« 習近平主席と李克強総理との関係は大丈夫なのか | トップページ | 「爆買い」の次は中国人の日本企業への「爆就職」か »

2016年4月 2日 (土)

イノベーション・デフレと中国市場の爆発的拡大の終わり

 日銀の黒田総裁が「異次元の量的・質的金融緩和」を初めて打ち出してから三年が過ぎました。日銀の一連の量的・質的緩和措置の評価については、まだ、今後の推移を見守る必要があると思いますが、三年前(2013年4月4日)に黒田日銀が量的・質的緩和を打ち出した時点で、私はこの金融緩和措置によって、民間企業の設備投資や研究開発投資が伸びることはないと思っていました。というのは、現在、先進各国に存在するデフレ状況の一部は、イノベーションが進んだことに起因するデフレ(私はこれを「イノベーション・デフレ」と呼んでいます)を含む構造的なものであり、既に民間企業は相当量の内部留保を持っていて、日銀による金融緩和措置をしても、金融緩和されたマネーが民間企業の設備投資や研究開発投資に回る分は少ない、と思ったからでした。

 その後、リーマン・ショック後の四兆元の経済対策の後遺症が表面化し、「中国市場の爆発的拡大の終わり」が鮮明になりました。現在(2016年4月時点)、「イノベーション・デフレ」と「中国市場の爆発的拡大の終わり(と中国の次の新たな急成長市場の不存在)」による世界経済における構造的デフレは深刻化しており、金融緩和による脱デフレ効果はもはや限界に来ている、と私は考えているので、今回はその点をまとめてみたいと思います。

1.経済成長とイノベーション及び新しい市場の拡大との関係

 よく「持続可能な経済成長のためにはイノベーションの推進が不可欠である」と言われます。イノベーションがなければ世の中は進歩しませんから、この命題が正しいことは自明だと思われます。ただし、同じような表現で「イノベーションを推進すれば持続的な経済成長は可能である」という命題は「自明」ではありません。もしかすると「正しくない」かもしれないのです(後者は「高い技術を開発すれば我が社の製品は売れるはずだ」という発想に繋がります)。

 私が科学技術政策について調査研究する部署に勤務していた1990年代半ば頃、イノベーションに対する投資と経済成長との関係を定量的に分析する手法を開発する研究が行われていましたが、現時点まで、例えば「イノベーションのために○○億円投資すれば、△△%の経済成長が起きる」といった関係式を見い出した、という話は聞きません。その理由は、イノベーションと経済成長との関係は、見かけほど単純ではないからです。

 そもそも「経済成長」を数値で計測するにはどうしたらよいか、という出発点自体、それほど単純な話ではありません。経済成長を「GDP(国内総生産)の総量」で計るならば、全くイノベーションがなくても人口が増えればGDPは増えますが、それは経済成長したとは必ずしも言えないからです。「経済成長」を「一人当たりGDP」で計測する方法もありますが、例えば、機械化が進んで同じだけのGDPを生み出すための労働者の週平均労働時間が40時間から35時間に減れば労働者の「生活の質」は向上しますが、GDPは全く増えません。ですから「一人当たりGDP」で計ってもイノベーションの結果生まれた「世の中の進歩」は計れないのです。

 一方、グローバル化された現在の世界経済においては、一国の国内状況だけで経済成長を議論することはナンセンスです。例えば、日本で全くイノベーションが起きなくても隣の中国で巨大な消費市場が拡大し続けるならば、日本のGDPを「成長」させることは可能です。従って、過去の一国のGDPの推移やその他の経済統計をいくら詳細に分析しても「GDPで計った経済成長率のうちイノベーションが寄与した大きさ」を切り取ることは、まず不可能です。

 私が仕事上中国との関係を初めて持った1980年代の中国は、文化大革命が終わったばかりで、極端に言えば「経済的にはまっさらな白紙」の状態でした。それから今までの30年間、中国では新たな工場設備の投資がなされ、人々が全く新しい生活スタイルのための消費を行うようになりました。その過程で、日本の企業は中国で大きなビジネス・チャンスを得てきましたが、それはイノベーションとは全く別次元の話です。1980年代末のバブル崩壊後の日本は「失われた20年」を経験しましたが、もしこのタイミングで急速な経済成長を遂げつつあった中国が隣に存在していなかったら、日本経済はもっと悲惨な状態になっていたかもしれません。

2.イノベーション・デフレ(先進国共通の課題)

