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2010年5月 7日 (金)

4-2-5(2/2):江沢民総書記による「三つの代表論」の本質(2/2)

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第4章:改革開放政策下で急激な経済成長を遂げる中国

-第2部:「第二次天安門事件」以後の中国

--第5節:江沢民総書記による「三つの代表論」の本質(2/2)

 今まで私営企業経営者、会計士、弁護士などについて「新社会階層」という言葉を用いてきた。「新社会階層」は、別の言葉で言えば「ニューリッチ」と表現することもできる。「中国~第三の革命~」(参考資料22)の中で著者の朱建栄氏は、「ニューリッチ」層とは具体的には次のような人々を指す、と指摘している。

○一部の私営企業経営者
○外資系企業や国際機関に勤める高級職員
○不動産関係者
○一部の個人経営者
○一部の国営企業の請負人と技術を持って経営に参加している人
○有名な俳優や歌手などのスター、モデル、作家、スポーツ選手
○一部の弁護士、ブローカー、会計士
○有名な経済学者
○政府の局長クラス
○一部の違法経営者(密輸、売春)
○少数の腐敗役人

 「ニューリッチ層」、即ち「新社会階層」としてこのような人々がいると指摘することは彼らに対する具体的なイメージを描きやすい。本来は中国共産党の党員の中には上記に列記する人々のうちの下の方に掲げてある「正しくない人々」はいないはずなのであるが、かなりの数の党員が毎年摘発・処分されている現状を見れば、現実的には「正しくない人々」の範疇に入ってしまう党員も実際には相当の数いるのであろう。

 これらの人々は、基本的に中国共産党が指導する改革開放政策の受益者であり、社会の大きな変革は望んでいない。一方で、時として中国共産党の指導による様々な規制が自分たちの活動範囲の拡大希望と衝突する場合があり、そういった時には彼らは規制の修正を希望する。従って、「中国共産党はプロレタリアートの党だ」という旧来の考え方に縛られて、これらの「新社会階層」の人々の入党を拒み続ければ、「新社会階層」の人々は自らグループを形成し、中国共産党に対抗する政治勢力に成長する可能性を持っている。だから、逆に彼らを中国共産党の内部に取り込み、必要に応じて彼らの要求を踏まえた制度の修正を加えていけば、今後とも中国共産党による安定的な政権運営が可能となる。そういう考え方が、「三つの代表」論により「新社会階層」を中国共産党に入党させるようにさせた背景にある。

 一方、中国共産党の側が「門戸を開いた」とは言え、中国経済の発展により急速にその数を増す「新社会階層」の中には、共産党に入党しようとしない人々も増えてきた。これら党外の「新社会階層」を放っておくと、これも中国共産党に対する反対勢力に成り得る。そのため、共産党員ではない党外の「新社会階層」の人々の様々な政策に対する要求を吸収するシステムも必要になってくる。「新社会階層」の中国共産党への入党に門戸を開いた2002年の第16回党大会から5年が経過した2007年の頃には、党に入らない有力な「新社会階層」の人々を「人民代表」(国会議員)という形で政策決定に参画させてはどうか、という考え方が登場し始めた。それを端的に示すのが2007年6月11日付けの「人民日報」の記事である。

(参考URL)私のブログ(イヴァン・ウィルのブログ(ココログ))2007年6月22日付け記事
「新しい社会階層の台頭」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_6737.html

※この記事の中でポイントを紹介している「人民日報」2007年6月11日付け記事「新社会階層~その影が日に日に明らかに見えてきている~」の記事そのものは、「人民日報」が最近、過去の記事については有料化を図ったため、現在は無料では閲覧できないようになっている。

 この記事では、中国共産党統一戦線部の陳喜慶副部長は、「新社会階層」の人々を適切に評価する体制を確立し、これらの階層の人々の中から党外(共産党以外の)人民代表(=国会議員)になれるような人々を養成しようとしている、と説明している。2007年10月に開催された中国共産党第17回全国代表大会の後、第11期の全国人民代表が選出されたが、新しい全国人民代表の中には、こういった方針に基づいて、中国共産党から推薦を受けて人民代表となった共産党員ではない「新社会階層」の人々が一定の数含まれているものと思われる。

