« G20における李克強総理の出番 | トップページ | 李克強総理はアメリカで何を語るか »

2016年9月10日 (土)

李克強総理の二国間会談は白黒写真

 結局、先に開かれた杭州でのG20首脳会議関連行事には、国務院総理の李克強氏は全く登場しませんでした。よく今回のG20は「中国が国を挙げて威信を賭けて開催した」と表現されますが、登場したのは習近平主席だけだったので「習近平主席がその威信を賭けて開催した」と表現した方がよかったようですね。

 とは言っても、現時点では李克強総理は中国共産党政権のナンバー2の地位を追われたわけでもなんでもありません。それどころか、G20首脳会議に引き続くスケジュールでラオスのビエンチャンで開かれた「ASEAN+3首脳会議」と「東アジア首脳会議(EAS)」には、李克強総理は「中国政府代表」として習近平主席と入れ替わるようにして出席しています(ちなみに、日本の安倍総理、韓国のパク・クネ大統領、アメリカのオバマ大統領は、G20に出席した後、ビエンチャンでの会議に出席するため、杭州からビエンチャンにぞろぞろと移動しています)。

(注)今、G20のほか、「ASEAN+3」「東アジア首脳会議」「APEC首脳会議」など各国首脳が参加する国際会議が覚えられないくらいの数ありますが、誰が出るかは各国ごとに、またその年の状況に応じて変わります。日本の安倍総理の場合は「皆勤賞」ですが、中国の場合、これまでも習近平主席と李克強総理が「手分けして」各種会議に参加することはよくあったので、今回、杭州での「G20」に習近平主席が、ビエンチャンでの「ASEAN+3」と「東アジア首脳会議」に李克強総理が手分けして参加したこと自体には不自然さはありません。

 ただ、今回、一連の外交案件に関する報道を見ていて気になったのは、「人民日報」での習近平主席と李克強総理に対する扱い方の違いです。二人とも、今回の国際会議の機会を捉えて、いろいろな国々の首脳と二国間会談を行っていますが、習近平主席が杭州で行った二国間首脳会談については、「人民日報」はカラー写真入りで大々的に報じていた一方、李克強総理の出番については、「人民日報」は「ASEAN+3」の会議自体やラオスでの歓迎行事での李克強総理についてはカラー写真で報じていますが、二国間首脳会談については、二面に白黒写真で紹介しているのに留まりました。

 習近平主席の会談相手がアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、韓国などの首脳だったのに対し、李克強総理が会談したのは、マレーシア、オーストラリア、ラオスなどの首脳だったので、紙面上の扱いの違いは「相手国と中国との関係の重要性に基づくものであって、習近平主席と李克強総理とをことさら差を付けて扱っているわけではない」というのがおそらくは公式見解なのでしょう。ただ、カラーの映画やドラマの中に出てくる白黒のシーンは「昔の回想シーン」なので、二国間首脳会談について、習近平主席がカラー写真、李克強総理が白黒写真だと、まるで「李克強総理は既に過去の人なのだ」ということを中国人民に宣伝しているのと同じではないか、と私は思ってしまったのでした。

 日本の新聞等でも報道されているとおり、今回の杭州での習近平主席との二国間会談では両国の国旗の前で話をする両国首脳の写真が「人民日報」に掲載されるのが一般的だった中で、日本の安倍総理との会談についてだけは国旗が映らないアングルでの写真が掲載されました(随員の話では、会談を行った部屋には両国の国旗はあったそうです)。掲載する写真によって、日本は他の国とは扱いが違うのだ、ということを中国人民に広く知らせたかったのでしょう。「人民日報」の写真の掲載の仕方にそういう意図があるのだとしたら、習近平主席による二国間会談の写真はカラー、李克強総理による二国間会談の写真は白黒、という選択をした「人民日報」には、それなりの意図があった、と考えるべきだと私は思います。

