« 4-2-4(1/2):国有企業改革と「世界の工場」の実現(1/2) | トップページ | 4-2-5(1/2):江沢民総書記による「三つの代表論」の本質(1/2) »

2010年4月28日 (水)

4-2-4(2/2):国有企業改革と「世界の工場」の実現(2/2)

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第4章:改革開放政策下で急激な経済成長を遂げる中国

-第2部:「第二次天安門事件」以後の中国

--第4節:国有企業改革と「世界の工場」の実現(2/2)

 1997年2月にトウ小平氏が死去し、1997年7月にアジアの自由経済の拠点である香港が中国に返還された。積極的に進められる国有企業の大改革方針は、1997年9月12日~18日に開催された第15回中国共産党全国代表大会においても再確認された。香港の経済活力を最大限に活用する意味でも、大胆な市場原理の導入は、中国にとっては、もはや逆戻りできない方針であった。既に中国大陸部の経済は市場経済を導入して怒濤の如く走り始めており、トウ小平氏という改革派の統帥が死去したとしても、昔のような保守派と改革派の論争などは現実的には不可能となっており、既に経済の現実が保守派の存在を許さない状況になっていたのである。

 問題は、市場原理の大胆な導入という実際に進めている政策と、中国共産党が掲げ続ける原則「マルクス主義を指導原理とし社会主義を進めること」というタテマエとの間のギャップをどう埋めるか、であった。

 中国の株式市場では、個人投資家向けの分も中国人だけが買える株(A株)、外国人に開放されている株(B株)等があるなど、様々な規制が設けられており、その意味では、中国の株式市場は、西側の株式市場のような自由度はない。しかし、それでも企業レベルはもちろん、個人レベルでも株式の保有と売買ができるようになったことは、中国自身が国内に「資本家」が存在することを認めたことにほかならない。

 自らは労働せずに資本のやりとりだけで儲けることのできる資本家の存在を認めたことは、「労働者を搾取するもの」として資本家を排除することを目指した「社会主義の根本原理」から外れるし、マルクス主義から外れることも明らかである(「第1章第1部第1節:そもそも『社会主義』とは何を目指したものだったのか」参照)。中国は、現在でも、自国のシステムを「中国の特色のある社会主義」であると主張し、「マルクス主義を指導原理としている」と主張しているが、客観的に言えば、現在の中国の経済システムが社会主義ではなくマルクス主義に沿ったものでもないことは明らかである。多くの中国人民が中国共産党による政策運営に期待を寄せていた中華人民共和国の建国期を知らない若い世代にとっては、なぜこれだけ市場原理を導入した経済システムを運営していながら、マルクス主義を標榜して社会主義を目指す中国共産党が政権を担っており、中国共産党を批判することが許されないのか、を理解するのは困難になりつつあった。

 そこで、江沢民総書記が持ち出したのは「愛国主義教育」であった。これはもともと「第二次天安門事件」において、多くの若者たちが運動に参加したことから、当時の党の幹部が「若い世代に対する教育の仕方が間違っていた」と考えていたことから出た考え方であった。1992年10月の第14回党大会における報告において、江沢民総書記は「全国各民族人民、特に青少年の中において、党の基本路線に対する教育、愛国主義、集体主義及び社会主義思想教育、近代史、現代史の教育と国情教育をさらに一歩強化し、民族の自尊心を高め、資本主義や封建主義が思想を腐食させることを防ぎ、正確な理想と信念、価値観を樹立しなければならない。」と述べている。革命によって封建主義を否定し、抗日戦争によって民族の自立を達成したのが中国共産党であるのだからこそ、中国共産党が全てを指導することが正しいことなのだ、という主張である。

(参考URL1)「人民日報」ホームページ「中国共産党新聞」
中国共産党歴代全国代表大会の記録
「中国共産党第14回全国代表大会における江沢民総書記の報告(3)」
(1992年10月12日)
http://cpc.people.com.cn/GB/64162/64168/64567/65446/4526312.html

 「愛国主義」「国情教育」といった言葉は、かつて胡耀邦氏や趙紫陽氏が総書記だった時には使われたことはなかった。さらに「民族の自尊心」と言った言葉も開放政策を進めていた1980年代にはなじみのない言葉だった。むしろ改革開放政策は「自力更生」を主張してた「文化大革命」を否定することから始まっていたことを考えると、「愛国主義」を強調し「民族の自尊心」を高く掲げることは、改革開放以前に時代を逆転させるような雰囲気さえ感じる。

 さらに江沢民総書記は、1997年9月の第15回党大会では、大胆な改革開放を打ち出したトウ小平氏の考え方を「トウ小平理論」と名付け、毛沢東思想とともにこの「トウ小平理論」を重要な思想的指導指針とすることを提唱した。

(参考URL2)「人民日報」ホームページ「中国共産党新聞」
中国共産党歴代全国代表大会の記録
「中国共産党第15回全国代表大会における江沢民総書記の報告(2)」
(1997年9月12日)
http://cpc.people.com.cn/GB/64162/64168/64568/65445/4526287.html

