« 3-5-3:【コラム:論文「実践は真理を検証する唯一の基準である」の扱い】 | トップページ | 3-5-5:改革開放と「四つの基本原則」で終わった「北京の春」 »

2010年3月30日 (火)

3-5-4:トウ小平氏による改革開放方針の提示

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第3章:改革開放に至るまでの中華人民共和国の歴史

-第5部:改革開放政策への大転換

--第4節:トウ小平氏による改革開放方針の提示

 1978年11月10日から延長を繰り返して議論が続けられてきた中国共産党中央工作会議は、12月13日、ようやく終了することとなった。この中央工作会議の閉会式の席上、華国鋒氏はついに「『二つのすべて』という表現は、毛主席を絶対化し、妥当性を欠いた」と自己批判した。「すべて派」の中心人物の一人である汪東興副主席も自己批判文を書き、その文章は会場で配られた(「参考資料17:トウ小平秘録」)。西単の「民主の壁」で多くの民衆が「すべて派」を批判する壁新聞を張り、それを世界のマスコミが報道するような状況に至り、会議で「すべて派」が自らの主張を主張し続けることは困難になっていたのである。華国鋒主席自らが自己批判することにより、「すべて派」は完全に敗れた。

 華国鋒氏の自己批判に続き、トウ小平氏が中央工作会議を締めくくる「思想を解放し、実事求是し(事実に基づいて真理を追究し)、一致団結して前を向いて進もう」と題する講話を行った。

(参考URL)「人民日報」ホームページ「中国共産党新聞」
「党史人物記念館」-「トウ小平記念館」-「著作選集」-「トウ小平文選第二巻」
「思想を解放し、実事求是し(事実に基づいて真理を追究し)、一致団結して前を向いて進もう」(1978年12月13日)
http://cpc.people.com.cn/GB/69112/69113/69684/69695/4949676.html

 このトウ小平氏の講話は、まさに「改革開放政策の決定」を宣言する画期的なものである。この講話のポイントは次のとおりである。

---党中央工作会議閉会式でのトウ小平氏の講話(1978年12月13日)のポイント(始まり)---

○思想の解放は当面の大きな政治問題である。

 この十数年来、林彪と「四人組」は、多くのタブー(中国語で「禁句」または「禁令」)を掲げ、迷信を作り、人々をニセのマルクス主義の檻の中に閉じ込めてきた。また、民主集中制を破壊し、党内の実権を過度に集中させる官僚主義を採った。この官僚主義は「党の指導」「党の指示」「党の利益」「党の規律」と表現されたが、その実態は、取り締まり、締め付け、圧力を掛けることだった。賞罰が不明確であり、何かなした人は打倒され、何もしなかった人が生き残った。こうした状況で、人々は一生懸命考えたり動いたりしなくなった。何かやると批判されるので、発展や進歩を求めず、新しいことを受け入れないことが習慣化した。

 思想の画一化が様々な制限やしきたりとなった。例えば「党の指導を強化する」ということで、党が一切を仕切ることになり、党の指導の実行は、党と政治の不分離を起こし、党が政府に取って代わる状況を作った。思想の画一化は「風見鶏的傾向」を産んだ。「その時の風を見て行動する」傾向は、独立して考え、意見を言い、果敢に行動し、誤りを犯すことを恐れず、誤りが明らかになればすぐに是正するという中国共産党の精神に反するものだった。思想の画一化は、現実から出発するということをせず、本に書いていない、文件に書いていない、指導者が言っていないことは何もしない、全て人がやっているとおりにやる、という現象を起こした。思想の画一化を打破しなければ、「四つの近代化」に未来はない。

○民主は思想を解放するための重要な条件である

 我々は民主的条件を作り出さなければならない。重要なのは「あら探しをしない」「レッテル貼りをしない」「むやみに批判しない」である。この数日間になされた「天安門事件」に対する名誉回復は、全国の人々を歓喜・鼓舞させ、多くの大衆に社会主義的積極性を引き出した。人々に意見の提出を許すこと、即ち各個別の不満を抱く人に民主的にいろいろ言わせることは何も恐れる必要はない。絶対多数の大衆が持つ是非を判断する能力を信頼すべきである。一革命政党としては、人民の声を聞くことを恐れてはならず、むしろ全く声が聞こえないことを恐れるべきである。

