カテゴリー「「中国現代史概説」」の記事

2011年3月 6日 (日)

消された言葉たち:検閲と「人民に主張させよ」論

 チュニジアとエジプトでの政権崩壊の後、2011年2月20日から、インターネット上で中国の各都市で日曜日の14時に集まって集会とデモをやるような呼び掛けがなされています。今のところ集会もデモも起きていませんが、大勢の見物人と外国の報道陣が集まったたり、いくつかの場所では数人の人が公安当局に連行されています。

 ネット上で呼び掛けは行われていますが、現在のところ見物人や報道陣が集まるだけで、肝心の集会やデモは起きておらず、「革命」と呼べるようなものは片鱗すらありませんが、多くの人々の間には「中国ジャスミン革命」という言葉が登場しています。中国の大手検索サイト「百度」(バイドゥ)では、「中国茉莉花革命」は、最高級の敏感な単語にされているようで、「中国茉莉花革命」で検索を掛けると、「関係法令と政策に基づき検索結果を表示することができません」という表示が出て、検索結果が全く表示されません。

 下記の百度のサイトでそれを確認するきことができます。中国語と日本語の漢字は異なりますが、「百度」には優秀な「類推機能」が搭載されているので、日本語ソフトで日本の漢字を打ち込んでも検索結果は表示されます。中国におけるネット検閲を実感できると思います。

(参考1)中国最大の検索サイト「百度」(バイドゥ)
http://www.baidu.com/

 「中国」を付けずに「茉莉花革命」だけで検索すると、冒頭に「関係法令と政策に基づき、一部の検索結果は表示できません」と表示されて、中東のジャスミン革命のサイトなどの検索結果が表示されます。

 中国では、毎年恒例ですが、3月3日から「全国人民政治協商会議」が、昨日(3月5日)からは「全国人民代表大会」(中国では両方を合わせて「両会」と呼ばれます)が開幕しました。先週の日曜日(2011年2月27日)の午前中、温家宝総理が「人民日報」ホームページ上にある掲示板「強国論壇」に登場して、約2時間にわたり、ネットワーカーと会話しました。温家宝総理がネットワーカーとやりとりするのは2009年の「両会」の時期から始まった、これも一種の「恒例行事」ですが、今年は集会やデモの呼び掛けがなされている中でのネット掲示板への総理の登場なので、私も約2時間にわたりネット上で「傍聴」させてもらいました。

 ネット上には、それこそ「玉石混交」の様々な質問・意見がアップされましたが、温家宝総理は、その中からいくつかの質問を選んで答えていました(実際は、画面を見て、温家宝総理が口頭で答えるのを、隣にいるオペレーターがキーボードで打ち込む、という作業でした。その様子の写真は新華社のホームページなどで公開されています)。

 いろいろな発言が飛び交う中、「ジャスミン」(茉莉花)とか「政治体制改革」といった言葉は出てきませんでした。おそらくはそういった直接的な単語は、「敏感な語」フィルターで遮断しているのだろうと思います。自動検閲フィルターをくぐり抜けた発言はいったんは掲示板にアップされますが、人間の管理人が「まずい」と気づいた発言は、すぐに(明らかに「まずい」ものは数分後、削除するかどうか迷うような微妙な発言は場合によっては20分くらい経ってから)削除されます。温家宝総理が登場していた時間帯では、総理を批判するような発言はすぐに削除されていましたが、そのほかにも次のような発言が削除されていました。

○なんか一番関心があるであろうと思われる敏感な単語が出てきませんね。

○政0治0体0制0改0革の話はいつ出るんでしょう。

○正治改革が進んでいないことに対するネットワーカーの提議に対する答えは旧態依然としていますね。

 後の二つは、単語に余計な記号をわざと割り込ませたり、わざと誤字を使ったりする、自動検閲機能をくぐり抜けるための常識的テクニックですが、やはり「政治改革」という単語は、この場では「使ってはならない敏感な語」だったようです。

 ただ、先頃、鉄道大臣が解任された件(汚職が背景にあるとされる)については、温家宝総理は、きちんと答えていました。その際のネットワーカーとのやりとりは次の通りです。

ネットワーカー:「先頃、鉄道部の劉志軍部長が解任され、広東省の茂名市の羅蔭国も審査を受けています。ネットワーカーの中にはこのことに対して拍手をしないものはいませんでした。でもこれは大臣や市の幹部が権力を一手に掌握して権力を乱用していることが問題なのではありませんか?」

温家宝総理:「この事件は、我が党と政府がどんなに地位が高い者であっても容赦はしないことを示している。私は、もし物価の上昇と汚職腐敗現象が同時に起これば、人民の不満を引き起こし、重大な社会問題に発展すると考えている。我が党と政府はそれを重視し、今回のような処置を行ったのである。」

 温家宝総理は、幹部の腐敗に関する答の中で、ネットワーカーが聞いてもいないのに「物価上昇」を取り上げて、幹部の腐敗と物価上昇が同時に起こると重大な社会問題に発展する、という認識を示しました。これは本音でしょう。温家宝総理自身、中国共産党弁公庁主任として、1989年、六四天安門事件の処理に当たった人ですから、二重価格制度廃止の失敗により急激に進んだ当時の物価の上昇が「党・政府幹部の腐敗反対」という形で吹き出して第二次天安門事件に発展したことをよく認識しているのだと思います。言葉でごまかしたりせず、「本音」を素直に言葉にするところが、温家宝総理が現在の中国共産党幹部の中では一番と言っていいほど人民から人気を得ている理由のひとつだと思います。

 「強国論壇」は、中国共産党機関紙「人民日報」のホームページ上にある掲示板ですから、ネット上の掲示板の中でももっとも「権威ある」掲示板だと思います。そこでも様々な発言に関して何が「検閲」で消され、何が許されているか、を私はいつも注目して見ています。

 3月3日に「中国人民政治協商会議」が始まって以降、例えば、次のような発言は一度アップされましたがすぐに「検閲」によって削除されました。

○私と代表とは全く関係ないのだけれど、あの代表たちは、誰を代表してるんでしょう? 私を代表しているわけではない! なぜなら私は投票用紙をもらっていないからだ!

○正確に問いたい。選挙を通じて選ばれた代表なのか?

○民主がまだ疎外されているなか、法律体系が基本的に成立していると言えるのか?

○38名は億万長者である。アメリカ議会の最も裕福な議員よりも金持ちである。

 最後の発言は、外国のメディアで全国人民代表大会に参加する代表の中の38名が億万長者と言える大富豪であると報じられたことに対する発言です。中国共産党中央の幹部を名指しで批判したり、デモや集会を呼び掛けたりするような発言はすぐに削除されますが、上記のような発言は「微妙なところ」です。私が見ることができた、というのも、アップされてから削除されるまで、管理人が「迷って」いたので削除されるまでの間、少し時間が掛かり、その間に私が見ることができた、ということなのでしょう。

 今日(2011年3月6日)見た「強国論壇」では、次の発言が削除されずに残っていました。

●西側の民主制度にはまだ足りない点が残っているけれども、それは有史以来、最も民主的で、最も公務員に対する拘束力を与え監督するための最も強固な制度である!

 これに対するコメントとしては以下のものが、これも削除されずに残っていましたが、数時間後に見たら「○」の発言だけ削除されていました。

●腐敗した官員は西側の民主制度を最も嫌悪している。

○官員が一番西側民主主義の実行をいやがっているのだ。

●全面的な西側化には反対する、と人民日報評論員は言っている。

●この件については、私はそうは思っていない。なぜならアメリカの社会最底辺の人々は現在でも苦しんでいることを私たちは知っているからだ。いろいろな方法を研究し、やり方を探すべきだ。

(上記のコメントに対する再コメント)●世界の3分の2の苦しみを受けている人民は、我々が解放されるのを待っている。

 最後のコメントは、「中国ジャスミン革命」をけしかけているようにも見えるのですが、削除されていません。上記のうち「○」は、検閲を担当している検閲官が自分自身が批判されているように感じて削除した、というのが本当のところかもしれません。これらのうち、どれが削除対象でどれが削除対象でないか、は、おそらくは検閲担当官一人一人によって判断が異なると思います。

 いずれにせよ、中国の状況が中東などと異なるのは、こういった「検閲の実態」のようなものが、外国人である私にも簡単にわかってしまう、というある意味での「中国的いい加減さ」です。中国の多くの人々にとっては、こういった「制限はあるけれども、検閲をかいくぐって表現する方法がいくつかある」という状況が、一種の「ガス抜き」になっているのでしょう。

 「検閲をかいくぐる」という意味では、最近、下記の二つが話題となりました。

 一つは今年(2011年)の春節(旧正月)映画の「譲子弾飛」(姜文監督作品)です。この映画は、当然のことながら中国当局の検閲を経た上で中国国内で上映された作品ですが、興行成績はよく、ヒット作品と言える、とのことです。私は見ていませんが、カンフー・アクションあり、お色気あり、ギャグあり、パロディありといった娯楽作品なんだそうですが、2011年2月18日に配信されたネットニュースのサーチナによると、この映画には政治的な暗喩が含まれているのではないか、と評判になっているそうです。

 というのは、この作品は、民国8年(辛亥革命後8年目)の中国において匪賊のボスが庶民とともに悪者と戦う、という話なのだそうですが、冒頭で匪賊とその義兄弟が馬に引かれた列車を転覆させる、という場面が出てくるそうです。「馬列車を転覆させる」という部分に関し、「いくら民国8年の時期だといっても、馬が列車を引っ張る、という設定は不自然ではないのか。『馬列車』って『馬克思・列寧主義』(マルクス・レーニン主義)のことじゃないのか?」と観客は思うのだそうです。もし、これが「マルクス・レーニン主義を転覆させる」という意味だったら、今の中国においては「とんでもないこと」です。

 映画の最後の方では、「馬列車」が上海の浦東へ向かう、というシーンがあるそうですが、民国8年当時は、上海の浦東には何にもなかったことから、これは巨大開発が行われ上海万博が行われた上海浦東地区を「資本主義の象徴」と捉え、「マルクス・レーニン主義が資本主義へ向かう」という暗喩ではないか、という見方もあるとのことです。

 「譲子弾飛」が政治的暗喩を含むのではないか、という話は、ニューズ・ウィーク2011年2月21日号でも取り上げられています。姜文監督自身は、「考えすぎだ。映画をどう見るかは観客の勝手だ。」と言っているそうです。しかし、姜文監督(俳優でもあり映画監督でもある)は、1980年代に、時代の流れに従って風見鶏的に右に左に世を渡る中国共産党員を冷ややかに描いた映画「芙蓉鎮」に出演し、2000年には中国当局の検閲を得ないで映画「鬼が来た!」(鬼子来了!)を撮影し、7年間にわたり映画撮影を禁止された、という経歴を持ちます(「鬼が来た!」は2000年度カンヌ国際映画際で審査員特別賞を受賞しています)。それを考えると、姜文監督が映画に何らかのメッセージを混ぜたことは、おそらくは間違いないことだと思います。興味深いのは、この映画「譲子弾飛」が検閲をパスし、中国国内でヒットした、ということです。

 私は1988年に北京で映画「ラスト・エンペラー」(1987年:ベルナルド・ベルトルッチ監督作品)の試写会を見たことがあります。この中で、満州国皇帝の溥儀が日本から帰国した時、総理大臣が出迎えに来なかったことについて、溥儀が「なぜだ」と側近に聞いたところ、側近が「息子が共産党員に殺されてしまったものですから。」と答える場面があります。この場面で中国の観客はドッと受けました。中国共産党員が「偽満州国」の総理大臣の息子を殺すことは「正しい愛国的行為」なので中国国内でも何の問題もない場面ですが、「共産党員が人を殺す」という直接的な表現は中国の映画ではあり得ないセリフなので、観客は「ドッと受けた」のでした。だから、「暗喩」とは言え、「譲子弾飛」の中で、「日頃言えないこと」が表現されていると、観客は「ドッと受け」たので、この映画がヒット作品になったのでしょう。

 「政治的暗喩」としては、劉暁波氏が受賞者不在のままノーベル平和賞を受けた次の週末に「南方都市報」に載った「空椅子と鶴の写真」(「鶴」は「賀」と同じ発音)があります。これも「南方都市報」では、「(政治的暗喩と考えるのは)考えすぎだ」とコメントしているようですが、こういった案件は「検閲」をかいくぐる方法はいろいろあることを示しています。

(参考URL2)このブログ(イヴァン・ウィルのブログ(ココログ))
2010年12月19日付け記事
「『南方都市報』の『空椅子』と『鶴』の写真」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/12/post-9b5f.html

 もう一つの「検閲をかいくぐった」例として、小説「李可楽の立ち退き抵抗記」(李承鵬著)があります。これについては、2011年3月3日付けの毎日新聞が記事を書いていました。中国では、土地が公有制であり農民に土地の所有権がないことから、地方政府が農民から土地を強制収容して、それを開発業者に売って巨大な利益を得ることが広く行われています。農民には補償金が支払われますが、農民はしばしば土地収用に反発し、数多くの争乱事件を起こしています。「李可楽の立ち退き抵抗記」は、小説の形でその実態を描いた作品で、30万部のヒット作になっているそうです。上記の毎日新聞の記事によれば、作者の李承鵬氏は「検閲の際にいくつかの語を修正したが、出版はできた。数年前だったら、このような作品は中国では出版できなかっただろう。」と語っていたそうです。

 報道や言論の自由を一定程度認めて、地方の党・政府が行っている「とんでもないこと」を是正しない限り、一般人民の不満は中国共産党体制そのものへの反対として吹き出す恐れがある、という考え方は、中国共産党中央の認識でもあり、そういった危機感が土地の強制収容を指弾するような小説の出版が認められた背景にあるのだと思います。

 最近、北京大学憲法学教授の張千帆氏が「人民に有効に改革に参画させよ」と題する論文を書き、それがいくつかのネット上に転載されています。この中で張千帆教授は、2007年に福建省厦門(アモイ)で住民の「集団散歩」がPX工場(有毒なパラキシレンを製造する化学工場)建設を止めさせたこと、同じような行動で磁気の影響を心配する周辺する住民が上海のリニア・モーターカー路線の延長を止めさせたこと、などの例を取り上げて、人々が主張をすることにより、返って事態が平和裏に解決されたことと指摘して、安定的に改革を進めるためには、むしろ人々に主張させ、執政者がその声を聞くことが重要であると指摘しています。そして、その点は、まさに中華人民共和国憲法が第35条で各種の言論の自由が保障されている理由である、と指摘しています。

※最近の中国の住民運動の例としては、このブログの下記の発言をご覧ください。

(参考URL3)イヴァン・ウィルのブログ(ココログ)2008年1月16日付け記事
「上海のリニア延長反対の住民が『集団散歩』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_cd3c.html

(参考URL4)イヴァン・ウィルのブログ(ココログ)2008年1月28日付け記事
「中国における最近の住民運動の例」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_a9b2.html

 様々な検閲があり、公安当局が集会やデモはさせない、といった態度を取っている中で、ネット上で、検閲の間を抜けて、こういった議論が交わされていることは、むしろ、現在の中国が一定の「まともさ」を持っている証拠だと思います。

 今日(2011年3月6日)も中国の各地で集会やデモが呼び掛けられているようですが、公安当局は、厳重な警戒で実際に集会やデモが起きないように警戒しているようです。また、外国メディアに対しても、そういった人々が集まる様子や公安当局の取り締まる様子を取材しないように指示しているようです。しかし、今は、メディアがなくても、ほとんどの人が動画機能を持った携帯電話を持っている世の中です。検閲や取材規制には限界があります。上記の張千帆教授のようなまじめな議論は、もはや封じ込めません。また、上記の小説「李可楽の立ち退き抵抗記」に対する検閲の態度に見られるように、党中央の多くの人々自身も、全ての言論を封じ込めることは無理だし、むしろ全てを封じ込めることは体制の維持にとってマイナスだ、と考えていると思います。