 これは、この年の2月にトウ小平氏が死去し、抗日戦争、国共内戦から中華人民共和国の建国に実際に参画した世代がほとんどこの世を去った中で、現在進めている改革開放政策に対する求心力を保持するため、「毛沢東思想」と並ぶもう一つの柱が「トウ小平理論」であると強調したかったためと考えられる。江沢民総書記が「トウ小平理論」を打ち出したことに対して、トウ小平氏の次女で2010年現在中国科学技術協会常務副主席・党書記を務めているトウ楠氏は、「私の父は個人崇拝を否定していた。従って、父の考え方に対して父の固有名詞を付けることはやめて欲しい。我が党の指導原理は毛沢東思想だけで十分なはずだ。」という趣旨の発言をしたという。この発言は、暗に江沢民氏が「トウ小平理論」を打ち出したことに対する批判である、と多くの人に受け取られたという(「トウ小平秘録」(参考資料17))。

 「愛国主義」や「トウ小平理論」を打ち出したことは、文革時代後期からトウ小平氏の「懐刀」として改革開放思想の定着に尽力した胡耀邦氏や、四川省党書記時代「飯が食いたければ趙紫陽のところへ行け」と言われたほど改革政策の実践経験を経てきた趙紫陽氏と異なり、これといった党務や行政面での実績がないままに「第二次天安門事件」という「突発事件」によって急きょ総書記に抜擢された江沢民氏が、自分自身や自分の政策に対する求心力がないことを自覚していたことの裏返しなのではないか、と私は考えている。

 タテマエと実際とのギャップは、思想やスローガンだけの問題ではなく、多くの人々にとって、現実の生活上の問題でもあった。

 本来、社会主義社会では、農村においては農地は公有であり、農民は国から提供された農地を耕作して生活するのが原則であった。しかし、1990年代の中国の農村では、一人っ子政策を採る前の「文化大革命」の時期に生まれた膨大な人口が就労年齢に達してきており、農地が必要とする以上の多くの余剰労働力を抱えていた。一方、沿岸部には外資系製造業企業が立地して多くの労働力を必要とし、工場建設や都市化建設のため建設業界でも労働力が不足していた。このため農村部の多くの農民は「出稼ぎ」という形で沿岸にある都市部へ流れ、製造業企業や建設業で働いた。この農民による出稼ぎは「農民は農村に住む」という社会主義的な原則を無視した「やみくもな」動きだったことから、この農村部から沿岸都市部への農民労働力の移動は、当初「盲流」と呼ばれていた。中国語では労働者のことを「工人」と呼ぶことから、これら農民の出稼ぎ労働者はやがて「農民工」と呼ばれるようになった。

 「農民工」の農村から都市部への移動は、社会主義の原則の枠をはみ出るものだったが、経済成長には必要なものであったことから、中国政府はその動きを黙認した。しかし、住宅、教育等の社会制度は「タテマエ」のままであったことから、都会に働きに出た「農民工」は都市部では政府から住宅を提供されることもないし、「農民工」のこどもは都会では公立学校に入ることもできなかった。「中国共産党の理念やスローガンと実際に採用されている政策とのギャップ」は巧みな言葉を駆使して辻褄を合わせれば済むのであろうが、「農地と農民はパッケージ」という社会主義の原則と「農民工が都会で働かなければ経済が回転しない」という市場経済の現実とのギャップは、農民工の現実問題としての日々の暮らしの上に重くのしかかったのである。

 この状況は1990年代に始まり、2000年代の最初の10年が終わった現在においても、何ら解決されないまま続いている。

 こういった思想面でのギャップ、現実上の生活でのギャップがあったとしても、経済が高度成長を続け、自分の生活レベルが向上している限りは、多くの人民は政策運営に不満を言わない。逆に言えば、こうしたギャップが存在する以上、経済成長が鈍化することは、即、政権に対する批判を惹起しかねない危機をはらんでいる。従って、民主主義という政治のフィードバック・システムを持たない中国共産党の政権にとっては、大胆な市場経済の導入という選択肢を選んだ上で自らの政権を維持しようとするためには、高度経済成長路線を継続することによって人民に不満を抱かせないようにすることが至上命題となった。

 経済の弱い部分を切り捨て、市場原理、別の言葉で言えば弱肉強食の原理で経済成長を続けていくと、必然的に最先端部分と最も遅れた部分との間での格差が広がる。最も遅れた部分にいる人々からも不満が出ないようにするには、全体の経済成長を高いレベルに維持し、最も低いレベルにいる人々の生活レベルも常に向上させるようにしなければならない。最も低いレベルにいる人々の生活レベルをも向上させるような経済成長率とは中国ではGDP成長率にして8%以上と考えられているようであり、中国政府は、常に「8%以上の経済成長」を至上命題として掲げざるを得ない状況となっている。

