテゴリー「中国の地方政府の乱れ」の記事

2009年4月23日 (木)

「中国の民主化」に関連するいくつかの話題

 最近、「人民日報」に「6つの『なぜ』」というシリーズが載り、なぜ西側のような複数政党制の議会制民主主義ではだめなのか、といった疑問に対する解答が掲載されていることを4月10日付けのこのブログで書きました。そういった社会の雰囲気に呼応しているのかどうか知りませんが、最近、北京の新聞「新京報」などににいくつかの記事が載りましたので、御紹介しておきます。

○「値上げ反対Tシャツ」は法律違反か

 最近、相次ぐ公共料金の値上げに反対して、重慶の市民が「値上げ反対」という文字の入ったTシャツを作って売り出したそうです。そうしたら、警察が出てきて、このTシャツを売っていた人は取り調べを受けて、拘留されたのだそうです。

 これについて、4月15日付けの「新京報」では、「公共料金値上げ反対」のTシャツは法律違反ではなく、去年の四川大地震の後に売り出された「I Love China」と書かれたTシャツと同じであって、正常な一般市民の表現である、と主張しています。

(参考1)「新京報」2009年4月15日付け総合評論欄の意見
「『値上げ反対Tシャツ』:理性を持って対処する新しい表現方式」
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2009/04-15/044@081131.htm

 こういった自分の言いたいことを書き込んだTシャツを着て、集団で散歩する「集団散歩」を、私は北京でも見たことがあります。私が見たのは、どこかのマンションを購入した人たちらしい10人くらいの人が「マンション販売会社は約束を守れ!」というような主張を書いたTシャツを着て街を歩いていました。この「集団散歩」は、政治的なスローガンではなく、マンション販売会社と入居者との間のトラブルを多くの人に知って欲しいためのもので、たぶんこれを中国の法律で引っかけることは難しいでしょう。このグループは、城管(都市管理局)の係官に事情を聞かれていました。ただ、私が見ていた限り、このグループの人たちは事情を聞かれただけで、拘束されたりはしなかったようです。

 私がこのグループを見たのは、まだ寒い頃だったので、皆、コートの中に自分たちの主張を書いたTシャツを着ていたのでした。家で、主張を書いたTシャツを着て、その上からコートや上着を着て「集団散歩」をしたい場所へ行き、そこに到着したらみんな一斉にコートや上着を脱いで「散歩」を始める、というやりかたをしたら、取り締まり当局の方も阻止することはほとんど不可能だと思います。

 こういう「文字入りTシャツを着た集団散歩」は、これから中国各地で流行るかもしれません。そもそも、当局が主催するイベントなどで、例えば参加者が「緑を大切にしましょう」などといったスローガンの書かれたTシャツをみんなで着る、というようなことはよくあることなので、「文字の書かれたTシャツを着て集団で散歩する」ことだけで取り締まることは困難です。書かれた文字の中身が中国の基準で「反社会的かどうか」が判断基準になりますが、これはなかなか判断が難しいと思われます。例えば、「人民日報」に載っている「6つのなぜ」の疑問文、例えば、「なぜマルクス主義を指導原理にしなければならないのか?」「なぜ中国共産党の指導がなければダメなのか?」といった疑問文をTシャツに書いて街を歩いたら、警察に捕まるのでしょうか? なかなか判断が難しいところです。

○人民代表大会を公開せよとの主張

 今週開かれている全国人民代表大会常務委員会で、会議規則の改正が議論されました。多くの議員に発言の機会を与えるため、例えば、一人の発言の時間は、最初の発言は15分以内、同じ問題に対する二度目以降の発言は10分以内とする、などです。これに関連して、今日付の「新京報」の社説は、そういった議事進行上の規則だけでなく、全人代常務委員会(実質的に法律などはここで決まる)の会議を公開にし、市民が傍聴できるようにするほか、インターネットで中継するなど議事内容を公開すべきだ、と主張しています。全人代常務委員会の内容は、新聞やテレビで報道されますが、新聞やテレビでは全てを伝えることはできないのだから、(国家秘密に関連する事項の議論などを除いては)一般市民がいつでも見られるようにすべきだ、というのがこの社説の主張です。

(参考2)「新京報」2009年4月22日付け社説
「規則の力を用いて全人代の議事の民主化を向上させるべき」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2009/04-22/008@031503.htm

 中国の全人代では、政府提案の議案が否決されることはありませんが、票決の際にはかなりの数の反対票が出ることもあります。その意味で全人代は政府提案の議案を了承するだけのスタンプ機関ではありません(今年の全人代全体会議では、政府が提出した最高人民法院工作報告と最高人民検察院工作報告について、4分の1近い議員が反対または棄権をしています)。政府提案の法律案が全人代常務委員会の議論で修正されることはよくあることです。それだけに、最近では、議論の内容については関心を持っている市民も多いようです。

 全人代は、一番下層のレベルの人民代表は住民の投票により選ばれますが、省レベル、全国レベルの人民代表はそれぞれ下のレベルの人民代表によって選ばれるという間接選挙制度になっており、人民の意見が全国人民代表大会に直接届くようなシステムにはなっていないのですが、それでも最近の人民代表にはそれなりの問題意識を持っている人も多いので、今後、人民代表制度という制度を維持したまま、ある程度の制度の改革が進むことになるのかもしれません。

○「誹謗罪」から「ただし書き条項」を削除することの可否

 中国の刑法246条には「暴力またはその他の方法をもって他人を公然と侮辱し、または事実をねつ造することをもって他人を誹謗した場合は、その状況が重い場合には、3年以下の有期の禁固、懲役、管理処分または政治的権利剥奪とする。この犯罪は、被害を受けた者が告訴することによって成立する。ただし、社会秩序と国家利益に重大な危害を与える場合は除く。」と書かれています。つまり、通常、「誹謗罪」は被害を受けた人が訴えた場合に初めて警察が捜査に乗り出すのですが、「社会秩序と国家利益に重大な危害を与える場合」には、誹謗された者が訴え出なくても、警察が誹謗した人を逮捕し立件することができるようになっているのです。

 地方政府の幹部を批判する記事を書いた記者が、この条項によって警察に逮捕される例が多発しています。今日付の「新京報」の「観察家」という意見欄にこの「ただし書き」についての意見が掲載されています。「社会秩序と国家利益に重大な危害を与える場合」の定義があいまいであり、警察がこの条文を恣意的に解釈して、地方政府幹部に対する批判を「社会秩序と国家利益に重大な危害を与える場合」と判断して報道機関の言論の自由を制限するために使われているケースがある、と指摘しているのです。この意見記事では、法律を制定した全人代常務委員会は、少なともこの「ただし書き」部分についての法解釈を出すべきであり、この「ただし書き条項」の使われ方の実態を調査して、「ただし書き」部分の削除の可否について検討すべきだ、と述べています。

(参考3)「新京報」2009年4月22日付け「観察家」に載った意見
「『誹謗罪』の『ただし書き』条項を削除することは可能かどうか」(王剛橋(学者))
http://www.thebeijingnews.com/comment/guanchajia/2009/04-22/008@031504.htm

○環境汚染企業に関する情報を公開しなかった地方政府に対し記者が抗議

 最近、黒竜江省で開かれた環境保護状況管理工作会議において、10数人のメディアが参加していたにも係わらず、黒竜江省環境保護局は具体的な汚染企業に関する状況について「秘密事項だ」として説明しませんでした。これに憤慨した一部の記者が会議を退席したとのことです。

(参考4)「新華社」ホームページが斉魯晩報の報道を転載する形で2009年4月22日13:04にアップしている記事
「環境保護局が『汚染排出企業の秘密保護局』になってしまっている」
http://news.xinhuanet.com/local/2009-04/22/content_11231459.htm

 このできごとは、いまだに「メディアは政府の発表を伝えるだけの機関」だと思っている地方政府当局者の認識と「社会のために政府を監督する役目があるのだ」という意識に目覚め始めたメディア側の意識のずれを端的に表しています。 

 この黒竜江省での出来事については、今日付けの「人民日報」でも「某省であった話」として省の名指しは避けていますが、批判的な論評を掲載しています。

(参考5)「人民日報」2009年4月22日付け評論
「誰も汚染排出企業の『秘密を保護する』権利は持っていない」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-04/22/content_237906.htm

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 これらの記事を読むと、地方政府とメディアと全人代と人々との間のそれぞれの「意識のずれ」が見て取れます。新聞側がその「意識のずれ」を指摘し、改善するべきだと主張しているところが、最近の中国の新しい局面を象徴していると思います。中国のメディアは全て中国共産党宣伝部の指導の下にありますから、こういった記事が掲載されていることは、中国共産党としても、社会の問題を取り上げて世論を見やすい形にまとめる役割をメディアに期待するようになってきていることを表しているのだと思います。

 ただし、中国共産党にとってこれは「両刃の刃」です。最初の「意見主張Tシャツ」の例や二番目の全人代の公開要求の例などは、中国共産党自身にも跳ね返ってくる可能性のある問題だからです。いずれにせよ、新聞メディアが、社会における問題意識の取りまとめの役割を果たすようになれば、社会は変革へ向かって徐々に動き出すのではないでしょうか。少なくとも、現在の中国共産党はその動きを「押し留めよう」とはしてないようです。それが自分自身の問題として跳ね返って来た時、それに虚心坦懐に対応して、新たな時代へ向けての進歩のために活用できるかどうかが今後問われてくることになると思います。

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2009年3月21日 (土)

自作自演記者会見の疑惑

 相変わらず痛快な記事や評論の多い広州で発行されている週刊紙「南方周末」(日本語表記では「南方週末」)ですが、今週号の評論もなかなか鋭いものがありました。

(参考)「南方周末」2009年3月19日号評論欄「評論方舟」
「記者会見がどうして一人芝居になってしまうのか」(本紙評論員:郭光東)
http://www.infzm.com/content/25621

 筆者の郭光東氏は、先日終わった両会(全国人民代表大会と中国政治協商会議)の際に行われた2つの記者会見について指摘しています。

 ひとつめは「財経」の記者が伝えている3月6日に行われた四川省代表団の記者会見についてです。この記者会見では、質問しようとした記者がいくら手を挙げても、司会者が一番前に陣取っている「官製主体メディア」にばかり質問させ、しかも彼らは机の上に置いてあるメモを見て質問しているようであり、答える四川省関係者も用意した紙を読み上げているようであり、一切の質問と答えが「用意されたもの」のように見えたというものです。

 もう一つは「新快報」の記者が伝えている3月7日に行われた雲南省代表団の記者会見です。この記者会見では、事前に関係者が顔見知りの記者に質問のレジメを渡して、質問番号に応じて質問させており、人々の間で関心の高い「目隠し鬼ごっこ事件」については一切質問がなく、一問一答が事前に準備されていたことは明白だった、としています。

※「目隠し鬼ごっこ事件」については、このブログの2009年2月24日付け記事
「監獄内の『目隠し鬼ごっこ』で死亡」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2009/02/post-bcc5.html
参照

 また、3月8日に行われた四川省大地震の災害復旧状況についての記者会見について、多くのネットワーカーが内外の記者の質問水準の違いについて指摘している、とのことです。具体的には、境外の(外国及び香港、マカオ、台湾の)記者は人々が知りたいと思う問題について質問しているのに対し、中国大陸の記者は、往々にして「塩辛くも酸っぱくもない質問」や大してニュース性のない質問ばかりし、甚だしいものにあっては役所で発表されている公式発表文を見ればわかるような問題について質問して、質問時間をつぶしていた、とのことです。

 さらには、多くの記者にとって、事前に質問事項の許可が必要であり、許可されていない質問については聞いてはいけないかのように思わせるような記者会見もあった、とのことです。この評論の筆者である郭光東氏は「嗚呼! またしてもこの種の人を愚弄するような感じを受けるとは、何と悲しいことか」と嘆いています。そして、郭光東氏は、政府機関がこのような自問自答するような記者会見をセットして、外見だけ民主的であるように見せかけることは、公務員としての職業道徳に違反しているばかりでなく、そもそも人間が持つ基本的な倫理、即ち、「誠実さ」に反している、と怒っています。

 中国にいて多くの人が感じるのが、今の中国の社会は「誠実さ」が全く尊重されていない「モラルハザード」の状態にある、ということです。先日書いたニセ薬やニセモノのテレビの話もそうですが、人間が社会で活動する上で最も重要視すべき「誠実さ」が今の中国にはないのです。よく多くの日本の人が勘違いしますが、現在の中国社会に蔓延している「不誠実さ」は中国の伝統でも中国の人々が昔から持っている性質でもありません。本来、中国の人々は、純朴で、人なつこく、親切で、誠実な人たちばかりです。「不誠実さ」が蔓延しているのは、「不誠実」でも罰せられない、むしろ「不誠実にうまく世の中を渡った方が得をする」という現在の社会システムのせいなのです。

 もともと中国共産党は、まじめさ、純真さ、誠実さ、をもって人々の心を捉え、革命を成功させたのでした。それがなぜ今こういう社会になってしまったのでしょう。上の評論でわかるように、多くの中国の人々もそうした「誠実さ」のない社会の問題点について「改善すべし」という声を挙げ始めています。こういった人々の「改善すべし」という声が、実際にシステムを改善させる方向で結集され、実際にシステムが改善されるようになることを期待したいと思います。

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2009年1月 8日 (木)

ある観光塔は「折騰」の典型

 先頃、建設途中で計画が中止になった重慶市にある観光塔が爆破され取り壊されました。

(参考1)「中国中央電視台」ホームページ2009年1月6日08:54アップ記事
「重慶の『三峡明珠観光塔』が破壊された」
http://news.cctv.com/china/20090106/101892.shtml

 「三峡明珠観光塔」は、主要部の高さ92メートルの観光用の塔で、一番上の部分に回転式の展望台が付く予定になっていた建物です。建設費3,500万元(4億9,000万円)が費やされた建設プロジェクトで、2005年の春節(旧正月)前の竣工を目指して2004年3月に工事が開始されました。しかし、この2005年4月に突然建設が中止され、その後3年半にわたって放置されてきました。結局、工事は完成しないまま、このたび破壊された、というものです。

 この「三峡明珠観光塔」について、1月7日の「北京青年報」は、「これこそ『折騰』の典型だ」と指摘しました。「折騰」とは、胡錦濤総書記が昨年12月18日の改革開放30周年記念式典で「不動揺、不懈怠、不折騰」(「動揺しない、怠けない、むちゃなことをしない」というのが最も適当な訳のようです)として使った言葉です。

(参考2)「新華社」ホームーページ2009年1月7日10:14アップ記事(「北京青年報」からの転載)
「『三峡明珠観光塔』は『折騰』の典型だ」
http://news.xinhuanet.com/comments/2009-01/07/content_10616849.htm

※「折騰」の意味については、このブログの2008年12月26日付け記事
「胡錦濤総書記の謎の言葉『不折騰』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-2c5d.html
を参照してください。

 地方政府の幹部は、自分の在任中に行った業績を誰が見てもわかるように、何か目立つものを作りたがります。そういう目立った建物などの建設プロジェクトは中国では「イメージ・プロジェクト」と呼ばれています。((参考1)の記事では中国語で「形象工程」と言っています)。

 結局「三峡明珠観光塔」は完成することなく、建設費の3,500万元はムダになってしまったわけですが、中国各地でこういったムダな投資が行われていると言われています。胡錦濤総書記は、こういったことを止めさせよう、と訴えたのだと思います。

 世界的金融危機に対する対応として、昨年11月、中国政府は4兆元(約56兆円)に及ぶ景気刺激策を発表しましたが、今、この景気刺激策のかなりの部分のお金がまた「イメージ・プロジェクト」として消費されてしまうのではないか、という懸念が生まれています。選挙や自由な報道のない中国では、地方の党・政府の幹部がこういった「イメージ・プロジェクト」へ走るのは簡単です。誰も批判する人がいないからです。中央はこういった「イメージ・プロジェクト」をやらせないように監視していますが、広い中国のことですから、目が届きません。「イメージ・プロジェクト」を請け負う建設会社等は地元の有力企業であることが多いですから、これらの地方の有力企業と地方の党・政府の幹部が結託すれば、「イメージ・プロジェクト」はすぐに生まれてしまいます。

 投資効果のない「イメージ・プロジェクト」は、将来の中国に財産として残ることなく、単に一部の建設業者の(そして多くの場合、地方の党・政府の幹部の)懐を肥やすことだけで終わってしまいます。2010年末までの間に使われる4兆元の景気刺激策が、本当に有効なプロジェクトに使われるのかどうか、それをどうやってチェックしていくのか、これから2年間が中国の将来へ向けての正念場になると思います。

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2008年12月29日 (月)

山西省の政治協商会議主席交通事故死の疑惑

 今年10月に行われた第17期中国共産党中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)で、前山西省長の于幼軍氏が中央委員を解任されました(党籍は剥奪されず「監察処分」となった)。この決定は10月12日に行われたのですが、その前日の10月11日、山西省の政治協商会議主席の金銀煥氏(女性)が交通事故に遭って死亡しました。

(参考1)「新京報」2008年10月13日付け記事
「山西省政治協商会議主席、交通事故で死亡」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/10-13/008@023839.htm

※「政治協商会議」とは、中国共産党以外の民主党派(「共産党の指導」を受けることを前提に活動が認められている政党)等が作る会議で、中国共産党が作る政策について意見を具申することができます(ただし決定権はない)。中国政治協商会議は、中華人民共和国の建国時、共産党以外の党派や知識人の意見を集約し中国共産党が「反国民党」の立場で全中国をまとめるために作られました。中央に全国組織がある(主席は政治局常務委員序列ナンバー4の賈慶林氏)ほか、各地方にそれぞれの地方政府レベルに応じた地方組織があります。山西省政治協商会議主席は、政治協商会議の山西省の地方組織のトップです。

 山西省政府のトップはもちろん省長ですが、山西省政治協商会議主席も政策決定権限はないとは言え、山西省の政界ではトップクラスの有力者です。このため、山西省政治協商会議主席の交通事故死のニュースを聞いたとき、前山西省長の中央委員解任決定とのあまりのタイミングの一致に、私は「単なる交通事故ではないのではないか」との疑問を感じました。また、于幼軍氏が中央委員の解任が三中全会の結果を伝える「公報」の中の一項目としてわざわざ明記されていたことから、そもそも于幼軍氏の中央委員解任劇には何かウラがあるのではないか、とその時私は思ったのでした。

 その後、中国国内の一部の新聞で、山西省政治協商会議主席の交通事故死の疑惑について調査中、との報道がちょっと出たりしましたが、「何が疑惑なのか」については、全く情報がありませんでした。

 ところが、12月28日付けの「人民日報」ホームページの記事(「山西日報」の記事を転載したもの)では、この金銀煥氏が事故死した交通事故を起こした件について、山西省の忻州市政治協商会議副主席の李毅氏とその運転手の李志富氏に対する裁判が開廷したことが報じられており、その中で「疑惑の中身」についても触れられていました。

※忻州市政治協商会議は山西省政治協商会議主席の下部の地方組織です。

(参考2)「人民日報」ホームページ2008年12月28日14:32アップ記事(山西日報からの転載記事)
「山西省忻州市政治協商会議職員が運転する車が起こした交通事故で省の政治協商会議主席が死亡した件に関する裁判が開廷」
http://society.people.com.cn/GB/8590577.html

 この記事によるとこの「交通事故」のあらましは以下の通りです。

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○山西省忻州市政治協商会議副主席の李毅氏は、自分が運転する車で山西省政治協商会議主席の金銀煥氏の載った車の右側を併走していた時、車線変更しようとしてコントロールを失い、李毅氏が乗った車の左側と金銀煥氏が乗っていた車の右側とが接触し、金銀煥氏の乗っていた車は反対車線に飛び出して横転した(中国では車は右側通行)。金銀煥氏と同乗者一人の二人は病院に運ばれた後死亡し、もう一人の同乗者も怪我をした。李毅氏は、車線変更時に安全を十分に確認しなかったこと及び彼の身体的条件が「車両運転免許証取得と使用に関する規則」に違反していたことにより、この交通事故の全責任は李毅氏が負うべきものであるものと認定された(金銀煥氏側の車に責任はないことが認定された)。

○李毅氏は事故発生の約50分後、自分の運転手の李志富氏に現場へ行かせ、事故の責任を李志富氏にかぶせ、警察当局に対して車を運転していたのは李志富氏であるとして事故の経緯について虚偽の説明をした。

○李毅氏はその後拘束され、「中国共産党規律違反条例」及びその他の関連法令により起訴された。
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 上記記事では、この案件はあくまで「交通事故」としてだけ述べられており、李毅氏が金銀煥氏に危害を加える意図があったのかどうか、なぜ事故時に忻州市政治協商会議副主席李毅氏の運転する車が山西省政治協商会議主席の金銀煥氏が乗る車のすぐ隣を走っていたのかについては、何も述べていません。これらの点が今後裁判の中で明らかになるのかどうかについても、何も述べていません。

 ただ、上記の事情を見たら、この交通事故の起きたタイミング(事故が起きたのが党中央で前省長の于幼軍氏の中央委員解任が決定する前日であること)と山西省政治協商会議は忻州市政治協商会議を監督する立場にある上部組織であることを考えるとき、ますますこの交通事故が「単なる偶然による交通事故」であるとは考えられなくなってしまいました。この交通事故は、山西省の政界を巡る何かの「どす黒い動き」による「事件」なのではないか、と思えてきます。

 この事件が「人民日報」ホームページに掲載されていることを考えると、党中央は本件を問題視し、きちんと処理しようとしている姿勢が伺えます。しかし、李毅氏の意図はどこにあったのかや李毅氏の背後に誰か「黒幕」がいるのかどうか、など、は今後も明らかにされない可能性があります。前省長の于幼軍氏は、党中央で中央委員を解任されたのですから、もしこの交通事故に「黒幕」がいて、その「黒幕」が党中央に関係している人だったりしたら、これは相当に大きなスキャンダルになる可能性があります。日本ならば、この手の「疑惑」は、週刊誌メディアなどが騒ぎ立てますが、中国にはそういうメディアがないので、このまま疑惑は解明されないまま終わる可能性が大きいと思います。

 山西省では、昨年(2007年)6月に明らかにされた拉致した労働者やこどもを奴隷のように働かせていた「悪徳レンガ工場事件」や相次ぐ違法炭坑での炭坑事故など問題が頻発しています。違法鉱山の鉱滓体積場が崩壊して200人以上の人が死亡した事件については、省長げ責任を取らされて解任されています。

(参考3)このブログの2008年9月22日付け記事
「社会的事件と担当する行政トップの辞任」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/09/post-5218.html

 于幼軍氏は、昨年6月の「悪徳レンガ工場事件」が起きたとき山西省長でしたが、この事件では辞任しませんでした。それどころか、その後、中央政界に戻って、文化部副部長となり、中国共産党の中央委員になっていました。

(参考4)私のブログの2007年6月23日付け記事
「悪徳レンガ工場事件で山西省長が謝罪」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_d370.html

 一方、「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)の12月25日号では2008年に起きた3つの記者の拘束事件についてまとめて報じていますが、この3件のうち2件は山西省における事件を追っていた記者が拘束された案件です(残りの一件は遼寧省の案件=このブログの2008年1月7日付け記事で紹介した案件)。

(参考5)「南方周末」2008年12月25日号記事
「今年は『記者の拘束』が頻発、いずれも背後に疑惑の案件がある」
http://www.infzm.com/content/21691

 こういう周辺状況からすると、山西省は中央からの統制が届かず、省の党や政府が地元の公安当局と「グルになっていて」ほとんど「独立王国のような状態」になっているかのように見えます。

 胡錦濤総書記が最近「不折騰」(「寝返りを打つ」「いじめる」などの意味)という言葉で警告を発しているのは、地方の党組織・政府機関・公安当局・大手企業が全て癒着して「既得権益マシン」と化していて地方政府の内部でのチェック機能が働かず、地方の党と政府が強権を発動して人民を苦しめているような状況(あるいは環境汚染や労働者の就業状態などの面で違法状態にある企業を見て見ぬふりをしている状況)は、人民からの反発を呼び、中国共産党の危機を招く、と認識しているからでしょう。「人民日報」のホームページが山西省政治協商会議主席の交通事故死に関する裁判を伝える「山西日報」の記事を転載したのも、党中央のこうした危機感の表れだと思います。

 中国政府は11月に世界経済危機に対応して2010年末までに4兆元(約56兆円)にも上る大規模な景気刺激策を打ち出しました。こうした大型の景気刺激策が動き出すと、またぞろこういった地方の「既得権益マシン」が動き出して景気刺激策プロジェクトによる利益を独占する危険性が強くなります。多くの中国人民は、こういった「既得権益グループ」の動きに対し、胡錦濤総書記が強力なリーダーシップを発揮して、断固対処して欲しいと思っていることでしょう。もし胡錦濤総書記が断固たる処置を採れば、中国人民は大いに胡錦濤総書記を支持しバックアップすると思います。「既得権益グループ」は、強力な「抵抗勢力」になると思いますが、そういう抵抗を乗り越えて、本当の「改革」を進めて欲しいと思います。

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2008年12月27日 (土)

「南方周末」笑蜀氏の「不折騰」論

 12月18日の改革開放30周年記念大会の「重要講話」の中で胡錦濤総書記が述べた「不折騰」という言葉について、12月25月号の「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)の「評論」特集の「方舟評論」という欄で、「南方周末」論説委員の笑蜀氏が評論を書いています。

(参考)「南方周末」2008年12月25日号評論
「一般庶民の日々の生活を『折騰』させては(寝返らせては)ならない」(原文)
http://xiaoshu.z.infzm.com/2008/12/25/%E4%B8%8D%E8%A6%81%E6%8A%98%E8%85%BE%E8%80%81%E7%99%BE%E5%A7%93%E7%9A%84%E5%B0%8F%E6%97%A5%E5%AD%90%EF%BC%88%E5%8E%9F%E7%89%88%EF%BC%89/

※上記のホームページ上の文章は「原文」であり、実際に紙面に掲載されている文章とは若干異なります。しかし、以下に掲げる議論のポイントは基本的にホームページ上の文章と紙面の文章とでは同じです。

 この中で、笑蜀氏はポイントとして次のように書いています。

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○唐や宋の最盛期は「不折騰」だった。即ち、権力は自分を制限し、国家は社会が進歩するのに任せ、社会の自由は拡大した。逆に秦や隋が短期間で滅亡したのは、権力の自己膨張により、朝廷が社会を侵犯した、別の言葉で言えば「折騰」したからである。

○1990年代以降が1980年代と異なるというのであれば、最も重要なのは発展方式が違うということだ。1990年代以降は、政府主導モデルが盛んになり、富や資源が政府に過度に集中し、権力が過度に政府に集中したのである。

○有効なコントロール機構が欠けている中、過度に強い政府は往々にして社会の自由を抑圧し、一般庶民の日々の暮らしの権利を抑圧したのである。つまり言い換えれば、一般庶民を「折騰」させる可能性を増大させたのである。

○このことは「改革」を変質させた。一部の場所では「改革」と「折騰」は同じ意味になった。国有企業の改革が必要だとなれば「管理者による購入」運動が起き「料理する人が大釜の飯を私的に独占してしまう」現象が起きる(注:国有企業資産の私物化のこと)。都市化が必要だとなれば、強制移転運動が起き、結果として政府は土地による暴利を独占する。彼らは往々にして戦車のように無情にも一般庶民の日常の暮らしを押し潰し、大量の社会矛盾と衝突を起こしているのである。

○一般庶民の日々の暮らしは社会安定の基盤であり、日々の暮らしを守ることは必須である。その意味で「高層」が明確に「不折騰」を提示したことは、特に大きく取り上げるべきだし、全力を上げて実現させるべきことである。

○最も重要なのは一般庶民に「折騰」に抵抗する権利を与えることである。「折騰」するコストが収益よりも高くなれば、「折騰」は自然と消えるのである。

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 「高層」とは、もちろん胡錦濤総書記のことです。これはやはり私が昨日のブログで書いたように、胡錦濤総書記が述べた「不折騰」という言葉は、強いメッセージなのだ、と笑蜀氏も考えたようです。

(参考2)このブログの2008年12月26日付け記事
「胡錦濤総書記の謎の言葉『不折騰』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-2c5d.html

※「不折騰」の意味については、上記(参考2)の記事を御覧下さい。

 この「不折騰」という言葉を巡る議論は、今後とも目が離せそうにありません。

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2008年12月26日 (金)

胡錦濤総書記の謎の言葉「不折騰」

 去る12月18日に現在まで続く改革開放政策を決めた中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)の開催から30周年を記念する「改革開放30周年記念大会」が開かれました。この会議で、胡錦濤総書記・国家主席が「重要講話」を行いました。この「重要講話」の内容は、「これからも中国の特色のある社会主義の道に従って改革開放路線を進む」「西側諸国のような三権分立制度は絶対に導入しない」といったことで、今までと路線の変更は全くないことを示すもので、その意味では、新しい部分はありませんでした。

 しかし、この胡錦濤総書記の「重要講話」の中でちょっと気になるくだりがありました。「我々は、動揺せず、怠けず、寝返りを打たずに改革開放の推進を堅持し、中国特色のある社会主義の道を進むことによってのみ、大きな計画を成し遂げ目標を達成することができるのである。」と述べた部分です。この部分が、今、中国のネットワーカーの間で話題になっています。「動揺せず、怠けず、寝返りを打たず」の部分は、中国語では「不動揺、不懈怠、不折騰」となっています。「動揺」「懈怠(けたい:なまけること)」は日本語でも使われるように、中国語でも普通に使う言葉なので誰も不自然には感じませんでしたが、「折騰」という言葉は、この種の演説には使われない言葉なので、多くの人が違和感を感じたようです。

(参考1)「新華社」ホームページ2008年12月18日15:06アップ
「胡錦濤総書記の第11期三中全会開催30周年記念大会での講話」(7分割のうちの第6部分)
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-12/18/content_10524481_5.htm

 辞書で調べると「折騰」と言う言葉は、「寝返りを打つ」という意味ですが、ほかに「いじくり回す」「むやみなこと(無茶なこと)をする」「苦しめる。痛めつける」という意味があるほか「身悶(もだ)えする」という意味でも使うようです。胡錦濤総書記が何を言いたかったのかは、今ひとつハッキリしません。胡錦濤総書記の重要講話は基本的に前々日と前日に「人民日報」に掲載された「任仲平」署名の評論記事の内容を踏襲したものになっています。しかし、「人民日報」の「任仲平」署名の評論記事には「不折騰」という言葉は登場していません。

※「任仲平」とは特定の人物ではなく「『人』民日報『重』要『評』論」の意味を持つグループによる集団討議の結果書かれる評論です(「任仲平」は「人重評」と中国語では同じ発音)。

(参考2)このブログの2008年12月16日付け記事
「『人民日報』の改革開放30周年評論(前半)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/30-3c83.html

(参考3)このブログの2008年12月17日付け記事
「『人民日報』の改革開放30周年評論(後半)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/30-b9ef.html

 12月22日付けの「新華社」ホームページに掲載された解説では、「不動揺、不懈怠、不折騰」という言葉は、胡錦濤総書記が警鐘を鳴らすために述べた言葉であり、改革開放30年の経済成長の中で、驕りたかぶってはならない、保守的で新しいものを受け入れようとしないような態度を取ってはならない、と述べたものなのだ、としています。

(参考4)「新華社」ホームページ2008年12月22日08:13アップ解説
「不動揺、不懈怠、不折騰」(動揺せず、怠けず、寝返りを打たず)
http://news.xinhuanet.com/theory/2008-12/22/content_10539949.htm

 一方、12月26日付けの「中国青年報」に掲載された陳季冰という人が書いた評論では「『折騰』とは無計画に激しい方法で現在の体制を変えようとすることである。」と解説しています。

(参考5)「中国青年報」2008年12月26日記事(「新華社」ホームページに転載されたもの)
「時事評論:改革開放では、いかにして寝返りを打たないことを確保するか」
http://news.xinhuanet.com/politics/2008-12/26/content_10560041.htm

 さらに、この評論では、ポイントとして次のように述べています。

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○「不折騰」の主語は誰なのか。筆者のような庶民からすると、今日は仕事を辞め、明日は不動産や株式市場の売買で金儲けし、あさってには別の都市に引っ越してしまうような人が、一種の「折騰」(寝返りを打つ)人だと思えてしまう。その人がただの個人なら問題はないが、区、市、省の政府の人だったら影響は大きくなる。

○功名心に走り、大きなことをして手柄を立てようとする地方政府の「折騰」については、やればやるほどその程度が激しくなっているところが少なくない。

○ここで言う「不折騰」の主語は政府と考えるべきだろう。ただ、当然のことながら現状を変えようという政府の努力を全て「折騰」と見てはいけない。政府が行う行為を「折騰」なのか、「創新」(イノベーション)なのかを見極めなければならない。その見極めをする方法は、人類の経験からすると二つある。一つ目は、ふさわしい政府職員を選抜して政府が「折騰」しないようにさせることであり、二つ目は、一般庶民による政府に対する強力な監督体制を作ることである。明らかに後者の方が根本的な解決策である。職員にしろ、政府にしろ、世界の中で誤りを犯さない者などないのだから。

○もし一歩譲って、大多数の民衆の見方が誤っていて、政府の中に卓越した素晴らしい見識を持つ職員がいる、という状態が常に存在している、と仮定したとしても、それでも政府は、政策を進めるためには、「民衆の考え方は遅れている」とか「民衆の観点は狭い」として民衆の意見を反映しないようなやり方をすれば、政府の政策は進めるに当たって大きな困難を招くだろう。胡錦濤総書記は、講話の中で、政策は「人民が支持しているかいないか」「人民が賛成するか不賛成なのか」「人民が喜ぶのか喜ばないのか」「人民が了承するのかしないのか」を出発点とすべきだ、と述べている。

○「不折騰」の実現を保証するためには、民主政治を強力に進めて政治体制改革を進めることが必須である。政府は、真に法律に基づいて人民が付与した権力を行使し、人民による監督と審査を受けなければならないのである。

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 もし、胡錦濤総書記が「不折騰」という言葉を、この「中国青年報」の評論の筆者である陳季冰氏が考えるような意味で使ったのであれば、胡錦濤総書記は、権力を傘に人民の意向を聞かずに強引に政策を進める地方政府の行為を民主的な方法によって人民の手で監督して縛って「不折騰」(寝返りを打たない)ようにすべきだ、と主張したことになります。「中国青年報」は、共産主義青年団(共青団)の機関紙であり、共青団出身の胡錦濤総書記とは近い関係にあると言われています。従って、上記のような想像は、あながち的はずれではない可能性があります。

 「人民日報」の評論の中では使っていなかった「不折騰」という言葉を胡錦濤総書記が改革開放30周年記念大会の重要講話の中で使った、というのは、意外に強力なメッセージだったのかもしれません。「人民日報」の「任仲平」署名の評論は、多くの人が討論して何回も書き直して作る文章なので、地方政府を民主的政治体制改革によって縛る、というようなメッセージは入れられなかったが、胡錦濤氏が総書記権限で書き込める自分の講話の中に自分の考えを「メッセージ」として埋め込んだ、と考えることもできると思います。

 もともと、胡錦濤総書記は、1987年1月に民主化を求める学生運動に理解を示していたとして解任された胡耀邦総書記(この方も共青団出身)を尊敬している、と言われています。そもそも今回の胡錦濤総書記の改革開放30周年の「重要講話」では、1987年の第13回党大会で趙紫陽総書記が提唱した「社会主義初級段階論(建国後100年程度(=2050年頃まで)は社会主義の初級段階が続く、という考え方)を繰り返し述べています。趙紫陽総書記も、1989年の「政治風波」の中で民主化を求める学生たちの動きを容認したとして失脚した人です。こういうことを考えると、何年か経ってみると、この「不折騰」という言葉は、複雑な党内情勢の中で胡錦濤総書記が自らのメッセージを込めた重要な言葉だった、と振り返ることになるのかもしれません。

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2008年12月14日 (日)

2008年12月前半のできごと

 ここのところいろいろな案件が起きているので、ここでまとめて書いてみたいと思います。

(1)南方メディア集団副編集長の更迭

 この件は中国の新聞では伝える記事を見ていませんが、12月5日香港発時事通信によると、私がよくこのブログで引用している「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)や「南方都市報」などの新聞を統括している南方メディア集団の副編集長の江芸平氏が更迭された、とのことです。今までこのブログでも何回も御紹介してきましたが、「南方周末」は、かなり突っ込んだ記事を書くことで有名であり、輸送費を掛けて北京に持ってきても売れる内容の新聞です。

 江芸平副編集長が更迭された後に制作された「南方周末」2008年12月11日号は、いつもと雰囲気ががらりと変わっていました。まず、それまでは新聞の標題が白地に赤く「南方周末」と書いてあったのが、12月11日号では赤地に白抜きで「南方周末」と書いてありました。

 内容も従来は以下のようなものでした。

【パートA】法治、特別報道
【パートB】時局・天下
【パートC】経済
【パートD】文化
【パートE】自由談

 最後の【パートE】は「方舟評論」という欄で「南方周末」紙の論説委員が結構辛辣な評論記事を書いていましたし、読者からの投書も載っていました。

 2008年12月11日号は「中国改革開放30周年記念特別編集(上)」ということで「三十而立」と題して、以下のような特別構成になっています。

【パートA】30年の各年を代表する人物にスポットを当てた特集記事
【パートB】経済:10名のビジネス啓蒙者にスポットを当てた特集記事
【パートC】文化(芸術、映画、演劇、音楽)、科学技術の30年を振り返る特集記事

ということで「時局・天下」を報じる部分と評論記事からなる「自由談」がなくなっています。たぶん「南方周末」社に聞けば「改革開放30周年の特集号だからいつもと違う編成なんだ」という答が帰ってくると思います(改革開放政策を打ち出した第11期中国共産党中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)が開かれたのが30年前の1978年12月で、今、改革開放30周年の時期に当たるのは事実です)。

 ということで、構成上は、かなり「圧力が掛かったな」という感じを受ける編成になっています。しかし、実は個々の記事を読んでみると、記事を書いている各記者は全然へこたれておらず、各記者の強い気持ちがにじみ出ている記事がたくさん掲載されています。

 例えば1面トップには、論説委員の「笑蜀」氏が書いた文章が載っています(この論説委員の名前は、もちろんペンネームでしょうが、三国志に出てくる劉備玄徳が抱いていた大望、即ち蜀(四川省)を得て漢を復興させようという「望蜀」を考えると、かなり皮肉なペンネームです)。この「笑蜀」氏の文章は、相当に意味深長なことを述べています。ポイントを示すと以下のとおりです。「笑蜀」氏に聞けば、「そんな意味は含んでいない」と否定すると思いますが、私には、あたかも下記の(3)で述べる案件と相通ずるような主張を感じました。

(参考1)「南方周末」2008年12月11日号
「再び人に戻り、再び人から出発する」(笑蜀)
http://www.infzm.com/content/21045

-「南方周末」2008年12月11日号1面の「笑蜀」氏の文章のポイント(始まり)-

・改革開放が進展したのは、当時、多数の「普通の人」を解放したからだ。一端、抑圧と屈辱の中から人々が解放されると、その創造力と進歩に対する激情は最大限にほとばしり出て、人々が奇跡を起こすことすら不可能ではなくなったのだった。

・改革開始によって、国民が歴史の主体としての位置に戻ったのである。古い革命幹部が受益しただけではなく、知識階級が受益し、社会の最先端を行く人々が受益し、ごく普通の以前だったら「貧しい人々」と呼ばれていた人たちも受益したのである。これが30年の改革の原点である。

・この改革の原点は、また新しい改革、即ち「最後の30年」の起点でなければならない。

・現代史を振り返ると、おおよそ200年がひとつの単位となっている。フランス革命によって蒔かれた自由・平等・博愛の精神の種は、ちょうど200年を経て普遍的価値となった。歴史家の唐徳剛は、中国も現代史のモデルに習うことになる、と述べている。つまり、アヘン戦争から200年後、即ち2040年までに歴史のボトルネック(原文は「歴史的三峡」)を抜ける、と述べている。200年間の苦闘の結果は、これからの「最後の30年」によって得られるのである。

・改革30年の成果には大きなものがある。しかし、権力が改革をねじ曲げ、改革を曖昧なものにし、改革を論争の種にし、看過できない事実をももたらしている。改革の精神は改革を必要としている。改革の様々な異質化を真正面から見つめなければならず、改革の中における何千万、何億の「普通の人々」の悲しみと喜び、血の涙を正視しなければならない。

・改革とは誤りを修正することである。新しい改革は、その意味するところの原点に戻らなければならない。権利システムの調整を通して、国民の心の中に国家を再建することに対する同意を与え、それによって我々の国家を真に道徳感を招き寄せうる国家にしなければならない。四川地震の救援に対して全国の人々の心がひとつになったように、全民族の力量をもって、現在直面している困難に共同して立ち向かわなければならない。そうすることにより、我々は最終的に歴史のボトルネック(「歴史的三峡」)を通り抜け、広大で穏やかな太平洋に流れ入ることができるのである。

-「南方周末」2008年12月11日号1面の「笑蜀」氏の文章のポイント(終わり)-

 さて、この号の「南方周末」では、改革開放30年の各年を代表する人物について述べていると上に書きました。一番気になる1989年の部分ですが、当然のことながら「1989年の政治風波」については何も書かれていません。

 「1989年を特徴付ける人物」で取り上げているのは、1989年3月26日に自殺した海子という詩人です。この年の特集記事のタイトルは「海子:ひとつの自由で苦痛に満ちた声が静寂に帰した」となっています。そして「理想主義の1980年代が終わった」と書かれています。

 そしてこの1989年に関する記事の最後には次の一文が載っています。

「海子は、1980年代の最後の年に自殺した。欧陽江河氏は『彼はやがて来る消費時代の到来を予感していたのかもしれない。来るべき時代は、散文的で、自嘲的で、逆説的な風刺による、身体で表現する言語の時代だったのだ。』と語った。そして、この海子の死と引き替えに、海子のような作風と海子の時代の夢が終わった。」

 この特集記事では「1989年の政治風波」については何も語っていませんが、貧しくとも未来への発展の夢があった1980年代後半を北京で過ごした私は、この特集記事の筆者(南方周末の楊継斌記者)に大いなる共感を覚えます。

(参考2)「南方周末」2008年12月11日号「改革開放30年の各年を代表する人物」
「【1989】海子:ひとつの自由で苦痛に満ちた声が静寂に帰した」
http://www.infzm.com/content/21075

(2)「新京報」による「上訪者が精神病院に入れられた事件」の報道

 この件は、日本の報道機関でも伝えられたので、御存じの方も多いと思います。

 「上訪」とは中国独特のシステムで、地方政府の横暴に苦しむ住民がその地方政府の上部機関へ(例えば、市や県の政府に苦しめられている人は省の政府へ、さらに最終的には北京の中央政府へ)訴える制度です。いわば日本の江戸時代にあった「直訴」のようなもものです。省の政府や北京の中央政府には、この「上訪」を専門に受け付ける部署があります(中央政府の場合、この受付窓口は「国家信訪局」といいます)。

 12月8日号の「新京報」は、「核心報道」として2面にわたり、強烈なレポート記事を掲載しました。内容は、今年10月、山東省新泰市の住民が北京に来て「上訪」しようとしたところ、拘束されて、強制的に新泰に連れ戻され、「新泰精神衛生センター」に入院させられて、強制的に「治療」を受けさせられた、というものです。この記事では、こういったことが2004年から繰り返し行われてきたことを明らかにしています。

(参考3)「新京報」2008年12月8日付け記事「核心報道」
「上訪者が強制的に精神病院に送られている」
http://www.thebeijingnews.com/news/deep/2008/12-08/008@021055.htm

 このレポートは内容的には非常に衝撃的なものです。一方、そういった衝撃的なルポルタージュが中国の新聞に堂々と掲載され、現在もネットで見ることができる、ということも画期的なことです。(こういった記事は「新京報」が北京の新聞だからできるのであって、地元の山東省の新聞だと、地方政府の「指導」がありますから、こういった記事は載せられないと思います)。

 この「新京報」の記事が「人民日報」に政治システムに関する記事が載ったのと同じ日に掲載された、というのは何か関連があるのでしょうか。おそらくこれら一連の記事は12月10日の「世界人権デー」にちなんで記事にした、と考えるのが自然かもしれません。

(参考4)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

(3)「例の文書」のネットへの掲載

 そして、これが最近起きた一連の事態の中で、最も衝撃的な出来事でした。日本でも報道されているので御存じの方も多いと思います。本件は、中国国内では極めてセンシティブな(敏感な)事項であるので、北京にいる私としては「例の文書」とだけ書いておきます。「例の文書」の正式名称は「零戦」「八方」「憲男」「章節」の前の文字を組み合わせたもの(四文字)です。前の二文字は、もちろん算用数字を使うこともありあます(何のことかわからない方は、この「四文字」を日本語の検索エンジンで検索してみてください)。

 この文書がネット上で発表されたのは12月9日とされていますが、日本の報道機関が報道したのは12月10日でした。私はたまたま12月11日まで東京におり、12月11日に東京から北京へ移動したので、本件に関するネット上での取り扱いについて、東京にいた時と北京に来てからとの違いを体験することができました。

 東京では当然のことながら自由にネットを見ることができましたが、北京に来ると以下の点がわかりました。

○本件記事を掲載しているBBCホームページ中国語版が、本件記事だけではなく、ページ全体がアクセス禁止になっています。

(参考5)BBCホームページ中国語版
http://news.bbc.co.uk/chinese/simp/hi/default.stm

 このBBCホームページ中国語版は、長らく中国大陸部からはアクセス禁止状態にありましたが、北京オリンピック開始直前の2008月7月末にアクセスできるようになりました。従って、オリンピック前の状態に戻っただけなのですが、このアクセス禁止措置が今回の「例の文書」が出されたための措置であることは明らかです。

