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2015年12月 5日 (土)

習近平・李克強体制の「バラバラ感」

 私は1980年代後半の「胡耀邦総書記-趙紫陽総理の時代」と2000年代後半の「胡錦濤総書記(国家主席)-温家宝総理の時代」の2回北京駐在をしていますが、その両方とも、「党のトップ」と「国務院のトップ」との関係は、「党のトップ」は「政治的基本路線のリーダー」であり、「国務院のトップ」は「現実的政策遂行のリーダー」であったので、この二人の関係は比較的わかりやすいものでした。

 私は「毛沢東主席-周恩来総理」の時代もリアルタイムで知っている世代なので、「毛沢東-周恩来」という「史上最強のコンビ」の印象を強く引きずっているのかもしれません。「江沢民総書記(国家主席)-朱鎔基総理」の時代も、私自身は仕事上も中国とは関係なく、中国情勢は新聞等の報道で知るだけでしたが、基本的な「党のトップと国務院のトップとの関係」は、他の時代とは変わらないという印象を私は持っています。

 ところが、習近平総書記(国家主席)と李克強総理の時代になってから、この二人の関係は私の中の従来の「党のトップと国務院のトップとの関係」とは全く違うものに感じるようになっています。

 胡錦濤-温家宝時代は、明らかに胡錦濤主席の方が「上司」であり、胡錦濤主席が温家宝総理に指示を出し、温家宝総理が実務の問題を胡錦濤主席に報告して判断を仰ぐ、といったイメージを私は強く持っていました(2008年5月の四川巨大地震災害に対する対応では、胡錦濤主席と温家宝総理との関係は明らかにこの関係でした)。また、胡錦濤主席と温家宝総理は、二人とも基本的に目指している政策路線は同じ方向を向いていたように見えました。

 ところが、習近平主席と李克強総理の関係については、私の記憶の中では、「習近平主席が李克強総理に指示した」「李克強総理が習近平主席に報告して主席の判断を仰いだ」といった場面は見たことはありません。「抗日戦勝利70周年軍事パレード」では、習近平主席が主役であったのに対し、李克強総理がイベントの司会進行役をやっていたので、習近平主席の方が「上司」なんだろうなぁ、と感じた程度でした。

 打ち出す政策の中身についても、習近平主席の方は「政府が経済をコントロールし、経済構造改革よりも雇用の確保を重視する」ように見えるし、李克強総理の方は「雇用問題が発生したとしても、非効率な国有企業は市場から撤退させ、市場原理に基づく経済体制改革を進める(政府によるコントロールはできるだけ排除する)」方向を向いているように見えます。

 「この二人の上下関係がわからない」「経済政策の方向性が逆のように見える」ことから、私は、習近平-李克強体制について、過去の中華人民共和国のトップ2にはない「バラバラ感」を持っています。

 私の「バラバラ感」を象徴するような出来事が最近続けてありました。

○11月19日、習近平主席と李克強総理は、それぞれ、過激派集団「イスラム国」が中国人人質を殺害したことについて、この事件を非難し、あらゆるテロリズムに反対する意志を表明するコメントを発表した。

○11月22日、習近平主席と李克強総理は、それぞれ、アフリカのマリで起きたイスラム過激派によるホテル襲撃事件で中国人3名が死亡したことに対して、テロ行為を非難するコメントを発表し、この事件への対処に関する重要指示を出した。

○11月24日、習近平主席と李克強総理は、それぞれ、北京で開催された2015年世界ロボット大会の開幕に対して祝電を送った

○11月24日、習近平主席と李克強総理は、それぞれ、2022年に北京とその近郊で開かれる予定の冬季オリンピックについて、準備作業を遺漏なく行うよう重要な指示を出した

 中国の場合、例えば、外国で自然災害が起きた時とか、外国で功績のある要人が亡くなった時とか、国家主席と国務院総理がそれぞれ相手国のカウンターパートに別々に慰問の電話をしたり弔意を表したりすることはよくあることです。上記のうち上の二つは、中国人に対するテロ行為に対する意志表明であって、習近平主席と李克強総理が中国の党と政府を代表して、それぞれテロを非難するコメントを出すことは、それほど不自然ではありません(ただ「テロ行為に対して政府は一丸となって断固とした対応を採っている」ことを示すためには、トップ一人が強いメッセージを出した方が、国民としては政府に対する信頼感を持てるのではないかと私は思っています)。

 一方、上記の例のうち後の二つ「世界ロボット大会に対する祝辞」と「北京冬季オリンピックの準備に対する指示」は、二人が両方ともコメントする必要があるような「重い案件」とは思えません。これら一連の出来事は、結果的に「習近平主席と李克強総理が指導部内で『自分が中心人物だ』と主張して張り合っている(お互いに協力し合う関係にない)」といったイメージを中国人民に発してしまったのではないか、と私は感じています。

 11月27~28日、中央貧困対策開発事業会議で、習近平総書記は、貧困地区の経済・社会発展と貧困層に対する支援を強調する重要演説を行いました。一方、李克強総理は、過剰設備問題解消のため、いわゆる「ゾンビ企業」(死に体企業)の整理を進めることを何度も強調しています。貧困対策も効率の悪い国有企業を整理すること(当然、リストラにより失業者が出る可能性がある)も両方とも重要な政策課題であって、両方ともきちんと進めるべき政策だとは思うのですが、貧困対策を習近平主席が強調し、ゾンビ企業の整理を李克強総理が強調すると、まるで二人が向いている経済対策の方向性が違う(習近平主席は雇用重視、李克強総理は構造改革重視)ように「見えて」しまいます。

 どの国でもどの時代の政府でも「政府自らを国民にどう見せるか」は政権維持にとって極めて重要な課題です。政権自らが「本当は一致団結しているのだけれども、わざとまるでバラバラであるかのように見せる」ことはあり得ないと思うので、私は、習近平主席と李克強総理が、実際、本当に「バラバラ」なのではないかと危惧しています。おそらく、世界の多くの人々が、この習近平・李克強体制の「バラバラ感」を感じており、それが昨今の「中国リスク」を必要以上に強めているのではないかと思います。

 最近外交案件が多いので、中国のメディアでは習近平主席が外国のトップと会談する場面が連日のように報道されています。また、先日の中国共産党中央軍事委員会改革工作会議で、習近平氏が人民解放軍も完全に掌握したことが示されました。このように習近平主席の「皇帝化」「権力の一極集中化」が進むにつれて、同時に李克強総理との間の「バラバラ感」も強くなってきている印象があるのが気になります。私は、1980年代のトウ小平氏時代に北京駐在を経験しているので、トウ小平氏が実権を握っていた時代の中国政府の安定感に「懐かしさ」を持っており、それが今の習近平・李克強体制の「バラバラ感」に不満を覚えてしまう原因なのかもしれませんが。

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