 現実の経済成長率は、1992年~1994年まで13%以上が続いた後、1995年は10.9%、96年は10.0%、97年は9.3%だったが、98年は7.8%、99年は7.6%と8%を下回った。このため、江沢民国家主席と朱鎔基国務院総理の政権は、さらに強力に高度経済成長政策を採ることになる。1993年に一度失敗した北京オリンピックの誘致を2001年に成功させたこともそのひとつと言われているし、メーデーと国慶節の連休を7日連続の大型連休とし、地方の観光地の活性化を図ったことも高度経済成長路線のひとつと言われている。さらに、2000年代に入ってから大学の入学定員を大幅に増やしたことも、人々の大学進学熱を刺激して、家庭に眠っている資金を大学授業料として徴収し、それによって大学関連施設を建設することによる景気刺激を狙ったものだ、と指摘する人もいる。

 江沢民氏個人は、揮毫(きごう)することが好きだったようで、江沢民氏が政権を担当していた時代に建設が決まった数多くの大型建築物に江沢民氏自身が書いた文字が飾られている。そういったことも、多くの中国人民に対して、江沢民氏の政権の政策が大型建築物の建造等に見られるような「ハコモノ建設」中心の高度経済成長路線だったことを印象付ける結果となっている。毛沢東と江沢民氏を除けば、歴代の中国の国家のトップは、建物に自分の名前を揮毫して残すことはほとんどしていない。現在の胡錦濤主席の揮毫も私は見たことはない。これはトウ小平氏が個人崇拝に批判的だったことことによるものと思われる。従って、多くの建築物に江沢民氏の揮毫が残されていることは、私に江沢民氏政権の時代に1980年代の改革開放路線が失われてしまったという印象を与えている。江沢民氏の政権の時代(1989~2002年)は、経済政策としてはトウ小平氏の改革開放路線を継承しながら、「愛国主義」の推進により文化大革命期の「自力更正」の精神を引き継いでいるように見える上に、あたかも毛沢東時代のような個人崇拝が復活しているように見えるからである。。

 経済の実績を見れば、江沢民政権時代、即ち朱鎔基氏が政治局常務委員及び国務院総理として経済政策を担当した時代は、外資導入の奨励と国有企業改革をはじめとする高度経済成長政策の時代だった。その結果、経済成長率は2000年には8.6%、2001年は8.1%に回復した。その後も、江沢民政権の時代を基礎として、2002年は9.5%、2003年~2007年にはいずれも10%を越える高度経済成長が続くこととなった。

 この中国の高度経済成長は、主に安い労働賃金による労働集約・輸出型製造業によってもたらされたものである。中国の輸出額は1990年の620.9億ドルが1995年には1,487.8億ドル、2000年には2,492億ドル、2005年には7,629.5億ドルに達した。15年間で12.3倍に膨れあがったのである。また、2009年12月末現在の中国の外貨準備高は2兆3.991億ドルに達するまでになっている。2000年の頃には、中国は「世界の工場」と呼ばれるようになっていた。

(参考URL3)「中国人民銀行ホームページ」
「調査統計」-「統計データ」
http://www.pbc.gov.cn/diaochatongji/tongjishuju/

 これらの経済改革路線は、中国国内の経済構造をも変えた。従来は中国経済は国有企業・公有企業が中心であったが、現在は、国有企業・公有企業の比率は減少しつつある。具体的な数字を示すと以下の通りである。

1978年:都市部労働者数9,514万人(うち国有企業7,451万人(78.3%)、集体企業2,048万人(21.5%)、個人経営企業15万人(0.2%))、農村部労働者数3億638万人(都市対農村:23.7対76.3)

1995年:都市部労働者数1億9,040万人(うち国有企業1億1,261万人(59.1%)、集体企業3,147万人(16.5%)、株式会社・私営企業等2,415万人(12.7%)、外資系企業513万人(2.7%)、農村部労働者数4億9,025万人(都市対農村=28.0対72.0)

2007年:都市部労働者数2億9,350万人(うち国有企業6,424万人(21.9%)、集体企業718万人(2.4%)、株式会社・私営企業等1億967万人(37.4%)、外資系企業1,583万人(5.4%)、農村部労働者数4億7,640万人(都市対農村=38.1対61.9)

※1995年は国有企業の労働者数がピークだった年。この後、効率の悪い国有企業は破産させられ、国有企業で働く労働者の数は減少していく。なお、このデータのうち都市部労働者数とは都市で登録された労働者の数であり、農村に戸籍を持ち、都市部に出稼ぎに出てきている「農民工」は含まれていない。「農民工」は株式会社・私営企業等や外資系企業で多く働いていると考えられることから、国有企業・公有企業(集体企業)の比重は上記の数字より小さいものと考えられる。

 現在の胡錦濤政権は、プラスの面とマイナスの面を含めて、江沢民氏が政権を担当していた時代の遺産を引き継いで、それに対応する政策を打ち出すことを迫られている。

以上

次回「4-2-5(1/2):江沢民総書記による『三つの代表論』の本質(1/2)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/05/post-e2eb.html
へ続く。

|

« 4-2-4(1/2):国有企業改革と「世界の工場」の実現(1/2) | トップページ | 4-2-5(1/2):江沢民総書記による「三つの代表論」の本質(1/2) »

「中国現代史概説」」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 4-2-4(1/2):国有企業改革と「世界の工場」の実現(1/2) | トップページ | 4-2-5(1/2):江沢民総書記による「三つの代表論」の本質(1/2) »