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2015年11月

2015年11月28日 (土)

中国発の世界経済の乱気流はこらから「本番」が始まるのか

 昨日(2015年11月27日(金))、上海株式市場の上海総合指数は、対前日比で5.48%下げ、3,436.3ポイントで引けました。8月25日(火)以来の大幅な下げだったので、多くの人には再び「チャイナ・ブラック・マンデー」の不安がよぎったと思います。この日の上海株の下落は、その後取引された欧米の株式市場には大きく影響を与えませんでしたが、これは感謝祭のため市場参加者が少なかったことが原因であった可能性があり、週明け(11月30日(月))以降の世界のマーケットの反応が注目されます。

 「中国発の悪夢再び」と思わせるような株価の下落を意識したからなのかどうかはわかりませんが、今日(2015年11月28日(土))付けの「人民日報」1面には、「中国経済の四つの『変わらない』」と題する評論が載っていました。この評論では「中国の経済発展が長期的にはよい方向に向かっているという基本的な面は変わっていない」「中国経済の強靱さ、潜在力、転換の余地は大きいという基本的特徴は変わっていない」「中国経済の持続的な成長を支えるための基礎的条件は変わっていない」「中国の経済構造調整の向上前進の勢いは変わっていない」と指摘し、中国経済について心配することはない、と主張しています。

 私は「人民日報」を「ひねくれて」読むクセが付いているので、「人民日報」が「心配することはない」と主張する時が「最も本当は心配する必要がある時なのだ」と思ってしまいます。この「人民日報」の評論は、「中国経済を巡る情勢は何も変わっていないのだから、心配する必要はない」と言っているのですが、むしろ本当は「中国経済の基礎条件に変化がない(進歩がない)ので心配だ」と考えるべきなのでしょう。

 ここから年末まで、中国経済を巡っては、いくつかの「不安要素」が続きます。

○11月30日:IMFが人民元のSDR基準通貨入りを正式決定する見込み

 人民元のSDR基準通貨入りで、世界の人々が人民元に対する信用を高めるのならば人民元高に動くでしょうが、世界の人々(中国の人々も含む)の人民元に対する信用がそもそも低いのならば、人民元のSDR基準通貨入りで人民元の流動性が高まると、返って人民元安に動く可能性もあります。今年8月の状況を見ればわかるように、人民元を巡る為替レートの変動は、中国経済に対する不安を高める可能性がありますので、人民元のSDR基準通貨入り後の人民元為替相場の動向は注視する必要があります。

○中国の株式市場でのIPO(新規株式公開)の再開

 株価の暴落で7月初旬に停止されていたIPOが来週(11月30日の週)にも再開される見込み、とのことです。新規の株を買う資金を得るために手持ちの株を売る人が出るので、IPOの再開は株価の下げの要因になる、と言われていますが(昨日(11月27日)の株価の下げも、IPO再開を目前に控えたことによる下げ、との見方もある)、中国の投資家の心理状態がIPO案件をこなせるほどに回復しているのかは、まだ見えないところです。

○12月15~16日:アメリカFRB(連邦準備制度理事会)がFOMC(連邦公開市場委員会)を開いて利上げをするかどうかを決める

 既に多くの人々が今度の12月会合でアメリカは利上げをするだろう、と見込んでいますが、実際に利上げが行われた後、新興国や中国の市場がどう動くかはなかなか予測ができません。中国については、アメリカで利上げが行われると、中国企業の米ドル建て負債の金利負担が増えるので、アメリカの利上げの実施により、ただでさえ「借金漬け」の心配がある中国経済をさらに冷やしてしまうと心配する人もいます。

○年末に迫る中国の地方政府や企業の債務、理財商品の償還期限などがうまく乗り切れるか

 中国の地方政府や企業が抱える「借金」については、かなり前から問題視されているので、中国当局は「借り換え」や「返済先延ばし」等で「しかるべく対処」が行われているので、心配するほどのことにはならない、と一般的に考えられています。ただ、今年春頃までは時々ニュースになった企業のデフォルト(債務不履行)の話が、その後あまり聞こえてこないので、逆に「実際にはデフォルトになりそうなものはあるのに報道規制をして情報が伝わっていないだけではないのか」と勘ぐる人もいます。

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 一方、中国の政治状況を見てみると、習近平主席による「全権掌握」の動きは、ほぼ完成の域に達したようです。報道によれば、11月26日まで開かれていた中国共産党中央軍事委員会改革工作会議で、習近平氏(党中央軍事委員会主席でもある)が人民解放軍の大規模改革を行うことを表明した、とのことです。これは習近平氏が、軍の内部においても江沢民元主席の息の掛かった幹部を排除し、自らの支配体制を確立したことを表していると言えます。