 遅いか早いか、ゆっくりと穏健な方法であるか、急激な激しい方法であるか、の別はともかくとして、歴史は確実に前へ進んでいくと思います。

以上

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2011年2月13日 (日)

「革命の波の時代」の始まり

 チュニジアにおいて2011年1月14日に起きた「ジャスミン革命」に引き続き、2月11日、エジプトで反政府デモに追い込まれてムバラク大統領が辞任しました。

 今回の中東での「革命の波」は、インターネットやツィッターなどで独裁的な政府に対する反感が多くの民衆の間に広まった結果だと言われています。

 多くのメディアは、今回の中東アラブ諸国における「革命の波」を1989年~1991年の「東欧・ソ連での民主化革命の波」に重ねて報道しています。「東欧・ソ連革命」は、当時普及し始めた衛星テレビが大きな役割を果たした、と言われています。旧ソ連・東欧圏の人々も衛星テレビの普及によって、容易に西側の情報を手に入れることができるようになったからです。

 そして、これも多くのメディアでは「東欧・ソ連革命」の初期、1989年春~初夏に起こった中国での「第二次天安門事件」とそれが人民解放軍の投入により武力で鎮圧されたことを想起させています。

 中国では1989年~1991年の「東欧・ソ連革命の波」を宋代の詩人になぞらえて「蘇東波」と呼んでいます(中国語ではソ連のことを「蘇聯」と書きます)。

 現在、中国当局は、中東の動きを、中国とは全く関係がないにもかかわらず、相当に神経質に見ています。昨日(2月12日)、人民日報ホームページにある掲示板「強国論壇」では、例えば「ムバラクは強硬な手段で人民を鎮圧することはせずに自ら辞任することを選択した。彼は鎮圧することは無理だと思ったからだろうが、一定のベースラインを持った人だったとは言える」といった書き込みが削除されました。この文章は、中国政府や中国共産党を全く批判していないのだけれども、1989年6月4日の「第二次天安門事件」の際の中国当局の対応を非難したものだ、とも取れる内容だったので削除されたのでしょう。

 1989年~1991年の「東欧・ソ連革命の波」と今年(2011年)の「中東革命の波」とは、中国との関係においては、いくつか類似点と相違点があります。それを整理してみたいと思います。

○「東欧・ソ連革命」は「社会主義体制からの民主化」という意味で、中国共産党による一党独裁体制にある中国とは全く同じ問題から発生しているのに対し「中東革命の波」の背景には「社会主義的体制に対する反発」という点はなく、中国とは類似点がない。

○ソ連は中国とは長い国境線を接する隣国であり中国にとって影響が大きいが、中東諸国は中国とは地理的に完全に離れており中東諸国の動きが中国に直接的に影響する可能性は少ない。

○中東諸国ではリーマンショック後の経済的停滞で貧困層に不満が溜まっていたが、中国ではリーマンショック後も経済刺激策により早い時期に経済成長が復活しており、富裕層と貧困層との格差は大きくなり続けているものの、貧困層でも一定程度は経済成長の恩恵を受けていて、貧困層においても現在の体制をひっくり返すことが自分たちにとってプラスになるとは思っていない人たちがたくさんいるだろうと思われる。

 また、中国自身の状況を見ても、1989年時点と現在(2011年)とでは、似ている点と異なる点があります。

【似ている点】

○急激な物価上昇が起こっていること。

○富裕層と貧困層との格差の拡大が続いていること。

○政府や中国共産党幹部の腐敗がなくならないこと。

【異なる点(1989年と比べて現在は変革が起こりにくくなっていると思われる点)】

○1989年時点では、中国政府自体が資本主義的経済運営に慣れておらず、(趙紫陽氏が「趙紫陽極秘回想録」で述べている通り)1988年当時は十分な準備をしないまま二重価格政策の撤廃を告知したため、多くの人々に「将来物価が上がる」というインフレ心理を起こさせ「買い溜めと売り惜しみによる更なる物価上昇」を招いたのに対し、現在の中国政府は過去の経験や日本のバブル期など外国の経験をよく学んでおり、慎重にマクロ経済政策の管理ができるようになっている。

○1989年当時、大学生は卒業後は国が指定する就職先に行くことが原則であり政府のあり方は自分の人生に直結していたが、現在は大学生の卒業後の就職先は自分の意志で自由に選択することができ、政府のあり方と自分の人生とは直接関係しなくなったことから、学生が政府のあり方に対して「物言い」を言うインセンティブは弱くなった。

○1989年当時、北京大学・清華大学など「国の将来を担う」という自負を持った一流大学の大学生たちは、自分たちの人生の将来と中国政府の将来とを重ねて運動を起こしたが、現在は北京大学・清華大学など一流大学の学生たちは、一流大学に入った時点で既に「勝ち組」であり、現在の体制をひっくり返すことはむしろ自分たちにマイナスになるため、一流大学の大学生が社会を変革する運動をリードするとは考えにくくなった。

○現在では、一定の検閲を受けているとは言え、検閲で許されている範囲内で相当ギリギリのラインまで政策運営に批判的論評をする都市報系新聞が多数あるとともに、当局による削除を受けつつも、当局の削除作業が追い付かないスピードで情報を伝達することが可能であるインターネット等のIT情報ネットワークが発達しており、社会に対する「物言い」は一定程度現状でもできること(この点は、むしろ下記の「変革が起きやすくなった」変化であるとも言える)。

○外国に渡航経験がある知識階層は、中国共産党の一党独裁体制に疑問を持っていたとしても、企業経営などにより現行体制により利益を享受しており、現在の社会体制をひっくり返そうという意志は働かないこと(そもそも外国へ渡航し、中国共産党の一党独裁体制には我慢ができない、と思っている人は、外国に留まり、中国へ帰国していない)。

○世界経済は、中国の経済状況に大きく依存しており、多くの中国人民が変革を望んでも、国際社会は中国の急激な変化を望まず、各国政府は現状を維持しようとする中国政府を後ろから支える可能性がある(ただし、アメリカがエジプトのムバラク親米政権を支えられなかったように、中国のあり方は中国の人民が自ら決めることであり、外国政府が支えられることには限界がある点には留意する必要がある)。

【異なる点(1989年よりも現在の方が変革が起こる可能性が強くなっていると思われる点)】

○1989年当時はトウ小平氏という強力な指導者がいた。トウ小平氏は、文化大革命を終わらせて改革開放路線を開始し、経済活動を活発にして人民生活を豊かにし、世界における中国の地位を高めた、という点で、知識人及び軍の内部で強力に支持する人たちが多かった。それに対し、現在の胡錦濤・温家宝指導部は人気はあるものの(結局は2002年に胡錦濤体制になった後も大きな改革は実施できなかったことから)トウ小平氏のような絶大な支持を受けているとまでは言えず、ましてや2012年にスタートする予定の新指導部については、誰がトップになっても知識人や軍をひとつにまとめる求心力は持ち得ないことは明らかである。

○人々の権利意識は1989年当時とは比べものにならないほど高まっており、多くの人々は「政府や党の意向だから従うしかない」とは思わなくなった。

○1989年当時にも経済バブル的傾向はあったが、現時点での経済バブルははじければほとんどコントロール不能なほど巨大なものになっていること(従って、経済的に不動産バブルなどがはじけたりすると、社会の矛盾が一気に吹き出す危険性は1989年当時とは比べものにならないほど大きくなっている)。

○(これは私の個人的印象であるが)1980年代は、まだ文化大革命時代の理想主義的発想が残っていたほか、中国全体がまだ貧しかったせいもあり、政府機構の末端でも「清廉潔白さ」が相当程度残っていた。しかし、その後の経済成長の中において「正直者はバカを見る」「権力にうまく取り入った者が莫大な利益を得ている」という実例が積み重ねられたことにより、政府・党と経済主体との癒着は、1989年当時より現在の方がむしろ巨大化・悪質化していると思われる。

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 私は1980年代後半(「第二次天安門事件」の直前まで)と2007年~2009年の2回中国駐在を経験しています。1980年代の中国の街には、ニセもの売りやヤミの外貨兌換を呼び掛けるブローカーなどはうろうろしていましたが、こどもの乞食はいませんでした。私が2000年代に中国へ行って一番びっくりしたのは、こどもの乞食がいることでした。悪い組織がこどもに乞食をやらせているのだ、と言われていますが、これだけ経済が成長しているのに、中国政府は何をやっているのだ、と私は思いました。

 今でも、こどもを誘拐して(ひどい場合には人為的に身体障がい者にして)乞食をやらせている組織が中国にはあるそうです。最近、中国のある学者がこどもの乞食を見たらそのこどもを携帯電話で撮影してネットに掲載しよう、と呼び掛けたところ、数千人のこどもの乞食の写真がアップされ、それがきっかけで救出されたこどもも出ているそうです。

 中国の政府は、中央政府はそれなりにしっかりとしていてちゃんと機能していると思いますが、地方政府については、何をやっているのかわかりません。汚染物質垂れ流しの企業やニセもの作りの企業と地方政府・地方の警察が癒着し、地方の司法(裁判所)もグルになっている、という例は数多くあるのではないかと思います。

 一方で、中国の多くの人々は「それではいけない。何とか直さなければならない。」と真剣に思っていることも事実です。上記のようなこどもの乞食をネットを使って救出しよう、という運動もその現れでしょう。

 私はエジプトへは行ったことがないので、ムバラク政権下で、多くの人々がどのくらい「抑圧された」という感触を持っていたのかはわかりません。エジプトの人々が「抑圧されていた」という印象は私にはありませんでした。しかし、ムバラク大統領の辞任によって、多くの人々が外国のテレビ局のインタビューに対して「Egypt is free!」と叫んでいました。

 中国は、私は合計4年半暮らした経験があるので、中国の人々の間にあるであろう相当の「抑圧感」を身をもって知っています。町中で大声で叫んだり、プラカードを掲げる自由がない、インターネットへの書き込みが削除される、という実態からは、経済的豊かさでは償えない「抑圧感」を感じます。私は、日本へ帰ってきた時はもちろん、一時的にシンガポールへ行った時でさえ、「自由にものが言える!」という解放感を味わい、べらべらと異常なほどに饒舌(じょうぜつ)になった自分に気がつきました。中国の国内、即ちインターネット上にある検閲防護壁「グレート・ファイアー・ウォール・オブ・チャイナ」の中にいると、言いようのない抑圧感を感じていたからこそ、そこから出ると(そこがシンガポールのような外国であったとしても)自由な解放感を感じたのだと思います。

 私の個人的感想ですが、この「抑圧感」は、1980年代よりも、今の方が強くなっています(1980年代には「文化大革命の抑圧から解放された」「外国からの情報をどんどん取り入れてよい」という開放感がありました)。

 過去の歴史を見れば、世界の歴史は、ひとつの国の動きが他の国へと次々に移っていくことがよくあります。1989年~1991年の「東欧・ソ連革命」はその典型例です。古くは1960年頃、アフリカ各国が次々に独立した、ということも起きました。中国に関して言えば、紅衛兵の文化大革命が、フランス・カルチェラタンの学生運動や「いちご白書」で描かれたアメリカの学生運動、そして日本の東大安田講堂攻防戦へとつながっていた、という「若者の社会運動」という「世界を巡る波」を引き起こしていたと言えるのかもしれません。

 中国の政治をどうするかは、中国人民が決めることですが、2011年の今年、世界においては「革命の波」が起き始めているのは確かなことだと思います。

以上

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2010年12月26日 (日)

改めて「『氷点』停刊の舞台裏」を読む

 最近、「『氷点』停刊の舞台裏」(李大同著。三潴正道監訳、而立会訳;日本僑報社)を読みました。この本は、日中対訳本で、「氷点週刊」停刊事件が起きた2006年の6月に出版された本ですが、中国国内(大陸部)では「発禁本」なので、私は北京駐在をしていた期間中は、読みたいとは思っていましたが読むのは控えていました。中国国内でこういう本を持ち歩いているのが見つかったらあまりよろしくない、と思ったからです。

 「『氷点週刊』停刊事件」(2006年1月)については、このブログの中にある「中国現代史概説」に第4章第2部第7節として、ひとつの節を起こして書きましたのでご覧ください(このページの左側に「中国現代史概説の目次」があります)。

(参考URL)「中国現代史概説」第4章第2部第7節「『氷点週刊』停刊事件」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/05/post-0bd3.html

 この本では、中山大学の袁偉時教授による「現代化と歴史教科書」という論文を掲載されたことにより、中国青年報の中の週刊特集である「氷点週刊」が停刊となり、編集長を解任された李大同氏が、この停刊と自らの解任について、法律や中国共産党規約に違反し、中国公民の「言論の自由」を保障している中華人民共和国憲法に違反している、と指摘しています。李大同氏は、この本の中で、そうした自分の主張を掲げるとともに、この停刊事件によって李大同氏のもとに送られてきた多くの激励の手紙やメール(人民日報などにいた言論界の元幹部からのものも含む)を紹介しています。おそらく李大同氏は、自分の考えを主張したかったのと同時に、こうした数多くの人々の激励文を「歴史の証言」として記録して後世に伝える義務が自分にはある、と感じて、この本を出版したものと思われます。

 「『氷点』停刊の舞台裏」は、2006年1月に起きた停刊事件の前後の状況をまとめて、2006年6月に日本において急きょ出版されたものです。日本において出版されたとはいいながら、「日中対訳」になっており、当局からの指示文書や多くの人々からの激励文などは全て中国語の原文が掲載されており、李大同氏がこの主の本を大陸で出版できない状況の中で、貴重な「歴史の記録」として、中国の人々自身に読んで欲しいと思ってこの本を出版したことは明らかです。重要な点は、国外での出版とは言え、こういった本が現実に出版することが可能だった点です。

 そもそも「氷点週刊」停刊事件が起きた際、李大同氏は、メールで国内外の関係者に状況を報告し、外国の報道陣からの質問に対してもメールで返事を出しています。李大同氏が書いていたブログはすぐに当局によって閉鎖されてしまいましたが、これだけネットが発達している現代においては、自分の意見をネットによって外部に伝える方法はいくらでもあるため、当局もすれらを全て封鎖することはできなかったのです。

 また、李大同氏がこの本で「最高指導者」の指示により、袁偉時教授の論文に反論する論文を掲載することを条件に、「氷点週刊」が2006年3月1日を持って復刊することが決定したことを紹介しています。「最高指導者」とは、前後の文脈からすれば胡錦濤総書記・国家主席であることは明らかです(胡錦濤氏は、「氷点週刊」を掲載している「中国青年報」の発行母体である中国共産党青年団の出身)。李大同氏が、外国での出版、という形であったにせよ、このような形で「ことの顛末(てんまつ)」の詳細を本として出版できたのは、中国共産党指導部の中にも李大同氏を支持する勢力がかなりの強さで存在していることを意味していると思われます。

