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2013年10月

2013年10月24日 (木)

「新快報」の「記者釈放要請記事」は「大事件」

 日本での報道によれば、湖南省長沙に本社を置く会社の売上げ高の水増し疑惑を調査し報道していた広東省の新聞「新快報」の陳永洲記者が長沙市の公安当局に拘束されたことに対し、昨日(2013年10月23日)付けの「新快報」は、1面トップで「請放人」と大きい見出しを掲げて、陳記者の釈放を要請する記事を掲載したとのことです。先ほどネットで見た毎日新聞の記事では、「新快報」は今日(10月24日)の紙面でも、二日続けて記者の釈放を要請する記事を掲載したとのことです。

 中国の新聞は「党の舌と喉」と呼ばれ、中国共産党宣伝部の指導下にあります。一方、公安当局も中国共産党の指揮下にあることは当然のことです。「新快報」は広東省の新聞なので「新快報」を指導するのは中国共産党広東省委員会の宣伝部です。記者の釈放を要請する記事が二日続けて掲載されたところを見ると、中国共産党広東省委員会宣伝部は、この記事の掲載を許可していることがわかります。一方、記者を拘束したのは中国共産党湖南省長沙市委員会の指揮下にある公安当局です。中国の中国共産党は「お役所的な縦割り組織」なので、中国共産党のある地方の組織が他の地方の党組織の行為を非難するような記事を載せた新聞の発行を認めることはあり得ないことではないのですが、これって、北京の党中央が全く調整機能を果たせていないことを白日の下にさらすことになるので、前代未聞のことだと思います。もしかすると、中国共産党が政権を取った1949年の中華人民共和国建国以来のことかもしれません。

 中国の新聞のうち「人民日報」などの党の機関紙的なものではない都市部で売られている新聞は、商業化が進んでおり、「読者がお金を払って読もうと思うような記事を書かないと売れない」ので、かなり興味深い調査報道なども掲載することがあります。しかし、発行される新聞は全て各地方の中国共産党の宣伝部の検閲(事前検閲か事後検閲)を受けるので、中国共産党や社会主義体制を批判したり、自由選挙を主張したりする記事は掲載できません。しかし、最近は、婉曲な表現方法を使ったり、「暗喩」の手法を使って、当局に批判的な記事を載せることも時々あります。

 下記に掲げたこのブログの2010年12月19日付けの記事にも書きましたが、2008年7月24日付けの北京の日刊紙「新京報」は、1989年の「第二次天安門事件」の時の写真とゴルバチョフ氏がソ連解体の書類にサインする写真を同じ紙面に掲載し、2010年12月12日付けの広東省広州の日刊紙「南方都市報」ではノーベル平和賞を受賞した(当局に拘束されていたため受賞式には出席できなかった)劉暁波氏を暗示する写真を掲載しました。前者の「新京報」の時は、発売後、当局が気がついて回収が行われたようですが、後者の「南方都市報」の場合は、新聞社は「単なる開会式のリハーサルにおいてイスと鶴が一緒に写っているだけの写真で、変な深読みはしないで欲しい」と主張したので、取り締まる口実が付けられなかったからか「おとがめなし」でした。

(参考URL1)このブログの2010年12月19日付け記事
「『南方都市報』の『空椅子』と『鶴』の写真」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/12/post-9b5f.html

 中国では、政治的な宣伝に使われることから、印刷物に対する管理には非常に厳しいものがあります。従来からガリ版刷りのような簡易な印刷機材についても当局に管理されており、個人が自由にビラを作って撒いたりすることはできなかったようです。そのため、1960年代の文化大革命の時期でも、1978年暮の「西単の民主の壁(いわゆる「北京の春」)」の時期でも、自分の主張を広める際に使われたのは、印刷されたビラではなく「壁新聞」でした。白い紙に大きな字を書いて壁に張り出す行為自体は、さすがに当局と言えども禁止できませんからね。見つけ次第、はがすのでしょうけど、はがされるまでの間は大衆は「壁新聞」を読むことができます。昔は、こうした壁新聞の文章を手書きで書き写して、別のところに張り出して広める、ということも行われていたようです(中国語では、壁新聞のことを「大字報」といいます)。

 私は、1980年代後半に北京に駐在していました。その当時、様々な事務所にコピー機が普及し始めていましたが、普通、コピー機はカギの掛かる部屋に置かれ、管理職の管理下に置かれていたようです。一般の職員が職場のコピー機でビラを大量にコピーすることを防ぐためと思われます。私が二度目の北京駐在をした2000年代後半の時点の経験では、天安門広場に入る際には手荷物検査がありました。もちろん、爆発物などを持っていないか、という観点のチェックでもありますが、横断幕やビラを持っていないか、という観点でもチェックしていたようです。私自身、カバンの中に手書きのメモを入れておいたら、チェック係の公安の人に「開いて見せろ」と言われたことがあります。当局としては、天安門広場でビラを撒いたり、横断幕を掲げてアピールしたりすることが恐いのでしょう。