 習近平主席への「一点権力集中」が進むことは、政治的には「安定化」するのでしょうが、私は、「一点権力集中」によって、リアルタイムで経済状況をウォッチしている経済実務担当者が自分の判断で動いて処罰されることを恐れて「指示待ち」状態になって、実際の経済運営がスムーズに行かなくなるのではないか、と心配しています。

 先日、中国中央電視台の夜のニュース「新聞聯播」で、「反腐敗闘争」の一環として、中国人民銀行の周小川総裁が中国人民銀行の職員の訓示する姿が放映されていました。「中国人民銀行職員と言えども『反腐敗闘争』の対象外ではあり得ない」ということを中国人民に示すためのニュースだと思いますが、私は「こんな『締め付け』をやったら中国人民銀行(中央銀行)の職員は時々刻々と変動する金融動向に応じた臨機応変な対応ができなくなるのではないか」と感じました。

 この懸念は、今年8月11日から三日間、中国人民銀行が不可解な「人民元安方向への為替水準の変更」をしたのは日々の金融動向とは関係ない「人民元をSDR基準通貨入りさせるため」という政治的動機で行われたのではないか、との疑念と相まって、中国の金融当局は、市場の流れと関係なく中国政府(=中国共産党)の意向を反映したオペレーションをするのではないか、との懸念を私に抱かせています。

 中国における習近平主席への「一点権力集中」は、「自由な経済活動が基本である国際経済秩序」の中では、むしろ「不安定な波乱を呼ぶ要因」になる可能性があります。

 これらのことを考えると、今年夏の「中国発の世界経済の乱気流」は単なる「序幕」に過ぎず、「本番」はむしろこれから始まる、と考えた方がいいのかもしれません。昨日(2015年11月27日(金))の上海株式市場の大幅な下げは、その「きざし」であったのかもしれません。

 今日(2015年11月28日(土))の日本経済新聞朝刊19面に「銅急落、陰の主役は中国 上海先物、個人が大量売り」と題する記事が載っていました。この記事では、ロンドン金属取引所(LME)の銅相場は今週6年半ぶりの安値を付けたが、これは上海市場で個人が大量の先物売りをしたから、との見方を紹介しています。こういった「相場」には「はったり」もつきものですので、相場の動きと実際の中国の経済情勢は一致していないのかもしれませんが、中国の銅需要が増える見通しなのだったらこういう「売り仕掛け」はしにくいと思うので、中国の投資家自身、中国経済の低調は今後も続く、と見ているのでしょう。

 中国の大規模景気対策が2008年のリーマン・ショック後の世界経済の立ち直りを引っ張ったのは事実ですから、「リーマン・ショックからの立ち直りはアメリカの金融政策がうまくいったからだ」「アメリカが利上げした後に世界経済が混乱するのは中国経済が低迷しているからだ」という「良いことの原因はアメリカにあり、悪いことの原因は中国にある」といった見方はアンフェアだと思いますが、「世界経済の大変動」を防ぐためには、中国は、中国経済の現状の「真の姿」を透明性を持って世界に説明して、不要な「疑心暗鬼」を解消すべきだと思います。

 なお、多くの企業経営者や個人の中には実際「アメリカの利上げ後、中国発の世界経済の乱気流があるのではないか」との懸念を持っている人も多いと思います。そういった懸念が設備投資や消費にブレーキを掛けている、という見方も、日本の経済政策を進めていく上でも重要な観点だと私は思っています。

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2015年11月21日 (土)

胡耀邦氏生誕100周年記念座談会開催の意味

 胡耀邦氏は、いわば1980年代の中国を象徴する人物です。その胡耀邦氏の生誕100年を記念する「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」が昨日(2015年11月20日)、習近平主席ら中国共産党政治局常務委員7名全員が出席して開催されました。

 1982年、中国共産党はそれまで設けていた「中国共産党主席」の職位をやめ、党のトップを「中国共産党中央委員会総書記」に改めましたが、胡耀邦氏は、初代の党総書記でした。胡耀邦氏は、1980年代前半は、トウ小平氏の次の世代の改革開放の中国の「顔」でしたが、1986年末に上海等で起きた学生らのデモに対する対処がよくなかったとして、1987年1月16日、総書記の辞任を余儀なくされました。そして、1989年4月15日に胡耀邦氏は亡くなりましたが、亡くなった胡耀邦氏を追悼しようとして、学生・市民らが天安門前広場の中央にある人民英雄記念碑に花輪を捧げたことが、その後「六四天安門事件」に繋がる学生・市民の運動に繋がっていったのでした。

