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2017年6月

2017年6月24日 (土)

中国共産党大会へ向けてのスケジュール

 中国共産党全国代表大会は、原則として5年に一度開催されます。今年(2017年)は第19回大会が開催予定ですが、開催日はまだ公表されていません。公式には「2017年後半に開催予定」とされているだけです。ただ、過去の例を見ると、大体、10月中下旬から11月上中旬までの間に開催されることが多いようです(前々回の第17回大会は2007年10月15日~21日、前回の第18回大会は2012年11月8日~14日に開催された)。

 今、世界の多くの経済関係者は「中国共産党大会が終わるまでは『なんとしても経済を減速させてはならない』との党中央の意志により、公共事業の実施等により中国の景気は下支えされているが、共産党大会終了後はそうした『下支え』がなくなるので、おそらく中国経済は共産党大会開催前後をピークとして2017年後半は落ち込んでいくだろう」と見ています。中国経済は世界経済に極めて大きな影響を与えますので、今後の世界経済の動向を考える上では、「今年の中国共産党大会はいつ開催されるのか」という日程が非常に重要な意味を持つことになります。

 今年(2017年)の大会では、習近平総書記の交代は想定されていないので、原則5年二期=十年間の総書記の任期の中間の時期の大会という意味では、今年の第19回大会は2007年の第17回大会と類似性があると言えます。私は中国共産党第17回全国代表大会が開かれていた期間中、北京に駐在していましたので、当時のメモを基に、御参考までに、2007年の第17回大会の時の日程等を御紹介しておきたいと思います。

2007年7月7日:
 私の職場が使っていたインターネット・プロバイダー会社から「重要なお知らせ」が来ました。「『敏感な時期』になるので、ネット上において、政治的に敏感な情報のアップロードや賭博・銃砲・麻薬等の売買等違法行為をしないように」というものでした。指摘しているような内容がアップロードされていた場合は、インターネット・プロバイダーの判断でその記載を削除することがある、その責任は顧客の側にある、というものでした。インターネット・プロバイダーが顧客に対してインターネットを用いて反社会的あるいは違法な行為をしないように注意喚起をするのは、どの国でも共通のある意味「当然のこと」だろうと思いますが、ことさらこの「お知らせ」に「敏感な時期なので」という「理由」が付いていた点については、私は「いかにも中国らしい」と感じたことをよく覚えています。「敏感な時期」とは何を意味するのかの解説はこの「お知らせ」にはありませんでしたが、「政治的に敏感な情報をアップロードしないように」という注意内容から察するに、この「敏感な時期」とは「中国共産党大会の開催時期が近いので」という意味であるのは明らかでした。

2007年8月8日:
 内モンゴル自治区成立60周年記念式典が開催されました(内モンゴル自治区の成立は1947年5月1日なのに、記念式典はわざわざこの日(=北京オリンピック開会式のちょうど一年前)に開催された)。この件については、このブログの2007年8月9日付け記事「なぜ8月8日に内モンゴル自治区成立60周年記念式典なのか」で指摘したところです。このブログのこの日の記事では「胡錦濤総書記・国家主席(党内序列ナンバー1)と温家宝国務院総理(党内序列ナンバー3)は、なぜか今週月曜日から全くテレビのニュースに出てきていません。」とも書きました。おそらくはこの時期、中国共産党幹部(引退した老幹部も含む)が避暑地の河北省北戴河に集まって行ういわゆる「北戴河会議」が開かれていたからだと思われます。時期的に言って、この時の「北戴河会議」では、10月に開催される党大会のための「根回し」が行われていたものと思われます。それを考えると、この日ブログに書いたように、内モンゴル自治区成立60周年記念式典に中国共産党政治局常務委員で国家副主席の曽慶紅氏(党内序列ナンバー5)が参加していたことは、相当に「意味深長」であったと言えます。というのは、この「記念式典」のニュースは、曽慶紅氏(江沢民元国家主席の側近だった)が「北戴河会議」に参加しておらず、10月の党大会において曽慶紅氏は中国共産党政治局常務委員に再任されない方針であることを中国全国に伝えたのと同じ意味を持つからです。実際、曽慶紅氏は10月の党大会で政治局常務委員に再任されませんでした。表向きの理由は年齢的に「68歳定年制」に引っ掛かったからだ、とされています(なお、2007年の党大会で曽慶紅氏が政治局常務委員に再任されなかったことについては、このブログ内にある「中国現代史概説」の第4章第2部第6節「第一期胡錦濤政権の勢力分布」を御覧ください)。

