« 中国のインフラ投資のスピード感 | トップページ | 香港の「一国二制度」の歴史的意味 »

2017年6月24日 (土)

中国共産党大会へ向けてのスケジュール

 中国共産党全国代表大会は、原則として5年に一度開催されます。今年(2017年)は第19回大会が開催予定ですが、開催日はまだ公表されていません。公式には「2017年後半に開催予定」とされているだけです。ただ、過去の例を見ると、大体、10月中下旬から11月上中旬までの間に開催されることが多いようです(前々回の第17回大会は2007年10月15日~21日、前回の第18回大会は2012年11月8日~14日に開催された)。

 今、世界の多くの経済関係者は「中国共産党大会が終わるまでは『なんとしても経済を減速させてはならない』との党中央の意志により、公共事業の実施等により中国の景気は下支えされているが、共産党大会終了後はそうした『下支え』がなくなるので、おそらく中国経済は共産党大会開催前後をピークとして2017年後半は落ち込んでいくだろう」と見ています。中国経済は世界経済に極めて大きな影響を与えますので、今後の世界経済の動向を考える上では、「今年の中国共産党大会はいつ開催されるのか」という日程が非常に重要な意味を持つことになります。

 今年(2017年)の大会では、習近平総書記の交代は想定されていないので、原則5年二期=十年間の総書記の任期の中間の時期の大会という意味では、今年の第19回大会は2007年の第17回大会と類似性があると言えます。私は中国共産党第17回全国代表大会が開かれていた期間中、北京に駐在していましたので、当時のメモを基に、御参考までに、2007年の第17回大会の時の日程等を御紹介しておきたいと思います。

2007年7月7日:
 私の職場が使っていたインターネット・プロバイダー会社から「重要なお知らせ」が来ました。「『敏感な時期』になるので、ネット上において、政治的に敏感な情報のアップロードや賭博・銃砲・麻薬等の売買等違法行為をしないように」というものでした。指摘しているような内容がアップロードされていた場合は、インターネット・プロバイダーの判断でその記載を削除することがある、その責任は顧客の側にある、というものでした。インターネット・プロバイダーが顧客に対してインターネットを用いて反社会的あるいは違法な行為をしないように注意喚起をするのは、どの国でも共通のある意味「当然のこと」だろうと思いますが、ことさらこの「お知らせ」に「敏感な時期なので」という「理由」が付いていた点については、私は「いかにも中国らしい」と感じたことをよく覚えています。「敏感な時期」とは何を意味するのかの解説はこの「お知らせ」にはありませんでしたが、「政治的に敏感な情報をアップロードしないように」という注意内容から察するに、この「敏感な時期」とは「中国共産党大会の開催時期が近いので」という意味であるのは明らかでした。

2007年8月8日:
 内モンゴル自治区成立60周年記念式典が開催されました(内モンゴル自治区の成立は1947年5月1日なのに、記念式典はわざわざこの日(=北京オリンピック開会式のちょうど一年前)に開催された)。この件については、このブログの2007年8月9日付け記事「なぜ8月8日に内モンゴル自治区成立60周年記念式典なのか」で指摘したところです。このブログのこの日の記事では「胡錦濤総書記・国家主席(党内序列ナンバー1)と温家宝国務院総理(党内序列ナンバー3)は、なぜか今週月曜日から全くテレビのニュースに出てきていません。」とも書きました。おそらくはこの時期、中国共産党幹部(引退した老幹部も含む)が避暑地の河北省北戴河に集まって行ういわゆる「北戴河会議」が開かれていたからだと思われます。時期的に言って、この時の「北戴河会議」では、10月に開催される党大会のための「根回し」が行われていたものと思われます。それを考えると、この日ブログに書いたように、内モンゴル自治区成立60周年記念式典に中国共産党政治局常務委員で国家副主席の曽慶紅氏(党内序列ナンバー5)が参加していたことは、相当に「意味深長」であったと言えます。というのは、この「記念式典」のニュースは、曽慶紅氏(江沢民元国家主席の側近だった)が「北戴河会議」に参加しておらず、10月の党大会において曽慶紅氏は中国共産党政治局常務委員に再任されない方針であることを中国全国に伝えたのと同じ意味を持つからです。実際、曽慶紅氏は10月の党大会で政治局常務委員に再任されませんでした。表向きの理由は年齢的に「68歳定年制」に引っ掛かったからだ、とされています(なお、2007年の党大会で曽慶紅氏が政治局常務委員に再任されなかったことについては、このブログ内にある「中国現代史概説」の第4章第2部第6節「第一期胡錦濤政権の勢力分布」を御覧ください)。

