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2018年3月

2018年3月31日 (土)

中国の地方統治における科挙・中国共産党・監察委員会

 先の全人代で成立した「中華人民共和国監察法」が「人民日報」に掲載されていたので、じっくりと読んでみました。私が最も印象深かったのは、第十五条の監察機関の監察対象に関する規定でした。第十五条は以下のとおりとなっています。

中華人民共和国監察法

第十五条 監察機関は以下に掲げる公職人員及び関連する人員に対して監察を行う;

(一)中国共産党の機関、人民代表大会及び常務委員会の機関、人民政府、監察委員会、人民法院、人民検察院、中国人民政治協商会議の各レベルの委員会の機関、民主党派の機関並びに工商業連合会の機関の公務員及び『中華人民共和国公務員法』に規定する管理的人員

(二)法律または法規により権限を与えられた組織あるいは国家機関が法律に基づいて公共事務の管理を委託した組織の中において公務に従事する人員

(三)国有企業を管理する人員

(四)公立の教育、科学研究、文化、医療衛生、スポーツ等の機関の管理に従事する人員

(五)社会の末端における大衆性自治組織の管理に従事する人員

(六)その他法に基づいて公的職務を履行する人員

 しょっぱなに「中国共産党の機関」が掲げられています。中国の公的機関(国有企業等も含む)は全て「中国共産党の指導」の下にありますから、その「全ての公的機関の上の地位にある中国共産党の機関」を監察することになる監察機関(国家監察委員会と地方に設置される地方の監察委員会)は、中国共産党を凌駕する権限を有している、と言ってもいいと思います。その意味で、この「監察法」が定める監察機関の誕生は、「中国共産党の指導」が最大の特徴である中華人民共和国の歴史において、まさに画期的なできごとだったと言えるでしょう。

(注)ただし、「監察法」第二条には「中国共産党による国家の監察業務に対する指導を堅持し」とあります。なので、私には「中国共産党」と国家の機関である「監察機関」との上下関係(一体どっちがどっちを「監察」「指導」することになるのか)が今ひとつよくわかりません(中国の人たち自身もよくわかっていない可能性があります)。

 そもそも広大な国土を有し、各地方で独自の文化や産業を持っている中国においては、中央政府が地方の独走を抑えて的確に統治することは歴史上の大きなな課題でした。ともすると、各地方の有力者は、独自に力を蓄えて中央政府に反抗する傾向があり、実際、中国の長い歴史の中では、中央政府が弱体化して、各地方が独自に作った「国」どうしが覇権を争う、といった群雄割拠の時代が繰り返されてきました。そうした「地方の中央政府に対する反逆」を防止するために作られた制度が随の時代の598年に始まった「科挙」の制度でした。この制度では、皇帝が実施する試験に合格した官僚を地方に派遣して地方を統治させるとともに、派遣された官僚が土着の有力者と癒着しないように、派遣された官僚は一定の任期の後には中央に召還されるか他の地方に転勤させられたのでした。この科挙の制度は、比較的有効に中央集権の体制を維持することができたことから、清末の1905年に廃止されるまで、中国の地方統治の手法として活用されてきたのでした。

 辛亥革命で清を倒して1912年に成立した中華民国は、科挙のような地方統治のシステムを持たなかったために、結局は各地方を拠点とする軍事的・経済的な力を持った軍閥の集合体にしかなれなかった、と言えるでしょう。こうした反省に立ち、1949年に成立した中華人民共和国では、各地方政府を統轄する中国共産党の地方委員会のトップ(書記)を北京の中国共産党中央から派遣し、一定の任期が終わったら人事異動させる(北京に戻すか、他の地方に転勤させる)こととし、実質的に「科挙」と同じようなシステムで、中央政府の意向に沿って地方を統治するようにしたのでした。

 しかし、「科挙」の制度でも中国共産党の制度でも、地方に派遣された幹部が地方の地元の有力者と癒着して私腹を肥やす傾向は同じように発生しました。過去の歴代の王朝において、中央から派遣された官僚が地元の有力者と結託して私腹を肥やす傾向が蔓延すると、中央政府の統治能力は失われていき、結局はその王朝が崩壊していったのでした。そうした事態を避けるため、現在の習近平政権は、中国共産党中央の意向で派遣された地方の共産党委員会の幹部を監視する目的で、中国共産党とは別個の組織として「監察委員会」を設置して、地方の共産党幹部の腐敗を防止しようとしているわけです。

 本来、地方に派遣されている中国共産党幹部は、皇帝が科挙の制度に基づいて地方に派遣した官僚と同様に「地方の土着の有力者が中央の意向を無視して勝手なことをしないように監視し統治を行うこと」がその役割でした。「監察委員会」は「地方に派遣された中国共産党幹部が土着の有力者と癒着して中央の意向を無視して勝手なことをしないように監視する」ことが役割なのですから、「屋上屋を重ねた」という感は否めません。地方の「監察委員会」に派遣された者自身が今度は地元の有力者と結託して中央の意向を無視するようになったらどうするのでしょうか。