 現在、党の内外で大局を無視した諸説が虚々実々いろいろなことが言われているが、これは長期的に政治的な民主がなかったことに対する一種の懲罰と言える。我々は、人民が大局を理解し、規律を守ることを信じる。我々党の幹部は、こういった大局を無視した理屈の類に手を染めないようにしなければならない。

 人民大衆が出している意見には、正しいものも正しくないものもある。党の指導者は人民大衆が持っている意見を正確に集め、正確に解釈しなければならない。思想問題に対しては、圧力で屈服させる手法を取ってはならず、かならず「百花斉放」「百家争鳴」の方針で行かなければならない。しかし、一方、我が国にはまだごく少数の反革命分子がおり、彼らに対する警戒も怠ってはならない。

 我々はまた経済的な民主の問題も考えなければならない。現在の我が国の経済体制は権力が過度に集中していることから、決定権を計画的かつ大胆に下に降ろし、国、地方、企業及び労働者の積極性を引き出さなければならない。当面必要なのは鉱工業企業と農業生産隊の自主権の拡大である。全国の数十万の企業、数百万の農業生産隊がみんな一生懸命考えて頑張れば、いったいどのくらいの富が生み出されるであろうか!

 企業や生産隊と同じように、労働者や農民個人の民主的権利も確実に保障し、民主的な選挙による民主的な管理が保障されなければならない。そのためには民主の制度化、法律化を進め、指導者の考え方が変わったからといって各種制度が変わるようなことにならないようにしなければならない。

○過去の問題を処理することは前を見るために必要である

 全国各民族の団結を強化する必要があり、それにはまず全党の団結が必要であり、特に党の指導部の団結が必要である。

 最近、国際的・国内的に毛沢東同志と文化大革命に対する評価の問題について関心が高まっている。毛沢東同志の指導により中国革命は勝利した。毛主席がいなければ、新中国はなかった。毛沢東思想がなければ、今日の中国共産党はなかった。これらはいささかも誇張ではない。ただ、当然、毛沢東同志にも欠点や誤りがなかったわけではない。我々は科学的かつ歴史的観点から、毛沢東同志の偉大な功績について認識する必要がある。

 文化大革命についても、科学的かつ歴史的観点から見る必要がある。毛沢東同志が文化大革命を発動した時、主に修正主義に反対し修正主義を防ぐために始めたのであるが、その実施の過程において欠点や誤りがあったのかどうか、適切な時期に、経験に基づいて総括し、全党の共通認識とする必要がある。文化大革命は、我が国社会主義発展のひとつの段階であり、それを科学的に評価し、真剣に研究し、さらに時間を掛けて十分に理解した上でないと評価することはできない。この歴史段階を説明できる時が来たとき、我々は今日語っているよりさらによい段階へ進むことができるだろう。

○新しい状況を研究し、新しい問題を解決する

 我々は経済的な手法を学んで経済を管理しなければならない。自分でわからなければ人に学ぶ、外国の先進的な管理手法も学ぶ必要がある。全国統一的な手法が採れなくても、ひとつの地区、ひとつの業種から段階的に進めてもよい。

 レーニンは「集団指導の名を借りて誰も責任を取らないことがもっとも危険だ」と述べている。我々は、党委員会の指導の下での工場長責任制を採用する時、その責任範囲を明確にする必要がある。ひとつは管理者の権限を拡大することであり、二つ目は人材登用において力量に応じて責任を負わせることであり、三つ目は賞罰を明確にし企業、学校、研究機関、政府機関など全てにおいて評価を行うことである。

 経済政策上、一部の地区、一部の企業、一部の労働者・農民が、自らの努力により成績が上がったのならば、彼らの収入が多くなり生活が向上してもよい。一部の人々の生活が良くなれば、皆、それに習ってその他の地区、その他の企業も成功例に学び、全国がだんだんに豊かになっていくからである。もちろん、西北地区、西南地区など一部の地区においては人民大衆の生活は極めて困難であるから、国家はこれらの地区に対しては、必要な補助と支持を与える必要がある。

 「四つの近代化」を進めるに当たっては、我々は経験したことのない多くの問題に出くわすだろう。そのような問題が発生したときは、我々は自信を持って進まなければならない。「四つの近代化」はひとつの偉大な革命である。我々はこの偉大な革命を進めるに当たっては、絶え間なく出現する新しい矛盾を解決しなながら前進しなければならない。そのためには、全党の同志は、さらによく学習しなければならない。学習しなければならないことは、マルクス主義と毛沢東思想を根本とし、マルクス主義の普遍的原則を「四つの近代化」の具体的実践の中で我が国において実現する努力をすることである。当面、大多数の幹部が緊急に学ぶべきことは三つある。ひとつは経済学であり、ひとつは科学技術であり、もうひとつは管理の手法である。

 我々はみな一致団結し、思想を解放させ、わからないことは勉強し、党中央と国務院の指導の下、我が国の近代化を成し遂げ、社会主義強国への道を奮闘前進しよう!

