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2010年12月12日 (日)

中国の民主化の日本・世界における重要性

 一昨日(2010年12月10日)、ノルウェーのオスロにおいて、中国の民主化運動を進めてきた劉暁波氏に対するノーベル平和賞の授賞式が行われました。

 中国の民主化の問題は、中国の内政問題であり、あくまで中国人民が自ら決める問題ですが、以下の点において、日本及び世界に極めて重要な影響を与えている問題であることは認識する必要があると思います。

1.「労働者・農民からの搾取」「環境破壊」による経済秩序の破壊の「輸出」

 最近の中国の経済発展の多くは、外国からの資金と技術の導入に基づいて、中国の労働者による勤勉な労働と、石炭、レアアースをはじめとする中国が持つ天然資源がもたらしたものでありますが、それ以外に以下の要素がかなりの部分を占めています。

○「土地が公有である」という社会主義的原則に基づき、地方政府が農民から非常に安い補償金で農地を取り上げ、工場用地として整備し、企業に安価な土地を提供することが可能であった。

○農村戸籍の者は、都市部で労働していても子女の教育、医療保険等の行政サービスが受けられないことから、農村戸籍を持つ都市労働者(いわゆる「農民工」)は数年で故郷の農村に帰らざるをえないのが現状である。このため、都市部の工場では常に労働賃金の安い若い労働力を確保し続けることができた。(年数が経って賃金を上げざるを得ない年齢に達した「農民工」の多くは、企業側がリストラしなくても、中国側の「戸籍制度」に基づいて故郷の農村に帰らざるを得なかったから)。

○民主制度(選挙や報道の自由)がなく、地域住民の声が地方行政に反映されないことから、地方政府は利益を優先する企業の環境破壊を黙認している。そのため、中国の多くの企業は環境保護に必要なコストを必要とせず、大幅なコストダウンが可能となる。

○中国政府の為替政策(人民元を実勢レートより低く設定する)ことにより、為替レートに基づく国際的な労働コストを低く抑えている。これにより外国資本は、中国への投資にメリットを見い出しているが、一方で、労働者は高い輸入品を買わされることになる。

○政府の政策に対する人々の不満の表明を政治的に抑制することにより、労働者による賃上げ運動を抑制することが可能となり、低賃金を維持することが可能となる。

 このような企業側にとって大幅なコストダウンが可能な環境により、中国は「世界の工場」と化しました。このような「特殊状況」の下で生産された「安い」中国製品は世界を席巻しました。安い中国製品と対抗するため、世界各国では、労働者のリストラなど(日本において多くの労働者を正規労働者から派遣労働者に切り替える、など)が起こりました。こういった現象について、ある中国の学者は「中国は『労働者・農民・市民の権利を守るための革命を世界に輸出する国』ではなく、『労働者・農民・市民からの搾取を世界に輸出する国』になってしまった」と評していました。

 中国において民主化が進めば、労働者・農民の権利の主張がその政策に反映されるようになり、環境破壊を取り締まれない地方政府も成り立たなくなります。中国人民の賃金が為替レート的に不当に低く設定され、その反面で高い輸入品を買わされている現在の為替政策も変わるかもしれません。中国が民主化されれば、「労働者・農民・市民からの搾取の世界への輸出」もなくなり、世界の価格競争は公正な競争原理に基づくものになり、結果的に世界各国の労働者・農民・市民の福利も向上することになるでしょう。つまり、中国の民主化の問題は、実は世界の問題なのです。

2.安全保障における「文民統制」の問題

 中国の人民解放軍は中国共産党の軍隊であり、中華人民共和国政府の軍隊ではありません。従って、国務院総理の温家宝氏には人民解放軍の指揮権はありません。日本の国会に相当する全国人民代表大会も人民解放軍へ軍事面で指示をする権限はありません。胡錦涛国家主席は、国家軍事委員会及び中国共産党軍事委員会の主席でもありますので、胡錦涛氏には人民解放軍の指揮権はあります。中華人民共和国政府の機関として国家軍事委員会というのがありますが、そのメンバーは主席の胡錦涛氏をはじめとして中国共産党軍事委員会のメンバーと同じであり、人民解放軍は中国共産党の指揮は受けますが、実質的に中華人民共和国政府によるコントロールを受けません。これは、政府が軍隊をコントロールできなかった戦前の日本の状況と同じです(戦前の日本では、軍隊の統帥権は天皇にあり、軍隊は政府の指揮は受けないという考え方でした(いわゆる「統帥権問題」))。そのため、戦後の日本国憲法では、政府による自衛隊のコントロール(いわゆる「文民統制」)が徹底しているのです。

