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2016年3月

2016年3月26日 (土)

習近平主席と李克強総理との関係は大丈夫なのか

 先に開催された今年の全人代の冒頭、李克強総理が約2時間にわたって行った政府活動報告の演説を終わった後で席に戻るとき、習近平主席が拍手をせず、李克強総理と目を合わせることもなかったことが報道されています(というか、テレビで生中継されていたので、中国人民や世界の人々がみんな知っています)。このブログで前にも何回か書いたことがあるのですが、習近平主席と李克強総理については、「公の場ではウソでもいいから仲の良い様子を示して、党中央が一致団結している姿を中国人民と世界に示したらいいのになぁ」と心配になるくらい、公の場で示されるこの二人の「遠い距離感」は非常に気になります。

 その後、さらに私が気になったのは、3月22日(火)午前に開かれた中央全面深化改革指導小組第22回会議に小組の副組長であるはずの李克強総理が欠席したことです(他の副組長である劉雲山氏と張高麗氏(ともに中国共産党政治局常務委員)は出席しています)。李克強総理が欠席したのは、中国・メコン川周辺諸国首脳会談とボアオ経済フォーラムに参加するために海南島に行っていたからなのですが、李克強総理の海南島出張は3月22日~25日で、スケジュールをちょっと調整すれば、李克強総理も「小組」の会合に出られたはずです。

 この日の「小組」では、司法制度改革や貧困対策、児童医療衛生改革、投融資体制改革等が議論されており、客観的に言って「国務院総理の李克強総理が欠席していいの?」と私は思いました。李克強総理の欠席は「中央全面深化改革指導小組は習近平主席(=中国共産党総書記)が主宰しているけれども、結局はその程度の重要性しかない会議なのだ」という印象を内外に与えてしまい、習近平主席の「権威」のイメージにもキズを付けかねないものだと私は思いました。

 欠席の理由になった会議のうち、中国・メコン川周辺諸国首脳会議は外国首脳を呼んで行う国際会議だから重要なのはわかりますが、ボアオ経済フォーラムの方は非政府団体が主催する経済フォーラムであって、確かに胡錦濤時代から例年行われている重要な会議ではあるのですが、中国共産党の重要会議とは性質が全く違います(ボアオ経済フォーラムを主催しているのは、福田康夫元総理が理事長をやっている民間団体です)。

 中国での報道によると、李克強総理は、昨日(3月25日(金))まで海南島におり、視察などを行っています。一方、昨日(3月25日)は、中国共産党政治局会議が開かれ、「経済建設と国防建設の融合」「長江経済ベルトの発展」に関する議論が行われました。海南島から北京まで、4時間もあれば飛行機で移動できるので、この政治局会議に李克強総理が出席していないはずはないのですが、明示的に「3月25日の政治局会議には李克強総理も出席した」とは報じられていません。李克強総理については、3月25日の海南島での視察などが報じられているので、報道だけ見ていると、まるで李克強総理がこの日の政治局会議も欠席したような印象を受けてしまいます(もし仮に本当に李克強氏がこの日の政治局会議に出ていないのであれば、それ自体「とんでもない大ニュース」です)。

 普通の会社でも、「社長派」と「専務派」の派閥があって、社員は社長と専務の顔色を伺いながら仕事をしている、ということもあるのでしょうが、組織の管理上はそれは相当に「マズイ状態」です。習近平主席と李克強総理は、「ウソでもいいから」、公の場では、「意思疎通が十分はかられ、同じ方向で努力している」という姿勢を見せて欲しいと思います。

 前にも書きましたが、胡錦濤主席と温家宝総理は、常に意志疎通が行われ、胡錦濤主席がリーダーで温家宝総理が実務担当者という関係が明確でした(というか、そういう関係であることを意図的に人民に見せていた)。そのため、ネット上では「錦宝飯」(「五目ご飯」の意味だが「飯」はファンと発音するので「胡錦濤主席と温家宝総理のファン」という意味にもなる)という言葉が流行ったりしました。

