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2010年12月

2010年12月26日 (日)

改めて「『氷点』停刊の舞台裏」を読む

 最近、「『氷点』停刊の舞台裏」(李大同著。三潴正道監訳、而立会訳;日本僑報社)を読みました。この本は、日中対訳本で、「氷点週刊」停刊事件が起きた2006年の6月に出版された本ですが、中国国内(大陸部)では「発禁本」なので、私は北京駐在をしていた期間中は、読みたいとは思っていましたが読むのは控えていました。中国国内でこういう本を持ち歩いているのが見つかったらあまりよろしくない、と思ったからです。

 「『氷点週刊』停刊事件」(2006年1月)については、このブログの中にある「中国現代史概説」に第4章第2部第7節として、ひとつの節を起こして書きましたのでご覧ください(このページの左側に「中国現代史概説の目次」があります)。

(参考URL)「中国現代史概説」第4章第2部第7節「『氷点週刊』停刊事件」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/05/post-0bd3.html

 この本では、中山大学の袁偉時教授による「現代化と歴史教科書」という論文を掲載されたことにより、中国青年報の中の週刊特集である「氷点週刊」が停刊となり、編集長を解任された李大同氏が、この停刊と自らの解任について、法律や中国共産党規約に違反し、中国公民の「言論の自由」を保障している中華人民共和国憲法に違反している、と指摘しています。李大同氏は、この本の中で、そうした自分の主張を掲げるとともに、この停刊事件によって李大同氏のもとに送られてきた多くの激励の手紙やメール(人民日報などにいた言論界の元幹部からのものも含む)を紹介しています。おそらく李大同氏は、自分の考えを主張したかったのと同時に、こうした数多くの人々の激励文を「歴史の証言」として記録して後世に伝える義務が自分にはある、と感じて、この本を出版したものと思われます。

 「『氷点』停刊の舞台裏」は、2006年1月に起きた停刊事件の前後の状況をまとめて、2006年6月に日本において急きょ出版されたものです。日本において出版されたとはいいながら、「日中対訳」になっており、当局からの指示文書や多くの人々からの激励文などは全て中国語の原文が掲載されており、李大同氏がこの主の本を大陸で出版できない状況の中で、貴重な「歴史の記録」として、中国の人々自身に読んで欲しいと思ってこの本を出版したことは明らかです。重要な点は、国外での出版とは言え、こういった本が現実に出版することが可能だった点です。

 そもそも「氷点週刊」停刊事件が起きた際、李大同氏は、メールで国内外の関係者に状況を報告し、外国の報道陣からの質問に対してもメールで返事を出しています。李大同氏が書いていたブログはすぐに当局によって閉鎖されてしまいましたが、これだけネットが発達している現代においては、自分の意見をネットによって外部に伝える方法はいくらでもあるため、当局もすれらを全て封鎖することはできなかったのです。

 また、李大同氏がこの本で「最高指導者」の指示により、袁偉時教授の論文に反論する論文を掲載することを条件に、「氷点週刊」が2006年3月1日を持って復刊することが決定したことを紹介しています。「最高指導者」とは、前後の文脈からすれば胡錦濤総書記・国家主席であることは明らかです(胡錦濤氏は、「氷点週刊」を掲載している「中国青年報」の発行母体である中国共産党青年団の出身)。李大同氏が、外国での出版、という形であったにせよ、このような形で「ことの顛末(てんまつ)」の詳細を本として出版できたのは、中国共産党指導部の中にも李大同氏を支持する勢力がかなりの強さで存在していることを意味していると思われます。

 このブログの前回の発言(2010年12月19日付け)で、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞を圧殺しようとしている中国共産党指導部のやり方を批判すると思われるような「南方都市報」の「空椅子と鶴の写真」の話を書きました。従前だったら、こうした中国共産党の方針にあからさまに反発していることがミエミエの記事を掲載した場合、編集長の解任や当該新聞停刊の措置が執られるのですが、「南方都市報」に関しては、現在のところ「おとがめなし」のようです。おそらくは、中国指導部の中にも、人々の反発の高まりを考えると、新聞メディアを力で抑え付けるのは得策ではなく、一定の報道の自由は認めるべきだ、という考えを持った人々がおり、例えば「南方都市報」を停刊にしたり編集長を解任したりすれば、そうした「報道の自由擁護派」の人々の支持の下、「『氷点週刊』停刊の舞台裏」のように停刊や解任を強要する中国共産党宣伝部の動きの詳細について、世界に発表されてしまう、という懸念が中国共産党内部にもあるものと推測されます。

 最近、中国の動きを見ていると、「強硬な面」と「柔軟な面」の両方があり、その間を揺れ動いているように見えます。「強硬な面」は、尖閣諸島問題における日本に対する態度や劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に対する国際社会への態度の中に見えます。12月18日に起きた韓国の排他的経済水域における中国漁船による韓国海洋警備船への衝突事件において、中国が韓国に損害賠償を請求した件などは、中国の「強硬な面」を端的に表した事件でした。一方、北朝鮮の韓国ヨンピョン島への砲撃事件(11月23日)に対する中国の外交努力は、国際社会の中で中国としても最大限の努力をしていることを見せたい、という「柔軟な面」を示していると思います。これらの動きは、中国国内における「強硬派」(国際的には自国の権益を主張し、国内においては報道の自由を強権を持って抑圧しようと考えている勢力)と「柔軟派」(国際社会の中での調和を重視し、国内においては人民の不満は鬱(うっ)積させないように新聞報道にある程度の自由度を与えるべきと考えている勢力)が拮抗している証拠であると思われます。

