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2014年11月 2日 (日)

香港雨傘革命:「全軍政治工作会議」は「武力鎮圧の前兆現象」なのか

 昨夜(2014年11月1日)の中国中央電視台(CCTV)の夜7時のニュース「新聞聯播」と今日(11月2日)の「人民日報」の1面トップで、福建省上杭県古田鎮において、10月30日から「全軍政治工作会議」が開かれ、31日には習近平国家主席・党書記・軍事委員会主席が出席して「重要講話」を行ったことが伝えられています。これを見れば、10月20~23日に四中全会が開かれて「法治による国家統治」を徹底する旨が決まったことは、習近平氏による「上からのクーデター」であったと言えるでしょう。「新聞聯播」や「人民日報」の扱い方からは、通常の会議の報じ方と一線を画した「緊迫感」を感じます。

 「人民日報」によれば、今回の「全軍政治工作会議」を古田で開くことを提案したのは、習近平氏自身だ、とのことです。古田は、1929年12月28日、「古田会議」が開かれて、人民解放軍の前身である紅軍の基本方針が決まった由緒ある場所、ということです。この場所で「全軍政治工作会議」を開催しよう、と提案した習近平氏の意図は、「軍よ。原点に帰れ。」ということでしょう。

 日本のマスコミでは、よく「中国軍」と誤って報じられるのですが、人民解放軍は中国共産党の軍隊であって、中華人民共和国政府の軍隊ではありません。現在、憲法により、「中国共産党の指導」が書かれているので現在ではあり得ませんが、もし仮に、将来、人民解放軍の位置付けが現在のままの状態で憲法が改正されて、中国に中国共産党に反対する政府ができた場合には、人民解放軍は、中国政府に対して銃口を向ける、ということになります。従って、香港に「反中国共産党」の行政府ができる可能性があるのだったら、香港に駐留している人民解放軍は香港を制圧することになります。「中国軍」と表示している日本のマスコミは、この重要な点を理解していないのです。

 1980年代、改革開放政策が始まった後、トウ小平氏は「軍民結合」の方針を打ち出して、軍の指揮下にある軍需産業が持っている技術のうち民需転用が可能なものについては、積極的に民間用に活用する政策を進めました。1980年代の中国の民間技術はまだ貧弱な水準でしたが、軍需産業においては、人工衛星(=大陸間弾道ミサイル)の打ち上げや原子力潜水艦の建造などが既に行われており、かなりの水準の高い技術を持っていました。トウ小平氏は、外国からの資金と技術の導入を進めることに加えて、中国国内にある軍が持つ高い技術のうち民間活用が可能なものについては民用転換を進めて、中国経済の活性化を図ろうとしたのです。

 この「軍民結合」の方針を受けて、軍は数多くの企業を立ち上げてビジネスを始めました。上記に書いたように「人民解放軍は中国政府の軍隊ではない」という事情に基づいて、軍需産業に立脚したビジネスは中国政府による各種規制を無視する形で進展してきました。それにより、人民解放軍の一部は「中国人民を防衛する」という本来目的からはずれてビジネスに走る「特権的利得権益集団」に転化していったのでした。

 胡錦濤政権までは、軍の一部が「利得権益集団」となっていることに対して改革することはできませんでした。しかし、習近平氏は「アンタッチャブル」だった軍にもメスを入れたのです。これは「改革の進展」という意味では非常に大きな一歩です。

 四中全会の決定文が発表された同じ日(2014年10月28日)、既に捜査の対象とすることが公表され党籍を剥奪されていた徐才厚・元党軍事委員会副主席(=胡錦濤政権時の制服組トップ)について、汚職の罪で起訴することが発表されました。今日(11月2日)の「人民日報」の報道によれば、習近平氏は今回の「全軍政治工作会議」で「特に徐才厚の案件については、高度に重視し厳粛に見て、深刻に反省すべき教訓とし、影響の一掃を徹底させなければならない」と述べています。元の軍の制服組のトップの固有名詞をわざわざ挙げて指摘するなど、私の知る限り、中国共産党内の会議内での発言としては、相当に異例の厳しい言葉で直接的に語っています。

 この「全軍政治工作会議」では、現職の国防相の常万全氏も出席していたことが、この「人民日報」で報じられています。「新聞聯播」では常万全氏が出席している様子も放映されていました。常万全氏は、一時、香港などの報道で、現職の国防大臣でありながら捜査の対象にされているのではないか、との観測記事も出ていましたが、この「全軍政治工作会議」は、常万全氏は「セーフ」だったことを内外に明示する形となりました。