 戦前の日本において「軍隊の統帥権は天皇に属しているので、軍は日本国政府の指示は受けない」という主張がまかり通っていた実情に即して言えば、現在の中国においては「人民解放軍の統帥権は中国共産党に属しているので、人民解放軍は中国政府の指示は受けない」ということになります。現在の中国では「中国政府=中国共産党の指導下にある」ので、人民解放軍が党の軍隊か政府の軍隊かという問題は結局は同じことだ、とも言えますが、「中国人民の意志」と「人民解放軍の統帥権」とがつながっていない、という意味では、現在の中国の軍隊に関する状況は戦前の軍国主義時代の日本と同じであるということができます。

 従って、仮に中国政府が軍事的緊張を避けようと考えたとしても、中国共産党が戦争を始めようと思えば、戦争が始まってしまうのです。これは外交と軍事統帥権が一元化していない(形式上、国家主席=軍事委員会主席、という形でかろうじて一元化はしていますが)ことを意味します。これは中国を巡る安全保障上の極めて不安定となる要素のひとつです。

 中国が北朝鮮をしきりに擁護するのは、韓国との間に緩衝地帯を設けたい、という地政学上の理由とともに、「先軍思想」と称して軍隊が全てをコントロールしている北朝鮮にシンパシーを感じていると思われる人民解放軍の意向が中国外交の自由度を縛っている可能性が非常に大きいと思います。

 中国の政府は、中国人民がコントロールできているわけではないのですが、人民解放軍は、そういった中国政府ですらコントロールできない、という政治状況は、世界の安全保障の観点では不安定要素であると言わざるを得ません。(大多数の人民がコントロールしている政府が軍隊をコントロールしているならば、軍隊はそう極端なことはできません。「大多数の人民がコントロールしている」という部分で、一定の合理性(大義名分、と言ってもよい)がないと軍隊は動けないからです)。

 1989年の第二次天安門事件の時、天安門前広場にいた学生・市民を排除するために戒厳令が出されましたが、当時の中国共産党総書記の趙紫陽氏は、戒厳令の発令に反対でした。当時の中国共産党軍事委員会の主席はトウ小平氏だったので、実質的にトウ小平氏の「ツルの一声」で戒厳令発令が決まりました。中国政府の公式な記録では、1989年5月17日の夜、中国共産党政治局常務委員会の会議が開かれて、その場で多数決で戒厳令発令が決まった、ということになっています。しかし、趙紫陽氏は、「趙紫陽極秘回想録」の中で、この日の夜の会合は「政治局常務委員による状況報告会」であった、としています。政治局常務委員会を招集する権限のある総書記(趙紫陽氏自身)が政治局常務委員会を招集していないのだから、この会議は政治局常務委員会ではなかった、と言いたいのでしょう。つまり、第二次天安門事件で多数の犠牲者を出すに至る戒厳令は、正式な手続きを経て出されたものではなく、実質的にトウ小平氏一人の意志決定によって決まったのでした。

 法律に基づく政府が確立していない、多数の人民の意向が軍の行動に反映されない、という状況においては、予想もできない軍事的な決定が突然になされてしまう、というリスクは常に存在します。