2007年8月28日:
 第17回中国共産党全国代表大会が10月15日に北京で開催されることが正式に発表されました(いつまで何日間開催されるのかは発表されなかった)。直前の10月9日から準備のための中国共産党中央委員会が開催されることも同時に発表されました。国慶節(10月1日から一週間程度)の連休の後、間を置かずに中央委員会が開催されることから、私はこの時、共産党大会の大体の大枠はこの時既に固まっており、議論が紛糾するようなことはないだろうなぁ、と思いました(ただし、何日間開催されるのかを事前に公表しないのは、議論が紛糾して開催期間を延長したとしても「会議が揉めて延長した」ことが外部にわからないようにするためだろうなぁ、とも思いました)。

2007年10月15日~21日:
 第17回中国共産党全国代表大会開催

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 今、2007年のこのブログの記事や当時のメモを読み返してみると、2007年の8月上旬の「北戴河会議」で10月の党大会へ向けての「根回し」が行われ(その中で曽慶紅氏は政治局常務委員に再任しないことの合意が得られ)、「根回し」が完了したことから、8月28日に10月の党大会の開催日が公表されたのだろうと推察することができます。2007年の時は、党大会直前の国慶節の時期、当時の胡錦濤総書記は地方視察に出掛けており、「総書記が党大会の根回しのために直前まで各方面との調整に忙殺されていた」という雰囲気は全くなかったので、2007年の党大会ではかなり順調に「事前根回し」が完了していた、と言えると思います。

 一方、2012年の前回の大会(第18回大会)は、開催日が11月8日~14日と2007年の大会より三週間ほど後に設定されていたことと、9月に次期総書記に就任することが確実視されていた習近平氏が二週間ほど公の場から姿を消した時期があったこと(当時は「病気説」や「趣味の水泳をやっていて背中を痛めた説」などが飛び交っていた)を考えると、少なくとも9月頃までは党大会へ向けての「根回し」のための様々な動きがあったのではないかと思われます。

 今年(2017年)の党大会では、習近平総書記(国家主席)と李克強総理との力関係とそれに基づく党政治局常務委員の人事が最大の関心事項です。習近平氏と李克強氏の「不仲節」については、多くの人が論じているし、このブログでも何度も取り上げてきましたが、最近のニュースに登場するお二人を見ていると、相当に落ち着き払っており、「既に勝負あった」という雰囲気です(既に現時点で、習近平氏関連のニュースの時間(及び「人民日報」のスペース)は、李克強氏関連ニュースの時間(及び「人民日報」のスペース)を大きく上回っています)。胡錦濤政権の時代には大きな力を発揮していた江沢民氏も既にかなりの御高齢であり、習近平氏が党内(軍も含めて)をほぼ完全に掌握したと言っていいのでしょう。8月上旬に行われるであろうと思われる今年の「北戴河会議」で揉めることがなければ、今年の党大会は意外に「すんなりと」物事が決まることになるのかもしれません。

 2007年と2012年の例に鑑みれば、今年(2017年)の党大会の開催時期は、そんなに「揉めない見通し」ならば10月中旬開催、「少し揉めるかもしれない」ならば11月上旬開催、ということになるのでしょうか。いずれにせよ8月上旬の「北戴河会議」の時期が過ぎれば、ある程度「見通し」ができるようになるのかもしれません(別の言い方をすれば、そうであるならば、8月上旬までは「中国経済の減速」は目に見えるものとしては現れない、ということになるのかもしれません)。

P.S.

