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2010年10月31日 (日)

「反日デモ」と「人民日報」「強国論壇」

 尖閣諸島での中国漁船船長の逮捕をきっかけとして、中国内陸部で「反日デモ」が起き、10月29日にハノイで行われるだろうと思われていた日中首脳会談がなくなるなど、日中関係がぎくしゃくしています。私は今、日本にいて、報道されている以外に中国の状況を知る立場にはありませんが、「人民日報」のホームページ(紙媒体の新聞として印刷される「人民日報」そのものもネットから見ることができる)を見ていて気がついたことを書いてみたいと思います。

 特に「人民日報」ホームページ上には、「強国論壇」と呼ばれる掲示板があり、ネットワーカーが様々な書き込みがなされるので、これも参考になります。当局に不都合な発言は管理人が削除しますが、書き込まれてから「不適切」と判断して削除されるまで数分~30程度タイムラグがあるので、運がよければ、削除されるような発言を削除される前に見ることもできます(ただし、もちろん全て中国語です)。

 「人民日報」ホームページ、「人民日報」の紙面に載った記事、掲示板「強国論壇」に掲載されたネットワーカー発言(削除された発言)で気がついたものを書いておきます。

(1)劉暁波氏のノーベル平和賞受賞

○受賞決定直後の反応

 10月8日にノーベル委員会は、中国共産党による支配を批判した文書「零八憲章」を起草した一人とされる劉暁波氏にノーベル平和賞を授与することを決定しました。これは中国国内に居住する中華人民共和国国籍を持つ初めてのノーベル賞受賞者が誕生したことを意味しますが、中国のメディアはこの時点では全く報道しませんでした。しかし、掲示板「強国論壇」では、発表直後からノーベル平和賞に関する発言(賞賛と反対と両方ありましたが)があふれ、中国のネットワーカーたちはネット経由ですぐにこの情報を得たことがわかりました。ただし、受賞を祝う発言は、すぐに削除されました。

○「人民日報」等の反論

 10月17日付け「人民日報」は3面の国際評論の欄に「ノーベル平和賞は政治的目的に走っている」という評論文を掲載しました。この評論文では、服役中の劉暁波氏にノーベル平和賞が与えられることになったことを報じた上で、そうした決定をしたノーベル委員会について「ノーベル平和賞を政治的に利用するものだ」と非難していました。この評論を「人民日報」が掲載したことを日本のマスコミは報じていないようなので、多くの日本の人たちは劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞したことを中国の人は知らない、と思っている人がいるようですが、これは誤りです。

 その後、10月26日14:05付けで「中国網」が劉暁波氏を批判する文章「劉暁波:その人そのやったこと」をアップしました。「人民日報」のホームページもこの文章にリンクを張りました。この文章のポイントは以下のとおりです。

---「劉暁波:その人そのやったこと」のポイント---

(参考URL1)人民日報ホームページ
「劉暁波:その人そのやったこと」
(「中国網」2010年10月26日14:05アップ)
http://world.people.com.cn/GB/13053039.html

○劉暁波は「人を驚かすこと」で頭角を現した人物である。

○「1989年の政治風波」(第二次天安門事件)の時には、「名を上げるチャンスだ」として当時滞在していたアメリカから帰国し、「六四動乱」の首謀者となった。

(筆者注1:「1989年の政治風波」「六四動乱」は、ともに「第二次天安門事件」のこと。)

○彼は「香港が100年植民地だったのだから、中国は300年植民地でいても足りないくらいだ」と言ったり、「中国人は創造力が欠けている」と評したりしている。

○「六四」動乱の後、起訴され、涙を流して「懺悔書」を書いたが、その後もいわゆる「民主化運動」を続けた。

○アメリカのCIAが後ろにいるアメリカ国家民主基金会が補助する「民主中国」社に職を得て、年収23,004ドルを受け取っていた。

○2008年にいわゆる「零八憲章」をインターネットを使った扇動、誹謗の方法で発表した。「零八憲章」は中国の現行の憲法と法律を完全に否定し、党の指導と現行の政治体制の一切を否定し、西側の政治制度に変えることを主張して、段階的に民衆に混乱を起こさせ、「暴力革命」を吹聴する主張である。彼は2008年12月、国家政権転覆扇動罪で懲役11年、政治的権利剥奪2年の刑に処せられた。

(筆者注2:劉暁波氏は、2008年12月に起訴され、一審、二審の裁判の結果、2010年2月に刑が確定した。上記の記述は、起訴された時点で刑が決まり、裁判なんかどうでもよいのだ、という中国の現状を表していると言える。)

○彼は次のように主張している。「アメリカ人民によって確立され全世界を覆った自由秩序のためならば常を越えた代価が必要である」「自由の女神が持つ火が全地球を焼き尽くすことを想像する必要がある。全ての人は対テロリズム戦争に対する責任を有する」。