○中国語の検索エンジンで「例の文書」を検索すると、いくつかのページがヒットするもののほとんどが既にその内容は削除されています。しかし、ブログに転載されるなど削除されないで残っているものも一定の数あるので、探せば北京でも「例の文書」の本文を見ることは可能です。しかし、今日、「例の文書」の本文が見られたサイトでも、次の日になると削除されているケースが多いようです。しかし、どんどん削除されてはいるものの、どんどん転載もされているので、ネット上から完全に駆逐することは無理だろうと思います。

○人民日報のホームページにある掲示板「強国論壇」では、本件に関する直接の発言は載っていない(たぶん削除されている)のですが、明らかに本件文書を読んだと思われる人の発言が賛成・反対の立場ともに少数ながら載っています。反対の意見が載っている、ということは、反対の立場の人も文書の本文は見ている、ということなのでしょう。

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 これらの状況を見て私が感じるのは、「南方周末」の「笑蜀」氏が述べているのと同じです。即ち、ついに「最後の30年が始まった」ということです。これは1989年のように一時的な「政治風波」で終わるようなものではないと私は思っています。当局は、新聞の編集者の更迭やネット上の記事の削除やアクセス禁止措置でこれを抑え込もうとしているようですが、上記の「南方周末」の記事や、(3)の「例の文書」が次々に多数のブログに転載されている現状を見れば、もはや時代の流れを止めることは誰にもできないと私は思います。

 ただ、私が注意しなければならないと思うのは、今、世界的経済危機で、世界中の多くの人々が困難に直面しているということです。ことを急ぎ過ぎて社会的混乱を起こすことは、誰も望んでいない、ということです。私には、これから何が起こるのか、全く予想ができません。世界的経済危機が、これまで誰も経験したことのないものであるからです。また、中国で(3)の「例の文書」のようなものが広く知れ渡ったことも初めてのことだからです。さらに、中国は、新聞が(2)の記事のように使命感を持って記事を書くようになった時代を今初めて経験しているからです。私は、個々の人が、できるだけアンテナを広げて情報を収集し、自分でできる範囲のことを自分の判断でやっていく、という当たり前のことをする意外にこの予測不能な時代に対処する方法はないのだと思っています。

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2008年12月 5日 (金)

「人民日報」上での政治の民主化を巡る議論

 テレビでアメリカの大統領選挙を巡る喧噪(けんそう)を見たり、モンゴルで選挙の後に暴動が起こったとか、ジンバブエで選挙の結果が確定せずに政治的不安定な状況になった、とかいうニュースを見て痛感するのは、世界人口の5分の1を占め、国連の常任理事国である中国で選挙が行われていない、という事実です。前にも書きましたが、現在の全国人民代表大会の議員(人民代表)を選ぶ選挙は、何層にも繰り返し間接選挙を繰り返すこと、立候補にいろいろな制限があること等から、外国の人はもちろん、中国の人々自身も「選挙」だとは思っていません。1990年前後から最も下の地方組織である村民委員会では、一部で村民による直接選挙が行われていますが、村民委員会は権限が非常に小さく、いわば「町内会」のようなもので、これをもって「中国で選挙が行われている」という主張は、中国政府自体、あまり胸を張って言うことはしていません。

 ただ、中国の政治の民主化について多くの外国の人が誤解しているのは、中国共産党中央が住民による直接選挙の導入を阻止しようと考えている、という認識です。中国共産党は、広大な国土と膨大な人口を持つ多民族国家である中国をまとめるために「中国共産党による指導」ははずすことはできない、と考えていますが、住民による直接選挙は導入すべきではない、と考えているわけではない、と私は見ています。むしろ、党中央は、地方政府の乱脈振りをコントロールするため、地方政府レベルでの選挙を何らかの形で導入すべきではないか、と模索しているように見えます。住民による直接選挙に抵抗しているのは、党中央ではなく、住民による直接選挙で権限を奪われる恐れがある地方の党や政府の幹部とそれと結託した地方の企業・有力者だと思います。

 党中央が「民主化」をひとつのキーワードにしていることは、昨年(2007年)10月の第17回党大会での胡錦濤総書記の報告の中で「民主」という言葉が67回も登場したことでもわかります。

(参考1)このブログの2007年10月19日付け記事
「党大会後の民主化の具体化はどうなる?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/10/post_7250.html

 今までこのブログでも時々書いてきましたが、「新京報」や「経済観察報」といった市井の新聞はもちろん、時々、「民主化」の問題は中国共産党の機関誌「人民日報」でも取り上げます。一昨日(12月3日)の「人民日報」にも、民主化についての特集記事が載っていました。

(参考2)「人民日報」2008年12月3日付け記事
「中国の民主化は増量方式で(注:「少しずつ」の意味)発展している」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/03/content_150525.htm

 この特集記事は、中国共産党中央編成局副局長で北京大学中国政府イノベーション研究センター主任の兪可平氏に対するインタビュー記事です。この記事のポイントを掲げると以下のとおりです。

記者:最近、杭州での地下鉄工事現場崩落事故や甘粛省リュウ南市(リュウは「こざとへん」に「龍」)での群衆争乱事件などが、発生後すぐにメディアで報じられた。このようなことで普通の人々は中国における民主化が発展している感じているのではないか。

(参考3)甘粛省リュウ南市の群衆争乱事件については、下記のこのブログの2008年11月25日付け記事「世論のリーダーになりつつある中国の新聞」を参照のこと
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-6a7a.html

兪可平氏:2007年に国務院が政府情報公開条例を制定するなど、行政情報の公開と政治の透明度の推進を進めてきた。情報の公開は民主政治の重要な一面だ。

記者:30年来、中国経済は巨大な発展を遂げたが、中国の民主化の程度は経済発展とアンバランスであり、「片方の脚が短く、片方の脚が長い」状態であると言っている人もいる。

兪可平氏:それは一種の誤解と偏見だ。一部の人には西側の多党制・全国民による普通選挙制度・三権分立を基準に考える傾向があるが、まだ改革時期にある中国の政治を見て、中国の改革は経済体制の改革だけで、政治体制の基本は変化していないと認識しているのだ。政治体制は、市場経済の発展に応じたものでなければならない。中国においても、もし民主政治の発展がなかったら経済の長期的発展はあり得ない。しかし、中国においては、政治体制の経済発展に対する役割が、西側の国々より大きいことを考えなければならない。

兪可平氏:西側の基準から簡単に中国を見てはならない。中国の民主化の進展は、中国の長い歴史の中で見なければならない。例えば、中国数千年の封建社会の中において、人民が統治者に物申すことがあっただろうか。現在はそれができ、法律制度による保護もある。現在の中国の法治制度はまだ不完全なものであるが、その目標を定めてその方向に進んで行きさえすれば、大きな前進が得られるだろう。

記者:中国の民主化の観点から見て、何が重要だと思うか。

兪可平氏:民主政治の成果を得ることと経験を積むことだ。制度と実践の進展は簡単に言えば7つの方向性がある。即ち「党と国家の適度な分離」「公民社会の実現」「法に基づく政治と完備された法律体系の整備」「直接選挙の拡大と地方における自治範囲の拡大」「行政情報の公開と政治の透明性の推進」「行政サービス型政府の確立と行政サービスの質の改善」「公聴会制度、協議制度、政策決定の民主化」である。

記者:重慶でのタクシー・ストライキにおいて重慶市党委員会の薄熙来書記が前面に出てタクシー運転手たちや市民代表と話し合った。これは公衆の参与を拡大させたのではないか。

(参考4)重慶市のタクシー・ストライキについては、下記のこのブログの2008年11月6日付け記事「重慶市のタクシー・ストライキ」を参照のこと
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-9f93.html

兪可平氏:その通りだ。政府は政策を決める際に公衆の意見を聞き、公衆を参与させる方法を講じなければならない。公衆の参与は民主政治の核心問題のひとつである。公衆の参与は公衆の権利の実現の方法であり、公的権力の乱用を防止し、社会の和諧(協和)と安定を促進する。

記者:中国にはネット・ユーザーが2.53億人いる。ネット上でのネット・ユーザーの発言を見る幹部が多くなっている。これも公衆の参与の新しい道筋ではないのか。

兪可平氏:公衆の参与の仕方には異なる多くの種類の方法があってよい。

記者:さらに公衆の参与を拡大するにはどうしたらよいのか。

兪可平氏:公衆参与の問題についてはよく注意して対処する必要がある。ひとつは公衆の側に参与したいという意欲がない場合、ひとつは公衆の意欲は強いがそれを実現する合法的な方法がない場合である。公衆の権利を守り、かつ政治的安定性を維持し、社会の和諧(協和)を促進するためには、参与の方法を広げると同時に、参与行為に関する規範を作る必要がある。

記者:中国の民主化は上から下へ推進すべきだ、と言う人がいる。まず政治のトップレベルから民主化を進めることによってこそ、健全な民主化が進むのではないか。

兪可平氏:「維新変法」(注:清朝末期の1898年の政治改革)や「辛亥革命」(注:1912年に清朝を終焉させ中華民国を樹立させた革命)など、中国では何回も「上意下達の民主政治」が試みられた。その経験からすれば、中央集権の伝統の長い大国において民主化を進めるためには、上下結合こそが正しいやり方だ、ということだ。上下がお互いに動くことが必要であり、「下から上へ」と「上から下へ」とが同時に進行しなければならない。

兪可平氏:基層民主(末端の地方レベルでの民主)と党内民主が現段階における中国民主政治の二つの大きな重点であり突破口である。基層民主が全ての民主政治の基礎である。党内民主は権力の核心部分の民主である。

記者:基層民主については、中国は大きな成果を上げてきたのではないか。

兪可平氏:その通りである。1998年に村民委員会組織法が制定され、国家の権力機関が扱わない農民事務を行う村の幹部は村民の自由選挙で選ばれている。2007年末までに61.3万の村民委員会が設立されている。

記者:党内民主については、一般庶民は幹部選抜任用の過程に関心を持っている。

兪可平氏:差額選挙(定員より多い立候補者による選挙)が党内民主の重要な指標のひとつである(注:一般の国では選挙と言えば複数立候補が当然だが、中国では従来は定員と同数の立候補者による信任投票だった)。1987年の第13回党大会で初めて「差額選挙」が行われた。2007年の第17回党大会では、中央委員会委員、中央委員会委員候補、中央規律委員会委員は全て「差額選挙」の結果選ばれた。地方幹部についても「差額選挙」で決まるケースが段々多くなっている(注:この場合の幹部選挙は住民による選挙ではなく、地方の党員による選挙のこと)。

記者:人々の民主化に対する期待は高い。政治の民主化が一気に進むことを期待している人もいる。

兪可平氏:「ローマは一日にして成らず」である。中国の民主化の発展は「増量方式」(少しずつ量を増していく方式)となるだろう。中国の民主政治の速度と程度は、社会経済体制と経済発展レベルと一致させるようにしなければならない。

記者:「増量方式の民主化」ということには多くの人が関心を持つと思うが、具体的にはどうしようと考えているのか。

兪可平氏:中国の民主政治は次の三つの線路に沿って前進するだろう。
第一は、党内民主である。唯一の執政党である中国共産党が党内民主を拡大することにより、全社会の民主化を進めることになるだろう。
第二は、基層民主から高いレベルへの民主への段階的な進展である。重大な改革は基層レベルで試験をし、段階的に高いレベルへ進めていくことになろう。
第三は、少数による競争から段々と多数による競争に持っていくことである。

記者:その過程で、西側諸国の民主政治の発展モデルを中国が活用することの意義についてどう考えるか。

兪可平氏:民主制度には、普遍性と特殊性との両方の性質がある。アメリカは国土面積は中国とほぼ同じだが、人口は何分の一にしか過ぎない。文化伝統も国情も違うので、民主化のモデルも異なる。中国の民主化では、中国共産党による指導を堅持し、人民を主体とし、法による国の有機的統一を図ることが原則である。ただし、我々は、西側諸国における優秀な政治文明の成果も含め人類が共同で築き上げてきた文明の成果を排斥してはならない。「民主」という言葉は外来の言葉だが、最近、中国の行政で使われる「公聴会」などの言葉もみな西側から学んだものである。

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 最近の中国の新聞の論調からすると、上記のような記事が「新京報」「南方周末」「経済観察報」等に載っていてもさほど驚きませんが、中国共産党の機関誌であり最も公式な新聞である「人民日報」の記事としては、結構、突っ込んだことを言っていると思います。この記事では、重慶市のタクシー・ストライキや甘粛省リュウ南市の群衆争乱事件にも言及しており、民主化を進めて一般大衆の不満をうまく吸収するシステムを作らないと、むしろ社会の不安定化に繋がる、という党中央の危機感が感じられます。西側のシステムをどのように参考にするのか、という点については、先日、政治局常務委員(序列4位)・政治協商会議主席の賈慶林氏が司法改革について語った下記の言葉のトーンとはかなり異なる印象を受けます。

「改革は、絶対に中国の特色のある社会主義政治の発展の路線を踏み外すものであってはならず、党の指導を堅持し、人民の問題を処理することを主とすることと法により国を治めることを統一したものにしなければならない。人類の法治文明の優秀な成果を用いることが必要だが、絶対に西側の政治制度や司法制度のモデルをそのまま持ち込んだりしてはならない。」

(参考5)上記の賈慶林氏の発言については、このブログの2008年11月30日付け記事「どうする中国の司法制度改革」を参照のこと
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-1e8d.html

 上記の「人民日報」の記事でもあまり歯切れよくズバリとは言っていませんが、地方政府の乱脈振りを監督・監視するため、党中央では、末端地方レベル(市・県とその下の鎮レベル)の党や政府の幹部に対して、住民による選挙を導入したいのではないか、と私は思っています。ただ、上から強圧的に選挙制度を導入しようとすると、地方の党・政府幹部による強い抵抗が予想されるので、まずは一般大衆も読んでいて、日頃から「模範とすべし」とされている「人民日報」にこうした記事を載せて、いわば「ジャブ」として、党内で議論を起こさせ、党内世論を収れんさせよとしているのではないか、と思っています(半分、私の「期待」が入っていますが)。

 ただ、村民委員会での直接選挙制度が導入されて以来、既に20年が経過しているのに、現実的な政治の民主化の程度は全く進展していません。「人民日報」がこうした「政治の民主化」というテーマを真正面から取り上げた意義は大きく評価しなければならないと思いますが、2008年になっても、まだ「ジャブ」を出す程度のことしかできないのだったら、現実的な民主化はあと30年以上経たないと実現しないのじゃないかなぁ、と思えてしまいます。

 中国は巨大な象のようなものであり変化するには長い時間が掛かる、と昔から言われてきました。急激な変化が起きて、社会が混乱することは、中国内外の誰もが避けたいと思っていることですから、時間が掛かろうとも、少しづつでも前進していくことに期待するしかないのだと思います。少なくとも、上記の「人民日報」の記事は、ごく小さな一歩ではあるものの、前進であることは間違いないと思います。

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2008年12月 3日 (水)

景気刺激策の中で農地の収用は抑制可能か

 中国が示した総額4兆元(ここ数日の円高元安傾向のレートだと約54兆円)の大規模な景気刺激策については、その7割近くを地方が負担するのではないかと見られていますが、その財源として地方政府が安い補償金を支払うことによって農民から土地を収用してそれを開発業者に高く売って得る収入でまかなうのではないか、と私は懸念している、と、先日このブログで書きました。

(参考1)このブログの2008年11月28日付け記事
「『史上最大のバブル』の予感」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-793d.html

 この私の心配は単なる空想ではなく、中国政府当局自体が実際に心配していることがはっきりしました。今日(12月3日)、国土資源部副部長の鹿心社氏が記者会見し、土地の収用については国が許可を行うという制度を通じて地方政府がいわゆる「土地財政」に頼ることがないようにする、と説明しているからです(中国の「部」は日本で言えば中央政府の「省」に相当する役所です。従って、国土資源部副部長は、日本式に言えば国土資源省の副大臣です)。

(参考2)「新華社」ホームページ2008年12月3日18:52配信記事
「国は土地を収用することによって収益をするという『土地財政』を抑制する方針」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-12/03/content_10451315.htm

 この新華社にアップされている記事には、「某地方政府」が「大衆の利益」と書かれた木になっている果実をもぎ取って「開発業者」に渡す場面がマンガで描かれています。この記事によると、ある市または県において、ある年に耕地を新規で建設用地に造成した土地のうち15%以上が違法状態だった場合、あるいは15%に満たなくても状況が重大で、影響がひどい場合には、当該地方政府の責任者は責任を問われる、とのことです。この国土資源部副部長の発言は、「地方政府が農民から土地を収用することによって財政収入を得ることは許さないぞ」という中央政府の決意を発表しているわけなのですが、この発表を聞いた地方政府の責任者は逆に「新しく開発した土地のうち違法なものが15%未満だったら責任を問わないと国の責任者が認めたわけだ。」と思うに違いありません。

 この「15%を超えたら責任を問う」という話は別の記事にも載っていました。

(参考3)「京華時報」2008年12月3日付け記事
「小産権房の処理を巡っては『責任を大衆に負わせる』ことをしてはならない」
~北京市国土局長、再度、農村の宅地用土地を都市住民のために流用することは厳禁するとの態度を表明~
http://epaper.jinghua.cn/html/2008-12/03/content_371521.htm

※中国のこの種の新聞のホームページではかなりうるさい「ポップアップ広告」が表示されることがありますので御注意ください。

 「小産権」(または「小産権房」)とは、村などの集団に所有権がある農村の土地を農民から収用してその上にマンションや別荘を建てて、都市住民(その村の住民以外の者)に販売している不動産物件のことです。都市の中心部から距離は離れているが、都心部よりかなり価格が安く、購入希望者が多いことから、相当の数販売されています(北京市の場合、流通しているマンション等の約2割程度は「小産権」であるとのこと)。しかし、農村の土地は、農地にしろ農民住居用土地にしろ、集団所有(村などの集団が所有している)のだからその集団のメンバーではない都市住民にはその土地に対する使用権は一切認められていないので「小産権」という不動産物件は違法である、というのが、政府(中央政府の国務院や北京市政府)の見解であり、実際、その考え方に沿った裁判の確定判例が出ています。

(参考4)このブログの2007年12月18日付け記事
「都市住民の『小産権』購入は違法と確定判決」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/12/post_bf8b.html

(参考5)このブログの2008年1月9日付け記事
「国務院が『小産権』に関し明確な通知を発出」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_4000.html

 上記「参考3」の「京華時報」の記事によると、北京市国土局の魏成林局長が昨日(12月2日)明らかにしたところによると、2008年の上半期に北京市の14の郊外地域にある区や県で行われた新規に造成された土地のうち件数にして67%、面積にして57%が違法または規定に違反していたものだった、とのことです。魏成林局長は、今後、各レベルの地方政府において、法律や規定に違反している土地の割合が15%を超えた場合には、その地方政府の責任者は責任を追及される、と述べています。この発言は、上記「参考2」にある「新華社」の記事に載っている国土資源部の鹿心社副部長の今日(12月3日)の発言と一致していますので、これが中央政府の統一方針なのでしょう。

 それにしても北京市の魏成林局長の発言は、上記(参考4)(参考5)の私のブログに書いてある通り、2008年初頭には裁判所の判決や国務院の明確な意思表示が出ていたにもかかわらず、依然として2008年前半に北京市の郊外地区で新規に造成された土地の、件数にして7割近く、面積にして6割近くが違法状態である、ということを示しています。つまり裁判所や中央政府が見解を違法だと明確に示しているにも係わらず、実際はほとんどの人は「そんなことは関係ない」と平気で違法な開発を行い、北京市政府当局もそういった実態を取り締まることはできなかった、ということを北京市当局の責任者が認めた、ということです。中央政府や北京市政府は、実態的に取り締まれないので、15%を超えたら責任を問う、という形で「取り締まろうという姿勢を示すこと」しかできないのだと思います。中国政府は「中国は法治国家になった」と盛んに自分で言っていますが、実際は、誰も法律を守っていないし、守らせることもできていない(きつい言い方をすれば、中国では政府が行政府としての機能を果たしていない)という現状を示すひとつの事例だと思います。

(注)「麻薬」や「銃」や「中国共産党を批判する言論」に対してはきちんとした取り締まりができているのですから、法律執行能力の面において「中国政府に取り締まり能力がない」と思うのは間違いです。「土地を開発することによって収入を得たい農村」と「安い別荘やマンションが欲しいと思う都市住民」の希望を押しつぶしてまで取り締まると政府に対する反発が強まる、と考えて、強硬な取り締まりができないのだと思います。

 上に述べたように、今回の「15%を超えたら責任を問う」という国土資源局副局長の発言は、地方政府に「15%以下ならばやってもいいんだ」という「免罪符」を与え、農民からの土地収用を促進することになるので、発言としては逆効果だったのではないかと私は思います。私は、上記の報道を見て、ますます(参考1)「『史上最大のバブル』の予感」で書いたような、農民からの土地の収用が進むことにより今後数年間のうちに「大量の不良債権不動産が蓄積される」「土地を失った大量の農民が失業者となる」「中国の農地面積が食糧確保のために最低限必要な面積を下回る」といった危機的状態が起こるのではないか、との懸念を強めました。

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2008年11月28日 (金)

「史上最大のバブル」の予感

 この世界的信用縮小の時期に「『史上最大のバブル』の予感」とは何事か、とお思いのことと思います。しかし、私は、昨日(11月27日)の中国の国家発展改革委員会の張平主任の記者会見の様子をネットで読んでいて、思わずそういうふうに感じてしまったのでした。

 御存じのように世界的な金融危機を受けて、中国は11月9日、2010末までに4兆元(約60億円)を投下する、という10項目の景気刺激策を発表しました。

(参考1)このブログの2008年11月10日付け記事
「中国の景気刺激策は世界を救うのか」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-cce7.html

 この景気刺激策の内容について、昨日(11月27日)、国家発展改革委員会の張平主任が記者会見を行ったのです。

(参考2)中国政府ネット「国務院記者会見」
「さらに内需を拡大させる問題に関する記者会見の状況」(文字記録)
http://www.gov.cn/wszb/zhibo288/wzsl.htm

 この中で張平主任は、4兆元を何に使うかについて、以下のように述べました。

(1) 安全な住居の提供:2,800億元(シェア7%)
(2) 農村の民生向上と農村インフラ建設:3,700億元(シェア9%)
(3) 鉄道、道路、空港、都市の電力網:1兆8,000億元(シェア45%)
(4) 医療衛生、文教事業:400億元(シェア1%)
(5) 生態環境保護事業:3,500億元(シェア9%)
(6) 自主イノベーションと経済構造改革:1,600億元(シェア4%)
(7) 災害を受けた地域の復旧・復興:1兆元(シェア25%)

 話の順番としては、住宅などの民生、農村・農民対策などを掲げていますが、金額的な割合を見ると、鉄道、道路、空港等の建設や災害被災地の復興・復旧で全体の7割を占めています。今回の景気刺激策が、いわゆる「ハコもの」「建設プロジェクトもの」を中心とする公共事業型景気刺激策であることがよくわかります。医療衛生・文教事業のシェアがたった1%とは、「第一は民生だ」と述べている張平主任の発言と、その中身とが一致していない、と言わざるをえません。

 この記者会見で、張平主任は、4兆元のうち中央による投資は11.8億元(全体の29.5%)である、と述べており、残りは地方などが投資を行う、との見通しを述べています。これら中央の景気刺激策発表を受けて、各地方では一斉に景気刺激のための景気のよい事業プロジェクトの発表が相次いでいるようです。上記の記者会見で、ある記者は、「中央は『4兆元の投資』と言っているが、不完全な集計ではあるが、各地方で発表されている各地の景気刺激のためのプロジェクトの投資額を全部合計すると18兆元にも上る、と言われている。1年後、世界経済が回復したら、中国はまたバブル状態に陥ってしまうのではないか。」と質問しています。これに対して、張平主任は「プロジェクトの実施は中央が許可するという制度は維持し、監督・監査を強化して、重複投資を防ぎ、地方の投資も中央が決めた方向へ向かうようにし、経済構造改革、発展方式の転換、民生問題の解決、生態環境問題の解決に向かうようにする」と答えています。

 今年(2008年)前半まで、中央政府のマクロ経済政策は、地方における過剰投資がバブル化して、北京オリンピック終了後に崩壊することを懸念して、地方の投資を抑えるための様々な方策を講じてきました。ところが、北京オリンピックが終了した後の今年9月に急激に深刻化したアメリカ発の国際金融危機を受けて、中央の経済政策は一変し、金融の緩和と景気刺激を進める方向になりました。このため、今まで地方における投資を抑制する方向ではまっていた「タガ」が一遍にはずれた格好になりました。何しろ今まで「過剰投資は抑制せよ」と言われていた中央が今度は「景気を刺激せよ」と言い始めたわけですから、もともとどんどん投資をしてGDPを上げてお金儲けと出世がしたい地方の党・政府の幹部にとっては「錦の御旗」をもらったのと同じですので、地方には「どんどん投資しよう」という機運が急激に広まっているのだと思います。

 この4兆元の景気刺激策のうち、もし7割近くが地方の負担になるのだとしたら、その財源はどうするのだろうか、という問題が生じます。この4兆元の財源問題は、現時点では必ずしも明らかになってはいません。

 今まで、中国各地で起きていたバブルとも言える建設ブームは、中国式社会主義の上に実現した「土地マジック」が産んだのだ、とも考えられています。中国の農村の土地(農地及び農民が住んでいる住宅地)は村などの地方政府の所有地です(社会主義を原則とする中国では、農民による土地の私有は認められていません)。村などの地方政府は、農民に住宅用地を貸しているとともに、各農家に割り当てられた農地に対して、生産を請け負わせ、請け負い量を上回って生産された農産物は農家の自主的な判断で売りさばいて自分の収入にしてよい、というのが、現在の改革・開放路線の根本になっている生産請負制度です。

 土地の所有権は地方政府が持っているのですから、地方政府が必要だと判断した時には、「合理的な補償金」を農民に支払うことによって土地を収用できます。現在、この「合理的な補償金」の額は、農地の場合、その農地で過去三年間に生産された農産品の価格に相当する金額、とされています。一般に中国の場合、農産品の価格はかなり割安に設定されているので、場所にもよりますが、農地をつぶして、そこをマンション用地や工業用地として売り出せば、地方政府は、補償金よりかなりの高額で「土地使用権」を転売することができます。ある学者は、大まかに言って、だいたい補償金として支払った値段の十倍の値段で売れる、と言っています。

(参考3)このブログの2008年1月14日付け記事
「ついに出た『土地私有制』の提案」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_6f24.html

 こうして地方政府は、農民から収用した土地の使用権を開発業者に売って、販売金額から農民への補償金を差し引いた残りの金額(上記の学者の言によれば、販売価格の十分の九)を収入とし、それによって、いろいろなプロジェクトの投資を行えるのです(そして、土地開発業者とうまく結託すれば、地方政府の幹部個人の懐も大いに肥える、というわけです)。

 今年前半は、そういった地方政府による土地政策に対する批判もあり、そういったことはおおっぴらにはやりにくかったのですが、今回、「景気刺激策」という「錦の御旗」が中央で掲げられたことは、こういった「農民から土地を収用して資金を調達し、公共事業を実施する」ことに対する正当性を得た、ということになり、地方政府を活気づけたのではないかと思います。

 さらにタイミングが悪いことに、今年10月の中国共産党第17期中央委員会第3回全体会議(第17期三中全会)では、長年にわたる農村・農業・農民問題(三農問題)を解決するための農地改革の一環として、農地の生産請負権の自由な譲渡・売買等を認める「中国共産党中央による農村改革の発展の推進における若干の重大問題に関する決定」が出されました。

(参考4)このブログの2008年10月28日付け記事
「第17期三中全会決定のポイント」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/10/17-86c4.html

 この第17期三中全会の決定は、あくまで「農地」の「農業生産請負権」の自由な譲渡等を認めるものですが、多くの地方政府においては、適用対象の土地を「農地」だけではなく「農民の住宅用地」にまで拡大するとともに、適用対象の権利を「農業生産請負権」ではなく、その農地の「土地使用権」であるとする拡大解釈が行われるのではないかと思います。第17期三中全会の決定の本来の趣旨は、譲渡・転売できるのは「農業生産請負権」ですので、農家からその権利を譲渡された人は農業をやらなければならないのですが、自由に移転できるのは「土地使用権」であり、「土地使用権」の譲渡を受けた者は、土地を農業ではなく別の用途で使うこと(マンション建設用地や工業用地への土地利用目的の変更)も自由にできるのだ、と拡大解釈するわけです(本当は、こういう農地の用途変更は上部機関の許可が必要とされています)。

 この「景気刺激策」と「第17期三中全会の決定」という二つの「錦の御旗」を得た地方政府は、中央の意図とは関係なく、農民から土地の収用し、それで得た資金を公共事業に投資する傾向を歯止めなく進めるのではないか、と私は危惧しています。上記の記者会見で記者が言っていたように、全国で発表されている景気刺激策の公共事業プロジェクトの金額を全部合計すると、中央が言っている4兆元をはるかに上回る18兆元に上ってしまう、という現象も、そういった地方政府の動きが現れた結果ではないかと思います。

 もしこういった現象が歯止めなく進むとすると次のような現象が起きます。

(1)膨大な量のマンション、工業用地が数年間という短期間のうちに供給されますが、それに見合うだけの需要がなければ、これらのインフラ投資は遅かれ早かれバブル化(不良債権化)します(住宅地については、人口が多い中国では常に一定の潜在的な需要があるのでバブル化はしない、という人もいますが、あまり不便な場所に大量の住宅地が建設されても、購入する人がいない(または価格を高くできない)ことにより、投資した資金が回収できないおそれは常に生じると思います)

(2)土地を失った(土地の使用権を補償金を受け取って譲渡した)農民は、しばらくは補償金を食いつぶすことによって生活できると思いますが、いつかはその補償金も底を突きます。その後、農地を失った農民は農業に戻ることはできないので、何らかの職業に就かなければならないわけです。農地が工業団地となり、そこに計画通り工場が建てば、雇用も生まれるのでしょうが、それがうまく行かなかった場合には、元農民は失業者となります。こういった失業者が大量に発生した場合には、大きな社会不安が呼び起こされることになります。

(3)地方政府の農地の収用を中央がコントロールできなかった場合には、中国の人々が食べる食糧を生産するために必要な農地(現在、中国政府は18億ムー(120万平方キロ)を食糧確保のために下回ってはならない農地のレッド・ライン面積として設定しています)より農地面積が減ってしまい、中国の人々が食べていくために必要が食糧の確保ができなくなってしまう可能性があります。中国は、現在、食糧については、消費量とほぼ同程度の生産を行っている(特に穀物についてはここ5年間は増産が続いている)ので何も問題は生じていませんが、人口13億人を抱える中国が食糧の大輸入国になったら、これは世界にとっても大問題となります(ちなみに、大豆については、中国は既に大輸入国になっています)。

 こうならないように中央が地方政府をコントロールできればよいのですが、今、中国において、地方政府を中央がうまくコントロールするシステムが有効に機能しているのか、は、かなり疑問です。本来は、地方政府のトップやその地方政府をコントロールする党委員会のトップ(書記)は中央から派遣され、一定の任期の後に交代させ、もし賄賂をもらうなどの腐敗した行為をすれば処罰する、といったシステムで中央が地方をコントロールしているはずなのですが、省・自治区や直轄市(北京、上海、天津、重慶)のレベルではこのシステムによる管理がうまく行っているように見えますが、それより下の市、県、鎮(村)のレベルになると、その数が膨大になることもあり、中央の目が届かないのが実情だと思います。

 今日(11月28日)付けの「人民日報」(中国共産党の機関紙)の1面に「仲祖文」というペンネームで「党を厳格に治めることは幹部を管理することに体現されなければならない」という評論が掲載されています(「仲祖文」とは、特定の個人ではなく、中国共産党中央組織部が意見を書くときのペンネームだと言われています)。

(参考5)「人民日報」2008年11月28日付け1面に掲載された評論
「党を厳格に治めることは幹部を管理することに体現されなければならない」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-11/28/content_147866.htm

 この評論文では「国を治めるためには、まず党を治めなければならない」と指摘しています。中国共産党が支配する中華人民共和国が成立してもうすぐ60年になろうとしているのに、まだこんな当たり前のことを主張しなければならないのか、と溜め息が出ますが、人民日報に「仲祖文」がこうした文章を書かなければならないほど、党内の管理(特に地方の末端の地方の党・政府の幹部のコントロール)がうまく行っていないことを中国共産党自身は自覚しているのだと思います。逆の見方をすれば、外見の格好悪さを省みずに、こうした文章を正直に「人民日報」に掲げている、という点で(自分自身の内部にある問題点を隠さない、という点で)まだ救いはあるのだと思います。

 中国共産党も、県レベルの党の幹部を中央党校で研修させて、「腐敗に手を染めてはならない」などといった教育は一生懸命やっているのですが、こういった教育や研修で問題が解決するのならば、歴史上の数多くの政権は苦労はしなかったはずです。多くの諸国では、腐敗した政府の幹部はマスコミに批判され選挙で負けて失脚させられる、という報道の自由と民主主義とに立脚するシステムが一応その対策として成立しているわけですが、中国では、いまだにそのシステムを導入する気配はありません。少なくとも、ここ数年の間にその種の腐敗を防止するシステムが確立するとは思えません。

 ということは、「景気刺激策」と「土地に関する権利の自由な譲渡を認めた第17三中全会の決定」という二つの「錦の御旗」をもらった地方政府の暴走を中央はコントロールできなくなる可能性があります。もし本当に地方政府をコントロールすることができなくなって、とてつもない金額の投資が短時間に行われるとしたら、それはたぶん「史上最大のバブル」になると思います。そして、上記(1)(2)(3)で書いた「とんでもないこと」が現実のものとなるおそれがあります。昨日(11月27日)の中国の国家発展改革委員会の張平主任の記者会見について報じている今日(11月28日)の新聞を見てそう感じたので、今日、ここに「『史上最大のバブル』の予感」という文章を書いてみたくなった、というわけです。

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2008年11月25日 (火)

世論のリーダーになりつつある中国の新聞

 このブログでも、最近、いろいろなところで起きているタクシーのストライキについて、中国の新聞で報道されていることを書きました。

(参考1)このブログの2008年11月6日付け記事
「重慶市のタクシー・ストライキ」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-9f93.html

(参考2)このブログの2008年11月13日付け記事
「海南省三亜市などでもタクシー・ストライキ」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-617f.html

 最近、中国の新聞は、こういった中国国内の「マイナスの」事案についても、避けずに報道するようになっています。これは日本でも報道された案件ですが、11月17日に甘粛省蘭州市リュウ南市(リュウは「こざとへん」に「龍」:リュウ南市は「県」レベルの市で、蘭州市の中にある行政区域)で、土地の立ち退きを巡って60人の人々が行政機関に押し掛け、それを見て集まった約2,000人の人々が行政機関のビルを壊したり警察の車を壊したりする、焼き打ち・打ち壊し事件がありました。この件についても「新京報」は報じています。

(参考3)「新京報」2008年11月19日付け記事
「リュウ南市共産党委員会ビル、打ち壊し・焼き打ちに遭う」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/11-19/008@021215.htm

 この「新京報」の記事の冒頭に「本紙記者によると・・・」と始まっていますので、「新京報」は北京の新聞なんですけど、甘粛省まで記者を派遣して取材したようです。この手の事件を単に新華社通信の報道を転載するのではなく、自社の記者を派遣して取材して「自分の文章で」記事を書いているところが、さすが「新京報」だと思いました。

 さらに広東省スワトウ市(スワトウは、「さんずい」に「山」+「頭」)では、11月20日にタクシー1,000台が無許可タクシー(中国語で「黒車」)の横行に抗議してにストライキを行いました。このストライキでは、正規タクシーの運転手が無許可タクシーとの間でトラブルを起こして、3名が警察に拘束された、とのことです。

(参考4)「新京報」2008年11月22日付け記事
「スワトウ市で、1,000台のタクシーが運行停止」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/11-22/008@020204.htm

※この記事によると、スワトウ市では、正規のタクシー1,000台に対して、無許可タクシー(黒車)が3,000~5,000台いる、とのことです。こういう実態を聞くと、正規タクシーの運転手たちが怒るのももっともな話で、地方政府が、行政としての役割を全く果たしていないのではないか、と思えてしまいます。

 この種の「群体性事件」は、今年6月に貴州省甕安(日本語読みで「おうあん」)県でも起きました。

(参考5)このブログの2008年7月3日付け記事
「貴州省甕安県の暴動事件の真相」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/07/post_ef2a.html

 この貴州省の事件も、香港や日本でも報道されましたし、中国国内でも報道されました。

 「新京報」は、このこららの「群衆による焼き打ち・打ち壊し事件」や各地のタクシー・ストライキ事件を取り上げて、11月23日付け紙面でこういった集団による事件についての意見を述べています。

(参考5)「新京報」2008年11月23日付け社説
「群体性事件の処理は、対処するタイミングがよければよいほど有効である」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2008/11-23/008@045059.htm

 この社説が述べている主張のメインのポイントは、この手の集団による騒ぎが持ち上がった時には、行政機関が迅速に対応して、群衆の意見を聞き、適切に対処することが大事である、ということです。ただ、それに加えて、背景の問題として、行政機関の幹部(地方政府と地方の党幹部)が日頃から群衆から遊離しており、大衆の利益や大衆からの訴えを無視し、大衆の意見を聞かない、という状態があることを指摘して、根本的な問題として、地方政府が大衆の意見をよく聞き、大衆がその意見を言えるルートを開けておくことが重要だ、と指摘しています。

 この社説では、はっきりは言っていませんが、これらの「群体性事件」のうち焼き打ち・打ち壊しがあった事件については、「警察が出動して『少数の不法分子』を取り締まった」とか、「行政機関が迅速に対応すれば『少数の破壊分子に機会を利用される』といった可能性も少なくなる」などと表現して「少数の不法分子」「少数の破壊分子」のところを、わざと「 」書きで書いています。これは、中国の新聞が台湾の指導者や機関のことを「いわゆる彼らが言っているところのそれ」という意味で、「総統」とか「国会」とか「 」付きで表現しているのと似たようなニュアンスだと思います。この社説ではハッキリとは言っているわけではありませんが、この社説の筆者が「これらの焼き討ち・打ち壊し事件は、人民日報や新華社などの公式メディアが言っているような『少数の不法分子』『少数の破壊分子』が起こしたものではなく、ごく普通の一般大衆が日頃の怒りを爆発させたものなのだ」という認識を持っていることがにじみ出ています。

 こういった中国国内の「マイナス」の面の報道は、新聞を検閲をしている党宣伝部としては、あまり書いて欲しくない案件なのでしょうが、それでもこういった記事を書かないと新聞は売れないので、新聞社としても、認められる範囲でできるだけ書こうとしているのだと思います。こうして中国の新聞も「読者が知りたいと思う情報を伝える新聞」になることを通じて、単なる「党の舌と喉」ではなく、多くの一般大衆の世論を反映し、世論をリードする正しい形でのジャーナリズムの形ができつつあるように思います。

(注)北京にはいろいろな新聞がありますが、一般大衆に人気のある「京華時報」が10月15日から1部1元(約15円)に値上げになりました。それまでは1部0.5元でした。紙代の値上げなどが続いて、価格引き上げをせざるを得なかったのでしょう。「新京報」は前から1部1元でしたので、「京華時報」の値上げで、かなりの読者が「新京報」に流れたのではないかと思います。こうした新聞社間の競争も、読者を獲得したい、という新聞社の意志を駆り立て、それによって「読者が今何を知りたいと思っているのか」といった新聞社が本来持つべき「嗅覚」を一層鋭くしたのだと思います。

 オリンピックが終わって、中国は、表面上、全く変わっていないように見えますが、あまり目立たない底辺の方で、大きな歴史の流れが動き始めているのを私は最近なんとなく感じるようになってきています。

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2008年11月16日 (日)

中山大学の学生会主席選挙

 広州で売られている週刊紙「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)の2008年11月13日号の1面に、先頃、広東省にある中山大学で行われた学生会会長選挙(10月16日候補者決定、11月11日投票)の様子をリポートした記事が載っていました。

(参考1)「南方周末」2008年11月13日号記事
「学生会主席の直接選挙の全記録」
http://www.infzm.com/content/19860

 中山大学は、広東省広州市に本部を置く中国の革命の父・孫文(号は「中山」)にちなんだ由緒ある大学です。そこで、学生による学生会会長(主席)の選挙が、初めて個々の学生による直接投票により行われました。「有権者」の学生は、4キャンパスにわたり、総計33,123人いるとのことです。

 この記事では、4人の立候補者により約3週間に渡って繰り広げられた選挙の様子を克明にリポートしています。学生会は、法律的な権限を持つ組織ではありませんが、学生を代表して大学当局と話ができる、という意味では、一定の力を持つ組織だと思います。立候補の受付の後に「資格審査」がある、というのが、ちょっと「西側」の選挙と違うところですが、複数候補者制の下で自分たちの組織のトップを組織のメンバーが直接投票して選挙する、ということは、現在の中国では画期的なことです。(中国において日本の国会にあたる組織である全国人民代表大会の議員(全国人民代表)は、何層にも渡って行われる間接選挙の結果選ばれ、有権者による直接選挙ではありません)。

 この選挙では、立ち会い演説会があったり、ネット上での意見交換などがあったそうです。この「南方周末」の記事では、以下のようなネット上の意見を紹介しています。

○このような体制下では、学生会が真に独立して学生のためにことをなすのは難しいのではないか。

○「平民会長」の実現に期待している。

○アメリカの大統領選挙みたいだ。

 この記事では、立ち会い演説会で「学生会が政治的、政策的な問題に対処する時、某勢力に頼らざるを得ず、資金的にも何らかの組織によって制限を受けざるを得ず、人員上でも一定の『ブラックボックス操作』を受けることは避けられないのではないか?」といった「大胆な質問」も出されたそうです。この質問が出たときには「わぁ~」といういぶかる声が上がった、とのことです。投票結果は、投票率61.338%、第一位が7,644票、第二位が6,159票、第三位が3,474票、第四位が2,479票だった、とのことです。

 こうして当選した学生会会長が具体的にどのような問題で、どのような働きができるのかは、私にはよくわかりません。当選した学生会会長が翌日最初にする仕事は、大学の共産党委員会書記に挨拶に行くことなのだそうです。ただ、この「南方周末」には、中国人民大学政治学の張鳴教授による「大学は当然のこととして民主の練習場にならなければならない」というコメントが載っています。このコメントがこの中山大学の学生会会長選挙の意味を物語っていると思います。この中山大学の学生会会長選挙は、当然のことながら大学当局の公認の下に行われたのですが、この選挙は、複数候補制の下で自由な直接選挙を行った時、現代の若者たちがどのように対応するのか、を見るためのひとつの「実験」だった、と言えると思います。

 最近、新聞紙上では、地方政府がしっかりとした行政を行うためには、地方政府を第三者的立場からチェックするシステムが必要だ、という主張がよく見られるようになっています。地方政府における「司法の独立」「行政資源の分散」「定期的な選挙のよる行政トップの監視」を主張した「経済観察報」2008年11月3日号(11月1日発売)の論評「三鹿事件から政治体制改革を考える」もそのひとつです。

(参考2)このブログの2008年11月2日付け記事
「メラミン粉ミルク事件から政治改革を考える」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-23e8.html

 このほか11月14日付けの「新京報」の社説では、行政チェックの役割を人民代表(国会議員(=全国人民代表)を選ぶための選挙人)に負わせるべきだ、という主張をしています。

(参考3)「新京報」2008年11月14日付け社説
「都市建設の『腐敗の高度・多発』の根本には政策決定システムの欠陥がある」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2008/11-14/008@021055.htm

 巨額の資金が動く都市開発や交通政策に関する政策決定を地方行政政府が一存で決定でき、誰からも監視を受けないことが問題なのであり、都市開発計画や交通政策を決定するにはその地方の人民代表の議決を必要とする、というシステムにして、行政に対するチェック監督機能を果たせるようにすべきだ、というのがこの社説の主張です。

 地方の公共事業などについては、地方政府が勝手に決められる現状を改め、人民代表が票決で許可・不許可を決められるようにすべきだ、という主張は、かつて「人民日報」にも掲載されたことがあり、中国共産党の内部でもかなりまじめに議論されている主張なのだと思います。

(参考4)このブログの2007年8月16日付け記事
「地方の工事は人民代表が決めるという実験」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_5988.html

 従って、私は地方政府の政策決定に対する何らかのチェック機能を設けるべきだ、ということは、党内でかなり真剣に議論されているのだと思います。その地方の人民代表にチェック機能を持たせることもできるし、地方政府のトップを住民の直接選挙で選ばせることによってチェック機能を働かせることもできる、ということで、現在、具体的にどのようにすればよいのか、を党の内部で議論しているところではないかと思います。その検討に当たってのひとつのデータを得るために、例えば中山大学のようなところ(比較的大学の数が少なく首都の北京からも遠い広東省)で、かつ政治的にはそれほど大きな影響を与えない「学生会会長選挙」という場を借りて実験的に行ってみた、というのが、今回の中山大学の学生会会長選挙ではなかったのか、と私は思っています。

 いずれにせよ、様々な試行錯誤をやってみることはよいことで、こういった試行錯誤の中から、一番よい方法を採用すればよいと思います。

 問題は、人民代表による監視にせよ、地方政府トップの選定に直接選挙によるチェックにせよ、既に政策決定権を「既得権益」として確保している現在の地方政府の幹部は、こういった「チェック・システム」の導入には強硬に反対すると思うので、こういった「抵抗勢力」の動きを、中央がいかにコントロールできるか、が、実際にこういった地方政府に対するチェック制度を実現する際のカギになると思います。

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2008年11月 2日 (日)

