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2023年11月 5日 (日)

習近平による「李強はずし」が意味するもの

 今回のタイトルは誤植ではありません。先日亡くなった前総理の「李克強はずし」ではなく、現職総理の「李強はずし」です。

 これまでこのブログで何回か書いてきたことですが、最近、李強総理の「影の薄さ」が気になります。李強氏は、ここ数ヶ月の間、インドで開かれたG20首脳会義やキルギスタンで開かれた上海条約機構首脳(首脳級)会合に出席するなど、外交面ではそれなりに目立っているのですが、内政面ではあまり「活躍の場」がありません。スケジュール的に見ても、習近平氏が意図的に「李強はずし」あるいは「李強氏軽視」をしているのではないかと思われる会合が相次いでいます。過去のこのブログの記述と一部だぶりますが列記すると以下の通りです。

○5月10日、習近平氏の雄安新区(河北省内にある「新副都心」計画が進められている地区)への視察に李強氏も同行した(胡錦濤政権、習近平政権を通じて、国家主席と国務院総理が同時に同じ地方を視察することはなかった(2008年5月の四川省巨大地震対応の際を除く)ので、この同行は李強氏が習近平氏の「子分」であることを強く印象づけた)。

○10月9日に開催された中国工会第18回全国代表大会の開会式に李強氏は出席しなかった(他の政治局常務委員は全員出席した。この日、李強氏は浙江省杭州市で開かれていたアジア大会の閉会式に参加し、ついでに浙江省を視察していたので北京にいなかった)。

○10月12日、習近平氏が江西省視察の途中に南昌で開催した「長江経済ベルトの質の高い発展のさらなる推進に関する座談会」に李強氏も出席した(前週、李強氏は江西省の東隣の浙江省を視察していたが、この週は、南昌で開催されたこの座談会に参加するだけのためにわざわざ北京から南昌まで出張している)。

○10月27日(李克強前総理が死去した日)に開催された中国共産党政治局会議(東北地方の振興策について議論した)に李強氏は出席しなかった(李強氏はキルギスタンを訪問しており、この日の午後に北京に戻ったため。政治局会議の日程を一日ずらせば李強氏も出席できたはずなのに、そうしなかった)。

 前にも書きましたが、今中国政府のホームページに行っても、出てくるのは国家主席の習近平氏の写真ばかりで、国務院総理の李強氏の写真が見つからない、など、中国の一般人民に対する宣伝方法としても、意図的に李強氏の存在を軽く見せるようにしているように見えます(李克強氏が国務院総理だった頃は中国政府のホームページ内に「国務院総理」というページがあって、李克強氏の活動が詳細に掲載されていた)。

 毎日の中国中央電視台夜7時のニュース「新聞聯播」を見ていても「李強氏は軽く扱われている」という印象を受けます。例えば11月3日(金)の「新聞聯播」が伝えたニュースの順番は以下の通りです。

(1) 習近平氏が訪中したギリシャの首相と会談した。

(2) 習近平氏がドイツ首相とオンライン会談を行った。

(3) 習近平氏が中米友好都市大会を祝する手紙を送った。

(4) 李強氏が国務院常務会議を開催した。

(5) 李強氏がギリシャ首相の歓迎式典を行った。

(6) 李強氏がギリシャ首相と会談した。

(7) 全人代常務委員長の趙楽際氏(政治局常務委員序列第三位)がギリシャ首相と会談した。

 ギリシャには大統領がいるので、ギリシャについては外交儀礼上の習近平国家主席のカウンターパートは大統領であり、ギリシャ首相の中国側のカウンターパートは李強総理になるので、歓迎式典は李強総理が行ったのでした。とは言え、名誉職的な大統領がいるけれども実際の政治は首相がとりまとめているギリシャやドイツのような国については、首相が国家主席の習近平氏と会談することはよくあることです。また、訪中した外国要人が(一応形式的には「立法機関の代表」という意味で)全人代常務委員長と会談することもよくあることです。なので、昨日のニュースは何ら不自然なところはないのですが、こういうニュースを毎日見せられると「李強氏は国務院総理ではあるけれども、所詮は『習近平氏ではない政治局常務委員の一人』に過ぎない」という印象を強く受けます。

 李克強氏が国務院総理だった頃は「李克強氏の権限をなるべく限定したい習近平氏が李克強氏の存在をできるだけ小さく見せようとしている」ということで、それなりに「納得」していたのですが、李強氏については「習近平氏に近い側近」であることは誰もが知っているので、あえて「小さく見せよう」とする必要はないはずです。だとすれば、考えられるのは、習近平氏は「国務院総理という個人を小さく見せよう」としているのではなく、そもそも国務院の役割を小さくしようと意図しているのだろうということです。

 習近平氏は、最初の二期の政権担当期間中、中央財政委員会、中央国家安全委員会、中央外事工作委員会などの中国共産党内部の組織を立ち上げて、本来は国務院が担当すべき中国政府の政策決定を中国共産党が直接担う体制を築き上げてきました。私は、これは習近平氏が李克強前国務院総理の権限を弱めようとする意図で行ってきたのだろうと思っていたのですが、どうやらそうではないようです。自分の意のままに動く李強氏を国務院総理に据えることに成功して以降も李強総理の存在感を弱めようという動きをしているところを見ると、習近平氏は、国務院が中核となっている中華人民共和国政府自体の役割を弱め、極端に言えば中国政府を形骸化させようとすらしているのだと思います。

 実際、現在、解任された秦剛外相と李尚福国防相の後任はまだ決まっていません。外交については王毅政治局員が外相を兼務していますし、軍事については中国共産党軍事委員会が統括していますから、国務院の外相や国防相はいなくたってよいのでしょう。

