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2013年8月 3日 (土)

中国で大学生が急増した理由

 中国では、今年(2013年)、約700万人の大学生が卒業しました(中国の学年は、9月入学、6月卒業です)。報道によれば、4月頃の時点での大学卒業予定者の就職内定率は約35%で、昨年より12ポイントも低かったのだそうです。

 日本の大学卒業生の数(毎年約55万人程度)と比べると、中国の年間700万人という数がいかに大きいかわかると思います。週刊「東洋経済」最新号(2013年8月11-17日合併号)では、「中国『大回転』」と題して、高度経済成長から急転回する中国の現状について特集を組んでいますが、その中でも、この中国の大学生の就職難について述べられています。

 中国の大学生の就職難問題では、中国国内でも問題視されています。事実関係は、下記の「人民日報」ホームページ(人民網)日本語版の特集が参考になります。

(参考URL)「人民網」日本語版の特集
「史上最悪の就職難に直面する中国」
http://j.people.com.cn/94475/206084/207471/

※「人民網」日本語版は、「人民日報」社が運営しているサイトですが、あくまで日本人に対する情報提供が目的のサイトであり、中国国内で発行されている「人民日報」とは内容が全く異なります。パッと見た感じ、「人民日報」日本語版の記事は非常に歯切れがよく、数字を使ってわかりやすく書かれていると思います。中国国内向けの記事も、こういうふうにハッキリした記事だといいんですけどね。

 中国の大学生の数が急増したのは、2000年代になってからです。これは、私が2007年~2009年に北京に駐在していた頃にある大学教授に聞いた話ですが、大学入学定員急増の背景には、1990年代末における朱鎔基総理による景気刺激策があった、とのことでした。

 1998年頃のアジア通貨危機の影響で、1990年代末、中国の経済成長は少し鈍化しました。中国では経済成長が鈍化すると社会の最下辺にいる人々の収入が減少する危険性があるので、「保八」と言って、成長率は8%以上を保つことがひとつの目標でした。このため朱鎔基総理(当時)は、1990年代末にいろいろな経済政策を採ったのですが、私が聞いた大学教授が言うには、大学の入学定員の増加もその景気刺激策のひとつという意味合いがあった、とのことでした。大学の入学定員が増えれば、大学のキャンパスの建物も増築する必要があるし、学生寮も建てなければならない、そうなると建設業が盛んになって、公共投資を増やしたのと同じことになる。資金は、入学する学生が支払う入学金や学費が充てられるのだから、国家財政は痛まないので、これほどいい景気刺激策はない、というわけです。中国では、こども(一人っ子政策なので原則一人)を大学に進学させるのは親の大きな夢ですので、こどもを大学に行かせるためなら、親は無理をしてでもお金を出すだろう、と想定したのだ、というのです。

 この大学教授は、「入学定員を急に増やしたって、大学教授の数が急に増えるわけではないのだから、大学教育の質が下がるだけだ。」として入学定員増加には反対だったのだそうです。

(注)1986年~1988年の北京駐在時には、個人的に話をする場でも中国の人は政府と同じ「公式見解」しか話さないのでつまらなかったのですが、2007年~2009年の駐在時には、個人的に話すと政府の方針とは異なる意見を平気で話す人がたくさんいました。その変化は、私にとって「20年間の中国の社会の進歩」を印象付けるものでした。(ただし、個人的な場では「政府の方針とは異なる意見を平気で言う」ような大学教授も、シンポジウムなどで演壇に立つと「政府方針」と同じようなことしか言わないのが今でも普通です)。

 1980年代と現在とでは、中国における大学制度には大きな違いが二つあります。

 ひとつは学費です。中国の大学は基本的には国立ですが、1980年代は、中国の大学の経費は全額国庫負担であり、入学金や学費の類を学生が払う必要はありませんでした。一方、定員枠は非常に限られていましたから、相当に優秀でないと大学には入学できませんでした。その意味では、1980年代の大学生には「中国の未来は自分たちが開くんだ」という気概(嫌な言葉を使うと「エリート意識」)がありました。