○劉暁波は、西側が中国を変革させようとする企みの「馬の前の兵卒」であり、中国人にとって唾棄すべき存在である。

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 上記の非難文の中で「零八憲章」がどんなものであるかを紹介していますが、ここで紹介するのだったら、「零八憲章」が発表された後、様々なサイトに転載されているものを片っ端から削除しまくっていたのはなぜなのか、という疑問がわきます。また、マルクス、レーニンや毛沢東が「資本主義を倒し共産主義を打ち立てるには『暴力革命』しかない」と主張していたことを考えると、「零八憲章」について「暴力革命を吹聴する主張だ」と非難することには大きな違和感を感じます。

 なお、劉暁波氏個人については、その主張に一部過激なものもあり、アメリカによるイラク戦争に賛意を表するなど、西側にも批判的に見る人もいるのは事実です。

(2)中国内陸部における若者らによる「反日デモ」と「人民日報」の反応

 10月16日(土)に四川省成都、陝西省西安、河南省鄭州で「反日デモ」が起きました。このデモは中国国内では報道されませんでしたが、16日夜の時点で、掲示板「強国論壇」には以下のような発言がアップされていました。

○「散歩」があったみたいだけど、どこ?

(筆者注:「散歩」とは「集団散歩」のことで、「デモ」と書くと削除される可能性があるので、それを避けるために掲示板などでよく使われる隠語)

○成都、西安、鄭州ですよ。

○今回の「散歩」は当局も支持していたんですかね、不支持だったんですかね? 御存じの方、教えて。

○当局も一枚岩っていうわけじゃないのかも。

 上記の発言は削除されずに残っていましたが、以下の発言はアップされてから30分程度後に削除されました。

○今回の「散歩」は単なる反日ではないのではないか。性質が変わる側面があるのではないか。政治改革への反対に対するひとつの反面教師を提示したのではないか。

 上の発言が削除された、ということは、ある意味では、この発言が当局の痛いところを突いた発言だったことを示すものだ、ということもできると思います。

 翌10月17日(日)には四川省綿陽で、次の週末の10月23日(土)には四川省徳陽で、24日(日)には陝西省宝鶏で、26日(火)には重慶市で「反日デモ」がありました。16日の成都、17日の綿陽でのデモでは、一部が暴徒化し日本車や日本関係の店舗の破壊が行われましたが、その他のデモは大きいものでも1,000人規模のもので、「民衆運動」と言えるような規模のものではありませんでした。

 ただ、注目されるのは24日に起きた宝鶏のデモです。このデモでは、「反日」の横断幕のほか、「複数政党と協力せよ」「住宅が高すぎ」「格差是正を」「報道に自由を」「英九兄貴、大陸へ歓迎します」といった党・政府批判の横断幕もありました(「英九兄貴」とは、台湾の馬英九総統に親しみを持って呼びかけた言葉)。反日の横断幕は紅い布に、その他の横断幕は緑や青の布に書かれており、デモの主催者は明らかに「反日以外の主張」をスローガンとして掲げることを意図したものと思われます。この四川省宝鶏でのデモは、外国メディアは注目していなかったため当日は報道されませんでしたが、翌25日になってフジテレビ系列がその映像を放映しました(ネットでも見られました)。これは現場で撮影した一般市民が報道関係者に映像を提供した可能性があります。映像を映せる携帯電話は世界全体に普及していますので、こういったことはありうることです。

 この宝鶏のデモで使われた直接的に党や政府の政策を批判するスローガンは、今までの中国ではあり得なかったことです。1989年の第二次天安門事件に関する情報が遮断されている中、過去の中国共産党や中国の中央政府に反対する大衆運動に対する当局の反応の恐さを知らない若者だからこそできた行為なのかもしれません。

 26日(火)には、ネット上で重慶市での「反日デモ」が予告されていました。重慶は内陸部の大都市であり、日本の総領事館もあり外国人報道関係者もたくさんいるので、ここでデモが起きれば世界に大きく報道されることになります。こうした若者たちの動きに対して、「人民日報」は10月26日付け紙面の4面に「愛国の熱情は法に従い理性によって発揮しよう」という評論を掲載しました。この評論は24日(日)15:56(北京時間)に「人民日報」ホームページ上に掲載されていたものです。

(参考URL2)「人民日報」ホームページ
「愛国の熱情は法に従い理性によって発揮しよう」
(2010年10月26日付け「人民日報」4面)
http://society.people.com.cn/GB/13046902.html

 しかし、26日の重慶市の「反日デモ」は起きました。人数的には1,000人ということですので、それほど大規模なデモでもなかったし、破壊行為等も起きませんでした。こういった動きに対応してかどうかわかりませんが、翌27日(水)の「人民日報」では、1面下の方に「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」という署名入り評論を掲載しました。