メラミン粉ミルク事件から政治改革を考える

 最近、中国では、食品安全問題や炭坑・鉱山の安全操業問題で、地方政府が不法行為を行ったり環境汚染を続ける企業を十分に管理監督できていない、ひどい時にはそういった企業と地方政府が癒着して問題を覆い隠そうとしている、といった事件が多発して、社会問題になっています。このため、党・中央でも、そういった企業と癒着して企業の不法行為を見逃しているような地方政府の幹部については、解任したり、賄賂などをもらっていた場合には、司法の場で裁くようにすることなどにより、改善を図ろうとしています。こういった社会情勢の中で、先に問題となった河北省の三鹿集団によるメラミン混入粉ミルク事件に関連して、11月3日号の経済専門週刊紙「経済観察報」の「観察家」(オブザーバー)の欄に、長江商学院の王一江教授が「三鹿事件から政治体制改革を考える」と題する評論を書いています。

(参考)「経済観察報」2008年11月3日号(11月1日発売)
「三鹿事件から政治体制改革を考える」
http://www.eeo.com.cn/eeo/jjgcb/2008/11/03/118722.html

 この評論のポイントは以下のとおりです。

○長い間、地方政府の幹部はGDPの増大にのみ神経を使ってきた。GDPの増加により地方政府の財政収入が潤い、雇用も確保されるからである。GDPの増加に成功した地方政府は、往々にして出世が速い。これは「地方政府の企業化」を推進した。こういった考え方は、法律を省みない一部の企業の活動を助長した。こういった体質は、今回の三鹿集団によるメラミン入り粉ミルク事件や無許可で操業する炭坑・レンガ工場など、様々な問題を引き起こした。

○党・中央は、こういった状態を問題視し、「科学的発展観」「正しくかつスピードの速い経済発展(「又好又快」=良くかつ速く)」といったスローガンを掲げて、注意を促してきた。「科学的発展」や「正しくかつスピードの速い経済発展」とは、経済発展の過程において、環境の保護、エネルギー消費の適正化、土地やその他の自然資源の適正な利用、適正な収入の適正な分配、社会保障、医療衛生、教育、社会治安、住宅問題、交通問題、食品安全と人民の満足感・幸福感を大事にすべきだ、ということを主張しているのである。

○しかし、これらの目標はなかなか有効に実現することができていない。今後、地方政府が採るべき道には次の三つがある。

(1)今までと同じ路線:GDP至上主義を続けることであるが、この路線を続ける限り「地方政府の企業化」は今後も進み、「科学的発展」「正しくかつスピードの速い経済発展」という目標は実現できない。

(2)地方政府に経済発展を求めない路線:中国の特徴は、政府が資源をコントロールしていて、法律による支配が不完全なことであるから、地方政府に経済発展を求めなかったら、経済に対する積極性は失われ、雇用を確保し、人民の生活水準を向上させて、貧困問題を解消する、という目標を達成することはできない。

(3)先進国のモデルに見習う路線:日本の汚染米問題など、先進国でも食品安全問題は発生している。しかし、先進国では中国のように人々の健康被害に影響が及ぶほどに拡大することはあまりなく、先進国の食品は基本的に安全である。

○中国で先進国のモデルを導入できないのはなぜか。それは次の点で中国と先進国との間に国情の違いがあるからである。

「司法の独立性」:先進国では、司法の独立により、消費者は食品に対する不安に基づき食品安全に対して問題を起こしている利益集団を明らかにすることができる。違法行為を行っている企業は地方政府の保護を受けることができず、違法行為は結局は企業自身の損失となって跳ね返ってくる。

「資源の分散」:先進国では経済発展の力の源泉は政府ではなく民間企業にある。政府が企業の利益を保護する程度はあまり大きくない。

「定期的な選挙」:これが最も重要なことであるが、先進国の地方政府のトップは、定期的な選挙により、有権者の審判を受けている。有権者による評価が気になるので、地方政府のトップは、環境を保護せず、資源を浪費し、社会利益を損ない、法律を無視してまで、企業によるGDP増加のみを追求するようなことを敢えてしようとは考えない。

○司法の独立性と定期的な選挙による社会監督管理制度が、現在の中国の国情と比べて最も異なる点である。

○中国の国情と符号した形で改善を図る道はないのか? 先進国のシステムのポイントは、権限の分散化である。政府のトップは、有権者による選挙で選ばれているので、自らの地位を失わないためには、有権者がどう考えるか、を真っ先に考えるようになる。企業は、違法行為により短期的な利益が図れるとしても、地方政府からの保護がなく、法律システムに対する怖れがあるのであれば、そう簡単に違法行為に走ろうとは思わなくなる。

○改革開放の30年の間、我々は党と政府の分離、政府と企業の分離を進めてきた。今、職位(ポスト)の点では、確かに党と政府、政府と企業は分離されている。しかし、私は、現在のポスト上の分離は、依然として形式上の分離であり、集体が責任を負うという原則にある以上、異なるポストにいる者が真にそれぞれ担当すべき責任事項について独立して責任を果たしているとは言えない、と認識している。我々の「分離」は、往々にして「有名無実」と言わざるを得ないのである。

○地方政府自らが自分で経済発展を進めざるを得ないのだったら、「科学的発展」や「正しくかつスピードのある経済発展」という要求を実現することはできない。それであれば、市長や県長(行政府)がその地方の経済発展に責任を持ち、市や県の党委員会書記が環境保護や資源の問題・社会の調和の問題に責任を持つ、というふうに責任を分離する以外に方法はない。地方政府における党と政府の責任を分離し、それぞれが担当する責任分野に対して評価を受ける、というシステムこそが、中国の国情に符合し、かつ「科学的発展」「正しく・スピードのある発展」という目標を満たすために今後進むべき道なのである。

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 環境問題、食品安全問題、炭坑などの違法操業問題等に起因する労働安全問題等の様々な問題の根っこが現在の政治体制の問題にある、という点を、現在の中国の法律に違反しないというギリギリの範囲内で(=中国共産党による支配体制を批判しないというギリギリの範囲内で)鋭く指摘した評論だと私は思います。王一江教授は「集体が責任を負うという原則にある以上」という表現を使っていますが、はっきり言えばここの部分は「社会主義という原則を採っている以上」と表現した方がわかりやすいと思います。ただ、そこまではさすがにハッキリとは言えなかったのでしょう。

 「党と政府の分離」「政府と企業との分離」は、30年前に改革開放路線が始まって以来、中国共産党自らが認識して進めてきた方針(注)ですが、それが現在でも「形式的なもの」に留まっており、機能として分離していない(チェック・アンド・バランスの機能を果たしていない)ことを上記の評論の筆者は明確に述べています。筆者は、中国共産党が進めてきている改革開放路線を、その基本理念に基づいてきちっと進めるべきだ、と述べていて中国共産党の現在の路線を応援しているのであって、決してそれを否定しているわけではありません。

(注)1989年までは「党と政府の分離」の方針に基づき、党の総書記と国家主席(政府の代表)と党軍事委員会主席(軍の主導権を握る)は別の人物が就いていました。しかし、1989年の「政治風波」を境としては、1989年には党の総書記と党軍事委員会主席が、1993年からは国家主席も含めて、この三つの職位に同一人物が就任するようになっています。つまり、「党と政府の分離」という改革開放の当初の原則が1989年の「政治風波」を境にして変わったのです。これまでもこのブログで何回も紹介してきましたが、今、多くの新聞の評論で、1980年代の(1989年以前の)改革開放の原点に回帰すべきだ、という論調が多くなってきています。

 一方、上記の評論の最後の部分、政府(行政府)が経済成長に責任を持ち、党の方が環境保全・資源の確保や人民生活の保障に責任を持つべきだ、という考え方は、もっともな考え方ですが、見方を変えると江沢民前総書記が提唱した「三つの代表論」を批判的に見ている考え方だ、と捉えることもできます。「三つの代表論」とは、中国共産党は、(1)中国の先進的な社会生産力の発展に対する要求を代表する、(2)中国の先進文化の方向を代表する、(3)中国の広範な人民の根本的利益を代表する、ことを指しますが、三つのうち(3)がポイントであり、中国共産党は、労働者・農民(プロレタリアート)だけではなく、中小商工業者、企業家(昔の言葉で言えばブルジョアジー)や知識階層なども含めた人々の代表である、という点で、画期的な議論です。

 この「三つの代表論」は、よい意味では、中国共産党がイデオロギーに凝り固まった政党から脱却して中国社会の幅広い分野の人々の意見を結集した現実的な執政党に脱皮した、という言い方もできますし、別の言い方をすれば、労働者だけでなく企業家の意見も聞くようになった、といも言えます。後者の方は、意地悪な言い方をすれば、中国共産党の党員が企業家と癒着関係になっても即座にそれを否定することはできなくなった、とも言えます。上記の評論の筆者・王一江教授は、党の役割を経済成長を進める役割から分離させ、人民の生活を守る役割に特化させるべきだ、と主張しているわけであり、中国共産党の役割を「三つの代表論」で転換した方向から、本来の役割(経済的に力を持たない労働者・農民の権益を守る役割)に戻そうとしている、と考えることもできます。

 いずれにせよ、王一江教授は、「選挙がない」という現在の中国の最も重要なポイントを指摘している点で重要です(中国にも、人民代表を選ぶ選挙はありますが、人民代表選挙は間接選挙であり立候補に一定の制限がある点で「選挙と呼べるようなものではない」ということは、中国の内外の人はみなよくわかっています)。王一江教授が「だから選挙をやるべきだ」と主張していないのは、現在の中国の新聞に掲載できる論評の限界を示していますが、いずれにしても、こういった議論が新聞やネット上で自由に展開されていることは非常に重要です。こういった活発な議論がなされる中で、中国にとって実現可能な、最もよい方法が見つかることになるでしょう。

 世界的経済危機の中で、中国経済も苦しい状況にあります。しかし、中国政府は財政的には大幅な黒字であり、2兆ドルに達しようかという膨大な外貨準備もありますので、いざとなれば苦しい立場に立つ企業に「公的資金の注入」をすることはいつでもできますので、現在の世界の中では、中国の社会は、むしろ「比較的安心して見ていられる社会」と言ってもいいかもしれません。北京オリンピックが終わった後も、心配されていた「急激な経済バブルの崩壊」はありませんでした。こういった比較的安定した社会が続いているうちに、長期的な将来へ向けて、安定した社会を持続させることができるようなフィード・バック・システムが上記のような様々な議論を通して構築されていくことを期待したいと思います。

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2008年10月28日 (火)

第17期三中全会決定のポイント

 10月9日~12日に開催された第17期中国共産党中央委員会第3会全体会議(第17期三中全会)で「中国共産党中央による農村改革の発展の推進における若干の重大問題に関する決定」(以下、簡単に「決定」と呼ぶことにします)が決定されました。

(参考)「新華社」ホームページ2008年10月19日アップ
「中国共産党中央による農村改革の発展の推進における若干の重大問題に関する決定」(2008年10月12日中国共産党第17期中央委員会第3回全体会議で採択)
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-10/19/content_10218932_1.htm

 この決定は、非常に重大な内容を含んでいるものの、表現が「改善させる」とか「強化する」とかいった曖昧な表現になっており、実際にどの程度厳格に進めるのかについては、今後、この方針を具体的な法律として書き起こす時に決められると考えられる部分が多いので、新聞報道などではあまり「重大な変化」としては報道されていないようです。しかし、従来の中国共産党の基本方針からすると、かなり大きな「方向性の変化」を示す部分も含まれていると思われますので、簡単にそれをまとめておきたいと思います。

 今回の「決定」は、大きく分けて6つの部分にわかれています。それぞれの部分についての「決定」の内容とその意味について私が考えるところを簡単にまとめておきたいと思います。

1.新しい情勢の下における農村改革発展の重大な意義

 ここの部分は、現状認識を述べた部分で、1978年12月の第11期三中全会で決められて現在まで続いている改革開放路線の中で、いくつかの矛盾点が出てきており、その問題点に対処するためには農村改革をさらに進めることの重要性を指摘しています。その際、ポイントとして指摘しているのは以下の点です。現在の中国社会が抱える問題点をかなり率直に認めている点では注目に値すると思います。

○食糧と主要農産物を効果的に生産し、農民の収入を増加させ、農村を反映させることが持続可能な社会を発展させるための基本である。

○改革開放政策の進展により、グローバル化(国際的な協調と競争の深化)が進む中で、中国における「都市と農村との二重構造の問題」における矛盾が突出してきている。農村の経済体制は、現在においてもなお不完全であり、農業生産経営の組織化はいまだに低く、農産品のマーケットシステムと農民に対する社会福祉制度と国家が農業を支援する制度は完全なものとは言えない。

○気候変動の影響が大きくなってきており、自然災害が頻発している中、国際的な食糧需給の矛盾も突出しており、国家的な食糧安全保障と農産品の需給バランスとの関係は緊迫してきている。農村における社会的事業の水準は低く、農村と都市との収入格差は拡大しつつある。一部の地方では、最も基盤となる農村組織の基盤がぜい弱であり、農村における民主的法制度と基盤的組織と社会管理体制の確立が重要になってきている。

○農村の繁栄と安定化、農民が安心して暮らせる状況の実現なくしては、全国人民が安心して暮らせる社会を実現することはできない。

○現在は、農村と都市の二重構造を終わらせ、都市と農村が一体化して発展する局面を作るための重要な時期に差し掛かっている。

2.農村改革を発展させるための指導思想、目標、重大な原則

 ここでは、1.で述べた現状認識に基づき「何を行うか」を掲げた部分です。この中で、2020年までに農民一人あたりの純収入を2008年の2倍にする、という数値目標を掲げています。ただし、1.で都市と農村との格差拡大の問題を指摘しながら、ここでは「都市と農村との格差の縮小」を目標としては掲げていません。今後とも、農村における農民の収入増加の努力は続けつつも、「都市と農村との格差」を「縮小」させることは難しい、との認識があるためと思われます。

 収入の拡大とともに、消費水準の大幅な上昇、貧困の克服、農民自治制度の確立、農民の民主的権利の保障、農民一人一人の良好な教育機会の確保、農村における基本的な生活保障、基本的医療制度の健全化などが掲げられていますが、ここは「数値目標」的なものがないため「改善のために努力する」以上のことは、この「決定」の中から読みとることはできません。

 「決定」では、上記の目標を達成するための「原則」として、以下の5つを掲げています。

○農業の基盤を固め、全国13億人の食糧を確実に確保すること。

○農民の権益を確保し、農民の基本的利益を実現し、維持し、発展させることを一切の任務の出発点・立脚点として押さえること。

○農村における社会生産能力の開放を進め、新しい政策を農村発展の原動力とすること。

【解説】ここの部分は、過去の「人民公社」時代には、土地や生産資材の完全公有化と農作業の共同化により、個々の農民の農作業に対するインセンティブ(やる気)を失わせたのに対し、改革解放後、「人民公社」を解体して、個々の農民に「生産請負」の形で自主性を与え、各農家のインセンティブを引き出して農業生産を拡大させてきた過去の経験を踏まえたものです。

○都市と農村との発展を統合し、新しい工業と農業との関係、都市と農村との関係を速やかに構築すること。

○中国共産党の農村における管理任務を堅持し、党による農村における指導の強化・改善を図ること。

【解説】「改革の推進により農民の心が中国共産党から離れることがあってはならない」という党としての危機感を感じる部分です。

3.新しい制度改革を協力に推進し、農村制度の確立を強化する

 ここの部分がいわば今回の「決定」の「目玉」の部分で、具体的な新しい政策のあり方が列挙されています。

(1)農村の基本的経営制度の安定化と確立

○個々の農家単位の生産請負制は「長期的に安定」である。

【解説】中国の土地は公有(国有または村などの集団所有)ですが、各農地における農業生産は「生産請負」の形で各農家に任されています。「生産請負契約」によって求められる一定量の生産量を超える部分は、各農家で自分の収入として処分できます。これが各農家のインセンティブ(やる気)を出させて農業生産を拡大させた改革開放の原点なのですが、改革開放当初は、この「生産請負制度」は30年の期限付きで行う、として始められました。今、改革開放から30年が過ぎようとしているので、この期限を30年から70年に延長すべき、といった議論がなされていました。今回の「決定」では、具体的な延長年限は明示せず「長期的に安定である」という曖昧な表現になっています。年限を切らなかった理由、または年限を切らずに「無期限」としなかった理由については不明ですが、将来の政策変更に含みを持たせたかったため、と理解することもできると思われます。あるいは党の内部で議論の集約ができなかったからかもしれません。

(2)健全で厳格かつ規範的な農村土地管理制度を確立する

○土地管理制度を厳格にし、全国の耕地面積18億ムー(1ムーは6.667アール=15分の1ヘクタール)という「レッドライン」を下回らないように死守する。「永久基本農地」を確定し、「基本農地」の面積を減らしたり、用途を変更したりしないようにする。

○農家の土地に対する「請負生産経営権」、即ち「請負生産」を行うために農家が農地を占有し、使用し、そこから収益を上げることを権利として確立する。「請負生産経営権」については、「請負生産経営権」を交換する健全なマーケット(「請負生産経営権交換市場」)を設置し、「請負生産経営権」を他者への請負委任、貸し出し、交換、譲渡、株形式での持ち合い等の形式で移転させることにより、多種多様な経営方式と適切な規模の経営が可能なようにする。条件が整っている地方においては、大規模専業農家の発展、家庭農場、農民が集まって作る専業合作社の設立などの様々な経営規模の経営主体が考えられる。「請負生産経営権」の移転は「土地は公有(国有または集団所有)である」との大原則を変えるものではなく、全体としての農地の規模を変えるものであってはならない。

【解説】

 ここの部分が今回の「決定」の最も重要な部分です。「土地は公有」という大前提は変えることはしないが、他人への委任、貸し出し、交換、譲渡、株形式での持ち合い等により「請負生産経営権」が特定の者(または合作社などという名前の組織)に集中し、大規模農業経営が行われることを認めています。これは、農業生産会社が農家から「請負生産経営権」を買い取って大規模プランテーションを行うことを可能にしているほか、大規模農家が貧しい農家から「請負生産経営権」を買い取ることを可能にしている、という点で、「大規模地主から土地を取り上げて大多数の貧農に土地を分配する」ことから出発した中国共産党の大原則を変える、という意味で、極めて「革命的」であると言えます。

 「請負生産経営権」を売った農民が「請負生産経営権」を買い取った会社や大規模農家の「雇用者」として耕作を行うこともあり得るので、この制度により、「請負生産経営権」は耕作者の手元から離れることになります。日本では農地法において実際の農地の耕作者以外に農地の所有を認めていないので、この制度が中国で実現することになると、農業に関しては、日本の方が中国よりずっと「社会主義的な国」ということになります。

 ここの部分では「請負生産経営権」を農業を行わない者(工業用地開発業者など)に譲渡できるのか、についてははっきりした記述がありません。譲渡できるのは「請負生産経営権」であって「土地使用権」ではないので、譲渡を受けた者は必ず農業の請負生産をしなければならないのだ(経営権は譲渡できるが、農地の農業以外への利用はできないのだ)、と読むのが自然だと思われますが、「請負生産経営権」は「権利」であって「義務」ではなく、「請負生産経験権」の譲渡を受けた者が「農業生産を行う権利」を放棄して農地を別の用途に利用することも禁止していないようにも読めるので、この点は極めて曖昧です(曖昧であるが極めて重要な部分です)。

 また上記項目の中で「請負生産経営権」の移転を認めておきながら、「『土地は公有』との原則は不変であり、全体としての農地の規模を変えるものではない」としている部分も意味不明です。ここの部分は、「『土地は公有』という原則はいつまでもついて回るので、土地の収用権(必要な時に合理的な補償金を払うことによって土地の使用権を回収する権利)は、国または村などの集団が保持しているので、中国全体として農地が不足する場合は、国または村が「土地所有権」に基づく土地の収用権を発動して、合理的な補償金を支払った上で「請負生産経営権」の所有者から土地を取り上げて国家が必要とする農産物を生産させるようにすることが可能なのだ、という意味なのかもしれません。

 ただし、ほとんどの農地は村など地方の「集団所有」であって「国有」ではありません。各村にとっては中国全体の農地が不足しているかどうか、などということは関心の外ですので、実は「土地は公有」であることは「中国全体の農地の規模が一定以下にならないようにするための支え」には全くなっていないのです。そういった点も踏まえると「請負生産経営権」の譲渡等を認めることと「『土地は公有』という原則は不変である」こととの関係は、曖昧模糊としており、この「決定」だけではどういう政策が採られるのかは全く判断できません。

○農家の住宅用地については、法に基づき農家に住宅用地としての「物権」を保障する。農家の住宅用土地を収用する場合には、「同地同価」の原則に基づき、合理的な補償を行うとともに、宅地用土地を収用する農民の就業、住居、社会保障などの問題を解決しなければならない。

○都市と農村とで統一した建設用土地市場を設立し、収用した土地の使用権を転売する場合には、必ず統一的な市場において公開の場で土地使用権の売買を行うこととする。

【解説】

 ここの部分は、現在、農家の住宅用土地も「集団所有」であることから、村などが十分な補償を行わずに農民の住宅用土地を収用し、村当局が特定の開発業者と土地の売買をしていて、土地売買の透明性が確保されていないケースが多い、という現状を反映しているものと思われます。

 また、農民の住宅用と地の「土地使用権」を土地を所有している集団の構成員(村民)以外の人に譲渡できるのかできないのか、についてもこの「決定」では述べていません。従って、現在、問題になっている「小産権」(農民の土地の上にマンションや別荘を建てて都市住民(村民以外の者)に売買するような不動産物件)の存在を認めるのか認めないのか、は、この「決定」を読んだだけではわかりません。 

(3)農業支援制度を確立する

○農業生産のために必要な物資の価格が高騰した時の補償、農産品の価格保護制度など農業を安定的に続けられるようにするための制度を確立する。

(4)近代的な農村金融制度を確立する

○農村合作組合や信用組合など近代的な農村金融制度と政策性農村保険制度を確立する

【解説】ここの部分については、農民が上記の「請負生産経営権」を担保として金融機関からお金を借りられるのか、という疑問が生じます。新聞に掲載されている専門家の解説によると、農民がお金を返せなくなり金融機関が担保にしていた「請負生産経営権」を接収しても、金融機関は「農業経営」はできないのだから、そもそも「請負生産経営権」は担保とはなりえない、とのことです。しかし、金融機関は「請負生産経営権」を取得した後、その権利を農業経営をすることができる第三者に売却することが可能なのだから、担保とすることは可能である、と考えることもできます。「請負生産経営権」をここでいう「近代的な農村金融制度」の担保とすることが可能なのかどうか、という疑問は、農村における金融制度の確立上極めて重大な問題なのですが、この「決定」では、その疑問には答えていません。

(5)都市と農村との経済社会発展一体化制度を確立する

○農村と非農村に分かれている現在の戸籍制度を改革し、中小都市においては、都市で安定的に就業している農民が都市住民になれるよう制度を緩和する。労働報酬、子女の就学、医療、住宅借り上げ・購入、養老保険等の面において農民工(農村戸籍の農民が都市に出て働いている出稼ぎ労働者)の権益を保護する。

【解説】現在、農民工の子女は都市部で公立学校に入学できず、医療保険が適用されず、住宅の借り上げ・購入などにもいろいろ制限があります。ここでは二重戸籍制度は「やめる」とは言っていないし、「いつまでに何をやる」といったタイムスケジュールも示されていないので、現実的に農民工の権益保護が改善されるかどうかは、今後の政策の進展に掛かっており、具体的にどういった改善がいつまでになされるのか、は、この「決定」を読んだだけではわかりません。

(6)農村における民主管理制度の健全化

○2012年までに郷鎮(村レベル)の機構改革を終了させ、郷鎮政府の社会サービス機能を強化する。

○郷鎮政府の統治管理に対する農民の政治参加と積極性を引き出すため、行政事務の公開と法に基づく農民の知る権利、参政権、意思表示権、監督権を確立する。

○村の党委員会組織による指導を健全化し、村民自治システムに活力を与えるため、直接選挙制度を深く展開させ、村民会議、村民代表会議、村民議事によって民主的に政策決定を行うようにする。

【解説】村民委員会の直接選挙制度は地方によっては1990年頃から既に導入されてはじめています。今回の「決定」では上記のように書かれていますが、具体的に村民委員会と村の中国共産党委員会との間で、実質的な政策決定権限がどこにあるのかが明確にならない限り、どのような「民主化を進める」というスローガンを掲げたとしても、実際にどの程度民主化が進むかは疑問です。この「決定」を見ると、逆の見方をすれば、郷鎮(村)より上のレベル(市や県のレベル以上)では住民の直接選挙による自治制度を導入する考えは全くないことがわかる、という見方をした方がよいのかもしれません。

 4.以下は新しいことは何もない(と私は思う)ので項目だけを掲げます。

4.近代的農業の発展と農業総合生産能力の積極的な発展

(1)国家食糧安全保障の確保
(2)農業構造の戦略的調整(市場のニーズと各地方の特色に合った生産品目や生産規模の設定)
(3)農業における科学技術イノベーションの推進
(4)農業インフラ施設の整備
(5)病害の防止、農産品の品質管理、農業生産資材の安定的供給確保等の新しい農業サービス体系の確立
(6)循環型農業、副産物や廃棄物の資源化等による持続可能な農業の発展(森林や草原を食い尽くすタイプの農業の排除)
(7)農業の対外開放(国際市場の研究と情報収集を強化し、国際的な農産品貿易秩序に積極的に参加する)

5.農村における公共事業を加速させ、農村社会の全面的な進歩の推進

(1)科学的思考(迷信や旧い風習の排除)、遵法道徳、男女平等の普及などの文化活動を発展させる。
(2)農村における公平な教育の推進
(3)農村における医療・衛生事業の発展
(4)農村における最低生活保障、養老保険、自然災害被災者、障害者等に対する社会保障体系の健全な発展
(5)電気、水道、道路、ゴミ処理などの農村における生活インフラ建設の強化
(6)貧困地域の開発支援の推進
(7)農村における防災・減災対策の推進
(8)農村における社会治安維持管理の強化(健全な党と政府の主導により農民の検疫を守り、広く社会の人々との意思疎通を図ることにより、各種矛盾は萌芽の段階で解決する)

6.党による指導を強化・改善し、農村の改革発展に対して政治的な保証を提供する

(1)党による農村の指導体制を強化する
(2)農村の基盤における党の組織を強化する
(3)農村の基盤における党幹部の人材養成を強化する
(4)農村のおける党員の人材養成を強化する
(5)農村における党の規律維持を強化する

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 以上が第17期三中全会で決まった「中国共産党中央による農村改革の発展の推進における若干の重大問題に関する決定」のポイントです。「方向性」としては、特に「請負生産経営権」の譲渡を可能としている部分で、もはや「社会主義」とは言えないような方向を目指すような重大な転換を含んでいます。しかし、「請負生産経営権」の譲渡や移転を認めながら、なぜ土地の所有は公有であり続けなければならないのか(なぜ土地の私有制を導入できないのか)など、多くの疑問と曖昧な点を残しているのが今回の「決定」の特徴だと思います。

 中国では、現在では、中国共産党の決定がそのまま実行されることはなく、党が決めた方針に沿って法律が作られ、その法律が全国人民代表大会(全人大)で決定されて、初めて政策が現実のものとして実施されることになります。従って、法律案が起草されて、その法律案が全人大で議論される過程で、具体的な実施方針が変更されることはあり得ます。全国人民代表の3分の2程度は中国共産党員ですので、基本的な方針が大きく変わることはありえませんが、法律案の概要が新聞などで伝えられて、多くの人々から強い不満が出たりすると、法律の審議の過程で修正が入ることは十分にあり得ます。現在の中国では、議会制民主主義のシステムはないけれども、中国共産党と言えども、世論を無視した政策の強硬はできない状況になっているのです。

 上記の農村改革に関する問題の中で、例えば二重戸籍制度の改革は、農民にとっては是非とも廃止して欲しい制度ですが、安い労働力が農村部から自由に都市に流入してきては困るので、都市住民にとっては二重戸籍制度の廃止は、必ずしも歓迎すべき政策変更ではありません。議会制民主主義システムがない以上、そういった人々の中に異なる意見が存在する場合に、その意見をどうやって集約して政策に反映させるのか、という「ルール」は中国にはまだ存在していません。今回の第17期三中全会で決まった農村改革に関する決定も、固まったルールがない中で世論を取り入れて具体化されていくことになるので、どういった人々の世論を取り入れ、どのような形で、いつ具体的な政策を固めていくのか、を今から予測することは困難です。

 今回決定された「農村改革」は、中国にとって長期的に極めて重要な課題ですが、それよりも、現在、世界を覆っている経済危機とそれに伴う中国の輸出産業の低迷の方が現在の中国にとっては緊急の課題です。そういう意味でも、今回の第17期三中全会での決定は、今すぐに結果が見える、というものではなく、長期的な観点で見ていく必要があると思います。

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2008年9月22日 (月)

社会的事件と担当する行政トップの辞任

 ここのところ中国では、大きな社会問題となった事件・事故に関連して、それを防止できなかった、あるいは事件・事件に対する対処が適切ではなかった、として責任ある行政部署のトップが解任されるケースが相次いでいます。

 まず、山西省臨汾市襄汾県で9月8日に発生した違法操業中の鉱山の鉱滓(こうさい)堆積場で土石流流出事故(住民等260名以上が死亡)に関しては、9月14日に山西省長の孟学農氏が、9月20日には臨汾市中国共産党委員会書記が解任されました。孟学農氏は、昨年(2007年)9月3日に副省長・省長代行に、今年(2008年)1月22日に省長に就任したばかりで、長年に渡って違法操業状態にあった鉱山の監督責任者として孟学農氏にどれだけの責任を問えるのか、という議論はあるのですが、やはりこれだけの大事故を起こしてしまった地方行政機関のトップとして責任を取らされた、というのが大方の見方のようです。

 実は孟学農氏は、2003年、SARS(重症急性呼吸器症候群)が中国で流行った時の北京市長で、このSARS流行の時にも「対処が適切ではなかった」として2003年4月20日に北京市長を解任されています。そのため、今回の土石流事故に際しての孟学農省長の辞任は「孟学農氏は今後行政の舞台には戻って来られないのではないか」との見方がある一方、「行政トップが辞任しても、結局は年間か経過すると別のポストに戻ってくるのだったらトップの辞任は一種のパフォーマンス意味の意味しかなく実効性は乏しい」といった冷めた見方をする人もいます。

 広州で発行されている週刊新聞「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)の9月18日号では、孟学農山西省長の辞任に関して「孟学農:彼の辞職、彼の未来」と題する評論を掲載しています。

(参考1)「南方周末」2008年9月18日号記事
「孟学農:彼の辞職、彼の未来」
http://www.infzm.com/content/17337

 はっきりそうは書いてありませんが、この記事の行間からは「行政トップが辞任しても、結局は年間か経過すると別のポストに戻ってくるのだったら、行政トップの辞任は一種のパフォーマンス的な意味しかない」という冷めた見方がにじみ出ているように私は感じました。

 9月21日に発生し37人が死亡した河南省登封市では、河南省の中国共産党規律委員会と河北省の監督庁により、9月22日、登封市長の解任が提議されました。

(参考2)「新華社」ホームページ2008年9月22日12:17アップ記事
「河南省、登封市の炭鉱事故の処理に関して、市長の免職を建議」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-09/22/content_10091401.htm

 また、9月20日に広東省深セン市で発生したダンスホールでの火災(43人が死亡)では、ダンスホールを経営していた会社の社長が警察に逮捕されたほか、この区の副区長、消防大隊の大隊長も行政の監督責任を問われて解任されました。

(参考3)「新華社」ホームページ2008年9月22日00:12アップ記事
「深セン市の『9・20』重大火災事故の責任者の対する処分が決定」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-09/22/content_10088602.htm

※そもそも中国では数十人が死亡するような炭鉱事故や火災、交通事故は「しょっちゅう」あるので、こういった事件が起きてもトップニュースにならない程度に多くの人が「慣れっこ」になっていること事態が問題なのだと思います。

 今、最も中国で社会的に影響の大きな事件となっている粉ミルクなど乳製品へのメラミン混入事件では、最初に問題になった製品を製造した三鹿集団公司の責任者が辞任したほか、9月18日には三鹿集団公司のある河北省石家庄市の市長が、今日(9月22日)には石家庄市の党委員会書記が解任されました(中国の地方政府機関としての「市」のトップは市長ですが、実質的な権限は中国共産党の市委員会書記が握っており、序列から言うと党市委員会書記の方が市長よりも上です。その意味では、この粉ミルク事件で、市長だけではなく党書記も解任されたことは、党中央がこの事件の重大性を認識していることの表れだと見ることができます)。

 それに加えて、今日(9月22日)、中央政府の国家品質監督検査検疫総局の李長江局長(閣僚クラス)が責任を取って辞任しました(李長江局長は、これまでもこの事件の経過説明のための記者会見で毎日のようにテレビに登場していました)。

(参考4)「新華社」ホームページ2008年9月22日19:45アップ記事
「党中央・国務院は三鹿ブランドの乳幼児粉ミルク事件の関係者の責任について厳正に対処」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-09/22/content_10093387.htm

 中国の中央政府の大臣クラスのトップが特定の事件の責任を取って辞任することは極めて異例で、おそらくこういった引責辞任は2003年のSARS流行時に当時の衛生部長(日本の厚生労働大臣に相当)が辞任して以来ではないかと思います。

 パラリンピックが終わる頃から相次いで表面化してきているこれらの社会的重大事件について、胡錦濤主席・中国共産党総書記は、9月19日に開かれた「全党による科学的発展観に関して深く実践的に学習する活動への動員大会」において「重要講和」を行い、関係者に対する注意喚起と引き締めを指示しました。

(参考5)「新華社」ホームページ2008年9月20日00:24アップ記事
「胡錦濤総書記、全党による科学的発展観に関して深く実践的に学習する活動への動員大会の席上で重要講和を発表」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-09/20/content_10081662.htm

 この「重要講和」の中で、胡錦濤総書記は次のように指摘しています。

「今年以来、一部の地方で重大な生産安全に関する事故と食品安全に関する事故が発生し、人民大衆の生命・財産に重大な損失が発生している。これらの事件の背景として、一部幹部の中に、思想意識が欠落し、社会の大局に対しての現状認識、問題点を憂慮する意識と自己の責任に対する認識が欠如している者があり、仕事の仕方が浮ついており、管理がゆるみ、仕事のやり方が誠実ではなく、ある者は一般大衆の声や苦情を聞く耳を持たず、一般大衆の生命安全のような重大な問題に対する感覚が麻痺している者がいる。これらの事件をきっかけに、我々は、党員幹部の中に存在する問題点を緊急に解決し、党は公のために尽くすためのものであること、人民のために政治を行うこと、人を根本とするという原則を堅持すること、人民大衆の安全・安心のために心を砕くようにすること、をしっかり打ち立てなければならない。」

 胡錦濤総書記自身が地方政府の幹部の中に「ゆるみ」があることを認める危機感が表れた講話だと思います(そもそも、こういう事件が続発して、党中央が「学習活動動員大会」を開かなければならないこと自体が危機的な状況なのだ、という見方もできると思います)。

 1950年代、60年代においては、毛沢東主席が「今、我が党の中の一部には○○○○のような者がいる。」と重要講和を行った場合には、すぐさまそういう人々を排除する運動が起こり、実際、そういった人々は党から排除されていったのでした(一部「行き過ぎ」もありましたが)。今、胡錦濤総書記の呼び掛けにより、人民大衆のための行政を行っていない「一部の幹部」はきちんと排除されることになるのでしょうか。今回辞任した行政トップの方々が、いわば「トカゲのしっぽ切り」となって「これでおしまい」ということになることなく、中国の行政が人々の安全を守るためにきちんと機能するようになって欲しいと思います(今回の乳製品へのメラミン混入事件については、北京に住んでいる私としては、他人ごとではなく、実際に自分自身の健康問題に関連してくるので、真剣にそう思っています)。 

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2008年9月21日 (日)

中国の乳製品パニック

 日本でも報道されているとおり、中国の粉ミルクに有害物質メラミンが混入していた事件で、18日夜に放送された中国中央電視台の7時のニュース「新聞聯播」で、液体の牛乳、しかも大手メーカーが販売している牛乳の一部からもメラミンが検出された、との発表がありました。概要は以下のとおりです。

蒙乳:121サンプルのうち11サンプルからメラミンを検出。検出値は1kgあたり0.7~8ミリグラム

伊利:81サンプルのうち7サンプルからメラミンを検出。検出値は1kgあたり0.7~8.4ミリグラム

光明:93サンプルのうち6サンプルからメラミンを検出。検出値は1kgあたり0.6~8.6ミリグラム

三元:53サンプルのうちメラミンを検出したサンプルはなし。

雀巣(ネスレ):7サンプルのうちメラミンを検出したサンプルはなし。

※雀巣(ネスレ)は、スイスのネスレ社のブランドですが、中国国内で生産されている牛乳です。

(参考1)「人民日報」2008年9月19日付け記事
「全国液体牛乳に対するメラミン検査の結果が発表」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-09/19/content_105492.htm

(参考2)中国国家品質監督検査検疫総局ホームページ2008年9月19日発表
「全国液体牛乳に対するメラミン検査の結果発表」
http://www.aqsiq.gov.cn/zjxw/zjxw/zjftpxw/200809/t20080919_90325.htm

 最初に問題になった三鹿集団の粉ミルクで検出されたメラミンの最高濃度は最高1kgあたり2,563ミリグラムですから、それに比べれば上記の牛乳での検出値はだいぶ低いと言えます。報道では、体重60kgの大人ならば毎日2リットル以上飲まなければ大丈夫、と伝えられています。しかし、メラミンが検出された、ということは、チェックをしていない、ということですから、やはりショックです。私も上記のメーカーの牛乳を毎日飲んでいましたから。

(注)粉ミルクの場合、水に溶いて飲むので、液体の牛乳と比較する場合には粉ミルクの検出値は10分の1くらいなると考えた上で比較する必要があります。

 上記に掲げた5つのメーカーは中国は最大手の乳業メーカーで、毎日、テレビでのコマーシャルをやったりしています。伊利は、北京オリンピックの食品提供メーカーでしたが、北京オリンピック、パラリンピックで提供された乳製品では、メラミンは検出されなかった、と報道されています。

 昨日(9月19日)時点で、私が行ったスーパーでは、蒙乳、伊利、光明の製品は牛乳、ヨーグルト、チーズも含めて全ての乳製品が撤去され、三元、雀巣と外国から輸入された乳製品だけが売られていました。少なくとも私が行ったスーパーでは、三元、雀巣と輸入ものは売られており品切れ状態にはなっていなかったので、乳製品が手に入らない、という状況にはなっていません。中国では、放牧などが盛んな地方を除いて、一般には、多くの人が乳製品を消費するようになったのは、最近、経済レベルが向上してからのことであって、中国の食生活は「乳製品がないと成り立たない」というわけではないので、乳製品全体の消費量が一時的に落ち込んでいるのだと思います。豆乳など代用になりうる商品もあるので、普通の大人の場合は、そんなに「パニック」にはなっていません。しかし、ミルクを与えなければならない赤ちゃんがいる家庭は大変だろうと思います。

 ニュージーランドの牛乳やヨーロッパから輸入したチーズは、中国産のものに比べて2倍~3倍程度の値段するので、普通の人が簡単に「輸入品に切り替える」というわけにはいきません。

 中国は食材が豊富なので、乳製品がなくても、しばらくは都会の消費者も我慢できると思いますが、牛乳生産農家はかなりパニック状態になっているのではないかと思います。日本の乳製品を原料として扱っている食品メーカーも問題となった中国の乳製品メーカーの製品を使っていないかどうかの確認に追われている、と報道されています。

 今回の調査結果を見ると、多くのメーカーの数多くの種類の製品からメラミンが検出されていることから、乳製品製造メーカーではなく、源乳納入業者のレベルでメラミンが混入された可能性が高いと思います。しかも、乳製品製造メーカーが多岐にわたり、地域的にも全国に散らばっているので、おそらくは、ひとつふたつの源乳納入業者がメラミンを混入したのではなく、中国全土に渡って、源乳量の「水増し」を図るために、幅広くメラミンの混入が日常的に行われていた可能性があります。その点で、日本で問題になった農薬入りギョーザ事件とは異なり、今回の乳製品へのメラミンの混入事件は、中国の食品産業の構造的問題に立脚した、相当に根が深い問題である可能性があります。

 もし今回の問題が、業者のモラルの欠如、行政による安全検査体制の不備(もう一歩突っ込んで言えば地方の業者と取り締まる立場の地方政府との癒着)など中国の食品産業の構造的問題に根ざしているのだとしたら、単に特定のメーカーの乳製品という特定分野に限った問題ではなくなります。特にメラミンについては、昨年、アメリカ等へ輸出されたペットフードへの混入が問題となりましたから、それを全く教訓としておらず、問題に真剣に取り組んで来なかった、という点で、中国国内でも行政当局への批判も高まっています。今回の乳製品へのメラミン混入事件については、中国政府も相当深刻に受け止めているようで、連日のように対策会議を開き、迅速な検査と結果の発表、問題のある製品の撤去を徹底しています。

 今日、9月21日から、北京では、オリンピック、パラリンピック期間中に続けられていた車のナンバー・プレートの偶数・奇数による通行制限がなくなりました。そのせいかどうかしりませんが、今日(21日)の北京には、また以前のようなひどい大気汚染が戻ってきています。国際的な経済環境も厳しさを増す中、オリンピック、パラリンピックで目立たなかった多くの問題がこれから次々に出てくる可能性があります。これから中国政府にとって正念場が続くと思います(今月25日には、中国で3回目の有人宇宙飛行(今回は中国で初めての宇宙遊泳の実施が予定されている)が予定され、テレビや新聞でもそのことが盛んに報道されているのですが、一般に生活している感覚からすると「それどころじゃない」という雰囲気です)。

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2008年9月17日 (水)

北京パラリンピック閉幕

 今、中国中央電視台のテレビでは、北京パラリンピックの閉会式を生中継で放送しています。パラリンピックの選手の皆さんの活躍には、「人間にはこんな能力もあるのか」と驚かされました。

 思えば8月8日に北京オリンピックの開会式が行われたのが、はるか昔のように思えます。まずはオリンピック及びパラリンピックが無事に終了したことに対して、関係者の皆様にお祝いを申し上げたいと思います。

 オリンピックが始まった頃は、新疆ウィグル自治区でテロ事件のようなものが起きたりして、ちょっと心配していたのですが、結局は、オリンピック及びパラリンピックの期間を通じて、これらのイベントの運行に影響を与えるような大きな事件・事故は起きませんでした。これも警備・警戒に当たった多くの関係者の努力によるものだと思います。

 ところが、パラリンピックが終盤を迎えつつあるここ数日、段々と社会を騒がすような大きな事件が起きるようになってきています。

○鉱山鉱滓堆積場での土石流の発生

 9月8日:山西省臨汾市襄汾県の違法操業していた鉱山の鉱滓(こうさい)堆積場で、大雨による土石流が発生し、多くの人々が飲み込まれました。9月10日付けのこのブログを書いた時点では「34名が死亡」と書きましたが、その後調査が進んで今日(9月17日)の報道の時点では、259名の死亡が確認されています。この事故に関する行政の監督責任を取る形で、山西省長が9月14日に辞任しています。こういった事故によって、省長(日本で言えば県知事に当たる)が引責辞任するのは極めて異例のことです。

○メラミン入り粉ミルク事件

 9月11日:甘粛省衛生庁が最近甘粛省で多発しているこどもの腎臓結石について、赤ちゃんが1名死亡したこと、この腎臓結石の多発はあるブランドの粉ミルクが原因であることがわかったことを発表しました。その後、これが粉ミルクに有害物質のメラミンが含まれていたことがわかったのでした。この件については、昨日(9月16日付け)のこのブログの記事で書きました。昨日のブログでも書いたように、国家品質監督検査検疫総局が全国調査を行った結果、最初に見つかった社も含めて全部で22社、69の製品の粉ミルクでメラミンが検出され、これらの製品は市場から回収・撤去されることになりました。これだけ多数の製品でメラミンが検出されたことと、メラミンが検出されたとして掲げられたメーカーの中にテレビでコマーシャルをやっているような有名メーカーも複数含まれていたこと、などから、中国では粉ミルクを巡ってちょっとしたパニック状態になっています。

 温家宝総理は今日(9月17日)午前、国務院常務委員会を開催して、乳製品と乳製品製造業者に対する全面的な検査を行うことを決めました。国務院常務委員会は、その時々の経済情勢などを踏まえて、経済対策などを決める会議ですが、こういった特定の事件に対処するための緊急対策を決めるために開催されるのは極めて異例のことです。しかも、温家宝総理は、今日はパラリンピック閉会式の当日のため、外国要人との会見のスケジュールも立て込んでいる日でしたが、そういったスケジュールを押しのけてまで、国務院常務委員会を開き「政府全体として取り組んでいる」という姿勢を示す必要があったのでしょう。

(参考1)「新華社」ホームページ2008年9月17日19:12アップ記事
「国務院常務委員会、乳製品の全面的な検査と乳製品業者の整頓を決定」
http://politics.people.com.cn/GB/1026/8066877.html

○51人が死亡するバス転落事故 

 9月13日:四川省巴中市発で浙江省寧波行きの長距離バスが巴中市内の山道を走行中、ガードレールと衝突し、ガードレールを突き破って谷底に転落し、乗っていた51人全員の死亡が確認される、という事故が起きました。この事故は山奥で発生したためか、あまり迅速には報道されませんでした。今日(9月17日)付けの人民日報で、国務院がこの事故を「特別重大道路交通事故」として調査グループを設置したことを報じています。

(参考2)「人民日報」2008年9月17日付け記事
「国務院『9・13』特別重大交通事項調査グループを設置」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-09/17/content_103878.htm

 これらに加えて、昨日(9月16日)、リーマン・ブラザーズの破綻で世界同時株安を受けて中国の株価も大幅に下落しました。今日(9月17日)は、東京市場などが下げ止まって少し戻したのと対照的に、中国の株価は今日も下げ止まりませんでした。土石流やバス転落事故は、この時期に起こったことは単なる偶然に過ぎないし、ここ数日の株安の原因はアメリカにあるのであって中国のせいではないのですが、こういった事項を並べてみると、なんだか、オリンピックとパラリンピックの開催のために、我慢してきたいろいろなことがパラリンピックの閉幕を待つことができずに、いっぺんに吹き出してきた、というような印象を受けてしまいます。