 今日(2017年6月24日(土))、中国の四川省で大規模な土砂崩れが発生し、120人以上の行方不明者が出ているようです。今日の中国中央電視台夜7時のニュース「新聞聯播」でも、現場からのインターネット中継映像も含めたニュースを伝えていましたが、この土砂崩れのニュースは、習近平主席が山西省視察で貧困対策等について議論したり、軍関連施設を視察したりしたニュースを19分間程度流した後の「二番目のニュース」扱いでした。今年の党大会では「貧困対策」が重要な議題になるのだろうということはわかりますが、こういうニュースの組立の仕方は(昔からこうですけど)、人民の生命よりも中国共産党の政策の方が大事なのだ、というイメージを中国人民に与えることになり、中国共産党にとってもよくないことだと私は思います。

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2017年6月17日 (土)

中国のインフラ投資のスピード感

 先週日曜日(2017年6月11日)付の日本経済新聞朝刊13面に「官民投資 中国で乱立 地下鉄など総額230兆円 『民』の実態は国有? 不良資産拡大も」という記事が載っていました。今、中国各地の都市で地下鉄建設等が急ピッチで進められていますが、その多くが「官民パートナーシップ(PPP)」と呼ばれ、その多くで、完成後の運営権の民間移転を前提とした「民間資金」の導入を利用していることが紹介されています。

 「官民パートナーシップ方式(PPP)」は、税金負担を少なくするという観点から、最近、日本でも多くのプロジェクトでこの方式が採られるようになっていますが、中国の場合「民間資金」と言ってもかなりの割合で国有企業の資金が投入されています。中央政府の方針によって地方政府が設立する「地方融資平台」(地方インフラ投資会社)が使えなくなっている現在、PPPが銀行から資金を借りて地方でインフラ・プロジェクトを進めるための地方政府の新たな「仕掛け」になっている、とこの記事は指摘しています。

 この記事では、都市部での地下鉄建設を例に挙げて解説していますが、私の感覚としても、最近(=リーマン・ショック以降)の中国での地下鉄建設ラッシュは「危険なほど速い」と感じています。

 私は1986年10月に一回目の北京駐在を開始しましたが、その時点では、北京の地下鉄は東西に走る1号線(「苹果園駅」から「復興門駅」まで)と2号線(環状線)の南半分と北半分だけでした(天安門前の長安街の下には地下鉄はまだなかった。環状の2号線はまだ環状運転していなかった。2号線が環状運転を開始したのは、私の北京駐在期間中の1987年12月24日)。私は2007年4月に二回目の北京駐在を開始しましたが、この時点でも、既に開通していた2号線に加えて、1号線(天安門前の長安街を含む全線)、13号線と八通線が開通していただけでした。

(注)北京の地下鉄の路線番号は、路線を区別するための番号であり、開通の順番とは一致しない。また、地上を走る路線も「地下鉄(中国語で「地鉄」)」と表記される。例えば、13号線は北方郊外を逆U字型に走る路線だが全線地上を走っているほか、空港線は、市街地は地下を走るが途中で地上に出て、空港付近まで高架を走る構造になっている(第一ターミナル駅、第二ターミナルの駅の部分では再び地下に潜る)。

 その後、2008年8月の北京オリンピックを前に、5号線の一部、8号線の一部、10号線の一部と空港線が開通しました。ウィキペディアの「北京地下鉄」の項目によると、現在、北京の地下鉄は19路線あるそうです。ウィキペディアにある一覧表を見ていただければ、上に書いた以外の路線は全て2009年以降に開通していることがわかります。北京以外の中国の都市の地下鉄については、私はよく知りませんが、オリンピックがあった関係もあって北京は比較的先行して地下鉄建設が進んでいたはずなので、北京オリンピックの時点(2008年)では北京以外の都市ではあまり地下鉄建設は進んでいなかったと思います。それを考えると、中国各地の都市の地下鉄はリーマン・ショック以降に猛烈なスピードで建設が進んでいると言えます。

 一方、現在、中国全国を結ぶ高速鉄道網もものすごいスピードで建設が進んでいます。中国全国を覆う「四縦四横」という計画は、私が二回目の北京駐在を終えた2009年頃でもあまり聞かなかった計画ですが、現在はさらに進んだ「八縦八横」計画が進行中なのだそうです。いくら中国は国土が広いとは言え、これは「やり過ぎじゃないの?」と思えるし、これらがここ10年間という短い期間で進んでいることを考えると「建設スピードは明らかに速過ぎ」だと思います。中国の高速鉄道建設の「速過ぎ」については、2017年6月10日号の「週刊東洋経済」も「ミスターWHOの少数異見」のコーナーで「中国国民もついていけない高速鉄道の急拡大事情」として指摘しています。

