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2010年3月 1日 (月)

3-3-3:【コラム:文化大革命と大学紛争】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第3章:改革開放に至るまでの中華人民共和国の歴史

-第3部:文化大革命(前半:林彪墜落死事件まで)

--第3節:紅衛兵の登場と狂乱

【コラム:文化大革命と大学紛争】

 文化大革命による大学生らの旧来の体制に対する「造反」の動きは、中国にいた外国人記者の手を通じて世界に報道された。どこの国でもいつの時代でも10代から20歳前後の若者たちは、「大人」が決めた秩序を疑問に思い、反抗し、変革を求めるものだが、「造反有理」「革命無罪」という毛沢東のスローガンは、中国の紅衛兵たちと同じように、既存の社会秩序に疑問を抱く世界の多くの若者たちの心を揺さぶった。こうして、1960年代後半、多くの国において若者たちによる既存体制への反抗運動、大学紛争の嵐が吹き荒れるのである。そして「カルチェ・ラタン」(パリの大学街の地名)や「いちご白書」(アメリカの大学紛争を背景とした映画の題名)といったこの時代を過ごした人にとっては懐かしい単語が耳に入るようになるのである。

 「学生らが集団で大学当局者や教授に三角帽子を被せて『糾弾』する」という「文化大革命風」のスタイルは、大学紛争におけるひとつの「流行スタイル」となった。私は1976年に大学に入学したが、私の通っていた大学では、1976年の時点においても、このようなスタイルの「糾弾集会」は、まだ行われていた。ただし、私が通っていた大学で見る限り、このスタイルの「糾弾集会」は1976年に行われたのが最後で、それ以降は行われなくなった。これは1976年10月に文化大革命を推進していた「四人組」が逮捕されたことと関係していると思われる。これも、日本における「大学紛争」が、中国における文化大革命に大いに影響を受けていたことを表していると言えるだろう。

 なお、大学紛争当時の学生らのアジ演説でよく使われた「○○○を総括し去って・・・」などという言いぶりの中の「去って」の部分は、「ある動作を続けていく」「ある状態になっていく」という時に使う中国語の「下去」をそのまま日本語に読み下したものである。

以上

次回「3-3-4:文化大革命下の政治と社会の混乱」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/03/post-bd4b.html
へ続く。

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