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2024年5月25日 (土)

「三自一包」批判と新「五反運動」

 5月に入ってから、毛沢東時代にあった古いスローガンに接する機会が相次ぎました。ひとつは「『三自一包』批判」であり、もうひとつは「五反運動」です。

 「三自一包」は、私がたまたま見たテンセント網・房産チャンネルにアップされていた動画「毛主席の1965年の神預言」に出てきていました。

 「三自一包」は、1960年代初頭に劉少奇とトウ小平が進めた経済調整政策を象徴する表現で、「自由市場、自留地、自負盈虧、包産到戸」を指します。1958年に毛沢東が提唱して始まった人民公社の運動は、同時期に進められた大躍進政策と相まって、農村における農業生産の停滞を招き、1958~1960年の三年間で数千万人に上る餓死者を出したと言われています。その時期の政策の反省の上に立って1960年代初頭に劉少奇やトウ小平が進めた経済調整政策は、人民公社のやり方を一部緩和して、農民の「やる気」を喚起するものでした。

 人民公社では、全ての生産物が共同で生産され、国家の計画に従って販売されるのが原則です。しかし、経済調整政策では、一部余剰に生産された生産物に関しては、公的販売ルート以外の販売ルートである「自由市場」での販売を認めました。また、農民が人民公社が管理する農地とは別に自分の住宅の周辺のスペース(これを「自留地」と言います)を利用して農産物を生産することも認めました。

 「自負盈虧」の「盈虧」(yingkui)は「損と得」という意味で、「自負盈虧」とは、自らの損得を自らの責任で管理する経済主体のことです(「虧」の中国語の簡体字は、「つくり」の部分だけで、しかも、縦棒が下の横線のところで止まっている)。理想的な人民公社は全て国家の計画に従って経済活動を行いますが、一定程度、経済主体自身による損得判断で経営を調整してもよいだろう、という考え方が経済調整期には認められるようになりました。

 「包産到戸」の「包産」とは「請負生産」のことで、「包産到戸」とは農業生産を人民公社ではなく各農家に戸別に請け負わせることです。請負を受けた各農家は、頑張って働いて、様々な工夫をして生産を上げれば自分の収入が増えるので、結果的に生産性は向上します。農業における「包産到戸」、即ち日本語で言えば「農家戸別生産請負制度」は、1980年代に人民公社が解体された後の改革開放期の農業における「改革のキモ」となる制度です。

 本来の人民公社の制度を緩めて若干の修正をしようとしていた経済調整期の政策については、毛沢東は不満であり、1964年頃から毛沢東は「三自一包」を「資本主義へ進む道だ」として厳しく批判するようになります。この批判の運動は、1965年に始まった「政治を清め、経済を清め、組織を清め、思想を清める」の「四清運動」や上海の「解放」誌の編集長だった姚文元が「新編歴史劇『海瑞免官』を評す」という評論文を書いたことをきっかけにして始まった文芸批判の運動と合わせて、1966年に大々的な大衆運動として盛り上がり、文化大革命に発展していったのでした。

 私がテンセント網・房産チャンネルで見た「毛沢東の1965年の神預言」という動画では、1965年秋に行った毛沢東による「三自一包」批判の講話を取り上げていました。この動画では次のように解説していました。

○毛沢東は1965年深秋、「三自一包」を批判する講話を行った。この当時毛沢東は既に72歳であり、この毛沢東の話については「誇張のしすぎだ」「老人が語る古い理論だ」と言う人もいた。毛沢東の話は以下の通り。

・「三自一包」の路線を歩んではならない。決して資本主義の道を歩んではならない。

・もし人民公社の制度を改変するのであれば、一時的には収入が上がる可能性はあるが、十年も経たないうちに、小役人は大儲けをし、高級幹部は巨額の富を得、官職のないものは利益を得られないことになり、腐敗勢力が社会を陰に陽に支配することになる。苦痛を受けるのは一般庶民である。

・最終的には両極分化が進み、一般庶民は、心が離れ、徳を失い、団結力は失われるだろう。そして、外国勢力が侵入してくることになるだろう。

○数十年が経過した今、私たちは何を見ているのだろうか。毛沢東は農民出身であり、農民、一般庶民の労苦をよく理解していた。毛沢東は、農民の代言人であり、一般庶民の代言人だったのだ。