 習近平主席と李克強総理の関係が「不仲のように見える」だけではなく、もし仮に「実際に不仲」なのだとしたら、来年(2017年)秋にも行われる予定の次の中国共産党大会へ向けて、習近平主席の二期目(2018年~2013年)も李克強氏が国務院総理を務めるのかどうか、という点も含めて、中国政治における最大の「リスク」になると思います。

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2016年3月19日 (土)

社会主義的発想が中国経済発展を阻害する

 水曜日(2016年3月16日)、中国で全国人民代表大会が閉幕しました。今回の全人代の大きな目玉案件のひとつは「第十三次五カ年計画」の採択でした。

 中国の現在の経済体制は、市場原理が大幅に取り入れられており、客観的に言ってもはや「社会主義」とはとても言えないものになっています。私は「中国共産党という名称の集団がコントロールする資本主義」と言った方が客観的に言って正しい表現だと思っています。中国自身はこの経済体制を「中国の特色のある社会主義」と言っていますが、それはスシ飯を肉や卵やにんにくと一緒に炒めたものを「中国の特色のあるスシだ」と言い張っているようなものです。そのようなものはもはや「スシ」と言うのは適切ではなく、きちんと「ある種のチャーハンなのだ」と言うべきでしょう。

 従って、本来はソ連型社会主義で用いられた「五カ年計画」は、もはや現在の中国に必要なものだとは思えません。ただ、かつて日本に「経済企画庁」があったように、純粋に市場経済に基づく資本主義体制であっても、政府が「五カ年計画」を立てて、各経済主体(企業や国民)に一定の「目指すべき方向」を示すことには一定の意味はあります(政府による一種の「アドバルーン効果」)。従って、現在の中国経済の実体が資本主義的なものであったとしても、「五カ年計画」を立てること自体については、私は無意味だとは思っていません。

 ただ、中国政府が自らの経済体制を「中国の特色のある社会主義」と称し、政治経済をコントロールしている集団を「中国共産党」と呼び続け(名称と実態を合わせるのであれば、もはや「中国執政党」とか「中国経済社会政策企画実行集団」とでも呼んだ方が適切でしょう)ているために、中国政府(中央政府及び地方政府)の実務担当者や国有企業などの企業トップの多くの頭の中に「社会主義的発想」が残ってしまっていると思います。そのことが、おそらくは現在の中国における最大の問題だと思います(今や、中国にも、IT企業など民間企業のトップの中には、完全に自由主義経済的発想を持つ人は大勢いますが)。

 「社会主義的発想」とは具体的には以下のようなものです。

A:企業が目指すべき最終的な目的は利潤の追求ではなく、雇用の最大化である。

B:政府や企業が目指すのは「製品を計画された量だけ生産すること」であって「生産された製品が売れるかどうか(従って品質がよいかどうか)」は関係ない(純粋な社会主義体制下においては、需要量と同じ量だけの製品が作られるので、製品の性質がよかろうが悪かろうが全て売れる(消費される)ので)。

 Aの発想があるので、「社会主義的発想」の下では労働生産性向上のためのイノベーションを起こそうというインセンティブが働きません。「社会主義的発想」の下では、労働者の雇用を奪う生産用ロボットの導入は「悪」となります。また、「社会主義的発想」では、エネルギーを大量に消費し、大量の労働者を雇用する企業は「よい企業」となり、省エネ・省マンパワーに努力する企業(労働者の数を減らそうと努力する企業)は「悪い企業」となります。

 改革開放政策初期の1980年代、諸外国の事例を導入する一環として、中国でもスーパーマーケット(中国語で「超級市場」)が開設されましたが、初期の中国のスーパーマーケットには従業員がウヨウヨいて変な感じでした。商品の選択を客自身にやらせることにより従業員(売り子)の数を減らして人件費を抑制し、その分商品の価格を安くして売る、というスーパーマーケットの導入理由を最初にスーパーマーケット方式を導入した中国の経営者は理解していなかった(または従業員を減らすと、政府の担当部門から文句が出た)のだと思います。