 このブログの前回の発言(2010年12月19日付け)で、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞を圧殺しようとしている中国共産党指導部のやり方を批判すると思われるような「南方都市報」の「空椅子と鶴の写真」の話を書きました。従前だったら、こうした中国共産党の方針にあからさまに反発していることがミエミエの記事を掲載した場合、編集長の解任や当該新聞停刊の措置が執られるのですが、「南方都市報」に関しては、現在のところ「おとがめなし」のようです。おそらくは、中国指導部の中にも、人々の反発の高まりを考えると、新聞メディアを力で抑え付けるのは得策ではなく、一定の報道の自由は認めるべきだ、という考えを持った人々がおり、例えば「南方都市報」を停刊にしたり編集長を解任したりすれば、そうした「報道の自由擁護派」の人々の支持の下、「『氷点週刊』停刊の舞台裏」のように停刊や解任を強要する中国共産党宣伝部の動きの詳細について、世界に発表されてしまう、という懸念が中国共産党内部にもあるものと推測されます。

 最近、中国の動きを見ていると、「強硬な面」と「柔軟な面」の両方があり、その間を揺れ動いているように見えます。「強硬な面」は、尖閣諸島問題における日本に対する態度や劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に対する国際社会への態度の中に見えます。12月18日に起きた韓国の排他的経済水域における中国漁船による韓国海洋警備船への衝突事件において、中国が韓国に損害賠償を請求した件などは、中国の「強硬な面」を端的に表した事件でした。一方、北朝鮮の韓国ヨンピョン島への砲撃事件(11月23日)に対する中国の外交努力は、国際社会の中で中国としても最大限の努力をしていることを見せたい、という「柔軟な面」を示していると思います。これらの動きは、中国国内における「強硬派」(国際的には自国の権益を主張し、国内においては報道の自由を強権を持って抑圧しようと考えている勢力)と「柔軟派」(国際社会の中での調和を重視し、国内においては人民の不満は鬱(うっ)積させないように新聞報道にある程度の自由度を与えるべきと考えている勢力)が拮抗している証拠であると思われます。

 こういった二つの勢力の拮抗は、個別具体的な政策の実施の中にも影響を与えます。

 報道によれば、12月23日、北京市当局は、増え続ける北京市内の自動車台数を制限するため、ナンバープレートの提供を抽選制によって3分の1に制限するという政策を発表しました。この政策は翌24日から実施され、23日中に購入した車には適用されない、とのことだったので、23日の夜、北京市内の自動車販売店には「駆け込み購入」を求める市民が殺到したとのことです。中国では、人々の権利や義務に密接に関連する政策も議会(全人代)ではなく行政府(国務院や地方政府)に委任されています。そのため、人々の生活を直接縛る政策が突然発表され、準備する間もなくすぐに実行されてしまう、ということがよくあります。

 普通の民主主義の国では、国民の権利や義務に関する規定は、議会が決める法律や条例によって決められる(行政府は勝手に決められない)ので、議会での議論がなされている期間中は、多くの人々はその政策に対する準備をすることができます。多くの人々がその議論されている政策に反対しているならば、報道機関がそれを論評して、政策を批判します。議会の議員は、次の選挙で落選しては困るので、人々が反対しているような政策には賛成しません。

 民主主義におけるこういった政策決定プロセスは、時として時間が掛かり、「まどろっこしい」のですが、こういった民主的な議論のプロセスは、その政策の影響を受ける人々が政策を受け入れるための「納得のプロセス」であり、議会で多数決で決まった政策については、人々は「議論して決まった結論ならば従わざるを得ない」と「納得する」のです。ところが、中国では、こういった「納得のプロセス」なしで政策決定が行われるので、迅速な政策決定ができる反面、大きな影響を受ける人々の側はその政策について全く納得しておらず、そういった政策を強行することに対する不満を鬱積させる結果となります。多くの人々が決まった政策に納得してないので、表面上は決まった政策に従ったフリをしているが実際はウラで抜け道を使って政策を守らない、という事態が発生してしまうのです。

 中国経済は、輸出依存から国内市場依存へと転換しつつあります。国内市場依存が強まると、国内市場の消費者、即ち、中国の一般人民の動向が中国経済の行方を左右することになります。そういった経済状況になれば、中国の経済施策は中国の一般人民の意向を無視して決めることはできなくなります。つまり、経済の国内市場依存度の高まりは、政治プロセスにおける民意の反映、即ち、政治の民主化が必然的に求められることになります。

 現在、中国指導部の中にある「強硬派」と「柔軟派」の勢力争いは、経済面における国内市場依存傾向の高まりの中で、次第に「柔軟派」が力を持たざるを得ないことになるでしょう。多くの人民の意向を無視した経済政策は、国内市場において経済政策として成功しないからです。「強硬派」のバックには軍がいますが、来年(2011年)は「強硬派」と「柔軟派」の勢力争いが、平和的な形で決着がつく方向へ向かうことを願いたいと思います。

以上

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2010年12月19日 (日)

「南方都市報」の「空椅子」と「鶴」の写真

 先週、12月14日付けの朝日新聞ほかの日本の新聞で、12月12日付けの広東省の日刊紙「南方都市報」の1面についての記事が報道されました。12月12日付けの「南方都市報」の一面トップの見出しは「今夜、アジア大会パラリンピック開幕」という文字ですが、その背景にある写真には、「空席の椅子」と「鶴」が写っている写真でした。朝日新聞の記事では、この写真について「見出しとは全く関係のない写真」と紹介していましたが、ほかの報道によれば、広州アジア大会パラリンピックの開会式では、ツルを使った場面があり、この写真は、開会式のリハーサルの写真だということです。「空席の椅子」は、関係者以外の立ち入り禁止を示すテープを張るために置かれていただけで、「南方都市報」の関係者は、「単なるリハーサルの一場面を写した報道写真であり、変な『深読み』はしないで欲しい。」と言っているそうです。

 しかし、「空席のイス」は、受賞者の劉暁波氏が出席できなかった12月10日のノーベル平和賞の授賞式を意味しているのは明らかです。朝日新聞の記事では、「鶴」と同じ一面に載っている「平らな台」と「手のひら」を組み合わせると、中国語の「ノーベル賞」と同じ発音になると解説しています。一方で、日本のほかの報道では「鶴」(he)が「賀」(he)と同じ発音であることから、この写真は、「空席の椅子」と「鶴」の組み合わせで、「劉暁波氏のノーベル平和賞を祝賀する」という意味である、とする見方も紹介されています。

 「南方都市報」の関係者が「深読みはしないで欲しい」と言っていますが、開会式のリハーサルの中の鶴の場面だけを1面に掲載する必然性はなく、「南方都市報」が劉暁波氏のノーベル平和賞受賞を批判する党中央の方針を皮肉ったことは明らかでしょう。中国の新聞がこれほど直接的に党中央の意向に反する紙面を出すことは画期的だと思います。

 以前、私が北京駐在時代の2008年7月24日、北京の新聞「新京報」は、元AP通信記者の Liu Xiangcheng (劉香成)氏(中国生まれ:米国籍)のインタビュー記事を載せ、このカメラマンが過去に賞を獲った写真として「傷者」というタイトルの写真とソ連のゴルバチョフ氏がソ連解体の書類にサインする場面の写真とを掲載しました。「傷者」の写真は、紙面には説明書きはありませんでしたが、1989年6月の「第二次天安門事件」の時、怪我した学生を仲間が自転車三輪車の荷台に載せて大急ぎで運ぶ場面の写真で、当時の報道では有名な写真だったので、説明書きなしでも、当時を知る人には何の場面の写真かわかるものでした。1989年6月4日の「第二次事天安門事件(六四天安門事件)」は、現在の中国では触れることすら「タブー」です。しかも、それを「ソ連解体の書類に署名するゴルバチョフ書記長」の写真と同じ紙面で掲載することは、見方によっては、中国共産党に対する強烈な批判を意味します。日本での報道によれば、この日の「新京報」は、発売後、直ちに回収措置が執られたとのことです。当時、北京に駐在していた私は「『新京報』の『擦辺球』(エッジ・ボール)」というタイトルで知人にこの件を知らせしたことを覚えています。

 「擦辺球」(エッジ・ボール)とは、卓球用語で、ボールがテーブルのエッジに当たって角度が変わるボールのことで、「違反ギリギリの行為」という意味で中国ではよく使われます。これに比べれば、今回の「南方都市報」の1面の写真は、劉暁波氏のノーベル平和賞を非難する党中央の方針に真っ向から反対を表明するもので、もはや「エッジ・ボール」ではなく、完全にラインの内側を意図的に狙った「ストレート・スマッシュ」だと思います。実際にこの写真が広州アジア大会パラリンピック開会式のリハーサルの写真であるならば、検閲を行う当局もこれを削除することは不可能であり、「南方都市報」の意図は完全に成功したものと思います。現にこの写真は紙面掲載1週間後の現在でも「南方都市報」のホームページにおいて閲覧可能であり、「『南方都市報』よくやった!」といった読者のコメントも見ることができます。

(参考URL)「南方都市報」電子版2010年12月12日付け1面
http://epaper.oeeee.com/A/html/2010-12/12/node_523.htm

※なぜかこのページは Internet Explore でしか閲覧できないようです。

 私は「南方都市報」の編集長の解任、あるいは「南方都市報」の停刊命令等が出る可能性があると思ったのですが、1週間後の今日になってもインターネット上の写真が削除されずに残っているので、たぶん大丈夫でしょう。

 私が、1986~88年の一回目の北京駐在と、2007~09年の二回目の北京駐在とで、最も異なると感じているのは、ひとつはインターネットの存在であり、もうひとつは様々な「縛り」の中で賢明に取材し記事を書こうとする新聞ジャーナリズムの存在です。「南方都市報」は、私が北京にいたときに愛読していた週刊紙「南方周末」(日本語表記では「南方週末」)やNHKが「激流中国」の中で検閲当局と苦闘する状況を描いた雑誌「南風窓」と同じグループに属する新聞です。重要なのは、こういった「検閲の縛りの中でもギリギリの主張をする新聞」がよく売れている、つまり共感する読者が大勢いる、ということです。

 今回の「南方都市報」の「ストレート・スマッシュ」は、「中国は本当に変わるかもしれない」ということを予感させるものだと私は思います。

以上

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2010年12月12日 (日)

中国の民主化の日本・世界における重要性

 一昨日(2010年12月10日)、ノルウェーのオスロにおいて、中国の民主化運動を進めてきた劉暁波氏に対するノーベル平和賞の授賞式が行われました。

 中国の民主化の問題は、中国の内政問題であり、あくまで中国人民が自ら決める問題ですが、以下の点において、日本及び世界に極めて重要な影響を与えている問題であることは認識する必要があると思います。

1.「労働者・農民からの搾取」「環境破壊」による経済秩序の破壊の「輸出」

 最近の中国の経済発展の多くは、外国からの資金と技術の導入に基づいて、中国の労働者による勤勉な労働と、石炭、レアアースをはじめとする中国が持つ天然資源がもたらしたものでありますが、それ以外に以下の要素がかなりの部分を占めています。

○「土地が公有である」という社会主義的原則に基づき、地方政府が農民から非常に安い補償金で農地を取り上げ、工場用地として整備し、企業に安価な土地を提供することが可能であった。

○農村戸籍の者は、都市部で労働していても子女の教育、医療保険等の行政サービスが受けられないことから、農村戸籍を持つ都市労働者(いわゆる「農民工」)は数年で故郷の農村に帰らざるをえないのが現状である。このため、都市部の工場では常に労働賃金の安い若い労働力を確保し続けることができた。(年数が経って賃金を上げざるを得ない年齢に達した「農民工」の多くは、企業側がリストラしなくても、中国側の「戸籍制度」に基づいて故郷の農村に帰らざるを得なかったから)。

○民主制度(選挙や報道の自由)がなく、地域住民の声が地方行政に反映されないことから、地方政府は利益を優先する企業の環境破壊を黙認している。そのため、中国の多くの企業は環境保護に必要なコストを必要とせず、大幅なコストダウンが可能となる。

○中国政府の為替政策(人民元を実勢レートより低く設定する)ことにより、為替レートに基づく国際的な労働コストを低く抑えている。これにより外国資本は、中国への投資にメリットを見い出しているが、一方で、労働者は高い輸入品を買わされることになる。

○政府の政策に対する人々の不満の表明を政治的に抑制することにより、労働者による賃上げ運動を抑制することが可能となり、低賃金を維持することが可能となる。

 このような企業側にとって大幅なコストダウンが可能な環境により、中国は「世界の工場」と化しました。このような「特殊状況」の下で生産された「安い」中国製品は世界を席巻しました。安い中国製品と対抗するため、世界各国では、労働者のリストラなど(日本において多くの労働者を正規労働者から派遣労働者に切り替える、など)が起こりました。こういった現象について、ある中国の学者は「中国は『労働者・農民・市民の権利を守るための革命を世界に輸出する国』ではなく、『労働者・農民・市民からの搾取を世界に輸出する国』になってしまった」と評していました。

 中国において民主化が進めば、労働者・農民の権利の主張がその政策に反映されるようになり、環境破壊を取り締まれない地方政府も成り立たなくなります。中国人民の賃金が為替レート的に不当に低く設定され、その反面で高い輸入品を買わされている現在の為替政策も変わるかもしれません。中国が民主化されれば、「労働者・農民・市民からの搾取の世界への輸出」もなくなり、世界の価格競争は公正な競争原理に基づくものになり、結果的に世界各国の労働者・農民・市民の福利も向上することになるでしょう。つまり、中国の民主化の問題は、実は世界の問題なのです。

2.安全保障における「文民統制」の問題

 中国の人民解放軍は中国共産党の軍隊であり、中華人民共和国政府の軍隊ではありません。従って、国務院総理の温家宝氏には人民解放軍の指揮権はありません。日本の国会に相当する全国人民代表大会も人民解放軍へ軍事面で指示をする権限はありません。胡錦涛国家主席は、国家軍事委員会及び中国共産党軍事委員会の主席でもありますので、胡錦涛氏には人民解放軍の指揮権はあります。中華人民共和国政府の機関として国家軍事委員会というのがありますが、そのメンバーは主席の胡錦涛氏をはじめとして中国共産党軍事委員会のメンバーと同じであり、人民解放軍は中国共産党の指揮は受けますが、実質的に中華人民共和国政府によるコントロールを受けません。これは、政府が軍隊をコントロールできなかった戦前の日本の状況と同じです(戦前の日本では、軍隊の統帥権は天皇にあり、軍隊は政府の指揮は受けないという考え方でした(いわゆる「統帥権問題」))。そのため、戦後の日本国憲法では、政府による自衛隊のコントロール(いわゆる「文民統制」)が徹底しているのです。

 戦前の日本において「軍隊の統帥権は天皇に属しているので、軍は日本国政府の指示は受けない」という主張がまかり通っていた実情に即して言えば、現在の中国においては「人民解放軍の統帥権は中国共産党に属しているので、人民解放軍は中国政府の指示は受けない」ということになります。現在の中国では「中国政府=中国共産党の指導下にある」ので、人民解放軍が党の軍隊か政府の軍隊かという問題は結局は同じことだ、とも言えますが、「中国人民の意志」と「人民解放軍の統帥権」とがつながっていない、という意味では、現在の中国の軍隊に関する状況は戦前の軍国主義時代の日本と同じであるということができます。

 従って、仮に中国政府が軍事的緊張を避けようと考えたとしても、中国共産党が戦争を始めようと思えば、戦争が始まってしまうのです。これは外交と軍事統帥権が一元化していない(形式上、国家主席=軍事委員会主席、という形でかろうじて一元化はしていますが)ことを意味します。これは中国を巡る安全保障上の極めて不安定となる要素のひとつです。

 中国が北朝鮮をしきりに擁護するのは、韓国との間に緩衝地帯を設けたい、という地政学上の理由とともに、「先軍思想」と称して軍隊が全てをコントロールしている北朝鮮にシンパシーを感じていると思われる人民解放軍の意向が中国外交の自由度を縛っている可能性が非常に大きいと思います。

