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2023年9月 2日 (土)

中国マンション市場に蔓延する不安の行方

 ここのところ、私は毎日ネットでテンセント網・房産チャンネルをチェックしていますが、この一週間、以下の二つの「解説動画」が目に付きました。日本語としては適切な表現ではありませんが、中国のネットの雰囲気を知って頂くために、あえて中国語を直接的に日本語に置き換えたタイトルを下記に掲げます。

○日本の核排水の海洋放出は沿海地区のマンション市場に影響を及ぼすのか?(2023年8月28日アップ)

○日本の核排水は5日間で既に千トンを超えているが、これは沿海都市のマンション価格に影響を及ぼす可能性はあるのか?(2023年8月29日アップ)

 タイトルは刺激的ですが、この「解説動画」で解説されている内容は極めて「まとも」です。これらの「解説動画」でなされている解説のポイントは以下の通りです。

・沿海都市部における海産物を扱う飲食業、観光業、養殖業等に影響が出る可能性はあるが、居住環境に直接影響するわけではないので、沿海地区におけるマンション市場に与える影響は小さいと考えられる。

・沿海部のマンションを買う人の中には「おいしい海産物を食べたいから」という人もいるだろうが、多くは「海の見える家で落ち着いた気分で住みたい」と考えて沿海部にマンションを買っているのだろうから、日本の「核排水」の海洋放出が沿海部のマンション市場に影響を及ぼすとは思えない。

・多くの場合、時間の経過によって、今回の海洋放出のような案件に対する懸念は段々に薄れてくるので、直近はある程度の影響があったとしても、将来的には影響は小さくなっていくだろう。

・沿海部の海の見えるマンションを購入している人の多くは投機目的であり、実際に住みたいと考えてマンションを買う人は必ずしも海が見える沿海部のマンションにはこだわらない。大連等においては、投機目的の購入者が減ったことにより、沿海部のマンションの売れ行きは既に落ちているので、日本の「核排水」の問題がこれから沿海部のマンション市場に直接の影響を及ぼすとは考えられない。

・政府による最近のマンション市場に対する政策の動向の方が最も着目すべき重要な事項である。

 上記の二つ目の動画は、最初の部分で「日本の核排水は5日間で既に千トンを超えているが、これは沿海都市のマンション価格に影響を及ぼす可能性はあるのか?」というタイトルが表示された後、その表示の上に「×」印が表示されて、タイトルのような問いを否定する立場であることを明示していました。

 「解説動画」は「まとも」なのだとしても、どうしてこういう解説動画がアップされるのか、という点がポイントだと私は思います。おそらくはネット上には日本のALPS処理水の海洋放出が中国の沿岸部のマンション価格の暴落を招くのではないか、と本気で心配している中国の人々がたくさんいるからこそ、それに対する答えとして、上記のような解説動画がアップされているのでしょう。私が感じたことを率直に言わせてもらえば、これは、中国のマンション市場に関心のある人の間には、昨今の中国のマンション市場の状況を踏まえて、相当程度に「戦々恐々たる不安心理」が既に蔓延していたことが背景にあるのだろうなぁ、ということです。

 中国政府がどういう目的意識で日本によるALPS処理水の海洋放出に対する反対気運を煽っているのか私には理解できていません。こういった中国政府のやり方は、中国社会の中の様々な方面において人々の不安心理を高めているように見えますが、それが中国政府にとってプラスであるとはとても思えないからです。「日本を不安・不満のはけ口にしようとしているのだ」と考えている人もいるようですが、塩が買い占められたり、中国産の海産物も売れなくなったり、沿岸部のマンション価格が下落するのを心配するような人が増えたりすれば、中国政府にとってプラスになることは何もないと思います。