 また、上記Bの例ですが、社会主義的発想の下では、計画された数量(例えばテレビなら○○万台、リンゴなら○○トン)を生産することが求められるのであって、「品質を良くしてたくさん売れるようにする」という発想はありません。

 1980年代後半の北京駐在時の私の経験では、中国のお店で蛍光灯を買うと、10本のうち1本は寸法が合わなくてソケットに入らない、ソケットに入る9本のうち1本はスイッチを入れても点灯しない、ソケットに入って点灯する8本のうち1本は数分たつとすぐキレる、従って、蛍光灯を買う時は必要な本数より2~3割多く買う、というのが普通でした。当時の中国製の蛍光灯はかなり安かったのですが、まともに使える数を揃えるためにはたくさんの数を買わなければならないので、実質的にはそんなに安くない、というイメージを持ったことを覚えています(今の中国製品の性能は格段によくなっているので、現在はこんなことはありません)。

 「社会主義的発想」の下では、リンゴについては「○○トン生産すること」が重要であって、そのリンゴが甘かろうが、酸っぱかろうが、虫が食っていようが関係ないのでした。1980年代後半の北京駐在時には、農民が計画量を越えて生産した分は自由に売ってもよい制度が確立していましたので、品質の良いリンゴ(売れるリンゴ)は自由市場に流れ、国営商店に回ってくるのは品質の悪い売れないリンゴばかりでした。ある時、国営商店でリンゴを買おうと思ったら虫が食っていたので、売り場で虫食いのないリンゴを探したのですが、驚いたことに100%全てのリンゴに虫食いが入っていました。「国営商店では虫食いリンゴが多い」なんていう甘いものではなく、国営商店では「完全に全てが虫食い」なのでした。国営商店は、売れようが売れまいが「○○トンいくら」で買ってくれるので、農民は手間暇を掛けて虫食いリンゴだけを選別して国営商店に売り、虫の食っていない売れるリンゴは自由市場で高い値段で売っていたのでした。

 生産者が「社会主義的発想」に凝り固まっていたとしても、実際に中国に市場原理が浸透していけば、「品質の悪いもの」は売れなくなるはずなのですが、中国では、1980年代以降、農民の所得が増えるにつれ消費の需要量が継続的に増え続けていたため、2000年代に入ってもなお「品質が悪くても作れば作るだけ売れる」という時代が続きました。ニセものでも安ければ売れたので、ニセもの造りもなくなりませんでした。経済発展に伴う一般大衆の所得増に伴って恒常的に需要量が生産量を上回る状況が続いたため、「品質は関係ない。量をたくさん作ればよい(従って、品質向上の努力をしない)」という「社会主義的発想」は現在まで温存されてしまったのでした。

 しかし、2010年代に入り、中国においてももはや「量をたくさん作ればいくらでも売れる」という時代は既に終わったと言えるでしょう。中国でも既に「消費者が満足するもの(=安くて品質のよいもの)でなければ売れない」時代になりました。従って、中国の市場でも、もはや社会主義的発想の企業、具体的には上記Aのように「従業員が大勢いて生産コストが高いので製品の価格が高い企業」や上記Bのように「品質がよくても悪くてもたくさん作ろうとする企業」は生き残れないのです。

 一方で、現在の中国政府は、「五カ年計画」を今でも作成しており、「公有経済を主体とする」方針を変えようとしていません。「中国共産党」という名称を頂いている集団が政権を担っている以上、「社会主義的発想を捨てよう」といった運動を進めることはできないのでしょう。従って、「社会主義的発想の企業」もこれからも温存されることになるのでしょう。中国共産党の政策目標としては、中国経済の発展よりも中国共産党による支配の維持の方を重要視しているので、労働者の大量リストラによる社会不安発生は避けたいので、多くの国有企業に対しては、「利潤の最大化」ではなく「雇用の最大化」を求め続けていくことになるのでしょう。従って、私は、中国経済を考える上では、「中所得国のワナ」に陥るかどうかを考える以前に、「社会主義的発想」の温存が中国経済発展の最大の阻害要因になっていくだろうと思っています。

