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2017年4月

2017年4月29日 (土)

中国共産党政治局で金融安全について議論

 中国共産党中央は4月25日(火)に政治局会議を開きましたが、同じ日に開催された「集団学習会」において、金融安全を維持するための政策についての議論も行われました。中国共産党中央は、政治局会議を開催してなにがしかの決定を行った同じ日に、「集団学習会」を開いて、特定の政策トピックに関して議論することがよくあります(というか、それが通例)。取り上げた政策トピックについて、政治局員どうしで認識共有を図る、という意味もあるのでしょうが、議論されたことを報道することによって、現在、党中央がどういう政策トピックについて関心を持って議論しているかを全国人民に知らせる、という意味もあると思います。

 その意味で「金融安全を維持するための政策」が議論され、そのことがテレビや「人民日報」で報道されたことは重要だと思います。中国共産党中央が国内に対し「党中央は金融リスクに対して十分に議論しており、必要があれば適切な政策を採る用意がある」とのメッセージを出した、と考えられるからです(実際、この報道を受けて、株に関する管理監督が強化されるのではないか、との懸念から、一時、上海総合指数が下げる場面がありました)。

 この「集団学習会」においては、中国人民銀行総裁、中国銀行業監督管理委員会主席、中国証券監督管理委員会主席及び中国保険監督管理委員会主席が報告を行い、議論が行われました。

 「人民日報」の4月26日付けの記事によれば、この「集団学習会」で習近平総書記は以下のように述べた、とのことです。

○2012年の第18回党大会以来、我々は繰り返し金融リスクをコントロールすることに重要な位置付けを与えることを強調し、システミック・リスクを発生させないという最低限のラインを断固として守り、一連の金融監督管理強化の措置を採り、金融リスクを防ぎ・緩和させ、金融の安全と安定を維持し、発展の大勢を維持しなければならない、と強調してきた。

○総体的に見て、我が国の金融状況は良好であり、金融リスクはコントロール可能である。同時に、国際経済・国内経済において下押し圧力要素が存在するという総合的な影響の下、我が国の金融の発展は、少なからずリスクと挑戦に直面している。経済のグローバル化がさらに深化し発展している今日、国外に影響を与える金融危機が突発するという国際金融リスクは依然として小さくない。ひとつの国の貨幣政策・財政政策の調整が外国に影響を与えるリスクとなり、我が国の金融安全に対して外部からの衝撃を与えることになる可能性もある。金融リスクが存在するという点について、我々はしっかりと認識し、リスクに備える意識を強めなければならない。

 ここの部分については、今、アメリカFRBが利上げを続けようとしており(量的緩和で拡大したFRB資産の縮小についても議論が始められており)、量的金融緩和を続けるヨーロッパ中央銀行においても資産縮小の議論がそのうち始まるかもしれず、量的質的金融緩和を続ける日本銀行も(黒田総裁はいまだに「時期尚早」と言い続けているが)そのうち「出口」を議論せざるを得ない状況になるだろうという現時点において、そうした状況を中国もよくわかっており、外国の金融政策が中国に与えるインパクトに対しても中国共産党は十分備えている、と表明している点で、極めて重要だと私は思います。

 習近平総書記は、この「集団学習会」で、金融安全に関する下記の6項目の対策を指示しています。

○金融改革の深化、金融業会社のガバナンス改革など

○金融に対する管理・監督の強化

○リスク対策処置の実施(レバレッジ率のコントロール、市場における違法・規律違反行為の取り締まりの強化など)

○実体経済のための良好な金融環境の創造

○指導幹部層の金融政策能力の向上

○党による金融政策に対する指導の強化

 具体的に何をやるかはあまり明確ではないのですが、上の四つは、日本を含めた「普通の国」の金融のための政策とそれほど違うものではないと思います。一方、最後の二つは中国ならではのものだと思います。「指導幹部層の金融政策能力の向上」とは、地方政府や国有企業の幹部が金融リスクを顧みずに「ハイリスク・ハイリターン」の投資を行わないようによく勉強させることを意味しているのだと思うし、最後の「党による金融政策に対する指導の強化」は、地方政府や国有企業が党中央の意志に反して金儲けのためにハイリスクの政策運営・企業経営をやらないように党中央がしっかり監視するぞ、という意味だと思います。

 最後の2項目に関して、地方政府との関係については、習近平総書記が最後に述べた次の表現に凝縮されていると思います。

「各レベルの地方の党委員会と地方政府は、中央の決定に従って、それぞれの地区の金融の発展と安定のための政策をうまくやらなければならず、それぞれの地域に対する責任を持って、全国全体としての金融リスク防止体制を形成しなければならない。」