 中国の巨大不動産企業のトップ2である碧桂園と恒大がともに経営破綻するかもしれない、という厳しい状況にある中、この問題に対する中国政府の対応が鈍いことが中国の人々が抱く不安の根本的な原因だと私は思っています。普通の国では、こうした人々が不安を抱くような経済低迷が起こった時、人々を落ち着かせるために政府のトップ政治家はテレビカメラの前で演説し「断固としてこの危機的な状況に対応していく決意だ」と人々に訴えかけるものだと思います。それは、どの国でも(ロシアのプーチン大統領でさえ)同じでしょう。しかし、中国の習近平氏は、そういう訴えかけを全くしません。「訴えかけをしない」どころか、そもそもテレビのニュースに登場しません。

 私は毎日スカパー!の「大富チャンネル」で中国中央電視台夜7時のニュース「新聞聯播」を見ています。「新聞聯播」のトップニュースは毎日ほとんど必ず「習近平氏は・・・」で始まるのですが、これらは過去の視察時の映像等を使って「習近平氏の指示によりこれだけよくなった」といったたぐいの話がほとんどです。「新聞」(ニュース)という意味では、2023年8月は習近平氏は(過去の視察時の録画映像等を除けば)「新聞聯播」にその姿を見せたのは三つの場面しかありませんでした。8月22日からの南アフリカでのBRICS首脳会義関連の会議に出席した時、8月26日に南アフリカからの帰途に新疆ウィグル自治区に立ち寄って視察した時、8月31日に北京で開かれた第11回全国帰国華僑・華僑家族代表大会に出席した時の三つです。この8月は洪水被災地の視察もありませんでした。

 7月24日の中国共産党政治局会議の後、結局、習近平氏は、不動産市場が直面する危機的状況については何もコメントしないまま時間が経過しています。

 こうした中、8月31日、中国人民銀行と金融監督管理総局は連名で、住宅ローンの頭金比率の引き下げ、住宅ローン金利の引き下げ及び既存の住宅ローンの返済者が新しい低い金利のローンに借り換えできるように銀行と交渉できるようにすることを発表しました。さらに、先に方針が示されていた「一件目の購入か二件目以降の購入かを判定する基準」を緩和し、例えば、他の都市で住宅を持っていた人が大都市に住み替える場合、またはよい条件の住宅に住み替える場合には「二件目」(条件が厳しい)ではなく「一件目」(条件が緩い)として判断するようにする、といった政策変更も実行に移されることになりました。

 これらの新しい政策について、テンセント網・房産チャンネルの解説動画では「過去の中で最も有利な条件が示された」と評価しています。これまでは、投機目的のマンション購入を抑制するため、二件目以降の購入については非常に厳しい条件が課されていたからです。ただ、今回の政策変更がマンション販売の大幅な促進に繋がるかどうかは評価が分かれています。「住み替え需要は大きいので今回の政策変更は明らかにマンション市場にとってプラスだ」という見方がある一方、「マンション市場に対する信頼感が失われたのが最大の原因なのだから、今回の政策変更によってはマンション市場の難局を打開するのは難しい」とする見方もあります。

 いずれにせよ、国慶節の大型連休を挟む9月と10月は、中国のマンション業界では「金九銀十」と言われるように、マンション販売の「かきいれ時」なので、これから二ヶ月の中国のマンションの販売動向がどうなるのかに注目する必要があると思います。

 ただ、私が一番気になっているのは、今回のような「頭金比率や金利の引き下げなどの住宅ローンにおける条件の緩和」は個人の住宅購入には影響を与えるだろうが、これまで多くの企業が行ってきた「企業資産としてのマンション購入」には今回の政策変更は影響しない、ということです。これまでマンションの資産価値は一貫して上昇してきたので、中国の多くの企業では、業績が好調で資金に余裕がある時にマンションを購入しておき、資金が必要になった時には保有しているマンションを担保にして銀行から資金を借りる、というのを日常的な企業経理活動の一環として行ってきたと思われます。私は、このブログの2023年3月4日付け記事「習近平政権三期目の喫緊の課題は不動産市場対応」の中で、中国のネット上の記事に以下のような部分があったことを紹介しました。

