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2021年7月31日 (土)

中国リスクが四十年前以前に逆戻り

 この一週間(2021年7月26日(月)~30日(金))、世界の株式市場は上海総合指数と香港ハンセン指数の動きに注目していました。この一週間で上海総合指数は4.96%下げ、香港ハンセン指数は6.36%下落しました。原因は、最近中国政府が様々な業態に対する規制を強化していることを多くの投資家が嫌ったためだと考えられています。

 中国政府によるネット通販最大手アリババや配車サービス滴滴(ディディ)に対する締め付けは以前からありましたが、この一週間の下げは、先週末に中国政府が義務教育課程にある児童を対象とする学習塾について新規認可を認めず既存の企業も非営利団体化するという方針を示したことがきっかけでした。「非営利団体化する」ということは「儲けを出すことを認めない」ということですから、企業の「儲け」が配当で配られるのを期待して学習塾を経営する企業の株を持っていた投資家がその株を売ったのは、ある意味では当然のことでした。

 学習塾に対する規制は「受験競争による学習塾通いがこどもたちの負担になっている」「学習塾等の教育費の高騰が少子化の一つの原因になっている」「学習塾に通わせることができる裕福な家庭のこどもたちだけが有利な教育機会を得られる状況は機会均等の原則に反している」という問題点を解決しようというものですから、規制の目的自体は十分に理解可能です。しかし、問題は「規制の決め方」です。

 行政府がある日突然ある種の業態の企業に対して「儲けを出すことは許さない」というような規制を打ち出したら、経済は成り立ちません。法規制の変更はあってもよいのですが、変更する場合には、方針が示されてから実際に政策変更が実行されるまでに、経済主体(企業や個人)がその経済政策の変更に対応する対策を講じるために必要な一定の時間的余裕が必要です。企業や個人といった経済主体は、現在ある経済政策が将来も続くはずだという前提に基づいて、投資をしたり様々な準備をしたりして経済活動に参加しているのですから、そうした経済主体が必要な対応を採れないような突然の政策変更は経済の混乱を招きます。また、そうした「突然の政策の変更」が一度行われると、今後は将来の政策変更を恐れて誰も新たなビジネスに参加しようと思わなくなるので、国全体の経済活動が低迷することになります。

 この問題は「政策予見性の問題」とか「法的安定性の問題」とか呼ばれ、イデオロギーの種類(社会主義的か自由経済主義的か等)とは関係なく、企業や個人の経済活動においては重要な要素です。発展途上国においては、「政策予見性」が明確でなく「法的安定性」が不安定な国もありますので、そうした国は「カントリー・リスクが高い」とされ、外国企業が投資等のビジネスを行う場合には細心の注意が払われます。

 建国以来、大規模な社会主義化→大躍進政策→経済調整政策→文化大革命→改革開放政策とほとんど180度とも言える政策転換を繰り返してきた中華人民共和国は「政策予見性」「法的安定性」の観点から極めてカントリー・リスクが大きい、とかつては認識されてきました。しかし、経済成長のためには外国企業による投資や技術的協力が不可欠であることを認識していたトウ小平氏は、1978年に現在の改革開放政策への方針転換を実行した後、諸外国に対して「中国はもう以前の中国ではない」として、「政策予見性」「法的安定性」の観点からは心配しないで欲しいと諸外国に強く訴えました。

 そのトウ小平氏の方針に則って日本と合意を目指して1980年代初めから協議が行われたのが日中投資保護協定でした(1988年署名。現在は韓国も加えて日中韓投資協定となっている)。日中投資保護協定を通じて中国が日本に対して言いたかったのは「中国はもはや『いつ政策が変わるかわからない』というような国ではなくなったのですから、日本企業の皆さんはどうぞ安心して中国でビジネスをしてください」ということでした。

 ところが先週末に出された「学習塾は非営利団体とする(つまり学習塾企業が利益を出すことは認めない)」とする中国政府の方針は、1980年代初頭にトウ小平氏の中国共産党が示した「中国はもはやいつ政策が変わるかわからない国ではなくなりました」という宣言を自らホゴにするものでした。

