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2017年4月15日 (土)

「雄安新区」は21世紀版の「都(みやこ)造り」

 「人民日報」では、北京の「非首都機能」を移転して河北省に新しい都市「雄安新区」を設置するプロジェクトについて、昨日(2017年4月14日)も今日(4月15日)も大きく紙面を割いて解説記事を載せていました。昨日は、1面トップと2面の全部を使って「雄安新区」設立決定に至る中国共産党内での議論について長々と解説していましたし、今日は、2面の3分の1を使って「雄安新区」に関する張高麗副総理へのインタビュー記事を掲載していました。

 昨日(4月14日)付けの記事で私が印象に残ったのは、以下の記述です。

「構想の一番上にあるのは、志は千年にある、ということ。

西暦1153年、金は燕京(北京の旧名)に都を置き、北京という都市の860年以上の都(みやこ)としての歴史を開始させた。

西暦2017年、河北省の雄安新区の計画が決まり、北京という都市のさらに新しい一ページが開かれることになる。」

「『このことは確実に千年の大計、国家の大事である』。北京の副都心と雄安新区の計画的建設は、千年の歴史の検証を通じて行われなければならず、これは我々の世代の中国共産党の人々が子孫の代に対して遺す歴史的遺産である、と習近平氏は強調した。」

 この記事の後の方に、外国における新都市建設の例のひとつとして、日本の筑波研究学園都市も掲げられているのですが、日本が筑波に研究学園都市を作った時には、上に紹介した「人民日報」の記事が書いているような「千年の大計、国家の大事」と強調するほどに「大げさな」表現は使わなかったと思うなぁ、と私は感じました。

 上の記事にも垣間見えますが、この「雄安新区」という都市建設プロジェクトは、習近平氏のリーダーシップで打ち立てられた、ということが相当強く強調されています。

 今日(4月15日)付け「人民日報」紙面にある張高麗副総理に対するインタビュー記事で、張高麗氏は、次のように「習近平総書記自らが・・・」と何度も繰り返して強調しています。

 「『雄安新区』設立の決定は、習近平総書記自らが企画し、自らの決定の下で推進し、習近平主席自らが大いに心血を注いだものであり、習近平総書記の本件を担当する使命感と深い戦略的眼光と超越的な政治的知恵とを大いに体現したものである。」

 「自らが・・・」の部分は、中国語では「親自」ですが、日本語としては「御自ら(おんみずから)」と訳した方がいいのかもしれませんね。ここの部分「偉大なる習近平総書記様が、おそれおおいことに、御自らの手で進められまして・・・」というふうに聞こえるので、ちょっと鼻白む感じもします。

 昨日(4月14日)の「人民日報」の1面トップの記事では、習近平総書記自身が「雄安新区」の現地で大きな地図を前に回りの人たちに指差して指示している写真が掲載されています。時期が時期だけに、私は、この写真を見て「習近平総書記は、北朝鮮のキム・ジョンウン委員長と同じになってしまったのか」と思わずため息が出てしまいました(1980年代の改革・開放政策初期の中国を知る私は「中国は近代的な国家として歩み始めており、北朝鮮とは全然違うのだ」と信じていたいのですけどね)。

 古今東西、政治家が自らの権力掌握を誇示するために「都(みやこ)造り」を発案し、実行することはよくあることです。日本では、平城京、平安京への遷都や平清盛の福原遷都もそうでしょう。明治政府が京都から東京に首都を移したのも、同じ発想でしょう。中国の歴史でもそうした例は山ほどありますが、一番目に付くのは、やはり明王朝の三代目・永楽帝(明の創始者・洪武帝の四男)が都を南京から今の北京に遷したことでしょうね。永楽帝は、初代・洪武帝の長男の子の二代・建文帝と戦って帝位を得ましたが、自らの権力掌握を誇示するために、南京にあった首都を自らの勢力基盤のあった北京に遷したのでした。

 「雄安新区」については、「(トウ小平氏の)深セン特区、(江沢民氏の)上海浦東新区に次ぐ国家的都市建設」と強調されています。同じ「三代目」なので、中国共産党自身が「雄安新区」の設立について、明の永楽帝による北京遷都を意識している可能性があります。中国共産党総書記には、トウ小平氏時代の胡耀邦・趙紫陽氏の後は、江沢民氏、胡錦濤氏、習近平氏が順に就任しています。1989年の「六四天安門事件」で失脚した趙紫陽氏は「いないこと」になっていると考えれば、習近平氏は「四代目」です。ここで「トウ小平時代、江沢民時代に次いで三代目」と強調することは、暗に「三代目の胡錦濤氏は後世に残る実績を残さなかったのでいなかったのと同じ」と主張しているようにも見えるので、習近平氏が設立を決めた「雄安新区」について「三つ目」を強調するのは、政治的に大きな意味があるのかもしれません(胡錦濤氏及び胡錦濤氏に近い勢力(=李克強総理も含む))は、いないのと同じですよ、と聞こえるので)。

 永楽帝は、政敵を残虐に粛清するとともに明の版図を当時としては最大に拡大し、海洋についても宦官の鄭和に大航海を命じるなど、陸と海において中国の勢力圏を大いに広めた皇帝として有名です。腐敗した勢力を徹底的に排除し、周辺諸国に中国の影響力を誇示する「一帯一路」構想に熱心なところをみると、もしかすると習近平氏は、本気で自らを永楽帝になぞらえようとしているのかもしれません。

 上に紹介した張高麗副首相の発言で「習近平総書記自らが・・・」と何回も強調しているところは、自分の上司におべっかを使っているようにも聞こえますが、別の見方をすれば、「雄安新区」のプロジェクトが仮にうまく行かなかったらそれは習近平氏お一人の責任ですからね(中国共産党全体の失策ではない)、と念を押しているようにも聞こえます。

 習近平氏の代になってから、全人代などの会議で総書記が座る席は、中央の階段の前になりました。以前は、総書記を真正面からカメラで捉えると、後列に座っている政治局員の顔が複数映っていたのですが、今の総書記の席は階段の前なので、習近平氏の後ろには階段が見えるだけで、他の中国共産党幹部の顔はカメラのフレームには入ってきません。「習近平氏は他の中国共産党幹部とは別格で偉いのだ」というイメージを作りたいのかもしれませんが、私には「習近平氏がふと振り向くと、後ろには誰もいなかったのだった」という状況なのだ、というふうに見えてしまいます。習近平氏が皇帝のように権力を集中させることは、逆に何か情勢が変化した時に自分だけが孤立してしまう(面従腹背だった取り巻き連中が途端にそっぽを向く)危険性をはらんでいると思います。

 「一帯一路」「中華民族の偉大な復活」を強調し続ける中で、今回「雄安新区」を「千年大計・国家大事」と強調している状況を見てみると、習近平氏は、まるで中華人民共和国を明・清の時代の「中華帝国」にし、自らがその「皇帝」になろうとしているように見えます。しかし、おそらく21世紀という時代に生きる中国人民は、「中華帝国」や「皇帝」の復活は認めないと思います。習近平氏は、そのあたりはよくわかっていると思いますが、ぜひ21世紀という現代にマッチした政治を遂行して欲しいと思います。

(注)「雄安新区」に関しては、李克強総理の影が非常に薄いことも重要です。「雄安新区」の推進は、秋の中国共産党大会へ向けて、李克強氏のフェード・アウト(段階的引退)のためのひとつの動きの一環である可能性があります。

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