 「中央から派遣された者による地方の監視」には限界があります。やはりここは「地元住民にとって利益にならない『私腹を肥やす』ようなことをやった地方政府幹部は選挙で落とされる」という民主主義制度の方が「腐敗防止」の観点では有効であることは明らかでしょう。習近平政権による「監察委員会」の制度の導入は、「中国共産党による地方の統治」という中華人民共和国の地方統治システムの根本を改善する可能性はありますが、所詮は「中央から派遣された者が地方政治を監視する」という意味では、歴代皇帝が行ってきた科挙の制度の「二番煎じ」でしかありません。

 「監察委員会」の「監察」があまり厳しすぎるものだとしたら、地方は反発して中国全土に「反習近平」の空気を盛り上げるでしょうし、もし「監察委員会」の制度が強い反発を呼ばない程度に「ゆるく」運用されるのだとしたら、地方政府における腐敗の防止という効果は上がらず「地方政府が中央の意向を無視して勝手なことをやる」という現状は改善されないでしょう。むしろ「中国共産党の機関を監視する監察委員会の設置」が「中国共産党が支配するはずの中華人民共和国の政治」を変えていってしまう危険性の方が大きいと私は考えています。政治局常務委員を辞めた王岐山国家副主席を政治局常務委員と同様に(あるいはそれ以上に)扱うことにより、習近平氏が「中国共産党による支配の形骸化」(=習近平氏による「一人支配」の確立)を狙っているようにも見えるからです。この「監察委員会」のこれからの運用は、中国共産党内部で習近平氏への反発を醸成する可能性もあることから今後注意して見守っていく必要があると思います。

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2018年3月24日 (土)

全人代に見る「三十年間の歴史の逆転」

 今年(2018年)の全人代期間の終盤、「人民日報」ホームページ(「人民網」)のトップページには、国家主席に再任された後に憲法が書かれた本に手を置いて宣誓をする習近平主席の写真が大きく掲げられており、そこに次のような文字が書かれていました。

「党的核心、軍隊統率、人民領袖習近平」

 そして写真の下には大きな文字で次のように書かれていました。

「習近平同志は中華人民共和国主席、中華人民共和国中央軍事委員会主席に全票で当選した。これは、3,000名近い全国人民代表の集体的な意志であり、13億以上の全国民族人民の共同の願いである。習近平同志は、全党が支持し、人民が敬愛し、その地位に恥じない党の核心であり、軍隊を統率し、人民の領袖であり、新しい時代の中国の特色のある社会主義国家の舵取りを担う者であり、人民の導き手である。習近平同志を核心とする党中央の固い指導の下、習近平の新時代の中国の特色のある社会主義思想の指導の下、中国人民は、中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現することについて完全に確信を持っており、またその能力を有している。」

 こういった表現は、ほとんど毛沢東時代の再現に近く、中国が1978年にトウ小平氏によって始められた「改革開放の中国」とは全く別の国になったことを表しています。

 ちょうど三十年前の1988年の全人代期間中、私は北京に駐在していました。全人代冒頭の国務院総理による政府活動報告等のテレビ生中継や電子投票機による投票など、今でも続いている全人代の様々な「やり方」がこの1988年の全人代から始まった、と記憶しています。

 三十年前の1988年の全人代期間中、私はテレビを見たり中国の新聞を読んだりしましたが、この時の全人代では、映画「ラストエンペラー」で故宮の本物の玉座のある部屋をロケ場所として使うことを許可したことについて、当時の文化部副部長がある全国人民代表から「国宝を映画のロケに使わせるのは軽率ではないか」と追及された、といった話を新聞で読んだことを覚えています(この文化部副部長は、映画の中で「チョイ役」で出演しているそうで、そうしたことも含めて批判されていたようです)。また、確か「人民日報」の記事だったと思うのですが「全国人民代表が乗ってきた車を見たら、ほとんどが外国製の輸入車だった。全国の人民を代表する全国人民代表がなぜ国産車に乗らないのか。」と批判する記事も読んだ記憶があります。私は「へぇ~、今の(1988年の)中国では政府や全国人民代表を批判する記事も新聞に載るんだ。」と感心した記憶があります。

 それを知っているだけに、三十年後の2018年の「人民日報」のホームページのトップの「人民領袖習近平」などという文字を見ると、「この三十年の間に歴史は逆転してるじゃないか」と強く感じてしまったのでした。

 私は1958年生まれで、ベトナム戦争の終結やベルリンの壁の崩壊、ソ連の崩壊と東欧諸国の非共産主義化などを見てきましたので、行きつ戻りつはあるものの、歴史は確実に前進する、とずっと思ってきました。それだけに今回の全人代における習近平氏への権力集中は、「歴史の逆転」を実感した点で私は個人的には衝撃的でした(私は過去にも「歴史が大逆転した」と感じたことはありました。それは1989年の「六四天安門事件」の時です)。

 1991年8月、ソ連共産党保守派は、夏季休暇のためにクリミア半島に滞在している時を狙ってゴルバチョフ氏を幽閉し「反ゴルバチョフ・クーデター」を起こしました。この時も「歴史は逆転するのか」と思いましたが、モスクワ市民はもちろん、戦車を街に出すように命じられたソ連軍の兵士でさえこのソ連共産党保守派のクーデターは「時代錯誤」と感じたようで、クーデターに賛同する勢力は全く現れず、この保守派による「反ゴルバチョフ・クーデター」は数日で瓦解したのでした(「歴史は逆転する」どころか、その翌月には「ソ連共産党」は解体されてしまったのでした)。それを考えると、中国における「六四天安門事件」や今回2018年の全人代における習近平氏への権力集中に見られる「歴史の逆転現象」には世界史全体と中国の歴史の流れとの間のギャップを強く感じざるを得ません。