 そもそも日本のマスコミが「中国軍」と称している人民解放軍は中国共産党の軍隊であって中華人民共和国という国家の軍隊ではありません。現在の中国では「中国共産党が全てであって、中華人民共和国という国家も中華人民共和国政府も中国共産党が中国を統治するための道具に過ぎない」というが現実なのです。習近平氏は、もしかすると、中華人民共和国政府の機能をその「現実」に合わせるように改めて、全ての政策決定を中国共産党の直轄にしようとしているのかもしれません。

 通常は党大会の翌年の秋には開催されることが通例となっている重要政策を議論する三中全会(中国共産党中央委員会第三回全体会議)は今のところ開催される気配がありませんが、憶測をもう一歩進めると、習近平氏は、中国共産党の中央委員会も形骸化しようとしているのかもしれません。中国の全ての政策を中国共産党の直轄にした上で、中国共産党内部の決定を全て自分(習近平氏)の直轄にしようとしている、というわけです。よく習近平氏について「皇帝のようだ」と言われますが、この表現は、習近平氏が意図していることを正確に表現している言葉なのかもしれません。

 しかし、中国に限らず世界の歴史が示しているように、「全てを一人の直轄にする」というやり方は成功しません(一時的に成功したとしても短期間で終了します)。今では中国の独裁者のように言われることが多い毛沢東自身は、そのこと(一人独裁は長続きしないこと)をよく自覚していたと私は考えています。思想的には自分とは全く異なる周恩来を常に側に置いていましたし、文革後期(林彪が失脚した後)には「四人組」に代表される文革派と考え方が全く異なるトウ小平氏を副首相に登用していました。1976年1月に周恩来が死去した後も、後任の総理を自分の考えに近い「四人組」の中から選ばずに、公安畑出身の(思想的には無色透明の)華国鋒氏を指名しました。毛沢東は、自分の考えに沿った党運営を望んでいた一方、自分と同じ考えの者が党の全ての権力を握ったのでは様々な考え方を持つ多数の人間からなる中国共産党という集団がまとまらないことをよく理解していたのだと思います。

 この考え方はトウ小平氏も引き継ぎました。自分の考えに近い改革派の胡耀邦氏と趙紫陽氏を党総書記と国務院総理にする一方、保守派の重鎮の陳雲氏らとは論争はしましたが決して保守派を排撃することはしませんでした。1986年末に安徽省合肥から始まった学生運動が上海などへの広がった事態に対して、トウ小平氏は胡耀邦氏の責任を問うて辞任させましたが、これは学生らの動きを放任していては党内保守派が反発して党が分裂状態になることを危惧したからだと私は考えています。

 以後、中国共産党は、党内の分裂を避けるため、様々な考え方を持つ党内勢力それぞれに配慮した一定程度バランスが取れた体制を続けてきました。1998年まで国務院総理だった李鵬氏は保守派に分類される人でしたが李鵬氏の後任の国務院総理になった朱鎔基氏は改革思想を実践する経済エコノミストでした。2002年からスタートした胡錦濤体制の政治局常務委員は、胡錦濤氏に近い人の数は少なく、むしろ江沢民氏の息の掛かった人が多数を占めていました。

 李克強氏が国務院総理を務めていた2023年3月までの習近平体制も形の上では「バランスの取れた配置」になっていました。しかし、2022年10月の党大会で決まった党内体制と2023年3月に決まった中国政府の体制は「習近平一色」となり、文革後期の毛沢東時代から続いてきた「党内勢力のバランスに配慮した体制」は崩壊しました。

 上に書いたような「影の薄い李強総理」の姿を見ていると、習近平氏にとっては国務院総理は「自分に強く反対する人でなければ誰でもよかった」のかもしれません。問題は、そういう習近平氏の姿勢を感じて、李強氏自身がやる気を失わないか、ということです。同じように「党内勢力のバランスを無視した一人への権限集中体制」は、おそらくは中国共産党内部の活力を失わせると思います。

 10月27日の李克強氏の死去の後、若い頃に彼が過ごした合肥の住居に多くの追悼の花束等が捧げられているのを見て、日本のマスコミでは胡耀邦氏の死去に対する追悼の動きが大きな運動に発展した1989年の「六四天安門事件」が再来するのではないか、という見方が報じられています。私は1988年9月まで北京に駐在していましたが、当時の中国と現在の中国とでは状況が全く違いますから「六四の再現」は私はないと思います。しかし、李克強氏の突然の死去は多くの人々(特に中国共産党内部の人々)に「中国共産党の党内勢力のバランスを無視して一人への権限集中を図ろうとしている習近平氏」を改めて意識させることになったと思います。

 毛沢東にしろトウ小平氏にしろ彼らは「自分の考えを強力に進めること」と同時に「党内バランスを重視して中国共産党のまとまりを維持すること」を重視していました。それは中国共産党による統治をできるだけ長く継続させたいという思いがあったからでしょう。文化大革命の混乱期以降の中国共産党トップには、習近平氏のように「党内バランスを無視してでも自分一人への権力集中を進める」ことを目指した人はいませんでした(よく日本のマスコミでは「習近平氏は毛沢東になることを目指している」と表現することがありますが、文革後期の毛沢東は上に書いたように党内の統一も重要視していましたから、この表現は正しくないと私は思います)。その意味で、李克強氏の死去は「六四の再現」はないとしても、後から見て「歴史の大きな転換点」になる可能性はあると私は思っています。

 

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