 こういった「新社会階層」の人々を中国共産党の内部に取り込んだり、党員ではない「新社会階層」の人々を「人民代表」として政策決定に参画させたりすることは、「新社会階層」の人々を政策決定システムの中に取り込むことにより、中国共産党の指導による政権運営を安定化させる役割も果たすことになるが、実質的に政策を決定する人々の意見を多様化させ、従来の中国共産党の中心部にいた人々だけの意志では自由に政権運営の舵取りができなくなっていくことも意味している。

 従来から、全人代全体会議では政府が提出する最高人民法員工作報告と最高人民検察院工作報告に対しては一定の割合の反対票・棄権票が出ていたが、2009年3月に開かれた第11期全人代第2回全体会議では、最高人民法院工作報告と最高人民検察院工作報告についての反対票・棄権票は、全体の4分の1近くに達した。これは、全国人民代表の中にも、相当数、現在の政権運営のあり方に批判的な人々がいることを示している。

 2009年の全人代全体会議は、前年の14日間より5日間も短い9日間で終了した。会期が短かった理由は不明であるが、様々な意見が出て、議事が混乱することを避けるために期間を短縮したのではないか、とも考えられる。2009年4月に開催された第11期全国人民代表大会常務委員会第8回会議では、議事規則が22年ぶりに改訂され、全体会議での発言時間は10分間を超えないこと、分科会では同じ議題についての発言は最初は15分間、二回目は10分間を超えないこと、といったルールが追加で規定された。このことも第11期(任期は2008年からの5年間)に至って、全国人民代表大会常務委員会の中ですら、様々な意見が出され、議論が紛糾する事態が多くなったことを想像させる。

(注1)2009年4月24日第11期全国人民代表大会常務委員会第8回会議による修正に基づく「中華人民共和国全国人民代表大会常務委員会議事規則」については「人民日報」2009年4月25日付け紙面に掲載されている。

 第11期の全国人民代表は全部で約3,000名いるが、全国人民代表が一同に会する全体会議は毎年3月頃に1度開かれるだけなので、全体会議で選出される常務委員による会議(常務委員会)が2か月に1度程度の頻度で開催されて、法律案について議論する。実質的に法律を議論し、採択するのはこの全人代常務委員会である(注2)。全人代常務委員会委員は、せいぜい百数十名であり、以前はそのほとんどを中国共産党の「有力者」が占めていたので、たいていの法律案はそれほどもめることもなく決められていた。

(注2)正式には、中国の法律は全人代全体会議(年に1回開催される)で採択されてはじめて法律となるが、法律の中には全人代常務委員会で採択された後、全人代全体会議で議論する前に施行されるものがある。つまり、実質的には、中国においては全人代全体会議ではなく、約160名の委員からなる全人代常務委員会が立法権限を持っていると言って差し支えない。(いずれにせよ、中国の政策は、全て中国共産党が決めているのであるから、手続き上、全人代のどの会議に最終決定権限があるか、といったことはあまり意味のある話ではない)。

 現在の第11期の全人代常務委員の数は160名であるが、160名の「選びに選ばれたエリート議員たち」による議論でも、議事規則で発言時間を制限する必要に迫られるほど議論が紛糾するようになった、ということは、全国人民代表常務委員が単なる名誉職ではなく、常務委員自身が自分の意志で法律決定に参与したいと考えるようになり、その考え方も多様化してきていることを表しているものと思われる。これも「三つの代表」論に始まる「新社会階層」の意見の取り込みのひとつの結果であると考えられるが、こういった状況の変化は、もしかすると、全国人民代表大会という大枠の制度は変えないままで、実質的に全人代が実際の多くの中国人民の声を率直に反映する西側のような議会に近い性質を持つように変質していくのではないか、との期待も抱かせる。