 ところが、こういった紙媒体のビラや印刷物を管理するという手法は、ネットとITの発達により全く無意味になってしまいました。昔ならば自分の主張を多くの人にビラを撒いて知らせるには、どこからか違法な方法によって印刷機と紙を入手しなければなりませんでした。今は、ネットに載せて「拡散させて」と頼めば、読んだ人がどんどんコピーして拡散してくれます。

 今の中国では、フェイス・ブックとツィッターは禁止されていますが、コメント機能がある「微博」と呼ばれるミニブログが発達しているので、この「微博」上で、コピーと転載を繰り返せば、紙媒体のビラを撒くように圧倒的に多くの人に自分の主張を拡散できます。当局に都合の悪い文章については、当局は、「微博」のアカウントを停止したり、転載された文章を片っ端から削除したりしますが、転載されて拡散するスピードの方が削除するスピードより速くて、実質的に読めてしまうことは多々あります。私自身、2008年12月に劉暁波氏らがネット上で発表した「零八憲章」や今年(2013年)1月、「南方周末」が年頭社説として載せようとして当局に阻止された「憲政の夢」などを読むことができましたから。

 こうしたネット環境の普及により、中国当局としても、最も重要な紙媒体である新聞についても、完全に管理することは難しくなってきているのだと思います。検閲で記事をボツにされた記者は、自分の身の危険を顧みなければ、ネットにその記事を掲載し、閲覧者に次々と転載するように頼んで、当局による削除作業をかいくぐって拡散させることもできますから。

 取り締まられた側が反撃に出た最も大胆な例は、2006年1月に起きた「週刊氷点停刊事件」でしょう。

(参考URL2)このブログの2010年5月9日付け記事
「中国現代史概説:4-2-7:『氷点週刊』停刊事件」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/05/post-0bd3.html

 この事件により「週刊氷点」編集長を解任された李大同氏は、ネット等を通じて外国のメディアの取材を受けるとともに、事件のてん末を記した日中対訳本「『氷点』停刊の舞台裏」(三潴正道監訳、而立会訳;日本僑報社)を日本で出版しました。この本は日本で出版されましたが「日中対訳本」なので、当然、中国の人も入手できれば読めます。上記の「参考URL2」の記事でも書きましたが、この事件は、一編集者の反乱、というよりは、中国共産党中央内部の派閥対立が背景にあると考えられています。

 最初にも書きましたが、今回の「新快報」の「記者釈放要請事件」は、今までとはフェイズが異なります。今までは、取り締まる側の中国共産党側は「見た目上は」一枚岩でした。上記の「週刊氷点停刊事件」においても、(背景には中国共産党内部の対立があると言われているものの)編集長を解任された李大同氏という個人が、中国共産党とは全く関係のないところで本を出版したもので、中国共産党の「体裁」は表面上は崩れていません。ところが今回の「新快報」の事件では、湖南省長沙市の公安当局に対して、「新快報」が記者の釈放を要求し、広東省党委員会宣伝部もその記事掲載を認めている、つまり、二つの地方の中国共産党下部組織が対立していることが「記者の拘束」対「記事の掲載」という明々白々な事実の下に中国人民の前にさらされてしまったのです。本来は二つの地方組織を調整すべき北京の党中央がその調整機能を果たしていないことが明らかになってしまったのです。

 中国では「メンツ」が非常に重要です。今回の事件で、全ての地方組織を統轄すべき中国共産党中央の「メンツ」は完全に潰れてしまいました。ちょっと気になるのは、中国共産党広東省委員会の書記(トップ)が団派(中国共産主義青年団出身=胡錦濤前主席・李克強総理の派閥)のホープと目される胡春華氏であることです。この湖南省長沙市と広東省との「中国共産党地方組織の対決」が、党中央に波及する可能性があることが心配です。

 今日(2013年10月24日)の日本時間夜8時から放送された中国中央電視台「新聞聯播」には習近平総書記も李克強総理も登場しませんでした。二人とも「新聞聯播」に登場しないのは夏休みの時くらいなので、心配性の私などはお二人の顔をニュースで確認できるまでの間は「党の内部で何か争いごとでも起きていなければよいが」と心配になってしまいます。

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2013年10月14日 (月)

反党・反革命の林彪ですら偉かった?

 最近、形式主義、官僚主義、享楽主義、ぜいたく主義に陥る傾向にある党員に猛省を求めている中国共産党ですが、この趣旨で出された今日(2013年10月14日)付けの「人民日報」1面に掲載された評論文「人民政党の生命線を守ろう」(任仲平)に興味深い部分がありました。

 この論文に署名してある「任仲平」とは、個人のペンネームではなく「『人』民日報『重』要『評』論」を意味する「人重評」を同音異字に変えたもので、特に「人民日報」社として重要だと考える文章を共同執筆する際に使われるペンネームです。(「人民日報」の評論文では、同じような署名として「仲祖文」(『中』国共産党『組』織部『文』章の「中組文」と同音異字)という署名もあります)。