 この文章を書いている間に、北京パラリンピックの閉会式は、何発もの花火とともに終了しました。9月も中旬を過ぎ、北京では、朝晩はかなり気温が下がり、明らかに秋風が吹いています。そういった秋の気配からも「終わったなぁ」という感じを強く受けてしまいます。

 今度は、9月25日に中国で3回目の有人宇宙飛行である「神舟7号」の打ち上げが予定されています。なんとなく「これでもか、これでもか」というふうに「国家的イベント」が続く感じです。こういったいろいろな「国家的イベント」は、それぞれ順調に行って欲しいと思いますが、それとは別に日常の世界でも世の中全体が落ち着けるような雰囲気になって欲しいと思います。

 日本は、今、福田総理が辞任を表明して次の総理が決まらない状態で、総選挙が近くあるかもしれない、という不安定な雰囲気ですし、アメリカも大統領選まであと1月半に迫っており、経済的な状況も「どうなるかわからない」という雰囲気です。そういった世界の雰囲気に惑わされないように、中国は落ち着いた安定的な発展を続けて欲しいものだと思います(現在のような世界の状況の中で、今、中国の「安定団結局面」が乱れるようになることは、世界にとってタイミング的に非常に良くないからです)。

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2008年9月16日 (火)

有害物質入り粉ミルクで乳児に腎臓結石

 日本でも報道されていますが、中国の河北省石家庄にある三鹿集団有限公司が製造した粉ミルクに有害物質のメラミンが含まれており、この粉ミルクを飲んだ多数の乳児が腎臓結石になり、一部は死亡した例も出ていることがこのほど明らかになりました。メラミンの化学的性質は私もよく知らないのですが、メラミンは食品に入れると分量が増えるが、タンパク質と同じ窒素有機化合物なので、タンパク質含有量検査ではタンパク質として判定されることがあり、過去にも食品の「水増し」に使われて問題になったことがあったそうです。メラミンを含んだ食品を食べると、体内で化学反応が起き、腎臓結石が生じることがあるのだそうです。昨年、メラミンが含まれているペットフードが中国からアメリカ等に輸出されて、多くの犬や猫が死ぬ事件がありました。

 今日(9月16日)付けの北京の新聞「新京報」の記事によると、昨日(9月15日)衛生部が発表したところによると、昨日午前8時の時点で、この会社の粉ミルクを飲んだことにより病院で検診を受けた乳児は1万人近くに上り、腎臓結石と診断された乳児は1,253名、そのうち53名は重症で、今までに2名が死亡している、とのことです。

(参考1)「新京報」2008年9月16日付け記事
「全国の診察により『三鹿による結石の赤ちゃん』は1,253名に上った」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/09-16/008@021544.htm

 今日の「新京報」の1面トップは、昨日の記者会見で頭を下げる三鹿有限公司の幹部の写真が載っていました。

(参考2)「新京報」2008年9月16日付け1面トップ写真の記事
「三鹿集団が消費者に対して謝罪」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/09-16/008@021535.htm

 こういった事件の記者会見で会社の幹部が深々と頭を下げて謝罪するのは、日本では見飽きるほど見ていますが、中国では、こういったふうに「日本式」に頭を下げて謝罪するというのは今までなかったことです(少なくともこうした写真は私は初めて見ました)。こういった「異例の謝罪」があったのも、この有害物質粉ミルク事件が中国社会に大きな衝撃を与え、社会的に大きな反響を呼んでいる証拠だと思います。

 さらに今日(9月16日)夜7時から中国中央電視台で放送されたニュース「新聞聯播」では、このメラミン入り粉ミルク事件に関する最新情報を伝えた際に、アナウンサーが「たった今入ってきた情報です」と言った後、国家品質監督検査検疫総局が行った全国調査の結果、ほかの多数の会社のメーカーの粉ミルクからもメラミンが検出された、として、製品名と企業名のリストを放送しました。メラミンが検出されたのは三鹿集団も含めて22社、とのことです。おそらくこのニュースが「突っ込み」で入ってきたために、通常は7時30分で終わる「新聞聯播」が、今日は7時35分まで延長して放送していました。

 中央電視台の「新聞聯播」は、放送後1時間くらいすると、その放送内容がネット上にアップされてネット上でも見られるようになっています。今日放送の分を見ると、今までのところの調査では109社の491品目について調査を行い、その結果、今回問題となった三鹿集団の製品も含めて、22社、69品目の製品からメラミンが検出された、とのことです。22社のリストは下記の中央電視台「新聞聯播」のページに載っています。

(参考3)中国中央電視台「新聞聯播」2008年9月16日放送分
「中国国家品質監督検査検疫総局、乳児用粉ミルクにメラミンが含まれているかどうかについての検査の現段階での検査結果を発表」
http://news.cctv.com/xwlb/20080916/107382.shtml

 これだけ多くのメーカーの粉ミルクに有毒物質メラミンが含まれていた、ということは、今後、中国の国内における食品安全に関する大問題に発展する可能性があります。輸出されたペットフードの事件や日本のメタミドホス(農薬)入りギョーザ事件の場合には、中国の人々の中には「また外国が中国の悪口を言っている」というふうに捉えた人も多かったと思いますが、今回の粉ミルク事件は自分たちの問題として、真剣に取り組む(取り組まざるを得ない)と思います。有害物質入り粉ミルクが販売され、乳児に犠牲者が出る事件は過去にもありましたので、今回の事件は、有害物質入り粉ミルクを製造したメーカーが批判されるのは当然として、その上に、それを防げなかった政府に対する批判も高まるのではないかと思います。

 たまたま9月16日は、アメリカの金融大手リーマン・ブラザーズの経営破綻で、世界同時株安現象がおき、中国でも上海総合指数が終値で2000ポイントの大台を割り込んだ(昨年(2007年)10月の最高値6000ポイントの3分の1以下になった)、という別の大きな経済ニュースもありました。この世界同時株安は、中国に原因があるわけではなく、中国も一種の「被害者」なのですが、それと有害物質入り粉ミルク事件が重なって起こったことは、タイミング的に中国にとっては不運なことだと思います。

 ちょうど明日、北京パラリンピックが終わり、北京はオリンピックから続いていた「お祭り」の期間が終わって、現実の世界へ引き戻されることになります。アメリカの金融危機も大きな問題であり、アメリカにしっかり対応して欲しいと思いますが、いろいろな問題が悪い方向に重ならないように、粉ミルク事件のように中国国内で対処できる問題については、中国の関係当局には適切に対応して欲しいと思います。

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2008年9月10日 (水)

鉱山の違法操業が原因で土石流:34名が死亡

 既に日本でも報道されていますが、9月8日、山西省臨汾市襄汾県で、大雨により土石流が発生して、大きな被害が出ました。9月9日の時点では34人の死亡が確認されています。この土石流について、9月9日、新華社は、初動調査によれば、この土石流は、違法に操業していた鉱山で蓄積していた鉱滓(こうさい)堆積場の土砂が大雨によって土石流となって一気に人々のいる地域に押し寄せたことが原因だった、と伝えています。

(参考1)「新華社」山西省ニュースのページ2008年9月9日11:30アップ記事
「山西省襄汾県土石流事故、違法な事業主による違法な生産が原因だったことが判明」
http://www.sx.xinhuanet.com/jrtt/2008-09/09/content_14353261.htm

 なお多くの人が行方不明になっている、とのことで、犠牲者の数は今後の捜索で多くなる可能性があります。9月9日夜7:00から放送された中国中央電視台のニュース「新聞聯播」の報道によれば、ダム状に作られていた幅120m、奥行き100m、高さ15mの鉱滓堆積場に大雨によって土砂が溜まり、それが一気に決壊して発生した土石流が下流にあった農場や民家を襲ったとのことです。現在、行方不明者の捜索が行われるとともに、鉱山主を始め関係者が当局に拘束されて、その責任追求のための調査が行われているとのことです。

(参考2)「中央電視台(CCTV)」ニュースのページ
「新聞聯播」2008年9月9日放送分
「山西省襄汾県の新塔鉱業有限公司の鉱滓堆積上の崩壊事故で34名が死亡」
http://news.cctv.com/xwlb/20080909/109385.shtml

※「視頻」のボタンを押すと通信状態がよければ動画が再生できます。

 山西省臨汾市と言えば、昨年6月、こども1000人以上を含む多くの人々を奴隷のように強制労働させていた悪徳レンガ工場の事件が発覚し、中国全土にショックを与えたところです。

(参考3)このブログの2007年6月15日付け記事
「山西省の悪徳レンガ工場での強制労働事件」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_54d1.html

 去年の悪徳レンガ工場事件は臨汾市の中の洪洞県、今回の土石流事件は臨汾市の中の襄汾県(中国の「県」は「市」より小さな行政単位)ですので、場所は別の場所ですし、これら2つの事件は全く関連性はありませんが、同じ山西省の臨汾市の中でこういった事件・事故が続くと、この地方では、工場や鉱山の違法な操業が広く行われているのではないか(別の言い方をすると、行政当局が取り締まっていないのではないか)と思いたくなってしまいます。去年の悪徳レンガ工場事件は、中央でもかなり問題にされたので、この地方でも工場などの違法操業の取り締まりは厳しくなっていたはずなのですが、今回、土石流の原因を作った鉱山のような違法操業は見逃されてきたようです。

 中国の炭坑では、事故で年間4,000人近くの労働者が亡くなっていますが、その多くは違法操業している炭坑で起きた事故によるものです。

 国家安全生産監督管理総局・国家炭坑安全観察局のホームページの「事故リスト」を見ると過去の炭坑や炭坑以外の労働災害事故の一覧を見ることができますが、その中にも違法なもの(中国語では「非法」などと表記します)が数多く出てきます。

(参考4)国家安全生産監督管理総局・国家炭坑安全観察局のホームページ
「事故検索」のページ
http://media.chinasafety.gov.cn:8090/iSystem/shigumain.jsp

 少しでも安く、少しでも多くの量を生産しよう、という方針の下、働く労働者に対する安全管理の部分で「手抜き」を行っている違法な工場や鉱山、炭坑が中国にはまだまだ多いのだと思われます。多くの場合、そういった違法行為を取り締まる側の地方政府と工場や鉱山、炭坑を経営する会社側とが結託していて、違法行為を見逃している、というケースが多いと言われています。

 中国の製品はコストが安い、そのために中国製品は国際マーケットでよく売れる、と言われますが、その背景には、こういった労働者に対する安全対策や環境汚染対策にコストを掛けないので安くできている(中国側に立った言い方をすれば、国際競争に勝ち残るためには、安全対策や環境対策に対するコストを削減せざるを得ない)という状況があります。中国が世界をリードする責任ある国になっていくためには、こういった労働者や地元住民の犠牲の上に立脚した「国際競争力の強さ」から脱却していかなければならないと思います。

 一方、日本などの先進国は「国際分業」の名の下に労働者に対するリスクが高かったり、環境負荷の大きかったりする分野からは手を引き、それらを中国等の諸国がやるようになってきている、という事情も考える必要があります。低価格だけが優先されるような経済構造は、低コストで労働者の安全リスクや環境負荷を引き受けてくれるところに負担を掛けることで成り立ってしまうことになります。もし、今後、中国が労働者の安全環境保護やにコストを掛けるようになったら、そういった分野は今度は中国以外の環境リスクや労働安全リスクを低コストで引き受けてくれる別の国で行われることになるのでしょう。

 中国国内における違法操業の問題は、まずは中国自身が自分で解決する必要がありますが、長期的には、弱い者にしわ寄せが行かないような形の経済構造を世界的に構築していく必要があると思います。

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2008年8月 5日 (火)

新疆・カシュガルでの武装警察襲撃事件

 昨日(8月4日(月))と今日(8月5日(火))、所用で上海の西の郊外へ行っていました。昨日の午前中、北京から上海へ行くときは、晴れているけれども大気汚染のため「肉眼で日食観測ができる」という、北京ではよくある「白い太陽が見える」状況でした。今日は、大気汚染は明らかにありましたが、かなり程度はよくなっていて、この程度ならばオリンピックに差し支えないと思われる程度でした。北京の大気汚染指数は、昨日(8月4日)は83、今日(8月5日)は88でいずれも「良」でした。たぶん、オリンピック期間中はこんな感じが続いて、雨が降った翌日はスカッとしてもっときれいになる(大気汚染指数が50以下の「優」になる)、という感じになるのだと思います。

 ところで、上海は昨日はちょっと大気汚染がある感じでしたが、今日はスカッと晴れて、2週間前に私が日本で見たような青空でした。上海は海に近いので海から風が吹けば汚染が拡散することと、周辺が水郷地帯で水が多く、周辺の農村地帯は水田地帯なので、地理条件としては日本と似ているのだと思います。今回は、上海市の市街地の中心部へは行かなかったので今日の上海中心部の大気汚染がどの程度だったのかはよくわからないのですが、上海と北京とを比べると、北京は内陸部にあり周囲からの汚染が流れ込んでしまうこと、北京の周辺は上海の周辺のような水田地帯ではなく畑作地帯なので周囲の農地が乾燥していて農地から巻上がる「砂塵」の影響があること、という点で、大気汚染については北京は上海よりかなり不利であると感じました。

 上海郊外の水田地帯の緑を見ていると、やはり植物による空気の浄化機能は、私たち人間が考えているよりも大きいのだろうとということも実感しました。植物は、二酸化炭素を吸って、酸素を吐き出しているいるわけですので、その過程で、大気中の汚れもフィルターしてくれるのだと思います。気分的な問題だけでなく、緑の植物の大事さを改めて感じました。

 今日、飛行機が降下してくる時に、機内でサービスで提供されているフライト・データと窓の外を見比べていたのですが、北京でも高度1,000mより上では空気はきれいです。大気汚染によって空気に「かすみ」が入ってくるのは、高度1,000mを切ったあたり以下まで飛行機が降りてきてからです。それを見ても北京における今の時期の「かすみ」の原因は地表面の活動や地表から舞い上がる粉塵であることは間違いないと思います。

 さて、日本でも大きく報道されていますが、昨日(8月4日)北京時間朝8時頃、新疆ウィグル自治区の西の端にある都市・カシュガルで、朝の訓練のために行進していた武装警察国境警備分隊の一群に2人組が載ったトラックが突っ込み、刃物で武装警察官を襲撃するとともに、爆発物を爆発させて、武装警察官16名が死亡、16名が負傷する、という事件がありました。2人組はすぐに逮捕されたとのことです。報道によれば、この二人はウィグル族の男だとのことです。

 このニュースは新華社がすぐに報道し、それを元に外国へも伝えられましたが、中国国内での報道のされ方は極めて限定的でした。昨日泊まったホテルは、中国系のチャンネルのテレビしか放送しなかったので、インターネットで日本のニュースを見るまで、この事件があったことは知りませんでした。

 昨日(8月4日)夜7時からの中国中央電視台の全国放送のニュース「新聞聯播」ではこのニュースは報道しませんでした。私は、昨日は、夜中少し前に香港発のフェニックス・テレビのニュースで見ました。このフェニックス・テレビのニュースでも、映像はなく、現地の記者からの電話レポートでした。

 昨日の「新聞聯播」のトップは、「科学発展の旗を高く掲げて~夏期の食糧は五年連続で増収~我が国の食糧生産は安定的に伸びてきている」というものでした。いくつかの「ニュース」(こういうのを日本の感覚で「ニュース」と呼んでいいのかどうかわかりませんが)のあと、オリンピック特集でオリンピック関係のニュースをやりましたが、カシュガルの事件については全く触れませんでした。武装警察国境分隊が襲撃され、しかも30名以上死傷した、という国家としての大事件だと思うのに、こうした事件に全く触れないで「食糧生産が順調に伸びている」という「ニュース」をトップに持ってくるという中央電視台の感覚は、私が20年前、北京に駐在していたころと全く変わっていません。オリンピック取材のために中国に初めて来た外国の記者たちは、相当の違和感を感じたと思います。

 今朝(8月5日朝)の中国の新聞の扱いも非常に小さいものでした。人民日報では、2面の下の方に6行、事実関係を簡単に伝えるだけの記事が載っていました。

(参考1)「人民日報」2008年6月5日付け2面記事
「新疆ウィグル自治区カシュガルで、重大な警察に対する暴力襲撃事件が発生」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-08/05/content_73450.htm

 「新京報」では、1面にこの事件についての「見出し」は載っているのですが、記事自体は、事実関係のみを伝える120字程度の簡単な新華社電が載っているだけでした。

 テレビの方の中央電視台の「新聞聯播」では、今日(8月5日)は、この事件は取り上げましたが、30分のニュースの終わりの方で、ごく簡単に事実関係を述べた内容をアナウンサーが読み上げただけでした。映像や写真は全くありませんでした。

(参考2)中国中央電視台「新聞聯播」2008年8月5日放送
「新疆ウィグル自治区公安庁、メディアに対してカシュガルの暴力襲撃事件の調査の進展状況について説明」
http://news.cctv.com/xwlb/20080805/129633.shtml

 この「新聞聯播」のニュースでは、現場で見つかった手作りの爆破装置や手作りの銃は、2007年1月に警察に摘発された「東トルキスタン」テロリスト・グループが訓練に使っていた装置と似ていること、押収されたものの中に「聖戦」を掲げる宣伝物があったこと、などが伝えられています。

 この中央電視台のニュースの内容は、下記の新華社が伝えるニュースと全く同じ内容です。

(参考3)「新華社」ホームページ2008年8月5日13:21アップ記事
「新疆ウィグル自治区警察、カシュガルの暴力襲撃事件の最新の進捗状況について説明」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-08/05/content_8967136.htm

 7月21日に起きた雲南省昆明での路線バス連続爆破事件の時は、新華社は次々の新しい情報や現場の写真をネット上に掲載したのですが、今回のカシュガルの事件では、わかった事実を淡々と事実だけをごく簡単に伝えていますが、現場の写真等については、新華社のホームページでは見ることができません。昆明のバス爆破事件の時とは、明らかに扱いが違います。「隠さずに事実を迅速に伝える」という最低限のことはやっていますが、昆明の事件に比べると、このカシュガルの事件は相当に慎重に扱っている感じを受けます。オリンピックの開幕直前で「あまりコトを荒立てたくない」という気持ちもあるのだと思います。襲撃されたのが武装警察の部隊で、新華社といえども、自由に取材し報道できる相手ではなかった、というのも原因かもしません。

 この事件については、今日(8月5日)のNHKテレビでは、事件直後に旅行客が映した写真を報じるとともに、現場に入ったNHKのカメラマンによる映像を流していました。つまり、中国国内にいても、中国のメディアでは全く伝えられていない映像をNHKで見ることができる、という状況です。

 なお、この事件を取材していた日本などの記者が現地の武装警察から暴行を受け、一時身柄を拘束された、とのことですが、この点に関して、現地の武装警察は今日(8月5日)、暴行を受けた日本の記者らに謝罪した、とのことです。この記者に対する暴行や拘束は「突発事件の発生等にあたっても外国の記者には自由に取材させよ」という中央の指示が、現場の末端まで行き届いていなかったことによるできごとだと思います。NHKの番組「激流中国」でも何回か出てきましたが、地元の警察の意向に逆らって報道陣が取材することは、中国では本当の意味での「身の危険」を感じるのが普通です。そういった中国において、オリンピックを契機にして最近急に中央が言い出した「突発事件では外国メディアに自由に取材させよ」という方針は、たぶん現場には、とまどいと反発をもたらしていると思います。

 日本などの記者が武装警察から暴行を受けて一時身柄を拘束されたこと、それに対して武装警察側が謝罪したことについては、中国のメディアは報道していません。ただし、先日、アクセス規制が解除されて見られるようになったBBCの中国語サイトには載っていますので、インターネットを見られる中国の人ならば、この情報は今は誰でも見られるようになっています。

 こういった状況が続くと、多くの中国の人は「なぜBBCのサイトにはこれだけ情報が載っているのに、中国の新聞やテレビや新華社のネットには詳しい情報が載らないのか。」といった不満や不信感がますます強くなると思います。

 3月、4月のオリンピック聖火リレーが諸外国でいろいろ妨害を受けていた頃は、中国のメディアが「西側メディアは偏向している」というキャンペーンを張ってそれが一定の効果を上げました(一部、フランス系スーパーマーケット「カルフール」に対する不買運動など「行き過ぎ」の行為も産みましたが)。しかし、オリンピックが始まり様々な情報が飛び交うようになると、「西側のメディアが不自然に事実を歪曲しているのか」「中国のメディアが不自然に情報をコントロールしているのか」のどちらなのかについては、中国の人々もわかってくると思います。(その兆しが見えたのが、6月28日に起きた貴州甕安県の群衆による暴動事件に関する新華社などの公式報道に対する掲示板でのネットワーカーたちの批判でした)。

(参考4)このブログの2008年7月3日付け記事
「貴州省甕安県の暴動事件の真相」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/07/post_ef2a.html

 カシュガルで起きた武装警察に対する襲撃事件は、明らかにオリンピックで世界の注目が中国に集まった時期を狙った意図的な反社会的行為だと思います。これについては、中国の人々はもちろん、世界の人々が非難の声を上げています。これをきちんと報道することによって、中国の人々も世界の人々も、みんな声を揃えて「反テロリズム」「テロに負けずにオリンピックを成功させよう」という気持ちになると思います。それであれば、今回のカシュガルの事件について中国は報道をコントロールする理由は全くないはずです(むしろ情報をコントロールすることは中国にとって全くのマイナス効果しかもたらさない)。

 新疆ウィグル自治区の公安当局としては、「事件を起こしてはならない時期に事件を起こしてしまった」ということで自分たちの「失点」だと思っているのかもしれませんが、そういう「失点」を隠そうとする態度は、昔から「官僚主義」として批判されてきました。(例えば、1987年に起きた中国東北地方の大興安嶺の森林火災では、火災発生当初、地元当局が自力で消火しようとして中央に報告せず、大火災に発展させてしまったことがありました。この時の地元当局の対応は「官僚主義」として激しく批判されました)。オリンピックを機会に、こうした長年にわたって改善されないできた「失点を隠そうとする各地方の風潮」が少しでも改善できればよいと思います。そう思うのだったら、新華社や人民日報など、中国をリードする報道機関は、もっと積極的にこのカシュガルの事件についても積極的に報道すべきだと私は思います。

 このカシュガルの事件をきっかけに、北京などでは警備体制がまた一段と強化されたようですが、こういったテロ活動をきちんと報道することにより、市民も「テロ防止のためならば警備の強化は当然である。むしろ自分たちも積極的に協力したい。」と思うようになると思います。

 今日(8月4日)、上海の西郊外→上海空港→北京空港→北京市内と移動しましたが、上海の西郊外から上海市内へ向かう時には高速道路に入るところでに警察官に車を止められてチェックされましたし、上海空港でも、空港に入る時と、飛行機に乗る時の2回チェックがありました。飛行機に乗るときの保安検査はいつもありますが、今日は特にチェックが厳しかったように思います。パソコンは開いて見せなければならないし、バックの中も開けられて、何回もレントゲン装置を通されました。北京市内でも、主要な道路には、数十メートルおきに警官が立っている、という感じで、警備の厳しさを感じました。

 何はともあれ、これ以上、何事もなく、無事にオリンピックが終わればよいなぁ、と思います。

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2008年7月23日 (水)

「言葉のせき止め湖」の危険にどう対処する

 今日(7月23日)付けの「人民日報」に「『言葉のせき止め湖』の危険をどうやったら取り除くことができるか」という評論が載っていました。

(参考)「人民日報」2008年7月23日の「人民時評論」
「『言葉のせき止め湖』の危険をどうやったら取り除くことができるか」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-07/23/content_65205.htm

 これは四川大地震をきっかけにして多くの人の口に上るようになった「せき止め湖」(中国語で「堰塞湖」)という言葉になぞらえて、人々の政治に対する不満が溜まって一気に爆発しそうになる現象を「言葉のせき止め湖」(中国語で「言塞湖」)と表現して、それにどう対処すべきか、を論じたものです。「堰塞湖」と「言塞湖」は、中国語では「堰」はyanの4声、「言」はyanの2声、で、声調だけは違いますが発音は同じなので、同じ発音の文字を入れ替えた、一種の「ダジャレ言葉」です。

 人民日報にこういう評論が載る、ということは、党中央も、最近の地方での集団騒乱事件の頻発などを受けて、人々の間に不満がうっ積しつつあることを認識し、地方政府は、それにちゃんと対処しなければならない、との問題意識を持っていることの表れだと思います。この論評では、地方政府の幹部が豪華な政府庁舎や官舎を建て、地域住民が不満に思っていたことが、何かのきっかけで明るみに出て問題になる、というケースが続いていることを指摘しています。例として、安徽省阜陽市で、市政府が豪華な庁舎を建て、住民から「ホワイト・ハウス」と呼ばれて批判されていたが、この豪華庁舎問題を指摘した人が死亡し、その死因に不審なところがあったことから中央のメディアが取り上げ、結局は市の党書記が人民代表の職を解かれたケースを挙げています。

 こういったケースは「何かのきっかけ」がなければ明るみに出なかった可能性があり、その場合、人々の不満はうっ積し「言葉のせき止め湖」ができてしまうので、それを避ける方策を考えなければならない、とこの論評は指摘しています。

 この評論では、「言葉のせき止め湖」に対処する方法として、既に下記のような仕組みが実施されていることを指摘して、これらの方法を通じて民意を汲み上げる「トンネル」を確保することの重要性を指摘しています。

○中国共産党の伝統である大衆の声を聞く路線を実践すること。
○人々の訴えをよく聞くこと(「信訪制度」を活用すること)
○世論の動向をよく見極めること。
○最近よく行われるようになった公聴会制度や政府情報公開請求制度を活用すること。

 こういった論評を読むと、私などは、どうしてここに「地方政府幹部を選挙で選ぶこと」というのが入って来ないのかなぁ、と思ってしまいます。「住民の間に不満の声が溜まったら、次の選挙で落選してしまう。」というシステムを作り上げることが最も単純で確実な「言葉の堰き止め湖」に対する対処だと私は思います。ここでそういった議論がなされないのは、「選挙」という手法は、地方政府の幹部は中央が指名する、という現在の体制を崩してしまうことになるからだと思います。

 中国には、住民に不満がある場合には、上部機関に直接訴える「信訪制度」があります。例えば、ある県の幹部のやり方を不満に思う住民は、県を飛び越えて、その上にある市やさらにはその上の省、最終的には国の「訴え受付機関」に訴えて解決を要請することができます。これを「信訪制度」といいます。これもひとつの方法だと思いますが、「信訪制度」は、結局は封建時代の「直訴」と同じです。上部機関が住民から寄せられる数多くの「直訴」に全て対処できるのか、「直訴」があったものだけ改善していたのでは、一種の対処療法であり、根本的な解決にはならないのではないか、と私は思うのですが、そういった議論が残念ながら中国では行われません。結局は、「選挙の必要性」に行き着いてしまうので、議論ができない、ということなのでしょうか。

 中国では、昔から、地方政府に対する不満を爆発させた住民による集団暴動事件は数多く発生しています。最近は、北京オリンピックで注目されていることと、住民がすぐにネットに情報をアップするようになったことで、外国のメディアでも報道されるケースが多くなっているのだと思います。「言葉のせき止め湖」が大きくなって、一気に決壊することは、誰も望んでいません。しかし、この問題は「住民の声をよく聞くようにしよう」といった呼び掛けだけで改善するような問題ではありません。この人民日報の評論によって「言葉の堰止め湖」という言葉が一種の「流行語」のようになって、中国国内でも真剣な議論が起こることを期待したいと思います。

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2008年7月21日 (月)

雲南省昆明市でバス爆破事件が発生

 7月21日(月)朝の通勤時間帯、中国雲南省の省都・昆明市で約1時間間隔で2つのバス爆破事件が相次いで発生しました。今までにわかっているところでは、2人が死亡し14人が負傷したとのことです。本件については、中国中央テレビのお昼のニュースで報道されたほか、新華社通信の雲南報道のページに「特設ページ」が設けられ、逐次、新しい情報がアップされつつあります(昆明市は人口620万人のこの地方では大都市です)。

(参考1)「新華社」雲南報道のページ
「昆明市で発生したバス爆破事件特設報道ページ」
http://www.yn.xinhuanet.com/topic/2008/explosion/

 朝の通勤時間帯に2つの爆破が続けて起きた、爆発が起きたのが座席の下だった、という事実から、当局もこれがテロであると見ており、目下、全力で犯人の捜索に当たっているとのことです。上記のように(最近の中国ではこういう傾向にあるのですが)異例の速さで、新華社通信等が写真等も含めた最新の映像を続々と流しています(不要なデマの発生を防ぐため、できるだけ速く詳細な情報を報道しようとしているのだと思います)。

 それにしても、私は、中国では、民衆の集団による暴動事件が起きることはあっても、爆弾テロは起きないと思っていました。いかなる政治的目的を持っているにせよ、中国では多数の人民を味方に付けなければその政治目的を達成できないのは明らかであり、テロ行為を行うことは、理由の如何を問わず人心を離れさせることになり、一定の政治目的を持つグループにとっては逆効果以外の何者でもないからです。雲南省は、中国の中でも少数民族が多い地区ですが、雲南省は昔から多くの少数民族が混在して居住している地域であり、少数民族問題を理由とした暴力事件やテロ事件があったという話は私は聞いたことはありません。

 今回の昆明市のバス爆破事件の背景について、今の段階で軽々に推測するのは慎むべきですが、今回の事件は、北京オリンピックへ向けて、北京で交通規制が始まるなど「オリンピック特別期間」が始まった最初の月曜日の朝の通勤時間帯を狙って約1時間の時差を付けて複数の爆発を起こした、という事実だけを見ると、相当に冷徹に計画されたもののように見えます。

 今までも、政治的な背景とは関係なく、会社から解雇された人が自爆テロ的に会社の車に放火するというような個人的恨みに基づく事件はありました。

(参考2)このブログの2007年10月3日付け記事
「重慶でバス火災27人死亡・放火か?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/10/27_7d11_1.html

しかし、今回の昆明でのバス爆破テロは、この重慶のバス放火事件のような「個人的な恨みによるもの」とは違うように思います。

 また、中国では、無数の違法な炭坑で操業が行われ、そこで使われるダイナマイトがずさんに管理されているのが実態です。そういう状態で今まで中国ではいわゆる「爆弾テロ」のような事件はあまり起きていなかったのですから、基本的に中国では爆弾テロの起きる素地はないものだと思っていました。

(参考3)このブログの2007年7月6日付け記事
「遼寧省のカラオケ店の爆発で25人死亡」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/25_07f6.html

 なお、雲南省では7月19日に雲南省プーアル市孟連ダイ族ラフ族ワ族自治県で、ゴム農民とゴム生産企業との間に起きていたトラブルに関連して、ゴム農民が数百人集まって公安当局を取り囲んで暴力行為を働いたため、公安当局が自衛のために発砲し、村民多数が負傷し、うち2名が死亡する、という事件がありました(これは新華社がそう報道しているのでこの事実に間違いないと思います。一部、日本の報道では「公安当局がゴム弾を発射し」とありますが、新華社の報道では「ゴム弾」の記述はありません。「ゴム弾」の発射で死亡することは考えにくいので、集まった群衆に対しては銃の実弾が発射されたものと思われます)。

※雲南省プーアル(普○:「○」は「さんずい」に「耳」)市はプーアル茶で有名です。

(参考4)新華社・雲南報道ページ2008年7月20日付け記事
「雲南省孟連県で暴力事件が発生」
http://www.yn.xinhuanet.com/newscenter/2008-07/20/content_13873445.htm

 この事件について、新華社は続報を報じており、翌日の20日にも約450人の群衆が集まったこと、雲南省幹部が死亡した2名の死因については調査を行うことを集まった群衆に説明したこと、20日に集まった群衆は衝突事件などは起こさず夜になってから解散したこと、などを伝えています。

(参考5)新華社・雲南報道ページ2008年7月20日付け記事
「雲南省孟連県『7・19事件』で集まったゴム農民は説得されて引き上げた」
http://www.yn.xinhuanet.com/newscenter/2008-07/20/content_13873451.htm

(参考6)新華社・雲南報道ページ2008年7月21日付け記事
「雲南省では、全力を挙げて孟連でのゴム農民集団事件に対する対処が行われている 雲南省の指導部は現場に行って群衆の訴えを聴取した」
http://www.yn.xinhuanet.com/newscenter/2008-07/21/content_13878264.htm

 これらの報道によると、このゴム生産会社は数年前に私営企業になったが、ゴム農民たちとの間で利益配分について意見の相違があり、ゴム農民たちは会社に自分たちの権利が侵害されていると考えていたとのことです。このため数年前からゴム農民たちは何回もゴム生産会社を包囲して焼き討ちする騒ぎを起こしていた、とのことです。事件が起きた7月19日、公安当局が5人の犯罪容疑者を取り調べていたところ、約500人のゴム農民たちがゴム採取作業に使う長刀や鉄パイプ、棍棒などを持って集まって公安当局を取り囲んで襲撃したため、41名の民事警察官が負傷し、8台の警察車両が破壊された、とのことです。公安当局側は自衛のために発砲し、15人のゴム農民が負傷し、そのうちの2名が死亡した、とのことです。

 新華社の記事では触れていませんが、上記の状況を踏まえると、ゴム農民たちは、ゴム生産企業と公安当局が「グル」になっていると考えて、普段から公安に対する不満を募らせていたのではないか、と思います。

 この孟連県でのゴム農民たちと公安当局との衝突事件と、昆明で起きたバス爆破事件が関係があるのかどうかはわかりません。地理的に言うと、プーアル市孟連県と昆明市とは数百キロ離れていますし、例えゴム農民たちが公安当局に対して不満をうっ積させていたとしても、彼らとしては昆明市民を殺傷する爆破テロを起こしても何の意味もないので、この2つの事件は関係はないのではないかと思います。

 いずれにしても、今回の昆明市でのバス爆破事件については、早く犯人が特定され、真相が解明されることを望みたいと思います。

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2008年7月 3日 (木)

貴州省甕安県の暴動事件の真相

 本件は、日本のマスコミでも報道されており、また、現在まだ「なぞ」の部分も多く、これからも「真相」がわかってくるところがあると思いますが、記録の意味もあり、今日(7月3日)時点で書いておくことにします。

 海外のマスコミで報道されていることと、中国で報道されていることには微妙な違いがあります。しかし、これまでの多くの中国国内の地方での暴動事件とは異なり、本件については、中国国内でも報道されており、掲示板の発言も認められています(ただし、一定の主張の発言は削除されているようです)。今まで私が知り得たことをまとめておきます。

○海外マスコミの報道(いろいろな報道があるものを、筆者がポイントをまとめたもの)

「6月28日、貴州省黔南プイ族ミャオ族自治州甕安(日本語読みでは「おうあん」)県で、数千人(報道によっては数万人)による抗議行動があり、政府関係機関の建物や警察の車両が放火されたりする事件が起こった。数日前、ある少女が川で遺体で見つかり、少女の親族はそばにいた男の友人ら3名に暴行されて殺されたのではないか、と疑っていたが、警察は少女の死を自殺と判断し、3名を釈放した。取り調べを受けて釈放された3名の中に県の幹部の息子がいたために、暴行殺人がもみ消されたのではないか、とのウワサが流れた。抗議に訪れた少女の叔父が警察に抗議に行ったところ、その叔父は暴行を受けて死亡した。この暴動は、これらの警察の動きに怒った民衆が起こしたもので、この抗議行動により多数が逮捕された(報道の中には、取り締まりの過程で警察側が発砲し、複数の死者が出た、というものもあった)。」

○中国での報道

(参考1)「新華社」ホームページ2008年6月29日5:48アップ記事
「貴州省甕安(おうあん)県で焼き討ち事件が発生」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-06/29/content_8456598.htm

[(参考1)の記事のポイント]
 28日午後、甕安県において、女子学生の死因鑑定に対する不満を持つ一部の人が原因となって、群衆が県政府及び公安局に集まった。政府の責任者が応対している時、真相を知らない群衆が一部の人に煽動されて県の公安局、県政府と共産党県委員会のビルに押し掛けた。その後、少数の不法分子が、事務室を打ち壊し、多くの事務室と一両の車に放火した。事件発生後、貴州省の共産党常務委員、公安庁のトップらが現場に駆けつけて、29日午前2時の時点では人々は解散した。事態は拡大せず、甕安県の街は現在のところ正常な状態を回復している。

(参考2)「新華社」ホームページ2008年7月1日9:50アップ記事
「貴州省の石宗源書記『6・28突発事件』は善処しなければならない、と語る」
http://news.xinhuanet.com/politics/2008-07/01/content_8468856.htm

[(参考2)の記事のポイント]
 貴州省の共産党委員会書記で貴州省の人民代表大会委員長の石宗源氏は、「6・28事件」の現場に行き事情を聞いた。石宗源書記は、「この事件は、もともとの原因となった事情は単純なものだったが、少数の下心を持った人たちによって煽動され利用され、「黒勢力」(暴力団)の参与によって、党委員会と政府に対して挑発された集団事件である。」と述べた。党中央・国務院も事態を重視し、胡錦濤総書記は、政治局常務委員の周永康(公安担当)に対応を指示した。公安部の孟建柱部長も何回も現地に電話して直接指示を行った。

(参考3)「新華社」ホームページ2008年7月1日13:30アップ記事
「甕安県の民衆は6・28焼き討ち事件を起こした不法分子に対する怒りの声を上げている」
http://news.xinhuanet.com/local/2008-07/01/content_8469834.htm

[(参考3)の記事のポイント]
 甕安県で6月28日に打ち、壊し、撞き、焼く事件が発生した後、甕安県の幅広い大衆の間に、法律を踏みにじって国家機関を焼き討ちし、公共財物を損壊した一部の不法分子に対する強烈な反発が引き起こされた。
(筆者注:「打ち、壊し、撞き、焼く事件」という表現は、今年3月14日にチベット自治区・ラサで起きた事件を報じる新華社の報道と同じ表現である)。

(参考4)「人民日報」2008年7月2付け2面記事
「貴州省公安庁、甕安県の『6・28』事件について報告」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-07/02/content_51574.htm

[(参考4)の記事のポイント]

・貴州省公安局は7月1日夜、記者会見を開いて6月28日に甕安県で起きた焼き討ち事件について記者団に説明した。この事件では警察官等100名以上が負傷したほか、県の党委員会、県の政府、県の公安局のビルが焼き討ちに合い、公共財産が損害を受けた。現在のところ、事件は終息しており、現在、基本的な調査が行われている。

・6月22日0時27分、甕安県公安局に110番通報があった。県の西門河大堰橋において人が川に飛び込んだとのことだった。近くの派出所の警官が現場に駆けつけ、3時頃、溺れた少女を発見したが既に死亡していた。警察は現場にいた劉某(別の報道によれば男)、陳某(男)、王某(女)の3人を取り調べた。死亡したのは1991年7月生まれのAさんだった(注:人民日報では実名が報じられている。人民日報は「強姦殺人ではなく自殺だ」という立場にあるので、死んだ少女の実名を報道しているが、このブログでは実名は伏せておくことにする)。

・調べによれば、21日20時頃、AさんとAさんの女友だちの王某、Aさんの男友達の陳某、陳某の友だちの劉某は西門河大堰橋のところに行った。彼らが話をしている時、Aさんが突然、「川に飛び込んで死んじゃうのはやめた。死んでも何にもならないのだったら、うまく生きていかなくちゃいけない」(中国語原文では「跳河死了算了,如果死不成好好活下去。」)と言った。約10分後、陳某が先に現場を離れた。陳某が離れた後、劉某はAさんの気持ちが平静になったと思ったので、橋の上で腕立て伏せを始めた。劉某が3回目の腕立て伏せをやった時、Aさんは「私は行くわ」という大きな声を出して、下の川に飛び込んだ。劉はすぐに川に飛び込んで助けようとした。王は急いで陳に電話して助けを求めた。陳はすぐに引き返してきて、川に入って救助しようとした。劉と陳は体力が続かず、岸の上に引き返した。王と劉はすぐに警察に通報した。

・甕安県公安局は調査の結果、Aさんの死亡は自分で川に飛び込んだ自殺と判断して家族に伝えたが、家族は強姦殺人の疑いがあるとしてDNA鑑定を要求した。6月25日午後、貴州省黔南プイ族ミャオ族自治州の公安局が派遣した医師により検死が再び行われ、溺死と判定された。しかし、家族は遺体を埋葬せず、王某、劉某、陳某の責任を追及し、公安部門に対して50万元の賠償を請求した。

・県当局の何回にもわたる説得の結果、Aさんの家族は6月28日に協議書にサインすることになった。しかし、6月28日16時、Aさんの親族は300人以上の人たちと一緒に横断幕を掲げて県政府庁舎にデモを行った。土曜日の午後だったので、街に多くの人がおり、一部の群衆がデモに加わって、16時30分頃には多くの人々が公安局ビルの前に集まった。警察は解散するよう説得したが、少数の人による煽動によって、一部の不法分子がミネラル・ウォーターのビンや泥の塊やレンガで警察官を攻撃し、警察官が作った人垣を突破して、ビルを打ち壊し、車両に放火した。20時頃、不法分子は共産党県委員会や県政府のビルに対しても打ち壊しを行った。打ち壊し行為は7時間に及んだ。ケガをした人は150名以上に及んだが大部分は軽傷で、死者はいなかった。

・打ち壊し行為に直接参加した人に多くの地元の暴力団員が含まれていた。現在までに50余人が拘束され、取り調べが行われている。

・7月1日、Aさんの家族に対する説得が行われ、家族は遺体を埋葬することに同意したが、その前にもう一度遺体を検査することを要求した。貴州省公安局は、もう一度貴州省と県の法医学関係者が共同して遺体を検査することを決定した。

(参考5)「新京報」2008年7月2日付け記事
「甕安県の共産党県委員会や県政府が焼かれ50余人が拘束された」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/07-02/021@073020.htm

[(参考5)の記事のうち(参考4)の記事にない情報のポイント]

・自治州政府の要請により二度目の検死を行った都匀市の法医師の王代興氏が7月1日に語ったところによると、「死因は溺れたことによる窒息死で、死ぬ前に性行為が行われた形跡はない。陰道の分泌物を検査したが、精液成分は検出されなかった。」とのことである。

(筆者注)上記説明の中に「陰道の分泌物を検査したが、精液成分は検出されなかった。」とあるが、筆者の理解では、日本の判例では、そういう状態に至らない状況であったとしても婦女暴行罪は成立する、とされている。従って、日本の裁判では、上記の証拠だけでは「婦女暴行はなかった」ことの証明にはならないと思われる)。

・貴州省黔南プイ族ミャオ族自治州政法委員会の羅毅介書記によると、現場にいた陳某、劉某、王某は、三人とも両親は農村に住んでいて農業に従事しており、ウワサになっているような「現場にいた3人の中に県の書記や副県長の息子がいた」という事実はない。

・甕安県公安局の周国祥副局長によると「死んだAさんの叔父が警察で乱暴されて死亡した」というウワサがあるが、死んだAさんの叔父が警察で乱暴された、という事実はない。Aさんの叔父は、派出所を出た後、教育局の事務局で報告をしていた。その後、保険会社の入り口のところで殴打された、とのことである。この事件については、現在、警察において調査中である。

(参考6)「人民日報」のホームページに2008年7月2日13:29にアップされた記事
(もともとは「金黔オンライン」に載っていた記事を人民日報ホームページが転載したもの)
「甕安事件の死者の叔父が真相を語る:私は死んでいない、デマを言ってはいけない」
http://society.people.com.cn/GB/8217/126097/126098/7458367.html

[(参考6)の記事のポイント]

 Aさんの叔父は中学校の教師である。現在、暴行事件でケガをして入院中であるが、「私は死んではいない。変なデマは流さないで欲しい。」と言っている。Aさんの叔父の話は次の通り。

・6月22日の深夜、姪が死んだと聞いたので、現場へ行って遺体を確認した。その後、状況を聞こうと思って警察の事務室に行った。警官がこの事件の処理で忙しそうにしており、私が入っていくと大声で「何しに来た!」と怒鳴った。私も姪が死んで気が立っていたので「遊びに来たんだ!」と言い返した。すると警官は「出て行け!」と言って私を突いて来たので、ケンカになった。

・その後、教育局から呼び出しがあり、警官との衝突の状況を説明に行った。教育局を出て保険会社の入り口のところへ行ったら、正体不明の6人の男に出会って暴力を振るわれた。すぐに110番した。警官が来て、私は病院に送られた。それ以来病院から出ていないので、焼き討ち事件のことは知らなかった。

・焼き討ち事件の当日、家族が病院に来て、「街の人はみんなあなたが公安局で殴られて死んだと言っている。1万人にも上る人があなたと姪の怨みを晴らすのだ、と言っている」と言っていた。私は死んだ姪の親族として、このような事態に発展するとは思いも寄らなかった。私と私の親族は、絶対に焼き討ちに加わっていないし、焼き討ち事件が起こることを全く希望していなかった。

(参考7)「人民日報」のホームページ2008年7月3日8:30アップの記事
「貴州省の事件処理担当グループ、6・28事件の深層原因について初歩的に分析」
http://politics.people.com.cn/GB/1026/7462193.html

[(参考7)の記事のポイント]

 7月2日、貴州省の副書記で、共産党省委員会が設置した甕安6・28事件担当グループ・グループ長の王富玉氏と副省長で担当グループの副グループ長の黄康生氏は、甕安県幹部の検討会において次のように発言した。

・多くの人は、甕安6・28事件の原因にはいくつかの側面があると考えている。

(1) 一つ目はもともと治安が良くないことである。暴力事件が年間600~800件発生しているが、検挙率は50%に過ぎない。

(2) 二つ目は社会的矛盾が蓄積していることである。住宅の取り壊しに係わる紛争や国有企業の改革において多くの矛盾が出現している。一部の人々の合法的な権益が守れていないケースがあり、一部の民衆の間に怒りが溜まっている。