 民主主義国家においては「国民に義務を課す、または国民の権利を制限する規制は、必ず国民の代表者で構成される国会(議会)で議決して決められる法律の中に書き込まれなければならない」という大原則があります。緊急の必要性がある場合には行政府(日本なら内閣や各省、アメリカなら大統領)が命令を発することがありますが、この場合には、国会(議会)で議決された法律の中に行政府に対して一定の条件の下で命令を発することを認める旨の規定(委任規定)がなされていなければなりません(現在日本で行われている新型コロナ対策のための飲食店等に対する規制も国会を通った特別措置法の規定に基づいて行われている)。国会に法律案が提出され、国会で議論されて議決され、実際に法律が施行されるまでの間には一定の時間が掛かりますから、規制を受ける企業や個人はその間に制度改正に対する対応の準備ができるのです。

 ところが、中国共産党方式の統治においては、中国の個人や企業の権利・義務に関する制度改正は、全人代での議論を経ずに行政府が突然決めることができます(「中国共産党中央と国務院による通知」などという形で発出される)。一方、中国共産党も事前予告なしに制度を変えることは経済活動にとってマイナスであり、「政策予見性」と「法的安定性」がない社会では外国企業はビジネスをやりたいとは思わないことはよく知っています。だからこそ、1980年代のトウ小平時代以降の中国共産党は「日中投資保護協定」の締結等を通じて、「中国は中国共産党が統治しているけれども、政策予見性や法的安定性はありますよ」と世界に対してアピールしてきたのです。

 この方針は、少なくとも胡錦濤政権までは続いていました。私が北京に駐在していた2007年~2009年の胡錦濤政権下での中国では、重要な法改正については「パブリック・コメントを求める」と称して法律案を公表し、法律案が出されてから何回か全人代常務委員会で議論をして、一定の時間が経過した後で議決していました。実際に「パブリック・コメント」を受けて中国人民から出された意見に応じて法律案を変えたのかどうかは私はよく知らないですが、少なくとも法律案が公表されてから法律が施行されるまでの間には一定の時間がありましたので、個人や企業は新しい法規制に対応した準備ができたのでした。ですから、胡錦濤政権までは、個人や企業は中国について「政策予見性」「法的安定性」の観点では一定の安心感を持っていたのでした。

 ところが、ここへ来て習近平政権は、経済活動に参加する個人や企業の都合に全くお構いなしに政策を変更する姿勢を明確にしています。1980年代のトウ小平時代以来、既に40年も経過しているのですから、中国共産党としても経済活動における「政策予見性」「法的安定性」の重要性は十分に認識しているはずです。にもかかわらず、経済面へのマイナスの影響を無視するかのように突然の経済的規制を強化しようとしているのは、経済的マイナスよりも中国共産党による統治の強化の方が重要である、と現在の習近平氏を核心とする中国共産党は考えているからでしょう。このやり方について、中国での経済活動に参加している個人や企業がどう考えているか、については、この一週間の上海総合指数と香港ハンセン指数が示した株価の動きを見れば明らかです。

 私は1982年7月から通産省通商政策局北アジア課で勤務し日中投資保護協定交渉に関する通産省内での窓口を担当していました。この当時、中国側は「文化大革命が終わった中国はもはや『突然政策が変わる国』ではなくなりました!」と盛んに主張していました。その後四十年間、中国はその方針に則り、諸外国の企業も安心して中国でのビジネスを拡大してきました。しかし、今の習近平氏の中国共産党は明らかに「トウ小平以前の、ある日突然政策が変わる国」に中国の時間の針を逆転させようとしています。このことの世界経済における意味は非常に大きいと思います。

 アメリカの株価が「史上最高値」を更新する中、日本の株価は二月に「平成バブル以降の最高値」を付けた後、ジリジリと下がり続けています。「新型コロナウィルスの感染が収まらないからだ」とか「日本ではワクチン接種が欧米より遅れているからだ」とかいろいろ言われていますが、この一週間の動きを見れば「日本は欧米に比べて中国との関係が深い。そうであれば、中国においてビジネスの基盤である『政策予見性』『法的安定性』が揺らいでいる今、日本の株は買えない。」という見方が強まってきているように見えます。