 中国の政府は、中国人民がコントロールできているわけではないのですが、人民解放軍は、そういった中国政府ですらコントロールできない、という政治状況は、世界の安全保障の観点では不安定要素であると言わざるを得ません。(大多数の人民がコントロールしている政府が軍隊をコントロールしているならば、軍隊はそう極端なことはできません。「大多数の人民がコントロールしている」という部分で、一定の合理性(大義名分、と言ってもよい)がないと軍隊は動けないからです)。

 1989年の第二次天安門事件の時、天安門前広場にいた学生・市民を排除するために戒厳令が出されましたが、当時の中国共産党総書記の趙紫陽氏は、戒厳令の発令に反対でした。当時の中国共産党軍事委員会の主席はトウ小平氏だったので、実質的にトウ小平氏の「ツルの一声」で戒厳令発令が決まりました。中国政府の公式な記録では、1989年5月17日の夜、中国共産党政治局常務委員会の会議が開かれて、その場で多数決で戒厳令発令が決まった、ということになっています。しかし、趙紫陽氏は、「趙紫陽極秘回想録」の中で、この日の夜の会合は「政治局常務委員による状況報告会」であった、としています。政治局常務委員会を招集する権限のある総書記(趙紫陽氏自身)が政治局常務委員会を招集していないのだから、この会議は政治局常務委員会ではなかった、と言いたいのでしょう。つまり、第二次天安門事件で多数の犠牲者を出すに至る戒厳令は、正式な手続きを経て出されたものではなく、実質的にトウ小平氏一人の意志決定によって決まったのでした。

 法律に基づく政府が確立していない、多数の人民の意向が軍の行動に反映されない、という状況においては、予想もできない軍事的な決定が突然になされてしまう、というリスクは常に存在します。

3.様々な国際共同作業における自由度の問題

 政治的な自由度がない、報道の自由がない、ということは、国際的な共同事業の自由度、という点でも制約を受けます。例えば、国際共同科学研究において、中国国内では気象データなどを許可なく測定できない、といったこともそのひとつです。中国では、国家プロジェクトに異を唱えるような研究論文は実質的には書くことはできません。これは国際共同研究の観点から言えば致命的です。例えば、人工の水路を造って揚子江の水を黄河以北へ移送するという「南水北調」プロジェクトは、生態系や地域の気象に影響を与える可能性がありますが、このプロジェクトによりマイナスの影響が出る、というような研究論文は中国では発表できません。砂漠地帯の緑化事業も、地下水を汲み上げることにより地中の塩分を地表面にもたらすといった悪い影響もあるはずなのですが、そういった「政策に反対するような論文」は書けないのが実情です。そういった国では「科学」の信頼性に疑問がある、と言われてもしかたがなく、そういった国と本当の意味での科学的国際共同研究ができるのか、という疑問が生じます。

4.法律遵守意識の問題

 中国は知的財産権では「無法地帯」と言われています。多くの人々の「遵法意識」に問題があるのがその原因のひとつですが、その背景には「そもそも政府自体が法律を守っていない」ことが挙げられます。今般の劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に関連して、受刑者である劉暁波氏に出国許可を出さなかったのは法律上は理解できるとしても、劉暁波氏の親族や同調者、あるいは同調者の親族すら出国許可が出ていないことについて、そういった出国拒否に法律上の根拠があるのか、という疑問が湧いています。中国の憲法には、中国公民の基本的人権が定められていますが、「国家の安全確保上問題が生じる」という理由があれば、政府がそういった基本的人権を制限することが可能である、というのでは、憲法の規定が有名無実である、ということになります。

 中国では、多くの法律において、行政府に国民の権利・義務に関する決定を大幅に委任しています。例えば、毎年の祝日は、日本では国会の議決を経た法律において規定されますが、中国では祝日の設定は行政府に委任されているため、中国の「法定休日」は全人大の議決を経ずに政府機関である国務院が決めています。

 中国では多くのケースで「法律には原則論が書いてあるだけであって、実際の決定は行政府が政府の都合で自由に決めている」のが実情です。こういう状況があるので、多くの中国人民は、「法律は原則論であって、実態に合わせて運用することは問題ないのだ」と思ってしまうのです。法律論は「原則」なので、幅広く法律を解釈して実体的にはかなりいろんなことができる、という考え方が現在の中国の政府及び人々の意識の底流にあるのです。従って、立派な法律はあるけれども、実際は全然守られていない、というケースがあちこちで見られます。人民日報にも載った話ですが、中国の土地管理法違反案件の約8割は地方政府による法律違反なのだそうです。

 中国では、「中国共産党といえども、憲法や法律を守らなければならない」という「おふれ」がしょっちゅう出ます。これなど、「中国共産党の決定だ」と称して、法律違反の行為がしょっちゅう行われている証拠でしょう。元中国共産党総書記の趙紫陽氏は、「総書記を解任されたのは中国共産党の決定だからしかたがないが、自分を自宅軟禁にする法律的根拠は一切ないはずだ」と「趙紫陽極秘回想録」の中で憤慨しています。2006年1月に突然停刊になった「中国青年報」の中の週刊特集ページ「氷点週刊」について、当時の編集長で後に編集長を解任された李大同氏は、その著書「『氷点』停刊の舞台裏」の中で、この停刊が、法律に基づく処置ではなかっただけでなく、出版の自由を保証している憲法に違反している、と糾弾しています。

 劉暁波氏の妻を自宅軟禁にしたり、支援者の出国を止めている現在の中国の現状を見れば、中国政府自身が「憲法に基本的人権に関する規定はあってもそれは厳密に守らなくてよいのだ」と内外に宣言しているに等しいと言わざるを得ません。そうした政府自身が「憲法や法律には立派なことが書いてあるが、実態はそれに忠実に従う必要はないのだ」という態度を示している状況において、中国の人々に「知的財産権に関する法律を守りましょう」と呼びかけても詮ないことであることは明らかです。

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 以上掲げたように、中国が、法律に基づく、民主的な政治体制にならない限り、様々な経済的、国際的な「あつれき」は今後とも引き続き起こる可能性があります。従って、中国の国内政治体制は中国人民が決めるものであって、外国人がああだこうだと言うべきではない、という原則はあるものの、外国人の我々としても、中国の民主化については、利害関係者の一人として重大な関心を持って見守って行かざるを得ない、と言えると思います。

以上

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2010年12月 5日 (日)

黄海での米韓合同軍事演習と中国外交

 先週(2010年11月28日~12月1日)、黄海においてアメリカ海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンも参加して米韓合同軍事演習が行われました。今回の軍事演習は、もともと計画されていたシリーズの米韓合同演習の一環、ということのようですが、去る11月23日、北朝鮮が韓国のヨンピョン(延坪)島へ砲撃を行い、民間人を含む4名の死者が出た直後だけに、緊張感が高まりました。

 この北朝鮮砲撃問題について中国がどう対応するのか、世界が注目しました。

 中国は、1978年にトウ小平氏の主導により、文化大革命の時代から脱して、改革開放路線を始めました。その頃、ソ連は、ソ連共産党による支配の硬直化が進んでいました。トウ小平氏は、外交的にはアメリカや日本をはじめとする西側諸国と接近し、ソ連を「覇権主義」として批判することによって「対ソ包囲網」を形成し、中国の国際社会における発言力を高めました。

 トウ小平氏の「対ソ包囲網作戦」は成功し、中国は日本をはじめとする西側諸国の対ソ戦略意識をうまく活用して、西側から資金と技術を導入して、文化大革命中に停滞した中国経済にカツを入れ、その後の急速な中国の経済発展の基礎を築きました。また、イギリスとの交渉により、香港返還を実現させました。

 1986年~1988年、私は一回目の北京駐在を経験しましたが、その頃、中国の街角では、赤地を白で染め抜いた中国共産党のスローガンは次々と撤去され、各地にあった毛沢東主席像もその多くは撤去されました。それは、トウ小平氏が、文化大革命的なスローガン主義や個人崇拝主義を嫌って、近代的な経済建設を進めたいと考えていたことを表していました。

 しかし、そういった1980年代の自由を希求する雰囲気の中で天安門前広場で盛り上がった1989年の北京の学生・市民の運動は、人民解放軍の投入により武力で鎮圧されてしまいました。1992年のトウ小平氏による「南巡講話」により、中国は、経済的には高度経済成長時代に入りますが、政治的には1980年代に比べれば、むしろ文革時代に近いような雰囲気に戻ってしまいました。

 日本との間では、改革開放期に入る前から尖閣諸島問題はありました。しかし、1978年の日中平和友好条約の批准書交換式に出席するため訪日したトウ小平氏は、尖閣問題について問われたとき、「我々の世代はまだ知恵が足りないのです」と述べて問題を棚上げすることによって日本との関係を進めることに成功しました。

 日中間には、いわゆる「歴史問題」もありましたが、1980年代の中国指導者は「日本人民も日本の軍国主義者の被害者であった」と述べており、多くの中国人民も実際そう思っていて、今の日本に対する「反日感情」はありませんでした。むしろ、人々は「おしん」や「山口百恵」に見られるような日本の文化を取り入れ、企業は日本の進んだ技術や経営方策を取り入れようとしていました。

※このあたりの経緯については、左側の欄にある「中国現代史概説の目次」をクリックして、このブログの中にある該当部分をご覧ください。

 しかし、2007年4月に二回目の北京駐在のため赴任した私は、1980年代とは違う雰囲気に戸惑いました。街には赤地に白で染め抜いたスローガンがたくさんありましたし、外国企業の大きな広告看板と同じように、人民解放軍の兵士が描かれた「軍民が協力してオリンピックを成功させよう」といった1980年代の開放的雰囲気とは異質の看板も目立ったからです。

 テレビでは、夜7時のニュース「新聞聯報」の中に「紅色記憶」と題する中国共産党の歴史を解説するコーナーがありました。赴任したのが4月末で、メーデーが近いせいもあったのですが、テレビでは「労働者之歌」という歌番組が放送されており、人民解放軍の軍服を着た女性歌手が祖国を讃える歌を歌っていました。祖国を讃える歌は結構なのですが、率直にいって「テレビ番組の雰囲気が北朝鮮みたいじゃないか。中国は北朝鮮みたいになって欲しくない。」と感じたのを覚えています。

 中国は、2001年のWTOへの加盟、2008年の北京オリンピックの開催、2010年の上海万博の開催、というふうに国際社会の中に溶け込むためのイベントが続いたのですが、実際問題としては、中国が外交的に国際社会の中への溶け込みが進んだとは見えませんでした。

 特に、最近の中国は、9月の尖閣諸島問題に対する対応や、10月の劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞に対して、諸外国に対して強硬な態度に出て、むしろ自ら国際社会における「対中包囲網」を自分で招来するような姿勢を示していました。

 11月23日(火)に北朝鮮が韓国のヨンピョン島を砲撃した事件に関しても、中国は北朝鮮を非難せず、「関係各方面に冷静な対応を求める」とだけ述べていました。温家宝総理も、訪問先のモスクワで「いかなる軍事的挑発も許さない」と述べて、北朝鮮を非難しているのか、米韓合同演習をしようとしている米韓側を非難しているのか、わからない情況が続いていました。このままでは、1980年代に「ソ連包囲網」の中で「包囲する各国の中の主要な一員」だった中国が、2010年にはむしろ国際社会によって「包囲される側」に回ってしまうのではないか、という恐れがあります。

 11月26日(金)の時点で、「人民日報」のホームページ上にある掲示板「強国論壇」では、掲示板の管理人により「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」と題する個人ブログの文章が掲載され、多くの参加者のコメントがこれにぶら下がっていました。この文章のポイントは、「北朝鮮は、自分が主張する自国の領海内で韓国が軍事演習をやったから反撃したまでのこと。」「これを機にアメリカが空母を出して黄海で米韓軍事演習をやるのは、日本による釣魚島(尖閣諸島の中国名)占領と同じように、アメリカによる中国封じ込め策の一環である。」というものです。

 「強国論壇」では、盛り上がるような話題については、根っことなる発言を提示して、そこにコメントを集中させるような掲示板の整理をすることがあります。この「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」という文章も、そういった掲示板の中の整理の一環として議論の根っ子として紹介しただけであって、「強国論壇」の考えを代表するものではありませんが、この発言には「北朝鮮を支持する」「アメリカはけしからん」といった発言が多数ぶら下がっており、まるで「強国論壇」が北朝鮮擁護と反米の感情を煽っているかのようにさえ見えました。米韓合同軍事演習が北京・天津の目と鼻の先である黄海で行われようとしている状況を前にして、「強国論壇」には11月27日(土)、28日(日)の周末に「反米デモ」が起きるのではないか、というほどの「熱気」がありました。

 しかし、11月26日(金)以降、中国は早手回しに外交上の対策を行いました。

 まず、11月26日(金)、中国外交部の楊潔チ部長(「チ」は「竹かんむり」に「がんだれ」に「虎」)は、北朝鮮の在北京駐在大使と会談し、ロシアと日本の外務大臣と電話会談を行いました。

 同じ11月26日(金)、中国外交部のスポークスマンが「黄海の中国の排他的経済水域では中国の許可なしにいかなる軍事的行動も許さない」という発言をしました。日本のいくつかの新聞等は、この発言について「中国は黄海での米韓合同軍事演習に反対を表明した」と報じました。しかし、この外交部スポークスマンの発言は、「たとえ黄海であっても、中国の排他的経済水域(いわゆる200カイリ水域)の外であれば、外国が軍事演習を行っても黙認する」という意図表面である、とも読めます。黄海は中国からの大陸棚が続いているので、中国と韓国との排他的経済水域の境界については、中国と韓国とで主張が異なっており、「中国の排他的経済水域の外にある黄海」とは具体的にどの海域を指すのかは明確ではないのですが、外交部スポークスマンの発言が「海域を選べば、黄海で軍事演習をやっても中国は文句は言わない」という意味だととらえれば、これは米韓に対する「歩み寄り」を示す重要なメッセージでした。

 こういった中国の動きとの関連は不明ですが、27日(土)、北朝鮮は「砲撃により民間人に死者が出たのだとしたら遺憾」という軟化を匂わせる見解を発表しました。

 11月27日(土)午後、中国の戴秉国国務委員(外交担当で副首相級。外交部長よりランクは上)が急きょ訪韓して韓国の外交通商相と会談しました。戴秉国国務委員はその夜はソウルに泊まり、翌28日(日)の午前中に韓国のイ・ミョンバク(李明博)大統領と会談しました。イ・ミョンバク大統領とにこやかに握手する戴秉国国務委員の映像は、世界に「北朝鮮問題について、中国は積極的に外交的努力をしている」との姿勢をアピールしました。

 さらに、戴秉国国務委員とイ・ミョンバク大統領の会談直後、中国政府は、30日(火)に北朝鮮の朝鮮労働党書記のチェ・テボク(崔載福)書記が訪中する、と発表した。

 同じくイ・ミョンバク-戴秉国会談の直後、中国外交部は同日北京時間16:30(日本時間17:30)から北朝鮮に関する「重要情報」を発表する、と予告しました。

 「重要情報を発表する、という予告」は、普通はないことなので、「人民日報」ホームページ上の掲示板「強国論壇」では、「何だろう?」「米韓に対抗して中国も山東半島沖で軍事演習をやる、という発表か?」「アメリカに宣戦布告でもするのだろうか?」「そういう話なら軍が発表するだろう。外交部が発表するのだから軍事的な話ではないはずだが。」といった憶測が乱れ飛びました。