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2016年3月12日 (土)

中国政府による「強制措置」がもたらすもの

 先日(2016年3月3日(木))NHK総合テレビで放映された「クローズアップ現代」(『新たな成長』は実現できるか~中国経済の行方~)では、全人代の開催を前にして、中国経済が取り組むべき課題について報じていました。この番組で紹介していたのは次の三点です。

○鉄鋼や石炭等の「ゾンビ企業」(赤字を垂れ流しながら操業を続ける国有企業)は、雇用を維持するため、地元政府が補助金を出して「生きながらえさせている」ケースが多いので、「ゾンビ企業」の整理にはおそらく大きな困難が伴う。

○中国経済を消費中心の経済にするため、中国政府は、全国にインターネット網を整備するとともに、店舗のない地方の農村に補助金を出してインターネット通販会社の代理店を出店させ、インターネットを使ったことがない農民がインターネット・ショッピングをできるようにする施策を進めている(私は、この政策は中国全体の消費拡大に実際にかなりの効果が見込めるのではないか、との印象を受けた)

○農民の都市住民化を進めるため、地方都市に農村からの移住者用住宅群を建設し、その地方都市に企業を誘致して、農民を強制的にその地方都市に移住させて元農民を企業で働く都市住民に変えようとしている。

 私が気になったのは、三つ目の「農民を強制的に農村から都市に移住させる政策」です。中国では、行政機関が「強制的に」住民に何かをさせる、というのは、結構よくあることですが、こうした「強制措置」は、中国社会を沈滞させ、中国経済の活力を奪うおそれがあると思ったからです。

 私が北京に駐在していた2008年、オリンピックのために日によってナンバー・プレートの偶数奇数で使用できる自動車を制限する、という「強制措置」がありました。2008年9月に訪れた寧夏回族自治区では、羊の放牧が禁止され、遊牧民が強制的に政府が作った住宅に居住させられ、黄河の水で灌漑されたトウモロコシ畑で農業をするような政策(生態移民)が実施されていました。

 寧夏回族自治区の政策が採られているのは、羊を草原に放つと、草の根まで食べてしまい、草原が砂漠化して回復不可能になるため、住民の持続可能な生活を維持するためには、羊の放牧をやめ、定住して農業をするよりほかに方法がないからです。従って「自治区政府の方針は数千年にわたる遊牧民の生活を破壊するものだ」とひとことで批判できるほど単純な話ではない、と私も理解はできたのですが、元遊牧民に対して「強制的に住む場所と職業を与える」という方針については「それでいいのかなぁ」というのが率直な感想でした。

 通常の国では、国民は、居住場所と職業を自分で選択する自由が保証されており、政府ができる政策と言えば、減税措置や補助金などを使って政府が進めたい方向に国民を「誘導すること」だけです。一方、中国では、都市住民(非農村戸籍保有者)については職業選択の自由はありますが、農民(農村戸籍保有者)は、生まれた農村に住み農業に従事することが大原則です(農民にも都市部に出稼ぎに出る「自由」はありますが、医療保険は故郷の農村でしか使えず、こどもも故郷の農村の学校に通わせることが原則)。このため、中国では、農民に対して居住場所と職業を政府が「指定する」ことは、それほど「不自然」ではありません。

 中国で居住場所と職業選択に関する「強制措置」が「普通」に行われる背景には、「中国共産党は『よりよい方向』をわかっているので『強制的措置』を使ってでも人民をその方向に引っ張っていくことが結果的には結局各人民にとってもプラスになるのだ」という発想があるのでしょう。

 ただ、「人民を中国共産党の方針に従って強制的に一定の方向に持っていく」という発想は、毛沢東時代の発想です。トウ小平は、経済面で毛沢東時代の発想の束縛から中国人民を解き放ったのですが、その改革開放政策によって中国人民の「やる気」が解き放たれたことが1980年代以降の中国経済の驚異的な発展の一番大きな原動力だった、と私は考えています。