 要するに、各地方政府(及び地方の中国共産党幹部)は、各地方の利益のために勝手に動かないで、きちんと党中央の言うことを聞けよ、ということです。これは、逆に言えば、今、各地方が党中央の言うことを無視して勝手に動いていて困っている、という現状を表しているのだと思います。

 総論の中で習近平総書記は、外国の金融政策変更が中国に与えるインパクトについて指摘していますが、個々の項目の中に「レバレッジ率のコントロール」なども含まれていることを考えると、この日の「金融安全に関する集団学習会」開催の背景には、中国国内における経済のバブル化に対する危機意識があったことは間違いないと思います。それを考えると、今回の「集団学習会」で習近平総書記が示した「6項目の指示」は、私には、1990年3月に日本の大蔵省(当時)が出した「土地取引に関する総量規制」の行政指導がだぶって見えます。1990年3月の「土地取引に関する総量規制」の行政指導は、バブル対策だったのですけれども、後から見ると日本のバブルをはじけさせる切っ掛けであったとも言われています。

 今日(2017年4月29日(土)から、中国ではメーデーの春の連休期間に入ります。中国共産党が金融安全に対する集団学習会をメーデーの連休期間の直前というタイミングで開いたのは、金融機関や企業が休みになるのであわてて過激な反応することのないタイミングで「バブル対策をやるぞ」というメッセージを出すことにより、市場が冷静に受け止める時間を稼いだ高等戦術だった、と言えるかもしれません(たぶん、それは考え過ぎだと思いますけど)。

 いずれにせよ、秋の党大会へ向けて、いかにバブルをはじけさせることなく、やわらかくバブルの過熱を防ぐ方策を採っていくか、中国共産党にとっては、非常に微妙な舵取りを余儀なくされる難しい日々が続くと思います。

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2017年4月22日 (土)

李克強総理のテレビ登場が減ったと思っていたら

 今日(2017年4月22日(土))の「人民日報」1面トップ記事は、習近平主席が広西チワン族自治区を視察した時の様子を伝えるものでした。昨日(4月21日(金))の中国中央電視台の夜7時のニュース「新聞聯播」のトップ・ニュースも同じネタでした。中国では、国家指導者が地方を視察し、地元住民と言葉を交わす様子が「人民日報」に掲載されたり、テレビ・ニュースで報道されたりすることは、しょっちゅうあることですが、そこでちょっと気になったのは、中国共産党ナンバー2の李克強総理の地方視察のニュースを最近見てないなぁ、ということでした。

 中国共産党政治局常務委員(現在は7人)の日々の動向の記録は、「中国共産党新聞」のホームページの「高層動態」というところに載っているので、そこでチェックできます。そこには「会議への出席」「重要講話」「視察」「外国要人との会談」などの項目が載っています。そこで李克強総理のところをチェックしたら、李克強氏の前回の地方視察は、今年1月の雲南省、その前は去年10月のアモイ、その前は去年8月の江西省、その前は去年7月の湖北省武漢でした。一方、習近平主席は、前回は今年2月の北京(北京市南方の新空港建設現場への視察)、その前は今年1月の河北省張家口(2022年の冬のオリンピック・パラリンピック準備状況の視察)、その前は去年8月の青海省、その前は去年7月の河北省唐山でした。

 回数からすると、李克強氏、習近平氏ともにそれほど違いはないのですが、李克強氏の去年10月のアモイ訪問は、何かのセレモニーのついでの視察したので、「純粋な地方視察」ではなかったのと、今年に入ってからは習近平氏の方の地方視察ばかりが続いたので、私は「最近は、地方視察は習近平主席ばかりで、李克強総理の地方視察はあまり見ていないなぁ」という印象を持ってしまったようです。

 それに、これまでは李克強総理の「指定席」のようになっていた毎年冬にスイスで開かれるダボス会議(世界経済フォーラム)には今年は習近平主席が出席したし、毎年3月に海南島で開かれるボアオ・アジア・フォーラムには今年は張高麗副総理が出席したので、李克強総理の出番が減ったなぁ、という印象を私は持ったのでした。

 李克強総理は、3月の全人代では、政府活動報告や内外記者会見をこなしたし、3月にはオーストラリア・ニュージーランド訪問をやっていますし、原則毎週やっている国務院常務委員会を主宰していますので、テレビに登場しなくなったわけではないのですが、私には、李克強氏は、なんとなく「中国共産党ナンバー2」ではなく、「習近平氏ではない政治局常務委員の一人」になってしまったように感じられるようになりました。