 実際、17:40になって戴秉国国務委員に随行してソウルへ行っていた中国外交部朝鮮問題特別代表の武大偉氏が北京に戻ってから発表したのは、「中国は12月上旬に六か国協議の首席代表による会議を行うことを提案する」というものでした。外交上の提案としては十分ありうる提案ですが、「重要情報を発表する、と予告するほどの内容ではない」というのが一般的な見方でしょう。「強国論壇」では、「待ってて損した!」「外交部は何考えてるんだろう」といった声がわき上がりました。

 実は、この時点で、「強国論壇」に11月26日(金)に「発言の根っこ」として置かれていた「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」というアメリカを非難する内容の文章は、「黄海で米韓が合同軍事演習を実施」という中立的な文章に差し替えられていました。

 明らかに、中国の姿勢が11月26日(金)から28日(日)の間に、「だんまり」から「北朝鮮、韓国と同じ距離を保ち、中立の立場から対話を促す」という立場に変わったのです。北朝鮮問題に関して「だんまり」を決めこむことは、結局は北朝鮮の行為を是認することになり、北朝鮮に対する影響力を持つという中国が何もしないことは、中国が国際社会から非難を浴び、中国と北朝鮮を同一視されて中国自身が国際的に孤立してしまう、という危機感が中国にもあったのでしょう。そのため、一転して活発な外交的動きを見せて、「中国は努力している」という姿勢を国際社会に見せたのだと思います。

 六か国協議の首席代表による会議の提案を「重要情報を発表する」と予告した上で発表したことについては、戴秉国氏や武大偉氏がソウルから北京に帰国し、指導部にイ・ミョンバク大統領との会談結果を報告した上で中国としての立場を発表したのですから、発表のタイミング自体は全く不自然さはありません。ただ、発表についてなぜ「重要情報を発表する」と予告したのか、という疑問は残ります。可能性としてあるのは、六か国協議の首席代表による会議開催の提案は、誰でも考えつくようなあまりパッとしない提案だが、中国としてもほかに打つ手がなかったので、「中国は重大な決断をした」という「格好」を見せるために「重要情報の予告」をして世界の注目を集める方策を採ったのだ、ということです。また、北京時間16:30(日本時間17:30)という時刻は、今の時期だと日没であたりが暗くなるタイミングですので、日が暮れるまで北朝鮮側、米韓側ともに軍事的な起きないように「軍事的動きをさせないためのハッタリだった」のかもしれません。また、アメリカの原子力空母が黄海に入っていることによって熱くなっている中国の若者が「反米デモ」を起こさないように、衆人の目を集める「重要情報発表予告」を行い、実際に発表したときには既に日曜日の日が暮れており、デモをやりたくても、次の週末まで人が集まらない、という状況を作るのが目的だった、のかもしれません。

 訪中した北朝鮮のチェ・テボク書記は、12月1日、中国の呉邦国政治局常務委員(中国共産党のランクナンバー2で、全人代常務委員会委員長)と会談しました。チェ・テボク書記は北朝鮮の最高人民会議(国会に相当)の議長なので、呉邦国氏は中国におけるカウンターパートですので、この会談に不自然な点はありません。しかし、国家安全保障上の重要事項を話し合うのだったら、相手は全人代常務委員会委員長の呉邦国氏ではなかったはずです(呉邦国氏は、日本で言えば「国会議長」であって、外交を担当している行政のトップではない)。発表されたニュースでは、この会談では「中朝関係は東アジア地域の安定にとって重要であるとの認識で一致」といった当たり前の話ばかりで、具体的にどういったことが話し合われたは発表されていません。また、チェ・テボク書記が北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記の特使として派遣されたのならば、胡錦濤主席(中国共産党総書記)と会談してもおかしくないのですが、胡錦濤主席とチェ・テボク書記が会談した、という報道はなされていません。

 いずれにせよ、一連の外交的活動により、中国は「北朝鮮の擁護者として国際社会から孤立する道」を選ばずに、「北朝鮮問題については、北朝鮮とは一定の距離を保ち、できるだけの外交上の努力はする」という姿勢を国際社会にアピールすることには成功したと思います。今の中国の国内政治においては、10月の五中全会で習近平氏が党軍事委員会副主席に選ばれたことでわかるように、人民解放軍の発言力が大きくなっていて、中国が人民解放軍が親近感を持っている「先軍主義」の北朝鮮を擁護せざるを得ないような状況になっている(胡錦濤-温家宝体制は既にレイム・ダック化している)という可能性があります。もし、そうだとすると中国は今まで考えられていた以上に北朝鮮を擁護する動きをする可能性があります。しかし、北朝鮮を擁護する態度を明確に出すと、尖閣問題、劉暁波氏ノーベル平和賞問題で国際社会の中で「異質な存在」として国際的に孤立化しつつある中国が、ますます国際社会から取り残されてしまう恐れがあります。今回の外交上の動きを見ていると、そういう最悪の事態は避けられたようです。

 しかし、ロシアですら北朝鮮を非難している状況において、北朝鮮を非難しない中国の姿勢は、「中国はやはり『ふつうの国』ではない」という印象を国際社会に与えたのも事実だと思います。朝鮮戦争の時に50万人にも上る「人民義勇軍」を派遣した中国には、当時の関係者(または戦死者の遺族)がまだたくさん残っており、北朝鮮を見限ることは現政権への批判につながる可能性もあるし、また韓国との間の「緩衝地帯」としての北朝鮮の中国にとっての地政学上の重要性は変わっていないので、中国の国内政治状況において、北朝鮮問題は非常に神経を使う問題であることは今後も変わらないと思います。

以上

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2010年11月21日 (日)

上海での高層マンション火災と地方政府批判

 去る11月15日(月)、上海にある28階建てのマンションがほぼ全焼し、現在までに58名の死亡が確認され、なお56名が行方不明だとのことです。この火災の原因は、外壁工事をしていた作業員の安全管理が不十分であったことだとされ、作業関係者8名が拘束されて取り調べを受けているとのことです。

 この火災については、5時間にわたって燃え続け、10階付近が出火場所だったにもかかわらず、28階建てのビルが全焼してしまったことに対して、消火・救出作業が遅かった、と中国国内でも非難が出ているようです。

 高層ビル全体が全焼してしまう、という火災は諸外国ではあまり例がないのですが、中国には前例があります。2009年2月9日にあった供用開始前だった北京の中央電視台新社屋北配楼の火災がそれです。今回の上海の高層マンション火災の延焼の経緯は今後の調査を待つ必要がありますが、2009年2月の中央電視台新社屋北配楼の火災については、その後の調査で、出火原因と延焼の経過がほぼ明らかになっています。

 中央電視台新社屋北配楼の火災は、旧暦1月15日の「小正月」だったこの日、中央電視台の職員が新しくできた社屋ビルを背景にして花火を打ち上げ、それを映像に撮影しようとしていたところ、花火の一部がビルの屋上に落下し、着火した、というものです。屋上に着いた火がビル全体に燃え広がってしまった経緯については、次のように考えられています。このビルは、外観をよくするためにアルミ系の金属化粧板が取り付けられていました。また、このビルの外壁にはある種の断熱材が取り付けられていました。金属化粧板は、融点が低く、通常の火災で溶けてしまう程度のものだったのだそうです。また、断熱材は燃えやすい素材で、その発火点(火が点く温度)は金属化粧板の融点より低い温度だったのだそうです。屋上に着火した火は、金属化粧板を溶かし、溶けた金属が下の階に流れ落ち、その温度が階下の断熱材の発火点より高かったことから断熱材が燃え出し、周囲の金属化粧板を溶かし、それがさらに下の階に流れ落ちて階下の断熱材を発火させた結果、ビル全体が燃えてしまった、ということのようです。中央電視台新社屋北配楼は、建設直後の内装工事中で、共用前だったためビルの内部にいた人は少なく、ビル内にいた人に被害はありませんでしたが、消火作業に当たっていた消防士が1名殉職しています。

 この北京の中央電視台新社屋北配楼は、私が北京に駐在していた時に住んでいた場所から400メートル程度しか離れていない場所だったので、この火災は私自身、この目で見ました。鉄筋コンクリートのビルがこれほど激しく燃えるものか、と思えるほど炎と黒い煙を出して燃えていました。

(参考URL1)
このブログの2009年2月9日付け記事
「中国中央電視台の新ビルの北隣のビルで火災」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2009/02/post-6c05.html
このブログの2009年2月12日付け記事
「中国中央電視台新社屋敷地内ビル火災組写真」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2009/02/post-d5c5.html

 今回の上海での高層マンションの火災については、直接の出火原因となった工事関係者が逮捕されたわけですが、中国のネットワーク上では、燃えやすいビルの構造や上海市当局の対応が遅かったことなどに批判が集まっています。出火の原因を作った労働者ではなく、工事の責任者を逮捕せよ、といった意見もネット上にはありました。また、「新京報」の報道によれば、今回の改装工事を請け負っていた業者が「二級」のレベルであり、過去に安全管理の点で二度当局から注意を受けていたのに、上海市関連の多くの工事を請け負っていた、という疑問点も指摘されています。

 この火事について、広州の週刊紙「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)の特約評論員の林楚方氏は「上海:そこには推敲を禁じられた都市がある」と題するコラムを書いています。

(参考URL2)「南方周末」林楚方のブログ2010年11月17日付け記事
「上海:そこには推敲を禁じられた都市がある」(上海 ナ里有禁得起推敲的城市)(「ナ」は「くちへん」に「那」)
http://linchufang.z.infzm.com/
あるいは
http://column.inewsweek.cn/column-275.html

 「推敲」とは、もちろん中国の故事に基づく言葉で、文章や詩歌をよりよいものにするためにブラッシュ・アップすることです。このブログの記事の中で林楚方氏は、中国の都市は高層・超高層化されているが、「推敲」、即ち安全や効率化のための向上努力がなされていないし、誰もそれをしようとしていない、と指摘しています。

 この記事のちょっと刺激的なところは次のように呼びかけているところです。

「市長の皆さん、書記の皆さん。我々の都市をもっと強固なものにしてもらえないでしょうか。さらに省エネを推進し、防災対応能力をアップさせ、効率をアップさせ、それらに違反する者にはあらかじめ有効な制裁を加えることはできないのでしょうか。これは要求が高すぎますか? そうすることが国家政権に危害を加えることになるのですか? 災害が起きてから、緊急通知を出し、緊急に指示を出し、網羅的な検査を行って、何人かのかわいそうなスケープ・ゴートを引き出すことしかできないのでしょうか。そのような劇を演じることは、あまり意味がない、というよりは、大いに恥ずべきことです。」

 これは明らかに「地方政府批判」です。「国家政権に危害を加えること」を持ち出しているのは、たぶん「国家政権転覆罪」で服役中のままノーベル平和賞受賞が決まった劉暁波氏を念頭においた、相当にきつい「皮肉」だと思います。

 中国では「中央政府」を批判することは認められませんが、「地方政府」を批判すること(特に特定の地方政府を名指しで批判するのではなく、一般的に地方の政府のあり方全体に対して批判すること)は認められます。従って、上記のような「地方政府批判」は、中国でも認められている範囲内なのですが、問題は、今回の火災が上海で起きたことです。この上海での火災に関連して地方政府を批判する、ということは、上海市や上海市党委員会を批判することに直結します。上海市・上海市党委員会は、いわゆる「上海閥」(上海グループ)の本拠地です。次期国家主席の座をほぼ確実にしたといわれる習近平氏は、2007年10月の党大会で政治局常務委員になる前は上海市党委員会書記をしていました。習近平氏は、「上海閥」のトップグループの一人と言われ2006年9月に汚職の疑いで失脚した陳良宇氏の後任として上海市党委員会書記になったのだから、むしろ「上海閥」直系ではない、と考えるのが一般的ですが、上海市当局の上層部には「上海閥」系の人物が多数いることは明らかであす。いずれにせよ、中国第二の都市である上海市当局を批判することは、中国では政治的には極めて「敏感な」問題です。

 上記の林楚方氏のブログの文章には、結構過激なコメントも削除されずに掲載されています。昨日(11月20日)の日本テレビ系、TBS系のテレビのニュースでは、香港からの報道として、中国当局が上海での大火災の報道については新華社が配信する記事に一本化し、ネット上での報道もそれ以外は削除するように指示している、と伝えていました。しかし、少なくとも私が今日(11月21日)時点で見たところでは、上記の林楚方氏のブログの発言やそれに対するコメントは削除されていません。

 一方で、昨日(11月20日)、上に書いた2009年2月の北京の中央電視台新社屋ビルの火災の原因を作った中央電視台職員等に対する裁判において、「ビル自体に燃えやすい材料が使われていた」という「特殊情況」に配慮して、その罪を軽減することになった、と報じられました。これに対してはネットでは「『特殊情況』とは何だ」「罪の軽減は中央電視台職員という『特権階級』だからではないか」といった批判が起きています。「人民日報」ホームページ上の掲示板「強国論壇」では、この件に関する特集欄を作ったりしており、制限するどころか、「どんどん議論しようぜ」という雰囲気です。そもそも、このタイミングを狙って2年近く前の北京の火災の関係者の罪状を「軽減する」というニュースを流すことには、何かわざとらしい「意図」を感じます。

 これらの情況を踏まえると、上海市当局が火災に関する報道を抑制しようとしているのに対し、北京側(=中国共産党中央の一部の勢力)が「批判すべきところはきちんと議論して批判する」という態度に出ているように見えます。つまり、ひとことで「中国当局」と言っていますが、その実態は、中国の内部にもいろいろな勢力(はっきり言えば「上海閥」対「反上海閥」)がおり、それらが勢力争いを繰り広げているのが現状だと思います。

 APECの際、胡錦濤主席は11月13日に行われた横浜での日中首脳会談で「平和、友好、協力」を強調しました。その旨は中国国内でも報道されていますので、「反日デモ」はもう収まると思います(胡錦濤国家主席がそう言っているのに、さらに「反日」を主張することは、即、国家主席に反対することになるので、中国では、そういった動きが許されるはずがありません)。

 今後は、何か急に動き出すことはたぶんないと思いますが、上記に垣間見える「上海閥」対「反上海閥」といった内部勢力争いと、最近特に目立ってきた物価高騰に対する庶民の怒りとが、徐々に2012年秋の党大会へ向けての「次の動き」に対する土台を作っていくことになるのだと思います。

以上

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2010年11月 7日 (日)

尖閣・ノーベル平和賞:対中国包囲網への警戒

 2010年9月7日に起きた尖閣諸島(中国での呼称:釣魚島)での中国漁船衝突事件と、10月8日に発表された民主運動家・劉暁波氏へのノーベル平和賞授賞決定とは、全く別次元の全く関係のないできごとです。しかし、かなり多くの人が、尖閣諸島事件によって盛り上がった中国の若者たちの間の「反日デモ」が、劉暁波氏へのノーベル平和賞授賞決定で元気の出た民主化運動と結びついて、中国の大衆による民主化運動へ発展するのではないか、といった見方をしています。この見方については、国際世論が勝手にそういった見方をしているのではなく、中国当局自身がそういった「二つのできごとの結び付き」に強い警戒感を持っていることで裏付けられています。

 尖閣諸島での漁船衝突事件のビデオがネットに流出して騒ぎになる直前の11月5日付けの「人民日報」の2面の紙面に、「ノーベルの遺志に背く平和賞」と題する郭述という人の署名入りの評論が掲載されました。この評論では、ノーベル平和賞を非難するものですが、ノーベル平和賞も含めた最近の一連の動きを「西側各国による中国包囲網の一環だ」として警戒しています。

