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2018年2月17日 (土)

李克強氏は習近平氏の16分の1以下

 今年(2018年)は2月16日が旧正月元旦でした。15日(旧暦大晦日)から中国では春節の大型連休に入っていますが、こうした春節前の時期に中国の国家指導者たちが地方の貧しい地方を視察して人々と言葉を交わす、というのが「年中行事」のようになっています。今年も同じですが、私は今回の「旧暦の年末の国家指導者による地方視察の報道」に関して、特に習近平総書記と李克強国務院総理の報道の仕方の「差」が気になりました。今回の旧暦の年末は、習近平氏は四川省を、李克強氏は吉林省を視察し、いずれも貧しい農村地域などを訪れました。視察の内容は「貧困脱出のための努力を強調した」など基本的には同じようなものなのですが、報道で扱う「量」には圧倒的な違いがありました。

 「人民日報」では2月14日の紙面で伝えていますが、この日の「人民日報」では、習近平総書記の四川省訪問については1面と2面の全てを使い多くの写真を交えて報じています。一方、李克強総理の吉林省訪問については、4面の紙面の8分の1くらいの面積で、文章だけ(写真なし)で報じています。「人民日報」が報じる面積で比較したら李克強氏は習近平氏の16分の1以下の位置付け、ということになってしまいます。

 同じ内容は2月13日夜の中国中央電視台の夜7時のニュース「新聞聯播」でも報じましたが、習近平総書記の四川省訪問は冒頭の30分程度を使って伝え、李克強総理の吉林省訪問については、いくつか別のニュースを挟んで37分過ぎ頃から伝えただけでした。習近平氏は中国共産党のナンバー1、李克強氏はナンバー2なんですけど、私の感覚からいったら、この扱いの差は落差が大きすぎます。

 習近平総書記の四川省訪問の様々なエピソードについては、今日(2018年2月17日)付けの「人民日報」でも引き続き1面トップで報じています。今日付けの「人民日報」1面トップ記事の副題には「総書記的人民情懐」と書かれており、習近平氏が貧しい人民の心情をよく理解しているというイメージを強調する記事でした。

 最近、日本の新聞等では「習近平氏は毛沢東のやり方をまねしている」というふうに評されていますが、私は違うと思います。毛沢東のやり方は、文化大革命時のスローガン「造反有理」「革命無罪」でわかるように、貧しい人民に対して「権威に対して反逆せよ」とけしかけ、多数の人民の力を結集して、社会を動かそうとしていた(文革時は党中央での権力闘争に多数の人民の力を利用しようとしていた)のです。それに対し、習近平氏は、自らを「最下層の人民の心情を理解し、人民を保護する暖かみのある皇帝」であるかのように見せようとしています。習近平氏は、毛沢東というより「民主的な制度は中国の国情に似合わない」として皇帝になろうとした中華民国大総統だった袁世凱に似ている、と言うべきなのでしょう(中国でも台湾でも袁世凱は「辛亥革命の成果を横取りしたよこしまな人物」として認識されていますので、「習近平氏は袁世凱に似ている」などとは中国国内では口が裂けても言えないと思いますが)。

 1916年に皇帝になろうとした袁世凱は「時代錯誤」として中国の各界から総スカンを食らい、ほどなく病死することになりました。21世紀の現在、国家の指導者が「人民を保護する皇帝」になろうとするような「上から目線」の考え方に立つことも、おそらくは「時代錯誤」だと思います(21世紀の現代の状況について「多くの人々は、民主的な制度を望んでいるのではなく、忘れられた自分たちを擁護する強い政治家を待ち望んでいるのだ」と理解するのであれば「時代錯誤」ではないのかもしれませんが)。中国共産党の中にも「心やさしい皇帝のような習近平氏」に違和感を持つ人々が少なからず存在し、それらの人々が李克強氏を支持しているので、李克強氏は今後も国務院総理として一定の権力を維持することができるのだ、と理解するのが正しいのかもしれません。

 今までこのブログで何回も書いてきましたが、私は、過去の中国共産党トップと中国政府の実務的トップである国務院総理のコンビは、一定の良好なパートナーシップと適切な役割分担で中国共産党政権をうまく舵取りしてきたと思っています。毛沢東-周恩来のコンビが最強ですが、その後の胡耀邦-趙紫陽、江沢民-朱鎔基、胡錦濤-温家宝のコンビも非常によく機能してきたと思います。例外が1987年1月の胡耀邦氏の失脚後の趙紫陽総書記-李鵬総理の時代でした。この時代は、結果的には1989年の「六四天安門事件」の発生という形で破綻してしまったのでした。

(注)1989年~1997年は「江沢民総書記-李鵬総理」のコンビでした。1989年~1992年は「六四天安門事件」後の移行期だったし、1992年~1997年は、朱鎔基が政治局常務委員として経済政策を担当していたのでこの時期は朱鎔基は国務院総理ではなかったけれども「江沢民-朱鎔基の時代」と言ってよいと思います。

 李克強氏は、この3月の全人代の後も引き続き国務院総理を続けるようですが、もし習近平-李克強のコンビで引き続き政権を運営してこうというのであれば、報道の仕方において、李克強氏を習近平氏の16分の1以下に過ぎない程度に扱うようなやり方は、私はマズイと思います。もし、社長と専務がそのような関係にある会社だったら、おそらくそうした会社の株を買う人はいないと思います。これから世界は難しい時代に入っていきそうですが、そうした中で世界全体に大きな影響力を持つに至った中国は、政権の運営体制についても外から見ても安定したものになって欲しいと思います。

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