(3) 三つ目は、道徳教育が十分に重視されていないことである。少数の幹部は党の幹部としての品性に欠けており、危機意識が欠けている。一部の学校では知識教育偏重になっており、思想、品格、徳育教育を重視していない。一部の民衆は法律意識に乏しく利益追求の気持ちが強すぎる。

(4) 四つ目は、一部の幹部の誠実さの欠如である。一部の部門の幹部は、民衆と相対し、民衆の中に深く入って、民衆を指導する能力が不足しており、民衆の気持ちを理解せず、行政が硬直的になっている。罪人を恐れて法による処罰を厳正に行わなかったり、法執行において情実を掛け、情を以て法に代えるという現象が起きている。

(5) 党の基層において基礎的な工作が不足している。基層においては党員が模範となるべきなのにそれがうまくできていない。

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 インターネットにおける本件に対する扱い(インターネットにおける本件関連事項へのアクセス規制など)や報道の仕方は時期によって扱いが揺れているようです。「新華社」は事件発生の翌日6月29日の早朝の時点で報道を始めています。中国の地方における暴動事件の報道としては異例の早さだと思います。しかし、人民日報が本件に初めて触れたのは事件が発生してから3日目の7月2日です。また、私が見ている範囲では、テレビでは本件は報道されていません。「新華社」の記事に付随している掲示板に対する書き込みは、基本的には認められており、先日(6月20日)に胡錦濤総書記が突然登場した「人民日報」のホームページの掲示板「強国論壇」にも、本件に関するたくさんの書き込みがなされています。ただ、党批判、政府批判に走るような発言は削除されているようです。

 本件に関しては、当初から、焼き討ち事件を目撃した人が撮影した写真が大量にネット上にアップされました。6月30日夜の時点で中国の最大の検索エンジンである百度で「甕安」というキーワーで画像検索すると、多くの焼き討ち事件を撮した写真がヒットしました。ただ、私が見た時点(6月29日夜)では、多くの焼き討ち事件の写真のサムネイル(見出しとして使う縮小した写真)は見ることができても、そこをクリックして拡大して見ようとすると「削除されていて存在しません」としか表示されませんでした。7月1日の夜時点になると、百度で「甕安」というキーワーで画像検索しても、焼き討ち事件関連の写真は、サムネールも含めて全く表示されませんでした。余りに多くの数の写真がアップされたために当初は削除し切れなかったようですが、結局は現場の写真は削除する、というのが当局の方針だったようです。

 本件については、新華社や人民日報が「デモは、真相を知らない一部の人が煽動したもので、焼き討ち事件を起こしたのは一部の不法分子で、その中には地元の暴力団員が含まれている」というトーンで報道していますが、掲示板の発言には、こういった報道の仕方に対して、かなりの批判が出ています。新華社の報道では、事件翌日早朝の記事で「一部の人が真相を知らない群衆を扇動し・・・」といった表現が使われていますが、この時点では誰も「真相」は知らなかったはずで、それなのに新華社が「真相を知らない群衆を扇動し・・・」と群衆は真相を知らないはずだと決めつけているのはおかしい、という批判です。また、今回は多くの焼き討ち場面の写真がネットに掲載され、実際に数千人に上る人が公安局の前に集まっていることは事実だ、とみんな知っていたので、新華社が言っている「少数の不法分子」という表現はおかしい、とみんなが思ったのです。また、ウラに何かなければ「一部の人の煽動」だけで、あれだけの数の群衆が騒ぐはずがない、ということはみんなよくわかっているので、新華社の報道はおかしい、と感じたのだと思います。

 中国で公式報道を批判するような掲示板の発言が削除されずに残っている、ということは、かなり珍しいことです。当局側も、先に胡錦濤総書記が「人民日報」ホームページの掲示板「強国論壇」に登場したように、ネットの発言を削除しまくっているだけではもはやネット世論をコントロールできない、と考えるようになったからのようです。

 新華社の記事についている掲示板には、「事態は発展していない。既に正常に戻っている。」という新華社の表現について「記者の良心はあるのか。事件の原因は? 現場に行って調べないのか? 我々は真相を知りたいのだ!」といった報道に対する辛辣なコメントもありました。また、「水は船を浮かべることができるが、水は船をひっくり返すこともできる。共産党は反省しなければいけないのではないか。」といったかなり大胆な発言も削除されないで残っていました(今も残っているかどうかは知りません)。

 また、事件の詳細の報道のうち、友だちが「橋の上で腕立て伏せをしているうちに少女が飛び込んだ」といった経緯に対しては、多くの人が「考えにくいシチュエーションだ」として疑問を持っているようです。また、死んだ少女の叔父は死んではいなかったものの「正体不明の6人組に襲われてケガをした」というのは事実のようですので、それが何を意味するのか、については、全くナゾが解かれていません。

 もうひとつ着目すべきなのは、(参考7)の人民日報の記事が「地方政府の側にもいろいろ問題があった」と指摘していることです。これは、チベット自治区のラサで起きた暴動については「一部の不法分子が外国勢力の煽動によって引き起こしたもの」という「公式見解」で押し通すことができたの対し、今回の貴州省の暴動では「一部の者が真相を知らない群衆を扇動し、少数の不法分子が焼き討ちを行った」という「公式見解」だけでは中国国内が収まらない、地方政府にも一定の責任を負わせなければならない、と当局が考えている現れ、と見ることもできます。事態がこれ以上拡大することはないと思いますが、「事態の処理の仕方が不適切だった」などという理由で地方政府の一部の幹部が処分されるような事態になるのかもしれません。

 なお、この事件は貴酬省の黔南プイ族ミャオ族自治州で起きた事件ですが、別の報道によれば、死んだ少女も、現場にいた3人の友だちも全て漢族であり、少数民族問題は、この事件の場合は関係ありません。

 まだまだ、これからも新しい事実が出てくるかもしれません。少なくとも、中国では、今までこの種の群衆事件については、全く報道されず「ヤミに葬られる」ことの多かったのですが、今回は、中国の公式メディアも、それが真相なのかどうかはともかく、情報を提供していますし、掲示板での発言も認められている、という点が今までと違うところだと思います。たぶん、オリンピックを控えて、世界に対して「情報開示が不十分だ」と思われたくないからだと思います。これも中国が変わっていく、ひとつの転換点なのかもしれません。

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2008年2月27日 (水)

今でもまだやっている大衆の前での野外裁判

 2月24日、山西省で、昨年末に起きた炭鉱事故の責任者に対する裁判がありました。雪が降りしきる中、多くの大衆を集めて、その面前で行われた野外裁判で、16人の被告に対して有罪判決が出された、とのことです。

(参考)「新京報」2008年2月25日付け記事
「洪洞炭坑災害で16人が有罪」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/02-25/018@073906.htm

 上記の記事の写真を見ていただければわかるように、被告は後ろ手に縛られて壇上に並ばされて、傍聴者の大衆の面前にさらされています。

 この裁判は、2007年12月5日に山西省臨●市(●は「さんずい」に「分」)洪洞県の炭坑で起きた105人が死亡、8人が負傷した事故の責任を問う裁判です。炭坑の安全を無視したずさんな管理が問題とされた事件でした。

 社会的に重大な事件の裁判の判決なので、人々の注目を集めていることは間違いないのですが、文化大革命の時期の裁判じゃあるまいし、多くの群衆の前に被告を並べて、有罪を宣告する、というやり方は、「法治国家」を目指している現在の中国においてふさわしいものであったのか、私は非常に疑問に思いました。日本を含めて多くの国では、裁判は公開で、一般大衆が傍聴できますけれども、こうやって被告を後ろ手に縛って屋外で大衆の前に並べるような裁判をやっている「先進国」はないと思います。今回のニュースは、外国の人々に「オリンピックが開かれるというのに中国ではまだこんな裁判のやり方をやっているのか。」というマイナスのイメージを与えたと思います。

 この裁判は、「12・5炭坑事故公判大会」という名前で開かれたのだそうですが、この「大会」で行われた講話で、市の党委員会副書記と市長代理がこういった裁判のやり方を採用したことについて「全市の担当者と人民大衆に対する教育のためだ」と述べた、とのことです。

 そもそも裁判で、市の行政担当者や党の幹部が「講話」を述べる、ということ自体、「裁判の判決とは、行政や党の業務とは独立して客観的立場に立って判断されるべきものだ」という原則からはずれるものです。また、被告を後ろ手に縛って大衆の前に並べることは「被告は、判決が出されるまでは有罪か無罪か確定していない」という原則に反するものです。そもそも、裁判を「市の担当者や一般大衆を教育するためのもの」だと考えていること自体、中国の裁判が「法律に基づき客観的かつ公正に判断するためのもの」だと考えられているのではないことを示すものです。「通常の国々での常識」が今の中国ではまだ通用していないことを示すエピソードだと思います。

 私は、炭鉱事故の責任者を弁護するつもりはさらさらありませんが、法律とは何か、裁判とは何か、について、改革開放から既に30年も経っているのですから、地方の責任者も「世界の常識」というものをもう少し頭に入れて欲しいと思います。これも「中国特色の裁判のやり方だ」と主張するのだろうと思いますが、中国が国際化していくためには、自分のやり方をそのまま進めるのではなく、もう少し「世界標準」を考えるべきだと思います。

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2008年2月18日 (月)

内モンゴル自治区フフホト市副書記殺害事件

 2月14日の北京の大衆紙「新京報」によると、内モンゴル自治区フフホト(呼和浩特)市の党委員会副書記王志平氏が春節(2月7日)前に執務室で射殺された、とフフホト市の党委員会宣伝部の関係者が明らかにした、とのことです。その際、一名の女性の税務関係の幹部も執務室内で同時に殺害されたとのことで、犯人と見られるフフホト市公安局経済開発区分局長の関六如という男は銃で自殺した、とのことです。

(参考1)「新京報」2008年2月14日付け記事
「フフホト市副書記、執務室で被害に遭う」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/02-14/011@074610.htm

 この事件は、現在調査中とのことで、動機その他詳細は何もわかっていません。

 また、今日(2月18日)の「新京報」によると、殺害されたこの副書記は執務中に被害に遭ったということで「革命烈士」の称号が与えられた、とのことです。

(参考2)「新京報」2008年2月18日記事
「被害に遭った副書記、烈士の称号が与えられた」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/02-18/021@073017.htm

 この(参考2)の記事では、消息筋による情報として副書記を殺害して自殺した公安局経済開発区分局長の関六如は、事件当時、党書記の韓志然氏とオフィスビル6階ですれ違って、韓書記と挨拶をしていたところだった、という話を伝えています。

 これ以上のことは「調査中」とのことで明らかになっていません。死亡した副書記が「革命烈士」の称号が与えられた、ということは、業務上のトラブルが原因なのかもしれません。

 いずれにしても、フフホト市と言えば内蒙古自治区人民政府がある自治区の首都であり、党の副書記と言えば市の中国共産党委員会のナンバー2です(副書記は複数置かれていることが多いですが)。中国では、市長よりも党書記の方が序列が上なので、党副書記と言えば副市長より序列が上のフフホト市の党・政府の中ではトップに近い幹部です。

 日本や欧米各国だったら、新聞や週刊誌などが大きく書き立てるような事件ですが、春節前((参考1)の記事によれば2月5日)に起こった事件が10日近く経ってから新聞で伝えられるなど、この手のニュースは中国では非常に慎重に扱われます。今後も本件についての追加的な情報は伝えられないかもしれません。

 たぶん、極めて個別的・単発的で、何か事情のある事件だと思いますが、中国ではこういう事件も起きている、しかしあまり報道されていない、とういことを日本の皆様にも知っていただきたいと思って書かせていただきました(本件については、一部、日本のマスコミでも報道されています)。

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2008年2月 4日 (月)

農民の土地返還要求に関する米紙の報道

 日本でもMSN産経ニュースで流れていた(私は見ていないのですが、たぶん産経新聞でも伝えられた)ので御存じの方も多いかもしれませんが、1月14日付けのアメリカの新聞ワシントン・ポストに、中国黒竜江省の農民たちが自分たちの耕作していた土地を取り上げた村政府に対して土地の返還を要求し、自分たちに土地所有権があることを認めるよう主張していることについての記事が載っていました。

(参考1)ワシントンポスト2008年1月14日付け記事
"Farmers Rise In Challenge To Chinese Land Policy"
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/01/13/AR2008011302383.html

 中国の耕地は、農民の所有地ではなく、村という単位の集団が所有している土地であり、農民たちには一定の期限付きで貸し与えられ(別の言葉でいうと、期限付きで土地使用権が与えられ)、耕作が行われている、というのが現状です。土地所有権は村という集団が持っていることから、村当局が農民から土地使用権に見合う分だけの一定額の補償金を支払って土地を収用し、その土地を開発業者に売る、という行為が中国各地で行われています。下記(参考2)で紹介しているインタビュー記事によると、「土地使用権に見合う分の一定額の補償金の支払い」が社会主義的な原則に基づいて行われるためその金額は小さく、「開発業者への土地の売却」が市場経済下のルールで行われるためにその金額が大きくなるケースが多く、その結果として、農民に支払われる補償金が少なく、一方で村当局や土地開発業者には巨額の金額が転がり込む、というケースが多いとされています。そのために村当局による不必要な農地の収用と土地の乱開発が跡を絶たず、不正の温床にもなりやすいのだ、というわけです。

 上記(参考1)のワシントン・ポストの記事によると、こういったケースに対して、農民たちは村当局が収容した農地の返還を要求し、農民たち自身が自分の判断で土地開発業者と売却金額の交渉ができるよう、土地所有権を自分たちに与えるように主張している、とのことです。

 もちろんワシントン・ポストで紹介されている農民たちの行動は中国国内では報道されていませんが、この農民たちの考え方と同じような考え方については、このブログの1月14日付け記事で私が紹介したように、1月14日付け(1月12日発売)の経済専門週刊紙「経済観察報」に載っていたインタビュー記事の中で清華大学教授の蔡継明氏が述べていました。

(参考2)このブログの2008年1月14日付け記事
「ついに出た『土地私有制』の提案」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_6f24.html

 ワシントン・ポストが伝える農民たちの動きが、中国において違法なものなのか、合法的な範囲内のものなのか、については、私は上記のワシントン・ポストの記事以外の情報を何も持っていませんので、判断はできません。ただ、一般的に言えば、中国の共産主義革命の過程の初期の段階では、例えば、1956年頃まであった「初級合作社」の制度では、自作農に対しては土地の私有を認めつつ、共同で農作業を行うことが行われていたので、土地私有制の主張が中国共産党指導下の中国において直ちに違法なものになると言うことはできません。上記の蔡継明清華大学教授の意見が掲載された新聞が堂々と街で売られていることから見ても、「土地私有制」を主張すること自体は、現在の中国では違法なもの、とはみなされないようです。一方、ワシントン・ポストの記事の伝える農民たちの運動がもし仮に「中国共産党の指導による政治」を覆そうと試みるものであるならば、それは、現在の中国の法律の下では違法とみなされる可能性があります。

 一方、上記のワシントン・ポストの記事が北京から何の問題もなくアクセスでき、読むことができる、ということは、党中央がこの記事が伝える農民たちの動きを完璧に抑え込もうと考えているわけではないことを示しているのかもしれません。というのは、現在の中国では、党中央の考え方に真っ向から反対するような主張を伝えるサイトについては、アクセス制限が掛かり、中国国内からは閲覧することができないからです。

 党中央の真意は測り知ることはできませんが、もしかすると、党中央の中にも、村当局が農民の意向に反して土地を収用し、その土地を開発業者に売ることによって莫大な利益を得ることを問題視する考え方の人がいるのかもしれません。もしそうした考え方が党中央の一致した考え方なのだとすると、党中央の考え方は末端の農民の意向と一致し、一方、末端行政機関である地方政府・地方党組織の意向がそれらと対立する、という構図ができあがります。今後の中国の行方を考えるに当たっては、土地を巡るそういった構図があるのか、ないのか、といった「見極め」を念頭に置いておく必要があると思います。

 なお、上記ワシントン・ポストの記事と私が紹介した「経済観察報」の記事がいずれも同じ1月14日付けであったのは、単なる偶然の一致なのでしょうか。それとも党中央の一定の意図が背景にあった必然の結果なのでしょうか。それについては、私には何も知る術はなく、想像の域を何ら超えることはできません。

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2008年1月14日 (月)

ついに出た「土地私有制」の提案

 今日(2008年1月14日)付けの経済専門週刊紙「経済観察報」(1月12日発売)の「中国」(Nation)という特集欄に農村の土地制度改革の必要性を訴える学者のインタビュー記事が載っていました。

※「経済観察報」のこの記事はインターネット上で無料で読むことはできません。

 この学者とは、清華大学教授の蔡継明氏です。蔡継明教授は、中国の民主政党(中国共産党に協力的立場に立っている合法的な政党)のひとつ「中国民主促進会」(略して「民進」)の中央経済委員会主任で、中国人民全国政治協商会議(注)の委員です。

(注)中国人民全国政治協商会議は、各界・各層の有力者が集まっている会議で、その全体会議は、いつも全国人民代表大会(全人代:日本の国会に当たる)と同時期(通常毎月3月)に並行して開催されます。法律を議決する権限はありませんが、全人代と同じ議題で議論を行い、様々な建議や提案を行います(元々は、革命初期に中国共産党以外の国内有力者の意見を集約するために設立された会議)。

 このインタビュー記事の中で指摘している蔡継明教授の主張のポイントは以下のとおりです(上のタイトルで「ついに」と書きましたが、蔡継明教授の主張は真新しいものではなく、2003年頃からこのような方向性の主張はしていたそうです)。

-----「インタビュー記事のポイント」始まり------

○現在、政府は土地の乱開発による食糧生産用耕地の減少を防ぐため「小産権」(村などの集団所有の土地の上に建てられた住宅)を都市住民が購入することを禁止する政策を徹底させようとしているが、「小産権」の面積は全国の土地の違法開発の面積に比べたら極めて小さい。違法な土地占拠の8割は地方政府によるものであり、「小産権」の都市住民への売却を禁止したとしても、耕地減少問題の解決にはならない。

(参考1)このブログの2007年7月13日付け記事
「中国の地方政府による無秩序な土地開発」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_1c55.html

○最も重要なポイントは、地方政府が農民から土地を収用する際の土地の評価が30年来続いている「過去3年間のその土地で生産された農産物の価格」に基づいていることである。大まかにいって、この評価方法では、実際の経済活動に基づいて評価される土地の価格の10分の1にしか評価されない。つまり、農民に補償金を払ってこの土地を収用し、開発して商業ベースで販売すると、土地価格の10分の1しか農民に渡らず、残りの9割は地方政府や土地開発業者の懐に入ることになる。これが地方政府が土地の乱開発を止めない主要な原因であり、またこれが政治的腐敗の最も大きな原因になっている。

○ここ10年来の中国の経済成長は、このようにして非常に安く開発された土地が多くの投資を呼び込むことによってもたらされてきたものである。

○農民が実際に耕作している農地、実際に住んでいる住宅の宅地については、その農民の「私有地」として認め、土地の売買を市場原理に任せることが、最もよい解決策である。土地の私有制を認めることにより、農民が土地を手放す時には、市場価格に見合った支払いを受けられることになるし、土地に市場価格に見合ったそれなりに高価な価格が付けば、開発業者もおいそれと購入して開発を進めるわけにはいかないので、自ずと土地の開発競争にもブレーキが掛かる。

・・・・・・(「このブログの筆者による注」)・・・・・・

 現在の中国において、農村による土地の所有形態が国有または「集団所有」であり、土地の私有が認められていないのは、中国の共産主義革命の経緯によるものである。解放前の中国では、大地主が土地を所有し、小作農に土地を貸し付けて耕作させて高額な小作料を徴収することによって、多くの小作農は貧困に喘(あえ)いでいた。中国共産党の指導に基づく革命により大地主の土地は取り上げられた。取り上げられた土地の所有権は結果的には農民に分配されたわけではなく、革命の各段階において「農業生産合作社」から「人民公社」へ変わっていった社会主義的な「集団」が保持することになった。最終的な「人民公社」の段階では、土地と農具などの生産手段、農民の住む住宅までもが「人民公社」の所有とされ、農民はその「人民公社」の「社員」として生産に従事することになった。「人民公社」では、「社員」が耕すのは自分の土地ではなく「公の土地」であり、個々の農民の創意工夫や努力が自分の収入の向上に結びつかないので、この「人民公社」の制度は、農民の生産意欲の減退による農業生産の停滞をもたらした。

 1978年暮れにトウ小平氏によって始められた「改革開放政策」の過程で、1982年頃、「人民公社」は解体された。農地は所有権は村という「集団」が引き続き所有していたが、実際には農民に「耕作を請け負わせる」という形で任されるようになった。農民は自分の創意工夫に応じて自分の「請け負った」耕地で農作ができるようになったので、農民の生産意欲は向上し、中国の農業生産力は向上した。農民の住宅用土地も、村という「集団」の所有ながら、その管理は各農民に任され、住宅の改築なども農民が自分の判断で行えるようになった。

 これが現在の農村の形態である。現在は各農民は、自分の担当する土地では自分の判断で自由に農作をやっているが、土地の「所有権」に関しては、上記の歴史的経緯から今でも「集団所有」のままなのである。現在の中国の法律の解釈では、農民は村から「土地の使用権」を与えられて耕作している、ということになるので、もし村が農民から土地を収用する場合には、その「土地使用権」に対する補償金を支払う必要がある、ということになる。

・・・・・・(「このブログの筆者による注」終わり)・・・・

○現在、農民一人当たりの耕地面積は7.5ムー(約0.5ヘクタール)だが、これでは面積が小さすぎて効率的な農業生産ができない。効率的な農業生産をするには農民一人当たり15ムー(約1ヘクタール)程度あった方がよい。市場原理に基づいて農業生産効率の悪い農民が生産効率のよい農民に土地を売ることにより農民一人当たりの耕地面積が15ムーになれば、農業生産は全体的に効率化する。一方これにより7億人の農民の約半分(3.5億人)の農民が土地を手放すことになるが、彼らは、都市へ出て行って都市で就職し、都市に住むことになる。現在、土地が集団所有制であり、農民は戸籍によって土地と結びつけられているため、経済的にはそれに近い現象が起きているにもかかわらず、制度的に農民は都市に定住できないことになっている。これが現在の農民の都市への出稼ぎ問題、いわゆる「農民工」問題である。土地の私有制は、現在の実際の経済状況に従って農民を土地から切り離し、都市への人口の移動をスムーズに進める助けになる。

○土地の私有制は「土地の集団所有制」という大原則を崩壊させる、と主張する人がいるが、現在の中国が進めている「中国の特色のある社会主義」は、既にその方向に歩み出しており、実質的には「土地の集団所有制」は変質しつつあるのだから、「崩壊する」という言い方はおかしい。

○いわゆる「小産権」のうち、農村の宅地の上に建てられた宅地については、「合理的であるが『不合法』な物件」であり、合法とみなすべきである(このブログの筆者注:「不合法」とは、現在の法律には適合していない、という意味。合理的であるので、蔡教授は敢えて「違法」とか「非合法」とかいう言葉を使っていない)。

○こういった農村の土地制度改革については、今年3月の全国人民代表大会及び政治協商会議の全体会議に議題として提案したいと私は考えている。

○なお、将来的な課題としては、さらに一歩進めて、現在、全て国有となっている都市部の土地の所有権についても、公共目的に使用されている土地については国有のまま残し、そうでない土地については私有とするようにできるのではないかと考えている。

-----「インタビュー記事のポイント」終わり------

 この蔡継明教授の提案は、現在中国が抱える問題の非常に重要なポイントを的確についたもので、非常に合理的なものであると私は思います。ただ、蔡教授自身も言っていますが、「土地の私有制」を認める、ということは、いわば社会主義の大原則を崩す、とも受け取れる部分ですので、もしこれが全人大及び政治協商会議で提案されても、かなりの議論を呼ぶことは間違いないと思います。まず現在の政治状況の中では、実際に「提案する」というところまで持っていけるのかどうか、かなり難しいものがあると私は思います。また、仮に提案できたとしても、相当激しい議論が起こることは必至で、結論が出るとしても相当に長い時間が必要になると思います。

 この提案は、政治的な意味も大きなことはもちろん、経済的にも大きなインパクトを与える可能性があります。これも蔡教授が指摘しているように、ここ10年間の中国の急激な経済成長は、地方政府が安く土地を開発し、それに吸引されて外国から多くの投資が流れ込んで来たことによってもたらされてきたものですので、「土地の私有制の導入」により、ここ10年間の中国経済の急激な成長をもたらた根本的な構造が変わる可能性があるからです。

 もうひとつの大きなポイントは、12月30日に国務院が「『小産権』の都市住民による購入は厳禁する」という通知を改めて出したことに対し、その国務院の政策に真っ向から反対する提案が新聞紙上に掲載され、それが次期の全人大に提案されるかもしれない、という点です。中国では、国務院も全人代も中国共産党の指導の下にありますので、国務院と全人大の方針が異なる、ということは、これまでは基本的にあり得なかったのです。もしこのような国務院の政策に反対するような提案が本当に全人代に出されるのだとすれば、それは中華人民共和国の政治史の中では画期的なことだと思います。

 一方、この主張が「経済観察報」といういわば都市部の「富裕層」(別の言葉で言えば「新社会階層」)が購入する新聞に掲載されている、というところも重要なポイントです。「富裕層」の中には「小産権」に多額の投資をしている人も多いと思われますので、「小産権」の合法化は、「富裕層」にとっての政治的要求のひとつなのだと思われます。つまり、経済的に大きな力を持つようになった「富裕層」が自分たちの権益を守るため政治的な主張をし始めている、というのが、今回のインタビュー記事に現れていると私は思うのです。「富裕層」(「新社会階層」)の政治的要求をいかにして具体的な政策に盛り込んでいくのか、が、現在の中国の政権にとって重要な課題です。「富裕層」にソッポを向かれたら、現在の中国の経済運営はうまくいかず、従って、政治的な運営も困難になるからです。

(参考2)このブログの2007年6月22日付け記事
「新しい社会階層の台頭」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_6737.html

 2008年に入り、経済的にも政治的にも、少しずつ「何か」が動き始めているのを感じます。
 

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2008年1月13日 (日)

ネット世論にいかに対応するか

 中国では最近、地方政府が理不尽な対応をすると、そのことがすぐにインターネットの掲示板にアップされて、ネット上での世論が沸騰する、という事件が毎日のように起きています。「綏徳事件」と呼ばれる事件もその典型例です。

 この事件は、昨年12月25日、陝西省の楡林市綏徳県の綏徳職業中学校(「職業中学校」は日本の商業高校や工業高校に相当する)で起きたものです(中国では「県」は「市」の下にある小さな行政単位)。

 綏徳職業中学校の校長先生が、経済的援助が必要な生徒のために補助金の交付許可を求めて申請書を持って綏徳県の教育局長のところへ行ってサインしてくれるよう頼んだところ、たまたま教育局長は会議のために出かけるところで、その場でのサインをしてくれませんでした。事務処理が間に合わなくなることをおそれた校長先生は、会議のために車に乗り込もうとする教育局長を追いかけてサインするよう迫りました。怒った教育局長は、この校長先生を停職処分にした上に行政拘留処分を科しました。この事件が新聞で報道されると、「就学困難な生徒のためにサインを求めた校長先生に処分を科すとは何事か」「教育局長はけしからん!」という声がネットの掲示板等で沸騰しました。

 この事情を知った綏徳県長は、1月3日になって、校長先生に会って不適切な対応だったと謝罪しました。また、1月4日になって事情を知った楡林市党委員会書記は、すぐに関係者から事情を聞いた上で会議を開き、1月5日早朝、教育局長が下した校長に対する処分を撤回する決定をしました。綏徳県の教育局長と公安局長も校長に対し謝罪し、校長もこの謝罪を受け入れた、とのことです。

(参考1)「新京報」2008年1月6日付け記事
「県長が校長の家に行き謝罪、校長の処分は撤回」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/01-06/018@074920.htm

 この事件については、「人民日報」も敏感に反応し、1月7日付けの記事で、最近相次ぐネットでの世論の盛り上がりが現実的に政府を動かす事態に着目して、ネット世論にいかに対処すべきか、という観点からの記事を掲載しています。

(参考2)「人民日報」2008年1月9日付け記事
「『綏徳事件』が示すものは何か(文化観察・いかにしてネット世論に相対するか(1))」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-01/09/content_37759261.htm

 この「人民日報」の記事では「最近ネット世論が沸き上がった事件」として以下の事件を列記しています。

○重慶の「釘子戸」事件:
 重慶市で立ち退きを拒否して周りの土地をパワーショベルで掘り下げられながら1戸だけ最後まで住民が家に居残った事件。「釘子戸」とは、土地の立ち退きに際して、1本だけ突き刺さったクギのようにガンとして動かない家のことを指す。「釘子戸」は2007年の中国での「流行語」となった。この事件は、日本でもかなり報道された。

○アモイPX事件:
 福建省廈門(アモイ)市が化学工場の建設計画を立てたところ、携帯メールのやりとりやネットの掲示板上で反対論が噴出した事件。廈門市当局は、その後、公聴会を開催したが、この公聴会でも反対論が続出し、結局は化学工場の計画は別の場所に変更になった。世論が市政府の作った計画を変えさせた例として中国全土で注目された。

○山西省悪徳レンガ工場事件:
 山西省で他の土地から誘拐してきた人々を奴隷のように働かせていたレンガ工場の存在が明るみに出た事件。最初、地方テレビ局が取材し、ネット世論がこれを支援した。こどもも含む1000人以上の人が奴隷労働させられていた、として中国全土に衝撃を与えた。

(参考3)このブログの2007年6月15日付け記事
「山西省の悪徳レンガ工場での強制労働事件」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_54d1.html

○陝西省「華南虎」事件:
 「華南トラ」は既に野生の状態では絶滅したと考えられている虎。陝西省安康市鎮坪県文採村の村民が撮影した「華南トラ」の写真を陝西省林業庁が「本物である」と発表した事件。ネット上で「この写真はニセモノだ」「いや本物だ」と論争が起きた。

 中国のインターネット掲示板には、必ず「管理人」がおり、「違法な」発言は削除するなどの管理をしています。「違法な発言」とは、ポルノ関連のものや犯罪を煽るような発言などのほか、中国では国の分裂を煽るような発言や中国共産党の指導を否定するような発言は「違法なもの」として削除対象となります。しかし、上記に列記された事件や今回の「綏徳事件」のような事件に関する発言は「違法な発言」とは言えませんので、ネットでの発言は削除されません。従って、こういった「違法でない発言」で議論ができる案件については、ネット上の掲示板が異様な盛り上がりを見せることがあります。最近は「地方政府の横暴」という観点で、この手の「異様な盛り上がり」がしょっちゅう起こるようになっていますが、党中央は、一種の「世論による地方政府に対する監視」として、これを肯定する態度をとっていますので、こういった事件が起こるとあっという間にネット上での議論が「沸騰」するのです。

(注)中国のインターネット掲示板では、ネット発言者は、常に「何が『違法な発言』とみなされるのか」を注意深く観察しながら発言しており、誰かの発言が削除されないで掲載されているのを見て、「この問題に関する発言は『違法な発言』とはみなされないのだ」とわかると、日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのようにその問題に発言が集中する、という現象が起きるようです。

 今までは、地元の新聞に載らなければ(別の言い方をすると、地方政府が地元新聞をコントロールすることができていれば)地方で事件が起きても、それは他の人に伝わることはありませんでした。しかし、今はネットワークが発達しており、カメラ付き携帯電話が億の単位で普及していますので、地方で起きた事件については、被害にあった人が北京や広州などの新聞社に写真を持って駆け込めば、大都市で新聞に掲載される可能性があります。一度都市部で新聞に載れば、その情報がネット上を駆け巡りますので、事件が起きた地元でも多くの人が知るところとなるので、地方政府も隠し通すことができにくくなっているのです。

 地方政府の担当者は、党中央がネット世論による「地方政府を監視する役割」を肯定している以上、ネット上での「議論沸騰」に対する対処を誤ると自分のクビが危なくなるので、今回の楡林市綏徳県の例のように、地方政府幹部は迅速に対応するのです。

 上記の「人民日報」の記事によれば、中国のインターネット利用者数は、2007年6月時点で1億6200万人に達しているとのことです。ネット上の掲示板は無数にありますので、それぞれ管理人がいるとは言え、その全てを完璧に管理するのは、ほとんど不可能です(携帯メールは、基本的に私的な通信ですので、当局は実質的にはほとんど管理できていないようです)。インターネットや携帯メールで多くの人々が連絡を取り合って行動を起こすことは当局が最も警戒していることです。地方政府の幹部は「自分のクビが飛ばないように」とネット世論を気にしているのですが、実は党中央もネット世論の動向に対しては、かなりの神経を使って注視しているのではないかと思います。その現れが上記の「人民日報」の記事だと思います。

 中国のインターネット上の掲示板を見ていると、時々アニメーションのかわいらしい男女の「ネット警察官」がヒョコヒョコ出てきて、「ネット警察です。皆さん法律を守りましょう。」などと言いながら敬礼の挨拶をして消えていったりします。実際に掲示板の発言をこの「ネット警察」がチェックしているのかどうかは知りませんが、発言する側に対して「あなたの発言はちゃんとチェックされていますよ」と思わせる心理的な抑制効果はあると思います。

 一方、中国では、発言者の方も「中国共産党」と書く代わりに「執政党」という表現を使ったりして、自分の発言が「違法」にならないようにかなり工夫して書いています。

 こういったネット市民と当局とのやりとりが今後中国の行方にどの程度影響を与えるのかはわかりません。少なくとも、政治的な発言や意思表示のできる範囲が法律上かなり限られている状況下で、携帯メールやインターネットが急速に普及し、しかもそれを使う「ネット市民」の教育程度がかなり高い、という今までの世界のどの国も歴史上経験したことのない事態が、今、中国で進みつつあるのは確かだと思います。

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2008年1月11日 (金)

都市管理局員が暴力で市民を死亡させた

 ここのところ、地方政府の行政当局の理不尽な行為に関する国内報道が相次いでいる中国ですが、「極めつけ」とも言える事件が起きました。今週の月曜日(1月7日)、湖北省天門市の都市管理局(中国語で「城市管理行政執法局」;略して「城管」)とゴミ埋め立て場の建設に関して反対する住民グループとが衝突する事件が起きました。その際、都市管理局員が住民側に対して暴力行為を働いているところを携帯電話のカメラで撮影していた魏文華という名前の市民が都市管理局員から集団暴行を受け、殴打されて死亡した、ということです。この事件については、天門市当局も調査を開始し、都市管理局長を拘束したほか、都市管理局員24名が取り調べを受け、うち4名が刑事拘留された、とのことです。本件については、天門市が事件の翌々日の1月9日に記者会見を行って、状況を公表しました。

(参考1)「新京報」2008年1月10日付け記事
「天門市政府、暴力を振るった都市管理局員を厳しく処罰する態度を発表」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/01-10/021@073635.htm

※この記事に載っている写真には、住民によってはがされゴミ捨て場所に捨てられていたと思われる天門市都市管理局の看板が写っています。

 死亡した魏文華氏は、市民といっても一般住民ではなく、天門市水利建築公司の総経理(社長)なのですが、この人の職業と暴力を受けたことが関係あるのかどうかはわかりません。記事では「一人の一般的市民としての正義感から出た行為だ」と書かれているので、この人が社長だったというのは「たまたま」であり、暴力を受けたこととの因果関係はないのかもしれません。

 都市管理局というのは、都市において行政上の規則違反がないかどうかを管理する役所で、露天営業人や輪タク業者などを取り締まっています。刑法犯罪を捜査したり取り締まったりする警察とは別組織です。許可を受けないで営業を行うヤミ露天業者やヤミ輪タクなどは後を絶たないので、どこの街の都市管理局(城管)でも、ある程度、強圧的な態度で取り締まらざるを得ないケースが多いようです。ただ、この天門市の都市管理局は、以前からかなりひどい暴力的な取り締まりを行っていて、市民からの反感を買っていたようです。「新京報」の報道では、「自分はきちんと営業許可をもらっているのに、強圧的な態度で『違反だ』と迫られて1000元(約1万5000円)の罰金を支払わされた。代わりにくれたのは公印の押していない領収証だった」と、暗に不法な取り締まりをやっている、と示唆するような市民の声を載せています。

 この事件は、死者が出たことにより、さすがに天門市当局自体も重視せざるをえなくなったと見えて、調査を行った上で、自ら記者会見を行って公表することになったようです。今日(1月11日)付けの「新京報」の記事によると、天門市中国共産党委員会書記(中国では党の書記は市長より偉い実質的な市の最高責任者です)は、「最近は違法営業などの案件が多く都市管理局の取り締まりは非常に難しくなっている。しかしだからと言って取り締まり側が違法行為をしてよい理由にはならない」「都市管理局員が人を殴打して死なせてしまうことなど天の理が許さない」と述べています。この事件で、天門市の都市管理局長は免職になったとのことです。

(参考2)「新京報」2008年1月11日付け記事
「都市管理局長の斉正軍氏が罷免される」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/01-11/021@082912.htm

 2003年に広州市で孫志剛という心臓病を患っている青年が居留証を持たないために収容所に収監され、収容所職員に暴行されて死亡する、という事件がありました。この事件は、発覚してからインターネット上で反発が沸き起こり、当局もそれを無視できなくなって、結局は孫志剛氏を収容する根拠となった「収容法」が改正されることになりました。当局がインターネットで湧き起こる議論を無視できずに、結局は法律改正にまで至った、という点で大きな事件だった、と言われています。今回の湖北省天門市の都市管理局が起こした事件は、多くの人にこの「孫志剛事件」を思い起こさせたようで、「新京報」に載った下記の2つの論説では、いずれも「孫志剛事件」に言及しています。

(参考3)「新京報」2008年1月10日付け「視点」
「『人間性』を用いて制度の『オオカミ性』を終わらせよう」(熊培雲(北京の学者))
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2008/01-10/021@075146.htm

(参考4)「新京報」2008年1月11日付け「社説」
「都市管理局に様々な部門の取り締まり権限が集中している問題について改めて新しい視点で考え直さなければならない」
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2008/01-10/021@075146.htm

 この社説では、現在の都市管理局の問題点として下記を上げています。

○都市管理局の地位が低く、多くの都市では、都市管理局が「自給自足」の機関になっている。また、大量の素質のよくない人員が都市管理局の入っていて、都市管理局の名声に大きな影響を与えている。

○多くの部門の取り締まり権限が都市管理局に集中し過ぎている。無許可営業については工商管理局が、無許可運送業であれば交通警察が、騒音の取り締まりについては環境保護局が行うなど、それぞれ専門の部署が取り締まるようにした方がよい。

 この社説では、最後に「孫志剛事件」を引用して、「2003年の孫志剛氏の死が数十年続いた収容制度を終わらせたように、今回の天門市の魏文華氏の死は、都市管理(城管)制度を大きく変える原動力になるのであろうか? 我々は刮目(かつもく)して待つこととしたい。」と結んでいます。最後の部分、このひとつの事件が「城管制度」自体を変える力になるかもしれない、というのは、私は言いすぎだと思いますが、たぶん、この社説の執筆者は、「孫志剛事件」のように、インターネットでの世論の盛り上がりが世の中を変えることになるかもしれない、といったひとつの予感を感じているのかもしれません。

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2008年1月 9日 (水)

国務院が「小産権」に関し明確な通知を発出

 国務院は昨年末に会議を開き、2007年12月30日付けで、「小産権」(村などの集団所有地の上に建てられた住宅地)に関する法的位置付けを明確にする通知を出しました。

(参考1)「新華社」2008年1月8日15:58アップ
「国務院弁公庁:都市住民は農村で宅地用土地を購入することはできないことを重ねて通知」
http://news.xinhuanet.com/house/2008-01/08/content_7385599.htm

 この国務院の通知のポイントは以下のとおりです。

○農村の住宅用の土地はその村の村民が住むために分配されているのであって、都市住民が農村で住宅用土地や農民の住宅、あるいはいわゆる「小産権房」(農村の土地の上に建てられたマンションや別荘等)を購入することはできない。

○農村などの集団所有の土地の土地使用権を譲渡あるいは賃貸により非農業目的の建設に使ってはならない。全体的な土地利用計画に基づいて建設用地を取得した企業が破産した場合などにのみその当該土地の使用権を法律に基づき譲渡することができる。そのほか集団所有の建設用地の土地使用権が譲渡できるのは、計画の必要性に合致し、法律に則って取得された建設用地の場合だけであり、それらを商品住宅の開発用に使うことはできない。

○農村などの集団所有の土地を土地利用計画などに違反して「貸与」「請負」などの方式により「売らない代わりに貸す」という形で非農業目的の建設用地に使うことが一部の地方で見られているが、これらは厳格に禁止する必要があり、もしこういう事態あれが厳格に検査して処置する。国土資源管理部門は「売らない代わりに貸す」方式で行われている違法行為について全面的な調査を行い法に則って厳格に処置する。

 この通知の背景にある問題点は、以下の点です。

●農村にある村民住宅用の土地については、村当局などが農民からこれを接収して都市住民に売っている例があり、その際、一部に農民の権利を侵害しているおそれがあるところも出ている。

(参考2)このブログの2007年8月5日付け記事
「ある北京近郊の村の『別荘商売』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_2eab.html

●本来農地をつぶして工業用地にすることができるのは、土地利用計画に基づいて、上部機関の許可を得た場合に限られているのに、「土地使用権を売ることはしていないが貸している」「土地を利用した事業を請け負わせているだけだ」などの説明を付けて村当局が上部機関の許可を得ないで土地開発業者などからお金をもらって土地開発をさせている例があり、現実の農地面積が減少してきている。13億人の人口を維持するために必要な食糧の生産量を確保するため、中国政府は農地面積は18億ムー(120万平方km)より絶対に小さくしない、としている。現在の農地面積はまだこれを上回っているが、無秩序な農地開発が進むと、中国全体の農地面積がこの「レッド・ライン」を割り込んでしまうおそれがあるため、中国政府としては、土地利用計画に則らない農地開発はストップさせる必要があると考えている。

(参考3)このブログの2007年7月13日付け記事
「中国の地方政府による無秩序な土地開発」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_1c55.html

 農村などの集団所有の土地の上に建てられた住宅(「小産権」とか「小産権房」とか言われる物件)に対する法的位置付けは、これまで「あいまい」と言われてきていましたが、先の北京の裁判での確定判決(下記の「参考4」参照)や今回の国務院の通知で法的位置付けは明確になったと思います。

(参考4)このブログの2007年12月18日付け記事
「都市住民の『小産権』購入は違法と確定判決」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/12/post_bf8b.html

 しかし、法律的位置付けが明確になったのはいいとして、不動産取引の1割~2割をこの「小産権」が占めていると言われる現状において、現実的な商取引として行われている不動産取引にこの「小産権」の法的位置付けの明確化がどのように影響するのか、はまだ不透明なところです。法的位置付けに基づく厳格な取り締まりを行えば、現実の商取引に混乱を与える可能性もありますし、取り締まりを甘くし現実を追認するようなことがあれば、裁判所の確定判決や国務院の通知があっても法律が実行されないことになり、法治国家としての根本が崩れてしまうことになります。

 中国のことですから「様子を見ながら徐々に取り締まりを強化していく」ということなのでしょうが、厳しく取り締まられた人は損をし、取り締まりが厳しくなる前に素早く物件を売り抜けることができた人は儲かる、という不平等が広まるおそれがあります。不動産取引は巨額の取引であり、特に個人にとっては、一生を掛けた人生最大の買い物です。あまりこれによる不公平感が広がると、社会の中に不満が溜まっていくのではないか、というのが心配になるところです。

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2008年1月 7日 (月)

地方の事件を報じた雑誌記者が北京で勾引

 今日(1月7日)付けの北京の大衆紙「新京報」に、遼寧省西豊県で起きた事件の記事を書いた雑誌の記者が北京で西豊県の公安当局に勾引されようとしている、という記事が載っています。

(参考1)「新京報」2007年1月7日付け記事
「西豊県の携帯メールで誹謗罪となった事件を報道した記者が勾引されようとしている」
http://www.thebeijingnews.com/news/deep/2008/01-07/021@073617.htm

 この記事によると事情は以下のとおりです。

○1月1日に発売された雑誌「法人」に「遼寧省西豊県:政商の力比べ」と題する記事が載った。この記事のポイントは以下のとおりである。

・西豊県政府は、特産品販売センターを作るためにある女性が経営するガソリンスタンドを立ち退かせようとしていたが、賠償額に関して双方で争いが起きていた。

・ガソリンスタンドの女性経営者に打撃を与えるため、政府の関係部署はこの女性経営者を脱税と県の指導者に対する誹謗の罪で告発した。

・この販売センターの土地の譲渡や入札等には重大な問題が存在している。

○1月2日、西豊県の公安当局がガソリンスタンド女性経営者の家に来て、「雑誌記者に対して賄賂を送った」との疑いで捜査を始めた。公安当局の担当者は「金品を渡さなければ、わざわざ北京から記者が来てあのような記事を書くはずがない」と言っていた。

○1月4日、朝、西豊県の公安当局が北京にある雑誌「法人」の編集部を訪れ、記事を書いた女性記者と編集長に対する事情聴取を行った。午後、再び西豊県の公安当局担当者が雑誌「法人」の編集部を訪れた。彼らは「県の書記を誹謗した『誹謗罪』」により女性記者を勾引する、と書かれた書類を持参し、編集部に対して捜査への協力を要請したが、編集長はこれを拒否した。

○1月5日、西豊県のガソリンスタンド女性経営者の家族が雑誌「法人」の記事が事実であることを示す証拠を持って北京に出てきて、記事が真実であるとを訴えた。その訴えによると、去年の3月、ガソリンスタンド女性経営者の家族が県の書記を非難する携帯メールを発信したところ、「誹謗罪」で逮捕され、昨年12月29日、西豊県裁判所で有罪判決が出された、とのことである。