 長い人類の歴史の中で、ある国の歴史の変化は常に他の諸国の世界的歴史の流れと共鳴しています。中国に関して言えば、1978年にトウ小平氏によって始められた「改革開放政策」がゴルバチョフ氏によるソ連の改革を促し、逆にソ連・東欧における政治的自由化の流れが中国人民には共感を与え、中国共産党には危機感を与えて、1989年の「六四天安門事件」が起きた、と言えるでしょう。

 今回の中国における習近平氏への権力集中の進展は、おそらくは世界的に見る民主主義の停滞に対する反動として起きているのでしょう。社会の進展により、どの民主主義国家においても、国民各層は多様化が進んでいます。例えば、都市労働者をとってみても、正規労働者と非正規労働者とフリーランス(インターネットを活用した個人事業主も含む)とがそれぞれ数多くおり、これらの人々の利害は必ずしも一致していません。従って、有権者の全てが現状の政策に不満を持っていても、政治家はそれらの不満を吸収して新しいひとつの政策を提示することができないのです(ある政策はある人々にはプラスだが、他の人々にはマイナスになる、など。立場によって賛成・反対が異なる典型的な例は、雇用の流動性を高める政策など)。

 現状に不満のある様々な立場の人々は、個々の政策では合意できなくても、「○○○ケシカラン」という感情は共有している場合があります。そのため政治家や政党は「○○○ケシカラン!」と訴えることによって有権者の支持を得ようとします。最近の例で言えば、イギリスにおける「EUケシカラン」であり、アメリカにおける「エスタブリッシュメント(既存の政策決定集団)ケシカラン」「対中貿易赤字ケシカラン」であり、韓国における「日本ケシカラン」「元大統領ケシカラン」です。しかし、こうした「○○○ケシカラン」という主張により多数派となった政党は、そもそも有権者が望む政策がバラバラなので(例えば、正規労働者と非正規労働者とフリーランスとでは求める具体的政策が異なる)、結局は、政策が決められない、とか、少数政党乱立になって連立政権が組めない、とかいった状態になり、政策を決めるという政治の目的が実現できなくなります。こうした民主主義の機能不全を私は「ケシカラン民主主義」と呼びたいと思います。

 「ケシカラン民主主義」では政敵を攻撃することにばかり時間が費やされて具体的政策が決められないのですが、民主的ではない特定の者に権力が集中している政治システムの国では有効な政策をスピーディに決めることができます。こうした現在の世界の政治の状況がおそらくは中国における習近平氏への権力集中を後押しているのだと思います。民主主義国家の政治の機能不全を見て、中国国内においても「民主化を進めるよりも習近平氏に権力を集中させて迅速に具体的政策を実行していった方が中国にとってプラスである」と考える人が少なくないと思われるからです(ロシアにおけるプーチン氏への権力集中も同様)。

 そうした現在の世界の政治的状況を典型的に示す例が、日本時間の昨日(2018年3月23日)のアメリカのトランプ大統領による鉄・アルミへの高関税設定と知的財産権侵害を理由とする対中貿易制限(通商法301条の発動)でしょう。このアメリカの措置に対して中国は反発していますが、客観的に言えば、本件については、アメリカよりも中国の方がずっと「まとも」です。トランプ大統領の決定は「貿易赤字ケシカラン」に起因する「ケシカラン民主主義」から出たものですが、これはアメリカ全体の国益にとってはプラスになるとはとても思えません。中国外交部の華春瑩報道官は昨日(2018年3月23日)の記者会見で「アメリカ自身のためにならないことは株式市場の暴落が証明している」と述べましたが、トランプ大統領はこれに反論できないでしょう。

 華春瑩報道官は、今回のアメリカの措置に対して「来而不往非礼也」(お返しをしなければ失礼にあたる)と述べて、やんわりとしかし強く報復措置を採る意志を示しましたが、手元の中国語辞書によると、この句は「礼記」の「曲礼上」にある言葉なのだそうです。放送局が「ピー音」をかぶせて放送しないような言葉で口汚く相手を罵ることがあるトランプ大統領と比べると、中国の方が「品格」の上でも圧倒的に勝っているなぁ、と私は感じてしまいました。

 日本をはじめ諸外国では、中国における習近平氏への権力集中や毛沢東時代のような個人崇拝の復活のような動きについて批判的な主張が多く聞かれますが、それが民主主義国家における政治の機能不全(私に言わせれば「ケシカラン民主主義の蔓延」)もひとつの背景になっている点について、民主主義諸国は大いに反省し、民主主義の政治機能の回復に真剣に取り組むべきだと思います。

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2018年3月17日 (土)

