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2010年5月14日 (金)

4-2-11:経済対策バブルと「抵抗勢力」の肥大化

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第4章:改革開放政策下で急激な経済成長を遂げる中国

-第2部:「第二次天安門事件」以後の中国

--第11節:経済対策バブルと「抵抗勢力」の固定化

 2008年5月初旬、胡錦濤主席は日本を訪問し、江沢民政権時代の歴史認識問題で鋭く対立する関係から新しい戦略的互恵関係を築こうとする関係へと、対日関係方針の転換を図った。

 胡錦濤主席が日本から北京へ帰った直後の2008年5月12日、四川省アバ・チベット族チャン族自治州ブン川県(「ブン」は「さんずい」に「文」)を震源とするマグニチュード8.0の巨大地震が中国を襲った。7万人近い犠牲者が出た未曾有の自然災害だった。この巨大地震の救援・復旧活動を通じて、多くの中国の人々はボランティアで働き、多くのNGOが活動し、台湾も含めて世界の中華系の人々が救援の手を差し伸べ、世界各国も様々な形で支援し、中国はそれを受け入れた。中国内外のマス・メディアが現地に入り、リアルタイムの情報を世界に発信した。中国にとって、多くの痛ましい犠牲者と被災者を出した不幸な自然災害であったが、この自然の猛威に立ち向かうことを通じて、中国では新しい「何か」が始まったように思えた。

 そうした中、2008年8月8日~8月24日、中国の人々にとって念願だった北京オリンピックが開催された。オリンピック運営は滞りなく行われ、インターネット規制もオリンピックを契機として一部が緩和された。

 一方で、この頃までに中国経済は過熱し、株と不動産については「バブル」がはじけかけていた。株については、上海市場の総合指数が2007年10月には6,000ポイントを超えていたものが、2008年4月には3,000ポイントを下回るまでに下がっていた。不動産についても、沿岸部の主要都市については、2007年末頃から販売にブレーキが掛かり、2008年に入って販売価格が下がるところが出始め、一部の不動産業者の破産も伝えられた。

 中国の急速な経済成長の牽引車だった沿岸部の製造業にもかげりが見え始めていた。2008年7月上旬、中央の指導者が手分けして沿岸部の製造業地帯を視察した。輸出産品製造業の中に倒産や経営者蒸発といった事態が発生し始め、リストラされた労働者たちや賃金未払いの労働者たちに不満がうっ積する傾向があったため、中央の指導者が実情を把握するために手分けして視察を行ったのではないかと考えられている。

(参考URL1)サイエンス・ポータル・チャイナ
「JST北京事務所快報」(File No.08-007)
「2008年上半期の中国経済とイノベーション」(2008年7月23日)
http://www.spc.jst.go.jp/experiences/kaihou/b080723.html

※この記事の筆者はこの「中国現代史概説」を書いている私である。

 2007年までの株と不動産価格の上昇は明らかに過熱気味であり、中国政府は金融引き締めの方向にマクロ経済政策の舵を取り始めていた。一方で、中国の経済成長に伴う中国人労働者の賃金上昇により、安い賃金と豊富な労働力に頼った労働集約型産業においては、中国はバングラディシュ等の他の発展途上国との関係において、国際競争力を失いつつあった。こういった中国経済の「バブル経済の頂点を過ぎた印象」により、北京オリンピック終了後、2008年の秋に一気に中国経済の変調が表面化する兆候があった。2008年前半までの中国政府による金融引き締め政策は、株や不動産のバブルが大きくなりすぎることを警戒したものであったが、それによって輸出産業にブレーキが掛かったと感じた一部の人々は、「今はまだ引き締めをする時期ではない」と反発していたようである。

 ところが、北京オリンピック終了直後に、予想していなかった外的状況の変化が起こった。2008年9月15日にアメリカの名門投資銀行のリーマン・ブラザーズが連邦破産法の申請をしたことに端を発した世界的な金融危機の発生、いわゆるリーマン・ショックである。中国における北京オリンピック終了後のバブル崩壊が来る前に、中国の外の世界経済の方がはじけてしまったのである。中国の輸出産業は、欧米などの輸出先の経済危機の影響をまともに受けた。広東省や上海周辺など沿岸部の労働集約型輸出産業では、工場閉鎖等が相次いだ。

