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2016年5月

2016年5月28日 (土)

今夏の中国はまた「大都市不動産バブル崩壊」か

 通常「バブル」というと、熱狂の最中には「バブル」とは気がつかないが、はじけた後で振り返ってみて「あれはバブルだったのだ」と反省することが多いものです。しかし、中国経済に限って言えば「バブル」はいつも「今、これはバブルだ」とハッキリわかります。バブルが崩壊した後は「やっぱりね」とみんなで言い合うだけで、誰も懲りずにまた次のバブルが始まります。そんなパターンが何回も繰り返されてきています。

 多くの国ではバブルを経験すると多くの人は懲りて慎重になるものですが、中国の方々はそんな「やわ」な方々ではありませんので、前のバブルで打撃を受けたとしても、また次のバブルが始まると「今度のバブルでは自分は頂点で売り抜いてみせる」とみんなで再び参戦するようです。このタフさ加減については他の国の人々ももう少し見習う必要があるのかもしれません。ただ、度重なるバブルで、中国経済の内部には、相当の「ダメージ」が見えない形で蓄積されていると思います。

 中国の過去のバブルは大きなものとしては「2007年の株バブル」「2013年の不動産バブル」「2015年の株バブル」が記憶に新しいところです(2007年の「プーアル茶バブル」など、小さなバブルはこのほかにも山ほどあった)。今年(2016年)に入って中国の株の方は、上海総合指数で3,000ポイント以下のところで低迷し、売買代金もバブル状態だった去年(2015年)の今頃の十分の一程度に減っているようです。その分、今年(2016年)は深セン、北京、上海、南京などの大都市の不動産がバブル状態になっているようです。この点については、5月27日(金)朝にテレビ東京で放送された「Newsモーニングサテライト」で三菱東京UFJモルガン・スタンレー証券の藤戸則弘氏が指摘していました。

 現在の上記四都市の不動産価格の推移は、そのグラフの形からして、数ヶ月以上もつとはとても思えませんので、9月に浙江省杭州で行われるG20首脳会議の前に今の中国の大都市不動産バブルは崩壊してしまうかもしれません。過去のバブルでは、それが崩壊した時点で、中国当局は、情報コントロールを行うとともに2015年の株バブル崩壊時に見られたなりふり構わぬ株価買い支え策など、全体経済に影響が波及しないような策を講じてきました。そのため、中国の数々の過去のバブル崩壊は、中国経済全体を崩壊させるようなことはありませんでした。ただ、過去のバブル崩壊のキズは、不良債権等のような形で先送りさせて表面上は見えないだけなのだと思います。また、おそらくは過去のたび重なるバブルで経済的に没落した人々が多数いるはずなのですが、中国の場合は、強力な情報規制により、そういった人々の存在が表面上は見えていません。

 しかし、今回の(2016年の)中国の大都市不動産バブルは、その頂点とアメリカの再利上げのタイミングとが一致する可能性があり、「アメリカの利上げ観測の高まり」→「人民元の先安感の再上昇」→「投資家による不動産の投げ売りと資金の外国への逃避(人民元売り・ドル買いの活発化)」→「対ドル人民元レートの急落とそれに対抗する為替介入による中国の外貨準備の急減」という形で進むことによって、世界経済に恐怖の連鎖が広がってしまう可能性があります。

 さらに、9月のG20首脳会議で、パナマ文書で問題が表面化したタックス・ヘイブンに対する規制強化が議論される可能性があります。パナマ文書の公開で明らかになったように、タックス・ヘイブンの恩恵を受けている者の中に数多くの中国人や中国企業が含まれています。これらの中国人や中国企業がG20でのタックス・ヘイブン規制強化の動きの前に投資資金の「店じまい」をしたいと考えるのならば、この夏が対中国国内投資を引き上げて外国の他の場所へ資産を移すちょうどよいタイミングとなります(それがわかっているので、G20の議長国である中国は、タックス・ヘイブン問題について、本気では規制強化をしようとはしないかもしれません)。

 また、グラフの形状からすると、中国大都市の不動産バブルは年内にもはじけることは必至だと思いますが、中国政府は、大規模インフラ投資の拡大で(2008年のリーマン・ショック対応の時と同じように)バブル崩壊を先送りしてしまうかもしれません。