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 この動画は「毛沢東礼賛」の内容なので「検閲削除」の対象とはなっていないようです。私が見たのはアップされてから既に一週間が経過した時点でした。この時点で「224万人が視聴しました」の表示が出ていました。他の動画と比較してもかなり高い「視聴率」です。

 しかし、「三自一包」は、1960年代初頭に劉少奇やトウ小平が進めた経済調整政策の「キモ」であり、1978年以降にトウ小平が「毛沢東は一部の誤りを犯した」として文化大革命や人民公社を否定して経済調整政策を復活させる方向で進めた「改革開放政策」のキモでもあります。この動画のようなあからさまな「『三自一包』批判」は、現在も中国共産党が進める改革開放政策に対する批判であり、「トウ小平の進めた政策が格差を広げて一般庶民を苦しめることになった」という「トウ小平批判」になっています。

 4月30日の中国共産党政治局会議においても「改革開放は重要な『法宝』(神通力のある宝物)である」としており、改革開放をロコツに批判するこの動画は現在の中国共産党の政策を批判するものです。それなのにもかかわらずこの動画が削除されずに数百万人の人が視聴しているという現状は、現在の中国においては「改革開放を批判すること」は許される範囲内であることを示しています。これは、1980年代の「トウ小平の時代」に北京に駐在した経験がある私としては「信じられない事態」です。背景として考えられるのは、中国共産党政治局会議の公式な表現としては「改革開放は大事だ」としているものの、習近平氏自身は実際は改革開放政策に批判的だ、という可能性です。

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 一方、「五反運動」に関しては、ジャーナリストの林愛華氏が書いたネット上の現代ビジネスの記事「げに恐ろしや、習近平の恐怖政治『布告文』が発表された!」(2024年5月14日07:02配信)と5月22日付け産経新聞5面記事「反スパイ・反分離主義 中国『五反闘争』 内憂外患、毛時代に回帰」で報じられています。

 これらの記事では、中国共産党幹部の養成機関である中央党校の機関紙「学習時報」が4月29日付けの一面に「国家安全保障の揺るぎない保護」と題する国家安全部トップの陳一新氏の署名入り論文が掲載されていたことを報じています。陳一新氏は、この論文で、「『反転覆』(政権を転覆させない)、『反覇権』(覇権国家に対抗していく)、『反分裂』(中国を分裂させない)、『反恐怖』(テロを取り締まる)、『反間牒』(スパイを取り締まる)という『五反闘争』を広く展開しよう」と呼びかけているそうです。

 中国共産党の歴史を知っている人ならば、誰でも毛沢東が中華人民共和国成立直後の1951年に始めた「三反運動」(「汚職、浪費、官僚主義」の三つに反対する運動)と1952年に始めた「五反運動」(「賄賂、脱税、仕事の手抜きと材料のごまかし、国家財産を騙し取ること、国家の経済情報を盗むこと」の五つに反対する運動)を知っています。このため陳一新氏が提唱した「五反闘争」は「新『五反運動』」と呼ばれるようになっているようです。

 毛沢東による「三反運動」「五反運動」は、建国直後の中国にあって残っていた資本主義的考え方を持つ人たちを徹底的に排除するという「革命成立直後の粛清運動」の意味もあったと考えられています。また、この陳一新氏の論文が掲載されたのが中央党校の機関紙「学習時報」であることも意味深です。基本的に中国語の「学習」は日本語の「学習」と意味は同じですが、現在の中国では「学習」とは「習(近平)を学ぶ」という意味もあるからです。ですから、林愛華氏は自分が書いた記事に「げに恐ろしや、習近平の恐怖政治『布告文』が発表された!」というタイトルを付けたのでしょう。

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 上に紹介した「三自一包」批判と新「五反運動」は「たまたま見掛けた二つのエピソード」に過ぎませんが、7月に三中全会が開催されて「何か新しい方針が打ち出されるかもしれない」と多くのチャイナ・ウォッチャーが関心を高めている中にあっては「見過ごしてはならないエピソード」である可能性があります。さすがに習近平氏と言えども、経済上の困難を無視して、改革開放をうち捨てて毛沢東時代に戻ろうという方針を打ち出すとは思えませんが、上記に紹介した「毛沢東の1965年の神預言」で見られるように、改革開放方針に基づく経済発展が結果的に例えば不動産企業のトップたちのような「大富豪」を生む一方で、中国社会の中の格差が耐えられないほどに広がった、という感覚は、一般の中国の人たちの間にかなり大きく広がっている可能性があります。従って、7月に開催予定の三中全会では、不動産バブル崩壊という現状を踏まえて、かなり大胆な(社会主義の原則に立ち帰る方向での)方針転換が打ち出される可能性はゼロではないと思います。