 地下鉄も高速鉄道も中国の一般庶民が使うものですから、料金はそんなに高くは設定できません(上記「週刊東洋経済」の記事によると、北京-上海間の高速鉄道の料金は所要6時間で550元(約9,000円)とのことです)。なので、建設資金が回収できるのかどうかわかりません。去年(2016年)7月19日付けでアップされたネット上の日本経済新聞の記事によると、最も基幹路線とされる北京-上海間の高速鉄道は2011年に営業運転を初めて以来2015年12月期に初めて黒字になったとのことです(ということは他の路線は全て赤字ということ)。

 また、ウィキペディアによると、現在の北京地下鉄の料金は初乗り(6kmまで)3元(約48円)、空港線は25元(約400円)だそうです。私が駐在していた2007年頃は一律3元(オリンピック前に市民の利便を考えて2元に値下げ)、空港線は開通当初から25元でしたので、既に10年近く経っているのに、ほとんど値上げしてないようですね。北京市民としてはありがたいと思っているのでしょうが、これでは建設費は回収できないのではないでしょうか。

  中国中央電視台の夜7時のニュース「新聞聯播」では、最近、こういった中国高速鉄道網や都市部地下鉄網の急速な発達について、「習近平主席の業績」として誇らしげに報じています。「都市の地下鉄や高速鉄道網の建設費は回収できるのか?」といった批判的意見は誰も言いませんが、膨大な中国の地下鉄や高速鉄道の建設費は巨大な「不良債権」に化ける可能性はかなり大きいのではないかと私は思います(かつて日本の国鉄が巨大な負債に苦しんでいたことは一定年齢以上の方ならよく覚えておられると思います)。

 今、中国のインフラ投資については「スピードを落とすと急減速してしまうのではないかという不安があるのでスピードを落とせない」という状況になっているとの懸念があります。この懸念が「ほんものの懸念」なのか「杞憂」なのか、中国の外の人間にはわかりにくいのですが、そうした「中国経済への懸念」が、世界の人々に不安感を抱かせ、その不安感が投資や消費を鈍らせて、世界経済を発展させるための阻害要因のひとつになっているのだと思います。

 今日(2017年6月17日(土))の日本経済新聞朝刊18面には「中国経済懸念、市況に影 銅・亜鉛や鋼材、1~2割安」との見出して、今後の中国経済に対する懸念から商品市況が悪化していることを伝えています。「中国のインフラ投資のあまりに速いスピード感から来る恐怖感」が既に世界の実態経済にマイナスの影響を与え始めているのではないかと私は思います。

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2017年6月10日 (土)

中国によるアメリカ国債購入と「コナンドラム」との関係

 6月6日(火)、10年物アメリカ国債の金利が低下しました。よくある日々の金利の上下動のひとつですが、これに関し、6月7日(水)にテレビ東京「Newsモーニング・サテライト」の中でニューヨーク証券取引所からレポートしていた大和証券キャピタル・マネジメント・アメリカのシュナイダー恵子氏は、「中国による米国国債の追加購入観測の報道により金利が下がった」と伝えていました。

 今、6月13~14日に開かれるアメリカのFOMC(連邦公開市場委員会)で追加利上げの実施が確実視される中、アメリカ国債の金利が上がらない(むしろ低下傾向にある)状況が生じています。2004~2006年の利上げ時にも同様の現象が起きましたが、この時、当時のFRB議長のグリーンスパン氏はこの現象を「コナンドラム(理解できないナゾ)」と表現しました。そのことを引き合いに出して、現在のFRB議長のイエレン氏にちなんで現在の状況を「イエレン・コナンドラム」と表現する人もいるようです。

 アメリカ長期国債の金利は、アメリカ経済の先行きの見通しはもちろん、国際情勢やアメリカ国内の政治情勢によっても上下しますので、単純に「謎解き」をすることは困難ですが、現在のアメリカ国債の最大の保有者が中国(日本が二番目)であることを考えると、中国によるアメリカ国債の購入動向がアメリカ国債の金利に大きな影響を与えていることは間違いないと思います。

