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2010年5月17日 (月)

あとがき~「トウ小平氏による改革開放路線」後の中国とは?~(3/3)

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

あとがき~「トウ小平氏による改革開放路線」後の中国とは?~(3/3)

 2008年8月、中国は悲願だった北京オリンピックを成功裏に終了させた。2008年9月以降のリーマン・ブラザーズ破綻に始まる世界的経済危機の中においては、中国は大きく発展した経済力を背景として、世界の中で大きな発言権を示した。こうした状況を踏まえると、この「あとがき」の冒頭に書いた中国革命が目指した3つの目標:

(1)封建的な束縛から脱して、近代的な国家を築くこと。

(2)中国が外国による支配から脱して、自らの将来を自ら決めることができるようになること。

(3)多くの人々が貧しさを脱して一定の生活レベルを送れるような経済水準に達すること。

は、北京オリンピックが終了した時点で全て達成した、と考えてよいのでないかと思われる。トウ小平氏が改革開放政策を始めたのは、中国革命を完成させて、上記の3つの目標を達成するためであった。「トウ小平氏が目指した改革開放政策の目標」が既に達成できたのであるのならば、「トウ小平氏が目指したもの」の次に来るものは一体何なのだろうか。

 トウ小平氏は、改革開放政策を進めるにあたって「先富論」を主張した。「先に豊かになれる人、先に豊かになれる地域があれば、そういう人や地域は先に豊かになってよい。」というものである。この主張に従って、「新社会階層」と呼ばれる一部の人々や上海、広州、北京といった沿岸部の都市は先に豊かになった。しかし、「先富論」には「後半部分」があるはずである。

 「先に豊かになれる人や地域は先に豊かになったよい。次に先に豊かになった人や地域が遅れている人や地域を引っ張り上げればよいのだから。」

 今まで「先富論」の後半は行われてこなかった。「今はまだ前半の『先に豊かになれる者から豊かになればよい』の時代だからだ」と思われていたからだった。しかし、中国が「世界の工場」と呼ばれるようになり、北京オリンピックが終わり、上海万博が開催され、国際社会の中で大きな発言力を持つに至った現在、「先富論」の前半の時代は既に終了した、と見るべきではないのか。そうであれば、次に来るのは「先に豊かになった人や地域が遅れている人や地域を引っ張り上げる」時代である。

 しかし、中国の政治システムはそういった「次の時代」にまだ対応していない。「三つの代表」論は、「先に豊かになった人」の意見を政治に反映させるシステムである。しかし、「豊かになり損ねた」大多数の人々の意見を具体的な政策として吸い上げるシステムは、残念ながら中国にはまだできていない。

 2008年9月以降発生した世界的経済危機に対して、中国政府は2008年11月に合計4兆元(約56兆円)に上る景気刺激策を発表した。この多くは内陸部など「豊かになり損ねた地域」に集中的に投資を行う、という政策である。その意味では「先富論」で取り残された地域を政策的に後ろから支えよう、という政策であり、この景気刺激策は「次の時代」に対応したものと考えられる。

 一方、この景気刺激策は、鉄道や高速道路の建設といった社会インフラの整備が中心となっており、地方の党や政府と地方の企業とが結びついた癒着の構造をさらに強化することになるのではないか、と懸念する人も多い。党中央は、この景気刺激策が腐敗の原因とならないよう厳重に監視するという姿勢を示しているが、腐敗防止のための具体的なシステムは、規律委員会による監視、といった従来の制度のままである。最も効果的な「地方政府幹部を地元住民が直接選挙により選ぶことによる監視」というシステム、即ち地方レベルにおける選挙の導入が実現する見込みは現在のところ全くない。

 現在の中国の政治状況は、これまで述べてきたように、胡錦濤総書記が「抵抗勢力」(既得権益グループ)とどれだけ決別できるか、という動きを基軸にして動いている。「抵抗勢力」(既得権益グループ)は、民主化に反対し、特定の政治グループと特定の経済界との結びつきを容認するグループであり、そのあり方は、「第二次天安門事件」の再評価に反対し、「三つの代表論」を打ち出した江沢民氏のグループとだぶって見える。政治的背景と軍の内部に基盤を持たない胡錦濤総書記が「抵抗勢力」(既得権益グループ)に対抗するのは相当に困難を伴うと思われる。2008年5月の胡錦濤主席の日本訪問や四川大地震対応においては、胡錦濤氏側が、かなり力を得たように見えた。しかし、2008年9月以降の大規模な景気刺激策の発動で、地方の「抵抗勢力」(既得権益グループ)は地方における行政権限による経済活動の推進という錦の御旗を得て、また大きく力を復活させてきているように見える。

 多くの組織に残っている共産党組織の存在が今後どうなるか、も今後の不確定要因のひとつである。今でも国有企業や大学、公的研究機関には、それぞれの組織のトップとは別に「党書記」という人が存在している。組織によって異なるが、人事や予算などは「党書記」が握っていると考えられている。しかし、市場経済に基づく組織トップの判断自主権と党書記の存在とは基本的に矛盾している。この矛盾が、各組織内の党組織不要論にまで広がった時、現在の中国の原則である「中国共産党による指導」が実態的にどうなるのか、不透明である。

 繰り返すが、「トウ小平氏が目指した改革開放政策の中国」は、2008年8月の北京オリンピックの開催で一応の目標達成を成し、今、中国は、「トウ小平氏が目指した改革開放政策の中国」に続く「次の時代」へ向けて模索をしている段階にいると言える。しかし、この文章を書いている2010年5月の時点では、まだ、当面の政治課題は世界的な経済危機からの脱出であり、民主化などの政治システムに関する議論は、今すぐに起こるとは思えない。ただ、次の党大会がある2012年には、おそらくは世界的経済危機は一段落している可能性があるし、2012年には香港で行政庁長官と議会の選挙があるので、それまでに政治システムについて何らかの議論が行われる可能性はある。

