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2024年3月 9日 (土)

全人代での総理記者会見廃止は改革開放終焉の象徴

 今年(2024年)の全人代で最も注目を集めた案件は、政府活動報告でも閣僚人事でもなく、全人代開幕前日に発表された「国務院総理の記者会見のとりやめ」だったと思います。ネットや報道で既に様々な立場の人がコメントしていますが、私の個人的印象としては、この「全人代での総理記者会見の廃止」は、「習近平氏による改革開放の終焉」を象徴するできごとだったと思っています。

 なぜなら、1987年の第13回中国共産党大会と翌1988年の全人代で始まった「会議のテレビ生中継」と「トップの参加者(党大会における中国共産党総書記、全人代における国務院総理)の記者会見」は、当時、トウ小平氏によって進められていた「改革開放路線」の象徴的イベントだったと私は考えているからです。

 私は、1982年の第12回中国共産党大会が開催されていた時には通産省通商政策局北アジア課に勤務していて、1987年の第13回中国共産党大会が開催されていた時には北京に駐在していましたので、この二つの党大会の間で「中国共産党大会」の雰囲気が全く変わったことをよく覚えています。第12回党大会までは、中国共産党大会と言えば、今で言えば北朝鮮の労働党大会と同じで、「開催された翌日の党の機関紙一面トップに大々的に報じられているので、非常に重要な会議であることはわかるが、実際にどういう会議が開催されいているのかサッパリわからないナゾの会議」というイメージだったのです。それが1987年の第13党大会になると、「冒頭の全体会議はテレビで生中継する」「党大会直後の一中全会(第一回中央委員会総会)で総書記が選ばれた後は、その総書記が内外記者会見を行う(しかもその記者会見は中国語-英語の通訳付きで外国人記者も質問できる)」という形式に変わったからです。この 1987年の党大会のやり方を見て、世界の人々は「中国共産党大会のイメージが変わった」と痛感したのでした。

 これは、トウ小平氏が世界に向けてそういうイメージ発信をしようと意図していたことが成功したことを意味しています。

 前にもこのブログに書いたことがあったと思うのですが、1987年の第13回中国共産党の開会直前にひとつのエピソードがありました。この時点で、トウ小平氏は中国共産党軍事委員会主席ではあったのですが、政治局員の序列としては真ん中くらいで、党大会のひな壇で座る席も最前列ではありませんでした。党大会の開会前、総書記代行だった趙紫陽氏ら党の幹部が入場する前の既に内外のテレビカメラが撮影を開始していた時点で、トウ小平氏は既にひな壇の何列目かの自分の席についていて、タバコをくゆらせながら難しい顔をして机の上の書類を読んでいました。そこにひな壇に座っている幹部のためのお茶を配る担当者がやってきました。トウ小平氏のところへお茶を置く時に、この担当者はトウ小平氏に何やら耳打ちしました。そうすると、トウ小平氏は苦笑いしながらタバコをもみ消したのでした。実は中国共産党では、この第13回党大会以降、党の会議は全て禁煙とする、という決定をしていたのでした。ヘビースモーカーとして有名なトウ小平氏はいつもの習慣で会議の席上でタバコを吸ってしまったが、お茶を配る担当の人から「トウ小平同志、この会議は禁煙ですよ」と耳打ちされて、あわててタバコをもみ消した、という話でした。日本の新聞は「お茶を配る担当者が『トウ小平批判』」と面白おかしくこのエピソードを伝えたのでした。

 ちょっとしたハプニングなんですが、私は、これはトウ小平氏によるテレビカメラの前での意図的な自作自演だったのではないかと思っています。「党の実質的な最高実力者でヘビースモーカーとして有名なトウ小平氏であっても、党が決めた『会議は禁煙』という規則に従わなければならない」「トウ小平氏のような党の最高幹部が間違ったことをしているのであれば、例えばお茶を配る担当者のような立場の人であってもハッキリと意見を言ってよいのだ」ということを示すことによって「中国共産党は変わったのだ」ということを内外にアピールする意図がトウ小平氏にはあったのだろう、と私は考えているからです。

 この第13回中国共産党大会のテレビ生中継を見たり各種報道を読んだりした直後の1988年1月、北京駐在中の私は東京の本社あてに「1988年年頭所感」と題する文章を送りました。その文章は今も私の手元にありますので、その中にある第13回中国党大会に関する記述を以下に紹介したいと思います。

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 (前略)ただこの党大会で印象付けられたのは、その公開性である。大会初日の趙紫陽氏の報告は、延々とテレビで生中継されていたし、大会期間中、内外プレスに対する記者会見が毎日行われ(記者会見は中国語-英語の通訳付き)、その内容は毎日テレビで放映された。その中には外国記者からの要望で実現したチベット地区代表の記者会見も含まれていた。その記者会見では、

外国人記者:「トウ小平氏の引退の後の中国の体制はどうなるのか?」

中国側スポークスマン:「え~、その問題については、まあ、第15回大会、16回大会、というより、17回大会、18回大会で話し合うことになるでしょう」(笑い)