 世界各国がリーマン・ショック対策を議論する中、中国は金融引き締め策を急きょ転換し、素早く大きな経済対策を発表した。このスピーディーな対応は、一党独裁政権ならではのものだったと言える。2008年11月9日、中国政府は2010年末までに総額4兆元(約60兆円)に上る景気刺激策を実施する旨を発表したのである。この中国の巨大な景気刺激策の発表は、世界の株式市場に大きなプラスの影響を与えた。このことは、既に中国が世界経済の牽引車となっていることを内外に印象付けることになった。

 この総額4兆元の景気刺激策の発表においては、住宅などの民生、農村・農民対策などが掲げられていたが、金額的なパーセンテージで見ると、この景気刺激策は、鉄道、道路、空港等の建設や災害被災地の復興・復旧で全体の7割を占めるなど公共投資型のものであった。

(参考URL2)私のブログ(イヴァン・ウィルのブログ(ココログ))2008年11月10日付け記事
「中国の景気刺激策は世界を救うのか」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-cce7.html

(参考URL3)私のブログ(イヴァン・ウィルのブログ(ココログ))2008年11月28日付け記事
「『史上最大のバブル』の予感」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-793d.html

 2008年前半までバブルを警戒して金融引き締めの方向へ向かっていた中国のマクロ経済政策は、ここ一気に景気刺激型へと転換したのである。

 このリーマン・ショックに対する中国の景気刺激策は、中国の政治の動きを大きく変えた、と私は考えている。というのは、現在の中国の政治勢力は、「とにかく猛スピードで経済成長を成し遂げ、社会の最下辺の人々の生活をも向上させることにより、社会に不満を溜めないようにすべきである」と考える勢力と、「経済成長のスピードをやや抑え気味にしてでも経済格差を是正するとともに社会のセーフティ・ネットを充実させて社会の最下辺の人々の不満に対応すべきである」と考える勢力の二つの勢力がある、と考えられるからである。どちらかと言えば、前者が江沢民政権の考え方を引き継いだものであり、後者が「和諧」を強調する胡錦濤主席が主張している政策である。前者の考え方は大きなバブルを招く可能性がある、として、後者の立場に立つ人は、常にバブルがはじけないように経済をコントロールしようとする。2008年前半までの引き締め傾向にあったマクロ経済政策は、後者の立場に基づいたものであり、それを批判していたのは前者の立場に立つ人であった。

 2008年9月に始まったリーマン・ショックでは、こういった立場の違いによる議論を無意味にした。とにかく緊急の対応策が必要となったからである。そのため、後者の立場の人も、バブルを警戒した引き締め政策を当面は封印せざるを得なくなった。前者のいわば「高度経済成長至上主義派」の人たちは、中央政府が景気刺激策を打ち出したことにより、自分たちが「錦の御旗を得た」と考えて、急速な投資活動に走るようになった。それが結果的に、中国内陸部における消費の拡大に繋がり、2010年5月現在、中国経済全体の復活を引っ張り、結果的にそれが世界経済の回復を大きく押し上げているのである。

 しかし、上記「参考URL3」の「『史上最大のバブル』の予感」で書いたように、現在の中国の景気刺激策に基づく急速な消費の拡大は、公共投資型景気刺激策が効いているものであって、バブル的な不動産価格の高騰を伴っているものであり、バブルがはじける危険性を常にはらんでいる。