習近平氏は本質的に毛沢東とは違う

 習近平氏への権力集中について、日本の新聞等ではよく「習近平氏は毛沢東のような権力を手にしようとしている」などと表現されています。しかし、毛沢東が亡くなって既に42年、こうした新聞記事を書いている記者自身が既に「毛沢東をリアルタイムで知っている世代」ではなくなっていると思います。習近平氏を20世紀最大の(中国の歴史から見てもトップクラスの)偉大な政治家である毛沢東と並べて論じること自体、私の感覚からすれば毛沢東に対して失礼だと思います。以下、私が考える習近平氏と毛沢東との違いを並べてみたいと思います。

○自らの目指す理想の提示

 政治家の基本は、自らが追い求める社会の理想を人々に提示し、人々の共感を得ながらその方向に人々を引っ張っていくことだと思います。

 毛沢東が追及した中国の姿は極めて明確です。それは「皆が平等で、皆がメシを食える中国」でした。毛沢東の理想を現実のものとして実現した人民公社は、経済発展を求める観点からは有利ではなかったと思いますが、それこそ「ゆりかごから墓場まで」人民の生活を人民公社が守るという落ちこぼれと格差を生まない究極のセイフティーネットが整備された社会でした。毛沢東の言動から、人々は(自分がそれに賛成かどうかは別にして)毛沢東が求めているものをよく理解していました。

 トウ小平氏は「民主的な制度を作るよりまず中国の経済を発展させて、ある程度格差が広がることは容認した上で、人民の生活を経済的に向上させ、併せて世界の中における中国の発言力を強化すること」を目指していましたが、これもトウ小平氏の言動から明らかでした。

 しかし、習近平氏は、自分自身に権力を集中させよう努力していることはハタ目からも明らかなのですが、自らに集中した権力で実際に何をしようとしているのか、中国をどのような国にしようとしているのか、は今一つよくわかりません。「中華民族の偉大な復興」と言っていますので、世界の中で清の最盛期の頃のような中国の勢いを取り戻そうとしているように見えますが、21世紀の国際情勢の中でそれが無理なことは明かですし、中国人民の生活をどのようにしようとしているのか、がよくわかりません。

○口から発する言葉に力があるかどうか

 一言で言えば「カリスマ性」と表現できるのかもしれませんが、優れた政治家が発する言葉には多くの人々を引き付け時代を引っ張っていく「言葉の力」があるものです。1972年の日中国交正常化の際、訪中した田中角栄総理と周恩来首相は北京で日中共同声明の文言について厳しい交渉を行いました。台湾問題に関する表現など、相当激しいやりとりがあったようです。そうした交渉があった日の夜、日本政府代表団は毛沢東主席を表敬訪問したのですが、昼間、激しい議論をした田中総理と周恩来総理を前にして毛沢東は「もうケンカは済みましたか? ケンカをしないと本当に仲良くはなれないものです。」と発言したというエピソードが残っています。もし1972年に「流行語大賞」があったら、この毛沢東の「もうケンカは済みましたか?」という言葉はその年の流行語大賞を取ったと思われるくらい日本でも流行りました(当時朝日新聞に掲載されていた「サザエさん」でも取り上げられました)。

 トウ小平氏が1978年に日中友好条約批准書交換のために来日した際、記者会見で日本の記者から尖閣諸島問題について質問された時、トウ小平氏はニコニコ笑いながら「我々の世代には知恵が足りないのです」と言ってこの厳しい記者の質問をかわしました。

 申し訳ないですが、習近平氏には、こういった私の記憶に残るような言葉はありません。

○背景にある思想

 毛沢東は、共産主義革命家であるとともに中国における近代革命の実現者でもありました。毛沢東は、中国の封建時代の基本的思想である「下の者が上の者に従うことによって維持される秩序」や「男尊女卑」といった考え方を否定しており、封建思想の支柱だった儒教思想を徹底的に批判していました。

 習近平氏の根本思想はよくわからないのですが、最近の中国では、孔子を尊重し、「優れた統治者が一般人民を上から統治する」ことを是認しているように見えます。前にも書きましたが、その意味では、習近平氏は毛沢東より「中国には伝統的な価値観がある。西洋的な民主主義制度は似合わない。」と主張して自ら皇帝になろうとした袁世凱(中華民国の初代大総統)に近いと私は思っています。

○人の使い方

 政治家に限らず、会社の社長などの組織のリーダーは「人の使い方」が重要な要素です。中国に限らず日本など外国でも人気の高い「三国演義」(日本での通称は「三国志」)がよく読まれているのは、自らが率先して組織を引っ張っていくタイプのリーダーである魏の曹操と、有能な人材を登用して登用した部下に仕事を任せるタイプのリーダー(いわば「人事の人」)である蜀の劉備とが対象的に描かれているからでしょう。

 毛沢東は、自らが優れた軍事指導者であると同時に「人の使い方」でも群を抜いた政治家だったと私は思っています。まず自らの副官に自らの考え方と異なる(後のトウ小平氏の考え方に近かった)周恩来を国務院総理として最後まで信頼して国務を任せていたことが特徴的です。また、自ら(毛沢東)を盛んに持ち上げる林彪を信頼せずに失脚させ、最晩年に自分の後継者を指名する時も、文化大革命の推進者であった「四人組」の中から指名することをせず、政治的に色の付いていなかった公安畑出身の華国鋒氏を指名しました。自分の理想とは全く異なる考え方を持っていたトウ小平氏についても「あの小男はいつか役に立つ男だ」として文化大革命時も党籍剥奪処分にはしなかった点にも毛沢東の「人を見る目」を見ることができます。