 ちなみに、昨日(2016年9月9日(金))の中国中央電視台の夜7時のニュース「新聞聯播」では、もちろんラオス・ビエンチャンでの李克強総理とマレーシアの首相などとの首脳会談などのニュースは流したのですが、順番としては二番目で、この日のトップニュースは「習近平主席が北京市内の八一学校を視察した」というニュースでした(しかも、30分間のうち冒頭の15分くらいがこのニュース)。9月10日が「中国教師の日」なので、その日を前にして習近平主席が学校を視察したらしいのですが、ネットで調べたら「北京八一学校」とは習近平主席が通っていた小中学校なのだそうです。「習近平主席に対する個人崇拝」のにおいがプンプンするニュースでした。

 実は、この日(2016年9月9日)は、毛沢東主席が亡くなってから40年目の日だったのですが、「新聞聯播」では毛沢東主席については全く何も触れませんでした。私は「毛沢東の命日の件はどのように扱うのか」という頭でニュースを見ていたところに、習近平主席の母校の小中学校訪問のニュースを長々とやったので、「習近平主席に対する個人崇拝」のにおいがプンプンする、と感じてしまったのでした。

 最近、「人民日報」の記事の見出しや「新聞聯播」に出てくる人の話に「習主席」という言い方があるのが私は気になっています。私の個人的な印象ですが、毛沢東については長年にわたり中国共産党の主席だったので「毛主席」という言い方は「普通」ですが、最近の国家主席(李先念、楊尚昆、江沢民、胡錦濤)については「名字だけ+主席」という言い方は少なくとも私はあまり聞いたことはありません。私には「毛主席」という言葉は毛沢東に対する特別の敬意(あるいは畏怖)を含んでいる、という印象があるので、他の人にはあまり使わないのだ、と思っていました。なので、「習主席」という言い方には、私はかなり違和感を感じるのです。

 さらに、今日(2016年9月10日(土))の「新聞聯播」では、ラオス・ビエンチャンでの李克強総理とラオスの首相との会談のニュースに引き続き、南寧で開かれている中国-ASEANシンポジウムに出席するため訪中しているベトナムの首相とカンボジアの首相が張高麗副総理(党政治局常務委員)と会談するニュースを流していました。これらのニュースを続けて見せられると「李克強氏と張高麗氏は同じ党政治局常務委員に過ぎない」というイメージを受けてしまいます。つまり一連のニュースが「李克強氏は党政治局常務委員の一人であって、特別に偉いわけじゃない」というイメージづくりを意図しているのではないかと思えてしまうのです。

 このようにして今後「習近平氏=唯一の最高のトップ」「李克強氏=その他大勢の有力者の中の一人」というイメージが強く打ち出されていくことになるのかもしれません。そうだとすれば、それは李克強氏は来年(2017年)秋の中国共産党大会での人事を経て2018年3月の全人代で国務院総理を退任する、という道筋を意味することになるのかもしれません。

 なお、先週のこのブログの記事で、(もし李克強総理が来年(2017年)の党大会後、国務院総理を退くようなことになるのであれば)「後任の国務院総理は誰がやるのか?」「中国マクロ経済政策運営の実務の『要』である周小川中国人民銀行総裁の去就はどうなるのか?」と書きました。後半は私の杞憂だったかもしれません。というのは、周小川氏は、杭州でのG20首脳会議に参加していたからです。習近平氏がG20首脳会議の開幕式での開会宣言をする際、周小川氏は習近平主席の後ろに「随員」として座っていました。この様子をテレビのニュースで見て、私は、G20首脳会議開幕式の時、周小川氏を習近平主席のすぐ後ろに座らせて、テレビカメラで一緒に映るようにしたのは、「仮に李克強氏が国務院総理を辞めることになっても、周小川氏は中国人民銀行総裁は辞めませんからね」という世界に向けたメッセージなのではないか、と勝手に思ってしまったのでした。

|

« G20における李克強総理の出番 | トップページ | 李克強総理はアメリカで何を語るか »

コメント

習主席という言い方は、毛沢東の名にあやかりたいという習主席の人民に対する戦略でしょう。
いよいよ習主席の独裁固めというところか・・・。

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2016年9月16日 (金) 09時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« G20における李克強総理の出番 | トップページ | 李克強総理はアメリカで何を語るか »