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2016年3月19日 (土)

社会主義的発想が中国経済発展を阻害する

 水曜日(2016年3月16日)、中国で全国人民代表大会が閉幕しました。今回の全人代の大きな目玉案件のひとつは「第十三次五カ年計画」の採択でした。

 中国の現在の経済体制は、市場原理が大幅に取り入れられており、客観的に言ってもはや「社会主義」とはとても言えないものになっています。私は「中国共産党という名称の集団がコントロールする資本主義」と言った方が客観的に言って正しい表現だと思っています。中国自身はこの経済体制を「中国の特色のある社会主義」と言っていますが、それはスシ飯を肉や卵やにんにくと一緒に炒めたものを「中国の特色のあるスシだ」と言い張っているようなものです。そのようなものはもはや「スシ」と言うのは適切ではなく、きちんと「ある種のチャーハンなのだ」と言うべきでしょう。

 従って、本来はソ連型社会主義で用いられた「五カ年計画」は、もはや現在の中国に必要なものだとは思えません。ただ、かつて日本に「経済企画庁」があったように、純粋に市場経済に基づく資本主義体制であっても、政府が「五カ年計画」を立てて、各経済主体(企業や国民)に一定の「目指すべき方向」を示すことには一定の意味はあります(政府による一種の「アドバルーン効果」)。従って、現在の中国経済の実体が資本主義的なものであったとしても、「五カ年計画」を立てること自体については、私は無意味だとは思っていません。

 ただ、中国政府が自らの経済体制を「中国の特色のある社会主義」と称し、政治経済をコントロールしている集団を「中国共産党」と呼び続け(名称と実態を合わせるのであれば、もはや「中国執政党」とか「中国経済社会政策企画実行集団」とでも呼んだ方が適切でしょう)ているために、中国政府(中央政府及び地方政府)の実務担当者や国有企業などの企業トップの多くの頭の中に「社会主義的発想」が残ってしまっていると思います。そのことが、おそらくは現在の中国における最大の問題だと思います(今や、中国にも、IT企業など民間企業のトップの中には、完全に自由主義経済的発想を持つ人は大勢いますが)。

 「社会主義的発想」とは具体的には以下のようなものです。

A:企業が目指すべき最終的な目的は利潤の追求ではなく、雇用の最大化である。

B:政府や企業が目指すのは「製品を計画された量だけ生産すること」であって「生産された製品が売れるかどうか(従って品質がよいかどうか)」は関係ない(純粋な社会主義体制下においては、需要量と同じ量だけの製品が作られるので、製品の性質がよかろうが悪かろうが全て売れる(消費される)ので)。

 Aの発想があるので、「社会主義的発想」の下では労働生産性向上のためのイノベーションを起こそうというインセンティブが働きません。「社会主義的発想」の下では、労働者の雇用を奪う生産用ロボットの導入は「悪」となります。また、「社会主義的発想」では、エネルギーを大量に消費し、大量の労働者を雇用する企業は「よい企業」となり、省エネ・省マンパワーに努力する企業(労働者の数を減らそうと努力する企業)は「悪い企業」となります。

 改革開放政策初期の1980年代、諸外国の事例を導入する一環として、中国でもスーパーマーケット(中国語で「超級市場」)が開設されましたが、初期の中国のスーパーマーケットには従業員がウヨウヨいて変な感じでした。商品の選択を客自身にやらせることにより従業員(売り子)の数を減らして人件費を抑制し、その分商品の価格を安くして売る、というスーパーマーケットの導入理由を最初にスーパーマーケット方式を導入した中国の経営者は理解していなかった(または従業員を減らすと、政府の担当部門から文句が出た)のだと思います。

 また、上記Bの例ですが、社会主義的発想の下では、計画された数量(例えばテレビなら○○万台、リンゴなら○○トン)を生産することが求められるのであって、「品質を良くしてたくさん売れるようにする」という発想はありません。