 こうした毛沢東の「人の使い方」と比較するとちょっと気の毒ですが、習近平氏は、昔の同僚や部下など「自分に近い人たち」のみを登用しています。自らの考え方に近い人たちばかりを周辺に置いておくリーダーは、事態の変化に対応できず、結局は権力基盤が長続きしないことは歴史が教えています。

○メディアの使い方

 毛沢東による革命の時代、電気もない農村の文字も読めない農民が革命の担い手だったので、今の時代と同じように「メディアの使い方」を論じることはナンセンスですが、毛沢東は自分の考え方を「一般大衆」にもわかりやすいようにごく簡潔に単純な言葉で表現することに長けていました(このブログ内にある「中国現代史概説」の「三大規律と八項注意」の項参照)。

 政策の是非を別にすれば、当時の最新のメディアであったラジオや映画を有効に活用したことでヒトラーは「メディアの使い方」に長けていた、と言われています。

 これも政策のよい悪いは別にすれば、ロシアのプーチン大統領は自分自身のテレビへの登場のさせ方はうまいと思います。また、よい結果が出ているか逆効果であるかは別にすれば、アメリカのトランプ大統領はツィッターという全く新しいメディアを多用しています(乱用している、とも言えますが)。

 それに比べて習近平氏は、メディアをほとんど使っていません。ネットどころか、習近平氏の場合、前の胡錦濤政権の指導者よりもテレビで肉声が伝わる頻度が非常に少ないと私は感じています(噛んで含めるようにして人々に話しかける胡錦濤主席や温家宝総理のイメージが私の頭には印象強く残っています)。テレビに登場しない方が神秘性が高まる、と考えているのか、単にメディアの使い方が下手なのか、私にはわかりませんが、大きな政策課題が起きた時にテレビの前で国民に直接訴えかけるのが「当たり前」である現代の政治家としては、習近平氏は特異な存在です(ハッキリ言うと、テレビから受ける印象からすれば習近平氏には「優れた政治家」というイメージがない)。

○実質的な権力掌握と実際に就任する地位

 毛沢東は、死ぬまで中国共産党主席でしたが、政府の主席だったのは中華人民共和国建国初期の10年間だけです(1954年の憲法制定前は中央人民政府主席、制定後は国家主席)。しかし、毛沢東が死ぬまで中国の政治を動かす中心人物だったことは内外の誰も疑いません。

 改革開放期の初期、トウ小平氏は、中国共産党軍事委員会主席でしたが、国家主席でも、中国共産党総書記でもありませんでした。しかし、中国の最高実力者がトウ小平氏であることは、内外の誰も疑問を挟みませんでした。

 ついでに言うと、上で少し触れた「三国志」に出てくる曹操は、最後まで漢の丞相(じょうしょう:君主をたすけて政務を処理する官職)であり自らが皇帝になることはありませんでした(自ら皇帝になり国名を「魏」にしたのは、曹操の子の曹ひ(「ひ」は「胚」の「にくづき」がない字)でした)。

 習近平氏の場合、まず中国共産党総書記と中華人民共和国国家主席に就任し、次に実質的な集中的権力掌握を図る、という順番でものごとを進めています。今日(2018年3月17日)、全人代は習近平氏の盟友と言われる王岐山氏を国家副主席に選任しました。王岐山氏は昨年10月の党大会で政治局常務委員を退任しましたが、最近の全人代開催期間中の中国中央電視台のニュースでは王岐山氏を李克強氏ら政治局常務委員と同じ扱いで映像を流しています。おそらく、今後、王岐山氏は政治局常務委員と同等に(あるいはそれ以上に)扱われ、結果的に「チャイナ・セブン」と呼ばれる政治局常務委員の権力は形骸化し、実質的な権力は習近平-王岐山ラインに集中していくのだと思います。こういう「権力集中の進め方」は「まず地位に就任し、次に実質的に権力集中を図る」という点で毛沢東とは全く異なるものですので、その意味でも「習近平氏は毛沢東と同じようになった」という表現は正しくないと思います。

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 問題は、習近平氏を過去の中国の権力者と比較することではなく、習近平氏の自らへの権力集中が、ネット時代の21世紀の中国人民との間でどのような関係を築くことになるのか、です。1970年代の時点で、既に「食うこと」を心配しなくてよくなった中国の一般人民は、毛沢東による理想主義的な(一種の禁欲的な)共産主義のやり方に不満を感じ始めており、「四人組」と呼ばれた文革派による支配に不満を高めていました。「四人組」が1976年1月に亡くなった周恩来総理を冷たく扱ったことからその一般大衆の不満が爆発して1976年の「四五天安門事件」を引き起こし、その動きが1976年9月の毛沢東の死後中国共産党内部の動きを誘発して、同年10月の「四人組」失脚、1978年のトウ小平氏復活と改革開放路線への転換に繋がっていったのでした。