 つまり、1980年代の中国では、もちろんトウ小平氏が政治を牛耳っていたのですが、別の見方をすれば「胡耀邦氏を巡って時代が回っていた」とも言えるのです。

 胡耀邦氏は、トウ小平氏の指示の下、1987年初まで「改革開放の時代の中国」をリードした一方、「政治的民主化に理解があったが、それ故に失脚した」として、いわば「政治的民主化運動のシンボル」と見る人も多いと言われています。しかし、1987年1月16日、胡耀邦氏が総書記を辞任した時、私は北京に駐在していましたが、少なくとも私の印象では胡耀邦氏のことを「政治的民主化のシンボルだった」とは思っていませんでした。1986年末の学生デモにより「詰め腹を切らされた」格好で辞任したことで、胡耀邦氏は「政治的民主化のシンボル」に「祭り上げられて」しまったのかもしれません。

 実際に胡耀邦氏が政治的民主化に熱心だったかどうかとは関係なく、胡耀邦氏を「政治的民主化のシンボル」と考える人がいる以上、「六四天安門事件」の結果として政権の座についた江沢民氏の時代には、胡耀邦氏に触れることは、ほとんど「タブー」でした。

 歴史的事実関係として冷静に見れば、1976年の毛沢東主席の死去、その直後の「四人組追放」の後に政権を担当した華国鋒氏からトウ小平氏が権力の実権を獲得していく過程で、胡耀邦氏は、トウ小平氏の「懐刀」として、文化大革命の時期に失脚していた多数の元幹部の名誉回復と復権に尽力したのは間違いのない事実です。そのため、当時を経験して、現在まで生存している中国共産党の老幹部の多くには、胡耀邦氏に対して感謝する感覚を持っている人は多いと思います(習近平主席の父親の習仲勲氏も胡耀邦氏の働きにより復権した一人)。

 このため、胡耀邦氏に対する扱いは、現在でも「非常に微妙な問題」です。

 ちょうど10年前、胡耀邦氏の生誕90周年だった2005年11月には、既に中国共産主義青年団における胡耀邦氏の直接の後継者だった胡錦濤氏が国家主席になっていましたが、胡耀邦氏生誕90周年の行事をどのような形でやるか、は、非常にデリケートな問題でした。胡耀邦氏を称賛することは、「六四天安門事件」を再評価することに繋がる可能性があり、それは依然として政治的に大きな影響力を維持していた江沢民氏が国家主席になった過程について再議論することに繋がる可能性があったからです。

 結局、「胡耀邦氏生誕90周年」の行事は、「記念大会」ではなく「記念座談会」として開催されました。この座談会には、当時7人いた中国共産党政治局常務委員のうち曾慶紅氏ら3人が参加しましたが、胡錦濤主席(党総書記)は参加しませんでした。

 一方、この「胡耀邦氏生誕90周年記念座談会」を切っ掛けとして、「六四天安門事件」の当時党政治局常務委員だった胡啓立氏が2005年12月7日、中国青年報の週刊特集「氷点」に「我が心の中の胡耀邦」(中国語原題「我心中的耀邦」)という文章を寄稿しました。その後、2006年1月13日付けで掲載した中山大学の袁偉時教授による「現代化と歴史教科書」という論文を掲載したことが問題となり、「週刊氷点」は停刊となり、編集長の李大同氏が解任されました(「週刊氷点停刊事件」)。「週刊氷点停刊事件」の直接の切っ掛けは袁偉時教授の論文ですが、背景には胡啓立氏による胡耀邦氏を追悼する文章「我が心の中の胡耀邦」があったと考えられています。

(注)この「週刊氷点停刊事件」の時、「事件」を担当した中国共産党中央宣伝部長は劉雲山氏でしたが、今回の「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」では、政治局常務委員になった劉雲山氏が司会をしました。これは「今は10年前とは違う」ことを象徴的に表す政治的メッセージだと見るべきでしょう。

 その後も、胡耀邦氏の扱いが「極めて微妙な」時期は続きました。

 私が2度目の北京駐在をしている間に「改革開放30周年」がやってきましたが、それを記念して2008年12月に開かれた「中国対外開放30周年回顧展」の展示では、「六四天安門事件」で失脚した趙紫陽氏はもちろん、胡耀邦氏の写真もありませんでした。「改革開放」推進の中心人物はトウ小平氏ですが、それを実行に移す段階で中国共産党のリーダーとして活躍した胡耀邦氏を「中国対外開放30周年回顧展」で紹介しないことについて、この回顧展を見た私は非常に憤慨したことをよく覚えています。

 ところが、胡耀邦氏を再評価する動きは、水面下で続いていたようです。最も象徴的な出来事は、胡耀邦氏の21年目の命日である2010年4月15日付けの「人民日報」に温家宝総理の寄稿文「興義へ再び戻って胡耀邦氏を思う」が掲載されたことでした。中国共産党機関紙の「人民日報」に現職の政治局常務委員・国務院総理の温家宝氏が胡耀邦氏を偲ぶ文章を載せたのですから、この時点で、実質的にほとんど「胡耀邦氏の名誉回復はなされた」と考えるべきだと思います。

