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2010年12月 5日 (日)

黄海での米韓合同軍事演習と中国外交

 先週(2010年11月28日~12月1日)、黄海においてアメリカ海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンも参加して米韓合同軍事演習が行われました。今回の軍事演習は、もともと計画されていたシリーズの米韓合同演習の一環、ということのようですが、去る11月23日、北朝鮮が韓国のヨンピョン(延坪)島へ砲撃を行い、民間人を含む4名の死者が出た直後だけに、緊張感が高まりました。

 この北朝鮮砲撃問題について中国がどう対応するのか、世界が注目しました。

 中国は、1978年にトウ小平氏の主導により、文化大革命の時代から脱して、改革開放路線を始めました。その頃、ソ連は、ソ連共産党による支配の硬直化が進んでいました。トウ小平氏は、外交的にはアメリカや日本をはじめとする西側諸国と接近し、ソ連を「覇権主義」として批判することによって「対ソ包囲網」を形成し、中国の国際社会における発言力を高めました。

 トウ小平氏の「対ソ包囲網作戦」は成功し、中国は日本をはじめとする西側諸国の対ソ戦略意識をうまく活用して、西側から資金と技術を導入して、文化大革命中に停滞した中国経済にカツを入れ、その後の急速な中国の経済発展の基礎を築きました。また、イギリスとの交渉により、香港返還を実現させました。

 1986年~1988年、私は一回目の北京駐在を経験しましたが、その頃、中国の街角では、赤地を白で染め抜いた中国共産党のスローガンは次々と撤去され、各地にあった毛沢東主席像もその多くは撤去されました。それは、トウ小平氏が、文化大革命的なスローガン主義や個人崇拝主義を嫌って、近代的な経済建設を進めたいと考えていたことを表していました。

 しかし、そういった1980年代の自由を希求する雰囲気の中で天安門前広場で盛り上がった1989年の北京の学生・市民の運動は、人民解放軍の投入により武力で鎮圧されてしまいました。1992年のトウ小平氏による「南巡講話」により、中国は、経済的には高度経済成長時代に入りますが、政治的には1980年代に比べれば、むしろ文革時代に近いような雰囲気に戻ってしまいました。

 日本との間では、改革開放期に入る前から尖閣諸島問題はありました。しかし、1978年の日中平和友好条約の批准書交換式に出席するため訪日したトウ小平氏は、尖閣問題について問われたとき、「我々の世代はまだ知恵が足りないのです」と述べて問題を棚上げすることによって日本との関係を進めることに成功しました。

 日中間には、いわゆる「歴史問題」もありましたが、1980年代の中国指導者は「日本人民も日本の軍国主義者の被害者であった」と述べており、多くの中国人民も実際そう思っていて、今の日本に対する「反日感情」はありませんでした。むしろ、人々は「おしん」や「山口百恵」に見られるような日本の文化を取り入れ、企業は日本の進んだ技術や経営方策を取り入れようとしていました。

※このあたりの経緯については、左側の欄にある「中国現代史概説の目次」をクリックして、このブログの中にある該当部分をご覧ください。

 しかし、2007年4月に二回目の北京駐在のため赴任した私は、1980年代とは違う雰囲気に戸惑いました。街には赤地に白で染め抜いたスローガンがたくさんありましたし、外国企業の大きな広告看板と同じように、人民解放軍の兵士が描かれた「軍民が協力してオリンピックを成功させよう」といった1980年代の開放的雰囲気とは異質の看板も目立ったからです。

 テレビでは、夜7時のニュース「新聞聯報」の中に「紅色記憶」と題する中国共産党の歴史を解説するコーナーがありました。赴任したのが4月末で、メーデーが近いせいもあったのですが、テレビでは「労働者之歌」という歌番組が放送されており、人民解放軍の軍服を着た女性歌手が祖国を讃える歌を歌っていました。祖国を讃える歌は結構なのですが、率直にいって「テレビ番組の雰囲気が北朝鮮みたいじゃないか。中国は北朝鮮みたいになって欲しくない。」と感じたのを覚えています。

 中国は、2001年のWTOへの加盟、2008年の北京オリンピックの開催、2010年の上海万博の開催、というふうに国際社会の中に溶け込むためのイベントが続いたのですが、実際問題としては、中国が外交的に国際社会の中への溶け込みが進んだとは見えませんでした。

 特に、最近の中国は、9月の尖閣諸島問題に対する対応や、10月の劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞に対して、諸外国に対して強硬な態度に出て、むしろ自ら国際社会における「対中包囲網」を自分で招来するような姿勢を示していました。

 11月23日(火)に北朝鮮が韓国のヨンピョン島を砲撃した事件に関しても、中国は北朝鮮を非難せず、「関係各方面に冷静な対応を求める」とだけ述べていました。温家宝総理も、訪問先のモスクワで「いかなる軍事的挑発も許さない」と述べて、北朝鮮を非難しているのか、米韓合同演習をしようとしている米韓側を非難しているのか、わからない情況が続いていました。このままでは、1980年代に「ソ連包囲網」の中で「包囲する各国の中の主要な一員」だった中国が、2010年にはむしろ国際社会によって「包囲される側」に回ってしまうのではないか、という恐れがあります。

