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2010年5月16日 (日)

あとがき~「トウ小平氏による改革開放路線」後の中国とは?~(2/3)

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

あとがき~「トウ小平氏による改革開放路線」後の中国とは?~(2/3)

 1989年の「第二次天安門事件」と江沢民氏の総書記就任により、中国の政策は大きく変わった。「第二次天安門事件」の前後の大きな変化は以下の3点について見られる。

(i) 党と国家の権力が分散から集中へ

 改革開放当初は、「文化大革命」時代に全ての権力が毛沢東に集中していたことの反省として、党のトップの総書記、国家のトップの国家主席(1983年に復活)、軍のトップの党軍事委員会主席は別々の人物が就任していた(総書記:胡耀邦→趙紫陽→江沢民、国家主席:李先念→楊尚昆→江沢民、党軍事委員会主席:トウ小平→江沢民)。江沢民政権になって、この三つの職務は全て江沢民氏が就くことになった。権限がバラバラになっていたことにより、強い判断ができず、「第二次天安門事件」を招いた、という反省に基づくものと思われる。2002年に胡錦濤氏が党総書記になって以降も、この権力を一人の人物に集中させるという方針は変わっていない。

(ii) 毛沢東の復権(個人崇拝の復活)

 改革開放は、「文化大革命」の否定から始まった。それは、中国共産党の中では非常に苦しみながら導き出した「毛沢東も晩年には誤りを犯した」という判断から出発している。従って、改革開放政策は、もともとは「個人崇拝」の否定から始まっていた。このため1980年代のお札には毛沢東の肖像はなく、1980年代、各地にあった毛沢東像の多くは撤去された。しかし、政治と軍の世界で強いバックボーンを持っていなかった江沢民氏は、毛沢東の偉大なカリスマ性に頼らざるを得ず、全てのお札に毛沢東の肖像を復活させたほか、多くの場所で再び毛沢東像が造られた。1997年の第15回党大会では、「毛沢東思想」に引き続き「トウ小平理論」という言葉を作り、トウ小平氏自身が嫌っていたトウ小平氏への個人崇拝を前面に押し出した。さすがに江沢民氏自身はスターリンのように自分に対する個人崇拝までは求めなかったが、多くの大型建築物に残る江沢民氏の揮毫(きごう)は、江沢民氏の個人崇拝的指向の気持ちが込められているように思われる。

(iii) 反日感情の醸成

 1980年代までは、中国の指導者は「戦前の日本軍の中国での行為は、日本の軍国主義者が起こしたものだ。日本人民も日本軍国主義者の被害者だった。」という立場を取っていた。多くの中国人民もそういった指導者の考え方を受け入れていた。従って、日本人が戦前の中国での日本の行為を正当化しようとする場合には中国政府も中国の人々も怒ったが、1980年代の中国には、現在の日本政府や日本人に対する反発感情は全くなかった。

 ところが1990年代以降、多くの中国の人々、特に1990年代以降に教育を受けた若い人々の中に現在の日本政府や現在の日本人に対する反発感情が根付いてしまった。これは2007年4月に私が20年ぶりに北京に赴任してとまどったことである。

 もっとも、この反日感情の醸成は、単に江沢民政権の反日愛国主義教育によるものだけだと考えるのは単純過ぎるであろう。中国経済が成長し、経済面で日本と中国が国際社会においてライバル関係になりつつあることも背景にあるからである。また、日本の政治家が、たびたび中国や韓国から伝えられる懸念を無視する形でA級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝していることも、中国における反日感情の醸成に大きく寄与していることは間違いない。

 江沢民氏は、経済成長に伴って政治的発言力を増してきた私営企業経営者や会計士、弁護士等の裕福市民層、いわゆる「新社会階層」に対して、中国共産党に反対する勢力に回らないよう「三つの代表」論を打ち出し、「新社会階層」も中国共産党の中に取り込む方針を採った。よく言えば、これは「中国共産党を革命党から執政党に脱皮させた」と言うこともできるが、この方針は、「中国共産党を社会主義を目指す政策集団から、政権運営により特定の集団の利益を擁護する利権集団」に変質させる危険性もはらんでいた。