○新京報の記者が西豊県の書記に取材して「雑誌『法人』を発行している会社の所在地は北京なのだから、『誹謗罪』で裁判を起こすには法律によれば北京の裁判所で起こさなければならないのではないか。」と質問したところ、県の書記は「雑誌『法人』の記者のことについては何も知らない」と答えた。

○女性記者の弁護士は、「誹謗罪」は「親告罪」(被害を受けた人が告訴してはじめて当局が捜査を行い起訴する)であるので、誹謗された本人が「何も知らない」というのであれば、西豊県の公安当局は、本件を捜査し、女性記者を勾引することはできないはずだ、と言っている。

○雑誌「法人」の記事を書いた女性記者によれば、1月7日(つまり記事が掲載されている今日)の午前中、西豊県の公安当局は雑誌「法人」の編集部で彼女を待っているはずだ、とのことである。

 この「新京報」の記事では、昨晩(1月6日の夜)この女性記者の家で撮影した、という自分が書いた雑誌「法人」の記事を見ている女性記者の後ろ姿の写真を掲載しています。

 この「新京報」の記事は「現在進行中」の事件を記事にした、という点で極めて異例です。また、遼寧省西豊県の公安当局が雑誌「法人」の編集部を訪問した際に北京市公安局文書保安課の職員も同行していることを記載しているなど、当局の「御指導」を受ける立場にある「新京報」自身にとっても、かなり「きわどい」記事であると思います。しかしながら、「新京報」としては、この事件は「他人事」ではなく、報道の自由に対する重大な問題であって、自分自身の問題なのだ、という強い意志の下で書かれていると見られます。この「新京報」が署名入り記事として掲載されていること、記事の内容をインターネット上でもきちんと公開していること、などからもその「意志」は窺えると思います。

 「新京報」は、以前にも「誹謗罪」の恣意的な拡大解釈は報道の自由に対して重大な問題である、という認識を示した社説を掲載しています。

(参考2)このブログの2007年11月22日付け記事
「『誹謗罪』の拡大解釈を警告する、との社説」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/11/post_a695.html

 こういった報道の自由を重要視する考え方は、胡錦濤総書記を中心とする現在の中国共産党中央の意向にも沿ったものです。地方政府の乱脈ぶりをチェックし、是正するためには、報道機関による監視の目は、社会の役割として重要である、と党中央も認識しているからです。だからこそ、「新京報」は、堂々と上記のような社説を掲げ、毅然として今回のような記事を掲載しているのだと思います。

 中国では、まだまだ地方の末端レベルでは、党や政府の幹部と公安当局、そして裁判所までもが「ぐる」になっているケースが多々見受けられるようです。党中央としても、これを見過ごしていては、一般国民からの支持を失いますから、そういったことは毅然とした態度で是正すべき、と考えているのだと思います。問題は、そういった党中央の意志が、既得権益集団と化してしまった一部地方政府の壁をどれだけ突き崩せるかだと思います。中央がこれら既得集団化してしまった一部の地方をどうコントロールしていけるのか、が、現在の胡錦濤体制の最も重要な課題だと私は思います。

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(以下、2008年1月8日に追記)

 本件については、2008年1月8日付けの「人民日報」が、上記の「新京報」の報道を受けて、「世論による行政の監視は重要であり、県当局は雑誌記者を拘束するのではなく、誹謗されたと思うのならば、その旨を裁判に訴えて司法の場で法の下での判断を受けるべき」との立場からの評論を掲載しています。

(参考3)「人民日報」2008年1月8日付け
「『西豊事件』:司法はどのように介入すべきなのか(人民評論)」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-01/08/content_37590151.htm

 中国共産党の機関紙である人民日報にこのような評論が掲載されたところを見ると、党中央も今回の遼寧省西豊県の公安当局の行動は「問題あり」と認識していることを示していると思います。

 なお、1月8日付けの「新京報」の報道によると、この件の1月7日の動きは以下のとおりです。

○西豊県の公安当局が女性雑誌記者を拘束しに来るのを取材しようと、多くのメディアが雑誌社に集まっていた。

○西豊県の公安当局は、女性雑誌記者に対して「1月7日午前中に雑誌社に来る」と言い残していったのだが、実際は雑誌社には現れずに西豊県に帰っていった。

○「新京報」が西豊県の公安当局に「なぜ雑誌社に現れずに西豊県に帰ったのか」と質問したのに対し、西豊県の公安当局はその理由について答えなかった。

(参考4)「新京報」2008年1月8日付け記事
「遼寧省西豊県公安当局、北京に人員を派遣して記者を勾引することを撤回」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/01-08/021@073647.htm

 最近、中国では、行政機関の理不尽な行動を新聞社等に訴えて、新聞社等がそれを記事にすることが多くなりました。最も象徴的な事件が昨年6月に明るみに出た山西省の悪徳レンガ工場事件でした。

(参考5)このブログの2007年6月15日付け記事
「山西省の悪徳レンガ工場での強制労働事件」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_54d1.html

 その後、昨年7月の北京テレビ局によって起こされた「『段ボール肉まん』やらせ事件」により、テレビ局によるこの手の「告発報道」は減ったような気がします。

(参考6)このブログの2007年7月19日付け記事
「『段ボール肉まん』報道は『やらせ』だった」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_10f1.html

 しかし、新聞では、地方政府の理不尽さを告発するような記事は最近も数多く掲載されています。今回の遼寧省西豊県の事件で、人民日報が取材する新聞社側を擁護する評論を書いたことによって、党中央もこういった動きを支持することを明確になったことから、今後、ますます新聞が地方政府の問題点を指摘する活動は活発になると思います。

 もっとも、今回の事件がもともとの事件の起きた遼寧省ではなく、北京の地元紙である「新京報」の報道により取り上げられたように、地方政府が地元のマスコミもコントロールしている現状においては、地元の新聞が直接こういった問題を取り上げることにはまだまだ難しいようです。ただ、今回の事件のような事例が数多く出てくることにより、新聞による地方政府の監視は、一歩ずつ前進していくことになると思います。

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2007年12月18日 (火)

都市住民の「小産権」購入は違法と確定判決

 小産権問題(村などの「集団所有制土地」の上に立てられた別荘、マンションなどの住宅物件(小産権)を村民ではない都市住民などが購入することが違法かどうか)について、小産権を都市住民が購入することは違法、と判断した初めての裁判所の確定判例が昨日(12月17日)北京市第二中級人民法院第三法廷で出されました。

 「小産権」に関しては、下記の私のブログの記事を御覧下さい。

(参考1)私のブログの2007年12月15日付け記事
「都市住民による農村の『小産権』購入は禁止」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/12/post_fcc8_1.html

 最近、政府が「『小産権』を都市住民が購入することは法律上認められない」との見解を出していることと、不動産ブームで「小産権」を含むマンションや別荘の価格が急激に上昇していることから、過去に都市住民にマンションや別荘(場合によっては古いままの農民住宅)を売った農民が「売った住宅を取り戻したいので売買契約は法律上無効だったと確認して欲しい」と訴える裁判が相次いでいます。上記の私の12月15日付けブログで紹介しているケースでは、第1審で農民側が勝訴(裁判所が11年前に交わされた住宅売買契約は違法であるので無効である、と判断した)し、都市住民側が上告する方針を示しています。

 こういった状況の中、昨日(12月17日)、初めての上告審のケースの判決が出ました(中国では裁判は二審制なので、上告審の判決が確定判決です)。

(参考2)「京華時報」2007年12月18日付け記事
「北京の農民が画家の李玉蘭氏を訴えていた小産権売買に関する裁判で改訂判決」
http://beijing.jinghua.cn/c/200712/18/n585511.shtml

(参考3)「北京晨報」2007年12月18日付け記事
「宋庄画家村、非合法の判決を受ける」
http://www.morningpost.com.cn/article.asp?articleid=141758

(参考4)「新京報」2007年12月18日付け記事
「初めての『宋庄住宅案件』村民の勝訴で終わる」
http://www.thebeijingnews.com/culture/2007/12-18/011@092037.htm

 これらの新聞記事によると、この事件の経緯は以下のとおりです。

○北京市内の農村部にある「宋庄」という場所で「中国北京新創意産業基地--宋庄」といううたい文句で画家などをターゲットとした住宅物件が売り出された。都市住民である画家のA氏は2002年、4.5万元(今のレートで約68万円)でこの物件を購入した。A氏は、その後、約10万元を掛けてこの家を改造し、ここに住んで芸術活動を行っている。

○2006年年末、この物件の売主である地元農民のB氏は、家の売買契約の無効を訴えて裁判を起こした。B氏は裁判を起こした理由を明確には説明していないが、この物件の現在の評価額は約30万元(約450万円)以上と見られており、そのためB氏が「『小産権』の都市住民への売却は違法」という政府の見解を盾に、この物件を取り戻したいと思っているためだろうと言われている。

○第1審は、この案件は、集団所有の土地の上に建てられた住宅を集団の構成員ではない都市住民であるA氏に売却したためものであるため、この住宅の売買契約は無効、ただし売主のB氏は、買主のA氏に対して、9.3万元の損害賠償を支払うように、という判決だった。買主のA氏が判決を不服として上告していた。

○第2審(最終審)は、土地売買契約については第1審と同様無効とし、買主のA氏には90日以内に家を受け渡すよう命じるものであった。ただ、第二審判決では、損害賠償額については、現在の家の評価額に比して9.3万元と認定した一審の賠償額については、買主のA氏に対して、別途損害賠償の裁判を起こして売主のB氏から適切な額の損害賠償請求をすることが可能であると述べている。

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 「小産権の都市住民への売却契約は法律的に無効」という判決が確定した影響は大きいと思われます。今まで、何回も政府が「停止するぞ」と宣言しても実際は停止されていなかった「小産権」の売買について、今後は買い手が警戒心を強め、実質的に売買が停止される可能性があるからです。「小産権」は北京地区においては、マンションの売買件数の2~3割を占めると報道されており、その影響は小さくないと思われます。今後、既に「小産権」を買った都市住民による損害賠償請求の裁判が多発することも予想されます。

 また、この法論理は、各地の地方政府が農地や農民住宅地などの「集団所有」の土地を勝手に開発して販売している土地の乱開発にブレーキを掛けることになる可能性があります(買い手が警戒して買わなくなるため)。従って、この昨日の判決は、今後の中国の不動産市場に大きな影響を与える可能性があると思われます。

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2007年12月16日 (日)

炭鉱事故の裁判は「敏感な案件」

 昨日(12月15日)、黒竜江省七台河市中級人民裁判所で2005年11月27日に起きた炭鉱事故について会社側担当者の責任を問う裁判が始まりました。この炭鉱事故は、死者171人、ケガをした人が48人という大事故でした。

(参考1)「新京報」2007年12月16日記事
「死傷者219人を出した七台河炭坑事故、二年たって裁判開始」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2007/12-16/011@010623.htm

 上記の「新京報」の記事によると、事故が起きてから裁判が開始されるまで二年以上掛かったことに対しては、被害者の家族の多くが疑問に思っているとのことですが、七台河市中級人民裁判所のある副院長は「この案件は大変敏感な案件ですから」と言っていたことを伝えています。

 「新京報」の記事によると、被告側の弁護士は、裁判開始の数日前になって裁判期日の連絡があったそうで、準備が十分にできなかった、とのことでした。この案件の裁判開始まで2年以上掛かったことについて、この弁護士は「背景として地方の保護主義があると言わざるを得ない。(時間が掛かったのは地方政府がこの裁判について)承認するのを嫌がっていただけにすぎない。」と述べていた、とのことです。

 基本的に、中国では、裁判所は行政からの独立が十分になされていません。大きな炭坑は、多くの場合、その地方の基幹産業であり、炭坑を経営する会社は地方政府と近い関係にあるケースが多いのです。捜査を行う地元の警察や会社を監督する地方政府自体が会社と近い関係にあるので、会社側の責任を明確化するための捜査がなかなか進まないことが多いようです。中国で大きな炭坑事故がなくならない背景には、こういった地方政府と炭坑会社との密接な関係があるものと思われます。

 本件については、新華社通信が伝える以下の評論でも「なぜ地方の警察と検察の反応がこんなに遅いのか」という疑問の声を上げています。

(参考2)「新華社」2007年12月16日にアップされた艾琳という人の評論
「『七台河事件』は本当はこのような形では終わらない」
http://news.xinhuanet.com/comments/2007-12/16/content_7254374.htm

 この評論では、これだけの大事故で、中央も重要視していたこの七台河事件でさえこんなに時間が掛かったのだから、中央がそれほど重要視していない普通の事件はどういう扱いになっているのだろうか、と疑問を呈しています。

 地方政府と地元企業との癒着は、環境問題などにおいても、取り締まる側の地方政府と取り締まられる側の地元企業とが癒着しているのだから、実効的な取り締まりができるはずがない、などと以前から指摘されています。中央は「地方政府の執政能力を高めなければならない」などというスローガンは山ほど流すのですが、全然、実効が上がっていません。また、現在何か有効な手立てを検討中であるようにも思えません。スローガンばかりで、実態的には何も事態が改善しない状態が続いていると、そのうちに「中央政府の執政能力」に対して多くの人が疑問を持つようになるのではないか、と心配になります。

 こういった前近代的な政治体制のままで、中国は、今後も急速な経済成長を続けていくのでしょうか。私には、政治と経済とのアンバランスがそのうち危機的な場面をもたらすことになるような気がしてなりません。

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2007年12月15日 (土)

都市住民による農村の「小産権」購入は禁止

 中国は社会主義国ですので、土地を私有することはできません。全ての土地は国有または村などの集団が所有している「集団所有」のどちらかです。しかし、実際にはマンションや別荘などの不動産の「売買」は行われています。これは、土地については、「所有権」ではなく、その土地の「使用権」を売買する、という考え方に基づいているのです。「土地の使用権」の売買については、従来、法律上の規定がありませんでしたが、実際に行われている不動産売買取引の実態を後追いする形で、今年(2007年)10月1日から施行された「物件法」において、「土地使用権」に対する法律上の位置付けが確立しました。「土地使用権」は、例えば住宅用地の場合70年間など有限ですが、「物件法」により、満期時に延長することも可能になったため、限りなく「土地所有権」に近いものになっています。

 ただ、農村部などで村などの集団が所有している土地の上に建設されたマンションや別荘などを集団の構成メンバーでない人が買うことは法律上問題ないのか、という点については、法律上の位置付けが不明確なままで残っています。都市部の土地は国有なので、中国国民は誰でもその「土地使用権」を保持することが可能、と考えられており、都市部の土地の場合は問題は生じません。農村部の場合は、公式な法律上の位置付けとしては、村の住民でない人は村所有の土地に対する何らの権利も持たないため、村の土地の上に建てられた別荘やマンションを購入することはできない、と考えられています。これは、そもそも中国共産党による革命がその土地に住んでいない大地主が小作農に土地を貸し付けて耕作させる小作農制度を解体することを根本的な出発点としていることに関係しています。村の土地の使用権をその村の住民ではない人に売ることは、実質的に「不在地主」を認めることになり、中国の社会主義革命の出発点の原理を壊すことになるからです。

※ただし、これには考え方が二つあって、農地の場合は実際に耕作する人以外の土地の所有は認めないが、住宅用の土地の場合は村のメンバーではない人がその土地の使用権を持ってもかまわない、という考え方もあります。「小産権」の売買を「可」とする人は後者の立場を取っているのです。なお、「農地の場合は実際に耕作する人以外の土地の所有は認めない」という考え方は、戦後の日本においてアメリカの指導により行われた農地改革の基本原則であり、中国の共産主義革命の「専売特許」ではありません。

 しかし、実態的には、都市部に近い農村では、村が所有している土地の上にマンションや別荘を建てることが数多く行われています。例えば、農民が以前から住んでいた家を取り壊して、その土地に高層マンションを建て、従来の農民がその一角に住み、他の部屋を都市住民に売れば、農民は資金的な負担なしに不便な古い家を新しいマンションに建て替えることができるからです。

 これら集団所有の土地の上に建てられた別荘やマンション物件を俗に「小産権」と呼んでいます。「小産権」には二つの種類があります。

(1)もともと農家の住宅が建っていた土地の上に建てられた別荘やマンション

(2)もともと農地だった土地の上に建てられた別荘やマンション

 上記のうち(1)は、従来からの住宅を建て替えただけですのでそれほど問題にはなりませんが、(2)は農地の減少を伴いますから、国家政策上の重大な問題をはらんでいます。

 これら農村の土地に別荘やマンションを建てて、都市住民に売ったり貸したりしている問題の経緯については、このブログの8月26日付け記事を御覧ください。

(参考1)このブログの2007年8月26日付け記事
「農民の住宅の土地の権利に関する問題」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_b042.html

 この問題について、国務院は、12月11日、常務委員会を開き、「小産権」を都市住民が買ったり借りたりすることを厳禁する、との方針を打ち出しました。

(参考2)「新京報」2007年12月12日付け記事
「都市住民が農村の『小産権』物件を購入することは禁止」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2007/12-12/021@073605.htm

 しかし、従来から「小産権」の物件の売買は実際に行われてきており、過去に売買された「小産権」の権利関係をどう処理するかは、大きな問題です。また、上記のこのブログの8月26日の記事にあるように、例えば、北京で取引されているマンションの物件のうち、建物数でいうと20%、部屋数でいうと30%がこの「小産権」にあたるとされているので、本当に都市住民による「小産権」の購入が禁止になるのだとしたら、マンション売買市場に大きな混乱を与える可能性があります。

 上記の「新京報」の記事では、11年前に自分が住んでいた住宅を売った北京市房山区の農民が、法律上は「小産権」は都市住民が買うことはできないことを知って、物件売買契約の無効確認を訴えた裁判の例が掲載されています。この案件の事情は以下のとおりです。

○農民のAさんは1996年3月、自分が住んでいた6部屋の住宅を都市住民のBさんに1万5000元(現在のレートで約22万5000円)で売った。

○Aさんは今は年老いた妻とともに娘の家族と同居しているが、今年(2007年)になって「小産権」を都市住民に売ることは法律上認められていないことを知り、本来は自分の家と娘の家族の家と2つの家を持つ権利がある、と気が付いて、11年前の住宅売買契約の無効確認を求めて裁判を起こした。

○裁判において、Bさん側は、既に5000元の「村民管理費」を村に支払い済みであり、村の方もBさんを村民として扱っているほか、この住宅の売買契約は村民委員会の同意を得ており、必要な手続きは全て行っている、と主張した。またBさん側は、1996年当時、都市住民が農民の住宅を使用することを禁止した法令はなく、実際、売買に当たってBさんは北京市不動産売買センターで必要な手続きを行って、不動産売買税も北京市に支払ってある、と主張した。

○裁判にあたって、裁判所は、専門家に委託してこの住宅の評価を行ったところ、現時点でのこの住宅の評価額は9.8万元(約147万円)である、と評価された。

○Aさんは、売買契約は無効である上、Bさんに返却すべき金額は、現在の評価額である9.8万元ではなく、1996年の売買時に受け取った1万5000元である、と主張している。

○裁判所は12月11日、この住宅が建っている土地は村の「集団所有」の土地であり、村民ではないBさんにこの住宅を売った契約は農民の住宅の譲渡を禁止した国の規定に違反しており、この売買契約は無効である、と判断した。(新聞記事には、AさんがBさんにいくらの金額を返せばよいか、についての裁判所の判断については書かれていない)。

○Bさんは、この裁判所の判断を不服として、上告する方針。

 私は、民法については詳しくないのでよくはわかりませんが、自らも同意して結んだ11年前の住宅売買契約を無効だとする訴えは、よほどの理由がない限り、日本ではたぶん通らないと思います。また、日本の民法上の請求権の時効は5年なので、11年前の契約を今になって突然覆す、ということは、日本では基本的には認められないと思います(あまり古い契約関係の無効を認めると、その間にその契約関係に基づいてなされた第三者の権利が侵害され、社会的な混乱を起こすおそれがあるため)。日本の場合、11年間適法にその住宅に住んでいるBさんの「住む権利」も尊重されると思うので、なおさらです。

 上記の例と同様の判決例は、このブログの8月6日付け記事にも出てきました。

(参考3)このブログの2007年8月6日付け記事
「『小産権房』(集団所有地上の住宅)をどうする?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_e6d8_1.html

 「小産権」のマンションや別荘の開発を村当局自身が積極的に進める例もあります。

(参考4)このブログの2007年8月5日付け記事
「ある北京近郊の村の『別荘商売』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_2eab.html

 こういった現象は北京周辺だけでなく、中国各地で行われています。

(参考5)このブログの2007年7月13日付け記事
「中国の地方政府による無秩序な土地開発」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_1c55.html

 北京の例で見られるように「小産権」は、中国の不動産ブームのかなりの部分を担っていると思われます。もし、上記に紹介したいくつかの裁判所の判例に見られるように、「小産権」に対する法的保護がなくなるのだとしたら、中国の不動産ブームにかなりの影響を与える可能性があります。

 今回(12月11日)の国務院常務委員会で打ち出された方針は、「小産権」について「厳禁」という言葉を使って明確に禁止の方針を示しているし、「売ることはしない代わりに貸す」といった脱法的行為も明確に禁止しているので、今後かなりの影響が出そうです。「物件法」など、不動産売買が先行し、法律上の規定がそれを追認する、という方式が続いてきた中国の政策の進め方が今後変わるのでしょうか。この「小産権」を巡る動きは、「土地の私有は認めない」という社会主義の基本原則と、土地の使用権の売買も含めて経済の市場原理に任せる方針との境界線上に生じた問題です。ですから「小産権」の問題をどう対処するのかは、今後の中国の政策の進め方のひとつの「試金石」になるのではないか、と私は思っています。

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2007年12月 4日 (火)

反腐敗闘争:賄賂の八つの新しい変種

 中国では、党や政府の幹部の腐敗の撲滅が極めて重要な課題となっています。かなり市場経済化されたとは言え、中国では、まだ経済活動の中における許認可や様々な優遇措置の確保、銀行に対する融資の「口利き」などの点で、企業が党や政府の有力者に取り入って「うまく話を付ける」ことの効果が非常に大きいので、党や政府の幹部と企業との癒着が生じやすい体制構造になっているのです。いろいろな腐敗防止のための規則を作ったり、摘発を行って見つかった腐敗幹部を厳罰に処しても、腐敗は一向に減る気配がありません。度重なる腐敗案件の続出は、一般人民からの反発を呼び、政権の基盤を揺るがしかねない大問題として、中央は、今、反腐敗闘争に必死になって取り組んでいます。

 そういったキャンぺーンの一環だと思いますが、ここ数日のネット版人民日報「人民網」の「時政」(時事政治)のページの「反腐敗・清廉化」のページに、最近よく見られる賄賂(わいろ)の八つの「新しい変種」を取り上げていました。こういう記事を掲げたのは、あからさまな金品の授受を避けるような巧妙な賄賂の贈り方が増えてきたからだと思います。明白な金品の授受を伴わなくても贈収賄になりうるのだ、ということをこの記事は言いたいのだと思います。

(参考1)ネット版人民日報「人民網」2007年12月3日アップ
「『性賄賂』がワイロではない、と言われるのはなぜ?」
http://politics.people.com.cn/GB/30178/6605783.html

 この特集記事の中の「『性賄』、『遊賄』!腐敗官僚の八つの賄賂の新変種」と題する署名入りの記事には、以下に掲げる8つの「新変種」の賄賂について説明されています。

(参考2)ネット版人民日報「人民網」の「中国共産党ニュース」2007年12月5日アップ記事
「『性賄』『遊賄』! 腐敗官僚の八つの賄賂の新変種」(筆者:梁江濤)
http://cpc.people.com.cn/GB/64093/64103/5125422.html

※ネット版人民日報「人民網」の「時制」(時事政治)のページは、外国からのアクセスが制限されている可能性があるので、上記のページは日本からは見られないかもしれません。今日(12月4日)現在、中国からは上記のページは見ることができます。

【その1:性賄】

 上に書いてある「性賄」は中国語ですが、訳す必要もないと思います。もし上記のページの中国語の本文を御覧いただけるのであれば「貪官情婦」「『好色貪官』を『金弾』に加えて『肉弾』で攻撃する」といった文字が踊っていることが簡体字にあまり慣れていない方でも見て取れると思います。腐敗官僚の中には「成年男女が恋愛した場合、相手が結婚していれば、それは道徳上の問題ではあるけれども、法律上の問題ではないはずだ。」と居直る人もいるそうです。(参考1)で掲げた方の記事では、片方が一定の公権力を持っている者ならば、これは賄賂に当たる、とビシッと言い切っています。ただ、腐敗容疑で取り調べを受けている高官の95%には「愛人」がいるそうで、こういった傾向はかなり広範に広まっているようです。

 実は、「異性の紹介は賄賂には当たらないはずだ」といった主張は日本でもなされたことがあります。「政治家や高級官僚に女性を紹介する見返りに便宜を図ってもらう」ことが贈賄に当たることは、日本でも昔から(大正時代から)判例として確立しているのですが、戦後になってから、裁判で「女性を収賄側に『贈った』とする検察側の主張は、女性の人権を無視したものであり、基本的人権と男女平等をうたった新憲法に違反する。」と主張する人が現れました。この裁判は結局最高裁まで行きました。最高裁は「女性の人権が無視されたかどうかに関係なく、収賄側は利益を受けたことには変わりはないわけだから贈賄罪は成立する」と判断しました。

(参考3)日本の最高裁判決:昭和36年01月13日最高裁判所第二小法廷
「背任、単純収賄被告事件判決」(事件番号:昭和34(あ)470)(判決:棄却)
判決要旨:異性間の情交は賄賂の目的物となり得る。

※判決の原文をお読みになりたい方は、日本の裁判所のホームページ
http://www.courts.go.jp/
から「裁判例情報」-「最高裁判所判例集」に入って、上記の事件に関する情報を入力して検索してください。

 この最高裁の判断は、当たり前と言えば当たり前ですが、「女性を紹介することは賄賂には当たらない」と居直る人は、日本にもいた、ということです(ただ、同じような議論を21世紀になった今頃やっている中国はいったいどうなっているんだ、ということも言えるわけですが)。

【その2:遊賄】

 これも説明の必要はないと思います。腐敗官僚側にお金を渡すわけではないけれども、国内・国外でいろいろ遊ばせてやって、その見返りに便宜を図ってもらおうというものです。

【その3:雅賄】

 書画骨董の類を贈ることを「雅賄」と言っている人もいるようですが、それでは「金品を贈る」という古典的な賄賂と同じです。ここで言っているのは、酒場や「浴城」(読んで字のごとし)、娯楽センターなどの門に「題字」や何か言葉を書いた「題詞」を書いてもらって、その報酬として多額の金額を支払う、という類のものです。ある四川省の「書記汚職案件」では、収賄側が「私は××市の書道協会の会員の書家である。私が題字・題詞を書いて40万元(約600万円)をもらったのは妥当な額であり、非合法な収入ではない!」と裁判の被告席で弁明したそうです。

【その4:賭賄】

 ギャンブルをやってわざと負けてやる、というものです。古典的と言えば古典的な賄賂かもしれません。ある機関のヒラ職員は、最初、指導者に勝ってしまったのですが、「賢い人」から「指導者とやる時は負けてやらなきゃ」とアドバイスを受けたそうです。それを実行したら、1年ちょっとしたら、その人は課長補佐まで三階級出世したそうです。なお、中国語の文章では「牌友」という言葉が出てきますが、必ずしも麻雀だけを指すわけではありません。トランプや花札のような遊びをやる人もいるそうです。
 
【その5:医賄】

 自分が病気持ちだったり家族に病気持ちの人がいる腐敗官僚のところに高名な医者を呼んできて診てもらう、というもの。治療費やその医者の移動費、医者への謝礼は贈賄側が提供するのです。

【その6:文賄】

 贈賄側が腐敗官僚の悪評を吹き飛ばし、名声を上げるような文章をその地方のメディアに書きまくるもの。メディアが統制されている中国だからこそ効き目がある、と言えるのかもしれません。

【その7:香賄】

 これはちょっと変わった賄賂で、信仰の厚い腐敗官僚に代わって、お寺でお香を焚き、お祈りをしてあげる(お香代や祈祷代を肩代わりしてやる)というもの。今、中国のお寺では、ちょっとしたお線香を焚いたり、仏像の前でお祈りをさせてもらったりするために、相当の額のお賽銭を要求するところがあります。お参りしたいけどお賽銭が高くてできない、と思っている幹部がお参りできるようにしてあげ、その代わりに便宜を図ってもらおうというものです。宗教活動が禁止されていた文化大革命の時代には考えられなかった種類の賄賂ということができます。

【その8:槍賄】

 これも変わった賄賂です。「槍賄」の名は、大将の脇にいて槍を持って戦う兵士(槍手)から来ています。この賄賂には2種類あります。ひとつは、本を書くときに腐敗官僚の名前を前面に押し出して、昇任選考などの際に役に立つようにしたり、腐敗官僚を「専門家」とか「学者タイプの指導者」だと思わせるようにするものです。もうひとつは、腐敗官僚の怨みをはらすのを手伝う、というものです(将軍の脇にいる「槍手」が馬上にいる武将を槍で突き落とすというイメージ)。例えば、ある腐敗官僚の上司である県の共産党書記と県知事のが仲が悪い場合、贈賄側が最初は書記を助けるために県知事の悪事を通報して県知事を失脚させ、それによって腐敗官僚を昇進させておいて、その次に書記の方も追い落として、腐敗官僚の上にいた二つの対立する勢力をその対立を利用して両方とも排除してしまう、というようなやり方です。ここまで行くと、ほとんど「三国志」の世界です。

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 経済活動が活発化し、企業家の力が増してくると、こうした企業家と党・政府の幹部との癒着が増えてきます。「反腐敗闘争」は、改革開放が始まって以来、というよりは、中国の歴史が始まって以来続いている闘争だと思います。中国では、歴代王朝が、その支配の末期に政治機構の末端が腐敗し、それによって民心が離れ、農民の反乱が起きて王朝が倒れる、というパターンが繰り返されてきました。中国共産党はそのことを一番よく知っています。清朝政府を打倒しながら、政治機構の腐敗を一掃しきれなかった国民党による支配に対して反抗し、農民の支持を得て政権を獲得したのが中国共産党自身だからです。「腐敗」が政権の維持のために最もマイナスであることを知っているからこそ、長くて厳しい「反腐敗闘争」に必死に挑んでいるのです。

 ただ、「選挙による住民からの政府のチェック」と「マスコミや市民団体による政府の監視」にフタをしたまま「反腐敗闘争」を続けることは、結局は「モグラ叩き」に終わってしまうと私は思います。今回の「賄賂の八つの新変種」という記事は、賄賂が巧妙化してきているけれども、そういった新しいタイプの賄賂も決して許さない、という決意の表れだとは思いますが、多くの人民は、こういう「決意」を人民日報の上でいくら表明されても納得しないと思います。やはり、早い時点で「経済活動の中における『癒着』の比重を低くすることと(「癒着するメリット」よりも「癒着が露呈することによるデメリットのリスク」の方を大きくすること)」を実現するとともに、「選挙によるチェック」「マスコミや市民団体による監視」の力を利用するシステムを導入しないと、今までの中国の歴代王朝が歩んできた道と同じ道を歩むことになってしまうと私は思います。

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2007年12月 2日 (日)

「中国式計画病」政策決定の大修理はいつ?

 11月19日、ネット版人民日報「人民網」のページに「『中国式計画病』にスポットを当てる:政策決定過程の『大修理』はいつになったらできるのか?」と題するルポルタージュ記事が掲載されました。

(参考)ネット版人民日報「人民網」の「時政」(時事政治)のページ
「『中国式計画病』にスポットを当てる:政策決定過程の『大修理』はいつになったらできるのか?」
http://politics.people.com.cn/GB/30178/6573279.html

※「人民網」のページの「時政」(時事政治)のページは、現在、外国からのアクセスはできないように制限が掛かっている模様ですので、日本からは上記のページは開けないかもしれません。今日(12月2日)現在、中国国内では見ることができます。

 この記事は、「人民網」と週刊の経済誌「中国経済週刊(中国語では「中国経済周刊」)が共同して書いた記事のようです。このルポルタージュ記事の冒頭に掲げられている「ポイント」は、次のような言葉で始まっています。

「『鶴の一声』で数十億元。前の指導者がいなくなったら、新しい指導者がまた新しい都市計画を出してきた。納税者のお金はどのように使われるのか。計画に伴って土地を失った農民の問題はどうなる?住民移転の問題と腐敗の問題はどうやって解決するのか?・・・解決策はただひとつ。公権力を制限し、公共の福祉のために責任を追及し、自由な市場のために権限を制限することだ。」

 この書き出しは、人民日報社が運営するページに掲げられた記事とは思えない内容で、現在の中国社会が抱える問題点を鋭く指摘したものとして注目に値すると思います。「中国式計画病」という記事のタイトルも「告発調」であり、記事を書いた記者の問題意識が窺えます。

 この記事では、下記の三つの事例に対して、記者が現地に行って取材したルポルタージュが記されています(下記のうち、例えば瀋陽に取材にいったのが今年8月とのことですので、この記事はかなり長期間にわたって綿密に取材された結果書かれたものと推察されます)。

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【遼寧省瀋陽市の例】

 瀋陽市の渾南市場というところは、建設用地の費用として23億元(約345億円)を掛けて開発が行われ、5つの大きなビルができているのに、そのままの形で放置されて既に8年になっている。前の指導者が農地を農民から買収して始めたプロジェクトだが、予想に反して価格が高騰し、テナントが入らず、投資資金が回収できなくなっているからである。投資資金が回収できないため、土地を提供した農民たちに対する補償金の支払いが滞っている。農民たちは「上訪活動」(北京に対して救済を求める陳情活動)を行っているが問題は解決していない。この渾南市場を計画した指導者は汚職で逮捕されたが、その後着任した指導者は北の方に別の新しい開発プロジェクトを始め、渾南市場は放置されたままになっている。

【北京市大興区の例】

 北京市の大興区には、様々な開発区があり、その数は100個に上っていた。あまりに多くの開発区が乱立したことから、開発区の整理が行われ、その数は3つに減らされた。しかし、例えばこれまで「大興区魏善庄鎮工業区」と呼ばれていた開発区は「大興工業開発区龍海園」と名称が変更され、大きな開発区の一部の「園」として扱われるようになっただけであるなど、実態は何も変わっていないことがわかった。また、新しい指導者が着任すると、「開発区」の数は増やすことができないことから、今度は例えば「大興生物医薬基地」といった「基地」が作られるようになった。「基地」は「開発区」では認められていない商業用地としての利用も可能である。また、許可を得る機関も「開発区」より上の機関であるので、大興区では上部機関の許可を取って「基地」の開発を進めている。

【広東省深セン市の例】(「セン」は「土」へんに「川」)

 広東省深セン市では、経済発展に伴って、次々に大きな道路が作られた。だが、その一部は、建設されてから8年~10年たったところで「使用期限が来た」として大幅な改修が行われるなど、何回も大幅な改良工事が行われている。ある場所では、コンクリート舗装では破損が激しいとして、歩道の部分に対して花崗岩による補修が行われた。しかし、花崗岩の歩道は雨が降ると滑りやすい、として不評だったため、今度は滑り防止措置を施した花崗岩敷石に交換された。市民からは「浪費だ」との声が上がっている。

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 この深セン市の例の記事の最後は次のような言葉で締めくくられています。 

「西側諸国では、公共的政策は、提案された後、議会で討論され、その政策を進めるかどうか、進めるとした場合どの程度の予算を使うのか、何回も公聴会が開かれてから、予算が決定される。我が国では、道路補修のような市民の利益に直結する公共的事業に対して、ただ政府のみがその権限を担うことになっており、市民が十分にそれに参与する仕組みになっていない。」

 このルポルタージュ記事は、「人民日報」のページに載っているのですから、「ありもしないことを吹聴している」ということではなく、中国の地方政府の行政のあり方を正直にレポートしたものだと考えてよいと思います。

 中国の地方政府における無秩序な土地開発や公共工事の乱発の背景には以下の留意点を挙げることができます。

○中国では土地は公有であり、私有は認められてないため、土地を売買する自由市場というのは存在しない。そのため、農地を農民から収容する際に支払う補償金の金額を決める土地の評価額は、ほとんど政府が勝手に決められると言ってよい(このため、補償金の額が安すぎる、として立ち退きを迫られる農民等と開発業者とのトラブルが絶えない)。

○(少なくとも今まで沿岸部などの条件のよい地域では)土地を開発すれば、そこに人件費の安い中国での生産を見込んだ外国企業等が進出して来るので、土地開発を行う地方政府は手っ取り早く収入増が図れる。工場誘致がうまく行けば、GDPも上がり、その地方の指導者は中央からの評価が上がる。

○公共事業を行えば失業対策になり余剰労働力の問題が解決できるほか、直接的にGDPアップに寄与することができる。

○人民元レートの値上がりを予想して、外資がどんどん流入している一方、中国人民銀行は人民元レートを急激に上昇させないように外貨を買い支えているため、市場に人民元資金があふれ出している(過剰流動性問題)。このため、地方政府や土地開発業者は、銀行から容易にお金を借りられるし、銀行側も土地開発のための貸し出しを増やしたがる。

※中国人民銀行が人民元レートを上昇させないようにしているのは、人民元レートの上昇により輸出が減少して輸出に依存している現在の中国の経済成長にブレーキが掛かることを避けるためと、外国の安い農産品の輸入の増加により農民が打撃を受けることを避けるためである。

○土地開発や公共事業を許可する権限を持っているのは政府であり、中国の銀行は全て国有であるので、地方政府、土地開発業者や建設業者、銀行の3社が「ぐる」になれば土地開発や公共事業はいくらでもできる(予算をチェックする「地方議会」が存在しないので)。しかも、上記のように地方政府と銀行の利害は一致しているし、土地開発業者・建設業者は土地開発や公共事業が進めば進むほど儲かるわけなので、この3者は自然と「ぐる」になる。この構図に中央政府が「待った」を掛ける制度的手段がない(地方政府と銀行幹部の人事権は中央が握っているが、人事権だけでは個々の活動をコントロールすることには限界がある)。

○今までは土地を取られた農民等が裁判所へ訴える際に根拠となる法律がなかった(この点については「物権法」が2007年10月1日から施行になったので、土地収容を巡る裁判は、これから頻発するのではないかと思われる。ただし、中国の場合、特に地方の裁判所は地方の政府と独立していないので、裁判所が地方政府の乱脈ぶりをチェックする機能を果たせるかどうかは疑問である)。

 上記のような背景に基づく地方政府による無秩序な土地開発や公共事業の乱発は、市場原理に基づかない状態で爆発的に進められているところに極めて重大な危うさをはらんでいます。「土地を開発すれば、外国企業がどんどん投資して工場を建ててくれるはずだ」「中央政府は北京オリンピックや上海万博のために公共工事をどんどん進めるはずだ」「土地開発や公共事業が止まれば農民工は職を失い社会的不安定をもたらすから、党・中央も本気で土地開発や公共事業を止めようなどとは思っていないはずだ」こういった「思惑」によって土地やインフラ設備の実際の需用とは全く関係なく土地の開発や公共事業が進められているからです。

 道路などのインフラ整備は、社会資本として残るのでまだよいとしても、行きすぎた土地開発は、膨大な不良債権を銀行に残すおそれがあります。正確な統計がないので私にもわかりませんが、地方政府による土地の乱開発は、既に中央がコントロール可能なレベルをはるかに超えてしまっているのではないか、と私は危惧しています。私も実際にいくつかの工業開発区を見学させてもらいましたが、それらの工業開発区の広さはとんでもなく広大なものであり、こられの工業開発区の全てに工場が建ち並ぶとは直感的にはとても考えられないからです。

 この点については、中国共産党中央も、たぶん同じような危惧を持っているのでないかと思います。人民日報のページに、このブログで紹介したような激しい告発調のルポルタージュ記事が掲載されたことが、それを表していると思います。経済における市場原理、政治における自由選挙制度、マスコミや市民団体によるチェックという三つのフィードバック機能(行きすぎにブレーキを掛ける機能)が弱い中国において、この地方政府による爆発的な土地開発や公共事業の乱発にブレーキを掛けるのは至難の業です。今回紹介した記事をきっかけにして、地方政府の幹部や銀行の幹部が党中央と危機感を共有して、少しでも軟着陸へ向けた努力に協力するようになって欲しいと私は切に思っています。

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2007年12月 1日 (土)

知らないうちに終わっていた「選挙」

 11月30日付けの「新京報」によると、次期(第13期)の北京市人民代表771名が11月29日に決まったのだそうです。

(参考1)「新京報」2007年11月30日付け記事
「北京、次期人民代表を選出」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2007/11-30/011@073141.htm

 中国の国会にあたる「全国人民代表大会」の議員(全国人民代表)は、例えば北京市で選出する人民代表の場合は次のような順番で決まっていきます。

1.北京市内にある区や県(中国の「県」は、北京のような直轄市や省・自治区の中にある小さな地方行政単位)の人民代表(議員)がそこの住民によって選出される。まず各政党と人民団体から推薦された人、代表(議員)10名以上の連名で推薦された人の中から候補者名簿を作り、その候補者に対して住民(有権者)が投票して区・県レベルの人民代表を選出する。選挙を管理する「主席団」が候補者に関する検討のための文書を送付した後、投票を行う。検討の期間は少なくとも2日間とする。

2.北京市内の区や県のレベルの人民代表が北京市の人民代表を選出する。選挙が終わった後、北京市人民代表大会常務委員会資格審査委員会が選挙で当選した人の資格審査を行う。この資格審査に合格すると正式に北京市の人民代表となることが決まる(ちなみに今回の北京市人民代表選挙では、選挙で選ばれた人は全て資格審査委員会では合格だった、とのことです)。

※上記の選挙においては差額選挙を行う(「額」は中国語で「定数」の意味で、当選予定者より候補者の数が多い選挙を「差額選挙」という)。候補者の数は、当選定員の20%以上、50%以下とするように、と規定されている。

3.各省・直轄市(北京、上海、天津、重慶)・各自治区の人民代表により全国人民代表(国会議員)が選出される。

 人民代表の任期は5年間です。2008年から新しい期(全国人民代表の場合は第11期:歴史的経緯のせいで北京市人民代表と期数が異なる)の人民代表の任期に入るので、今はその選挙プロセス中、というわけです。北京市の場合は、11月29日に上記の「2」の段階まで終わった、ということです。

 それにしても5年に一度の国会議員選挙プロセスが行われている最中なのですが、不覚ながら、私は、昨日(11月29日)の「新京報」を見るまで、こういった選挙が行われつつあることを全く知りませんでした。10月の共産党大会の後、来年1月には新しい全国人民代表が決まる、というスケジュールは知っていたのですが、具体的にいつ投票が行われ、いつ各地区の人民代表が決まるのかは知りませんでした。今回「北京市の人民代表が決まった」という新聞記事を見て、「ああ、実は既に選挙プロセスは始まっていて、住民による投票の部分は既に終わっていたのだ」と初めて知ったのです。だから、誰が立候補していて、投票率が何%で、誰が何票取って当選したのか、などは全く知りません。そもそも、区や県レベルの人民代表が何人いるのかも知りません。

 もちろん私は中国では有権者ではありませんので、選挙に関する通知等は一切送られてこないので、知らなくても仕方がないのですが、この選挙の過程について、北京市の人民代表が決まったことが報道されるまで、新聞では人民代表の選挙プロセスが進行中であること自体、全く報道されなかったようです。私は毎日複数の新聞やネットのニュースに目を通しているので、私が「見落とした」のではなく、実際に報道されていなかったのだと思います。選挙が行われたのですが、街に選挙ポスターが貼られるわけでもなく、選挙カーが行き交ったわけでもありません。共産党大会が開かれていた時に街中に「熱烈祝賀第17回中国共産党全国代表大会勝利開催」という紅地に白抜きの横断幕があふれていたのとは大違いです。

 10月の共産党大会で、胡錦濤総書記が「民主化、民主化」とかなり強調していたので、選挙過程についても何か新しい試みをやるのかなぁ、と思っていたのですが、全く新しい試みは行われず、選挙制度や報道のされ方については、全く旧態依然としたものであることがわかりました。

(参考2)このブログの2007年10月19日付け記事
「党大会後の民主化の具体化はどうなる?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/10/post_7250.html

 実は私は20年前(1987年)の「第7期」の全国人民代表選挙の時期にも北京にいました。当時も新聞等では選挙の過程については報道されませんでしたが、街中の胡同(小さな路地)を歩くと「選挙は人民の貴重な権利です。棄権しないようにしましょう。」などという紙が張ってあったりしたので、「ああ、選挙をやっているのだ」と気が付きました。今、北京の街はビル街になってしまい、私自身、胡同をぶらぶら歩く機会もなくなってしまったので、今回は、選挙をやっているのを全く知らずにいたようです。

 この20年間、選挙制度で改革があったとすれば、「差額選挙」(当選定員より多い候補者を立てる選挙)が導入されたことでしょうか。以前は、候補者数は当選定員と同数で、「選挙」とは信任投票のことだったのです。今は、定員より候補者が多いので、得票が多くなければ落選するので「一応」選挙戦はある格好になります。「一応」と書いたのは、上の選挙プロセスに書いたように、立候補の段階で、政党や団体や現職議員の推薦がないと立候補できないので、普通の意味での「選挙戦」とは言えないからです。選挙が終わった後で、資格審査委員会による審査がある、というのも、「普通の国の選挙」とは異なるところです。もし、資格審査をやるのだったら、立候補の段階でやるべきで、選挙が終わった後で当選者に対する資格審査をやることになっているこの制度では、選挙の有権者よりも資格審査委員会の方が強い権限を持つことになってしまいます。