 もう一つ言えば、毎年恒例の「植樹イベント」に李克強氏が参加しなかったことが気になっていました。「新聞聯播」では、毎年3月下旬頃に、政治局常務委員全員が北京の郊外で青少年ボランティアと一緒に植樹するという「緑化推進イベント」のニュースを放映します。毎年この季節恒例のイベントで、単に「春になりましたねぇ」という以上のニュース価値はないと思うのですが、今年の「植樹イベント」では、李克強氏だけが欠席だったので、私は「なんか変だなぁ」と思ったのでした。李克強氏は、このときオーストラリア・ニュージーランド訪問中だったので、「植樹イベント」に欠席でも何の不思議もなかったのですが、もしこの「植樹イベント」に「いろいろ派閥争いはあるが、政治局常務委員は全員仲良く仕事をしていますよ」というメッセージを中国の全国人民に伝える意味があるのだとしたら、政治局常務委員全員が参加できる日に設定すべきだったと思います。なのに「植樹イベント」をわざわざ李克強氏が参加できない日に設定したことは、それなりの「意図」があったのだろうなぁ、と私は思ったのでした。

 私が2007年4月~2009年7月に北京に駐在していた頃は、当時の胡錦濤主席と温家宝総理は、だいたい同じくらいの頻度でテレビに登場していた記憶があるし、この二人は常に非常によいコミュニケーションを取っていて、協調して政権運営に当たっていた、という印象を私は持っていました。それに比べると、今の習近平主席・李克強総理の政権では、テレビのニュースを見ていると、だんだんに、習近平主席の比重は大きく、李克強総理の比重は小さくなってきているなぁ、というのが私の印象です。

 と、ここまで書いてきて、今、今日(4月22日(土))の「新聞聯播」を見ていたら(日本でも「スカパー!」で見られます)、トップは広西チュワン族自治区訪問中の習近平氏がこの地区に展開する軍の部隊を訪問するニュースでしたが、二番目のニュースは李克強総理が山東省を視察しているニュースでした。この二人はまたまた全く同時期に全く別の地方を視察したようです。上に書いたように、去年8月にも、習近平氏が青海省に、李克強氏が江西省に全く同じ時期に視察したことがあり、地方視察においても、「張り合う二人」の状況は変わっていないようです(胡錦濤・温家宝時代は、四川省大地震対応などの特殊な事情がある場合を除いては、二人が同時に北京を空けて地方を視察するということはありませんでした)。

 先日、「選挙」で香港行政長官に「選出」された林鄭月娥氏が北京に来た時も、習近平主席と李克強総理は別々に林鄭氏と会っており、二人の両方ともが「北京行政府のトップは私だ」と思っている状況は変わっていないようです。

 もっとも、習近平主席の広西チワン族自治区訪問については、昨日のニュースでは国家主席としての視察、今日のニュースでは中国共産党軍事委員会主席としての視察のニュースだったのに対し、李克強氏の山東省訪問についてのニュースはたぶん今日だけだと思うので、二人の間に「ニュースに登場する時間の差」は既に明らかについていると思います(ちなみに、今日(4月22日(土))の放送では、習近平氏のニュースが約6分間、李克強氏のニュースが約3分間でしたので、今の時点では既に「軍配」は習近平氏の方に上がっているようです)。

 もし、現時点で、「来年3月の全人代での李克強氏の国務院総理からの降板(おそらくは全人代常務委員会委員長(=名誉職的意味があるが行政権限としては国務院総理よりは影響力を行使できない)への転出)が「既に決まった路線」であるならば、李克強氏のテレビ・ニュースへの出方はもっと減っていると思うので、現時点では、実際、まだ決まっていないのかもしれません。だとすると、秋の党大会本番まで、まだ「揉める」可能性もあるわけで、中国の政治情勢はまだ目が離せないようです(李克強氏が来年(2018年)以降も国務院総理を続けるかどうかの「結論」については、たぶん引退した幹部らも参加する8月の「北戴河会議」が最後の「ヤマ場」になるのでしょう)。

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2017年4月15日 (土)

「雄安新区」は21世紀版の「都(みやこ)造り」

 「人民日報」では、北京の「非首都機能」を移転して河北省に新しい都市「雄安新区」を設置するプロジェクトについて、昨日(2017年4月14日)も今日(4月15日)も大きく紙面を割いて解説記事を載せていました。昨日は、1面トップと2面の全部を使って「雄安新区」設立決定に至る中国共産党内での議論について長々と解説していましたし、今日は、2面の3分の1を使って「雄安新区」に関する張高麗副総理へのインタビュー記事を掲載していました。