 中国共産党が利権集団化する危険性は、地方レベルではかなり以前から存在していた。中国の社会主義革命では、かつて政治と生産の場を一体化させていた「人民公社」が存在していたことから、政治権力と経済的生産主体の一体化はごく自然なことだったからである。中国の場合、農村地域の農地は「国有」ではなく、今は地方行政単位である「集団」の所有、という形式になっている。この「集団」は「集団所有制企業」という公有企業も所有している。改革開放政策で、「人民公社」が解体され、政治組織と生産組織は分離され、農業については各個別農家単位の責任で農業を行う「生産責任制」に移行したが、農地の「所有権」は「集団」に残ったままになった。地方組織が所有していた工場等の「集団所有制企業」は、「人民公社」からそれぞれの地方行政単位に経営主体が移転した。

 中国の地方行政単位では、そのトップは選挙で選ばれるわけではなく、共産党の地方組織が指名することになっているので、実質的には地方の有力者が地方の党と行政単位のトップになっているケースが多い。農地の所有権が地方行政単位にある以上、農地を収用して工業団地に開発する、などという場合の土地収用権の発動は、地方行政単位のトップが行うことになる。結局は、地方の党と行政単位の幹部個人が、地方行政を握ると同時に、農地の開発や工業などの生産活動を牛耳ることになる。地方の党と行政単位の幹部をコントロールしているのは中国共産党の地方組織である。中央から派遣された清廉潔白な党員が党の地方組織をきちんと引き締めている例も多いと思うが、革命が成功して既に60年以上経過している現在においては、現実には地方の中国共産党幹部が「赤い帽子を被った地方ボス」としてその地域に君臨しているケースも多いと思われる。こういった「地方ボス」のグループは、現在の体制が続くことにより今後とも引き続き権益を維持できることを強く望んでいる「既得権益グループ」と呼ぶこともできる。

 「第4章第2部第11節:経済対策バブルと『抵抗勢力』の肥大化」で述べたように、こういった行政と生産現場を牛耳っている地方の党と行政単位の幹部にとって、一番避けたいのは、その地域の住民の選挙によって自分たちの地位が脅かされることである。従って、こういった行政と生産が癒着した地方の末端の幹部は、「既得権益グループ」であるとともに、中国の政治システムの民主化に対する最も強力な「抵抗勢力」となっているのである。

 1990年代初め、中国でも最も末端の地方組織である村民委員会において住民による直接選挙制度が試験的に導入され始めた。しかし、「人民日報」(日本語版)2008年8月4日付け記事「2010年までに都市社区の50%で直接選挙を実施」によると、2008年の段階において、農村部での村民委員会の選挙実施率は平均80%前後、都市部の居民委員会の直接選挙実施率は22%とのことである。

 農村部の村民委員会や都市部の居民委員会は、居住住民の自治組織で、行政単位というよりは町内会的組織に近い。行政単位の日本の「村」にあたる「鎮」やその上のレベルの「県」といったその上のレベルの地方行政組織においては、住民による直接選挙は行われていない。ましてや国家レベルで法律を決定する全国人民代表(国会議員)は、何層にも及び人民代表の間接選挙で決まっており、国会議員を人民による直接選挙で選ぶ、といった制度は中国にはない。

 中国の政治システムにおいて、民主化が全く進んでいないのは、地方末端レベルにおける民主化に対する「抵抗勢力」の存在と、「第二次天安門事件」の武力鎮圧の過程で成立した江沢民政権が民主化を凍結し経済建設に集中してきたことの相乗効果によるものであった。江沢民氏が自らの政権の最後に提起した「三つの代表」論は、私営企業経営者などを含む幅広い階層を政治に参加させることになる、というプラスの側面もあるが、地方末端レベルにおける政治的権力構造と地方経済の有力者との癒着を党中央レベルでも公認する、という意味で、地方の「抵抗勢力」に理論的根拠を与える、という側面も併せ持っていた。

