« 3-2-4:【コラム:ソ連の中国への核兵器技術移転は本気だったのか】 | トップページ | 3-2-5:「大躍進政策」の結果を受けた権力闘争 »

2010年2月24日 (水)

3-2-4:【コラム:フルシチョフとアイゼンハワーの「平和共存」の舞台裏】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第3章:改革開放に至るまでの中華人民共和国の歴史

-第2部:社会主義化の深化と路線闘争

--第4節:フルシチョフによる「平和共存路線」と中ソ対立

【コラム:フルシチョフとアイゼンハワーの「平和共存」の舞台裏】

 これまでに述べたようにソ連による中国からの技術者の引き上げ通告は1960年7月16日だった。一方、「映像・音声資料5:ドキュメンタリー番組『イスラエル秘められた核開発』(2002年イスラエル・トゥラ・コミュニケーション制作。2008年7月16日、17日にNHK-BS1「BS世界のドキュメンタリー」で放送された)」によれば、当時、フランスからの技術支援により極秘に核兵器開発計画を進めていたイスラエルに対し、フランスのドゴール大統領が技術支援の停止を指示したのも1960年とのことである。このタイミングの奇妙な一致は、単なる偶然の一致なのか、あるいは外交上の裏の駆け引きによるものなのか、は、将来の歴史家が解明すべき、第二次世界大戦後の歴史の重要な課題であると思われる。

 「ドキュメンタリー番組『イスラエル秘められた核開発』」によれば、イスラエルが秘密裏に原子炉を建設したことを暴露したのは、その情報を偵察衛星により入手したソ連である、とされている。イスラエルによる核兵器開発は、ソ連の友好国であったアラブ連合(現在のエジプト)に対する脅威であり、ソ連のフルシチョフはアメリカのアイゼンハワー大統領に対して、「平和共存路線」を持ちかけると同時に、イスラエルによる核開発を中止するよう要求した、と想像することも可能である。

 アメリカがイスラエルによる核開発計画をどの程度知っていたかは不明である(公式には「知らなかった」ということになっている)。しかし、ソ連からの要求に対し、アイゼンハワーは、フランスにイスラエルに対する核兵器関連技術の提供をやめるよう圧力を掛けると同時に、ソ連に対しては中国への核兵器技術の中止を求めた可能性がある。フルシチョフがこのアイゼンハワーの逆提案に同意したのだと考えると、1960年にほとんど同時に、ソ連が中国に対して、フランスがイスラエルに対して、ぞれぞれ核兵器開発の技術提供を中止した、というタイミングの奇妙な一致について納得の行く説明ができる。実際そうであったのかどうかは、現時点では想像の域を出るものではないが、将来、明らかにされることを期待したい。

(注)フランスは、過去のイスラエルに対する核兵器技術の供与については、現在でも「ノーコメント」の立場を貫いている。

以上

次回「3-2-5:『大躍進政策』の結果を受けた権力闘争」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/02/post-9ccc.html
へ続く。

|

« 3-2-4:【コラム:ソ連の中国への核兵器技術移転は本気だったのか】 | トップページ | 3-2-5:「大躍進政策」の結果を受けた権力闘争 »

「中国現代史概説」」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 3-2-4:【コラム:ソ連の中国への核兵器技術移転は本気だったのか】 | トップページ | 3-2-5:「大躍進政策」の結果を受けた権力闘争 »