 「7月に三中全会が開かれる中で習近平氏はどういう『次の一手』を打ってくるのか」と目を光らせているチャイナ・ウォッチャーの間では、5月22~24日に習近平氏が山東省を視察し、済南市で企業と専門家の座談会を主催したことが着目されているようです。この座談会で習近平氏が「中国式現代化の推進を妨げる思想観念や体制的・制度的弊害を断固として排除し、深いレベルの体制的・制度的障害や構造的矛盾の解決に力を入れ、中国式現代化に絶えず力強い原動力を注入し、有力な制度的保障を提供する必要がある」(この日本語訳は「人民日報ホームページ日本語版」5月24日付けの記事による)と述べているからです。

 「この座談会をなぜ北京ではなく山東省済南市で行ったのか」「この座談会には、政治局常務委員の王滬寧氏と蔡奇氏、国務院副総理の何立峰氏が参加しているのに、政治局常務委員で国務院総理の李強氏はなぜ参加していないのか(同じ時期、李強氏は山東省のすぐ隣の河南省を視察している)」などにも何か意味があるのかもしれません。中国共産党のトップが、北京ではなく、地方に行ったときに何か重要なメッセージを出すことは過去にも何回もあったからです(1966年7月突然武漢に現れて揚子江を遊泳して見せた毛沢東の動きが文化大革命始動の「のろし」だった、1992年の春節期間にトウ小平が南部の沿海地域で行った講話が「南巡講話」として「六四天安門事件」後の中国の政策の方向性を確定させた、2000年2月に江沢民が広州で行った講話が後に「三つの代表重要思想」として党規約改正にまで発展した、などの例があります)。トップが地方にいる間は北京にいる「反対勢力」が対応できないからでしょう。

 現在の不動産バブル崩壊による中国経済の困難な現状と党内で本当にリーダーシップが取れているのかどうか疑問な習近平氏を考えると、過去の中国共産党トップの動きを参考にはできないのかもしれませんが、これから7月の三中全会まで、どのような新しい方針が打ち出されるのか(あるいはそんなに目新しい方針が打ち出されるわけではないのか)注目していく必要があると思います。

P.S.

 5月20日に行われた台湾の頼清徳総統の就任演説に対応する形で台湾周辺で行われていた人民解放軍の演習を伝える中国中央電視台夜7時のニュース「新聞聯播」の報道ぶりは結構刺激的でした。この手の演習のニュースでは、演習に参加している現場の兵士が直立不動で決意を語るのが「通例」なのですが、今回は「断固として台湾独立勢力を消滅させる決意です」と語っている兵士がいました。また、演習のシミュレーションでは、台湾の地図上にミサイルや砲弾が着弾して爆発する図も登場させたりしています。通常、この手の演習では、誰が見ても「仮想敵国」がどこであるかが明白な場合であっても、公式見解としては「この演習は特定の国を念頭に置いているものではありません」と発言するのが「お作法」だと思うのですが、現在の中国に関してはこうした「お作法」は全くないということなんだと思います(中国側の理屈から言えば「台湾問題は中国の国内問題なんだから『外交的配慮』なんかする必要は全くない。」ということなんだと思いますが)。まぁ、在日中国大使の発言(日本が台湾独立に加担すれば日本の民衆は火の中に連れ込まれる)を聞いていれば、現在の中国に「外交的配慮」を期待すること自体が無理なのだ、ということなんだと思います。

 前にも書いたことがありますが、1980年代、靖国問題とか日中間で様々な問題がある中で、トウ小平氏が「中国と日本とは立派な独立国同士だ。独立国同士の関係で『全く問題がない』という状態はむしろ異常だ。二つ三つ問題があってもそれを交渉で解決するというのが外交というものだ。」と悠然と語っていた頃を懐かしく思い出しています。

 

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