 新型コロナウィルスの感染は、ここへ来て感染者数が急増しており予断を許しませんが、ワクチン接種も進んでいますから、新型コロナはいつかは収まるでしょう。しかし、世界第二の経済大国である中国において、安定的な経済活動に不可欠な「政策予見性」「法的安定性」が失われてしまうのだったら、これは長期的に見て世界経済にとって重大な問題です。安全保障の観点を全く考えないとしても、経済的観点だけで見ても、中国が1980年以前の「カントリー・リスクの大きかった時代」に逆戻りしてしまうことの影響は甚大です。

 この一週間の上海総合指数と香港ハンセン指数の下落は、単に「株価が下がった」と簡単に見過ごしてはいけない重要な問題を含んでいることを認識すべきだと思います。

 

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コメント

初めてコメントさせて頂きます。2008年頃より貴ブログを読ませて頂いています。毎週日曜日の朝一番で読む習慣となりっています。大変ありがとうございます。  年齢は69歳(1952年生まれ)。精密機器の会社で仕事をし、93年から4年間は上海(浦東)で工場立上げ等々(毎月の出張ベース)、その後も深セン地区への出張ベースの仕事、2008年~2010年は上海駐在といった経験があります。2013年の退職後は新たに中小企業のご支援の仕事をしています。私の現役時代は一言で言うと『グローバル化時代への対応』で、その先頭をきって仕事をしていた自負もあったのですが、退職後に振り返ると何と罪深い仕事をしていたのかと愕然とすることもありました。
大躍進運動,文化大革命,改革開放,天安門事件,資本家の入党,4兆元の経済対策,グーグルの中国市場からの撤退,民間会社への党の圧力強化,国有・国営化の動き・・・。 私の(子供時からの)記憶にあるのは文化大革命からですが、先々週から先週にかけて起こった『教育会社の非営利企業化』等の規制は中国が新たな時代に入っていく事が「明確になった」出来事と思います。IT企業の上場直前の上場取り止め等の出来事はありましたが、一部経営者の個別の案件ではと思う面もありました。しかし、IT系,教育系、そして(教育系会社へ規制の論法で言うと)不動産系の会社への規制も起こることでしょう。まるで経済成長よりも優先度の高い『何か』がある様に見えます。その『何か』は(党にとって)積極的な、より成長が見込まれる何かか又は、より目標(中国の夢)が実現され易い何か、ですし、又は、(党にとって)危険な、目標を達成する為の阻害要因の除去なのでしょう。私には、危険な阻害要因の除去の方に見えてしまいます。 近い将来、第二次文化大革命が起きそうな感じさえしてしまいます。いや、既に起きているのかも知れません。ここ2,3年の動きはまさに文化大革命なのかも知れません。 私は69歳、何とか文化大革命の結末を見たいと思っています。  今後もブログ執筆を継続して頂けます様お願い申し上げます。

投稿: 山岸吉保 | 2021年8月 1日 (日) 08時52分

山岸吉保様

 コメントありがとうございます。

 今まさに東京オリンピック2020の熱戦が盛り上がっていますが、1964年の東京オリンピックを推進ロケットとして大きく進んだ日本の高度経済成長が1973年の石油ショックで終わり、その後、平成バブル崩壊やリーマン・ショック等いろいろあったにも係わらず、日本が落ちぶれることなく、「安定成長」と言われながらもそれなりに安定した経済社会を続けてこられたのも、急成長する中国という新しい荒野で活躍してこられた数多くの日本のビジネス・パーソンの皆様方の御努力のおかげと思っております。

 今、「急成長する中国」が終了し、もし仮に「第二文化大革命」の時代に入ってしまうのだとしたら、東京2020後の日本は何を足場にして次の時代に進むことになるのだろうか、と思ってしまいます。

 次のステップに入った中国と日本とは、これからどういう関係を続けていけばよいのか、これからも考え続けていきたいと思います。

投稿: イヴァン・ウィル | 2021年8月 1日 (日) 14時11分

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