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2017年6月 3日 (土)

1989年の遺産

 毎年、6月第一週になるとテニスの全仏オープンが開催されますが、私は個人的にはどうしてもこの時期は1989年の全仏オープンを思い出してしまいます。錦織圭選手のコーチにマイケル・チャン氏が就任してからは特にそうです。

 私自身はそんなにテニスの試合をテレビで見る人ではないのですが、やはり1989年の全仏オープンの印象はいまだに覚えています。1989年の全仏オープンで、当時無名だった17歳のマイケル・チャン選手は、世界の強豪が次々と繰り出すスマッシュを追い掛け、右に左に振らされながら必死で打ち返す試合を続けました。結局、マイケル・チャン選手は、粘って粘って粘り抜いて勝つ試合を続けて、この年の全仏オープンで優勝したのでした。

 マイケル・チャン氏は、アメリカ生まれのアメリカ人ですが、私を含めて世界の多くの人は、同じ時期、1989年6月4日の北京で倒れた中国の若者たちの姿とマイケル・チャン選手の粘って粘って粘って結局は勝ち抜く姿を重ねていたと思います。1989年6月4日未明の北京からのニュースは、中国の若者の将来への「夢」を打ち砕いたと同時に、前年まで二年間北京に駐在し、それからも中国との関係の仕事をしていくことになるのだろうなぁ、と思っていた私自身の「夢」をも打ち砕きました。銃弾によって「将来の夢」を打ち砕かれた私自身の気持ちに対して、マイケル・チャン選手が「粘って粘って粘って粘り抜けば結局は勝つのだ」と訴えているように私には見えたのでした。

 「六四天安門事件」は、中国においては「改革・開放路線」の大きな転換点であったと同時に、ソ連・東欧圏における政治体制の変革に大きな影響を与えた事件でもありました。このブログ内にある「中国現代史概説」の中でも書いたのですが、1989年10月9日、旧東ドイツのライプチヒで市民らによる「月曜デモ」が行われようとしていた時、デモに参加する市民の側も当局の側も「4か月前の北京の天安門前での悲劇をここで繰り返してはならない」という同じ思いを持っていたとのことです(2008年1月12日放送NHK・BSドキュメンタリー「証言でつづる現代史~こうしてベルリンの壁は崩壊した~」(前編:ライプチヒ市民たちの「反乱」))。ドイツでは、この日のライプチヒでの「月曜デモ」の一ヶ月後の11月9日、東ベルリン市民が雪崩を打って西ベルリンに流入し、「ベルリンの壁」が崩壊することになるのです。

(注)このブログ内の「中国現代史概説」については、左側にある「中国現代史概説の目次」をクリックして御覧ください。

 現在のドイツの首相のメルケル氏は、旧東ドイツで育ち、「ベルリンの壁の崩壊」を切っ掛けとして政治の世界に入ったとのことです。彼女のEUに対する思い入れや「壁」を築こうとするアメリカのトランプ大統領に対する反発を理解する上では、この彼女の「生い立ち」は重要だと思います。今やメルケル首相はG7の首脳の中でもリーダー的存在ですが、彼女の原点は1989年にあると言えるのでしょう。

 1989年は日本の年号で言えば「平成元年」です。今、天皇陛下の退位に関する法律案が国会で議論されています。この法律が国会で成立すれば、近いうちに「平成」は終わることになるのでしょう。そういった意味も含めて、最近、新聞や雑誌で「平成を振り返る」という企画が多くなっています。5月20日付けでこのブログでも取り上げた週刊東洋経済2017年5月20日号の特集「最後の証言:バブル全史」もそうでした。今、産経新聞では「平成30年史」という連載企画を掲載しています。産経新聞の連載では、ちょうど今「第5部 バブル、それから・・・」が掲載されています。この時期、1989年という年とバブルについて思い返すことは意義のあることかもしれません。

 今、中国の大陸部では客観的に1989年を振り返ることはできません。「六四天安門事件」は中国国内では「1989年の政治風波」と呼ばれますが、中国共産党による「公式見解」以外の情報は中国の大陸部のネット等には存在しないからです(中国大陸部以外にある「六四天安門事件」に関する情報にはアクセス制限が掛かっていてネットで見ることはできないようになっている。ただし、台湾からは当然のこととして、「ネットの壁」の外側にある香港・マカオからはアクセスは可能)。

 今、日本の人たちは1989年を振り返って「バブルとは何だったのか」を反省することができます。ドイツや旧ソ連・東欧の人たちも1989年に何があったのかを調べて「ベルリンの壁崩壊とは何だったのか」「ソ連・東欧革命とは何だったのか」を振り返ることができます。しかし、大多数の中国大陸部の人たちは1989年を客観的に振り返ることができません。政治情勢にしろ経済情勢にしろ、「過去の経験」は人々にとって判断材料となる貴重な「遺産」です。今、多くの中国大陸部の人たちにそうした判断材料となる「1989年の遺産」が欠落していることは、今後の中国の人々の判断を誤らせることになる可能性がある点で重大です。

(注)1989年当時、5月下旬に「戒厳令」が出されたこと、その後「戒厳部隊」が「暴乱」を鎮圧したことは中国国内でも報道されましたが、6月4日未明以降の人民解放軍による武力鎮圧については中国国内では映像その他の詳細は報道されなかったので、当時、北京で実態を直接見聞きした人(またはその人から状況を聞いた人)でない限り、大陸にいる中国人は当時を知りうる年齢の人であっても「六四天安門事件」の全容についてはほとんど知りません。「六四天安門事件」の直後、仕事で地方に滞在していた日本人職員に対して帰国指示が出された時、その日本人職員から「へぇ~? なぜ? 何かあったの? 中国側も普通に仕事してますよ。」という反応が帰って来たことをよく覚えています。

 1989年に世界で起きたできごとについては、人によって評価が分かれるでしょう。しかし、「何があったかという事実」に対してアクセスできない状況を続けることは、結局は中国の将来にとって大きな禍根を残すことになると私は思います。

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