 そもそも、この20年間の中国の急速な経済成長には、様々な要因があったと考えられるが、それらを大まかに分類すると以下のとおりになると私は考えている。

(1)外国からの資本と技術の導入による製造業の成長と豊富で優秀な労働力の活用

(2)石炭などの天然資源の開発の推進

(3)環境汚染を気にしない設備による製造など他の国ではできないコスト・ダウンを行ったことによる国際競争力の獲得

(4)農地を工業用地に変えることによる価値創造

 (1)と(2)は中国経済の「実力」であり、中国の急速な経済成長を支えている背骨である。これらがある限り、中国経済のパワーは空虚なものとはならない。(3)は報道の自由や民主主義が定着していないことにより実現できていたものであり、中国の地域住民の権利保護を進めていけば、やがては失われていくことになる。

 (4)は、中国が建前上「社会主義」を標榜していることから生じる特殊な「価値創造」である。中国では、土地の私有は認められておらず、都市の土地は国有であり、農村の土地は集団所有(村などの所有)である。農地は村が所有している土地について農民に耕作する権利(土地使用権)を許諾して農業を営ませているものであるので、村が必要だと考えれば、合理的な補償金を農民に支払うことによって土地使用権を回収して、それを工業用地として転売することが可能となる。合理的な補償金の金額は、例えば、その農地で過去3年間に収穫された農作物の価格、などというふうに定められているが、中国の場合、農作物買い取り価格は政策的に低く設定されているので、補償金を支払って農民から土地使用権を回収し、工業用地として高く転売すれば、多くの場合「儲け」が出る。例えば、工業用地として売れば、農民に支払う補償金の十倍の値段で売れる、というケースが多くあるという。

 農地は、「村」という「集団」の所有物であって、特定の人が勝手に処分できるものではないが、「中国共産党が全てを支配する」ことが原則である中国においては、村の党委員会の幹部は地方政府の幹部と一体になっており、実質的に個人の意志で補償金を支払って農民から農地を取り上げて工業用地として転売することが可能である。もちろん、農地を工業用地に変えるには、その地方の土地利用計画に従う必要があり、上部機関の許可を必要とする。しかし、許可を取らずに(許可手続きは後でやる、という言い訳を付けて)農地を工業用地に変える例が後を絶たないと言われている。中国中央政府の国土資源部が2007年に記者会見で述べたところによれば、土地の違法な利用の80%は地方政府または政府関係機関が主体となって行った違法行為である、という。

(参考URL4)私のブログ(イヴァン・ウィルのブログ(ココログ))2007年7月13日付け記事
「中国の地方政府による無秩序な土地開発」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_1c55.html

 最近の報道によれば、上海万博が行われている上海市の財政収入の4割は土地の使用目的を変更したことにより得た収入である、という。こういった農地の工業用地への転換は、一時的な経済価値を生み出すが、もしこの工業用地に工場が建たなければ、土地を開発した費用は回収されず、不良債権化することになる。また、数年間経って補償金を使い果たした「元農民」は失業者と化して、社会の底辺に溜まってしまうことになる。

 住民による地方政府幹部の選挙が行われず、報道の自由も認められていない中国においては、地方の政府や党の幹部が土地開発を巡って土地開発業者と結託すれば、土地売却代金と農民へ渡した補償金の差額を地方の党・政府の幹部と土地開発業者とで折半することも可能である。そういった腐敗・不正が数多く行われているのではないか、というのが、現在の中国の多くの人々の不満である。

 今、中国では「裸官」という言葉が流行っている。不正蓄財行為を働いている地方の党・政府の幹部の中には、自分の家族を海外に住まわせ、海外に財産を移転しながら、自分だけが中国に残って「官」として不正行為を続けている者が多くいると言われている。彼らが「裸官」と呼ばれる人々である。

 こういった腐敗し不正を行う地方の党・政府の幹部は、公共事業投資型の高度経済成長政策が続くことを望み、金融引き締め政策に反対する一方で、報道の自由と地方における自由選挙の導入に対する強力な「抵抗勢力」となっている。報道の自由は自分たちの不正行為をあばき、自由選挙の実施は住民たちの投票により自分たちがクビになることを意味するからである。中国経済は、現在、かなりの部分市場経済化しているが、中国が自国の制度を「社会主義」だと称している元になっている「公有経済」のかなりの部分が、こういった地方の党・政府の幹部によって私物化された「形式的公有経済」である可能性がある。つまり、現在の中国においては、「社会主義を守る」という思想は、「腐敗し不正を行う地方の党・政府の幹部を守る」ことに結びつきやすい。