 こういった二つの勢力の拮抗は、個別具体的な政策の実施の中にも影響を与えます。

 報道によれば、12月23日、北京市当局は、増え続ける北京市内の自動車台数を制限するため、ナンバープレートの提供を抽選制によって3分の1に制限するという政策を発表しました。この政策は翌24日から実施され、23日中に購入した車には適用されない、とのことだったので、23日の夜、北京市内の自動車販売店には「駆け込み購入」を求める市民が殺到したとのことです。中国では、人々の権利や義務に密接に関連する政策も議会(全人代)ではなく行政府(国務院や地方政府)に委任されています。そのため、人々の生活を直接縛る政策が突然発表され、準備する間もなくすぐに実行されてしまう、ということがよくあります。

 普通の民主主義の国では、国民の権利や義務に関する規定は、議会が決める法律や条例によって決められる(行政府は勝手に決められない)ので、議会での議論がなされている期間中は、多くの人々はその政策に対する準備をすることができます。多くの人々がその議論されている政策に反対しているならば、報道機関がそれを論評して、政策を批判します。議会の議員は、次の選挙で落選しては困るので、人々が反対しているような政策には賛成しません。

 民主主義におけるこういった政策決定プロセスは、時として時間が掛かり、「まどろっこしい」のですが、こういった民主的な議論のプロセスは、その政策の影響を受ける人々が政策を受け入れるための「納得のプロセス」であり、議会で多数決で決まった政策については、人々は「議論して決まった結論ならば従わざるを得ない」と「納得する」のです。ところが、中国では、こういった「納得のプロセス」なしで政策決定が行われるので、迅速な政策決定ができる反面、大きな影響を受ける人々の側はその政策について全く納得しておらず、そういった政策を強行することに対する不満を鬱積させる結果となります。多くの人々が決まった政策に納得してないので、表面上は決まった政策に従ったフリをしているが実際はウラで抜け道を使って政策を守らない、という事態が発生してしまうのです。

 中国経済は、輸出依存から国内市場依存へと転換しつつあります。国内市場依存が強まると、国内市場の消費者、即ち、中国の一般人民の動向が中国経済の行方を左右することになります。そういった経済状況になれば、中国の経済施策は中国の一般人民の意向を無視して決めることはできなくなります。つまり、経済の国内市場依存度の高まりは、政治プロセスにおける民意の反映、即ち、政治の民主化が必然的に求められることになります。

 現在、中国指導部の中にある「強硬派」と「柔軟派」の勢力争いは、経済面における国内市場依存傾向の高まりの中で、次第に「柔軟派」が力を持たざるを得ないことになるでしょう。多くの人民の意向を無視した経済政策は、国内市場において経済政策として成功しないからです。「強硬派」のバックには軍がいますが、来年(2011年)は「強硬派」と「柔軟派」の勢力争いが、平和的な形で決着がつく方向へ向かうことを願いたいと思います。

以上

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2010年12月19日 (日)

「南方都市報」の「空椅子」と「鶴」の写真

 先週、12月14日付けの朝日新聞ほかの日本の新聞で、12月12日付けの広東省の日刊紙「南方都市報」の1面についての記事が報道されました。12月12日付けの「南方都市報」の一面トップの見出しは「今夜、アジア大会パラリンピック開幕」という文字ですが、その背景にある写真には、「空席の椅子」と「鶴」が写っている写真でした。朝日新聞の記事では、この写真について「見出しとは全く関係のない写真」と紹介していましたが、ほかの報道によれば、広州アジア大会パラリンピックの開会式では、ツルを使った場面があり、この写真は、開会式のリハーサルの写真だということです。「空席の椅子」は、関係者以外の立ち入り禁止を示すテープを張るために置かれていただけで、「南方都市報」の関係者は、「単なるリハーサルの一場面を写した報道写真であり、変な『深読み』はしないで欲しい。」と言っているそうです。

 しかし、「空席のイス」は、受賞者の劉暁波氏が出席できなかった12月10日のノーベル平和賞の授賞式を意味しているのは明らかです。朝日新聞の記事では、「鶴」と同じ一面に載っている「平らな台」と「手のひら」を組み合わせると、中国語の「ノーベル賞」と同じ発音になると解説しています。一方で、日本のほかの報道では「鶴」(he)が「賀」(he)と同じ発音であることから、この写真は、「空席の椅子」と「鶴」の組み合わせで、「劉暁波氏のノーベル平和賞を祝賀する」という意味である、とする見方も紹介されています。

 「南方都市報」の関係者が「深読みはしないで欲しい」と言っていますが、開会式のリハーサルの中の鶴の場面だけを1面に掲載する必然性はなく、「南方都市報」が劉暁波氏のノーベル平和賞受賞を批判する党中央の方針を皮肉ったことは明らかでしょう。中国の新聞がこれほど直接的に党中央の意向に反する紙面を出すことは画期的だと思います。