(参考)上記の経緯は、このブログの下記の過去の記事に掲載されていますので、御興味のある方は、このブログの左側にある「バックナンバーの目次」または「中国現代史概説の目次」から選んで御覧ください。

2008年12月21日付け記事「改革開放30周年記念日が終了」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/30-eeb6.html

中国現代史概説:
第4章:改革開放政策下で急激な経済成長を遂げる中国
-第1部:改革開放が急速に具体化した1980年代とその矛盾の爆発
--第9節:「第二次天安門事件」
【コラム:温家宝総理による胡耀邦氏を偲ぶ文章】
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/04/post-9ab9.html

中国現代史概説:
第4章:改革開放政策下で急激な経済成長を遂げる中国
-第2部:「第二次天安門事件」以後の中国
--第7節:「氷点週刊」停刊事件
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/05/post-0bd3.html

 従って、今回(2015年11月20日)「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」が開かれたのは、従来、党内で進んで来ていた胡耀邦氏の再評価への動きの延長線上にあるのであって、習近平体制になって何か新しい動きがあった、というわけではないと思います。

 それでも、今回の「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」は、「記念大会」といった党を上げての記念行事ではないものの、その扱いは非常に大きなものになっていることは注目に値します。

 まず、日程ですが、この「座談会」は胡耀邦氏の誕生日の11月20日に開催されたわけですが、この日は、前日に習近平主席がG20首脳会議(トルコで開催)とAPEC首脳会議(フィリピンで開催)から帰国し、李克強総理がASEAC+3会議(マレーシアで開催)に出席のため北京を離れる前の「外交日程上の空白の1日」でした。国際会議の日程は、参加各国の都合を聞いて決めるのですが、もしかすると、これら国際会議の日程は、中国側が「11月20日は大事な行事を北京でやる必要があるので、国際会議の日程はこれと重ならないようにして欲しい」と要望して決まった可能性があります。もし、そうであれば、習近平政権は11月20日の「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」をかなり以前から非常に重要な政治的イベントだと認識して日程を確保していた可能性があります。

 次に注目すべきなのは報道の仕方がかなり「重め」になっていることです。「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」開催当日(11月20日)の中国中央電視台の夜のニュース「新聞聯播」では、30分のうち約9分を使ってこの「座談会」を報じていました。今日(2015年11月21日)付けの「人民日報」では、1面でこの「座談会」の開催を報じているほか、2面に「座談会」で行った習近平主席の「重要講話」の全文を掲載し、6面で各出席者からの発言を詳しく報じています。

 さらに、この「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」を記念して「胡耀邦文選」が出版され、胡耀邦氏の生涯を描く映画も公開される予定、とのことです(私は「胡耀邦氏の生涯を描く映画」は「やり過ぎ」(関係者は調子に乗り過ぎ)だと思います。昨日まで「タブー」だった人物について、党中央が称賛する「座談会」を開くと決めたとたん、その動きに乗っかった「提灯持ち」の映画を作ることは中国では「よくある話」ではあるのですが、客観的に言って「あまりに節操がなさ過ぎる」と思います(中国の多くの人々もそう感じると思います)。こうした「軽い気持ちの(提灯持ちの)胡耀邦氏を称賛する動き」は、「趙紫陽氏を再評価しよう」というまじめな動きに繋がり、それは1989年の「六四天安門事件」の再評価、という現在の中国政治にとって最も「重い課題」を動かす切っ掛けになる可能性をはらんでいると私は思います)。

 一方、私は、今回の「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」の開催が、趙紫陽氏の名誉回復や「六四天安門事件」の再評価に繋がることはない、と思っています。この「座談会」の開催をもって、習近平主席が団派(中国共産主義青年団関係者の派閥:胡錦濤前主席、李克強総理ら)に妥協したと見るのは適切ではないし、ましてや党中央が政治的民主化を求める改革派に理解を示した、と見るのは「甘すぎる」と言えるでしょう。

 習近平主席が重々しく「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」を開いたのは、習近平主席が「今の政権は、腫れ物に触るようにしか『生誕90周年記念座談会』を開けなかった胡錦濤政権とは違う」ことを強調したかったからだと思います。もっと露骨に言えば、この「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」は、習近平主席による「私は江沢民氏の呪縛から完全に解き放たれて、党内の全てを掌握したのだ」と宣言するセレモニーのひとつだった、と言えると私は思います。既に、江沢民氏に任命された軍の幹部を「反腐敗闘争」の中で追放し、江沢民氏の働きかけで政治局常務委員に入ったとされる周永康氏をこれも「反腐敗闘争」の中で失脚させた習近平主席ですが、あえて「私は江沢民氏の呪縛から解き放たれたのだ」と内外に大声で宣言する必要がまだあるのだと私は思っています。