 実際は、尖閣問題ではレア・アースの輸出制限をして日本以外の国からの警戒感を惹起したり、ノーベル平和賞に関してはノルウェー政府にプレッシャーを掛けたりして、「中国警戒すべし」と各国に思わせているのは、中国自身の行動が原因であり、「西側諸国が中国を包囲しようとしている」というのは、中国側の一方的な一種の被害者妄想だと私は思いますが。

 この評論「ノーベルの遺志に背く平和賞」のポイントは以下のとおりです。

(参考URL1)
2010年11月5日「人民日報」2面
「ノーベルの遺志に背く平和賞」(郭述)
http://opinion.people.com.cn/GB/13142332.html

--評論「ノーベルの遺志に背く平和賞」(郭述)のポイント--

○ノーベルの遺志は、各国の友好を推進し、各民族の融和を願うものだった。しかし、近年、ノーベル平和賞はノーベルの意志からかい離し、特に冷戦終結後は、西側の「人権至上主義」の旗を世界に広げる役割を果たしてきた。

○特に1970年代~90年代には、ノーベル平和賞は「ソ連解体のための黒い手」となった。1975年には自分の国家に反対を唱えたサハロフに平和賞がノーベル平和賞が与えられ、1990年には自分の国家を解体に導いた元ソ連共産党書記長のゴルバチョフにノーベル平和賞が与えられた。これは欧米国家による政治的弾丸であり、「平和」の意図とは完全に相反するものである。

○今まで中国人では、二人のノーベル平和賞受賞者がいる。一人はダライ・ラマであり、もうひとりは劉暁波である。1989年3月、ダライ・ラマ集団はチベット自治区ラサにおいて重大な流血事件を起こし、6月には西側の某勢力の教唆と支持の下、北京で政治風波を発生させ、その後、中国を西側世界から孤立させた。ノーベル委員会委員長は「ダライ・ラマを表彰することは北京政府を懲罰することである」とさえ言った。ダライ・ラマのノーベル平和賞受賞は、中国に圧力を掛け、中国を分裂させようとする一連の動きのひとつであることは明らかである。

(訳注:「政治風波」とは第二次天安門事件のこと。なお、1989年3月のラサ暴動を鎮圧したチベット自治区党書記は、現国家主席の胡錦涛氏。ダライ・ラマ16世へのノーベル平和賞授賞は1989年10月に決定された。)

○劉暁波のノーベル平和賞受賞の理由について、ノーベル委員会は「長年にわたる非暴力による中国での基本的人権闘争を行ったこと」と述べており、このこともノーベル平和賞受賞と人権とが直接関係していることを明示している。ところが劉暁波がやったことと言えば、誹謗・中傷の方法によって、他人を扇動して一緒に署名して、インターネット上に、現有政治を変え、現政権を転覆させようと宣伝することだった。劉暁波のいわゆる「人権闘争」とは、現政権と現在の制度を転覆させ、西側の民主と制度にしようとするものであり、中国の憲法と法律に反するものである。それこそが国家政権転覆扇動罪になった理由であり、同時にノーベル平和賞受賞の主要な理由であった。

○ダライ・ラマと劉暁波のほか、ラビア、胡佳、魏京生もノーベル平和賞候補のリストに載っているという。劉暁波のノーベル平和賞受賞は、西側による一連の長期にわたる組織的で詳細に仕組まれた中国に対する西欧化、分裂化を企む政治的謀略が継続していることを示している。

(訳注:ラビア・カーディル氏はウィグル族指導者(アメリカに滞在中)。胡佳氏は、エイズ患者保護などを訴えた民主活動家で、現在服役中。魏京生氏は、1979年の「北京の春」の時に共産党支配を批判したとして現在服役中。これらの人々の名が人民日報の紙面に登場することは極めて異例。)

○ノーベル平和賞による繰り返される中国に対する非難は、西側の中国の勃興に対するおそれを反映している。中国は社会を安定させながら大きな経済発展を遂げているが、逆に西側諸国は活力を失っている。西側は、西側と異なる政治制度を有する中国がこのように強大になり、多方面で成功していることを望まないのである。だからこそ、北京オリンピックの機会を借りた2008年3月14日のチベット争乱、2009年7月5日のウィグル争乱、グーグル問題から釣魚(尖閣の中国側呼称)問題に至るまで、様々な方法が行われたが、いずれも中国に対して効果がないことから、今度はノーベル平和賞という政治的道具を使ってきたのである。

○西側のこうした反中国勢力の手法には何も効果がないことは事実が証明している。前途にいろいろ雑音はあることは避けられないが、我々は社会主義近代国家の建設と中華民族の大復興を世界と手を携えて進めていく。

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 この評論が中国共産党機関紙である「人民日報」に掲載されたことは、現在、中国共産党指導部が持っている「恐怖心」を非常に正直に表現していると思います。「ノーベル平和賞がソ連解体の『黒い手』だった」という表現がそれを端的に示しています。ゴルバチョフ氏の「ペレストロイカ(改革路線)」と「グラスノスチ(情報公開方針)」を出発点として、ソ連共産党とソビエト連邦の解体に終わった1989年~1991年の「ソ連・東欧革命」の道を中国共産党は最も恐れているからです。1980年代、社会主義国における「改革開放」では世界の最先端を走っていた中国共産党は、その恐怖心の故に、1989年6月、天安門広場周辺に人民解放軍を導入し、武力で「ソ連・東欧革命」が中国に及ぶことを拒否したのでした。

 2008年3月のチベット自治区での争乱、2009年7月の新疆ウィグル自治区での争乱、今年初めのグーグルが中国から撤退すると表明した時の騒ぎ、そして今回の尖閣問題とノーベル平和賞について、諸外国では現在の中国共産党による支配体制の「きしみ」と見ていますが、上記の論文を見れば、中国共産党指導部自身、同じ見方をしていることがわかります。

 また、上記の評論については、従来は「無視」するのが通例であったダライ・ラマ氏や劉暁波氏、ラビア氏、胡佳氏、魏京生氏の名前を列記していることは、内容は非難になっていますが、中国人民に事実を知らせる、という意味で、この記事は有意義な記事だったと思います。「政治風波(第二次天安門事件)」に対する記述を見ても、「完全無視」から「無視しないできちんと非難する」というふうに、対応方針が明らかに変化しているように見えるからです。

 その「変化」を示すもう一つの例として、11月3日に「法制日報」に掲載された劉暁波氏を批判する評論「刑法の専門家が劉暁波と言論の自由との関係について語る」(張正儀という署名入り)があります。

 この評論のポイントは以下の通りです。

(参考URL2)
「法制網」ホームページ2010年11月3日10:02アップ記事
「いわゆる『言論により罪を得る』は劉暁波の判決に対する誤読である~刑法の専門家が劉暁波と言論の自由との関係について語る~」(張正儀)
http://www.legaldaily.com.cn/index_article/content/2010-11/03/content_2337624.htm

--「刑法の専門家が劉暁波と言論の自由との関係について語る」(張正儀)のポイント--

○劉暁波は国家政権転覆罪で懲役11年、政治的権利はく奪2年の刑を受け、今年2月に結審した。一方、ノーベル委員会は今年のノーベル平和賞を劉暁波に与えると発表した。中国内外で、劉暁波は「言論によって罪を得た」と議論されている。そういった議論が正しいかどうか、記者は高名な刑法学者の高銘セン教授に取材した(「セン」は「日」へんに「宣」)。高銘セン教授によると次のとおり。

○劉暁波は「社会を改変することによって政権を改変する」と題する論文をBBCネット中国語版等を通じて発表したり、「ひとつの党が壟断する執政特権を廃止する」「中華連邦共和国を設立する」などの主張をインターネット等で発表したりした。劉暁波は、「これらは政治的評論であり、国家政権転覆罪には当たらない」と主張している。

○「国家政権転覆罪」という犯罪を形成するのか、政治的論評なのか、を判断するには、発表された文章の内容を検討する必要がある。劉暁波は「中国共産党独裁政権は、国と人民に災いを及ぼしている」とし、「政権の改変」「中華連邦共和国を設立」等を主張している。これは明らかに民衆を扇動し、中国共産党が指導する人民民主主義独裁と社会主義に基づく合法的な現行の政権を転覆させよう、という情報を伝達するものであり、一般的な政治批評を逸脱しており、社会に危害を加えようとするものである。

○現行政権に変更を求める評論が全て刑法で罰せられるのか、という点については、国家に危害を与える扇動を防止させるために刑罰を科すという手段を用いる必要があるか、に掛かっている。判断には「扇動、誹謗、中傷が行われているか」ということと「社会に与える影響が重大であるか」ということが基準となる。劉暁波は「1949年に成立した『新中国』は、名義上は『人民共和国』であるが、その実態は『党天下』である」「現在の世界の大国の中において、中国だけが唯一、権威主義的政治形態によって絶えることなく人権を侵害し社会的危機を造成している国である」と主張している。これこそ扇動、誹謗、中傷である。また、その社会的影響も重大である。また、署名人として他人の同意を求めてインターネットに文書を発表しており、これは「言論」の問題ではなく、刑法が禁止する「行為」の問題である。

○多くの国においても、武力による反乱や国家の重要人物を暗殺を扇動するような行為は禁止されている。また、諸外国においても、言論の自由は、社会に与える危害の程度と言論の自由の権利とのバランスによって判断されるとされている。劉暁波の案件も、この判断基準を適応して判断されたものである。

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 中国当局は、2008年12月9日に「零八憲章」がインターネット上で発表された時には、徹底的にこれを削除しまくりましたが、上記の評論では非難の対象とは言いながら「新中国は、名前の上では『人民共和国』だが、実体的には『党天下』である」といった、この「零八憲章」の最も重要なポイントを中国の人々の前に提示しています。「無視する」「触れない」のではなく、「取り上げた上で批判する」というふうに路線を変更したことが明確に見て取れます。

 「とにかく削除」ではなく、「議論してよい」となれば、ネット上の掲示板などでは議論になりそうですが、「人民日報」ホームページ上の掲示板「強国論壇」は、どうやら最近「事後検閲(アップされた発言が問題であれば削除する)」から「事前検閲(アップして差し支えないと判断された発言のみがアップされる)」に変更になったようです。私も正確にはわかりませんが、発言のタイムスタンプを見ると、タイムスタンプからアップされるまで、ちょっと時間が掛かっているようですし、発言者の中から「システムの故障?」「管理人にお尋ねしますが、全部審査されることになったんですか?」といった声が上がっていますので、掲示板「強国論壇」ではたぶん何らかのシステムの変更があったのだと思います。

 紆余曲折はあるのでしょうが、「無視する」「触れない」といった「臭いものにフタをする」といった態度から、表に出して議論する、という方向に変わったのだとしたら、「半歩前進」と言えるかもしれません。

 一方で、世論のコントロールを失うことへの警戒感を強く出す評論も出ています。

 11月2日に理論雑誌「求是」のホームページに掲載された「世論のコントロールを失うこと:ソ連解体の促進剤」と題する評論が端的にそれを表しています。

(参考URL3)
「新華社」のホームページに2010年11月2日09:35にアップされた「求是」の記事
「世論のコントロールを失うこと:ソ連解体の促進剤」
http://news.xinhuanet.com/politics/2010-11/02/c_12728261.htm

 この評論では、下記の点を指摘しています。

--「世論のコントロールを失うこと:ソ連解体の促進剤」のポイント--

○ゴルバチョフによる「メディア改革」により、各種のメディアがソ連共産党の指導から離れ、情報公開の促進によって世論の多元化が進んだことにより、民衆の中にある政府に対する不満と国内の民族対立を激化させた。

○1987年、ゴルバチョフの指示により、ソ連が西側からの放送に対する電波妨害を停止したことから、西側は絶え間なくBBCやVOAやテレビによる「平和的なソ連社会の改変」が進んだ。

○これらの事実は、ゴルバチョフのメディア改革によって数十年にわたる努力によって築かれた社会主義の防波堤が、わずか数年で内部から崩壊してしまったこと示している。ある学者は、「メディア改革--メディアの開放--外部からの介入--マイナス面が表に出る--民衆の不満が累積する--政府によるコントロールが無力化する--世論が徹底的にコントロールを失う--政権を失い国家が解体される」といったモデルを提示している。

○千里の堤も蟻の一穴から。ソ連解体後、ロシアはその後10年間、衰退の道を歩み、かつての超大国は、西側の圧力を受ける一つの国家になってしまった。中国が中国の特色のある社会主義の道を正しく歩むについては、この経験に学ぶことは非常に重要である。

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 「ソ連解体の経験に学べ」という議論は以前からなされてきていますが、この時点で上記のような主張が改めて中国共産党の指導思想を議論する理論誌「求是」に掲載されたことは、尖閣問題やノーベル平和賞授賞といった「西側からの中国包囲網」に対し、中国共産党指導部が今のタイミングで非常に警戒感を高めている証拠であると言えるでしょう。

以上

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2010年10月31日 (日)

「反日デモ」と「人民日報」「強国論壇」

 尖閣諸島での中国漁船船長の逮捕をきっかけとして、中国内陸部で「反日デモ」が起き、10月29日にハノイで行われるだろうと思われていた日中首脳会談がなくなるなど、日中関係がぎくしゃくしています。私は今、日本にいて、報道されている以外に中国の状況を知る立場にはありませんが、「人民日報」のホームページ(紙媒体の新聞として印刷される「人民日報」そのものもネットから見ることができる)を見ていて気がついたことを書いてみたいと思います。

 特に「人民日報」ホームページ上には、「強国論壇」と呼ばれる掲示板があり、ネットワーカーが様々な書き込みがなされるので、これも参考になります。当局に不都合な発言は管理人が削除しますが、書き込まれてから「不適切」と判断して削除されるまで数分~30程度タイムラグがあるので、運がよければ、削除されるような発言を削除される前に見ることもできます(ただし、もちろん全て中国語です)。

 「人民日報」ホームページ、「人民日報」の紙面に載った記事、掲示板「強国論壇」に掲載されたネットワーカー発言(削除された発言)で気がついたものを書いておきます。

(1)劉暁波氏のノーベル平和賞受賞

○受賞決定直後の反応

 10月8日にノーベル委員会は、中国共産党による支配を批判した文書「零八憲章」を起草した一人とされる劉暁波氏にノーベル平和賞を授与することを決定しました。これは中国国内に居住する中華人民共和国国籍を持つ初めてのノーベル賞受賞者が誕生したことを意味しますが、中国のメディアはこの時点では全く報道しませんでした。しかし、掲示板「強国論壇」では、発表直後からノーベル平和賞に関する発言(賞賛と反対と両方ありましたが)があふれ、中国のネットワーカーたちはネット経由ですぐにこの情報を得たことがわかりました。ただし、受賞を祝う発言は、すぐに削除されました。

○「人民日報」等の反論

 10月17日付け「人民日報」は3面の国際評論の欄に「ノーベル平和賞は政治的目的に走っている」という評論文を掲載しました。この評論文では、服役中の劉暁波氏にノーベル平和賞が与えられることになったことを報じた上で、そうした決定をしたノーベル委員会について「ノーベル平和賞を政治的に利用するものだ」と非難していました。この評論を「人民日報」が掲載したことを日本のマスコミは報じていないようなので、多くの日本の人たちは劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞したことを中国の人は知らない、と思っている人がいるようですが、これは誤りです。

 その後、10月26日14:05付けで「中国網」が劉暁波氏を批判する文章「劉暁波:その人そのやったこと」をアップしました。「人民日報」のホームページもこの文章にリンクを張りました。この文章のポイントは以下のとおりです。

---「劉暁波:その人そのやったこと」のポイント---

(参考URL1)人民日報ホームページ
「劉暁波:その人そのやったこと」
(「中国網」2010年10月26日14:05アップ)
http://world.people.com.cn/GB/13053039.html

