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2013年8月 7日 (水)

「人民日報」に「計画経済は淘汰された」とする論文

 最近、歯切れのよい「正論」が載ることが多くて読むのが楽しみな「人民日報」ですが、今日(2013年8月7日)付け「人民日報」7面に掲載されていた評論文「なぜ市場経済では経済規律に従うことが容易なのか(学者論壇)」(筆者は中国人民大学経済学院教授の李義平氏)には、ちょっとびっくりしました。

 現在の中国は「社会主義市場経済」、即ち、「社会主義の原則を保持しながら市場経済のよいところを取り込んで経済運営を図る」という政策ですから、市場経済のプラスの部分を主張する文章が「人民日報」に載っても何の不自然さもないのですが、この評論文では、市場経済の利点を挙げるとともに、計画経済の問題点も指摘し、「計画経済は淘汰された」とまで明確に言い切っているからです。

(注)「人民日報」のホームページは、当日の紙面は全部無料で読めますが、前日以前の紙面については、1~4面までは無料、5面以降の紙面を見たい人は登録して有料で見られるようになっています。私は時々「人民日報」の記事や評論のポイントを書いていますが、その正確に意図するところを理解するためには、中国語の読める方は、実際に「人民日報」のホームページにアクセスして御自分で御覧になって確かめてください。

 今日の紙面に載っていた李義平教授の評論文「なぜ市場経済では経済規律に従うことが容易なのか(学者論壇)」のポイントは以下のとおりです。

○市場経済体制の下では経済規律に従うことが容易になり、計画経済体制の下では経済規律に反してしまう可能性が出てくる。その原因は、経済規律は、市場経済体制とは容易に協調できるが、計画経済体制と協調することが難しいからである。

○経済規律の本来持つ特徴から考えれば、経済規律の現象は、無数の偶然が必然として帰着したものであり、そこには無秩序の中に秩序が潜在的に存在しているからである。

○市場経済体制の下では「見えざる手」を通じて資源の配分がなされる。それは市場価格を通じて資源の希少性の程度が反映されるからである。個々の市場参加者は、市場を支配することはできず、市場価格の誘導の下、各種要素の価格を比較して資源投入と生産を行う。このようにして自然に産業システムの調整が行われ、レベルアップが図られ、暗黙のうちに経済規律に合致することになるのである。

○計画経済体制の下では、行政力量が支配的地位を持っており、計画者の意志と強制がいたるところに存在している。市場経済の中では各参加者は大局を左右することはできず、自分の選択ができるだけであるが、計画経済の中においては、計画者が一切を支配しコントロールすることができ、規律を任意に利用できるようなものになっている。しかし、実践が示すところによれば、計画者が持っている知識と情報は有限であり、計画者はやる意志はあっても実現することはできない。計画者は、自分の価値基準でものごとを決めるが、自己の価値基準を用いるということは、主観主義、唯心主義とあまり違わない(このブログの筆者注:「唯心主義」とは、マルクスらが求める「唯物主義」と対極をなすものである)。

○自己の価値基準の利用とは、某企業の価格設定を支持するとか、某企業の生産抑制を支持するとかいう目的設定に使われる。これが価値規律に反し、経済規律からのかい離の第一歩となる。計画経済では、有限な知識しか持たない者が一切の体制の基礎を支配している。実践が示すところによれば、こういったことは、経済規律を、支配し、圧力で制圧し、歪曲する作用を発揮する。自己価値基準を規律として利用することの結果は、経済規律への違背をもたらす。経済規律への違背と効率の低下により、計画経済は淘汰されたのである。

○我が国は、長期にわたり計画経済を実行し、現在、社会主義市場経済体制にある。この経緯により、計画経済的考え方と行為が依然として存在している。ある人は依然として市場における「自発」をよくないことと考えており、市場規制をやめることを「よくないこと」と考えており、頻繁に市場に対して行政が介入している。そのため、「無秩序」や「危機」が去った時期においても、市場経済体制が持つ本来の活力と固有の秩序が存在していないのである。(このブログの筆者注:ここで言う「無秩序」や「危機」が暗に文化大革命や第二次天安門事件を念頭においていることは容易に想像できる)。

○計画経済と市場経済が交錯している特殊な時期にあって、人々は多くの「花を咲かそうとして植えても花は咲かない。無心で柳を挿し木すれば柳は芽を吹く。」という現象を見るであろう(注)。経済規律に従い、我々の経済の必然的選択を行うならば、必ずや堅実に社会主義市場経済の体制改革を貫徹することができるであろう。

(注)上記の「 」内の中国語は「有心栽花花不開、無心挿柳柳成萌」です。市場経済=自由主義経済を讃えるこのような美しい文言が「人民日報」に掲載されることは、私としては、個人的には感慨深いものがあります。

 トウ小平氏の経済政策のブレーンであった経済学者の呉敬璉氏が後に述べたところによれば、1980年代は、市場経済の有用性は理解されていたものの、社会主義の原則(=計画経済)を基本とすべきとする保守派の力も強かったことから、ありていに「市場経済」という言葉は使えず、「商品経済」と称していた、とのことです。トウ小平氏が活躍していた1980年代においては、党内に陳雲氏のような保守派の有力者もたくさんいたことから、上記のような計画経済の欠陥を露骨に指摘するような論文を「人民日報」に書くことはできなかったでしょう。

 上記の論文は、最近の議論の流れからすれば、金融業界における金利の自由化を主張しているように見えます。しかし、計画経済の弊害を明確に指摘し、「計画経済は淘汰された」とまで明言していることは、金利の自由化といった個別の政策課題に留まらず、「共産党による支配」そのものを批判した論文であるとも読めます。「計画経済が淘汰された」のならば、中国共産党が政権党にいる必然性は、もはやないと言えるからです。そういった文章が中国共産党機関紙の「人民日報」に掲載された意義は大きいと思います。

 今日(2013年8月7日)付けの日本経済新聞朝刊の記事によれば、現在、中国では「北戴河会議」が行われているようです(「北戴河会議」については、このブログの7月31日付け記事「習近平政権『守旧権益保護派』の抑え込みに成功か」参照)。「北戴河会議」には保守的な考え方を持つ党の長老も多数参加していると思いますが、そうした中、上記のような計画経済の欠点を指摘し、「計画経済は淘汰された」と明言する評論文が「人民日報」に掲載されたことは、かなり挑発的だと思います。

 今後の中国共産党内部での論争を考えるに当たっては、もし、仮に、「人民日報」の編集長が更迭された、とか、上の論文を書いた李義平氏が失脚した、とかいうニュースが流れたら、それは「保守派の巻き返し」を意味しますから、要注意です。そういうニュースが流れないのだったら、昨日(8月6日)付け「人民日報」の1面に「思想を解放させるとともに、事実に基づいて真理を追究すべき(実事求是)である」という論説が掲載されたことを踏まえると、今後、中国共産党内でも、かなり自由な思想面での議論の展開が期待できるのかもしれません。

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