 江沢民氏は、2002年秋の党大会で総書記職を胡錦濤氏に譲った後も、2004年まで党軍事委員会主席の座に座り続けて、その影響力を維持し続けました。胡錦濤政権時代10年間の党政治局常務委員の顔ぶれを見ても、「江沢民氏の息が掛かった人たち」がたくさんいたことでその点は明らかです。私が一番印象的だったのは、2008年8月の北京オリンピック開会式の時、胡錦濤主席の隣に江沢民氏が座っていたことでした。また、2009年10月の国慶節の軍事パレードを伝える2009年10月2日の「人民日報」1面の記事では、胡錦濤主席と並んで江沢民氏の写真が掲載されていました。この時点で江沢民氏の政治的影響力はまだ相当に強かったと想像できます。

 習近平主席は、時折、「江沢民氏に近い」と評されることがありますが、それは胡錦濤-李克強の「団派」との比較の観点で、「『団派』と対立する勢力だから」と見られるからであって、習近平主席の本質は「反江沢民」なのかもしれません。習近平主席の「反腐敗闘争」は、実は「反江沢民派闘争」であることは、江沢民氏に近い軍の幹部や周永康氏の追放劇を見ている限り明らかだと思います。習近平主席が「団派」の李克強氏との関係が微妙であるように見えて、何とか李克強総理と「うまくやっている」のは、もしかすると「江沢民氏の息が掛かった勢力を排除する」という点で、習近平主席と李克強総理とは「同じ目標を持った同志」であるからなのかもしれません。

 その意味で、今回の「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」は、習近平主席による「反江沢民派闘争」の「勝利宣言大会」であったのかもしれません。ただ、中国共産党の内部にも、胡耀邦氏や趙紫陽氏に同情的な考えの人々は今でもかなり多くいると考えられ、今回の「胡耀邦氏生誕100周年記念座談会」は、習近平主席による党内求心力の強化に繋がるというよりも、「百家争鳴」的な党内議論(政治的な民主化の要求も含む)の活発化の切っ掛けになる可能性もある、と私は思っています。

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2015年11月14日 (土)

人民元のSDR基準通貨入りは世界にとってプラスかマイナスか

 報道によれば、IMF(国際通貨基金)の事務局は11月13日、中国の人民元をSDR(特別引き出し権)の算定基準となる通貨のひとつとして採用することを提案した、とのことです。この事務局提案を受け入れるかどうかは11月30日に行われる予定のIMF理事会で決定するとのことです。

 今、SDRの算定基準として採用されいている通貨は米ドル、ユーロ、英ポンドと日本円の4つですが、それに中国の人民元が加わることになります。SDRは、通貨危機等の時にIMF加盟国が引き出すことができる金額を計る仮想的な通貨単位ですので、人民元がSDR算定基準に加わったとしてもすぐに何かが変わるものではありません。ただ、IMFによって人民元が「国際的に主要な通貨のひとつ」と認定されたことになるので、人民元を保有する人(会社)は今後増えるかもしれないし、世界各国の中央銀行の中には外貨準備の一部を人民元で保有しようと考えるところが出てくるかもしれません。

 私の個人的な経験からすれば、人民元は「使いにくい通貨」です。外国人は外国通貨を兌換した「外貨兌換券」(中国人が使う紙幣とは全く異なるデザインの通貨)しか持ったり使ったりできなかった1980年代の北京駐在時の経験は今としては「問題外」ですが、外貨兌換券が廃止された後の2007年~2009年に北京に駐在した時も、人民元については、私は生活に必要な最小限の金額を小まめに日本円から人民元に替えて生活していました。銀行に人民元建て口座も作りませんでした。

 なぜかと言えば、人民元には持ち出し制限があり、人民元を外貨に替える場合は以前に外貨から人民元に替えた範囲内の金額でしかできませんし、外貨に戻すときには外貨から人民元に替えた時のレシートが必要である、など結構手続きが面倒だったからです。

 私の場合、北京離任が決まった時には、計画的に人民元を使って、離任時点では人民元が手元に残らないように使い切るようにしました。

 なお、外国人の中国駐在員にとっては、例えばアパートメントを借りる時に最初に人民元で敷金を支払った場合、中国を離任する時に大家さんから敷金が人民元で返ってくるのですが、その金額を円などの外貨に替えられるのか、といった問題は結構頭を悩ませる問題です。(私の知る限り、離任時に戻って来た敷金(人民元)を外貨に戻すためには以前に外貨から人民元に替えた時の証明書により外貨に替えるべき人民元の金額が外貨から人民元に替えた時の金額より小さいことを証明することが必要)。

 一方、私はアメリカにも駐在経験がありますが、駐在時には当然米ドルで銀行口座を作りましたし、アメリカ駐在期間中に使い残した米ドルは日本に帰国後でも日本の銀行に行けばいつでも日本円に替えられますので、アメリカから帰国した時には「アメリカにいる間に米ドルを使い切ってしまおう」などとは全く考えませんでした。

