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2016年5月21日 (土)

文化大革命開始から五十年

 去る5月16日は、1966年に「文化大革命」(文革)が開始してから五十年の節目の日でした。日本の新聞等でもこれを切っ掛けとした記事がいくつか掲げられましたが、中国の「人民日報」等での報道ぶりは以下のとおりでした。

○5月16日(月)(文革開始五十年目の当日)

 「人民日報」には「文化大革命」に関する記述はなし。(1978年にトウ小平氏が始めた現在の「改革開放政策」は「文化大革命」を否定することから始まったのにも係わらず、この日の中国のマスコミに文革に関する記事が載らなかったことについて、日本のマスコミでは、「現在の習近平政権は、文革を肯定し、毛沢東時代の個人崇拝を肯定する方向を向いているのではないか(習近平主席自身を「個人崇拝」の対象にしようとしているのではないか)との解説が見られました。)

○5月17日(火)

 「人民日報」は4面にペンネーム「任平」名で「歴史を鑑(かがみ)とすることは、更なるよき前進のためのものである」と題する文章を掲載。1981年の「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」において、「文化大革命」と「プロレタリア独裁下の継続革命の理論(毛沢東が主張し続けた理論)」を徹底的に否定したことを改めて強調するとともに、「文化大革命」という党の歴史を否定することをもって中国共産党の指導と社会主義制度を否定する誤りを犯してはならないことを強調。

(注1)通常、「人民日報」が掲載する重要共同社説は「人民日報重要評論」の頭文字「人重評」と同音の「任仲平」のペンネームで掲載される。それとの類推で考えると、「任平」というペンネームは「人民日報評論」からとったものと見られ、「正式の共同社説ではないが人民日報社の意見である」ことを表明したかったからこのペンネームにしたものと思われる。

 同日付の「人民日報」ホームページは人民日報系の「環球時報」が掲載したペンネーム「単任平」名の「『文革』は既に徹底的に否定されている」と題する文章を掲載。「人民日報」の文章と同じように、1981年の党の決定で文革は徹底的に否定されていることを強調するとともに、中国で文革が再演されることはあり得ない、と強調している。また、近年多くの発展途上国において社会的混乱が起きているのに中国でそうした混乱が起きていないのは、中国人が文革の悲惨な教訓を持っていることによる一種の「免疫力」があるからであり、我々中国人は誰よりも混乱を恐れており、誰よりも安定を渇望している(だから文革の再現はあり得ない)と強調している。

(注2)このペンネーム「単任平」は、「人民日報社の評論」ではあるが、共同執筆ではなく単独の筆者による文章であることを示して、「人民日報社としての意見ではあるが、正式な共同社説ではない」ことを示すために用いられたものと思われる。

○5月18日(水)

 「人民日報」1面トップの記事は、5月17日に哲学社会科学の研究者等が参加して開かれた「哲学社会科学工作座談会」の席上、習近平総書記が「中国の特色のある社会主義の偉大な実践と中国の特色のある哲学社会科学との結合を加速しなければならない」と強調したことを伝えている。この中で、習近平総書記は「必ずや旗幟を鮮明にしてマルクス主義を指導理念として堅持しなければならない」と強調している。

(注3)「必ずや旗幟を鮮明にして」の表現は、1987年1月の胡耀邦総書記失脚の際や1989年4月の六四天安門事件の際に「人民日報」の社説に用いられた表現で、私は「中国共産党が断固とした強い意志を示すときに使う表現」というイメージを持っています。

○5月19日(木)

 「人民日報」2面に5月17日の「哲学社会科学工作座談会」での習近平総書記の講話(かなり長文)を全文掲載している。この講話の中で、習近平総書記は、西洋哲学について、ギリシャ哲学、ルネサンス期の哲学、フランス革命やアメリカ独立運動期の社会科学、19世紀のマルクス、エンゲルスの思想などについて振り返るとともに、中国についても、老子、孔子などの古代哲学から清朝末期の政治家や孫文や魯迅等の辛亥革命期の人々について述べるとともに、陳独秀、李大剣、毛沢東等の中国共産党の人々など様々な人々とその考え方について述べているが、「文化大革命」についてはひとことも触れていない。