 ネットがなく、新聞やテレビ・ラジオのメディアも党に完全にコントロールされていた1970年代ですら、中国人民の間に不満が溜まれば「世の中はひっくり返った」のです。インターネットが発達し、外国からの情報も容易に得られる21世紀においては、習近平氏が最も留意すべきなのは中国共産党内部での権力掌握ではなく、一般の中国人民の間に不満が溜まるかどうか、でしょう。習近平氏にそれが完全に理解できているのであれば、仮に中国に民主主義的な制度ができていなくても、習近平氏は一般の中国人民の意向に沿う方向での政策運営をせざるを得なくなると思います。

 毛沢東は自分の理想の方向に一般の中国人民を合わせさせようとしたけれども、習近平氏は、自分の考えるとおりに一般の中国人民を合わせようとすることはできない(逆に習近平氏の方が一般の中国人民の意向に合わさざるを得ない、そうしないと自らの権力基盤が危うくなる)という点が、習近平氏が毛沢東とは異なる最も重要な点だと思います。

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2018年3月10日 (土)

中国の不動産税立法の動きは不動産市場に影響するか

 現在中国では第13期全国人民代表大会が開催されています。今回の全人代の最も重要なポイントは習近平氏への権力集中を具現化する憲法改正ですが、様々な地方幹部等による習近平氏を持ち上げるような言動には、相当に鼻白みますね。今、「人民日報」ホームページを開くと、でっかい習近平氏の写真とともに「人民領袖習近平」といった文字が飛び込んで来ます。

 日本の新聞でも報道されていますが、「領袖」という言葉は過去には毛沢東を対象として使われてきました。日本では「派閥の領袖」といった使い方をすることがありますが、外国の例で使うとすれば、北朝鮮国内で「キム三代」を呼ぶときに使うくらいです。習近平氏を「人民の領袖」と呼ぶことに対しては、中国の人々の中にも口には出さないけれども「おかしいんじゃない?」と思っている人は多いと思います。私は常々「中国は北朝鮮のような国になって欲しくない」と思っているのですが、中国の人々の感覚もおそらくは同じだと思います。

(注)昨日(2018年3月9日)米朝首脳会談が5月にも開かれることになりました。北朝鮮がすぐに従来の態度を変えてくるとも思えないのですが、もし仮に今後事態が急展開して北朝鮮が「まともな国」になっていくのだとしたら、逆に「習近平の中国」が「まともではない国」として世界の中で目立ってしまうことになると思います。

 さて、習近平氏への権力集中を目指した憲法改正についてばかり焦点が当たっている今回の全人代ですが、中国国内では、李克強総理が冒頭の政府活動報告の中で述べた不動産税設立へ向けて法律制定を進めるという方針がかなり強い関心を呼んでいるようです。不動産税の詳細についてはこれから検討を始めるということで、今回の全人代で何かが決まるというわけではないのですが、国務院総理が公式に「不動産税の導入を進める」と表明した意味は大きいと思います。

 李克強総理は「不動産税の立法を時間を掛けて着実に進める」(中国語では「穏妥推進房地産税立法」)と言っていますので、おそらくは国内の反響を見定めながら、一定の時間を掛けて慎重に検討を進めていくことになると思います。ただ、マンション等の購入を投資目的で行っている人たちからすると、不動産税の金額や対象等の税の詳細にもよりますが、「どこかの時点で不動産税が導入される」ことはマンション等が従来より投資目的としては魅力が低下していくことを意味します。不動産税導入の動向を見極めようとして、今後、投機目的のマンション購入が手控えられる可能性もあり、これからマンション等の売れ行きにどの程度の影響が出てくるかどうか注目していく必要があると思います。

 一方、昨日(2018年3月9日)に発表された中国の2018年2月の消費者物価指数は、対前年同月比2.9%のプラスでした(1月は1.5%のプラス)。今年の2月は春節があったので、春節による一時的な要因も影響しているようですが、もし仮に今後も消費者物価の伸びが従来より高くなるようだと、広範な中国の人々の間に不満が高まってくることになります。

 習近平氏に権力が集中されようとされまいと、多くの一般の人々は自らの日々の生活が大事ですから、経済が順調で、物価の伸びも穏やかならば、習近平氏への権力集中に対する不満はそれほど高まらないでしょう。マンション価格が今後も安定的に推移するならば、これまでにマンションを買った人たちも安心するでしょう。しかし、もし、今後、物価の急激な上昇やマンション価格の不安定化などの経済上の変化が起こるとすると、それらとの因果関係には関係なく、人々の不満は習近平氏への権力集中へと向かうことになるでしょう。1989年の「六四天安門事件」の背景には、前年までに公的価格と市場価格の二重価格をなくそうとして行われた物価政策の失敗による物価の急騰があったことを忘れてはならないと思います。

 今開かれている全人代で、中国人民銀行の周小川総裁は退任し、新しい総裁が決定されると見られています。新しい中国人民銀行総裁が金融政策を今までより引き締め気味にするならば景気は後退するし、景気の後退を避けようとして今までと同じように(または今まで以上に)金融緩和的政策を取るとすれば物価の上昇を招く可能性があります。アメリカ、ヨーロッパ、日本の状況を見ると、今、世界における各国中央銀行の金融政策と金利と物価との関係は曲がり角に来ているように思われます。各国の状況は当然中国経済にも影響を与えます。中国の金融政策、物価、マンション市場の動向は、今後の習近平氏への権力集中の状況を見る上でも非常に重要な要素になってくると思います。