 昨日(4月14日)付けの記事で私が印象に残ったのは、以下の記述です。

「構想の一番上にあるのは、志は千年にある、ということ。

西暦1153年、金は燕京(北京の旧名)に都を置き、北京という都市の860年以上の都(みやこ)としての歴史を開始させた。

西暦2017年、河北省の雄安新区の計画が決まり、北京という都市のさらに新しい一ページが開かれることになる。」

「『このことは確実に千年の大計、国家の大事である』。北京の副都心と雄安新区の計画的建設は、千年の歴史の検証を通じて行われなければならず、これは我々の世代の中国共産党の人々が子孫の代に対して遺す歴史的遺産である、と習近平氏は強調した。」

 この記事の後の方に、外国における新都市建設の例のひとつとして、日本の筑波研究学園都市も掲げられているのですが、日本が筑波に研究学園都市を作った時には、上に紹介した「人民日報」の記事が書いているような「千年の大計、国家の大事」と強調するほどに「大げさな」表現は使わなかったと思うなぁ、と私は感じました。

 上の記事にも垣間見えますが、この「雄安新区」という都市建設プロジェクトは、習近平氏のリーダーシップで打ち立てられた、ということが相当強く強調されています。

 今日(4月15日)付け「人民日報」紙面にある張高麗副総理に対するインタビュー記事で、張高麗氏は、次のように「習近平総書記自らが・・・」と何度も繰り返して強調しています。

 「『雄安新区』設立の決定は、習近平総書記自らが企画し、自らの決定の下で推進し、習近平主席自らが大いに心血を注いだものであり、習近平総書記の本件を担当する使命感と深い戦略的眼光と超越的な政治的知恵とを大いに体現したものである。」

 「自らが・・・」の部分は、中国語では「親自」ですが、日本語としては「御自ら(おんみずから)」と訳した方がいいのかもしれませんね。ここの部分「偉大なる習近平総書記様が、おそれおおいことに、御自らの手で進められまして・・・」というふうに聞こえるので、ちょっと鼻白む感じもします。

 昨日(4月14日)の「人民日報」の1面トップの記事では、習近平総書記自身が「雄安新区」の現地で大きな地図を前に回りの人たちに指差して指示している写真が掲載されています。時期が時期だけに、私は、この写真を見て「習近平総書記は、北朝鮮のキム・ジョンウン委員長と同じになってしまったのか」と思わずため息が出てしまいました(1980年代の改革・開放政策初期の中国を知る私は「中国は近代的な国家として歩み始めており、北朝鮮とは全然違うのだ」と信じていたいのですけどね)。

 古今東西、政治家が自らの権力掌握を誇示するために「都(みやこ)造り」を発案し、実行することはよくあることです。日本では、平城京、平安京への遷都や平清盛の福原遷都もそうでしょう。明治政府が京都から東京に首都を移したのも、同じ発想でしょう。中国の歴史でもそうした例は山ほどありますが、一番目に付くのは、やはり明王朝の三代目・永楽帝(明の創始者・洪武帝の四男)が都を南京から今の北京に遷したことでしょうね。永楽帝は、初代・洪武帝の長男の子の二代・建文帝と戦って帝位を得ましたが、自らの権力掌握を誇示するために、南京にあった首都を自らの勢力基盤のあった北京に遷したのでした。

 「雄安新区」については、「(トウ小平氏の)深セン特区、(江沢民氏の)上海浦東新区に次ぐ国家的都市建設」と強調されています。同じ「三代目」なので、中国共産党自身が「雄安新区」の設立について、明の永楽帝による北京遷都を意識している可能性があります。中国共産党総書記には、トウ小平氏時代の胡耀邦・趙紫陽氏の後は、江沢民氏、胡錦濤氏、習近平氏が順に就任しています。1989年の「六四天安門事件」で失脚した趙紫陽氏は「いないこと」になっていると考えれば、習近平氏は「四代目」です。ここで「トウ小平時代、江沢民時代に次いで三代目」と強調することは、暗に「三代目の胡錦濤氏は後世に残る実績を残さなかったのでいなかったのと同じ」と主張しているようにも見えるので、習近平氏が設立を決めた「雄安新区」について「三つ目」を強調するのは、政治的に大きな意味があるのかもしれません(胡錦濤氏及び胡錦濤氏に近い勢力(=李克強総理も含む))は、いないのと同じですよ、と聞こえるので)。

 永楽帝は、政敵を残虐に粛清するとともに明の版図を当時としては最大に拡大し、海洋についても宦官の鄭和に大航海を命じるなど、陸と海において中国の勢力圏を大いに広めた皇帝として有名です。腐敗した勢力を徹底的に排除し、周辺諸国に中国の影響力を誇示する「一帯一路」構想に熱心なところをみると、もしかすると習近平氏は、本気で自らを永楽帝になぞらえようとしているのかもしれません。