---党中央工作会議閉会式でのトウ小平氏の講話(1978年12月13日)のポイント(終わり)---

 これらの言葉は、この後、改革開放政策が進展する過程で、繰り返し語られることになる。「改革開放の原点」と呼ぶにふさわしい講話だと言える。この講話を載せている「トウ小平文選第二巻」では、この講話の最後に次のような注釈を掲げている。

「これはトウ小平同志による中国共産党中央工作会議閉会式での講話である。この中央工作会議は、この後すぐに引き続いて開催された中国共産党第11期中央委員会第三回全体会議(第11期三中全会)の準備のための会議だった。このトウ小平同志の講話は、事実上、三中全会の基調報告と言えるものだった。」

 この講話の中には、トウ小平氏による「民主化」に対する考え方が散りばめられている。この講話は、この後、「胡耀邦氏の失脚」「第二次天安門事件」「南巡講話」などを通じて表面化するトウ小平氏の考え方のバックボーンとなっている。トウ小平氏は、ある時は上記の言葉を実践し、そしてある時は上記の自らの言葉の一部を自ら踏みにじることになる。その意味で、この後の中国の歩みを考える時、この1978年12月に出されたトウ小平氏の講話の意味を改めて感じることができると思う。そして、この講話が述べているのは、21世紀の現代の中国が直面する問題にまで継続しているところのものでもある。

 上記の講話の中で、トウ小平氏は、毛沢東と文化大革命の評価の部分については、明言を避け、時間を掛けて科学的に評価する必要がある、と述べるに留まっている。この時点でトウ小平氏の考え方は固まっていたと思われるが、なお、党内世論が落ち着くのを待つため、性急にことを進めなかったトウ小平氏の周到さが窺える。「時間を掛けた科学的な評価」を行った結果として、二年半後の1981年6月に毛沢東と文化大革命に対して明確な評価を下す「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」(歴史決議)が出されることになる。それまでの間、トウ小平氏は華国鋒氏を追い詰めることはしなかったが、この1978年12月の第11期三中全会の決定により、事実上、華国鋒氏は政権運営の実権を失った。そして、華国鋒氏は1980年8月に開かれた全人代で国務院総理を解任され、「歴史決議」を採択した1981年6月の第11期中国共産党中央委員会第6回全体会議(第11期六中全会)では党主席も辞任することになるのである。

 党中央工作会議が終了した直後の1978年12月16日、中国政府とアメリカ政府(当時は民主党のカーター大統領の政権)は、同時に1979年1月1日をもって両国が国交を樹立することを発表した。中国は4か月前の1978年8月12日に日本との間で日中平和友好条約に調印している(批准書を交換し条約が発効したのは1978年10月23日)。華国鋒氏らの「すべて派」とトウ小平氏らの「実践派」が路線論争を続けている間にも、外交交渉などの実務的な行政事務は滞りなく行われていた。華国鋒氏ら「すべて派」がいるとは言いながら、中国政府の実質的な統括権限はトウ小平氏が握っていたからであるが、これらの外交交渉の円滑な進展は、中国がこの頃には「文化大革命」時代のような政策実務をないがしろにしながら路線論争を繰り広げる国から、政策方針に関する論争は行われていても、実務的な行政は確実にこなす「普通の国」に既に変身を遂げていたことを示すものである。

 なお、この当時の中国と日本やアメリカ、ベトナム等との国際関係については、次々節で改めて述べることとする。

以上

次回「3-5-5:改革開放と『四つの基本原則』で終わった『北京の春』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/03/post-a40e.html
へ続く。

|

« 3-5-3:【コラム:論文「実践は真理を検証する唯一の基準である」の扱い】 | トップページ | 3-5-5:改革開放と「四つの基本原則」で終わった「北京の春」 »

「中国現代史概説」」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 3-5-3:【コラム:論文「実践は真理を検証する唯一の基準である」の扱い】 | トップページ | 3-5-5:改革開放と「四つの基本原則」で終わった「北京の春」 »