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2018年3月 3日 (土)

「中国共産党一党独裁」から「習近平一人独裁」へ

 2月25日、今度の全人代(2018年3月5日(月)~)で議論される中国の憲法改正案が公表されました。中華人民共和国の「国のありよう」を変える憲法改正なので、日本のマスコミ等でも大きく報道されています。私が考えるポイントは「国家主席、副主席を二期(10年間)に限定した規定の廃止」と「監察委員会の設置」だと思います。

 「監察委員会」は、習近平氏が従来から進めてきた反腐敗闘争を行政機関としてしっかり実施するための組織ですが、私はこの「監察委員会」の設置は、相当に大きく中国政治の権力構造を変える可能性のある重大な変更だと考えています。というのは、行政執行機関である国務院や司法機関である検察や裁判所等の組織がちゃんとあるにも係わらず、それらの行政執行機関と司法機関とは完全に独立した(別の言葉で言えば行政執行機関と司法機関を超越した)機関として「監察委員会」が設置されるからです。「監察委員会」は、国レベルで「国家監察委員会」が設置される他、その下部機関として省や市などの地方機関にもそれぞれの「監察委員会」が設置されます。理屈上は「司法機関(裁判所や検察)内部での腐敗を摘発するために司法機関とは独立した監察委員会を設置する」ということなのでしょうけれども、実質的には「国家監察機関」と「地方監察機関」を習近平氏が直接管轄することにより、行政機関(国レベルでは国務院、地方レベルでは各地方の人民政府)や司法機関(検察と裁判所)を超えて、習近平氏が直接全ての機関を監督できるようになります。

 中国では全ての公的機関が「中国共産党の指導下」にあるタテマエになっており、腐敗摘発のために中国共産党には中央規律検査委員会が既に存在していますが、ヘタをすると「監察委員会」の設置は中国共産党中央規律検査委員会の機能を「骨抜き」にしかねません。党の中央規律検査委員会は、当然、党に管理されますが、「監察委員会」は、国務院に所属しているわけではなく、いわば「国家主席直属」の組織です。「監察委員会」を用いることにより、国家主席である習近平氏は、中国共産党という党組織も国務院という行政組織も通さずに、直接公的機関の職員の汚職等を摘発できる権限を持つことになります。

 本来、中国においては、中国共産党が全ての行政機関、司法機関を指導下においていますので、習近平氏が総書記として中国共産党をコントロールすることができるのならば、習近平氏は間接的に全ての機関をコントロールできるはずなのですが、実際は中国共産党には「党内民主」の制度があって、例えば、重要事項は中央委員会で決めなければなりません。「チャイナ・セブン」と呼ばれる国家指導者たちで構成される政治局常務委員会も基本は多数決であり総書記が一人で全てを決められるわけではありません。そこで、おそらくは習近平氏は、「監察委員会」という中国共産党の組織すら超越した組織を新たに作ってそれを習近平氏が掌握することにより、中国の全てを習近平氏が直接(「党内民主」に縛られた中国共産党を通さず)コントロールしたいと考えているのだと思います。

 今回の憲法改正案では、憲法に「中国共産党による指導」も明記することが提案されていますが、この文言の追加は中国共産党内部において「監察委員会」の設置により中国共産党をすっ飛ばして習近平氏の権力が行使されることを防ごうとする中国共産党内部の抵抗の結果ではないか、と私は見ています。

 「国家監察委員会」「地方監察委員会」を設置し、国家監察委員会のトップに習近平氏と二人三脚で反腐敗運動を進めてきた王岐山氏を就任させることにより、中国は「党員の集団としての中国共産党が全てを仕切る国」から「個人としての習近平氏が中国共産党をすっ飛ばして全てを仕切る国」に変貌していく可能性があります。

 もし仮に、こうした動きについて、中国共産党内部に「中国共産党の良き伝統である党内民主をないがしろにするものだ」「中国共産党の指導が全ての基本である中華人民共和国の本質に反する」という反発が出れば、その反発勢力と「習近平氏による支配」を守ろうとする勢力の間で、激烈な権力闘争がこれから起きることになるでしょう。

 各種報道によれば、中国のネットでは自動車をバックさせる動画が「時代を逆行する」ことを示すとして削除されたり、辛亥革命後、中華民国の大総統になりながらその後皇帝になろうとした袁世凱について検索不能になっていたりしているそうです。今回の「習近平氏の権力集中手段を憲法に盛り込む案」については中国国内でも相当に強い抵抗があるようです。そうした動きを反映してか、3月1日の「人民日報」3面には、今回の憲法改正案の妥当性を強調する解説論文が掲載されています(タイトルは「党と国家の長期にわたる安定した統治を保証する重大な制度の変更」)。