 以前、私が北京駐在時代の2008年7月24日、北京の新聞「新京報」は、元AP通信記者の Liu Xiangcheng (劉香成)氏(中国生まれ:米国籍)のインタビュー記事を載せ、このカメラマンが過去に賞を獲った写真として「傷者」というタイトルの写真とソ連のゴルバチョフ氏がソ連解体の書類にサインする場面の写真とを掲載しました。「傷者」の写真は、紙面には説明書きはありませんでしたが、1989年6月の「第二次天安門事件」の時、怪我した学生を仲間が自転車三輪車の荷台に載せて大急ぎで運ぶ場面の写真で、当時の報道では有名な写真だったので、説明書きなしでも、当時を知る人には何の場面の写真かわかるものでした。1989年6月4日の「第二次事天安門事件(六四天安門事件)」は、現在の中国では触れることすら「タブー」です。しかも、それを「ソ連解体の書類に署名するゴルバチョフ書記長」の写真と同じ紙面で掲載することは、見方によっては、中国共産党に対する強烈な批判を意味します。日本での報道によれば、この日の「新京報」は、発売後、直ちに回収措置が執られたとのことです。当時、北京に駐在していた私は「『新京報』の『擦辺球』(エッジ・ボール)」というタイトルで知人にこの件を知らせしたことを覚えています。

 「擦辺球」(エッジ・ボール)とは、卓球用語で、ボールがテーブルのエッジに当たって角度が変わるボールのことで、「違反ギリギリの行為」という意味で中国ではよく使われます。これに比べれば、今回の「南方都市報」の1面の写真は、劉暁波氏のノーベル平和賞を非難する党中央の方針に真っ向から反対を表明するもので、もはや「エッジ・ボール」ではなく、完全にラインの内側を意図的に狙った「ストレート・スマッシュ」だと思います。実際にこの写真が広州アジア大会パラリンピック開会式のリハーサルの写真であるならば、検閲を行う当局もこれを削除することは不可能であり、「南方都市報」の意図は完全に成功したものと思います。現にこの写真は紙面掲載1週間後の現在でも「南方都市報」のホームページにおいて閲覧可能であり、「『南方都市報』よくやった!」といった読者のコメントも見ることができます。

(参考URL)「南方都市報」電子版2010年12月12日付け1面
http://epaper.oeeee.com/A/html/2010-12/12/node_523.htm

※なぜかこのページは Internet Explore でしか閲覧できないようです。

 私は「南方都市報」の編集長の解任、あるいは「南方都市報」の停刊命令等が出る可能性があると思ったのですが、1週間後の今日になってもインターネット上の写真が削除されずに残っているので、たぶん大丈夫でしょう。

 私が、1986~88年の一回目の北京駐在と、2007~09年の二回目の北京駐在とで、最も異なると感じているのは、ひとつはインターネットの存在であり、もうひとつは様々な「縛り」の中で賢明に取材し記事を書こうとする新聞ジャーナリズムの存在です。「南方都市報」は、私が北京にいたときに愛読していた週刊紙「南方周末」(日本語表記では「南方週末」)やNHKが「激流中国」の中で検閲当局と苦闘する状況を描いた雑誌「南風窓」と同じグループに属する新聞です。重要なのは、こういった「検閲の縛りの中でもギリギリの主張をする新聞」がよく売れている、つまり共感する読者が大勢いる、ということです。

 今回の「南方都市報」の「ストレート・スマッシュ」は、「中国は本当に変わるかもしれない」ということを予感させるものだと私は思います。

以上

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2010年12月12日 (日)

中国の民主化の日本・世界における重要性

 一昨日(2010年12月10日)、ノルウェーのオスロにおいて、中国の民主化運動を進めてきた劉暁波氏に対するノーベル平和賞の授賞式が行われました。

 中国の民主化の問題は、中国の内政問題であり、あくまで中国人民が自ら決める問題ですが、以下の点において、日本及び世界に極めて重要な影響を与えている問題であることは認識する必要があると思います。

1.「労働者・農民からの搾取」「環境破壊」による経済秩序の破壊の「輸出」

 最近の中国の経済発展の多くは、外国からの資金と技術の導入に基づいて、中国の労働者による勤勉な労働と、石炭、レアアースをはじめとする中国が持つ天然資源がもたらしたものでありますが、それ以外に以下の要素がかなりの部分を占めています。

○「土地が公有である」という社会主義的原則に基づき、地方政府が農民から非常に安い補償金で農地を取り上げ、工場用地として整備し、企業に安価な土地を提供することが可能であった。

○農村戸籍の者は、都市部で労働していても子女の教育、医療保険等の行政サービスが受けられないことから、農村戸籍を持つ都市労働者(いわゆる「農民工」)は数年で故郷の農村に帰らざるをえないのが現状である。このため、都市部の工場では常に労働賃金の安い若い労働力を確保し続けることができた。(年数が経って賃金を上げざるを得ない年齢に達した「農民工」の多くは、企業側がリストラしなくても、中国側の「戸籍制度」に基づいて故郷の農村に帰らざるを得なかったから)。

