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2015年9月 5日 (土)

軍事パレードで見えた「改革開放の中国」の終わり

 「これは21世紀における『改革開放の中国』ではない」というのが、9月3日に行われた中国の抗ファシスト戦勝利70周年記念軍事パレードをテレビで見た私の感想です。

 「軍事パレードを前にヒナ壇に並ぶ有力者の顔ぶれを見て、党内の勢力関係を類推する」というのは、文化大革命期の中国、旧ソ連そして北朝鮮にそのイメージが重なりますが、私としては、21世紀の中国において、同じような光景が再び現出して欲しくなかったところです。

 2015年9月3日の天安門の上には、習近平国家主席に並んで、ロシアのプーチン大統領、韓国のパク・クネ大統領、国連のパン・ギムン事務総長らがいましたが、さらに江沢民元国家主席、胡錦濤前国家主席、李鵬元総理、朱鎔基元総理、温家宝元総理、そして失脚した周永康氏を除く中国共産党政治局常務委員経験者の面々が並びました。これは国家主席経験者も含めて、中国共産党の全てを習近平総書記が掌握していることを示す極めて重要な場面でした。また、この場面に江沢民氏、李鵬氏もいたことで、1989年の六四天安門事件に対する評価の見直しは絶対にないことを改めて示したと言うこともできます。

 翌9月4日の「人民日報」1面トップ記事に掲載されていた写真は、習近平総書記のものだけで、江沢民氏や胡錦濤氏の写真はありませんでした。前回の軍事パレードである2009年10月1日の国慶節での軍事パレードについては、翌日の「人民日報」トップの記事では、当時の胡錦濤総書記の写真の隣に、同じ大きさで江沢民元総書記の写真も掲載されていました。これは、胡錦濤政権(2002年~2012年)が、その後半であっても江沢民氏の支配力から逃れられていなかったことを示すものでした。

 その意味で、今回の「人民日報」1面トップ記事が習近平総書記の写真しか掲載しなかったことは、習近平氏が過去の総書記経験者の影響力を完全に排除し、権力を一手に集中させたことを示すものだった、と言えるでしょう。

 国産車に乗っての天安門前での主席の閲兵といえば、文化大革命初期の1966年8月18日の「文化大革命祝賀大会」における毛沢東主席の紅衛兵の閲兵が強烈に印象に残っていますが、習近平氏も同じイメージを内外に示したかったのではないかと思われます。

 軍事パレードのあった日の夜に各国賓客を招いて行われた「抗日戦勝利70周年記念文芸の夕べ」の様子が中国中央電視台の夜7時のニュース「新聞聯播」で紹介されていましたが、上演されていた演目は、革命期の中国共産党の活躍を讃える出し物で、私には文化大革命の時期に四人組の一人の江青女史が好んだ「革命的現代バレー」のように見えました。雰囲気は文化大革命期そのものでした。

(この「文芸の夕べ」には、プーチン大統領も参加したようですが、テレビで見る限り韓国のパク・クネ大統領は参加しなかったようです。この「文芸の夕べ」は、ほとんど「北朝鮮と同じじゃないか」という雰囲気のものなので、もしパク大統領がこの会に出ている様子が韓国内で放映されたら、政治的にかなりまずいことになっていただろうと想像されます)。

 私は、この軍事パレードに際して、テロやサボタージュ(破壊工作)による化学工場の爆発などがあるのではないか、と心配していたのですが、何事もなく無事に軍事パレードが終了して何よりでした(新疆ウィグル自治区で騒ぎがあったという報道もありますが)。

 軍事パレードの後、習近平主席は、プーチン大統領やパク大統領、パン国連事務総長と個別会談をやったようですが、「新聞聯播」で見たこの個別会談の時の習近平主席の表情は、非常ににこやかであり、いかにも「大きなイベントを無事終了してほっとした」という表情でした。欧米の首脳は来なかったものの、江沢民元主席、胡錦濤前主席も出席して、無事、セレモニーを終了し、内外に「自分が党内の全てを掌握している」ことを示す、という目的が達成できたことで習近平主席には達成感があったのだと思います。

 今日(2015年9月5日)付の「人民日報」には「習近平的『勝利日時間』」と題する9月3日の習近平主席の1日の行動記録が載っていました。ここで言う「勝利日」とは、もちろん「抗日戦勝利70周年記念日」を省略したのもですが、パッと見、この見出しは「習近平の勝利の日」のようにも見えます。

 今(日本時間2015年9月5日夜の時点)、トルコのアンカラでG20財務大臣・中央銀行総裁会合が開かれていますが、この会合に中国人民銀行の周小川総裁が参加していることは、私にとっては大きな安心材料です。というのは、私は、人民元の実質的な切り下げ等の「ちぐはぐ」に見える金融政策は百戦錬磨の周小川総裁らしくない、と感じていたので、もしかして権力闘争の中で周小川総裁は更迭されたのではないか、と心配していたからです。

 問題は、習近平主席が文化大革命期のような「一点権力集中型政治体制」を確立できたとして、現在の中国が抱える経済的問題に対処できるのか、という点です。現在の中国の「改革開放」の体制は、1978年、トウ小平氏が始めたものでした。その考え方は、文化大革命期の「理念主義」「個人崇拝主義」を排し、政治的には中国共産党の一党支配を維持しつつ、経済的には国有企業も含めて個々の企業に自由な経済活動を許し、外国の資本と技術を導入して、市場原理に基づいて、経済の効率化と高度化を進める、というものでした。