 単純化すれば、「アメリカ経済で景気がよくなりつつある(FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)は利上げをしようとする)」→「アメリカの産業活動が活発になり『世界の工場』である中国から輸入する製品が増える」→「中国の貿易黒字が増える」→「貿易黒字によって増えた外貨準備を運用するため中国はアメリカ国債の購入を増やす」→「アメリカ国債の金利が下がる」という図式になります。もし本当にこういう図式が成り立つならば、FRBが利上げをする状況になった場合にアメリカ国債の金利が低下するのは、「コナンドラム(ナゾ)」でもなんでもなく「当然の帰結」ということになります。

 アメリカでトランプ氏が大統領選挙で当選して以降のここ7か月間のアメリカ10年物国債の金利動向と中国の動向を見ると大まかにいって以下のような状況になっています。

【2016年11月初~2017年第一四半期】

中国の人民元の対米ドル・レートは低下傾向にあり、中国当局は強力に「人民元買い・外貨売り」の為替介入を行っていた模様。その原資とするために中国は保有していたアメリカ国債を売っていた模様で、中国の外貨準備は減少した(3兆ドルギリギリまで減った)。この間、アメリカ国債10年物の金利は1.85%から2.60%まで上昇した。

【2017年第一四半期~現在(2017年6月初)】

中国は強力な資本管理を実施して人民元の国外流出を抑えることに成功し、人民元の対米ドル・レートは下げ止まった(むしろ人民元高がジリジリと進行)。このため中国当局による為替介入は減った模様。他方で中国の輸出は対前年度で大幅に回復しており、外貨準備にも余裕ができて、2017年2月~5月は四ヶ月連続で外貨準備は増加している。(たぶん中国によるアメリカ国債の売却は減少(場合によっては買い増している可能性あり))。アメリカでは、2015年12月に引き続いて2016年12月と2017年3月に追加利上げし、6月にも追加利上げすることが確実視されているのに、アメリカ国債10年物の金利は2.60%から2.15%程度にまで低下した。

 上に書いたようにアメリカ国債の金利は様々な要因で変動しますが、ここ7か月間の状況を鑑みれば、「中国がアメリカ国債を売却する傾向があるとアメリカ国債金利は上昇し、その逆だと低下する」という図式は、かなり単純に当てはまっているように見えます。

 アメリカ国債は、中国が最大の保有者であるとは言え、日本や世界各国の公的機関や機関投資家、企業・個人が持っていますので、中国による購入・売却だけを取り出して議論するのはおかしいと思いますが、私が気にしているのは、中国による購入・売却の「動機」が他のアメリカ国債保有者とは異なるのではないか、という点です。

 基本的に、民間の機関投資家や企業・個人は、運用目的でアメリカ国債を保有していますので、金利動向やその時点での価格を考慮して、運用成績(=儲け)が最大になるようにアメリカ国債を売ったり買ったりすると思います。各国の公的機関は、「運用成績がよくなるように」という発想に加えて、自国経済や世界経済の安定化のために必要と考える場合にアメリカ国債を売ったり買ったりします。

 どの国の公的機関も時々の自国政権の都合を「忖度」することもあるかもしれませんが、公的機関の資産は基本的にはその国の国民の財産であり、公的機関が運用成績や経済へのインパクトを無視してその時の政権を利するような「御都合主義」の運用を行う場合には、世論の反発が起こります。

 一方で、中国の場合、経済や金融を担当する部署は(中国人民銀行も含めて)全て中国共産党の指導下にあります。中国当局及び中国の公的機関が世界経済の流れに反して、中国共産党政権に都合のよい政策を採ったとしても、当局や公的機関に対する反対世論は起こりません(というか、そうした世論を起こすことは許されていない)。

 中国経済や世界経済にとってよくない政策を採れば、結局は中国経済が悪化し、中国共産党政権に対する中国人民の反発が強まりますので、長期的視点から見れば、中国当局と言えども中国共産党政権にとって都合のよい「恣意的な」政策ばかりを採用することは困難です。しかし、短期的視点で見れば、中国当局は、「中国経済や世界経済にとってはマイナスだけれども、中国共産党政権にとってプラスになる政策」を採ることはありえます。人民元をIMFによるSDR(特別引き出し権)対象通貨に採用させるため、人民元レートの基準値を市場に合わせる形で変更した2015年8月の政策変更の例はその典型例です。「人民元をIMFのSDR対象通貨にする」という政治目的のためのこの変更は、「世界同時株安」という形で世界経済を揺るがせました。2015年夏、上海株バブルがはじけた時、中国共産党政権に対する人民の反発を避けるために実施された強力な(強引な)「株価下支え対策」もその典型例のひとつだと言えます。