 11月26日(金)の時点で、「人民日報」のホームページ上にある掲示板「強国論壇」では、掲示板の管理人により「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」と題する個人ブログの文章が掲載され、多くの参加者のコメントがこれにぶら下がっていました。この文章のポイントは、「北朝鮮は、自分が主張する自国の領海内で韓国が軍事演習をやったから反撃したまでのこと。」「これを機にアメリカが空母を出して黄海で米韓軍事演習をやるのは、日本による釣魚島(尖閣諸島の中国名)占領と同じように、アメリカによる中国封じ込め策の一環である。」というものです。

 「強国論壇」では、盛り上がるような話題については、根っことなる発言を提示して、そこにコメントを集中させるような掲示板の整理をすることがあります。この「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」という文章も、そういった掲示板の中の整理の一環として議論の根っ子として紹介しただけであって、「強国論壇」の考えを代表するものではありませんが、この発言には「北朝鮮を支持する」「アメリカはけしからん」といった発言が多数ぶら下がっており、まるで「強国論壇」が北朝鮮擁護と反米の感情を煽っているかのようにさえ見えました。米韓合同軍事演習が北京・天津の目と鼻の先である黄海で行われようとしている状況を前にして、「強国論壇」には11月27日(土)、28日(日)の周末に「反米デモ」が起きるのではないか、というほどの「熱気」がありました。

 しかし、11月26日(金)以降、中国は早手回しに外交上の対策を行いました。

 まず、11月26日(金)、中国外交部の楊潔チ部長(「チ」は「竹かんむり」に「がんだれ」に「虎」)は、北朝鮮の在北京駐在大使と会談し、ロシアと日本の外務大臣と電話会談を行いました。

 同じ11月26日(金)、中国外交部のスポークスマンが「黄海の中国の排他的経済水域では中国の許可なしにいかなる軍事的行動も許さない」という発言をしました。日本のいくつかの新聞等は、この発言について「中国は黄海での米韓合同軍事演習に反対を表明した」と報じました。しかし、この外交部スポークスマンの発言は、「たとえ黄海であっても、中国の排他的経済水域(いわゆる200カイリ水域)の外であれば、外国が軍事演習を行っても黙認する」という意図表面である、とも読めます。黄海は中国からの大陸棚が続いているので、中国と韓国との排他的経済水域の境界については、中国と韓国とで主張が異なっており、「中国の排他的経済水域の外にある黄海」とは具体的にどの海域を指すのかは明確ではないのですが、外交部スポークスマンの発言が「海域を選べば、黄海で軍事演習をやっても中国は文句は言わない」という意味だととらえれば、これは米韓に対する「歩み寄り」を示す重要なメッセージでした。

 こういった中国の動きとの関連は不明ですが、27日(土)、北朝鮮は「砲撃により民間人に死者が出たのだとしたら遺憾」という軟化を匂わせる見解を発表しました。

 11月27日(土)午後、中国の戴秉国国務委員(外交担当で副首相級。外交部長よりランクは上)が急きょ訪韓して韓国の外交通商相と会談しました。戴秉国国務委員はその夜はソウルに泊まり、翌28日(日)の午前中に韓国のイ・ミョンバク(李明博)大統領と会談しました。イ・ミョンバク大統領とにこやかに握手する戴秉国国務委員の映像は、世界に「北朝鮮問題について、中国は積極的に外交的努力をしている」との姿勢をアピールしました。

 さらに、戴秉国国務委員とイ・ミョンバク大統領の会談直後、中国政府は、30日(火)に北朝鮮の朝鮮労働党書記のチェ・テボク(崔載福)書記が訪中する、と発表した。

 同じくイ・ミョンバク-戴秉国会談の直後、中国外交部は同日北京時間16:30(日本時間17:30)から北朝鮮に関する「重要情報」を発表する、と予告しました。

 「重要情報を発表する、という予告」は、普通はないことなので、「人民日報」ホームページ上の掲示板「強国論壇」では、「何だろう?」「米韓に対抗して中国も山東半島沖で軍事演習をやる、という発表か?」「アメリカに宣戦布告でもするのだろうか?」「そういう話なら軍が発表するだろう。外交部が発表するのだから軍事的な話ではないはずだが。」といった憶測が乱れ飛びました。

 実際、17:40になって戴秉国国務委員に随行してソウルへ行っていた中国外交部朝鮮問題特別代表の武大偉氏が北京に戻ってから発表したのは、「中国は12月上旬に六か国協議の首席代表による会議を行うことを提案する」というものでした。外交上の提案としては十分ありうる提案ですが、「重要情報を発表する、と予告するほどの内容ではない」というのが一般的な見方でしょう。「強国論壇」では、「待ってて損した!」「外交部は何考えてるんだろう」といった声がわき上がりました。

