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2010年4月21日 (水)

4-1-9:【コラム:温家宝総理による胡耀邦氏を偲ぶ文章】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第4章:改革開放政策下で急激な経済成長を遂げる中国

-第1部:改革開放が急速に具体化した1980年代とその矛盾の爆発

--第9節:「第二次天安門事件」

【コラム:温家宝総理による胡耀邦氏を偲ぶ文章】

 「第二次天安門事件」のきっかけとなった胡耀邦氏の死去から21年目の2010年4月15日、「人民日報」は2面に温家宝総理の文章「興義へ再び戻って胡耀邦氏を思う」を掲載した。

(参考URL1)「人民日報」2010年4月15日付け2面
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2010-04/15/nbs.D110000renmrb_02.htm

※最近、人民日報のバックナンバーは有料化されており、時間が経過すると上記のページも有料の会員登録をしないと見られなくなるようになる可能性がある。なお、このページはインターネット・エクスプローラー以外のブラウザには対応していないようなので、閲覧する際にはブラウザの選択に注意する必要がある。

 この温家宝総理の文章は、1986年2月に胡耀邦総書記が貴州省の興義などの貧困地区を視察した際、胡耀邦氏は体調を崩して熱を出していたにもかかわらず、真剣に地区の人々の実情を知ろうとしていた、として、胡耀邦氏を懐かしみ、その業績を讃えるものとなっている。

 胡耀邦氏が1987年1月、前年末に起こった学生運動に対して同情的であり対応が緩かったとして党総書記を辞任(実質的な解任)したこと、その死が1989年の「第二次天安門事件」のきっかけになったことはこれまで述べてきたとおりである。また、「第二次天安門事件」に関する対応の過程で、当時、江沢民氏が党書記をしていた上海市党委員会の指示により、胡耀邦氏の業績を讃える座談会を実施してその記事を掲載しようとした「世界経済導報」が発禁となり、その編集長が解任されたことが、多くのジャーナリストの反発を招き、それが「第二次天安門事件」の拡大のひとつの要素であったことも述べた。また、趙紫陽氏が失脚した後、この「世界経済導報」に対する措置を評価されて江沢民氏がトウ小平氏により二階級特進して党総書記に抜擢されたことも述べてきた。

 胡耀邦氏をどう評価するか、については、現在の中国においては、極めて政治的に微妙な問題である。後に「第4章第2部第4節:胡錦濤主席は新しい道を切り開けるか」で書くことになるが、「第二次天安門事件」の時の政治局常務委員で趙紫陽氏と同じ立場に立っていた胡啓立氏が2005年12月に書いた胡耀邦氏の業績を讃える論文「我が心の中の胡耀邦」が2006年1月に中国青年報の週刊特集ページ「氷点週刊」の停刊を招いたと言われている(「氷点週刊」停刊事件)。

 胡耀邦氏の業績を讃えることが現在の中国において「政治的に微妙」なのは、趙紫陽氏の後任の党総書記となり、国家主席にもなった江沢民氏がトウ小平氏に抜擢された直接の理由が、「第二次天安門事件」において、胡耀邦氏を讃えた「世界経済導報」を発禁処分にするという「厳正な措置」を採ったことだからである。胡耀邦氏を讃えることは、江沢民氏が党総書記・国家主席に抜擢された根拠を否定することと直結することになる。

 「氷点週刊」停刊事件のきっかけとなった2005年12月の胡啓立氏の「我が心の中の胡耀邦」と今回(2010年4月15日)の温家宝総理の「興義へ再び戻って胡耀邦氏を思う」は、内容的にはともに同じように胡耀邦氏を偲び、その業績を讃える、というものである。温家宝総理は、胡耀邦氏、趙紫陽氏、江沢民氏の三代に渡る党総書記の時代に党弁公庁(党の事務局)の幹部として働いていたのだから、温家宝氏が胡耀邦氏を懐かしむ文章を書いても不自然ではないが、この時期に(「趙紫陽極秘回想録」が出版された後の現時点において)書かれた温家宝総理の文章は、胡啓立氏の文章に比べて、以下の点において、より「刺激的」である。