というような対話も行われた。その昔、国慶節のパレードを前にして天安門の上に並ぶ指導者たちの並ぶ順序を双眼鏡で覗いて、内部の政争の様子をあれこれ推測していた頃から見れば隔世の感がする。

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 こういった流れを受けて、翌年1988年に開催された全人代では、全体会議など主要な会議はテレビで生中継され、全人代閉幕後には、全人代で正式に国務院総理に指名された李鵬氏が内外記者を相手とする記者会見(中国語-英語通訳付き)を行ったのです。その後、全人代終了後の国務院総理記者会見は、1990年代からは毎年行われる「恒例行事」となったのでした。

 また、1988年の全人代で私が印象に残っているのは、「人民日報」が中国政府や全人代に参加している全国人民代表に批判的な記事を書いていたことです。1988年の全人代では、前年に公開された映画「ラストエンペラー」で国宝の故宮を安易に映画ロケに使わせているのは問題ではないか、と全国人民代表が文化部を追及したことが報じらました(映画を御覧になった方はおわかりと思いますが、「ラストエンペラー」では、普段は立ち入り禁止の乾清殿の中にある本物の玉座に俳優を座らせて撮影がなされています)。また別の記事では、「全国人民代表が乗ってきた車が駐車しているところを見たが、みんながみんなトヨタの車ばかりだった。なぜ中国国産の車を使わないのか。」と批判している記事を読んだ記憶があります。

 1987年秋の第13回中国共産党大会や1988年春の全人代で、意図的に「公開性」をアピールする演出がなされたのは、1987年1月に当時の中国共産党総書記だった胡耀邦氏が前年1986年末に起きた学生デモに対する対応が適切ではなかったとして総書記辞任に追い込まれたことも背景にあったのだろうと私は考えています。1987年1月の胡耀邦氏の総書記辞任は突然のことであり、諸外国に対しては「中国共産党内部の事情はサッパリわからない」という強烈な印象を与えました。胡耀邦氏の総書記辞任を伝える中国中央電視台夜7時のニュース「新聞聯播」のアナウンサーが普段の背広姿ではなくこの日だけは中山服(日本のマスコミ用語で言えば「人民服」)姿でニュースを伝えたことで、諸外国は「中国はまた文化大革命時代に戻ったのか」と色めき立ったのですが、胡耀邦氏のあとを次いで総書記代行となった趙紫陽氏をはじめとする中国共産党幹部は機会を捉えて「中国の改革開放の方針は全く変わっていない。文化大革命時代に逆戻りすることなどあり得ない。」と内外に繰り返しアピールしました。そうした中で行われた1987年秋の党大会と1988年春の全人代における「公開性」を強調する演出は、外国との経済関係を強化して経済発展を図りたいと考えていたトウ小平氏による改革開放路線を進めるための重要なイメージ発信の一つだったのだと私は認識しています。

 全人代閉幕後の国務院総理の記者会見もそうした「改革開放の推進」を強調するアピールの重要な要素の一つだったのは明らかです。

 今回の(2024年の)全人代で国務院総理の記者会見が廃止されたことについては、様々な憶測がなされています。例えば「トップを自認する習近平氏はナンバー2の李強氏が記者会見で目立つことを嫌ったのだ」とか「記者会見に慣れていない李強氏が失言をするのを避けたかったからだ」とか「習近平氏は中国共産党主導の政策運営をしようとしており、国務院の役割を縮小させようという方針の延長線上に国務院総理の記者会見廃止があるのだ」とかいう評価がなされています。私にはどれが正しいのかはよくわかりませんが、少なくとも言えることは、1988年の全人代でトウ小平氏が意図したのと全く逆方向のメッセージを2024年の全人代で習近平氏が出したのに等しい、ということです。

 習近平氏も各種の演説では「対外開放を推進する」と言っていますが、全人代終了時の国務院総理の記者会見廃止という習近平氏が実際にやっていることを見れば、習近平氏は「対外開放を進めることなんか重要視していません」と宣言しているのに等しいと私は思います。

 上に、1988年当時私自身が書いた文章を紹介しましたが、それを今改めて読んで見て感じるのは、習近平氏の時代になって、中国は1980年代より前の時代に逆戻りしてしまったなぁ、ということです。一方、ネット空間を見ていれば、現在の中国の人々は1980年代に比べて格段に自由な発想で様々なことを見たり聞いたり考えたりしていることがわかります。1980年代の改革開放以前に先祖返りしてしまった習近平氏と、様々な情報の中で確実に21世紀的感覚で生きている中国の人々との間のギャップは、いずれ調整不可能な「軋轢(あつれき)」として表面化してくることは間違いないと私は思います。

 「全人代終了後の総理記者会見」は、確かに全人代関連のイベントの一つに過ぎないのですが、それを廃止したことが示す意味は、相当程度に大きいと思います。また、習近平氏がどういう意図で総理記者会見廃止を決めたのかは私にはわかりませんが、少なくとも、習近平氏が「総理記者会見などなくてもよい」と考えていることは確かですから、この廃止自体が「習近平氏の思考パターン」を考える上で非常に重要なできごとであることは間違いないと思います。

 

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