 既に、5月11日、中国の発展改革委員会は「交通インフラ設備重要プロジェクト建設3年行動計画」を発表しています。これは、2016~2018年の3年間に鉄道、地下鉄、空港、道路などに4.7兆元(今のレートで約78兆円)を投資しようというものです。金額や期間で見ると2008年11月~2010末までの2年強の間に4兆元(当時のレートで約60兆円)を投じたリーマン・ショック対応の大規模投資と同じような規模ですが、2008年の4兆元投資の中にはこの年5月に起きた四川巨大地震等の復興費用約1兆元も含まれており、交通インフラだけに限ってみれば、今回の方が格段と規模が大きいと言えます(2008年の4兆元投資の内訳では「鉄道、道路、空港、都市の電力網」の分は約1.8兆円とされていましたので、これと比較すると今回の投資の規模は2倍以上ということができます)。

 また、今日(2016年5月28日)付けの「人民日報」1面トップ記事によると、中国共産党は昨日(5月27日)、中央政治局会議を開いて、北京での副都心建設と北京・天津・河北省共同発展プロジェクトについて検討したとのことです。過密化する北京の都市問題を解決するため、北京の首都機能と非首都機能を分離するために副都心を建設することを検討したとのことです。詳細はまだ不明ですが、おそらく今後これに関する大規模建設プロジェクトの話が出てくると思います。本件は「北京の都市問題解決」という大義名分がありますが、別の一面として経済対策としての大規模インフラ投資の意味があると思います。

 3月の全人代で「ゾンビ企業を処置する」と繰り返し述べていた構造改革政策はどこへ行ってしまったのだろう、という感じがしますが、おそらくは来年(2017年)秋に予定されている中国共産党大会で各種の人事が決定されることなどを考慮して、習近平政権首脳部としても、党内の支持を得るために「構造改革よりも大規模財政出動」に舵を切らざるを得なかったのかもしれません(選挙を前にしてどこかの国の政権も同じようなことをやるのでしょうから、中国だけを批判することはできないと思います)。

 だとすると、もし仮に、今年の夏、中国の大都市での不動産バブルでの「急激な崩壊」が避けられ(または不動産価格が下落したとしても経済全体へのインパクトは大きく出ないようにコントロールされ)たとしても、経済構造の改革がなされないまま大規模投資で経済成長率だけは維持される状態が続くことになります。問題は、鉄道にしろ道路にしろ、建設した後には必ず一定の維持費用が掛かることです。かつて日本で高度経済成長が終わった後のタイミングで国鉄の多くの路線が重荷になってしまったように、中国における必要以上に急速な交通インフラ投資は、将来の中国に大きな重荷を残すことになると思います。

 今年の夏は、「イギリスはEUを離脱するのか」「アメリカでトランプ大統領候補が誕生するのか」が「大きな心配事」ですが、それらが「なんとかなった」と思ったら、気がついたら中国経済で大変なことになっていた、という状況になるかもしれません。中国の株価があまり上下に変動しないからと言って中国経済に対する警戒感を緩めてはいけないと思います。

 安倍総理は、先週行われた伊勢志摩サミットで「今はリーマン・ショック直前の状況に似ている」と再三発言して警戒感を示しましたが、多くの人から「消費税再増税延期を決めるための理由付けとしてそう言いたいのはわかるが、客観的に言って、現在の状況を『リーマン・ショック直前と似ている』とまで大げさに言うのはいかがなものか」と批判されています。この夏、中国の不動産バブル崩壊を発端とする世界経済危機が起きて、「安倍総理の『予言』は正しかった」ということには絶対なって欲しくないと思います。

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2016年5月21日 (土)

文化大革命開始から五十年

 去る5月16日は、1966年に「文化大革命」(文革)が開始してから五十年の節目の日でした。日本の新聞等でもこれを切っ掛けとした記事がいくつか掲げられましたが、中国の「人民日報」等での報道ぶりは以下のとおりでした。

○5月16日(月)(文革開始五十年目の当日)

 「人民日報」には「文化大革命」に関する記述はなし。(1978年にトウ小平氏が始めた現在の「改革開放政策」は「文化大革命」を否定することから始まったのにも係わらず、この日の中国のマスコミに文革に関する記事が載らなかったことについて、日本のマスコミでは、「現在の習近平政権は、文革を肯定し、毛沢東時代の個人崇拝を肯定する方向を向いているのではないか(習近平主席自身を「個人崇拝」の対象にしようとしているのではないか)との解説が見られました。)