 実は、私は、北京オリンピックの開催が、選挙制度改革のひとつのきっかけになるのではないか、と密かに期待していたのです。韓国の場合がそうだったからです。1980年の軍事クーデターによって大統領になったチョン・ドゥファン(全斗煥)氏は、1988年のソウル・オリンピックを花道として退陣することを宣言し、実際、1988年以降の韓国の大統領は国民による自由選挙によって選ばれるようになりました。

 中国の場合は、いっぺんに全てのレベルの選挙を完全に自由選挙にすることは難しいだろう、と私も思っていましたが、例えば、県のような地方レベルの人民代表の選挙において部分自由選挙(例えば、議員の半数は中国共産党の推薦により決定し、残りの半分の議員は自由立候補による選挙で決定する、など)が行われるようになるのではないか、と期待していたのです。部分自由選挙ならば、「中国共産党による指導」という憲法に規定された大原則からはずれることなく、自由選挙を通じて、住民による地方政府に対するチェック機能が発揮できるからです。

 中国では、経済の分野では、例えば国有企業が株式を発行し、3分の2の株は国有として公有の部分を残し、残りの3分の1を株式市場に上場して市場経済にさらすことによって国有企業の活性化を図る試みを実施しています。ですから、政治の分野でも同じような「知恵」を働かすことは可能だだろう、と思ったのです。もちろん反対する勢力もあると思うのですが、北京オリンピックという世界が注目するイベントを利用して、反対勢力の動きを封じ込めることもできるのではないか、と思っていたのです。

 地方政府の腐敗に対しては、きちんとしたチェック機構を働かさなければならない、そのためには政治体制の民主化が大事だ、ということは多くの人々はわかっています。この10月の党大会で胡錦濤総書記の報告の中に「民主化」とうい言葉が何回も出てきたことでわかるように、党中央も同じ認識を持っているのだと思います。だから、私は、今回(第11期)の全国人民代表選挙で何らかの改革が行われるのではないか、と期待していたのです。

(参考3)このブログの2007年5月30日付け記事
「中国の新聞に『根本は政治体制改革』との社説」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/05/post_f50b.html

 上記(参考1)に掲げた11月30日付けの「新京報」の記事によると、今回当選した第13期の北京市の771名の人民代表のうち、60.57%の476人が共産党員だそうです(約13億人の中国人民のうち共産党員は7,336万人(2007年6月現在))。第13期の人民代表では、弁護士の数が増えるなど時代の流れを反映した部分もあるが、党や政府機関の幹部が人民代表の36.19%(279人)で、現在の第12期の35.5%(263人)より増えている、と「新京報」の記事では指摘しています。政府機関の幹部が人民代表の中に占める割合が多いと、人民代表大会が政府機関のチェック機構として力を発揮できない、という指摘がこれまで新聞紙上などでなされてきましたが、この点については、少なくとも北京に関しては全く改善されていない、ということになります。

(参考4)このブログの2007年8月16日付け記事
「地方の工事は人民代表が決めるという実験」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_5988.html

 また、今日(12月1日)付けの「新京報」によると、11月30日、北京市長の交代も決まった、とのことです。

(参考5)「新京報」2007年12月1日付け記事
「郭金龍氏が北京市長代理に」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2007/12-01/021@071741.htm

 郭金龍氏は、中国共産党安徽省党委員会書記です。これまでチベット自治区書記や四川省副書記を歴任してきた人で、地元北京の人ではありません。

 北京市長も市民の選挙によって決まるのではないのです。形式上、北京市の人民代表大会が選ぶ北京市人民代表大会常務委員会(54名)の議決に基づき、中央政府が任命するのですが、実質上は、中国共産党の中央が任命します(今日の段階では、最終的な中央からの任命がまだなので、郭金龍氏は、まだ「市長代理」なのです)。前回に私が駐在員として北京に赴任した直後の1986年12月、政府幹部の腐敗反対のデモを起こした上海の学生たちは「私たちの街・上海の市長をなぜ私たち自身が選べないのか」と主張していた、と伝えられたのを覚えています。21年たった今でも、地方政府のトップを住民が決められない、という点については全く進歩していないのです。

 中国の行政単位は、大きい方から、国レベル-省・直轄市・自治区レベル-市レベル-県レベル-郷・鎮レベル-村レベルとなります。1990年頃から、村レベルのトップについては複数立候補による自由選挙が行われていますが、それ以外は、選挙ではなく、上の機関からの任命によって決まる、という制度が変わらずに続いています。地方政府のトップを上部機関が任命する制度では、住民が地方政府が腐敗に走るのをチェックできず、腐敗がなかなか根絶できない、と多くの人が認識しているのですが、地方の各レベルの既得権益を持ったグループが抵抗勢力となっているため、改革がなかなか進まないのだと思います。

 中国において、国会議員(全国人民代表)の選び方や地方政府のトップの決め方は今後変わるのでしょうか。急激な自由選挙の導入は政治的な不安定をもたらす可能性がある、という懸念については私も同意します。しかし、一方、中国の多くの人々は住民による自由選挙のような地方政府のチェック機構を導入しないと、地方政府の腐敗による経済的・政治的混乱のリスクの方が日に日に大きくなっていくのではないか、という懸念も同時に持っていると思います。自由な選挙を導入することによるリスクと、導入しないことによるリスクと、どちらが大きいと見るか、という問題ですが、私は、後者のリスクが前者のリスクを凌駕する日は遠くないと思います。

 今回の選挙では「何も変わらなかった」ことを知って、正直のところ、私はかなりがっかりしています。北京オリンピックを前にした今回の人民代表の改選選挙が大きなチャンスで、このチャンスを逃すと今後はますます改革のハードルが高くなる、と思っていたからです。次の全国人民代表大会の選挙は5年後ですが、それまでには何かが変わるのでしょうか。次の全国人民代表大会の選挙までに「選挙制度を改革しないことによるリスク」が「改革することによるリスク」を上回ることになるのではないか、という現在の私の懸念が杞憂になることを願うほかはないと思います。

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2007年11月22日 (木)

「誹謗罪」の拡大解釈を警告する、との社説

 11月21日付けの北京の大衆紙「新京報」に、地方政府の指導者を誹謗(ひぼう)する携帯メールを回覧した、として免職になった地方政府の中堅幹部職員の話が出ていました。

(参考1)「新京報」2007年11月21日付け記事
「指導者を侮辱した携帯メールを転送していた四人の幹部が免職される」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2007/11-21/018@082813.htm

 この記事によると、セン西省(「セン」は「狭」の「へん」を「こざとへん」に変えた者)の志丹県というところで、「極めて下品な言葉で」県の上層部の指導者14人を侮辱・誹謗した携帯メールを回し読みしていた衛生監督所所長、信用組合副組合長、中学校元校長、農業技術所所長の4人が、中国の刑法に規定されている「誹謗罪」で警察に逮捕され、免職になった(このうち一人は刑事拘留された)とのことです。この携帯メールは、非常に低俗な内容で、強姦された女性が警察にその様子を説明したものの固有名詞の部分を14人の県の上層部の指導者の名前に置き換えた内容だったのだそうです。

 この記事では、今回の件に対する見方として、「県の指導者のような公共的地位にある人に対して、いろいろな人がいろいろな考えを持つことは自然であり、政府が誹謗・中傷メールを取り締まるのはわかるけれども、免職にまでするのは処分が重すぎる。」「他人の人格を侮辱するような法律意識のない人には、重い処罰を与えなければその重大さはわからない。」といった二つの見方があることを紹介しています。

 この件に関して、今日(11月22日)付けの「新京報」は「『誹謗罪』の恣意的な拡大解釈に対して警鐘を鳴らす」と題する社説を掲げています。

(参考2)「新京報」2007年11月22日付け社説
「『誹謗罪』の恣意的な拡大解釈に対して警鐘を鳴らす」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2007/11-22/018@074805.htm

 この社説の論旨は明快です。ポイントとして次のように言っています。

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○志丹県の事件については、以下の疑問点を挙げることができる。

(1) 刑法に規定する「誹謗罪」は親告罪(被害を受けた人が訴え出て初めて立件される)であるのに、本件では被害を受けた人が訴え出てから警察が動き出したのかどうか不明確。

(2) 刑法では「社会秩序や国家の利益に重大な危害が及ぶ場合には」すぐに立件手続きに入るという例外規定があるが、今回の場合、そのような情勢になったとは思えない。

(3) 被害者が訴え出た場合であっても、犯罪と言うためには、客観的に見て侮辱や誹謗が非常に悪質な手段により行われて社会的に影響が大きかったことが条件となるが、「携帯メールで流した誹謗」が「手段として非常に悪質」と言えるだろうか。

○地方政府職員に対する「誹謗」については、慎重に対処すべきで、警察は軽々に介入すべきではない。

○「誹謗を受ける者の名誉権」と「言論の自由」との間には、オーバーラップする部分があり、従ってこの二つが衝突することもある。国外の例では、公共事務を行っている国家公務員に対する「名誉権」は、一般市民のそれとは区別して適切に制限されるべきだ、とされている。一般大衆の知る権利を守り、社会世論による監督を強化するためである。

○アメリカの判例では、誹謗される者が公共の立場にある場合には、誹謗した者が実際に悪意があると証明されない限り損害賠償の対象とはならないとされている。

○中国の現行刑法では「誹謗罪」の成立には厳格な条件が既定されているが、「その程度が非常に悪質な場合には」とか「社会秩序と国家利益に重大な危害を与えるときは」などの規定に対して、明確な権威ある解釈がなされていない。今後、法律または司法解釈でこれらの解釈を明確にして「誹謗罪」が拡大解釈されることを防止するべきである。

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 携帯メールは、「メール」の名の示す通り「私信」であり、何を書いても他人にとやかく言われる筋合いのものではないし、警察から摘発されるような性質のものではない、とお考えの方も多いかもしれません。ただ、1対1のメールならば明確に「私信」ということができますが、一斉発信メールや回し読みのメールなどは、インターネットの掲示板と実質的には同じであり、そこに悪質な誹謗・中傷の類が含まれるとしたら、名誉毀損が成立することは日本でもあり得る話です。

 上記の「志丹県の携帯メール事件」を見る限り、メールの内容はかなり低俗なものであり、日本でも「名誉毀損」が成立する可能性のあるような案件だと思いますが、「新京報」は、この案件に対して、地方政府と公安当局の癒着があるのではないか、との疑いの目を向け、法律を拡大解釈して言論の自由を圧殺しようとしているのでないか、という危機感を感じたのではないかと思います。

 「新京報」の社説は、よく読むと、極めて慎重な書きぶりになっています。「地方政府職員に対する『誹謗』については、慎重に対処すべきで、警察は軽々に介入すべきではない。」「国外の例では、公共事務を行っている国家公務員に対する『名誉権』は、一般市民のそれとは区別して適切に制限されるべきだ、とされている。」と書いています。「地方政府職員」と「国家公務員」との使い分けが微妙です。この社説では、「中国の国家公務員」に対してどう扱うべきなのか、ということについては、実は何も言っていないのです。「中国の国家公務員(特に国家の指導者)」を批判することは、現在でもできない、ということなのでしょうか。現在の中国の新聞が置かれている「限界」を見たような気がしました。

 そもそも現在進められている改革開放政策は、「毛沢東主席が行ったことは『全て正しい』と考えることは誤りである。毛沢東主席の業績は偉大だが、晩年には誤りを犯した。」というトウ小平氏の考え方から出発しています。つまり偉大な国家指導者であったとしても、全て誤りなく行うことなどできないのだから、批判すべきところはきちんと批判すべきである、というところが現在の中国の政策の出発点なのです。従って、今の中国で、地方政府の誤りは厳しく批判するけれども、国家指導者の政策を批判することはタブーである、というような雰囲気があるのは本来おかしいと思います。

 「地方政府は厳しく批判するけれども、国家や中央に対する批判はしない」というような姿勢では、批判される立場の地方政府の人々からの反発を受けると思います。「新京報」の社説を読むと、新聞の記事を書いている人たちは(そしてたぶん読者も)そういった「諸々のこと」はわかった上で、言論活動を行っているのだと思います。中国からの情報を「読む」場合には、そのあたりの背景も頭に置いて「読む」必要があると私は思っています。

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2007年11月12日 (月)

日本と比べて中国の教育を見てみると

 11月8日付けの「新京報」の論評の欄に「日本と比べてもう一度我が国の教育をじっくり見直してみよう」と題する文章が載っていました。

(参考1)「新京報」2007年11月8日付け論評
「日本と比べてもう一度我が国の教育をじっくり見直してみよう」(王錦思)
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2007/11-08/014@073854.htm

 筆者は中国日本史学会会員の王錦思氏という方です。日本のNPOや企業の中には、中国の貧しい地区の小学校を支援する活動をしているグループがいますが、先日「南方都市報」という新聞に、こういった日本の支援者が安徽省のある貧困地区を訪れたとき、政府の庁舎は立派なのに、農村の小学校は一校に改善されない、それどころか小学校を取り壊して政府の庁舎を作ったために、児童らは古い校舎で勉強せざるを得ない状況だった、という話が報道されていたとのことです。上記の評論文の筆者は、この報道に対し、ポイントとして次のような指摘をしています。

○GDP世界第三位にまでなった中国において、教育経費が十分に充足されていない実態については、我々は考え直さなければならない。

○ここ百年以上にわたる日中関係の間には、恩義も怨みもあるが、教育の問題は動かざる大山のごとく、両国の存亡に係わってきた。日清戦争時代の清の進歩派官僚・康有為は、日清戦争での敗北は、清朝政府が教育を重視していなかったからだ、と言っている。

○よく中国は人口が多くて日本のように教育にお金を投入できない、と言う人がいるが、明治維新の頃や戦後直後は、日本は中国の現在の状況よりも貧しかったけれども現在の中国よりはるかに多くの割合のお金を教育に投入していた。

○日本は1886年に近代学校制度を確立して4年制の義務教育を普及させ、1907年には世界に先駆けて6年制の義務教育を普及させた。戦後の1949年には9年制の無償の義務教育を開始した。

○新中国成立以来、中国の教育は著しく進歩し、識字率は大幅に向上したが、中国にはまだ多くの問題が残っている。多くの農村では、地域で最も貧弱な建物は学校であり、最も立派な建物は政府の庁舎である。日本の農村では、最も立派な建物は学校であり、自然災害が発生した時、村民は自然と学校に避難して集まってくる。

○(南方都市報の報道にあるような)日本の友人の善意が我々に気付かさせてくれたことについて、我々は深く考える必要がある。

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 王錦思氏の指摘のように、明治維新以降、日本が教育を非常に重要視してきたことは事実だと思いますが、以下の点も考慮する必要があると思います。

○日本政府の戦後の教育に対する取り組みに対しては、例えば、学校給食に対する進駐軍からの脱脂粉乳の提供など、アメリカの強力なバックアップがあった。

○新中国成立以前は、列強各国による半植民地支配、抗日戦争、国民党との間での内戦を通じ、多くの一般庶民に対して十分な教育がなされていなかったのだが、現在の中国は、そういった状況から出発して、現在は、新中国成立前に成人していた高齢者も含めた数字としての識字率が90%、高校進学率59.2%、大学進学率約22%(いずれも2006年の数字)に達している。これは新中国成立以降の中国の教育への力の入れ方が並々ならぬものであったことを示している(13億人の人口を抱えている中国におけるこれらの数字は、むしろ驚異的なものである、と私は思っています)。

 中国における問題の根元は、一部の地方政府が教育にお金を回さずに資金を浪費していることにあります。

(参考2)このブログの2007年7月14日付け記事
「『富める政府』『貧しい庶民』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_25a6.html

(参考3)このブログの2007年8月15日付け記事
「昼間の接待酒をやめたら半年で4300万元浮いた」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/4300_27f3.html

 王錦思氏が指摘している問題点は、中国において政策として教育を重要視していないのではなく、中国の地方政府がやるべきことをやっていない、ということが問題なのだと思います(結果的には同じことですが)。

 中国の多くの人の日本に対する感覚は、王錦思氏が文章の中で書いているように「恩義もあるし怨みもある」という認識が基本だと思います。戦争の時に日本が中国においてしたこととともに、孫文や魯迅など中国の近代化を推し進めた人々が日本で学んでいた、ということも中国の人々はよく知っているからです。そのためか、中国が抱える様々な問題に関して、日本はよく比較の対象とされます。特に19世紀後半の日中の歩みの違いは、なぜこの間に日中の国力の差が逆転してしまったのか、という点で、中国の人々に深刻な問題提起をしています。背景には「なぜ世界の大国である中国が、日本のような小さな国に負けてしまったのか」といった自負心の裏返しの感情があるのだと思いますが、こういった感情は、よい意味でのライバル意識と捉えれば、悪いことではない、と私は思っています。

 上記の評論の筆者の王錦思氏は、中国の日本史学会会員ですので、中国の中でも「知日派」の方だと思います。いわゆる「知日派」と呼ばれる人々以外でも、中国では、多くの人が日本が経てきたいろいろな経験についてよく勉強して知っています。日中間の問題を考える場合には、中国にとって、日本は、よい意味でも悪い意味でも、そういったいろいろな経験を教えてくれる存在でもあることを念頭に置いておく必要があると思います。

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2007年10月 8日 (月)

集中する連休を今後どうするのか

 今日10月8日の月曜日から中国は国慶節の連休明けで再び始動しました。中国の法定休日は、春節(旧正月)、労働節(メーデー)、国慶節と新暦の正月元旦の4回しかありせん。このうち、春節、労働節、国慶節は、基本的に1週間ぶっ通しで休む大型連休となります。春節はかなり以前から1週間程度休む人が多かったのですが、労働節と国慶節は、もともとは3日程度の連休でした。しかし、ここ10年くらいの経済発展の中で、前後に代替出勤日を入れたりして、労働節、国慶節についても土日と合わせて1週間程度続けて休むことが多くなったのです。

 日本や欧米のようにいろいろな月に三連休が分散している、というスタイルではないので、中国の場合、この三つの大型連休(黄金週)に旅行する人が集中し、鉄道や飛行機、各地の観光地は、どこも満杯になります。特に労働節と国慶節は、春と秋の気候のいい時期なので、多くの人が観光地に遊びに行くため、この期間に中国で観光をしようと思う人は、かなりの覚悟が必要となります。

 今日(10月8日)行われた全国休日観光関連部署連絡会議で報告された統計によると、今年の国慶節の連休(10月1日~7日)に繰り出した観光客は延べ1億4,600万人日で対前年比9.6%増、このうちホテル等の宿泊施設に宿泊したのは延べ3,761万人日で対前年比14.8%増、とのことです。この数字は、広範な中国人民が経済的に余裕ができ、連休中に観光に繰り出す人が多くなってきていることを現していると思います。

(参考1)中国旅遊局のホームページ「中国旅遊網」の「ニュース動向」2007年10月8日付け
「10月1日の国慶節週間の観光客は延べ1.46億人日」
http://jp.cnta.gov.cn/news_detail/newsshow.asp?id=A20071081725596275908

 休みが年3回の大型連休に集中していることについては、中国国内でも問題視する声が以前からあります。ただでさえ人口の多い中国で、休みの日を年3回の大型連休にまとめてしまうと、旅行に行こうと思う人が3回の連休の時にだけに集中してしまい、連休期間中は、鉄道・飛行機等の輸送手段、ホテル等の確保が非常に難しくなるほか、多くの観光地では「連休特別料金」として、普段より高い入場料を設定したりするケースが多くなるからです。10月7日付けの「新京報」に掲載されていた論評で、旅行学者の呉琦幸氏は、中国の有名な観光地の入場料の例として、武夷山ではいつもは220元(約3,300円)のところが連休中は250元(約3,750円)に、五台山ではいつもは90元(1,350円)のところが連休中は168元(2,520円)に値上がりしていた、という新華社の報道を引用して、「本来、広く民衆に提供すべき国家的な自然資源を金を作り出す器械にしていいのだろうか。」として、こういった傾向を批判しています。

(参考2)「新京報」2007年10月7日付け評論「一家之言」
「黄金週には、そんなに大きな存在価値があるのだろうか?」(呉琦幸)
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2007/10-07/014@080555.htm

 1年間の休みの日数は変えないままで、小さな連休に分散すれば、旅行するチャンスも分散され、こうした弊害は防げる、というのが、大型連休解体論者の言い分です。ただ、呉琦幸氏は、大型連休解体の最大のネックは、多くの地方の観光地や地方政府にとって、大型連休期間中の収入の魅力が大きくなってしまっていることだろう、と指摘しています。地方にとって、一種の既得権益と化した今の大型連休制度は、変える場合にはかなりの抵抗が予想されるので、今さら変えるのはかなり難しいかもしれません。

 今、中国では、「お金持ち」と言われている人たちは、大型連休中は、だいたいは海外旅行に行くそうです。従って、中国の大型連休をこのままにするのか、いくつかの小さな連休に分散するのか、ということは、最近、中国からの観光客を当てにし始めている日本の観光地にも影響がある話だと思います。

 私の個人的な感覚から言えば、日本のように1か月に1度くらい三連休があった方が便利だと思います。疲れた時は休めるし、元気がある時は遊びに行けるからです。「祝日」がなく、5か月間も一週間の休みは土日だけ、という週が続くのは、結構、疲れます(しかも、駐在員の場合、土日に自分の出張や日本からの出張者の対応があるので、土日がつぶれるケースが結構あるので、その意味でも、祝日が分散していた方がありがたいです)。

 どういった休みの取り方が社会にとって最も効率的か、といった議論をしている、ということは、余暇の過ごし方を議論している、ということですから、中国人民の経済レベルが既に一定のところにまで達している証拠だ、ということはできると思います。ただ、ほかのいろいろな社会システムと同じように、中国の休日の取り方は「世界標準」とは、ずれている感じがするので、中国が世界の国々の中に同じような形で溶け込んで行くためには、大型連休のあり方も、今後、どこかの時点で調整をしていく必要があるのではないか、と私は思っています。

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2007年9月29日 (土)

北京の違法炭坑1000か所以上を爆破して封鎖

 今日(9月29日)付けの「新京報」によると、北京市当局は、オリンピック前までに北京市内に1,000か所以上あるとされる不許可炭坑を爆破して封鎖する方針を示した、とのことです。これらの違法炭坑では、許可なくダイナマイトを所有して採炭しているケースがあり、オリンピックの安全な運営のため、オリンピックの前にこういった違法炭坑は一掃しておきたい、ということのようです((注)行政区域としての「北京市」の面積は、岩手県より少し広く、四国より少し狭い程度の広さです)。

(参考1)「新京報」2007年9月29日付け記事
「オリンピック前に1,000か所以上の違法炭坑を爆破して封鎖」
~北京で違法炭坑取り締まりプロジェクトを展開、爆発物管理を強化~
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2007/09-29/018@073403.htm

 上記の「新京報」のページには、最初に爆破・封鎖された違法炭坑の爆破された時の写真が載っています。上記のインターネット上の記事では省略されていますが、紙面上の記事では、写真に載っている爆破された違法炭坑は、坑道の深さが300メートル以上に達し、一日の採炭能力が50~60トンに上るもので、この炭坑を運営していた人は既に21日、警察に拘束されている、とのことです。

 中国は、石炭資源が豊富で、石炭層が地表近くにまで達しているところがたくさんあります。そのため、農家が仕事の合間に裏山で石炭を掘り出して小遣い稼ぎをやる、というようなところはたくさんあります。そういう零細規模のものも含めてだと思いますが、それにしても北京市内だけで1,000か所以上の違法炭坑があるとは驚きです。中国では(というかどこの国でも同じだと思いますが)、一定の手続きをしないで鉱物資源を採掘したら違法になります。「農家の小遣い稼ぎのようなものまで取り締まるのはいかがなものか」という考え方に基づいて今までは「大目に見てきた」のでしょう。しかし、坑道の深さが300メートル以上もある本格的な違法炭坑を放っておいた、というのは、「大目に見る」という線を越えて、取り締まり当局の怠慢、と言ってもいいのではないでしょうか。しかも、ダイナマイトを不法に所持している違法炭坑が多いのだがそれを「大目に見てきた」というのでは、政府の存在意義を疑いたくなるような話です。

 今年7月に遼寧省のカラオケ店で爆発が起こり25人が死亡する、という事故がありました。

(参考2)このブログの2007年7月6日付け記事
「遼寧省のカラオケ店の爆発で25人死亡」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/25_07f6.html

 この事故の原因は、カラオケ店の店主が炭坑も経営しており、ダイナマイトをカラオケ店の中に保管していたことだったようです。このカラオケ店の店主の場合、炭坑の経営自体は違法なものではなかったようですが、ダイナマイトをカラオケ店に保管していたのは、明らかに管理の仕方がまずかったと思います。

 違法な炭坑が多く、ダイナマイトの保管管理がずさんなところが多いのに、ダイナマイトがテロ行為などに使われることがない、というのは、中国が平和である証拠なのかもしれませんが、北京市内に違法な炭坑が1,000以上ある、それをオリンピックまでに封鎖する、という話は、「それじゃ政府は今まで何をやっていたのか」という気持ちを私に起こさせました。もし、オリンピックがなかったら、これらの違法な炭坑やダイナマイトのずさんな管理は、ずっと「お目こぼし」に預かり続けたのでしょうか。人民の安全な生活を守る、という基本的な点について、中国では政府がまだ十分にその機能を果たしていないのではないか、そんな疑問を私は最近持ち始めています。

 また、今まで「大目に見てきた」違法な炭坑を「オリンピックをやるから」という理由で急に方針を変えて、短期間に、しかも「爆破して封鎖」という強硬手段で取り締まろうというやり方は、妥当なやり方なのか、という疑問も湧いてきます。上記の「新京報」の記事によれば、違法な炭坑で働いていた農民工たちは、故郷へ帰るように勧奨されることになる、とのことです。オリンピックを理由に、こうした急激な取り締まり強化をすることは、これらの人々の間に「オリンピックさえなければ」という気持ちを起こさせることにならないか心配になります。

 これからオリンピックへ向けて、こういった「今までは大目に見てきた違法行為」の整理整頓が進められていくのでしょう。オリンピックを機会に、社会のいろいろな問題点が改善されていく、ということはよいことだと思います。しかし、それが急激かつ強権的なものになって、多くの人々の反感を買うようなことにならないように望みたいと思います。

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2007年9月17日 (月)

信用の価値

 「遺憾なことながら、現在の中国は信用欠乏の危機に直面しているのではないだろうか」と今日(9月17日)付けの新聞「新京報」の社説は、自問しながら問題提起をしています。「中国でも孔子の時代から『信用』が大事であることは力説されてた。現在、多くの先進国では、政府、企業、個人の全てのレベルにおいて『信用』を極めて重視している。しかし、それに対し、現在の中国は『信用に重きが置かれていない国家群』の中に入れられてしまっているのではないか。」とこの社説は指摘しています。

(参考)「新京報」2007年9月17日付け「社説」
「信頼失墜の困難な状況を打破しようとするならば、信頼を守ることに対する価値を高める必要がある」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2007/09-17/018@073523.htm

 この社説は、先進国の人々も生まれながらにして信用を大事にする素質を備えているわけではなく、信用を重視する政府、企業、個人は利益を得、信用を重視しない政府、企業、個人は社会的に様々なマイナスを受けるシステムができているので、みんな信用を大事にするのだ、と指摘し、中国でも「信用」に対する価値を高めなければならない、と強調しています。この社説では、例えば、信用を失った人に対する社会的制裁の具体的な例として、信用を失った企業や個人は、融資や保険などの面で信用を守っている人よりも冷遇されることになることなどを挙げています。

 もともと伝統的に中国はビジネス上の信義を非常に重要視するお国柄であり、だからこそ、世界各国で中国系の市民が経済上大きな地位を占めているのだと思います。しかしながら、現在の中国の社会では、一部の「信用を重視しない人々」が利益を得ることができ、しかもそういう人たちがのうのうと社会的制裁も受けないで大手を振って歩いている状況が残念ながらあるのだと思います。

 ビジネスの世界で厳しい国際競争にさらされている中国は、今、いやおうなしに「信用を重視しない」人たちは社会的に立ちゆかないようなシステムが社会の中に定着していかざるを得ない状況に置かれていると思います。

 最近、食品・薬品の安全性問題が国際的に取り上げられていますが、これらは「信用がいかに重要視されるか」という観点で、重大な中国の国内問題なのです。信用できない政府、企業、個人がきちんと排除されるようなシステムを作ることが、中国の国内問題として求められているのだと私は思います。

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2007年8月16日 (木)

地方の工事は人民代表が決めるという実験

 昨日(8月15日)付けの人民日報に、鎮(末端に近い地方政府のひとつ)がどの公共工事を実施するかを選択する際に人民代表による票決によって決めるようにした、という上海市の惠南鎮というところの話が紹介されていました。上海市は、日本の市とは違って非常に大きな行政単位ですので、上海市の中にある鎮は、上海市街地近郊にある農村といったイメージを持っていただければよいと思います。

「人民日報」2007年8月15日付け記事
「人民代表が票決で工事の実施を決定(身近なエピソード)」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2007-08/15/content_16300434.htm

 普通は、鎮が行う公共工事は、鎮の人民政府が鎮の共産党委員会の指導の下で決めるのですが、鎮政府は人民の本当にやって欲しいと思っている工事と違う工事ばかりやって人民の不評を買う、という例が多いので、ここで紹介されている上海市の惠南鎮では、実験的に人民代表(国会議員を選ぶ選挙人)が決めるようなシステムにしてみた、とのことです。人民代表とは、鎮の人民が鎮の人民代表を選び、鎮の人民代表が上部の地方組織である県の人民代表を選び、県の人民代表が省の人民代表を選び、省の人民代表が全国人民代表(国会議員)を選ぶ、というようなシステムになっている中国の選挙システムの中の選挙人です。本来は地方政府の行政をコントロールする立場の人ではありません。人民代表の選挙では、基本的に中国共産党の推薦がないと立候補できませんが、最も末端の鎮の人民代表は、その鎮の住民による選挙で選ばれますので、その選出には人民の意見は一定程度反映されている、といっても間違いではないと思います。

 この惠南鎮で行われた実験では、まず人民代表が、鎮に住む人民から、橋の掛け替えとか学校の建設とかやって欲しい公共工事を聴取してリストを作り、そのリストの中から人民代表の票決によって優先順位を付けてどの工事を実施するかを選定し、工事の進捗状況は人民代表がチェックする、というやり方を採用しました。鎮政府が勝手にどの工事をやるかを決められないようにしたのです。この結果、多くの人民が望む工事が行われ、人民は助かった、とのことです。また、ある地区では、農地を土地開発に提供したことにより農地を失った農民の就業が問題となっていましたが、この方式で工事選定をすることにより、農民に適切な就業機会が与えられ、この方式を採用するようになってから人民が上部機関に訴え出る事件(上訪事件)が一件もおきていない、とのことです(逆に言うと、この記述は、以前は「上訪事件」が起きていた、ということを意味しているわけですが)。

 本来、人民代表は国会議員を選ぶための選挙人で、地方政府に意見する役割ではないのですが、(自由選挙ではないとはいえ)人民による直接選挙で選ばれた人民代表に地方政府の行政を監視させる方法をとったわけです。以前、経済専門週刊紙「経済観察報」に載っていた記事で似たような方式を主張していた人がいました。

(参考)このブログの2007年7月29日付け記事
「地方政府幹部任用制度の民主化」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_2021.html

 地方政府の行政が人民の希望と全くかけ離れていることが多い、という現状に対する対処策として考え出された方式なのだと思います。

 従来から、地方政府レベルでは一定の民主化を進めるべきだ、という意見は中国でもあるのですが、地方政府の行政の進め方が人民の代表によって決められてしまうと、地方レベルの共産党委員会の存在意義がなくなってしまうので、共産党の地方組織の抵抗により、これまで地方政府の行政に対して人民の声が直接反映されるようなシステムは実現できていませんでした。この事実は、中国共産党の党の成立の歴史を考えれば、共産党の地方委員会は、そもそもその地域の人民の意見を聞いて地方政府の行政に反映させる役割を果たしているべきなのですが、今は、現実にはそうはなっていないことを示しています。現在の共産党の地方組織の幹部は、党の上部組織から任命され、権限を与えられていることをいいことに、その地域の人民の望むものとは関係のない行政を行っている例が多いのだと思います。

 惠南鎮で行われた「実験」は、共産党の地方末端組織の存在意義を否定しかねないものですが、このような「実験」をひとつの「成功例」として中国共産党の機関紙「人民日報」が報道したということは、おそらく、このような地方行政に対して人民の意見を反映させるシステムを作ることを、この秋の党大会へ向けて議論していこう、という党中央の意志の表れだと思います。

 地方政府の行政と人民との関係を改革しようという党中央の意識と、それに対する「抵抗勢力」になるであろう党の地方組織との間で、秋の党大会へ向けて様々な綱引きが行われるのだと思います。胡錦濤総書記の6月25日の中央党校で行った「重要講話」でも、地方政府の行政とその地域の人民の意向とのずれに対する危機感がにじみ出ていました。党中央が地方の人民の声をきちんと吸収できるように党の地方組織をきちんと指導することを期待したいと思います。

 ただ、このような地方レベルでの民主化の話は20年前から議論されており、いまだにここで紹介されているようなレベルでの「実験」しかできていない、ということは、この種の末端地方行政改革は、相当に難しい(抵抗が強い)のだろうと思います。しかし、ここまで広がった都市部と農村部の格差を考えると、もう待ったなしの状態に来ているのではないかと私は思います。

 秋の党大会で、きちんとした議論が行われ、前向きの結論が出ることを期待したいと思います。

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2007年8月15日 (水)

昼間の接待酒をやめたら半年で4300万元浮いた

 今日(8月15日)の人民日報で、昼間の会食で酒を飲むのを禁止したらこの半年で接待費用が4,300万元(約6億8,800万円)節約できたという河南省信陽市の例が紹介されていました。4,300万元という数字は、信陽市地区の地方政府の接待費用の約30%にあたり、この金額があれば小学校が40~50校建てられる金額だそうです。

(参考1)「人民日報」2007年8月15日付け記事
「『禁酒令』が信陽市にもたらしたものはなにか?」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2007-08/15/content_16253587.htm

 この「人民日報」の記事は、今朝の中国中央電視台(CCTV)の朝のニュース「新聞天下」でも紹介されていました。この記事は「信陽市の共産党委員会書記が、以前は、午後、赤ら顔でテレビ会議に出て来る幹部がいたり、昼食の前にカルタ遊びをやるのを習慣にしている幹部がいたりして、いったいいつ仕事をしているのだろうか、という状況だったのを問題視して、今年初めに『昼間の時間の禁酒令』を出しところ、今年上半期だけで接待費用を4,300万元節約することができた」というひとつの「成功例」として、信陽市の事例を紹介しているものです。この記事では、この「禁酒令」により、仕事の効率も向上して、信陽市の食糧生産やGDPも伸び、アルコール依存症のような病気の幹部も半減した、とその「成果」を強調しています。

 しかし、私がびっくりしたのは節約できた4,300万元という金額の大きさです。これで半年間の接待費の約30%にあたる、というのですから、接待費全体では半年で1億4,300万元(約23億円)という金額に上ることになります。「節約できた分の金額があれば小学校が40~50校建てられる」と記事にあるように、中国の物価水準からすると、この金額はとんでもない数字です。1日当たりにすると、78万元(約1,250万円)に相当します。この数字は、信陽市の市の政府だけではなく、その下の地方行政単位である県、さらにはその下の単位である郷のレベルの地方政府の接待費も合わせての数字だとのことです。中国の「市」という行政単位は日本の「市」よりかなり大きなもので、この河南省信陽市も地方都市とは言いながら人口780万人を数える規模の行政単位ですが、それにしても1日78万元(約1,250万円)の接待費、というのは多額過ぎます。私らが北京で会食をやる時は、夕食の場合でも1人当たり100元を超えると「ちょっと高いなぁ」という感じになります。私のいるオフィスビルの中国人の一般職員用の職員食堂の昼食の値段は1人10元(約160円)です。最近、北京などの都会の人はかなりスマートになって仕事上の会食でガバガバ酒を飲む人はほとんどいなくなったからかもしれませんが、北京という物価の高い都市に住む外国人の目から見ても、1日78万元という接待費用の金額は非常識です(1人100元としても1日に7,800人分ですからね)。

 「人民日報」の記事は、「禁酒令」を出して成功した話として紹介しているのですが、私としては、この金額を見て、中国の地方政府では、まだまだとんでもない浪費が行われているのだなぁ、と思いました。下の地方政府が上部の政府機関の人を接待するいわゆる「官官接待」は中国では今でも当然の如く行われているので、日本で考えているよりも中国の地方政府が使う接待費用の金額が大きくなるのは致し方ないところもあるのですが、それにしてもこの金額は大きすぎます。信陽市のある河南省は、人口が多く、中国でも比較的貧しい地域と言われています。一方で、先日のこのブログでも紹介したように、この中国には、都会に出稼ぎに出て、1回の食事を1~2元で済ませて我慢してでもお金を節約しようとしているような農民工の人たちが億の単位でいるのです。

(参考2)このブログの2007年8月12日の記事
「炎天下の農民工:人民日報のルポ」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_8b9b.html

 「禁酒令」を出して行政効率を上げた信陽市の共産党書記の施策を「成功例」として賞賛するだけで、そもそもの接待費用が高額過ぎることに触れない人民日報の感覚は、一般人民の感覚からは、相当にずれていると思います。

 別の見方をすれば、信陽市の党書記による「禁酒令」のような例が「ニュース」として人民日報に取り上げられる、ということは、他の地方政府ではこういった「成功例」があまりない、ということだと思います。北京にいるとあまり目に見えないのですが、中国の地方政府の乱脈ぶりは、実は相当程度に深刻なのかもしれません。この人民日報の「禁酒令」の記事は、そういった中国の地方政府の、ほとんど行政組織として機能していないと言っていいほどの乱脈ぶりの一端を窺わせたものであったように思います。

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2007年8月 6日 (月)

「小産権房」(集団所有地上の住宅)をどうする?

 「小産権房」、即ち村有地など集団が所有する土地の上に建てられた住宅(別荘、マンションなども含む)は、その集団のメンバー(村の場合は村民)以外には法律上の権利は及ばない、というのが中国の法律上の建前ですが、実際にはこれら「小産権」の別荘やマンションは多くの場合、都市住民など土地を所有している集団のメンバー以外の人に売却されています。この問題をどう扱うかが現在の中国の大きな社会問題になっています。この問題については、このブログの昨日の記事「ある北京近郊の村の『別荘商売』」でも書きましたが、ネット版人民日報「人民網」では、今日(8月6日)、この問題に関する特集記事をアップしていますので、今日も触れてみたいと思います。

ネット版人民日報「人民網」2007年8月6日00:29アップ
「拆(チャイ)! 『小産権房』は生死の瀬戸際に直面している」
http://politics.people.com.cn/GB/30178/6072490.html

(注)「拆(チャイ)」とは、機械や建物を解体する、取り壊す、という意味です。取り壊す予定の旧い建物には「危険なので中に入らないように」という意味も含めて○の中に「拆」の字を書いたマークがペンキで描かれます。今、北京でも、この「拆」のマークが書かれた旧い建物をあちこちで見ることができます。

 上記の特集記事では、過去に書かれたいくつかの記事をまとめながら、問題点となっている現象をいくつかピックアップして報じています(それぞれの段落の「詳細」というところをクリックすると、過去に書かれたこの問題に関する様々な記事にリンクするようになっています)。

 山東省済南市では、この7月、市行政当局が違法な「小産権房」を強制的に取り壊しました。その様子が写真入りで紹介されています。この強制取り壊しに対して、済南市当局のスポークスマンは、次のように説明しています。

○村有地などの集団所有の土地の上に建てられた住宅(「小産権房」)は、法律上何らかの規定があるわけではない。

○法律上の許可を得て建てられた合法的なものもあるが、法律に従った許可を得ずに建てられた違法な「小産権房」は、許可がなく建てられているため、市全体の都市計画に合致していない。

○我々は何回も工事の停止や警告を発した。口頭での警告を何回もし、その後、文書による警告も出した。度重なる警告にも係わらず工事が続行された場合は、電気の供給を停止することなどにより工事を停止させた。法律に違反し、都市計画に合致していない建物は強制的に取り壊さざるを得ない。

○違法な建物であることを承知の上でこの住宅を購入した者は、法律上、当然補償の対象とはならない。

○許可なく建てられた違法な『小産権房』は、劣悪な材料を使っているかもしれないなど、安全性は誰も保証していない。一般市民が出入りすることになることを考えると、絶対多数の人を保護するためには、法律に基づき処理せざるを得ない。

 この特集記事の筆者は、何千万元(日本円で億円単位)も掛けて建てられた新品の「小産権房」を何百万元(数千万円単位)のお金を掛けて取り壊すのは、いくら違法とは言え社会経済上の損失が大きすぎるし、社会不安の原因にもなりかねない、そもそもこれらの建物は建設労働者の血と汗の労働の成果であることを忘れてはならない、と述べるなど、強制取り壊しには批判的な立場で書いています。この記事の筆者は、違法な建設ならば、そもそも建物が建てられる前に強制的に工事を止めるべきである、と主張しています。

 一番最後には北京市での事例として、農民が村の土地の上に建てた別荘を北京市に住む画家に売ったことに関する裁判の例が載っています。農民は、売買契約を交わして北京の都市部に住む画家に「小産権」の別荘を売ったが、後になってこの別荘は違法なものだから売買契約は無効であって、現在でも画家から使用料を徴収できるはずだ、として裁判を起こしたものです。一審では農民側が勝訴しました。裁判所は、売買契約は無効で、別荘に対する農民の権利は現在でも残っている、との判断を示したのです。この裁判は、別荘を買った画家側が判決を不満として上級審に控訴しているためまだ結論は出ていません。この北京の画家と農民との裁判に関する記事(7月30日付け「中国経済週刊」記事)の筆者は、農民は、正式に書面による売買契約を結んで画家に別荘を売ったにも係わらず、最近の不動産ブームによる別荘の価格の急激な値上がりを見て、自らの権利を回復させたいと思って裁判を起こしたのだが、こういった行為を裁判所が認めてしまうことは、法律上の解釈としては間違っていないのかもしれないが、双方が合意の上で成立した「売買契約」が後で覆ることになり、「合理的」とは言えないのではないか、と批判しています。

(参考1)ネット版人民日報「人民網」にリンクされた「中国経済週刊」2007年7月30日(第29期)の記事
「画家と農民との『小産権房』を巡る争いについて裁判所が判断」
http://paper.people.com.cn/zgjjzk/html/2007-07/30/content_14196299.htm

 土地に対する権利、というのは、いつの時代でも、社会の最も根本をなす法律上の位置付けのひとつです。「土地は全て国有、または集団所有で、個人による私有は認めない」という社会主義の大原則に立っているのが今の中国です。その中国において、市場経済を導入し、現在、資本主義社会のような土地開発ブームが起きているわけです。中国の土地ブーム(不動産ブーム)においては、土地については現在でも私有は認められておらず、例えば70年間といった期限付きでのその土地の「使用権」が売買されているにすぎませんが、この「長期にわたる使用権の売買」は、実態的には「所有権の売買」に限りなく近い、ということが、法律上の「タテマエ」と経済実態との矛盾を生じさせ、様々な問題を表面化させているのです。「小産権」問題は、社会主義の原則の上に立って市場経済原理を急速に導入してきた現在中国の経済社会の矛盾を象徴する典型的な問題のひとつと言うことができると思います。

 個人や企業の「所有権」について何を認めるか、について定めた法律「物権法」が今年3月の全国人民代表大会で成立し、今年(2007年)の10月1日から施行されることになっています。

(参考2)全国人民代表大会のホームページにある中華人民共和国物権法(中国語)
http://npc.people.com.cn/GB/28320/78072/78092/5487932.html

 そもそも今まで「所有権」に関して規定した「物権法」がない状態で市場経済を導入してきたこと自体が政策の進め方としては順番が逆なのであって、様々なところで矛盾点が出てくるのは当然である、という議論はよくなさるところです。中国の場合は「人民を豊かにする」という最終目標を達成するため、制度の改革をその成果を見きわめながら徐々に行ってきているため、どうしてもこういう「制度改革の逆転現象」が起こる場合があります。「小産権」問題もこの「政策と現実との逆転現象」が生み出した問題のひとつですが、上記の特集記事の筆者が言っているように、多額の資金を掛けて作られたピカピカの「小産権」マンションを「違法だから」という理由で取り壊してしまうのは、国民経済上の大きな損失ですから、こういう損失が起きないよう、うまく多くの人が納得できる解決策を考え出して欲しいものだ、と私も思っています。

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2007年8月 5日 (日)

ある北京近郊の村の「別荘商売」

 最近の中国の住宅ブームに乗った大都市近郊の農村における「開発」の一例として、北京の大衆紙「新京報」が密雲県(行政区域としては北京市内:北京の市街地から車で1時間半くらいのところにある農村地帯)のある村の最近の様子をルポしています。

「新京報」2007年8月3日付け記事
「ある村の共産党支部書記の『小産権』住宅を使った商売の経緯」
http://news.thebeijingnews.com/0547/2007/0803/011@280934.htm

(注1)「小産権」とは、村のような集団所有の土地の上に立てられた住宅物件に関する権利またはその権利の対象となっている住宅物件のこと。中国は社会主義国なので、土地の私有は認められておらず、全ての土地は国有か、そうでなければ村などの単位の「集団」が所有している土地です。法律の建前上、国有地の上に建てられた住宅ならば、一定の使用料を支払えば全ての国民にこれを利用する権利がありますが、集団所有の土地の上に建てられた住宅については、その集団のメンバー(村の場合は村民)以外の者がその住宅を使用する権利はないはずです。しかし、実際には、農村部の村が所有する土地に建てられた別荘などを都市住民が購入して利用している例が全国に数多くあります。こういった不動産に対する権利を中国語で「小産権」または「郷産権」と言います。今年6月25日、国土資源部と北京市当局は、今後「小産権」の住宅・マンションの工事・販売を停止する方針を発表しました。しかし、既に建設・販売が行われている「小産権」の住宅・マンションをどうするのか、既に購入した人の権利はどうなるのか、などの方針が明らかにされておらず、実態的には、多くの場所で、いまだに「小産権」の上に建てられた住宅・マンションの建設工事や販売は行われています。