 今の中国当局の喫緊の(短期的な)目的は、中国経済の改革でも、世界経済への貢献でもなく、今年(2017年)秋に開かれる中国共産党大会を順調に開催させるため、なんとしても中国共産党大会終了までは経済を下押しさせるような事態にはしないこと、です。「2017年秋まで中国経済を下押しさせないこと」は一見世界経済全体にとってもプラスとなる目的のように見えますが、「現在の経済の状況如何に関係なく『とにかく経済を減速さないようにすること』」という目的達成のため、例えば必要以上に公共投資という「カンフル剤」を打ち続ける、とか、国有企業や政府系ファンドの総力を結集して株価が下がらないように買い支える、とか「中国共産党大会終了後になるとツケが回って来るような政策」が党大会までは実施が継続されることになる可能性があります。

 「中国によるアメリカ国債購入」について見ると、秋の中国共産党大会終了までは、「資本管理強化による人民元の海外流出を阻止する」「アメリカの利上げに対抗してアメリカ国債を購入することによってアメリカの金利上昇を阻止する(=アメリカの利上げ継続により人民元が対ドルで安値方向に動いて人民元の先安感が出ることを阻止する)」政策が続く可能性があります。逆に言うと、秋の中国共産党大会が終わると、これらの政策が終了して「人民元の対ドル・レートが急落する」「中国によるアメリカ国債の購入が減るのでアメリカ国債金利が急騰する」可能性があります。また、公共事業が縮小されて中国の景気が一気に冷え込み、結果としてそれが世界経済によくないインパクトを与える可能性があります。

 中国当局の関係者には優秀なエコノミストがたくさんいるので、経済の実情に逆らった無理な経済政策は採りたくない、と思っている人もたくさんいると思います。しかし、中国当局の担当者にとっては「長期的観点で中国経済の改革を進めること」よりも「とにかく中国共産党大会開催の前に経済の下押しは起こせない」というプレッシャーの方が強いと思うので、「後からツケが回って来ることはわかっているが、中国共産党大会までの期間は無理してでも経済を減速させない経済運営を続けてしまう」のではないか、というのが今私が最も心配している点です。

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2017年6月 3日 (土)

1989年の遺産

 毎年、6月第一週になるとテニスの全仏オープンが開催されますが、私は個人的にはどうしてもこの時期は1989年の全仏オープンを思い出してしまいます。錦織圭選手のコーチにマイケル・チャン氏が就任してからは特にそうです。

 私自身はそんなにテニスの試合をテレビで見る人ではないのですが、やはり1989年の全仏オープンの印象はいまだに覚えています。1989年の全仏オープンで、当時無名だった17歳のマイケル・チャン選手は、世界の強豪が次々と繰り出すスマッシュを追い掛け、右に左に振らされながら必死で打ち返す試合を続けました。結局、マイケル・チャン選手は、粘って粘って粘り抜いて勝つ試合を続けて、この年の全仏オープンで優勝したのでした。

 マイケル・チャン氏は、アメリカ生まれのアメリカ人ですが、私を含めて世界の多くの人は、同じ時期、1989年6月4日の北京で倒れた中国の若者たちの姿とマイケル・チャン選手の粘って粘って粘って結局は勝ち抜く姿を重ねていたと思います。1989年6月4日未明の北京からのニュースは、中国の若者の将来への「夢」を打ち砕いたと同時に、前年まで二年間北京に駐在し、それからも中国との関係の仕事をしていくことになるのだろうなぁ、と思っていた私自身の「夢」をも打ち砕きました。銃弾によって「将来の夢」を打ち砕かれた私自身の気持ちに対して、マイケル・チャン選手が「粘って粘って粘って粘り抜けば結局は勝つのだ」と訴えているように私には見えたのでした。