○5月17日(火)

 「人民日報」は4面にペンネーム「任平」名で「歴史を鑑(かがみ)とすることは、更なるよき前進のためのものである」と題する文章を掲載。1981年の「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」において、「文化大革命」と「プロレタリア独裁下の継続革命の理論(毛沢東が主張し続けた理論)」を徹底的に否定したことを改めて強調するとともに、「文化大革命」という党の歴史を否定することをもって中国共産党の指導と社会主義制度を否定する誤りを犯してはならないことを強調。

(注1)通常、「人民日報」が掲載する重要共同社説は「人民日報重要評論」の頭文字「人重評」と同音の「任仲平」のペンネームで掲載される。それとの類推で考えると、「任平」というペンネームは「人民日報評論」からとったものと見られ、「正式の共同社説ではないが人民日報社の意見である」ことを表明したかったからこのペンネームにしたものと思われる。

 同日付の「人民日報」ホームページは人民日報系の「環球時報」が掲載したペンネーム「単任平」名の「『文革』は既に徹底的に否定されている」と題する文章を掲載。「人民日報」の文章と同じように、1981年の党の決定で文革は徹底的に否定されていることを強調するとともに、中国で文革が再演されることはあり得ない、と強調している。また、近年多くの発展途上国において社会的混乱が起きているのに中国でそうした混乱が起きていないのは、中国人が文革の悲惨な教訓を持っていることによる一種の「免疫力」があるからであり、我々中国人は誰よりも混乱を恐れており、誰よりも安定を渇望している(だから文革の再現はあり得ない)と強調している。

(注2)このペンネーム「単任平」は、「人民日報社の評論」ではあるが、共同執筆ではなく単独の筆者による文章であることを示して、「人民日報社としての意見ではあるが、正式な共同社説ではない」ことを示すために用いられたものと思われる。

○5月18日(水)

 「人民日報」1面トップの記事は、5月17日に哲学社会科学の研究者等が参加して開かれた「哲学社会科学工作座談会」の席上、習近平総書記が「中国の特色のある社会主義の偉大な実践と中国の特色のある哲学社会科学との結合を加速しなければならない」と強調したことを伝えている。この中で、習近平総書記は「必ずや旗幟を鮮明にしてマルクス主義を指導理念として堅持しなければならない」と強調している。

(注3)「必ずや旗幟を鮮明にして」の表現は、1987年1月の胡耀邦総書記失脚の際や1989年4月の六四天安門事件の際に「人民日報」の社説に用いられた表現で、私は「中国共産党が断固とした強い意志を示すときに使う表現」というイメージを持っています。

○5月19日(木)

 「人民日報」2面に5月17日の「哲学社会科学工作座談会」での習近平総書記の講話(かなり長文)を全文掲載している。この講話の中で、習近平総書記は、西洋哲学について、ギリシャ哲学、ルネサンス期の哲学、フランス革命やアメリカ独立運動期の社会科学、19世紀のマルクス、エンゲルスの思想などについて振り返るとともに、中国についても、老子、孔子などの古代哲学から清朝末期の政治家や孫文や魯迅等の辛亥革命期の人々について述べるとともに、陳独秀、李大剣、毛沢東等の中国共産党の人々など様々な人々とその考え方について述べているが、「文化大革命」についてはひとことも触れていない。

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 この一連の動きについて「中国人民はどう受け取ったのだろうか」と私は心配になりました。というのは、現在の中国共産党中央が、1980年代のトウ小平氏の時代と同じように、統一した考え方として「現在の改革開放政策は文化大革命を徹底的に否定することに立脚している」と認識しているならば、その旨の評論を文化大革命開始五十周年の当日である5月16日付けの「人民日報」に正式な共同社説であることを示す「任仲平」名で掲載すべきだったのにそうしなかったからです。中国人民は「5月17日付けの『人民日報』には『文革は徹底的に否定された』との文章が載っているが、これは中国共産党中央の統一見解ではないのかもしれない」と感じたと思います。