(注)マネーロンダリング(犯罪で得た資金の国境を超えた移動)を防止するため、どの国でも、どの通貨であっても、外貨の売買や外国への送金については、それなりの「ルール」があり、そのルールも時に応じて変更されることがありますから、実際に外国に駐在しようとされる方は、各国ごとの制度などの最新情報については御自分で調べるようにしてください。

 そうした私の個人的経験から来る感覚からすると、今、中国とビジネスをしている会社の中にも、おそらくは人民元は「いつでも他の通貨に替えられる通貨ではない」と考えて、ビジネスで得た人民元はできるだけ早く米ドルや日本円に替えて資金はドルや円で保管している会社が多いのではないかと思います。つまり、感覚的には「人民元をIMFのSDRの基準通貨にするのは、まだ時期尚早ではないか」と思っている人(会社)も多いのではないか、と私は想像しています。

 そうした中で、IMFが人民元をSDRの基準通貨として採用しようとしている背景には、ヨーロッパ各国にある「米ドルだけが国際基軸通貨として通用しているのはおかしい」という感覚があるのだと思います。例えば、国際的なビジネスの契約は米ドル建てで交わされることが多いのですが、米ドル建て契約では、アメリカ以外の国の会社は為替相場が変動するリスクを負いますが、アメリカの会社には為替相場変動リスクはありません。「これは不公平だ」という不満をヨーロッパ各国は持っており、この点について、中国と意見を同じくしているのだと思います。

 そもそもヨーロッパ各国がフランス・フラン、ドイツ・マルクといった各国別通貨をやめて統一通貨ユーロを作ったのも、ヨーロッパ統合の理想とともに、米ドルに対抗する国際通貨を作りたい、という思いが背景にあったことは間違いありません。アメリカの影響力の大きい日本にいると「人民元のSDR基準通貨入りは時期尚早」と思いますが、ヨーロッパの人は必ずしもそうは思っていないのかもしれません。

 多くの人は、変動相場制ではない人民元をSDR基準通貨にして大丈夫か、と思っていると思います。変動相場制を採用している通貨は、市場原理によって為替相場が動くため、各国政府は自らの意志で通貨の価値を上下させることはできません。しかし、中国の人民元は管理相場制なので、中国政府の意向によって人民元相場を上下させることができます。つまり中国政府は人民元相場を操作することにより、間接的に国際的な基準通貨となるSDRの価値を変えることが可能となるわけですが、これは国際金融秩序の維持のためにはマイナスではないか、という考える人がいるかもしれません。

 また、人民元のSDR基準通貨入りで、私が最も心配しているのは、そもそも通貨の信認はその国の政府の信認に等しいのですが、選挙で選ばれたわけではない(つまり中国人民の総意を受けて政権を担当しているとは言えない)中華人民共和国政府に対して、世界の金融・ビジネス関係者がどの程度の信認を与えるかがよく読めない、という点です。

 中国政府の経済政策に対しては、従来から経済統計に対する不信感があるし、今年(2015年)に入ってからは、株式市場への過剰な介入や人民元相場の突然の切り下げ等により、中国政府の経済運営機能に疑問符が付く場面がありました。また、学生・市民の運動を突然武力で鎮圧した1989年の「六四天安門事件」を忘れていない人も多いと思います。もし世界の金融・ビジネス関係者が中国政府に信用を置いていないのだとしたら、そうした国が発行している通貨を国際基準通貨のひとつとして採用して大丈夫なのか、という懸念は続き、そういう懸念は結果的に国際金融秩序に脆弱性を与える可能性があります。(端的に言うと、人民元がSDR基準通貨の一つとなった後、再び「六四天安門事件」のようなことが起きれば、IMF体制そのものの信用に傷が付くことになります)。

 一方で、人民元のSDR基準通貨入りをプラス面で捉えれば、(おそらくはこれがIMFの最も大きな狙いだと思いますが)、今回の人民元のSDR基準通貨入りが将来米ドルのみを国際基軸通貨とする現在の体制を大きく変えことになる第一歩となる可能性があることです。上に「中国政府の不安定性」のようなことを書きましたが、アメリカの政治とて盤石に安定しているわけではありません。現に共和党と民主党の政治的争いの結果、アメリカ国債のデフォルト(債務不履行)が起きそうになったことがあります。もし実際にアメリカ国債がデフォルトすれば国際金融システムに大波乱を巻き起こしますが、アメリカという一国の国内情勢によって国際金融システムが不安定になるのを避けるため、国際金融秩序を米ドルだけに頼る体制から脱却すべきだ、という意見は、ある意味「正論」です。今回の人民元のSDR基準通貨入りは、その「正論」を実現するための第一歩になるかもしれないのです。

