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2011年2月13日 (日)

「革命の波の時代」の始まり

 チュニジアにおいて2011年1月14日に起きた「ジャスミン革命」に引き続き、2月11日、エジプトで反政府デモに追い込まれてムバラク大統領が辞任しました。

 今回の中東での「革命の波」は、インターネットやツィッターなどで独裁的な政府に対する反感が多くの民衆の間に広まった結果だと言われています。

 多くのメディアは、今回の中東アラブ諸国における「革命の波」を1989年~1991年の「東欧・ソ連での民主化革命の波」に重ねて報道しています。「東欧・ソ連革命」は、当時普及し始めた衛星テレビが大きな役割を果たした、と言われています。旧ソ連・東欧圏の人々も衛星テレビの普及によって、容易に西側の情報を手に入れることができるようになったからです。

 そして、これも多くのメディアでは「東欧・ソ連革命」の初期、1989年春~初夏に起こった中国での「第二次天安門事件」とそれが人民解放軍の投入により武力で鎮圧されたことを想起させています。

 中国では1989年~1991年の「東欧・ソ連革命の波」を宋代の詩人になぞらえて「蘇東波」と呼んでいます(中国語ではソ連のことを「蘇聯」と書きます)。

 現在、中国当局は、中東の動きを、中国とは全く関係がないにもかかわらず、相当に神経質に見ています。昨日(2月12日)、人民日報ホームページにある掲示板「強国論壇」では、例えば「ムバラクは強硬な手段で人民を鎮圧することはせずに自ら辞任することを選択した。彼は鎮圧することは無理だと思ったからだろうが、一定のベースラインを持った人だったとは言える」といった書き込みが削除されました。この文章は、中国政府や中国共産党を全く批判していないのだけれども、1989年6月4日の「第二次天安門事件」の際の中国当局の対応を非難したものだ、とも取れる内容だったので削除されたのでしょう。

 1989年~1991年の「東欧・ソ連革命の波」と今年(2011年)の「中東革命の波」とは、中国との関係においては、いくつか類似点と相違点があります。それを整理してみたいと思います。

○「東欧・ソ連革命」は「社会主義体制からの民主化」という意味で、中国共産党による一党独裁体制にある中国とは全く同じ問題から発生しているのに対し「中東革命の波」の背景には「社会主義的体制に対する反発」という点はなく、中国とは類似点がない。

○ソ連は中国とは長い国境線を接する隣国であり中国にとって影響が大きいが、中東諸国は中国とは地理的に完全に離れており中東諸国の動きが中国に直接的に影響する可能性は少ない。

○中東諸国ではリーマンショック後の経済的停滞で貧困層に不満が溜まっていたが、中国ではリーマンショック後も経済刺激策により早い時期に経済成長が復活しており、富裕層と貧困層との格差は大きくなり続けているものの、貧困層でも一定程度は経済成長の恩恵を受けていて、貧困層においても現在の体制をひっくり返すことが自分たちにとってプラスになるとは思っていない人たちがたくさんいるだろうと思われる。

 また、中国自身の状況を見ても、1989年時点と現在(2011年)とでは、似ている点と異なる点があります。

【似ている点】

○急激な物価上昇が起こっていること。

○富裕層と貧困層との格差の拡大が続いていること。

○政府や中国共産党幹部の腐敗がなくならないこと。

【異なる点(1989年と比べて現在は変革が起こりにくくなっていると思われる点)】

○1989年時点では、中国政府自体が資本主義的経済運営に慣れておらず、(趙紫陽氏が「趙紫陽極秘回想録」で述べている通り)1988年当時は十分な準備をしないまま二重価格政策の撤廃を告知したため、多くの人々に「将来物価が上がる」というインフレ心理を起こさせ「買い溜めと売り惜しみによる更なる物価上昇」を招いたのに対し、現在の中国政府は過去の経験や日本のバブル期など外国の経験をよく学んでおり、慎重にマクロ経済政策の管理ができるようになっている。

○1989年当時、大学生は卒業後は国が指定する就職先に行くことが原則であり政府のあり方は自分の人生に直結していたが、現在は大学生の卒業後の就職先は自分の意志で自由に選択することができ、政府のあり方と自分の人生とは直接関係しなくなったことから、学生が政府のあり方に対して「物言い」を言うインセンティブは弱くなった。

○1989年当時、北京大学・清華大学など「国の将来を担う」という自負を持った一流大学の大学生たちは、自分たちの人生の将来と中国政府の将来とを重ねて運動を起こしたが、現在は北京大学・清華大学など一流大学の学生たちは、一流大学に入った時点で既に「勝ち組」であり、現在の体制をひっくり返すことはむしろ自分たちにマイナスになるため、一流大学の大学生が社会を変革する運動をリードするとは考えにくくなった。

○現在では、一定の検閲を受けているとは言え、検閲で許されている範囲内で相当ギリギリのラインまで政策運営に批判的論評をする都市報系新聞が多数あるとともに、当局による削除を受けつつも、当局の削除作業が追い付かないスピードで情報を伝達することが可能であるインターネット等のIT情報ネットワークが発達しており、社会に対する「物言い」は一定程度現状でもできること(この点は、むしろ下記の「変革が起きやすくなった」変化であるとも言える)。

○外国に渡航経験がある知識階層は、中国共産党の一党独裁体制に疑問を持っていたとしても、企業経営などにより現行体制により利益を享受しており、現在の社会体制をひっくり返そうという意志は働かないこと(そもそも外国へ渡航し、中国共産党の一党独裁体制には我慢ができない、と思っている人は、外国に留まり、中国へ帰国していない)。

