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2023年12月23日 (土)

中国の隣に「急速に成長する中国」は存在しない

 水曜日(2023年12月20日)に年末恒例になっている外務省による外交文書の公開がありました。30年を経過した外交文書を外務省が公開するものですが、今年(2023年)の外交文書公開のひとつの「目玉」は、1992年10月の天皇皇后両陛下(当時)の訪中に関するものでした。

 これらについては、新聞各紙に様々に論ずる記事が掲載されています。概ね「天皇訪中に積極的な外務省チャイナスクールの官僚たちと根強い反対論を展開する自民党保守派の間で判断が揺れる宮沢首相(当時)」という図式で論評されています。私の感覚で言うと、この論評の中からは「1989年の六四天安門事件にも関わらず、中国との関係改善を急ぎたい日本の経済界の姿」が抜け落ちています。ある意味でそれは当然のことです。公開されたのは「外交文書」であり、そこに記録されているのは必然的に外国とのやり取りや外務省官僚と政治家(特に与党の自民党の政治家)との間のやり取りが中心であり、当時の日本の経済界の意向は「外交文書」には記録されていないからです。

 日本の経済界は、1972年の日中国交正常化でスタートし1978年暮れに中国が「改革開放」の方向に政策転換して以降本格化した中国とのビジネス展開を1989年の六四天安門事件で腰折れさせたくなかったのです。なぜなら、中国への投資案件は1980年代に本格化し、1989年の六四天安門事件発生の時点では「投資案件が進行する真っ最中」であり、このタイミングで日中間の経済関係がストップしては、それまで中国に投資された資金が無駄になるし、政治体制がどうなるかは別としてこれから大きく経済的に発展することは間違いない中国とのビジネス・チャンスを失うことになるからです。

 それに加えて、1990年代初頭にはじけた日本の「平成バブル」で傷ついた日本経済を立ち直らせるためには、中国とのビジネスの拡大は日本経済にとって是非とも必要なことでした。なので私は実態はよくは知らないものの、おそらくは当時の日本の経済界は中国との関係正常化を進めるように自民党に相当程度のプレッシャーを掛けていたのだろうと想像しています。だから、日本の保守陣営の論客はよく「六四天安門事件から時間も経過していない時点で天皇訪中という日本政治としては『最大の切り札』を切るよう仕向けた外務省のチャイナスクール官僚はケシカラン」という論陣を張りますが、外務省官僚を批判するならば、表に出ずに中国との関係改善へ向けて政治家たちにプレッシャーを掛け続けた日本の経済界も批判されるべきだと私は考えています。

 同じ趣旨の話は、三年前に外務省が六四天安門事件に関する大量の外交文書を公開した時点で私がこのブログに書いた記事「天安門事件関連外交文書の公開と日本の役割 」(2020年12月26日)でも書きました。それに加えて言えるのは、天皇陛下訪中があった1992年は、平成バブルが崩壊した直後であり、日本経済の立て直しのためにはこの時点ではまだほとんど未開拓だった中国というビジネスチャンスの場を活用することが日本の経済界にとっては是非とも必要だったことです。さらに、1992年の時点では、まだ欧米が六四天安門事件に対する批判の観点から中国との経済関係を正常化することが難しい中、「長年懸案だった天皇陛下の中国訪問」という日本にしかできない最大級の「切り札」を切ることによって日本が他国を出し抜いて中国との関係を改善し、ビジネスの観点で欧米勢に対して大きな先手を打てることは、日本の経済界にとって大きな魅力だったのだろうと思います。

 「日本経済が平成バブル崩壊の痛手から立ち直るために中国との経済関係がどのくらい役に立ったのか」については、経済的な様々なデータを検討して分析する必要があると思いますが、直感的に言って、急速に発展した1992年以降の中国との経済関係がなければ、平成バブル崩壊後の日本経済の推移はもっとずっとひどいことになっていだろうと言えると思います。少なくとも、大手金融機関の破綻等があり、日本経済が危機的状況にあった1998年の時点ですら日本の貿易収支が大幅な黒字だったのは、中国での工場建設に伴う日本から中国への工業用機械・設備の輸出額が大きく寄与したことは間違いないからです。

 似たような話はリーマン・ショック後のアメリカについても言えると思います。2008年9月のリーマン・ショックによりアメリカ発の世界経済危機が起きた時、中国は極めて迅速に同年11月に「四兆元の経済対策」を打ち出して世界経済を牽引しました。もちろんアメリカ金融当局の数次に渡る量的緩和の実施やアメリカのネット企業の活躍、アメリカにおけるシェール・オイル産業の勃興など様々な要因はあったものの、その後のアメリカ経済が日本の平成バブル崩壊後のような「失われた時代」に陥ることがなかった背景としては、既に巨大な経済圏となってGDPの面で日本を追い抜き「世界の工場」であり続けた当時の中国経済が世界経済を支える大きな柱のひとつになっていたことは指摘できると思います。

 今、中国の不動産危機に起因する中国経済の不振に関連して、「日本の平成バブル崩壊後と同じような状態になるのか」といった議論やアメリカのリーマン・ショックとの違いについての議論がよく行われますが、重要なポイントは、日本の平成バブル崩壊後やアメリカでのリーマン・ショック後の経済危機をプラスの方向で支えた「成長しつつある巨大な成長圏である中国」と同じような経済圏は、現在の中国の周辺には存在していない、ということです。

 中国共産党内部の優秀なエコノミストたちは日本の平成バブル崩壊やアメリカのリーマン・ショック後の状況をいろいろ研究していると思いますが、「中国の隣には『急速に成長する中国』は存在しない」という事実はどうしようもありません。その意味で、現在の不動産危機に起因する中国の経済の危機的状況は、日本の平成バブル崩壊期やアメリカのリーマン・ショック期よりも現在の中国にとっての周辺環境は格段に悪いと言わざるを得ません。

 そうした中、昨日(2023年12月22日)、これも年末恒例なのですが、中国共産党政治局の「民主生活会」が開催されました。中国共産党の政治局員がそれぞれ日頃の行動について発言してお互いに批判するとともに自己批判する、という会合ですが、近年の様子を見ていると、要するにこの「民主生活会」は「政治局メンバーの習近平氏に対する忠誠心を再確認する会(=習近平氏に対する忠誠心を強要する会)」になっています。

 今年の「民主生活会」の「目玉」は私が見るところ「政治的ではないリスクを政治リスクに転化させてはならない」という部分だと思います。これについて私は「不動産危機に起因する経済危機にうまく対処できないからといって、それをもって習近平氏を批判して党を分裂させるようなことをしてはならない」という意味なんだろうなぁ、と解釈しています。経済的危機が本格化している中でも、様々な対処方法について虚心坦懐に議論することを許さず、「習近平氏を批判してはならない」と強要するこのやり方は、私は中国共産党自体の危機だと思うのですが、中国の人々はそうは思わないのでしょうか。

 国家の危機に対しては、様々な意見を自由闊達に交わして対策を論じ、従来の意見や立場を超えて有用な人材を登用する必要があります。日本における幕末・明治維新期の対応がその典型的な例です。今の習近平体制の中国はそうした体制とは真逆の状態になっています。来年(2024年)の中国は、経済的には不動産に起因する経済危機にどのように対応していくか、政治的には年明け早々に行われる台湾総統選挙の結果に対して中国共産党がどのように反応するのか、という点で、予測が難しい不安定な状態の年になりそうな気配がします。

 

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