 また、上に書いたように、人民元のSDR基準通貨入りによって、多くの会社や中央銀行が人民元を保有したいと思うようになるかもしれません。そうなれば、人民元の価値は上がり、自然に「人民元高」の方向に為替相場は動きます。このブログの2015年8月15日付け記事「人民元切り下げに見る中国経済政策の変調」で書いたように、私は、今の人民元レートは「安過ぎる」と思っています(おそらくアメリカ議会関係者も同じ意見)。人民元のSDR基準通貨入りによって人民元高に動けば、それは人民元のレートが「妥当な水準」の方向に動くことであり、世界経済の安定的な発展のためにはプラスになると私は思います(その代わり、中国は輸出競争力を失うので、中国は「安さ」に代わる新たな産業競争力を得る努力を迫られることになります。でもそれは「人民元のSDR基準通貨入り」を望んだ中国自身の希望の必然的結果だと私は思います)。

 さらに短期的には、人民元のSDR基準通貨入りによって起こる「人民元高」観測の高まりは、近々行われるであろうアメリカの利上げによる中国からの資金流出圧力をやわらげる方向で機能する点で、中国経済にとってもプラスになる可能性があります(正確に言えば、アメリカの利上げの中国経済に対するマイナスを小さくする可能性がある、と言った方が正しいかもしれませんが)。

 最も心配なのは、人民元のSDR基準通貨入りを最も望んでいた中国政府自身が、輸出にブレーキが掛かることを心配して、人民元のSDR基準通貨入りの結果としてもたらされる「人民元高」を許容せず、人民元のSDR基準通貨入り決定後に「人民元高」が進んだ場合に8月に行ったような実質的な人民元切り下げに走ってしまうことです。もし再び「人民元切り下げ」をやってしまうと、世界に「中国政府の対応は全くちぐはぐ」「中国は何をやるかわからん」という懸念を再び広げ、8月下旬のような株価大暴落などの大変動を引き起こしてしまうかもしれません。

 これまで「2001年にWTO(世界貿易機構)に加盟したら中国は変わるだろう」「2008年に北京でオリンピックを開催したら中国は変わるだろう」と世界に期待を持たせながら、結局、中国は何も変わりませんでした(私の感覚では、むしろ「国際標準」から離れて「中華帝国」の方向に先祖返りしつつあるように見える)。こうした過去の経緯を踏まえると、今回の「人民元のSDR基準通貨入り」によって中国が「国際的な標準に従う国」に変わる、と考えるのは甘いと思いますが、通貨はそれを使う人の「信用」で成立している以上(信用を失った通貨は自然に淘汰される)、人民元のSDR基準通貨入りによって、世界の人々による中国に対する信用力が試されることになる、中国はその信用力を維持する努力を続けざるを得なくなる、という点で、プラスに捉えたい、と私は思っています。

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2015年11月 7日 (土)

馬英九総統との会談は習近平主席にとって「棚ぼたポイント」

 今日(2015年11月7日)、シンガポールで中国の習近平国家主席と台湾の馬英九総統が歴史的会談を行いました。既に人民日報のホームページには、この二人が「歴史的握手」をする写真がでかでかと(しかも何枚も)掲載されています。おそらく明朝の「人民日報」にもこの二人の「歴史的握手」の写真は掲載されるのでしょう。

 ついさっき放送された中国中央電視台の夜7時のニュース「新聞聯播」でも「1949年(中華人民共和国成立)以来初めて」としてこのニュースは大きく取り上げられていました。ニュースとしての放映の順番は「シンガポール大統領による歓迎式典」「習近平主席によるシンガポール国立大学での講演」「習近平主席とシンガポール首相との会談」に次ぐ四番目でしたが、シンガポール訪問は公式外交行事であるのに対し、習・馬会談は、お互いを「先生(=さん)」付けで呼び合う非公式なものですので、このニュースでの取り上げ方の順番は、会談の場を提供してくれたシンガポールに対する敬意の表明という意味もあり、当然でしょう。

 「新聞聯播」では、通常、要人との会談のニュースでは、アナウンサーが「習近平主席は○○○と述べた」と淡々と紹介するのが普通ですが、今回は、冒頭のプレス公開の部分の習近平主席の発言の映像(習近平主席の肉声)をそのまま長々と流していました。中央電視台は馬英九総統の肉声を中国国内に伝えるのかなぁ、もしそうならそれ自体が「ニュース」だよなぁ、と興味津々だったのですが、馬英九総統の発言部分については、アナウンサーが「馬英九氏は○○○と述べた」と短く紹介するのに留まりました。やはり馬英九氏の発言(当然、中国語)が直接中国大陸部の人民に届くことは避けたようです。しかし、中国中央電視台が二人を「両岸の指導者」と紹介し、習近平主席と馬英九総統の握手の様子や会談の様子を長々と映像で流していたことについては、やはり「歴史的」という印象を受けました(馬英九氏を「指導者」と紹介することは、台湾での総統選挙の正当性を中国政府が一定程度認めたことになり、その政治的意味は結構大きい、と私は思っています)。