 この評論のポイントは以下のとおりです。

---「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」(鄭青原)のポイント---

(参考URL3)「人民日報」ホームページ
「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」(鄭青原)
(2010年10月27日付け「人民日報」1面)
http://opinion.people.com.cn/GB/40604/13056137.html

○これまでも政治体制改革は進めてきた。

○トウ小平氏は、政治体制改革には「政局の安定性」「人民の団結と人民生活の改善」「生産力の発展に寄与できるか」がポイントであると述べていた。

○社会主義制度政治の優位さは、人民の力を集中させることにおいて、四川大地震などの自然災害、経済的ショック、政治風波の試練を通して、我々を円満に組織し、国際活動の場に対し、中華の大地のおける奇跡を示すことができた。

○正確な政治的方向に沿い、積極的かつ穏健に政治体制改革を進めるには、中国共産党による指導を確固たるものにすることが必須であり、党による指導を放棄するものであってはならない。

○中国の歴史と国情に立脚すれば、政治体制改革を進めるにあたっては、我々独自の道を歩まねばならない。決して西側のモデルに従ってはならず、多党制による権力のたらい回しや三権分立ではなく、ひとつにまとめなければならない。

○政治体制改革は13億の人口を抱える中国の実情から出発しなければならない。生産力、経済体制、歴史的条件、経済発展のレベル、文化教育水準のレベルを踏まえて、秩序だって一歩づつ進まねばならず、実情から離れたり、ステップを飛び越えたり、実現できないスローガンを唱えたりしてはならない。

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 三つ目の○の中にある「政府風波」とは、1989年の「第二次天安門事件」を示す言葉ですが、こういった文脈で「第二次天安門事件」をにおわせる表現を使うことは異例です。

 この「正確な政治的方向に沿って積極的かつ穏健に政治体制改革を推進しよう」という評論については、翌28日付け「人民日報」では「ネットワーカーが熱く議論」と称して、掲示板に掲載されたこの評論に対するネットワーカーの意見を載せています。載せられている発言は全てこの評論の論旨に賛意を表するもので、実際は「議論」になっていないのですが、「人民日報」としてはネットワーカーも「党の指導の堅持」や「西側をモデルとした政治制度導入に反対」といった党の方針を支持している、と言いたかったのでしょう。

 各地で起きている若者のデモはそれほど大規模なものではなく、北京、上海、広州など沿海部の大都市では起きていないので、最近の若者の動きが中国の政治体制に影響を与えるとは思えないのですが、「人民日報」がこういった「政治体制改革」に関する評論を連日掲載するところを見ると、中国の指導部の内部に相当な懸念があることを伺わせます。

 その懸念とは、尖閣諸島での漁船船長逮捕事件をきっかけとして起こった「反日デモ」と劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞とが共鳴しあって、若者らの運動が反党・反政府あるいは民主化運動へと高まることです。それは上に述べたように「『散歩』は反日ではなく、性質が変わる可能性があるのではないか」との掲示板の発言を削除したことでもわかります。連日起きているのが「反日デモ」であるにもかかわらずが「人民日報」が「政治体制改革」に関する評論を連日掲載していることは、中国の指導部も「反日デモ」の背景に「現在の政治体制への反発」があることをよく理解しているのでしょう。

 実は、最近の掲示板「強国論壇」では、「一人一票」という言葉が流行っています。「一人一票」は、反党・反体制を意味しませんから削除対象にはなりません。数から言えば、反日や尖閣諸島(中国名:釣魚島)の案件よりも、この「一人一票」関連の発言の方が多いと思います。

 「社会会主義とは何か、資本主義とは何か。韓国と朝鮮(北朝鮮)を比較すれば一目瞭然じゃないか。」といった書き込みは削除されません。ただし、「あなたが貧乏人ならば、貧困の原因は『憲法』があなたの利益を代表していないからだ、ということは明白にわかるだろう。団結して闘争に立ち上がり、部分的な民主しかない『憲法』ではなく全人民がみんなで決めることを要求しよう!」といった書き込みは削除されます。直接的に党の方針に反対したり「体制をひっくり返そう」と呼び掛けたりしない範囲ならば、一定程度の発言は認めよう、というのが現在の中国のネットワーク・コントロール方針ですが、それで多様化する中国の若者たちを前にしてどこまで対応可能なのでしょうか。

 今日(2010年10月31日)で上海万博が終わります。「中国では、いろいろ問題があるけれども、『北京オリンピック』と『上海万博』という国際的大イベントが終わるまでは、社会の安定を崩すわけにはいかないから、何も動きはありませんよ。」とよく言われてきました。その「国際的大イベント」が終わった今、次の時代の新しい動きが始まりつつあるのかもしれません。

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