 上に紹介した張高麗副首相の発言で「習近平総書記自らが・・・」と何回も強調しているところは、自分の上司におべっかを使っているようにも聞こえますが、別の見方をすれば、「雄安新区」のプロジェクトが仮にうまく行かなかったらそれは習近平氏お一人の責任ですからね(中国共産党全体の失策ではない)、と念を押しているようにも聞こえます。

 習近平氏の代になってから、全人代などの会議で総書記が座る席は、中央の階段の前になりました。以前は、総書記を真正面からカメラで捉えると、後列に座っている政治局員の顔が複数映っていたのですが、今の総書記の席は階段の前なので、習近平氏の後ろには階段が見えるだけで、他の中国共産党幹部の顔はカメラのフレームには入ってきません。「習近平氏は他の中国共産党幹部とは別格で偉いのだ」というイメージを作りたいのかもしれませんが、私には「習近平氏がふと振り向くと、後ろには誰もいなかったのだった」という状況なのだ、というふうに見えてしまいます。習近平氏が皇帝のように権力を集中させることは、逆に何か情勢が変化した時に自分だけが孤立してしまう(面従腹背だった取り巻き連中が途端にそっぽを向く)危険性をはらんでいると思います。

 「一帯一路」「中華民族の偉大な復活」を強調し続ける中で、今回「雄安新区」を「千年大計・国家大事」と強調している状況を見てみると、習近平氏は、まるで中華人民共和国を明・清の時代の「中華帝国」にし、自らがその「皇帝」になろうとしているように見えます。しかし、おそらく21世紀という時代に生きる中国人民は、「中華帝国」や「皇帝」の復活は認めないと思います。習近平氏は、そのあたりはよくわかっていると思いますが、ぜひ21世紀という現代にマッチした政治を遂行して欲しいと思います。

(注)「雄安新区」に関しては、李克強総理の影が非常に薄いことも重要です。「雄安新区」の推進は、秋の中国共産党大会へ向けて、李克強氏のフェード・アウト(段階的引退)のためのひとつの動きの一環である可能性があります。

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2017年4月 8日 (土)

「雄安新区」は「最後のバブル先送り策」か

 日本時間の今朝(2017年4月8日朝)まで、アメリカのフロリダで二日間にわたって米中首脳会談が開かれていました。おそらく習近平主席としては、ここでトランプ大統領と二人並んでテレビの前に登場することにより、「これからの世界はこの二つの大国がリードしていくのだ」と示したかったのだと思います。ところが、まさに習近平主席との夕食会をやっている最中にトランプ大統領は化学兵器を使用したとしてシリアにミサイル攻撃を実施し、世界の目は習近平主席との米中首脳会談よりもシリア情勢の方に向いてしまいました。習近平主席はタイミング的に「運が悪かった」と言えますが、心の中では「トランプ大統領にメンツを潰された」と感じたと思います。

 今回の米中首脳会談では、会談終了後の共同記者会見はありませんでした。通常、政治家は、会談の成果を自国民にアピールしたいと思うのが普通で、そのための舞台装置として、会談後の共同記者会見は重要なイベントであるはずです。それが今回共同記者会見が設定されなかったのは、中国側が首脳会談中のシリアへのミサイル攻撃を快く思わなかったためかもしれません(共同記者会見を開かないことにより、中国側は国際社会に対してアメリカによるシリアへのミサイル攻撃に賛成しない、との意思表示をした、とも捉えられると思います)。

 また、報道によれば、米中貿易問題については、両首脳は中国の対米貿易黒字是正に関して議論する「100日計画」の設置で合意した、とのことです。表面上は、習近平主席がトランプ大統領の要請を受け入れた格好になっており、習近平主席がトランプ大統領から「一本取った」という部分はなかったように見えます。

 こうした結果を見ると、習近平主席にとっては、今回のトランプ大統領との会談については、当初中国国内向けにアピールしたいと考えていた「米中首脳会談の成果」はあまり得られなかったのではないかと思います(実際、今日(4月8日)の中国中央電視台夜7時のニュース「新聞聯播」では、米中首脳会談関連のニュースは、夫人の活動の部分も含めて9分間程度であり、習近平主席の主要国訪問時のニュースにしては異様に短かったと私は感じました。イギリス訪問時には、いつもの放送時間(30分間)を延長して長々報じていた記憶があります)。

 今回の米中首脳会談は、おそらくは中国側から会談実現を要望したものと思われますが、習近平主席がこの時期にトランプ大統領に会いたいと考えたのは、国内的に、今年秋に開かれる中国共産党大会へ向けて、外交面で成果を上げ、自分の存在感をよりいっそうアピールしたかったからだと思います。

