« 薄煕来裁判と2009年4月の「人民日報」 | トップページ | 薄煕来裁判が結審 »

2013年8月24日 (土)

「影の銀行行為」と薄煕来裁判との共通項

 今、中国に関して関心が高い「影の銀行行為」と薄煕来裁判との共通項を論じた非常に参考になる本として「中国の地下経済」(富坂聰著:文春文庫)があります。この本は2010年9月に出版された本で、「影の銀行」という言葉もまだ一般的に使われていなかったし、薄煕来氏の失脚事件はまだ起きていないタイミングで書かれたものです。

 この本は、現実の中国においては、税金を納め、政府による統計等に現れる「オモテ」の経済ほかに「ウラ」の経済が存在し、実体社会は「オモテの経済」を「ウラの経済」が支えているのだ、という視点で、詳細な取材に基づいて書かれたものです。第5章では「マフィア掃討作戦の是非」と題して、重慶市の薄煕来党書記が行った徹底的な「黒社会」撲滅作戦について詳細に書かれています。

 富坂氏自身がこの本の冒頭部分で書いていますが、「地下経済」という言葉はあまりよい表現ではありません。「地下経済」と聞くと、全てが邪悪で反社会的なものであるかのように受け取られるからです。しかし、社会主義経済(ソ連にあっても中国にあっても)では、国家が決めた計画に基づく経済を「オモテの経済」とすれば、それ以外は「地下経済」と呼ばざるを得ないわけですが、現実の社会主義の社会では、国家が決めた計画では手の届かない部分、言い方を替えれば「すきま産業」的なものが民間経済(=地下経済)として社会の潤滑油の役割を果たしており、「地下経済」には「社会にとって必要不可欠であって反社会的とは言えないもの」も多く含まれるのです。

 最近、問題になっている「影の銀行行為」もそうした「地下経済」の一種だと考えることができます。「地下経済」は、法律の網の外側にあるために、理財商品の販売などれっきとした国立銀行が堂々とやっているものから、中小企業への貸出を行う民間金融業、個人相手に高利で貸出を行う高利貸し、暴力や恐喝による借金の取り立てや土地からの追い出し、麻薬・覚醒剤の販売まで、様々なレベルのものが混在し、同じ者が様々なレベルの事業に手を出し、それぞれが互いに複雑にからみ合っています。つまり、「法律の網は掛かっていないけれども社会の潤滑油として必要なもの」から「暴力行為や麻薬の販売など完全に反社会的なもの」までが連続的に存在しているのです。法律による規定がない以上、どこまで取り締まるか、は、取り締まる側の胸三寸で決まってしまうことになります。

 中国の場合、行政、司法、警察が独立していませんから、例えば「地下経済」の中にある土地開発業者が暴力を使って農民を土地から追い出すといった行為も、行政・司法・警察の全てを掌握しているその地方の共産党幹部が目こぼしをしてくれるならば、できてしまうのです。むしろ、土地開発を強引に進めたいと考えている地方の共産党幹部自身は、自分でそうした暴力行為をやらせているケースもあると思います。

 一方、そうした事態に対する中央政府の態度ですが、「村当局や警察もグルになって村全体でニセもの工場を運営している」といった例は中国ではよく聞く話なのですが、こういった「ニセもの村」を強力に取り締まると村全体が失業してしまうので、人畜無害なニセものについては、中央政府としてもある程度大目に見ざるとえない、と考えているのではないかと思います。

 しかし、このブログの2008年11月6日付け記事「重慶市のタクシー・ストライキ」で書いたように、「地下経済」の部分が肥大化しすぎて「オモテの経済」を妨害するようになれば、政府としても、取り締まらざるを得ません。

(参考URL)このブログの2008年11月6日付け記事
「重慶市のタクシー・ストライキ」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-9f93.html

 このタクシー・ストライキは、正規のタクシー会社の運転手たちが「無許可タクシー(中国語で「黒車」)」が多すぎて商売にならない、として起こしたものです。重慶市では、「無許可タクシー」のような「地下経済」を取り仕切る組織が「黒社会」(日本で言えば暴力団組織)として市民を苦しめることが多かったようです。薄煕来氏は、2007年に重慶市党書記になると、「革命歌を歌おう」運動を起こして一般大衆を動員しつつ、「黒社会」の撲滅のために大なたを振るいました。一般企業や重慶市の公安や行政の中にも「黒社会」とのつながりを持つ者がいたために、妨害を排除するため、重慶市党書記は強権を持って取り締まったようです。

 そういった薄煕来氏のやり方については上記で紹介した「中国の地下経済」で詳細に紹介されています。薄煕来氏のやり方については、当初から「強引すぎる」という批判もあったようですが、結局は、妻の谷開来がイギリス人コンサルタントを殺害し、部下で副市長だった王立軍が成都のアメリカ総領事館に逃げ込んだため、薄煕来党書記の「やり過ぎ」の部分が明るみに出て、結局は失脚してしまった、ということのようです。

 考えようによっては、薄煕来元党書記に追い詰められた「黒社会」の側が逆に様々な工作をして夫人によるイギリス人コンサルタントの殺害や部下によるアメリカ総領事館への逃げ込みといった「逃げられない状況」に薄煕来党書記を追い込んだのかもしれない、と想像することも可能です。薄煕来党書記も当初からそういった「黒社会」からの「反撃」を想定しており、防御のために、毛沢東に習って、「革命歌を歌おう」運動を通じて、低所得者層の一般大衆を自分の味方に引きつけておこうと考えていたのかもしれません。実際、今回の裁判においては、薄煕来元党書記について「自らの危険をも顧みずに黒社会と戦った英雄だ」という声が数多くネットに書き込まれ、すぐに当局によって削除されていると報道されています。

 「影の銀行行為」は、「許可外の事業」という意味では、上記に引用した2008年11月6日付けのこのブログの記事に出てくる「無許可タクシー(黒車)」と同じ位置付けです。

 しかし、「影の銀行行為」は「地下経済」の一部であっても、中小企業への貸出など、社会にとって必要不可欠な部分も含まれます。ですから、おそらくは「影の銀行行為」対策を進める李克強総理は、「影の銀行行為」を公式に認めるかどうかについては、どこかで「線引き」することになるのでしょう。ただ、おそらくは中小企業への貸出を行っている民間金融業者の中は、個人向けの高利貸しや暴力や脅しによる借金取り立てを同時にやっている者も多数いると思われ、どこまでを「オモテに浮上させる」(法的に認知する)のか、その線引きは非常に難しいものになると思います。

|

« 薄煕来裁判と2009年4月の「人民日報」 | トップページ | 薄煕来裁判が結審 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 薄煕来裁判と2009年4月の「人民日報」 | トップページ | 薄煕来裁判が結審 »