○劉暁波は「人を驚かすこと」で頭角を現した人物である。

○「1989年の政治風波」(第二次天安門事件)の時には、「名を上げるチャンスだ」として当時滞在していたアメリカから帰国し、「六四動乱」の首謀者となった。

(筆者注1:「1989年の政治風波」「六四動乱」は、ともに「第二次天安門事件」のこと。)

○彼は「香港が100年植民地だったのだから、中国は300年植民地でいても足りないくらいだ」と言ったり、「中国人は創造力が欠けている」と評したりしている。

○「六四」動乱の後、起訴され、涙を流して「懺悔書」を書いたが、その後もいわゆる「民主化運動」を続けた。

○アメリカのCIAが後ろにいるアメリカ国家民主基金会が補助する「民主中国」社に職を得て、年収23,004ドルを受け取っていた。

○2008年にいわゆる「零八憲章」をインターネットを使った扇動、誹謗の方法で発表した。「零八憲章」は中国の現行の憲法と法律を完全に否定し、党の指導と現行の政治体制の一切を否定し、西側の政治制度に変えることを主張して、段階的に民衆に混乱を起こさせ、「暴力革命」を吹聴する主張である。彼は2008年12月、国家政権転覆扇動罪で懲役11年、政治的権利剥奪2年の刑に処せられた。

(筆者注2:劉暁波氏は、2008年12月に起訴され、一審、二審の裁判の結果、2010年2月に刑が確定した。上記の記述は、起訴された時点で刑が決まり、裁判なんかどうでもよいのだ、という中国の現状を表していると言える。)

○彼は次のように主張している。「アメリカ人民によって確立され全世界を覆った自由秩序のためならば常を越えた代価が必要である」「自由の女神が持つ火が全地球を焼き尽くすことを想像する必要がある。全ての人は対テロリズム戦争に対する責任を有する」。

○劉暁波は、西側が中国を変革させようとする企みの「馬の前の兵卒」であり、中国人にとって唾棄すべき存在である。

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 上記の非難文の中で「零八憲章」がどんなものであるかを紹介していますが、ここで紹介するのだったら、「零八憲章」が発表された後、様々なサイトに転載されているものを片っ端から削除しまくっていたのはなぜなのか、という疑問がわきます。また、マルクス、レーニンや毛沢東が「資本主義を倒し共産主義を打ち立てるには『暴力革命』しかない」と主張していたことを考えると、「零八憲章」について「暴力革命を吹聴する主張だ」と非難することには大きな違和感を感じます。

 なお、劉暁波氏個人については、その主張に一部過激なものもあり、アメリカによるイラク戦争に賛意を表するなど、西側にも批判的に見る人もいるのは事実です。

(2)中国内陸部における若者らによる「反日デモ」と「人民日報」の反応

 10月16日(土)に四川省成都、陝西省西安、河南省鄭州で「反日デモ」が起きました。このデモは中国国内では報道されませんでしたが、16日夜の時点で、掲示板「強国論壇」には以下のような発言がアップされていました。

○「散歩」があったみたいだけど、どこ?

(筆者注:「散歩」とは「集団散歩」のことで、「デモ」と書くと削除される可能性があるので、それを避けるために掲示板などでよく使われる隠語)

○成都、西安、鄭州ですよ。

○今回の「散歩」は当局も支持していたんですかね、不支持だったんですかね? 御存じの方、教えて。

○当局も一枚岩っていうわけじゃないのかも。

 上記の発言は削除されずに残っていましたが、以下の発言はアップされてから30分程度後に削除されました。

○今回の「散歩」は単なる反日ではないのではないか。性質が変わる側面があるのではないか。政治改革への反対に対するひとつの反面教師を提示したのではないか。

 上の発言が削除された、ということは、ある意味では、この発言が当局の痛いところを突いた発言だったことを示すものだ、ということもできると思います。

 翌10月17日(日)には四川省綿陽で、次の週末の10月23日(土)には四川省徳陽で、24日(日)には陝西省宝鶏で、26日(火)には重慶市で「反日デモ」がありました。16日の成都、17日の綿陽でのデモでは、一部が暴徒化し日本車や日本関係の店舗の破壊が行われましたが、その他のデモは大きいものでも1,000人規模のもので、「民衆運動」と言えるような規模のものではありませんでした。

 ただ、注目されるのは24日に起きた宝鶏のデモです。このデモでは、「反日」の横断幕のほか、「複数政党と協力せよ」「住宅が高すぎ」「格差是正を」「報道に自由を」「英九兄貴、大陸へ歓迎します」といった党・政府批判の横断幕もありました(「英九兄貴」とは、台湾の馬英九総統に親しみを持って呼びかけた言葉)。反日の横断幕は紅い布に、その他の横断幕は緑や青の布に書かれており、デモの主催者は明らかに「反日以外の主張」をスローガンとして掲げることを意図したものと思われます。この四川省宝鶏でのデモは、外国メディアは注目していなかったため当日は報道されませんでしたが、翌25日になってフジテレビ系列がその映像を放映しました(ネットでも見られました)。これは現場で撮影した一般市民が報道関係者に映像を提供した可能性があります。映像を映せる携帯電話は世界全体に普及していますので、こういったことはありうることです。

 この宝鶏のデモで使われた直接的に党や政府の政策を批判するスローガンは、今までの中国ではあり得なかったことです。1989年の第二次天安門事件に関する情報が遮断されている中、過去の中国共産党や中国の中央政府に反対する大衆運動に対する当局の反応の恐さを知らない若者だからこそできた行為なのかもしれません。

 26日(火)には、ネット上で重慶市での「反日デモ」が予告されていました。重慶は内陸部の大都市であり、日本の総領事館もあり外国人報道関係者もたくさんいるので、ここでデモが起きれば世界に大きく報道されることになります。こうした若者たちの動きに対して、「人民日報」は10月26日付け紙面の4面に「愛国の熱情は法に従い理性によって発揮しよう」という評論を掲載しました。この評論は24日(日)15:56(北京時間)に「人民日報」ホームページ上に掲載されていたものです。

(参考URL2)「人民日報」ホームページ
「愛国の熱情は法に従い理性によって発揮しよう」
(2010年10月26日付け「人民日報」4面)
http://society.people.com.cn/GB/13046902.html

 しかし、26日の重慶市の「反日デモ」は起きました。人数的には1,000人ということですので、それほど大規模なデモでもなかったし、破壊行為等も起きませんでした。こういった動きに対応してかどうかわかりませんが、翌27日(水)の「人民日報」では、1面下の方に「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」という署名入り評論を掲載しました。

 この評論のポイントは以下のとおりです。

---「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」(鄭青原)のポイント---

(参考URL3)「人民日報」ホームページ
「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」(鄭青原)
(2010年10月27日付け「人民日報」1面)
http://opinion.people.com.cn/GB/40604/13056137.html

○これまでも政治体制改革は進めてきた。

○トウ小平氏は、政治体制改革には「政局の安定性」「人民の団結と人民生活の改善」「生産力の発展に寄与できるか」がポイントであると述べていた。

○社会主義制度政治の優位さは、人民の力を集中させることにおいて、四川大地震などの自然災害、経済的ショック、政治風波の試練を通して、我々を円満に組織し、国際活動の場に対し、中華の大地のおける奇跡を示すことができた。

○正確な政治的方向に沿い、積極的かつ穏健に政治体制改革を進めるには、中国共産党による指導を確固たるものにすることが必須であり、党による指導を放棄するものであってはならない。

○中国の歴史と国情に立脚すれば、政治体制改革を進めるにあたっては、我々独自の道を歩まねばならない。決して西側のモデルに従ってはならず、多党制による権力のたらい回しや三権分立ではなく、ひとつにまとめなければならない。

○政治体制改革は13億の人口を抱える中国の実情から出発しなければならない。生産力、経済体制、歴史的条件、経済発展のレベル、文化教育水準のレベルを踏まえて、秩序だって一歩づつ進まねばならず、実情から離れたり、ステップを飛び越えたり、実現できないスローガンを唱えたりしてはならない。

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 三つ目の○の中にある「政府風波」とは、1989年の「第二次天安門事件」を示す言葉ですが、こういった文脈で「第二次天安門事件」をにおわせる表現を使うことは異例です。

 この「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」という評論については、翌28日付け「人民日報」では「ネットワーカーが熱く議論」と称して、掲示板に掲載されたこの評論に対するネットワーカーの意見を載せています。載せられている発言は全てこの評論の論旨に賛意を表するもので、実際は「議論」になっていないのですが、「人民日報」としてはネットワーカーも「党の指導の堅持」や「西側をモデルとした政治制度導入に反対」といった党の方針を支持している、と言いたかったのでしょう。

 各地で起きている若者のデモはそれほど大規模なものではなく、北京、上海、広州など沿海部の大都市では起きていないので、最近の若者の動きが中国の政治体制に影響を与えるとは思えないのですが、「人民日報」がこういった「政治体制改革」に関する評論を連日掲載するところを見ると、中国の指導部の内部に相当な懸念があることを伺わせます。

 その懸念とは、尖閣諸島での漁船船長逮捕事件をきっかけとして起こった「反日デモ」と劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞とが共鳴しあって、若者らの運動が反党・反政府あるいは民主化運動へと高まることです。それは上に述べたように「『散歩』は反日ではなく、性質が変わる可能性があるのではないか」との掲示板の発言を削除したことでもわかります。連日起きているのが「反日デモ」であるにもかかわらずが「人民日報」が「政治体制改革」に関する評論を連日掲載していることは、中国の指導部も「反日デモ」の背景に「現在の政治体制への反発」があることをよく理解しているのでしょう。

 実は、最近の掲示板「強国論壇」では、「一人一票」という言葉が流行っています。「一人一票」は、反党・反体制を意味しませんから削除対象にはなりません。数から言えば、反日や尖閣諸島(中国名:釣魚島)の案件よりも、この「一人一票」関連の発言の方が多いと思います。

 「社会会主義とは何か、資本主義とは何か。韓国と朝鮮(北朝鮮)を比較すれば一目瞭然じゃないか。」といった書き込みは削除されません。ただし、「あなたが貧乏人ならば、貧困の原因は『憲法』があなたの利益を代表していないからだ、ということは明白にわかるだろう。団結して闘争に立ち上がり、部分的な民主しかない『憲法』ではなく全人民がみんなで決めることを要求しよう!」といった書き込みは削除されます。直接的に党の方針に反対したり「体制をひっくり返そう」と呼び掛けたりしない範囲ならば、一定程度の発言は認めよう、というのが現在の中国のネットワーク・コントロール方針ですが、それで多様化する中国の若者たちを前にしてどこまで対応可能なのでしょうか。

 今日(2010年10月31日)で上海万博が終わります。「中国では、いろいろ問題があるけれども、『北京オリンピック』と『上海万博』という国際的大イベントが終わるまでは、社会の安定を崩すわけにはいかないから、何も動きはありませんよ。」とよく言われてきました。その「国際的大イベント」が終わった今、次の時代の新しい動きが始まりつつあるのかもしれません。

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2010年10月16日 (土)

「08憲章(零八憲章)」全文の日本語訳

 劉暁波氏が2010年度のノーベル平和賞を受賞することが決まりました。中国に在住する中華人民共和国国籍の人がノーベル賞を受賞するのはこれが初めてです。劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞するひとつのきっかけとなり、また同氏が拘束されて懲役11年(政治的権利剥奪2年)の刑を受けたきっかけとなったのは、同氏が2010年12月にインターネット上で発表された「08憲章(零八憲章)」の主要な起草者であるからである、とされています。

 既に「08憲章」の概要は日本の新聞等にも掲載されていますが、「08憲章」は、現在の中国が抱える問題点を網羅的に指摘していると考えられますので、下記に全文の日本語訳を掲載します。この文章は、インターネット上に掲載されていた原文(中国語)を私が翻訳したものです。中国現代史にお詳しくない方にはわかりくい文言については、私が「訳注」をつけました。

 なお、劉暁波氏については、私のこのブログにある「中国現代史概説」の「第二次天安門事件」や「インターネット規制と『08憲章』」の項目をご覧ください。

(参考URL)私のブログの2010年5月18日付け記事
「『中国現代史概説』の目次と参考資料等のリスト」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/05/post-a7df.html

 この「08憲章」は2008年12月9日にインターネット上で公表されたものです。現在、「08憲章」が掲載されているインターネット上のサイト(外国語のものも含む)の多くは、中国大陸からはアクセスできないように規制が掛かっています。このブログを書いているニフティ社のブログサイト「ココログ」は、2009年暮ないし2010年初の段階で中国大陸部からのアクセスができない状態になっています。従って、下記の文章を中国大陸から見ることはできませんが、中国大陸以外にいる日本語のわかる方に御一読いただきたいと思ってアップしました。

 中国政府は「08憲章」に反対の立場を取っていますが、「08憲章」のどこが問題であるか、といった議論をすることすら許されていません。「08憲章」が中国の社会の分裂を招くよくない文章だと思うのならば、その問題点を指摘して堂々と反論すればよいのですが、賛成をすることのみならず「議論をすること」が禁じられているのです。

 現在(2010年10月15日~18日)、中国では中国共産党第17期中央委員会第5回全体会議(第17期五中全会)が開催されています。この会議で、胡錦濤総書記(国家主席)の後継者となる指導者の人事が決まるかもしれない、などと報道されています。このタイミングで「08憲章」を起草した中心人物とされる劉暁波氏へのノーベル平和賞授賞が決まったことは、「中国現代史」との中でのひとつの「エポック」と言えることになるかもしれません。その意味もあり、私がシリーズで書いてきた「中国現代史概説」の延長線上の参考資料として「08憲章」の全文の日本語訳をアップしようと思った次第です。(なお、日本語として読みやすいように、原文では一段落になっている部分についても、日本語訳では段落をつけてある部分がありますので、その点はご了承ください)。

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【08憲章】(零八憲章)

1.まえがき

 今年(2008年)は中国で立憲制度ができて100年(訳注1)、「世界人権宣言」が発表されて60周年、「民主の壁」が誕生して30周年、中国政府が「国民の権利と政治的権利に関する国際条約」に署名して10周年である。

(訳注1)清王朝の末期の1908年8月に「欽定憲法大綱」公布された。

 長期的な人権侵害と曲がりくねった困難な抗争の歴史を経て、目覚めた中国国民は、自由、平等、人権という人類共通の普遍的価値、即ち、民主、共和、憲政という現代政治の基本的な制度機構について、日に日に明確に認識するようになってきている。この普遍的な価値と基本的な政治機構を離れた「近代化」とは、人の権利を奪い、人間性を腐食させ、人間の尊厳を傷つけるという災難に満ちたプロセスである。21世紀の中国がこれから向かう方向はどこなのか。このような権威主義的統治の下での「近代化」が継続していくのか? はたまた普遍的価値を認識し、主流となっている文明を導入し、民主的政治体制を成立させるのか? これは、ひとつの避けることのできない選択である。

 19世紀中期の歴史的大変革において、中国の伝統的専制政治制度が腐敗し、中華の大地に「数千年見ることがなかった大変化」が除幕した。洋務運動(訳注2)では、物質の側面においての革新を追求したが、日清戦争において体制が既に時代遅れになってしまっていることが再び暴露されてしまった。戊戌の変法(訳注3)においては、制度の側面において革新を図ろうとしたが、結局は頑迷派による残酷な鎮圧により失敗してしまった。辛亥革命では、表面上、2000年以上続いた皇帝制度を葬り去り、アジアで最初の共和国を成立させた。当時の内憂外患の歴史的条件の中において、共和制度による政治体制は一瞬花を開いたが、すぐにまた専制主義による巻き返しを受けた。