 江沢民総書記は、2002年11月の第16回党大会で「三つの代表」論を党規約に盛り込み、「新社会階層」を中国共産党に取り込む、という従来にない改革を実行して、総書記の座を後任の胡錦濤氏に譲った。この政権交代については、中国共産党のトップが、トップ自身の死去や失脚などによらず、初めて平和的に交代したことを評価する見方が主流である。一方、江沢民氏が政権を譲る党大会で党規約に持論である「三つの代表」論を毛沢東思想、トウ小平理論に並ぶ形で盛り込んだことは、江沢民氏が総書記の座を胡錦濤氏に譲った後も党内での自らの影響力を保持しようとしたものだ、とする見方もある。

 実際、2002年11月の党大会で江沢民氏は中国共産党総書記の職は胡錦濤氏に譲ったが、軍のトップである党軍事委員会主席の職は譲らなかった。江沢民氏が党軍事委員会主席の職を胡錦濤氏に譲ったのは2年後の2004年9月の第16期中国共産党中央委員会第6回全体会議(第16期六中全会)であった。総書記と党軍事委員会主席の職の委譲が2年ずれた理由は必ずしも明らかではないが、自らの勢力を極力残そうとする江沢民氏と、できるだけ早く自分の体制を築きたいと考えていた胡錦濤氏との間での主導権争いがあった、と見るのが一般的である。「『中国問題』の内幕」(参考資料20)の中で著者の清水美和氏は、江沢民氏は2002年の党大会の時には既に76歳になっていたが、この党大会を前にして総書記留任を画策していた、とさえ書いている。

 江沢民氏の下で国務院総理を務めていた朱鎔基氏は、2003年3月の全人代で後任の温家宝氏に総理の職を譲った後、一切の公職に就かず、完全に引退した。「『中国問題』の内幕」によれば、朱鎔基氏は2001年頃までは「総理を辞めた後は母校の清華大学で教鞭を取りたい」などと言っていたが、実際は大学へも戻らず、完全に公の場から姿を消した、とのことである。著者の清水美和氏は、これは、江沢民氏が引退後も自分と自分の息の掛かった「上海グループ」(上海閥)の勢力を保持しようとしていることに対して、朱鎔基氏が不信感を持った、というより怒りを覚えたからだ、と指摘している(朱鎔基氏は、国務院総理として国有企業改革を断行し、多くの国有企業労働者のリストラを行ったため、国民的人気はないが、彼の清廉潔白な態度については、多くの人々が認めている)。

 江沢民氏は、総書記と党軍事委員会主席の職を辞して、公職を離れた後も、しばしば公の場に姿を見せている。2008年8月に行われた華国鋒元主席・元総理の葬儀など有力者の葬儀には、胡錦濤総書記に次ぐナンバー2の序列として参列している。また、2008年8月の北京オリンピックの開会式・閉会式における席次も胡錦濤主席に次いでナンバー2だった。オリンピックの開会式において、中国のテレビは胡錦濤主席に続いて、江沢民氏の映像を放映したが、海外へ向けて送られた国際映像では、江沢民氏が映っている時は入場行進する選手など別の映像が差し替えられて送られていた。2009年10月の中華人民共和国60周年を記念する式典を報じる「人民日報」の1面には、役職についていない江沢民氏の写真と国家主席で党総書記の胡錦濤氏の写真が同じ大きさで掲載されていた。中国のメディアに対する江沢民氏の影響力がまだ小さくないことを物語っている。

 2010年4月の青海省での地震に対する哀悼式への参列者の名前のリストにおいても、胡錦濤氏に続いて江沢民氏の名前が掲げられており、江沢民氏が無役の現在でもトップの「国家指導者」としての地位にあることを内外に知らしめている。

(注3)後に述べることになるが、それが故に2010年4月30日に開催された上海万博開幕式に「上海閥」のトップである江沢民氏が出席しなかったことは、中国指導部内部における権力構造の変化を表している、とする見方がある。

 江沢民氏が打ち出した「三つの代表」論について、「中国~第三の革命~」の著者である朱建栄氏は、中国共産党がプロレタリアートによる革命党から「新社会階層」をも含んだ社会の幅広い階層からなる執政党へ脱皮した、と高く評価し、これは中国における第三の革命(毛沢東による中華人民共和国の建国とトウ小平氏による改革開放に続く3つめの革命)と呼んで、今後の中国の脱皮に期待を寄せていた。「中国~第三の革命~」は2002年8月(第16回党大会の直前)に書かれた本であり、実際、その当時、そういったポジティブな捉え方をする人も多かったようである。この本の中で朱建栄氏は、中国共産党は、革命党から執政党に性質を変えたのだから、党の名称を例えば「中国社会党」というふうに変えるべきだ、といった議論すらなされていたことを紹介している。「三つの代表」論が、歴史の中において、そういったポジティブな面を持つことについては、私も否定するつもりはない。