 また、5月17日の「哲学社会科学工作座談会」で習近平総書記が「文化大革命」には一切触れずに、逆に「必ずや旗幟を鮮明にしてマルクス主義を指導理念として堅持しなければならない」と強調した、ということは、習近平総書記自身は「文革を徹底的に否定する」との考え方には立っていないのかもしれない、との疑念を中国人民に与えたかもしれません(少なくとも、私はそういう「疑念」を抱きました)。これは「人民日報」に掲載された評論と、中国共産党総書記の考え方が正確には一致していないことを示すものであって、私の感覚からしたら「エライコト」です。中国共産党中央の内部分裂を示唆している可能性があるからです。

 「哲学社会科学工作座談会」は、社会科学の研究者が集まる非公式な会議(その名が示すように単なる「座談会」)なのだから、それほど政治的な意味合いが大きいものではなく、あまり大げさに受け取らなくてよい、との考え方もあり得ると思います。しかし、もし「この会議は大した意味のある会議ではない」のだとしたら、その会議で大々的に演説した習近平主席自身が「実は大したことはやっていない」という意味になり、それはそれで「エライコト」だと思います。

 中国中央電視台の夜のニュース「新聞聯播」を見ている限り、最近、習近平主席は、外国首脳の歓迎行事や外国大使の信任状の受け取りなど国家元首としての儀式上の出番と、「腐敗撲滅」や上記の「哲学社会科学座談会」のような理念上の会議の場面、それに人民解放軍との関係での出番が多い印象であり、一般人民向けの具体的な政策の指示に関しては、習近平主席はテレビのニュースでの印象はあまりありません。

 一方、国務院の毎週定例の会議が必ずニュースになるので、李克強総理は、経済政策とか、先日は六月の大学卒業シーズンを前にした大学卒業生の就職問題に関する指示とか、人民生活に直結する政策指示の場面でよく名前が登場します。なので、私の個人的印象としては、習近平主席は人民生活に直結する具体的政策課題の執行については「蚊帳の外」に置かれている印象があります(習近平総書記が組長として主宰する中央全面深化改革指導小組は、党の事務局が作った「○○に関する意見」といった文章を議論しているだけの印象で、習近平総書記が自らの発想で政策を指示しているようには見えません。それに実際の政策は、党ではなく、国務院が執行するので、どうしても李克強総理の名前で政策が実行された、という印象になってしまいます)。

 私の個人的印象からすれば、今の中国で多くの中国人民は「文革は既に徹底的に否定されている」との主張に対しては「そうだ、そうだ、そのとおりだ」と感じると思いますが、「必ずや旗幟を鮮明にしてマルクス主義を指導理念として堅持しなければならない」と言われても「今は文革時代じゃないんだから、そんなこと、どうでもいいんじゃない?」と感じるのではないか、と思っています。別の言葉で言うと、習近平主席は多大な権力を持っているのかもしれませんが、多くの場面で多くの中国人民の中では「浮いて」しまっているのではないか、と思われるのです。これは多くの困難な問題を抱える中国にとって、よくない状況だと思います(胡錦濤主席の時代、私は北京に駐在していましたが、胡錦濤主席からはそうした「中国人民から浮いている」との印象は全く受けませんでした)。

 少なくとも、文化大革命開始五十周年のタイミングにおいて、文革に関する認識について、習近平主席が何もコメントしなかったのは政治的にはまずかったのではないか、と私は思います。よいにつけ、悪いにつけ、政治家は発するメッセージが大事です。それは民主主義国家であろうがなかろうが、どの国でも同じだと思います。多くの人が持っている「習近平主席はどういうメッセージを出そうとしているのかよくわからない」という現在の状況は、中国の国内政治においても、中国の国際社会における位置付けにおいても、よくないと思います。

(参考)文化大革命の経緯については、シリーズで書いたこのブログの過去の発言「中国現代史概説」で御覧ください。このページの左側にある「中国現代史概説の目次」から、各部分へのリンクが張ってあります。

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2016年5月14日 (土)

中国人の「誠実さ」に関する印象について

 先週5月8日(日)に中国税関総署が発表した中国の今年(2016年)4月の貿易額は、対前年同月比で、米ドルベースで輸出がマイナス1.8%、輸入がマイナス10.9%、人民元ベースで輸出がプラス4.1%、輸入がマイナス5.7%でした。輸出入とも米ドルベースでの前年同月比マイナスが続いているので、この発表を受けて世界の市場は中国経済の減速を改めて認識したのでした。