 この「人民政党の生命線を守ろう」は、内容的には目新しいものはありませんが、表現振りは、お堅い表現になりがちな共同執筆論文としては、書き出しからして、ちょっとしゃれています。私が個人的に気に入った部分のポイントを書いてみます。

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○2013年10月というこの時期、APEC首脳会議では「活力あるアジア」が「グローバルな牽引者」になると期待されている。一方、アメリカでは、民主、共和両党が医療保険制度改革で分裂し、連邦政府の部分的閉鎖と債務上限問題危機の問題が頂点に達している。国際化学兵器禁止機構の調査団がシリアに入る中、反政府軍とシリア政府軍の膠着状態は依然として続いている・・・といったように世界は「不確実性」の雲の下にある。一方、「ボイジャー2号」は太陽系縁辺を飛行しており、「人類よ、さようなら。あんたたちは、あとは勝手にやってね。」という意味深長な言葉を残しているようである。

○中国では、発展以来の矛盾と問題に直面しており、眼前の問題はさらに複雑化している。

○マクロ面においては、体制の軌道が重大な慣性で動いており、発展のレベルアップにおいてはイノベーション能力と人材養成の点で硬いボトルネックに遭っており、政府機能の改善には蛮勇が必要である。民主の発育には法治の保護が必要であり、法治の尊厳を守ろうとすると民主を離れて専制の極端になりやすい。公平を無視した「GDP主義」は依然として継続している。

○ミクロ面においては、地方債務は依然として下がらず、マンション価格の乱高下は激しい。「見えざる手」(このブログの筆者注:市場経済の導入のこと)は、進むも退くも難しく、「見えざる手」の発展は難しい。高齢化の流れは「人口メリット」を急速に飲み込み、「未富先老」の困難を生んでいる。一方に就職難があり、一方で労働者不足がある。一方で、都市化建設が熱気を帯びており、一方では空っぽのビル群が林立している。素質教育の強化が叫ばれる一方、学校外の補習授業が繁盛し、医者の低収入が問題になっている一方で、患者は病院に掛かりにくい現状を恨みながら医者に「心付け」を包む。結局、不満と不和が累積し、「和諧」は不安定な情緒となる。

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 最近の「人民日報」ではよく見られる非常に素直な現状認識だと思います。で、特に私が「あれ?」と思ったのは次の一文です。中国共産党員は常に清貧に甘んじ、人民のために尽くさなければならない、と求める文脈の中での文章ですが、次の一文にはちょっとびっくりしました。

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○物資もお金もない中、中国共産党は、どうして権力を得ることができたのか。その答は、エドガー・スノー氏が延安(対日戦争中の中国共産党の根拠地)に行った時の記述に答えがある。いわく「毛沢東は簡素な洞窟に住み、みすぼらしい衣服を着てアワとジャガイモで食事をしていた。周恩来は土の上に寝て、彭徳懐は敵の落下傘で作った服を着ており、林伯渠はヒモで作ったメガネを掛けていた。林彪が私(エドガー・スノー)に『食べてください』と勧めたのはうどんだった。・・・。」

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 「昔の人は偉かった」ということを言いたかったのでしょうけど、エドガー・スノー氏の文章の引用とは言え、1971年に毛沢東の暗殺を企み逃亡途中のモンゴルで墜落死した林彪までも「昔の偉かった人」の一人として列記しますかねぇ。1980年代に中国に駐在した経験のある私としては、文化大革命を断罪する「反党・反革命の林彪・四人組裁判」が改革開放路線の出発点だと思っているので、「人民日報」が林彪を褒める文章を掲載するとは意外です。しかも、最重要公式評論である「任仲平」署名の評論文ですからね。まるで、今の「人民日報」は、「貧しかった林彪・四人組が率いた文化大革命の時期」を礼賛しているようにさえ思えます。

 林彪を「人民日報」上で「偉い人」として復活させるのだったら、その前に1980年代の改革開放の推進者・趙紫陽元総理・元総書記(1989年の「第二次天安門事件」で失脚)の名誉回復をする方が先でしょう。

 1980年以降に生まれた若い人には、どういう「中国共産党の歴史」に関する教育をしているのでしょうか。1980年代に既に大人になっていた中国人民は、林彪を礼賛するようなこの「人民日報」の文章には、大いなる違和感を感じたと思います。

 一方で「見えざる手」(市場経済)の推進を図りながら、一方で林彪を「偉い人」の一人として紹介する最近の中国共産党の感覚は、私には「わけがわからない」というのが実感です。報道によれば、最近、当局は、全ての記者に記者証更新に当たって「マルクス主義報道観」の講習を受けるように義務付けたそうです。一方で、「見えざる手」(市場経済)のさらなる導入の一環として、「ネガティブ・リストに載っていない事業なら自由に経済活動ができる」という「上海自由貿易試験区」もスタートしています。今、中国共産党がどちらの方向へ歩もうとしているのか、私にはさっぱりわかりません。この「方向性がさっぱりわからない」現状は、党内での路線闘争を反映しているのでしょうか。

 いずれにしても、11月の三中全会では、方向性が明確に出ることになるのでしょう。

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