○民主制度(選挙や報道の自由)がなく、地域住民の声が地方行政に反映されないことから、地方政府は利益を優先する企業の環境破壊を黙認している。そのため、中国の多くの企業は環境保護に必要なコストを必要とせず、大幅なコストダウンが可能となる。

○中国政府の為替政策(人民元を実勢レートより低く設定する)ことにより、為替レートに基づく国際的な労働コストを低く抑えている。これにより外国資本は、中国への投資にメリットを見い出しているが、一方で、労働者は高い輸入品を買わされることになる。

○政府の政策に対する人々の不満の表明を政治的に抑制することにより、労働者による賃上げ運動を抑制することが可能となり、低賃金を維持することが可能となる。

 このような企業側にとって大幅なコストダウンが可能な環境により、中国は「世界の工場」と化しました。このような「特殊状況」の下で生産された「安い」中国製品は世界を席巻しました。安い中国製品と対抗するため、世界各国では、労働者のリストラなど(日本において多くの労働者を正規労働者から派遣労働者に切り替える、など)が起こりました。こういった現象について、ある中国の学者は「中国は『労働者・農民・市民の権利を守るための革命を世界に輸出する国』ではなく、『労働者・農民・市民からの搾取を世界に輸出する国』になってしまった」と評していました。

 中国において民主化が進めば、労働者・農民の権利の主張がその政策に反映されるようになり、環境破壊を取り締まれない地方政府も成り立たなくなります。中国人民の賃金が為替レート的に不当に低く設定され、その反面で高い輸入品を買わされている現在の為替政策も変わるかもしれません。中国が民主化されれば、「労働者・農民・市民からの搾取の世界への輸出」もなくなり、世界の価格競争は公正な競争原理に基づくものになり、結果的に世界各国の労働者・農民・市民の福利も向上することになるでしょう。つまり、中国の民主化の問題は、実は世界の問題なのです。

2.安全保障における「文民統制」の問題

 中国の人民解放軍は中国共産党の軍隊であり、中華人民共和国政府の軍隊ではありません。従って、国務院総理の温家宝氏には人民解放軍の指揮権はありません。日本の国会に相当する全国人民代表大会も人民解放軍へ軍事面で指示をする権限はありません。胡錦涛国家主席は、国家軍事委員会及び中国共産党軍事委員会の主席でもありますので、胡錦涛氏には人民解放軍の指揮権はあります。中華人民共和国政府の機関として国家軍事委員会というのがありますが、そのメンバーは主席の胡錦涛氏をはじめとして中国共産党軍事委員会のメンバーと同じであり、人民解放軍は中国共産党の指揮は受けますが、実質的に中華人民共和国政府によるコントロールを受けません。これは、政府が軍隊をコントロールできなかった戦前の日本の状況と同じです(戦前の日本では、軍隊の統帥権は天皇にあり、軍隊は政府の指揮は受けないという考え方でした(いわゆる「統帥権問題」))。そのため、戦後の日本国憲法では、政府による自衛隊のコントロール(いわゆる「文民統制」)が徹底しているのです。

 戦前の日本において「軍隊の統帥権は天皇に属しているので、軍は日本国政府の指示は受けない」という主張がまかり通っていた実情に即して言えば、現在の中国においては「人民解放軍の統帥権は中国共産党に属しているので、人民解放軍は中国政府の指示は受けない」ということになります。現在の中国では「中国政府=中国共産党の指導下にある」ので、人民解放軍が党の軍隊か政府の軍隊かという問題は結局は同じことだ、とも言えますが、「中国人民の意志」と「人民解放軍の統帥権」とがつながっていない、という意味では、現在の中国の軍隊に関する状況は戦前の軍国主義時代の日本と同じであるということができます。

 従って、仮に中国政府が軍事的緊張を避けようと考えたとしても、中国共産党が戦争を始めようと思えば、戦争が始まってしまうのです。これは外交と軍事統帥権が一元化していない(形式上、国家主席=軍事委員会主席、という形でかろうじて一元化はしていますが)ことを意味します。これは中国を巡る安全保障上の極めて不安定となる要素のひとつです。

 中国が北朝鮮をしきりに擁護するのは、韓国との間に緩衝地帯を設けたい、という地政学上の理由とともに、「先軍思想」と称して軍隊が全てをコントロールしている北朝鮮にシンパシーを感じていると思われる人民解放軍の意向が中国外交の自由度を縛っている可能性が非常に大きいと思います。

 中国の政府は、中国人民がコントロールできているわけではないのですが、人民解放軍は、そういった中国政府ですらコントロールできない、という政治状況は、世界の安全保障の観点では不安定要素であると言わざるを得ません。(大多数の人民がコントロールしている政府が軍隊をコントロールしているならば、軍隊はそう極端なことはできません。「大多数の人民がコントロールしている」という部分で、一定の合理性(大義名分、と言ってもよい)がないと軍隊は動けないからです)。