 「六四天安門事件」は、中国においては「改革・開放路線」の大きな転換点であったと同時に、ソ連・東欧圏における政治体制の変革に大きな影響を与えた事件でもありました。このブログ内にある「中国現代史概説」の中でも書いたのですが、1989年10月9日、旧東ドイツのライプチヒで市民らによる「月曜デモ」が行われようとしていた時、デモに参加する市民の側も当局の側も「4か月前の北京の天安門前での悲劇をここで繰り返してはならない」という同じ思いを持っていたとのことです(2008年1月12日放送NHK・BSドキュメンタリー「証言でつづる現代史~こうしてベルリンの壁は崩壊した~」(前編:ライプチヒ市民たちの「反乱」))。ドイツでは、この日のライプチヒでの「月曜デモ」の一ヶ月後の11月9日、東ベルリン市民が雪崩を打って西ベルリンに流入し、「ベルリンの壁」が崩壊することになるのです。

(注)このブログ内の「中国現代史概説」については、左側にある「中国現代史概説の目次」をクリックして御覧ください。

 現在のドイツの首相のメルケル氏は、旧東ドイツで育ち、「ベルリンの壁の崩壊」を切っ掛けとして政治の世界に入ったとのことです。彼女のEUに対する思い入れや「壁」を築こうとするアメリカのトランプ大統領に対する反発を理解する上では、この彼女の「生い立ち」は重要だと思います。今やメルケル首相はG7の首脳の中でもリーダー的存在ですが、彼女の原点は1989年にあると言えるのでしょう。

 1989年は日本の年号で言えば「平成元年」です。今、天皇陛下の退位に関する法律案が国会で議論されています。この法律が国会で成立すれば、近いうちに「平成」は終わることになるのでしょう。そういった意味も含めて、最近、新聞や雑誌で「平成を振り返る」という企画が多くなっています。5月20日付けでこのブログでも取り上げた週刊東洋経済2017年5月20日号の特集「最後の証言:バブル全史」もそうでした。今、産経新聞では「平成30年史」という連載企画を掲載しています。産経新聞の連載では、ちょうど今「第5部 バブル、それから・・・」が掲載されています。この時期、1989年という年とバブルについて思い返すことは意義のあることかもしれません。

 今、中国の大陸部では客観的に1989年を振り返ることはできません。「六四天安門事件」は中国国内では「1989年の政治風波」と呼ばれますが、中国共産党による「公式見解」以外の情報は中国の大陸部のネット等には存在しないからです(中国大陸部以外にある「六四天安門事件」に関する情報にはアクセス制限が掛かっていてネットで見ることはできないようになっている。ただし、台湾からは当然のこととして、「ネットの壁」の外側にある香港・マカオからはアクセスは可能)。

 今、日本の人たちは1989年を振り返って「バブルとは何だったのか」を反省することができます。ドイツや旧ソ連・東欧の人たちも1989年に何があったのかを調べて「ベルリンの壁崩壊とは何だったのか」「ソ連・東欧革命とは何だったのか」を振り返ることができます。しかし、大多数の中国大陸部の人たちは1989年を客観的に振り返ることができません。政治情勢にしろ経済情勢にしろ、「過去の経験」は人々にとって判断材料となる貴重な「遺産」です。今、多くの中国大陸部の人たちにそうした判断材料となる「1989年の遺産」が欠落していることは、今後の中国の人々の判断を誤らせることになる可能性がある点で重大です。

(注)1989年当時、5月下旬に「戒厳令」が出されたこと、その後「戒厳部隊」が「暴乱」を鎮圧したことは中国国内でも報道されましたが、6月4日未明以降の人民解放軍による武力鎮圧については中国国内では映像その他の詳細は報道されなかったので、当時、北京で実態を直接見聞きした人(またはその人から状況を聞いた人)でない限り、大陸にいる中国人は当時を知りうる年齢の人であっても「六四天安門事件」の全容についてはほとんど知りません。「六四天安門事件」の直後、仕事で地方に滞在していた日本人職員に対して帰国指示が出された時、その日本人職員から「へぇ~? なぜ? 何かあったの? 中国側も普通に仕事してますよ。」という反応が帰って来たことをよく覚えています。

 1989年に世界で起きたできごとについては、人によって評価が分かれるでしょう。しかし、「何があったかという事実」に対してアクセスできない状況を続けることは、結局は中国の将来にとって大きな禍根を残すことになると私は思います。

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