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2024年1月 6日 (土)

習近平氏の「皇帝気分」に中国の人々は耐えられるか

 昨年の大晦日(2023年12月31日)の晩、習近平氏は毎年恒例の「新年賀詞」を発表しました。今年の「新年賀詞」で私が着目したのは、現在の中国経済の困難な状況に関して語った以下の部分です。

「前途に『風あり雨あり』というのが常である。一部の企業は経営圧力に直面しており、一部の大衆は就業と生活の面で困難に直面している。一部の地方では、洪水や台風・地震等の自然災害が発生している。これらについて、私は全て気に掛け心に留めている。皆さんは、風雨を恐れず、希望を持って相互に助け合い、困難を克服するための戦いに挑んでおり、私は深く感動した。つらい労働に携わる農民、苦しい仕事に没頭する労働者、果敢に困難と立ち向かう創業者、我が国の防衛に従事する兵士たち、それぞれの分野で、それぞれの仕事で、人々は皆、汗水を流している。一人一人の平凡な人たちが、皆それぞれが、非凡な貢献を作り出しているのである! 人民こそが永遠に我々が一切の困難に対する挑戦に勝利するために最も大きく依存しているものなのである。」

 上記の様々な現在の中国の困難を列記した後の「私は全て気に掛け心に留めている」の中国語の原文は「我都牽挂在心」です。中国語の原文のニュアンスを理解するのは本当は難しいのでしょうが、この部分、私は以下のようにイメージしました。私の感覚で、勝手に( )付きで私のイメージを付け加えました。

「(中国経済は現在困難な状態に直面しているが)困難に直面することはいつの時代でもある話である。経済的困難や自然災害について、私は全部気に掛け心に留めている(無視はしていない)。農民、労働者、起業家、兵士の皆さんは、皆それぞれ一生懸命頑張っている。そういう頑張っている皆さんこそが、我が国の発展のために最も頼りにしているものなのだ。」

 これは「現在中国は困難に直面しているが、中国人民皆さんのガンバリこそが最も重要なのだ」と中国人民を鼓舞しているようにも聞こえるのですが、一方で「人民の皆さんは頑張ってね。私は皆さんの努力を心に掛けていますからね。」と言っているようにも聞こえ、「自分がこの困難に何とか対処する」という習近平氏の意気込みが全く感じられないなぁ、と私は思いました。私にはここの部分の表現ぶりは、習近平氏が「国を引っ張って行くリーダーとしての政治家」ではなく「権威ある(しかし具体的な政策の執行は自分ではやらない)皇帝陛下のお言葉」のように聞こえました。

 私がイメージする「偉大な政治家」「一国のリーダー」は、「私はこの国を発展させるために先頭に立って尽力する決意だ。だから、国民の皆さんも一人一人がそれぞれの立場で最大限の力を発揮して欲しい。」と訴えかけるだろうと思います。

 有名なアメリカのケネディ大統領の就任演説(1961年)の有名な一節には以下のような部分があります。

「米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。」(在日アメリカ大使館「アメリカンセンターJapan」のホームページより)

 習近平氏はもしかすると、これと同じようなことを中国の人々に言いたかったのかもしれません。しかしそれならば、習近平氏は、「この国の将来をどちらの方向に持って行くのかは、中国人民の皆さんの判断に掛かっているのです!」というフレーズを続けなければなりません。今の中国では「これから中国が歩んでいく方向は中国共産党が(ということは習近平氏が)決めるのであって、中国人民の皆さんが決めるわけではない」というのが実情ですから、習近平氏がケネディ大統領と同じ文脈で中国の人々に呼びかけることはあり得ないことです。

 私は、これまで、皇帝のように振る舞う習近平氏の言動をニュースで見るにつけ「中国共産党の宣伝部門が習近平氏を『皇帝のように権威のある者』に見せようとしているのだろうなぁ」と思っていました。しかし、上に紹介した「2024年新年賀詞」を聞いたら、私は習近平氏自身が本気で「皇帝気分」に浸っていることがわかりました。「新年賀詞」の文章は、スピーチライターが下書きを書いたのだとしても、習近平氏自身がじっくり読んで、自分の気に入るように筆を加えているはずですから、「新年賀詞」の表現は習近平氏自身の「ホンネ」だと言って差し支えないからです。