 「三つの代表」論が提示された2001年は、中国がWTO(世界貿易機関)に加盟した年でもあり、2008年の北京オリンピックの開催が決まった年でもある。従って、この「三つの代表」論が出され、「新社会階層」が中国共産党に参加して政策決定に関与できるようになったことは、中国の新しい明るい時代の到来を期待させるのに十分なものだった。

 しかし、本稿執筆時点で振り返ってみれば、2001年以降の10年間は、「北京オリンピック」や「上海万博」の開催が実現したとは言え、必ずしも中国が新しい時代へ向けて大きく転換した期間だったとは言えなかった。

 私は、「三つの代表」論の本質は、以下のように多面的なものであると考えている。

○中国経済の発展に伴って生まれた「新社会階層」(「ニューリッチ層」とも言える階層)を中国共産党に取り込むことによって、中国共産党が真に幅広い中国人民の代表となる執政党に生まれ変わる切っ掛けとなった(朱建栄氏が言う「第三の革命」という見方)。

○勢力を増す「新社会階層」を党外に置いておいて中国共産党に対する反対勢力に成長することとを恐れた中国共産党が、彼らを党内に取り込むことによって中国共産党による政権支配の継続を目論んだものである。中国共産党は「新社会階層」に門戸を開いたものの、「新社会階層」の中には中国共産党に加わろうとしない勢力も存在した。そのため、中国共産党は、彼らを「党外の全国人民代表」として政策決定プロセスに取り込もうとしたが、その結果、全人代が中国共産党の意のままにならなくなる危険性をはらむようになった。中国共産党による政権の維持を目論んで「新社会階層」を取り込んだことが逆に従来の中国共産党中央にいた人々だけでは政権運営をコントロールできない状態にする可能性を生じさせたのである。このことは、政治的リスクを招く可能性もあるが、逆に、大きな混乱なく、中国共産党を変質させ、あるいは中国の政権制度を変質させる可能性も生じさせた。

○「三つの代表」論は、江沢民氏が、自ら提案した政策を毛沢東思想、トウ小平理論とともに政策運営指針の中枢に残すことにより、江沢民氏が総書記辞任後も自分及び自分が形成した「上海グループ」(上海閥)の影響力を維持しようと目論んだものである。江沢民氏は、自らの影響力を保持するために実態経済において力を持つ「新社会階層」の人々に擦り寄ったのである。これは権力を持つ中国共産党と経済を牛耳る資産家階層との癒着を招く危険性をはらんでいる。

 朱建栄氏は「中国~第三の革命~」の中で、2002年時点でのその後の5年間に期待されるものとして、戸籍制度改革、市長・県長(中国の「県」は「市」より小さい地方行政単位)レベルでの直接選挙の実施などを掲げているが、実際にはそのいずれも実現しなかった。2010年の時点では、戸籍制度については一部の地域で試験的に改革の試みはなされているが実際に実現するかどうかは不透明であるし、市長・県長レベルの直接選挙に至っては試みどころか検討すらなされている様子はない。

 2000年春に画期的な、革命的とも言える「三つの代表」論が提示されながら、2000年代の10年間は、中国は経済的には驚異的な急成長を続けたものの、社会制度、政治制度の面では期待されていたほどの進歩は見せなかった。そこには総書記は引退したもののまだ大きな影響力を維持している江沢民氏ら「上海グループ」(上海閥)と胡錦濤主席らのグループ(共青団派:中国共産主義青年団関係者による派閥)との力関係が拮抗しており、胡錦濤主席が具体的で明確な政策を実行できない状況が背景にあるものと思われる。

以上

次回「4-2-6:第一期胡錦濤政権の勢力分布」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/05/post-0bef.html
へ続く。

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