 今回の習近平主席と馬英九総統との会談は、もともと予定されていた習近平主席のベトナム・シンガポール訪問のスケジュールに合わせて、馬英九総統が日帰りでシンガポール入りして実現したことでもわかるように、馬英九総統側からの申し入れで行われたと見るのが妥当でしょう。既に中国共産党総書記と中国国民党主席との会談は今までにも何回か行われており、中国国家主席と台湾の総統との会談の実現は時間の問題だったとは言えますが、少なくとも北京側には「今急いで会う必要性」はなかったと思います。北京側としては来月でも来年でもよかったのだが、馬英九総統の側は来年投票の総統選挙で国民党候補が苦戦している現状を打開するために「中国国家主席との会談」という歴史的イベントを今実現させたかったのだと思います。

 その意味で習近平主席は「申し入れがあったので会ってやった」という立場を貫くことができ、台湾の中国国民党側に「貸しを作った」形となりました。

 習近平主席は、この秋、9月の訪米・国連総会での演説、10月の訪英、10月末~11月初旬の訪中したドイツのメルケル首相・フランスのオランド大統領との会談、11月第二週のベトナム・シンガポール訪問と立て続けに重要外交案件をこなしているところです。こういった立て続けの重要な外交案件は、まるで「国内政治がうまく行っていないので、外交案件で点数を稼ぎたい」と考えている習近平主席の「あせり」を表しているように見えました。そこに突然の「馬英九総統との会談」が、習近平主席側から見て「申し入れに応じて会ってやる」形で実現したのは、習近平主席にとっては、国内に対してリーダーシップをアピールできた点で、大きな成果だったと思います。そのため、今回の会談について、馬英九総統は、台湾内部で「習近平主席に点数を稼がせただけではないか」との批判を受ける可能性があります

 軍を掌握し、中国国内で権力掌握を成し遂げたとも言われる習近平主席ですが、私は、その権力掌握は万全のものなのか、むしろ反対勢力も根強く存在しており、本来は最も重要なパートナーであるべき李克強総理との関係もうまくいっていないのではないか、と懸念しています。

 世界の関係者が先の五中全会で今後の経済成長率を何パーセントに設定するかについて強い関心を持っていたところ、李克強総理が11月1日にソウルで行われた経済関係者に対する講演会で「年間6.5%以上」と明かしたことが11月2日に報道されました。同じ数字を「五カ年計画に関する建議に関する説明」の中で習近平主席が述べたことが報じられたのは翌日の11月3日でした。既に五中全会の最中に述べられた事項だったとは言え、世界が関心を持っている経済成長率目標を習近平主席の言葉として公にする前に国務院総理が外国で行われた講演会でしゃべっちゃった、というのでは、国家主席のメンツ丸潰れです。中国では「同僚や上司のメンツを立てる」ことは結構致命的なことなので、この件を見ただけで、私には習近平主席と李克強総理の間がうまく行っていないのではないか、と思えてしまうのです。

 また、習近平主席が行った「五カ年計画に関する建議に関する説明」は、内容が結構細かくて、私としては「この内容は国家主席ではなく、行政実務を担当している国務院総理が説明すべきものじゃないの?」と思えるものでした。国務院総理がやるような細かい説明を習近平主席がしたことについて、私は「習近平主席は李克強総理からできるだけ行政上の実権を奪おうとしているのではないか」と思ってしまったのでした。

 一方、李克強総理は11月1日に日中韓首脳会議に出席するため訪問したソウルで安倍総理と会談し、11月4日は北京で日本の経済団体代表団とも会談しました(日本の経済団体代表団と国務院総理との会談は2009年以来6年ぶり)。こういった李克強総理の行動から、私は、抗日戦勝利70周年軍事パレードを盛り上げた習近平主席と李克強総理とは「向いてる方向が違うんじゃないの?」という印象を受けるのでした。

 こうした中、習近平主席と馬英九総統との会談が行われたのですが、この会談は、習近平主席の北京政界での求心力を強めるために非常に効果的だったと思います。当面、北京の政界は習近平主席を中心としてまとまっていくことになるのでしょう。

 しかし、世界的にはなんとなく7月、8月の「中国経済ショック」はおさまった、という雰囲気になっていますが、中国経済の状況は何も変わっていません(むしろ、年内に償還される予定の大量の理財商品が今後どう処理されるのかわからない、など不安要素はいっぱい)。今後中国経済にトラブルが起きたとき、今は表面に見えていない習近平主席と李克強総理との間の「なんとなくうまく行ってない雰囲気」がオモテに吹き出してこないか、私は心配しています。

 今、馬英九総統との会談で、習近平主席は「一本取った」「ポイントを上げた」形になりましたが、習近平主席としては、ポイントを上げた後、というのはむしろ用心した方がよいと思います。

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