3.様々な国際共同作業における自由度の問題

 政治的な自由度がない、報道の自由がない、ということは、国際的な共同事業の自由度、という点でも制約を受けます。例えば、国際共同科学研究において、中国国内では気象データなどを許可なく測定できない、といったこともそのひとつです。中国では、国家プロジェクトに異を唱えるような研究論文は実質的には書くことはできません。これは国際共同研究の観点から言えば致命的です。例えば、人工の水路を造って揚子江の水を黄河以北へ移送するという「南水北調」プロジェクトは、生態系や地域の気象に影響を与える可能性がありますが、このプロジェクトによりマイナスの影響が出る、というような研究論文は中国では発表できません。砂漠地帯の緑化事業も、地下水を汲み上げることにより地中の塩分を地表面にもたらすといった悪い影響もあるはずなのですが、そういった「政策に反対するような論文」は書けないのが実情です。そういった国では「科学」の信頼性に疑問がある、と言われてもしかたがなく、そういった国と本当の意味での科学的国際共同研究ができるのか、という疑問が生じます。

4.法律遵守意識の問題

 中国は知的財産権では「無法地帯」と言われています。多くの人々の「遵法意識」に問題があるのがその原因のひとつですが、その背景には「そもそも政府自体が法律を守っていない」ことが挙げられます。今般の劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に関連して、受刑者である劉暁波氏に出国許可を出さなかったのは法律上は理解できるとしても、劉暁波氏の親族や同調者、あるいは同調者の親族すら出国許可が出ていないことについて、そういった出国拒否に法律上の根拠があるのか、という疑問が湧いています。中国の憲法には、中国公民の基本的人権が定められていますが、「国家の安全確保上問題が生じる」という理由があれば、政府がそういった基本的人権を制限することが可能である、というのでは、憲法の規定が有名無実である、ということになります。

 中国では、多くの法律において、行政府に国民の権利・義務に関する決定を大幅に委任しています。例えば、毎年の祝日は、日本では国会の議決を経た法律において規定されますが、中国では祝日の設定は行政府に委任されているため、中国の「法定休日」は全人大の議決を経ずに政府機関である国務院が決めています。

 中国では多くのケースで「法律には原則論が書いてあるだけであって、実際の決定は行政府が政府の都合で自由に決めている」のが実情です。こういう状況があるので、多くの中国人民は、「法律は原則論であって、実態に合わせて運用することは問題ないのだ」と思ってしまうのです。法律論は「原則」なので、幅広く法律を解釈して実体的にはかなりいろんなことができる、という考え方が現在の中国の政府及び人々の意識の底流にあるのです。従って、立派な法律はあるけれども、実際は全然守られていない、というケースがあちこちで見られます。人民日報にも載った話ですが、中国の土地管理法違反案件の約8割は地方政府による法律違反なのだそうです。

 中国では、「中国共産党といえども、憲法や法律を守らなければならない」という「おふれ」がしょっちゅう出ます。これなど、「中国共産党の決定だ」と称して、法律違反の行為がしょっちゅう行われている証拠でしょう。元中国共産党総書記の趙紫陽氏は、「総書記を解任されたのは中国共産党の決定だからしかたがないが、自分を自宅軟禁にする法律的根拠は一切ないはずだ」と「趙紫陽極秘回想録」の中で憤慨しています。2006年1月に突然停刊になった「中国青年報」の中の週刊特集ページ「氷点週刊」について、当時の編集長で後に編集長を解任された李大同氏は、その著書「『氷点』停刊の舞台裏」の中で、この停刊が、法律に基づく処置ではなかっただけでなく、出版の自由を保証している憲法に違反している、と糾弾しています。

 劉暁波氏の妻を自宅軟禁にしたり、支援者の出国を止めている現在の中国の現状を見れば、中国政府自身が「憲法に基本的人権に関する規定はあってもそれは厳密に守らなくてよいのだ」と内外に宣言しているに等しいと言わざるを得ません。そうした政府自身が「憲法や法律には立派なことが書いてあるが、実態はそれに忠実に従う必要はないのだ」という態度を示している状況において、中国の人々に「知的財産権に関する法律を守りましょう」と呼びかけても詮ないことであることは明らかです。

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 以上掲げたように、中国が、法律に基づく、民主的な政治体制にならない限り、様々な経済的、国際的な「あつれき」は今後とも引き続き起こる可能性があります。従って、中国の国内政治体制は中国人民が決めるものであって、外国人がああだこうだと言うべきではない、という原則はあるものの、外国人の我々としても、中国の民主化については、利害関係者の一人として重大な関心を持って見守って行かざるを得ない、と言えると思います。

以上

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