 胡錦濤政権の誕生とほぼ時を同じくして、21世紀に入ってからの中国ではインターネットが急速に普及し始めた。現在の党中央は、中国共産党による政権維持を批判する見解については、新聞報道をコントロールし、インターネットについても強力な規制を掛けているが、一方で、地方の党や行政組織の無軌道なやり方を新聞メディアやインターネットやが伝えてこれを監視する役目を果たすことを肯定している(「肯定せざるを得なくなっている」と表現する方が正しいのかもしれないが)。実際に、新聞メディアやインターネットで不正を指摘されて更迭された地方の党・政府の幹部は少なくない。

 地方において、共産党地方組織と地方行政組織が警察など公安当局や司法当局が地元の企業と一体になっていて、腐敗や環境汚染を防止できない、という状況を何とかしなければ、地方の人々の党に対する支持を失わせることになる、という危機感は、現在の党中央の多くの人々は持っていると思われる。その解決のためのひとつの方法は、地方政府幹部に対する選挙制度の導入であることから、おそらくは中国共産党の内部においても、地方末端レベルにおいて自由選挙制度を導入すべきではないか、という議論は行われているのではないかと推測される。

 2007年前半には、知識人の間で、中国共産党も、一定の選挙制度を導入して、スウェーデンの社会民主党のような社会民主主義の手法も取り入れてはどうか、という議論が行われていたようである。

 最も直接的に腐敗防止のためには選挙制度を導入する必要があるとの主張を述べたのが、経済専門週刊紙「経済観察報」2007年5月21日号の社説「根本は政治体制改革にある」である。

(参考URL1)「経済観察報」ホームページ2007年5月18日アップ社説
「根本は政治体制改革にある」
http://www.eeo.com.cn/observer/pop_commentary/2007/05/18/63695.html

 この社説のポイントは以下の通りである。

○我々は、党の規律委員会が行ってきた改革と革新には肯定する価値があると認識している。しかし、党規律委員会の努力には一定の限界があると考える。

○トウ小平同志が見抜いていたように、腐敗は、権力と制度的設計の中にこそ病原がある。

○腐敗の源は、権力が発生するシステムと権力が授与される過程の不当性にある。

○腐敗防止のための制度や機構の改革も重要であるが、明確に言えば、更に根本的なのは政治体制改革である。権力の源を更に民主的にし、透明性を高め、権力を持つ者はより広範な監督を受けるようにし、権力本体が有効なチェック・アンド・バランスを受けるようにしなければならない。

○「絶対的な権力には、絶対的な腐敗が付いてくる」という言葉を知っている人の中には、もう既に、民主、自由、人権、法治が資本主義の専属品である、などという近視眼的な見方をしている人はいない。

○もう政治家に「現在の社会制度がまだ十分に完全なものではなく、成熟しきっていない」などという言い逃れを言わせてはならない。

○「多くを言って、少ししかやらない」「少し言うが、全くやらない」という時代は既に終わっている。既に多くのことが言われてきた。多くのことがなされる時が、今、来ている。

 さらに「経済観察報」では、この直後の2007年6月18日号の「観察家」(オブザーバー)という欄に経済改革体制研究会副会長の楊啓先氏が書いた「一編の遅れてやってきた『検討の要約』」という論文を載せている。楊啓先氏は、スウェーデン社会民主党を紹介するとともに、スウェーデン社会民主党が歩んできた道とソ連共産党の歩んでみた道を比較して論じている。

(参考URL2)私のブログ(イヴァン・ウィルのブログ(ココログ))2007年6月24日付け記事
「スウェーデン社会民主党を紹介した意味」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_c5b0.html

 ここではソ連共産党が政権を失ったことを指摘し、暗に中国共産党に対しても、社会民主党的歩むことを検討すべきことを提起している。

 しかし、現在(2010年5月)の時点でも、地方行政幹部を住民による直接選挙で選ぶ、とか、地方行政を地方の住民の選挙によって選ばれた地方議会に監視させる、といった直接的な議論は、新聞等で見ることはできない。このことは、中国共産党内にまだそれを許さない勢力が残っていることを示している。

以上

次回(最終回)「あとがき~『トウ小平氏による改革開放路線』後の中国とは?~(3/3)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/05/post-0d31.html
へ続く。

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