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2010年3月 8日 (月)

3-3-9(2/2):【コラム:その後のベトナム】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第3章:改革開放に至るまでの中華人民共和国の歴史

-第3部:文化大革命(前半:林彪墜落死事件まで)

--第9節:ニクソンによる米中接近への動き(2/2)

【コラム:その後のベトナム】

 これまで述べたようにパリ協定に基づきアメリカ軍は1973年3月29日までにベトナムから撤退した。アメリカは南ベトナム政府に対して、少数の軍事顧問の派遣と物資の面での支援を続けたが、ニクソン大統領が1974年8月にウォーターゲート事件で辞任したこと、外交政策上はソ連との共存路線(いわゆる「デ・タント」路線)を歩んだことにより、アメリカがベトナムに再介入する可能性はなくなった。一方、パリ協定で定められた新しいベトナムの政治形態を決定するための統一選挙は行われないままであった。アメリカ軍の支援を失った南ベトナム政府は、実態的に弱体化し、南ベトナム臨時革命政府(かつての解放戦線)と北ベトナムの勢力が次第に強くなっていった。

 こうして、1975年3月、北ベトナムと南ベトナム臨時革命政府は南ベトナム政府に対して軍事的攻勢に出た。アメリカ軍の支援のない南ベトナム政府軍は総崩れとなり、解放勢力側は一気に南下し、4月30日、解放勢力がサイゴンに突入して、南ベトナム政府は崩壊した(そして、南ベトナムの首都のサイゴン市はホー・チ・ミン市と改名された)。この過程で、南ベトナムに残っていたアメリカ人、アメリカに協力的だった南ベトナム人を国外へ脱出させるため、アメリカは航空機やヘリコプターでの脱出作戦を行った。南ベトナムの空港で、離陸しようとして滑走を始めたアメリカの航空機に必死でしがみつこうとする南ベトナム人、それをパンチで追い払おうとするアメリカ人、ベトナム近海のアメリカ軍の空母上で着艦場所を確保するため今乗って来たヘリコプターを人力で押して海中に投棄するアメリカ人たちなどの生々しい姿が連日テレビで報道された。

 個人的な話で恐縮であるが、1974年の年末、当時高校二年生だった私は高校の世界史の教師から「世界史上の事件をひとつ選び、それについてレポートを書け」という冬休みの宿題をもらった。私がテーマとして選んだのは、約2年前に和平協定が結ばれた「ベトナム戦争史」だった。サイゴン陥落は、そのレポートを書き終わった直後の出来事だったため、まさに「動く現代史」として、毎日報道されるテレビのニュースを食い入るように見ていた記憶がある。

 なお、まさにベトナムにおいて解放勢力側がサイゴン陥落へ向けて最後の進撃を進めている真っ最中の1975年4月5日、台湾では蒋介石が死去した。また、サイゴンが陥落した1975年4月30日は、アドルフ・ヒトラーがベルリンの総統府の地下で自殺してからちょうど30年目の日だった。高校三年生になったばかりの私は、まさに「時代の節目」を肌で感じていたのであった。

 中国において、激動の1976年(周恩来の死去、第一次天安門事件、毛沢東の死去、「四人組の逮捕」(=文化大革命の終焉))を迎えることになるのは、この翌年のことである。

以上

次回「3-3-10(1/3):謎の林彪墜落死事件(1/3)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/03/post-1a0d.html
へ続く。

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