 「新聞聯播」では、「古田会議」を記念する記念館の展示として、「古田会議」の決議を映し出していました。「古田会議の決議」とは「政治理念を誤らないこと」「忠実であること」「犠牲精神に基づき、能動的に仕事をすること」「金儲けを考えてはならないこと」「アヘンを吸ったり賭博をやったりしてはならないこと」の5つなのだそうです。「全軍政治工作会議は古田でやるべし」と提案した習近平氏が言いたかったことは「軍は党中央に忠実であるべし」「金儲けは考えてはいけない」であったことは明らかです。

 もうひとつ「新聞連播」の報道で気になったのは、この「政治工作会議」に関する一連の行事の中で、習近平氏と軍の幹部が集団で、この地にある巨大な毛沢東主席の銅像に花輪を供えて、「三顧の礼」を取っていた場面です。私が最初に北京に駐在していた1980年代、当時の実力者トウ小平氏は、文化大革命時代に対する反省から、個人崇拝を排除しようとしており、各地に残っていた毛沢東主席の銅像の多くは撤去されました。今回の習近平氏と軍の幹部の毛沢東主席の銅像への「三顧の礼」は、こうした1980年代のトウ小平氏の方針に真っ向から反することを意味します。このことは、習近平氏がトウ小平氏が始めた「軍民結合」を廃して、「軍は『金儲け』から手を引け」と命じていることを意味します。

 この習近平氏の「命令」に対して、既に巨大な「特権的既得権益集団」と化している人民解放軍の一部が黙って従うのかどうかはわかりません。そこで気になるのが「軍の内部を引き締める」という目的で、習近平氏が人民解放軍を動かして、香港の「雨傘運動」を鎮圧する可能性があるのではないか、という点です。

 習近平氏が「香港雨傘革命」を武力で鎮圧するかどうかの可能性を「第二次天安門事件」(1989年)との比較で考えてみたいと思います。

【「武力鎮圧の可能性は高い」と考えられる理由】

○上記に述べた四中全会で示した習近平氏の人民解放軍に対する掌握を確固としたものにするために習近平氏は最高司令官として実力行使を指令する。これにより、国際社会からの反発が予想されるため、人民解放軍は最高レベルの警戒態勢に入るので、「反習近平」の勢力が広がる可能性は摘み取られる。

○国内向け報道では「香港の非法な『占中』派は外国で訓練を受けている」「『占中』派に対して外国から資金や物資の支援がなされている」「香港市民の間で『占中』派に反対する署名が130万人分以上集まった」といった報道が連日なされており、香港に対して強硬策を採らない状況が長く続いた場合、中国国内に「なぜ党中央は強硬手段を用いてでも香港『占中』集団を取り締まらないのか」という声が上がる可能性がある。チベットやウィグルの運動についても、常に「外国勢力に扇動されている」と報じられるので、香港についてだけ「何もしない」という選択肢は、国内世論をコントロールする観点ではあり得ない。

○今年(2014年)2月、ロシアのソチで冬季オリンピックが行われている時、既にウクライナでは政情不安状態だったが、国際社会は誰もロシアがウクライナのクリミアを編入することなど考えていなかった。しかし、ロシアのプーチン大統領はソチ・オリンピック終了後、クリミア編入を強行した。国際社会は対ロ経済制裁を発動したが、天然ガス供給をはじめとして世界経済に組み込まれているロシアに対して国際社会は本格的な制裁措置は採れなかった。中国が香港に関して強硬な措置に出ても、世界経済における中国経済の重要性を踏まえれば、国際社会は中国に対して実効性のある経済制裁は採れない、と習近平氏は読んでいる可能性がある。

【「武力鎮圧が行われる可能性は低い」と考えられ理由】

○1989年の「第二次天安門事件」の際、デモ隊が占拠していたのは天安門広場だけであり、北京市民の生活やビジネス活動に全く支障は出ていなかった。それに対し「香港雨傘運動」では、商業活動やビジネス活動に実質的な支障が出ており、商店主やタクシー運転手、ビジネス関係者などに「雨傘運動」に批判的な人たちが相当数おり、無理に武力鎮圧しなくても、香港市民の中に「雨傘運動」に批判的な動きが高まる可能性に期待できる。