 イノベーションにはいくつかの「顔」があります。イノベーションは新しい需要を作るという「顔」があり、経済成長の原動力であることは間違いありませんが、それはイノベーションの一つの側面でしかありません。下記に掲げるようにイノベーションの進展は経済にデフレ的効果をもたらす場合もあります。

(1) 労働セクター:イノベーションによる同一労働の賃金の低下

 イノベーションにより産業用ロボットが安く作れるようになれば、単純非熟練労働は安い産業用ロボットが担うようになります。同じ作業を労働者が担当しようとすれば、その労働者の賃金は産業用ロボットのコストと同程度の低いものになります。これはイノベーションによる労働力の観点でのデフレ効果と言えます。

(2) 生産セクター:イノベーションによる効率化による必要投入量の低下

 イノベーションでより効率のよい産業が生まれ、古い体質の産業は市場から退出していきます。新しい産業は、効率的である、即ち必要な設備や必要とする労働力・エネルギーが少なくて済むので、イノベーションによって新しい産業が生まれ古い産業が退出したことにより、その産業で必要とする設備・労働力・エネルギーが減少します。これは一種のデフレ効果だと言えます。

(3) 研究開発セクター:イノベーションの高度化による研究開発投資効率の低下

 技術革新の初期では、小額の研究開発投資により消費者が喜んで対価を払う新製品を作ることが可能です。しかし技術が高度化すると、多額の研究開発投資をしてもできた製品について消費者が感じる「ありがたみ」が以前より低下する可能性があります。例えば、テレビは、白黒テレビ→カラーテレビ(ブラウン管)→カラーテレビ(液晶)→ハイビジョンテレビ→4Kテレビと進化していますが、メーカーが多額の研究開発投資をして4Kテレビを製造したとしても、消費者は高い値段では買ってくれないかもしれません(消費者は4Kまでの高い技術成果を必要としていないかもしれない)。別の例で言えば、パソコン等の世界では、技術が進歩すればするほど販売価格が下がり、メーカーの利益率が下がる、といった現象はよく起きます。

(4) 消費セクター:消費の高度化による社会全体の需要総量の減少

 最近スキー人口が減ったり、「若者が自動車を買わなくなった」と言われたりしますが、それは今の若者がスマホ・ゲームやSNSに「楽しみ」を見い出しているからでしょう。若者にとっては、スキーもドライブもスマホ・ゲームもSNSも同様に「楽しい」と感じるなら、お金の掛かるスキーやドライブよりも手軽なスマホ・ゲームやSNSの方を選択するのでしょう。人間が消費に使う時間は限られていますから、イノベーションにより「効率的に楽しめる商品」が生まれれば、消費者は新しいものを選び、古いものは捨てます。古いものは資源を多く使い高額だったのに対し、新しいものは使う資源は少なく低額で済むのだったら、その結果社会全体で消費される資源は減ります。つまりGDPは小さくなります。

 別の例を挙げると、例えば、2,000円払って映画館で映画を見ていた人が500円払って家でオンラインで映画を見るようになれば、ほとんど映画制作者と消費者の「直接取引」になるので、映画制作者も消費者も両方ハッピーなのですが、映画館は不要になり、映画館でポップコーンを売っていた売店の人は失業し、もしかすると映画館周辺のレストランも客が減るかもしれません。このようにイノベーションにより世の中が効率的になると、社会全体としては需要の総量が減ってしまう可能性があるのです。

 また、ネット・ショッピングが増えて、実店舗が減った場合、宅配輸送のための配達員が100人増え、実店舗の店員が70人減ったとすると、「就業者」は30人増えます。しかし、実店舗の店員は商品知識が豊富で、客との対話や接客技術などの「スキル」が求められるので、たぶん配達員よりも高額の賃金をもらっていただろうと思われます。従って、この場合「就業数は増えたけれども平均賃金は下がった」ことになります。もし「就業者数×平均賃金」の総計が減るのだとすると、ネット・ショッピングの普及は社会全体の労働賃金の総計の低下=社会全体の消費総計の低下を招くことになります。先進諸国では「中間層の消滅」「労働者の二極分化」が言われていますが、その原因はイノベーションの進展による社会の効率化である可能性があります。

3.中国の急速な市場の拡大が世界経済に与えた影響

 私が最初の北京駐在をしていた1986年の時点で、中国の電話普及率は100人当たり0.67台でした。アフリカ全体の平均値より低かったので、当時の中国政府は電話インフラの整備を重要課題だと認識していました。ところが私の二回目の北京駐在をしていた2007年6月末現在では、携帯電話契約数が5億件を越えていました(このほか、この時点で既に減少傾向にあった固定電話契約は3.7億件ありました)。この20年間の様々な分野での中国の経済社会の変化は、まさに「爆発的」であったと言えます。