 もうひとつは就職先の選定です。今の中国の大学生は、卒業後の就職先は、日本や他の国と同じように自分で探さなければなりません。なので、上に書いたように、今年のように経済状況が悪いと、4月時点での就職内定率が35%といった低い数字になってしまうのです。ところが、1980年代の大学生の就職先は、基本的には国家が決めていました。従って、大学生の就職者先は、普通は、政府(中央政府及び地方政府)や国有企業(当時は「国営企業」と呼んでいました)でした。

 もちろん1980年代は既に「改革開放」の時期であり、外資企業も中国国内に立地し始めていましたので、国による就職先の斡旋を断って自分で外資系企業等に就職することも可能でした。また、当時は、業種や規模などの制限がありましたが、国営ではない企業体(非公有企業体)もありました(1980年代の「非公有企業体」は、資本財を使わないサービス業に限る、とか従業員5人以下に限る、とか言った極めて初歩的なものでした)。ただ、そういう「国の配分によらない就職先」の数は、1980年代にはまだ圧倒的に少なく、多くの大学卒業生は、国の指示に従って就職していたのでした。

 1980年代のように「勤務先(企業や勤務地)を自分では決められないけれども、国が就職先を決めてくれるので、就職できない、という心配がない」のがいいのか、今のように「就職先が見つからないというリスクはあるけれども、勤務先(企業や勤務地)を自分で決められる」方がいいのか、は、人によって考え方の違いがあるでしょうが、若い人なら普通は「自分で決められる方がいい」と考えるでしょう。

 1980年代、中国では大きな社会変動がありましたが、1986年末のデモも大学生が行ったものでしたし、1989年4月に始まった「第二次天安門事件(六四天安門事件)」の運動も最初は大学生が始めたものでした(5月初頃から知識人や一般市民も加わるようになった)。1980年代の大学生には、「未来の中国の社会は自分たちが創っていくのだ」という気概とともに、改革開放に伴って外国から入ってきた様々な情報に接して「なぜ自分たちの就職先、即ち自分の人生設計を自分で決められないのか」という不満が満ち満ちていたのだと思います。

 今後の中国の社会変動を考える上で、1980年代と2010年代の現在とでは、単に大学生の数が急増したというだけではなく、大学生の自分自身の生活や将来に対する不満の形が大きく変わったということを頭に入れておく必要があります。

 また、大学卒業生が年間700万人もいる現在にあっては、当然、大学の中にもいろいろな大学があることも考えておく必要があります。1980年代は、大学の数は少なく、多くの人は「大学生は、皆、未来の中国を担う人材なのだ」と考えていましたし、当の学生自身もそう考えていたでしょう。だから、「中国の未来は自分たちが変えるんだ」と意気込んでいた学生も多かったでしょう。しかし、今は、北京大学などの超有名大学の場合は、就職先に困る、ということはまずありません(就職内定率35%といった数字は全大学を平均した数字です)。現在では、中国の超有名大学の学生には、今の社会の状況が変わるとかえって困ると考える人が多いのではないかと思います。つまり、現代にあっては、全ての中国の大学の学生を「中国の大学生たち」とひとくくりにして考えることは非常に難しいのだと思います。

 若年層の就職難は、中国に限らず、ヨーロッパ(特に南欧)等でも大きな社会問題です。日本の大学生にとっても、就職先を決めるのは大変難しい問題になっています。ただ、日本は、世界の中で比較すれば、産業構造の面では大学卒業生の受け入れ枠は広い、と言えると思います。中国の産業構造は、現在「安い賃金による労働集約型製造業中心」から「高付加価値製造業+サービス産業」へシフトしつつありますが、その経済構造のシフトのスピードよりも遙かに速いスピードで大学生の数が増えてしまっていることが問題なのです。求人側が求める人材と大学卒業生側の就職希望先とが一致しないミスマッチが相当に深刻になっています。

 上に書いたような、中国における大学入学定員の増加が1990年代末における景気刺激策のひとつとして行われた、という見方は、当時の政策の一面しか捉えていないと思いますが、現実問題として、教育政策と産業構造改革政策のミスマッチに起因する矛盾が、2010年代の今になって一気に表面化しつつあるのは事実だと思います。

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