○胡啓立氏は「元政治局常務委員」とは言え、文章を執筆した時点では既に引退しており、身分的には「一般の人」である。それに対して温家宝氏は現役バリバリの政治局常務委員であり、国務院総理である。

○文章が掲載されたのが、胡啓立氏の場合は中国共産主義青年団の機関紙「中国青年報」の週刊特集ページ「氷点週刊」であったのに対し、温家宝総理の文章は中国共産党の機関紙「人民日報」に掲載された。「人民日報」は中国共産党の公式な機関紙であり、「中国青年報」より権威があるのは当然のことである。

○論文の内容が胡啓立氏の「我が心の中の胡耀邦」では、胡耀邦氏の業績を称え、懐かしむのにとどまっているのに対し、温家宝総理の「再び興義へ戻って胡耀邦を思う」の方では、温家宝氏は、胡耀邦氏が1989年4月8日に政治局の会議の途中で心臓発作で倒れた時にはすぐに病院まで送り届け、4月15日に亡くなった時には真っ先に病院に駆け付け、(「第二次天安門事件」の後の)1990年12月に江西省の共産党青年団の葬儀には自分が胡耀邦氏の遺骨壺を持っていき、その後も毎年春節(旧正月)には追悼のために胡耀邦氏宅を訪れたりしていることが述べられている。これは温家宝氏が「第二次天安門事件」の前後において、胡耀邦氏に対する尊敬の念を一貫して変えていなかったことを表しており、温家宝氏が「第二次天安門事件」に関して、何ら「自己批判」をしていないことを表明したのに等しい。

○「趙紫陽極秘回想録」(参考資料25)は中国国内では発禁本であるが、温家宝氏は、中国の政治運営を担う責任者の一人であるから、今後の中国情勢に影響を与える可能性がある本として「趙紫陽極秘回想録」を読んでいることは間違いない。「趙紫陽極秘回想録」の中で、趙紫陽氏は、胡耀邦氏が1983年秋に始まった「精神汚染キャンペーン」に反対し、1984年6月時点でトウ小平氏から「反自由化に対してあまりに弱腰だ」と批判されながら態度を改めず、1986年夏には既にトウ小平氏は胡耀邦氏の党総書記職を解く腹を決めていた、と語っている。趙紫陽氏は、トウ小平氏は、1987年秋の第13回党大会では胡耀邦氏を解任するつもりであり、1986年末の学生運動の結果、1987年1月に胡耀邦氏が党総書記が辞任したのは、辞任のタイミングが数ヶ月早まっただけに過ぎない、と語っているのである。温家宝総理が、そういった経緯を承知の上で、1986年2月の胡耀邦氏の地方視察の際の事例を引き合いに出して胡耀邦氏の業績を賞賛した、ということは、江沢民前総書記・国家主席の就任根拠を否定するのみならず、トウ小平氏が先導した1983年の「精神汚染キャンペーン」や1987年の「ブルジョア自由化反対運動」をも批判することに繋がり、1989年の「第二次天安門事件」における運動を引き起こした学生・市民・ジャナーナリスとの考え方を支持するものと捉えられても不思議ではない。

※1989年5月19日早朝に趙紫陽総書記が天安門前広場へ行ってハンストを行っている学生らの前でハンドマイクを持って「我々は来るのが遅すぎた」と述べた時の趙紫陽氏の右隣に当時党弁公庁主任の温家宝氏が映っている写真はあまりにも有名である。この写真は「趙紫陽極秘回想録」(日本語版)の表紙を飾っている。この写真は、温家宝氏が単に党弁公庁主任という職務上やむなく趙紫陽氏に同行した、というよりは、温家宝氏が心情的には趙紫陽氏と同じ考えを持っていた、という印象を与えている。今回の「興義へ再び戻って胡耀邦氏を思う」という文章は、その「印象」が単なる「印象」ではなく「事実」であると確信させるのに十分である。