 工場の機械設備から、赤ちゃん用おむつに至るまで、1980年代から今まで、中国市場の「爆発的拡大」は、世界経済の巨大な原動力でした。私が二回目の北京駐在をしていた頃(2007年~2009年)以降、現在(2016年)までの間にも従来型携帯電話(ガラケー)からスマート・フォンへの移行がありました。でも、中国でも固定電話の数が急激に減っていることでもわかるように、中国の市場の拡大は今後も続くとしても、「爆発的拡大」は既に終わり、そろそろ「成熟期」に入ってきていると考えた方がよいと思います。

 世界全体を見渡した時、これから後、1980年代~2010年代前半(リーマン・ショック後の「四兆元の経済対策期まで)の中国のような「市場の爆発的拡大」をもたらすような国は出現するでしょうか。インドやアフリカの市場拡大には大きな潜在力はあると思いますが、今までの中国のような「爆発力」を期待するのは無理でしょう。だとすれば、世界経済全体の成長するスピードは、中国市場が爆発的拡大力を持っていた今までと比べて、相当に穏やかなものになることはやむを得ないと思います。

--------------------

 多くの経済学者が「世界の潜在成長率の低下」について議論しています。私は、現在の世界の潜在成長率の低下の原因は上に述べた「イノベーション・デフレ」と「中国市場の爆発的拡大の終わり」にあると思っています。イノベーションが世の中を進歩させることは疑いのないことであって、イノベーションをやめるわけにはいきませんから、イノベーションが持つもう一つの「顔」である「イノベーション・デフレ」を避けることはできません。また「爆発的拡大が終わった中国に続く急成長市場の不存在」という現実も受け入れるほかはありません。

 中国ほどの爆発的成長は無理だとしても、インドやアフリカ、中東諸国など、まだまだ発展余力のある国はたくさんあります。しかし、不幸にして、シリアで内戦が続くほか、中東やアフリカ諸国には政治的に不安定で紛争が続く国も多くあります。経済成長の最も重要な基盤は「人々が普通に生活し、普通に経済活動をできること」です。従って、世界経済にとって最も効果のある対策は、内戦や紛争をやめさせ、政治的安定を確立することです。

 世界経済は、人間の体のようにひとつの有機体です。シリアで内戦が続き、大量の難民が発生している今の状態は、例えば、太ももに切り傷ができて血がだらだら流れているようなものです。当然、体全体としては「元気がない」状態なのですが、主要国で行われている金融緩和は、「元気がないので砂糖水を飲ませよう」としているようなものではないでしょうか。砂糖水を飲ませるより前に止血してキズを治す(内戦地域の人々の生活を通常に戻し経済を復興させる)ことの方が先決だと思います。

 また、各国で経済孤立主義が台頭していますが、経済的孤立を求めるのは、体のあちこちで「痛い」「かゆい」等のトラブルが起きている手や足を切断してしまえ、と言っているようなもので、世界経済がひとつの有機体である、という現実を無視しています。経済的孤立主義の主張は、列強各国が世界を分割支配し、宗主国の産業を守るために植民地での産業勃興を抑圧していたことが結果的に世界経済の発展を行き詰まらせ、20世紀前半の二つの世界大戦の原因となった、という歴史的教訓を忘れた発想です。

 「イノベーション・デフレ」と「中国市場の爆発的拡大の終わり」に直面した現在にあって重要なのは、新しい市場となりうる今後発展する可能性がある地域がまだまだあることを認識し、国際的に協調して、そうした発展途上の国・地域を支援することです。その意味では、現在の中国の習近平政権が国内の貧困地域支援を重要な政策課題に掲げていることは評価すべきだと思います。まずは、経済発展の最大の障壁となっている内戦等の紛争の停止を最優先課題にすべきです。また、世界経済の発展のためには、国際協調こそが必要なのであって、世界経済の循環を阻害して結果的に全てに国にとってマイナスの結果をもたらす経済的孤立主義は排除されるべきだ、という国際世論を盛り上げることが必要だと思います。

|

« 習近平主席と李克強総理との関係は大丈夫なのか | トップページ | 「爆買い」の次は中国人の日本企業への「爆就職」か »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 習近平主席と李克強総理との関係は大丈夫なのか | トップページ | 「爆買い」の次は中国人の日本企業への「爆就職」か »