 実は、この時点で、「強国論壇」に11月26日(金)に「発言の根っこ」として置かれていた「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」というアメリカを非難する内容の文章は、「黄海で米韓が合同軍事演習を実施」という中立的な文章に差し替えられていました。

 明らかに、中国の姿勢が11月26日(金)から28日(日)の間に、「だんまり」から「北朝鮮、韓国と同じ距離を保ち、中立の立場から対話を促す」という立場に変わったのです。北朝鮮問題に関して「だんまり」を決めこむことは、結局は北朝鮮の行為を是認することになり、北朝鮮に対する影響力を持つという中国が何もしないことは、中国が国際社会から非難を浴び、中国と北朝鮮を同一視されて中国自身が国際的に孤立してしまう、という危機感が中国にもあったのでしょう。そのため、一転して活発な外交的動きを見せて、「中国は努力している」という姿勢を国際社会に見せたのだと思います。

 六か国協議の首席代表による会議の提案を「重要情報を発表する」と予告した上で発表したことについては、戴秉国氏や武大偉氏がソウルから北京に帰国し、指導部にイ・ミョンバク大統領との会談結果を報告した上で中国としての立場を発表したのですから、発表のタイミング自体は全く不自然さはありません。ただ、発表についてなぜ「重要情報を発表する」と予告したのか、という疑問は残ります。可能性としてあるのは、六か国協議の首席代表による会議開催の提案は、誰でも考えつくようなあまりパッとしない提案だが、中国としてもほかに打つ手がなかったので、「中国は重大な決断をした」という「格好」を見せるために「重要情報の予告」をして世界の注目を集める方策を採ったのだ、ということです。また、北京時間16:30(日本時間17:30)という時刻は、今の時期だと日没であたりが暗くなるタイミングですので、日が暮れるまで北朝鮮側、米韓側ともに軍事的な起きないように「軍事的動きをさせないためのハッタリだった」のかもしれません。また、アメリカの原子力空母が黄海に入っていることによって熱くなっている中国の若者が「反米デモ」を起こさないように、衆人の目を集める「重要情報発表予告」を行い、実際に発表したときには既に日曜日の日が暮れており、デモをやりたくても、次の週末まで人が集まらない、という状況を作るのが目的だった、のかもしれません。

 訪中した北朝鮮のチェ・テボク書記は、12月1日、中国の呉邦国政治局常務委員(中国共産党のランクナンバー2で、全人代常務委員会委員長)と会談しました。チェ・テボク書記は北朝鮮の最高人民会議(国会に相当)の議長なので、呉邦国氏は中国におけるカウンターパートですので、この会談に不自然な点はありません。しかし、国家安全保障上の重要事項を話し合うのだったら、相手は全人代常務委員会委員長の呉邦国氏ではなかったはずです(呉邦国氏は、日本で言えば「国会議長」であって、外交を担当している行政のトップではない)。発表されたニュースでは、この会談では「中朝関係は東アジア地域の安定にとって重要であるとの認識で一致」といった当たり前の話ばかりで、具体的にどういったことが話し合われたは発表されていません。また、チェ・テボク書記が北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記の特使として派遣されたのならば、胡錦濤主席(中国共産党総書記)と会談してもおかしくないのですが、胡錦濤主席とチェ・テボク書記が会談した、という報道はなされていません。

 いずれにせよ、一連の外交的活動により、中国は「北朝鮮の擁護者として国際社会から孤立する道」を選ばずに、「北朝鮮問題については、北朝鮮とは一定の距離を保ち、できるだけの外交上の努力はする」という姿勢を国際社会にアピールすることには成功したと思います。今の中国の国内政治においては、10月の五中全会で習近平氏が党軍事委員会副主席に選ばれたことでわかるように、人民解放軍の発言力が大きくなっていて、中国が人民解放軍が親近感を持っている「先軍主義」の北朝鮮を擁護せざるを得ないような状況になっている(胡錦濤-温家宝体制は既にレイム・ダック化している)という可能性があります。もし、そうだとすると中国は今まで考えられていた以上に北朝鮮を擁護する動きをする可能性があります。しかし、北朝鮮を擁護する態度を明確に出すと、尖閣問題、劉暁波氏ノーベル平和賞問題で国際社会の中で「異質な存在」として国際的に孤立化しつつある中国が、ますます国際社会から取り残されてしまう恐れがあります。今回の外交上の動きを見ていると、そういう最悪の事態は避けられたようです。

 しかし、ロシアですら北朝鮮を非難している状況において、北朝鮮を非難しない中国の姿勢は、「中国はやはり『ふつうの国』ではない」という印象を国際社会に与えたのも事実だと思います。朝鮮戦争の時に50万人にも上る「人民義勇軍」を派遣した中国には、当時の関係者(または戦死者の遺族)がまだたくさん残っており、北朝鮮を見限ることは現政権への批判につながる可能性もあるし、また韓国との間の「緩衝地帯」としての北朝鮮の中国にとっての地政学上の重要性は変わっていないので、中国の国内政治状況において、北朝鮮問題は非常に神経を使う問題であることは今後も変わらないと思います。

以上

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