 この解説論文では、国家主席と副主席の任期を「二期10年間までとする」とする制限を廃止することについて、中国共産党の総書記と軍事委員会主席については任期制限がない一方、中国共産党総書記、国家主席、軍事委員会主席は「三位一体」であり、統治を安定的に維持するためには、国家主席の任期制限も党総書記、軍事委員会主席と同じ規定ぶりにすべきである、と主張しています。この論文ではさらに「党と国家の指導幹部の引退制度を変えるものではなく、指導幹部の職務が終身制になることを意味するわけではない」とも述べています。「人民日報」にこうした「言い訳」が載っているということは、「国家主席が終身制になるのではないか」といった懸念が、日本等外国で指摘されているだけでなく、中国国内にも広く広がっていることを伺わせます。

 いずれにせよ、今回の憲法改正の手続きの時系列は「異例」でした。今まで公表されたことをまとめると、今回の憲法改正案は今年1月の二中全会(中国共産党中央委員会第二回全体会議)で議論され、全国人民代表大会に対して提案されたものが2月25日に公表されたのですが、この「憲法改正提案」の日付は2018年1月26日になっています。二中全会が開催されたのは1月18日~19日でしたので、今回の「憲法改正提案」は、二中全会の会議中に決定されたものではなく、二中全会終了後に最終決定されたもののようです(実際、二中全会の最終日に採択された「公報」には国家主席の任期制限廃止については一言も触れられていません)。

 また「憲法改正提案」が公表されたのが全人代開催日(3月5日)のわずか1週間前の2月25日だったというのも「普通」ではありません。中国の法律は、年一回開催される全人代全体会議で採択するものと、だいたい二か月に一回開催される全人代常務委員会での決定で成立するものとの二種類ありますが、全体会議で採択する法律は2007年の「物件法」(マンション等の不動産に対する権利等を定めた法律)のように一般人民の非常に関心の高いものなので、通常、かなり前に公表されて、場合によっては「パブリック・コメント」の形で意見募集をやって(その期間、おそらくは水面下で全国人民代表に対する「根回し」をやって反対多数で否決されないようにして)採択されます。それに比べて、今回の憲法改正は、内容が非常に重大であるにも係わらず、公表が直前であり、2,000人以上いる全国人民代表は、十分に内容を検討する時間があったのかどうか極めて疑問です。

 その意味で、実際の全人代の採択で、この憲法改正案に対する反対や棄権がどの程度あるのか(否決されることはないにしても、反対・棄権が多数に上るようなことはないのか)が私は非常に気になっています。通常、全人代の投票は電気的な投票装置によって行われるので、投票結果は公開されます。今回の憲法改正は「重大な案件」として、通常の法律とは異なり、紙による投票によって行われ、賛否票数や棄権の数は公表されないのかもしれません。

(注)中国の全人代の「通常」の投票では、投票結果は公表されます。よく誤解する人がいるのですが「毎回全会一致」ではありません。提案された法律案が否決された、という話は私は聞いたことはありませんが、例えば国務院総理が全人代冒頭で「案」を報告し議論を経て修正を加えた上で採択される「政府活動報告」についてすら反対票・棄権票が入ることがあります。裁判所や検察の活動報告については、反対票・棄権票を合わせると全体の4分の1近くになることもあります。私が知っている最も反対票・棄権票が多かった中国の全人代の投票は1992年4月3日の全人代第7期第5回全体会議で採択された「三峡ダム・プロジェクト」の採決結果で、出席2,633名のうち賛成1,767票、反対177票、棄権票664票、投票に参加しなかったのが25名だったとのことです(反対・棄権・投票に参加せずの合計が全体の3分の1近く)(数字は北京の日刊紙「新京報」2008年4月3日付け記事 シリーズ「改革開放の30年」第45回「三峡プロジェクト」による)。

 中国の全人代は、外国の報道機関も数多く取材します。参加する全国人民代表に対して外国報道機関がインタビューすることもあるでしょう。あまりに「憲法改正提案」の公表が全人代直前だったことから、全国各地から集まる全国人民代表の中には「頭の整理」がまだできておらず、外国報道記者の誘導尋問的質問に引っ掛かって「適切ではない」答えをする人もいるのではないか、と思います。

 今日(2018年3月3日)付け朝日新聞朝刊13面の記事「新華社の幹部ら処分 任期制限撤廃 英語版速報で拡散」によると、今回の憲法改正提案について、国営通信社の新華社が英語版で速報を出したが、最初の速報の見出しが「共産党が国家主席の任期変更を提案」となっていたため(結果的にこの点に焦点を当てて諸外国に速報したため)新華社の編集幹部らが処分されたのだそうです。「手続きに問題はなかったが、政治的な配慮がなかったとみなされた」とのことです。新華社の幹部ですら、あまりに唐突な「憲法改正提案」の発表であったため「心の準備」ができていなかったのでしょう。中国の全国人民代表は、中国共産党中央の方針に反対する人はいないと思いますが、それぞれが各地方でそれなりの地位にありそれなりのプライドを持っている人たちですので、今回の「あまりに重大な憲法改正提案のあまりに唐突な公表」について不平不満を持っている人は少なくないと思われ、そうした不平不満の声が全人代の開催期間中ににじみ出てくる可能性があるのではないか、と私は思っています。

 習近平氏が自分への権力集中のために動いていることは誰もが知っていることですが、今回の憲法改正提案については、やややり方が「強引かつ急ぎ過ぎ」であるように思えます。この「強引かつ急ぎ過ぎ」が中国国内で政治的混乱を招くことがないように願いたいものだと思います。

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