 1989年の第二次天安門事件の時、天安門前広場にいた学生・市民を排除するために戒厳令が出されましたが、当時の中国共産党総書記の趙紫陽氏は、戒厳令の発令に反対でした。当時の中国共産党軍事委員会の主席はトウ小平氏だったので、実質的にトウ小平氏の「ツルの一声」で戒厳令発令が決まりました。中国政府の公式な記録では、1989年5月17日の夜、中国共産党政治局常務委員会の会議が開かれて、その場で多数決で戒厳令発令が決まった、ということになっています。しかし、趙紫陽氏は、「趙紫陽極秘回想録」の中で、この日の夜の会合は「政治局常務委員による状況報告会」であった、としています。政治局常務委員会を招集する権限のある総書記(趙紫陽氏自身)が政治局常務委員会を招集していないのだから、この会議は政治局常務委員会ではなかった、と言いたいのでしょう。つまり、第二次天安門事件で多数の犠牲者を出すに至る戒厳令は、正式な手続きを経て出されたものではなく、実質的にトウ小平氏一人の意志決定によって決まったのでした。

 法律に基づく政府が確立していない、多数の人民の意向が軍の行動に反映されない、という状況においては、予想もできない軍事的な決定が突然になされてしまう、というリスクは常に存在します。

3.様々な国際共同作業における自由度の問題

 政治的な自由度がない、報道の自由がない、ということは、国際的な共同事業の自由度、という点でも制約を受けます。例えば、国際共同科学研究において、中国国内では気象データなどを許可なく測定できない、といったこともそのひとつです。中国では、国家プロジェクトに異を唱えるような研究論文は実質的には書くことはできません。これは国際共同研究の観点から言えば致命的です。例えば、人工の水路を造って揚子江の水を黄河以北へ移送するという「南水北調」プロジェクトは、生態系や地域の気象に影響を与える可能性がありますが、このプロジェクトによりマイナスの影響が出る、というような研究論文は中国では発表できません。砂漠地帯の緑化事業も、地下水を汲み上げることにより地中の塩分を地表面にもたらすといった悪い影響もあるはずなのですが、そういった「政策に反対するような論文」は書けないのが実情です。そういった国では「科学」の信頼性に疑問がある、と言われてもしかたがなく、そういった国と本当の意味での科学的国際共同研究ができるのか、という疑問が生じます。

4.法律遵守意識の問題

 中国は知的財産権では「無法地帯」と言われています。多くの人々の「遵法意識」に問題があるのがその原因のひとつですが、その背景には「そもそも政府自体が法律を守っていない」ことが挙げられます。今般の劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に関連して、受刑者である劉暁波氏に出国許可を出さなかったのは法律上は理解できるとしても、劉暁波氏の親族や同調者、あるいは同調者の親族すら出国許可が出ていないことについて、そういった出国拒否に法律上の根拠があるのか、という疑問が湧いています。中国の憲法には、中国公民の基本的人権が定められていますが、「国家の安全確保上問題が生じる」という理由があれば、政府がそういった基本的人権を制限することが可能である、というのでは、憲法の規定が有名無実である、ということになります。

 中国では、多くの法律において、行政府に国民の権利・義務に関する決定を大幅に委任しています。例えば、毎年の祝日は、日本では国会の議決を経た法律において規定されますが、中国では祝日の設定は行政府に委任されているため、中国の「法定休日」は全人大の議決を経ずに政府機関である国務院が決めています。

 中国では多くのケースで「法律には原則論が書いてあるだけであって、実際の決定は行政府が政府の都合で自由に決めている」のが実情です。こういう状況があるので、多くの中国人民は、「法律は原則論であって、実態に合わせて運用することは問題ないのだ」と思ってしまうのです。法律論は「原則」なので、幅広く法律を解釈して実体的にはかなりいろんなことができる、という考え方が現在の中国の政府及び人々の意識の底流にあるのです。従って、立派な法律はあるけれども、実際は全然守られていない、というケースがあちこちで見られます。人民日報にも載った話ですが、中国の土地管理法違反案件の約8割は地方政府による法律違反なのだそうです。

 中国では、「中国共産党といえども、憲法や法律を守らなければならない」という「おふれ」がしょっちゅう出ます。これなど、「中国共産党の決定だ」と称して、法律違反の行為がしょっちゅう行われている証拠でしょう。元中国共産党総書記の趙紫陽氏は、「総書記を解任されたのは中国共産党の決定だからしかたがないが、自分を自宅軟禁にする法律的根拠は一切ないはずだ」と「趙紫陽極秘回想録」の中で憤慨しています。2006年1月に突然停刊になった「中国青年報」の中の週刊特集ページ「氷点週刊」について、当時の編集長で後に編集長を解任された李大同氏は、その著書「『氷点』停刊の舞台裏」の中で、この停刊が、法律に基づく処置ではなかっただけでなく、出版の自由を保証している憲法に違反している、と糾弾しています。

 劉暁波氏の妻を自宅軟禁にしたり、支援者の出国を止めている現在の中国の現状を見れば、中国政府自身が「憲法に基本的人権に関する規定はあってもそれは厳密に守らなくてよいのだ」と内外に宣言しているに等しいと言わざるを得ません。そうした政府自身が「憲法や法律には立派なことが書いてあるが、実態はそれに忠実に従う必要はないのだ」という態度を示している状況において、中国の人々に「知的財産権に関する法律を守りましょう」と呼びかけても詮ないことであることは明らかです。