○香港は、電力、水、食料、労働力などを大陸部に頼っており、中国政府は香港を「兵糧攻め」にする手段はいくらでも持っている。既に国慶節期間中の大陸から香港への旅行を「安全確保のため」という名目で絞っているし、大陸部から香港の企業に「通勤」している人たちの足止めをすることはいつでも可能である。観光客や労働者が香港へ行くことを制限することにより、香港のビジネス界に「雨傘運動に反対する勢力」を増やすことは比較的容易であると考えられる。

○北京の長安街は、東西に長く続く幅広い道路であり、戦車や装甲車を北京郊外から天安門広場に移動させるためには、市民が築くバリケードを排除すれば、そのほかに物理的障害はない。それに対し、香港の九龍半島と香港島は道路が狭く、戦車や装甲車を「占中」活動をやっている地点に移動させることには物理的な困難が伴う。そもそも戦車や装甲車を香港島に上陸させる、といった作戦に対しては、香港市民の大きな抵抗が予想され、強行すれば「市街戦」となることから、人民解放軍による武力鎮圧は純粋に軍事戦略的観点から「あり得ない選択」である。

○「天安門前広場」は、中国共産党本部(中南海)の目と鼻の先であり、国賓歓迎行事などが行われる場所なので、「天安門前広場」の占拠の長期化は、中国政府の活動に直接的に影響を及ぼすのに対し、香港の一部で「占中」活動が続いても、香港のビジネス上の障害とはなっても、中国政府の活動自体には直接的な悪影響は与えない。それに対して、武力鎮圧した際に中国自身が受ける経済的打撃は計り知れないほど大きいので、中国政府としても避けたい。

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 一方で、私たちは、以下の事実を再認識しなければなりません。

○1989年6月4日、北京で「第二次天安門事件」が起き、市民や学生らの運動が人民解放軍によって鎮圧された。同年11月9日、ベルリン市民によりベルリンの壁が壊され、東西冷戦が終結した。1991年、ソ連共産党は解散し、ソ連は崩壊した。それと同時並行的に起きた現象として、1989年年末に東京の日経平均株価は史上最高値(終値で3万8,957円44銭)を記録したが、翌年から株価は暴落、地価も1991年頃がピークで、後から考えると「第二次天安門事件」「東欧・ソ連での共産党政権の崩壊」と「日本のバブル経済の崩壊」が同時並行的に起きていたことがわかった。もっとも、当時の世界的政治情勢と日本のバブル崩壊に因果関係があったとは言えない。

○政府の地震調査研究推進本部は今後30年間の間に「宮城県沖地震」(最大マグニチュード8程度)が起きる確率は99%と予測していた。しかし、近くの複数の断層が同時に動くことは想定していなかった。2011年3月9日11:45に三陸沖でマグニチュード7.3の地震(最大震度:震度5弱)が発生していた。しかし、この地震が3月11日の東日本大震災の本震の前震であるとは誰も考えなかった(現在は、3月9日の地震は「前震」だった、と考えられている)。今年(2014年)9月上旬、御嶽山で火山性微動が増加したが、9月27日に噴火が発生することは予知できなかった。

 「後で考えれば、あれが前兆だった」と思えることは過去多々あります。「香港雨傘革命に対する武力弾圧」についても、あとから振り返った時「あれが前兆だったのだ」と思えるような事象は既に発生しています。10月19日付けの「人民日報」4面に掲載されていた「『自主』から『占中』の背後にある『香港独立』の陰謀が見える」と題する評論も「前兆」の一つかもしれないし、今回の「全軍政治工作会議」も「前兆」の一つなのかもしれません。香港に拠点を持っている企業は、武力弾圧事態を想定した「リスク・マネジメント・プラン」を作成していると思いますが、香港に関係のない人たちは、現時点で、全く無防備だと思います。

 一昨日(10月31日)に発表された日銀の追加緩和策に対して、日本だけでなく、上海、香港、ヨーロッパ、ニューヨークの株式市場から、ブラジルの株式市場まで、「世界同時株高」の現象が起きました。中国と香港で起きている現状から見て、この株価の反応は「はしゃぎすぎ」だと私は思います。

 「リスク・マネジメント」においては、「空振りを恐れずに前兆と思われる事象は深刻に捉えて対処する」ことが重要です。なので「香港雨傘革命に対する武力鎮圧」について既に前兆と思われる事象が起きていることを、後で「空振り」「心配のしすぎだった」と批判されることを期待しつつ、記させていただきました。

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