(訳注2)「洋務運動」とは、1860年のアロー号戦争の後、危機感を持った曾国藩、李鴻章、左宗棠ら清朝の開明派の官僚が起こした運動で、積極的に西洋の技術を学ぼうとするもの。そのスローガンは「中体西用」(中国の体制の下で西洋の物資や技術を利用する)というものだった。

(訳注3)「戊戌の変法」とは、1894~1895年の日清戦争に敗れた清朝の進歩派官僚(康有為、梁啓超、譚嗣同ら)が光緒帝の賛同を得て、軍隊の洋式化、科挙の廃止、立憲君主制の構築などを目指して1898年に行った改革運動。当時、清朝の実権を握っていた西太后をはじめとする旧守派の前にわずか100日足らずで瓦解した。

 物質面での模倣と制度面での革新に失敗し、中国の人々は、文化的病根に対して深く反省し、遂に「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動を開始した(訳注4)。しかし、国内にしきりに起こる戦乱と外敵の侵入により、中国政治の民主化の過程は中断を迫られた。抗日戦争に勝利した後、中国は再び憲政の過程を開始したが、国共内戦の結果、中国は現代版権威主義の深みに落ち込むこととなった。1949年に成立した「新中国」は、名前の上では「人民共和国」であるが、実質上は「党天下」である。執政党が全ての政治、経済、社会、資源を壟断(ろうだん)している。反右派闘争、大躍進、文革、六四(訳注5)、民間宗教活動や人権保護活動に対する弾圧など一連の人権侵害によって、数千万の命が失われ、国民と国家は、悲惨な対価を支払うことになった。

(訳注4)「五四運動」とは、直接的には、第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議において、山東半島からの日本軍の撤退等を要求した中国の要求が却下されたことに怒った中国の学生らが1919年5月4日に始めた愛国(反日)、反軍閥、反買弁資本家運動であるが、現在では、この頃進められていた諸外国の思想を紹介する啓蒙運動や魯迅などが進めていた文化面での改革運動など幅広い国民運動を含めて「五四運動」と呼んでいる。

(訳注5)「六四」とは、1989年6月4日に人民解放軍による武力弾圧によって幕を閉じた一連の学生や市民らによる運動、即ち「第二次天安門事件」のことである。

 20世紀後期における「改革開放」は、中国を毛沢東時代にあった広範な貧困と絶対的な権威主義から脱却させ、民間における財産と大衆の生活レベルを大幅に向上させ、個人の経済的自由と社会的権利の一部を回復させ、国民社会の成長を開始させた。この時期、民間における人権と政治的自由に対する要求は日に日に高まりを見せた。執政者は、市場化と私有化の経済改革へ向かって進むと同時に、人権を拒絶する状態から抜けだし、人権を段階的に変化させていくことを承認し始めた。中国政府は、1997年と1998年にそれぞれ2つの重要な国際人権条約に署名し、全国人民代表大会は2004年に憲法を修正して「人権を尊重し保障する」という文言を憲法の中に書き入れ、今年(2008年)、「国家人権行動計画」を承認しその実施を推進した。

 しかし、これらの政治の進歩は、今までのところほとんどは紙面上のことに留まっている。法律はあるけれども法治はなく、憲法はあるけれども憲政はなく、依然として政治の現実は誰の目にも明らかなものとなっている。執政集団は、依然として権威的統治を堅持しており、政治を改革することを拒絶している。これにより行政の場に腐敗が生じ、法治が確立ことは難しくなり、人権は明確にならず、道徳は衰退している。社会は両極端に分化し、経済は奇形的発展を遂げ、自然環境と人間文化環境は多重的な破壊を受け、国民の自由と財産及び幸福を追求する権利に対しては制度的保障が与えられず、各種の社会的矛盾は絶え間なく累積し、不満の感情は継続的に高まっている。特に、官民の対立激化と集団性事件の激増は、これらの問題がコントロールを失う情勢になりつつあり、現行体制は既に改革が避けられない段階にまで至っていることを明確に示している。

2.我々の基本理念

 この中国の未来の命運を握る歴史的節目に当たり、100年来の近代化の過程を反省する必要がある。我々は、次のような基本理念を掲げる。

自由:自由は、普遍的価値の核心が存在している部分である。言論、出版、集会、結社、引っ越し、ストライキ及びデモ等の権利は、全て自由を具体的に体現させたものである。自由を唱えないならば、即ち、現代文明ではない、ということができる。

人権:人権は国家から与えられるものではなく、各個人が生まれながらにして享有している権利である。人権を保障することは、即ち政府の第一の目標であり、公共の権力が合法性を持つ基礎であり、「人をもって基本となす」(訳注6)が内的に持っている要求である。中国の歴代の政治が受けた災難は、執政当局が人権を無視してきたことと密接に関係している。人は国家の主体であり、国家は人民のために尽くし、政府は人民のためこそ存在するのである。

(訳注6)「人をもって基本となす」(中国語で「以人為本」)は胡錦濤総書記が常々掲げているスローガンのひとつ。

平等:社会的地位、職業、性別、経済的状況、民族、肌の色、宗教あるいは政治信条に関係なく、一人一人の個人が持つ人格、尊厳、自由は全て平等である。法律は全ての人の前に平等であるということを必ず実現しなければならない。国民の社会的、経済的、文化的、政治的権利の平等の原則を確立しなければならない。

共和:共和とは「みんなでともに治める、平和のうちに共生する」という意味である。即ち、権力の分散とバランス、利益のバランスである。様々な種類の利益集団、異なった社会集団、多元的な文化や信仰を求める集団が全て平等に参加し、公平に競争し、共同で協議して政治を行うという基礎の上に立って、平和的な方法で公共事務を処理することである。

民主:最も基本的なその意味するところは、主権在民と人民に選挙された政府である。民主が持つ特徴は以下のとおりである:(1) 政権の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民にある (2) 政治統治は人民による選択を経て行われる (3) 国民は真正な選挙権を享有し、各レベルの政府の主要な政治を執り行う公務員は定期的な競争選挙を通じて選ばれなければならない (4) 多数の人による決定を尊重すると同時に、少数の人の基本的人権も保護する。ひとことで言えば、民主とは、政府を「人民が保有し、人民が統治し、人民がその利益を享受する」という近代的な公器にすることである。

憲政:憲政とは、法律の規定と法治を通じて、憲法が定めている国民の基本的自由と権利の原則を保障し、政府の権力とその行為の限界を定めて範囲を限定するとともに、それに相応する制度と措置を提供することである。

 中国においては、皇帝が権力を握っていた時代は既に過ぎ去っており、それを復活させてはならない。世界においては、権威主義体制は、黄昏(たそがれ)の日を迎えつつある。国民を真の意味での国家の主人にしなければならない。「名君」や「清廉な官僚」を待ち望むような「臣民意識」をぬぐい去り、権利を基本とし、参与することに責任を持つという国民意識を発揚し、自由を実践し、民主を自ら行い、法治を尊重することによってしか、中国にとっての根本的な出口はない。

3.我々の基本的な主張

 このような考え方に基づき、我々は、責任を持った建設的な国民精神に基づき、国家の政治体制と国民の権利及び社会発展に関する各方面の人々に対して以下のように具体的に主張する。

(1)憲法改正:前述の価値観と理念に基づき憲法を改正する。現行憲法の中にある主権在民とは合致しない原則や条文を削除し、憲法を真に人権の保証書、公的権力の許可状とする。憲法を、いかなる個人、団体または党派であっても違反してはならない最高の法律として実施し、中国における民主化のための法律権限を制定する基礎となるようにする。

(2)権力の分散とバランス:権力の分散とバランスを持った近代的な政府を構築し、立法、司法、行政の三権分立を保障する。法律に基づく行政と政府の責任を確立し、行政権力が過大に膨張することを防止する。政府は納税者に対して責任を負い、中央と地方政府との間の分権とバランスの制度を確立する。中央の権力は憲法により明確にその授権される範囲を限定し、地方においては十分な自治を実行する。

(3)立法民主:国及び地方の各レベルの立法機関は直接選挙により選出されることとする。立法は公平正義を原則とし、立法による民主政治を実行する。

(4)司法の独立:司法は党派を超越していなければならず、いかなる干渉も受けず、司法の独立を実行し、司法の公正さを保障しなければならない。憲法法院を設置し、違憲審査制度を設立し、憲法の権威を守る。国家の法治制度に著しく損害を与えている各レベルの党の政法委員会を撤廃し、公器の私物化をさせないようにする。

(5)公器の公用:軍隊の国家化を実現する(訳注7)。軍人は憲法に忠実であり、国家に忠実でなければならない。政党組織を軍隊の中から退出させ、軍隊の職業化レベルを向上させなければならない。警察内部の全ての公務員は政治的中立を保持しなければならない。公務員の採用における党派による差別を撤廃し、党派によらない平等な任用を確保しなければならない。

(訳注7)現在の人民解放軍は、中国共産党の軍隊であり、中華人民共和国の軍隊ではない。

(6)人権の保障:人権の保障と人格の尊重を守ることを確実に行う。最高民意機関に対して責任を負う人権委員会を設置し、政府の公権乱用による人権侵害を防止する。特に、国民の人身の自由を保障し、何人たりとも法律によらずに逮捕され、拘禁され、召還され、審問され、処罰されることがないようにする。労働矯正制度(訳注8)は廃止する。

(訳注8)現在の中国の労働矯正制度は、公安などの行政機関の判断により、労働しながら教育を行う行政罰であり、司法手続きを必要としていない。

(7)公職の選挙:全面的に民主的な選挙制度を推進し、一人一票の平等な選挙権を実現する。各レベルの行政機関の首長の直接選挙制度を段階的に推進する。定期的な自由選挙と国民が法律を制定する公共の職務に参加することは、奪うことのできない基本的な人権である。

(8)都市と農村との平等:現行の都市と農村の二重戸籍制度(訳注9)を廃止し、国民が一律に平等な憲法に基づく権利を有するようにする。国民が自由に引っ越しする権利を保障する。

(訳注9)現在、中国では生まれによって農村戸籍と非農村戸籍のどちらかに編入される。長年都市部で働いていたとしても農村戸籍の者がその都市の非農村戸籍に編入することは極めて難しい。農村戸籍の者及びその子女は、どんなに長い期間、都市で働き、生活をしていたとしても、都市の政府から教育、医療、老後保障などの行政サービスを受けることができない。

(9)結社の自由:国民が自由に結社する権利を保障し、現行の社会団体登記審査制度を届け出制に改正する。党派による禁止事項をなくし、憲法と法律によって政党の行為の規範を定め、ひとつの党が政策遂行を担当する特権を廃止する。政党活動の自由と公平競争の原則を確立し、政党政治の正常化と法制化を実現する。

(10)集会の自由:平和的な集会、行進、デモ、表現の自由は、憲法が規定する国民の基本的な自由である。この自由が執政党と政府による法律に基づかない憲法違反の制限を受けないようにしなければならない。

(11)言論の自由:言論の自由、出版の自由、学術の自由を実行し、国民の知る権利と監督する権利を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、新聞に関する禁止事項を廃止し、現行の刑法の中にある「国家政権転覆煽動罪」の条項を廃止し、言論が犯罪とされることがないようにする。

(12)宗教の自由:宗教の自由と信教の自由を保障する。政教分離を実行し、宗教信仰活動が政府による干渉を受けないようにする。国民の宗教の自由を制限するあるいは剥奪する行政法規、行政取り決め及び地方レベルの法規定については、審査し撤廃する。行政や立法によって宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体(宗教活動を行う場所を含む)について必ず登記して合法的地位を先に許可を得なければならないという現行の制度を廃止し、審査を必要としない届け出制に改める。

(13)国民教育:一党による統治のために行われ、濃厚なイデオロギー的色彩を帯びた政治教育と政治テストは廃止する。普遍的な価値と国民の権利を基本とする国民教育を幅広く推進し、国民意識を確立し、社会に貢献する国民の美徳を提唱する。

(14)財産保護:私有財産の保護制度を確立し、自由で開放的な市場経済制度を実行し、創業の自由を保障し、行政による壟断を排除する。最高民意機関に対して責任を負う国有資産管理委員会を設置し、合法的かつ秩序をもって財産権制度の改革を推進し、財産権の帰属と責任者を明確にする。新しい土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民、特に農民の土地所有権をしっかりと保障する。

(15)財政税制改革:民主的財政と納税者の権利を確立する。権限と責任が明確になった公共財政制度システムを構築して規制を実施し、国及び地方の各レベルの政府において合理的で効率的な財政と分権の体系を成立させる。課税制度について大きな改革を行い、税率を引き下げ、税制を簡素化し、税の負担の公平化を図る。社会の公共的な選択プロセス、即ち民意を受けた機関の議決を経ずして、行政機関が恣意的に課税をしたり新しい税金を創設したりすることができないようにする。財産権制度の改革を通して、多元的な市場主体による競争原理を導入し、金融に参入するための障壁を緩和する。民間における金融創造を発展させるための条件を整え、金融システムが十分に活力を発揮できるようにする。

(16)社会保障:国民全体をカバーする社会保障体系を作り、国民の教育、医療、養老及び就業等の方面において最も基本的な保障がなされるようにする。

(17)環境保護:生態環境を保護し、持続的な発展を提唱し、子孫の世代及び全人類に対する責任を果たす。国家及び地方の各レベルの政府の公務員は、明確にそれぞれが負っている責任を果たす。環境保護活動の中において民間組織を参与させ監督の役割を発揮させる。

(18)連邦共和:平等、公正の態度をもって各地区の平和的な発展を図り、全体の国としての責任を負う形を作り上げる。香港とマカオの自由制度を維持する。自由と民主主義の前提の下、平等の立場で協議とお互いに協力し合う方式をもって、海峡両岸(大陸と台湾)の和解方策を追求する。各民族が共同で繁栄可能な道程と制度設計を探るための知恵をもって、民主的憲政システムの下に、中華連邦共和国を設立する。

(19)正義の転換:過去の歴代の政治運動の中で政治的に迫害を受けた人たちとその家族のために、名誉回復と国家賠償を行う。全ての政治犯と良心犯を釈放する。全ての信仰に基づいて罪を得た人々を釈放する。真相調査委員会を設置し、歴史的事件の真相を調査し、責任を明らかにし、正義を実行する。そして、その基礎の上に立って、社会における和解の道を探求する。

4.むすび

 中国は世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、国連人権理事会のメンバーとして、当然のこととして、人類の平和のための事業と人権の進歩に対して自分自身が貢献しなければならない。しかし、多くの人を残念だと思わせているのは、現在の世界の全ての大国の中において、ただ一つ中国だけが依然として権威主義政治の状況の中にあり、それによって連綿として絶えることのない人権侵害と社会的危機が作り出され、中華民族自身の発展が阻害され、人類文明の進歩に制約を加えていることである。この局面は、必ず変えなければならない! 政治の民主化は、もはやもう、先延ばしにすることはできない。

 このため、我々は、勇気を持って実行するという国民精神に則り「08憲章」を発表した。我々は、同様の危機感を持ち、責任感を感じ、使命感を感じている全ての中国国民が、政府部内にいるか民間にいるかにかかわらず、その身分の如何にかかわらず、意見の違うところがあってもそこはそのまま残して共通点を見つけ出し、積極的に国民運動を起こし、共同して中国社会の偉大な変革を起こすことに参加することを希望する。それをもって、一日も早く、自由で、民主的な憲政国家を設立し、我が国の人々が百年以上にわたってねばり強く追い求めてきた夢が実現されることを希望する。

(以下、署名人リスト)

以上

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