 私自身は、日本やアメリカなどの民主主義国家の政治家の演説を聞き慣れているので、それとは異なる習近平氏の「2024年新年賀詞」を聞いて、「習近平氏自身は完全に『皇帝気分』になっているなぁ」と感じました。中国語ネイティブで中国共産党幹部の演説に慣れている中国の人々が同じように受け取ったかどうかはわかりませんが、少なくとも私は毛沢東やトウ小平や江沢民氏や胡錦濤氏の演説を聴いていて、これらの過去の中国の指導者たちが「皇帝気分になっているなぁ」と感じたことは一度もありません。毛沢東のことを「皇帝のようだった」と言う人もいますが、毛沢東は全てを自分で判断し、自分が実際に行動を起こして中国を動かしてきましたから、具体的な政策について「何も言わない」「何もしない」習近平氏とは全く違います。

 私は、習近平氏の「皇帝気分」のような発言に関して、中国の一般の人々のみならず中国共産党内部にも違和感を持つ人が多いのではないか、と想像しています。

 一昨日(2023年1月4日(木))の中国中央電視台の夜7時のニュース「新聞聯播」と昨日(1月5日(金))の「人民日報」はトップニュースとして、1月4日に開催された中国共産党政治局常務委員会が全人代常務委員会、国務院、全国政治協商会議、最高人民法院、最高人民検察院の中国共産党組織から活動報告を受け、中国共産党中央書記処から活動報告を聴取したことを報じていました。これらの組織からの活動報告聴取は、第18回党大会(習近平氏が総書記になった党大会)以来、原則として年初に行われる恒例行事ですが、これらの活動報告では「習近平の新時代の中国の特色のある社会主義思想を指導理念とし、党中央の権威と統一的な指導を堅持している」かどうかが報告されます。つまり、言葉を換えれば、この会議での報告は中国の立法と行政と司法のトップ機関が習近平氏に忠誠を誓って活動してきたかを報告するものであると言えます。こういうある意味では「内輪の会議」をトップニュースとして報じているのは、中国の全人民に「中国の立法と行政と司法のトップ組織は習近平氏に忠誠を誓って活動しているのだぞ」と声高に示す意図があるためだと言えます。逆に言えば、そういうことを声高に宣伝しないと、「中国の立法や行政や司法の中には習近平氏に忠誠を誓わない人がいるかもしれない」という疑いを多くの人が持ってしまうからだろうと私は考えています。

 私は三年前の年初にこのブログに以下のように書きました(このブログの2021年1月2付け記事「人民共和国が中国共産党帝国になった日」参照)。

「(前略)実態に合わせて国名を表現すれば、現在の中国は『中国共産党帝国』と呼ぶことが適切だ、と言えます。」

 今、習近平氏自身が「皇帝気分」になっており、中国共産党内部が習近平氏への忠誠を誓うことが求められる(忠誠を誓わない者は排除される)のであれば、上記の言葉は、もっとハッキリ言えば「現在の中国は『習近平帝国』と呼ぶことが適切だ、と言えます。」ということになるのでしょう。

 太平洋の反対側の国では「現在のアメリカの共和党は『トランプ党』と呼ぶことが適切だ、と言えます」という状態なので、「どっちもどっち」だとは思うのですが、アメリカではアメリカ国民が選挙で「『トランプ党』はイヤだ」と判断すれば、アメリカは「トランプ帝国」にはなりません。人々が決めることができない中国においては、中国人民の多くが「習近平帝国はイヤだ」と考えた時には何が起こるのか、が問題になります。

 中国経済が順調であれば、中国が習近平氏が「皇帝気分」に浸っていたとしても中国の人々は多分我慢するでしょう。しかし、仮に中国経済が現在よりも悪化していくようであれば、中国の人々は習近平氏の「皇帝気分」にいつまでも耐えていることができるのでしょうか。

 「2024年新年賀詞」を聞いて、私は習近平氏自身は、自分の「皇帝気分」に中国の人々が耐えられなくなるかもしれないという危機感を現時点では全く持っていない、と感じました。ひとつのポイントは、中国共産党内部にそうした危機感を感じる人が増え、何らかの形で習近平氏の「皇帝気分」を修正する動きを中国共産党内部でできるか、という点だと思います。

 毛沢東が亡くなった1976年頃には、中国人民の間には「文革路線」に対する不満が高まっていました。その不満が噴出したのが1976年4月の「四五天安門事件」(第一次天安門事件)でした。中国共産党は毛沢東が亡くなった直後の1976年10月に「文革派」と呼ばれたいわゆる「四人組」を逮捕し、その後、トウ小平氏を復活させて1978年末に「改革開放路線」に方向転換しました。中国共産党は人々が不満を持っている危機感を察知して、党自身が路線を変更したのです。中国共産党が今後も長期にわたり政権を維持していくためには、1970年代後半に持っていたこのような危機察知能力と自己修正能力を現在も持っているかどうかがカギとなります。経済が悪化し、中国の人々の不満が高まるであろう2024年は、そうした中国共産党の自己修正能力が試される年になるだろうと思います。

 

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