 私が最初の北京駐在をしていた1988年4月、長安街と東四大街の交差点にあった赤地に白抜きで書かれていたスローガン「偉大なマルクス・レーニン主義、毛沢東思想万歳!」は塗り替えられて、青や白を使ったカラフルなスローガン「自力更生、刻苦創業、社会主義経済建設をやり遂げよう!」に変わりました。同じ頃、中国人民広播電台(ラジオ局)のFM放送で「美国音楽一個小時(「アメリカン・ミュージック・アワー」の中国語訳)が始まり、ジョン・デンバーやマイケル・ジャクソン、マドンナ等の曲が流れました。この頃、各地の毛沢東像は次々に撤去されていきました。当時の指導者は、「日本人民は日本軍国主義の被害者だった」と述べており、今の日本との間では「日中友好関係」を強調していました。日本の過去の軍国主義は厳しく批判していたものの、決して「反日」ではありませんでした。

 これらの施策は、日本や欧米諸国から技術と資本を導入し、中国国内では企業間の競争原理に基づいて、経済発展を図ろう、というトウ小平氏の「改革開放政策」の考え方に則ったものです。こうした1980年代後半の自由な雰囲気は、政治的には1989年の「第二次天安門事件」(六四天安門事件)で挫折してしまいますが、経済面で市場原理を導入するトウ小平氏の考え方は、1992年のトウ小平氏の「南巡講話」で再確認され、その後、中国は急速な経済発展を遂げたのでした。

 実際、その後、中国では、国有企業であってもハイアール(家電)、レノボ(パソコン等)、ZTE(携帯電話等)等の国際競争力のある企業が発展し、優れた民間企業も数多く生まれ、バイドゥ(ネット検索)、アリババ(ネット通販)、シャオミ(格安スマートフォン)など急速に発展するIT関連企業群も発展しました。これらは「改革開放政策」の成果でしょう。

 この状況において、習近平主席は今「トウ小平氏の改革開放政策」以前の「一点権力集中体制:経済も中国共産党が支配する」という「先祖返り政策」をとろうとしているように見えます。中国政府が自由な企業活動に基づく景気変動をコントロールできなくなりつつあるので、政府による経済コントロールを強化したいと考えているからかもしれません。しかし、それは中国の各企業の意欲を削ぎ、外国企業の対中投資を減退させ、中国経済にブレーキを掛けることはあっても、中国経済を活性化させるとはとても思えません。

 私は北京に駐在していた1988年の正月、本社あてに「年頭所感」としてメモを送りました。そこには次のように書かれています。

「中国が、『何をするかわからない訳のわからない国』から既に脱却して、世界経済という土俵の上に上がり込んで西側諸国と一緒に同じルールで相撲を取るようになったのだ、と言いたいのである。」

 2015年、習近平主席は、中国を「何をするかわからない訳のわからない国」に再び戻そうとしているように見えます。もし、そうではない、今後とも「改革開放政策」は推進して中国経済の活性化を図るのだ、と考えているのなら、習近平主席はそういうメッセージを内外に発する必要があります。

 2007年~2009年、20年ぶりに二回目の北京駐在をして感じたのは、中国共産党による支配という体制は変わってはいないけれども、この間、中国人民の権利意識は格段に進歩し、許された範囲内で時局を論じる新聞メディアが発達し、インターネットやSNSの発達により中国人民どうしの情報交換のツールが格段に発展していることです。既に中国社会は1980年代以前とは全く変わっています。今、もし習近平主席が「1980年代のトウ小平氏の改革開放政策」以前の時代の政策に戻そうとすれば、その政策は中国人民の意識と完全な「ミスマッチ」を起こすでしょう。

 1987年1月、前年末からの学生運動の責任を取らされる形で当時の胡耀邦総書記が辞任しましたが、辞任を伝える「新聞聯播」のアナウンサーは、いつもの背広姿ではなく中山服(人民服)で登場しました。この映像により、世界の人々は「中国は、また文化大革命の時代に戻るのか!」と色めき立ちました。この世界の反応に中国当局は当惑し、この後、中国政府は世界各国に対して「改革開放の方針は全く変化しない」と必死に説明することを余儀なくされました。1980年代の中国にとって、世界から「文化大革命の時代に戻るのではないか」と疑われることが最も嫌だったからです。

 このエピソードは習近平主席もよく知っているはずです。ところが今回、習近平主席は、あえて自らが人民服を着て人民解放軍を閲兵する映像を世界に見せました。このことは、習近平主席が「1980年代の『改革開放の中国』は終わったのだ」と自ら宣言したいと思ったからだ、と私には思えます。

 「改革開放の中国」が終わった後の中国がどのように進むのか、私にはまだ想像ができません。また今でも「改革開放の中国」の政策を進めようとしている李克強総理や周小川中国人民銀行総裁がこれから習近平主席とどのように「折り合い」を付けて政策を進めていくのか、についても想像ができません。この種の「不透明感」が今まだ世界同時進行で続いている株価の乱高下の背景にあると思います。

 今月9日から大連で始まる経済フォーラム(通称:夏季ダボス会議)に李克強総理が出席するそうです。今月下旬には習近平主席が訪米する予定です。習近平主席と李克強総理には、これらの機会を通して、今後、中国の政策をどう進めていく方針なのか、世界の人々にきちんと説明して欲しいと思います。

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