 今、習近平政権は、毛沢東時代に舞い戻って、政府の意図によって、一部の人民(=農民の一部)の居住場所と職業選択を強制的にコントロールしよう、としているようです。多くの人民が中国と自分の人生の将来に明るいものを感じていた1980年代のトウ小平時代を知っている私としては、こうした「毛沢東時代の強制措置」への逆戻りは、結果的に中国社会を沈滞させ、活力を削ぐことになるのではないかと心配しています。

 改革開放政策によって、豊かな生活を求めて都会に出稼ぎに出てきた「農民工」の意欲と活力こそが、中国沿岸部の都市建設を支え、輸出型製造業を発展させて中国を「世界の工場」そして世界第二位の経済大国に押し上げた原動力だったと思います。今、居住場所と職業選択に関する政府の「強制措置」によって、農民(=農村戸籍保有者)の意欲と活力が削がれることになるとしたら、1980年代以降の中国経済発展の最大の活力源が失われてしまうことになると言えます。

 今の習近平政権の意図は、おそらくは、中国人民全てに居住場所と職業選択の自由を与えると、大都市に人口が集中し、結果的に経済格差の拡大がさらに進んでしまうことから、経済全体の発展スピードを犠牲にしてでも、一部の中国人民の居住場所と職業選択に対して「強制措置」を発動して、中国経済全体のアンバランスを是正しようとしているのだと思います。

 この政策によれば、中国経済のハードランディングは回避できるかもしれませんが、経済成長のスピードを非常にゆっくりとしたものにする可能性があります。そうなると、今既に裕福になっている富裕層は、活力を失った中国経済に失望し(=中国国内には投資対象がなくなると感じて)、持っている資産を海外に流出させるとともに、富裕層自体が移民として海外に流出していく可能性があります。その意味で、中国政府による人民の居住場所と職業選択に対する「強制措置」の強化は、隣国の日本に対しても多大な影響を与えることになるので、中国の政策進展については、注意深く見守って行く必要があると思います。

 なお、先週号(2016年3月12日号)の「週刊東洋経済」の「中国動態」の欄ではジャーナリストの田中信彦氏が「中国経済に失望した富裕層の海外脱出が加速」と題する文章を掲載しています。この文章に「富裕層の『本命』は日本 投資移民開始に期待」とある点には大いに注目する必要があると私は思っています。

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2016年3月 5日 (土)

「ゾンビ企業処置」と「公有経済主体は揺るがない」こととの関係

 今日(2016年3月5日)から中国では全国人民代表大会(全人代)が開かれています。冒頭の李克強総理による「政府活動報告」では、今後取り組むべき課題が示されました。その中の重要なポイントの一つは、鉄鋼、石炭等の分野での国有企業の生産過剰解消問題でした。李克強総理は、赤字を垂れ流しながら操業を続けるいわゆる「ゾンビ企業」を適切に処置する、と強調しました。

 過剰な生産設備の削減や「ゾンビ企業」の整理は、自由主義経済圏では、原則として市場原理に基づく「自然淘汰」によって行われます。自由主義経済下では、赤字経営の企業は存続できないので、好むと好まざるとに係わらず「ゾンビ企業」は整理されていきます(それに伴って、労働者の解雇なども行われる)。ところが中国共産党が指導する政治経済システムにおける中国の公有企業では、利潤の追求以上に労働者の雇用の維持が重要視される傾向があり、赤字経営の国有企業(いわゆる「ゾンビ企業」)でも、政府からの補助金などにより生き長らえ、操業を続けるケースが多々あります。李克強総理による「ゾンビ企業を適切に処置する」との宣言は、そうした公有企業であるが故の問題点にメスを入れるぞ、との意思表示だ、と受け取ることができます。