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 この一連の動きについて「中国人民はどう受け取ったのだろうか」と私は心配になりました。というのは、現在の中国共産党中央が、1980年代のトウ小平氏の時代と同じように、統一した考え方として「現在の改革開放政策は文化大革命を徹底的に否定することに立脚している」と認識しているならば、その旨の評論を文化大革命開始五十周年の当日である5月16日付けの「人民日報」に正式な共同社説であることを示す「任仲平」名で掲載すべきだったのにそうしなかったからです。中国人民は「5月17日付けの『人民日報』には『文革は徹底的に否定された』との文章が載っているが、これは中国共産党中央の統一見解ではないのかもしれない」と感じたと思います。

 また、5月17日の「哲学社会科学工作座談会」で習近平総書記が「文化大革命」には一切触れずに、逆に「必ずや旗幟を鮮明にしてマルクス主義を指導理念として堅持しなければならない」と強調した、ということは、習近平総書記自身は「文革を徹底的に否定する」との考え方には立っていないのかもしれない、との疑念を中国人民に与えたかもしれません(少なくとも、私はそういう「疑念」を抱きました)。これは「人民日報」に掲載された評論と、中国共産党総書記の考え方が正確には一致していないことを示すものであって、私の感覚からしたら「エライコト」です。中国共産党中央の内部分裂を示唆している可能性があるからです。

 「哲学社会科学工作座談会」は、社会科学の研究者が集まる非公式な会議(その名が示すように単なる「座談会」)なのだから、それほど政治的な意味合いが大きいものではなく、あまり大げさに受け取らなくてよい、との考え方もあり得ると思います。しかし、もし「この会議は大した意味のある会議ではない」のだとしたら、その会議で大々的に演説した習近平主席自身が「実は大したことはやっていない」という意味になり、それはそれで「エライコト」だと思います。

 中国中央電視台の夜のニュース「新聞聯播」を見ている限り、最近、習近平主席は、外国首脳の歓迎行事や外国大使の信任状の受け取りなど国家元首としての儀式上の出番と、「腐敗撲滅」や上記の「哲学社会科学座談会」のような理念上の会議の場面、それに人民解放軍との関係での出番が多い印象であり、一般人民向けの具体的な政策の指示に関しては、習近平主席はテレビのニュースでの印象はあまりありません。

 一方、国務院の毎週定例の会議が必ずニュースになるので、李克強総理は、経済政策とか、先日は六月の大学卒業シーズンを前にした大学卒業生の就職問題に関する指示とか、人民生活に直結する政策指示の場面でよく名前が登場します。なので、私の個人的印象としては、習近平主席は人民生活に直結する具体的政策課題の執行については「蚊帳の外」に置かれている印象があります(習近平総書記が組長として主宰する中央全面深化改革指導小組は、党の事務局が作った「○○に関する意見」といった文章を議論しているだけの印象で、習近平総書記が自らの発想で政策を指示しているようには見えません。それに実際の政策は、党ではなく、国務院が執行するので、どうしても李克強総理の名前で政策が実行された、という印象になってしまいます)。

 私の個人的印象からすれば、今の中国で多くの中国人民は「文革は既に徹底的に否定されている」との主張に対しては「そうだ、そうだ、そのとおりだ」と感じると思いますが、「必ずや旗幟を鮮明にしてマルクス主義を指導理念として堅持しなければならない」と言われても「今は文革時代じゃないんだから、そんなこと、どうでもいいんじゃない?」と感じるのではないか、と思っています。別の言葉で言うと、習近平主席は多大な権力を持っているのかもしれませんが、多くの場面で多くの中国人民の中では「浮いて」しまっているのではないか、と思われるのです。これは多くの困難な問題を抱える中国にとって、よくない状況だと思います(胡錦濤主席の時代、私は北京に駐在していましたが、胡錦濤主席からはそうした「中国人民から浮いている」との印象は全く受けませんでした)。

 少なくとも、文化大革命開始五十周年のタイミングにおいて、文革に関する認識について、習近平主席が何もコメントしなかったのは政治的にはまずかったのではないか、と私は思います。よいにつけ、悪いにつけ、政治家は発するメッセージが大事です。それは民主主義国家であろうがなかろうが、どの国でも同じだと思います。多くの人が持っている「習近平主席はどういうメッセージを出そうとしているのかよくわからない」という現在の状況は、中国の国内政治においても、中国の国際社会における位置付けにおいても、よくないと思います。

(参考)文化大革命の経緯については、シリーズで書いたこのブログの過去の発言「中国現代史概説」で御覧ください。このページの左側にある「中国現代史概説の目次」から、各部分へのリンクが張ってあります。

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