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 以上掲げたように、中国が、法律に基づく、民主的な政治体制にならない限り、様々な経済的、国際的な「あつれき」は今後とも引き続き起こる可能性があります。従って、中国の国内政治体制は中国人民が決めるものであって、外国人がああだこうだと言うべきではない、という原則はあるものの、外国人の我々としても、中国の民主化については、利害関係者の一人として重大な関心を持って見守って行かざるを得ない、と言えると思います。

以上

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2010年12月 5日 (日)

黄海での米韓合同軍事演習と中国外交

 先週(2010年11月28日~12月1日)、黄海においてアメリカ海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンも参加して米韓合同軍事演習が行われました。今回の軍事演習は、もともと計画されていたシリーズの米韓合同演習の一環、ということのようですが、去る11月23日、北朝鮮が韓国のヨンピョン(延坪)島へ砲撃を行い、民間人を含む4名の死者が出た直後だけに、緊張感が高まりました。

 この北朝鮮砲撃問題について中国がどう対応するのか、世界が注目しました。

 中国は、1978年にトウ小平氏の主導により、文化大革命の時代から脱して、改革開放路線を始めました。その頃、ソ連は、ソ連共産党による支配の硬直化が進んでいました。トウ小平氏は、外交的にはアメリカや日本をはじめとする西側諸国と接近し、ソ連を「覇権主義」として批判することによって「対ソ包囲網」を形成し、中国の国際社会における発言力を高めました。

 トウ小平氏の「対ソ包囲網作戦」は成功し、中国は日本をはじめとする西側諸国の対ソ戦略意識をうまく活用して、西側から資金と技術を導入して、文化大革命中に停滞した中国経済にカツを入れ、その後の急速な中国の経済発展の基礎を築きました。また、イギリスとの交渉により、香港返還を実現させました。

 1986年~1988年、私は一回目の北京駐在を経験しましたが、その頃、中国の街角では、赤地を白で染め抜いた中国共産党のスローガンは次々と撤去され、各地にあった毛沢東主席像もその多くは撤去されました。それは、トウ小平氏が、文化大革命的なスローガン主義や個人崇拝主義を嫌って、近代的な経済建設を進めたいと考えていたことを表していました。

 しかし、そういった1980年代の自由を希求する雰囲気の中で天安門前広場で盛り上がった1989年の北京の学生・市民の運動は、人民解放軍の投入により武力で鎮圧されてしまいました。1992年のトウ小平氏による「南巡講話」により、中国は、経済的には高度経済成長時代に入りますが、政治的には1980年代に比べれば、むしろ文革時代に近いような雰囲気に戻ってしまいました。

 日本との間では、改革開放期に入る前から尖閣諸島問題はありました。しかし、1978年の日中平和友好条約の批准書交換式に出席するため訪日したトウ小平氏は、尖閣問題について問われたとき、「我々の世代はまだ知恵が足りないのです」と述べて問題を棚上げすることによって日本との関係を進めることに成功しました。

 日中間には、いわゆる「歴史問題」もありましたが、1980年代の中国指導者は「日本人民も日本の軍国主義者の被害者であった」と述べており、多くの中国人民も実際そう思っていて、今の日本に対する「反日感情」はありませんでした。むしろ、人々は「おしん」や「山口百恵」に見られるような日本の文化を取り入れ、企業は日本の進んだ技術や経営方策を取り入れようとしていました。

※このあたりの経緯については、左側の欄にある「中国現代史概説の目次」をクリックして、このブログの中にある該当部分をご覧ください。

 しかし、2007年4月に二回目の北京駐在のため赴任した私は、1980年代とは違う雰囲気に戸惑いました。街には赤地に白で染め抜いたスローガンがたくさんありましたし、外国企業の大きな広告看板と同じように、人民解放軍の兵士が描かれた「軍民が協力してオリンピックを成功させよう」といった1980年代の開放的雰囲気とは異質の看板も目立ったからです。

 テレビでは、夜7時のニュース「新聞聯報」の中に「紅色記憶」と題する中国共産党の歴史を解説するコーナーがありました。赴任したのが4月末で、メーデーが近いせいもあったのですが、テレビでは「労働者之歌」という歌番組が放送されており、人民解放軍の軍服を着た女性歌手が祖国を讃える歌を歌っていました。祖国を讃える歌は結構なのですが、率直にいって「テレビ番組の雰囲気が北朝鮮みたいじゃないか。中国は北朝鮮みたいになって欲しくない。」と感じたのを覚えています。

 中国は、2001年のWTOへの加盟、2008年の北京オリンピックの開催、2010年の上海万博の開催、というふうに国際社会の中に溶け込むためのイベントが続いたのですが、実際問題としては、中国が外交的に国際社会の中への溶け込みが進んだとは見えませんでした。

 特に、最近の中国は、9月の尖閣諸島問題に対する対応や、10月の劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞に対して、諸外国に対して強硬な態度に出て、むしろ自ら国際社会における「対中包囲網」を自分で招来するような姿勢を示していました。