○現職の国家指導者は、いろいろなところで演説や講話をするチャンスがあるので、自分の考えを述べたいのだったら「演説」「講話」の形で発表すればよいのだが、温家宝総理は、わざわざ追悼文を「人民日報」に「寄稿」している。この点は極めて奇異に映る(現職の温家宝総理が新聞に文章を「寄稿」することは、オバマ大統領や鳩山総理が新聞に「寄稿」するののと同じことであり、極めて「異例」である)。このことから、この文章の発表は、温家宝氏の一定の「決意」を表しているとも考えられる。

 本節において、「第二次天安門事件」を述べる冒頭で「時として、歴史の中で、単なる偶然の一致が大きな動きのきっかけになることがある。」と書いた。胡耀邦氏の死去のタイミングが「第二次天安門事件」のような大きな動きのきっかけとなったのが、ゴルバチョフ書記長訪中のちょうど1か月前という絶妙なタイミングだったからである。今回の「興義へ再び戻って胡耀邦氏を思う」が掲載される前日の2010年4月14日、チベット族が多く住む青海省玉樹において大地震が発生し、大きな被害が出たのも、あるいはそういったひとつの「偶然」なのかもしれない。この文章が「人民日報」に掲載された4月15日には温家宝総理自らが現地へ飛び、救援活動の指揮に当たった。その後、外国訪問中の胡錦濤主席や李長春政治局常務委員も急きょ帰国した。

(注)李長春氏は、宣伝担当で、「人民日報」をはじめとする出版物を管理・監督する立場の政治局常務委員である。2006年の「氷点週刊」停刊事件は、胡耀邦氏の業績を讃えたいと考えている胡錦濤総書記と江沢民前総書記に近い李長春氏の二人の現職政治局常務委員の争いが背景にある、との見方がある。今回、「人民日報」に温家宝氏による胡耀邦氏を追悼する文章「興義へ再び戻って胡耀邦氏を思う」が掲載された時、胡錦濤総書記も李長春氏も、外国訪問中で北京を留守にしていた。これが単なる偶然なのかどうかは、わからない。

 2008年5月の四川省大地震の時もそうであったが、困難な事態において陣頭指揮する温家宝総理を多くの中国人民は尊敬し、支持している。もし仮に、ある政治勢力が「興義へ再び戻って胡耀邦氏を思う」を書いたことによって温家宝総理を批判するようなことがあったら、中国人民はそういった政治勢力を許さないであろう。

 1年前の2009年4月15日の人民日報には、「愛国主義を持って時代の光を放とう」という論評が掲げられ、この後「愛国主義」の運動が展開された。

(参考URL2)2009年4月15日付け「人民日報」1面
「愛国主義を持って時代の光を放とう」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-04/15/nbs.D110000renmrb_01.htm

※最近、人民日報のバックナンバーは有料化されており、時間が経過すると上記のページも有料の会員登録をしないと見られなくなるようになる可能性がある。なお、このページはインターネット・エクスプローラー以外のブラウザには対応していないようなので、閲覧する際にはブラウザの選択に注意する必要がある。

 これは2009年は「第二次天安門事件」20周年の年であり、20周年を記念して「第二次天安門事件」を起こした市民・学生・ジャーナリストの主張を支持する勢力が力を吹き返すことを警戒した当局が、「愛国主義」という形でそれを抑え込もうとしたことの表れであったと思われる。その1年後、現職総理の温家宝氏が2009年とは全く別のベクトルの文章「興義へ再び戻って胡耀邦氏を思う」を発表したことは注目に値する。もしかすると、これは、趙紫陽氏の再評価、ひいては「第二次天安門事件」の再評価に繋がることになるのかもしれない。

以上

次回「4-2-1(1/2):東欧・ソ連革命(1/2)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/04/post-099b.html
へ続く。

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