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2016年6月11日 (土)

「人民公社はなぜ失敗したか」はもっと研究されるべきなのに

 現在の中国では、過去の中国共産党政権の政策の是非を客観的に議論することはできないので、「人民公社はなぜ失敗したか」について客観的な議論がなされていないことを私は非常に残念に思っています。というのは、「人民公社」というひとつの理想的制度がなぜ実際にはうまく行かなかったかについては、中国に限らず、世界各国において、様々な政策の選択肢を考える上で、非常に貴重な教訓を含んでいると思うからです。

 「人民公社」は、1958年に始められ、「文化大革命」期には社会の中核的存在でしたが、1976年の「文化大革命」の終了後には批判的に捉えられるようになり、「改革開放」政策が開始された後、1982年に完全に解体されました。

 「人民公社」は、農村における農業の共同経営を行う経済的主体であると同時に、地方行政組織(「村」とか「鎮」とかに相当するもの)でもありました。

(注1)日本語では「電電公社」などの使い方があるので誤解する人も多いのですが、中国語の「公社」は、フランス語の「コミューン」の中国語訳で「人民による自治組織」という意味です。

 「人民公社」では、農作業は共同で行われ、「人民公社」全体の収穫に応じて、公社のメンバー(=村民)に報酬(平等を原則とする)が支払われました。公社のメンバーの住居は「人民公社」が用意し、幼児の保育、こどもの学校、病院、引退後の高齢者の世話なども「人民公社」が担当しました。女性を家事労働から解放する目的で「公共食堂」が設けられ、公社のメンバーは基本的に「公共食堂」でみんなで一緒に食事をしました。つまり現代社会において行政が担当する教育や社会福祉を全て農業生産の主体である「人民公社」が担っていたのでした。公社のメンバーは、皆、等しくこれらの「ゆりかごから墓場まで」網羅する完璧な教育や社会福祉のサービスを受けることができました。これは毛沢東が思い描いた共産主義的「ユートピア」でした。

(注2)中国では同様の考え方が農業以外の企業体(組織体)でも行われていました。国有企業や行政機関などは、職員の住居を用意するとともに、職員の居住区域近くに幼稚園、学校、病院、退職後職員の住居などを持つことが普通でした。現在でも、例えば、国立大学のキャンパス内には既に退職した元教授や元職員が大勢住んでいて、この人たちをどうするか(一般のマンションは非常に高価なので、元教授や元職員にキャンパスから出て行ってくれ、とも言えない)が問題になっていたりします。

 この「人民公社」の制度は、灌漑設備の整備や収穫期の共同作業など、地域共同体がないと経営できないという農業が持つ特殊性を踏まえた制度でした(この農業が持つ特徴は、各農家の戸別経営が原則である日本においても、農業協同組合が担う役割が大きいなど、世界各国の農業の制度を考える上で重要な視点です)。

 しかし、この「ユートピア」である「人民公社」には次のような問題点がありました。

○全ての公社メンバーが平等を原則として報酬を受け取るので(頑張っても頑張らなくても報酬は同じなので)、労働のインセンティブ(やる気)が沸かず、生産性が向上しなかった。初期の頃、自宅周辺の空き地に各戸の責任で農作物を作ることが認められていた。これを「自留地」と呼ぶが、「自留地」では、頑張っただけ収穫することが認められていたので、「自留地」の農作物はよく実り、公社の田畑の農作物は収穫量が少ないという現象が見られた。後期には「自留地」は「資本主義のしっぽ」として批判されて禁止されるようになった。

○どの「人民公社」も目的は「公社のメンバーを食わせること」であり、「売れる農作物を作ろう」という発想はなかったので、社会全体として農業が発展しなかった(今の言葉で言えば経営上のイノベーションが生まれなかった)。「人民公社」が解体された後で、各農家が、例えば、大都市近郊に位置する村では鶏卵の生産に力を入れる、とか、その土地の環境に合わせてニンニクなどの「特産品」に力を入れるとか、した結果、中国全体で農業の活性化が進んだことを踏まえれば、「人民公社」制度は農業におけるイノベーションを生み出す上ではむしろ阻害要因だったのである。

○「公共食堂」では、食べ物は共有だったため、コスト意識が働かず、大量の食糧が無駄に使われた。

○「公共食堂」の制度については、「メシくらい自分の家で女房とこどもと一緒に食いたい」といった生活のプライバシーに関する農民の素朴な希望を無視するものだった。

 このような問題点があったため、毛沢東が死去して、「文化大革命」が終わると、農村では、「人民公社」は解体され、各農家が各戸の責任で農業生産を行う「責任請負生産制」が行われるようになりました(各農家は、農地の所有権は持っていないので、農地を村から借りて生産を請け負う、という形になった)。

(注3)共産主義革命が起こる前の中国では、少数の大土地所有者が多数の小作人から小作料を厳しく徴収していて、小作人らには常に飢餓の危機がありました。毛沢東が起こした共産主義革命の目的は「中国の農民を皆平等な存在にし、皆にメシを食わせること」であったことを考えれば、「人民公社」は毛沢東の目的を達成した存在であった、と言うことができます。「農業の生産性を上げる」とか「中国全体で農業を活性化させる」といった話は、「全ての農民がメシを食えるようになった後に考える話」ですので、「人民公社」が解体されたのは、「人民公社は誤りだったから」ではなく、「中国が人民公社を必要としない時代に進んだからだ」と考えるべきなのかもしれません。

 「人民公社」の制度が「責任請負生産制」に変わって、農業の生産性は格段に向上しましたが、「人民公社」が担っていた幼児保育、教育、医療、高齢者対応などの部分のうち、行政が十分に担えていない部分については「エアポケット」的に欠落する状況が生じました。現在でも、農民が都市部に出稼ぎに行った場合、出稼ぎ先の都市部では、子女の教育を受けさせられない、医療保険の適用を受けられない(故郷の農村の医療保険は都市部の病院では使えない)ので病院に掛かれない、などの問題が残っています。

 世界各国の主要な政策軸として「大きな政府」を目指す方向(平等を重視し、政府が手厚い社会福祉制度を用意する)と「小さな政府」を目指す方向(競争原理と自己責任を重視し、政府が担う社会福祉は最小限にする)とがあります。各国事情は異なりますが、おおざっぱに分類すれば、日本で言えば前者が民進党で後者が自民党、アメリカで言えば前者が民主党で後者が共和党、イギリスで言えば前者が労働党で後者が保守党、ということになります。単純な言い方をすれば「人民公社」は「大きな政府政策の極論」であり、完全な改革開放政策は「小さな政府政策の極論」です。従って、中国の現代史の中で、「人民公社」では何がうまくいき何がうまくいなかかったか、改革開放政策になって何がうまくいくようになり何が困るようになったか、について知ることは、各国の政策を考える上で非常に参考になると私は思うのです。

 ところが中国では、「人民公社」制度や「改革開放政策」の利害得失を冷静かつ客観的に議論する場がありませんし、これらのよしあしを論じた社会学的・経済学的な論文も出版されていません(中国共産党の政策を批判するような論文を出版することは許されていない)。諸外国の中国研究者による「人民公社」を分析した論文は多数あると思いますが、最も実際の状況を知っているはずの中国の研究者自身による客観的な分析研究がない(存在していたとしても中国共産党内部の検討資料になっていて公開されていないと推察される)のは非常に残念です。

 私は「人民公社はなぜ失敗したか」については、広く人類全体で共有すべき貴重な教訓だと思いますので、ぜひ中国においても、自由闊達な研究と議論ができるようになり、その研究成果が世界に向けて発信できるようになって欲しいと思っています。

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