 一方、今日付けの「人民日報」1面トップ記事は「我が国の基本的経済制度は全く動揺しない 各種所有制経済の健康的な発展を推進する」と題するものでした。内容は、昨日(3月4日)開かれた会議で習近平主席が「公有制経済を主体とし、多種所有制経済を共に発展させていく、という基本的経済制度は中国共産党が確立した一大政策方針であり、公有経済を確固としたものにして発展させることは全く動揺させてはならないし、非公有経済による経済発展を支持し奨励することも全く動揺させてはならない」と強調したことを伝えるものでした。

 おそらくは「ゾンビ企業(=赤字を垂れ流しつつ操業を続ける国有企業)」を整理すると主張している李克強総理の「政府活動報告」によって国有企業関係者が動揺することを防ぐために、同じ日の「人民日報」1面トップに「公有経済を主体とする制度は全く揺るぎない」と主張する習近平主席の言葉を載せて、一種のバランスを取ったのだと思います。ただ、「政治的なバランス感覚に基づく配慮」はいいのですが、李克強総理の「政府活動報告」と「人民日報」1面トップ記事の両方を見ると、結局、「構造改革」とはどちらの方向に向けて動くのかわからない(赤字の国有企業をリストラするのか、しないのか、わからない)、との印象を与えるものになっている、と私は感じました。

 1978年に始まったトウ小平氏による「改革開放政策」では、市場原理に基づいて活動する外資企業や民営企業の存在を認めるとともに、事業の効率化や国際競争力強化のため、国有企業であっても多くの分野で企業分割を実施して競争原理を導入しました。この政策は、国有企業であっても、競争に負けた企業は破産することになる、との考え方に基づくものでした。この基本的考え方にのっとって、かつて朱鎔基氏が国務院総理等で経済政策を担当していた時代(1993~2003年)には、効率の悪い多くの国有企業において破産処理が行われました(多くの労働者もリストラされた)。

 ところが今日の李克強総理の「政府活動報告」では、「合併・再編、清算などで『ゾンビ企業』に適切に対処する。」としています。今日の「人民日報」1面トップに掲載された習近平主席の「公有企業を主体とする経済体制は揺るぎない」との主張と併せて考えると、具体的な「ゾンビ企業」に対する対処の方法としては、「破産」という形で「切り捨てる」だけでなく、競争力の強いところとの「合併・再編」も考えているようです。これを見ると、今回示された「ゾンビ企業」への対処、は、朱鎔基時代の国有企業破産処理より不徹底なものになってしまうのではないか、との懸念がぬぐえません。

 朱鎔基氏の時代には、中国では輸出型製造業が急速に発達し、中国が「世界の工場」と言われるようになりつつある時代だったことから、破産処理された非効率な国有企業をリストラされた労働者の再就職先も比較的見つけやすいものでした。しかし、今は既に中国で輸出型製造業が急速に拡大する時代ではなくなっています。今の中国ではサービス産業やインターネット関連企業の発展にはめざましいものがありますが、これら新しい分野の企業が求める人材と鉄鋼や石炭等の伝統的国有企業をリストラされた労働者の能力との間には大きなミスマッチがあり、もし「ゾンビ企業」が破産処理されることになった場合、リストラされた労働者が再就職先を見つけるのにはかなりの困難が伴う可能性が大きいと思われます。

 李克強総理の「政府活動報告」だけでは、「ゾンビ企業の処置」を具体的にどのように進めるのか(労働者がリストラされた場合、再就職先をどうやって見つけるのか)については、よくわかりません。雇用を維持させたいと考えている地方政府との関係をどうやって調整するのかも不明です。全人代等の会議でどう議論されるのか、ではなく、「ゾンビ企業の処置」が具体的実行段階でどのように進められていくのかが問題です。中国の「ゾンビ企業の処置」は、中国経済の活性化や中国社会の安定化はもちろんのこと、製品の過剰供給の問題を通じた世界経済への影響が大きいので、その進捗度合いについては、今後も注視していく必要があると思います。

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