(参考1)このブログの2007年6月26日付け記事
「北京では耕地などに作ったマンションの売買を停止」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_94bc.html

(注2)中国では各地方政府の共産党委員会の書記(トップ)はその地方政府の首長よりも地位が高く、実質的な行政の最終判断は党書記が行います。村の場合は、村長よりも、共産党の村支部の書記の方が地位が高く、村支部の書記が実質的な政策の判断責任者です。

 「新京報」のルポルタージュが述べているこの村の共産党支部書記が採った方策のポイントは以下のとおりです。

○村民の旧い住宅を取り壊してひとつにまとめ、新しい村民住宅を建設する。

○村の耕地2000ムー(133ha)を回収し、一部は乳牛の飼育場と野菜生産地にし、残りには別荘を建てて売りに出す。

○村民には、乳牛飼育場または野菜生産地で働いてもらうことによって就業問題を解決させる。別荘を売って得た収入は、耕地を提供した村民に対する食糧補助に充てるほか、新しく建てた村民住宅の水道代、冬季の暖房代などに充てる(従って、村民住宅に入る村民は、水道代、暖房費などを払わなくて済むようにする)。また、別荘を売って得た収入で、老人に対する補助金などを支払う。

 2003年から売り出された広さ220平方メートル以上の豪華な別荘は、場所が北京市街地に近いこともあり、2003年は30万元、2004年には40万元、2005年には50万元で売れ、昨年(2006年)末には100万元(約1,500万円)以上で売れました。そのため、耕地を提供した農民に対する補助を行うことも十分に出来、老人に対する補助金などは他の村よりも多額にすることができたため、村民の中で文句を言う人はあまりいませんでした。

 しかし、ある乳牛農家は、自分の家を引き渡す際の補償金の額が十分でないと考え、旧い自分の家を取り壊して新しい村民住宅に移転することを拒否しました。

(注3)こういう土地開発に対して単独で移転に反対する家のことを、中国語で「釘子戸」と言います(中国語の「新語・流行語」の類です)。「釘(くぎ)のような家」というような意味です。開発業者による「地上げ」に反対する「釘子戸」の様子は、最近、日本でもよく報道されるので御存じの方も多いと思います。

 村の書記は、この「釘子戸」の乳牛農家に対し、村の獣医による診察を停止させる、という措置を執りました。これに対し、この乳牛農家は、村の書記による獣医の診察停止は違法である、として裁判を提起しました(この裁判は、8月2日から審理が開始されました。「新京報」の記事は、この裁判の審理開始をきっかけとして書かれたものです)。

 法律では、耕地をつぶして住宅や別荘を建てる際には、上部機関の許可が必要です。この書記は上部機関の許可を取らずに、別荘と村民住宅の建設を進めました。上部機関(密雲県国土資源局)はこれを問題にし、昨年、この村に対して罰金250万元(3,750万円)の行政処罰を科しました。しかし、別荘の価格の高騰で、別荘の売り上げ収入が十分にあったことから、この書記は罰金250万元を支払ったとのことです。罰金は支払ったが、上部機関の許可を得る手続きはいまだにやっていないとのことです。「罰金」という処罰が、お金持ちにとっては実質的には痛くもかゆくもなく、罰金を支払った上で平気で違法状態を続ける、という最近の中国のよくない傾向のひとつの例です。

(参考2)このブログの7月28日の記事
「『なんでもかんでも罰金』の功罪」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_a073.html

 かつてこの書記の前任の書記だった人は、このやり方に反対しています。今は、別荘が値上がりして売れているからいいものの、耕地だった土地を全て開発してしまって売り尽くしてしまった後は、村民はメシを食うすべを失ってしまうからです。これに対して現職の書記は、「農地を耕して農業をやるのは儲からない」として、まだ開発が始まっていない耕地でも全く耕作を行わず、荒れ放題にしたままにしてある、とのことです。

 6月25日に国土資源部と北京市当局が「小産権」の住宅・マンションの工事と販売を停止する方針を発表した後も、この村での別荘の工事は続けられているそうです。「新京報」のこのルポルタージュでは、裁判の対象になっているからだと思いますが、あえてこの書記の政策がいいとも悪いとも言わず、淡々と事実関係を伝えるだけに留め、「新京報」としての意見を表明するのは差し控えています。

 「小産権」の住宅・マンションについては、6月25日に国土資源部と北京市当局による工事・販売の停止方針の発表の後、各新聞紙上で「実際にこれだけ売買が行われているのに、いきなり停止なんて無理だ」「既に購入した人の権利はちゃんと守られるべきだ」などいろいろな議論が行われました。一時期「近々国務院でこの問題に関する会議が開かれ、方針が示される見通し」という記事も載ったことがあったのですが、その後、具体的には何の動きもありません。一部の「小産権」を開発している村では、「販売」という看板を「賃貸」に書き換え、「我が村の物件はあくまで村民の所有物である。それを都会の人に70年間という期間限定で賃貸して利用してもらい、その賃貸料(利用料)を最初に一括して支払っていただこう、というものである。賃貸しであるから、販売には当たらず、従って法律上は何の問題もない。」と説明しているところもあるそうです。「おかみに『政策』があれば、我々しもじもには『対策』がある」という中国ならではの現象ですが、急激に成長を続ける中国経済を示す数字の中には、こういった形の「開発」によるものも含まれている、ということは、常に認識しておく必要があると思います。

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2007年8月 1日 (水)

小売価格を政府がコントロールしないようにとの通知

 最近、中国の消費者物価の上昇はかなりの高いレベルです(6月の消費者物価指数は対前年比4.4%高)。そこで、今、物価の安定が政府の重要な課題なのですが、この6月頃、セン西省(センはこざとへんに「狭」のつくり)の蘭州市で、蘭州名物の「牛肉麺」の値上がりが激しいため、市政府が「牛肉麺の価格は2.5元以下にせよ」という通知を出して話題になったことがありました。この時は、「そもそも市政府が牛肉麺の価格をいくら以下にしろ、などと指示することはおかしい」「いや、貧しい市民ためには必要な政策だ」「値段の上限を決められたら、お店は品質を落として売るだけだから、消費者としては全然ありがたくない」など、様々な議論がなされました。

 最近、ときどきこういうことが起こるので、中国政府の国家発展改革委員会は、地方政府に対して「物価の安定には努力すべきだが、正常な経済活動が行われている限り、地方政府は価格決定に直接係わるべきではない」との通知を出しました。

(参考1)「新京報」2007年7月31日付け記事
「発展改革委員会、地方政府に価格を提示するのを控えるようにと指示」
http://news.thebeijingnews.com/0546/2007/0731/011@280084.htm

 これに対して、翌日の今日(8月1日)の「新京報」の「観察家」という評論欄では、「市場のことは市場に任せ、政府は政府がやるべきことをやるべき」として、この発展改革委員会の通知を肯定的に論評しています。

(参考2)「新京報」2007年8月1日付け評論欄「観察家」
「物価が上昇すればするほど、政府権力の境界を明確にすべき」
http://comment.thebeijingnews.com/0845/2007/08-01/011@012142.htm

 この論評では、市場の動きは市場に任せるべきで、政府は、価格設定を自ら行うようなことをせず、政府が行うべき政策の範囲を明確にして、低所得者に対する保護対策としては、補助金の支給や社会保障を充実させるなどの対策に集中すべきだ、と指摘しています。

 長年、自由主義経済の中で暮らしている日本の人々にとっては、政府が牛肉ラーメンの値段を決めるなんておかしい、と感じる人が多いと思いますけど、中国は社会主義国なので、日本の感覚よりも政府がかなり細かい経済活動にまで直接的なコントロールをしようとする傾向があります。日本などの自由主義経済の国々でも、電気、ガスなどの公共料金やタクシーなどの交通機関の料金は、かなり政府によるコントロールがなされてきました。政府が、具体的な価格にどこまで介入するかは、まさに政策判断の問題です。今、日本などでは政府のコントロールをできるだけなくす方向に動いています。中国の場合は、社会主義という大前提の中で市場経済が導入されてきており、経済発展とともに、いろいろ制度改革を行ってきているので、政府や企業、消費者などの経済活動に参加しているプレーヤーたちの間に、政府がどの程度具体的な小売り価格に介入すべきか、という「相場観」が共通認識としてまだでき上がっていません。「牛肉麺」のような、一般小売り商品の価格を政府が決めてしまおうとした蘭州市の試みは、現在の中国経済の現状には合わないものだと私は思うのですが、地方政府の当局者の中には、まだまだ「政府が価格をコントロールできる(コントロールすべき)」と思っている人がたくさんいるようです。

 先月、広東省深セン市(センは「土」へんに「川」)の市長が、車が増えすぎた市内の状況を憂慮して「市民は、公共交通機関を利用すべきで、車を買うのは控えるべきだ。」と発言して不評を買ったことがありました。

(参考3)China Daily 2007-07-06
"Shenzhen mayor: Stop buying cars"
http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2007-07/06/content_911196.htm

 車を買う買わないは個人の判断であり、政府がコントロールすべきものでも、コントロールできるものでもありません。香港に隣接し、最も経済的に最先端を行っていると思われている深セン市の市長の発言だっただけに「まだ政府がそんなに市場経済に介入できると思っているのか」という市民の反発があったようです。

 地方政府の担当者が、現実の市場の実情とかけ離れた政策を取ってしまうのは、地方政府が市場のことをよく知らないから、と言えばそれまでですが、地方政府のトップが住民の選挙で選ばれているのではない、という実情、つまり経済は市場経済化されているが、行政には市場経済のようなフィードバック機構が働いていない、というところに原因があると私は思っています。

 中国は、改革開放政策を採るようになって以来、社会主義と市場経済との間の「さじ加減」をいろいろな経験を踏まえながら、うまくコントロールしてやってきていると思います。しかし、いまだに「牛肉麺」の値段を政府が決めようとする動きがあるところを見ると、改革開放後既に29年が経とうとしているのですが、まだうまい「さじ加減」は見つかっていないようです。経済社会は日々変化していますから、うまい「さじ加減」がわかった、と思ったら、実体経済は既に変化してしまった、ということの繰り返しなのかもしれません。昔から、中国は「実事求是」(事実に即して真理を追求する)をモットーとしてきましたし、毛沢東は特にこれを重要視しました。逆の見方をすれば、今回の発展改革委員会による地方政府が原則として価格に介入することのないように求める通知は、中国の経済政策システムが、ひとつのシステムとしてまだ固まっておらず、正しい回答を求めて今でも流動的に動いていることを端的に示しているものだと思います。

 中国と関係を持って行こうとする人は、常に「動きながら考える」という姿勢が大事なのだろうと思います。

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2007年7月29日 (日)

地方政府幹部任用制度の民主化

 最近の中国の地方政府が地域住民のための行政を行っていない、と批判される問題について、2007年7月30日号(7月28日発売)の週刊紙「経済観察報」の「観察家」(オブザーバー)の欄は、「人民が地方政府の幹部を管理することは何ものにも代え難い」と題する記者と有識者2人との座談会を掲載しています。有識者の一人は、山西省政治協商会議副主席の呂日周氏、もう一人は長年政府改革について研究してきた国家行政学院教授の竹立家氏です。

 彼らは、この6月に発覚した山西省の悪徳レンガ工場事件(このブログの下記の記事を参照)が特に注目を集めたが、最近、土地管理、マンション開発、株式市場と金融界との関係などにおいて、地方政府の幹部と特定企業との癒着が問題となり、基層段階での政治の体制が悪化している、これは本来行政によって守られるべき人民がこれら地方政府の幹部の責任を追及できるような制度になっていないことに問題の源がある、と鋭く指摘しています。

(参考)このブログの2007年6月15日付け記事
「山西省の悪徳レンガ工場での強制労働事件」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_54d1.html

 特に竹立家氏は、選挙で選ばれた人民代表(国会議員)による地方政府に対するチェック機能を強化するのも一つの方法だが、現在、人民代表の60%は地方政府の役人であり、このような状態ではチェック機能は果たせない、と指摘しています。また、竹立家氏は、「一般大衆は人民代表に対する拘束力や決定権を持っていない。もし、人民代表が民主的な選挙で選ばれたのでないのならば、政府権力に対して有効な監督をすることはできない。」と指摘しています。さらに竹立家氏は、中国共産党内部の党内民主制度を確立すべき、と主張しており、「中国共産党が指導の下で」という大原則は否定していないし、西欧諸国のような三権分立には賛成しない、との立場を取っているものの、行政、司法、立法がそれぞれ一定の権限を分離させ、互いに牽制しあう制度が必要、と指摘しています。呂日周氏も、現在の「党が地方政府の幹部を決める」というやり方は考え直すべきで、「党が人民を代表して幹部を決める」または「党の指導の下で人民が幹部を決める」あるいは「党が人民に幹部を決めるように指導する」といったやり方をすべきだ、と主張しています。

 もっとスッキリと「中国共産党の意向とは全く関係なく、人民が地方政府の幹部を選べるようにすべきだ」という主張があってもよさそうなのですが、そのような考え方は「中国共産党による指導」という中華人民共和国憲法が定める大原則からはずれた主張であり、もし仮に誰かがそのような考え方を持っていたとしても、そのような考え方が中国の新聞に載るはずはありません。従って、上記の二人の考え方は、ある意味で、現在中国で発言することが許されているギリギリのラインを示していると思います。

 今まで、このブログで何回か取り上げて来たように、地方政治のあり方を何とかしなければならない、そのためには、「中国共産党による指導」という大前提はそのまま残しつつも、地方の人民による地方政府のチェック機能を何らかの形で導入する必要がある、という論調は、複数の新聞で散見されるようになっています。具体的にどのような形で「チェック機能」が導入されるかはまだわかりませんが、問題が発生した場合にそれを直そうとする「フォードバック機能」がないと社会がよくならない、ということは、中国の指導部もわかってきていることから、この秋の党大会へ向けて、地方政府レベルでの何らかの政治改革の具体的な提案が議論されることになるのではないか、と私は思っています。

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2007年7月28日 (土)

「なんでもかんでも罰金」の功罪

 中国に来て感じるのは、いろんな規則や行政命令に対する違反に対する懲罰として、やたらと「罰金」が多いことです。

 先日も、私が住んでいるアパートメントの大家さんから、公安局に届け出る資料にするためパスポートの写真の部分とビザの部分のコピーを提出するように求められました。外国人はビザの有効期限が切れた後も中国に滞在していたら「不法滞在」になるわけですが、この大家さんからの要請のメモには「ビザの期限が切れていた場合には、毎日500元(約8,000円)の罰金が課せられますので御注意ください。」と書いてありました。毎日8,000円の罰金は確かに痛いですが、逆に言うと、もし仮にビザの延長手続きが終了するまでこの金額の罰金を払い続けていれば「不法滞在」も大目に見てくれるのだとすると、「『不法滞在』ってその程度のものか」と思えてしまうし、何となく釈然としていないものを私は感じました。

 先日の「新京報」では、相次ぐ炭鉱事故に業を煮やした山西省では、炭坑で死亡事故が起きた場合には、一人あたり20万元の賠償金のほかに死亡者一人あたり100万元(1,600万円)の罰金を徴収する、という法律案が検討されているそうです。

(参考1)「新京報」2007年7月26日記事
「山西省、不法炭坑には死者1人に対して罰金100万元を課す規定を起草」
http://news.thebeijingnews.com/0565/2007/07-26/034@030301.htm

 さすがにこの規定は、国の他の法令との整合性が取れないことから成立しない可能性が大きい、とこの記事では伝えています。私などは、死者が1人出るたびに膨大な罰金が地方政府に入るような制度にしてしまったのでは、地方政府は死者が出ないよう努力するのをサボるようになるのではないか、と思ってしまいます。

 この日の「新京報」では、2006年の財政収入が966.2億元の北京市で、罰金及び没収した物品の価額が年間20億元(約320億円)近くに達していることから、罰金や没収した物品の処理制度を透明性のあるものにすべき、との議論がなされていることが報じられています。

(参考2)「新京報」2007年7月26日記事
「罰金・没収品の統一的な管理方法を確立へ」
http://news.thebeijingnews.com/0554/2007/07-26/021@278900.htm

 環境汚染に対する行政罰も罰金形式のものが多く、悪質な企業の中には、罰金を払っても排水を垂れ流していた方が儲かるから、として、罰金を払って汚染物質の垂れ流しを続けるところもある、と聞いています。一人っ子政策も違反者に対する罰則は罰金なので、最近のお金持ちの中には罰金を払って二人目、三人目のこどもを産む人もいる、というような話も聞きます。

 ちょっとした法令違反ですぐに逮捕・懲役といったことになる強圧的な政策よりも「罰金」の方がソフトだとは思うのですが、何となくこれが「金を払えばいいんでしょ」みたいな風潮を産んでいるのではないか、ちょっと心配です。根本的には中国の人たちが「法令や規則は『おかみ』が決めるもので、自分たちの代表が作っているわけではない」と思っていることが問題なんですが、いろんなところにある「罰金制度」も、中国において遵法意識がなかなか定着しないひとつの原因ではないか、と私は思っています。

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2007年7月15日 (日)

中国の地方政府の監督には民主的監督制度

 中国の地方政府に勝手に権限を振るわせないようにするにはどうしたらよいか、という問題について、7月14日付けの「新京報」に「最終的には民主的監督制度を作るしかない。もし、地方の選挙民がその地方の人民代表を通じて予算をコントロールできれば、地方政府が豪華な庁舎を造るような問題は起こらない。」と指摘している署名入り論評記事が掲載されています。

「新京報」2007年7月14日付け
「豪華な庁舎は、単なる道徳の問題ではない」(張千帆)
http://comment.thebeijingnews.com/0732/2007/07-14/014@073024.htm

 この評論の論旨は比較的明快で、以下のようなポイントのことを言っています。

○インドやパキスタンなどの発展途上国はもちろん、アメリカの裕福な地方政府の庁舎でもそんなに立派ではない。100年以上前に建てられた古い建物を使ったりしている。これは別にアメリカの地方政府が思想的に立派だからではない。地方政府の予算は、住民の選挙で選ばれた議員による議会で決められているが、議員は豪華な庁舎を造るのを認めて住民の反発を買ったら、選挙で負けて職を失うからである。

○中国共産党中央規律委員会は、この4月末に庁舎建設プロジェクトを整理するよう通知を出し、問題があったら報告するように求めているが、問題は、地方政府が問題があるのに中央に報告しなかった場合、どうするかだ。

○中国は30以上の省・直轄市、2,800以上の県、37,000以上の郷鎮という地方政府が非常に多く存在する国である。中央政府は、いくら努力してもこれら全ての地方政府を監督することはできない。

○例えば、中央電視台が「豪華な庁舎がある地方では、インターネットで写真を送るように」といったキャンペーンをやったりしているが、こういうネットやメディアで取り上げられることは、問題を摘発するきっかけにはなるのは確かだが、問題が解決するのは、みなメディアなどが問題を取り上げた後のことである。

○地方の人民代表が地方政府の予算をコントロールできれば、豪快な大庁舎が建てられるような問題は起きないだろう。

 現在、中国では、一番下のレベルの地方行政組織である村民委員会では、複数立候補による選挙が行われていますが、それより上の郷鎮レベル、県レベル、省レベルの人民代表は、基本的には中国共産党の推薦による立候補なので、一種の信任投票のような形になっています。上記の「新京報」の論評は、選挙制度について何か意見を言っているわけではなく、地方政府の予算に対して既存の制度で選ばれた人民代表によるコントロールが効くようにすべき、と主張しているのです。人民代表は、本来は全国人民代表(国会議員)を選ぶための選挙人であり、地方政府の動きをチェックする機能はありませんが、上記の評論の主張は、地方政府の行政に対して(信任投票とは言え)住民の選挙で選ばれた人民代表のチェックが働くようにすべき、としている点が新しい視点だと思います。

 中国では、憲法において、中国共産党による指導が明示的に規定されていますので、中国共産党が多数派を占められない可能性があるような選挙制度は、そもそも憲法上認められません。そういった原則の下で、省や県といった地方政府レベルで、住民のチェックが働くようにすべき、という主張は、今の中国における新しい動きとして注目されるところだと思います。

 地方政府に対する住民によるチェックとは、また違った別の観点ですが、同じ7月14日に発売された「経済観察報」(2007年7月16日号)の「観察家」(オブザーバー)という欄に、政府による福利と経済的自由との関係について論じた清華大学歴史学科教授による秦暉のネット上での議論のやりとり(5月24日に実施)が掲載されています。秦暉教授は、経済的自由をどの程度認め、政府がどの程度経済活動に介入して福利政策を行うか、は、最終的には、国民が選挙を通じて決めるべきものである、と述べています(この問題は、中国共産党による指導が大前提である中国においてはなかなか微妙な問題であり、あまりズバリと明確には主張がなされていないので、文章はかなり難解です)。中国の場合、完全な民主的制度を確立するのは、現時点では、非常に難しい、という見方もあり、うんぬん、とあまり明確に結論は出していないのですが、民主的選挙を今の村民委員会のレベルから一歩進めて、郷鎮レベルにまで拡大することは有意義なことだと思う、と秦暉教授は述べています。

 秦暉教授の議論は、憲政民主制度の基本は「代表なくして納税なし」である、という観点から出発していますので、上記の「新京報」の論評と考え方として相通じるところがあると思います。

 上記のような評論や議論が新聞に登場しているということは、地方政府の行政をどのようにしてチェックしコントロールするか、が今一番大きな問題になっていますので、もしかすると、この秋の党大会では、郷鎮レベル程度の下層の地方レベルでの選挙制度の改革も議論の俎上に上ることになるのかもしれません(今は、新聞にいろいろな意見を書かせて、世論の反応を見ているところだと思います)。

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2007年7月14日 (土)

「富める政府」「貧しい庶民」

 「『富める政府』『貧しい庶民』この政治理念は何なのか」と題する論評が7月13日に新華社の論評記事の欄にアップされました。

(参考)「新華社」2007年7月13日00:00アップ
「『富める政府』『貧しい庶民』この政治理念は何なのか」
http://news.xinhuanet.com/comments/2007-07/13/content_6364843.htm

 この記事では、投資金額4000万元(6億4000万円)以上、総面積16,724平方メートルのセン西省靖辺県の靖辺県共産党委員会・人民政府の庁舎ビルディングと、同じ靖辺県の中にある壁がはげ落ち、床も老朽化した教室で勉強する幼稚園のこどもたちの写真を並べて掲げて、「これは何なのか!」と怒りの評論を展開しています(上記のアドレスを見ると、二つの写真が見られますので、御覧下さい)。
※セン西省の「セン」は、こざとへんに「狭」のつくり

 この論評記事が主張しているポイントは以下の通りです。

○セン西省靖辺県政府は、最近の中国全体の経済発展の波を利用して、地元の資源を利用して収入を増やしてきたが、それを地方政府と地方政府の役人が『自分で食べてしまって』、豪華な庁舎を建設したり、争って大型土木工事を行ったりしている。

○大きなビルが林立し、道路も立派になり、ホテルやダンスホール、公衆浴場などは立派なものができているが、農民は依然として危険でボロボロの土レンガの家に住んでいる。

○この地方の主要産業である羊飼い業については、牧草の減少が問題となっているが、政府は「放牧は禁止する。放牧したら罰金を徴収する。」といった政策を採るだけで、根本的な解決のための政策を講じていない。

○放牧を見つけたら、その都度1000元の罰金が徴収される、放牧民の中には2年間で6回、6000元の罰金を取られた人もいるが、平均年収2,022元のこの地区で、この罰金の額が何を意味しているのかわかっているのだろうか。

○かつて解放戦争の時は、党と軍隊は、人民の困苦を理解し、人民の利益を代表して、命を懸け、血を流して刻苦奮闘し、ようやく政権を獲得した。今の「富める政府」「貧しい庶民」という現状について、草場の陰の革命戦士たちがこれを知ったら、どう思うだろうか。

 この記事からは、記者の正義感から来る強い「義憤」を感じます。この記事では、一部の地方官僚が一般大衆の気持ちから大きく離脱して、最も地域に密着した基層レベルの地方政府がだんだんと「変質」してきているので、監督の方法を強化し、地方権力を制限し、最下層の幹部の仕事のやり方を粛正することが急務である、と結んでいます。この最後の部分は、おそらく、現在、秋の党大会へ向けて、党・中央の内部で検討が進められている政策の方向性を指し示すものとして注目されるところです。

 最近、新華社をはじめとする中央の公式メディアが「地方政府は何やってるのか。けしからん。」といった憤りに満ちた記事を頻繁に流しています。これは、ある意味で地方政府の横暴に対して不満が溜まっている多くの人民の声を代表し、その不満が大きく溜まらないようにするための「ガス抜き」の意味を果たしているとも言えますが、これだけ毎日のように報道されると、一般大衆の間に「そういった地方政府をコントロールできていない中央政府がそもそもけしからん。」という声が高まるのではないか、とちょっと心配になります。6月25日に出された胡錦濤総書記の「重要講話」とそれに関する人民日報の論評では、こういった問題に対する危機感がにじみ出ており、「何とかしなければならない」という自己反省が強く打ち出されているのですが、現在までのところ、どうしたらそれを打開できるか、という具体的な政策は打ち出されていません。地方政府の権限は、今既に「既得権益化」しており、これを中央が強圧的に制限するとなると、地方政府からの強烈な反発を招きかねません。広範な人民の不満を解消し人民の要求を聞き入れようとする政策と、既得権益化した地方の「抵抗勢力」との間をどういうふうにバランスさせて、安定的な経済成長を続けていくことができるか、が、これから秋の党大会へ向けての大きな政治課題だと思います。

(注)中国語の中で「窮百姓」という言葉が出てきますが、中国語では「百姓」とは、一般庶民のことであって、農民だけのことを指す言葉ではありません。

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2007年7月13日 (金)

中国の地方政府による無秩序な土地開発

 地方政府が中央の方針を守らないで勝手に権限を振るっていることが、今、中国では大きな問題になっています。中国では、改革開放路線の中で、企業による市場での競争を経済発展の原動力にしてきたように、地方行政の面においても、中央は、できるだけ地方に権限委譲し、地方政府の判断で処理できる範囲を拡大し、地方政府の間で競争をさせて、それを地方の発展の原動力にしてきました。中央政府自身は、地方政府がルール違反をしないよう監督する立場という一歩退いた位置に自分を位置づけています。

 しかし、地方政府が大きな行政権限と経済的裁量権を持ったために、今、各地方政府が勝手に事業を行い、国全体からするとマイナスになりかねない事態がいろいろなところで起きています。河川や湖沼の水質汚染、大気汚染などの環境問題もそのひとつですが、土地問題ももうひとつの大きな問題です。本来は、全国レベルでは食糧確保等のため一定量の耕地面積を確保しておく必要があるのですが、地方では、それぞれの独自の判断で農地をつぶし、住宅や工業団地に開発する計画が進んでおり、全国レベルで耕地面積が減少傾向にあります。これら全国の土地利用の現状について、7月12日、中国政府の国土資源部の部長(日本の大臣に相当)ら幹部が記者会見で説明しました。この記者会見での説明によると、国として守るべき最低の耕地面積である18億ムー(120万平方km)は確保できているものの、2007年1月~5月だけで24,245件、土地面積にして22万ムー(約147平方km)の違法な土地使用が見つかった、とのことです。

 記者の質問に答えて、国土資源部の幹部は、違法案件の土地の面積にして80%が地方政府または政府関係機関が主体となって違法行為を行ったものであると説明しています。

(参考1)「新京報」2007年7月13日記事
「違法な土地利用の主体の80%は政府」
 http://news.thebeijingnews.com/0565/2007/07-13/014@024657.htm

※国土資源部長らの記者会見の議事録(全文)は下記のサイトで見ることができます。

(参考2)中国網(2007年7月12日「国家土地監察制度の実施状況に関する記者会見ネット実況中継」(文字記録))
http://webcast.china.com.cn/webcast/created/1346/36_1_0101_asc.htm

 違法な土地の開発の8割が地方政府または政府関連機関自身が主体となって土地開発を行ったもの、という状況では、一般の商業開発業者は、法律に基づき、必要な許可をきちんと取ってから土地を開発しようという気持ちは起きないと思います。

 また、中国中央電視台(CCTV)が7月5日に放送した番組「焦点訪談」では、浙江省のある村で村の政府自身が農地をつぶして別荘群を建設したことを取り上げていました。中国では、「新農村建設」といって、農民の住居を新しく建て直す開発計画がどんどん進んでいます。基本的にこのような宅地の建設は、農地をつぶして行う場合、上部機関である鎮(村のひとつ上の地方行政単位)の許可が必要ですが、この別荘建設は、許可が得られる前に建設を開始してしまった違法な開発でした。

 上部機関である鎮の政府は、この別荘の建設に対して「許可が得られていないので建設を中止するように」との通知を2年前に出しましたが、村による建設は続けられました。鎮政府の方では、建設中止通知を出した以降は、何のアクションも取っていませんでした。

(参考3)中国中央電視台「焦点訪談」2007年7月5日放送
「村での違法な別荘建設」
http://news.cctv.com/society/20070705/108976.shtml

 上記のページの写真を見れば、相当に立派な別荘団地が造られていることを御覧いただけると思います。番組では、この別荘の価格は1戸60万元(約960万円)であるのに対し、村の一般的な村民の収入は年間1.1万元(約18万円)であるので、村の中ではごく少数の金持ちしか買えないのではないか、と指摘しています(村の中で売れ残った場合は、買うとすれば、一定の収入のある近くの都市に住む都市住民が購入することになります)。この村では、一人あたりの農地面積が0.3ムー(200平方メートル)であるのに対し、別荘58棟を建設するのにその230倍以上の70ムーの水田をつぶしたのでした。これだけの農地をつぶして造った別荘に、ほとんどの農民は入居することができません。一方、この58棟の別荘が完売すれば村は260万元(4160万円)以上の利益を得るのだそうです。このプロジェクトは、村にとっては、農民のための新しい家を建設するために進められている「新農村建設」という「うたい文句」に名を借りたひとつの金儲けプロジェクトだったのです。

 このような状態に対して、この番組では、農民の農地を取り上げ、村民自身が買えないような別荘の建設を許可を得ないままに進めてしまった村と、その村の行為に気づいて建設中止の通知を出していながら、通知を出した後、何もしなかった上部機関である鎮政府の無責任な対応を批判していました。

 村や鎮政府の行為を批判するのは簡単ですが、現実問題として、このように違法な状態で建てられてしまった別荘群を今後どうするのか(取り壊すのか、できあがったものはしかたがない、として現状を認めて合法化するのか)が大きな問題として残ります。また、もし合法化されたとして、できあがった別荘が大幅に売れ残った場合、建設資金はどうやって回収するのか、という問題も残ります。別荘が売れ残って借金が残った場合、最後の奥の手として、村としては、まだ開発されていない農地(中国の場合、原則として、農地は私有地ではなく、「村」という単位の集団の所有地とされています)を開発業者に売って借金を返す、という方法があります。ただ、これもそういった土地開発を上部機関が承認するかどうか、という問題がありますし、それよりも何よりも、村が自分たちの生活基盤である農地を切り売りして借金を返したら、最終的には村民は借金を返したあと生きていくよすがを失ってしまうことが最大の問題なのです。

 地方政府による無秩序な土地開発に関して最も問題なのは、中央政府が、農地が無秩序に減らないように、農地を開発するためには必ず上部機関の許可が必要である、という法制度を作っているにもかかわらず、その制度を執行すべき地方政府自らがその制度を守っていない、という実態です。地方政府自らが法律違反をして平気な顔をしている現状は、一般市民に「法律を守るなんてバカバカしい」という法意識を定着させる結果になっており、社会全体にとって大きなマイナスだと思います。

 ですから、今、中国の中央政府は、法律や制度によって地方政府をコントロールできていないことにかなりの危機感を持っています。だからこそ、メディアに問題点を指摘させ、警鐘を鳴らしているのです。ただし、メディアが警鐘を鳴らしただけでは問題は解決しないと思います。中央と地方とが危機感を共有して、経済全体が一気に崩壊しないように、少しずつ問題解決が図られるように努力して欲しい、と私は願っています。

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2007年7月 4日 (水)

中国国家環境保護総局が操業停止等の行政命令を発出

 環境汚染は中国の大きな問題になっていますが、国家環境保護総局は7月3日、特に汚染がひどい地域の地方政府や経済開発区に対する新規プロジェクトの許可停止、悪質な工場に対する操業の停止などを求める法律に基づく行政命令を発しました。その範囲は広く、兵器関連企業による環境汚染事件などを理由にした地方政府に対する許可停止処分も含まれているなど、国家環境保護総局の相当の決意に基づくものと思われます。(先週来、6月25日に発表された「党の基本方針は微動だにしない」との趣旨の胡錦濤総書記の「重要講話」を真剣に学習しよう、という一連のキャンペーンの中で、党の執政能力に対する危機感を共有すべき、と主張している評論が人民日報に掲載されていることなどを考えると、今回の国家環境保護総局の「強権発動」とも言える行政命令の発出も、胡錦濤国家主席=共産党総書記によるリーダーシップに基づくもの、と考えてよいと思います)。

 国家環境保護総局の行政命令の全文、対象となる市、県、経済開発区、工場等のリストは、国家環境保護総局のホームページ上にある下記のプレス発表文に記されています。

国家環境保護総局のホームページ2007年7月3日付けプレス発表
「長江、黄河、淮河、海河の汚染水域に『流域許可制限』を掛け、統一的な治水と新しい環境経済政策を確立する必要がある」
http://www.zhb.gov.cn/xcjy/zwhb/200707/t20070703_106035.htm

 この行政命令の内容は以下のとおりです。

○6つの市と2つの県及び5つの工業開発区に対して「流域許可制限」を掛ける。対象は以下のとおり。下記の地区では、環境保護総局では、本日(7月3日)から、汚染防止とリサイクル経済に関するもの以外の建設プロジェクトの審査及び許可を停止する。

★長江流域:安徽省巣湖市、蕪湖経済技術開発区
★黄河流域:甘粛省白銀市、蘭州高技術(ハイテク)産業開発区、内モンゴル自治区バヤナオル(Bayannaoer)市、セン西省渭南市、山西省河津市(市ではあるが県クラス)及び襄汾県(センは「こざとへん」に「狭」のつくり)
★淮河流域:河南省周口市、安徽省蝉埠市
★海河流域:河北省邯鄲経済技術開発区、河南省濮陽経済開発区、山東省シン県工業園区(シンは「くさかんむり」に「辛」)

○不正常な運転を行っている石家庄深沢県東区汚水処理場など6つの汚水処理場及び悪質な法律違反を犯している32の企業に対して「事業監視」を開始する(汚水処理場と工場のリストがあり、それぞれに対する行政命令の内容が記されている)。

☆事業監視の具体的内容の例:
6つの汚水処理場に対して:3か月以内の事業改善、未処理汚水の処理、追加除染費用の拠出など。
32の工場に対して:期限付き操業停止、無期操業停止、工場閉鎖、除染費用の拠出、現状回復など。

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 業務停止命令を受けた工場の中には、内蒙古蒙牛乳業の子会社や攀枝花鋼鉄(集団)公司傘下の企業などの有名企業関連の工場も含まれています。今回の行政命令は、

○広い地域にわたっていること

○多くの工場に対して同時に操業停止などの厳しい命令が出されていること

○個別具体的な地方政府や工業開発区を名指しして新規プロジェクトを許可しないことを明言していること

などの点で、かなりのインパクトがあるものと思われます。

 本件については、昨日(7月3日(火))夕方19:30過ぎから中央電視台第一チャンネルで放映された「焦点訪談」でも取り上げられていました。インターネットからも視聴できますので、通信環境のよい方は御覧になってはいかがでしょうか。

http://www.cctv.com/video/jiaodianfangtan/2007/07/jiaodianfangtan_300_20070703_1.shtml

環境保護総局環境監察局副局長がこの番組に登場しています。番組の中頃で放映される汚染された湖や川の映像は、日本の皆様には、かなり衝撃的だと思います。また副局長がこの番組の中で「私たちが調査している時、地方政府の人間から監視されたり、尾行されたりした。だから、これは体制上の問題だと思っている。地方政府が汚染企業を保護したり、一部の利益を重視したりしている。」と言っているくだりがあり、言っている内容としても、かなり刺激的だと思います(ホームページ上では、発言を文字で起こしたものも見られるので、中国語のわかる方は御覧ください)。

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2007年6月23日 (土)

悪徳レンガ工場事件で山西省長が謝罪

 日本では、一度報道されたあと、あんまり続報が報道されていないようですが、6月15日に明らかになった、山西省での悪徳レンガ工場業者で、誘拐されたこどもや農民が奴隷のように強制労働させられていた事件については、中国の新聞では、この手の社会的事件にしてはかつてないほど、連日、激しく報道されています。「中央の関係当局が悪徳レンガ工場業者の摘発に動いていたその日、摘発を担当すべき山西省のある地方部局では、勤務時間中に職員がポーカーをやっていた。」などというどこかの国で聞いたような話が次々に暴露されて、悪徳業者を非難するよりも、「本気で取り締まる気のない地方政府はけしからん!」という声が盛り上がっています。

 このような中、6月22日(金)15時(北京時間)から、中央の関係部署と山西省長らによる「新聞通気会」(状況説明会)が開かれました。山西省の于幼軍省長(知事)は「(今回の事件に関しては)農民やこどもたちの合法的な権利を侵し、心身に被害を与え、国内外によくない政治的影響を与えたことに対し、省長として、そのとがめを逃れることはできず、深く心に痛みを感じており、ここに省政府を代表して、被害者及びそのご家族に対しお詫び申し上げる。また、全省の人民に対し、反省していることを申し上げる。」と述べました。これは、中国の地方政府代表としては、今までにない異例の発言だと思います。

 この発言は、今の時点での中国中央電視台のホームページ

http://www.cctv.com/default.shtml

のトップ・ニュースとして掲載されています。それだけ、内外の批判が強い、ということでしょう。ただ、この状況説明会は、中央の関係部署及び山西省側の一方的な説明だけで終了し、新聞記者からの質疑応答は受け付けずに終了しました。

 中国語でこういう言い方をするのが普通なのかどうかよく知りませんが、「新聞通気会」という言い方は私は始めて聞きました。普通、記者会見は「新聞発表会」と呼ばれます。中国語で言う「新聞発表会」は、日本語で言う「記者会見」なので、当然、ひととおりの説明の後、記者からの質疑応答があります。今回の会が「新聞通気会」と銘打っていたのは、最初から質疑応答をするつもりがなかったからでしょう。「通気会」は、文字通り読めば「ガス抜き会」ですが、これでは、新聞記者は大きな不満を抱くと思います。

 ということで、于幼軍省長は「新聞通気会」での自分の発言が終わった後、退席する際に記者に囲まれて質問攻めにされることになりました(日本のプレス用語でいう「ぶら下がり」)。この様子は、ネット版人民日報「人民網」が写真入りで伝えていますので御覧下さい。

「人民網」2007年6月22日16:13掲載
「于幼軍、本ネット記者の質問に答えた:『メディアによる山西省に対する監督は、引き続き歓迎する』」
http://politics.people.com.cn/GB/14562/5901564.html

 この記事で、「人民網」の記者が「今回の事件に対してネットが発揮した作用について、歓迎するのか、それとも反感を感じているのか。」と質問したのに対し、于幼軍省長は次のように応えています。「ネットで情報が流される前から、山西省は行動を開始しており、一定の成果を得ていた。しかし、関係部門が、メディアに適切なタイミングで情報を提供しなかったので、ネット閲覧者はこらの状況を把握できていなかった。このため、ネット上では不確実な伝聞に基づく情報が伝えられる余地があった。ネットに提供する情報については、我々は、現在、事実を確認してから情報を提供する姿勢を堅持している。一方、ネット上における各メディアの山西省に対する監督は、今後も継続して歓迎する。」

 「人民網」の記者の質問自体、なかなか鋭いし、写真で見る雰囲気も結構緊迫しています。本件については、中国のメディアは、かなり使命感に燃えて、対応しているように思います。

 こういった中国のメディアの盛り上がりは、私に1987年5月の黒竜江省大興安嶺森林火災のことを思い起こさせます。1987年のこの森林火災は、結果として、約1か月にわたって燃え続けた大森林火災で、延焼面積は約101万ヘクタール(岐阜県の面積に近い)、死者は193人に上りました。火災の原因が森林内での伐採機の油漏れや伐採労働者のタバコの火の不始末だったことから、地方政府が現場監督の怠慢を非難されるのを恐れて、現場サイドで処理しようと試み、中央へは「大したことはない。既に消火した。」と報告したり、中央から駆けつけた救援隊に対して「ここは管理区域なので、許可証を持っていない者には立ち入りは認めない」と言ったりしたことから、全国から大きな批判を浴びました。この時、経済日報などの記者は、率先して現場に入り、実情をレポートしました。当局も「地方政府の官僚主義は排除すべき」としてこれらの記者の行動を容認したため、記者たちは、積極的な活動を展開しました。これら新聞記者らによる「社会の問題点はきちんと調べて正すべき」という姿勢が、広く社会の雰囲気として広がっていき、翌々1989年の事態へとつながっていった、と私は思っています。

 1987年と今年2007年との違いは、今の中国が既に1989年の事態の再発が許されないほど世界経済の中で大きな位置を占めていることと、来年に北京オリンピックを控えている(従って中国政府はどう転んでもオリンピックが終わるまでは1989年の事態を再発させることができない)ということです。

 この20年の間、中国のメディアも、中国の人民も、中国政府も多くのことを学んできていると思います。だから、私は、今回は、今のこの中国のメディアの使命感に満ちた熱気を社会を安定的に前に進めるパワーに変えることができると信じています。

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2007年6月15日 (金)

山西省の悪徳レンガ工場での強制労働事件

 今日の中国の新聞・テレビでは、誘拐されたこどもや農民などを無賃金で強制労働させていた山西省の悪徳レンガ工場のニュースが大々的に報道されています。人民日報では、少なくとも1000人の誘拐されたこどもが働かされていたと見られる、と伝えています。現在のところ、強制労働させられていた農民やこどもたちは、河南省などから連れてこられたとのことで、現在までに既に379人が解放されたとのことです。

(参考1)ネット版人民日報「人民網」2007年6月15日付け記事
「少なくとも1000人のこどもが誘拐され悪徳レンガ工場で強制労働させられていたと見られる」
http://society.people.com.cn/GB/1062/5867781.html

 下記のネット版人民日報「人民網」の記事によると、地方労働局の監察員がこどもを「転売」し、一人あたり300元(約5400円)の「仲介料」を受け取っていた、とのことです。

(参考2)ネット版人民日報「人民網」2007年6月15日付け記事
「百組以上の父母が悪徳業者の跡を追って我が子を探している 山西省の労働監督関係者がこどもの労働者を転売」
http://society.people.com.cn/GB/1062/5867779.html

 中央電視台(中央テレビ局)の下記のホームページに載っている写真はかなりショッキングなもので、これらの報道は、これだけ近代化され経済的に発展した中国の中でまだこんなことが行われていたのか、と中国国内に大きなショックを与えています。

(参考3)中国中央電視台ホームページにある2007年6月7日に山西新聞ネットに掲載された写真
「山西省の悪徳レンガ工場の労働者が過ごしてきた『奴隷』生活」(写真集)
http://news.cctv.com/society/20070607/102570.shtml

 人民日報の記事によると、この事件については、5月末から6月上旬に掛けて、当局による摘発と労働者の解放が行われた、とのことです。党や中央政府も本件を重視し、関係者の徹底摘発と強制労働させられていた労働者の全面解放を命じています。

 この事件は、5月頃には、既に河南電視台の取材陣が取材を始めていたようですし、最近、この手の社会問題を告発する記事や番組が新聞やテレビによく載るようになりました。オリンピックを1年後に控えているのですが、「オリンピックで浮かれている場合じゃない」というような事件が次々に報道されています。こういう事件が闇に葬られないで大々的に報道されるようになった、という点では、大きな前進だと思うのですが、ということは、今までこういう事件はあったけれども報道されなかっただけではないのか、今もほかに報道されない同じような事件が起きているのではないのか、といった疑問はぬぐい去ることができません。

 今日(6月15日)付けの「新京報」は、この事件を取り上げた社説で、次のように厳しく指摘しています。「この手の事件は前からあったが、こういった事件がなくならないのは、背後に何らかの『保護の傘』があるからだ。実質的に地方の権力者が悪徳業者を『見逃し』ているからだ。」「恐れるべきは悪徳業者ではなく、悪徳業者に対して公権力が無関心であったり、甚だしきは公権力が悪徳業者とぐるになることである」。さらにこの社説は、600年前の京劇の話に出てくる「悪徳役人と悪徳業者」の癒着の話でもあるまいし、法治国家を目指そうとしている現在の中国にとって、こういった地方権力者は絶対に許せない、と激しく憤慨しています。

(参考4)「新京報」2007年6月15日付け社説
「『悪徳レンガ工場』を治したいと思うならば、まず先に『官』を治さなければならない」
http://comment.thebeijingnews.com/0728/2007/06-15/021@021254.htm

 中華人民共和国が成立してからもうすぐ60年になろうとしているのに、このように封建時代のような権力構造がまだ地方に残っている、というのが中国の現実です。大きな、そして最も重要な「救い」は、中国自らが、そういったことがまだあることを認識し、「何とかしなければならない」と考え、問題解決へ向けて努力しようとしていることだと思います。

 多くの中国の人々は、これらの報道に接して、どう考えているのでしょうか。あるいは、現在の中国全体の権力構造が、こういった地方の権力構造を温存させる役割を果たしてきてしまったのではないか、と考え始めているのかもしれません。私は、そういったことが、去る5月18日付けの「経済観察報」の社説「根本は政治体制改革にある」という考え方に結びついているような気がしています(この「経済観察報」の社説については、5月30日付けのこのブログの記事を参照)。

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