「これまでの住宅市場の活況の中では、企業が最大の『炒房』(投機目的のマンションの売買)の主体だった。新華ネットのデータによると、2017年のA株を上場している企業3,582社のうち1,656社(46.23%)が投資用マンションを保有しておりその時価総額は9,904億6,600万元だったが、2019年第三四半期末には、上場企業3,743社のうち1,826社(48%)が投資用マンションを保有しておりその時価総額は1兆3,340億元に増加していた。多くの上場企業は本来業務ではなく投資用マンションの売買で利益を上げ、上場企業としての地位を保っていた。」

 上の記事で言っている企業による「炒房」(投機目的のマンションの売買)は個人向け住宅ローンの対象ではありませんから、今回の政策変更では何の影響も受けません。従って、今回の政策変更によっては企業による投機目的のマンション購入は復活しないでしょう。だとすると、今後、「値下げ禁止令」を緩和すれば、やはりマンション価格は下落するでしょう。そうなると、企業が保有しているマンションの資産価値は下落し、バランス・シートの悪化によりその企業の経営は難しいものになるでしょう。これが中国全体に広がれば、いわゆる「バランス・シート不況」になります。

 この「バランス・シートの問題」については、日本経済新聞は非常に重要視しているようです。昨日(2023年9月1日(金))付け日本経済新聞朝刊1面には「中国主要不動産 債務超過リスク 11社、開発用地3割評価減なら」と題する記事が掲載されています。現在、経営危機に陥っている中国の主な不動産企業11社の資産のうち「開発用不動産」が6兆3,495億元あるが、この「開発用不動産」の評価額が3割下がるならばこれらの不動産企業は債務超過に転落する、とこの記事は書いています。

 中国の土地は公有であり、「土地使用権」を地方政府が不動産企業に売却し、現時点では地方政府がその土地に建てられたマンションの価格を下げないよう「値下げ禁止令」を出している、というのが現状です。つまり、中国の場合、土地の自由な売買は行われていませんから、土地の資産評価額は実際の経済上の価値を表しておらず、極端なことを言えば、土地の評価額は「単に帳簿の上に適当に置いただけの数字」に過ぎません。現在、マンションがなかなか売れない状況の中、「値下げ禁止令」を解除すれば、マンション価格や土地の評価額はすぐにでも3割程度は下落するかもしれません。そうなれば、日経新聞が書いている11社の大手不動産企業は全て債務超過状態になる、ということです。

 この話は「不動産業界」だけに留まりません。上に書いたようにA株を上場している企業の半分近くが投資用マンションを保有しているという現在の中国経済の状況を踏まえれば、マンション価格が何割か下落すれば、バランス・シートが悪化する企業は、不動産業界以外の多くの分野で出現する可能性があります。

 日本経済新聞が一面の記事で中国不動産企業のバランス・シート問題について取り上げているのは、この問題は、中国経済の根幹を揺るがす極めて大きな問題であると認識しているからこそ、日本の経済関係者に警鐘を鳴らしたいと考えたからだと思います。

 一方、8月31日に打ち出された上に書いた住宅ローンの金利引き下げ等の政策は、もうひとつ別のインパクトをもたらします。それは中国の銀行の経営環境の悪化の問題です。テンセント網・房産チャンネルにアップされている解説動画によると、現在、中国で住宅ローンを抱えている家庭は4,000万戸超あり、そのローン残高総計は38.6兆元にも上るのだそうです。単純計算すれば、住宅ローン金利が1%引き下げられれば銀行収入が約4,000億元(約8兆円)減ることになります。今回の住宅ローン金利引き下げ等に併せて、銀行の預金金利も引き下げられるようですが、それにしても中国の銀行の経営には相当のプレッシャーが掛かると思います。銀行貸し出しの担保として差し入れられていた住宅200万戸が裁判所によって競売に出されている、という現状も気になるところです。マンション市況の低迷により、差し押さえた住宅が競売で売れなければ銀行は貸し倒れの損失をそのままかぶってしまうことになるからです。