 同じ理由で国内政策の面でも習近平主席のリーダーシップを強調するのを目的とするような決定が先週なされました。それは、4月1日に中国共産党中央と国務院が決定した「雄安新区設立の決定」です。この決定は、肥大化する北京の政治的首都機能以外の機能を分散させるため、北京の南に位置する河北省の雄県、容城、安新の三つの県と周辺地区に新しい都市を建設する、というものです。

 「雄安新区」の具体的な姿はまだ必ずしも明確ではありませんが、「人民日報」の記事によると、以下のようなキーワードがちりばめられています。

○「世界一流の」「グリーンで」「近代的な」「インテリジェントな(中国語で「知恵」)」都市を建設する。

○生態環境に優れ、青と緑が織りなす、清新で明るい、水と都市が融合した生態都市(エコ・シティ)を造る。

○先端的で高度な新産業を発展させ、イノベーションの基となる資源を集積し、新しい運動エネルギーを培う。

○優れた公共サービスを提供し、優れた公共施設を建設し、都市管理の新しいモデルを創る。

○高速・高効率交通網を整備し、グリーンな交通体系を打ち立てる。

○規制改革を行い、資源配分においてマーケット・メカニズムに力を発揮させるとともに、政府の役割をよりよく発揮させ、市場活力の活性化を図る。

○全方位に対外開放を拡大し、新しく高度な開放を拡大して、外国との協力の新しいプラットフォームを造る。

 これらのキーワードから想像するに、例えば日本の筑波研究学園都市や韓国のテジョン(太田)広域市のように大学や政府系研究機関を政策的に集中立地することにより、先端産業の企業が立地するような都市を目指すのかもしれません。

 北京では、市の北西部に位置する北京大学・清華大学のキャンパスとその周辺の中国科学院の研究所群を中心にハイテク企業等が急速に集積するようになった中関村地区が既に有名です。しかし、北京は街全体が「世界遺産」みたいな街ですので、中心部(第二環状路の内側)では高層ビルの建設が制限されていますし、東京の首都高のような高速道路も作れません(日本では京都を想像するとよいと思います)。従って、北京の市街地周辺では発展の余地が限られるので、北京の市街地の南方に新しい空港を建設中であることも考慮して、北京南方の河北省の平原地帯に人工的に新しい都市を作ろうという考えなのかもしれません。

 こうした新しい都市を作るという政策は、悪くない考え方ですし、あってもいいと思うのですが、打ち出し方がかなり「わざとらしいくらい大仰」です。「大仰さ」をわかってもらうために、決定を報じる4月2日付け「人民日報」1面の記事の冒頭をそのまま訳してみましょう(「2017年4月1日北京発新華社電」です)。

「数日前、中国共産党中央と国務院は、河北雄安新区の設立を決定したとの通知を発した。これは、習近平同志を核心とする党中央が作り出したひとつの重大な歴史的戦略の選択であり、深セン経済特区と上海浦東新区に続く全国的に意義のある新区であり、千年の大計、国家の大事である。」

 ここの部分について、日本の新聞などは、「習近平同志を核心とする党中央」というフレーズを使うとともに、1980年代にトウ小平氏が設立を決めた深セン経済特区と1990年代に江沢民氏が設立を決めた上海浦東新区に次ぐ新区、と表現することにより、習近平主席がトウ小平氏、江沢民氏に次ぐ偉大な指導者なのだ、ということを強調するものだ、と論じています。私の個人的な感覚としては、この新区建設は確かに巨大なプロジェクトだとは思いますが「千年の大計、国家の大事」というのは、さすがに大げさ過ぎる表現だと思います。まるで、習近平主席を、南京から北京に首都を移した明の第三代皇帝・永楽帝になぞらえているように見えます。

 「人民日報」は、4月2日付け紙面の1面で「雄安新区」の設立決定を伝えて以降、今日(4月8日)付け紙面まで、連日「雄安新区」に関する解説記事を掲載しています。「新しい開発区の設立を決定した」というニュースにしては「人民日報」の扱いが「重すぎる」ことは、この「雄安新区設立」は、日本の新聞が解説しているように、「習近平主席のリーダーシップを強調する」という政治的目的が強いことを示していると思います。