 11月23日(火)に北朝鮮が韓国のヨンピョン島を砲撃した事件に関しても、中国は北朝鮮を非難せず、「関係各方面に冷静な対応を求める」とだけ述べていました。温家宝総理も、訪問先のモスクワで「いかなる軍事的挑発も許さない」と述べて、北朝鮮を非難しているのか、米韓合同演習をしようとしている米韓側を非難しているのか、わからない情況が続いていました。このままでは、1980年代に「ソ連包囲網」の中で「包囲する各国の中の主要な一員」だった中国が、2010年にはむしろ国際社会によって「包囲される側」に回ってしまうのではないか、という恐れがあります。

 11月26日(金)の時点で、「人民日報」のホームページ上にある掲示板「強国論壇」では、掲示板の管理人により「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」と題する個人ブログの文章が掲載され、多くの参加者のコメントがこれにぶら下がっていました。この文章のポイントは、「北朝鮮は、自分が主張する自国の領海内で韓国が軍事演習をやったから反撃したまでのこと。」「これを機にアメリカが空母を出して黄海で米韓軍事演習をやるのは、日本による釣魚島(尖閣諸島の中国名)占領と同じように、アメリカによる中国封じ込め策の一環である。」というものです。

 「強国論壇」では、盛り上がるような話題については、根っことなる発言を提示して、そこにコメントを集中させるような掲示板の整理をすることがあります。この「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」という文章も、そういった掲示板の中の整理の一環として議論の根っ子として紹介しただけであって、「強国論壇」の考えを代表するものではありませんが、この発言には「北朝鮮を支持する」「アメリカはけしからん」といった発言が多数ぶら下がっており、まるで「強国論壇」が北朝鮮擁護と反米の感情を煽っているかのようにさえ見えました。米韓合同軍事演習が北京・天津の目と鼻の先である黄海で行われようとしている状況を前にして、「強国論壇」には11月27日(土)、28日(日)の周末に「反米デモ」が起きるのではないか、というほどの「熱気」がありました。

 しかし、11月26日(金)以降、中国は早手回しに外交上の対策を行いました。

 まず、11月26日(金)、中国外交部の楊潔チ部長(「チ」は「竹かんむり」に「がんだれ」に「虎」)は、北朝鮮の在北京駐在大使と会談し、ロシアと日本の外務大臣と電話会談を行いました。

 同じ11月26日(金)、中国外交部のスポークスマンが「黄海の中国の排他的経済水域では中国の許可なしにいかなる軍事的行動も許さない」という発言をしました。日本のいくつかの新聞等は、この発言について「中国は黄海での米韓合同軍事演習に反対を表明した」と報じました。しかし、この外交部スポークスマンの発言は、「たとえ黄海であっても、中国の排他的経済水域(いわゆる200カイリ水域)の外であれば、外国が軍事演習を行っても黙認する」という意図表面である、とも読めます。黄海は中国からの大陸棚が続いているので、中国と韓国との排他的経済水域の境界については、中国と韓国とで主張が異なっており、「中国の排他的経済水域の外にある黄海」とは具体的にどの海域を指すのかは明確ではないのですが、外交部スポークスマンの発言が「海域を選べば、黄海で軍事演習をやっても中国は文句は言わない」という意味だととらえれば、これは米韓に対する「歩み寄り」を示す重要なメッセージでした。

 こういった中国の動きとの関連は不明ですが、27日(土)、北朝鮮は「砲撃により民間人に死者が出たのだとしたら遺憾」という軟化を匂わせる見解を発表しました。

 11月27日(土)午後、中国の戴秉国国務委員(外交担当で副首相級。外交部長よりランクは上)が急きょ訪韓して韓国の外交通商相と会談しました。戴秉国国務委員はその夜はソウルに泊まり、翌28日(日)の午前中に韓国のイ・ミョンバク(李明博)大統領と会談しました。イ・ミョンバク大統領とにこやかに握手する戴秉国国務委員の映像は、世界に「北朝鮮問題について、中国は積極的に外交的努力をしている」との姿勢をアピールしました。

 さらに、戴秉国国務委員とイ・ミョンバク大統領の会談直後、中国政府は、30日(火)に北朝鮮の朝鮮労働党書記のチェ・テボク(崔載福)書記が訪中する、と発表した。

 同じくイ・ミョンバク-戴秉国会談の直後、中国外交部は同日北京時間16:30(日本時間17:30)から北朝鮮に関する「重要情報」を発表する、と予告しました。

 「重要情報を発表する、という予告」は、普通はないことなので、「人民日報」ホームページ上の掲示板「強国論壇」では、「何だろう?」「米韓に対抗して中国も山東半島沖で軍事演習をやる、という発表か?」「アメリカに宣戦布告でもするのだろうか?」「そういう話なら軍が発表するだろう。外交部が発表するのだから軍事的な話ではないはずだが。」といった憶測が乱れ飛びました。

 実際、17:40になって戴秉国国務委員に随行してソウルへ行っていた中国外交部朝鮮問題特別代表の武大偉氏が北京に戻ってから発表したのは、「中国は12月上旬に六か国協議の首席代表による会議を行うことを提案する」というものでした。外交上の提案としては十分ありうる提案ですが、「重要情報を発表する、と予告するほどの内容ではない」というのが一般的な見方でしょう。「強国論壇」では、「待ってて損した!」「外交部は何考えてるんだろう」といった声がわき上がりました。