 過度の高度経済成長を避け、社会の経済格差を是正しようとする試みは、こういった「抵抗勢力」の抵抗に会うことになる。2008年前半までは、バブルを警戒してマクロ経済を引き締め方向に持っていこうとしていた中央政府と地方の「抵抗勢力」との間で綱引きが行われていたと思われるが、リーマン・ショックを受けた巨大な景気刺激策の発動により、地方の「抵抗勢力」は「景気刺激のために投資は増大させてよい」という「錦の御旗」を一気に獲得した。従って、結果的にリーマン・ショックは、中国の地方における「抵抗勢力」を再活性化させることになったと言ってよい。現在、世界経済は中国内陸部の経済発展に引っ張られているといっても過言ではないが、その牽引力のかなりの部分を中国の地方の「抵抗勢力」が担っていることを世界の人は認識しておく必要がある。

 やみくもな高度経済成長路線は、やがて土地開発事業の不良債権化という形のバブル崩壊をもたらすことになる。今、「裸官」と呼ばれている人々は、バブルがはじける直前まで「儲け仕事」を続け、バブルがはじける直前に海外に「勝ち逃げ」しようとしているのである。

 2008年後半のリーマン・ショック以降の景気刺激策は、現在、中国に大きなバブルを膨らませているが、そのバブルが何をきっかけにして「はじける」のかを現時点で見極めるのは極めて難しい。ただし、農地を闇雲に工業用地に変えることによる農地の減少や農業生産の衰退がひとつのきっかけになる可能性はある。中国では2005年~2009年までは5年間連続して食糧生産の増産が続いており、ここのところ食糧問題は中国においては発生していなかった。しかし、2010年は前半が天候不順であったため、2010年の夏収穫作物(6月に収穫期を迎える冬小麦が中心)においては、減産となる可能性がある。中国の外貨保有量は世界一であるので、中国での食糧生産が減れば外国から輸入すればよいので、中国国内で食糧危機が起こることは考えられないが、もし中国が大量の食糧を輸入することになれば、別の意味で世界経済に大きなインパクトを与えることになる。2010年後半においては、中国における食糧生産高が次の世界的経済変動のひとつのきっかけになる可能性がある。

 いずれにせよ、2008年9月のリーマン・ショックは、「北京オリンピックが終わったら中国でも新しい時代が始まる」という「淡い夢」をもろくも打ち砕いた。中国における「抵抗勢力」は、北京オリンピック終了後に衰退するどころか、さらに肥大化してしまったのである。任期があと2年ちょっとしかない胡錦濤主席・温家宝総理のコンビによる政権は、任期中にこの「抵抗勢力」を押さえ付ける有効な政策が打てるのであろうか。それとも、その課題は次の政権に引き継がれるのであろうか。もし、胡錦濤主席・温家宝総理が任期中に適切な措置が講じられない場合、「抵抗勢力」グループが次期政権の指導者選定の過程に介入し影響を及ぼすことも考えられる。もしそうなれば、中国における「改革」はさらに遅れ、バブルはさらに大きくなる危険性がある。

 胡錦濤氏の中国共産党総書記としての任期は2012年秋に行われるであろう第18回党大会まで、温家宝氏の国務院総理としての任期は2013年3月に行われるであろう第12期全人代第一回全体会議までである(任期は二期10年間まで、という現在のルールに従えば、であるが)。これから胡錦濤主席・温家宝総理体制の任期が切れるまでの2~3年間が、中国の今後を占う重大な転換期になる可能性が大きい。日本としても、その動きを刮目して注視していく必要がある。

以上

次回「あとがき~『トウ小平氏による改革開放路線』後の中国とは?~(1/3)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/05/post-5fdd.html
へ続く。

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