 中国では、4月4日まで「清明節」の連休でしたが、連休明けの上海株式市場は、この「雄安新区」設立決定をはやして連日上昇しました。ロシア・サンクトペテルブルクでの地下鉄爆破テロや北朝鮮による弾道ミサイル発射、さらにはアメリカによるシリアへのミサイル攻撃があり、日本の株式市場は右往左往して株価は相当に下げましたが、上海の株式市場は、世界の動きとは関係なく上昇しました。「雄安新区」という「新しい金の成る木」が相当にうれしかったようです(というか、習近平政権は意図的にそういう株価上昇を狙ったのでしょう。トランプ大統領との会談を前にして株価が下がったのでは、習近平主席の立つ瀬がありませんので。本来ならば、併せてトランプ大統領との首脳会談の成功を大々的に宣伝したかったのでしょうが、米中首脳会談の方は冒頭に書いたように習近平主席の思うようには運ばなかったようです)。

 一方、「雄安新区」設立決定の発表により、関連地区では有象無象の不動産投機マネーが動き始めているようです。報道によれば、張高麗副首相は、「雄安新区」地域での不動産開発を厳しく管理するよう指示した、とのことです。ただ、2008年11月のリーマン・ショック対策のために実施した「四兆元の経済対策」の時も、始めた時は「バブルにならないように厳しく管理する」と言っていましたが、結局はバブル化しましたので、今回の「雄安新区」も「新しいバブルのネタ」になることは間違いないと思います。

 私は、2008年の「四兆元の経済対策」が発表された時「史上最大のバブルの予感」と書きました(このブログの2008年11月28日付け記事「『史上最大のバブル』の予感」参照)。「四兆元の経済対策」の結果として肥大化した鉄鋼業やセメント業については、去年(2016年)3月の全人代の段階では「生産能力過剰産業の削減」を強く打ち出しましたが、今年秋の党大会を前にして大規模な人員削減をするわけにもいかず、結局は「次のバブルの計画」を打ち出すことによって、2008年から始まったバブルの問題を先送りすることにした、と言えると思います。

 今まで中国はこうした「バブルの先送り」を過去に何回もやってきましたので、「あ、またか」という気もしないでもないのですが、さすがに今回の「雄安新区」は「最後のバブル先送り策」になると私は思います。その理由は、中国の人々自身がこの「雄安新区」の設立について「問題となっているバブルを先送りするためのものだ」と考えていると思われるからです。

 4月6日付け「人民日報」3面には「雄安新区」に関する河北省党書記の趙克志氏の話が掲載されていますが、趙克志書記はわざわざ「新区は、イノベーションの盛んな地域になるのであって、不動産で投機をやったり金儲けをしたりする場所ではない」と発言しています(後半部分の中国語は「不是炒房淘金的地方」。「房」はマンション、「炒」は「中華鍋で炒めるように売ったり買ったりすること」。「淘金」は砂金を探すこと。)。河北省党書記がわざわざこう言っている(かつ、それを「人民日報」が掲載している)ということは、中国の人々の多くが「雄安新区」は、マンションで投機したり、金儲けをしたりする場所だと思っているからでしょう。

 東京オリンピック・パラリンピックの次は万博だ、カジノだと言っている日本もエライコトは言えないのですが、「雄安新区」のような「土地開発」にばかり力を入れているようでは、中国経済の先行きはないと思います。過去の膨大な「土地開発」に投入された資金が「借金」として積み上がっていて全然回収される見込みのない現状において、また新たに巨大な「雄安新区」の構想を打ち出してどうしようというのでしょうか。今年秋の共産党大会までは、中国の人々は「雄安新区」がバラまいた夢を見ながら過ごすのでしょうが、共産党大会が終わって夢が覚めた時、中国経済がどうなるのか、相当に心配です。

 中国共産党の幹部の方々は「習近平主席は核心だ」と習近平氏をおだてておいて、バブルがはじけるタイミングになると「全ては習近平主席の指示だった。私はその指示に従っていただけだ。」と言って逃げることになるのかもしれませんね。「バブルの先送り策」がどうなるかについて最も用心しなければならないのは、もしかすると習近平主席自身なのかもしれません。

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2017年4月 1日 (土)

香港「残された時間」の5分の2が既に経過

 先週の日曜日(2017年3月26日)に行われた選挙人による選挙において香港の行政長官に林鄭月娥氏が当選しました。北京政府が林鄭氏を支持していたと伝えられていましたので「予想通り」の結果でした。

 香港は1997年にイギリスから中国に返還されました。香港返還を定めた1984年の中英共同声明においては「香港における資本主義制度は返還後50年間維持する」ことが合意されていました。今年(2017年)で、その「50年間」のうち5分の2が経過することになります。

 1980年代前半、サッチャー首相率いるイギリスと最高実力者トウ小平氏が牛耳っていた当時の中国とが香港返還について協議している頃、私は中国との通商貿易を担当する部署で仕事をしていましたが、当時は「香港が返還される1997年の50年後は2047年であり、その頃には世界も中国も想像できないほど変わっているだろう。だから、2047年の時点では、香港と大陸部の中国は円滑な形で融合することになるだろう。」と漫然と思っていました。世の中の多くの人は(香港に住んでいる人でさえ)そう思っていたのではないかと思います。