2007年8月28日:
 第17回中国共産党全国代表大会が10月15日に北京で開催されることが正式に発表されました(いつまで何日間開催されるのかは発表されなかった)。直前の10月9日から準備のための中国共産党中央委員会が開催されることも同時に発表されました。国慶節(10月1日から一週間程度)の連休の後、間を置かずに中央委員会が開催されることから、私はこの時、共産党大会の大体の大枠はこの時既に固まっており、議論が紛糾するようなことはないだろうなぁ、と思いました(ただし、何日間開催されるのかを事前に公表しないのは、議論が紛糾して開催期間を延長したとしても「会議が揉めて延長した」ことが外部にわからないようにするためだろうなぁ、とも思いました)。

2007年10月15日~21日:
 第17回中国共産党全国代表大会開催

----------------------

 今、2007年のこのブログの記事や当時のメモを読み返してみると、2007年の8月上旬の「北戴河会議」で10月の党大会へ向けての「根回し」が行われ(その中で曽慶紅氏は政治局常務委員に再任しないことの合意が得られ)、「根回し」が完了したことから、8月28日に10月の党大会の開催日が公表されたのだろうと推察することができます。2007年の時は、党大会直前の国慶節の時期、当時の胡錦濤総書記は地方視察に出掛けており、「総書記が党大会の根回しのために直前まで各方面との調整に忙殺されていた」という雰囲気は全くなかったので、2007年の党大会ではかなり順調に「事前根回し」が完了していた、と言えると思います。

 一方、2012年の前回の大会(第18回大会)は、開催日が11月8日~14日と2007年の大会より三週間ほど後に設定されていたことと、9月に次期総書記に就任することが確実視されていた習近平氏が二週間ほど公の場から姿を消した時期があったこと(当時は「病気説」や「趣味の水泳をやっていて背中を痛めた説」などが飛び交っていた)を考えると、少なくとも9月頃までは党大会へ向けての「根回し」のための様々な動きがあったのではないかと思われます。

 今年(2017年)の党大会では、習近平総書記(国家主席)と李克強総理との力関係とそれに基づく党政治局常務委員の人事が最大の関心事項です。習近平氏と李克強氏の「不仲節」については、多くの人が論じているし、このブログでも何度も取り上げてきましたが、最近のニュースに登場するお二人を見ていると、相当に落ち着き払っており、「既に勝負あった」という雰囲気です(既に現時点で、習近平氏関連のニュースの時間(及び「人民日報」のスペース)は、李克強氏関連ニュースの時間(及び「人民日報」のスペース)を大きく上回っています)。胡錦濤政権の時代には大きな力を発揮していた江沢民氏も既にかなりの御高齢であり、習近平氏が党内(軍も含めて)をほぼ完全に掌握したと言っていいのでしょう。8月上旬に行われるであろうと思われる今年の「北戴河会議」で揉めることがなければ、今年の党大会は意外に「すんなりと」物事が決まることになるのかもしれません。

 2007年と2012年の例に鑑みれば、今年(2017年)の党大会の開催時期は、そんなに「揉めない見通し」ならば10月中旬開催、「少し揉めるかもしれない」ならば11月上旬開催、ということになるのでしょうか。いずれにせよ8月上旬の「北戴河会議」の時期が過ぎれば、ある程度「見通し」ができるようになるのかもしれません(別の言い方をすれば、そうであるならば、8月上旬までは「中国経済の減速」は目に見えるものとしては現れない、ということになるのかもしれません)。

P.S.

 今日(2017年6月24日(土))、中国の四川省で大規模な土砂崩れが発生し、120人以上の行方不明者が出ているようです。今日の中国中央電視台夜7時のニュース「新聞聯播」でも、現場からのインターネット中継映像も含めたニュースを伝えていましたが、この土砂崩れのニュースは、習近平主席が山西省視察で貧困対策等について議論したり、軍関連施設を視察したりしたニュースを19分間程度流した後の「二番目のニュース」扱いでした。今年の党大会では「貧困対策」が重要な議題になるのだろうということはわかりますが、こういうニュースの組立の仕方は(昔からこうですけど)、人民の生命よりも中国共産党の政策の方が大事なのだ、というイメージを中国人民に与えることになり、中国共産党にとってもよくないことだと私は思います。

|

« 中国のインフラ投資のスピード感 | トップページ | 香港の「一国二制度」の歴史的意味 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 中国のインフラ投資のスピード感 | トップページ | 香港の「一国二制度」の歴史的意味 »