○世界経済は、中国の経済状況に大きく依存しており、多くの中国人民が変革を望んでも、国際社会は中国の急激な変化を望まず、各国政府は現状を維持しようとする中国政府を後ろから支える可能性がある(ただし、アメリカがエジプトのムバラク親米政権を支えられなかったように、中国のあり方は中国の人民が自ら決めることであり、外国政府が支えられることには限界がある点には留意する必要がある)。

【異なる点(1989年よりも現在の方が変革が起こる可能性が強くなっていると思われる点)】

○1989年当時はトウ小平氏という強力な指導者がいた。トウ小平氏は、文化大革命を終わらせて改革開放路線を開始し、経済活動を活発にして人民生活を豊かにし、世界における中国の地位を高めた、という点で、知識人及び軍の内部で強力に支持する人たちが多かった。それに対し、現在の胡錦濤・温家宝指導部は人気はあるものの(結局は2002年に胡錦濤体制になった後も大きな改革は実施できなかったことから)トウ小平氏のような絶大な支持を受けているとまでは言えず、ましてや2012年にスタートする予定の新指導部については、誰がトップになっても知識人や軍をひとつにまとめる求心力は持ち得ないことは明らかである。

○人々の権利意識は1989年当時とは比べものにならないほど高まっており、多くの人々は「政府や党の意向だから従うしかない」とは思わなくなった。

○1989年当時にも経済バブル的傾向はあったが、現時点での経済バブルははじければほとんどコントロール不能なほど巨大なものになっていること(従って、経済的に不動産バブルなどがはじけたりすると、社会の矛盾が一気に吹き出す危険性は1989年当時とは比べものにならないほど大きくなっている)。

○(これは私の個人的印象であるが)1980年代は、まだ文化大革命時代の理想主義的発想が残っていたほか、中国全体がまだ貧しかったせいもあり、政府機構の末端でも「清廉潔白さ」が相当程度残っていた。しかし、その後の経済成長の中において「正直者はバカを見る」「権力にうまく取り入った者が莫大な利益を得ている」という実例が積み重ねられたことにより、政府・党と経済主体との癒着は、1989年当時より現在の方がむしろ巨大化・悪質化していると思われる。

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 私は1980年代後半(「第二次天安門事件」の直前まで)と2007年~2009年の2回中国駐在を経験しています。1980年代の中国の街には、ニセもの売りやヤミの外貨兌換を呼び掛けるブローカーなどはうろうろしていましたが、こどもの乞食はいませんでした。私が2000年代に中国へ行って一番びっくりしたのは、こどもの乞食がいることでした。悪い組織がこどもに乞食をやらせているのだ、と言われていますが、これだけ経済が成長しているのに、中国政府は何をやっているのだ、と私は思いました。

 今でも、こどもを誘拐して(ひどい場合には人為的に身体障がい者にして)乞食をやらせている組織が中国にはあるそうです。最近、中国のある学者がこどもの乞食を見たらそのこどもを携帯電話で撮影してネットに掲載しよう、と呼び掛けたところ、数千人のこどもの乞食の写真がアップされ、それがきっかけで救出されたこどもも出ているそうです。

 中国の政府は、中央政府はそれなりにしっかりとしていてちゃんと機能していると思いますが、地方政府については、何をやっているのかわかりません。汚染物質垂れ流しの企業やニセもの作りの企業と地方政府・地方の警察が癒着し、地方の司法(裁判所)もグルになっている、という例は数多くあるのではないかと思います。

 一方で、中国の多くの人々は「それではいけない。何とか直さなければならない。」と真剣に思っていることも事実です。上記のようなこどもの乞食をネットを使って救出しよう、という運動もその現れでしょう。

 私はエジプトへは行ったことがないので、ムバラク政権下で、多くの人々がどのくらい「抑圧された」という感触を持っていたのかはわかりません。エジプトの人々が「抑圧されていた」という印象は私にはありませんでした。しかし、ムバラク大統領の辞任によって、多くの人々が外国のテレビ局のインタビューに対して「Egypt is free!」と叫んでいました。

 中国は、私は合計4年半暮らした経験があるので、中国の人々の間にあるであろう相当の「抑圧感」を身をもって知っています。町中で大声で叫んだり、プラカードを掲げる自由がない、インターネットへの書き込みが削除される、という実態からは、経済的豊かさでは償えない「抑圧感」を感じます。私は、日本へ帰ってきた時はもちろん、一時的にシンガポールへ行った時でさえ、「自由にものが言える!」という解放感を味わい、べらべらと異常なほどに饒舌(じょうぜつ)になった自分に気がつきました。中国の国内、即ちインターネット上にある検閲防護壁「グレート・ファイアー・ウォール・オブ・チャイナ」の中にいると、言いようのない抑圧感を感じていたからこそ、そこから出ると(そこがシンガポールのような外国であったとしても)自由な解放感を感じたのだと思います。

 私の個人的感想ですが、この「抑圧感」は、1980年代よりも、今の方が強くなっています(1980年代には「文化大革命の抑圧から解放された」「外国からの情報をどんどん取り入れてよい」という開放感がありました)。

 過去の歴史を見れば、世界の歴史は、ひとつの国の動きが他の国へと次々に移っていくことがよくあります。1989年~1991年の「東欧・ソ連革命」はその典型例です。古くは1960年頃、アフリカ各国が次々に独立した、ということも起きました。中国に関して言えば、紅衛兵の文化大革命が、フランス・カルチェラタンの学生運動や「いちご白書」で描かれたアメリカの学生運動、そして日本の東大安田講堂攻防戦へとつながっていた、という「若者の社会運動」という「世界を巡る波」を引き起こしていたと言えるのかもしれません。

 中国の政治をどうするかは、中国人民が決めることですが、2011年の今年、世界においては「革命の波」が起き始めているのは確かなことだと思います。

以上

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