 実は、この時点で、「強国論壇」に11月26日(金)に「発言の根っこ」として置かれていた「朝鮮・韓国砲撃戦の背後に見えるアメリカの陰謀」というアメリカを非難する内容の文章は、「黄海で米韓が合同軍事演習を実施」という中立的な文章に差し替えられていました。

 明らかに、中国の姿勢が11月26日(金)から28日(日)の間に、「だんまり」から「北朝鮮、韓国と同じ距離を保ち、中立の立場から対話を促す」という立場に変わったのです。北朝鮮問題に関して「だんまり」を決めこむことは、結局は北朝鮮の行為を是認することになり、北朝鮮に対する影響力を持つという中国が何もしないことは、中国が国際社会から非難を浴び、中国と北朝鮮を同一視されて中国自身が国際的に孤立してしまう、という危機感が中国にもあったのでしょう。そのため、一転して活発な外交的動きを見せて、「中国は努力している」という姿勢を国際社会に見せたのだと思います。

 六か国協議の首席代表による会議の提案を「重要情報を発表する」と予告した上で発表したことについては、戴秉国氏や武大偉氏がソウルから北京に帰国し、指導部にイ・ミョンバク大統領との会談結果を報告した上で中国としての立場を発表したのですから、発表のタイミング自体は全く不自然さはありません。ただ、発表についてなぜ「重要情報を発表する」と予告したのか、という疑問は残ります。可能性としてあるのは、六か国協議の首席代表による会議開催の提案は、誰でも考えつくようなあまりパッとしない提案だが、中国としてもほかに打つ手がなかったので、「中国は重大な決断をした」という「格好」を見せるために「重要情報の予告」をして世界の注目を集める方策を採ったのだ、ということです。また、北京時間16:30(日本時間17:30)という時刻は、今の時期だと日没であたりが暗くなるタイミングですので、日が暮れるまで北朝鮮側、米韓側ともに軍事的な起きないように「軍事的動きをさせないためのハッタリだった」のかもしれません。また、アメリカの原子力空母が黄海に入っていることによって熱くなっている中国の若者が「反米デモ」を起こさないように、衆人の目を集める「重要情報発表予告」を行い、実際に発表したときには既に日曜日の日が暮れており、デモをやりたくても、次の週末まで人が集まらない、という状況を作るのが目的だった、のかもしれません。

 訪中した北朝鮮のチェ・テボク書記は、12月1日、中国の呉邦国政治局常務委員(中国共産党のランクナンバー2で、全人代常務委員会委員長)と会談しました。チェ・テボク書記は北朝鮮の最高人民会議(国会に相当)の議長なので、呉邦国氏は中国におけるカウンターパートですので、この会談に不自然な点はありません。しかし、国家安全保障上の重要事項を話し合うのだったら、相手は全人代常務委員会委員長の呉邦国氏ではなかったはずです(呉邦国氏は、日本で言えば「国会議長」であって、外交を担当している行政のトップではない)。発表されたニュースでは、この会談では「中朝関係は東アジア地域の安定にとって重要であるとの認識で一致」といった当たり前の話ばかりで、具体的にどういったことが話し合われたは発表されていません。また、チェ・テボク書記が北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記の特使として派遣されたのならば、胡錦濤主席(中国共産党総書記)と会談してもおかしくないのですが、胡錦濤主席とチェ・テボク書記が会談した、という報道はなされていません。

 いずれにせよ、一連の外交的活動により、中国は「北朝鮮の擁護者として国際社会から孤立する道」を選ばずに、「北朝鮮問題については、北朝鮮とは一定の距離を保ち、できるだけの外交上の努力はする」という姿勢を国際社会にアピールすることには成功したと思います。今の中国の国内政治においては、10月の五中全会で習近平氏が党軍事委員会副主席に選ばれたことでわかるように、人民解放軍の発言力が大きくなっていて、中国が人民解放軍が親近感を持っている「先軍主義」の北朝鮮を擁護せざるを得ないような状況になっている(胡錦濤-温家宝体制は既にレイム・ダック化している)という可能性があります。もし、そうだとすると中国は今まで考えられていた以上に北朝鮮を擁護する動きをする可能性があります。しかし、北朝鮮を擁護する態度を明確に出すと、尖閣問題、劉暁波氏ノーベル平和賞問題で国際社会の中で「異質な存在」として国際的に孤立化しつつある中国が、ますます国際社会から取り残されてしまう恐れがあります。今回の外交上の動きを見ていると、そういう最悪の事態は避けられたようです。

 しかし、ロシアですら北朝鮮を非難している状況において、北朝鮮を非難しない中国の姿勢は、「中国はやはり『ふつうの国』ではない」という印象を国際社会に与えたのも事実だと思います。朝鮮戦争の時に50万人にも上る「人民義勇軍」を派遣した中国には、当時の関係者(または戦死者の遺族)がまだたくさん残っており、北朝鮮を見限ることは現政権への批判につながる可能性もあるし、また韓国との間の「緩衝地帯」としての北朝鮮の中国にとっての地政学上の重要性は変わっていないので、中国の国内政治状況において、北朝鮮問題は非常に神経を使う問題であることは今後も変わらないと思います。

以上

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