 ところが、この日(5月8日(日))夜7時から中国中央電視台で放送されたニュース「新聞聯播」では、この貿易統計の数字について「対前年同月比人民元ベースで輸出が4.1%伸びた」とだけ伝え、米ドルベースでは輸出入ともにマイナスであり、輸入については人民元ベースでもマイナスだったことは伝えませんでした。この日のニュースのポイントは、民営企業による輸出が対前年同月比7%増えたことでしたので、おそらくニュースの編集担当者は「輸入は減少した」等の部分は伝える必要はなかったと考えたのだと思います。「新聞聯播」では、この種の経済統計について、中国政府にとって都合のよい(耳障りのよい)ことだけ伝え、都合の悪いことは伝えないことは「いつものこと」なので、私は特段驚きはしませんでしたが、こうしたやり方をずっと続けているのは問題だよなぁ、「誠実さに欠ける」との印象を受ける人もいるだろうなぁ、と改めて思いました。

 例えば、八百屋さんで、高くて甘いリンゴと安いけど味はイマイチのリンゴを売っているとき、八百屋のおじさんは「こっちのリンゴは甘いよ、こっちのリンゴは安いよ」と客に呼び掛けるのであって、「こっちのリンゴは甘いけど高いよ、こっちのリンゴは安いけど味はイマイチだよ」と言うことはありません。帽子を売っているお店の人は「この帽子は100元で売っているけど、仕入れ値は40元で、店ではマージン60元を見込んでいます」などとお客には絶対に言いません。このようにビジネスの世界では場合によっては全体像を言わないのが「当たり前」なのだから、中国では「テレビのニュースにおいて発表された数字の全てを(よい面も悪い面も)伝える必要はないのだ。」と考えることも理屈としてはあり得ます。しかし、こうしたやり方を毎日テレビで流していることにより、そうしたやり方が「当たり前」のこととして中国の多くの人々の間に浸透してしまっているのはよくない、と私は思っています。

 実際、私には、中国の様々な組織で、担当者がそれほど悪気はないのに「都合の悪いことはあえて言わない」態度をとる場面に遭遇した経験が数多くあります。なので、私は疑問点がある場合には「この点はどうなっていますか」と積極的に質問するように常に意識していました。質問をすればたいていきちんと答えてくれるので、多くの場合、「その点を知らなかったのは質問しなかったお前の方が悪い」ということになります。これも中国と付き合う際のノウハウのひとつだとは思うのですが、私はこうした場面に遭遇するたびに、「都合の悪い点はあえて言わない」という中国側のプレゼンの仕方は、中国に慣れていない人に対しては「中国人は不誠実だ」という印象を与えてしまい、よくないよなぁ、といつも思うのでした。

 中国共産党が政策として「テレビのニュースにおいては中国政府(=中国共産党)に都合のよいことのみを伝え、都合の悪いことは伝えない」という方針を採っていることが、中国人民の間に「全体像を言わなくても全く構わないのだ」という認識を広めてしまっており、その認識に基づく何気ない中国人や中国企業の態度が「中国人や中国企業は誠実ではない」との印象を多くの世界の人々に与えているのではないか、と私は危惧しています。もしかすると、中国人自身も同じ印象を持っており、そのことが中国人自身が中国国内で流通する商品を買わずに外国で売られている商品を「爆買い」する要因になっているのかもしれません。そうだとすると、中国のテレビニュースの「誠実ではない」伝え方は、回り回って結果的に中国経済に相当のマイナス効果を与えていることになります。

 もともと中華民族の人々は、昔から商売が上手であって、商売の基本である「信義」を非常に重要視しています。「三国志」の登場人物の中で損得抜きの「義」に生きた関羽が最も人気があることからもわかるように、そもそも中国の人々にとって「信義」は最も重視している価値観です。私自身、多くの中国人が非常に誠実であるのをよく知っています。もし仮に、中国共産党のやり方が世界の人々の「中国人の誠実さ」に関するイメージを毀損しているのだとしたら、非常に残念なことだと思います。

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2016年5月 7日 (土)

習近平体制は「五四運動」ではなく「中華帝国」を目指すのか

 去年の今頃も同じようなことを書いたのですが、「人民日報」や中国中央電視台の夜7時のニュース「新聞聯播」を見ている限り、今の習近平体制は「五四青年節」をほとんど重視していないように見えます。「五四運動」は、ヴェルサイユ講和会議の結果に反発して1919年5月4日、学生・市民・労働者が立ち上がった反植民地主義・反日・反資本主義の運動で、1921年の中国共産党設立の切っ掛けとなった大衆運動です。その歴史的経緯からして、歴代の中国共産党政権は5月4日の「五四青年節」を重視してきていると私は思っていたのですが、習近平政権になってからの「五四青年節」の扱いは非常に軽すぎるように思います。

