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2010年3月14日 (日)

3-4-2:【コラム:日中国交正常化時のエピソード】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第3章:改革開放に至るまでの中華人民共和国の歴史

-第4部:文化大革命(後半:ニクソン訪中から四人組追放まで)

--第2節:日中国交正常化

【コラム:日中国交正常化時のエピソード】

 田中角栄総理の訪中の時のことを覚えている方々はよく御存じのことだと思うが、当時まだ生まれていなかった(あるいは幼くてあまり覚えていない)という方のために、日中関係に携わる際には知っておいた方がよいエピソードをいくつか紹介する。下記のエピソードのうちいくつかは、私の記憶に頼っている部分があるため正確さを欠いているかもしれないので、その点は御了承願いたい。

○上野動物園へのパンダの贈呈

 田中総理訪中の際、中国側から日中友好のシンボルとして、「カンカン(康康)」「ランラン(蘭蘭)」というひとつがいのパンダが贈られることが表明された。国交正常化の約1か月後の10月末に上野動物園にやってきた二頭のパンダは、たちまち上野動物園の人気者になり、パンダを見るため連日行列ができた。パンダを見るためだけに上野動物園に来る人も多かった。ここから「客寄せパンダ」という言葉が生まれた。

 なお、中国は、ニクソン訪中時にもアメリカへパンダを送ることを約束しているが、日本でパンダ・ブームが起き、それが対中感情を好転させることに非常に役立ったことから、中国は、この後、様々な国に対してパンダを贈ることをひとつの外交手段として用いるようになる(いわゆる「パンダ外交」)。

○毛沢東主席と田中総理との会談における毛沢東語録

 9月27日午後8時頃、周恩来総理との間での共同声明の文言を巡る厳しい交渉を終えて宿舎の釣魚台賓館で休息していた田中総理のところへ、突然、周恩来総理がやってきた。毛沢東主席と会談できることになったから迎えに来た、というのだ。周恩来総理に引率されて田中総理一行は中南海(中国共産党本部と幹部の宿舎のある場所)へ移動し、毛主席の書斎で、毛主席と会談した。この会談は午後8時半~9時半頃までの約1時間にわたり行われた。

 冒頭、毛主席は田中総理に対して「(周恩来総理と)もうけんかは済みましたか。けんかをしてこそ、初めて仲良くなれるものです。」と語った。「もうけんかは済みましたか」という言葉は、この年の日本での流行語のひとつとなったが、毛沢東の「人物の大きさ」を示すひとつのエピソードである。

 この会談で、田中総理が型通りに、日本は二千年来中国からいろいろ学んできたこと、戦争中に不幸な歴史があったことを述べたのに対し、毛沢東は「中国は日本に対して歴史上二つの迷惑を掛けた。ひとつは漢字という複雑な文字を伝えたことと、儒教という封建的な思想を伝えたことだ。」と述べた。漢字や儒教の中国からの伝来は大きな「恩恵」だと思っていた多くの日本人にとって、この毛沢東の言葉は意外だった。毛沢東は、中国のでは小学生レベルでも8,000字もの漢字を覚えなければならない現実が青少年に過度の負担を与えていること、儒教思想が身分の上下関係の固定化や男尊女卑など東洋の前近代的思想を含んでいること、を踏まえて「中国は日本に迷惑を掛けた」と述べたのである。この話は、中国人民の教育レベルの向上と封建的な風習や前近代的な封建思想を打破しようと努力してきた毛沢東の中国の近代化を願う思いが伝わるエピソードだ、と私は考えている。

 なお、この漢字にまつわる話題の際、毛主席が「日本では小学生が覚えなければならない漢字はいくつぐらいなのですか。」と質問したが、田中総理はとっさには答えられなかった。すると脇から周恩来総理が「日本の当用漢字は1,850字です」と答えたという。早稲田大学に留学した経験のある周恩来の知日派ぶりを示すエピソードである。

○田中総理が晩餐会の挨拶で述べた「ご迷惑を掛けた」という言葉

 田中総理訪中の最初の日(1972年9月25日)の夜に行われた周恩来総理主催の歓迎宴の挨拶の中で、田中総理は「過去数十年にわたって,日中関係は遺憾ながら,不幸な経過を辿って参りました。この間わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて,私はあらためて深い反省の念を表明するものであります。」と述べた。この挨拶のうち「わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけした」の部分について、通訳は中国語で「我国給中国国民添了很大的麻煩」と訳した。この「麻煩」(マーファン)という言葉は、日常生活の中で誤って他人に水を掛けた時に謝るような時に使うような「軽い」言葉であったため、多くの中国の人々の怒りを呼んだ。

 この点について、周恩来総理は翌日の第二回首脳会談の冒頭取り上げ、次のように発言した。

「日本政府首脳が国交正常化問題を法律的でなく、政治的に解決したいと言ったことを高く評価する。戦争のため幾百万の中国人が犠牲になった。日本の損害も大きかった。我々のこのような歴史の教訓を忘れてはならぬ。田中首相が述べた『過去の不幸なことを反省する』という考え方は、我々としても受け入れられる。しかし、田中首相の『中国人民に迷惑をかけた』との言葉は中国人の反感をよぶ。中国では迷惑とは小さなことにしか使われないからである。」

 この「麻煩」を通訳による「世紀の誤訳」と評する人もいる。しかし、私は、率直に言って、田中総理が使った「多大のご迷惑をおかけした」という表現自体、戦争中に中国に対して日本がなしたことを表現するに際しては、日本語としても弱過ぎる表現であり、これを中国語の「麻煩」と訳したのは決して「誤訳」ではないと思っている。

 この「表現」の問題は、日中戦争の捉え方について、日本人と中国人との間の「感覚のズレ」を象徴する問題であり、日中関係に携わる人は全て留意する必要がある点であると私は考える。

(参考URL1)東京大学東洋文化研究所田中明彦研究室
「日本政治・国際関係データベース」-「日中関係資料集」
「周恩来総理主催招宴における田中内閣総理大臣挨拶」(1972年9月25日)
(出典)田中内閣総理大臣演説集, 40-41頁
※上記データベースでは、日本語と中国語訳の両方を見ることができる。
「田中総理・周恩来総理会談記録」(1972年9月25日~28日)
※この会談記録には冒頭に「極秘無期限」と書かれているが、それがなぜネット上にアップされているのかについては説明がなされていない。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/

 ちなみにずっと後の1995年8月15日(戦後50周年の終戦記念日)に当時の村山富市総理(社会党:当時は自社連立政権だった)が発表したいわゆる「村山談話」では、次のように「多大の損害と苦痛」という表現になっている。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」

(参考URL2)外務省ホームページ
「報道・広報」-「談話・コメント」
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)(平成7年8月15日)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html

以上

次回「3-4-3(1/2):トウ小平の復活と批林批孔運動(1/2)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/03/post-a817.html
へ続く。

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