 9月1日(金)、上海の株式市場では、最近の中国政府による株価押し上げ策に加えて、8月31日に打ち出された住宅ローン金利引き下げ等のマンション市場活性化策を好感して株価が上昇しました。私は銀行株に敏感な香港株式市場はどう反応するかなぁ、と思っていたのですが、9月1日(金)の香港株式市場は台風接近のため臨時の休場でした。海外投資家が多い香港株式市場が週明けの9月4日(月)にどういう反応を示すのか注目して見てみたいと思います。

 金融危機を引き起こさないようにするためには政府は非常に難しい舵取りが求められるのですが、最も重要なことは、政府が断固とした姿勢を示して危機を起こさないという決意を示し、素早く対応することです。1990年の平成バブル崩壊時の日本政府や2008年のリーマン・ショック時のアメリカ政府の対応は成功と言えるものではありませんでしたが、ごく最近、「小さな危機の芽」を何とか乗り切った事例がありました。以下の二つです。

★2022年10月、イギリスのトラス政権が「バラマキ政策」を発表した際、国際マーケットはイギリスの財政破綻を懸念して、イギリス国債売り、イギリス・ポンド売りが急速に進んだ。これを受けて、イングランド銀行は緊急の国債買い入れを行うとともにトラス首相は辞任して後任のスナク首相は前任者による「バラマキ政策」の撤回を決定した。このため、ポンドの急落、イギリス国債金利の急騰というパニック的状況は収まった。

★2023年3月、スイスの二大銀行の一つであるクレディ・スイスが経営破綻の危機に陥った時、スイス国立銀行が緊急融資を行うとともに、スイス政府が仲介してスイス最大の銀行UBSによるクレディ・スイスの買収を成立させた。これにより、クレディ・スイスの破綻による金融危機の発生は回避された(その過程で、クレディ・スイスのAT1債を保有していた投資家は損失を蒙った(結果的にAT1債保有者を犠牲にすることによって、金融危機への発展を防いだ))。

 いずれも、一週間程度の短い期間における素早い決断と実行でした。

 国際会議とか外国要人との会見とか、ほとんど「皇帝による儀式のような場面」でしかテレビのニュースに登場しない習近平氏にこの種の「金融危機に対する対応」ができるのだろうか、という感覚が、たぶん中国の不動産市場を見ている人が抱いている不安の最も大きな根本原因だと私は思っています。

 経済政策のプロだった朱鎔基氏が中国人民銀行総裁や国務院総理をやっていた頃、あるいは世界のエコノミストからも一目置かれていた周小川氏が中国人民銀行総裁であり李克強氏が国務院総理をやっていた頃には、私自身はこの種の不安感を持ったことはありませんでした(この頃は中国経済が順調に成長していたからでもありますが)。現在の中国人民銀行の幹部や現国務院総理の李強氏の「本当の実力」を私はよく知らないのですが、現在の習近平政権の体制で、今膨らみつつある「不動産問題に起因する金融危機の萌芽」にうまく対処できるのかなぁ、という不安を私は持っています。その不安感は、おそらくは中国の不動産市場に蔓延している不安感と共通のものだと思います。

 今回打ち出された住宅ローン金利引き下げ等の政策が効果を上げるのには半年とか1年とかの時間が掛かると思います。一方、恒大も碧桂園も次から次へと債券の償還期限を迎えます。何を目的にして政策を打っているのかよくわからない現在の中国政府ですが、中国の人々のためだけでなく、世界経済への影響を与えないようにするためにも、現在見え隠れする「金融危機の萌芽」を本物の「危機」にしないように何とかうまく対応して欲しいものだと思います。「本物の危機」になってしまったら、それは習近平体制自体の「危機」になるでしょう。問題は、それを認識して「金融危機の萌芽を本物の危機にしないための方策」を考え実行して習近平体制の「危機」を救うために働く側近が習近平氏の周辺にいるのか、ということです。もしいないのだとしたら、それは危機の時に体制を救うための人材を自ら切り捨ててしまった習近平氏自身の責任、ということになると思います。

 

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