 2012年の香港の選挙では従来通りの選挙のやり方で住民による直接選挙は行わないことは既に決まっているが、香港住民による行政長官と立法議会議員の直接選挙への要請は強く、香港での次の選挙、即ち2017年の選挙が大きなポイントになるであろうと思われる(逆に言えば、このことは、2017年までは、大陸部において、民主化の動きが具体化するとは考えにくいことも意味する)。

 中国は、改革開放政策によって30年間でその経済を飛躍的に発展させた。しかし、一方で、経済成長を最優先させるために後回しになっていた政治システムの改革については、むしろ「文化大革命」に対する虚心坦懐な反省が色濃く残っていた1980年代よりむしろ後退しているように見える。旧ソ連においては、市場経済の導入による経済発展より先にソ連共産党による政権が崩壊してしまい、1990年代には経済的困難を経験した。西側の中には、先に民主化の苦しみを経験した旧ソ連諸国の方が今後の発展の可能性がある、と見る人がいる。一方で、分裂した旧ソ連諸国では、国によっては民族紛争の種が尽きず、旧ソ連の中の最大の国であるロシアですら国際的発言力の低下は免れておらず、1991年のソビエト連邦の崩壊は、旧ソ連諸国の人々にとってはむしろマイナスだった、と考える人もいる。

 中国における政治システムの民主化は、いかに時間が掛かろうとも、避けては通れない道程である。民主化されていない政治システムは、フィードバック機能が働かず、常に振り子のように許容限度を超えて大きく揺れ動く危険性をはらんでいるからである。また、経済的観点から見ても、国内の世論が政策決定に反映されるような政治システムができていないと、スムーズに内需適応型の経済政策が採れない、という欠点が露呈することになる。

 経済が急速に発展してしまった分、現在の中国における経済状況と政治システムのアンバランスは、既に限界点を越えてしまった、と見る人も多い。特に2009年春に展開された「愛国=中国共産党を愛すること」といった主張や「『中国共産党はすばらしい』と大合唱しよう」というスローガンは、1991年8月に失敗したソ連共産党保守派の反ゴルバチョフ・クーデターのような「時代錯誤」の感覚すら覚える。ただ、その後、「第4章第2部第9節:インターネット規制と『08憲章』」の最後に述べたように、2010年に入って、中国の新聞紙上ではやや自由な評論が復活してきているようにも見えることから、中国は旧ソ連に比べれば相当にしたたかな竹のような強靱さを持っているのではないか、と考えることはできると思う。

 トウ小平氏は、中国には国家を安定的にまとめるための「求心力」が必要であり、その求心力を「中国共産党による指導」に求めようとした。それが今でも続いているのであるが、ひとつのポイントは、中国共産党がなくなると中国はほんとうに「求心力」を失いバラバラに分解してしまうのか、ということである。2008年5月12日14:28、四川大地震が発生したとき、全中国の心はひとつになって、被災地への救援・復旧に当たった。それは私が全く知らなかった大きな「求心力」だった。地震発生から一週間後の2008年5月19日、中国政府は「全国哀悼の日」を設定した。その日の14:28、鳴り響くサイレンの中、全中国で黙祷が行われた。その日の夕方、天安門前広場には、手に手にロウソクを持った多くの市民が自然発生的に集まってきた。それは中国共産党の存在とは全く関係のないことだった。当局は、むしろそういった自然発生的な市民の集まりに警戒して、いつもより多くの警備人員をその日の夜、天安門前広場に集めた。

 四川大地震は、多くの地震災害の経験を持つ台湾の人々からも多くの支援を呼び寄せた。それは、中国共産党でも中国国民党でもない、まさに同じ「中国人」としての一体感の表れだった。私は、四川大地震に対する対応を見て、既に中国は中国共産党という「求心力」を必要としなくなっているのではないか、と思った。一方で、2009年7月の新疆ウィグル自治区の暴動は、少数民族問題において、中国共産党が「求心力」「仲介役」としての役割を果たしてないことを露呈してしまった。中国の人々自身がどう考えているのかはわからないが、今後とも中国共産党に「求心力」を求めていくのかどうかは、中国の人々が自ら決めることである。要は中国人民が自らの国の行く末を自ら決めるシステムをどうやって確立するかである。

 日本にとって、中国は隣国として大きな影響を受けざるを得ない位置にいる。日中関係は、既にお互いに経済的には相手抜きには考えられないほど密接な関係になっており、日本としては、中国の今後の動きに強い関心を持たざるを得ない。1980年代の改革開放政策が打ち出された直後の中国は、若葉のような若々しい心を持っていた。当時の中国は、社会主義体制の旧弊に苦しむソ連・東欧諸国に対して、改革開放政策の明るい未来へと続くひとつのモデルを提供していた。1980年代の中国は、まだ貧しかったが、世界の歴史の先頭を走っており、1989年~1991年のソ連・東欧革命の先導役を果たしたのである。しかし、中国自身は、1989年の「第二次天安門事件」によって、政治的・社会的改革の歩みを止めてしまい、逆に急速に進んだ経済的発展と社会・政治体制との間の乖離(かいり)を拡大させてしまった。

 1980年代の若々しい希望に満ちた中国を知っている私としては、経済と政治との矛盾した関係が既に臨界点を越えている言われる厳しい現状においても、中国が「文化大革命」や毛沢東主席の誤りすら認めた真剣かつ謙虚な1980年代にはあった「改革開放の原点」に立ち返って、次の新しい時代を切り開いて欲しいと願っている。

【「中国現代史概説」完】

以上

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