 逆に、今年は5月3日に「人民日報」1面に掲載されたペンネーム任仲平による「新たなレベルの治国理政の目指すもの」と題する評論が私は気になりました。

(注)「任仲平」というペンネームによる評論は「『人』民日報『重』要『評』論」の意味で(「任仲平」は「人重評」と同音)、人民日報の評論陣が共同で議論して作成する社説です。

 この評論の内容は、当然のことながら「習近平総書記の掲げた路線を進めて行こう」と呼び掛けるものですが、私が気になったのは、「中国の歴史と実情から出発して現状を認識すべき」「五千年の歴史の連続体として中国を見るべき」などと「中国の歴史と伝統」を特に強調している点です。この評論では「他国の事例は中国では使えない」「西側の価値観に基づく中国に対する批判は不適切だ」と主張しています。

 20世紀の中国革命の歴史の中で、辛亥革命の孫文も、共産主義革命の毛沢東も、一貫して封建主義的な中国の伝統から脱却して、中国を人民を中心とした近代的な国家にすることを目指してきました。それと比較すると、上記の任仲平論文は、革命以前の歴代皇帝が支配していた中国の政治体制を復活させようとしているように見えます(そもそも「治国理政」という言葉自体、「上から目線」の皇帝政治が持つイメージと重なって見えると私は思います)。

 夜のニュース番組「新聞聯播」では、地方の末端組織の中国共産党の地方幹部の活躍ぶりを紹介するコーナーをよくやるのですが、最近、アナウンサーが「中国には数千年の郡県制の伝統があり・・・」と言っていたのを聞いてびっくりした記憶があります。郡県制とは、地方貴族による地方の統治を排して、中央皇帝権力が派遣する官僚によって行う地方統治を通じて皇帝が中国全土を統治する中央集権的政治のやり方です。皇帝が実施する登用試験「科挙」によって皇帝に忠実な官僚を選抜して地方に派遣するとともに、派遣された官僚は定期的に人事異動させて地方の土着の有力者と癒着するのを防ぐ制度で、数千年にわたる中国皇帝政治を安定的に維持させる役割を果たした制度です。中国の中央集権制度を支えた「伝統ある」政治制度であることは間違いないのですが、これって孫文や毛沢東が革命によって破壊しようとした「中国の古い政治体質そのもの」だと私は認識しています。その郡県制の伝統を称賛するような「新聞聯播」の報道ぶりを聞いた時、私は「中国共産党は今や『革命政党』ではなくなり、完全に皇帝政治のような中央集権的政治を行う権力集団に変化してしまった」と思ったのでした。

 「歴史の針を逆に回そうとしているような現象」は、今、世界中の各国で起きており、中国についてだけ「皇帝政治に逆戻りしようとしている」と批判するのは妥当ではないのかもしれません。ただ、現在に至るまでの中国経済の発展の原動力は、革命と改革開放によって、自己実現の機会を与えられた多くの中国人民の「自分の暮らしを自分の手でよくしたい」という意欲であったことは間違いなく、「皇帝政治的中央集権の復活」は、そうした中国人民の意欲を削ぐことになると思います。もし、習近平体制が自らの権力基盤を維持するために、本格的に皇帝政治的中央集権制の復活へと向かうのであれば、多くの中国人民の失望を招き、中国社会の活気を失わせ、結果的に中国の経済・社会の発展にブレーキを掛けてしまうことになると思います。

 去年も同じようなことを書きましたが、「皇帝政治が中国の伝統なのだ」と主張して1915年に自らを皇帝と称して「中華帝国」の設立を宣言した袁世凱は、国際社会のみならず中国国内の各界・各層から総スカンを食って、失意のうちに病没しました。中国共産党は袁世凱ほど愚かではないと思うので、習近平主席は皇帝にはならないと思いますが、中国の強大な経済力を背景にして、最近は習近平主席を皇帝のようにみなして揉み手をしながらゴマを摺って擦り寄るような者たちが中国国内のみならず国際社会にも増えてきているように思えるので要注意だと思います。

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