 しかし、中英共同声明で香港返還が合意されて今年で33年が経過しますが、中国と香港を取り巻く状況は全然進歩していません。

 10年前の2007年4月、私は二回目の北京駐在を開始しました。その時点ですら「10年経てば香港の状況は少しは変わるかもしれないなぁ。」とうっすらと思っていました。実際、2007年12月、全人代が「2017年の第5期の行政長官と全ての立法議会議員に対する直接選挙を実施することを認識した上で、2012年には行政長官と職能団体推薦枠議員に関する直接選挙は行わない」との決定を行ったことから、一部で、2017年には香港で住民による直接選挙が行われるのではないか、との期待が生まれました。

 しかし、2017年の行政長官選挙について、中国政府は住民による直接投票を実施する方針ではあったものの立候補者に対して様々な条件を課す方針だったため、「実質的な制限選挙だ」と反発する香港市民も多く、2014年秋の自由選挙を求める香港住民による「雨傘運動」を経て、結局は選挙方法の改正は行われず、2017年の行政長官選挙は従来通りの方法で行われました。こうした経緯を踏まえると、当面、香港における選挙は従来通りのやり方(一定の条件の下に立候補した候補者に対する選挙人による投票=住民による直接投票ではない)が継続する可能性が高まったと私は思います。結局のところ、中英共同声明が定めた「資本主義制度の維持」の期限である2047年まであと30年ですが、たぶんそれまで何も変わらないのかもしれません。

 1980年代と今とを比べると、旧ソ連は崩壊して冷戦は終わり、ヨーロッパでは今はイギリスがEUからの離脱を宣言し、自由主義経済の雄だと思っていたアメリカの大統領が今は保護主義を唱える時代になっています。世界はこれだけ激動しているのに「中国共産党が支配する中国」は本質的には全然変わっていません(もちろん中国は、経済的には発展し、社会は大きく変革しましたが、政治体制は基本的に全く微動だにしていません。逆に最近は習近平氏の「皇帝化」が進んでいて時代が逆行しているようにさえ感じます)。

 中国は大きな国ですので、変わるためには相当長い時間が必要なのかもしれません。例えば、1861年に西太后が清の実権を握りましたが、この時点で、既に列強各国による中国の半植民地化は進みつつあり、清朝の政権はもう長くはないような状況だったのに、実際に清朝が倒れたのは1911年の辛亥革命によってでした。西太后の権力掌握は50年近く続いたのでした。それを考えると、2047年までのこれからの30年間、香港の状況は本質的には何も変わらないまま継続するのかもしれません。

 問題は、今の状態が今後も相当期間変わらないだろうと思われる(しかも2047年以降はどうなるかわからない)香港の状況について、香港に住んでいる人々がどう考えるか、香港で経済活動を展開している外国企業がどう考えるか、です。一定程度の資産を持って香港経済を支えている香港の人の中には、2047年以降は、香港も大陸と同じような政治制度に組み込まれるのではないかと考えて、その前に香港を脱出しようと考えている人がいるかもしれません。また、今後、香港で活動する外国企業の中には「2047年以降」を見据えて、企業戦略を考え始めるところが出てきてもおかしくありません。

 幸か不幸か、香港に住んでいる人々は、自分たちと全く同じような文化を持った人々が台湾やシンガポールで自由な経済活動を享受していることをよく知っています。アメリカや日本にも中華系の経済人がたくさんいます。2047年へ向けて、今後、北京政府は「香港の大陸化」を進めて行くかもしれませんが、そういう圧力を強めれば強めるほど、特に経済的に力を持っている香港の人々(及び香港に拠点を置く外国企業)は、香港を離れて行ってしまうことになるでしょう。

 もしかすると、香港の人々にとっても北京政府にとっても、香港については「今と全く同じ状況が今後も(場合によっては2047年以降も)続く」ことが最も好ましい選択肢なのかもしれません。ただし、ヨーロッパやアメリカを含めた世界が少しずつ変化していく中で「あと何十年も今と同じ状態を続けること」が本当に中国と香港にとってよい選択肢なのかどうかはわかりません。

 少なくとも、私の個人的な感覚としては、「将来はきっとよい方向に変わるだろう」と思っていた1980年代の自分の気持ちと2017年の現実との違いを突きつけられて、相当に「残念だなぁ」という「気分」が強いことは否定はできません。私としては、やはり「未来は今よりきっとよくなる」と思い続けていたいと思うので。

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