 1980年代後半の北京駐在時の私の経験では、中国のお店で蛍光灯を買うと、10本のうち1本は寸法が合わなくてソケットに入らない、ソケットに入る9本のうち1本はスイッチを入れても点灯しない、ソケットに入って点灯する8本のうち1本は数分たつとすぐキレる、従って、蛍光灯を買う時は必要な本数より2~3割多く買う、というのが普通でした。当時の中国製の蛍光灯はかなり安かったのですが、まともに使える数を揃えるためにはたくさんの数を買わなければならないので、実質的にはそんなに安くない、というイメージを持ったことを覚えています(今の中国製品の性能は格段によくなっているので、現在はこんなことはありません)。

 「社会主義的発想」の下では、リンゴについては「○○トン生産すること」が重要であって、そのリンゴが甘かろうが、酸っぱかろうが、虫が食っていようが関係ないのでした。1980年代後半の北京駐在時には、農民が計画量を越えて生産した分は自由に売ってもよい制度が確立していましたので、品質の良いリンゴ(売れるリンゴ)は自由市場に流れ、国営商店に回ってくるのは品質の悪い売れないリンゴばかりでした。ある時、国営商店でリンゴを買おうと思ったら虫が食っていたので、売り場で虫食いのないリンゴを探したのですが、驚いたことに100%全てのリンゴに虫食いが入っていました。「国営商店では虫食いリンゴが多い」なんていう甘いものではなく、国営商店では「完全に全てが虫食い」なのでした。国営商店は、売れようが売れまいが「○○トンいくら」で買ってくれるので、農民は手間暇を掛けて虫食いリンゴだけを選別して国営商店に売り、虫の食っていない売れるリンゴは自由市場で高い値段で売っていたのでした。

 生産者が「社会主義的発想」に凝り固まっていたとしても、実際に中国に市場原理が浸透していけば、「品質の悪いもの」は売れなくなるはずなのですが、中国では、1980年代以降、農民の所得が増えるにつれ消費の需要量が継続的に増え続けていたため、2000年代に入ってもなお「品質が悪くても作れば作るだけ売れる」という時代が続きました。ニセものでも安ければ売れたので、ニセもの造りもなくなりませんでした。経済発展に伴う一般大衆の所得増に伴って恒常的に需要量が生産量を上回る状況が続いたため、「品質は関係ない。量をたくさん作ればよい(従って、品質向上の努力をしない)」という「社会主義的発想」は現在まで温存されてしまったのでした。

 しかし、2010年代に入り、中国においてももはや「量をたくさん作ればいくらでも売れる」という時代は既に終わったと言えるでしょう。中国でも既に「消費者が満足するもの(=安くて品質のよいもの)でなければ売れない」時代になりました。従って、中国の市場でも、もはや社会主義的発想の企業、具体的には上記Aのように「従業員が大勢いて生産コストが高いので製品の価格が高い企業」や上記Bのように「品質がよくても悪くてもたくさん作ろうとする企業」は生き残れないのです。

 一方で、現在の中国政府は、「五カ年計画」を今でも作成しており、「公有経済を主体とする」方針を変えようとしていません。「中国共産党」という名称を頂いている集団が政権を担っている以上、「社会主義的発想を捨てよう」といった運動を進めることはできないのでしょう。従って、「社会主義的発想の企業」もこれからも温存されることになるのでしょう。中国共産党の政策目標としては、中国経済の発展よりも中国共産党による支配の維持の方を重要視しているので、労働者の大量リストラによる社会不安発生は避けたいので、多くの国有企業に対しては、「利潤の最大化」ではなく「雇用の最大化」を求め続けていくことになるのでしょう。従って、私は、中国経済を考える上では、「中所得国のワナ」に陥るかどうかを考える以前に、「社会主義的発想」の温存が中国経済発展の最大の阻害要因になっていくだろうと思っています。

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コメント

( ̄ー ̄)ニヤリ一党独裁の資本主義経済・・・中国の新しい資本主義国家のあり方がどこまで゛通用するか、大いなる実験ですね。今や中国は、新資本主義の実験国家として注目されている、ということです。欧米の民主主義的資本主義と中国の一党独裁の資本主義・・日本も日本人の精神風土に根ざした独自の資本主義体制を戦後模索して来たが、未だ独自の日本流の独自の資本主義の確立までには至っていないですね。

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2016年3月21日 (月) 16時02分

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